0 ISSN 0582-9380 Shakespeare News VOL. 45 No. 2 December 2005 THE SHAKESPEARE SOCIETY OF JAPAN 1 日 本 シ ェ イ ク ス ピ ア 協 会 会 報 Shakespeare News VOL. 45 No. 2 December 2005 学 会 特 集 号 第 44 回シェイクスピア学会を終えて…………………………… 楠 明 子 2 パネル・ディスカッション (要旨) 日本におけるシェイクスピアの翻訳と受容…………………………………3 研 究 発 表(要旨)………………………………………………………………..7 セ ミ ナ ー(要旨)………………………………………………………………18 シャイロックの悲劇――映画『ヴェニスの商人』をめぐって…中 村 裕 英 27 研究ノート…………………………………………………………………………………31 * * * 第45回シェイクスピア学会 研究発表ならびにセミナーメンバー募集要項 ……32 日本シェイクスピア協会規約(全文) ……………………………………………….. 35 NOTICE BOARD…………………………………………………………………………38 THE SHAKESPEARE SOCIETY OF JAPAN Shakespeare News, Vol. 45, No. 2 2 第 44 回シェイクスピア学会を終えて 楠 2005 年度シェイクスピア学会が 10 月 9 日(日) ・10 日(月) 、日本女子大学目白 キャンパスで催された。観光シーズンの 連休であったにも拘らず、またほぼ一日 中雨にたたられ悪天候であったにも拘ら ず、多数の協会会員の参加を得、大盛況 の学会であった。会員の皆様のご協力に 心より感謝申し上げたい。 目白駅からバスで 10 分と地の利は実に よいが、校門から一歩入ると緑多き閑静 なキャンパスの別世界が広がる。日本女 子大学は、周知の通り我が国で最初に女 子高等教育を始めた学校の一つで、100 年以上の歴史を誇る。学会の研究発表、 セミナーが行われた「百年館高層棟・低 層棟」は、創立当時の学生が学んだ校舎 を記念した建物なのであろう。百年前に 女性が学問を志すということは、どんな に多くの困難を伴ったことであっただろ う。現代の女性が一生の仕事として学問 の道を自由に選べるのは、100 年前にこの キャンパスで学んだパイオニアたちの勇 気と努力のおかげでもある。因みにシェ イクスピア協会の現会員数は約 700 名、 そのうち半数弱が女性会員である。 学会初日の午後に行われた研究発表は、 どの部屋にも多くの聴衆が集まった。長 年研究に携わってこられた 10 人の研究者 に 4 人の大学院在籍発表者を加え、14 本 の刺激的な発表が行われ、その後活発な 質疑応答がなされた。 2 日目には、チューダー朝のグレイト・ ホールを思わせる由緒ある成瀬記念講堂 において、シェイクスピアの翻訳と受容 に関するパネルディスカッションが多く の聴衆を迎えて行われた。実際に現場の 仕事に携わっておられる 4 人の翻訳家・ 研究者による議論はさすがに現実的で、 むずかしい問題を浮き彫りにする。フロ 明 子 アの温度も一気に上がり、休憩時間には 質問を書くための白紙の調達に苦労する ほどだ。学会でこんなに白熱したパネル ディスカッションが行われたのは、ずい ぶん久しぶりのように思われる。午後の セミナーのテーマは多岐にわたるが、ど の部屋も熱心な聴衆で一杯。誠にうれし い限りであった。 懇親会は、かの有名な日本女子大学同 窓会館の桜楓館で開かれた。予想をはる かに超える数のさまざまな世代の会員が 全国から参加してくださり、一時の懇談 に花が咲いた。協会とは長いご縁のある、 Woolf 研究の権威であり卒業生でもある 出渕敬子日本女子大教授もご出席くださ り、日本女子大学の学生によるシェイク スピア劇上演の歴史等についての大変興 味深いスピーチを聞かせていただくこと ができた。今回の学会の成功は、なんと いっても開催校日本女子大学のご支援と、 先生方、アルバイトの学生さんたち、事 務の皆様の献身的なご尽力の賜物である。 深く御礼申し上げる。 来年は協会創立 45 周年記念の学会が 開催される。すでにご案内してあるよう に、Shakespeare Institute の Director、 Kathleen McLuskie 教授を招聘し、「学 会講演」 「セミナー」を行う。セミナーリ ーダーはセミナーペイパーの投稿者のな かから McLuskie 教授自身が選んでくだ さる。さらに、 「記念論文集」刊行も企画 している。会員の皆様には「セミナー」 および「論文集」にどうぞふるってご投 稿いただきたい。また、来年 4 月に行わ れるシェイクスピア・ワークショップに は、たくさんの大学院生が応募してヴェ テランの研究者のアドヴァイスを励みに 21 世紀の研究を進めてほしいと強く期待 している。 3 第 44 回 シ ェ イ ク ス ピ ア 学 会 報 告 2005 年 10 月 9 日(日) ・10 日(月・祝日) 会 場: 日本女子大学 目白キャンパス パネル・ディスカッション (要 旨) 日本におけるシェイクスピアの翻訳と受容 司会:加藤行夫(筑波大学教授) パネリスト:Daniel Gallimore(日 本女子大学専任講師)河合祥一郎 (東京大学助教授)喜志哲雄(京 都大学名誉教授)松岡和子(翻訳 家、演劇評論家) 学 会 の 参 加 者 が 一 堂 に 会 するパネ ル・ディスカッション形式は、東京で シェイクスピア国際会議が開催された 1991 年の翌年に、現在のような複数の セミナー形式が始まって以来ごくまれ なものとなっている。一度、第 40 回学 会(九州大学)において、「シェイクス ピア研究、この 100 年」(司会:柴田稔 彦)という大きなテーマでパネルが行 なわれており、ある意味で今回のパネ ルはその続編として、「シェイクスピ ア受容、この 100 年」といった企画で もあろうかと理解される。とりわけ、 シェイクスピアの受容にとって不可避 の問題でありながら、これまで学会で あまり取り上げて来られなかった「翻 訳」が正面に出されたわけだが、とも すれば拡散しがちなこの話題、あえて Shakespeare News, Vol. 45, No. 2 「翻訳の現場」に焦点を合わせてパネ リストを依頼した。打ち合わせはわず かのメールと2回の顔合わせのみであ るにもかかわらず、当日の発言はそれ ぞれの豊かな経験と洞察を見事に示し ながら、議論は相互にごく自然にかみ 合って、まことにパネル・ディスカッ ションの成否はパネリストの顔ぶれに よって決まるという、極めて当たり前 の事実をあらためて思い知らされた次 第。 フロアを交えての後半も活発で── 上演を前提にした翻訳を教育の現場で 用いることの可否は? 演出によって 翻訳が影響を受けたことは? 翻訳す るテクストはQかFか折衷か、あるい は翻案の翻訳は? フェミニズム、ジ ェンダー批評が翻訳に影響を与えてい 4 るか?──等々、縦横に議論が飛び交 い、さらには──翻訳作品にいかに芸 術性を求めるか? 昔の翻訳の方が芸 術的個性にあふれていたのではない か?──といった刺激的かつ挑発的な 意見も出され、不慣れな司会としては、 与えられた時間の短さを惜しむばかり であった。 (加藤行夫) * シェイクスピアの日本語翻訳の評価 は、特に私のような外国人にとって、 大変難しいものだが、翻訳の音楽性 (musicality)、演劇性(theatricality)、 又は正確さ(accuracy)を三つの基準と して考えるのも一つの方法だろう。音 楽性は翻訳者がシェイクスピアの韻律 をどのように解釈するかという点にお いて効果的である一方、演劇性は取り 分けサブテクストに関連している。正 確さの問題は翻訳者に原典の間テクス ト性(intertextuality)を考慮させる。又、 社会性(relevance)という第四の基準は 翻訳者自身のコンテクストを強調する。 こうした基準は日本におけるシェイク スピア史上の初期の間に活躍していた 夏目漱石や坪内逍遙の様々なコメント に実現されているが、逍遙自身は十分 なシェイクスピア翻訳をすることに対 して悲観的なようだった。しかし戦前 の日本においても、シェイクスピアは 確実な意味をもっているし、その意味 は翻訳を通して伝えられると言える。 新 し い 学 問 の 翻 訳 学 (translation studies)でも、この四つの基準はフェミ ニズムやポストコロニアリズムのよう な理論的な批評に適用されるだろう。 1928 年、小山内薫らが帝国劇場で、坪 内逍遙訳『夏の夜の夢』を上演したと き、19 歳の村瀬幸子が、女役パックを 演じて話題を呼んだようであるが、逍 遙は翻訳の際に、シェイクスピアの女 性登場人物を、情婦や(現代的には)ホス テスではなくするために、苦労したよ うである。そして、シェイクスピア翻 訳は、確かに、 「新しい日本女性」のイ メージを作り上げるのに多大な貢献を している。ポストコロニアリズムにお いては、戦前、日本が海外理想や文学 に門戸を開いたことは、ある意味で、 日本文化を西洋の帝国主義から保護す ることに貢献した。シェイクスピア翻 訳は、「空想の空間(imaginary space)」 であり、土着の文化が過去やその他の 空間と交渉するのを可能にする。しか し、日本におけるシェイクスピア翻訳 と受容には──特に日本語自体の変容 の中で──多くの研究課題が残されて いる。 (Daniel Gallimore) わが国には、翻訳劇の台詞は何より もまず《こなれた》ものでなければな らないとする考え方がある。原作の文 体はさまざまなのだから、こなれた日 本語を選ぶことは必ずしも原作に忠実 なやり方にはならないのに、この考え 方は実に広く受容れられている。こう いう奇妙な現象の背後には、劇の言葉 そのものについての根本的な誤解があ るのではないだろうか。科学の言葉の 場合と違って、文藝の言葉においては 語義(外延)だけでなく含蓄(内包) も重要である――時には語義よりも含 蓄の方が重要である――のに、そのこ とに気づいていないひとがあまりに多 い。近年の文楽の上演では、浄瑠璃の 詞章が舞台上方に字幕として示される。 しかし、どんな言葉が語られているか を目で確認しただけでは、文楽の鑑賞 は成立しない。大夫が三味線の助けを 借りて詞章をどう解釈し、その解釈を どのように表現するかを確認するのが、 5 鑑賞という行為のいちばん重要な部分 なのである。 シェイクスピア劇の台詞は浄瑠璃の 詞章に劣らず難しい。たとえば、現代 の英語圏の観客も容易には理解できな い歴史的・宗教的状況についての言及 が頻出するし、同じ単語でも現在とは 異る意味をもっていることが珍しくな い。しかも、基本的には韻文になって いる。こういう台詞をこなれた日本語 にするのは、一種の誤訳である(単語 の誤訳よりも文体の誤訳の方が致命的 だとさえ私は思う)。もちろんシェイク スピア劇を七五調を用いて翻訳するの は無意味である。だからシェイクスピ アの日本語訳は散文にならざるをえな いのだが、ただ、七五調を音数律だけ を手がかりにして理解しなくてもいい のではないか。歌舞伎の台詞を語る時 には、七音であれ五音であれ、ひとつ のフレーズにふたつのストレスをおく のが原則であるようだ。音節の数では なくてストレスの配列に規則性をもた せたら、リズム感に富んだシェイクス ピアの邦訳が生れるのではないだろう か。 (喜志哲雄) これまでのシェイクスピアの受容の され方には、上演と読解という二項対 立があった。翻訳においても、読者の ために訳すのか、舞台のために訳すの かによって違うとされてきた。しかし、 シェイクスピアの戯曲は演じられるた めにある。テクスト対パフォーマンス という対立を超えて、音として認知さ れるシェイクスピアの言葉を考えたい。 それは、シェイクスピアは声に出して 味わい、聴いて楽しむものだという立 場である。音読して初めてその美しさ、 意味の深さ、リズムなどを総体として 味わえるのだ。 Shakespeare News, Vol. 45, No. 2 「シェイクスピアの原文に忠実に訳 す」という命題を立てたとき、何を以 って「忠実」と言えるかは難しい。さ まざまな意味やニュアンスを汲み取り、 言葉が持つ力、響き、リズムに気を配 ることすべてを完璧にすることは無理 であり、ブランク・ヴァースを日本語 で表現することはできない。翻訳者は 常に絶望にあえぎながら、シェイクス ピアを傷つけ、日本語という血液型の 違う血を流し込んで、それでもなんと か生かそうと無謀な手術を試みるよう なものだ。但し、英語の血が失われて しまうことだけを嘆くのではなく、日 本語の血が入ることで、新たな命が与 えられるのだと考えたい。 全作品が 40 作になるということも含 めてシェイクスピアのテクスト(原典) とは何かという問題がある。編纂のと きと同じように Copy-text(底本)の決 定をしなければならず、特に底本が Q と F と両方ある面倒なケースに対処し なければならない。 翻訳には、正確さと日本語の表現力 のほか、台詞として鍛え直す作業も必 要だ。これは決して俳優が言いやすい ように平易にするということではなく、 三島由紀夫が仏文学者と共に行なった 共同作業に匹敵する。シェイクスピア の言葉を、日本語として鑑賞に堪える ような台詞にするための努力が必要だ。 最後になるが、このシンポジウムで 得た多くのご指摘やご質問に対して深 く感謝したい。 (河合祥一郎) これまで上演と出版のために 17 本の シェイクスピア劇を翻訳してきた過程 で、幾つもの課題が出てきた。たとえ ば原文の三位一体(多層な意味・イメ ージ・音韻)を生かす、先行訳では比 較的軽視されがちだったイメージをつ 6 ぶさないよう務める、解釈はするが演 出しすぎない(原文をパラフレーズす ることの必要と危険の自覚)、台詞に埋 め込まれたト書きやきっかけに留意す る、シェイクスピアの言わんとするこ とを先取りしない(「旅」の近道禁止)、 人物ごとの文体の特徴を生かす、など である。 最近新たに加わった課題はシェイク スピアの台詞の memorability=憶えや すさ(The Genius of Shakespeare にお ける Jonathan Bate の指摘がきっか け)。なぜメモラブルなのか。理由とし てイメージの鎖(連想)、音とリズムが 考えられる。その完璧な例は Macbeth の ‘tomorrow speech’ で あ る 。 To-morrow が「あした」と同時に「朝 へ」を意味し、from day to day の後半 が「today(今日)」に聞こえ、次行の all our yesterdays を速やかに引き出す (明日―今日―昨日という連想)。「昨 日」の集積が前方の死への道を照らす、 ということからその光源たる candle→ shadow→ player へ、then is heard no more の hear→tale へとイメージがつ ながる。さらに頭韻の適切な使用が挙 げられよう。こうした特長に留意し、 訳文もメモラブルになるよう努めたい。 台詞に対する「民主主義」を心がけ ると、小さなひと言から大きなことが 見えてくる。オセローがデズデモーナ の亡骸に向かって発する my girl がそ の一例。他のシェイクスピア劇の my girl はすべて父親から娘に向かって言 われている。オセローとデズデモーナ の年齢が父娘ほど離れていることの傍 証にならないだろうか。 言葉の職人という自覚をもって翻訳 に当たり、舞台人と読者と次世代に手 渡したい。 (松岡和子) 第45回 シェイクスピア学会 2006年10月8日(日)・9日(月・祝) 東北学院大学土樋キャンパス(宮城県仙台市青葉区) において 開催予定 7 研 究 第1室 司会 関西外国語大学教授 今 発 西 表(要旨) 雅 章 19 世紀シェイクスピア絵画に見る男装のヒロイン ――ジェンダーと生物学的性差の観点から 高 木 範 子 本発表の目的は、シェイクスピアの男 装のヒロインがヴィクトリア朝絵画の 中でどのように解釈し直され、表現され たのかを考察することにあった。男装の ヒロインが他の時代より女性らしく、ま た幼く描かれている段階を追って分析 し、これらの絵画が 19 世紀英国社会に よっていかに利用されたのかを検証し た。 はじめに、19 世紀に描かれた男装の ヴァイオラが帯びている女性性を、当時 の身体上の性差の概念や、理想とされた 女性の内面や顔の造作、髪の色というジ ェンダーの観点から分析した。ヴィクト リア朝の男装したヒロインの絵画には、 当時信じられていた生物学的性差や女 性らしさの概念が投影された。社会の抑 圧からの解放手段の一つとされている 男装を施したヒロインは、19 世紀絵画 において逆に窮屈なジェンダーに縛ら れているのである。 次に、18 世紀末から 19 世紀にかけて のイモージェンの絵画を考察した。女性 の体のしくみについての当時の認識や、 弱々しい女性性への憧れというジェン ダーの観点から論じ、男装をしているは ずのイモージェンが多くの絵画のなか で仮死状態の女性の姿をとる理由を導 き出した。画家はイモージェンを幼く描 くことに飽き足りず、男装という設定を 覆した上彼女の仮死という最も衰弱し た姿を描き女性のか弱さを極限まで強 調したのである。 19 世紀半ばに自らの権利を主張する 女性たちが男性優位の社会秩序に挑も うとする傾向をみせ始めたので、当時の 男性たちは危機感を覚え、科学者は男性 の優位性を保つため女性を未熟な性と 位置付けた。この時代に男装のヒロイン を少しも男性らしく描くことができな かったのは明確な性差の概念があった からである。人を道徳的に教化する役割 を絵画に担わせた時代のシェイクスピ アの男装絵画は、両性の相違を表す道具 となり、中産階級の女性のあり方を教え 導いたと言えるだろう。 (神戸女学院大学大学院博士後期課程) 鏡のイメージで読む『十二夜』――エコーとナルキッソス達 金 Twelfth Night を「エコーとナルキッ Shakespeare News, Vol. 45, No. 2 山 愛 子 ソス」のコンテクストで解釈し、鏡のイ 8 メージを取り込んだ作品として分析し た。Viola を特に Malvolio に代表される ナルキッソスたちの間に送られたエコ ーと解釈し、テキストの視覚的、聴覚的 反射のイメージに着目した。その結果、 M.O.A.I.は Malvolio 自身の自己愛をあ らわす外から内へ向かうアナグラムと いう読みが可能になる。 TN に は 鏡 や 、 ‘that is, and is not’(V.i.215)を体現する要素が数多く存 在する。「三人目の阿呆」の絵も、Olivia と Maria の筆跡、そして変装の Viola もそうであるが、Sebastian の出現で大 団円を迎える。神話ではエコーはナルキ ッソスに拒絶されて肉体を失ったが、こ こでは Sebastian の登場を契機に、エコ ーは Sebastian の影である Cesario を辞 めて Viola となったのである。Twelfth Night というタイトルの意味について は諸説があるが、Sebastian というもう 一人の実体の epiphany により、絡まり 合った恋のもつれがほどかれる様を暗 司会 関西学院大学教授 小 示しているとも言えよう。 エリザベス朝の Windsor 城では、浴 室の羽目板に鏡を張っていたという記 録がある。また Elizabeth I が最期に ‘a true looking glass’を所望し、これまで 女王を褒めそやしてきた鏡を呪ったと いう記録もある。この場合の ‘true’とは、 鮮明に対象を映すガラス鏡を指すので はないか。Orsino の台詞 ‘the glass seems true’(V.i.263)を想起させる形容 詞である。ここでは true は幻影などで はなく、生身の人間である実体を表す。 それほど確かに glass はその前に立つ人 間の姿を映す精度を持っていたと考え ることができよう。TN を「エコーとナ ルキッソス」の物語に照らして、鏡のイ メージに注目しながら読んできた。双子 の出現を喜ぶ場面での鏡への言及は、ル ネッサンス期にガラスで作った明晰な 鏡が England にも入ってきて、鏡のイ メージに進化があったことを表してい ると言える。 (敬和学園大学助教授) 澤 博 パラス誕生−『ゴーボダック』の黙劇と助言の作法 小 『ゴーボダック』が法学院インナー・ テンプルの降誕祭祝典 (1561/2) の余興 として初演された際、この特殊な文脈の 中で享受されることによって、今日悲劇 だけを切り離して読んでも汲みとるこ とが困難な特定の意味を発信したらし いことが、最近の研究の展開のなかで明 らかになってきた。 個々の部分は、容易に一意的な解釈を 許さない「謎」として提示され、他の部 林 潤 司 分と、もしくは部分の集積としての全体 と、相互参照されることではじめて特定 の意味を生成する。このような祝典の仕 掛けを念頭に置きつつ『ゴーボダック』 を読み直してみて再確認できることは、 この悲劇自体が実は、これと共通する構 成原理にもとづいて形づくられている という事実である。最初の二つの黙劇と それぞれの後に続く劇本編の展開を対 照してみると、享受者が相互を参照する 7 ことによってはじめて意味が明確にな るように仕組まれていることがわかる。 ベイコンがその「助言論」の中で紹介 しているユーピテルとメーティスの寓 話(懐胎したメーティスを出産前に呑み こんだユーピテルが頭からパラスを出 産する)は、顧問集団の助言を賢く利用 する法を君主に指南するとともに、臣下 に対しては、一定の結論を最初から顧問 集団の総意として上奏することが君主 の威厳と体面を損ないかねない不適切 なやり方であることを暗示している。こ れと同じ「助言の作法」が『ゴーボダッ ク』においても示されていると考えられ る。 意味の確定を遷延することによって 示される、解釈を行なう享受者の主体性 を尊重しているかのような身ぶりは、芸 術的な技巧である以前に、絶対的な権力 者の輔弼の任に当たる臣下が当然心得 ておくべき助言の作法の実演として理 解されなければならない。『ゴーボダッ ク』は、作品の内容に注目すれば、助言 を受ける君主の心得を説く芝居になっ ているが、同時に、その形式によって、 君主に助言を授けようとする臣下に向 かって範を垂れてもいるのである。 (鹿児島国際大学助教授) ルーシオウの悪ふざけ――『尺には尺を』における裁きと認識 高 本発表では、Measure for Measure の Vincentio 公爵について、彼が一面 として Shakespeare の劇作家としての ありようを担っている点に着目して、そ の基本的な行動パタンとして代理の介 在と窃視症的な認識様式が見られると いうことを論じ、そこから翻って、当時 の Shakespeare が直面していたドラマ トゥルギー上の課題と、それが内包する 人間学的な意義を考察した。 公爵は、上記のようなやり方で、 Vienna の町の風紀をただして、Angelo に自分の道徳的な不備を認識させるこ とにそれなりに成功する。しかし、公爵 のそういったやり方は、結局、彼にさま ざまな事態に直接対峙して自分の行動 に対して自ら責任を取ることを回避さ せて、彼が Angelo に対して求めるよう な自己認識を自分には免れさせるよう に作用しているように思われる。しかも、 その一方で、彼は自分のシナリオをいっ Shakespeare News, Vol. 45, No. 2 田 茂 樹 そう見栄えのするものにするために、過 剰な演出を施そうとするのだが、そうい った内実の伴わない演出は、むしろ、観 客から見て、その技巧性を露わにして、 彼の内的な確信の乏しさを浮かび上が らせることになる。 そ う い う Vincentio に 対 し て 、 Shakespeare は、Lucio のようなとり わけ不埒な道化を当てて彼を当惑させ ることによって、自分のありようを託し たペルソナの小賢しさを暴いてゆくの だが、しかし、そうやって公爵の小賢し さを暴く劇作家やそれに立ち会う観客 も、そうすることで新しい認識の地平に 至るということはなく、やはり同様の小 賢しさの連鎖から脱け出せていない。 そういった人間の認識に必然的に伴 う小賢しい自己正当化の悪循環から脱 却する一つの方途は、劇の中で公爵を自 らの代理である修道僧として人々の許 に遣わす神の配剤に思いを致すことで 10 あろう。その神の配慮をすら小賢しいも のと捉えるのか、それを人間的な理解を 超えたものとしてそのままに受け入れ るのか、二者択一的な答えのない問いを 第2室 司会 大阪大学名誉教授 齋 反芻しつづけるところに、この作品の一 つの最終的な意義が認められよう。 (金沢大学教授) 藤 衞 ジョン王をめぐる二つの劇・反乱のテーマを考える 李 本発表は、ジョン王をめぐる二つの劇 における反乱のテーマに着目し、1580 年代後半から 90 年代前半という時間枠 の中で注視される主題が変化している ことを明らかにする試みであった。ジョ ン王を王位簒奪者として前景化するア ーサーの死を契機として始まる両作品 の反乱のテーマは、王権の正当性を問題 化するものではなく、アーサー問題を大 義名分として貴族たちを反乱へと駆り 立てた教会の扇動を危険視するもので あると考えられる。それ故、両作品とも に反乱貴族をおおむね否定的に表象し ているのだが、これは、1570 年以来、 教会の説教壇から『不服従と意志ある反 乱を戒める説教』が説いてきたものと同 じメッセージ、即ち、反乱を戒め、国家 的団結を説く目的があったと考えられ る。しかしながら、シェイクスピアは、 やがて仏皇太子の裏切りを知って改心 春 美 しジョン王のもとへ帰順する反乱貴族 たちの表象を『乱世』のイメージとは異 なるものとすることによって、両作品が 触れても語らなかったマグナ・カルタ政 争が後世において再評価されることに なった、立憲君主制的メッセージをも発 しているのではないかとの可能性を指 摘した。つまり、シェイクスピアは、社 会秩序の維持のため国王主権を強化す るテューダー朝の支配的イデオロギー に抗うマグナ・カルタ政争を反乱貴族の 表象の中にあからさまに書き込むこと を避けてはいるが、国家の福利を思う反 乱貴族への共感を加えることによって、 国王主権を主張する女王に助言の重要 性や、間接的ながら、法の上に位置する 絶大な主権をもった国王の公正性に着 目したと思われる。 (プール学院大学助教授) 祈りのドラマツルギー ――『リチャード三世』における宗教と政治 村 井 和 彦 本発表では、『リチャード三世』にお いて、宗教と政治の関わりがいかに演劇 として表現されているかを考えた。『リ チャード三世』はキリスト教の神という 11 意味で使われる God という言葉がシ ェイクスピアの全作品中、最も頻出する 作品である。その点でこれは非常に素朴 な意味で宗教劇であると言える。シェイ クスピアはこの作品で祈祷書を小道具 として用いた。それが可能となった歴史 的背景として、16世紀から英訳版祈祷書 が普及してきたこと、さらに、やはり16 世紀に盛んに使われた I pray you 、 I pray thee といった表現に見られるよ うに「祈る」という行為そのものが世俗 化していたことが原因と考えられる。こ れらの表現は単に please の意味で用 いられたのである。ふたりの聖職者を従 えて祈祷書を持つリチャードの姿はチ ューダー朝の観客には生々しい政治性 が感じられただろう。とは言っても、政 情不安定な時代に自国の近過去の宗教 と政治を劇化することは危険な行為で あった。そこでシェイクスピアは、登場 人物間の政治的関係を曖昧にする一方 で、祈祷書を単なる小道具としてばかり ではなく、その言語的構造を、作品のド ラマツルギーの道具として利用したの 司会 日本女子大学助教授 佐 ではないかと論じた。「主の祈り」に見 られるような、文法的法の転換、繰り返 しのレトリック、直喩による論理の補強 といった特徴は、作品の文体的特徴でも ある。また、祈るという行為は呼びかけ る相手が眼前に存在せず、祈りを実際に 聞くのは教会に集まった信者であると いう隠れた構造も持っている。これらが 作品の悲劇的アイロニーを観客に印象 づける装置として、幾重にも仕掛けられ ている様を論じた。作品は呪いによる予 言が次々と実現していく過程を辿るが、 その中で登場人物たちは自らの呪いを 祈祷文に近づけることで正当化しよう とする。しかし、その努力がかえって劇 の皮肉な成り行きを観客に予感させる のである。作品は holy communion の対象であるはずの神がマリノフスキ ーの言う phatic communion の道具 へと変質する様を垣間見せてくれる。そ して、芝居は Amen という言葉で終 わるのだ。 (九州大学教授) 藤 達 郎 The Tragedy of Hoffman とエリザベス朝末期の王位継承問題 本 本発表では Henry Chettle (c.1560c.1607) 作の The Tragedy of Hoffman (c.1602)における「王位継承問題」 を、エリザベス朝末期の社会状況と絡 めて考察した。本作品は、復讐悲劇の 一つとして軽視されてきたが、復讐の みならず、王位継承を始めとする政治 問題をも扱ったという点で注目すべき である。 Shakespeare News, Vol. 45, No. 2 多 ま り え Hoffman の 3 幕 2 場で、外国人王子 (Luninberg 公の王子 Otho に扮する 主人公 Hofman)の王位継承を巡り、 Prussia 公国で内乱が生じる。なぜな ら 2 幕 1 場で Prussia 公が、実の息子 Jerome を「愚鈍」という理由で勘当し、 代わりに Prussia 公の甥、Otho に扮す る Hoffman を後継者としたからである。 Jerome を 支 持 す る 民 衆 は 、 Otho 12 ( Hoffman ) を “vnlawfull” ( 3.2. 1166- 67)、“false Prince” (1206) とみ なし、“an arrant arrant Alien”(1239) と言って、彼の外国人としての立場を 強調し、公国は二派に分断される。 王位継承の正統性を巡る問題は、当 時の社会にも存在した。Scotland 王 James 6 世が次期 England 国王として 有力視されていたが、外国人であった こと、母 Mary が反逆罪で Elizabeth に処刑されたことなどの問題があった。 実際、民衆による James 批判は、裁判 記録や幾つかの劇作品において表れて いた。また、王位継承に伴う内乱への 恐怖は、Dekker の The Wonderfull Yeare(1603)の中で言及されており、 人々は Elizabeth 死後に宗教戦争が勃 発することを恐れていたようである。 こうした背景を考慮すると、Hoffman は、この劇を観た当時の多くの観客に、 現実の王位継承という大問題を想起さ せる重要性をもっていたと言えるので はないだろうか。 (早稲田大学大学院博士後期課程) Perkin Warbeck における詩の真実 石 John Ford 作 Perkin Warbeck をめぐ る批評史は、真の国王が Henry VII な のか、それとも詐称者 Perkin Warbeck なのかに二分して展開してきた。しかし、 このような批評ですら、ヘンリーの治世 を再現する上で、なぜこれほどまでに劇 作家が詐称者をクローズアップしなけ ればならなかったのかという、本劇の成 立と関わる本質的な問題について明白 な回答を与えていない。この問題を考え る上で、着目したのは、Perkin の主張 する王国がもはや史実を離れて、詩的想 像力の領域に属していることである。そ のような手法に劇作家を導いたのは、 Sir Francis Bacon の The Advancement of Learning, Book II の詩に関す る見解だったのではないか。Bacon によ れば、イマジネーションを通して、感覚 的な世界の上に築かれる詩は、真の歴史 よりも人間の精神を高め、かつ威厳に満 ちている。しかも、Perkin が何度も「言 葉」としてエンブレム化されることを考 橋 敬 太 郎 慮すれば、Ford が目指したのは、英国 史劇というジャンルの中に、人間の精神 を満たすための詩的想像力の世界を復 活させることだったと考えられる。その 際に劇作家の意識にあったのは、 Jonson 的な歴史意識からイングランド の政情を探り、王権が制限される前例を 示すのを主眼とするステュアート朝に 創作された、詩的想像力に乏しい英国史 劇だったかもしれない。そうだとすると、 妻 Katherine を王妃とする Perkin の想 像上の王国は、言葉が放つ魅力によって 詩の真実を作り出そうとする演劇上の 試みとして機能する。逆に、新王朝を整 備する際にリアルなものだけを真実と みなして、Perkin の倫理的な王国を破 壊しようする Henry の試みは、詩に対 する演劇上の挑戦として位置づけられ る。発表では、妻に対する愛と忠誠とい う倫理的な価値観を帯びた Perkin の想 像上の世界を創造することにより、この ジャンルにおける詩的想像力の重要性 13 を主張する劇作家の試みを確認してみ た。 第3室 司会 広島大学教授 中 村 (岩手県立大学盛岡短期大学部助教授) 裕 英 ある未亡人の変容 ――王政復古期の Webster 改作劇とエロティックな描写 撫 原 華 子 James Shirley 作『枢機卿』(1641)は、 劇場閉鎖の前年に上演許可が下り、王政 復古以降も国王一座のレパートリーの ひとつとして上演されていた芝居で、そ の種本として考えられている芝居のひ とつに、John Webster 作の『モルフィ 公爵夫人』(1614)がある。本発表におい て着目したのは、このふたつの芝居の趣 が、若い未亡人である公爵夫人のエロテ ィックな描写という点に関して、大きく 異なっているということである。具体的 にいえば、『モルフィ公爵夫人』の台本 では描かれていた夫人のセクシュアリ ティ表象が、『枢機卿』の台本において は描かれない傾向にあるのだ。 本発表では、王政復古期に上演された 芝居の一つのケース・スタディとして、 『モルフィ公爵夫人』の公爵夫人と『枢 機卿』の公爵夫人 Rosaura という、ふ たりの公爵夫人のセクシュアリティ表 象の間にみられる変容を、王政復古期に おける、商業劇場への女性俳優の登場と 結びつけて論じた。たしかに、『枢機卿』 は Shirley が少年俳優によって演じられ ることを前提に、劇場封鎖の前年に書い たものだ。しかしながら、 『枢機卿』は、 約 20 年後の王政復古期の演劇界にみら れる流れのひとつ、つまり、「女性登場 人物のセクシュアリティが台本中から 消えてゆくという、『枢機卿』以降の Webster 改作群中にみられる流れ」を先 取りしているようにも思われる。「女性 俳優が、女性登場人物を演じるようにな った王政復古期の商業演劇の舞台にお いてもなお依然として上演されていた」 という事柄に着目して、改めて『枢機卿』 という芝居を読み直すとき、王政復古期 の演劇におけるセクシュアリティ表象 をめぐる事情の一端、つまり、エロティ ックな描写が「台本」ではなく、「女性 俳優の演技」を、すなわち女性の身体性 そのものを媒体として表現されていた 可能性、が垣間見えてくるように思われ るのである。 (お茶の水女子大学大学院博士後期課程) <不在>を読む――The Island Princess における東インド表象 末 初期近代イングランドの演劇に見ら Shakespeare News, Vol. 45, No. 2 廣 幹 れる地理的想像力に関する研究は豊か 14 な成果を残すいっぽうで、『テンペス ト』のポストコロニアル的読解に見られ るように、〈大西洋〉パラダイムへの偏 重という弊害も生み出している。本発表 では、このような不均衡を是正するため に 、 John Fletcher の The Island Princess を取り上げ、〈東インド〉表象 の特異性を分析した。この芝居が上演さ れた 1621 年という時期は、 〈東インド〉 においてイングランド人とオランダ人 とが緊張関係を高めている最中であっ たのだが、Fletcher は、物語の時代をオ ランダ人が〈東インド〉に進出する以前 に設定することで、劇中ではポルトガル 人と現地の住人しか登場させていない。 つまり、この芝居は、イングランド人と オランダ人とを〈不在〉にすることで、 同時代に深刻な問題となっていたイン グランド人とオランダ人との対立を表 象していない。また物語の構造に注目し てみると、Ruy Dias や Armusia らポル トガル人たちが主要登場人物とされ、二 司会 明治学院大学名誉教授 人の決闘が芝居の中間部に挿入されて はいるのだが、この芝居は、ヨーロッパ 人同士の対立に焦点を当てるよりも、む しろヨーロッパ人と〈東インド〉の人々 との交渉をドラマ化していることがわ かる。つまり、〈東インド〉は、ヨーロ ッパ人同士が香料という富をめぐって 争う場ではなく、ヨーロッパ人が異教へ の改宗の恐怖を克服して異人種間結婚 を成就するロマンス的空間として表象 されているのだ。1620 年代には、国王 ジェイムズ一世が親スペイン的な外交 政策を推したために、国民感情がかえっ て親オランダ的な方向へと傾いていた ので、Fletcher は、〈東インド〉におけ るイングランド人とオランダ人との対 立を表象することを回避したのではな いだろうか。すなわち、テクスト中で表 象されるポルトガル人は、イングランド 人やオランダ人を〈不在〉として表象す るための、不在証明、つまりアリバイに ほかならないのだ。 (専修大学教授) 大 場 建 治 『ローマの俳優』における範例的寓意表現 ――劇中劇の破綻は何を表象するか 内 Philip Massinger の The Roman Actor(1626 年)は三本もの劇中劇を含 む特殊演劇的な戯曲であるが、その特殊 性を際立たせるのは演じられる劇中劇 全てが何らかの形で破綻する/させら れ る か ら で あ る 。 第 一 の 劇 中劇 The Cure of Avarice は 強 欲 の 化 身 Philargus を改心させるために演じられ るが、失敗に終わってしまうのだ。この 劇中劇は人文主義的演劇弁護論を熱弁 するローマの筆頭俳優 Paris がその演劇 丸 公 平 思想を実践する場でもあり、Massinger 自身もこの演劇実践を意識していたこ とは彼の戯曲群から明らかである。にも かかわらずなぜ劇中劇は破綻してしま うのか。そしてその意味は何か。 範例として呈示される劇中劇の破綻 の原因は当時起きていた範例的寓意の 凋落にある。個が強調される近代化の過 程の中で、個々の解釈を超越した場で成 立可能な範例という形式の不可能性へ の意識が芽生えていたのである。 The 15 Cure of Avarice は実は当時擡頭してい た「エンブレム」からの引用であるが、 「エンブレム」は範例的寓意の凋落を背 景として、伝統的認識コードが危機に曝 された視覚藝術の危機への不安を象徴 的に胚胎するものであった。この文脈に 位置付けてみると、Philargus を初め 各々の劇中劇の観客が劇の寓意を認識 出来ないのは、彼らが恣意的なコードで 劇を誤読するからであり、それが劇の表 象行為と寓意内容との間に楔を打ち込 むからだ。劇中劇の破綻は範例的寓意の 表象不可能性に対する不安を表象する ものなのである。 こうして演劇表象の危機を強烈に示 す一方で、範例的演劇を目指した Massinger は、Massinger 的想像力と呼 ぶべき彼固有の劇的意匠を凝らし範例 的寓意を取り返すことを志向する。その 手法は登場人物の性格の道徳的観点か らの徹底した描写、表象行為の過剰な描 写と劇構造の徹底した二元論化であっ た。この意味で The Roman Actor は恣 意的読みによって範例が失効するかも しれないという演劇表象の抱える問題 とそれを取り返そうとする力の葛藤の 表象であり、その批評的中心点が劇中劇 の破綻にあったのである。 (東京大学大学院博士課程) 英国国教会Homiliesと『テンペスト』 郷 この発表はまずエリザベス朝の英国 国教会欽定『説教集』のテクストが一定 ではなく、版が重ねられるたびに誤植が 混入し、本文の改訂が部分的に施された こと、特に1582年版において多数の 誤植と170カ所余りの本文改訂があ った事実を指摘した。また、研究者が頻 繁に引用する1623年(CERTAINE SERMONS OR HOMILIES appointed to be read in Churches, in the time of the late Queene Elizabeth of famous memory)が、この82年版を基にした 上に多数の誤植を加え、更に300カ所 に及ぶテクスト変更を施した改訂版で あり、シェイクスピア研究には不適当で ある、と論じた。次に、この誤植の一例 として‘Homily against Excess of Apparel’の中にある ‘a fit stale to blind the eyes of carnal fools’の stale が15 82年版以降17世紀末の版までずっ Shakespeare News, Vol. 45, No. 2 健 治 と stable と印刷されていたことを報告 し、この stale とその直後の ‘glittering shew of apparel’が『テンペスト』4幕 の舞台で活躍する衣装 ‘stale to catch these thieves’/‘glistering apparel’ (Orgel 版 4.1.187; 193 SD) に呼応して いる可能性を指摘した。そして、当時教 会で続けて説教されていたこの‘Homily against Excess of Apparel’と‘Homily against Gluttony and Drunkenness’と が『テンペスト』の4幕・5幕の筋書き の下敷きになっている可能性を、この2 つの Homily と『テンペスト』との間に 見受けられる幾つかの注目すべき類似 点に着目して考察し、この観点から4幕 の衣装が現在舞台で使用されているよ う な ヒ ラ ヒ ラ し た 安 ピ カ の ‘carnival costume’ の 類 で は な く 、 実 は 君 主 Prospero の豪華絢爛たる人の目を眩ま すような ‘Rich garments’ (1.2.164) だ 16 ったのではないか、と新解釈を提起した。 試みを論じ始めたところ、残念ながら時 最後に、『テンペスト』を Montaigne の 間切れとなってしまいました。 随想 ‘Of the Cannibals’ 全体を材源に (帝京大学助教授) した作品として読み直す、という新しい 第4室 司会 千葉大学助教授 篠 崎 実 女王をもてなす――宮廷劇としての『恋の骨折り損』 米 同時代の Royal Entertainment や宮 廷劇との関わりから、 Love’s Labour’s Lost (LLL)について再考した。鹿狩 りへのアリュージョン、ソネット作り、 マスクとカウンターマスクの応酬、歌ま じりのパジェント。これらのエンターテ イメントとのつながりを強く意識させ る諸要素やスタイルが、LLL では直線 的プロット仕立てではなく、狭い範囲内 の異なる場所で同時多発的に起こるド タバタとして繰り広げられる。LLL は、 「エンターテイメント」というスタイル それ自体に自覚的であっただけでなく、 この確立されたスタイルを過剰に演じ 直し反復するやり方には、エンターテイ メントという制度への懐疑もうかがえ る。芝居の中で女性たちはペトラルカ風 スタイルを徹底的に拒否し、男性たちに とっての「秩序」を悠然と撹乱しつつも、 エンターテイメントには積極的に参加 する。男性たちはといえば、あの「誓い」 は最初から破られてしかるべきものだ ったと居直り、女性から拒否され続ける 谷 郁 子 ことで逆説的に芝居の中心に留まる。 Bevington は、この芝居に女性恐怖を見 てとり、女性の「正しいセクシュアリテ ィ」獲得の場、あるいは安定したジェン ダーシステムを約束する場となるはず の「結婚」という望ましい結末の破綻に、 男性側の不安を読み込んだ。が、失敗続 きの催し物を繰り返した末に結婚とい う大団円にたどり着かないことそれ自 体、「女性嫌悪」論をはるかに超える意 味をもつ出来事なのではなかろうか。結 婚という結末へ向かう目的論的予定調 和の枠組みのパロディ化。女王への求愛 の成就不可能性。結婚を祝すであろう 「花嫁の父」の永遠の不在。老いた女王 をもてなすエンターテイメント、及びそ のようなエンターテイメントを描く芝 居としての LLL が目指した世界とは、 女王をもてなし崇拝するためにこそ、あ らゆる誓いや求愛行為を、もともといず れは破綻する装置として芝居に仕込む ことへの自虐を伴う楽しみにあったの かもしれない。 (埼玉工業大学専任講師) “What see’st thou in the ground?” ――裸体と風景、あるいはエピリアの読者について 清 水 徹 郎 17 官能文学の女性読者について確実な 記録が残るのは 17 世紀もかなり時代が 下る。Venus and Adonis の「女性読者」 の記録も初期のものはおおかた男の不 安を映す幻想であった。では V&A に想 定される本来の読者とテクストとの関 係はどのようなものだったのか? ここで考慮すべきは Elizabeth I 治世 後期の Venus 像の変貌と読者層の変質 である。 女王の婿選びが現実的政治課題だっ た 70 年代まで、異教神話の女神たちは 個々の属性を強調し差別化されたが、80 年代からその差異は意味を失い始めた。 Hero and Leander の Marlowe を経て、 喜劇詩人 Shakespeare が登場するに及 んで、Venus は Diana とも明確な区別 がつきにくくなる。カトリック信仰の女 神をも連想させつつ様々な神格の属性 を兼ね備える Venus 像は、宗教改革後 の不安な時代精神を映す新しい神話に 相応しく、原初の複雑で豊穣な神格に似 た。それはまた、新プラトン主義風のイ メージを詩人が戯れに用いたものだっ たかもしれない。 さてエピリアの読者層は、もとは大学 や法学院の学生を中心とする限られた 男性サークルにあったと推測される。だ が出版を見込んだ Sh の V&A などが想 定する読者の男たちは、多分に流動的だ ったのではないか?若い女あるいは男 の裸体を読者が覗き見するのがエピリ アに多いスタイルであったとすれば、 Sh の読者も、語り手の詩人に導かれ、 Venus の滑稽な姿態を覗き見し笑うよ うに誘われる。だが Venus の裸体とそ の風景は、他でもない読者自身の住まう イングランドの田舎の風景だ。それはま た女王の身体が象徴する国の風景でも あった。問題は、女神の裸体と風景を覗 き見する読者の身に起こるべき変容で あろう。いつしか女神の目を通して Adonis を見る読者は、知らずして女性 に変身する。女性化による国の弱体化を 憂える人々によって加えられた詩・演劇 への批判をものともせずに、詩による女 性化を謳歌したのが All Ovids Ellegies の翻訳者 Marlowe であったとすれば、 V&A の詩人も同じ路線を進んだ。 「変身」させられる読者は、やがて劇場 再開を待って花開く Sh 喜劇の理想的な 観客になるであろう。現役女王の君臨と ともに、そのような読者の存在が、劇場 という虚構の場において Sh 劇のヒロイ ンたちが活躍することを可能にした。実 質上、Diana 神話と合体した Venus の 神話は詩と劇場の究極のパトロネスた る女王への特異な讃歌として機能した。 (お茶の水女子大学助教授) Shakespeare Studies 編集体制変更のお知らせ 来年度から Shakespeare Studies の内容を拡充することを検討していま す。具体的には、特別の Editorial Board の設置、Advisory Board ならびに Performance Review Editor と Book Review Editor の新設が提案されてい ます。 Shakespeare News, Vol. 45, No. 2 18 セ ミ ナ ー(要旨) 1.殉教史とエリザベス朝演劇 近年、シェフィールド大学のデイヴ ィッド・ローズ教授を中心に、Acts and Monuments の校訂版を作るプロジェ クトが進められ、その一環として、ジ ョン・フォックスの歴史叙述を様々な コンテクストから捉え直し、そこから イギリス宗教改革後の文化全体を再考 するという試みが盛んに行われてい る。近代初期イギリスの演劇において も、殉教史・殉教物語(Martyrology)と いう視点は極めて有用なはずなのだ が、殉教史と演劇との関係性を扱った 研究はそれほど多くないという印象が ある。そこでこのセミナーでは、殉教 史や殉教物語を演劇文化というコンテ クストから捉えることにより、殉教史 はエリザベス朝演劇に何をもたらした のか、さらにはそこから、演劇と宗教 とはどのような結びつきをしていたの かということへの理解を目指した。勿 論、殉教史と演劇の関わりはジョン・ フォックス全盛のエリザベス朝に始ま るわけではない。むしろその歴史は長 く、少なくとも聖人の生涯や殉教を扱 った中世の聖人劇(Saint Plays)にまで コーディネーター:井出 新(フ ェリス女学院大学教授) メンバー:森祐希子 (東京農工大 学助教授) 山田雄三 (大阪大 学助教授) ゲスト:小野功生 (フェリス女学 院大学教授) コメンテーター:玉泉八州男 (帝 京大学教授) 遡ることができる。そこで先ず、聖人 崇拝と聖人演劇の両面にわたるプロテ スタント的開拓に着手した宗教改革者 ジョン・ベイルの 1530 年代から 1540 年代にかけての仕事を隠れた出発点と して設定した上で、それが新たな展開 を迎えたと思われる 1570 年代から考 察をはじめた。 具体的な手順としては、まず司会者 が 1570 年代にノリッジで執筆された ナ サ ニ エ ル ・ ウ ッ ズ の 道 徳 劇 The Conflict of Conscience を扱い、プロテ スタント・インタールードにおける聖 人劇の新たなる展開について考察、続 いて山田雄三氏が、1580 年代から 1590 年代にかけての大衆演劇、特にシェイ クスピアの Titus Andronicus とクリス トファー・マーロウの Edward II に注 目し、ジョン・フォックスの Acts and Monuments に窺える肉体的苦痛に大 衆演劇が目を付け、戦慄のリアリズム を獲得していく様子を論じた。その後、 森祐希子氏がベイルなどの劇作家によ って取り上げられているサー・ジョ ン・オールドカースルに焦点を当て、 19 The Famous Victories of Henry V、シ ェイクスピアの Henry IV, Pt. 1 & Pt. 2, そして Sir John Oldcastle, Pt. 1 を 中心に、オールドカースルが年代誌や シェイクスピアらの劇作家によってど のように扱われたかを考察し、さらに 小野功生氏が、その後内乱あたりまで、 トマス・ヘイウッドの If You Know Not Me, You Know Nobody, Pt. 1 & Pt. 2 などの演劇やパンフレットを中心に、 殉教物語が様々な形で領有され、世俗 化されていく様子を論じた。最後に玉 泉八州男氏が 1590 年代から 1620 年代 までの Acts and Monuments を題材に とったフォックス的な演劇群を総括的 に扱い、その興隆と衰退について具体 的に論じた。 これらの発表によってセミナー・メ ンバーは、大きな文化的コンテクスト、 或いは限定的なコンテクストの中で、 演劇における殉教者表象を捉えつつ、 それがいかに多様性と重層性を持って いたかを明らかにした。例えば、小野 氏や司会者が指摘したように、演劇が 様々な利用価値を帯びた殉教者の言説 を領有しながら、政治的なプロパガン ダとしてイングランドの国家形成に貢 献したこと、或いは玉泉氏、森氏が指 摘したように、フォックスの Acts and Monuments と同様、演劇が反教皇主義 という世界観を提供する歴史叙述とし て貢献したことなど、これらの点は十 分に検証することができる。しかしそ の一方で、少数派は抵抗運動のために 演劇というメディアが殉教史を領有 し、国家形成を阻害する可能性をおび てしまう(司会者、小野氏)。また演 劇が殉教物語の空欄に独自の形を与え ることにより、フォックスでは描かれ なかった戦慄のリアリズムを獲得する (山田氏)、或いは、職業劇作家が相 Shakespeare News, Vol. 45, No. 2 対立する歴史認識の multi-vocal な声 を舞台に乗せる(玉泉氏)ことで、殉 教者の真正さの微妙な揺らぎを描き、 歴史記述という行為そのものに冷めた 視線を向けてしまう(森氏)など、結 果的に演劇は、政治=宗教の一枚岩的 な歴史を描くことを不可能にしてい る。そういう意味では、演劇と殉教史 との緊密な関わりあいは、国家形成に おいて必ずしも有益なものとばかりは 言えなかったのかもしれない。 70 年代からしばしばカトリック的・ 偶像崇拝的な娯楽施設として攻撃され ていたことからも窺えるように、劇場 は、書物の図版と同様、迫害を受ける 殉教者の身体を視覚的に、衝撃的に観 客に提示することのできる空間であっ た。異端審問のディベートのような教 育的な、或いは歴史認識的な言説もさ ることながら、視覚的なリアリズム、 或いはセンセーショナリズムを提供で きる施設だった(山田氏、小野氏)。 そういう空間が殉教史と結びつくとき に、劇場は絵画と同様観客の世論を操 作する強力なメディアとなる。視覚化 され、衝撃的リアリズムで描かれる殉 教者が、見ている者の感情に直接的に 訴えて、イデオロギー運動への参加・ 協力を促すという社会的役割を持った のである。しかしながら 1600 年前後、 殉教者物語がプロテスタントとカトリ ックの双方から次々と編み出され、そ れが飽和状態に達すると、殉教者の真 正性や聖性自体には意味を失いはじ め、またフォックスに食傷気味の人々 の間に「殉教アレルギー」が急速に浸 透する(玉泉氏)ということになる。 そこでは、真の殉教者が誰かという問 題は、政治的な立場や誰が領有の主導 権を握るか(小野氏)、或いは誰が歴 史叙述をするのか(森氏)によって、 20 異なる様相を呈するようになるし、演 劇のレベルでは、それが早い段階から 起きていたように思われる。おそらく それは職業劇団が客入りのために党派 性を薄めたエキュメニカルなフォック ス劇を提供せざるを得なかった(玉泉 氏)ことと関係があるのかもしれない。 殉教者の真正性や聖性が意味を失いは じめるということは、すなわち歴史や 宗教が教える死の意味が曖昧になる (山田氏)ということでもある。おそ * らく演劇はそこから新しい聖性を帯び た英雄、或いは新しい世界観を吹き込 んでくれる英雄を模索することになっ たのであり、そこに至って殉教史が本 来帯びていた鮮烈な宗教的熱狂のエネ ルギーは、エリザベス朝演劇から次第 に失われていったと思われる。 当日はフロアから有意義な質問を 数々頂いた。この場を借りて御礼を申 し上げたい。 (文責:井出 新) * * 2.書誌学・本文研究の現在 コーディネーター:英 知明(慶 應義塾大学教授) メンバー:池田早苗 (慶應義塾大 学大学院博士後期課程研究生) 住本規子 (明星大学教授) 長 瀬真理子 (九州大学大学院博 士後期課程) 発表者は、それぞれが関心を持つ書 誌学の領域で最新のオリジナルな成果 を披露し、日本では比較的馴染みが薄 い書誌学という研究分野が持つ「意外 な面白さ」をお伝えできればと考えた。 既存の先行研究を踏まえ独自に調査し た研究の成果を、多くの画像をごらん 頂きながらなるべく視覚的でわかりや すく工夫して発表した。今後この分野 に関心をお寄せいただく方が少しでも 増えれば、との願いも込めてのことで あった(以下発表順)。 英は、Thomas Creede が印刷した The Famous Victories of Henry V の Q1(1598)と Q2 (1617)の印刷工程と出 版事情について論じた。作者不詳の劇 作 FV は、Shakespeare の 1 Henry IV、 2 Henry IV、Henry V のソースの一つ として広く知られ、また bad quarto の 代表例としても認知されているが、そ の一方で独立した書物としての研究は 依然手薄である。その意味で、この発 表はその不足を補う狙いで行われた。 は じ め に title-page imprint 、 collation、フォント、現存するコピー など基本的な書誌学情報を示したのち、 21 ファクシミリを使った校合の落とし穴 になりうる例を二点図示した。また先 行研究によって発表されている植字工 分析について、再調査した結果に基づ き、より詳細な論拠を提示して従来の 説を補強。さらに Q2 の title-page がキ ャンセルされているというこれまでの 説を、不規則に現れる watermark を検 出することにより書誌学的に立証した。 また Creede 以来の版権の委譲を調査 した結果、Q2 は版権に関して明らかに 違反のある出版であることを指摘。Q2 を印刷した Bernard Alsop に関する資 料から、彼が書籍業組合のルールを無 視して罰金も覚悟の上で Q2 を敢えて 出版した可能性があることを示唆した。 最後に Q1 と Q2 に見られるヘッドライ ンがどのようにして再利用されていっ たか、そのパターンを分析し、それに 従来提唱されている一般的な植字・印 刷のスピードを加味して、二つの書物 の印刷工程の仮想モデルを推測した。 池田は、「 The Book of Fayttes of Armes & of Chyualrye (1489) の印刷 工程――Set-off(裏移り)が示すもの」 と題して、以下の発表を行った。英国 初の印刷人 William Caxton が 1489 年 に印刷出版した The Book of Fayttes of Armes and of Chyualrye (STC 7269)には、調査した7コピーに平均し て 10%を超えるページ数の set-off「裏 移り」(裏が透けて見える「裏写り」は 除く)が残されている。一方、 Shakespeare の First Folio (F1)には、 Peter Blayney の研究を中心に 3 ペー ジの set-off が報告されている。それら は、Favyn, The Theater of Honour and Knighthood (STC 10717)からの tympan-cloth による裏移りであり、同 じ工房の同時印刷を証明するものとさ れている。また、今回のセミナーをき Shakespeare News, Vol. 45, No. 2 っかけに Third Folio (F3)にも、これら とは異なった経緯で出来た set-off があ ることが発見された。これまでほとん ど研究されてこなかった set-off という 「印刷の不規則性」を示す現象に着目 して精査することで、この現象が未だ 不明であった Caxton の印刷工房にお ける一工程、特に印刷直後から製本に 至るまでがどのように行われていたの かを示唆していることがわかった。 Set-off は、印刷による印字やインクが 乾くまでのごく短時間に何らかの理由 による接触があって別のページに印字 やインクが移ることをいう。そうした 非常に限られた短い時間にのみ起こり うるという事実を考えると、まさにこ の現象はその印刷工房で起こった事柄 を如実に示した結果であり、書誌学研 究において見過ごすことの出来ない事 実の集積であると思われる。 Caxton がこの書物を、国王 Henry VII の命を受け仏語写本を英語に翻訳 して印刷出版したのは彼の晩年に近い 頃であった。調査結果を分析すると、 F1 や F3 の set-off と異なり、印刷時で はなく印刷後の set-off であることが明 らかとなった。木製手引き印刷機を使 った印刷では、インクのうつりをよく するため紙を予め水に浸していたが、 両面を印刷した後、乾かし、今度は紙 を伸ばすためにインクが生乾きの間に 強い圧力をかけたとみられる。それこ そが set-off を作った原因であろう。そ の上、調査したコピーの set-off された 文字は何れも濃淡の不規則性が少なく、 判読可能な明瞭さを持って裏移りして おり、人的な力や偶然の産物というよ りはむしろ機械的な圧力を意図的に掛 けた結果とみられる。しかもそれが Caxton 印刷工房における通常の作業 工程であったと考えられ、このことは 22 今後の研究に貢献しうるものと考えた。 長瀬は、「 Hengist − Stage Directions が示唆する本文の起源」というタ イトルで、次のような発表を行った。 Thomas Middleton による Hengist に は二人の異なる scribe によって筆写さ れた二つのマヌスクリプト、Portland MS、Lambarde MS と 1661 年に Henry Herringman に よ っ て 出 版 さ れ た Quarto(以下 Q)がある。マヌスクリ プトと Q のテクストを比較した際に、 大 き な 相 違 を 呈 し て い る の が stage directions(以下 SD)である。本発表 では二つのマヌスクリプトと Q の SD の相違に着目し、それぞれの機能を分 析することで SD が変化した理由とそ れぞれのテクストが何を目指して作成 されたものであるかという目的を本文 の起源に求め、考察を行った。 マヌスクリプトに筆写されている costume、property、music など舞台裏 あるいは舞台袖の仕事に関する SD は、 舞台上に存在しない musicians や劇団 員への指示を表しているが、Q にはそ の大半が存在しない。Q は台本の改訂 後に書き換えの行われたテクストから 印刷された可能性が極めて高く、 costume、property、music に関しては 改訂者が敢えて SD に含めない選択を 行っている。二つのマヌスクリプトの 呈する SD は、上演に際して舞台上の 役者への指示と舞台裏への指示を兼ね 備えた実用性の高いものであり、上演 の視覚的、聴覚的演出を総合的に意図 している。 Q では、舞台裏への指示を意図した SD が改訂者によって削除されている 一方で、読み手の便宜を図る SD が多 く付加され、台詞だけでは理解しがた い場面の描写を行う。また、マヌスク リプトにおいて実際の登場より数行前 に早めて記入されている entrance SD の多くが、Q では実際に登場すべきタ イミングと同じ行に位置が修正されて いる。Q のみに存在する役者の action を描写する SD は実際のパフォーマン スの視覚的要素をことばによって記録 したことで、読者に上演の臨場感を与 えていると言っても過言ではない。こ れらは Hengist の上演に精通した人物 が出版に際して、読者を意識したテク スト改訂を行う際に付加したものであ ると考えられる。 最後に住本は、「シェイクスピア・サ ード・フォリオの 18 世紀マージナリア」 と題して、明星大学図書館所蔵サー ド・フォリオの一冊に残された 18 世紀 読者の書き込みの事例について報告し た 。 こ の 書 き 込 み は Sir Thomas Hanmer のエディションからその脚注 と巻末のグロッサリーをフォリオ本体 とフライリーフにそれぞれ書き写して いる。発表では本体への書き込み全体 の転写資料と Hanmer 本との校合作業 から得られたデータをふまえ、マージ ナリア筆者の転写行動の特徴を見極め、 彼[女]の意図について推測を試みた。 本事例を報告する意味を、本書き込 みが転写行動を copy text と転写結果と を同時に広げて吟味・分析することが できる資料であってひろく書誌学的関 心の対象になりうることと、18 世紀に おけるシェイクスピア版本の流通につ いて考察する端緒になりうること、の 2点に見出し、まずは転写ぶりの特徴 2 点について実物の画像を紹介しながら 論じた。(1)「忠実に」――書き込みは、 ハンマー注全 278 件(本文関係の注を 除く)中 241 件を転写対象に取り上げ、 そのうちの 190 件は原注の非常に忠実、 正確な転写である。転写行動に一定の アクシデンタルズ(パンクチュエーシ 23 (Wives)に書き込むはずの‘Nuthook’ についての注釈を Ll1r(2H4(同単語の ) 唯一別の出現箇所)に移している事例 はその最たるものであろう。 フォリオの方が複数巻仕立ての「現 代版」に比して価格の点でも(読者に よっては一冊本である点でも)有利で あった可能性の高い 18 世紀中期から後 期にかけての時代においては、手持ち のフォリオをカスタマイズするこうし た作業が手間に見合う価値を帯びてい たことは容易に推測されるのではない か、と考察して発表を閉じた。 ョン、省略形、大文字など)が観察さ れる一方、書き損じに気づいた書き込 み筆者が削除訂正したあとが残ってい る4箇所では、単語の置き換えといっ た転写作業で起こりがちな間違いの実 例が確認されると同時に、筆者の正確 な転写への意志が看取される。(2)「美 しく」――グロッサリーを転写してい るフライリーフでもレクトのみが使わ れているが、フォリオの紙質上避けが たい裏写りが転写を醜く/見にくくし ないようにという筆者による細心の注 意 は 随 所 で 観 察 さ れ る 。 本 来 D2 v * 3.『テンペスト』を読む 『テンペスト』は、万華鏡のように 多様な解釈や改作を生み出す劇作品で あり、王政復古期改作劇群、Browning や Auden の詩、Mannoni 著 Prospero and Caliban、 映画 Forbidden Planet や Prospero’s Books、蜷川『テンペス ト』など、詩・演劇・評論・映画など、 Shakespeare News, Vol. 45, No. 2 * * コーディネーター:大島久雄(九州 大学助教授) メンバー:勝山貴之(同志社大学教 授) 高森暁子(筑紫女学園大学 専任講師) 古屋靖二(西南学院 大学教授) 松田幸子(筑波大学 大学院博士課程) 道行千枝 (福 岡女学院大学短期大学部専任講 師) 多岐にわたる分野において豊かなアフ ターライフを紡いできた。後の作家・ 批評家達にとって改作・解釈への強力 な衝動につながってきたこの劇の魅力 とは何か。本セミナーでは、インター テキスチュアル・リーディングを基本 とし、参加メンバーの個々の視点から 24 テキスト解釈の新たな可能性を探った。 このような試みが必要であると考えた の は 、 Stephen Greenblatt 、 Paul Brown、Francis Barker、Peter Hulme らに端を発する新歴史主義・ポストコ ロニアリズム批評による『テンペスト』 解釈は、斬新で刺激的なアプローチを 示してくれたが、反面、その一般化の 過程において植民地主義・新世界表象 の側面が強調されて劇の豊かな原型・ 神話的意味作用に制限を加えてしまっ たように思われたからである。両イズ ム批評の嵐が過ぎ去った今、インパク トが強烈であったが為に、「言うべき 事は言われ尽くした」というような閉 塞感も漂っているのではなかろうか。 そこで『テンペスト』の豊かな意味作 用を見つめ直す糸口として大島序論 「テキストとインターテキスチュアリ ティ」は、近年の『テンペスト』批評 の多様性を取り上げながら、言説とテ キストが生み出すインターテキスチュ アル・リーディングの可能性をメタ批 評的に検討した。特に、Barbara A. Mowat が論じたインターテキスチュ ア ル ・ シ ス テ ム の 詩 学 は 、 “Shakespeare’s books” だけではなく、 劇作品を取り巻く諸言説との相互作用 が重要であることを指摘し、そのよう なインターテキスチュアリティの視点 から、国王座付劇場詩人として作者が 王権に関するメッセージとして劇冒頭 に置いた政体論的エンブレム「嵐に遭 遇した国家としての船」等の政治的意 味を考察した。 道行論「モンスターと奇怪な出産」 は、モンスター・怪奇出産言説から作 品解釈に取り組んだ。 『テンペスト』に はモンスターについての言及が多い。 キャリバンや怪鳥ハーピーといったモ ンスターが舞台上に現れ、台詞やイメ ージにもモンスターの概念がたびたび 使われる。奇怪な身体のモンスターは スペクタクルとしての存在感が大きい が、その存在意義が秩序回復の問題と 絡めて考察された。唯一人の女性登場 人物であるミランダは、後継者誕生の 期待を一身に背負い、劇中には出産を 期待する言葉が繰り返し語られる。し かし、出産への期待に影を落とすのが、 モンスターの存在である。同時代に世 間を賑わせた「怪物誕生奇談」を思わ せるキャリバンとトリンキュローの合 体シーンや、奇怪な出産のイメージは、 後継者誕生と秩序安定への期待に不安 を投げかける。モンスターは、観客の 目を楽しませるスペクタクルであると ともに、大団円で終わるこの芝居に、 暗い影を落とすダークな存在でもある ことが論じられた。 政治的な不安は、王政復古期改作群 にもつきまとう。松田論「スペクタク ルと政治性」は、Thomas Shadwell に よ る オ ペ ラ 版 The Tempest or the Enchanted Island(1674)の仮面劇の 機能を検討した。オペラ版『テンペス ト』において、仮面劇は政治的和解を 予見しない。仮面劇に登場するのは、 風神イーアラスと、それを従属させる 海神であり、イーアラスは、海神の持 つ強大な力に膝を屈し、嵐を静める。 オペラ版『テンペスト』が、政治的対 立の調和というアレゴリーを捨て、不 和を題材に選ぶのはなぜか。この問い に答えるために、同時代的状況に目を むけ、仮面劇に表されている不安が、 1674 年当時の英蘭戦争と、それによっ て誘発される対カトリック社会反応を 反映していることを確認した。英蘭戦 争に対する同時代的言説と同様に、オ ペラ版『テンペスト』の仮面劇におい て、外部からの脅威と内部への不安は 25 常に連動した形で可視化される。プロ スペローが劇の結末で述べるように、 王政復古期の「魔法の島」は今や楽園 ではなく、「避難所」である。ここにこ そ、仮面劇がスチュアート朝から、王 政復古期に「移動」した際のスペクタ クルの政治的変容を見て取ることがで きると松田氏は論じた。 勝山論「植民地経営と内政問題」は、 上演当時の植民地言説と労使言説を再 確認しながら、劇の意味作用の原点に 立ち返る。近年の『テンペスト』批評 は、ポストコロニアリズムの立場から、 劇中に帝国主義的植民地支配と原住民 との間の文化の衝突や摩擦を読み取ろ うとしてきた。しかしヴァージニア植 民に参加した John Smith の報告が物 語るように、新大陸への植民政策が始 まったばかりの 17 世紀初頭における植 民者と原住民の関係は、明確な支配・被 支配の関係を形成するにはいたらず、 むしろ驚異と困惑に満ちたものであっ た。当時のイングランド人にとっての 最大の関心事は、原住民との遭遇をと おして自分たちの内面に生ずる恐怖や 不安をいかに克服し、受容していくか という精神的葛藤であったにちがいな い。劇は、新大陸の労働に、本国イン グランドの主従関係や徒弟制度をあて はめ、他者を本国の労働階層へと組み 込むことにより、人々の内なる精神的 葛藤を克服しようとする試みに他なら ない。1609 年、植民地計画が思うよう に運ばないことに苛立ちを覚えた植民 会社は、初期の植民地政策を見直す必 要から、植民者たちの自由を制限し労 働を強化することを謳った第二憲章を 発布している。このような経済効率を 優先した植民地経営方針は、劇中に描 かれた主従関係をとおして糾弾され、 より理想的な伝統的主従関係のあり方 Shakespeare News, Vol. 45, No. 2 への希求が、劇の結末で再確認されて いるのである。勝山論は、『テンペス ト』は、ユートピアという名の現実を 見つめ、あらためて観客にその意味を 問いかけていると主張した。 高森論「記憶と語り」は、 「記憶」と 「語り」を手がかりに、プロスペロー による支配の構造を明らかにするとと もに、各登場人物の記憶に焦点を合わ せながら、記憶を媒介として自己と他 者が、過去と未来が築く関係性につい て論じた。卓越した語りの能力で他者 の記憶を操るプロスペローは、ミラン ダの空白の記憶を形成し、エアリエル から領有したシコラックスの記憶をも とに、逆にエアリエルの記憶を支配し て服従を誓わせる。キャリバンには記 憶操作は失敗するものの、アロンゾー 一行には罪の記憶を蘇らせ、良心の呵 責に苛ませることで復讐を果たす。そ もそも敵の一行を島に呼び寄せたこの 度の企てそのものが、プロスペロー自 身の王位簒奪の過去を再現し、修正す るための試みであったのではないか。 劇中二度にわたって繰り返されるクー デターを、今度はプロスペローが未然 に阻止する。反逆者たちを赦す行為は、 プロスペローにとっては自らの過去と の、苦い記憶との和解の行為でもある ことが指摘された。 最後に、古屋論「プロスペローと複 合的イメージ」は、筋の展開と劇的状 況に深く関わり、しかも他の劇中人物 に対して圧倒的優位に立つ主人公プロ スペローの複合的イメージを検証した。 曖昧さを漂わせながらも筋の展開の中 で確実に構築されているプロスペロー の “project” をめぐって、劇全体に見 られるその関連語と文脈、および特に 彼が多用する “my ∼” の用語に注目 して、その効果を分析した。妖精エア 26 リエルや愛娘ミランダ、さらに弟アン トニオへの呼びかけの多さによって、 プロスペローの彼らへの特別の思い入 れが感知される。嵐を起点とするプロ ジェクトについては、その中核をなす 娘と敵王の王子との結婚、12 年前の加 害者アロンゾー一行への復讐(懲罰)か ら赦しへの劇的展開、そして和解を見 据えたロマンス劇としての大団円の結 末を読み解いた。 セミナー後半では、約五ヶ月間のメ ール討議で問題意識を共有してきた 「モンスターとスペクタクルの政治的 意味」、「政治世界の位置 新大陸 or ア イルランド or 地中海」 、「プロスペロー vs.キャリバン 言葉と記憶」という3 トピックに関するメンバー間の討議の 後、フロアからの質疑も交えて活発な ディスカッションが行われた。「モン スターとスペクタクルの政治性」につ いては、アンチマスクからマスクへと いう通常の順番が劇では逆転している ことなどにより不安が強調されている こと、王政復古期においては女優の登 場などとも関連しキャリバンのモンス ター性よりも妹シコラックスの性欲が より顕在化していることが指摘された。 「プロスペローvs.キャリバン」につい ては、記憶から物語を、物語から「歴 史」を生成するプロスペローにとって、 キャリバンの記憶力の良さと雄弁さは 脅威であり、記憶を回想として語りな がら、彼は絶対者のフィクションを打 ち破る自らの物語を提示していること が指摘された。 「政治世界の位置」に関 しては、モンスターの材源の観点から 見ただけでも、 Pliny や Virgil など の古典的旧世界と、Mandeville などの 中世旅行記文学、新世界との遭遇 (“dead Indian”) などが入り混じってお り、この作品の地理的設定に幅を持た せる要因となっているが、それに呼応 して『テンペスト』批評も、新大陸、 アイルランド、アフリカ、地中海と広 範囲な地理的広がりを見せていること が指摘された。当時のイングランド人 が思い描く様々な異国の情景が多層的 な重なりを形成し、作品を構築してい ることを忘れてはならないし、イング ランド本国の労働実態など、作品を取 りまく歴史的・政治的・文化的文脈が 与えた影響も無視できない。このよう な歴史主義的研究と共に、劇作術に活 用される独特な詩学への理解の重要性 や、詳細な言語分析に裏打ちされたジ ャンル研究・キャラクター批評の手法 の効果も再確認されたが、さらに「記 憶」論や「モンスター」論など新たな 文化理解へのアプローチを取り込んだ インターテキスチュアリティ研究、ア フターライフ研究こそが、豊かな意味 作用を特質とする『テンペスト』解釈 のこれからにつながるのではなかろう か。21 世紀に於ける更なる『テンペス ト』批評の展開が楽しみである。
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