7 6 昭和 4 4 .10 第 7号 鋳鉄管 大人の責任 随筆 小樽市水道部工務課長小黒徳男 北海道でも 7月となれば,その日によって急に気温 が上昇する。 水道当局としては全面立入禁止とし,遊泳を禁止す るととは,処置の上ではしごく簡単である。しかし, 威勢のた 水道部の所管する貯水池放水路は,水流の j それでは子供たちがあまりにもかわいそうだ。乙こで め , 1 1段の幅 8ffi,長さ 20m,深さ 5 0 C i l l-1.5mのプ 泳げばきっと事故が起きるというと乙ろではない。む r ーノレ状となっていて,毎年夏には子供たちの遊泳の遊 しろ波のある海,流れのある河で泳ぐより安全といえ び場として親しまれてきた。 る。しかし,二度と絶対事故が起きないという確証は そ乙に 7月 8日突如として事故が起きた。小学校 5 年の男の子が溺死したのである。水源池の管理職員が 急を聞き,かけつけ人工呼吸を試みたが,すでに手遅 ない。河,海でいくら監視員をつけても事故が絶無と いうわけにはゆかないのと同様である。 取りあえずの処置として, P T Aを含む学校当局 れ。水はそう飲んだ様子はなく,心臓まひを併発した で,指導員あるいは監視員をつけ,事故防止に万全の 疑いもあったが,正式死因は溺死であった。大部分の 責任体制をとるという確約のない限り,水道当局とし 新聞は死因を心臓まひと報じた。 ては全面禁止をしますというわけ。学校側での監視と 乙の放水路での事故は,私たちの知っている限りの 2 0年間はもちろん,それ以前について古老に聞いて いっても,実施面ではむずかしい点がまだ残る。 たとえば, 1人の先生が 10 人をつれてきたとする。 3年以来,事故の話は 当局側は乙れを許可する。また 1人の先生が 5人,こ 聞いていない由,いつ頃からここで泳ぎ始めたかはあ のように,次々と集まった場合,乙れらに関係のない きらかでないが,推定40年間位は無事平穏の憩の場で 子供たちが乙れ幸いとばかり,まぎれ込むのは必至, あったはずである。水死した子供の家族には誠に気の 引率の先生はお互い何人つれてきたかは不明,自分の 毒な出来事であった。 子供以外には責任はない。すると,まぎれ込んだ子供 も , ζ の水源池が竣工した大正 水道当局の管理体制としても?全面的に放任状態で たちの享故は誰が責任を持つことになるだろう。溺れ なく,教育委員会を通じなんらかの学校関係者の監 かけた子供を見て知らんふりする大人もいないだろう 視体制がない限り,危険もありうると警告を発し,禁 が,水道当局としてはやはり,一つ厄介な荷物を背負 止をほのめかす姿勢であった。 うことになる。 学校側では夏休み中の学童の遊び場としては,一応 乙のように,大人が完全に責任体制をしいて管理す 健全なと乙ろであり,事故の発生も特別のことのない ることはむず、かしい。何事によらず,完全という乙と 限り安全とみて,むしろ水道当局へ許可黙認を依頼す は不可能に近いととも多いわけで,目をつぶってもら るほどであった。 いたいのであるが,乙と人命に関するというのだから さて,今度のように,たまたま事故が発生すると, ことは簡単でない。故に結論は禁止だ。これが大人の 当然のこととして,管理体制は,責任体制はどうなの 責任である。乙れに対して犠牲を強いられるのが子供 かと新聞社,放送局から照会が殺到する。水道当局に たちである。 はむしろ同情をよせられる傾向にあった。現地を調査 北海道の夏は短い。このうちでも泳けoるような天気 した警察の係官も「おれも小さい頃?ここで泳しユだも のよい日は数えるほどである。家族と一緒に海に遊べ んだ J と,昔をしのぶことしばし。教育委員会も「ど る子供たちはよいとしても?その他の伸びざかり,遊 うも,おさわがせいたしまして」と低姿勢。しかし, び、ざかりの子供たちは?との夏,当てにしていた格好 管理をしているのは水道当局であ「てみれば,今後の の遊び場を失い,落胆ぶりもひとしおであろう。あの 管理体制をどうすればよいか?当面?差し迫って処理 ような事故がなかったらと思うと同時に,乙れら一連 しなければならない。 の処理が果たして,真の大人の責任なのか?実はその 7 7 Essay 名にかくれた大人の責任のがれのように思えてならな "いのだが。 近頃,子供たちの欲せざる乙とを,大人の責任とい しコつでも,現実には,それが実現するまでのことを, どう考えてやるかであろう。自ら省みてふがいないと 思うが,乙のニュースのように,ある人が現われて, う名分のもとに無理強いしている点、が多くみうけられ この水源池の遊び場をとり戻し,子供たちの笑顔を見 るが?たとえばいつも話題になる教育ママである。教 たいものである。 育ママそのことは大変立派であり,文句をいう筋合い 先日事故を起こした学校のクラスの P T Aの現地追 のものではないが,性格,能力も異なり,また体質や 悼会があり,その際,父兄たちの中にも「死んだ子供 環境も異なる子供たちに対して,一様にみな教育ママ 】 て で あ る 。 や,その家族は大変気の毒であったけれど,それとは 別に,やはり ζ こで泳がしてやれないものだろうか」 それは,ママ自身の満足のために,子供に無理を強 とささやかれていたとか。乙れも大人の責任という枠 l いて時代遅れをすまい,何が何でもよい大学に入れる の中では声を大にして主張するには,まだ時間がかか ことが子供の将来のためである,とれが大人の責任で りそうである。 ある,と自認しているママが多いのではなかろうか。 この:穿件から数日を経て,ある宗教の人が事故死の この無理も子供たちの小さいときは無事平穏であるか あった場所で洗礼させて欲しいという。立入禁止の場 もしれないが,やがてママの望みを達し?高校,大学 所ではあるが,事情が事情であってみればむげにとと ,~乙進むにつれ,その大人の責任の矛盾と,今までの圧 わる乙ともできず, 迫された気持が解放され,ママがいくら涙を流して諌 牧師と 3人の子供,ただし,うち 1人は怖がって入ら めても,ゲパ棒の嵐はおさまるはずもない。 なかったそうだが,水の中に正座して洗礼をうけたと 話をもとに戻すとする。一応禁止というからには, 柿,立札が必要である。しかし,広い水源池の構内で rどうぞ」ということになった。 いう。 門外漢の私には,事故死の,その場所をとくに選ぶ あってみれば,絶対に入り込めないようにするには, 理由はわかりかねるが?ただ単に,立入禁止の場所で 高いコンクリートの万里の長城を築かねば駄目,これ あるから誰にもじゃまをされず,厳粛な気持で洗礼を を作る費用を捻出することも水道当局としては無理。 うけられるからという理由だけではなさそうな気がす 早速学校側に協力をお願いして,禁止という PRをし るのだけれど,いず、れまた洗礼にこられたときは聞き てもらった効果はできめん。子供から子供へと噂の広 たいものと思っている。 まるのも早いのか,簡単な柵をするだけでも,ばった 私が終戦直後南方から復員して,いよいよこれで部 り不法侵入者はなくなった。たまに入り込む子供がい 隊が解散というとき,部隊長の最後の訓話があり,そ ても水源池の監視員が行くと?服をかかえて,一目 の大部分は右から左へと通り過ぎ記憶にないが,ただ 散に逃げて行くという。たいして悪いことをしている 一つ, わけではないのに,との水源池に遊びにくる子供たち 。 ち心配しなくてもよし U と はそう裕福な家庭の方ではない。党っ子の家庭が多い のではなかろうか。この暑さでは外で遊ぶ相手もいな 乙 。 いだろう l 最近のテレビニュースで,あるクラブ会員が,夏に r子供はほうっておけばよく育つ。そういちい なんだかそのときは,ずい分場違いの話だと思った ので,とくに覚えていた。部隊長の意図した乙とは, 子供を沢山産んで, 20年ないし 30年後の日本の戦力を 充実せよとの意味か,または現代の世相をそのときに なると,河をせきとめ水浴場を作って遊ばせるとか。 予期した訓辞か,もし後者であるとすれば,戦後 20有 路地を仕切って,時間をきめ,子供たちの遊び場を作 余年を経た今日 1 ある意味では当を得たものであった るとか。理想を追って,プーノレを作るのが根本対策と と思う今日この頃である。
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