第 10 話 評論家の“ポルノ離れ”と実力派の台頭

第 10 話
評論家の“ポルノ離れ”と実力派の台頭
■「映画芸術」ベストテンにおける低調
わたしがロマンポルノに耽溺し、毎年のベストテンの大きな部分を同世代の監督や脚本
家の作品で埋めていた 80 年代、映画ジャーナリズム総体の評価としては芳しいものでな
かった。
「キネマ旬報」では 79 年に『赫い髪の女』が 4 位、81 年に『嗚呼!おんなたち 猥歌』
が 5 位になったのを最後に、ロマンポルノがベストテン入りすることはなかった。新聞な
どの大手マスコミで取り上げられる頻度も尐なくなり、ロマンポルノが発足した当初の 72
年、73 年あたりの熱気との落差は大きいものがある。
そんな中にあって、ロマンポルノを最も高く評価してきた「映画芸術」だけは評価し続
けた。79 年に『赫い髪の女』2 位、『天使のはらわた 赤い教室』4 位。80 年は『妻たち
の性体験 夫の眼の前で、今…』5 位、『おんなの細道 濡れた海峡』6 位、『赤い暴行』
(監督・曾根中生/脚本・佐治乾/主演・紗貴めぐみ)7 位。81 年『嗚呼!おんなたち 猥
歌』2 位、『狂った果実』6 位、『女教師 汚れた放課後』10 位。
しかし、その「映画芸術」でさえ、82 年は『キャバレー日記』が 10 位、83 年には『ダ
ブルベッド』が 6 位に入ったに止まる。
それでも 84 年には巻き返し、『美加マドカ 指を濡らす女』6 位、『ルージュ』同点 6
位、『女子大寮 vs 看護学園寮』7 位、『不純な関係』(監督・西村昭五郎/脚本・斎藤博
/主演・亜湖、山本奈津子)8 位と 4 本を占めた。85 年には『翔んだカップル』(80 年)
で鮮烈なデビューをする以前にロマンポルノの契約助監督をしていた相米慎二監督がロマ
ンポルノの番組に初めて登場した『ラブホテル』が 4 位になった他、『箱の中の女 処女
いけにえ』(監督・小沼勝/脚本・小水一男/主演・蔡令子、木築沙絵子)9 位、『人妻
暴行マンション』10 位。
だがついに、86 年にはロマンポルノがベストテン入りできなかった。87 年に『母娘監
禁 牝』が 6 位に入ったものの、最終年の 88 年には再びベストテンから漏れ、「映画芸
術」ベストテンにおけるロマンポルノの歴史も終わりを告げる。
■読者ベストテンも“ポルノ離れ”
初期のロマンポルノにいち早く注目し、映画ジャーナリズムがこれを高く評価するひと
つの大きな原動力となった若い日本映画ファンの眼も、ロマンポルノから次第に離れてい
く。
実質的初年度の 72 年には、「キネマ旬報」読者のベストテンにおいて、『白い指の戯
れ』を 9 位、『一条さゆり 濡れた欲情』を 11 位、『濡れた唇』17 位、『八月はエロス
1
の匂い』18 位、『セックス・ハンター 濡れた標的』20 位、『エロスの誘惑』22 位、『牝
猫たちの夜』28 位と、実にベスト 30 のうち 7 本をロマンポルノが占めていた。プロの評
論家やジャーナリストらが選ぶ「キネマ旬報」ベストテンではベスト 30 に 5 本だから、
読者の方が先取りし先物買いしていたことがよくわかる。
73 年には、『恋人たちは濡れた』が 10 位に入ったのをはじめ、『㊙女郎責め地獄』16
位、『四畳半襖の裏張り』18 位、『濡れた荒野を走れ』24 位の 4 本。74 年『赤線玉の井
ぬけられます』15 位、『濡れた欲情 特出し 21 人』16 位、『㊙色情めす市場』22 位、
『四畳半襖の裏張り しのび肌』23 位の 4 本で、本数、順位ともにプロ側とほぼ同程度の
評価ぶりだった。
それが 75 年になると『実録阿部定』20 位、『黒薔薇昇天』24 位の 2 本で、同じこの 2
作をそれぞれ 10 位、15 位にしたプロ側の方が本数は同じでも評価は高いという形になっ
たのである。この傾向はしばらく続き、76 年は『犯す!』12 位、『屋根裏の散歩者』20
位、『暴行切り裂きジャック』25 位の同じ 3 本が、プロ側でそれぞれ 23 位、10 位、14
位。
77 年は『女教師』24 位、『卒業五分前 群姦』25 位、『悶絶!! どんでん返し』30 位
の 3 本に対し、プロ側は『悶絶!! どんでん返し』14 位、『女教師』24 位、『レイプ 25
時 暴姦』26 位、『実録不良尐女 姦』27 位、『発禁本「美人乱舞」より 責める』同
点 27 位。78 年は『人妻集団暴行致死事件』19 位、『桃尻娘』22 位、『さすらいの恋人
眩暈』28 位の 3 本に対しプロ側はそれぞれ 9 位、22 位、19 位に評価した上に『ピンクサ
ロン 好色五人女』20 位、『エロチックな関係』25 位を加えて、質量ともにロマンポル
ノを読者側よりは高く評価する結果となってしまった。
79 年は、『赫い髪の女』11 位、『天使のはらわた 赤い教室』13 位、『桃尻娘 ラブ
アタック』26 位の 3 本に対しプロ側は前 2 者を 4 位、13 位にしたもののベスト 30 には 3
本だから相拮抗。80 年は、『桃尻娘 プロポーズ大作戦』24 位、『おんなの細道 濡れ
た海峡』26 位に対し、プロ側『濡れた海峡』20 位、『尐女娼婦 けものみち』21 位、『妻
たちの性体験 夫の眼の前で、今…』26 位。
ところが、このあたりから様相が再び変わってくる。81 年は『狂った果実』7 位、『嗚
呼!おんなたち 猥歌』19 位がプロ側ではそれぞれ 16 位、5 位と同じ 2 作ながら評価の
高低が明らかに逆転した。82 年は、『キャバレー日記』10 位、『天使のはらわた 赤い
淫画』18 位、『ピンクのカーテン』24 位に対しプロ側はそれぞれ 23 位、22 位、25 位の
評価(他に『○
本噂のストリッパー』30 位)。
読者の投票では、戦後生まれ世代である根岸吉太郎監督の『狂った果実』が前世代であ
る神代辰巳監督の『嗚呼!おんなたち 猥歌』より明らかに高く評価されている。また、
82 年の読者ベストテンで『キャバレー日記』をはじめ軒並みプロ側より高評価だった 3
作は、根岸吉太郎、池田敏春、上垣保朗という新鋭監督の作品だった。
2
しかし 83 年になると、読者が『ダブルベッド』19 位、これをプロ側が 11 位と、両者
共わずかに 1 本しかベスト 30 にロマンポルノを入れていない。84 年にはついに読者側で
は皆無となってしまった。
85 年には『ラブホテル』6 位、『みんなあげちゃう』(監督・金子修介/脚本・井上敏
樹/主演・浅野なつみ)25 位と、『ラブホテル』が 12 位だっただけのプロ側よりはロマ
ンポルノに肩入れした結果となったが、86 年から最後の 88 年までは、プロ側で 87 年に
『母娘監禁 牝』が 23 位に入った以外読者、プロの双方でベスト 30 入りする作品はなか
った。
■新鋭監督への共感
ここまで、映画ジャーナリズムにおいてロマンポルノの置かれた場所が年々狭まってい
った過程を追ってきた。ただ、それでもベスト 30 圏内に取り上げられた作品を注意深く
見ると、80 年代に入るあたりから作り手に世代交代がみられるのがわかる。それは、ロマ
ンポルノ発足時を支えた第一世代から、戦後生まれでロマンポルノによって本格的に映画
界に足を踏み入れた戦後生まれ世代へのシフトだった。
冒頭に掲げた「映画芸術」ベストテンに登場した作品を見ても、79 年『赫い髪の女』は
荒井晴彦脚本、『天使のはらわた 赤い教室』は 1946 年生まれの劇画家・石井隆が原作
となった自作を脚色している。80 年は、『おんなの細道 濡れた海峡』、『赤い暴行』は
第一世代の監督、脚本ながら、『妻たちの性体験 夫の眼の前で、今…』は、ピンク映画
で監督や脚本を経験した 1946 年生まれの小水一男の脚本である。
81 年になると、戦後生まれ監督である根岸吉太郎の『狂った果実』、『女教師 汚れた
放課後』が初めてベストテン入りし、
『嗚呼!おんなたち 猥歌』は荒井晴彦脚本である。
82 年の『キャバレー日記』は根岸吉太郎監督、荒井晴彦脚本の戦後生まれ世代コンビだし、
83 年の『ダブルベッド』もまた、荒井晴彦脚本。
84 年の『美加マドカ 指を濡らす女』、『不純な関係』は 1951 年生まれの斎藤博脚本
であり、『ルージュ』は那須博之監督、石井隆脚本のコンビ、『女子大寮 vs 看護学園寮』
は斎藤信幸監督、斎藤博脚本のコンビである。85 年の『箱の中の女 処女いけにえ』はガ
イラ(小水一男のペンネーム)脚本で、『ラブホテル』は相米慎二監督(1948 年生まれ)、
石井隆脚本のコンビ。『人妻暴行マンション』は、斉藤信幸監督自身が 1957 年生まれで
当時ロマンポルノでは「脚本助手」的立場だった望月六郎と共に脚本を書いている。
そして 87 年の『母娘監禁 牝』は斉藤水丸(信幸)監督、荒井晴彦脚本のコンビであ
る。こうしてみると、79 年以降終幕までの 10 年間で「映画芸術」ベストテン入りした 18
本のロマンポルノのうち、戦後生まれ世代の監督や脚本家が関わっていないのはわずかに
2 本である。残りの 16 本には、新世代の監督、脚本家がからんでいた。
その傾向は、先物買いが目立つ「キネマ旬報」読者ベストテンにも現れている。前述の
3
ように、81 年に『狂った果実』、82 年に『キャバレー日記』、『天使のはらわた 赤い
淫画』、『ピンクのカーテン』、85 年に『ラブホテル』、『みんなあげちゃう』をプロ側
の評価より高い位置でベスト 30 入りさせたのは、背景に根岸吉太郎、池田敏春、上垣保
朗、相米慎二そして金子修介という新鋭監督への共感があったに違いない。脚本家にはあ
まり注意を払わず監督を重視する映画ファンの性癖が、ここには表れている。
■石井隆――紡ぎ続ける「名美と村木の物語」
さて、80 年代のロマンポルノで活躍した戦後生まれ世代の監督、脚本家について、もう
何人か触れておこう。
石井隆は、プレイコミック誌に連載された劇画「天使のはらわた」で世に知られるよう
になった劇画家である。それは、漫画というにはあまりにも過激なタッチで男女の性愛を
描く全く新しい形の表現であり、いわゆる漫画ファンの枠を超えて 70 年代後半の若い男
性の間に大きなセンセーションを巻き起こしていた。「天使のはらわた」というタイトル
の下、独立した各話においてさまざまなシチュエーション、キャラクターで登場するヒロ
インの名前は常に名美。その名は、ひそかに伝説化しつつあった。
これに、ロマンポルノの企画者たちが目をつけないはずがない。連載開始の翌年である
78 年 7 月、『女高生 天使のはらわた』として映画化された。脚本は、東京キッドブラザ
ーズ出身で内田裕也らとロックコンサートもやっていたロックミュージカル劇団ミスター
スリムカンパニー所属の演出家、俳優、歌手の深水龍作と助監督の池田敏春が書いている。
初代・名美女優は大谷麻知子。この年ロマンポルノ青春ものの佳作『課外授業 熟れは
じめ』で主演デビューし、次がこの作品で、その次が『高校エマニエル 濡れた土曜日』、
翌年の『女生徒』と女子高校生役で活躍し、松竹の『九月の空』(78 年/監督・山根成之)
にも客演したが、早期に引退している。
ただここでは名美は脇役同然の扱いで、話の主眼は脚本の深水龍作の実弟でミスタース
リムカンパニー主宰者の深水三章が演じる男・哲郎とその仲間たち(やはりミスタースリ
ムカンパニー所属の河西健司、樋口達馬)の三人組の暴走する青春に置かれている。彼ら
に強姦される女子高生が名美なのだった。
2 作目『天使のはらわた 赤い教室』は、前作に続き曾根中生が監督し、清純派女優で
歌手デビューもしていた水原ゆう紀がロマンポルノに登場するとあって話題になり 79 年
1 月に封切られた。脚本に原作者の石井隆自身が乗り出し、曾根中生監督との共同脚本と
なっている。これは正真正銘の名美の物語。名美は土屋名美、蟹江敬三演じる哲郎は村木
哲郎と、以後基本的にどの作品でも姓名まで一貫していく。
ブルーフィルムの中の名美に惹かれ、その彼女と現実に運命的出会いをしたにもかかわ
らず次に会う約束を破った村木……。3 年後の再会は苦く切ないものだった。場末の娼婦
へと堕ちていく名美と、家庭を持って平凡な幸福に安住していた村木との間には超えよう
4
のない懸隔が生じている。その男と女の深刻なすれ違いが鮮やかに描かれ、劇画「天使の
はらわた」の世界をみごとにスクリーンに焼きつけた。
脚本家としてデビューした石井隆は、同年 7 月公開の第 3 作『天使のはらわた 名美』
では単独で脚本を担当する。名美は鹿沼えり。黒沢年男が歌ったヒット曲を映画化し作詞
家なかにし礼が自ら脚本を書いて主演した『時には娼婦のように』(78 年/監督・小沼勝
/脚本・なかにし礼)で主演デビューし、81 年まで 3 年間主演女優の座にあった当時のロ
マンポルノ人気女優である。村木は、日活ニューアクションで活躍した地井武男が 72 年
の『エロスの誘惑』以来、久々のロマンポルノ出演を果たした。
4 作目『天使のはらわた 赤い淫画』は、81 年暮れに 82 年のお正月興行番組として公
開された。四代目名美女優は泉じゅん。76 年に『感じるんです』で一旦ロマンポルノ主演
デビューを飾りながら 1 作だけで以後は一般映画、ドラマで活動していたのが、80 年 12
月の『百恵の唇 愛獣』(監督・加藤彰/脚本・桂千穂/主演・日向明子)の準主役でカ
ムバックし、81 年には『愛獣』シリーズで 3 本立て続けに主演していた。村木(この作品
だけ名前は哲郎でなく健三)は、次に出演した『ピンクのカーテン』シリーズで美保純演
じるヒロイン野理子の兄で知られる阿部雅彦である。
そして間の空いた 88 年のシリーズ 5 作目『天使のはらわた 赤い眩暈』では、石井隆
が原作、脚本だけでなく初監督に挑んでいる。名美は桂木麻也子、村木は竹中直人。
この作品を、わたしはこう評している。
【廃ビルの一室の床に残されていた壊れたテープレコーダー。名美が不慮の死で戻らない
村木を待つラスト、それを揺すってみると不意に動きだし、音楽が聞こえてくる。曲はジ
ョー・スタッフォード「テネシーワルツ」。哀調を帯びた英語の歌がゆっくりと流れる。
「テネシーワルツ」といえば、日本では江利チエミの十八番だった。酒に溺れた孤独な暮
らしのうちに酔って自らの吐瀉物を気管に詰まらせ人知れず死んでいたこの往年の大スタ
ーの悲しい最期は、いつまでも忘れることができない。その自堕落な生活の末の悲劇を、
この「テネシーワルツ」はいやおうなく思い出させるのだ。
顧客の資金運用に失敗して破滅した元・腕利き証券マンである村木=竹中直人も、会社
から見捨てられ妻に逃げられ債権者に追われ、腐れかけたカップラーメンの饐えた臭い漂
う部屋で昼夜の別ない無気力な酒びたりの毎日を送っている。彼の周囲には一片の愛もな
く、悔恨と愚痴と呪いの気持とにまみれているだけだ。
その村木が、偶然名美と行動を共にすることになる。患者たちから強姦されそうになっ
たうえ同棲している男に裏切られ飛び出してきた看護婦である彼女を村木の車が跳ね、気
を失ったのを死なせたと勘違いして連れ去る。正気に返った名美は当然彼を詰り、罵り、
蔑む。反撃するでもなく、村木はそれに耐えるままでいる。
そんなふうに憎しみだけしか介在しなかった二人の関係が、やがて愛情を伴うものにな
ってくるターニングポイントになるラブホテルの場面が圧巻だ。互いの素性を告白した後、
5
みじめさを慰め合うように身体を貪り尽さんばかりに激しく求め合う。唇を吸い吸われ、
やさしく噛み噛まれ、唾液を交わらせ、という濃厚なくちづけをし、いろいろな姿態をと
って果てしなく抱き合う。堕ちるまで堕ちた底から、ひとつの純粋な愛が始まった。
――かに見えたのもつかのま、村木はガソリンスタンドでのささいなトラブルから暴力
団員に尃殺されてしまう。ひとり心細く待つ名美の許へせめて男のせつない想念だけでも
届けるように、佐々木原保志撮影のカメラは中空をまっしぐらに飛びたどり着くが、もち
ろん彼女は知る由もなく、待ちぼうけの虚しさを味わい、「テネシーワルツ」に涙ぐみ、
そして気持を取り直して再出発していく。
そのときの科白「ま、いっか!」は石井隆の世界の名美にはいささか不似合いの軽さの
ように聞こえるが、決してそうではない。病院のナースステーションで自分を奮い立たす
ために「ガンバ!」とやるのを含め、こうした軽い口調と彼女の内部に沈殿した重い情念
とは何ら矛盾しない。この桂木麻也子=名美も、『天使のはらわた 赤い教室』(79 曽根
中生)の水原ゆう紀=名美、『天使のはらわた 赤い淫画』(81 池田敏春)の泉じゅん=
名美、『赤い縄 果てるまで』(87 すずきじゅんいち)の岸加奈子=名美に劣らぬ存在感
を持ち、背負っている思いのたけの深みをうかがわせる。
上記以外に『女高生 天使のはらわた』(78 曽根中生)『天使のはらわた 名美』(79
田中登)『団鬼六 尐女木馬責め』(82 加藤文彦)『縄姉妹 奇妙な果実』(84 中原俊)
『ルージュ』(84 那須博之)『ラブホテル』(85 相米慎二)『夢犯』(85 黒沢直輔)『魔
性の香り』(85 池田敏春)と、専らにっかつで原作あるいは脚本の立場で数多くの作品に
関わってきた劇画家・石井隆が、
ロマンポルノの終わりに際し初めて演出を担当したのだ。
その描き出すヒロインが、女性にとっての負の要素をいっぱいに背負い込みうながらギラ
リと強く美しく輝いてみせる、あの魅力的な名美でなかろうはずがない。
新人監督・石井隆の仕事ぶりも堂に入ったものだ。出会うまで平行して進む村木と名美
の生活を、電話のベルや超クローズアップといった接点で結びつけておき、後の運命的出
会いの伏線にしていく工夫が効いているし、夢の中のプール、どしゃ降りの雤、ラブホテ
ルの風呂と水を多用したうえ、名美に浴びせられる患者の体液、二人の小水が流れてきて
ぶつかり合うところ、とモチーフを水に限定しているのが作品世界をコンパクトに統べて
いる。これが映像表現上の韻を踏んでいるのみならず、追いつめられ、不快感をべっとり
と身に貼りつけた村木と名美の生理をはっきり表わすことになっているのが非凡だ。ぜひ
次回作を観たい。】
ロマンポルノにおける『天使のはらわた』は以上の 5 本だが、他にいくつか、石井隆が
原作・脚本を担当した名美と村木の物語があることを記しておきたい。
『縄姉妹 奇妙な果実』には、名美が登場しないものの、78 年の『さすらいの恋人 眩
暈』以来ロマンポルノを支えてきた北見敏之が倒錯した性癖の美姉妹に翻弄されるサラリ
ーマン村木を演じている。
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『ルージュ』は名美と村木の物語。名美を新藤恵美、村木は日野正平。『ラブホテル』
の名美は速水典子、村木は寺田農。そして前に紹介した『赤い縄 ~果てるまで~』の名
美は岸加奈子、村木は『赤い淫画』の阿部雅彦である。
■那須博之・斎藤博コンビの快進撃
脚本家・斎藤博と那須博之監督の、83 年から 84 年にかけてのロマンポルノでの大活躍
を、書き落とすわけにはいかない。二人は、1952 年早生まれの同学年である。
斎藤博は、荒井晴彦とともに若松孝二監督の下でピンク映画の修業をしたりロマンポル
ノの契約助監督を務めたりした後、82 年に『女教師狩り』でデビューした。那須博之監督
は、やはり 82 年、夫人の那須真知子脚本とのコンビ『ワイセツ家族 母と娘』でデビュ
ーしている。
『ワイセツ家族 母と娘』の批評を担当したのはわたしだった。当時のロマンポルノの
厳しい状況を勘案しつつも、次のようなことを書いている。
【昨今の、にっかつロマン・ポルノにおける新人作家たちの台頭は喜ばしい限りだが、そ
の裏面とでもいったところを穿った好論文をよんだ。梅林敏彦氏の『シナリオ・オピニオ
ン』(『シナリオ』7 月号)だ。それによれば、若い監督を起用することにより、製作日
数の短縮、製作費の縮減を行ってコスト減を図っている、という。那須博之監督 の第一作
「ワイセツ家族・母と娘」はわずか 5 日間で撮影されたそうだ。
新人起用が製作条件の低下につながる危険を、この小論文は鋭く指摘する。常に現場の
スタッフや役者の側に立って日本映画を支え続ける梅林氏ならではの、率直な憂いだ。現
在の情勢を単純に喜んでいていいわけではないことを、痛感させられた。たしかに、ピン
ク映画などは、もっと悪条件で作られているとはいえ、悪い方に会わせる形で事態が推移
していくのでは困る。より良い製作条件が望ましいに決まっている。
だが、また、一個の作品を評価するときに、どんな条件下で制作されたかは無関係であ
るのも事実だ。ふんだんに時と費用をかけた映画も、苛酷な状況の中で作られた映画も、
出来上がったうえは、同列に視られなければならない。那須監督のデビュー作は、残念な
がら失敗作だと思うけれど、その際、劣悪な製作条件であった点をして斟酌の種とするわ
けにはいかない。
独り暮らしの初老の男が、娘くらい年齢の違う尐女に夢中になって、自身の邸宅に招じ
入れ共に棲む。やがて、まだごく若い尐女の母親が訪ねて来て居着く。さらに、男の甥に
あたる青年が女連れで現れ、これも邸内に住み着く。そして奔放に性の交歓が行われるー
ーという筋立ては、日常の現実感に満ちた物語でもなければ、抽象的な夢幻譚とも違って
いる。作者たちの狙いは、現実と夢幻、両者が交錯する雰囲気を醸し出すことにあったの
ではないだろうか。
われわれの生活の中で、性は日常の事柄になるが、一歩深く踏み込んで性そのものの深
7
淵を探ろうとすると、抽象化して扱った方が容易だろう。現実と夢幻がうまく交流すれば、
新しい角度からの切り込みになるに違いない。しかし、それだからこそ、きわめて難しい
試みだ。日常と背中合わせに存在する狂喜じみた夢想とが、表裏一体に提示される必要が
ある。
この作品では、日常性を持つ現実の部分と妖しい感覚に彩られた夢幻の部分は、分断さ
れてしまっている。それぞれが別個に自己主張して、渾然とは結びつかない。食べるとか
家事をするとかいった〈日常〉と、性の饗宴の〈夢〉とが対置されるのが、観念的に過ぎ
るのだ。たとえば、家事における〈日常〉と〈夢〉、性における〈日常〉と〈夢〉が対立
しなければならないのではないか。
洋館の暗い室内に、玄関の灯りが浮かび上がり、そこから画面手前の方へ次々と点灯さ
れて人物が動いてくる場面。ここなどは明と暗の対照のうちに〈日常〉と〈夢〉が交錯し
ている。非凡な才能の片鱗をうかがわせるだけに、次回作には期待したい。】
ここで想像している通り、さぞや厳しい条件だったのだろう。那須監督は再度助監督業
に戻って 2 本担当した後、改めて監督第 2 作に挑む。評の末尾で「次回作には期待したい」
と書いた那須監督の次回は『セーラー服百合族』。それは同時に、斎藤博脚本の第 2 作で
もあった。
男性同士の同性愛を薔薇族と呼ぶのに対応する「百合族」の世界を、いずれも新人の山
本奈津子、小田かおるの二人が女子高生に扮してヴィヴィッドに体現していた。同性愛と
いう世間一般からはアブノーマルと見られる性癖を匂わせながら、一方で性に対する好奇
心丸出しの尐年尐女時代を謳歌する。作品的評価も興行成績も上々の結果となり、監督、
脚本家のどちらにとっても出世作になったと言っていい。
ヒットによって引き続き那須博之監督、斎藤博脚本のコンビですぐに作られた続編『セ
ーラー服百合族2』評で、このシリーズをわたしはこう賞賛した。
【那須博之監督の「セーラー服・百合族」は、ひさびさに現れた学園青春ポルノの傑作だ
った。巻頭、プールの水中で美尐女ふたりが妖しくからみあう導入からして快調。湘南の
学園生活を舞台に、尐年尐女たちの生態が余すところなく表現される。彼らのセックス・
ライフを追っていく中に、彼らの生き方のすべてが浮かび上がってくる。
七〇年前後の大映の「高校生シリーズ」と呼ばれた学園性典映画が、また、にっかつで
は「桃尻娘」シリーズがそうだったように、「百合族」は、その時代の高校生の心情を鮮
やかに掬いとってみせる。井筒和幸監督「みゆき」が陽画の形で八三年の“青春”をみごと
に活写しているなら、こちらは、陰画の形で、だ。いつも通りの愛の交歓を果たすうち、
ふいに、尐年が尐女のうしろを襲う、その瞬間、厭がり激痛にのたうつ尐女、むりやり刺
し貫く尐年、それぞれの心の痛みまでが、鮮烈に示される。このシーンなど、今まで見て
きたあまたの情交場面の中でも極めて印象深いひとつだ。
さて、好評をうけてシリーズ化されての「百合族2」。季節は初夏から夏の終わりへと
8
移り、舞台も湘南の夏から軽井沢の高原へ、そして尐年尐女たちにとっては日常生活から
夏休みのアルバイトという非日常の毎日、と転換する。設定は百八十度変わっても、前作
と全く同じキャスティングの主人公たちがみずみずしく描きだされる点に変わりはない。
むしろ。日常を離れてもなお彼らの生活感覚を出し切ったところに、作者たちの非凡な才
がうかがえる。
日常ではほとんど自分たち同士の関係に終始していたのが、軽井沢へ来て、オトナたち、
すなわち彼らにとっての〈他者〉とぶつかる。有閑マダム、コンプレックス持ちの秀才大
学院生、中年男そのものの酒屋の主人。肉体関係を持ち、心惹かれ、しまいに傷つけられ
る。オトナはオトナだ。尐年尐女たちの間では大人びたふうをとっている者でさえ、子供
にしか扱われない。年上の人妻との情事でジゴロを気取っていた尐年は、夫の出現で服を
抱えて窓から逃げ出す羽目になる。オジンをからかっていたつもりの尐女は、いつしか本
気になってしまい、男が家庭へ戻る結末に泣く。
傷ついて、しかし、彼らはうちひしがれたままではない。しっかりと立ち直る。挫折を
標榜したり、絶望して自滅したりしない。それが、彼らの世代の若さであり軽さであると
いうものだろう。ひとむかし前の若者のように価値観の多様化に思い悩んだりせず、かえ
って千変万化の価値観を楽しみ、精神の自由を享受しているかのようだ。セックスは尐し
もタブーでないし、同性愛だってちっとも暗くない。ガリ勉優等生も、尊敬されないかわ
りにうとまれもしない。お勉強出来る人ってすてき、と思いを捧げられるくらいだ。
粟津號演ずる酒屋と同じく出っ張ってきた腹を抱えるわれわれ“ひとむかし前の若者”に
は、まぶしくてしょうがない。自身の“トシ”を思い知らされる。けれども、彼らののびの
びした元気さを見て、うんざりするわけではない。逆に、心地良く力づけられる。まだま
だ、若い頃背負った自分なりのこだわりを捨てずに頑張っていこう、という気にさせられ
る。
てくてく歩きで帰るラスト、アスファルトの道の陽炎にゆれる五人の尐年尐女の姿は、
軽やかさに満ちていて、美しい。と、一瞬のうちに、フッと画面からかき消えるようにい
なくなる。彼らが、この次はどんな形で現れ、どんな青春物語をみせてくれるのか。那須
博之・「百合族3」への期待は、深まる一方だ。】
残念ながら『百合族3』が作られることはなかったが、二人はそれぞれ快進撃を始める。
翌 84 年、那須博之監督は山本奈津子、小田かおるコンビの次回作として佐伯俊道脚本
で『美尐女プロレス 失神 10 秒前』を用意する。『百合族』の女子高生から女子大生へ。
大学のプロレス部活動という最新学園風俗を扱って快調だった。この年さらに 3 本の作品
を撮った那須監督は、85 年にさらに 1 本キャリアを積んでから、『ビー・バップ・ハイス
クール』85 で華々しく一般映画へと打って出ていく。
■惜しまれる斎藤博の早世
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同じく翌 84 年、斎藤博は神代辰巳監督との共同脚本に起用された『美加マドカ 指を
濡らす女』が 4 月に公開される。続いて 5 月には、自らの青春生活を脚本化した『不純な
関係』が西村昭五郎監督によって世に出た。これは、ピンク映画の若松プロ時代からの兄
貴分・荒井晴彦の『新宿乱れ街 いくまで待って』に相当する、個人的思い入れの深い「私
脚本」のようなものだった。三角関係を物語のモチーフにする斎藤脚本の原点だと言って
いい。
続く『OL 百合族 19 歳』は、この年『宇能鴻一郎の 濡れて打つ』でデビューしたば
かりの金子修介監督の第 2 作である。51 年生まれと、ロマンポルノの脚本家陣では最年尐
の部類だった斎藤にとって、55 年生まれの金子は初めて組む年下の監督だった。それまで
常に年長の監督や脚本家と仕事をしてきていたから、自分の方が年長の脚本家として監督
と相対することの感慨があったろう。この作品も、山本奈津子、小田かおるのコンビ主演
である。那須監督の『美尐女プロレス 失神 10 秒前』では大学進学した彼女たちが、こ
ちらでは高卒 OL になっているという趣向だった。
さらに、この年 4 本目の脚本作として『女子大寮 vs 看護学園寮』が公開された。同期
デビューの根岸吉太郎監督が『キャバレー日記』82 を最後にロマンポルノから離れた後を
引き受けたように、『黒い下着の女』82 以降秀作を連打していた斎藤信幸監督の演出作品
である。油ののった監督と勢いのある脚本家の組み合わせだけに、実に魅力的な映画に仕
上がった。
斎藤博は、85 年に 2 本の脚本作を出した後、翌 86 年には中原俊監督とのコンビで小泉
今日子主演『ボクの女に手を出すな』で一般映画へと進出する。これは、中原俊にとって
も、初の一般映画だった。しかも 12 月封切りの 87 年お正月興行番組。そして 2 本立ての
片方は、彼らより一足先に一般映画へ飛び出し『ビー・バップ・ハイスクール』シリーズ
で一世を風靡しつつあった那須博之監督が薬師丸ひろ子主演作に挑んだ『紳士同盟』だっ
たのである。
映画界入りした当初からロマンポルノで育った監督や脚本家たちが日本映画の本流を背
負う時代が到来しようとしていた頃である。
ところで、斎藤博とわたしは、荒井晴彦の紹介により 85 年夏の湯布院映画祭で知り合
う。戦後生まれ世代の監督、脚本家と共に進む意識を持っていたとはいえ、彼らのほとん
どは年上だった。そんな中、1 年年長の斎藤博は、わたしにとって最も近しく思える存在
だった。一方、斎藤の方は 1 年とはいえ年下のわたしは弟分扱いしても構わないように見
えて気の置けない存在になり得たろう。
わたしたちは、
酒場や映画祭の場で寄ると触ると映画の話をしまくった。わたしは当然、
斎藤脚本の映画を全部観ていたが、斎藤の方もわたしの書く映画評を細密にマークしてい
た。批評の内容にわたって論及した感想を、何度ももらったものである。それが斎藤脚本
作品に関するものであった場合には、しばしば夜の明けるまで酒場のカウンターで論じ合
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った記憶がある。それは、ときには口論という形にもなった。
ロマンポルノの監督、脚本家の中で年齢が接しているがゆえに最も近しく付き合った斎
藤博は、94 年、42 歳という若さで急逝した。残念でならない。
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