世界の子どもたちのための平和と非暴力 の文化 国際 10 年 (2001―2010 年)と日本友和会 大高全洋 2001 年から始まる 21 世紀は紀元 第 3 の千年の夜明けです。その最 初の 10 年はまだ夜明け前、しか し陣痛はすでに始まっています。 その暗黒を予測してか、1997 年 7 月 1 日にいまは亡きマザー・テレ サたち 20 人のノーベル平和賞受 賞者は国連総会に参加する全ての国の代表にアッピールを出しま した。題して「世界の子どもたちと分かち合おう」(Share with the Children of the World)です。日本友和会(JFOR)は国際友和会 (IFOR)に呼応してまず、そのアッピールを「女性の会」で和訳し、 機関誌「友和」531 号(1997 年 10 月 15 日)に掲載しました。同時 に賛同はがき署名に取り組みました。 これらの主体的な働きかけが功を奏してか、ユネスコの提唱によ り 1997 年の国連総会で 2000 年を「平和の文化国際年」とすること が宣言されました。さらに 1998 年には、2001 年から 2010 年まで を「世界の子どもたちのための平和と非暴力の文化国際 10 年」と する決議がなされました。そして 1999 年には「平和の文化に関す る宣言および行動計画」が採択され、各国政府等はそれらにもと づいて「平和の文化」を振興することになりました。(詳しくは日本 子どもを守る会編『子ども白書 2000 年版』2000 年 7 月、草土文 化、「資料編」参照) その嚆矢(こうし)となった「アッピール」の内容は以下の通りです。 「今日、世界中のすべての単一国家で多くの子どもたちが静かに 暴力による被害を受けています。この暴力は多くの形態をとってい ます。すなわち、路上で子どもたちの間で、学校で、家庭生活で、 そして地域社会においてです。それは肉体的、精神的、社会・経済 的、環境的、政治的暴力です。あまりにも多くの子どもたちが「暴 力文化」のなかで暮らしています。 私たちはこれらの被害を縮小することを望んでいます。私たちは ひとりひとりの子どもが自分自身で暴力が免れがたいものではな いことを発見できると確信しています。私たちは世界中の子どもた ちだけではなく人類全体に、非暴力の新しい文化を創造し打ち建 て始めることによって、希望を与えることが出来ます。・・中略・・非 暴力はこの 10 年間、私たちのあらゆるレベルで教えられ、世界中 の子どもたちに毎日の暮らしのなかで非暴力の本当の実際的意 味と利益を気付かせ、彼らと人類全般に永続している暴力および その被害を縮小せしめること云々」(全文は前述の友和誌 531 号、 12 頁、参照) 2004 年の歴史的現在、子どもたちは大人たちの「戦争と暴力文 化」の暗闇で夜明けをじっと待っています。イラクの子どもたちの声 なき声が聞こえてきます。「悪いことが起きるのをどうすることもで きずに、ただ待つしかない、イラクのすべての子どもたちとして。何 ひとつ、自分たちで決めることができないのに、その結果はすべて 背負わなければならない、世界中の子どもたちとして。声が小さす ぎて、遠すぎて、届かない子どもたちとして。私たちは、明日も生き ていられるかどうかわからないことが、怖いのです。殺されたり、傷 つけられたり、将来を奪われたりすることが、悔しいのです。お父さ んとお母さんが明日もいてくれることだけが望みだなんて、悲しい のです。そして、最後に。私たちは途方に暮れています。私たち、 何か悪いことをしたでしょうか。」(文:シャーロット・アルデブロン、 写真:森住 卓『私たちはいま、イラクにいます』2003.6、講談社) 私たちの日本友和会はキリスト教非戦・非殺のNGO(非政府組 織)です。今日の国内外の情勢悪化の最中にあって、あまりにも無 力であり、非力です。そこで想起されるのが北村透谷です。彼は 1868 年(明治元年)に生まれ、1894 年(明治 27 年)に 25 年と4ヶ 月の短い生涯を閉じています。明治に始まる近代文学史のなかで の彼の位相は新たな脚光を浴び始めています。彼はキリスト者と してフレンド派の「日本平和会」の結成(1889 年)に加わり、機関誌 「平和」(明治 25 年 3 月~26 年 5 月まで 12 号発行)の編集者・主 筆を務めて、絶対非戦の平和思想を日本に土着せしめるために文 学(思想)活動を行っています。(詳しくは没後 100 年を記念して出 版された桑原敬治著『北村透谷論』1994 年、学藝書林、参照)透 谷は「日本文学史骨」の「第2回 精神の自由」(1893 年 4 月「評 論」2 号)の末尾で次のように書いています。「之より日本人民の往 かんと欲する希望いづれにかある、愚なるかな、今日に於て旧組 織の遺物なる忠君愛国などの岐路に迷ふ学者、請ふ刮目して百 年の後を見ん」(『明治文学全集 29-北村透谷集』、筑摩書房、 1976 年、所収)私たちは情勢負けする訳にはいきません。胎児が おり、子どもや孫がいるからです。たえず世界の子どもたちと共に 夢と希望をもちつづけ、紀元第 3 の千年の夜明けである 21 世紀 の朝明けを待ち望もうではありませんか。そのために JFOR は IFOR と共にモ Act locally, work globally.モであり続けたいと願って います。 「里(さと)の夜はまだ暗し、エヴェレストの朝ぼらけ」
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