第8話 同世代の作り手への強い共感

第8話
同世代の作り手への強い共感
■“気分は 80 年代の幕開け”の 1980 年
79 年 9 月にリリースされた『しなやかに歌って』(詞・阿木燿子/曲・宇崎竜童)は、
70 年代後半を代表する歌手でありスターである山口百恵の絶頂期の曲である。前年 78 年
大晦日には NHK 紅白歌合戦紅組のトリを取った。ポップス系の歌手として初めてだった
だけでなく、十代の歌手(当時 19 歳 11 ヶ月)がその位置に立ったのは後にも先にも彼女
だけだ。
『伊豆の踊子』(74 年/監督・西河克己)以来東宝映画のドル箱になっていた三浦友和
とコンビの为演映画も、この年は 8 月のお盆興行に『ホワイト・ラブ』(監督・小谷承靖
/脚本・藤田敏八、小林竜雄)、12 月のお正月興行に『天使を誘惑』(監督・藤田敏八/
脚本・藤田敏八、小林竜雄)が公開された。この通り人気絶頂だっただけでなく、評論家・
平岡正明が『山口百恵は菩薩である』(講談社)を著し、写真家・篠山紀信が「時代と寝
た女」と評するなど文化的シンボルにさえなっていた。
この『しなやかに歌って』には「80 年代に向かって」という副題がついている。あと 3
ヶ月あまり先になった 1980 年への思いを込めて、との意味だろう。
実は正確に言えば 80 年代は 1981 年に始まる。なのにその頃のわたしたちは、80 年が 80
年代の幕開けのように思った。それは、1960 年に 60 年安保、70 年に 70 年安保と若者世代
の政治運動目標が設定されたことと無縁ではないだろう。60 年、70 年が政治運動と深く結
びついて記憶されるのに対し、80 年そして 80 年代はどんな時代になるのかとの期待感が
世の中に漂っていたように思う。
山口百恵自身は、この歌が出てすぐの 10 月に三浦友和との交際宣言、80 年に入ってす
ぐの 3 月に婚約と引退発表、10 月にラスト・コンサート、12 月公開の『古都』(監督・市
川崑)を最後にきれいさっぱり表舞台から退いたことはご存知の通りだ。本当の 80 年代に
入った 81 年には、山口百恵という大スターは人々の前から姿を消していた。
そして実際の 80 年代は政治の色など全くなく、文化を金にまみれさせてしまったバブル
経済の時代になるのである。ロマンポルノがどんどん衰退し、88 年に製作中止となる背景
には、バブルによって急激に金満になった日本社会の変化があった。アダルトビデオの普
及やおしゃれな街で豪華な娯楽を楽しむ風潮は、裏町のポルノ上映館に通う観客を確実に
減尐させたのである。
■キネ旬ベストテンに何本も選ぶ
それは後に触れるとして、79 年に話を戻そう。77 年に最初の結婚をしたわたしは、79
年 8 月に離婚した。結婚生活から再び独身に返ると、何か人生を再出発する気分になる。
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「80 年代に向かって」と付された『しなやかに歌って』は、その新たなスタートラインに
立つ身に沁みた。実際、独身になったためにそこから改めて愛情や性にかかわる多数の経
験を積んでいくことにもなる。
というので、わたしはロマンポルノへの関わりをいっそう強めていった。その時期に、
根岸吉太郎を先頭にした同世代の監督、荒井晴彦たち同世代の脚本家が大量に登場してき
たのである。わたしの眼は、当然のように彼らが作る映画へと向けられていく。同時に、
性愛を描くロマンポルノそのものへの見方も深まっていったような気がする。
前述した通り、
映画ジャーナリズム全体におけるロマンポルノの評価は 70 年代前半に最
も高く、徐々に注目度を下げていた。ジャーナリズム評価の最大公約数としてのキネマ旬
報を見ると、79 年に『赤い髪の女』(神代辰巳)が 4 位、81 年に『嗚呼!おんなたち猥歌』
(神代辰巳)が 5 位になっただけで、82 年以降は 1 本も選ばれていない。
それに対して、75 年にキネマ旬報ベストテン選考委員になったわたしの個人ベストテン
はというと、次の通りである。
75 年
76 年
77 年
78 年
なし
⑤『キャンパスエロチカ 熟れて開く』(監督・武田一成/脚本・出倉宏)
⑤『新宿乱れ街 いくまで待って』(監督・曾根中生/脚本・荒井晴彦)
①『さすらいの恋人 眩暈』(監督・小沼勝/脚本・大工原正泰/为演・小川恵)
②『課外授業 熟れはじめ』(監督・白鳥信一/脚本・熊谷禄朗/为演・田島はる
か)
⑥『桃尻娘 ピンク・ヒップ・ガール』(監督・小原宏裕/脚本・金子成人)
⑩『オリオンの殺意より 情事の方程式』(監督・根岸吉太郎/脚本・いどあきお)
79 年 ①『天使のはらわた 赤い教室』(監督・曾根中生/脚本・石井隆、曾根中生)
③『濡れた週末』(監督・根岸吉太郎/脚本・神波史男/为演・宮下順子)
④『むちむちネオン街 私食べごろ』(監督・中川好久/脚本・大工原正泰/为演・
三崎奈美)
⑤『女教師 汚れた噂』(監督・加藤彰/脚本・いどあきお)
80 年 ①『朝はダメよ!』(監督・根岸吉太郎/脚本・竹山洋)
③『おんなの細道 濡れた海峡』(監督・武田一成/脚本・田中陽造/为演・桐谷
夏子)
81 年 ①『狂った果実』(監督・根岸吉太郎/脚本・神波史男/为演・蜷川有紀)
③『女教師 汚れた放課後』(監督・根岸吉太郎/脚本・田中陽造)
④『嗚呼!おんなたち猥歌』(監督・神代辰巳/脚本・荒井晴彦、神代辰巳/为演・
内田裕也、角ゆり子、中村れい子)
82 年 ①『犯され志願』(監督・中原俊/脚本・三井優)
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②『天使のはらわた 赤い淫画』(監督・池田敏春/脚本・石井隆)
④『キャバレー日記』(監督・根岸吉太郎/脚本・荒井晴彦/为演・竹井みどり)
⑧『闇に抱かれて』(監督・武田一成/脚本・たかいすみひこ=荒井晴彦+高田純
/为演・風祭ゆき)
83 年 ③『襲われる女教師』(監督・斉藤信幸/脚本・桂千穂/为演・風祭ゆき)
④『ダブルベッド』(監督・藤田敏八/脚本・荒井晴彦/为演・大谷直子)
⑦『セーラー服 百合族』(監督・那須博之/脚本・斎藤博/为演・山本奈津子、
小田かおる)
⑩『縄と乳房』(監督・小沼勝/脚本・宇治英三)
84 年 ①『スチュワーデス・スキャンダル 獣のように抱きしめて』(監督・小沼勝/脚
本・渡辺寿、村上修/为演・藍とも子)
③『美加マドカ 指を濡らす女』(監督・神代辰巳/脚本・斎藤博、神代辰巳/为
演・美加マドカ)
⑥『未熟な下半身』(監督・斉藤信幸/脚本・斉藤信幸、望月六郎/为演・青木琴
美)
⑨『残酷! 尐女タレント』(監督・上垣保朗/脚本・熊谷禄朗/为演・加来見由
佳)
85 年 ⑤『ラブホテル』(監督・相米慎二/脚本・石井隆/为演・速水典子、寺田農)
⑥『人妻暴行マンション』(監督・斉藤信幸/脚本・斉藤信幸、望月六郎/为演・
渡辺良子)
⑧『美姉妹 剥ぐ!』(監督・上垣保朗/脚本・佐伯俊道/为演・小田かおる)
⑨『初夜の海』(監督・中原俊/脚本・高田純/为演・小田かおる)
86 年 なし
87 年 ③『赤い縄 果てるまで』(監督・すずきじゅんいち/脚本・石井隆)
⑩『母娘監禁・牝』(監督・斎藤水丸=斎藤信幸/脚本・荒井晴彦/为演・前川麻
子)
88 年 ④『待ち濡れた女』(監督・上垣保朗/脚本・荒井晴彦/为演・中村晃子、高野長
英)
⑥『ベッド・パートナー』(監督・後藤大輔/脚本・西岡琢也/为演・広田今日子)
⑨『BU・RA・I の女』(監督・村上修/脚本・斎藤猛/为演・平歩千佳、小沢仁志)
このように、78 年以降は 86 年を除いて毎年、何本かのロマンポルノをベストテンの 10
本の中に入れる傾倒ぶりだ。この時期、わたしがいかにロマンポルノに耽溺していたかが
わかる。そして、ここに掲げた作品の作り手の名前を見てもらうと、前章に書いたロマン
ポルノでデビューした同世代の監督や脚本家たちに強い共感を覚えていたことも読み取っ
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ていただけるだろう。
■性についてよりも愛について深く考える契機に
88 年にロマンポルノが終焉を迎えるとき、全期間のハイライトをまとめた『ザッツ・ロ
マンポルノ 女神たちの微笑み』(88 児玉高志)が作られた。それに寄せて、わたしはこ
う書いている。
【71 年 11 月の発足から今日まで、まだ女性と深くつきあったことのなかった 18 歳の晩秋
から 35 歳の現在まで、
ある意味でロマンポルノとともに尐年からオトナへと歩んできたよ
うなものだ。】
そして、自分にとっての「ザッツ・ロマンポルノ」として 45 本の作品を列挙している。
そのうち 36 本は、上記のキネマ旬報ベストテンに入れた作品だ。それ以外の 9 本も挙げて
おこう。
72 年 『女高生レポート 花ひらく夕子』(为演・近藤幸彦/脚本・新関次郎)
『学生妻 しのび泣き』(为演・加藤彰/脚本・今田正紀)
73 年 『恋の狩人 欲望』(为演・山口清一郎/脚本・賀来恋慕、山口清一郎)
『怨歌情死考 傷だらけの花弁』(为演・小原宏裕/脚本・小原宏裕、ひかわみよ
し/为演・小川節子)
78 年 『青い獣 ひそやかな愉しみ』(为演・武田一成/脚本・田中陽造)
『トルコ 110 番 悶絶くらげ』(为演・近藤幸彦/脚本・荒井晴彦)
82 年 『絶頂姉妹 堕ちる』(为演・黒澤直輔/脚本・いどあきお/为演・倉吉朝子、江
崎和代)
84 年 『女子大寮 vs.看護学園寮』(为演・斉藤信幸/脚本・斎藤博/为演・浅見美那)
85 年 『制服百合族 悪い遊び』(为演・小原宏裕/脚本・斎藤博/为演・望月真美、朝
倉まゆみ)
その時点で既に、わたしはこうまとめている。
【ただ、こうやって並べると、初期の名作とされるものがほとんど入っていない。児玉高
志監督がここで力を入れて紹介している神代辰巳、村川透、田中登らの初期作品は、率直
に言って 20 歳前後のわたしには十分に理解することが難しかった、と白状しておこう。愛
についても性についても初心のうちには、ロマンポルノの世界になかなか馴染めなかった。
したがって 45 本中 39 本が 25 歳を過ぎて観たものであり、しかもその大半が自分と年齢の
近い監督、脚本家の手になった映画だ。この十年、これらを通して「男と女」について考
えてきた。わたしにとってロマンポルノは、性についてよりも愛について多くを考えさせ
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る契機となった。】
そう、これが、わたしとロマンポルノとの偽らざる関係なのである。
「年齢の近い監督、脚本家」たちは、彼ら自身ロマンポルノやピンク映画を観ることに
よって愛や性について考えるところ多かったはずだ。そんな彼らが作る映画に導かれて、
わたしは愛や性の深淵を覗いていく。その代表格である根岸吉太郎が撮ったロマンポルノ
8 本のうち 6 本が、わたしの「ベスト 45」の中に入り、荒井晴彦が脚本を書いた映画が 8
本も入っているのは、そういう事情である。
デビュー作『情事の方程式』の批評の最後を「次回作が待たれる」と結び、第 2 作『女
生徒』評の末尾に「今回もまた、次にみせてくれる映画を、いっそう楽しみに待つ、と結
ぼう」とした次の第 3 作『濡れた週末』の評にはこう書いた。
【年尐の気鋭の監督だからといって、若さがほとばしり出るような青春映画が本領だとは
限るまい。二十代の新人作家ということで、第一作「情事の方程式」は尐年、続く「女生
徒」は尐女を为人公にした世界を扱ってきた根岸吉太郎監督だが、両作ともに、若さに輝
いたものとは言い難かった。むしろ、苦渋を感じさせる趣きすらある。いわば、若さが斜
に捉えられていた。
大森一樹監督「オレンジロード急行」などについてもそうだったが、既成の作り手たち
より格段に青春時代に近い年齢でありながらその輝きを率直に噴出させていない点に戸惑
う声も多くある。しかし、同世代として共感するのだが二十代後半の身にとって、むこう
みずな若さの暴発ぶりは、まぶしい光景でしかない。ごく近い過去にそれを体験している
だけに、ことさらそうだ。夢や希望だけですべてが解決できた季節を過ぎてしまった現在
の、苦いけだるさこそが、身に迫る問題であり、表現のモチーフとなるのだ。
で、根岸監督の新作「濡れた週末」は、宮下順子を为演者にして、三十歳前半の、ひと
り生きる女を描いてみせる。身寄りもない故郷もない孤独な女事務員。中年の社長の愛人
で、時折の逢瀬を持つ暮らしだ。何もしらぬ社長夫人や幼い娘とは、表面親密に馴れした
しんでいる。別れてお前と一緒になる。とお決まりの文句を口にしながらいっこうにその
気のない男の態度。それに対し、いわゆる悪女にもなりきれず、かといって惑乱して恨み
をぶつけるでもない。ひとりで過ごす夜の長さ。もう若くはない、反面、まだ老いにも襲
われていない。―――精神も肉体も、ひどく不安定。ゆらいでいる。
その不安定さを、宮下順子がみごとに体現する。彼女がよく扮する団地妻でも気のいい
水商売の姉御肌でもなく、ひっそりと生きるごく普通の女を、生身の感触で演じている。
同様な持ち味をみせた作品に武田一成監督「順子わななく」という佳作があるが、あちら
が 78 年の宮下順子像ならば、これは 79 年の宮下順子、とも言うべき存在感が漂う。失業
中の若者とその恋人の身軽な二人と知り合う事件で生活が変わるが、中年でも若者でもな
い自分の道を求めることにし、トランクひとつ手にひとりいでたつ、その姿は、不安定さ
に流されないだけの強さを秘めているのだ。
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もちろん、作者たちの作劇力もたしかだ。悲劇でも喜劇でもなく、たんたんと女の肖像
を描くなかに、青春のたそがれのものうさが巧みに表される。映像の組み立てに覚えさせ
られる親近感といい、根岸監督を、ぼくたちの世代の旗手のひとりと目してもさしつかえ
あるまい。するりとながれるスローモーションや、あ、という間を心にくいまでに示すス
トップモーション。“私のハートはストップモーション”だのいった言い回しがすんなり
と通用してしまう当代の映像文化にひたって成長してきた世代ならではの感覚なのだ。
そして、この旗手は、不安定にゆらいでいた为人公を自分の足で踏み出させる結末を示
して、これからの時代へ向かう決意を表明してみせてくれる。時あたかも、80 年代へと向
かって。】
末尾は、言うまでもなく山口百恵『しなやかに歌って』を意識している。歌が 9 月にリ
リースされ、『濡れた週末』の公開が 9 月 22 日、そしてキネマ旬報 79 年 11 月上旬号(10
月 20 日発売)に載ったわたしの原稿の締め切りは 10 月初めだったと思うから、影響は歴
然である。同世代の監督、脚本家を得て、昂揚した気分で 80 年代へ向かおうとしていたら
しい。
■『狂った果実』の衝撃
根岸吉太郎は、前述した翌 80 年 2 月公開の第 4 作『暴行儀式』で脚本家・荒井晴彦と初
コンビを組む。同年 6 月の『朝はダメよ!』(脚本・竹山洋)では、発売されたばかりの
ウォークマンや人気漫画「ガラスの仮面」をうまく使ってしゃれた風俗喜劇にも成功する。
81 年 1 月の『女教師 汚れた放課後』(脚本・田中陽造)では、キャリア・ウーマンの内
面に鋭く立ち入った。まさに 80 年代を疾走し始めていたと言っていい。
そうやって練り上げられてきた根岸吉太郎のロマンポルノは、81 年 4 月の『狂った果実』
で極みに達したと思う。この映画を観たときの胸の高鳴りを今でも忘れられない。虎ノ門
にある文部省(当時)が職場だったわたしにとって、最も手近なロマンポルノ上映館は地
下鉄で一駅先の新橋にある新橋ロマン劇場だった。今でもロマンポルノの旧作を上映して
いるガード下の小さな映画館だ。
見終わった余韻醒めやらぬ中、劇場の入口にある赤電話でキネマ旬報編集部へ電話をか
け、執筆させてくれと懇願したのをよく覚えている。
【男と女が、互いのからだをいつくしみあう。たとえば、为人公の尐年と尐女が、むさぼ
るように相手の軀を求め抱擁する、とか、いかがわしいバーで活計を得ている中年男と内
妻が、ようやく迎えた祝言の真似事を喜ぶあまり尐年の眼前であることも憚らず愛情を交
歓するとか。それらの場面に表される彼らの思いのたけは、きわめて濃密だ。あけすけで
いるくせに、気高さ、美しさ、さえ感じさせる。
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肉体と肉体が、暴力を介してぶつかりあう。たとえば、激怒した尐年が尐女を殴打する、
とか、富をだらしなく享受している尐女の取り巻き連中が、バーで狼藉の限りを尽くし、
復讐に押しかけた尐年と中年男との間に大乱闘したあげく、殺戮に至る、とか。噴出する
憎しみや怒りは、拳と肉の衝突する音、流れる朱の血そのままに、鮮烈だ。
性を通した愛情の描写、暴力を通した激情の表現が、みごとにそれらの真相をとらえて
いる。愛したり憎んだりを、縄のようにあざないながら生きていく人間たちの姿を、等身
大で映像化するのだ。恵まれた環境の中を奔放に暮らしている者も、社会の暗部を歯くい
しばってさまよっている者も、ひとしなみに、ていねいな描写を施されている。ここでは、
性も暴力も、衆目を惹くための具にとどまることなく、情感の媒介物として重要な意味を
持つ。
1978 年、「情事の方程式」で登場した根岸吉太郎監督の 7 本目の映画だ。前々作「朝は
ダメよ!」(80 年)前作「女教師・汚れた放課後」(81 年)とそれぞれすぐれた仕事を重
ねてきたが、この「狂った果実」では、まさに、まったき結実を思わせる。軽妙さが、根
岸監督の身上だ。「情事の方程式」でも使われた滞空競技用の超軽量模型飛行機が、画面
をふわり漂ってみせるけれど、透明な軽みを基調とした演出ぶりを、象徴するかのようだ。
自然为義の小説よろしく、下層でもがく姿の重苦しさを強調していくのは、さほど難し
い所業ではあるまい。物質面で充足している側の心のうつろいを的確に語ることこそ、容
易でない。これが軽妙に物語られ、対極にある底辺の人生と交錯するとき、双方がともに
豊かな実在感をもって示される。その間に、ぼくたち誰もが逃れられない人間の業が、立
体的に浮かんでくるのだ。愛も憎しみも、自分の内部の感情と、あまりにぴったり波長が
合致して、幕が閉まった後も、しばらく五感が痺れたままでいた。
映像の組み立てが、どこからどこまで何ら違和感なく受けとめられる点などは、単に、
根岸監督とぼくとが世代や感性の質をほぼ一にしているから、と説明できるかもしれない。
しかし、こうまで鋭敏に、生が伴う愛憎を描破してのけている以上、身びいきでなしに、
新しい日本映画の担い手の出現であることを、自信を持って広言したい。同年代の意識を
持ち続けつつ、根岸吉太郎という作家と一緒に歩を進めてみよう。大げさにいえば、日本
映画の新しい展開にぼくも参加するつもりで。】
半年後の同年 10 月、『遠雷』が公開される。初めてロマンポルノ以外の映画を撮ったこ
の ATG 作品で、根岸吉太郎は映画ジャーナリズムから高い評価を受けた。その年群を抜
いた賞賛を浴びた『泤の河』(監督・小栗康平)に伍してキネマ旬報ベストテン第 2 位に
入り、根岸はブルーリボン賞監督賞と芸術選奨新人賞を受賞、一躍新進監督としての地位
を揺るぎないものにしたのである。その後の活躍は周知の通りである。
30 年後の今日、わたしは文部科学省の役人を辞めて大学で仕事をすることになり、京都
造形芸術大学と山形にある東北芸術工科大学に籍を置いている。その東北芸術工科大学が
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映像学科を新設するに際し、根岸吉太郎に教授及び学科長に就任を要請する役目を受け持
った。奇しき縁である。09 年に学科長となった根岸は、11 年には学長となり、この大学を
設置する学校法人の理事であるわたしとは、共に大学経営の責任の一部を分担している。
お互い、30 年前には想像もしなかった境遇だ。
縁といえば、荒井晴彦とも深い因縁ができた。荒井は『遠雷』の後、『W の悲劇』(84
年/監督・澤井信一郎)でキネマ旬報、毎日映画コンクールの脚本賞、『リボルバー』(88
年/監督・藤田敏八)でキネマ旬報脚本賞、『ヴァイブレータ』(03 年/監督・廣木隆一)
でキネマ旬報、毎日映画コンクールの脚本賞を受けるなど日本を代表する脚本家の位置を
占める。89 年からは老舗映画雑誌『映画芸術』を買い取り刊行を続けているのだが、なに
しろ売れない専門誌だから経営に苦しむ。09 年から、わたしがその運営を手伝うことにな
った。
また、わたしが荒井晴彦にピンク映画を書いてほしいと発注した脚本『戦争とひとりの
女』が完成し、映画化へ向けてこちらがプロデューサー役になりコンビを組んでいる。
■高校の 1 年先輩のデビュー作に脱帽
30 年前に話を戻そう。当時のわたしは、根岸吉太郎、荒井晴彦によって、同世代の監督
と出会い、併走してその作品を観てきたことの喜びを味わうことができた。これに味を占
めて、同世代の監督や脚本家のロマンポルノ作品に積極的に関わろうと務める。自らの手
で同世代の才能を発見する喜びをもっと味わいたいという単純な動機だったのかもしれな
い。
80 年には伊藤秀裕監督の第 2 作であり那須真知子脚本の『若妻官能クラブ 絶頂遊戯』
(为演・日向明子)を、81 年には池田敏春監督の第 3 作で荒井晴彦脚本の『ひと夏の体験
青い珊瑚礁』(为演・寺島まゆみ)を、82 年には児玉高志監督のデビュー作で伴一彦脚本
の『受験慰安婦』、那須博之監督のデビュー作で夫人である那須真知子脚本の『ワイセツ
家族 母と娘』、83 年には加藤文彦監督の第 2 作で木村智美脚本の『ロリコンハウス お
しめりジュンコ』といった具合に新人の監督や脚本家の映画についてキネマ旬報日本映画
批評欄で取り上げた。
その中で最も印象深かったのは、82 年『犯され志願』での中原俊監督のデビューである。
中原俊の本名は中原俊弘。わたしと同じ中学、高校、大学の一年先輩に当たる。中学、高
校は鹿児島ラサール、大学は東京大学だ。よく知っていたかって? よく知っていた。一
年違いといっても、中学 3 クラス、高校 5 クラスの規模の学校に 5 年間重複して在学して
いたのだから。しかも中学時代は同じ文芸部に所属していた。
仲がよかったかって? 最悪だった。文芸部では活動方針の路線対立で仲違いしていた
し、そもそも一年上の連中とは何かと折り合いが悪かった。生徒会活動でも行事でも、こ
とごとく意見が合わない。もちろん、後輩であるこちらが生意気なわけで、彼らの卒業式
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の日に「卒業に当たってあの生意気な寺脇を皆でシメる」との噂が流れ、在校生のわたし
は式をサボって逃げ、映画館で一日を過ごしたくらいである。
大学に入って、もうその頃はキネマ旬報で「読者の映画評」欄の常連だったから、いち
おう映研に誘われた。ただ、勧誘の先輩から「ラサールだったら中原がメンバーにいるよ」
と聞いた途端「すみません。遠慮します」だった。知らなかったが、中原俊も高校時代か
ら映画に取り憑かれていたらしい。大人に見えるよう変装して鹿児島の繁華街裏のピンク
映画館に潜り込み、若松孝二作品を観まくっていたという。
わたしはというと、表通りの大映や日活や東宝、松竹、東映の封切館に通っていたのだ
から、根性が違う。このへんが、映画評論家で満足する人間と、映画作家になっていく人
間との分かれ道なのかもしれない。ともあれ、同じ映研サークルに所属する、しかもそこ
でも後輩なんてまっぴらごめん。それっきりになってしまった。
ところが、80 年に『おんなの細道 濡れた海峡』を観たとき、クレジットタイトルに「助
監督・中原俊弘」とある。同姓同名… ではないだろう。映研にいたわけだし日活に就職
した可能性は強い。そう思っているうち、『遠雷』の撮影現場取材に行ったキネマ旬報の
編集者が、中原という助監督が寺脇を知ってると言っていた(たぶん悪口で)と教えてく
れた。
そうか、やっぱり日活の助監督になっていたのか、と敬意のようなものを感じたのを記
憶している。日本映画が斜陽の極みに達した頃に映画尐年もしくは青年だったわれわれの
世代で、映画を作る側に行けるというのは、それだけでうらやましい存在だったのだ。狭
き門をくぐって映画会社に入社できたという意味でも、厳しい状況の映画界に生活上の名
利など求めず飛び込む決心をしたという意味でも。
とはいえ、中原に対する「大嫌い」感情は変わっていなかったから、中原俊と本名より
気取った名前で監督デビューすることを知っても、作品内容に期待はしていなかった。中
学時代から観念的な本ばかり読んでいる人だったから、さぞや観念臭のする映画になるだ
ろうと想像していた。
ちなみに、名前を変えたのは、本名だとロマンポルノのポスターが出回ったときに郷里・
鹿児島で親族が肩身の狭い思いをすることをおもんばかったためだと聞いた。そりゃそう
だ。なにしろ高校生が映画を観に行くだけで、それが青春映画だったとしても学校の許可
がない限り補導されるような土地柄だったものね。
で、『犯され志願』である。脱帽。あの中原がこんなすばらしい映画を作るとは……。
このときも、観終わったとたん編集者に書かせてくれと電話してしまった。
【”来て”… 電話口、胸の奥からしぼり出すような声で、ただひとこと、女が言う。
”抱いて”… 電話を受けて彼女の部屋へ駆けつけてきた男に向かって、これもただひ
とこと、女が言う。
大詰め、気持のすれちがいを続けていた女と男が二人の間に決着をつける場面、このふ
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たつの短い言葉は、女为人公の心象を鮮やかに表現する。万感をこめた、重いひとことだ。
客席で聞いていても、スクリーンの中に飛び込んで抱きしめたくなるほどの切実さを感じ
させる。
それくらい、彼女の考え方、生活ぶり、息づかいまでが、みごとに描き出されている。
都会の一角にひとりで住まい、建築関係のデザイナーとして身を立てる。夜は一人で酒場
にも行くし、すてきな男がいれば朝を一緒に迎えもする。自立した魅力あふれる女性だ。
その一挙一動が、細部にわたって丹念に映像化されている。どんな店に行くか、どんなふ
うに部屋を飾り付けているか、どんな口のききようをするか、といった具合に。
いいお店を見つけた、と女友達を誘っていくのは、女性雑誌で紹介されるような瀟洒な
料理店ではなく、酔客でごった返す場末の中華料理屋だ。あるときは、むしゃくしゃした
気分を払拭するために台所に立つが、炊事などはほとんどやっていないから、奇妙な味の
シチューが出来てしまう。また、転がり込んできた酒場で知り合った男を、急ぎの仕事が
あるから、と放ったらかして製図板に向かう。仕上げて、冷蔵庫のビールで乾杯する。そ
んな人間だ。流行にもブランドにも意を払わず自分がいいと思う方向へ歩んでいく。
いちばん好きな男は、気持のすれちがいを重ねるうちに、他の女と結ばれてしまう。や
りきれない思いに終止符を打つために、”来て”と電話をかけるのだ。激しく抱き合った
後、今の女と別れるからやり直してみないか、という男の申し出を、穏やかに、けれども
きっぱりと、拒絶する。そのとき、彼女の姿は、りりしく、美しい。痛みに耐えながら、
正面を見据えて歩み続けようとする意思が、表情の裡にある。
その夜更け、ぽつねんとベッドの上に坐っている女为人公の前に三つの時計が並べてあ
る。金色の装飾時計。時間が来ると男の子と女の子の人形が接吻をする仕掛けになってい
る時計。機能本位のデジタル時計。それぞれ、かかわりを持った男たちからの贈り物だ。
午前一時をさすと、それらが一斉に鳴り始める。三種の音色が、虚しく響く。ふっ切れた
はずの彼女のまわりを、ふと、感傷の空気が包む。
が、次の瞬間、リリリリリ、と変哲のない目覚まし時計の音がする。仕事机においてあ
る、彼女自身の、ありふれたトラベル・ウォッチだ。感傷など追い散らして、リリリリリ。
これからの新しい生の展開へ、出発に当たって鼓舞する高らかな鐘を思わせる。すぐれた
幕切れといえよう。
初の演出になる中原俊監督、心理の綾を丁寧に掬い取った作り方で、快調なデビューぶ
りだ。本年劈頭の傑作「天使のはらわた・赤い淫画」(池田敏春)を皮切りに、「美姉妹・
犯す」(西村昭五郎) 「闇に抱かれて」(武田一成)と好編続出のにっかつロマン・ポル
ノだが、ことに新進作家たちの台頭がめざましい。新人が排出しているピンク映画の状況
とあいまって、ひとつの動きを形成しつつある。池田敏春、鈴木潤一、上垣保朗、菅野隆、
岡孝通、水谷俊之、鴨田好史、そして中原俊。このあたりから、また、日本映画の新しい
波が生まれてくるに違いない。】
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だからといって、中原俊に直接会おうとは思わなかった。高校時代以来の再会を果たす
のは、さらに 8 年後 1990 年の湯布院映画祭の特別試写作品として『櫻の園』(90 年)が
上映され、監督が招待された折だった。それ以来、映画祭や東京の酒場でちょくちょく会
っては話をするようになる。高校時代とはうって変わった関係だ。
■中原作品を追い続ける
『犯され志願』の時点に戻ると、映画評論家の立場からは注目の新人監督として追いか
けることになった。
非凡な SM 劇である第 2 作『奴隷契約書 鞭とハイヒール』(82 年/脚本・掛札昌裕、
中島信昭)については、導入で日常生活の部分を臨場感ある着実な表現で押さえてあるた
めに、そこから入る物語で繰り広げられる非日常的な過激 SM との対比が生き、奴隷契約
に基づくおぞましい乱脈生活が「日常」になってしまう倒錯が鮮やかに示されたと評した。
第 4 作『宇能鴻一郎の姉妹理容室』(83 年/脚本・桂千穂、内藤誠)の批評では、原作
をなぞった説明的な映画になりがちな宇能鴻一郎ものにもかかわらず、舞台となる理容室
周辺の空間造形がていねいであると同時に、登場人物たちの人物造形にも血の通ったもの
があるために戯画化されず、人間味豊かなドラマになっていると書いた。
デビューから 3 年間で 8 本のロマンポルノを撮った中原俊の 8 作目が、
『初夜の海』
(84
年/脚本・高田純)である。バブルの只中にあって苦境に陥り始めていたその頃のロマン
ポルノの中にありながら、上滑りの経済的繁栄という世相をうまく皮肉って時代感覚に富
んだ風俗劇に仕立てている。
【中原俊・監督、高田純・脚本とあって、期待にたがわず、開巻から快調だ。テンポ良く、
物語の中にひきこんでくれる。ファースト・シーンは区役所の前。離婚する、と大仰に騒
ぐ若い夫婦がいる。呆れて傍観している身なりのいい中年男。そこへ、貰ったばかりの婚
姻届の用紙をひらひらさせながら、女がやって来た。痴話喧嘩の夫婦をしりめに、男と女
は、仲むつまじく、車で走り去っていく。
次の場面は、夜、男の家だ。趣味のいい豪華な調度に囲まれて、二人は抱き合う。間近
に迫った結婚のことが話題の中心になり、あれこれと親密な会話を交わしながら、ベット
の中へと沈んでいく。で、一転、結婚披露の宴になる。そこでわれわれは、男が招待者の
席に、女が新婦の座にいるのを見る。そう、二人が結婚するのではなかったのだ。男は恋
人、それを平然と招いている。
俄然、背徳の匂いが漂ってくる。女は、自分の美しい友人の席を、わざと男の隣にしつ
らえ、口説いてごらんなさい、と挑発する。女の高校生の妹は、男のところへ寄ってきて、
“よく来られるわね、わたし知ってるのよ”と小悪魔めいてみせる。さらに、女は、男に
スピーチまでさせるのだ。なんとスリリングな披露宴だろう。新婦の友人たちが唄う“く
たばっちまえ!アーメン”の「ウエディング・ベル」も、なまなましく聞こえる。
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宴が終わり、男は女のたくらみ通り、友人を誘惑する。超望遠のカメラが、夜の中に浮
かぶ巨大なホテル、その一室の窓をとらえる。女が、新郎と“初夜”を迎えようとしてい
る。次の瞬間、宙に舞うようにカメラが上へパンすると、最上階のラウンジで男が女の友
人と乾杯している。物語の背徳性が、見事に映像に表われた、すばらしい画面だ。
そして、男は彼女を抱き、恋人のひとりに加えた。何不自由ない資産家、独身を守って
趣味に生きている。そんな男をめぐって、人妻となった女、その友人、ついにはまだ尐女
である妹までが、愛欲をほとばしらせる。美女三人に取りまかれて、至福の生活、かに思
えよう。だがそうでもない。平然と背徳を犯している反面、彼の周辺には、どことなく、
どす黒い不安感が漂っている。“投資ジャーナル”もどきの悪質投資屋にひっかかってい
く気配。それ以上に、満ち足りた暮らしとうらはらの、時折襲ってくる空虚な気分がある。
三人の美女と戯れながら入浴する快楽にあふれた時間の最中、石鹸の泡に足を滑らせて
高ころびに転ぶ男。この瞬間をストップ・モーションに閉じ込めて終わる結末は、映画全
体に漂う不安定感を象徴しているかのようだ。結婚披露宴に代表される華やかさ、順調さ
の裏にあるおぞましい背徳、えたいの知れぬ不安感がみごとにうがち抜かれている。結婚
という社会公認の制度を扱いながら、伊丹十三監督『お葬式』のような表層のうがちでな
い奥のところまで、突き通してみせた。
ただ、不安の影は示されているものの、その実体がどうなってくるか、すなわち、背徳
の生活の行く末はどうなるのか。兄妹の愛情という禁断の为題に一作ごとににじり寄って
いった同じ高田純・脚本『ピンクのカーテン』(上垣保朗監督)のように、『初夜の海2』
以下へ連なっていくことを切望する。】
しかし、このしゃれた映画の続編が作られることはなかった。中原俊はロマンポルノを
離れ、小泉今日子为演の『ボクの女に手を出すな』(86 年)、烏丸せつ子为演の『メイク・
アップ』(87 年)と、一般映画で活躍するようになる。そして『櫻の園』(90 年)でキネ
マ旬報ベストワン、監督賞、芸術選奨新人賞など多数の賞に輝く。
だが、後年撮った『歯科医』(00 年)や日活ロマンポルノ復活のリメイク版『団地妻 昼
下りの情事』(10 年)を見るにつけ、この監督の資質はロマンポルノ(及びロマンポルノ
的な作品)にこそ最も向いていると思えてならないのである。
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