富士特だより 第5号

平成 22年度
富士特だより
平成 22 年 9月 1日
第5号
受けとめる
ゆっくりと 子どもと向き合い、ゆったりとした気持ちで 子どもを受けとめることができると、いつもは
見えていなかったことが見えたり、 こんなことができるようになったのかと 子どもの成長に気づいたり
することがあります。 この休み、少なからず そんなことを感じたことはありませんでしたか。
また、普段できないことや、知り合いや親戚に会ったり、家族で出かけたりと、それぞれの御家庭
で、有意義な夏休みを過ごされたことと思います。
ここで、 昆虫博士の名和秀雄さんの「子どもの目が輝くとき」から一文を紹介させていただきます。
名和秀雄さんは、第4代 名和昆虫研究所長、名和昆虫博物館長を勤め、昆虫研究のかたわら、
多くの講演会、TVの司会やDJをこなすなど、自然を通して教育にも力をいれている方です。
夏休み 昆虫博物館の入り口で、
子 「 ヘラクレスオオツノカブトムシがあるんだって。 お母ちゃんヘラクレス見ようか。」
母 「 そんなもの動かないよ。」 子 「だって見たいもの。」
母 「 なによ、虫けらなんか。」 子 「見たいんだもの。」
母 「 うるさいね。お前一人で見ておいで、 ほら100円。」 子 「 お母ちゃんは。」
母 「 虫なんて、気持ち悪い。」
そんなお母さんこそ、自分の方がよっぽど気持ち悪い顔をしているのですね。
今まで、お父さん、お母さんと一緒だったのに 一人で博物館に入るのですから、しばらくの間です
が家族と離れることになるわけです。そんな時、子どもというものは、非常に不安になるのです。
入るには入ったけれど、なんとなく不安ですから、虫なんてよく見ていません。それに知らない人がた
くさん周りにいるので、そわそわ、うろうろするだけです。しばらくすると母親が、入り口から顔を出し、
「 ぼく早くおいで、お父さん外で待っているのよ。 何、まごまごしているの。 行っちゃうわよ。」
子どもは一応入っただけで、何も見ていないのですが、母親に呼ばれるものですから、もう不安にな
って急いで出てきます。
「 ぼく、何かわかった。 何見てきたの。 分からないの。 ほーら100円損した。」
―中略―
奈良の博物館でのことです。
母親と小学校5年生ぐらいの女の子と幼稚園児でしょう 小さな男の子3人が見ていました。
母親は、仏像が好きなようで熱心に見ています。女の子は、仕方なく母親に付いて歩いていましたが
、もう一人の子は 小さな男の子ですから、おもしろくないのでしょう。ガラスケースの間を走り回っていま
した。そして、時々、母親を確認するように 戻ってきて体に触れ、また走り回っています。
ひょいと見上げると 仏像の鼻がないのに気づいたようでした。 「 あれ、鼻がないや 。」
すると母親は、「 これ古いのよ。ほら、この前台風で門が倒れた時、お父さん柱を抜いたでしょう。 そ
したら、シロアリが食べてボロボロになっていたでしょう。木はね、長いこと土の中に埋まっていると、あん
な風に腐ってしまうの、この仏様も 地震か何かで家が倒れて土に埋まっちゃったんでしょう。
後から
掘り出したので鼻や手が腐ってしまったの。」 と 話しました。
すると、子どもは、「 古いのか。」 と 一言うなずいたのです。
天正何年とか、明和何年とか言うのではありません。ただ子どもなりに、古いということは こういうことだ
と悟ったと思います。 これは素晴らしい母親です。
昆虫博物館での母親とはずいぶん違うなと、 顔を見たのですが、 とても美人でした。
私たち大人は、子どもと向き合うなかで、子どもの言葉や、表情、ちょっとした仕草を受けとめます。
私は、人として、親として、それをできた時は 素直に喜びを感じます。 そして、それ以上に できなかっ
た時は、悔しさ、自分の不甲斐なささえ感じることもあります。相手が子どもであれ 大人であれ 相手
のそれを受けとめることを これからも大切にしていきたいと思います。
今学期もどうぞよろしくお願いいたします。
川 端 正 則