日本マーケティング協会50年の歩み

社団法人
日本マーケティング協会
50年史
半世紀のあゆみ
社団法人 日本マーケティング協会の目的
本会は、マーケティングに関する調査及び研究、研修会及びセミナーの実施、
情報の収集及び提供、国際交流等を行うことにより、マーケティングの普及啓
発及び産業活動の効率化を図り、もって我が国経済の発展及び国民生活の向上
(定款 第3条)
に寄与することを目的とする。
日本マーケティング協会策定(1990)「マーケティング」の定義
マーケティングとは、企業および他の組織盧がグローバルな視野盪に立ち、顧客蘯
との相互理解を得ながら、公正な競争を通じて行う市場創造のための総合的活
動盻である。
註
(1)教育・医療・行政などの機関、団体を含む。(2)国内外の社会、文化、
自然環境の重視。(3)一般消費者、取引先、関係する機関・個人、および地
域住民を含む。(4)組織の内外に向けて統合・調整されたリサーチ・製品・価
格・プロモーション・流通、および顧客・環境関係などに係わる諸活動をいう。
Marketing refers to the overall activity by which businesses
and other organizations, adopting a global perspective and
gaining the understanding of their customers, create markets
(英文註記は省略)
through fair competition.
JMA創立50年史発刊に寄せて
ご挨拶
社団法人 日本マーケティング協会
会長
鳥井 道夫
情報や参入の垣根が低くなった結果、我々の予想をはるか
に上回るスピードで変化が進んでおり、産業構造の大きな転
換が起こりつつあります。これにともない多くの企業はかつ
て経験したことがないような内外からの熾烈な競争にさらさ
れており、一方ますます価値観が多様化しその動向が読みに
くくなってきている生活者に対する対応に追われております。
今こそ企業の経営の各局面にわたって優れたマーケティング
を実践することが求められており、その成否が企業隆盛の鍵
を握っているとさえ申しあげても過言ではないと思います。
当協会は設立以来50年、常に会員の皆様方の側に立って課題
解決に努め産学の強い絆のもと意欲的な活動を展開しその輪
を国内だけにとどまらず海外まで拡げて参りました。
今後より一層活動を充実し十分ご期待にお応えして参りたい
と思っております。
概
説
日本マーケティング協会
50年史
半世紀のあゆみ
目
次
概
説
Ⅰ.
日本マーケティング協会 創設 1957・10・7 ……………… 2
Ⅱ.
道面豊信第1代会長時代(1) 1957∼1962 ………………… 4
Ⅲ.
道面豊信第1代会長時代(2) 1963∼1968 ………………… 7
Ⅳ.
細井徳次郎第2代会長時代
1969∼1972 …………………10
Ⅴ.
鳥井道夫第3代会長期(1)
1973∼1978 …………………13
Ⅵ.
鳥井道夫第3代会長期(2)
1979∼1986 …………………17
Ⅶ.
鳥井道夫第3代会長期(3)
1987∼1991 …………………21
Ⅷ.
鳥井道夫第3代会長期(4)
1992∼1996 …………………25
Ⅸ.
鳥井道夫第3代会長期(5)
1997∼2000 …………………29
Ⅹ.
鳥井道夫第3代会長期(6)
2001∼2003 …………………34
衙.
鳥井道夫第3代会長期(7)
2004∼2006 …………………40
◆ 2007年度譖日本マーケティング協会役員 ………45
◆ 歴代支部長 ………55
◆ 譖日本マーケティング協会の目的 ………表Ⅱ
◆協会策定「マーケティング」定義 ………表Ⅱ
−1−
Ⅰ
日本マーケティング協会
創設
1957(昭和32年)10月7日
20世紀後半、企業経営論の核心となった“マーケティング”
。その産・学協同による
研究・教育・啓発活動のわが国における中核センターとして誕生
敗戦の廃墟からのめざましい復興
昭和31年度の「経済白書」は、“もはや戦後では
ない!”と誇らかに謳いあげた。
敗戦によって多くの都市が焦土と化し、人びとは
明日の糧にも困窮し、産業界も甚大な打撃をうけた
にも拘らず、僅か10年にしてわが国のGNPが戦前
の頂点であった昭和10年を上廻ったからであった。
年平均のGNP伸び率がほぼ8.5%というわが国の
このような目覚しい復興は、連合国のGHQによる
民主化や経済・社会の根底からの構造変革というド
昭和32年10月7日、日本生産性本部で開かれた設立総会。
初代会長に選任された道面氏の就任あいさつ。
ラスティックな占領政策に負うところも大きかった
とはいえ、何よりもわが国民の復興にかける凄まじ
報告会を各地で開催した。
いばかりのエネルギーと、民族が千年来伝統してき
こうした産業界の活溌な胎動を経て、これらの視
た、先進的な海外文明の旺盛な吸収・導入意欲と、
察団に加わった当時の先達ビジネスマンと、野田信
その日本化への咀嚼・適用・再創造の優れて知的な
夫成蹊大学教授(当時)をはじめ、宇野政雄早稲田
能力によるものであった。
大学教授(当時、現在同大学名誉教授・当協会理事
長)など新進気鋭の学者らの精力的尽力によって、
新しい経営思潮“マーケティング”に
鮮烈なショックをうけたアメリカ視察団。
改めて専門視察を行い
先進経営者と新鋭学者により協会創設
昭和32年10月7日、当日本マーケティング協会は、
日本生産性本部の一隅で産声をあげたのである。
マーケティングの理論と技法の研究と
教育・啓発活動を通じて幾多の人材を育成、
企業経営の革新に貢献してきた
日本マーケティング協会の20世紀
かくして、いち早く戦後の荒廃と混迷を抜け出し
たわが国の経済・産業界は、アメリカに象徴される
先進工業国家への成長、発展を目指して、昭和30年
3月、(財)日本生産性本部を創設、生産性向上のた
日本マーケティング協会は、以来50年を閲した今
めの研究、調査と各企業への助言等の活動を開始す
日まで一貫して、近代経営の核心的理念である“マー
ると共に、直ちに第一次アメリカ調査視察団を派遣
ケティング”について、その時々の内外の理論と技
した。
法の研究と、新知見の紹介、普及に率先して努める
そして、石坂泰三氏を団長とするこの視察チーム
は、訪問先の各地で度々“マーケティング”という
とともに、産学協同しての教育活動を通じて幾多の
人材を育成してきた。
耳新しい言葉に接し、新鮮な衝撃を受け、そのわが
国への早急な導入の必要性を痛感して帰国した。
日本マーケティング協会50年の歩みは、文字通り
“わが国のマーケティング研究・普及のセンター”
そこで早速、生産性本部は、同年夏、アメリカか
としての使命と責務遂行の歴史であり、20世紀後半
らマーケティング・コンサルタント・チームを招い
の日本において“マーケティング”がいかに目覚し
てセミナーを開催、続いて翌昭和31年3月には第1
い進化、発展を遂げてきたかの鮮やかな航跡ともなっ
次マーケティング専門視察団が訪米し、帰国後その
ている。
−2−
Ⅰ・1957(昭和32年)10月
協会設立に貢献された方々
(敬称略。社名は略記)
●設立総会で選任された役員(昭和32年10月7日、日本生産性本部ホールで)
会
長
道面
豊信
味の素
取締役社長
顧
問
石坂
泰三
経済団体連合会
会長
向井
鹿松
青山学院大学
教授 商学博士
大塚
肇
大塚工場
取締役社長
金原賢之助
慶應義塾大学
教授 経済学博士
石川
一郎
原子力委員会
委員
渋沢
敬三
国際電信電話
取締役社長
水野
成夫
国策パルプ工業
取締役社長
稲葉
秀三
国民経済研究協会
理事長
吉田
秀雄
電通
取締役社長
高碕達之助
東洋製罐
取締役会長
川北
日本興業銀行
頭取
日本化薬
取締役社長
原
監
事
常任理事
理
事
評議員
禎一
安三郎
小島
新一
日本鉄鋼連盟
会長
井上
春成
日本プラント協会
理事長
永野
重雄
富士製鉄
取締役社長
佐々木吉郎
明治大学
教授 商学博士
足立
正
ラジオ東京
取締役社長
上田
輝雄
早稲田大学
教授 工学博士
上坂
酉三
早稲田大学
教授 商学博士
宮尾
葆
日立製作所
監査役
大河原正太郎
日本特殊鋼
取締役社長
田口
連三
石川島重工業
常務取締役
菱沼
勇
日本機械金属検査協会
理事長
浅野
開作
萱場工業
取締役
吉田
恒臣
資生堂
常務取締役
水上
達三
第一物産
取締役副社長
奥村
驍
電通
企画調査局次長
野田
信夫
日本生産性本部
理事
後藤
達三
日本ナショナル金銭登録機
取締役副社長
谷本
義盛
丸紅飯田
取締役
稲生
平八
森永製菓
常務取締役
宇野
政雄
早稲田大学
教授
関口
猛夫
日本マーケティング協会
事務局長 商学博士
湊
守篤
日本興業銀行
常務取締役
他
50名
矢田
恒久
第一生命保険
常務取締役
他
126名
生産性研究所長
上記設立当初の役員のうち、常任理事と監事の14氏は第1次マーケティング専門視察団のメン
バーで、協会設立の大きな原動力となった方々。
−3−
Ⅱ
道面豊信第1代会長時代(1)
1957(昭和32年)∼1962(昭和37年)
マーケティングの基礎知識の導入・研究と啓発活動
に全力でとりくんだJMA揺籃期
意されていたといえよう。
道面豊信氏が初代会長に就任。
協会活動が力づよくスタート
訪米研修、アメリカの学者・実務家招聘、
最新理論の導入、学習に全力傾注。
「国際マーケティング連盟」加盟
日本マーケティング協会は、設立総会
において、当時既にAMA(アメリカマー
ケティング協会、1937年創立)会員でも
協会創設から昭和37年度までの道面会
あった先進的経営者・味の素㈱の道面豊
長時代第1期は、いわば協会の揺籃期と
信社長を初代会長に選出、同年12月に第
1回事業企画委員会、常任理事会を開催、
もいうべき時代で、その活動は“マーケ
道面豊信氏
ティング”の基礎的知識の学習・研究と、
協会の組織と事業活動計画をまとめ、翌昭和33年初
その知識の1日も早いわが国産業界への紹介、普及
頭から活動を開始した。
に集中して行われた。
因みに、当初の会員は、生産・資本財を主に、耐
具体的にその活動を見てゆくと、第2次のマーケ
久消費財、消費財、サービス業、学者、官庁・団体など
ティング専門視察団、広告専門視察団や中小企業視
多様な個人、法人107社とを含めて約250名であった。
察団の訪米と帰朝報告会を各地で開催、日米マーケ
ティング会議、アメリカの有力学者や実務家を招い
生産の拡大に邁進した成長の牽引役・
基幹産業。消費財メーカーも急速に台頭
てのセミナー、訪日米国貿易使節団との懇談会、原
書講読会などを次々と実施、アメリカの実情の学習
この時期の産業界は、経済の復興・発展の主役で
に全力を傾注した。
あった基幹産業をはじめ、先進工業国へのキャッチ
くしくも後年、日本マーケティング協会の第3代
アップを目指す家電メーカーや自動車メーカーなど
会長となられた鳥井道夫氏は、この広告専門視察団
の新しい第2次産業であり、精力的な設備投資と次々
のメンバーとして参加、帰国後、浦島亀太郎(明治
に導入された新しい技術によって生産力や生産性は
製菓社長)団長とともに報告会で講演されている。
急成長したが、そこでは“生産第一”、何よりも物
そして、1961(昭和36)年には、国際マーケティ
を生産する側の論理や考え方が優先され、市場や消
ング連盟(IMF)結成の呼びかけに応えていち早く
費者の側からの発想はまだ極めて希薄であった。食
加盟、3月にローマで開かれたその設立総会に代表
品や化粧品といった戦前からの消費財メーカーや新
を送った。
しく急成長した家電メーカーなどでは、宣伝・広告
市場調査、輸入などをテーマに研究開始。
機関誌発行、出版・ラジオ・テレビ
での活発な啓発活動
・SPといった活動を重視し、市場調査の手法など
も取り入れられてはいたが、そこでも系統的、包括
的なマーケティングの認識はなお乏しかったといえ
よう。
継続的な活動体制としては、5つの部会を設け、
しかし、早くもこの時期、岩戸景気など消費市場
毎月会合を開いて研究活動を軌道に乗せたが、導入
は高度化し、“自動車熱”と呼ばれた現象や“三種
の先行していたマーケット・リサーチ(市場調査)
の神器”(洗濯機、掃除機、冷蔵庫)が豊かな生活
や、販売業務関連の研究会が精力的に開かれたのと
のシンボルとなった。こうした消費財メーカーの成
並んで“輸出マーケティング”“貿易マーケティン
長、多様化につれて、マーケティングという新しい
グ”“生産財マーケティング”をテーマとする研究
理念や技法が十分に吸収され普及してゆく土壌は用
会がとりわけ活発に行われたのは、輸出促進、貿易
−4−
自由化対策や重化学工業の振興といった当時の産業
から1年間の日本短波放送でのラジオ番組「マーケ
界の緊急の課題を反映して印象深い。
ティング講座」や昭和36年暮から翌年6月まで、
なお、プロダクトプランニング部会では、昭和36
TBSテレビで「マーケティング実例シリーズ」と
年、製品計画のためのチェックリストの作成を企画、
いう教育番組が放映されたのも特筆されよう。
精力的研究を実施。この成果はのちに1冊の本に結
このほか、普及・紹介を目的とした東京・大阪・
実した。
名古屋での特別セミナーや、通産省事務官などを囲
の内外の最新情報を掲載する「マーケティング・ニュー
そして、昭和37年度、5周年を迎えた協会は、記
ズ」と、海外の最新研究論文を紹介する「マーケティ
念事業として、『マーケティング便覧』『マーケティ
ングシリーズ」の2つの機関誌を創刊すると共に、
ング定義集』(AMAの定義の翻訳)『トップマネジ
広く社会に向けての啓発活動として、昭和33年3月
メント55人集』を出版した。
法 人 会 員
度
1958
1959
1960
1961
1962
107
134
185
225
275
288
▲
法人会員
1957
▼
年
▼
んでの4回シリーズの貿易懇談会も開かれている。
▲
そして、会員に対して、マーケティングについて
▼
輸出マーケティング・セミナー
34年10月、中近東地域を皮切りとして、各国別に斯界のエ
キスパートを講師に招き、その国、地域の情勢を分析して
いただくセミナーを実施した。写真は、北米編セミナーで
講演する大来佐武郎経済企画庁総合計画局長
▲
▼
広告管理セミナー
35年8月、箱根富士屋ホテルにおいてのセミナー参加者。前
列中央は、N.H.ボーデンハーバード大学教授。
(
ー
−
▲
)
計▲
新画製
三段品
菱階計
重グ画
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業 た
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共チ
ェ
同ッ
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議リ
ス
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明作
者成
は共
山同
本研
究
二▼
▼
▲
PICTORIAL RECORDS 1957(S.32)∼1962(S.37)
IMF〔国際マーケティング連盟〕設立総会〔準備会〕
36年3月、ローマにおいて、世界の12ヶ国代表が参会し、定款その他について
合意をみた。写真は、右から4人目がロングマンAMA代表。左から1、2人目
が日本代表の深沢兵吾(味の素)
、森崎実(電通)
。
−5−
Ⅱ・1957∼1962(昭和32∼37年)
協会事業を推進されたリーダーの方々
(敬称略、社名・大学名等略記、役職名省略)
●部会による研究活動
協会の背骨となる研究活動は、5部会(市場調査、
マーチャンダイジング、販売業務、広告セールスプ
ロモーション、輸出マーケティング)が設置された。
部会には部会長と幹事が配置され、研究テーマを決
め、最適の講師にご出席いただき、どの部会も毎月
実施することになった。
下記の方々は、各部会の部会長、主な幹事で、協
会の研究活動を盛り上げるために尽力された。
・市場調査部会
部 会 長 野田信夫 (成 蹊 大)、 同 幹 事 染谷
経治(通産省)、石井正哉(三菱石油)
・マーチャンダイジング部会
(のちにプロダクト・プランニング部会と改称)
部会長 宇野政雄 (早稲田大)、同 吉田恒臣
(資生堂)、同幹事 五老信吉 (森永製菓)、同
山本 二(新三菱重工業)
・販売業務部会
部会長 宮尾 葆 (日立製作所)、同幹事 久保
村隆祐(横浜国立大)
・輸出マーケティング部会
部会長 菱沼 勇 (日本機械金属検査協会)、
同幹事 山本 廉(日本貿易振興会)
・広告セールスプロモーション部会
部会長 奥村 驍 (電通)、同幹事 西郷徳男
(日本広告主協会)
●製品計画のためのチェックリスト作成
グループ討議リーダー
昭和36年、プロダクトプランニング部会では、同
一人によるグループ討議で、
「製品計画のためのチェッ
クリスト」を作成しようということになり、製品計
画を着想、評価、研究、計画、決定、実施、統制の
7段階を想定、グループ討議を昭和37年8月まで、
152回にわたる会合を重ねた。参加者は延べ1,268名
に上る。昭和38年7月丸善より出版された。
各段階のリーダーの方々は次の通り。
着想段階リーダー 松村省吾 (岡村製作所)、評価
段階リーダー 鈴木進一(野田醤油)
、計画段階リー
ダー 溝上英男 (森永製菓)、研究段階リーダー
三谷 勇 (八欧電機)、決定段階リーダー 中村
羨一 (石川島播磨重工業)、実施段階リーダー
門山 允 (博 報 堂)、 統 制 段 階 リ ー ダ ー 福澤
宏倫(中井)
この他、上記5部会の 吉田恒臣 、 五老信吉 、
山本 二、石井正哉が幹部として研究に参画。
●外人講師によるセミナー
「マーケティング」思想の理解を深めるため、先
進国アメリカから著名なマーケティング学者を招聘
し、トップマネジメント・ミドルマネジメント、担
当者向けなどに分け、合宿研修や講義を全国的に実
施。
−6−
D.M.フェルプス (アメリカマーケティング協
会・ミシガン大)、N.H.ボーデン(ハーバード大)、
ヴァンス・パッカード(米社会経済文明評論家)
●IMF(国際マーケティング連盟)創設
(於 イタリアマーケティング協会:ローマ)
南北アメリカ地域、ヨーロッパ地域、アジア太平
洋地域に分け、2年に1度全世界の国際会議を開き、
また3つの地域もそれぞれ2年に一度地域の国際会
議を実施することをを決めて創設。日本の代表に日
本マーケティング協会が選ばれ 森崎 実 (電通)
と深沢兵吾(味の素)が設立総会に出席した。
●AMAのマーケティング定義
翻訳研究会リーダー
日本にマーケティング定義がなかったことから、
アメリカマーケティング協会が60年に策定したマー
ケティング定義を翻訳することになり、そのリーダー
を深見義一 (一橋大)にお願いし、後日発行した。
●訪米広告専門視察団
広告専門視察団は、団長 浦島亀太郎 (明治製
菓)。鳥井道夫現会長もその団員として参加。帰国
後各地でアメリカの事情が報告された。
●通産省との懇談会
官庁(通商産業省、経済企画庁等)と密接な関係
を持ち、輸出マーケティングや貿易問題等に関連、
世界各国の実情等について懇談した。
小松勇五郎(通産省)、三島和夫(同)他
●情報誌「マーケティングニューズ」、
研究論文誌「マーケティングシリーズ」
毎月協会が実施する研究会での講師のレクチャー
内容や、最新のマーケティング情報を紹介する「マー
ケティングニューズ」(月刊)を昭和33年3月に創
刊、また内外のマーケティング理論や技法を紹介す
る「マーケティングシリーズ」(月刊)を昭和35年
に創刊した。編集はともに当時の研究部会その他の
部会幹部の協働で行われた。なお、「ニューズ」は
昭和54年の機関誌改編まで続いたが、「シリーズ」
は昭和39年に60号で終刊。
●「マーケティング便覧」、「トップマネージ
メント55人集」
昭和37年、5周年記念事業として、マーケティン
グに関する基本的な事項をまとめた「マーケティン
グ便覧」と、当時の「マーケティングニューズ」の
毎号巻頭に登場した会員社トップのインタビューを
まとめた「トップマネージメント55人集」小冊子を
刊行した。「便覧」の編纂委員は、道面豊信(味の
素、当協会会長)、 茅野 健 (松下通信工業)、
荒川祐吉(神戸大)らで、丸善より出版された。
Ⅲ
道面豊信第1代会長時代(2)
1963(昭和38年)∼1968(昭和43年)
基礎から応用へ、技法を含めマーケティング理論の深化と細分化をはかり
実践への適用・展開に努めて、高度成長に貢献
世界第2位の経済大国へ向けて高度成長を
続け、インフラが充実、消費市場も拡大
『製品計画のためのチェッ
クリスト』
『市場調査事例集』
ほか、活発な出版活動
この時期、日本経済は“いざなぎ景気”と呼ばれ
た大型の好況期(昭和41年)をはじめ、引き続き高
中でも、プロダクトプランニ
度成長を謳歌、人びとは先の“三種の神器”より高
ング部会では、4年余にわたる
額の新しい3C(カー、クーラー、カラーTV)な
熱心な研究活動が『製品計画の
島闢千里氏
ど豊かな生活を求めて消費を年々拡大、多様化して
いった。
ためのチェックリスト』の出版
に結実したほか、トップ向けに第2次研究を実施。
そんな中、わが国は昭和39年にOECD(経済協力
また、引き続き活発な活動を続けた市場調査部会
開発機構)に加盟、先の貿易自由化に次いで為替と
では、新しい「事例研究」を7回シリーズで実施、
資本の自由化を行い、晴れて先進国の仲間入りを果
昭和42年には『市場調査事例集』として出版された。
たし、さらに昭和43年には遂にGNP世界第2位とい
ついで、昭和42年の創立10周年記念には『市場調査
う経済大国に躍進した。
機関リスト』をはじめ『マーケティング定義集』
東海道新幹線、名神高速道路などインフラ整備も
進み、東京には初めての高層建築、霞ヶ関ビルが出
『生産財マーケティング基礎研究』など数種の本を
精力的に出版した。
現した。
アジア・太平洋国際会議開催
をはじめ、多彩な国際交流
一部の企業で本格的な海外進出が始まる一方、チェー
ンストア、スーパーマーケットの急成長など、流通
の変革も始まった。
バンス・パッカード氏をはじめ多くのアメリカの
マーケティング学者やマーケターを招いてのセミナー
初代理事長就任、運営体制を強化。製品多様
化戦略・民力・インダストリアルマーケティング
など研究テーマを多角化、
輸出促進と消費市場拡大を推進
や日米マーケティング協会トップ会談、原書講読会
などアメリカの最新情報の入手にも引き続き力を注
ぐと共に、国際交流も活発化した。まず国際マーケ
ティング連盟(IMF)のアジア太平洋地域大会には
こうした経済社会の急速な発展に対応して、当協
昭和39年・マニラでの第1回、昭和43年・シドニー
会は昭和39年11月、それまで空席となっていた理事
での第3回にそれぞれ代表団が参加、スピーカーも
長に㈱電通専務取締役・島崎千里氏を迎えて運営体
務めた。
制を強化した。そして従来の部会を見直して再編成
さらに昭和41年には、第2回大会を東京で開催し
すると共に、“国際部会”“流通研究部会”“生産財
た。わが国初の本格的国際会議となったこの会議に
マーケティング部会”を改編・新設、研究活動の強
は欧米をはじめ16ヵ国から多数の学者や実務家が来
化をはかった。研究テーマも多様化し、“製品多様
日、大盛会となった。
化戦略”“技術革新”“海外進出”“女性市場”“ユー
この成功を契機に、各部会活動を一層充実したも
ス市場”
“インダストリアル・マーケティング”
“スー
のにするため、従来事務局が設定していたテーマを、
パーマーケットのマーケティング”など、企業の当
幹部会員自らが手がけることになり、より現状に密
面する課題に挑戦する実践的研究が展開された。
着し焦点の合った実践的研究がスタートした。
「民力」の研究もこの時期にスタートしている。
このほか、昭和40年にはIMF本部主催の「世界マー
−7−
ケティング会議」(ニューヨーク)にも代表団が参
なお、この年には産・官・学共同企画による事例
加、2氏がスピーカーを務めた。地域大会やニュー
研究を中心としたユニークな通信講座“マーケティ
ヨークの会議に参加した代表団はそれぞれ、会議後、
ング・アクションコース・流通編”(6ヵ月)も実
東南アジアやアメリカの各地を視察、交流を深めた。
施されている。
法 人 会 員
度
1963
1964
1965
1966
1967
1968
272
234
204
221
236
225
▲
法人会員
▼
年
▼
▲
昭和43年には、市場視察団が韓国を訪れている。
▼
▲
PICTORIAL RECORDS 1963(S.38)∼1968(S.43)
▲
協会の出版物
この期間に出版された出版物
▲
▼
第2回IMFアジア・太平洋地域
会議(東京)
41年5月、東京日生ホールにお
いて開催。写真は開会式で挨拶
する三木武夫通商産業大臣。
▼
第1回IMFアジア・太平洋地域
会議(マニラ)
39年 3 月、開 催 国フィリピンのマカ
バカル 大 統 領に記 念 品を贈 呈す
る日 本 代 表 団 。中 央は森 広 三 郎
(東洋レーヨン)団長。
製品計画のための
チェックリスト
(丸善)
マーケティング
定義集(JMA)
▼
▲
わが国における
市場調査機関
リスト(JMA)
生産財マーケティング基礎研究室
42年1月からスタート。日本の生産財マーケティング
の特殊性を、日本企業の実態を直接諮問調査により研
究した刀根武晴(明治大)を囲んだ研究会風景。
−8−
Ⅲ・1963∼1968(昭和38∼43年)
協会事業を推進されたリーダーの方々
(敬称略、社名・大学名等略記、役職名省略)
●IMFアジア太平洋地域会議
●部会による研究活動
①「民力」の研究
①第1回 フィリピン・マニラ大会(昭和39年)
昭和40年から59年まで毎年「民力」の研究セミ
ナーを実施。そのリーダーの方々は、 佐藤信一
( 日 本 赤 十 字 社 )、 船戸
明 ( 通 産 省 )、
小林三千夫(朝日新聞社)
日本人スピーカー
森広三郎 (東洋レーヨン)、 島崎千里 (電通)、
平賀潤二 (東京芝浦電気)、 石川辰雄 (三菱電
機)、菱沼
②トップマネジメント向け「製品計画のための
チェックリスト」作成グループ
勇(日本機械金属検査協会)
②第2回 東京大会(昭和41年)
日本人挨拶、スピーカー
『製品計画のためのチェックリスト』作成後、
三木武夫(通商産業大臣)、森
治樹(資生堂)、
その補完としてトップマネジメント向けのチェッ
深見義一 (一橋大)、 上岡一嘉 (青山学院大)、
クリスト作成が必要との認識で、 八木悌二 (東
菱沼
洋高圧工業)をリーダーに再度グループ研究。マー
ケティングニューズ誌上で報告。
勇、島崎千里、五老信吉(森永製菓)
東京大会実施にあたり、協会では組織・財務・
会議・接遇・会場登録の5委員会を設置。以下の
③プロダクトプランニング部会−第2次
グループ研究「将来の消費構造」
5委員会の各委員の協力を得て行われた。
道面豊信 (日本マーケティング協会−組織)、
プロダクトプランニング部会では第2次のグルー
田中久兵衛 (三井銀行−財務)、 野田信夫 (成
プ研究を実施。「将来の消費構造」を研究した。
蹊大−会議)、 島崎千里 −接遇)、 森崎
この研究は後に「未来学」研究のはしりとなった。
デオリサーチ−会場登録)
実 (ビ
各グループリーダーは、
吉村司郎(服部時計店)、渡辺 闊(凸版印刷)、
鳥越一良 (サッポロビール)、 赤木徳至 (旭硝
子)、 大野喜通 (小林コーセー)、 松井悦蔵 (日
●石油マーケティングセミナー、
来日外人講師を招いて。
石油連盟の後援を得、石油マーケティングのセミ
ナーを実施。下記外人講師を招いて、わが国の石油
本軽金属)
④生産財マーケティング研究
販売各社、石油スタンド会社等、石油に係る各業種、
日本産業の実態を実地訪問、調査研究し、生産
業界の参加を得て実施した。
財マーケティングを考察した刀根武晴 (明治大)
ウィリアム H・ディ (タ ル サ 大)、 ロー・オル
の研究をもとにグループ討議を実施。日本の生産
ダーソン (ペンシルベニア大ワートン大学院)、
財企業の特殊性の解明に大きな役割を果たした。
マーチン・M・マーシャル(ハーバード大)
⑤日本経済新聞社での電機機器、飲料等の個別
製品の流通調査をもとに問題点等を研究
日経で電機機器、飲料等、個別製品の流通調査
を実施したデータをもとに 八巻俊雄 (日本経済
新聞社)を講師に個別製品の特徴問題点等を研究。
●「市場調査機関リスト」
、
「市場調査事例集」出版
昭和42年、創立10周年記念事業として、市場調査
部会では、わが国初の意欲的な「市場調査機関リス
ト」を出版した。また同部会が開いた5つの講演会
のレクチャーをまとめた「市場調査事例集」小冊子
●通信教育「マーケティング
アクションコース」
も併せて刊行した。
産官学の協働企画による事例を中心とした通信教
育を実施することになり、その第1回目として「流
●原書講読会
通編」の教科書を作成、実施した。執筆者は次の方々。
前期に引続き、アメリカのマーケティング図書の
久保村隆祐 (横浜国立大)、 岸田文武 (通産省)、
講読会が下記講師の方々の指導で熱心に実施された。
村岡茂生 (大蔵省)、 村田昭治 (慶應義塾大)、
岩井主蔵 (日本通運)、 作間映夫 (中研企画)、
井上芳枝(麦酒酒造組合)、大吉
今居謹吾(三菱電機)
豊(雪印乳業)
−9−
Ⅳ
細井徳次郎第2代会長時代
1969(昭和44年)∼1972(昭和47年)
年率10%超の成長で高度工業国家が実現、同時に市民社会に負の問題が生起。
生活レベルまでを視野に入れたマーケティング研究がスタート
にさしかかり、市民、消費者の意識や価
道面会長、島崎理事長が勇退、
細井徳次郎氏が第2代会長、
田丸秀治氏が第2代理事長に就任
値観に変化が現れた時代であった。
エコロジー、ライフスタイル、消費者
問題など、社会から生活レベルまで
が新しい研究テーマに
昭和44年2月、就任以来当協会の基盤
体制と成長への確かな路線の構築に貢献
された初代会長の道面豊信氏が勇退、代
わって先駆的マーケティングを展開され
ていた明治製菓㈱社長の細井徳次郎氏が
田丸秀治氏
このような環境の変化をうけ、マーケ
細井徳次郎氏
ティングは、これまでの、手法を中心と
した、大量販売のための“製品計画”
第2代会長に就任。同時に、昭
“販売計画”
“広告・SP計画”といった個別のフィー
和39年11月より理事長を務め、
ルドでの戦略推進一筋から、人びとのライフスタイ
会長を補佐して協会の発展に大
ルをはじめ幅広く社会的、文化的側面をも視野に入
きな業績をあげられた㈱電通専
れた、いわば生活者レベルからの発想、より経営理
務取締役の島崎千里氏も退任、
念とかかわった次元への転換をはかることとなった。
代わって同社常務取締役の田丸
研究会やセミナーのテーマを拾うと、数回かけて
秀治氏が第2代理事長に就任。
行われた“マーケティングのためのコンピュータ講
座”をはじめ、“サービス産業の成長要因分析”“ド
ル・ショックと円のゆくえ”“生活雑貨の時代”な
産業の巨大化に伴い公害問題が発生、
コンシューマリズムが台頭。
ドル・ショック、円変動相場制など
国際化の波もよせ市民意識が変容
どと共に、
“消費者志向の経済”
“エコロジカル・マー
ケティング”“ライフスタイル変化と企業活動”“新
しい成長模索”などが注目される。
因みに、広告を公共や福祉のためのキャンペーン
細井会長時代は、この時から昭和48年6月までの
に役立てようという趣旨の新しい“公共広告”
(AC)
4年4ヶ月と比較的短かかったが、わが国の経済社
運動がアメリカをモデルにまず関西から始まってい
会が大きな変容を遂げた時期でもあった。
る(昭和41年)。
わが国の経済はこの間も、最終年の昭和48年の第
「広告・SP総合会議」
「国際移動経営戦略
会議」
「マーケティング・カンファレンス」
「商業高校教員対象“市場調査”講習会」
など、意欲的に新規事業にとり組む
一次石油ショックにより戦後初めてのゼロ成長を経
験するまで、初めてのエキスポ・大阪万博の成功や
日本列島改造ブームなど、年平均10%を超える高い
成長を続け、高度工業社会を実現した。かくして人
びとはいよいよ物的豊かさを享受したが、一方巨大
広告セールスプロモーション部会では、消費者心
化した産業界の各種の工場から排出された煤煙や汚
理の変容に対応するため、2日間をかけて討議を行
水によって大気や水質が汚染、俄かに公害問題やコ
う「広告・SP総合会議」を昭和44年に立ち上げて
ンシューマリズムの嵐が吹き荒れた。
毎年実施、また会員社トップが集って講師の話を聴
さらに、コンピュータの普及などの情報化や、ド
ル・ショック、円の変動相場制への移行などの国際
く「トップマネージメントの会」も昭和44年から48
年まで毎年数回開かれた。
化の波も寄せ、わが国の経済社会が一つの曲がり角
−10−
国際交流では、引き続きIMFのアジア・太平洋地
域大会(第4回マニラ、第5回ソウル)に参加した
ング・カンファレンス」を開催、ライフスタイルや
ほか、新しく「国際移動経営戦略会議」を企画(昭
エコロジカル・マーケティングを集中討議。同年に
和46年)、約4週間かけて代表団がアメリカ、翌年
はさらに、文部省・全国商業高等学校長協会共催の
にはヨーロッパを訪問、各地で経営者や学者と討論
講習会の1科目「市場調査」を受託、全国約100名
を行なった。
の教員を対象に5日間の講義を昭和55年まで毎年行っ
また、昭和47年には、創立15周年の記念式典に併
た。
法 人 会 員
度
1970
1971
1972
272
247
243
238
▲
法人会員
1969
▼
年
▼
▲
せ、3日間にわたる大規模な研究大会「マーケティ
▲
文部省より受託 市場調査実技講習会
年8月より毎年夏季に実施。日本全国の商業高校と市場調査科
目を実習している普通高校の教諭を対象に一週間の講習を実施。
▼
▲
国際移動経営戦略会議
年8月。TBS(東京放送)、AMAとの共催で、海外各地で学ぶ
国際移動経営戦略会議が発足した。写真は、その代表団の出発風
景。前列右から2人目が久威智(ライオン歯磨)団長、中央はコー
ディネーターの村田昭治(慶應義塾大)
▼
▼
▲
PICTORIAL RECORDS 1969(S.44)∼1972(S.47)
創立15周年記念日本マーケティング・カンファレンス
47年11月、創立15周年を記念し、マーケティングカンファレンスを開催。
写真は、その講演者。左上より
石原 俊
井関利明
宇野政雄
岡内貞夫
奥住正道
大竹猛雄
川勝 久
衣笠洋輔
小林 敦
五老信吉
佐藤 肇
久保村隆祐
長谷川 古
蛭田栄二
F.F.マウザー
松田穣一
宮川東一郎
水口健次
村田昭治
山川浩二
吉田貴一
W.S.ロイス
−11−
加藤 寛
鳥井道夫
Ⅳ・1969∼1972(昭和44∼47年)
協会事業を推進されたリーダーの方々
(敬称略、社名・大学名等略記、役職名省略)
横山朝衛 (電通)、 村田昭治 、 柳生光章 (東洋
●部会、セミナー活動
①「広告SP総合会議」
レーヨン)
昭和45年から平成8年まで広告セールスプロモー
ション部会の行事として「広告SP総合会議」を
②第5回
韓国ソウル大会(昭和47年)
日本人スピーカー、座長
毎年実施することにした。新聞・雑誌・テレビ・
村田昭治 、 荻原益三 (電通)、 渡辺好章 (城西
ラジオ、クリエイティブ、プロモーション、広告
大)、室井鐵衛 (大広)
主、広告エージェンシーについて、その年毎の傾
向、問題点を討議する。会議推進者の方々は、
●「マーケティングニューズ誌」誌面刷新
小林太三郎 (早稲田大)、 吉田節夫 (キッコー
マン醤油)、永田久延 (ライオン歯磨)
従来、協会のセミナー、研究会等の講義をまとめ
たものを中心として編纂された誌面を、年間テーマ
②「マーケティングカンファレンス」創設
を決め、毎月そのテーマにそった特集記事を専門家
村田昭治 (慶應義塾大)をリーダーに15周年
に執筆いただく形に変え昭和45年から実施。編集ス
を記念し、「マーケティングカンファレンス」を
タッフの方々は、
創設。昭和47年から昭和52年まで毎年実施。
村田昭治、指宿忠孝 (電通)、根本昭二郎 (同)、
③コンピュータ講座
石渡賢一(同)
企業経営においてMIS(マネジメントインフォ
メーションサービス)の導入が叫ばれるようにな
●著名講師の方々とその講演テーマ
り、マーケティングにも取り入れることをめざし、
林雄二郎(東京工業大) 「未来への洞察」
マーケターに対しコンピュータ講習を実施、推進
紅林茂夫 (富士銀行)
ゆくえ」
された中心者の方々は、
酒井重恭(東京理科大)、西尾
「ドルショックと円の
出(三井物産)、
柳井朗人(電通)、花岡輝雄(資生堂)
愛知揆一(外務大臣) 「座談会」
西園寺公一 「これからの日中問題」
④「物的流通」(フィジカルディストリ
堀田
ビューション)のコスト合理化研究
小谷正一(デスクK) 「広告界大地震説」
井上芳枝(麦酒酒造組合)のグループリーダー
により実施された。
鳥井道夫 (サントリー) 「'72年、広告界はど
う変わる」
加藤
寛(慶應義塾大) 「日本経済のゆくえ」
F.マウザー (ウェインステイト大) 「エコ
●「国際移動経営戦略会議」
村田昭治 (慶應義塾大)、 川勝
力(法務省) 「公害罪法案について」
久 (東京放送)
の企画推進により、昭和46年から51年までAMA、
TBSとの共催で訪米研修ツアーを実施。以下の方々
ロジカルマーケティング」
W.レイザー(ミシガン州立大) 「マーケティ
ング計画立案への基本問題」
はその団長。
久
威智(ライオン歯磨)、鳥井道夫(サントリー)、
五老信吉 (森永製菓)、 内藤幸次 (エーザイ)、
村田昭治
●第2代細井会長の手足となり、協会活動
のすべてに細心の心配りと円滑的運営を
進められた方々。
奥田治男(明治製菓)、加戸倫明(同)
●IMFアジア太平洋地域会議
①第4回 フィリピン・マニラ大会(昭和45年)
日本人スピーカー、パネリスト
−12−
Ⅴ
鳥井道夫第3代会長期(1)
1973(昭和48年)∼1978(昭和53年)
第1次オイルショックでのゼロ成長を契機に急変した消費市場に対応、
運営体制の活性化と研究の体系化に向け抜本的改革を断行
いる各部会長や財務委員長などがその主
細井会長が勇退、代わって
鳥井道夫氏が第3代会長に就任
力メンバーとなった。
さらに、“オールタネーター”制を設
昭和48年6月、第17回通常総会におい
け、主力会員社のマーケティング部門で
て、経済社会の厳しい変容に迅速、適確
活躍中の若手幹部を協会の正規会員に迎
に対応する協会活動の展開に精力的に取
え、これら若手気鋭の実務家と学者によ
り組まれた第二代会長、細井徳次郎氏が
るチームによって研究・教育活動の基本
惜しまれつつ勇退、代わってサントリー
(株)取締役副社長の鳥井道夫氏が第3
鳥井道夫氏
からの改革が断行された。
学者・実務家の2人コーディネーターが指導、
ニーズに即応したテーマでの
年間ベースの研究会がスタート
代会長に選出された。
石油ショックと狂乱物価。ようやく
成熟した消費市場の“物離れ”
この新チームは、従来各部会毎に比較的無原則に
たまたま、この4ヶ月後の10月、第一次オイルショッ
随時実施されていた研究活動を改め、その年々にお
クに見舞われたわが国は翌年、戦後初めてのゼロ成
けるマーケティング界で最も喫緊な重要テーマ10件
長となり、さらにその翌年には初のマイナス成長に
を選定し、それぞれのテーマについて年間原則とし
落ち込んだ。
て10回のシリーズ研究を行う年間ベース体制に切り
前期に引き続き市民意識、消費者意識の高まりつ
かえた。これら10の研究会では、いずれも2名(学
つある中、ようやく成熟段階に入っていた消費市場
者1名、実務家1名)のコーディネーターの指導の
では、オイルショックによる狂乱物価の出現などに
もと参加メンバーが自主的に研究を掘り下げ、終了
より、
“物離れ”や“節約は美徳”
“Small is beautiful”
時には論文を作成、一定の条件を満たしたメンバー
といった新しい価値観が次々に生まれた。コンビニ
には修了証書が授与されることになった。現在のア
エンスストアや通信販売が伸長しはじめたのもこの
カデミーの原型がこの時誕生したのである。論文の
頃である。
中にはのちに出版されたものもある。
この年間ベース研究体制は新設された市場調査部
協会財政基盤の強化と運営組織の
抜本的活性化を推進
会での研究会、国際部会の研究会でも同様実施され
ることになった。
こうした消費社会の変容を見据えながら、当協会
この頃の研究テーマを拾ってみると、セミナーで
は、新会長の協会発展によせる強い意欲とリーダー
は“環境変化とクリエイティビティ”
“コミュニティ
シップのもと、昭和48年9月、臨時総会を開催して
・コミュニケーション”“消費者問題、資源枯渇時
運営組織の画期的活性化と研究・教育活動の抜本的
代の企業姿勢”“節約時代におけるファッション・
改革にとり組んだ。
自動車・家電製品の広告”“マーケティング行動の
そして、そうした事業拡大の基盤となる協会財政
社会的かかわり”“生活者利益に貢献する広告活動”
の充実をはかるため、事務局を拡充し会員の増強に
といったように、社会、地域住民、消費者といかに
も精力を注いだ。
共生をはかるべきかを真剣に模索しはじめた経営活
まず協会の運営に関しては、理事会の活性化と理
動全般の視点からマーケティングのあり方を考える
事の若返りをはかり、実際に協会の活動に参画して
という新しい次元にマーケティングが入ったことを
−13−
如実に窺わせるテーマが目につく。
米訪問(ドラッカー、レーザー、コトラー教授らの
また、先に述べた年間ベースの研究会のテーマも
セミナー出席も)、商業高校「市場調査」講習会、
“ソーシャル・マーケティング”“マーケティング
IMF・アジア太平洋地域大会参加など。
情報”“流通システム”“グローバル・マーケティン
昭和50年にはマーケティング・リサーチ研究の一
グ”“サービス・マーケティング”“商圏・エリア・
層の深化をはかるため「市場調査部会」(現マーケ
マーケティング”など、先駆的研究が並んでいる。
ティング開発部会)を新設。新しい体制の研究会活
前期から引き続き昭和52年まで実施された「マー
動を開始した。
ケティング・カンファレンス」や「広告SP総合会
昭和52年には、先の10周年(昭和42年)時と同じ
議」も“新消費時代”“消費者とのインターフェイ
要領により、新版の『1977年版・わが国における市
ス”といったテーマで開かれ、昭和48年には消費者
場調査機関リスト――併載主用情報処理センターリ
団体との座談会も行なわれている。
スト』と20周年記念『トップマネジメント70人集』
が出版されている。
レーザー博士来日講演、
AMA訪日Study Tour、若手学者セミナー。
部会創設でリサーチ研究も拡充
なお、昭和51年には鳥井会長が独自のマーケティ
ング論を披露した著書「和洋
胸算用」を出版。その印税が
こうした充実した定例研究活動に加えて、当協会
協会に寄付された。協会では
はこの間、新しく「若手マーケティング学者対象セ
この寄付金で内外のマーケティ
ミナー」
(昭和50、51年各4回シリーズ)やW.レー
ング関連図書数十冊を購入、
ザー博士の来日講演、AMAの訪日Study Tour歓
従来よりの蔵書と併せて図書
迎セミナーなどを実施。
室を開設、貸し出しサービス
継続事業としては「移動国際経営戦略会議」の欧
法 人 会 員
度
1974
1975
1976
1977
1978
295
312
316
291
290
313
▲
法人会員
1973
▼
▲
PICTORIAL RECORDS 1973∼1978
関西地区懇談会
関西支部結成のために、関西地区会員の
懇談会風景。54年1月18日
−14−
▼
年
▼
▲
を始めた。
10研究会の学者実務家コーディネーター
村田昭治
久
威智
ソーシャルマーケティング研究会
井関利明
川勝
久保村隆祐
山本
二
流通システム研究会
小林太三郎
長谷川芳郎
マーケティングコミュニケーション研究会
衣笠洋輔
玉利
直
グローバルマーケティング研究会
出牛正芳
久
前川
伸
サービスマーケティング研究会
ライフスタイル研究会
終了証書の贈呈式
田内幸一
刀根武晴
室井鐵衛
五老信吉
▼
武
▲
菊地
プロダクトマーケティング研究会
小谷寛三
インダストリアルマーケティング研究会
マーケティング情報研究会
研究成果の出版物
左上 ソーシャルマーケティングの構図 右上 マーケ
ティング情報システム 左下 インフォーマル・コミュニ
ケーション 右下 物流システムの設計と実例
創立20周年記念式と
記念パーティ風景
来日AMA研修チームを迎えての研修会
−15−
宇野政雄
池上
久
マーケティング計画戦略研究会
Ⅴ・1973∼1978(昭和48∼53年)
協会活動を推進されたリーダーの方々
(敬称略、社名・大学名等略記、役職名省略)
これらの研究会の成果は、後に①ソーシャルマー
●協会体制の抜本的改革
協会体制の抜本的強化改革をするため、堀出一郎、
ケティングの構図(税務経理協会)、②マーケティ
青木健 (サントリー)を中心に事務局のあり方の
ング情報システム(日本経済新聞社)、③物流シス
刷新を計った。一方、会員社増強のために、
テムの設計と実例(ダイヤモンド社)として各出版
吉田桂造 ( サ ン ト リ ー )、 鳥居恒夫 ( 電 通 )、
社から発売されるなどの多大な成果をあげた。また、
池上久 (博報堂)、 寺下富雄 (大広)の協力を得、
80年度からはJMAコンベンションとして、毎年の
会員社獲得活動を実施した。また、事務合理化のた
研究成果を発表することになっていった。
め、パソコンを導入、経理システムを確立し、その
指導には、森泰之(花王)、松居国蔵(サントリー)
●セミナー部会の活動
セミナー部会の活動では 坂井幸三郎 (青山学院
の協力を得た。
大)を部会長に、 梶原利博 (電通)、 志津野知文
(博報堂)
、中西将夫(サントリー)を幹事に迎え、
●協会法人化のための設立準備作業
法人化のための準備作業として、まず定款の策定
毎年実施されている「マーケティングカンファレン
のため、 今井茂雄 (サントリー)、 鳥居恒夫 (電
ス」の企画や「広告SP総合会議」の実施に精力的
通)の献身的な協力を得、通商産業省の担当官と前
に取り組んだ。なかでも第6回の広告SP総合会議
後8回にわたり定款策定のために一字一句の検討が
では、テーマを「インフォーマル・コミュニケーショ
深夜にわたるなどして行われていった。
ンの展開」として企画し、多大の成果をあげた。後
にダイヤモンド社がこの内容に興味を示し、講演内
容を主体にさらに加筆補正し、「インフォーマル・
●部会による研究活動
部会毎、毎回随時のテーマによる研究活動から、
昭和49年、学者・実務家の2人コーディネーターが
コミュニケーション」として出版した。
講演者とテーマは、
指導する年間ベースの研究会に改編、10研究会がス
坂井幸三郎 「マーケティング・アイデンティティ
タート。コーディネーターの方々は
の確立とインフォーマル・コミュニケーションの役
・ソーシャルマーケティング研究会
割」、 水口健次 (日本マーケティング研究所)「広
村田昭治(慶應義塾大)、久
威智(ライオン歯磨)
井関利明(慶應義塾大)、川勝
久(東京放送)
(雪印乳業)「新規参入市場における販売店キャン
ペーン」、河村嘉一郎(マネジメントコンサルタン
・マーケティング情報研究会
田内幸一(一橋大)、室井鐵衛(大広)
ト)「販売店における推奨体制の現状とその対策」
、
久威智 「新製品発売期における社内SPの徹底と強
・プロダクトマーケティング研究会
菊地
告・メーカー情報に背を向ける消費者」、嶋田智光
(電通)「オピニオン・リーダーは幻か」、 大吉豊
・ライフスタイル研究会
武(東京理科大)、五老信吉(森永製菓)
化策」、 チャールズ・ヤン 「これからの広告にお
・流通システム研究会
け る イ ン フ ォ ー マ ル 情 報 を ど う 活 用 す る か 」、
久保村隆祐(横浜国立大)、山本
二(三菱自動
小林太三郎 「マーケティング・コミュニケーショ
車販売)
ンの効率化」
・マーケティング・コミュニケーション研究会
小林太三郎(早稲田大)、長谷川芳郎(電通)
●関西地区でセミナーの実施
・グローバルマーケティング研究会
衣笠洋輔(横浜市立大)、玉利
かねてより、関西地区に拠点を設け、在阪企業、
直(日立製作所)
・サービスマーケティング研究会
出牛正芳(専修大)、前川
あるいは関西在住の会員のためのサービスができな
いかを考え、初めて関西地区で「民力の利用法」セ
伸(東レ)
ミナーを実施した。
・インダストリアルマーケティング研究会
電通関西支社の朝倉利景、勝浦利武、サントリー
刀根武晴(明治大)、小谷寛三(旭硝子)
の 堀出一郎 の協力を得、関西地区から93名の会員
・マーケティング計画戦略研究会
宇野政雄(早稲田大)、池上
が参加した。
久(博報堂)
−16−
Ⅵ
鳥井道夫第3代会長期(2)
1979(昭和54年)∼1986(昭和61年)
日本経済絶好調のなか、社団法人格を取得し社会的責任を明確化。
事務局を画期的に拡充、第1回の世界会議を成功裡に開催
ナル化をめざして、昭和54年10月31日、まず関西支
Japan as No.1の時代
部(関西マーケティング協会)を設立、初代支部長
昭和54年、エズラ・ヴォーゲル氏の“Japan as
Number One”が出版され、直ちに邦訳されて大
に山村硝子㈱社長の山村徳太郎氏が就任された(山
村氏は関西マーケティング協会会長を兼務)。
きな話題を呼んだ。
田丸理事長が勇退、佐川幸三郎氏が
第3代理事長に。専務理事制を導入、
濱田嘉昭氏が初代専務理事に就任
たまたまこの年、わが国は第二次石油ショックに
見舞われ、省エネ運動なども行われたが、70年代後
半の日本経済はアメリカすらが脅威を覚えるほどの
力づよい隆盛を達成していた。
昭和59年5月、昭和44年以来2代の会長を補佐、
高度な技術を伴った効率的な生産システムと、終
当協会の飛躍的発展に貢献された田丸秀治理事長が
身雇用、年功序列といった日本型経営がみごとに機
勇退、代わっ
能して無類の輸出競争力を誇った、いわば最盛期が
て第3代理
この昭和50年代から平成元年にかけての時代であっ
事長に花王
た。
(株)専務
G7のメンバーとして初の東京会議を成功させ、
取締役の佐
大国化が一段と進み、貿易摩擦や大店法の改正など、
川幸三郎氏
“外圧”も強まり始めた。
が就任、さ
佐川幸三郎氏
昭和61年には、わが国の国際収支黒字が年々増大
濱田嘉昭氏
らに昭和61
する状況をふまえ、“世界経済との調和ある共存”
年6月には従来事務局長がとり仕切ってきた事務局
を図るため、輸出主導型から内需主導型へと経済構
の体制を画期的に拡充して初めて専務理事制を導入、
造の転換をめざして思い切った規制緩和を実施すべ
初代専務理事に、長年協会の業務推進に積極的役割
きとする先見的な“前川レポート”が発表され、内
を果たしてこられた(株)電通マーケティング局の
外で高い評価をうけた。
濱田嘉昭局次長を迎えた。なお、田丸氏は引き続き
当協会副会長に就任。
昭和54年4月、社団法人格を取得、
協会のナショナル化をめざし、
同年10月にまず関西支部を設立
マーケティング・アカデミーがスタート、
リサーチ部門も研究体制一新。
ランチョン、
サロン、
“ジャーナル”、
“ホライズン”
など新規事業の精力的展開
当協会は、わが国の経済社会がこうしてますます
大型化、国際化、情報化してゆく中で、果たすべき
役割がいよいよ多角化してゆくことを予想し、その
社会的存在と責任を一層明確にするため、それまで
こうして協会運営の体制を強化すると共に、事業
活動もさらなる改革を断行した。
の任意団体から脱皮、社団法人格の取得をきめ、通
まず、従来の研究・教育活動を大幅に拡充、体系
産省に申請、充実した活動の実績と協会の重要性を
化して新しく“アカデミー”の総称のもと、初級者
評価されて、昭和54年4月21日、社団法人化を実現
向けの“ベーシックコース”、中級者向けの“アド
した。
バンスコース”と、幹部クラス向けの“エグゼクティ
そして、“東京一極の協会”という現実から飛躍
して名実共の“日本マーケティング協会”へとナショ
ブコース”の3つのコースを設けて大きく拡充した
(昭和57年)。
−17−
また、マーケティング・リサーチ部会は、“マー
(共に昭和57年)など、わが国初のプロジェクトも
ケティング開発部会”と改称され、幅広い研究体制
開始、昭和61年からは一般会員の海外研修や女性マー
に入った。
ケターの海外研修もスタートした。
さらに、会員の相互親睦と最新情報入手の場とな
“JMAマーケティング国際会議”
開催、
“コンベンション”
“若手研究者助成”
など。
本部事務局が六本木に移転
る“JMAランチョン”(現在の月例会)を新設(昭
和54年)、毎回協会内外の識者を招いてレクチャー
を聴くことにした。そして昭和57年には会員社のトッ
プのためにも“JMAサロン”を設け、年6回、ラ
そして、協会は昭和58年、創立25周年記念事業と
ンチョンと同様、識者のレクチャーを聴く会を開く
して協会史上初めての、文字通りグローバルな
ことになった。
“JMAマーケティング国際会議”を開催した。“日
この時期の各研究会やセミナーのテーマを拾って
本で語ろう新しい成長のチャンス”をテーマに開か
みると、エリア・マーケティング、マーケットセグ
れた本会議にはアメリカ、ヨーロッパ、アジア、ソ
メンテーション、市場細分化戦略、クラスター分析、
連、南アフリカなど世界18ヵ国からトップレベルの
ライフスタイル、生活者・消費者研究、成熟社会で
学者、実務家が参集、国内を併せて700名を超える
のマーケティング、カルチャー・マーケティング、
参加を得て大きな成果をあげ、各方面から高く評価
競争戦略などから、グローバル・マーケティング、
された。
インダストリアル・マーケティング、パソコン塾な
このほか、昭和55年から61年まで、前年のアドバ
ど、まことに多彩、多角化している。
ンスコースの研究成果を総括して発表する“マーケ
機関誌も一新、従来の“マーケティングニューズ”
ティング・コンベンション”を実施。また若手学者
を廃刊、学者会員の研究論文発表の場としての季刊
・研究者の論文募集・研究助成も実施されている。
“マーケティングジャーナル”、情報誌として月刊
関西支部でも創設早々からアドバンスコースの研
“マーケティングホライズン”を創刊した。“マー
究会やセミナーなどの精力的な研究活動を展開した。
ケティングジャーナル”は今日わが国の最も権威あ
なお、昭和59年5月、昭和36年4月以来、東銀座
るマーケティング研究誌として学会でも高い評価を
の電通恒産第3ビル内にあった本部を現在の六本木
えている。
和幸ビルに移転、研究・教育活動の殆どすべてを本
さらに、在日アメリカ商工会議所(ACCJ)との
部内会議室で行うことが可能となった。そして昭和
合同セミナー、女性マーケターのためのセミナー
法 人 会 員
1980
1981
1982
1983
1984
1985
1986
323
341
365
369
380
386
400
446
▲
法人会員
1979
▲
▼
▲
PICTORIAL RECORDS 1979∼1986
社団法人格取得
54年、通商産業省所管の社団法人格を取得。設立総会が丸
の内東京会館で開催
▼
度
▼
年
▼
▲
59年には事務局にコンピュータを設置した。
関西支部設立記念セミナー
JMAのナショナル化を目指し、先ず関西地区に支部を設置。
第1回設立記念セミナーで挨拶する鳥井会長
−18−
▼
▲
▼
▲
業務推進グループの会合
左から宇野達興(凸版印刷)
、
和田充夫(慶應義塾大)
、
濱田嘉昭(電通)右から小館和夫(博報堂)
、
武藤高義(味の素)
、
田中正雄(朝日新聞)
二人おいて森泰之(花王)
▼
▲
▼
女性マーケターのための講座
写真左は鳥井会長、右は司会者の田内幸一セミナー部会長
▲
第1回JMAサロン
ゲストスピーカー河本敏夫(経済企画庁長官)を囲んで
鳥井会長と田丸理事長
−19−
▼
ベーシックコース
写真中央は和田充夫コース委員長
▼
第1回JMAランチョン
鳥井会長と村田慶應義塾大教授の対談
司会は濱田嘉昭(電通)
▲
▲
創立25周年記念JMAマーケティング世界会議とポスター
左から村田昭治プログラム委員長、
カトレスースESOMA元会長、
鳥井会長、
ケリーAMA元会長、
田丸秀治理事長
Ⅵ・1979∼1986(昭和54∼61年)
協会活動を推進されたリーダーの方々
(敬称略、社名・大学名等略記、役職名省略)
∼14日、ホテルオークラで実施。
●業務推進グループの設置
昭和54年4月に社団法人格を取得した後、第
・実行委員長
1回の常任理事会が開かれ、鳥井会長から、名
(電通)
実共に日本のマーケティングセンターとするた
・準備委員会
めに、各理事社から若手マーケター社員を推薦
いただき、協会の諸活動の推進役として協力し
て欲しい旨の提案があり、昭和54年11月に発足
した。
鳥井会長、副委員長
堀出一郎(サントリー)、森泰
之、濱田嘉昭、筒井喜孝(電通)
・財務委員会
佐川幸三郎(花王)、山本市郎
(日本生命)
・会議委員会
鎌田実(電通)、堀出一郎
・プログラム委員会
・接遇委員会
●業務推進グループのメンバー
濱田嘉昭(電通)、立木正夫(サントリー)、
森泰之(花王)、武藤高義(味の素)、宇野達
田丸秀治
村田昭治、水口健次
鈴木忠雄(味の素)、池上久
(博報堂)
・広報・PR委員会
興(凸版印刷)、小館和夫(博報堂)、小林精一
渡辺廣(凸版印刷)、石川
周三(電通)他委員77名の協力を頂いた。
(大広)、田中正雄(朝日新聞社)、鈴木英弘
(毎日新聞社)、永井光昭(中日新聞社)
●JMA出版物の改編
従来発行されていた「マーケティングニュー
ズ誌」を発展的解消し、学術論文誌「マーケティ
●業務推進グループの新事業企画
・創立25周年記念JMAマーケティング国際会議
ングジャーナル」(季刊)、情報誌「マーケティ
・JMAマーケティングアカデミー
ングホライズン」(月刊)に改編した。
・JMAランチョン
・ジャーナル誌
編集委員長
久保村隆祐
・JMAサロン
・ホライズン誌
編集委員長
小柳道男(波)
●JMA のマーケティング教育システムの
確立を目指して3コースを新設
●女性のためのマーケティング講座
(セミナー部会)
・ベーシックコース
昭和60年から、我が国で初めての女性だけを参
マーケティングの基礎講座を新設。昭和57年
加対象としたセミナーを企画、実施した。これ
に開始。業推グループと、和田充夫(慶應義
は女性社員を企業の戦力とすべく実践的なマー
塾大)、上原征彦(明治学院大)、疋田聰(東
ケター養成のための画期的な講座で大変な評判
洋大)を中心にカリキュラムを作成。
となった。
・アドバンスコース
セミナー部会長
田内幸一ほか、吉田節夫
従来実施している10研究会を移行。
(キッコーマン)、米田清紀(大広)、土田貞夫
コース委員長
(カルピス)、松浦祥子(電通ヤング&ルビカ
清水滋(東海大)、井関利明
(慶應義塾大)、大澤豊(大阪大)
ム)の各部会員の協働企画であり、この講座は
・エグゼクティブコース
平成の今日迄続いている。
後に経営幹部開発コースと改称。
村田昭治、田内幸一、田島義博(学習院大)
●関西支部
と業推グループとが協議し、マネジャークラ
昭和54年10月に関西支部が設立された。支部
スを対象に、合宿を含むシリーズ研究を行う
長には山村徳太郎(山村硝子)、運営委員長に
こととした。
荒川祐吉(神戸大)、研究部会長、大沢豊(大
阪大)
、土岐坤(市場調査社)
、セミナー部会長、
田杉競(京都学院大)、藤井修身(藤井リビン
●創立25周年記念JMAマーケティング
国際会議の開催
グ)
業務推進グループの詳細で念入りな企画によ
り、JMA挙げての国際会議を昭和58年9月12
−20−
昭和55年1月より、中西正雄をコーディネー
ターに研究会を実施することになった。
Ⅶ
鳥井道夫第3代会長期(3)
1987(昭和62年)∼1991(平成3年)
景気が過熱する中、創業30周年の記念事業を大規模に展開。
翌年から中長期計画をスタート、事業を飛躍的に拡充
“外圧”による市場開放、民営化など
が進む中、にわかに景気が過熱。
そしてバブル崩壊へ
わが国初のマーケティング賞の贈呈と
博覧会を開催した30周年記念事業
こうして事業運営の体制を充実させた上で、まず
この時期、天安門事件やベルリンの壁崩壊、冷戦
30周年の記念事業として、昭和62年秋、最も優れた
の終結、そして湾岸戦争と、国際政治も激動したが、
マーケティング活動を行いつつある企業を表彰する、
一方わが国の産業界も、折から深刻な貿易摩擦が生
わが国初のユニークな“マーケティング・グランプ
じて米国から規制緩和、内需拡大を強く求められる
リ賞”を設け、併せて、受賞企業をはじめ、めざま
なか、消費税の導入、国鉄の分割民営化など構造改
しいマーケティング活動を展開している協会会員約
革が始動。そして昭和が平成に変わる頃から景気が
60社のマーケティング活動のコンセプトや多彩な活
俄かに加熱、株価や土地・不動産価格の急上昇によっ
動内容、新製品やヒット商品などを展示する“マー
て投機熱が蔓延、金融界をはじめとする産業界が本
ケティング・グランプリ博覧会”を2日間にわたっ
業より一層熱心に不動産投機に奔走したあと、平成
て開催、大きな話題を呼んだ。
3年にはいわゆる“バブル”が崩壊、一転してその
後の長期不況へと突入していった。
またこの年、カナダ・モントリオールで開かれた
AMAの創立50周年記念の世界マーケティング会議
にも参加、Japan
30周年を契機に、専務理事主導で
事務局の拡充と意識改革を進め
会員増強と事業推進体制刷新に着手
Sessionで4氏がスピーチを行っ
たほか、同時に開かれた各国協会のリーダー会議に
も会長、理事長が参加し、力づよい発展の中で30周
年を迎えたJMAを世界に向けてアピールした。
日本経済のこのような激動の中、昭和62年、協会
画期的成果をあげた第1次中長期計画
―九州・北海道支部開設
第2回世界会議、APMF設立、NPO研究
女性マーケター海外研修、etc.
は創立30周年を迎えた。これを契機に、会長、理事
長の意をうけ、濱田専務理事の先駆的構想を中心に、
マクロ経済をも視野に入れたマーケティングの研究
開発を含め、協会事業の飛躍的拡充と刷新に着手し
た。
そして、翌昭和63年、当協会は初めて、20世紀末
まず、協会自身の体力強化をはかるため、事務局
までに日本最初の「マーケティング大学院大学・研
員を増強すると同時に、従来受け身がちだった事務
究所Marketing
局員の意識改革を行い、積極的に提案、実行する行
た中長期計画を実施することを決め、まずその第一
動的事務局へと体質改善を行い、協会の財政基盤で
次5ヵ年計画を立案、実施に移した。
ある会員の増強運動にとりくんだ。
Institute」創設を最終目標に据え
この時期、わが国経済・産業界のこのような激動
一方、事業活動の推進のため、従来の“業務推進
委員会(グループ)”を改組、各部会長からなる
の渦の中、協会の第一次中長期計画は次のようなめ
ざましい成果をあげた。
“事業連絡会”を新設したほか、休眠中であった
念願であった協会のナショナル化では、九州支部
“PR委員会”の再発足や“情報サービス部会”の
(昭和63年)、北海道支部(平成2年)の開設が実
拡充を行い、協会の情報発信体制の基礎固めを行っ
現、九州支部(九州マーケティング協会)初代支部
た。
長には㈱岩田屋会長の中牟田喜一郎氏が、また北海
道支部(北海道マーケティング協会)初代支部長に
−21−
は北海道拓殖銀行会長の鈴木茂氏が、それぞれ就任
層大きく前進した。
された(両氏は各協会会長を兼務)。
因みに、平成2年には民主化した東欧圏のチェコ
そして会員も増加した(約700社、学者会員約200氏)。
やハンガリーからの“マーケティングを学びたい”
事業活動では、情報発信のためのデータベースの
という要請に応えて、講師を派遣した。
整備と“人材バンク”の創設、第2回“マーケティ
“情報化社会”“ボーダーレス時代”での
戦略論などマーケティング革新が
“アカデミー”の主要テーマに
ング・グランプリ賞”贈呈と同博覧会の開催をはじ
め、マーケティングの新しい定義の策定、外国企業
の市場参入ガイドブックMarketing in Japanの発
表、外人講師による在日外国ビジネスマン対象セミ
革新されたアカデミーでのこの期の研究テーマも、
ナー、経営幹部や女性マーケターの海外研修ツアー、
“成熟社会”“高度情報社会”と併せて“ボーダレ
自治体や病院、学校など非営利団体(NPO)マー
ス時代”という時代表現の中での新しい戦略論が主
ケティング研究着手、マーケティング・キャラバン
力となっており、早くも“情報ネットワーク化”
(九州支部)、協会情報誌 JMA NEWSLETTER
“マーケティングのニューパラダイム”や“ブラン
の創刊、学生向け公開講座など。
ド戦略”なども見られる。そのほか、“規制緩和と
そして、何よりも特筆すべきは、8年ぶり2度目
のグローバルな“JMAマーケティング世界会議”
新業態戦略”“生活文化とニュービジネス”と多岐
にわたっている。
の開催と、APMF(アジア太平洋マーケティング
連盟)の提唱・実現であった。
この頃のわが国の好況を偲ばせるユニークなイベ
ントとして、昭和62・63年の2回、アジアNIESや
“JMAマーケティング世界会議”は、平成3年11
ASEANのパワーを実地に視察、ビジネスチャンス
月、協会創設35周年記念事業として“価値多元化社
を探る目的で、ノルウェーの豪華客船“ロイヤル・
会のマーケティング∼21世紀へ向けての顧客満足”
バイキングスター号”での8日間の「洋上セミナー」
という先駆的テーマのもと、アメリカ、ヨーロッパ、
も実施されている。また、平成1年からは、経営幹
アジア、さらに当時のソ連など20ヵ国から30名を超
部開発コースに新しく米国研修ツアーが組みこまれ
えるスピーカー・パネリストをはじめとする101名、
た。
国内からは760名という多数のマーケターが世界か
先に設立された関西支部、そして今期スタートし
ら参集、熱心に21世紀に向けて新しいマーケティン
た九州支部では、共にアカデミーのベーシックコー
グの地平を拓く討議を行い、大きい成果を上げた。
スを開始するほか、アドバンスコースの研究会やセ
また、当協会が数年前から提唱、説得を行って来
ミナーも年を追って充実させた。また平成2年設立
たAPMFもこの時正式の結成を見、世界会議の席
した北海道支部もセミナー活動を活発に行った。
で高らかに宣言を行った。
残念なことに、田丸秀治副会長が惜しくも平成2
度
1988
1989
1990
1991
505
566
603
644
695
▲
法人会員
1987
▲
63年九州支部設立第1回セミナー
▼
▲
PICTORIAL RECORDS 1987∼1991
▼
年
平成2年北海道支部設立第1回セミナー
−22−
▼
法 人 会 員
▼
年1月に亡くなられた。
▲
こうした大規模な事業を通じ、協会の国際化は一
▼
▲
日中会議での鳥井会長のスピーチ
ジャパンマーケティンググランプリ '90
・マーケティンググランプリ受賞企業・団体
総合賞
一 席
花
王㈱
総 合 賞
二 席
日本電気㈱
東京ディズニーランド、
アサヒビール、
トマト銀行、
ビー・エム
・ダブリュー
三 席
松下電器産業㈱
文化活動賞(生活と社会を豊かにする文化活動を積極的に展開した企業・団体)
特別賞
日本コカ・コーラ㈱
サントリー、東急グループ、JR東日本、資生堂
部門賞
ソーシャル賞(社会的に貢献度の高かった企業)
地域貢献賞(地域社会の充実にユニークな貢献をした企業・団体)
一 席
サントリー㈱
長崎オランダ村、名古屋市、世界デザイン博、千葉県・幕
張メッセ、西武セゾングループ、
マイカルグループ・ニチイ
二 席
日本電信電話㈱
環境保全賞(環境保全や省資源に新しい寄与のあった企業・団体)
三 席
㈱日本経済新聞社
ダイエー、日本環境協会・エコマーク、旭硝子、花王
イノベーション賞(これまでになかったイノベーションに貢献した企業)
一 席
アサヒビール㈱
外国企業賞(日本の市場に見事に受け入れられた外国の企業・団体)
二 席
㈱丸
井
日本IBM、日本コカ・コーラ、日本マクドナルド、ベネトン
ジャパン
三 席
㈱フジテレビジョン
特別賞
日産自動車㈱
国際協調賞(グローバルな市場に見事に受け入れられた日本の企業・団体)
パフォーマンス賞(売上・利益・シェアーの増大に顕著な企業)
本田技研工業、
ソニー、八百半デパート、任天堂
一 席
味 の 素㈱
価値創造賞(今までになかった新しい価値を創造、提示した企業・団体)
二 席
㈱イトーヨーカ堂
大塚製薬、後楽園スタジアム、
ヤマト運輸、東芝
三 席
野村證券㈱
話題提供賞(社会的にインパクトのある明るい話題を提供した企業・団体)
特別賞
旭化成工業㈱
三共、学生援護会、
フジテレビジョン、
マガジンハウス
インターナショナル賞(国際性に優れている企業)
自己革新賞(自己革新を通じて再活性化に成功した企業・団体)
一 席
トヨタ自動車㈱
日産自動車、JR東海、川崎製鉄、亜細亜大学
二 席
㈱資 生 堂
三 席
富 士 通㈱
以上37社のグランプリ企業・団体に対しトロフィーと表彰状を贈り
アメリカン・エキスプレス・インターナショナルINC
特別賞
栄誉を讃え、優秀企業に対し表彰状を贈って業績を表彰した。
鳥井会長 日中会議
▼
ジャパンマーケティンググランプリ '87
マーケティング定義の発表
委員長他委員により日本で始めての定義を発表
▲
▼
マーケティング博覧会
▼
▲
▲
マーケティンググランプリ賞と授賞式
坂井幸三郎委員長から贈呈
アジア太平洋マーケティング連盟(APMF)結成
アジア太平洋地域マーケティング連盟結成(経団連会館)
ー
ー
ス 62 ▲
タ 年、洋
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▼
の
−23−
協会活動を推進されたリーダーの方々
Ⅶ・1987∼1991(昭和62∼平成3年)
(敬称略、社名・大学名等略記、役職名省略)
●新規会員獲得のための増強運動とJMA
のナショナル化
PR委員会を活性化し、会員獲得運動を展開した。
なかでも野本英一(第一企画)によるCX系列の入
会 や 、 堀江美雄 ( 全 国 朝 日 放 送 )、 さ ら に 高橋
一朗 (電通)のリーダーシップのもと全電通の協
力を得、地方紙地方局等のメディア各社が入会して
下さった。
また、忘れてはならない方として、 井上健弘
(サントリー)の活躍で飛躍的に関西支部の会員増
が計られた。昭和63年に九州支部が、平成2年には
北海道支部が設立され、それぞれ新会員を迎えた。
●マーケティンググランプリ博覧会と
マーケティンググランプリ賞
①マーケティンググランプリ博覧会
昭和62年秋、JMA創立30周年を記念し、マー
ケティング博覧会が青山学院大学記念館で2日間
開催された。9,325名の入場者を数えた。博覧会
実行委員長 坂井幸三郎 (青山学院大)のもとに
財務、運営・出展・イベント・PRの5委員会を
組織し、委員合計71名の献身的な協力を得て実施
され、マーケティング界初の試みに多大な成果を
もたらした。なお博覧会に出展またはワゴンバザー
ル等イベント提供された企業・団体は72社となっ
た。
②ジャパンマーケティンググランプリ賞
会員社の中から優れたマーケティング活動を行っ
ている企業を選出表彰した。 水口健次 顕彰事業
委員長ほか委員7名により、会員社・学者会員か
らのアンケートにより候補企業をノミネート、
宇野政雄 をはじめとする選考委員会の審査を経
て、総合賞一席に花王、他19社が選出された。
●第2回マーケティンググランプリ博覧会
とマーケティンググランプリ賞
①マーケティング博覧会
平成2年秋、青山学院大学記念館で同じく坂井
幸三郎 を実行委員長に実施。延べ参加者13,730
名。出展会社66社。
ものでないとの基調報告がなされた。これをうけて、
平成1年2月、学者・実務家会員15氏からなる「マー
ケティング定義委員会」(委員長・宇野政雄、第1
グループ委員長・浅井慶三郎)が発足。マーケティ
ング関連学者と協会理事全員に定義案アンケートを
実施するなど、1年余にわたる精力的な討議を経て
日・英語の最終案を作成、理事会承認を経て前記博
覧会当日、青山学院大で発表、内外の関連諸機関に
もPRされた。
●JMAマーケティング世界会議
海外20ヶ国101名と国内760名、招待120名の合計
981名が参加。平成3年11月、3日間にわたりホテ
ルオークラで実施。
・実行委員長 鳥井道夫、副委員長 佐川幸三郎、
・運営委員長 羽柴隆生(テレビ朝日)、
・財務委員長 永井紀芳(サントリー)、
・会議委員長 梶川道夫(ヤクルト)、
・プログラム委員長 田島義博、
・接遇委員長 佐藤孝直(味の素)、
・広報・PR委員長 野本英一 (オフィスL&G)、
他委員合計115名。
・海外マーケター功労者表彰
会議の席上、下記の方々を表彰した。
J.ハイルブラン(AMA会長)、 B.C.ブランシェ
( フ ラ ン ス マ ー ケ テ ィ ン グ 協 会)、 A.デュー
ハースト (オーストラリア)、 姜信浩 (韓国研
究所)、 F.モンティ (ESOMAR)、 頼東明 (中
華民国協会)
●アジア太平洋マーケティング連盟(APMF)
の結成
オーストラリアマーケティング協会の提唱をうけ
て 当 協 会 が 中 心 と な り 、 濱田嘉昭 専 務 理 事 、
渡辺好章 国際部会長らの尽力により、平成3年11
月、当協会主催の世界会議席上、アジア太平洋地域
12ヶ国・地域のマーケティング協会、研究所からな
る本連盟(APMF)結成が宣言された。
●女性マーケターの海外研修
②マーケティンググランプリ賞
総合賞に東京ディズニーランド、他38社が受賞
し、記念のトロフィーと表彰状が贈られた。
●「マーケティングの定義」策定
山内志津子 (資生堂)、 脇田直枝 (電通アイ)、
岡橋葉子 (岡橋研究所)を中心に女性だけのマー
ケター研修を米、欧交互に毎年研修ツアーを実施。
●経営幹部開発コース米国研修
昭和62年秋、協会設立30周年記念事業の1つとし
て、日本商業学会との共催でシンポジウムが開催さ
れ、席上 '85年のAMA4度目の改訂マーケティング
定義について、なお日本の現状からみて満足すべき
−24−
平成1年度より年間の国内研修終了のあと 井関
利明 (慶應義塾大)を総合コーディネーターに毎
年米国研修を実施。
Ⅷ
鳥井道夫第3代会長期(4)
1992(平成4年)∼1996(平成8年)
バブルが崩壊、デフレ型不況の続く中でマーケティングのパラダイム革新
に挑戦して成果をあげた第2次中長期計画
“右肩上り”のわが国経済が初めて直面
した長期構造不況で消費市場が激変
厳しい逆風の中、全力で第2次中長期
計画を推進―マスターコース、総合教育
研究会議の創設。アカデミーホール開設
前期の最終年(平成3年)、日本経済は“バブル”
が崩壊、一転して20世紀末まで続く長期不況時代に
突入した。
産業界がこうした逆風に苦しむ中、当協会はその
再生に力を致すべく、会員各社の温かい理解と支援
戦後幾度かの循環型不況や2度の石油ショック、
さらにドルショックにも見舞われながら、一貫して
のもと、第二次中長期計画の推進に全力で立ち向か
った。
いわゆる“右肩上がり”の成長を続けてきた日本経
まず“会員1000社獲得運動”を展開して財政の強
済が初めて経験する、リセッションではない資産デ
化をはかり、会員社の抱える深刻な課題の解決に一
フレ型の“構造不況”“複合不況”に、政府も行政
層貢献するため、研究活動と教育活動、両面にわたっ
も産業界も適切、迅速な対策を打てず、以後長くわ
てのさらなる革新に懸命にとり組んだ。
が国経済は膨大な不良債権の処理に苦悩する金融不
安の大波をかぶり続けることになった。
アカデミーでは、平成5年にわが国初の、国際的
にも通用しうる「資格認定制度」の“マーケティン
倒産やリストラが進行するなか、平成7年の痛ま
グ・マスターコース”を開講した。このコースは実
しい阪神・淡路大震災やいまわしいオウム事件、さ
務家会員約40名の“マイスター”が21科目・170以
らには金融界、官界の汚職事件など、人びとの不安
上のセッションの膨大なカリキュラムの編成と講義、
や閉塞感には一層濃い霧が立ちこめた。
論文指導を行うというユニークで実践的な研究体制
そんな中、わが国の消費市場は大きく冷え込み、
で実施されている。そして、翌平成6年、その研修
消費者の価値観も変容、“価格破壊”と呼ばれる現
の場として“アカデミーホール”を本部ビル1階に
象や、3J(地味、実質、重質)商品やPB商品、通
開設した。
販や懸賞品広告などが注目された。
また平成7年には、従来の“アドバンスコース”
一方、働く女性の増大や小子化・高齢化もようや
を“スペシャリティコース”と改称、研究内容をレ
く顕著になると共に高度情報化も急進、インターネッ
ベルアップして、プロ・マーケターの育成をめざす
トなどマルチメディアの普及で消費市場は構造の面
ことになった。
からも様相を変え続けた。
平成5年にはさらに、日本マーケティング学会を
さらに、地球温暖化などの環境問題が浮上、国際
設立すべく全国の大学のマーケティング学者を一堂
的にはソ連の崩壊、ECの統合、NAFTAやAPEC
に結集したシンポジウム“総合教育研究会議”の開
の進展があり、ボーダレス化とブロック化が同時に
催と若手学者への研究助成を行ない、以後毎年実施
加速した。
することになった。
このような、内外の政治、経済、社会の激動の大
波に洗われたわが国産業界は、生き残りを賭けてか
このような画期的新規事業を実施したほか、協会
は以下に列挙するような多彩な活動を展開した。
つてなく厳しい苦闘を強いられた。まさに、20世紀
末の“冬の時代”の始まりの5年間であった。
−25−
APMF機関誌創刊、
アジア研修ツアー、
“マーケティング白書”
発表、
NPOシンポジウム、
『マーケティング・ベーシックス』出版、他
マーケティングのニューパラダイム研究に
めざましい成果。支部も精力的に活動
消費市場の激しい変貌に伴い、従来のマーケティ
APMF(アジア太平洋マーケティング連盟)で
は、引き続き指導的役割を果たすほか、情報交換の
ング理論のいくつかがその有効性を失い、それに代
わる新しいパラダイムの構築が急務となった。
ための機関誌“Round Table”の創刊、海外研修ツ
そうした動きのなか、当協会の各研究会のテーマ
アーを行い、香港マーケティング協会主催の国際会
は、“顧客満足(CS)”を講座の中心に据えた新し
議に参加した中国研修ツアー(以後アジア研修ツアー
いマーケティング論が主流となり、“One to One
として毎年実施)、女性マーケターの毎年の海外研
マーケティング”“Relationshipマーケティング”
修ツアー、AMAとの相互会員制度の実現、ESOMAR
“インタラクティブ・マーケティング”“価値多元
東京会議の後援などの国際交流や、NPOシンポジ
化時代のマーケティング”などの革新的コンセプト
ウムの開催、環境マーケティングやヘルス・メディ
の探求、創造に大きな成果をあげた。
カルマーケティング研究(平成8、9年)、そして
インターネットの研究も始めた。
支部の活動も活発となり、関西支部創設15周年の
平成7年には中小企業ベンチャー研究のシンポジウ
さらには、アカデミー・ベーシックコースでの指
ムの開催、関西支部と九州支部での初のアジア研修
導講師たちの積年のレクチャーを集大成した教科書
ツアー、北海道でのアカデミー・ベーシックコース
『マーケティング・ベーシックス』を出版(平成7
の開始など、新しい事業にとり組んだほか、セミナー
年)
。平成4年には、新春シンポジウム、サッチャー
を年を追って拡充させた。
英国元首相を招いての講演会、『JMAマーケティン
ただ、昭和59年以来理事長と
グ白書』の発表を行った。また、マルチメディアの
して、また平成2年5月からは
急速な進展に対応したデータベースの一層の拡充と
副会長を兼任されて会長に協力、
ホームページの開設、さらに、支部会員へのサービ
成熟期を迎えた当協会の事業の
スの拡充をはかるため、昭和62年以来年間数回発行
多角化や国際化に貢献された佐
してきた協会情報誌“Newsletter”に代えて協会の
川幸三郎氏が残念なことに平成
各研究会での協会内外の講師によるレクチャー要旨
4年3月急逝、代わって早稲田
宇野政雄氏
を紙上で紹介する“JMA Report”を平成7年に創
刊した。
大学名誉教授の宇野政雄氏が第
法 人 会 員
度
1993
1994
1995
1996
720
729
732
742
767
▲
法人会員
1992
▼
▲
PICTORIAL RECORDS 1992∼1996
特別ランチョン
M. サッチャーを招いての特別ランチョン 鳥井会長の挨拶
−26−
▼
年
▼
▲
4代理事長に就任。
第1回 マーケティング研究助成
個人の部
・小林 哲(大阪市立大学商学部助教授)
論文テーマ
多品種化戦略に関する考察
−その戦略定石を探る−
・浜岡 豊(東京大学大学院工学系研究科先端学際工学博士課程)
共通化の観点からのマーケティング戦略論の再構築
・村山貞幸(慶應義塾大学経営管理研究科) 連鎖的消費のメカニズムに関する探索的研究
グループの部
テーマ「日本小売企業の対中投資戦略と現世市場行動に関する実証的研究
黄
〓(小樽商科大学商学部助教授)
向山雅夫(流通科学大学商学部助教授)
テーマ「消費者の曖昧な態度と行動の分析
−ファジィ理論と数理統計を総合したマーケティング分析−」
竹村和久(筑波大学社会工学系講師)
原 恭彦(大分大学工学部講師)
総合教育研究会議
スキャナー・パネルデータの分析:競争市場構造、顧客選好
構造、マーケティングミックス効果の統合
グループの部
テーマ「オペレーション概念に基づくサービス・エンカウンターの評価」
代表
村上恭一(神戸大学大学院経営研究科博士課程)
共同研究者 小野譲司(慶應義塾大学大学院経営管理研究科博士課程)
テーマ「マーケティング・ダイアローグに関する研究」
代表
竹村正明(滋賀大学経済学部講師)
共同研究者 小川 進(神戸大学経営学部助教授)
テーマ「生業・下請け企業におけるマーケティング行動の分析」
代表
高嶋克義(神戸大学経営学部助教授)
共同研究者 米山茂美(西南学院大学商学部助教授)
▼
▲
第2回
個人の部
・小林哲浩(関西学院大学高商学部講師)
▲
▼
▼
▲
APMF理事会・ツアー台北会議
前列右から2人目鳥井会長
若年マーケティング研究者に
助成金贈呈
▼
▲
関西支部15周年記念シンポジューム
挨拶する田村正紀神戸大教授
▼
▲
第3回
個人の部
・久米 勉(慶應義塾大学大学院商学研究科博士課程)
テーマ「生活空間へのタイム・アロケーションと消費プロセスの包括的モデル」
・山下裕子(一橋大学商学部講師)
テーマ「ファッション産業における国際分業システムとマーケティング戦略」
マスターコース
終講式における修了証書贈呈を鳥井会長から受ける卒業生と修了証書
−27−
協会活動を推進されたリーダーの方々
Ⅷ・1992∼1996(平成4∼8年)
(敬称略、社名・大学名等略記、役職名省略)
征彦(明治学院大)
●JMAマスターコースの創設
鳥井会長がかねがね提唱されていたマーケティン
グのスペシャリストの養成を目指し、和田充夫教授
●マーケティング教育研究会議の開催と
若手マーケティング学者への研究助成
を中心として国際的に通用する初の資格制度による
産学の絆を一層強めたいとの希望から、全国の大
講座“マーケティングマスターコース”を平成5年
学の学者、研究者と実務家を集め、シンポジウムが
に開設。毎年9月に開講し、毎週1回、翌年7月に
開かれた。一方、若手マーケティング学者に対し助
終了、修了者に「マスター」の称号を授与する。実
成するため、選考委員長 田村正紀(神戸大)他11
学ベースの講座のため、会員企業のなかから幅広い
名の諸先生方に委員を委嘱し、1件100万円の助成
知識と実務経験を持つマーケター40名にマイスター
金を贈呈した。(ともに平成5∼9年)
の称号を授与し、カリキュラム編成、指導講師、1
対1の論文指導を担当していただくこととした。
●NPOマーケティング研究
・マイスター代表 梶川道夫(ヤクルト本社)
関心の高まってきた非営利組織(NPO)マーケ
この講座を立ち上げるため、 岡本慶一 (電通総
ティングの研究を行うため、平成3年に委員会を設
研)、 高橋一貢 (常盤大)、以下の方達の準備委員
置、情報収集などを行う。委員長
会を設け発足にこぎつけた。
西大)。そして平成5、6年にはシンポジウムの開
忽滑谷安弘 (伊勢丹)、 山中正彦 (味の素)、
田辺
洋(花王)、 三好正信(紀文食品)、 山本
(サントリー)、 懸田
豊(千葉商科大)、 野村
(電通)、 佐々木弘太郎 (東芝)、 赤塚
印刷)
、林
渡辺好章 (城
催と情報誌「NON PROFIT MARKETING」の発
亨
行を行った。研究委員長
清
鈴木英弘(毎日企画センター)。
宇野政雄
事業委員長
元 (凸版
辰男(博報堂)、米田清紀(マーケティ
ングソフト)
●顧客満足(CS)、ワン・トゥ・ワン・
マーケティング研究等
①マーケティング開発部会
・顧客満足(CS)研究、他
●35周年記念特別ランチョン
英国元首相のマーガレット・サッチャーを招き、
「21世紀を読む」討論会−「21世紀における女性の
役割」を実施。パネラーは、猪口邦子(上智大)、
牛窪一省 ( R & D )、
コーディネーター
小林和夫(JMRB)
・ブランドエクイティ研究
小池百合子 (参議院)、 坂本春生 (西友)、 阿部
コーディネーター
雍子(くれいん館)。コーディネーター 脇田直枝。
D.A.アーカー(カリフォルニア大)
ランチョン部会と 脇田直枝 、野間佐和子(講談
正(花王)、ゲスト
②経営幹部開発コース
社)のサポートのもとで計画実施され、659名の参
加があった。
陸
米国研修でワン・トゥ・ワン・マーケティングの
研究を行った。コース委員長
井関利明 、幹事
倉本卓次 (博報堂)、 石渡総平 (味の素)の協
力を得、実施。
●『マーケティング・ベーシックス』出版
昭和57年からスタートし、毎年実施されているベー
シックコースの指導講師が中心となり、その講義の
●関西支部15周年記念シンポジウム
内容をまとめたもので、マーケティングの基本用語
平成7年、関西支部開設15周年を記念し、シンポ
と理論、理論と実務の懸け橋の役割を果たす書であ
ジウムを開催することになった。テーマは「マーケ
る。平成7年、同文舘出版より発行され、現在では
ティング新生」。講師は 望月廸憲 (花王)、 筒井
教科書としても多くの大学で使われている。
之隆(日清食品)、浅田
執筆者は、和田充夫の他、尾上伊智郎(武蔵大)
、
イベント委員長
篤(シャープ)。
古川介通 (積水化学工業)と
池尾恭一(慶應義塾大)、斉藤通貴(慶應義塾大)、
業務推進部会長
恩蔵直人 (早稲田大)、 懸田
豊 (青山学院大)、
となり、委員の努力により、支部始まって以来の参
宏(東 洋 大)、 三浦俊彦(中 央 大)、 渡辺
加者が集まり、その後毎年秋に実施されることになっ
住谷
隆之(創価大)、 三村優美子 (青山学院大)、上原
−28−
た。
井上健弘 (サントリー)が中心
Ⅸ
鳥井道夫第3代会長期(5)
1997(平成9年)∼2000(平成12年)
世紀末長期不況の続く中、わが国経済、産業界再生の道を探る革新的マーケティングの創造、
国際会議の断行と、宿願のMarketing Instituteの21世紀初頭創立を柱とした第3次中長期計画を推進
も崩れはじめ、アメリカ型の実力・能力、個性的資
未曾有の経済危機に対処、政府も
金融・産業界も懸命に構造改革にとり組む
質の重視が急速に広まりつつある。
消費態様の変化、“IT革命”の進展―
根底から変容したマーケティング環境。
ポストモダン・マーケティングの台頭
平成9年秋、にわかにタイを初めとするアジア通
貨危機が発生、前期から引き続き長い不況に喘いで
いたわが国の経済・産業界はいっそう深い閉塞感に
包まれ、“ビッグ・バン”と称された金融システム
の大改革が進む中、金融不安は頂点に達した。
そんな中で、マーケティングの環境もまた根本か
ら様変わりをした。
戦後未曾有のこの経済危機に対処するため、平成
不況の中で成熟した消費者は自身の自主的価値観
10年以降、膨大な補正予算や金融機関への公的資金
に叶った個性的で実質的な消費生活を志向し始め、
の投入、破綻銀行の一時国有化、住宅減税の実施を
“不況による冷え込んだ消費マインド”という一括
はじめ、金融監督庁や金融再生委員会の設置、さら
りでは解き明かせない複雑さを見せ、低廉で実質的
には中小企業支援やベンチャー企業の育成、雇用創
な商品の志向と併せて高額なブランド商品の販売も
出などを柱とした“経済新生対策”の立ち上げなど、
伸び続けた。高齢化の進展に伴って熟年層の購買力
政府の懸命な諸策が打ち出された結果、平成11年半
も相対的に増大、減税効果もあってマンションの売
ばからようやく景気は下げ止まり、それまでの激し
行きもかなり堅調に推移した、さらには、インター
い不安感は薄らぎ始めたかに見えた。事実、平成9
ネットなど“IT革命”の進行で在宅のまま様々な
年度から続いたGDPマイナス成長も平成12年には
商品を購入しうる“eコマース”市場が誕生、マー
3年ぶり僅かながらプラスに転じた。
ケティングはこの面でも大きな変革を迫られている。
しかし、90年代好況を続けてきたアメリカ経済に
さらに、地球規模での環境問題への関心の強まり
ようやくかげりが見えはじめたことから、一旦下げ
などといった状況の激変の中で、戦後一環して指標
止まりを見せたわが国の経済は再び深刻な不況へと
となってきた「大量生産・大量消費・大量廃棄」と
逆戻りしはじめた。
いうアメリカ型経済モデルとそれをベースとしたマー
1945年からの戦後日本のめざましい復興、成長、
ケティングの理論や手法の矛盾が露わになりはじめ、
発展の軌跡はかくしてかつてなく陰鬱な閉塞感の中
マーケティングのパラダイムは大きな曲がり角にさ
で20世紀の幕を閉じることになった。
しかかり、根本から刷新、再構築を迫られることと
この間にわが国産業界は、まさに“新しい産業革
なった。
命”ともいうべき変容を余儀なくされた。10年近く
こうして新しく唱えられたのが、それぞれの国や
も続いた長い不況の中での消費の冷え込みをはじめ、
地域の独自の“消費文化”をベースにした多元主義
規制緩和、グローバリゼーションの本格化による外
型の“ポストモダン・マーケティング”論であり、
資系企業の参入、国際的スケールでの競争による合
“自主的個人”をめざし始めた消費者、つまり顧客
従連衡、中小のみならず大企業の倒産、激しいリス
(カスタマー)をメインに据えた“カスタマイズ・
トラ旋風による失業率の増大や新卒の就職難、赤字
マーケティング”である。まさに、世紀末にふさわ
国債の累積など、改革に伴う痛みもまた激しかった。
しい一大転換期であったといえる。
戦後80年代までわが国企業経営の美徳・長所とさ
れてきた“年功序列・終身雇用”や“集団主義”も、
業界内や産官のもたれあいという“護送船団方式”
−29−
平成12年夏に会員企業・上場企業の2000名を超える
21世紀での再生の道を探る国際会議を
不況の中断行。新しいeマーケティングの
研究にとり組み、宿願の
Marketing Instituteの21世紀初頭創設を
めざした第3次中長期計画を推進
多数のトップに対し経営環境の認識、経営における
マーケティングの役割をどう考えるか等につき調査
を実施し、企業のエグゼクティブを対象にしたコー
スを新たに企画するなど、経営トップに対して活発
に働きかけを行った。
このような産業界、マーケティング界の“冬の嵐”
平成12年にはまた実践的原論『インターネット・
の中、当協会もまた一部会員社の脱落や事業参加者
マーケティング・ベーシックス』を、続いて平成13
の減少といった試練に耐えながら新規会員社の獲得
年2月にはマーケター必携の文献案内『マーケティ
に全力をあげるとともに、前期第2次の成果を踏ま
ングレビュー』をそれぞれ出版した。
えて、平成9年、宿願であった“Marketing Institute
各支部の活動もいよいよ充実
=マーケティング大学院大学・研究所”の21世紀初
頭での創設を柱とする、いわば当協会20世紀史の仕
さて、各支部に目を転じると、関西支部が創立20
上げともいうべき第3次中長期計画を策定、さらに
周年、九州、北海道支部がそれぞれ10周年と立て続
その翌年にはこの計画を改編拡充して、産業界の21
けに節目の年を迎え、それぞれに記念事業を行なう
世紀での力強い再生に向けての支援に懸命にとり組
と共に活動も大きく充実した。
んだ。
まず関西支部では長年の念願であった“マーケティ
まず、平成10年4月には、第3次計画最大の柱で
ング・マスターコース関西”スタートの準備が整っ
あった「JMAマーケティング世界会議」を敢然実
たほか、中小企業・ベンチャービジネスがテーマの
施した。“ニュー・マーケティング2001――創造と
セミナー、ブランドマーケティングとベーシックフォ
革新を求めて”をテーマとしたこの国際会議には、
ローアップの両シリーズセミナーや上海マーケティ
折からのアジア経済危機の最中にも拘らず、欧米、
ング視察ツアーを実施。また平成9年には機関紙
アジア諸国から多数の参加者をえて熱い討議が行わ
「JMA Marketing View」
(季刊、タブロイド8頁)
れ、21世紀へ向けての貴重な提言を得るという予期
を創刊、平成11年の創立20周年記念事業として論文
以上の成果をあげ、内外に当協会の存在感を高める
募集を行ない、優秀作3編と支部20年間の活動記録
ことができた。
をまとめた記念誌を発行、同時に“ビジネス・イン
また、この会議を機に、当協会は新しい「世界マー
ケティング連盟」(WMA)の結成を呼びかけ、賛
ターフェイス”シンポジウム(280名出席)を開い
た。
同を得て実現の準備に入った。
九州支部では福岡のほかに熊本、鹿児島、長崎、
このほか、当協会はこの期、第3次計画に掲げた活
佐賀を巡回して開く“実践・企画能力セミナー”、
動を着実に実施、ポストモダン・マーケティング研
アジア九州マーケティング部会のシリーズ研究会や
究会、リスボンでのESOMAR会議の代表派遣、さ
デジタル・マーケティング・シリーズ研究会などを
らに宿願のMarketing Instituteの最終的具体案の
精力的に実施。そして平成9年には機関紙「九州マー
作成を完了した。
ケティングアイズ」(季刊、B5判30頁)を創刊、平
一方、情報化の急速な進展は新たな産業革命とも
成10年には「創立10周年記念フォーラム」シンポジ
いえる産業の変革を各分野にわたって促しつつあり、
ウムを開催、「九州支部10年のあゆみ」冊子を作成
当協会もこのような状況に積極的に対応して、99年
した。
ごろよりIT、eマーケティング研究に本支部をあ
北海道支部では、とりわけ不況の厳しい中、ベー
げて取り組み、アメリカマーケティング協会主催の
シックコースや年間10回前後のセミナーの開催に力
“インターネットマーケティング会議”に参加(平
を注ぎ、平成12年には、創立10周年を迎えたのを機
成12、13年)し、平成13年2月には約500名の参加
に記念講演会を開き、「北海道支部10年のあゆみ」
者を集めて、“eマーケティング会議2001”を東京
冊子を作成した。
で開催した。
さらに近年、経営においてマーケティングの占め
る割合が非常に大きくなりつつある状況をふまえ、
−30−
より、従前からのアカデミー各コースへの参加者も
厳しい不況の中、充実した活動で
幕を閉じたJMAの20世紀
増え、会員の皆様の当協会への期待の大きさと協会
責務の重さを改めて実感させられた年でもあった。
て会員社の伸び悩みに苦しみながら、役員各位をは
年末、本部と関西支部の若手会員諸兄中心のプロジェ
じめ会員の皆様、学者会員の諸先生の惜しみないご
クトチームを立ち上げ、専務、理事各位、事務局も
支援ご協力によって、予期以上の成果をあげること
討議に加わり「21世紀のJMA戦略」構想を策定、21
ができた。特に最終年の平成12年度は深刻な不況の
世紀開幕後のわが国産業界発展に力づよく貢献する
中にも拘わらず、本部・支部共新しい研究会はもと
当協会の先駆的ヴィジョンがまとめられた。
法 人 会 員
度
1998
1999
2000
763
747
666
663
▲
法人会員
1997
PICTORIAL RECORDS 1997∼2000
ビジネス環境の変化の中、マーケティン
グ革新の方向性を見定める。
基調講演“大変革時代をどう読むか”
スピーカー/左:ダニエル・ベル名誉教
授(ハーバード大学)、
右:山崎正和教授(東亜大学大学院)
JMA世界マーケティング会議で開会のあ
いさつを行う鳥井道夫氏(JMA会長)
明日のマーケティング構築に
向けて討議する。
基調講演“明日のマーケティ
ングの方向、役割、可能性”
ス
ピーカー/上段左:福原義
春氏(資生堂会長)
、上段右
:施振栄氏
(イエサー・グルー
プ会長)
、下段左:グラハム
・ルート氏(ネスレS.A.副社
長)
、下段右:チャールズ・
ハースタッド氏(スリーエム副
社長)
6名の講師陣による2日間の会議全体と
各分科会のまとめ
“マーケティングが描く”未来ビジョン
スピーカー:上段左より 青井倫一教授
(慶應義塾大学)
、阿部真也教授(福岡大
学)
、石原武政教授(大阪市立大学)
、
下段左より 亀井昭宏教授(早稲田大学)
、
黒田茂雄教授(北海道大学)
、田村正紀
教授(神戸大学)
▼
年
▼
20世紀の幕を閉じるに当たって当協会は、平成12
▲
総じて平成9年以降は、厳しい経済情勢を反映し
スパー・タンサシチコン氏(元タイ
・マーケティング協会会長)
より鳥
井道夫氏(JMA会長)
へJMA創立
40周年をお祝いして、美しい時計が
贈られた
歓迎レセプション
成田氏(電通社長)
と鳥井会長
−31−
▼
▲
JMA e マーケティング会議2001
パネルディスカッション「e で社会はどう変わるのか」
「JMA e マーケティング会議2001」で開会のあいさつを
行う鳥井会長(JMA)
「JMA e マーケティング会議2001」パネルディスカッション
「e で社会はどう変わるのか」コーディネータ 青井倫一教授
「JMA e マーケティング会議2001」パネルディスカッション
「e で今、何がおきているのか」コーディネータ 御立尚資
(ボストンコンサルティンググループ)
JMA/ESOMAR/ARFとの合同会議
会場風景
ESOMAR事務局長のモンティ女
史とESOMAR日本代表の牛窪一
省 R & D 社長
−32−
Ⅸ・1997∼2000(平成9∼12年)
協会活動を推進されたリーダーの方々
(敬称略、社名・大学名等略記、役職名省略)
●JMA40周年記念「マーケティング世界会議」
平成10年4月13、14日に開催したこのマーケティ
ング世界会議ではJMA役員他多くの会員社の方々
のお力添えをいただいた。即ち、 実行委員長に鳥井
道夫 会長、運営委員長には 堤 禎三 (電通)が就
任。5つの委員会と5つの小委員会を設け、実務の
細かい作業まで、各委員の協力をいただいた。以下
に委員長、小委員長の方々の氏名を紹介する。
・会議委員長 堤 禎三 、副委員長 萩原道雄
(東急エージェンシー)、登録小委員長 斉藤光夫
(電通)、設営小委員長 松井達二 (電通)、会議
小委員長 福島啓介(博報堂)
・接遇委員長 池田守男(資生堂)
・プログラム委員長
宇野政雄 、 副 委 員 長
嶋口充輝
・広報委員長 井上健弘 、副委員長 永井秀之
(第一企画)
、広報小委員長 吉澤一成(サントリー)
、
印刷小委員長 村上徳男(凸版印刷)
・財務委員長 佐治信忠(サントリー)、副委員長
市井雅敏(東京三菱銀行)
●JMAの国際活動を推進された方々
①アジア太平洋マーケティング連盟(APMF)
アジア12団体の定例理事会の開催および同地域
でのマーケターの統一認定資格制度(CPM)の
設定と、資格認定試験の実施。
②世界マーケティング協会(WMA)
APMF、アメリカマーケティング協会、欧州
マーケティング連盟などと協力、98年設立。
③欧州世論市場調査協会(ESOMAR)
JMA、ARF合同会議の開催など。
以上のような全世界とのグローバルネットワー
クによる国際活動を活発に実施していただいたの
は国際部会委員の次の方々であった。
部会長 渡辺好章 副部会長 大坪檀(静岡産
業大)。 小林建夫 (サントリー)、 長谷川 元
(A.C.ニールセンカスタマイズド)、 平井 宏
(花王)、 岡田芳和 (サントリー)、 浜口英昭
(大広)、 岡橋 孜 (電通)、光岡健二郎(東急
総合研究所)、 平田信正 (東芝)、 木村和雄 (ト
ヨタ自動車)、 藤林敬洋 (凸版印刷)、 松井陽通
(茨城大)、大庫孝二(ライオン)
●AMA主催「インターネットのマーケティング会議」
参加と
「eマーケティング会議2001」の開催
①「デジタル・マーケティング最前線研修ツアー」
米国シリコンバレー、パサデナで '98、と'99の
3月に開催された「インターネットのマーケティ
ング会議」にJMAから会員多数が参加。このツ
アーはAMA(アメリカマーケティング協会)と
−33−
の綿密な情報交換を行った上で実施された。
②JMAeマーケティング会議2001
我が国でもIT革命が進展してきたのをふまえ
てeマーケティングの現状と課題を探るべく、
青井倫一 (慶應義塾大)、 松田公春 (電通)の
企画推進とサントリー、電通、博報堂のサポート
により平成13年2月に実施。
●マーケティングイノベーション21プロジェクト
同じく平成13年2月、マーケティングのめざすべ
き方向性を探る研究プロジェクトチームを設置。
委員長 嶋口充輝 委員 石井淳蔵 、 片平秀貴
(東京大)
、竹内弘高
(一橋大)
、
恩蔵直人(早稲田大)、
上原征彦 、 定森 稔(日 本 電 気 )、芳賀 譲 、
(凸版印刷)
、
(味の素)
、
青山繁弘、広村俊悟
梅田悦史
網谷俊介(NTTコミュニケーションズ)、内田和成
(ボストンコンサルティンググループ)、 近藤光雄
(リサーチアンドディベロプメント)、岡本慶一
●九州支部「マーケティングアイズ」創刊
九州地区の会員に協会活動をより身近に認知して
いただくツールとして、平成9年4月、九州支部発
行の上記機関誌(季刊)を発行することになった。
中牟田 九州支部長のもと、 溝内義昭 (長崎ウエス
レ ヤ ン 短 大 )、 山本文夫 ( R K B 毎 日 放 送 )
松村武夫 (西日本新聞)に協力を得、企画内容、
取材活動、執筆活動を精力的に実施。
●関西支部「マーケティングビュー」季刊情報紙
平成10年1月、関西発信の情報を全国に流す機関
紙を創刊。紙面づくり、編集内容、記事集稿等を
水野弘敏(毎日新聞)にお願いした。
●「インターネットマーケティングベーシックス」
出版
マーケティング開発部会(部会長 林知己夫 )
の研究会の一つ「デジタル時代のマーケティングベー
シックス研究会」での研究成果がまとめられ、平成
8年12月、日経BP社より出版された。
執筆者は 小林和夫 (リサーチ・インタナショナ
ル・ジャパン)、 岡橋 孜 、 矢川直弘 (電通)、
及川直彦 ( ネ ッ ト イ ヤ ー グ ル ー プ )、 日高 靖
(博報堂)、 萩原雅之 (ネットレイティングス)、
細井 勉(ブーク・ドット・コム)
●「マーケティングレビュー」出版
「マーケティングジャーナル」誌にシリーズで掲
載されてきた「テーマ書評」から基本的テーマを集
大成、文献案内として平成13年2月、同文舘出版よ
り出版、池尾恭一(慶應義塾大)編。
Ⅹ
鳥井道夫第3代会長期(6)
2001(平成13年)∼2003(平成15年)
引き続く不況からの脱却をめざし、IT社会と成熟市場の進展に対応した
21世紀の「NEW JMA構想」
を策定、その実現に向けスタート
んだ。
大規模テロ、アフガニスタン・イラク戦争、
北朝鮮の核開発、中国経済の急成長など
激動する国際情勢と
構造改革の停滞や社会不安増大の中、
産業界は死力を尽くして不況を克服
その必死の努力が実を結び、中国からの特需など
も追い風となり、平成15年度に入って設備投資や雇
用、個人消費が僅かながら上向きはじめ、実質GDP
がこの年3.2%と久しぶりに高成長を記録、IT関連
業種や自動車、鉄鋼、建設資材など幅広い分野で収
21世紀は、昨世紀末の10年わが国を覆い続けた不
況の暗雲がなお重く垂れこめたまま明けた。
益が改善、日本経済はやっとデフレ不況からの脱却
を果たす明るい陽差しが見えはじめたこの3年であっ
省庁のスリム化、企業会計基準の改定、そして
た。
“IT革命”をキーワードとした景気浮揚策、続い
経済のグローバル化とデフレ下での
成熟市場の変容とIT社会の進展に対応、
マーケティングはニューパラダイムを深耕
て小泉内閣の“聖域なき構造改革”政策がスタート
したものの、郵政や道路公団の民営化、地方分権の
推進などはスムーズに進捗せず、なかなか解消しな
い不良債権、引き続く公的資金の投入、合併や一時
以上のような内外政治経済状況の中で、グローバ
国有化といった銀行・金融界の低迷、そして中小企
リゼーションと成熟段階がますます進行したわが国
業の倒産、高い失業率、冷え込む消費と物価下落が
の消費市場は、不況下で引き続きさまざまな質的変
続くデフレスパイラルの重苦しい閉塞感が平成14年
化を続けた。
度末まで続いた。加えてBSE(狂牛病)や鳥インフ
豊かな高齢層市場の拡大、非婚・晩婚化、少子化、
ルエンザ、凶悪犯罪や少年犯罪の多発など、生活不
貧富の格差拡大、フリーターなど若者の職業観の変
安も高まった。
化、健康志向やスローライフ・シンプルライフ志向
一方、国際社会は、先の見えないイスラエル・パ
などの台頭、そして大量商品の低価格競争、対照的
レスチナ紛争に加えて、平成13年には9・11同時多
に高額・高品質のブランド商品の堅調という2極化、
発テロが勃発、そしてアメリカのアフガニスタンに
個性的購買行動など。
続くイラク戦争突入、アルカイダやイラク武装グルー
さらに、ITの一層の浸透によって企業と消費者
プによる反米テロ、わが国のイラクへの自衛隊派遣、
との関係はマスからパーソナルへと画期的な変化を
さらには北朝鮮による核開発や日本人拉致問題など、
見せるなど、市場は、流通システムやメディアから
21世紀型ともいうべき緊迫した国際情勢が続いた。
消費態様、生活スタイルに至るまで全面的に変容、
そんな中、アメリカやEUの経済も2002年度まで
まさにオールドエコノミーにニューエコノミーが侵
伸び悩んだが、一方アジアでは中国経済が年々めざ
蝕していく複合の時代が到来した。
ましい高度成長を遂げてWTO加盟を実現、中国が
世界経済の主役の座に加わった。
このような環境の変化に対応、マーケティングの
理論と技法は、前世紀末からスタートした“eマー
このような海外情勢の激動の中、深刻なデフレに
ケティング”をはじめ“顔の見える顧客”を対象と
苦悩した産業界では、すべての企業がそれぞれの生
した“リレーションシップ・マーケティング”“カ
き残りを賭けて苛酷なリストラをはじめとするコス
スタマイズド・マーケティング”やブランド価値を
ト削減や経営合理化、新規事業への挑戦に、そして
重視する“ブランド・マーケティング”へとパラダ
後述する通り、成熟市場とIT社会の進展に対応し
イムをさらに大きくシフトすると共に、研究の深化
たマーケティングの革新に、全力を傾注して取り組
を達成、自己革新を続けて不況の脱却に力を尽くした。
−34−
ング・インフォメーションセンター”③マーケティ
「NEW JMA構想」を策定−
“eマーケティング”をキーワードに
会員との関係性を深める革新的ビジョン
をまとめ、21世紀協会活動をスタート
ングの課題について討論、意見交換を行い交流を深
める“eマーケティング・サロン”④マーケティン
グ専攻の学生や研究者を中心に論文やレポートを発
表してもらう“eマーケティング大学”などである。
以上に見たように経済、産業、社会、生活の全般
また第2の戦略関連では、まず教育プログラム開
にわたり劇的な変化が進む中で、当協会は21世紀に
発事業として①マーケティングをベースに経営全般
おいても魅力的な協会であり続けるために今後さら
を学ぶ“エグゼクティブ教育プログラム”②ニュー
にどのような改革、革新を果たしていかねばならな
ビジネス志向のマーケターを対象とした“マーケティ
いのか。
ングプロデューサー育成プログラム”③特定企業向
この大きな課題に対処するため、当協会は昨世紀
けの教育プログラムを編成した“テーラーメイド・
末特別プロジェクトチームを立ち上げて「21世紀の
マーケティングプログラム”④eラーニング事業と
JMA戦略」計画をまとめた。
しての“カスタム化教育プログラム”など。そして
そして、21世紀に入るとともに、これをベースに
研究コンセプト開発事業としては①会員のネットワー
した画期的中長期ビジョン「NEW JMA 構想」を
クを活用してチームを編成し、企業の課題解決を行
策定した。
う“先端実務研究”②グローバルネットワークを使っ
以下、その概要を見ていくことにする。
て海外第一人者を集めての“マーケティング賢人会
まず、この構想実施のベースとなる協会運営の基
議”③新しいマーケティング定義の策定、などが挙
本的スタンスを定めるため、本部事務局の組織を一
げられる。
新、①会員とのインタラクティブコミュニケーショ
このほか、情報発信としては従来から実施してい
ンを中心とした「業務推進本部」、②教育研究機能
る各種研究会の成果発表会やジャーナル、ホライズ
の強化を目的とした「教育研究開発本部」、の2本
ン、Marketing View、マーケティングアイズ、J−
部制とした。
Reportの発行を、また人材交流活動としては従来
そして、後者は将来的にJMA研究所(マーケティ
のサロンや月例会を、継続実施する。
ング大学院大学)として独立させ、更に付加価値の
高いサービスの開発をめざす。
また、“eラーニング”が広く定着していくと受
講のかたちも変わっていく。協会支部所在地以外の
こうして運営体制を改革した上で、改めて事業活
全国各地で、マーケティング勉学の気運も高まって
動を“6つの領域”に分けて整備し、それぞれの領
いる。こうした状況に対応するため、個人や地方の
域で既存の事業に“eマーケティング”をキーワー
企業を視野に入れた会員制度の再検討も併せて行っ
ドとする新規事業を加えて活動を展開することにし
ていく。
た。6つの領域=①教育②研究③情報発信④人材交
流⑤ビジネス交流⑥JMAコミュニティ
当協会は1957年の創設以来、約半世紀にわたる充
そして、活動推進のための“戦略の柱”を2つ立
実した活動で培われた豊かな経験と該博な知見をふ
てた。①会員に向けてのインターネットや電子メー
まえ、会員諸兄との双方向を含めた関係性を一段と
ルなどのインタラクティブコミュニケーションを活
深めることにより、新しい世紀においてもわが国産
発にし、会員との関係性を深めること②教育研究の
業界の発展に先駆的役割を果たすかけがえのない協
分野で付加価値の高いサービスを提供すること
会であり続けることを期し、以上のような革新的ビ
この“6つの領域”と“2つの戦略の柱”の設定
によって、これから想定される新規事業を列記すれ
ジョンを構築、その実現に向けてまず以下のような
事業を展開、21世紀のスタートを切った。
ば、まず第1の戦略関連では、インターネット上に
中国初の本格的マーケティング
シンポジウムに全面的協賛、一方
9・11テロの影響で海外研修ツアーが中断
“JMAコミュニティ”を展開、会員と協会、会員
相互間のインタラクティブコミュニケーションの活
動として①会員同志がビジネスを目的に集まる“e
マーケティング・データセンター”②会員企業が出
今期の特筆すべきイベントの1つに、中国初の本
版している書籍や調査結果を紹介する“eマーケティ
格的マーケティング会議に当協会が全面的協力を行っ
−35−
たことが挙げられる。
ムの研究が精力的に行われた。
市場経済化を進める中国では、平成14年10月、北
平成11年度からスタートした、これら各コースで
京で、政府の公式支援による初めての本格的なマー
の研究成果やマーケティングジャーナル誌掲載論文、
ケティング会議「2002国際マーケティング及び市場
マスターコースの論文などをまとめて発表する「マー
調査研究シンポジウム」を開催した。当協会は、こ
ケティング・コンベンション」も平成13年度には引
の会議にプログラム編成から講師派遣まで参画した
き続き盛会裡に行われた。
のをはじめ、本部、支部、現地から150名が参加し
「マーケティング・イノベーション21」、
「eマーケティング会議」
て意見交換を行った。さらに会員社12社が出展参加
するなど全面的に協力、日中交流に大きな成果をあ
げた。
同じく平成11年度に創設された「マーケティング
このほか国際本部では平成15年度、国際マーケティ
・イノベーション21(MI21)」プロジェクトでは前
ング研究会「グローバル大競争時代のマーケティン
章で述べた通り、平成12年度、企業トップの方々を
グ・イノベーション」研究会(5回)を開いたほか、
対象に経営環境やマーケティングの役割についての
毎年恒例のAPMFの総会や理事会では、引き続き
アンケート調査を行ったが、それによせられた約400
アジアのマーケティングの振興に力を尽くした。
名の方々の意見をもとに、担当学者会員による提言
ただ、それまで毎年実施されてきた「女性マーケ
ターのための海外研修ツアー」と「アメリカデジタ
レポートを作成し、平成13年11月角川書店から『柔
らかい企業経営』を出版した。
ルマーケティング最前線研修ツアー」が平成13年度、
さらに平成14年2月には、同テーマによるシンポ
9・11同時多発テロの影響で中止となる異例の事態
ジウムを本部で開催、同年4月には北海道支部が同
もあった(女性マーケター研修ツアーは平成14年度
プロジェクトのリーダー、慶應義塾大学の嶋口充輝
より復活)。
教授を招いて特別講演会を開いた。
そして平成15年度には第2回目の調査「日米での
本部支部とも、アカデミーのコース拡充、
充実した内容で教育研究活動を実施
国際比較」を企画、平成16年度での実施に向けて、
フレームワークづくり、調査項目の企画検討を進めた。
教育アカデミーでは、マーケティングの意思決定
IT関連では、このほか平成12年に創設した、IT
の次元が高まって事業運営全般に携わるエグゼクティ
時代における社会の変化と企業の対応の仕方を探る
ブクラスのマーケティング研鑚の場が求められるの
「eマーケティング会議」を平成13、14年度引き続
に応えて、約10日間日常業務を離れて合宿、集中学
き開催、多数の参加をえて討議を重ねた。
習を行う新しいコース、“エグゼクティブ・マーケ
ティング・コース”を平成13年7月本部に創設、毎
また、関西支部でも「ITマーケティング会議」
を毎年開催した。
年実施した(於ホノルル、上海、札幌)
。これによっ
“eマーケティング”
“ブランドマーケティング”のほか
直面する課題をテーマに
若手マーケター向けを含めた
多彩なセミナー、シンポジウム
て本部アカデミーは、初心者対象のベーシックコー
ス、中級者向けのマスターコースと、このエグゼク
ティブコースの3部制が実現した。
また、関西支部では平成13年から新たにマスター
コースを開設、北海道支部では平成15年度よりアド
バンスコースを新設した。
セミナー、シンポジウムも、本部支部とも定番の
このほか、本部のマーケティング開発部会(平成
ものが引き続き実施されたほか、海外第1人者のコ
15年度からマーケティング研究開発プロジェクト研
トラー、アーカー氏ら6氏を招いてのセミナー、
究会と改称)での3研究会をはじめ、本部のスペシャ
“eマーケティング”“ブランドマーケティング”
リティコース、経営幹部開発コース、支部でのベー
テーマはもとより、そのほか“メディアの行方”
シックコースやフォーラム部会などの主要研究会も
“個人情報保護法案”
“低価格競争からの脱却”
“ニュー
引き続き実施され、それぞれの研究会では“eマー
フィフティ”“デフレに負けないマーケティング”
ケティング”や“ブランドマーケティング”“カス
等々、企業の直面するさまざまな課題をテーマに多
タマイズド・マーケティング”など新しいパラダイ
彩に行われた。
−36−
また、若手マーケターを対象とした次のような特
別の研究会やセミナーも盛会裡に行われた。
強化するとともに、“テーマ戦略セミナー”などシ
リーズセミナーを新設、先述の通りアカデミー・ア
国際部会が慶應義塾大学ビジネススクールと共同
で開催した「国際マーケティングセミナー」、本部
ドバンスコースや「マーケティング研究会」(5回)
を創設した。
PR委員会が開いた「マーケティング・トレンド・
フォーラム」(5回)、同セミナー部会の「インター
このほか、本部のサロン、本部支部の月例会や定
ネット・リサーチ」や「マーケティング・プランニ
期出版物が充実した内容で継続実施されたのは言う
ング」セミナーなど。
までもない。
地域経済の活性化にも力が注がれ、九州支部では
平成13年度から本部で新しく<eJMA事業>と
アジア・九州をテーマの研究会を継続、そして平成
して、会員企業の事業紹介などを行うサイト「JMA
15年には機関誌「九州マーケティングアイズ」創刊
ビジネスセンター」と毎週発行のeメールマガジン
5周年記念特集号を発行してシンポジウムを開催し
「JMAeマーケティングニュース」がスタートし
た。
た効果も加わり、事務局の努力によって厳しい不況
北海道支部では、札幌ドームの落成記念見学会を
下にも拘わらず新入会員社も増えた。特に今期は、
兼ねたセミナーやJRタワーをテーマのセミナーな
本部支部所在地以外の地方からも初めて入会を迎え
ど。
ることが出来た。
く貢献するため、平成15年度事務局の活動を拡充し
代に対応した事業活動に全力を傾注した3年間であっ
た。会員とのコミュニケーション、ネットワークを
た。
度
2002
2003
663
619
598
▲
法人会員
2001
▲
関西支部マスターコース
開校式
▼
▲
PICTORIAL RECORDS 2001∼2003
北海道支部札幌ドーム見学ツアー
−37−
▼
年
▼
法 人 会 員
▼
以上のように、長びく不況下、成熟市場とIT時
▲
特に、北海道支部は北海道経済の回復により力強
MI21会議
MI21会議
2002国際マーケティングおよび市場調査研究シンポジウム
2002国際マーケティングおよび市場調査研究シンポジウム
2002国際マーケティングおよび市場調査研究シンポジウム
-38-
Ⅹ・2001~2003(平成13~15年) 協会活動を推進されたリーダーの方々
●エグゼクティブ・マーケティング・コース
(ビデオリサーチ)
、西村元延(マンダム)
、高
平成13年7月、事業運営全体に責任を持つエグ
橋達直(ライオン)
、宇野政雄、German Bensch
ゼクティブの立場から、いかに成長の仕組みを構
(ヨーロッパ都市研究ネットワーク)
築・実行していくかを学ぶ場としてエグゼクティ
●マーケティング・トレンド・フォーラム
ブ・マーケティング・コースを創設。
「マーケティングホライズン」編集委員会(委員
・委員長 嶋口充輝
長 西川 徹)の協力で、企業の将来を担う若手
●「柔らかい企業戦略~マーケティング・アンビシ
マーケターを対象に、最新のマーケティング情報
ョンの時代」発刊
を学ぶ。平成15年6月より、年6回。
「マーケティング・イノベーション21」研究プロ
●JMA九州国際マーケティングフォーラム
ジェクトの研究成果をまとめ、書籍を出版。
平成15年に九州支部が創立15周年を迎えたこ
●2002年国際マーケティングおよび市場調査シンポ
とを期に、「九州と東アジア、新しい消費者の台
ジウム
頭と国際マーケティングの役割」のテーマでフォ
平成14年10月28、29日に開催した中国政府とし
ーラムを平成15年11月21日に開催。以下ご講演者
て初めてのマーケティング会議。JMAは当会議の
の方々を紹介する。
協賛団体として、経済発展著しい中国でマーケテ
・鎌田迪貞(九州・山口経済連合会)、阿部真也
ィング導入を目的に、幅広い分野で中国政府をサ
(福岡大)、崔
ポートした。以下にシンポジウム組織委員会委員
有限公司)
、重渕雅敏(東陶機器)
、石井靖幸(三
主席を紹介する。
得利投資有限公司)、趙
・名誉主主席 成 思危(中国全人代副委員長)
、
国総領事館)
、田中浩二(九州旅客鉄道)
、尾野
経 叔平(全国政治協商会議副主席・中華全国
維忠(北京東方維新投資顧問
誠勇(駐福岡大韓民
徹(コアラ)
工商業連合会)
●北海道支部「マーケティングアカデミー<アドバ
・主席 林 宗京(中国工業経済連合会・中国ブ
ンスコース>」
ランド戦略推進委員会)
平成15年10月 第1回スタート
・栄誉主席 鳥井道夫
講師 篠崎雅春、黒田重雄
・副主席 社 金陵(中国工業経済連合会)
、
万 季飛(中国国際貿易促進委員会)
●地域開発に伴なうセミナー 現地見学・講演会
・大会主席団主席 欧 新今(国家経済貿易委員
平成13年6月「スポーツマーケティングの世紀」
会)
、賀 堅(国家統計局)
、孫 樹義(中央大
札幌ドーム見学 講師 海老塚修(電通)
企業委原)
、魏 家福(中国遠洋運輸総司)
、楊
賢足(中国連合通信有限公司)、竺
国第一汽車集団公司)、南
平成14年5月「JRタワーと商業開発」
延風(中
講師 臼井幸彦(JR北海道)
存輝(正泰集団公
平成15年5月「大丸札幌店開業後の状況と今後の
司)
、呂 滑川(華北製薬集団公司)
・栄誉副主席 長沼孝一郎(アサツーディ・ケイ)
、
江頭邦雄(味の素)
、後藤卓也(花王)
、茂木雄
三郎(キッコーマン)、山本英勝(在中国日本
商工会議所)
、鳥井信吾(サントリー)
、池田守
男、中尾英樹(大広)
、俣木盾夫(電通)
、岡村
正(東芝)
、片山松造(東洋ゴム工業)
、足立直
樹(凸版印刷)
、宮川智雄(博報堂)
、塩幡一二
-39-
戦略」 講師 小林泰行(大丸札幌店)
ⅩⅠ
鳥井会長第3代会長期(7)
2004(平成16年)~2006年(平成18年)
失われた10年といわれた不況時代を脱し、
新しい前進の兆しが見えてきた時期
JMA創立50周年を期にさらなる躍進を目指す
不況の暗雲から切れ間が出始め、
景気回復の光が差し込める
手そして直接投資先としてますます重要な関係にな
るだろう。
こうした好材料の後押しもあり、また、企業のこ
21世紀に入ってからも永く続いていた不況の暗雲
れまでの経営合理化や設備投資や新分野への挑戦な
から切れ間が出始め、
漸く回復の光がそそぎ始めた。
ど積極的な努力が実を結び、さらに個人消費の増加
この2002年初めから始まった今回の景気回復は、
などから日本経済成長が堅調なものとなってきた。
2006年11月に57ヵ月を超え、これまで戦後最長であ
また、経済成長のみならず、21世紀型企業として
ったいわゆる「いざなぎ景気」における景気回復期
CSR(企業の社会的責任)をはじめ、企業倫理、環境
間(1965年10月~70年7月:景気拡張期間57ヵ月)
への対応など社会という大きな視点からの取り組み
を上回る回復期間となっている。
が目立った時期であった。
景気回復局面では、企業がリストラにより収益体
日本のマーケティングの節目
新しい時代が始まる
質を改善する中で、雇用・設備・債務の3つの過剰
を解消するという構造調整も進展した。
この景気回復を支えた要因としては好調な中国や
以上のような激変する国内外情勢のなかで、今日
米国を筆頭に世界経済の回復基調をあげられる。さ
の日本のマーケティングは大事な節目を迎えている。
らに、政府の政策的な取組として金融再生の取組に
アメリカからマーケティングを導入して半世紀、こ
よる信用不安顕在化の回避、金融政策を通じての低
の間、未曾有の経済高度成長期から、幾度かの経済
金利環境の維持などもあげられる。
危機、バブル崩壊、長期不況、回復という変化に対
こうした政府による取組と民間部門の厳しい合理
応してきた。その実践を通して、
「需要の充足:売り
化努力が相互に結びついた結果、長期的な景気回復
手市場」から「顧客満足:買い手市場」の流れで推
が実現し、1990年代末から続くデフレは脱却が視野
移してきた。それがいま新しく「企業・取引先・消
に入るなど、新たな成長へ向けたしっかりとした基
費者がそれぞれの分をわきまえて生活の喜びと共栄
盤が整った。
を創り育てていく:成熟市場」の水脈に入った。こ
一方で少子高齢化や日本経済の成長を中心となっ
こ数年の企業倫理、社会的貢献が強く唱えられてい
て支えてきた団塊世代の大量退職などによる生産年
るのは、この新時代の始まりを告げるものではない
齢人口の減少、また低所得者層の拡大など深刻な問
か。
新時代の潮流に対応すべく、マーケティングの論
題も内在している。
国際情勢では各国で相次ぐテロや北朝鮮問題など
理や技法も毎年のように新たに創出され、また消費
緊迫した情勢が続き、また石油価格の暴騰など今後
者の情報リテラシーの多様から、消費に対する知識
の経済成長に影響を与えかねない懸念材料もある。
や行動は激変をし、モノやサービスを消費するだけ
一方、BRICs4ヵ国のうち3ヵ国は世界平均を上
でなく、モノやサービスを介在して企業との対話が
回る高成長を続けている。日本との貿易関係におい
可能となっている。消費者との良好な対話のために
ては中国は輸出入ともに大幅な増加を続け、この10
もマーケティングの担う役割の重要性がますます増
年ほどを振り返っても3~4倍の規模となっている。
すのである。
また対ロシア向けも大幅な伸びとなっている。
BRICs4ヵ国の世界経済に占めるウェイトはドル建
てGDPで約9%となっており、今後の日本の貿易相
-40-
初マーケティング会議「2002年国際マーケティング
21世紀の新しいマーケティング論理・技法の
確立・創出のため果敢に課題に取り組み、
協会の21世紀における役割を明確化
及び市場調査研究シンポジウム」
の協賛団体として、
マーケティング導入を目的にプログラムの作成から
講師の派遣、参加者の募集、シンポジウムの運営に
当協会では企業におけるマーケティング上の課題
いたるまで幅広い分野でサポートした。さらに国内
解決や新しい理論・技法の創出について常に先端的
でも数回にわたり中国マーケティングシンポジウム
な役割を果たしており、企業は今なにをするべきか
を協会アカデミーホールで開催。
明らかにしていくため「21世紀のJMA戦略」を敢行
21世紀も邁進する各支部の活動
する。
2004年11月には九州支部が創立15周年を迎え、こ
本部では前期に引き続き21世紀JMA戦略の一環
である「エグゼクティブ・マーケティング・コース」
れを契機に韓国、中国、九州で「国際観光マーケテ
「マーケティング・イノベーション21」などを行い
ィングフォーラム」の開設が叫ばれ調整の結果、平
好評を博した。
成17年5月20日から22日に、
釜山広域市観光協会と共
「マーケティング・イノベーション21」では前回
催で実施を決定。フォーラムの統一テーマは「釜山・
の経営者の調査に引き続き、事業部門の長の方々を
九州の観光振興とマーケティングの役割」
。九州・釜
対象に実態調査を行った。21プロジェクト委員会で
山の観光関係者が一堂に会し、環黄海地域の観光振
はマーケティング理念が組織全体の生きた血肉・筋
興をテーマにコミュニケーションを深め交流をはか
力とならねばならないという意味の「マーケティン
った。
グ・マッスル」を提唱した(マーケティング・マッ
関西支部では21世紀前後にスタートしたマスター
スルの要素としては情報把握、情報の普及度、情報
コース(平成13年)
、およびベーシックコース(平成
反応度の3つがどの程度反応したのか、その総合力
11年)の各コースは期を重ねるごとに、マーケティ
を持ってマーケティング・マッスル度合いとしてい
ング界で活躍する卒業生も増え、その実績と評価を
る)
。
確かなものにした。
また鳥井会長の提案から、今後の若いマーケター
その他オーダーメイド研修への取り組みなど、時
育成のための「関東10ゼミ討論会」を支援。ここで
代の趨勢に則った柔軟な姿勢でマーケティングの普
はゼミ討論会への理事並びにマイスターの方々が出
及につとめている。
席をし、ビジネス界からのコメントを行いこれから
北海道支部では、主力のベーシックコースとアド
のマーケターに育つべく学生に実際のマーケティン
バンスコースがメイン事業として定着し、着実に実
グに対するアプローチへの示唆を与えた。
績とその評価を積み重ねている。
企業経営とその中心にあるマーケティングも
また、支部会員への情報発信を充実すべく、メー
CSRという観点から新たなるパラダイムが求めら
ルニュースの配信に加え、大学・研究機関・学会と
れているというコンセプトのもと2005年2月3日に
のコラボレーションや協同事業を積極的に展開して
「持続的成長への条件:CSRが拓くマーケティング
いる。
の新たなるパラダイム」という全体テーマで会議を
当協会は2007年10月7日に創立50周年を迎える。
こ
開催し、企業の経営幹部をはじめ広く日本のマーケ
こまでこれたのも会員各社をはじめ、各関係者のご
ティング担当者を対象に、CSRが拓く新しい時代の
尽力の賜物であると実感している。
マーケティングと企業経営のあるべき姿について講
今後さらに経済社会環境は激しく変化を続けてい
演・ケース紹介・パネルディスカッションを行った。
くが、当協会はそれに先鞭をとって対応していくべ
く、この50周年以降を第2の大革新の時ととらえ、
経済成長著しい大国中国と日本との
マーケティング連携強化のために協会が架け橋
となって2国のマーケティング交流を促す
常に時代に先駆的で魅力ある協会であり続けるよう、
産学官の協働でマーケティングの普及に尽力してい
く。
21世紀の国際経済において、成長著しい中国と日
本の連携は非常に重要な事項であり、中国とのマー
ケティングに対する共通認識を深化するため、中国
-41-
ⅩⅠ・2004~2006(平成16~18年) 協会活動を推進されたリーダーの方々
●日本発マーケティング・イノベーションの可能性
●CSRマーケティング会議2005
平成16年7月24日「マーケティングジャーナル
企業経営とその中心にあるマーケティングも
CSRという観点から新たなるパラダイムが求め
100号」を記念してセミナーを開催
られているというコンセプトのもと、2005年2月
・講師 池尾恭一、恩蔵直人、井上哲浩、小林 哲、
3日にCSRマーケティング会議を開催。以下、講
木村美代子(アスクル)
、友澤大輔(ニフティ)
、
師、コーディネーターの方々をご紹介する。
藤田明久(ディツーコミュニケーションズ)、
嶋口充輝、青井倫一、浅井誠一(石井食品)、桑
青木幸弘、上田隆穂、守口
山三恵子(資生堂)
、島田京子(日産自動車)
、斉
丸岡吉人(電通)
、竹内弘高
藤
剛(早稲田大)、
隆(日本アイ・ビー・エム)、藤江俊彦(千
●九州支部「釜山・九州マーケティングフォーラム
葉商科大学)
、廣瀬光雄(マベリック・ジャパン)
、
と研修ツアー
海野みずえ(創コンサルティング)
、高見幸子(国
平成17年5月20~22日釜山広域市で九州支部
際NGOナチュラル・ステップ)
、原 良也(大和証
と釜山広域市観光協会共催により、釜山・九州マ
券グループ本社)
ーケティングフォーラムと研修ツアーを開催。
●関東十ゼミ討論会
フォーラム準備委員会 委員長 溝内義昭
開催日 平成16年12月11日
研修ツアー組織 団長 佐田吉之助
場 所 立教大学
参加者 8大学12ゼミナール3年生が150名
●関西支部「マーケティング・シンポジウム」
テーマ「顧客接点デザインの革新によるブラン
●「経営の意志決定に役立つマーケティング・リサ
ド価値の向上」
平成7年からスタートし、10回目。
ーチを目指して」2005
昭和60年以降継続的に実施している「マーケテ
平成17年1月26日開催。
ィング・リサーチに関する現状アンケート」をも
・コーディネーター 石井淳蔵
とにマーケティング・リサーチの戦略的な活用法
・講師 菅原眞治(江崎グリコ)
、佐藤一雅(ソ
ニーマーケティング)
について報告会を開催。
・講師 近藤光雄、須崎 優(ライオン)高橋直
武(インテージ)、太田恵理子(キリンビール)、
桂木英明(ネスレ日本)
、岡田和喜(マンダム)
●「MI21プロジェクト特別シンポジウム」2005
テーマ「21世紀成長の条件:マーケティング・
パワーの強化に向けて」~マーケティング・マッ
スル(筋力)が新たな成長を創る~
・講師 嶋口充輝、近藤光雄、黒岩健一郎(武蔵
大)
、石井淳蔵、小田部正明
●フィリップ・コトラー教授に学ぶ成功する~次世
代マーケティング
平成16年10月15日にJMA協力団体にて、
・主催:アメリカン マネジメント アソシエーシ
ョン インターナショナル
・講師 フィリップコトラー
-42-
法 人 会 員
年 度
2004
2005
2006
法人会員数
582
581
573
PICTORIAL RECORDS 2004~2006
CSRマーケティング会議2005
開会式であいさつをする青井倫一教授
CSRマーケティング会議2005
CSRマーケティング会議2005
嶋口充輝教授
-43-
平成17年新年賀詞交歓会
平成17年新年賀詞交歓会
平成17年新年賀詞交換会
第22回通常総会
マーケティングコンベンション
eマーケティング会議2006
デジタル・ネットワーク時代のマーケティング革新
-44-
2007年度 (社)日本マーケティング協会 役員の方々
(敬称略、50音順)
●会
長
鳥 井 道 夫
サントリー㈱ 名誉会長
●副 会 長
菊 池 育 夫
大 坪
森永製菓㈱ 社長付チーフアドバイ
ザーコーポレイトブランド担当
静岡産業大学 学長
㈱市場戦略研究所(MSI) 代表取締役所長
星 野 哲 也
大 橋
鳥 井 信 吾
㈱博報堂 関西支社執行役員支社長
サントリー㈱ 代表取締役副社長
亀 井 昭 宏
内 藤 俊 一
早稲田大学 商学部教授
サントリー㈱ 専務取締役 経営企画本部長
河 西
永 井 秀 之
㈱ヤクルト本社 取締役
㈱北海道新聞社 代表取締役社長
俣 木 盾 夫
㈱電通 代表取締役会長
鑓 水 恭 史
九州大学 監事
前 田 新 造
㈱資生堂 代表取締役執行役員社長
花王㈱ MK開発部門MK開発センター
長兼グローバルリサーチセンター長
甘 田 外 成
村 田 正 敏
㈱北海道新聞社 常務取締役広告局長
森
●専 務 理 事
濱 田 嘉 昭
義 奉
㈱TBSテレビ 専務取締役
(社)日本マーケティング協会 専務理事
横 山 敬 一
味の素㈱ 取締役常務執行役員
吉 田 晋 生
●常 任 理 事
秋 重 邦 和
㈱東芝 営業企画室室長
大日本印刷㈱ 常務取締役
安 藤 靖 彦
㈱中日新聞社 東京本社広告局長
力
伊藤ハム㈱ 代表取締役社長
慶應義塾大学 名誉教授
早稲田大学 名誉教授
隆
宮 脇 賢 冶
村 田 昭 治
●理 事 長
宇 野 政 雄
檀
戸 成 富美子
藤 巻 紘 一
渡 辺 良 行
㈱毎日新聞社 取締役広告事業本部長
●理
事
青 井 倫 一
㈱アサツーディ・ケイ 取締役常務執
行役員 メディアコンテンツ部門担当
東洋製罐㈱ 取締役専務執行役員
中 川 宗 和
木 村 武 彦
江崎グリコ㈱ 常務取締役 菓子事業本部長
㈱ビデオリサーチ 代表取締役社長
中 西 正 雄
木 戸
関西学院大学 大学院経営戦略科教授
茂
㈱ビデオリサーチ 常務取締役
長 沼
木 村 博 史
北海道放送㈱ 代表取締役社長
修
㈱北海道新聞社 東京支社広告局長
中 野 正 道
蔵 敷 大 浩
㈱電通九州 代表取締役社長
トヨタ自動車㈱ 宣伝部長
中 野 吉 晴
郡 田
雪印乳業㈱ 専務取締役
弘
㈱西日本新聞社 専務取締役
中 原
後 藤 卓 也
㈱電通 執行役員AP統括本部副本部長
博
花王㈱ 取締役会会長
夏 目 祝 夫
小 林 健 一
㈱電通北海道 代表取締役社長
㈱電通 IMCプランニングセンター局長
根 岸 康 二
慶應義塾大学 大学院 経営管理
研究科教授
小 林 良 介
キッコーマン㈱ 常務執行役員
プロダクト・マネージャー室長
㈱読売新聞 東京本社取締役広告局長
青 木 幸 弘
佐 伯 幸 則
学習院大学 経済学部教授
荻 原
青 山 繁 弘
花王㈱ MK開発部門グローバルリ
サーチセンターフィールド部長
岩 﨑 春 雄
ライオン㈱ 常務取締役ヘル
スケア事業本部長
大 月
曻
淳
日本放送協会 理事
保 芦 将 人
㈱紀文食品 代表取締役社長
星 野 朝 子
㈱日立製作所 コーポレート・コミュニケー
ション本部宣伝部長
サントリー㈱ 取締役副社長
酒 井 朋 久
日産自動車㈱ 執行役員 市場情報室長
神 山 郁 雄
阿 戸 正 明
ホクレン農業協同組合連合会 代表理専務
サントリー㈱ 専務取締役
外食・開発カンパニー長兼開発事業部長
㈱電通 専務取締役
網 谷 駿 介
佐 田 吉之助
㈱電通 取締役副社長
㈱東急エージェンシー 常務取締役
エヌ・ティ・ティ・コムウェア㈱ 代表取締役
副社長
㈱福岡放送 取締役会長
三本木 伸 一
水 口 健 次
久 保 伸太郎
安 藤 滋 基
東レ㈱ マーケティング企画室室長
兼EC推進室担当
㈱戦略デザイン研究所 代表取締役
桃 田 雅 好
重 山 俊 彦
㈱テレビ朝日 常務取締役
川 端 友 泰
日本テレビ放送網㈱
代表取締役社長執行役員
松下電器産業㈱ 宣伝グループ
渉外チームリーダー
松 田 公 春
丸 山
功
池 尾 恭 一
㈱紀文フードケミファ 代表取締役社長
㈱マンダム 取締役 常務執行
役員R&D統括第二商品開発部担当
慶應義塾大学 大学院経営管理
研究科教授
嶋 口 充 輝
山 本 潤 児
佐 藤 尚 忠
法政大学 経営大学院教授
明治乳業㈱ グループ企画部部長
明治製菓㈱ 代表取締役社長
石 井 淳 蔵
神戸大学 大学院経営学研究科教授
新 宮 陸 尾
米 倉
髙 嶋 達 佳
㈱電通 代表取締役社長
石 橋 正 明
高 野
㈱大広 代表取締役社長
㈱電通 国際本部国際事業統括局
役員待遇
富 田
石 原
佐 治 信 忠
サントリー㈱ 代表取締役社長
功
裕
進
㈱朝日新聞社 東京本社広告局長
九州旅客鉄道㈱ 代表取締役社長
豊 田
井 関 利 明
皓
㈱フジテレビジョン 代表取締役社長
慶應義塾大学 名誉教授
成 田 純 治
井手口 盛 哉
㈱博報堂 代表取締役社長
第一三共ヘルスケア㈱ 代表取締役社長
南 郷
上 原 征 彦
格
㈱インテージ 取締役MSユニットディレクター
能 田 宗 保
凸版印刷㈱ 情報コミュニケーション事業本部
長谷川 俊 男
㈱日本経済新聞社
東京本社広告局長
執行役員
明治大学 大学院・グローバル・
ビジネス研究科教授
枝
伸
アサヒビール㈱ 宣伝部長
大 塚 徹 哉
㈱講談社 取締役
卓
ロート製薬㈱ 常任監査役
㈱電通 関西本部マーケティング局長
進 藤 大 二
若 林 清 造
味の素冷凍食品㈱ 代表取締役社長
(社)中央調査社 会長
杉 本 秀 雄
脇 水 謙 一
㈱博報堂 取締役 常務執行役員
九州朝日放送㈱ 専務取締役
高 橋
渡 辺
弘
誠
㈱エムズスタッフオフィス 相談役
㈱読売広告社 ストラテジックプランニング局局長
高 橋 雅 弘
和 田 充 夫
㈱大広 執行役員ソリューション計画
管理担当
関西学院大学 商学部教授
田 村
高橋信治税理士事務所 税理士
勲
㈱産業経済新聞社 営業局長
辻
和 利
ソニーマーケティング㈱ ビジネスパートナ
ーセールス総括
土 山 昭 則
㈱西日本新聞社 東京支社長
-45-
高 橋 信 治
●監
事
仲小路 啓 之
味の素㈱ 広告部長
会 員 名 簿(法 人)
【素材・エネルギー】
サントリーフーズ㈱近畿支社
グラクソ・スミスクライン㈱
石塚硝子㈱
サントリーフーズ㈱北海道支社
㈱コーセー
大阪ガス㈱
サントリー㈱ 北海道支社
小林製薬㈱
関西電力㈱
㈱サン・プロジェクト
サンスター㈱
九州電力㈱
シマダヤ㈱
塩野義製薬㈱
西部瓦斯㈱
ジャパンローヤルゼリー㈱
㈱資生堂
住友スリーエム㈱
高橋酒造㈱
㈱ジャックス
大日本インキ化学工業㈱
宝酒造㈱
第一三共㈱
大和製罐㈱
㈱東洋新薬
大正製薬㈱
高砂香料工業㈱
東洋水産㈱
大日本除虫菊㈱
東京ガス㈱
㈱永谷園
武田薬品工業㈱
東京電力㈱
㈱ニチレイ
中外製薬㈱
東洋ゴム工業㈱
日清オイリオグループ㈱
㈱ナリス化粧品
東洋製罐㈱
日清製粉グループ本社
ニベア花王㈱
日本クラウンコルク㈱
日本ハム㈱
ノボ ノルディスクファーマ㈱
日本山村硝子㈱
日本水産㈱
㈱ポーラ
北海道電力㈱
日本たばこ産業㈱
㈱マンダム
㈱ユポ・コーポレーション
ネスレ日本㈱
ムンディファーマ㈱
ハーゲンダッツジャパン㈱
ユニ・チャーム㈱
アサヒ飲料㈱
ハウス食品㈱
ライオン㈱
アサヒビール㈱
兵庫ヤクルト販売㈱
ロート製薬㈱
味の素㈱
㈱不二家
味の素㈱ 九州支社
北海道味の素㈱
伊藤ハム㈱
マルハ㈱
㈱オンワード樫山
雲海酒造㈱
三井農林㈱
東レ㈱
江崎グリコ㈱
㈱ミツカン
㈱トーモク
エスビー食品㈱
明治製菓㈱
日本紙パルプ商事㈱
カゴメ㈱
明治乳業㈱
㈱日本デキシー
片岡物産㈱
森永製菓㈱
レンゴー㈱
亀田製菓㈱
森永乳業㈱
㈱ワコール
カルビー㈱
㈱ヤクルト本社
カルピス㈱
UCC上島珈琲㈱
RKB毎日放送㈱
北の誉酒造㈱
雪印乳業㈱
㈱アイ・エム・プレス
キッコーマン㈱
養命酒製造㈱
㈱朝日新聞社
㈱紀文食品
ロッテ商事㈱
朝日新聞社 大阪本社
㈱紀文フードケミファ
和歌山ノーキョー食品工業㈱
㈱朝日新聞社 西部本社
【食品・飲料】
キユーピー㈱
【薬品・化粧品・トイレタリー】
【繊維・紙パルプ】
綾羽㈱
【メディア】
朝日放送㈱
キリンビール㈱
㈱アルソア本社
㈱愛媛新聞社
月桂冠㈱
㈱池田模範堂
㈱エフエム大阪
サッポロビール㈱
エイボン・プロダクツ㈱
㈱エフエム東京
沢の鶴㈱
エーザイ㈱
㈱FM802
サントリー㈱
エスエス製薬㈱
大分朝日放送㈱
サントリー㈱ 九州支社
大塚製薬㈱ 能力開発研究所
㈲大分合同新聞社
サントリー食品工業㈱
花王㈱
岡山放送㈱
サントリーフーズ㈱
花王カスタマーマーケティング㈱
関西テレビ放送㈱
サントリーフーズ㈱九州支社
㈱カネボウ化粧品
九州朝日放送㈱
-46-
㈱京都新聞社
日本放送協会
富士電機ホールディングス㈱
熊本朝日放送㈱
ぴあ㈱
松下電器産業㈱
㈱熊本日日新聞社
㈱東日本放送
松下電工㈱
㈱講談社
㈱福岡放送
㈱高知新聞社
㈱フジテレビジョン
㈱カーメイト
㈱光文社
㈱扶桑社
トヨタ自動車㈱
札幌テレビ放送㈱
㈱北海道新聞社
日産自動車㈱
【輸送用機器】
㈱産業経済新聞社
㈱北海道新聞社 大阪支社
ハーレーダビッドソンジャパン㈱
㈱産業経済新聞社 大阪本社
北海道テレビ放送㈱
富士重工業㈱
㈱集英社
北海道文化放送㈱
プジョー・ジャポン㈱
㈱小学館
北海道放送㈱
㈱ブリヂストン
白木メディア㈱
㈱毎日新聞社
本田技研工業㈱
㈱新潮社
㈱毎日新聞社 大阪本社
三菱自動車工業㈱
㈱スポーツニッポン新聞 大阪本社
㈱毎日新聞社 西部本社
ヤマハ発動機㈱
㈱仙台放送
㈱毎日放送
中京テレビ放送㈱
㈱マガジンハウス
第一交通産業㈱
㈱中日新聞社
㈱南日本新聞社
大建工業㈱
中部日本放送㈱
㈱宮城テレビ放送
大和ハウス工業㈱
㈱TVQ九州放送
㈱宮崎日日新聞社
㈱東京放送(TBS)
㈱山梨日日新聞社
テレビ愛知㈱
㈱ユニメディア
㈱アシックス
㈱テレビ朝日
㈱読売新聞東京本社
㈱イトーキ
テレビ大阪㈱
㈱読売新聞 大阪本社
㈱ウイル・コーポレーション
㈱テレビ神奈川
㈱読売新聞西部本社
SRIスポーツ㈱
㈱テレビ熊本
讀賣テレビ放送㈱
㈱岡村製作所
㈱テレビ東京
㈱WOWOW
片貝印刷㈱
㈱テレビ長崎
【精密機器・機械】
【住宅・建材・不動産】
東洋ガラス㈱
【印刷・その他製造】
共同印刷㈱
㈱テレビ西日本
㈱クボタ
㈱耕文社
㈱テレビ北海道
セイコーホールディングス㈱
寿精版印刷㈱
東海テレビ放送㈱
日本エレクトロプレイティング・エンジニヤース㈱
佐伯印刷㈱
東北放送㈱
日本マグサービス㈱
大東印刷工芸㈱
㈱徳間書店
㈱ノーリツ
大日本印刷㈱
富山テレビ放送㈱
富士ゼロックス㈱
大日本印刷㈱(関西)
㈱長崎新聞社
富士ゼロックス大阪㈱
図書印刷㈱
長崎文化放送㈱
HOYA㈱
トッパン・フォームズ㈱
長野朝日放送㈱
横河電機㈱
凸版印刷㈱
【電気機器】
凸版印刷㈱
名古屋テレビ放送㈱
㈱西日本新聞社
キヤノン㈱
凸版印刷㈱西日本事業本部
㈱西日本新聞社 大阪支社
京セラ㈱
㈱美創企画
㈱西日本リビング新聞社
シャープ㈱
フジコピアン㈱
㈱日刊スポーツ新聞社
象印マホービン㈱
古林紙工㈱
㈱日経BP
㈱デンソー
㈱文栄社
㈱日経ホーム出版社
㈱東芝
ミズノ㈱
㈱ニッポン放送
日本電気㈱
㈱ムーンスター
㈱日本経済新聞社
日本ビクター㈱
㈱日本経済新聞社 大阪本社
パイオニア㈱
㈱日本経済新聞社 西部支社
㈱日立製作所
アスクル㈱
日本テレビ放送網㈱
富士通㈱
㈱伊勢丹
-47-
山野印刷㈱
【流 通】
㈱井筒屋
㈱エー・アイ・ピー
㈱日経リサーチ
㈱イトーヨーカ堂
㈱エスピーアイ
㈱ニッセイ基礎研究所
㈱岩田屋
エヌ・ティ・ティ・コムウェア㈱
日本アイ・ビー・エム㈱
貝印㈱
㈱NTTデータ
日本インフォメーション㈱
群馬ヤクルト販売㈱
エム・アール・エス広告調査㈱
(財)日本交通公社
㈱サントリーショッピングクラブ
㈱エム アール ディ
㈱日本デイリー通信社
JR九州リテール㈱
㈱エムズスタッフオフィス
㈱日本能率協会総合研究所
㈱JR東日本リテールネット
㈱エルゴ・ブレインズ
㈱日本マーケティング研究所
㈱セイコーマート
㈱エルネット
㈱日本マーケティングシステムズ
㈱千趣会
カスタマー・コミュニケーションズ㈱
㈱日本メディア
日本アムウェイ㈱
㈱カタリスト
ニホンモニター㈱
㈱阪急百貨店
㈱かんでんCSフォーラム
㈱日本リサーチセンター
廣屋国分㈱
㈱キャラクター・データバンク
ネットエイジア㈱
㈱フェリシモ
㈱クリエイティブ・プランニング・アンド・プロモーション
㈱ネットマイル
マグレガーゴルフジャパン㈱
㈱ぐるなび
㈱ハー・ストーリィ
㈱松坂屋
㈱クロス・マーケティング
㈱ハッピーコム
㈱三貴
㈱ゲイン
㈱ビジネス・デザイン・アソシェイツ
三井物産マーケティング㈱
㈱工業市場研究所
㈱ヒットコーポレーション
㈱構造計画研究所
㈱ビデオリサーチ
㈱サーベイリサーチセンター
㈱ビデオリサーチコムハウス
エイアイジー・スター生命保険㈱
㈱サンモアテック
㈱富士経済
㈱大和証券グループ本社
サンリーブ㈱
㈱富士ゼロックス総合教育研究所
㈱西日本シティ銀行
ジーエフケー マーケティングサービス ジャパン㈱
㈱不動産経済研究所
㈱福岡銀行
㈱シイエム・シイ
ブレイン ゲイト㈱
㈱三井住友銀行
㈱市場開発研究所
㈱ブロードリーフ
㈱三井住友銀行
㈱市場戦略研究所(MSI)
㈱プロト コーポレーション
㈱三菱東京UFJ銀行
㈱モロオ
【金融・保険】
㈱ジャパン・カンター・リサーチ
㈱フロントメディア
【情報サービス】
ジャパン・マーケット・インテリジェンス㈱
ベーシックインフォメーションセンター㈱
㈱アーキテクト
㈱ジャパン・マーケティング・エージェンシー
㈱ベルシステム24
㈱RJCリサーチ
㈱シンク・ツー
㈱ボストン・コンサルティング・グループ
㈱アール・ピー・アイ
住商情報システム㈱
㈱マーケッティング・サービス
㈱IRC
㈱スミス
㈱マーケティングジャンクション
㈱アイエムシー
㈱聖和
㈱マーケティングセンター
アイブリッジ㈱
㈱戦略デザイン研究所
㈱マーケティング・リサーチ・サービス
アイ・マーケティングアドバンス㈱
㈱綜研
マイクロソフト㈱
アクセンチュア㈱
ソニーマーケティング㈱
マイボイスコム㈱
あずさ監査法人
高橋信治税理士事務所
㈱マクロミル
㈱アダムスコミュニケーション
(社)中央調査社
マッキンゼー・アンド・カンパニーインクジャパン
㈱イード
㈱TNSインフォプラン
三菱UFJリサーチ&コンサルティング㈱
㈱イーライフ
㈱データ・サクセス
ヤフーバリューインサイト㈱
イデアキューブ㈱
(有)テンダー
ユーリテクノス㈱
伊藤忠ファッションシステム㈱
㈱電通リサーチ
㈱ユニバーサル・データ
㈱イプシ・マーケティング研究所
㈱東急総合研究所
(社)輿論科学協会
Ipsos日本統計調査㈱
㈱東京サーベイリサーチ
㈱ライズコーポレーション
イプソス・ノヴァクション㈱
㈱ドウ・ハウス
㈱リサーチ・アンド・ディベロプメント
㈱インテージ
㈱トークアイ
㈱リビングくらしHOW研究所
㈱インテージ・インタラクティブ
トランローグ(有)
(財)流通経済研究所
㈱ウエーブプラネット
ニールセン・カンパニー㈱
㈱ロフティー
-48-
㈱創芸
㈱マッシュ
㈱アーチャー新社
㈱創美企画
㈱ミクプランニング
㈱I&S BBDO
㈱第一通信社
㈱メディアート
㈱アイケーアイ
㈱大広
㈱mediba
㈱アイプラネット
㈱大広大阪本社
㈱ヤラカス舘本店
㈱アサツーディ・ケイ
㈱大広九州
㈱読売インフォメーションサービス
㈱朝日オリコミ大阪
中央宣興㈱
㈱読売広告社
㈱朝日広告社
㈱ティーツーアイエンターテイメント
㈱朝日広告社
㈱ディーツーコミュニケーションズ
㈱アドウェイズ
ディーディービージャパン㈱
臼杵運送㈱
㈱アドギア
㈱テイ・デイ・エス
梅田運輸倉庫㈱
㈱アド電通大阪
㈱デルフィス
NTTコミュニケーションズ㈱
㈱アルファ
㈱電通九州
㈱エヌ・ティ・ティ・ドコモ
㈱インサイト
㈱電通テック
㈱エヌ・ティ・ティ・ドコモ関西
インプレッション㈱
㈱電通テック 関西支社
㈱エヌ・ティ・ティ・ドコモ北海道
【広 告】
ワイデンアンドケネディジャパン・エル・エル・シー
【運輸・倉庫・通信】
㈱インフロント
㈱電通西日本
NYK Line Japan㈱
㈱エイアンドディ・コミュニケーションズ
㈱電通パブリック リレーションズ
川崎運送㈱
㈱エー・ティ・エー
㈱電通東日本
九州旅客鉄道㈱
㈱NKB
㈱電通北海道
鴻池運輸㈱
㈱エヌ・ティ・ティ・アド
電通ヤング・アンド・ルビカム㈱
サントリーロジスティクス㈱
㈱大阪読売広告社
㈱東急エージェンシー
堂島運輸㈱
㈱大手広告通信社
㈱道新サービスセンター
ドコモサービス九州㈱
オグルヴィ・アンド・メイザー・ジャパン㈱
㈱東北新社
西日本鉄道㈱
㈱小田急エージェンシー
㈱トータルマネジメントビジネス
東日本電信電話㈱
㈱オックスネットワーク
㈱西広
北海道中央バス㈱
オリオンSP㈱
㈱西鉄エージェンシー
北海道旅客鉄道㈱
㈱オリコム
㈱西日本新聞広告社
協同広告㈱
㈱日経広告
㈱味の素コミュニケーションズ
㈱協同宣伝
日本イージェイケイ㈱
㈱エヌ・シー・エヌ
㈱京王エージェンシー
㈱日本経済社
㈱オリエンタルランド
廣告社㈱
㈱日本廣告社
㈱グッドウィル
㈱コスモ・コミュニケーションズ
㈱日本広明社
サントリーパブリシティサービス㈱
㈱コムデックス
㈱博報堂
㈱ジェイティービー
㈱サン・アド
㈱博報堂 関西支社
シダックスフードサービス㈱
㈱三晃社
㈱博報堂 九州支社
㈱ダイナック
㈱三友エージェンシー
㈱博報堂DYメディアパートナーズ
㈱ダンロップ スポ-ツ エンタ-プライズ
㈱シー・エンド・シー
ビービーメディア㈱
㈱ティップネス
【サービス・娯楽】
(有)C2
㈱ビデオプロモーション
東日観光㈱
㈱ジェイアール九州エージェンシー
㈱ファースト
東宝㈱
㈱ジェイアール東海エージェンシー
㈱フィールドメディアネットワーク
日本マクドナルド㈱
㈱ジェイアール西日本コミュニケーションズ
㈱富士アドシステム
㈱乃村工藝社
㈱ジェイアール東日本企画
フュージョン㈱
バリューコマース㈱
㈱ジェイ・アイ・シー
㈱フロンテッジ
㈱ホテルオークラ
JWTジャパン㈱
㈱ベイサイドカンパニー
マンパワー・ジャパン㈱
㈱新広社
㈱北海道博報堂
㈱もしもしホットライン
㈱伸和エージェンシー
㈱マーケティングオフィス・コア
ヨシケイ開発㈱
㈱スコープ
㈱毎日広告社
㈱スタンダード通信社
㈱マッキャンエリクソン
-49-
【その他】
静岡県
中部マーケティング協会
㈱電通
同志社大学大学院 ビジネス研究科
中村学園大学
(社)日本広告業協会
ホクレン農業協同組合連合会
(財)吉田秀雄記念事業財団
立正佼成会
-50-
会 員 名 簿(学 者)
相葉 宏二
相原
修
青井 倫一
青木 茂樹
青木
均
青木 道代
青木 幸弘
青谷実知代
赤岡 仁之
秋山 恵一
阿久津 聡
麻田 孝治
朝野 煕彦
東
徹
足立 勝彦
阿部 真也
天坂 格郎
天野 克彦
鮎川 二郎
新井 範子
有吉 秀樹
池尾 恭一
池上 和男
池田 重信
石井 淳蔵
石川 和男
石崎
徹
井下
理
井関 利明
市川
繁
市川
貢
伊藤 鴻介
伊藤 誠二
伊藤 一
伊藤万知子
伊藤 嘉浩
井上 哲浩
井原 久光
今光 廣一
入江 省熙
岩田 貴子
岩永
正
岩永 忠康
岩本
勇
植條 則夫
上田 隆穂
早稲田大学大学院
成蹊大学
慶應義塾大学
山梨学院大学
愛知学院大学
玉川大学
学習院大学
平安女学院大学
武庫川女子大学
大阪樟蔭女子大学
一橋大学 大学院
杏林大学
首都大学東京
日本大学
京都学園大学
九州情報大学
青山学院大学
千葉商科大学
千葉商科大学
専修大学
独協大学
慶應義塾大学
立正大学
九州産業大学
神戸大学
専修大学
専修大学
慶應義塾大学
慶應義塾大学
四国大学大学院
京都産業大学
第一経済大学
長崎国際大学
小樽商科大学
愛知産業大学
山形大学
慶應義塾大学
東洋学園大学
愛知学院大学
関東学園大学
日本大学
県立長崎シーボルト大学
佐賀大学
静岡福祉大学
関西大学
学習院大学
上野
上野
上原
浮田
薄井
内田
内田
内野
宇野
浦辺
卜部
江口
江尻
江原
王
大石
大﨑
太田
太田
大谷
大槻
大津
大西
大沼
大野
大野
大橋
大森
大宅
岡田
小川
小川
小川
小川
奥住
奥西
恩藏
懸田
梶原
片岡
片桐
片山
金沢
金城
兼村
亀井
-51-
訓造
博
征彦
英彦
和夫
東
和成
雅之
政雄
穣一
正夫
泰広
弘
淳
怡人
芳裕
孝徳
一樹
真治
達之
博
正和
潔
孝司
哲明
煕
照枝
正志
憲一
浄二
孔輔
進
純生
智由
正道
利勝
直人
豊
勝美
力
誠士
富弘
尚基
宏
栄哲
昭宏
福岡県教育センター
東京国際大学
明治大学
福岡女学院大学
埼玉大学
目白大学
早稲田大学
同志社大学
早稲田大学
明海大学
城西国際大学
学習院女子大学
マーケティングサイエンス研究所
専修大学
流通科学大学
明治大学
名城大学
大阪経済大学
中京大学
江戸川大学
多摩大学
和歌山大学
滋賀大学
昭和女子大学
近畿大学
土佐女子短期大学
麗澤大学
常磐大学
東北芸術工科大学
岡山商科大学
法政大学
神戸大学
東洋大学
明治大学
㈱奥住マネジメント研究所
大阪樟蔭女子大学
早稲田大学
青山学院大学
専修大学
長崎国際大学
旭川大学
中村学園大学
富士常葉大学
沖縄国際大学
駒澤大学
早稲田大学
川上 智子
川嶋 行彦
河邊匡一郎
川又 啓子
川向 史矩
神田 範明
菊地
均
岸 志津江
岸田 重樹
岸田 忠之
岸本 裕一
木立 真直
北村 秀実
木下 明浩
儀間 敏彦
木村 達也
金
琦
陸
正
工藤 正敏
久保田進彦
熊倉 広志
久米
勉
栗木
契
黒岩健一郎
黒田 重雄
小泉
徹
小泉 眞人
小坂
恕
小嶌 正稔
小谷 光正
小西 一彦
小西 滋人
小林 一也
小林 貞夫
小林太三郎
小林
哲
小林 保彦
小原
博
小堀 雅浩
小森 俊介
小渡 康朗
近藤 公彦
近藤 隆雄
近藤 浩之
近藤 文男
斉藤 通貴
境
忠宏
坂田 隆文
関西大学
東京国際大学
経営心理研究所
京都産業大学
北星学園大学
成城大学
北海学園北見大学
東京経済大学
東北大学
神戸大学
桃山学院大学
中央大学
関西学院大学
立命館大学
九州東海大学
早稲田大学
東京国際大学
千葉商科大学
明星大学
中京大学
専修大学
東京国際大学
神戸大学
武蔵大学
北海学園大学
首都大学東京
東海大学
中央大学
東洋大学
名古屋学院大学
追手門学院大学
金沢星稜大学
市立大月短期大学附属高等学校
愛知学院大学
早稲田大学
大阪市立大学
青山学院大学
拓殖大学
北海学園北見大学
西南学院大学
八戸大学
小樽商科大学
明治大学
東京経済大学
京都橘大学
慶應義塾大学
淑徳大学
中京大学
坂田 博美
坂本 英樹
佐々木 悟
佐々木壮太郎
佐々木 亨
佐藤 和代
佐藤
剛
佐藤 俊雄
佐藤 典司
佐藤
甫
佐藤 芳彰
猿渡 敏公
澤内 隆志
塩田 静雄
篠崎 雅春
柴田 典子
澁谷
覚
嶋口 充輝
島田
恒
嶋村 和恵
清水
聰
清水 栄一
清水 聡子
清水 信年
志村 弘雄
下島 康史
朱
磊
正田 達夫
白石 善章
城田 吉孝
菅原 昭義
鈴木
武
鈴木 宏衛
鈴木 安昭
隅田
孝
住谷
宏
陶山 計介
関根
孝
世良 耕一
千
相哲
十合

高橋 重喜
高宮城朝則
竹内 淑恵
竹村 正明
田嶋 規雄
田中 利見
田中
洋
-52-
富山大学
北海道情報大学
旭川大学
和歌山大学
北海道大学
城西国際大学
長野大学
日本大学
立命館大学
九州産業大学
北海学園大学
明治大学
明治大学
中京大学大学院
道都大学
横浜市立大学
東北大学
法政大学
京都文教大学
早稲田大学
明治学院大学
米国法人 国際地球環境大学
松本大学
流通科学大学
青森大学
長崎国際大学
曁南大学
元 新潟国際情報大学
熊本学園大学
愛知学泉大学
中央大学
長崎県立大学
金城学院大学
豊橋創造大学
桃山学院大学
東洋大学
関西大学
専修大学
東京電機大学
九州産業大学
城西国際大学
元大阪芸術大学
小樽商科大学
法政大学
明治大学
拓殖大学
上智大学
法政大学
田中冨志雄
田中 正郎
玉木 徹志
環
光三
田村 良一
張
喬森
崔
相鐵
塚田 朋子
辻
幸恵
土橋 治子
鶴坂 貴恵
戸崎
肇
冨狭
泰
中 伊佐雄
長尾 治明
長島 広太
中島
望
中田 慶子
中田 順三
中田 信哉
長積
仁
中西 正雄
中野 幹久
那須 幸雄
鍋田 英彦
成澤 義親
新倉 貴士
新津 重幸
西尾チヅル
西
賢祐
西島 博樹
仁科 貞文
西村 順二
西元 良行
西脇 隆二
根木 佐一
根来 龍之
芳賀麻誉美
芳賀 康浩
羽柴 隆生
長谷川 博
畑井 佐織
服部
好
原田 一郎
原田 宗彦
畢
滔滔
東
利一
疋田
聰
長崎県立大学大学院
青山学院大学
宮崎公立大学
静岡産業大学
九州大学
日本大学
流通科学大学
東洋大学
追手門学院大学
青山学院大学
プール学院大学短期大学部
明治大学
駒沢女子大学
大阪成蹊短期大学
富山国際大学
東京国際大学
大阪大学
産業能率大学
リスペクトゥ インスティテュート.inc.
神奈川大学
徳島大学
関西学院大学
京都産業大学
文教大学
東洋学園大学
札幌国際大学
関西学院大学
高千穂科大学
筑波大学
琉球大学
長崎県立大学
青山学院大学
甲南大学
福島大学
北星学園大学
東海大学
早稲田大学
女子栄養大学
関東学院大学
八洲学園大学
愛知工業大学
千葉商科大学
朝日大学
東海大学
早稲田大学
敬愛大学
流通科学大学
東洋大学
樋口 紀男
日高 謙一
平井
宏
平岡
豊
平木いくみ
平野 英一
平山 壽邦
廣田 章光
福田 敏彦
藤江 俊彦
藤島 廣二
藤田
健
藤田 康雄
藤村 和宏
二木 季男
平敷 徹男
細井 謙一
前田
勇
松井
剛
松浦 祥子
松江
宏
松岡幸次郎
松尾
睦
松坂 宜
松下 光司
松本
懿
馬渕キノエ
丸山 正博
三浦
收
三浦 俊彦
三浦
信
三木 國愛
水尾 順一
水野
誠
水野由多加
溝内 義昭
南 知恵子
三村優美子
宮﨑 哲也
宮澤 永光
宮原 義友
宮森 正樹
三好
宏
向山 雅夫
棟方 信彦
村上 恭一
村田 昭治
村山 貞幸
-53-
日本大学
神戸学院大学
東洋学園大学
元福岡県立大学
明治学院大学
九州産業大学
宝塚造形芸術大学
大阪国際大学
法政大学
千葉商科大学
東京農業大学
山口大学
富士大学
香川大学
長野県農業大学校
琉球大学
広島経済大学
立教大学
一橋大学
青山学院大学
愛知大学
淑徳大学
小樽商科大学
東京成徳短期大学
南山大学
酪農学園大学
高松大学
拓殖大学
北星学園大学
中央大学
京都産業大学
中部大学
駿河台大学
筑波大学
関西大学
長崎ウエスレヤン短期大学
神戸大学
青山学院大学
大阪国際大学
早稲田大学
横浜商科大学
沖縄国際大学
福山平成大学
流通科学大学
熊本県立大学
グロービス経営大学院大学
慶應義塾大学
多摩大学
室井 鐵衛
森宮 勝子
安田 和紘
保田 宗良
八ツ橋治郎
柳
純
矢作 敏行
八巻 俊雄
山下 貴子
山田 英夫
山本 久義
山本 文夫
鑓水 恭史
横内 清光
吉川 雅之
吉村 純一
米谷 雅之
李
苗
若林 輝男
若林 靖永
脇田 弘久
渡辺 達朗
和田 充夫
文化服装学院
文京学院大学
目白大学
弘前大学
神奈川大学
福岡女子短期大学
法政大学
東京経済大学
流通科学大学
早稲田大学
九州産業大学
福岡女学院大学
九州大学
文教大学
産業能率大学
熊本学園大学
広島経済大学
曁南大学
㈱エスピーアイ
京都大学
愛知学院大学
専修大学
関西学院大学
-54-
歴 代 各 支 部 長
(敬称略)
各支部創設時から2007年までの歴代各支部長
●関西支部長(関西マーケティング協会会長)
初代
昭和54年10月就任
山村徳太郎
山村硝子
取締役社長
二代
昭和58年4月就任
三好
俊夫
松下電工
専務取締役
三代
平成元年9月就任
船田
芳一
電通
取締役副社長
四代
平成5年6月就任
山下
和彦
電通
取締役副社長
五代
平成10年6月就任
中村
陽三
電通
取締役副社長
六代
平成13年4月就任
俣木
盾夫
電通
取締役副社長
七代
平成14年5月就任
丸山
功
電通
専務取締役
●九州支部長(九州マーケティング協会会長)
初代
昭和63年5月就任
中牟田喜一郎
岩田屋
取締役会長
二代
平成14年7月就任
佐田吉之助
福岡放送
取締役会長
三代
平成19年7月就任
鑓水
九州大学
監事
恭史
●北海道支部長(北海道マーケティング協会会長)
初代
平成2年12月就任
鈴木
茂
北海道拓殖銀行
取締役会長
二代
平成7年7月就任
山内
宏
北海道拓殖銀行
相談役
三代
平成10年12月就任
坂野上
明
北海道新聞社
取締役社長
四代
平成13年6月就任
東
功
北海道新聞社
取締役社長
五代
平成16年5月就任
菊池
育夫
北海道新聞社
取締役社長
❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅❅
−55−
あとがき
「概説」を書き終えて
1999年の春、2002年に迎える日本マーケティング協会45周年の記念事業のひとつとして
『協会45年史』の出版が企図されたとき、思いがけず小生に、その制作協力と併せ、協会
が歩んできた20世紀後半45年の足跡を辿る「概説」執筆のご要請がありました。
協会史制作の協力はともかく、戦後のわが国産業界の発展に大きな役割を果たしてきた
日本マーケティング協会の活動史を、わが国の経済社会や産業界、さらにはマーケティン
グ界の発展、推移という文脈の中で正しく叙述することなど、浅学非才の小生のなしうる
ところではないと固辞しましたが、再度ぜひにとのご要請を受けましたので、事務局の皆
さんに絶大なご支援をいただくことを条件にお引き受けいたし、その後、この「45年史」
は5年後の「創立50周年記念事業」に変更となりましたので、第10章(2001∼2003)まで
を非力ながら執筆してまいりました。ところが、小生加齢のため2005年夏から俄かに視力
が衰え、2007年での最終第11章の執筆が不可能となる惧れが出てまいりました。そこで、
少しでも小生の役目を果しておきたいと存じ、とりあえず2005年10月時点での第11章中間
稿をとりまとめてお届けし、2007年での最終仕上げは協会さんのご助勢に甘えさせて頂く
ことといたしました。というわけで、この“まえがき”もひと足先にしたためさせて頂き
ました。甚だ身勝手な所業と相成り、皆様にご迷惑をおかけいたしますご無礼の段、心よ
りお詫び申し上げます。
「概説」を執筆しながら改めて多くの感慨を味わいましたが、中でも当協会の誕生が、
「経済白書」が“もはや戦後ではない”と謳いあげた翌年の1957年10月であったことは大
変に印象深いことでした。
敗戦による荒廃と混乱、明日の糧にもこと欠く貧窮の中から僅か10年でGNPが戦前の
頂点(1935年)を超えるまでに回復、極端な物不足を克服する生産の復旧が何よりも急務
であった時代が終わり、ようやく“大衆消費市場”が出現したばかりのこの時期に、それ
まで生産力の復旧に心血を注いできた経済・産業界の先達リーダーたちが、いち早くアメ
リカの先進産業界をつぶさに視察して、“近代経営の核心はマーケティングにあり”と見
抜かれた炯眼と、その導入、研究、体得、実践と普及にむけての凄まじいばかりの意欲と
熱意には頭が下がる思いがいたします。
その後の我が国が、世界が驚異とした高度成長を続け、1968年には早くもGDP世界第
2位の経済大国を実現して世界経済の主役の座に加わったのと、このいち早いJMAの誕
生は決して無縁ではないでしょう。
そして、その後の半世紀に及ぶ日本マーケティングの歩みを顧みると、この先達たちの
強い使命感と高い識見を受け継いだ歴代の学者・実務家の会員諸兄が本部、各支部の事務
局を根拠に、わが国産業界の幾度もの曲折を経た発展や消費市場の成長、変容、成熟に伴っ
て次々に生起した新しい試練、課題の解決に、産学協同して全力で挑戦してこられた軌跡
であり、その内容はとりわけ第3代鳥井会長期から、さらに濱田専務理事が就任、中・長
期計画がスタートした以降は、実に多岐多彩なものでありました。
−56−
協会はこうして、その中心事業である研究・教育活動の成果を通じて産業界の振興に努
めてきたばかりでなく、3回の国際会議の開催をはじめ数多くの海外研修、APMFの創
設、海外著名学者やマーケターの招待、博覧会など各種のイベントによる普及、PR活動
にも力をいれてきました。その旺盛なエネルギーにも強い感銘を覚えました。
戦後、ドルショックや2度の石油ショック、公害問題、貿易摩擦など様々な難題を見事
に乗り越えてきたわが国の経済・産業界が1990年代初頭からのバブルの崩壊とその後の初
めて経験した深刻な長期の構造不況、デフレスパイラルといった“冬の時代”、そしてよ
うやく2004年の後半から再び春光の兆しが見え始めて今日に至る約15年間は折からのIT
情報社会の急速浸透とグローバリゼーションの進展とも重なって、わが国の産業社会、マー
ケティング界にとっては未曾有の長い苦難の時代でありましたが、その試練を乗り越えて
50周年を迎える日本マーケティング協会には、逞しい知力と体力が備わっているに違いあ
りません。次の新しい50年に向けて日本マーケティング協会が、わが国の産業社会の発展
にとってかけがえのない、先駆的役割を果たしていかれることを確信しながら、筆を擱い
たのでした。
ただ、先にも申しました通り小生非力のためこの「概説」本文の前段部分、すなわちわ
が国経済・産業社会のその時々の動向や、それに対応したマーケティングの発展、変容、
革新などの記述にはずさんな洩れや不適切な部分もいくつかあるに違いありません。その
点、どうかお含みの上ご判読を賜れば幸いです。
終わりに、この「概説」の作成には協会事務局の皆さんに多大のご支援をえました。
濱田嘉昭専務理事や海老名正彦事務局長(当時)のご指導はもとよりのこと、まず長尾
宗一部長にはこの「概説」を3氏の会長期で大分類した上で、協会活動の節目毎に章分け
するという構成案をいただいたのをはじめ、各種資料の蒐集にもご尽力いただきました。
また協会活動のそれぞれの時点で格別のご尽力をいたされた役員・会員諸兄を紹介する
“人物編”の作成と記録写真の収集選定は久邇實榮部長(当時)と出版部の松熊慎一郎課
長にお願いしました。そして、組写真のレイアウトとキャプションづくり、その他制作全
般のトラフィックやワープロ作成の作業はすべて松熊主任にご担当いただきました。
また、㈱ディ・オー・エムの前顧問、川嶋保氏にはご多忙の中、拙文校閲の労を賜りま
した。
以上の皆さまからいただきました多大のご指導、ご支援に衷心より感謝申し上げます。
2007年9月
今 井
−57−
茂 雄
本
部
URL http://www.jma-jp.org
〒106-0032 東京都港区六本木3−5−27(六本木山田ビル9F)
電 話 (0 3) 5 5 7 5 - 2 1 0 1 F A X (0 3) 5 5 7 5 - 0 6 2 6
関
西
支
部
(関西マーケティング協会)
〒530-6691 大阪市北区中之島6−2−27(中之島センタービルディング)
電 話 (0 6) 6 4 4 8 - 7 8 8 8 F A X (0 6) 6 4 4 8 - 1 0 7 3
九
州
支
部
(九州マーケティング協会)
〒810-0042 福岡市中央区赤坂1−16−10(電通福岡ビル)
電 話 (0 9 2) 7 1 3 - 2 5 7 8 F A X (0 9 2) 7 1 3 - 2 5 7 8
北 海 道 支 部
(北海道マーケティング協会)
〒060-0042 札幌市中央区大通西5丁目11−1(電通恒産札幌ビル)
電 話 (0 1 1) 2 1 4 - 5 0 5 5 F A X (0 1 1) 2 4 2 - 6 2 2 1
日本マーケティング協会
平成19年9月発行
発行者 濱田 嘉昭
発行所 (社)日本マーケティング協会
東京都港区六本木3−5−27 〒106-0032
TEL(03)5575-2101 FAX(03)5575-2106
印刷所 ㈱文栄社