風光明媚なブルターニュで医学と人間の生における時間を考える

医学のあゆみ(2014.6.14)249(11): 1211-1215, 2014
パリから見えるこの世界
Un regard de Paris sur ce monde
第 29 回
風光明媚なブルターニュで医学と人間の生における時間を考える
「内的生活と言われるものは、われわれの生命に不可欠な活動を減速することによってのみ
可能になった遅発性の現象であり、臓器の健全な機能の犠牲の上にしか
精神が顔を出すこともそれが開花することもなかったのである」
――エミール・シオラン
満潮のロスコフの海
(2013年10月5日)
昨年の10月初旬、ブルターニュの北西に位置する港町ロスコフで「医学における時
間」に関するサマースクール “Shifting in Temporalities in (Bio-)Medicine” が開催され
た。この会はヨハネス・グーテンベルク大学マインツの医学の歴史・理論・倫理研究
所(Institut für Geschichte, Theorie und Ethik der Medizin)、パリ高等師範学校、パリ大
学ディドロの科学・哲学・歴史プログラム(SΦHERE)の共催で、基本的にはフラン
スとドイツの若手の他、イギリス、ポーランド、アメリカなどからの参加者もあり、
こぢんまりとはしているものの実質的な議論は濃く、多くのことを考えさせられる時
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間となった。テーマはわたしの視野の外にあったが、フランス側のオーガナイザーを
されていた指導教授の勧めで参加を決めた。会場となった海洋生物研究所(Station
Biologique de Roscoff)を取り巻く環境は、アメリカ在住中に会議のために訪れたマサ
チューセッツ州のウッズホール海洋研究所(Woods Hole Oceanographic Institution)を
思い起こさせるものであった。今回は、一日の時の流れにつれて見事に変化するロス
コフの海を背景に、ヨーロッパの若手とともに考えた人生の時間とそれに関わる医学
と倫理の問題に絞って紹介したい。
ドイツ側のオーガナイザー
アレックス・ヒュンテルマン博士とクラウディア・ビュイールさん
(2013 年 10 月 5 日)
初日は少し早めに会場に向かった。締切りを過ぎた申し込みを快く受け入れてくれ
たドイツ側オーガナイザーのアレックス・ヒュンテルマン(Axel Hüntelmann)博士(ヨ
ハネス・グーテンベルク大学マインツ)に挨拶するためである。秘書のクラウディア・
ビュイール(Claudia Buir)さんが所用のため会の途中でドイツに戻ったため、博士は
体力の限界に挑戦しながらお一人で会を切り盛りされていた。自己紹介で始まったこ
の国際会議はドイツ式を一つだけ採用していた。発表が終わると拍手の代わりに拳で
机を叩くのである。その音を聞いた時、四半世紀前にマインツの大学で話をした後に
響き渡ったその異様な音に驚いた記憶が鮮明に蘇ってきた。マインツの医学生にその
ことを話したところ、それが当たり前だと思っていたというから文化とは恐ろしいも
のである。その時と同じ大学が共催だったことにも不思議な因縁を感じながらの5日
間となった。
この会議でわたしが興味深く聴いた一つに、「誰が永遠に生きたいだろうか」とい
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うタイトルで、人生の時間とアンチエイジング医学に対する倫理的な考察を行ったマ
ルク・シュヴェーダ(Mark Schweda)博士(ゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲ
ン)の発表があった。そのお話は、「1,000歳まで生きる初めての人は、すでに60歳か
もしれない」という言葉で始まった。Ending Aging: The Rejuvenation Breakthroughs That
Could Reverse Human Aging in Our Lifetime(St. Martin's Press, 2007)(『老化を止める7
つの科学―エンド・エイジング宣言』、NHK出版、2008)の著者オーブリー・ド・グ
レイ(Aubrey de Grey, 1963-)博士の言葉である。ド・グレイ博士は老化を遅らせるの
ではなく、老化を止めるという大胆なプロジェクト(Strategies for Engineered Negligible
Senescence: SENS)を進めている方で、その背後には老化を生理的で避けられない過
程であるとする考えへの挑戦があることがわかる。
マルクさんの問題意識には、次のようなことがあった。このような寿命の延長は望
むべきことなのか、そのことによりさらに多くの医学的、社会的な問題を抱えること
になるとすれば、そもそも医学の目的な何なのか。より一般化すれば、人間の一生の
構造の変化と年齢による伝統的な規範の変容が齎すものすべてについての倫理的考
察の必要性とも言えるだろう。さらに、老いるという過程、老いているという状態は
そもそも何を意味しているのか。これらの問いに答えることなく、アンチエイジング
医学の倫理的な評価には至らないという根本的な懸念がそこにある。その上で、良い
ものは多い方が望ましいのかと問い掛ける。素晴らしい人生は、80年より1,000年の方
が望ましいという議論の検討である。運動の後の一杯のビールの美味しさは譬えよう
もないが、そうだからと言って10杯目のビールが同じ味を齎してくれるとは限らない。
永遠の生には退屈と意味の消失が付き纏う可能性がある。死刑囚に見られる精神性の
高まりは、無期懲役囚には見られないとも聞く。終わりなき生において、意味や価値
を見出すことはできるのだろうか。もしそれができないのだとすれば、ド・ブレイ博
士の計画は人間を不幸にするのかも知れない。
このように多くの問題を含んでいる「時間の中にある人間存在」に関して、2,500
年の歴史を持つ哲学は充分に考えて来なかったとマルクさんは指摘する。勿論、人生
論的に年齢の持つ特徴や生き方について語られることはあったが、体系的な思索や理
論化が成されていないという意味だろう。生の始まりと終わりに関する生命倫理の議
論が始まったのもつい最近のことである。エイジングに関する社会学の研究から “life
course perspective”という見方が確立されてきたという。大雑把に言うと、社会やその
文化が人生の時間割を創り出すという考えになるだろうか。例えば、子供時代、学校
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で教育を受ける時代、社会に出て仕事をする時代、社会から退き、死に向かう時代と
いう具合で、その区分に対して社会の圧力がかかることが予想される。そのため、個
人の内なるリズムとの葛藤を起こすことも稀ではない。圧力の中にはそれぞれの年代
に相応しい生活や態度という社会の規範、あるいは各時代における目標という形で自
らが作り出す内的な圧力もあるだろう、また、後年に至っては良い年の重ね方などと
いう一般的には身体的健康、精神的適応性、社会的役割の保持などが基準になる一つ
の見方が出回ったりする。しかし、その基準が本当に求めるに値するものなのか。さ
らに、良き年の重ね方とは一体どういうことなのかについての哲学的検討はされてい
るだろうか。もし、その思索が根源に触れるところまで深まれば、老年という相を超
えて時間の中にある人間のすべての相に適応できるものになるはずだという。
1,000歳とまでは言わなくとも、例えば150歳まで生きることができるとしよう。出
生率はどう推移するのかわからないが、社会が求める仕事の量がそれほど変わらない
とすれば、仕事をするのはせいぜい70~80歳くらいまでだろう。その場合、70~80年と
いう長い時間が空白として残されることになる。あるいは、教育や仕事に向かう時期
を複数回持つことができるようになるのだろうか。そのような時代が到来した暁には、
われわれは新しい哲学的、倫理的な問いに向き合わざるを得なくなるだろう。しかし、
程度の差はあるにせよ、同様の問題はすでに存在している。日本の行政においては、
65歳から74歳までを前期高齢者、75歳以上を後期高齢者と言うらしい。マルクさんに
よると、人生後期の捉え方には最近変化があり、65歳から85歳までを第3期(old young)、
85歳以上を第4期(new ‘old age’)としているという。この人生を如何に生きるべきな
のか、幸福な人生とはどのような状態を言うのかという類いの問いを探る哲学は学問
の世界から追いやられ、長い間忘れられてきた。しかし、これからの社会の動態を考
える時、生き方に関わる新しい哲学がどうしても必要になる時代に入っているように
見える。
今回は研究所所有のホテルに泊まり込みのサマースクールということもあり、普通
の会よりも親密な話ができた。ある夕食の席では、マルクさんの他に、フライブルグ
で医学倫理を研究しているイタリア人のクラウディア・ボッザロ(Claudia Bozzaro)
博士、ポーランドはポズナン医科大学の哲学者マルチン・モスカルヴィッツ(Marcin
Moskalewicz)博士、そしてパリ大学の院生でわたしと同じ医学哲学セミナーのメン
バーでもあるデルフィーヌ・オリヴィエ(Delphine Olivier)さんが同じテーブルにな
った。クラウディアさんはもともとハンナ・アーレント(Hannah Arendt, 1906-1975)
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やハイデッガー(Martin Heidegger, 1889-1976)を専門にしていたので、いろいろと参
考になる話が出た。まずこちらから、3.11 のフクシマの後にドイツはなぜ原発につい
てあのような決断ができたのかについての意見を訊いてみた。クラウディアさんの見
立ては次のようなものであった。ハイデッガーの弟子で第 2 次大戦後ニューヨークの
ニュースクール大学(The New School for Social Research)でも教えていたハンス・ヨ
ナス(Hans Jonas, 1903-1993)による人間の生と環境を同じ地平に置く新しい哲学や
倫理が緑の党などの思想的背景にあり、このような倫理的思考が一般に広がっていた
こと。それから、ドイツには西欧では優勢に見える自然を支配するという哲学ではな
く、自然と一体になるような思想の歴史があることが絡み合い、決断の遅いことで有
名だったメルケル首相が驚くべき決定をしたのではないかと彼女は見ていた。
夕食会のテーブルを囲む面々
(左から)マルク・シュヴェーダ(ゲッティンゲン)、クラウディア・ボッザロ(フライブル
ク)、デルフィーヌ・オリヴィエ(パリ)、マルチン・モスカルヴィッツ(ポズナン)の各氏
(2013年10月7日)
クラウディアさんがドイツ・ルクセンブルク・フランスの合作映画『ハンナ・アー
レント』(2012)のことを話題に出すと、話が大きく広がって行った。この映画は、
雑誌 New Yorker のためにアイヒマン(Adolf Eichmann, 1906-1962)裁判をカバーした
アーレントの記事とその反響を扱っている。アイヒマンは優秀な官僚らしく、戦争と
いう状況の中で仕事として粛々と命令に従っただけで、命令に逆らったとしても大海
の一滴にしか過ぎないと考えていた他の多くの官僚と同じことをしただけであると
しっかりした口調で主張する。そこには罪を犯そうという意志も悪魔的なものも見る
ことができない。犯罪者のいない犯罪だとアーレントは考える。わたしがこの「悪の
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凡庸さ」の仮説に則り、アイヒマンは単に官僚の仕事をしたまでではないかと水を向
けると、マルクさんがすぐに反応した。「こと」はそんなに簡単ではない。もっと注
意深く見ると、彼らが考えていたことは、これからやることは酷いことだが、それは
崇高な目的のために乗り越えなければならないという明確な意思を伴うものだった
と指摘する。それを受け、時間についての形而上学的な本を書いたばかりだというマ
ルチンさんもヒムラー(Heinrich Himmler, 1900-1945)がポーランドで同様の演説をし
ていた記録が残っていると続けていた。この話は到底終わりそうになかった。こちら
に来てから感じていることは、年齢や社会的立場を超えて話ができることで、フラッ
トな関係の中での会話は実に快適である。このように時間を忘れて議論するのは久し
ぶりで、精神を活性化する嬉しい時間となった。
別の日の朝食時、マインツの医学生が隣になったので医学教育について訊いてみた。
医学生による発表が基本に忠実で、浮ついたところがないことに気付いていたからで
ある。彼女によると、マインツの医学部には在学中に歴史、哲学、倫理の研究で論文
を提出するコースがあり、学生の 4 人に一人はそのコースを取っているという。ダブ
ルディグリーになるのだろうか。医学を学びながら医学を外から見る視点を身に付け
させようという教育は、医学が知識だけではなく人間を扱う実践の技術(ars)である
ことを考えれば、避けて通れないものになるだろう。そもそも何かについて考えるた
めには、その場から離れることが不可欠になる。このサマースクールがこれから医療
や研究の現場に飛び立つ若手にとって、国際的な環境での最初の発表の場になってい
ることも見えてくる。次第に窒息状態に向かっていると聞く日本の教養課程、そして
そこで終わりとされる人間についての教育を考える時、多くの示唆を与えてくれる。
会の終盤、カズオ・イシグロ(1954-)氏の Never Let Me Go(Faber & Faber, 2005)
(『わたしを離さないで』、早川書房、2006)を原作にしたマーク・ロマネク(Mark
Romanek, 1959-)監督の手になる同名の映画(2010)を観賞する時間があった。この
作品は、人生の目的が他者の生の延長のために臓器を提供することであることを受け
入れざるを得ない若者を描いている。閉鎖された空間での教育を指摘することもでき
るだろう。日本にも若者を死へ追いやった歴史がある。彼らの人生の時間をどう考え
ればよいのだろうか。そのような運命を彼らはどのように受け入れたのだろうか。わ
れわれも自分の意思とは関係なく死に向かわなければならない。しかし、その運命が
他者の影響下にないところが彼等との大きな違いになる。静かに事実だけが描かれる
映画が終わった後に夜半過ぎまで続いた議論は、久し振りにわたしの体をも反応させ
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るものとなった。
ところで、日中は干潮になるロスコフの海を眺めている時、このシリーズ第 23-24
回で触れたイスラエル滞在中に巡った考えが浮かんできた。われわれの肉体は歳とと
もに衰え、その流れは止められない。しかし、それを止めることが老化に対する唯一
の解決ででもあるかのように天真爛漫な医学は前に進む。その前に、そもそも肉体が
なぜ衰えるのかという問いを発することはない。それは科学の仕事ではないからだろ
う。しかし、人間としては発してもよい問いではないか。そう思って我が肉体に目を
やった時、26 歳でルーマニアからパリに出て、カルチエ・ラタンの屋根裏部屋で死ぬ
まで考え続けたエミール・シオラン(Émile Cioran, 1911-1995)の冒頭の言葉が浮かん
できたのである。もし、自らの存在やそれまでの歩み、この世界の成り立ち、人類の
歩みなど、「いま、ここ」ではない目には見えないものに思いを致すという人間の大
切な営みに人生の最後の時期を充てることができるのだとすれば、肉体の機能低下は
自然が仕組んだ摂理としてむしろ歓迎すべきではないのか。そして、そのような内的
生活を持つ人が増え、その声が外に出るようになれば、社会の奥行きと襞に深みが加
わるのではないか。そんな考えが巡ったテルアビブの記憶をロスコフの海が掬い上げ
てくれた。
干潮のロスコフの海
(2013年10月6日)
(2014 年 5 月 7 日)
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