P30~P39 - 東アジア文化都市2016奈良市

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北風呂町の倉庫 × 宮永愛子
奈良市街地の東南部に位置するならまちは、
かつて広大な面積を占めていた元興寺の旧境
内を中心に発展した街区です。平城京の「外
京」にあたり、当時の道筋をもとに発展した長
い歴史をもっています。
平城京から都が遷ったあとは、東大寺や興
福寺など大寺院の門前町として、町民が力を
つけた近世以降は大和国の産業、商業の中心
地として、それぞれの時代にそって性格を変
えながら、ならまちは常にその活力を保って
きました。
現在では、江戸時代から明治にかけての町
家の町並みを色濃く残すならまちは、世界中
北風呂町に残る大正時代から昭和半ば
まで続いた染物屋の倉庫。見事な蔦に
覆われた壁には、染めた反物や糸を乾か
すため常に風が通るように工夫がされ
ていて、一見の価値があります。
(作品鑑賞時間 9:00 ~ 19:00・無休)
から人びとが訪れる観光の名所になっています。
同時に奈良市民にとっての大切な生活や憩い
の場であり、これからの奈良を元気にするさま
ざまな活動が生まれつつあるまちでもあります。
まちの歴史や風土、それぞれの場所がもつ
多彩な個性を読みこんだアート作品を道しる
べに、どうぞならまち散策をお楽しみください。
「 雫 ― story of the droplets」
染めたての糸が無数に吊され、それを乾かすために風が吹きぬけていた、使われなくなっ
て何十年もたつ染物屋の倉庫。未開封のまま残されていたガラス瓶を中心に展開する、こ
の場所の地面が見上げてきた記憶の物語を描くインスタレーション作品。
史料保存館
の
宮永愛子(みやなが あいこ)
奈良町からくり
おもちゃ館
インフォメーション
サロン
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1974 年、京都府に生まれる。ナフタリンや塩、陶器の貫入音や葉脈を使ったインスタレーションなど、
気配の痕跡を用いて時を視覚化する作品で注目を集める。2013 年、第 1 回日産アートアワードで
グランプリ受賞。これまでに、主なグループ展として日産アートアワード 2013( BankART Studio
NYK )
、あいちトリエンナーレ 2010(愛知芸術文化センター)などで作品を発表している。そのほ
かミヅマアートギャラリー、国立国際美術館などで個展多数。
p h o t o b y MA T SUK AGE
C o ur t e s y Miz um a A r t Galle r y
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ひがしじょう ど ちょう
東 城 戸 町 会 所( 大 国 主 命 神 社 ) × 黒 田 大 祐
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ち ん た く れ い
ふ
鎮宅霊符神社 × 西尾美也
東城戸町の集会所として使用されるこ
の場所には、町で守る大国主命神社が
祀られています。椿井小学校の前身の
ひとつとして使われていたとも言われる
建物を中心に作品を展開します。
(作品鑑賞時間 9:00 ~ 19:00・水曜休)
「地風」
歴史ある東城戸町会所に、扇風機を用いて人工的な風を吹かせることで、積み重なった時
間に覆われていた奈良の地勢と人びとの声をあらわにします。風を受けて進む舟に乗るよ
うに、この場所の移り変わりを巡っていくインスタレーション作品。
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かつて多くの陰陽師が居住していたと
される陰陽町にある神社で、江戸時代に
幕府から暦の出版を許された陰陽師(暦
氏)によって守られてきました。坂道の
頂上にあり、暦に欠かせない北極星を正
面に見ることができる場所とも言われて
います。
(作品鑑賞時間 9:00 ~ 19:00・無休)
「 ボ タン / 雨 」
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「公納堂町の路地奥」
と連動した作品。地域住民の古着から取りはずしたボタン
をつなぎ、雨に見立てて神社に展示・奉納する。服の使い方や意味を変更することで、現
代資本主義の目的合理的な行為を相対化する試み。
黒田大祐(くろだ だいすけ)
西尾美也(にしお よしなり)
1982 年、京都府に生まれる。大学進学を機に広島に拠点を移し、広島や瀬戸内海の歴史、出来事
をテーマに作品を制作。東日本大震災以後は「文明的なもの」と「自然的なもの」の調和と関係性
を問う作品を制作している。近年は対馬や韓国に滞在してフィールドワークを行い、地勢と文明
の関係性をテーマに映像、家電などを用いて動きのあるインスタレーション作品を展開。作品制
作に加えて彫刻家橋本平八の研究、
「チームやめよう」の主宰、広島芸術センターの運営など幅広
く活動している。
1982 年、奈良県に生まれる。装いの行為とコミュニケーションの関係性に着目し、地域住民や学
生との協働によるプロジェクトを国内外で展開する。六本木アートナイト 2014 ではテーマプロジェ
クトを手がけ、六本木ヒルズ、東京ミッドタウン、国立新美術館の三か所で大規模なインスタレー
ション作品を制作。2016 年にはあいちトリエンナーレ、さいたまトリエンナーレに参加するなど全
国各地で作品を発表している。現在、奈良県立大学地域創造学部専任講師を務める。
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奈 良 オリ エ ント 館 × 田 中 望
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奈 良 町 に ぎ わ い の 家 × 岡 田 一 郎、林 和 音
「FLOW( okada )
」
幕末から戦前まで米問屋が営まれた町家。
1980 年代後半からは民間資料施設とし
て古代ペルシャの文物などが展示され
ていました。現在は喫茶スペースやライ
ブバーなどが入っています。作品は、米
問屋時代に麦を保管した麦蔵に展示し
ます。
(作品鑑賞時間10:00 ~19:00・月曜休)
「FLOW( hayashi )
」
1917 年に古物商によって建てられた町家で、茶室や
15 畳の座敷、金箔の貼られた仏間に襖絵や装飾など、
空間構成や意匠に所有者の嗜好が感じられます。現
在は二十四節気をテーマに町家の生活文化を発信す
るにぎわいの場になっています。
(作品鑑賞時間 9:00 ~ 17:00・水曜休)
「 FL O W ( o k a d a )」 「 FL O W (h a y a s hi)」
歴史ある町家の空間にかつてあった水と空気の流れを再生させるプロジェクト。
[岡田一郎]ならまちには、春日山から流れる地下水をくむ井戸が多数あります。映像や音
を用いて地下水脈に意識を導き、井戸を通して新たなならまちの風景を提示する作品。
[林和音]通りから裏庭まで、区切ると同時につなぐ町家の空間に着目。棕櫚縄や裂いた布地
「 か やり 火 の 蔵 」
ならまちの暮らしと深いつながりがある蚊帳と奈良晒。その歴史をたどると、産業とまち
を支えてきた他の地域との関係が見えてきます。昔の記憶がしまわれている蔵で展開する、
蚊帳や晒布にまつわる風景などを描いた蚊帳のインスタレーション作品。
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を編みつないだパーツを立体に構成して、町家の天井空間で展開するインスタレーション作品。
岡田一郎(おかだ いちろう)
1976 年、奈良県に生まれる。見慣れた環境から新たな認識を導き出すことをテーマに、音を用い
たインスタレーション作品や展示場所の場所性を取り込んだ作品、写真を用いた作品などを発表
している。関西を拠点に活動し、
「リアルのリアルのリアルの」
(和歌山県立近代美術館、2015 年 )、
「reverberation―残響」
(奈良町にぎわいの家、2015 年)などで作品を発表。奈良町在住。
田中 望(たなか のぞみ)
林 和音(はやし かずね)
1989 年、宮城県に生まれる。その土地の民俗や歴史のリサーチと現場での体験を通して、場所の
記憶や共同体のイメージを神話的な風景として描き出す。
《洛中洛外図屏風》のように、細部をみ
ることから出発してより大きな全体の意味を読み解く絵画作品を発表している。2014 年、VOCA
展 2014
(上野の森美術館)
にて大賞を受賞。これまでにアートフロントギャラリー、横浜美術館アー
トギャラリーなどで個展を開催。大地の芸術祭・越後妻有アートトリエンナーレ 2015 参加作家。
1984 年、大阪府に生まれる。自然界の営みや情景を発想の起点とし、紐や縄、素材を編みつない
で立体構成したものを空間に展開するインスタレーション作品を制作する。2007 年より関西を拠
点に活動。個展や六甲ミーツ・アート:芸術散歩 2015
(六甲有馬ロープウェー六甲山頂駅)
、奈良・
町家の芸術祭:HANARART 2012(大和郡山市、浅井邸酒蔵)などのアートイベントで作品を発
表している。
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く
の
ど う ちょう
公納堂町の路地奥 × 西尾美也
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今西家書院 × 紫舟
江戸時代から昭和初年まで呉
服商が営まれていた跡地。現
在は格子戸の奥に続く路地の
両側に町家を改修した店舗が
並んでいます。ならまちらしく
奥行の深い路地の先には蔵が
残る広い空間があり、この空間
でワークショップや作品展示を
行います。
(作品鑑賞時間
9:00 ~ 17:00・無休)
室町時代における初期の書院造りの遺構として重要文化財に指定されています。もとは興福
寺大乗院の坊官を務めた福智院氏の居宅でしたが、大正時代に清酒醸造元の今西家が譲り受
けました。作品は書院の間、庭の一部で展示しています。
(作品鑑賞時間 10:00 ~ 16:00
[受付 15:30 まで]
・見学料 350 円[学生・70 歳以上 300 円]
・月曜休)
、10 月 2 日(日)は催事のため休館となります。
* 9 月 18 日(日)
、10 月 10 日(月・祝)は開館となります。
* 9 月 19 日(月・祝)
「人間の家」
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「鎮宅霊符神社」
と連動した作品。ならまちの住民から集めた古着を四角に切り抜
「 言 ノ 葉 は 、光 と 影 を 抱く」
ひとつの音に相反するふたつの意味が込められた大和ことばの特性、そこに示されている
きつなぎ合わせて、人が集まることができるパッチワークの家をつくります。家の制作は
私たちの祖先の自然に対する深い精神性を、日中韓に共通する漢字を多く用いて、言葉が
住民とともに行い、展示期間中に制作過程を公開します。
光となり、そして影になっていく作品で表現します。
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平 城 京 に 見 る国 際 交 流と日 本 文 化
奈良市内に見る仏教世界
聖武天皇の東大寺建立は、仏教の理想世界である華厳世界を、平城の地に現し
奈良県立橿原考古学研究所所長
菅谷文則
たものであった。東大寺を取り込む東山の小盆地群には、仏教用語から付けられ
た地名が多い。鹿野園、忍辱山、菩提山などで、それらは古代仏教の世界観から名
付けられた。平城京を中核とした理想世界は、国分寺、国分尼寺を創建すること
で日本各地に広がり、さらに東大寺の東山に仏教の聖地に擬した地名あるいは寺
をつくりだしていった。
710 年の平城遷都に先立つ大宝元年
裏と貴族の邸宅などは、木造で桧皮葺
「文物之儀、
[ 701 年]元旦に文武天皇は、
の屋根をもち、彩色していなかった。と
ここに備われり」と高々と述べた。文物
ころが、大極殿院の主要な建物は木造
の儀とは、儀式や宮殿のしつらい、法制
瓦葺で、柱などの木部は赤・緑・黄色な
貴族の邸宅には、牡丹など唐都で流行
物崇拝を中心とした日本の伝統も重視
度などが国際水準に達したということを
どに塗られていた。それを再現したのが、
した花々を咲かせていた。鶴や外来犬
していた。唐の法律制度を受け入れつ
高らかに示した宣言であった。文武天
復元された大極殿と朱雀門である。巨
を飼育することも流行していたようである。
つも、神を祀る神祇官を行政を司る太
皇の高揚感が伝わる。
大かつ美麗で、圧倒的な存在感を示し
貴族の別宅などでは和歌も詠まれたが、
政官の上位に置くなど、独自性も保っ
710 年の平城遷都は、707 年には遷都
ている。
漢詩も詠まれた。仏教寺院の経典は、す
ていた。
の計画が公表され、秋の稲刈りののち、
そして平城京の各所には、大規模な仏
べて漢文であった。奈良時代の漢文は、
現在に通じる文化や社会の根源をか
道路と橋を造ることから始まった。約
教寺院が建立された。塔や金堂などの
行政用語であり、全国を統治する公用語
たちつくったのが平城京で、そこに日本
2500 ヘクタールの京の予定地に、条坊
いわゆる七堂伽藍は、大極殿と同様に彩
でもあった。21 世紀の日本語の 7 ~ 8 割
文化の花が開いたのであった。
と言われている都市計画を実現したの
色されていた。
が漢語からなっているのは、奈良時代の
であった。平城宮遷都の第一歩は道路
文化が現在の日本文化の基盤をなして
と架橋で始まった。
あおによし 奈良の都は 咲く花の
いるからである。
碁盤の目のように、東西と南北方向に
にほふがごとく 今盛りなり
こうして平城京の文化は、8 世紀の世
基幹道路を布設し、こうして出来た方
小野老(
『万葉集』巻 3・328 )
格内に道路幅のやや狭い区画を設けた。
界水準となったのである。それを示し
ているのが正倉院宝物であり、寺々の仏
平城京の北側中央部には、天皇の住居
は、その美しさをあますことなく讃えた
像や工芸品である。それは奈良時代文
である内裏と、政治の中心の大極殿院な
歌である。
化であるとともに、8 世紀の世界水準に
どを備えた平城宮が設けられた。平城
貴族と官人は、身分によって定められ
追いつき、追い越した姿を示している。
京という四角形の内側に、80 数 個の四
た色の衣服を着ていた。その基本は、8
平城、つまり奈良市の周囲の山々、春
角形(坊という)を作り、その内側もさら
世紀における世界最大の都市であった
日山には春日神社を祀り、生駒の山には
に小さい四角形に区画していった。内
唐都・長安にならって華やかであった。
住馬神社が祀られているように、自然
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菅谷文則(すがや ふみのり)
1942 年、奈良県生まれ。県立橿原考
古学研究所・シルクロード学研究セ
ンター、滋賀県立大学 教 授を経て、
2009 年から奈良県立橿原考古学研
究所所長。専門は都城と仏教寺院の
考古学を国際関係史から研究する。
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