enter for estoration of egional C R R NPO 法人 N No.33(発行:2013.7.29) ature ―地域自然回復のために― 森林再生支援センターニュース 特定非営利活動法人 森林再生支援センター 理事長 藤田 昇 〒603-8145 京都市北区小山堀池町 28-5 TEL 075-211-4229 FAX 075-432-0026 URL:http://www.crrn.net E-mail:[email protected] 京都三山の歴史を読み取り、 これからの森のあり方を構想する 森林再生支援センター専門委員 髙田研一(髙田森林緑地研究所) 1.京都三山の歴史 京都の山はハゲ山ではなかった 疎林です。その林床には高さ 1.5~2m までの高さ 東 山 はハ ゲ山 だ った と い う暴 論 を唱 え る 人 が い のツツジ科低木が 密生 してい る状態 で管 理 されま ますが、そうではありません。 す。ふつう 5~7 年に一度伐採しますから、見よう 千年の都として京都を囲む山々が持続的に循環 によってはハゲ山と見 え るかも しれませんが 、これ 再生する仕組みが作られるようになったのは、巨 も循環的利用の一瞬です。ツツジ科低木の中でも 大な人口に対して必要な循環再生する森の形を 先に挙げたコバノミツバツツジがもっとも多くつくら 京 の 人 々 が 文 化 と して 育 む 歴 史 が あ った か ら だ と れ、燃焼効率も高いものでした。大原女はこれを 私 た ち は考 え てい ま す 。 も ちろ ん近 江 や 丹 波 から 市街へと運び、売り歩きました。 の 供 給 が あ った に せ よ 、京 都 の 街 に は三 山 からも 薪炭林は 10 年から最長 20 年で定期的に伐採 大量の燃料材が供給されました。 がされましたが 、三 山の 場合には炭 を焼く よ りも 薪 その 場 と なる の が 、 シバ 山 と 薪 炭 林 の 使 い 分 け の 形 で 出 荷 さ れ る ケ ー ス が 多 か っ た と 聞 い てい ま です。つまり、燃焼時間が短いけれども火力の強 す。 いシバ材と燃焼時間の長い薪材をつくる森が分け おそらく 室町 期から昭和 期の半ばに 至るまでの られ、そこで効率的に生産ができるように使う樹種 長い間、三山で当たり前に見ることのできた風景と だけをローテーションで 伐る仕組みがつくられまし なったのはこの時代のことでした。現在のスギ、ヒノ た。 キの人工林の大部分は当時はありませんでした。 シバ 山 は 、 花 崗 岩 や チ ャ ー ト と 呼 ば れ る 硬 い 岩 盤が風化した薄い土壌層 からなる山を選 んで作 ら 三山の山としての利用の あり方をも う少 し広く み れる低木採取用の薪炭林で、アカマツが散在する てみましょう。三山には社寺の所有となっていた山 1 が広くありました。地区としてのまとまりから言うと、 部が旧領地としていた社寺に還付されていること 古くから農業を行っていた賀茂(西賀茂、上賀茂)、 が近年明 らかと なってい ます。国と しても 後ろ めた 二ノ瀬、市原、静原、大原などを除いて、それ以外 いところがあったのかもしれません。 の場所は大抵のところが社寺が関わる山でした。 この上知令による所有権の移転にともなって、どう 天台寺門宗三井寺は如意越えという京都と大津 せ 自分 の 山で はなく なる のだ からと 金 目の 木 は伐 をつ なぐ 最 短 の 街 道 筋 を す べ て寺 領 と し て多 く の るということもされ 、森はさらに荒れることと なりま し 塔頭を山並みに散在させていました。大文字山の た が 、 その 後 の 第 二 次 世 界 大 戦 の 前 後 の 燃 料 不 南 側 、鹿 ケ 谷 に 三 井 寺 の 山 門 が あ っ た と い うの で 足の時代にもこれに輪をかけて森は伐られることと す か ら、あ の 三 井 寺 も 京 都 の お 寺 だ った の かと 驚 なりました。 くばかりです。吉田神社は吉田山だけではなく、現 吉田山や双ケ丘などで昭和 30 年代頃に見た一 在の京都大学本部構内となっている吉田の地を領 部の風景はハゲ山と呼ぶにふさわしいものでし 地としていました。 た。 先にも言いましたが、京の都を取り巻く広い場所 しかし、その後スギやヒノキの拡大造林を終える が社寺領と なっていま した。と ころが藩籍 奉還 、廃 と、一転して森への関心は失われ、山を削ってゴ 藩置県が行われる明治初期に大掛かりな土地の ルフ場にならないような山にはだれも見向きもしな 所有権の整理が行われました。つまり、封建的所 いというところが増えてきました。 有権から近代的所有権への移行にあたって、上知 昭和 11 年の室戸台風で多くのアカマツがなぎ 令という名の下で国有地へと移されることとなりまし 倒された東山ではシイやヒノキが植えられましたが、 た。 それ ま で の ア カ マ ツ は徐 々 に 姿 を 消 し 、 代 わ っ て この所有権移転の本質は、社寺が所有していた シイが拡大する時期がやってきます。 封建遺制である貢納権(徴税権)の国(明治政府) 現在の森の姿は過去 2 千年のアカマツが多かっ への 返 還 を意 味 してい ま した 。社 寺が 有す る 社寺 た時代とは異なったものとなっています。京都三山 有林の権利とは、農民があたかも領主への租税を の森はどんな森から成り立っているかと問われれ 支払 うと い う意 味で の領 主の持 つ 貢納 権 と同 等 の ば 、次 の ように 特 徴 づ け られ る の で はない で しょ う 権利しかない から国に返 せということが前提 となっ か。 ています。 2.三山を構成する森の姿(植生)のいろいろ しかし、各社 寺の 背景 を成 してい た三 山に つい ては、各社寺と 一体と なった位置関係にあるとと も 常緑広葉樹林 に、多くの場合埋葬地としての利用も含め、自ら山 シ イ林 : コ ジ イま た はス ダ ジ イか ら なる 常 緑 高 木 で の 経 営 を行 っ て き た と い う 点 で 貢 納 権 を有 す る 土 単純一様な森となりやすい。三山では特に近年、 地であったとは言えませ んでした。とくに例えば出 シイ林の面積が拡大している。 雲神 道 系の貴 船 神社 や 上賀 茂 神社の 場 合に は、 ソ ヨ ゴ 林 : 粘 土 質 の 立 地 の ア カマ ツ 枯 死 後 の 森 の 御神体たる貴船山、神山をそれぞれ上地されてい 典型。 るわけですから、その背景には別の政治的理由が アラカシ林:谷あいなどの急斜面地に多い小群 あったのではないかという憶測を呼ぶこととなりまし 落。 た。 ヤブツバキ林:痩せ尾根または急斜面地で小群落 国有林と なった三 山の多 くの場所で 、林 野庁が をつくる。 引き 続 き山 の経 営 を行 うこと と なりま したが 、と ころ アカガシ林 :現在は局所 的に数本のアカガシがみ が戦後に至るまで山からの薪炭材販売収益の一 られるだけの場合が多い。 2 ツク バネガシ林 : 礫 質 斜 面に 多い 。現 在 は小 群落 た可能性が高い。ただし、森の姿は全く異なり、 に留まる。 落 葉 広 葉 樹 も 含 み 、林 内 は明 る か った と 考 え ら ウラジロガシ林:谷あいなどの巨礫がある箇所に多 れる。 いが、現在は小規模な群落。 スギ林:市北部の多雪地には斜面に落葉広葉樹と クロバ イ林 :尾 根 筋の や や粘 る 土質 で小 規 模 な群 ともに混交林をつくっているが 、三山にみられる 落をつくる。 ものはほとんどすべてが人工林。 モ ミ 林 : 比 叡 山 に はわ が 国 一 級 の モ ミ 巨 樹 林 が あ 落葉広葉樹林 るが、それ以外では落葉広葉樹や常緑広葉樹 コナラ林: かつ て人為 的 に拡大 された 薪炭 林の一 と混じり合って混交林をつくっているケースが多 種で 、も っとも 多い 。アカマツ枯 死後に コナ ラ林 い。いずれも自然性が高い森である。 となるケースも多い。 ウラジロモミ林:比叡山 8 合目に天然林が小規模 アベ マ キ 林 : 同 じ く 薪 炭 林 を つ く る が 、 ア カマ ツ 枯 に純林となって残っているほか、大原、貴船山 死後にはアベマキ林とはなりにくい。 などに少数の自生が認められる。 イヌ シデ 林 : コ ナ ラ林 よ り 寿 命 が 長 く 、自 然 性 が 高 ツ ガ林 : 貴 船 山 、醍醐 山 の限 られた 一 部にだ けみ い森。局所性があり、大文字山周辺に多い。 られる。基盤岩の風化が 発達した尾根 部にみら イロハモミ ジ林: 人が残 し、植 え てきた 植栽林が 山 れる。 裾に多いが小規模。ケヤキなどのニレ科高木の 下 層 に も 多 く 植 栽 され て い る 。 礫 質 の 谷 あ い に マツ枯れ、ナラ枯れによってこれまでの森の主 は小規模な自然林がみられる。 役であったアカマツ、コナラなどが大量に枯れ ケヤキ林 :現在 は鞍馬 山 、岩倉 などに小規模に残 ている るだけ。 マツ枯れは大部分のアカマツがすでに枯れてい エ ノ キ ・ ム ク ノ キ 林 : 現 在 は人 に 利 用 され て い な い るためにこれ以上大きな景観変化は生じにくくなっ 扇状地上部に小規模に残る。 ていますが、さらに枯れが進むとみられます。 リョウブ林:アカマツ疎林に薪炭樹種として植えら ナ ラ枯 れ は、 旧 薪 炭 林 の コ ナ ラや アベ マ キ な ど れたものが現在では小規模なリョウブ林として残 が枯れ てい ます が 、今 後 はさらに 枯れ 進む と 同時 る。 にやがて旧アカマツ林で育っているコナラも枯れ カナクギノキ林:シカが食わないため、カナクギノキ 始 め る で しょ う 。さ らに シ イが 枯 れ 出 す 可 能 性 も あ だけが残された形となった。 ります。 ネジキ・コバノミツバツツジ林:アカマツ枯死後の旧 このような結果、シカの生息しない蹴上げ以南 シバ山利用されていたツツジ科樹種の群落。 の東山以外では、市街地近くの急斜面地での山 コシアブラ林:山腹中程~尾根の小規模な崩壊地 腹崩壊に注意しておく必要がありま す。 形の土溜まりに小規模な群落をつくる。 ミズナラ林:三山の北部大原に認められる。 シカによる被害は甚大で今後災害の危険性も タマミズキ林:高台寺山北向き斜面にまとまった小 高まっている 規模な群落がある。 シカが増加し、市街地近くまで出てきているため、 山腹斜面を支える樹木根系となる森の後継樹が育 針葉樹林 ちにくくなっています。 ヒノキ林:現在は人工林がほとんど。平坦な粘土質 また、これまで森を支えてきた樹種の多くが後継 の尾根筋にはかつてヒノキ天然林の姿がみられ 樹ばかりではなく、樹種によっては樹皮を食われ 3 て枯れるところにまで至っています。 シ ステ ム をつ く り 上 げて い ま す 。マ ツ と 共 生 す る キ 三山で被害が集中してい るのは、醍醐 、大文字 ノコは多くの 草がよく育 つ ような中 性 、弱 酸性の土 山、比叡山、上賀茂、鞍馬、小倉山、嵐山、大原 壌 を嫌 い 、強い 酸性の 土 壌 を好 みま す 。この 酸性 野などの広域に及んでいます。 の土壌は多くの場合、尾 根筋などの風化した岩 盤 が 元 と なる 硬 い 土 で 、風 化 以 来 その ま ま の 状 態 で 3.病んでいる三山の森の再生を考える 堆積しているもので 、残積土と呼ばれている多くの これからの森の姿をみんなで構想することとしま 広葉樹には育ちにくいところになっています。 しょ う。ま ず 、現 在 の 傷 んだ 、あ る い は不 健 康 な森 ところが、少しずつ広葉樹の落ち葉が堆積して の姿についてどうみればよいのかを考えます。 いく と 、土 の中 の バク テリ ア類が 大 量に 増 えま す 。 すると、土壌はキノコの育ちにくい弱酸性の土壌と 傷んだ不健康な森をどうみるか、あるいはどう なって衰えていきます。つまり、アカマツを育てよう するか? とすると、山の落ち葉の清掃や広葉樹類の伐採が 現在の森は、マツノザイセンチュウやカシノナガ 必要となるわけです。このためには、たいへんな労 キク イム シ、あ るい はシカなどの攻 撃によ ってず い 力が要ります。その労力を 100 年にわたってかけ 分傷んでいます。また、他の種類の樹木や生物の 続けることができる体制があればアカマツを大木に 暮 ら し を妨 げ や す い シ イ 林 が 増 え 、 手 を 入 れ な け まですることができますし、20 年でよいからというの れ ば 同 じよ うな 働 き をす る スギや ヒ ノ キ の 人 工 林 も で あ れ ば 、頑 張 る 方 が そこに お い で に なれ ば 小 さ 大面積に及んでいます。 なアカマツ林を育てることができます。また、アカマ ツがもし健全に育つのであれば、これと 相性のよい ①マツノザイセンチュウについて ツツジ科の低木などは共存させることが可能です。 マツ枯れの原因は外来の害虫であるマツノマダ ラカミキリが運ぶマツノザイセンチュウによる一種の 伝染病で、感染力が強く何年かおきの発生のピー ク も これ ま で み られ ま し た 。も し 、 こ の マ ツ ノ ザ イ セ ンチュウに対する抵抗性がアカマツになければ、 13 年以内に枯れるという専門家もいます。いずれ にしてもこの伝染病がある限り、長期生存できる可 能性 はほと んどゼ ロと い ってもよ い かも しれま せ ん。 た だ し 、時 折 り アカ マ ツ の 中 に マ ツ ノ ザ イセ ン チ ュ ウに 対 す る 強 い 抵 抗 性 を 持 つ も の が あ って、枯 れ アカマツ枯死後の森林の状況 ることがないことが知られています。このような強い 抵抗性をもつアカマツの苗のことを抵抗性苗木と ②カシノナガキクイムシについて 呼んでいます。しかし、抵抗性苗木を植えて、アカ 近 年 薪 炭 林 で 多 く の 木 を 枯 ら せ てい る カ シノ ナ マツ林を蘇らせばよい、と簡単に言うわけにはいき ガキクイムシはそれだけをみればひどい害虫のよう ません。 に見えますが、本当のところはどうでしょうか? アカマツは外生菌根性といって根系が地下の養 コナラを伐っても直ちに萌芽によって再生する能 分を吸収するときに、細根にキノコの鞘をかぶらせ 力を活かして、人が燃料材として活用した結果が て、キノコからはミネラルや窒素分をもらい、マツか コ ナ ラの 薪 炭 林 で す 。薪 炭 林 が 当 た り前 に ロ ー テ らは炭水化物や糖分を提供するといった物々交換 ーションを守って利用され続けていれば、コナラの 4 幹 直径 が それ ほど太 く なる こと はなく 、この場 合に の 3 つのケースに限って枯れを防ぐ対策を講じる はカシノナ ガキク イム シが やって来 て枯 らせ てしま こととしてはどうでしょうか。 うこと はあ りませ ん。カシノナガキ クイム シは放置 さ カシノ ナ ガキ ク イム シが 登 場 して、木 を枯 らせ る れて太くなった木だけを利用するのです。 コナ ラ ということはある意味で良い機会です。この際、ど 以外のカシノナガキクイムシの標的になる樹種もた んな森とすることが京都人、日本人の利益に適う い てい はコ ナ ラの よ う な 性 質 を持 つ こと が 多 い よ う のかをよく考えることとしましょう。 です。 自 然 界 で はカ シノ ナ ガキ ク イム シ は地 域 の 昔 か ③シカについて らいる有力なメンバー=地域生態系構成種であっ 昔から京都にもシカはいたのですが、東山、西 て、本来、自然のバランスを保つ役割を果たしてい 山などの市街地周りにまで居着くようにな ったのは るだけであ るとい う見 方 は間違 っていませ ん。しか 2000 年代になってからです。 し、現実にはどうでしょ う。自然がほどよ く残され て シカによる被害というのは、三山の場合、森林の いるような場所であれば、コナラが枯れてもその後 後継樹=跡継ぎの若い木が一部 の毒や渋みの強 にはコナ ラよりも も っと 競 争に 強 い木 が 登場 してき い木(シキミ など )を除い て育たない ことにあります 。 ます。例えば三山であれば、モミ、アカガシ、ツク 2010 年頃になると、それまで食うことのなかったア バネガシ、ウラジロガシ、イヌシデなどがありますし、 セ ビ 、 シ ャ ク ナ ゲ 、 ミ ヤマ シ キ ミ な ど も 食 わ れ る よ う それ以外でも広い場所を占有しないものが多いけ になっていますから、現在食われることの少ないシ れども 、イヌザ ク ラ、シナ ノキ 、ザ イフリボ ク 、ウラジ キミ 、サ カキ 、ヒ サ カキ 、 カナク ギノ キ なども今 後 食 ロノキなど色々と挙げることができます。けれども、 われないという断定はできません。 千年に近いあまりにも長い間山を畑のように利用し てきたので、色々な樹種のストックが点在するだけ この被害がとくに顕著な森林衰退が拡大する恐 の状況となっています。コナラが枯れたからすぐに れのつよい地域として、醍醐、山科、東山(蹴上げ 後継ぎとなる若木がやって来いといってもそれは 以 北 ) 、比叡 山 、岩 倉 、 松 ヶ崎 、小 倉 山 、嵐山 、 桂 、 無理な話です。 大原野などがあり、北山林業が盛んな地域ではや や少ないことが 2013 年現在分かっていますが、餌 カシノナガキクイムシによる「被害」対策としては 、 資源から考えると大規模な捕獲をしない限り、今後 原則としてはカシノナガキクイムシによるコナラなど も シ カの 生 息 密 度 と 被 害 は低 下 し ない と 考 え てい の枯死については、そのままとしましょう。 ます。 枯死す る木が多数発生 して、その後の森の回復 そこでどうするかが問題です。森と山の健康を が進まない状況がみられる場合においては、 保 つに はシカの 数 は多 す ぎま す から、数 を減 ら す 。 それも獲って食べてしま うのが一番良いことです 。 1)枯死した木が倒れたり、その後の裸地が拡大し しかし、狩 猟 期間 以 外で は有害 鳥 獣と しての 捕獲 て山崩れが発生し、財産、生命に危険が及ぶ災 処分の場合、産業廃棄物となったシカの死体を容 害が予測されるとき 易 に 処 分 で き ま せ ん し 、 狩 猟 期 間 で あ っ ても 市 街 2)観光資源の借景となっている森が景観的にみ 地 に 近 い 三 山 ( 東 山 、 西 山 、 北 山 ) は猟 銃 捕 獲 が て荒廃した印象を与えるとき できないところが大部分です。そこで、次善の方策 3)枯れをどうしても防ぎたいという人が労力、資力 として、シカから植物を守る、山崩れを起こしそうな を提供するとき 場所からシカを追い出すことを考えました。 5 2010 年 か ら京 都 市 で は 東 山 を調 査 し、急 い で の 松 尾 大 社 の シ イ林 も 三 山 の ほかの シ イ林 と 同 じ シカから山と森を守らなければならない場所を見 ように 勢力 をじわ じわと 拡 大 してい ますが 、そ の主 つけ出して、シカを立ち入らせないための小さな 役はスダジイではなく、小さめのドングリを沢山作り 囲いであ る防鹿 柵 を毎 年 着実に張 り続 け、その 中 繁殖力の強いコジイです。 にさまざ ま な樹 種の苗 木 を植 栽す る事 業 を始 めて 東山や西山の観光地を歩けば、地元の人の中 います。 にシイを嫌 う方が 多いの には驚 きま す 。何 よ りも 一 この 事業 は現在 の状 況 からみ て、 近 い将 来に は 年中スギやヒノキの人工林のように林内が暗いこと 三山の広い地域にかけての大掛かりなものとなら は、季 節 感 に 乏 しい と い うば か りで は なく 、森 で の ざるを得ませ んが、実際 にはその作業の進捗のた 共存を許される他の樹種が少ないことも問題とされ めには手間と費用が掛かり、ほんの少しずつしか ます。少しぐらいのシイの森があることはとても大事 手を打てないのが現状ですし、すべてを公的資金 なことですが、あまりにも蔓延りすぎることが問 題と によって賄 うことの是非に つい ての議論も あり得ま なります。 す。 長 い 間 人 の 手 が 加 わ っ てい ない シ イ林 と い うの は、宮崎県の綾町の原生林、伊勢神宮内宮にある 原生林などをみてもそれほどシイばかりが森をつく っていません。松尾大社の古いシイ林にしてもよく 見るとその森の内 部には大きなカスミザク ラなどの 落葉広葉樹が場を占めているのが分かります。こ の よう な森 で は 、時 間 を かけ なが ら 、ツ ク バ ネ ガ シ や シラカシなどの カシ類 、モミ などが場 を占め 、大 きなシイが何本か倒れた後には土の状態が変わり、 光が差 し込 んで落 葉 広 葉樹が 場 を占め る よ うに な ると考えられます。そういう点で、多くが樹齢 100 年 に達しない三山のシイ林はまだ若いということにな ります。 ナラ枯れ後発生した裸地における苗木植栽 そのため、観光という点や将来の斜面防災対策 ④シイ林について として、時間をかけてその時期を待つことはでき な 京都にはスダジイとコジイという 2 種類のシイが いというのであれば、単純なシイ林の森の構造が 森 をつ く って い ま す 。海 の 近 く に 多 く み られ る ス ダ 豊かな構造へと緩やかに変わっていくのをもう少し ジイは内 陸 部 で は神 社で よ く 見 かけ、京 都に は古 早めるための措置=一部のコジイを伐って、明るく い時代に持ち込まれたものだと言われています。 なった場所に本来その場 所にいてもよい木を植 え 一方、コジイは京都にはもともと育っていたものら てい くと い う作 業 を行 うことは選択 と してあ っても よ しく 、三 山の山 裾に 小 さな森をつく っていま した が、 いと考えます。 木材利用の盛んな時代にはひっそりと社寺林に陰 を潜めていたようです。シイはいずれの種も大文字 ⑤スギ林について 山以 南の 東 山 、西 山 、醍 醐 、小倉 山 などの粘 った 京都の北山 杉とい う床柱 を生産 する林 業は、今 土と なる地 質に はよく 合 う性質 を持 っていますが 、 でもわが国を代表する林業のあり方として大切にし その中でも松尾大社には、スダ ジイとコ ジイが混 じ たいということに異論を唱 える人はないでしょう。し り合 って育つ古 い歴 史 をもつ シイ林があ りま す 。こ かし、その北山をはじめとして、他の三山地域にみ 6 られ る スギ林で は放 置 さ れ てい る と ころ が少 なく あ もともとわが国のヒノキ天然林というのは、寿命 りません。 500 年以上に達する大きなヒノキの根株周りのコケ 手入れ された スギ林 は美 しい と感 じる 人も多 く 、 の 上 に 多 く の 子 ども = 稚樹 を発 生 させ 、親 木 が 失 しっかりと手入れするほど経済的価値も高まります われる と子 ども (稚 樹 )が 代わ りに 大きく 育つ とい う が、十分な手入れしない場合には樹齢 100 年をは 循環的な世代交代を繰り返してきた種類です。 るかに超える超長伐期施業をしない限り、なかなか 天然の ヒノキ 林と い うの は伐 り過ぎ ると 用材が 採 経 済的 価 値が 高 ま らない のが現 実 で す 。しかも最 れ な い 「 尽 山 」 に な りま す 。 この 状 態 の ま ま 森 が 回 も問題となるのが、このよ うな超長 伐期施業 を行っ 復せず 、風 雨によって表 土が失われると 本当の意 た場 合 、どこで もそ の価 値が 高ま るわ けで はなく 、 味でハ ゲ山 と なって滋賀 県の田 上 山のように 千年 スギ林育成に適した立地に限られることです。 以上もの間この状態が続くこととなります。そこで 三 山 で 昔 か らス ギ を育 て てき た 歴 史 が あ る の は 木曽のヒノキ林を持っていた尾張藩は「留山」=保 北 山 で す が 、その 北 山 で す ら、す べ ての スギ林 が 護 林 と して 森 が 回 復 す る ま で 長 い 間 待 ち続 けま し このまま 50 年を経過しても、すべてが立派な価値 た。ところが、これが国有林に移され、留山のヒノキ あ る スギに 育 つ と は言 え ま せ ん。 植 え る こと 、手 入 を伐 り出 し始 め ま す 。電 動 ノ コ ギリ ( チ ェ ー ン ソー ) れすることに補助金が出てきた背景があったからこ の 登 場 は生 産 性 を飛 躍 的 に 高 め ま した から 、あ っ そ、成立 してきたスギ林 、あるいはヒノキ林があり、 という間に尽山が生まれ ました。これを補 ったのが、 その中には今すぐにでも伐る必要のある場所が多 ドイツ式のいわゆる近代造林です。ヒノキ林を一度 く 含 ま れ てい ま す 。 し かし 、伐 っても なか なか利 益 に伐採=皆伐すると再びヒノキ林に戻ることはない が出るどころか、経費倒れになるところさえありま の で す が 、大 量 に 植 林 し てヒ ノ キ 人 工 林 に 仕 立 て す。 る方法を本格的に採用していきました。 そこでどうすれば良いか。スギ林を自然条件と こうして日 本 中 で 皆 伐 - 造 林の 仕 組 みが 出 来上 社会条件からも う一度見 定めると いうことが第一で がりました。これは地域や国に一時的に富をもたら す。 せ ま した が 、長 期 的 に みる と 、あ ま りに も 問 題 が 多 い 方 法 で はなかった かと い う指 摘 も なされ る よ うに ⑥ヒノキ林について なっています。反省なくして次の時代の造林、森 スギ 林 と 同 じ こと が ヒ ノ キ 林 に つ い ても 言 え ま す 。 林育成は成り立ちません。 三山をつくり上げる岩盤にはいくつかの種類があり ますが、砥石をつくる材料で知られる粘板岩(泥岩 わが国の伝統的な造林は茄子伐りと呼ばれる成 の 一 種 ) が 風 化 し てで き た 粘 土 質 の 土 壌 が なだ ら 熟した木 を選 木 した上で 、一 本ず つ伐 り出 す方 法 かな尾根筋に広がる地形が、このヒノキの育つ場 でした 。こうすれ ば 、伐 り出す ときの 手間 以外に造 所には最も適しており、東山や西山などにこういっ 林やその他の管理作業を必要とせずに元の森に た場所が多くみ られます 。その 多くがヒノキの造 林 回復していきます。一旦、この森をつくることができ 地となっていますが、ほとんどが間伐などの手入れ れば、収 穫だけを行い 、後の手間は一 切 不要と な が必要なドイツ式の造林を採用しているため、昨 りますから、ローリスクローリターンで確実な収益が 今の材価 低迷の 煽 りを受 けてい ることもあ り、手入 見込める自立的な林業が成り立ちます。 れされることが少なくなっています。この とき、ヒノキ 良い材質のヒノキを生み出す場所にだけヒノキ の人工林で は手 入れせ ずに放置 しておく と 、す べ を育て、そうでないところにはそれぞれの場に適し ての ヒノ キの樹 勢が 衰 え る傾 向がで てくる ことが 問 てい る 多 様 な 樹 種 を育 て る こと が 持 続 的 で 豊 か な 題となっています。 森林資源を提供することになるのではないでしょう 7 か。 などで議論されてきた内容などを参考にしながら、 ただし、三 山の場 合 はヒ ノキに適 したと ころが多 森 の あ り 方 に つ い て も う一 歩 踏 み 込 ん で み た い と いわけですから、時間をかけてでもわが国らしい持 思います。 続的な森林経営と豊かな自然資源が共存する 300 年以上のヒノキ林を育てていくように管理の方法を 大きなテーマは、 「 京都らしさ=日本らしさの 思い切って切 り替える こと が必要となっているので ある美しい森を整備する」ということになりま はないで しょ うか。東山 や西 山の あ ちこちでは、 あ す。 と 200 年も経てば、ヒノキの大きな木が林立し、そ 京都三山の自然は寒暖差のある内陸部にあっ のすき間に紅葉があちこちにのぞき見える景観と て暖温帯から中間温帯、つまり常緑広葉樹林の発 して、多くの人々が日本の休日を楽しむことができ 達するゾーンから中間温帯性針葉樹林、落葉広葉 るようにもなることでしょう。これを和風ヒノキ林と称 樹林のゾーンまでの広がりを持っています。 することとします。 原生林は美しい、しかも維持管理費は不要 4.京都三山の森の価値を高めるためにどんな 森への人の影響が少なかった時代には、樹齢 森にしていく? 500 年 以上に 達する 大 径木が林立 する針 葉樹 や 具 体 的 な 森 の あ り方 に は も う少 し原 理 原 則 を 整 常緑・落葉の広葉樹の原生林が並び立っていただ 理しておいたほうが良いかもしれません。京都市 ろうと考えられます。わが国に残る数少ない原生林 三山森林景観保全・再生ガイドライン(以下 、三山 は どれ も 見 事 に 美 し く 、 その 場 で 生 き る こ と を許 さ ガイドライン)では、三山 の森のあり方として、以下 れた多くの生物が共存する場になっています。こ の 4 つの基本方針を示しています。 のような森 は公 益的 な価 値のいずれ もが充 足 され る場でもあります。原生林 となればもちろ んその保 1)人との関わりの中で形成されていた森林には手 全のためのコストは人間活動を制限することによっ を入れていく森林景観づくり て限 り なく ゼ ロに 近 づ き ま す 。 つ ま り 、 京 都 の 地 域 2)森林の公益的価値の重要性に応じた森林景観 生態系としても っとも豊かなかた ちとなる原生林 は づくり 美しく 、生物多様 性に富 むとともに、維持 管理コ ス 3)適地適木の考え方を基本とした森林景観づくり トを必要としない点でもすぐれた性質を持っていま 4)市民や NPO 、事業者 等との協働による森林景 す。 観づくり ということは原生林に戻せばよいということでしょ この基本方針はこれまで放置されることの多か うか? った三山の森に必要に応じて手を入れること、この 森林を利用することなく放置したままにすれば、 と き 公 益 的 価 値 の 大 き なも の から順 に 事 業 を進 め このような原生林に戻るには少なくとも数千年以上 る こと 、人 間の 都 合だ けで はなく 、自 然の あ り方 に も の 歳 月 が 必 要 に な りま す 。 元 々 京 都 に あ った 原 即 した 森 づ く り を進 め る こ と 、み ん な で 手 分 け し て 生林を構成 していたような樹種 は長年の間に失 わ 森づくりを進めようということが示されています。 れたものが多く、再び戻るまでに夥しい時間を要 しかし、まだこれだけでは具体的な森のあり方が するのです。このため、原生林に回帰することはそ 見えにくいかもしれません。そのために上記の基 んなに簡単なことではありません。 本 方 針 をベ ー スに 、これ ま で の 何 度に も 及 んだ 三 三山の公益 的価 値を左 右する景 観的 価値や 防 山 の 森 に つ い ての シン ポ ジウ ム 、 研 究 会 、勉 強 会 災的価 値 は今 現在 必要 とされる価 値で あって、都 8 ホテルから間近に眺望 されるナラ枯れ跡地のハゲ 年の歳 月に わた って祖 先 が利用 し続 け、変 え てき 山 を 見 れ ば 、事 は 急 が な けれ ば な りま せ ん 。 時 間 た森を原生林にすぐに戻すことは叶いません。し スケールを考えることが必要です。 かし、この原生林のもつ美しさに気づき、それを庭 園とい う限 られた場 で活 かそうと してきた 歴史が 京 林業の再生、薪炭林の復活は? 都にはあります。 では、かつてのような林業の場としての経済林 鎌倉から室町時代にかけての僧で天龍寺の開 に戻すことが良いのでしょうか。今や高価で売れる 祖、夢窓国師 はその 文化 を切 り開い てきた 一人で ことが期待しにくい人工林のスギやヒノキはともかく、 した。自然の美しさをある がままの姿だけに留める 木質バイオマスとしての燃料材の使用は地球温暖 ことなく、木々を凝縮するように庭という限られた空 化にも寄与します 。そ うで あるなら、三 山で薪炭林 、 間に収め、同時に背後の広がる山々に見る森のか あるいはシバ山の再生は可能でしょうか。 たちと一体となる景色をつくり上げました。 土を盛り、石を配置し、池には池に映える木を選 薪炭材は伐った木の長さが短冊に揃うようにまと び、モミジの根を粘土の上に育てたコケの上に張り めて束をつくりますが、この作業を伐るところから 巡らせ、常緑と落葉のコントラスト、針葉と広葉のコ 一から始めれば、よほど道から近いところでない限 ントラストが見事に美を演 出するような庭園が夢 窓 り一日 6 束を運び出すのが精一杯というところでし 国 師 をはじめと した 多 く の作 庭 家の 努 力の 歴史 が ょう。そうす ると 、一束千 円で買って、薪ストー ブで 京都にはあります。あえて木を植えることなく、空い 炊くとなると、その燃料費は電気ストーブやガススト た 空 間 = 間 ( マ ) を取 る こ と も 重 要 な技 術 で す 。 木 ー ブよ り はる かに 高 い も の に なりま す 。 し かも 燃 や はま っすぐ 育つ ことだ けを良 しと しない 、樹木の 種 した後 の灰の 廃 棄 物処 理も 考 え なけれ ば なりま せ 類やかたちの 有 り様の多 様さを積 極的に活 かしな ん。 がら無駄のない空間を生み出すことも匠の技で しかし、それで も環 境の ために薪 ストー ブを使 う す。 ということは良いことであ ることは確かかもしれませ このような緑づくり、森づくりに係る京都の文化 ん 。た だ し 、 これ を 大 観 光 地 に 近 接 す る 三 山 で や は自然のありようをベースとしているだけに景観ば る意義はあるでしょうか。かつての大原野の薪炭林 かりではなく、自然力としての防災性や生物多様 の よ うに 、美 しい 花 を 咲 かせ る カ タ ク リ の 群 落 を 林 性に 富 んだ 空 間の も つ 価 値に もつ なが ってい る も 床にもつ森を再生しようという提案には大賛成で のと解することができます。 す。しかし、カタクリの花を見るハイカーのために と す れ ば 、 京 都 の 山 で は 作 庭 家 た ちが つ く り 上 多 大 な労 力 を 割 き 続 ける こと 、 薪 炭 林 経 営 を自 立 げてき た 技 術 をベ ー スに して森 づ く りを進 め る こと 的に再生することはたいへん困難であって、可能 が良いのかといえば、それだけでは森づくりに膨 であっても篤志家が細々とこれを実現できるかどう 大なコストが必要となってしまうことが予想されま か と い う 程 度 に 留 ま る と 考 え られ ま す 。 し た が っ て す。 三山の森の大部分については里山再生=薪炭林 の復元・再活用とは異なった森のかたちを構想し 結局、最適な目標をどう設定したら良いのでし ていくことが求められます。 ょう そこで、三山ガイドライン の「公益的価値の重要 京都伝統の美意識、作庭技術を活かせな い? 性に応じた」という一文に戻ることに なります。 森 の かた ちの 美 し さは 間 違 い な く 原 生 林 に あ る 森林に費用をかけることは、費用をかける人間 ことは多くの人々が認めるところです。しかし、2 千 側の 利益 に応 じてと い うことに なりま す 。公 益的 価 9 値の重要性に応じた森林整備とは、公的負担によ 追い求めてきた造園、作庭の技にも学ぶことがたく る こと を前 提 と し てい ま す から、あ る 場 所 の 森 林 が さん あ りま す 。 この 形 の ヒ ノ キ 林 経 営 を 目 指 せ ば 、 も つ 公 益 的 価 値 の 大 き さ が そ れ ほど大 き い も の で 四 季 彩 の 美 し さに 満 ちた 森 で あ り 、 かつ 造 林 業 の ない 場 合 に は 、そ の 森 に対 して大 き な費 用 をか け 場とすることができます。 ることには社会的な合意が得られないでしょう。 人が訪れることの少ないところであれば、その場 その森が民有林の場合、土地所有者が自らの の 公 益 的 な重 要 性 に したが った 森 林 整 備 と し、多 利益が 期待で きる ことから、私的 負担で どの ような くの観光客が訪れるのであれば、しっかりと費用を 森づくりや森林管理を行おうと、それが社会的ル かけ て 造 園 的 な 整 備 を す る こと も 選 択 肢 に 入 っ て ールに反するものでない以上、異議を唱えることが きます。 で き る も の で はあ りま せん。し かし 、土 地 所 有 者 に ナラ枯れの森では、本来の植生遷移の流れに このような意欲がない場合には森は結果として放 沿ってイヌシデやモミ、ツクバネガシなどの常緑・ 置されることとならざるを得ません。実際、多くの森 落葉の広葉樹や針葉樹を、背が高くなる高木種に がそのような状態にあります。 限らず多様な樹種を用い て、その場所が求められ る森の公益性に応じた森づくりが可能ですし、京 つ ま り 、「 捨 て山 」 で す 。 どの よ う な 森 で あ った と 都とい う地 域の生 態系の 豊かさの 中で 選択 した役 しても、多少の公益的意義はあると考えられますが、 に 立 つ 木 を、造 園 など日 本 の 緑 づ く りの 世 界 で 究 これ ま で の 高 度 成 長 の 豊 か な時 代 で あ った と して めてきた技で、組み合わせて植えていくことが望ま も、薪炭林などは放置 されてき たのですから、これ しいと考えられます。 からの 高齢 化が 進 む社 会状 況 を考え れば 、「 捨 て 三 山 ガ イド ライン で は 、こ の ような考 え 方 の 下 で 、 山」となることは容易に想像できます。また、行政 それでも公益性の重要度の差にしたがって、メリハ 主導で人工林となったスギ林、ヒノキ林においても リ を付 ける こと が で き る よ うな森 林 整 備 の 水 準 を定 従 来 型 の 林 業 支 援 を 行 う こと が 難 しい ケ ー スが 出 めています。 てくることが予想されます。 森林の整備は、多くの樹木の生育を阻害するツ しかし、一方、三山ではヒノキの生育適地である ル植物の刈り払い程度の管理から、不必要な樹木 粘 土 質 の 平 坦 な尾 根 筋 が 広 く み られ 、そ の 多 く が の除 伐 、新 た な苗 木 の植 栽 、造 園的 な場 の整 備 ・ アカマツ衰退林や手入れをされていないヒノキ人 植栽 、散 策 道 や管 理 道 路の 整備 まで さまざ ま なレ 工 林 と し て据 え 置 かれ て い る 実 態 が あ り 、こ うい っ ベルで森林の機能を向上させる目的で行います。 た場所では 300 年以上といった超長期のヒノキ林 そこで、この異なった水 準の整備をう まく組み合わ 育成 が林 業 的に も 、公益 性 を考 え た 上で も求 め ら せる ことに よって、整備 効 果を最大化 する こと を目 れるのではないかと思われます。 標としています。 この 場 合の 森の あ り方と して、人 工 のヒ ノキ 林に 手を入れ て、あるい は新 たにヒノキの 苗を植え てヒ 森の目標像 ノキ林をつくることが必要です。 三山では、このままの価値を保ち、あるいはこの またこれから三山で育成すべきヒノキ林とは、公 まま様子をみるために守っていく森、積極的に手 益性豊かで、かつ多大な維持管理費を必要としな を入れていく森、荒れるかもしれないとしても、その い造林のかたちであって、ヒノキの大径木用材を まま放置せざるを得ない森の 3 つに分けることとな 育てると同時に、景観的にも美しい森となる造林方 ります。 法を選択することが必要となります 。これには天 然 例えば、東山には土の浅い緩やかで広い尾根筋 ヒノキ林から学ぶことが多そうですし、緑の美しさを があります。ここでは多くが粘った土になっており、 10 多 く の 樹 種 が 育 つ 条 件 と はな りに く く 、 アカマ ツ が c.シイ林へと変化することを受け入れる。 枯れて根が浅いソヨゴとヒ サカキだけの群落となっ ヒ ノ キ 林 の 適 地の 多 く はシイも よく 育 ちま す の で 、 ている場所となっています。この場所で森林整備 現況を放置しておけば、やがてシイ林へと変化し を進めようとすれば、景観的改善が主たる目的とな ていくことが考えられます。貧栄養な粘土質で土の りま す の で 、目 標 と なる 森 林 の あ り方 と しての 選 択 浅い基盤では年間を通じて養分を稼げる常緑樹 肢の例は次のようになります。 林 が 安 定 と なりま す の で 、ヒ ノ キ 林 で ない 限 りは や がて常緑のシイなどが森 をつくっていく ことは確 実 a.ヒノキ林を目指す。 ですが、シイだけでは森は安定化しません。そこで、 このような場所はヒノキ林に最も適した立地です。 ソヨ ゴ の ほかに 、ク ロバ イ 、カナ メモ チ 、オ ガ タ マ ノ ヒノキの生長は遅くなり、収穫するまで 300 年を要 キ、クロガネモチ などを加 えながら場所によって高 しま す 。この た め 、景 観 林 と しての 役 割 を考 え 、 天 木となるアカガシも加えて、異なる年齢の樹木群が 然ヒノキ林に近い落葉低木を林内の低木層で育て つくる森となるよ うに工夫 します 。苗木植栽 は最低 ながら、ときおりヒノキの傍らにタカノツメやオオモミ 限 度に 留め 、現 在 の ソヨ ゴ 、ヒ サ カキ などの 除 伐と ジなどの落葉亜高木類が育つ組み合わせを考え 新規の追加樹種の植栽を行います。 ます 。場 所 を詳 細に 検 討 すれ ば 、場合 に よっては <利点> 他の落葉高木類が育つ可能性もあります。 ・シイだけからなる森よりも景観的にマシである。 <利点> ・地域生態系の構成種からなる森となり、防災性 ・四季の彩りがある和風ヒノキ林の景観となる。 が高い。 ・今まである一部のヒノキ林を活用できる。 ・維持管理費用を必要としない。 ・数百年先のヒノキの優良材を供給できる。 <欠点> ・維持管理に多大の費用を要さない。 四季の彩りに乏しい。 <欠点> 維持管理費 を要さない時 期に至るまで、相当の 5.京都の森、日本の森のあるべき形を実現す 期間を要する。 るために b.アカマツ林を再生する。 現場から工夫することはとても大切なことですが、 歴史 的 な森の 形で すが 、現在で はマツノザ イセ それ だ けで は森 づ く り は 進 み ま せ ん 。 かつ て 拡 大 ン チ ュ ウ病 に よ っ て 抵 抗 性 苗 木 を用 い な けれ ば 、 造林を積極的に進めていた時代には、たとえ結果 アカマツ林を長期にわたって持続させることが困 として間違 っていたと しても、地域地方における現 難です。同時にアカマツと共生するキノコ類(外生 状と将来の経済資源としての人工林の重要性につ 菌根)の健全化を図ることが大切ですので、落ち いて国家としての意思形成がなされ、そのための 葉掻きやツツジ科植物やリョウブ以外の広葉樹、 予算が計上されました。 草本類の除伐を継続的に行えるような地元関係者、 ところが、成熟して伐期に達した人工林が増加し、 土地所有者の協力が欠かせません。 一方では放置によって森林がかつてないほど荒廃 <利点> する時代にあって、民業としての伐採、木材利用 ・ 昔 なが らの 愛着 のあ る 景 観 を復 元 でき る ( マツ に対 しては民 間 の 単 なる 経 済行 為 と も 位置 づ けさ とツツジの景色)。 れ る こと から、公 的 資 金 の 供 給 は支 出 の 合 理 性を ・五山送り火の用材供給源となる。 欠くために、森林の健全管理のための路網(林道) <欠点> 整備、森林の公益的機能 保全を名目とした間伐 と 継続的に多大な労力と費用を必要とする。 い った 迂 回 的 資 金 供 給 し かで き ない 状 況 が あ りま 11 す 。材 価 が 極 端 に 落 ち 込 んで い る た め に 、民 業 と の実態に よく合 う形で 再 生 さ せ る地 域自 然活 用再 しての主 伐 (正 規の伐 採 )は困難 と なっていま す 。 生ファンドといった資金募集、事業計画主体を山 つま り、経 済林 であ る はずの 人工 林 はい まや 不 経 麓縁辺部の各地域で設立して、お互いに競争しな 済林そのものであって、森林業に従事する森林組 がらも 、京都全 体と して高い理念と 技術で森 づく り 合、林業事業体、所轄地方自治体は公的資金を を可 能 と す る 仕 組 み づ く り を模 索 し てい こ う と 考 え 補助事業として受け取るべく、上部官庁、東京の て い ま す 。 そ の た め の さま ざ ま な 分 野 の 人 々 の 協 方にば かり目 を向 け続 けざる を得 ないの が実 態で 力や若い技術人材の育成にも注力が必要です。 す。 膨大な時間、莫大な労力、資金を要するゆえに、 これで は森林 業は発 展 せず 、本当に 多くの国民 森づくり、森を守る事業が広く市民一般の利益にも から必要とされる日本の森のあるべき雛形のひと 直結する巧みな知恵がなければこの事業の実現、 つ と し ての 京 都 の 森 をき ちんと 整 備 し てい く こ と は 発展はないと考えています。 難しいのではないかと思われます。 そこで 、私た ちは森林 への民間資 金の導 入を自 然体として可能となる様々な知恵を集約していこう としています。 その 知 恵の ひと つの 方 向 と して、京 都の 森の 歴 史 をき ち んと 整 理 し 、土 地 所 有 と 土 地 利 用 の 最 適 化を検討するべき時期に来ていると考えていま す。 また、地域の古いコミュニティーに残る森をめぐる 健全な社会的規範(例えば五山送り火での共同作 苗木植栽 1 年後の状況(防鹿柵内) 業など)を今の時代に蘇るように、現在の社会経済 ************************************************************************************ センター事務局よりお知らせ 2013 年 8 月 17 日(土)に、キャンパスプラザ京 ださい 。 多 数の 皆さ まの ご参 加を お待 ちし てお 都(京都市・京都駅前)において、第 15 回定時総 ります。 会、および公開シンポジウム「京都のみどりを語る 山川草木悉皆有仏性の思想と三山森林の危機 」 センター活動へのお問い合わせ、ご意見・ご提案、 を開催します。 センター入会申し込みは下記まで また、2013 年 8 月 3 日(土)には、このシンポジ ウム に 先 立 ち、本 セ ン タ ー で 計 画 を行 い 、施 工が 特定非営利活動法人 森林再生支援センター事務局 行われた森づくりの現場(京都市鹿ケ谷)を見学す 〒603-8145 京都市北区小山堀池町 28-5 るエクスカーションも開催します。 TEL 075-211-4229 総会議事案やエクスカーション・シンポジウムの E-mail:[email protected] 詳細につきましては、別紙の開催案内をご参照く 12 FAX(TEL 兼用) 075-432-0026 URL:http://www.crrn.net
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