ジョン・ガンサー箸「南アメリカの内幕I」

ジョン・ガンサー箸「南アメリカの内幕I」
$(nsideofSouthAmer1ca)
土屋哲・町野武訳,・みすず霧房,509頁
福嶋正徳
当初,国立国会図脅館法律政治課長,三谷弘氏が「南ア
メリカの内惑-1」の全体に豆ろ轡評と丁”ゼンチンに関
する部分を,桶嶋がブラジルに関する部分について惑評を
行う予定であったが,三谷氏は多忙のため別の機会に譲ら
れたので響評の飛点がブラジルに関する部分に殿かれたこ
とを燈初にお断りしておく。
ジロン・ガンサー(JohnGunther)藻8番目の所調内蕪もの。原審は1967年
Harper&ROW社から出版され,南アメリカ10ケ国を対象とするが,訳譜第1巻
(1969.8.20)には南アノリカ大域・南.東部のブラジル,アルゼンチン,ウルグァイ,
'.《ラクァイ,チリの5ケ国力;本年11月出版予定(同じく゛みす舞醗筋)の訳番第2巻には
北・西部のペルー,ボリビア,エクアドル,コロンビア,ベネズエラの5ケ厨か紹介される。
そして1141年出版の「ラテン・アメリカの内騨」とは異なる「全く新しい作品」と著
者が述べている様に,単に対象国か南の10ケ国に限られたというばかりでitif〈,著者が
北米を代表するジャーナリストとして世界的に著名度を増していた中で,その後の約)/1世紀,
それは正にラテン・アメリカ内に北米色を急速に色澱<せしめて来たところの1960年代
後半において,北米人としての著者白身の立場の意識と背景を菰<荷負いつつ,あたかもそ
れを反映するかの様に,十二分な金と時間とそして彼を受け入れる周辺のラテン的,少くと
も表面には友情溢れるもてなしの中で行われたりマイナスとプラメの両而を含んだところの
大規襖を調査旅行と,取り折Iえられた莫大なlir料に,彼の非凡な洞察力と機智として南アメ
リカ(人)を弟分いや少くとも同胞としてやりたい,そしておきたいという願認に染められ
’た視角で把えられたものという意味で調在対象と調査主体の両面の内的変化を経験した新し
・-104-
変化を経験した新しい作品と云えよう。
〔I〕ブラジルに関ナる本文51頁は,導論とも画える。(1)「プラジルーまだらの巨象」に
つづき,以下の四素に分かれている。(2)「1500年から1166年輩でのブラジル史駆
け歩き」,(3)「人間群像」(4)「都市群家」(5)「東北flh方及びブラジルの他の悩みの刺」。
これに結びの「鰹約」がある。
R「雀だらの巨象」の章ではブラジルか抱えるjK饗左問皿点として悪性インフレb遜挙
制度上の困難な政治1W鍵土地制度上の社会機槻救困と文盲を掲げている6
次に「鬮民性」「経済的要素」に触れ,前者については,ブラジルIi「異租族WH変に
J:って生じた純然たる混合社会」で,「穏健さ,平衡感鎧,現実を素直に受け入れる旭
度」を右する同民だと評し,後者については,史的起源に宮つわる土地所有権の配分上
の悪習を改めるべく土地改革を農民の解放と農業生産の高蕊化の下で行う必要を強調し,
工調kに関してはクピチェックの業舗を潔め,又労組については統制下にあり乍ら,未
だ実力衰えずとし,脱税汚蕊インフレと同I家財政の赤字との関係並びに,伯国系企
業の米国系企業に対する反感,国家独占企業体等のlllllKjを扱っている。
目「1500年から1166年まで-ブラジル史」9Kけ歩き」の章はブラジル史上のjK点
●D
的記述がなされている。ペドロニ世の退位の主因を尖ifIl主雑的感1Wの高玄i,と奴iUl解放
とレヴァルガスを「徹底した愛すべき独裁者」、「労働者を政治的生活と政治的社会
樽造の中に組み入れ主うと努力した。.・・・・…・ブラジルの現代社会立法の父」と嬢意的評
価を下し,次に’64乍雄命直前の5人の大統領:クピチェック,ジャニオ,クラール
について述べている.即ちブラジリア醜幾工莱化の促進「米州作戦の11#1,者」とク
ピチュックを「唯一の再週挙可能者」と評するのに対して,ジャニオについては,選挙
中の立作補の辞退とその取梢をどの行HMIを筑略とjIilLDとクラールについては,zEjR的改
革者であるが公約を守らず;行政的手腕を疑問視している。’64年のクーデターに111I
しては「共産主薙の審威」,「政府部間の堕落と分裂」,直接的には「カヱテロ・ブラン
コに対する事実上の左遷」,「リオの決議の大会」等をその婆因として挙げている。そ
して「共産党が“lHを奪取する可能性は恐らく誇張されていた」と述べ乍らも,「もし
・-105-
-℃
し
(政府部内の)分裂が更に進むようなことがあれ磯明らかに共産党は岡を奪い取るの
にうってつけの戦略的立場に立つであろう」と述べ「クーデターの掛値なしの結果と
して宮えぉことば代繊政体が事実上死滅してしTたったと言えることだ」と結んでいる。
白「人Ⅲ1群像」の章では,次の5人の政界人の性格描写が行左われている。即ち「勤勉,
誠実博掌頑固0親米的で独裁者呼はわれを鰍うカステロ・ブランコ,カヱテロと級
友で冷鹸神秘的なコスタ・イ・ジルバ,気力がありエネルギッシュな点で抜群で’全
力投球泓熱極さの下に冷い闘い核があb,多才で行政的手腕に秀いてh政治をやるた
めに生在れて来た男」,「全くものおじせず,冷Iwiな反抗心を持つ男」とかなbの頁を
削いて称賛しているカルロス・ラセルタ;「空戚張をし,荒っぽく,包容力があり」
「大衆の中に生きる人IIIUと著轡が評するアデマール・デ・パ■〆,そして「高潔租
像,ユーモアに寓斗,タイミングをう注ぐつかむ感覚を本し,良識ある魅力的な実業家
と絶焚されているロペルト・カンポスの5人である。尚クーデター以後について,政椛
の一時的安定の原因茜カステロの人柄と功み左デフレ剰r簾にあるとレヵステ■の後
継者をめぐるIIIj題については7右派if州知珈遡反対,カステロ翻任を主張したが,カス
テロはこれに反対した。しかし,「不適格若法」の実施にもかかわらず選挙は「シロツ
キキング」た結采をみたので,遂に躯の圧力に屈し,政党の廃止’大統領の国会にエろ
間接迩雛を含む「1111旋令」を施行,独鋼上を強め,1966年危機の中で人為的二党制
へ歩んだとしているb車末には「ブラジルを、bかしているもの」として,陸肛を蛾大の
圧力団体とし,’65年以前においては,「大物の政治屋」「徒党」を挙げ’更に「土
地ボス」,に大稲市の産業家,金融業者」をこれに加え,最後に「都市の改革は容易だ
が,土地のそれは困難である」と述べている。
“T都市群像」,本章は-J。肛要性が劣るか胆思われるが,ブラジル社会の特jL性の理
解を深めようとする狙い鯛秘められている。先づリオ。その史的変避から都市の籾liUl,
高い冠報代甘党の食噸,サンヘポサノパ,ノーンストップで続く祭典カーニバル,
更にプープー教のマクンパをしてフアペーラが対照的に述べられている。「国際都市的
性格,既動するテンポbl成功と緊張をもった都市」,「世界で最も多tii化した産業複合
-106-
■JUo
体」であるサンパウ泣市。「ブラジリア病」の原函は「殺風策左光景と役人が住んでい
る巨大左建物の面一性」にあると著者力狭めつけるブラジリア。「アフリカ的ふん囲気」
のサルパドール。それにアマゾンのマナウスである。
”「亦北地方及びブラジルの他の悩み」の章では特に貧困共産主義米園の対伯援助
とJモナLIpYリする反」N§<という複雑なrIBjlgjを追求する一応の努力の制勒O混られる。~即ち先づ東北地方の
貧困の実態を示し,そしてその原田の一つとしての「±地所右者の政治活動の章握」を
あげている。次に「読み轡きを教えると聖職者にたり,改芯という根本問題にかかわり
をもつようにたると私け共産主義者となる」と抵抗する急准主義者へルデル・カマラ,
彼の勢力に杭して大磯園の解体を促し個人経徽幾場を基盤とした協同組合方式を推進す
る「農村組織化奉仕団」の組織者で反共主義者ルデ・コスタとパウロ・クレス
ポの5人の動きを説明した後,混乱状態に追い込まれた1959年頃の東北地方で所謂
「LユgasOainpones」で知られる「土地を耕す者の手に」を指導したF・ジュリ
アンと,彼の支持者の分断を策寸E・サーラスのilibき,急進派のペルナンプコ州知事M・
アラェス・アレンカルの動き,とのアラエストと時の大統領クラールとの「共産主義支持
者稚得競争」の中で減じられた所謂「農民支持グループ」の多極化か進展の模搬そし
て64年クーデター以後,リーダー格の逮捕,クループの解散の状況を述べ,「将来土
地改薫が推進されるかどうか,依然として分らない」という著者の悲観的な観測が記さ
れている。更に,全圃的組織である共産党の党首カルロス・プレステスの若き日の闘争
の歴史と,60年以後の親ソ,親中等による党の分裂の現象を述べた後,次の如き著者
の注目すべき言葉がつづいている。即ち,「危機に直面すれば(これら分裂グループは)
合体するだろう」「ブラジルで共産主義のクーデターの可能性は小さい」ただ「唯一
の可能性は長期に亘って浸透した末に,突然政府の要職を押えてしまうこと」と述べて
いることである。
著者の関心蕊「米圃との関係」について,現i;で樋は親米的だし,貿易面での対米依
存の必要性を例証する一方で,①莫大な軍事・経済援助がブラジル人の「他人の束縛を
受けたく左い」感情を強く刺激しているiiiib②「彼等自身が鏑三世界」のリーダー国と
なる可能性があると考え米国の防衛傘下に入ることを好査左い点から,「いつまでも友
-107-
好的左眼で見つづけると考えるべきではない」と僻告している。
「要約」の項で,ブラジルは変化に礎み,多彩で劇的な対照をなす国であること。権
力闘争の要素として「迎邦と州政府」,「陸軍と文官」etc・を列挙し,左すべき中心
課題として先づ「開発」を揚げトプラジル人に必妥なものとして,誠実さ,教議ビジ
ョン,よ})よき組織経済面の再分配等をあげている。そして「現政権に変るべき政権
が,予見できる将来に見当らない」,「暗く抑圧的に反勤化している軍部は辰1民を仲間
に入れないし,国民は麺部を追い出す力はまい」と近い将来の悲観的な見溌を述べ乍ら,
お世辞としてしか受けとれたい「充実した豊かを輝かしい未来を約束されている」とい
う矛厩に満ちた言葉で結んでいる
〔Ⅱ〕以上〔I〕で見て来た様に,藩者の対象は北米のもつ埜本的体質への南アメリカ諾間隔'1
の接述更には北米的体質への誘導の可能性であり,それは又当然のこととして,その裏面
をたす革命の可能性とその方向並びに一国の革命の迎鎖的潴及性の澱賎の判定の基準と茂
るものと考えられるものを探索する燕図をもって左されたと思われる南アメリカ名園の特
異性の割出しである。
そうしてその革命の可能性と各国の特異性の把艦方法として,著者は前者について杜,
歴代政界指獅者に関して,主として直接の会談場合によってけ資料,剛込み等によって
彼等の人物像を描き出すことにより,又後者については,一国の自然的・社会的人間居住
環境の中に把握し上うとしてい島が,特に社会的人IMI環境に重鳳が趣かれてい為と考えら
れる。
歴代政界指導者隔を通じて見る彼の態度は,これらの回が,上部指導者による改革によ
って共産化からの回避が可能であり,且つ妥当であるとする妙の立場を裏番するものであ
り.ブラジルにおける独裁的傾向を右した政治家を亡Lろ是認ブーるかの印象を与える個所
が少<ない。この様な彼の基調は更に次の様な面にも変われている。
即ち社会的変遷の過程に敏感准彼が,急速を都市化の{H'1面を見逃がすはずはなく,しか
も-国内の地妙隔差の存在を充分意識し乍ら,主要都市における生活者の環境を描き出そ
うとしてはいるが,それはあく書でも外面的な観測にすぎなく内からのものでは産い゜鮭
-108-
UP
obI
に見て来たようにう゛ラジル人の食諭忙対する味党I?l塾かであるとか,リオの市立蘭鰯の人
目をひく蛍尚たる曝観だと溺地宿のカシャサ(Cachacao別名ピンガーPユnga)と
カリサンパやポッサノーパに至る歓楽の世界が描かれ,又ブラジルの釣民街プアペーラの
みじめさが手にとろ上うに描き出されてはいるが,ヒウしたことは所縦新llII3dJlFとしては
好適であっても,叉との本の読考に-殻的興味をそ入る刺激剤ではあっても,そこに牌
所iwI-X9r市民不在の印象ナら与えかれまいし,をしてや彼等がどの様な蝋&を衝み,広義
の政治にどの様左内たる反応を示しているかは全く知る巾もまい。.kしこうした階libiが政
瀞に全く無感心であると坂bにしても-例えば1952年のサンパウロにおけるr端N鰻憲
迦1lillにおける全市民の抵抗の1膳史をひもと<迄もなく,一般市民の政論的UU心の左さと無
能力ざを.#『定するilRに1ftいかないのであるが-糠等が政治的に無関心であI),-081人とし
て牡無力にしても,その隣購の総鋤負力という而から見て《)lWi純力だと軒潴が決め込んで
いるのである左らぱ尚輿のこと,少くとも,政治折導謂Rii伺榔,こうした階1iii(軒新が対
鞭としている政(財)界1Wや股下属の人点を除く,対象外の隅をさす)の人連とも概槙的
に会ったb,ilUな込み行ったりして,喚突にエる裂付を行うなど;彼諏の無Illl心,無
力を立証しうる抑ものかが明確に提示されていたい以上,箸満自身の偏向と児倣されても
止むを御}たい。
鞍るほどこうした階NWの意識の幾遙把探は一見非効率的であり且つ困難を作業で愉あ
る。
紋少左い市議エリート闇と拭異なb,ピンピンと捧ね返って来る密庇のiRiい返糠IduUi待
出来堆いし,鏡j1M的に自己の見解を災現する術を持たない彼等力懸敬的に躯イリした極めて
模糊として願望を把握すること微困難ではあっても,それなくしては未だ固民の大部分が,
政治意織の上でも”発展途上”の段階にあり,且つ衝励的行励に移り易い南アメリカ潴国
の北命の可能性を論ずることは出来たいのではある宮いか。
-109-