PDF - 秋田県立秋田高等学校同窓会

(1)平成9年7月27日 秋 高 同 窓 会 だ よ り 第 53 号
∵ ∴
平成牒吋軒度牒HF轟
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囲−闘増
田 ・
千七百万の予算で事業を計画
立会地53
窓番
県銅
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田
田
田市手形字中台一ロ
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印 刷 所
秋秋秋T
発 行 者
田高校の状況を危倶する声も
聞かれるが、実際は決して心
配される状況ではなく、進学、
部活動とも上向いており活躍
していること、そして今後も
一層頑張っていきたいとの決
意を述べた。
次に田口事務局長より、会
務、事業報告があり、事業が
金沢市の陶芸大樋焼は、寛 的意志であり、﹁破る﹂とい
文六年︵一六六六︶藩主前田 うのは、その時代時代の社会
綱紀が、楽焼の土師長左衛門 の変化、需要する側のニーズ
を招いて、茶碗を作らせて以 の変化である。
来、二百五十年続いている窯
これを学校にあてはめてい
元である。
えば﹁守る﹂ は同窓生の努力
十一代目にあたる大樋隼雄 によって可能だと思うし、
は﹁伝統﹂ について、 ﹁守る﹂
﹁離れる=成長する﹂ は、職
﹁破る﹂ ﹁離れる﹂ ことだと 員、在校生の叡知によって拓
云っている。この大
樋焼は二百五十年間、
﹁手ひねり﹂ ︵ろく
ろ成形をしない︶ の
技法と ﹁楽﹂本家に
遠慮し、飴粕を基本
とした粕がけを守っ
てきた。
しかし、いつから
る時にある種の感慨を持つだ ハムが保存されているが、校
ろうし、母校の変容もわかる 舎のスナップ、級友間でのス
だろう。
ナップ、部活動、学校行事の
二、一昨年、二十七年卒の スナップ写真等、時間が経過
﹁最後の秋中生の泣き笑い﹂
すれば散逸してしまうので、
︵四百五十頁︶ は、同期全員 同窓生によひかけて、そうし
の消息、在校中のエピソード、 た写真の蒐集をなさってはい
部活動の記録、後輩の私が見 かがでしょうか。
四、これは学校への提案で
ても、駅前校舎での先輩達の
すが、在校生が、
秋田高校の歴史を
どの程度知ってい
るのだろうか。百
二十年の先輩の歩
んできた道を、三
年間に一回ぐらい
校史資料館で知る
機会を持たせては
どうだろうか。
学校の歴史を知らずに卒業
して、同窓として誇りが持て
るものだろうか。ホーム・ルー
ム活用で可能かと思う。
以上の提案は、実行可能と
考えますので、諸兄のご賢察
をお願いします。
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
会ではまず丸山会長が挨拶
を述べ、会の進行への協力を
お願いする言葉があった。続
いて、この四月に就任した池
田好道校長からの挨拶があっ
た。池田校長はその中で、同
窓会員の皆さんの期待に応え
られるよう努力してゆきたい
こと、新聞報道その他で、秋
母校部活動大活躍
着実に遂行されていることが を昨年度同様千百万とした。
り、平成8年度収支決算、平 いきたいとの答弁があった。
︹広報委員会︺
成9年度収支予算案について
又、羽城館への掲額の今後
述べられた。それに続いて各
4月30日に委員を開き、 審議した。その質議の中で、
の予定についても質問があり、
常置委員会から次のような報
告がなされた。
﹁同窓会だより﹂ 53号の編集 名簿会計決算の機器整備費の 現在遺族の方々と交渉中のも
について話し合う。提言、随 使用についての質問があり、
のも含め着実に進めていきた
︹企画委員会︺
4月17日に委員会を開き、 想、新校長の紹介、部活の活 事務局から、機器の購入につ いとの答弁があった。
総会終了後、会場を移して
今年度総会、羽城館の整備に 躍、つどい、などを中心に編 いてまずいと思われる点もあ
懇親会に入り、和やかな歓談
ついて話し合う。︵﹃秋高に 集中であり、総会までには会 り、今後改善していきたい、
又、購入した機器を活用して のうちに幕をとじた。
みる人物像﹄掲額、第一次終 員の手もとにお届けしたい。
了︶
また、委員長が田口能祐氏
5月14日に当番年次︵最後 ︵S22卒・現事務局長︶ から
に3・4のつく年次︶打ち合 田宮忠氏︵S32卒︶ に変った
わせ会を開き、総会の日取り が、一層のご鞭接をお願いし
運動部七種目でインターハイ出場
︵7月27日︶、役割分担、記 たい。
放送部もNHK放送コンテストへ
念講演の講師︵町田容氏︵S
︹名簿委員会︺
31卒︶、現荘内銀行取締役頭 来年度が名簿改訂の年に当っ
5月の末から6月の上旬に 目で、八月初旬に京都を中心
取︶、同窓会入会式 ︵平成10 ており、今年度から準備に入っ
年2月2日︶をそれぞれ決めた。 ている。4月10日に委員会を かけて県北地区を中心に行な に開催される全国大会に出場
︹財政委員会︺
開き今後の進め方について話 われた第43回全県総合体育大 することになった。その他、
5月6日に委員会を開き、
し合い、次のことを確認した。 会において、母校の運動部が 文化部では放送部がアナウン
決算、予算について話し合う。 9月末までに各会員に確認カー 大活躍。剣道︵団体︶、陸上 ス、朗読、ラジオ番組、研究
︵四〇〇mハードル︶、卓球 発表の4部門でNHK放送コ
決算の収入に関しては、昨年 ドを送付し、各年次の名簿委
︵シングルス︶、柔道 ︵中量 ンテストへの出場権を得た。
12月に再度会費の納入を呼び 員に返送してもらう。一冊の
かけ、その結果当初予算を上 値段を四千五百円とする。業 級︶、弓道︵個人︶、バドミン それぞれの大会での一層の活
回る結果となった。又、予算 者は4社を考えている。
トン︵シングルス、ダブルス︶、 躍を期待したい。︵関連記事
については会費納入の見込額
委員会報告のあと議事に入 漕艇︵ダブルスカル︶ の7種 は第8面︶
か黒粕も使うようになり、十 かれるものだろう。
息つかいが伝わってきて、近
校に勤務、県教育庁︵文化課 代、年朗は粕彩を試み、茶陶
そこで伝統を ﹁守る﹂立場 年にない事業だと思う。
できれば、こうした記録を
学芸主事、高校教育課課長補 だけでなく、金沢市役所はじ から、いくつかの提案をして
各期で作られたら如何だろう。
佐等︶、金足農高校長、教育 め、いくつかの建築の陶壁を みたい。
庁︵高校教育課長、教育次長︶ も手がけている。これ等は
一、同窓会の総会・同期会
又、ラクビ一部史も刊行さ
等は学校を会場にし、ついで れた。各部の部史も、そろそ
を経て母校校長。平成三、四
﹁離れる﹂=﹁成長・発展﹂
年秋田県高等学校野球連盟会 を意味したものと思われる。
懇親会は別会場という企画は ろ作られる時期ではないだろ
この伝統を﹁守る﹂ ﹁離れ どうだろう、四十一年以降の うか。
長。空手道五段。
三、学校には各年次のアル
︵関連記事三面︶
る﹂というのは、作者の主体 同窓生は、うぐいす坂をのぼ
秋田マイクロ写真印刷株式会社
この三月退任された松岡正
樹前校長の後を受けて、この
三月まで県教育次長の要職に
あった池田好道氏が新校長に
就任した。
︹略歴︺秋田高︵昭33卒︶、
岩手大学農学部卒。六郷高を
振り出しに、県内の四つの高
今年度理事会が、去る6月27日、弥高会館に於いて開
催された。約60名の理事の参加を得て、事業報年計画、
決算、予算案等が審議されたが、特に名簿改訂の準備、
羽城館の整備、会報の発行、会費の納入など順調に推移
しているとの報告が注目された。
題字は第六代塩田会長
天 上 天 下
アウトドアがブームとなっ
てから久しい。釣り・登山・
ハイキング・キャンプなど、
その過ごし方は多様で、最近
では海外でのトレッキングも
ごく自然に話題となる▼各地
に続々とオートキャンプ場が
オープンしていることもあっ
て、RVとか大きな4WD車
が街の中でも多く見られる。
しかし、コンパクトな車でも、
道具を選び、パッキングを上
手くやれば十分。要はどのよ
うな形のキャンプをするかだ
▼かつては枯れ木を拾い集め
て燃料にしたり、河原の石で
カマドを作るなど自然を利用
することが多かった。しかし、
現在は、自然保護の点からも、
ストーブは必ず持参したいも
のの一つだ▼キャンプ場では、
ルールを守ることは当り前の
ことだが、周辺を歩いてみる
と空カンなどたくさんのゴミ
が捨てられているのが目につ
く。道路脇にポイ捨てされて
いるのを見ても不愉快なのに、
豊かな自然が失われていくよ
うな気がする▼JR秋田新幹
線こまちの開業や秋田自動車
道・北上西−湯田間の開通な
ど高速交通ネットワークが充
実するたびに、秋田の豊かな
自然を求めてさらにより多く
の人が訪れるようになる▼今
年八月上旬には、森吉町の森
吉山ろく高原で、東北六県の
ボーイスカウト一千人が参加
する東北ジャンボリーが開か
れ、来年八月上旬には全国の
ボーイスカウトの祭典﹁第十
二回日本ジャンボリーが開催
され、アメリカや東南アジア
などからの五百人を含め二万
五千人が、テントで野営する
▼自然に学び、自己を鍛える
彼らが、野営地に捧げる感謝
のさいの合い言葉は、﹁来た
ときよりも美しく﹂
(2)平成9年7月27日 秋 高 同 窓 会 だ よ り 第 53 号
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且L_(教)134][1月 4日 国公立計 ㈱l 86I …1
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山 形[ 日 月 中 東京都立 2[ 01+自
柵
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臣昇一揖満つ出膚詞
▽企画委員会
退任 委員長 大友康二
副委員長岸部恵一
委員 吉田慶嗣
碓井隆㈱
就任 委員長 山谷浩二
副委員長小林良弘
0
北 海 道I 日 月1項 横浜国立[ 日 月 中
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大学合格者数一覧表(抜粋)
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項目 平成9年度 項目 平成9年度
大学名 [現l 浪 一 計1大学名 l現 一 浪I 計】
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平成八年度卒業生の誰錘⋮雲一
就 璽 謡
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‡ ‡ 肇 ‡ ‡ ‡ 事 事 書 事 l l 事 書 事 書 事 書 事 書 事 t 事 書 事 書 事 書 事 書 ’
三≡ 二 ̄
2
るOBをソリストとして招い
教頭︶
︵新任者︶ ︵前任校︶
平虞九年度教職員の異動
ての協奏曲形式あり、アンサ
須藤正直教諭︵本荘高校︶
池田好道校長︵教育次長︶
ンブル形式あり、といった多
︵退任・離任者︶
吉岡美香子教諭︵秋田東高校︶ 須田勝男事務長︵秋田北高校︶
彩な内容の演奏会を計画して = 退 任 =
伊藤紘美教諭︵秋田中央高校︶ 笹淵 篤教諭
いる。もちろん小林先生の指 松岡正樹校長
浅野貞一教諭
︵総合生活文化会館︶
揮によるステージもあり、十 小林清人教諭
寺田和夫教諭 ︵本荘高校︶
︵
秋
田
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業
高
校
︵
定
︶
︶
月十一日︵土︶秋田県民会館
斎
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淳
教
諭
庫
山
徹
教
諭
︵
秋
田
北
高
校
︶
石
山成子教諭 ︵高校教育課︶
での本番を目指している。
椎名延子教諭
部谷正樹講師︵能代高校︶
三浦康一教諭 ︵秋田北高校︶
本校吹奏楽部には正式なO 石塚雅人教諭
武藤俊郎講師
工藤昭二教諭 ︵秋田中央高校︶
B会が無い。伊藤吉雄先生・ 児玉利恵子養護教諭
荒川宏造講師
佐藤明子教諭 ︵秋田南高校︶
大友正勝先生、さらにそれ以 =離任︵転出先︶=
横山 佑講師
伊藤則和教諭 ︵保健体育課︶
前の時代の諸先輩との交流が 嵯峨利昭事務長︵高校教育課 矢尾寛事務長補佐
柘植敏朗教諭 ︵花輪高校︶
広がるきっかけになることを 主席課長補佐︶
︵五城目高校︶
小林正人教諭 ︵大曲農業高校︶
期待したい。問い合わせは熊 高橋直文教諭︵男鹿高校︶
佐々木仁主査︵秋田北高校︶
佐藤康一教諭 ︵横手高校︶
沢︵本校数学科︶まで。
稲村綾子教諭︵秋田北高校︶
佐々木吉文技師︵秋田西高校︶ 平野則夫教諭 ︵新屋高校︶
碓井 隆教諭︵秋田中央高校 菅原咲子司書
煤賀卓也教諭 ︵東北大新卒︶
︵秋田東高校講師︶
須田登志子教諭︵五城目高校︶
二木いづみさん
三浦一秋事務長補佐
︵保健体育課︶
新課程入試初年度、景気が 率にここ四年間大きな変動は 本校もその出願数を減らした 斎藤明子主事
幾分上向いてきたとはいうも ない。国公立大の志願先を占 が、青山学院大︵7110︶、 太田 肇技師
のの、今春の入試でも受験生 うセンター試験は、様々な課 上智大︵115︶、国際基督 川辺 明講師︵秋田中央高校︶
の国公立大志向や﹁文低理高﹂ 題を残しながらも、全体的に 教大︵115︶ での善戦が目 長久保剛講師
は変わらず、女子の躍進は一 問題が易化し、資格試験の様 立った。反面、早稲田大︵18 佐々木美智子さん
層顕著になった。この傾向は
相
を呈した。他校同様、本校 1 日 ︶ 、 立 命 館 大 ︵ 1 2 1 2 ︶
来春も続くようである。
でも追い風に乗って、前・後 での不振や人気の低迷してい 本校で更なる飛躍を望むとす
期通しの出願が目立ったが、
る中堅校への進学が目を引い れば、生徒一人一人が秋高生
後期試験まで粘り強く取り組 た。
としての自覚を持ち、規律あ
︵国立大堅公立大6、私立 めたのか少々疑問が残った。
県内の他校における進学者 る生活態度に加え、主体的に
大88など︶ を数えたが、進学 今春の国公立大全体の募集人 数の飛躍的な伸びは、地元紙 学習に取り組む姿勢を身につ
員の前・後期の比率は
でも大きく取り上げられたが、 けなくてはならない。
制緩和のためでもある。大学 となっていたが、本校の合格
入試センターの役目はすでに 者 の 比 率 も 塑 5 8 と ほ ぼ 同 じ
終わったと私はみる。
になっている。昨年と比較す
ると、東北地区と新潟で志願
者数を大幅に減らしたものの、
他地区では大いに健闘し、合
格者数は例年と変わらぬ結果
となった。難関大においては、
東北大学︵昨年26名1今年24
名︶ で若干数を減らしたもの
の、北海道大︵519︶、東
京大︵415︶、一橋大︵0
12︶、京都大︵012︶、
大阪大︵011︶ でそれぞれ
伸ばし、昨年をしのぐ成績を
収めたようである。もっとも
最近は、進学した大学のレベ
ルを問題にするより、﹁行き
たい大学﹂ へ進学できたかを
問うようになってきており、
この観点からも評価できる結
果ではなかったろうか。一方、
全国的な私立大離れが進む中、
[略歴] 昭和十九年九月東京
工大電気工学科卒。旧制秋田
鉱山専門学校助教授。同二十
二年教授。同二十四年秋田大
学助教授。同三十八年秋田大
学教授。同四十六年から学生
部長、附属図書館長、鉱山学
部長を併任。同六十二年定年
退官 ︵秋田大学名誉教授︶。
八戸工大教授。一般教育部長
︵同大学法人理事、評議員︶。
平成六年同大学退職︵八戸工
大名誉教授︶。昭和五十八年
電気学会学術振興賞論文賞、
同六十年秋田市文化賞、平成
八年秋田県文化功労者、勲二
等瑞宝章。
立 教l 51+月 中
i i ‡ 事 ‡ ’ 書 零 ‡ 雷 書 ‡ 暮 零 ‡ 雷 書 零 ‡ ‡ ‡ ’ 暮 t l i i
続剛闊
学力偏重が、さまざまなひ
ずみをもたらしていることは
ご承知のとおりだ。十八歳人
口が平成四年をピークに漸増
し、大学の収容力を下回るの
も間近い。そのため、各大学
∴
、 、 L . ■ l l
甘 亀 頭 膏
妻 帯
葦言J※穣ぺ
∵.1㌢㌧湖桝
は生き残りをかけて必死であ
る。入試選抜は各大学の工夫
に任せるべきで、巨額の国費
と労力をそそぎこむ入試セン
ター試験は廃止すべきでない
だろうか。文部省の行事と規
日
委員 小国輝也
闇雄藩骨雄悲 この十年間
笹淵篤飾
にわたり本校
慶 祝
▽広報委員会
吹奏楽部を指
退任 委員長 田口能祐
導して下さっ
︵名簿改訂のため︶
た小林清人先
一
勲五等瑞宝章
委員 渡部克宏㈱
生が今年三月
一
就任 委員長 田宮 忠
で定年退職さ
小
松
真
悦
︵
1
3
卒
︶
委員 佐藤康一㈱
れ
た
が、先生
高橋 政泰︵‖卒︶
▽名簿委員会
に
御指導を受
畑澤 恵︵13卒︶
退任 委員 佐藤 洋
け
た本校OB
一
が集まって演
奏会を開くこ
藍綬褒章
と
と
なった。
今回の演奏
長門 伸一︵26卒︶
﹁
⋮
⋮
.
⋮
﹂
会は県内在住
のOBの呼びかけによって企
去る四月の生徒総会におい 画されたもので、この十年間
て、生徒・職員に披露された に本校吹奏楽部が演奏した曲
のが運動会の優勝旗である。
を中心に、現在音楽をしてい
これは新しく作られたもので
はなく、四十数年ぶりに日の に至ったものであろう。
目をみた﹁歴史的﹂優勝旗で
この度、幸いにも運動会前
ある。
にみつかり、さっそく総会で
ペナントを見てみると、
の披露となったのだが、年数
﹁昭和25年白雲隊﹂ ﹁昭和26を経ている割には傷みもなく
年・27年赤雲隊﹂ ﹁昭和29年
新品同様。
紫雲隊﹂などとある。幾度か
今年の運動会は四月二十五
の校舎移築に伴って、この旗 日に行われた。今年、この優
も動いてきたのであろうが、
勝旗を手にした記念すべき雲
大切に保管されすぎて、今日 隊は、紫雲隊であった。
ん、自分を磨くプラス志向に 利用したのが始まりだ。以来、
考えてほしいと思う。同窓諸 偏差値人間とか、輪切りとか、
氏にも、浪人したおかげでこ 足切りとか、嫌な言葉が生ま
んなことを身につけたとか、
れた。大学入試の改革の一環
こんなトクをしたとかいう経 として実施したはずの共通一
験がおありだろう。
次試験が、手直しを加えなが
ら、大学入試センター試験と
して存続している。今年のそ
の試験がまたトラブルを起こ
し、浪人に不利な扱いとなっ
た。莫大な国費と労力をかけ
たうえである。
能登文敏︵昭和14卒︶
⋮関満闇馴差値
鞋登奄
本来、数学用語の偏差値が
一般に使われ出したのは、昭
和五十四年からの大学入試の
共通一次試験以降である。受
験産業がいち早く取り上げ、
難易度や大学間格差の評価に
明
東 京l 51[ 3][ 中
東京学芸[ 中[ 月101
東京工業[ 日 叫 =
お茶の水女子[ 21 −月+打
早 稲 田!1日1月 2日
立 命 館[ 自 1日 2日
私 立計[潮目 26日 45日
橋[ 自 2][ 中
法
宇 都 宮[ 自 日 中
埼 玉l 月 日 日
干 薬 用[ 月10]
東京外語[ 5日+11+中
運動会優勝旗日の目をみる
東大名誉教授の、ある物理
学者の先生からおもしろい話
を聞いたことがある。それは
﹁東大生の中で人気がある学
生は、現役で入学した者より
何浪かした者に多い﹂と。
若者同士の間でも、偏差値
が高く、学力優秀だけの現役
よりも、受験に失敗して人生
の悲哀を味わい、多少なりと
も社会の辛酸をなめた浪人に
魅力を感ずるのだろうか。こ
ういう学生を、世慣れしたと、
さばけた学生と呼ぶかもしれ
ない。しかし、人に好かれる
タイプの人間であることだけ
は間違いないようだ。
入試にはもちろん一発で合
格してほしいと願う。親の経
済的負担を考えれば、親孝行
になる。しかし、不運にも浪
人を余儀なくされたとしても、
その機会を学力向上はもちろ
[箪・川 出昌誓針1呈上当笥
鞋「_・針 目;日出応義針jL葦∃
筑 波 囲[ 月 中 中 央l1日 8][1中
魂勘印絡蜜宛
′ 一 ヽ r l l L . ヽ r l l L . ヽ r l l L . ヽ r l l h 一 ′ 一 け ′ ヽ L l l L 一 ヽ ′ 一 ヽ ′ − ′ . ヽ ′ . ヽ ′ 一 ヽ r l l L . ヽ ′ . ヽ ′ ヽ . ヽ ′ 一 ヽ ′ 一 ヽ ′ . ヽ 一 ヽ ヽ ′ 一 ヽ ′ . ヽ ′ 一 ヽ ′ . ヽ ′ ︳ ヽ ′ 一 ヽ ′ . ′ ご ︳ L l L ︳ ′ 一 ’ . 一 ′ ︳ ヽ
平成9年度の定期人事異動は、校長・事務長をはじめ、23名の職員が
退職・転出という大規模なものとなった。
この中には、19年間図書室勤務をされた菅原さんが、新たに教師とし
て他校で活躍されているという嬉しい異動も含まれている。
4月からは、新進気鋭の先生方をお迎えし、母校は21世紀に向けて新
たな一歩を踏み出した。
声憲
相 阜
校 長 地
、
J
・
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′
1
1
前校長
て、独自の校風を発揮してい
かなければならない時期と考
、 . 1 、 . 、 . 、 . 1 、 − ィ 、 − 1 、 . J 、 . 、 一 、 . 1 、 . 一 、 . 一 、 . 一 、 . 、 − 、 . 、 l 、 ; 、 . 、 . 、 . 一 、 1 ヽ l ヽ . ヽ − ヽ ︳ 一 t ︳ ′ 、 . 一 1 ︳ 、 . ′ ヽ l ヽ ︳ ′ ヽ ︳ ′ ヽ . 一 ヽ ︳ ′ ヽ . 一
〃
群 ※ 苦 省 瀦 美 玉
(昭諭年卒)
もでてきております。
本校のように長い歴史と伝
統を持ち、多くの卒業生が各
界で活躍している伝統校とい
えども安閑としていたのでは
発展を続けることが難しくなっ
て参りました。
今こそ、本校の教育目標を
再確認し歴史や伝統を生かし、
かつ社会の要請に応え得るよ
う本校の特色を一層明確にし
㌫
退職に際して
染 翫 精 義 沸
野
都賀
▼1
ノ去
く
・
4
■.
芸
かE
準離哀訴
事務職員として三十有余年
になりますが、甲子園に出場
する学校に勤務した経験は一
度もありません。是非、本校
で私の長年の夢がかなうよう
熱望しております。
輝かしい歴史と伝統に培わ
れた校風を継承し、自主・自
立・文武両道の精神のもと、
本校の教育目標である品性の
陶冶・学力の充実・心身の錬
磨を具現するため、今後とも
教育環境の整備に努めてまい
りたいと存じます。
力
.
.
、
、
.
、
.
、
.
、
.
、
、・
−
TEL(OI88)63−8369(代表)
秋田市川元むつみ町四番十二号
TEL01八八二ハ四︶七三三一
︵昭和23年卒︶
広島吾朗
専務取締役
秋田酒類製造株式会社
心にひびく四季の酒
告
館、大館商業、秋田北の各高
校を経て本校に着任
︵能代市在住︶
h
め切りに追われることになり
ます。
蔓 7 善 事 芋 蔓 7 董 7 菩 9 釜 9 菩 9 葦 9 華 華 菩 9 華 董 7 筈 等 9 菩 菩 筈 等 9 葦 9 菩 9 菩 9 菩 9 篭 9 董 7
同窓生の皆様の絶大なるご
支援とご鞭接を、心からお願
い申しあげます。
▼略 歴
横手高校、千葉商科大学商経
学部卒
能代市立浅内小学校、二ツ井
高校、能代農業高校、県立博
物館、北教育事務所山本出張
所、事務長として大館南、大
菩 菩 9 菩 9 菩 9 葦 菩 9 菩 9 釜 9 菩 9 菩 9 董 r 菩 9 華
えております。
在任中には、セミナーハウ
幸いにも昨年十月に、松岡
スの大改修やグラウンドの整
転任にあたって 鹸二峨利昭
前校長先生がこのような秋高
備などいろいろな事がありま
の転機に当たり、本校の活性
したが、何と言っても一番の
化を図る目的で、二年間にわ
わずか二年間の在職でした ので二年間はあっという間に 出来事は、硬式野球部の春の
たる校内の論議を踏まえ ﹁二 が同窓会の皆様にはじめ諸先 過ぎてしまいました。今の生 選抜大会出場だと思います。
十一世紀を展望した秋田高校
活に比べて、うぐいす坂を登っ 募金活動の準備や応援団の派
の振興方策﹂ を策定されてお
て通勤していたのがまるで夢 遣、大会終了後の事務処理等
ります。職員を始め関係者の
のような気がしております。
実に貴重な体験をさせて頂き
衆知を結集してその実現に取
思ってもいなかった母校の ました。又、今の高校野球が
り組み、魅力と活力にあふれ
勤務でしたが、私の学んだ駅 抱える問題の一端を見せて頂
た学校づくりに努めて参りた
前の木造校舎と比べて近代的 いたと思っております。幸い
いと考えております。
な立派な校舎は目を見はるも なことに甲子園のアルプスス
同窓会員各位からも率直な
のでした。現在の役所の執務 タンドで観戦をさせてもらい、
ご助言、ご指導を賜りますよ 生には大変お世話になりまし 環境にくらべてすばらしい環 好天にも恵まれて楽しい思い
うお願い申し上げご挨拶と致 た。厚くお礼を申し上げます。 境の事務室を懐かしく思い出 出となりました。今度出場の
します。
本当に時の経つのは早いも しております。
折には是非とも勝っていただ
董 7 葦 9 菩 9 菩 サ 壕 写 サ 菩 サ 菩 9 葦 菩 サ 華 等 9 菩 サ 董 7 華 華 董 7 董 7 葦 葦 等 9 葦 菩 華 菩 サ 菩 9 菩 サ 菩 サ 華 等 9 菩 9 菩 9 菩 9 華 等 9 菩 9 華 華 葦 董 7 葦 菩 きたいと思っています。
同窓会は会費制になって三
董措 告笠
紅萱ガ
年目ですが、財政基盤を確固
本校に赴任して
とし、益々発展することを期
要
撃打畳洋隼主薬喜音
待し、秋田高校が文武両道で
今後とも隆盛でありますよう
お祈りしております。
男
か
£∵∴㌦∴※遊
謬 照
一
今年度の定期人事異動では
からずも本校の事務長を命ぜ
H
.
、
議論闊頗
■l
竃
られました。 もとより浅学非
才の身でありますので、この
重責を全うできるかと危供し
ております。
父苓サ父杏9父孝サ父専サ父苓サ父Ⅹ亭父苓サ父Ⅹ夢笠寺9父苓サま杏9父苓サ父苓サ父苓サ父甚サ笠eサ父杏9父苓サ笠e9父苓9父苓9父苓サ繁る9芯や9父杏9父苓9雀事
(昭和22年旧制4年修了)
遣
FAX(0188)64−6626
TEL(0187)63−5058
佐藤信太郎
(昭和24年卒)
62期会一同
〒0日)秋田市大町二丁目4手初号秋田第一ビル3階
大曲市栄町3 − 23
南秋田郡飯田川町飯塚字飯塚2H
TEL OI88(77)2522
〒335埼玉県蕨市塚越3−20−12
TE L O48(442)2271
秋田東高校︵通
誓
莞離荊墾㌫ 信制︶ での生活も
子
早いもので3カ月
になりました。よ
うやく慣れつつあ
りますが、正確に
は努力していると
ころです。4月当
初はバス停に向か
うつもりが、気が
つけは秋高の方に
歩いていて、遠回
りはしばらくの間
続きました。
通信制の生徒は、
土曜日と日曜日の
スクーリングとリ
スクーリングで登校する日
は、生徒達との貴重な時間に
なります。そのため、この時
でなければできない授業をし
たい、家庭科を学んでよかっ
たと思える授業をしたい、と
毎日秋高生のみなさんが図書
館で学習している姿を思いだ
しながら頑張っている、これ
が私の近況です。
▼図書委員をはじめ、在校生
に慕われた菅原さん。秋高生
とのコミュニケーションを通
して温め続けた、﹁教師にな
る﹂夢をこの4月に実現され
た。今後の活躍を応援したい。
高橋歯科医院秋田銀行急ぎ脚は
小玉醸造株式会社
(組お年卒)
代表取締役
高橋一夫
(昭和23年季)
小玉正次郎
湊 栄一
(昭和23年卒)
九月L山/ヤマキウ
ミナト医院(内科)
樹
(噂糾年率)
ポートの提出、テ
ストの3本柱で科
目を履修していき
ますが、履修科目は一人一人
異なっています。生徒からつ
ぎつぎとリポートが送られて
くる頃は、私はその添削と、
次回のリポート課題の原稿締
那鞘浩欄
、、
∵ ト ン㍉十十
の振興方策﹄として提起した 小生の不徳のいたすところで
のである。
あり、どうぞ寛如願いたい。
私としては、秋田高校の発
いずれ、ローマの英雄カエ
展と生徒のために全力を尽く サルがローマの平和と繁栄を
したつもりであるが、秋田高 めさして、ルビコン河を渡っ
校の歴史でも大改革にあたる たように、秋田高校も改革の
内容なので、いろいろこ批判 河を渡りはじめた。
も頂戴した。
正念場はこれからだと思う。
新しい建造物をつくるため
後を託した池田校長先生を
には、部分的に古いものを壊 はじめ、職員の皆さんには多
すことは避けられないことで 大なご負担をお掛けすること
あり、改革にはある程度の混 になると思う。
同窓会としても寛大なお心
乱や痛みを伴うものである。
それらは最小限に止めたつ で見守っていただきたく、ま
もりだが、関係各位にこ心配 たこ支援を願うものでありま
やこ迷惑をお掛けしたことも す。
あったと思う。それはすへて
糖計−u−ヤ鵠歳濠龍賛辞は
正
好
アダム=スミスの有名な言 海図なき教育界において、二
葉に ﹁神の見えざる手﹂ とい 十一世紀を展望した秋田高校
うのがあるが、運命の糸に操 の将来構想の策定と実践であ
られ、小生ごときものが秋田 ると心に誓った。
高校の校長になったのは平成
在任中は、ただそれに専念
七年春のことである。
した月日であったと思う。
そのとき、脳裏に浮かんだ
進学校として自力で活路を
のは中興の祖といわれる28代 開くための理数科の改革は命
鈴木健次郎校長の名言〝汝、
運をかけた大改革であった。
一方、進学率が上がっても
甲子園やインターハイに行け
ない秋田高校は県民の失望を
買うはかりである。
患
文武両道の維持のためにも
﹁運動部学力支援制度﹂ の新
設や個性的で多彩な能力を持っ
ている生徒を入学させるシス
テムの導入も試みた。
いずれ、それは近い将来、
普通科への小人数の推薦制度
の導入という形をとることも
予想されるが、より良策があ
るかも知れないし、今後の施
策にこ一任申し上げるところ
である。
以上のことを中心に ︹五つ
の改革と三つの提案︺ を﹃二
十一世紀を展望した秋田高校
、
岡
蟹ぺ
何のためにそこにありや〟と
実存哲学者ヤスパースの〝汝
今何をなすべきか〟であった。
それを考えたとき″私の心
に宿るはただ一つ、それは秋
田高校が東北に範たる人間教
育を基盤とした文武両道の理
想の学校となること〟であっ
た。
そのためには何をなすべき
か。それは、先行き不透明な
姐萱訂儲脱恩貴摘遭
松
‖ソ
同窓会員の皆様におかれま
しては、ご健勝にて各分野で
ご活躍のことと、心からお喜
び申し上げます。
さて、私ことこのたび図ら
ずも松岡正樹前校長先生のあ
とを引継いで、去る四月一日
付けで秋田高等学校長の重責
を担うことになりました。
私は本校を昭和三十三年に
卒業し、その後約四十年間、
母校の存在を心の拠り所とし
て、これまでは一同窓会員と
して母校の発展を願って支援
して参りました。これからは
秋高の発展を願う多くの関係
者の期待に応えるべく学校運
営を行う立場となり、その責
任の重さを痛感しております。
もとより浅学非才ではあり
ますが、全職員の協力を得て
一致して事に当たり、その責
任を全うしたいと考えており
ます。同窓会員各位におかれ
ましても母校のますますの発
展のため温かいご支援と一層
のご協力をお願い申し上げま
す。
ご承知のように少子化の進
行により長期的かつ大幅な生
徒数の減少期を迎え、教育は
量的拡大から質的充実が求め
られております。本校におい
ても近い将来学級減も予想さ
れる情況の中で、教育活動の
一層の質的向上を図らなけれ
ばならないのは当然でありま
す。
県内各高等学校とも学校の
存続︵生き残り︶ を賭けて魅
力的で特色ある学校づくりに
努めており、大学進学実績で
本校に迫る成果を挙げる学校
腰醗剤
盤
第 53 号
(3)平成9年7月27日 秋高同窓会だよ
‖ソ
秀一郎氏、大阪忠三氏、桜井
敬二郎氏、谷村博志氏、三澤
清香氏、伊藤忠治氏、森川
淳氏、浅野頼信氏、等多士才々
でありました。
ただ、中には故人となられ
た方もおり誠にさみしい限り
であります。
同期には、赤石七太郎君、
名スプリンターとして明治神
宮大会等で大活躍している。
また、マネージャーの大阪四
郎君︵大阪忠三さんの弟︶ も
一緒に頑張った仲間である。
一・二年後輩では、本間善
次郎、岡 正吉、木村正三、
嵯峨勝太郎、近藤利郎、桐越
拓郎、国安秀一、小泉芳郎、
競技部の大先輩も戦争、そ
の他で他界した方が多くなり
現在の生存者は数名になりま
したが、現在の部員の方々も
暮▲事畑量憂¥零ままi王;‡ヱ量要事事lti憂;零ヱ量更一番‡一事鷺1番葦。・茎・tl¥葦
う。
は勿論、ハードル・リヤカー
等すべて部員で運ばねばなら
ず、しかも三日以内にとのこ
とで大変であった。全員へト
へトになったことを覚えてい
る。今のようにトラックなど
車輪があったらとつくづく思
又、その後がもっと大変で
何しろグランドと名のついた
ものはあったが、ただ整地し
ただけの平地。したがって毎
日のようにリヤカーを二台借
りて、国鉄に炭殻をもらいに
行き、それをグランドに敷い
てはローラーをかけて平らに
した。最初の二年間は毎日こ
んなことをしたと記憶してい
る。今日そんなことがあって
は、部員は誰れも居なくなる
であろう。
ところでこのような努力も
さることながら、この時代の
部員の成績は、︵先輩・同僚
の別なく︶全県でも秋田中学
の黄金時代を築いたばかりで
なく、全国でも有数の選手が
多く輩出した事を報告して筆
を置く。
熱烈な勧誘の手紙をもらい、
入学前春休みの練習に参加し
たことが思い出される。
そして入学早々の校内マラ
ソン、広小路の今の東北電力
前から新屋大橋を渡って駅前
校舎へ帰る‖・3KMという
初体験の長丁場、運よく五番
に入れた。ただラグビー部主
将山岡さんが三位と前に入ら
れたのには驚いた。
また、大会がある度に跳躍
三冠王の村井健参主将はじめ、
全県的ヒーローの三年生への
足もみ︵マッサージ︶ がまた
大変、同年兵は越前善治君一
人と極端に少なく、声援も見
学もままならぬ一年生だった。
冬季練習は千秋公園の石段、
大坂上りが主だったが、女子
校巡りのロードワークには参っ
た。今思えば、三年生はこれ
を楽しみに練習に参加してい
たように思う。
北の丸から北高前など、そ
れまで先頭を走る下級生を牽
制しながら走っていた先輩た
ちが猛然とダッシュし追い抜
き差をつけて行く。楯山を回っ
て、聖霊、敬愛、和洋と続く、
なかなかの練習だった。
二年生の思い出は、引率も
ないただ一人での、盛岡の東
北大会出場である。一般と高
校併せての大会で鈴木重晴先
先輩の残した大きな業績を受 いなかったため高校記録をは
︵メルボルン︶等に出場を果
け継ぎその名を汚すことなく るかに破っているにもかかわ たすことができた。
大いに努力し活躍されること らず幻に終わってしまったこ
特に、大学四年の時の八百
を祈念してやみません。
とが非常に悔やまれる。
MRから二十KMを越える箱
高校駅伝の県大会では、ト 根駅伝︵区間賞︶ の幅広い種
ラックの荷台の上から羽織袴 目を消化し得たのも秋高時代
の応援団にカネや太鼓の応援 の練習の賜物と確信している。
をして貰ったこと、古ぼけた
懐かしい顔も沢山浮かんで
兵舎の小屋で今流でいえばワ きます。渡部誠一郎さん、鎌
鈴木 重晴︵S27年卒︶
イワイガヤガヤと合宿したこ 田豊三郎さんに憧れて駅伝競
となど懐かしい思い出である。 争に精進したこと、佐藤謙一
また、寒い冬雪の上を長靴 郎さん、武田孝男氏、越前屋
で走った練習は自然に足腰が
丈夫になりキックカも補強さ
れ、私の記録向上につながっ
たように思う。一度も故障の
ない競技者を続けられたこと
から特に思うことである。大
学︵早稲田大︶ 四年間で四百
M、八百M、千M、千六百M
Rに日本記録を樹立すること
ができ、アジア大会、ユニバ
シヤード大会、オリンピック
国大会に出やすい種目との単
純な発想から、陸上競技部に
転向しました。
この転向が功を奏したもの
か、高校三年にはI・Hで四
百Mと八百Mで各々三位に入
賞、東西対抗では四百Mで優
勝することができた、国体で
は十九歳未満の八百Mで四位
に入賞している。しかし、こ
の時三位までしか計時されて
秋高陸上部の思い出
私が秋田南高︵当時︶併設
中学校に入学したのが昭和二
十一年四月でした。
太平洋戦争後の学制改革に
より現在の六・三・三制になっ
た最初の年で、運動部は高校
生と一緒に練習するだけで新
制中学校同士の対抗戦には参
加できない時代でありました。
一年の夏までは野球部に所
属していたのですが、途中全
栄光の歴史を引き継ぐ
陸上競技部
岡正三郎など有能な人材がた
くさんおり第一期黄金時代で
した。
私は何をやっても下手くそ
でしたが、五城目の矢場崎グ
ランドでの第一回インターミ
ドルで走高跳で優勝したこと
があります。今はほとんどが
背面跳ですが当時は正面跳か
ロールオーバーでした。
当時、競技部の合宿は現在
の秋田東高の近くにあった縄
田屋︵?︶という下宿屋さん
を利用していました。先輩の
北海道大の小室秀一さんや同
志社大の宇佐見盛志さんが来
て指導してくれたことなど懐
かしい思い出です。
私はその後、旧制弘前高等
学校に入学し変則的ですが競
技部と柔道部に席をおいてイ
ンターカレッジにも出場しま
した。
Hl
私が秋田中学に入学したの はなき将軍野のグランドであっ 中学校陸上競技大会︶ で、旅
は、昭和九年四月であった。
た。
費の関係上、山形高等学校グ
入学してから、五月、六月と
対抗試合、又は競技会は
ランドで二回乃至三回位行な
の二ケ月間毎日のように入部 0市内五校対抗試合︵秋田中・ われ、本校からも出場した。
を勧められ、六月の末に入部 秋田商・秋田工・秋田師範学
練習のこと、出場大会など
したことは今でも生々しく覚 校・土崎商業︶ が年に一度。
に触れたが、それ以外にも、
えている。学校は今の中通小 ⇔西奥羽選手権大会︵秋田・ 私達にとっては大変な出来事
学校の前にあったが、年月が 青森・山形︶ が年一度。
があった。昭和十一年十一月
古い建物で考えられない程ポ 臼全県中学校対抗大会、年に 二十四日に、今までの中通に
ロポロの校舎であった。陸上
競技場は楯山にあり、湊テニ
熱 海 野 澤 ⋮ 患 い 出
スコート。秋田ラジオ放送局、
聖霊女学校に三方を囲まれた
一周二百米のクランドで、短
堀江 伸雄︵S15年卒︶
瀾瀾渕淵。遍因
距離、中距離の練習と槍投、
円盤投、砲丸投漸く出来る程
度であった。従って棒高跳、
一
度
。
あった校舎から手形字深田に
走巾跳等は中通小学校の校庭 靭明治神宮国民体育大会秋田 新築された校舎に全校挙げて
で練習をし、長距離はクラン 県大会予選会 ︵これには年齢 移転と云う大きな出来事もあっ
ドの出口から新屋大橋までの 別の区別なくどの種目でも優 た。個人個人の二十キロもあ
往復で競い合ったものである。 勝又は一位にならないと出場 る机︵椅子と一緒になった︶
タイムの記録等は合宿の時で、 出来ない。︶
を持って移転することと、部
当時の合宿︵夏休み中︶ は今 ㈲インターミドル大会︵全国 室にあった、槍・砲丸・円盤
盛塗塗馳
秋中の競技部は大正十二年
の創設で、私は大正十四年
︵三年生の時︶ に入部してお
ります。
当時の競技部のトラックは、
昔の楯山野球クランドに憐接
し一周二百Mの小さなトラッ
クで先輩方が大変苦労し、秋
田駅から石炭殻を荷車で運搬
するなどして整地した手作り
のお粗末なものでした。
今でも、中通病院や千秋会
館付近を通ると青春時代が思
い出されなつかしく思います。
私が入部した頃には、創設
時代の先輩として宇佐見盛志
氏や、加賀谷篤一郎氏、島田
力氏、藤田太一郎氏、小室
円内顧問大野隆夫 左から(1走)桂 雅宏(2走)眞井田宏彰
(3走)櫻庭一馬 (4走)堀江宏伸
(3分18秒53)
大野監督の指導のもと、毎 ける部である。
日遅くまで黙々と練習に汗を
今年も四百Mハードルで三
流す。毎年のようにインター 年生の工藤聡君がインターハ
ハイを含むすはらしい成績を イに出場する。ベストを尽く
残しているが、決して縞り高 して悔いのないレースをして
ぶらず、淡々としている、そ きて欲しいものである。・
んなすがすがしい印象ををう
平成7年度
インターハイ出場(1600mR)メンバー
第 53 号
(4)平成9年7月27日 秋 高 同 窓 会 だ よ
氏と共に八百MRを走ったこ
と、伊藤修四郎君、瀬下鉄五
郎君、赤坂哲次郎君、伊藤久
満君、長野佳司君、根布谷良
一君、宮田暗二君、村井健彦
君等と最後の一年間楽しく過
ごしたことなど走馬灯のよう
にめぐってきます。
最後になりましたが、秋高
陸上競技部員諸君の益々のご
健闘と、OB諸兄の益々のご
健勝を祈念いたします。
輩の見事なレースを拝見、そ
して声をかけていただいたも
のの、あがってしまってアッ
プもろくにできずにレースに
臨み、ゴール後、酸欠状態で
しばらく動けなかったのが忘
れられない。
三年生では春の中央地区大
会、越前君の家で合宿しなが
らの参加、一年下には好選手
が多く、何年振りかの総合優
勝ができた。ちなみに彼等は
翌年、全県総合優勝を果たし
ている。
手形グランドの練習では秋
田工業の伊藤好三先生に随分
可愛いがっていただいた。秋
田北の三浦鉄治郎先生ととも
にグランドの主だった。練習
相手では秋田工業の堀井健次
君︵現在、松ケ崎で建設業を
営んでいる︶ がなつかしい。
テストのたびに赤点を気に
しながらも充実した三年間で
あり、思い出は鮮明だ。
大学進学については越後谷
徹先輩に声をかけていただい
た。中学、高校と一番欲しかっ
た一緒に走れる指導者を目指
すことになった。
中学から始めた陸上競技が
自分の生活の支えになるとは
思いもしなかったが、秋高陸
上部が私の進路を決めてくれ
た。
大潟村支部設立10周年
記念式典開催
−他支部からも参加し盛大に祝う−
l
下を
田
■
□
MHHu
椚田mU
田
回
¢
日■■日
囚闊聞凶
円‖u
回
国
や
糸
関目=‖︼
︻1.‖H‖U
象
l ∴ l l . 一 一
▲▼
図四
㍉■
闇閉り
圏 □ □
■ l
□□
嗣
田
固
田
脳同山日
鼠脳回国は
は囲馳
田囲門=齢
騨胸剛胆
曹l・∴.
回国閣錮
腰馳彗濾那
閉。
齢
回国慧 固田園因駈
回国・同u 塩
日
闊幽
固
i 一一.− r‘‘す ̄ ̄・.
、 lすせ
平成10年発行
同窓会名簿改訂のためのスケジュール表
10月 名簿37号注文数集計
平成9年度
名簿頒布価格決定
4月 名簿委員会︵完成ま
日月 更新業務完了
で7回を予定︶
12月 索引等全体編集業務
印刷業者打ち合わせ
1月 引き続き作業
作業進行予定検討
年次名簿データ発送
2 月 〃
3 月 〃
会員カード作成準備
会員カード発送
平成10年度
名簿37号掲載広告協 4月 名簿データ〆切
広告〆切
力依頼準備
5月 名簿注文追加集計
返送会員カード整理
6月 名簿発送事務的準備
開始
7月 校正
名簿代金前納依頼
8月 完成・発送
9月 名簿37号注文集計
不明者追跡業務開始
掲載広告募集開始
4月25日、恒例
の第十八回東京馬
羊会を、池袋東京
会館にて開催。大
阪から泉義一氏を
迎え懇親会に入る。
学校の思い出は何
といっても白壁に
包まれ罠バルコニー、
ド。
回廊、寄宿舎など
の校舎。六十年経
た今日なお、会員
の体内に渦巻く。
野球は楯山グラン
幹事から、卒業
工業・業務・家庭用ボイラー販売設備工事
院長田口誠一
(昭和23年季)
田口 修
(昭和58年卒)
卒業50周年
〒○這大曲市中通一〇一三
電話︵〇一八七︶六三一〇六〇一
︵昭和23年卒︶
藤田紀一
㈲藤田呉服店
〒010秋田市南通みその町4−47
TELO188(32)4536mXO188(32)4539
CUSとまと(御所野ニュータウン)
秋田市大町二丁目4番41号
き(62)2 5 7 5
T E L 3 2−4 6 81
8 7 6 5
〒018−17
南秋田郡五城目町字七倉115
TE L O188−52−2242
千秋久保田店/
酒の千秋(旧手形堀反町)
御所野店/
秋田市千秋矢留町7−29
日
′も
.
TELOI83−73−0123 FAX72−2019
宮澤惟安
(昭和23年季)
神尾太一
(昭和23年卒)
本郷 滋
(昭和28年卒)
田
回
lttl
ヽ − 鵬
.
I
.
、
瀬〃
貯 用 用 は は
湯沢市関口字川前Il7番地
代表取締/ユ
支部長
笹原秀雄
(昭和23年卒)
取締役専務
===_______==_______−
ウニ 毒≡≡
㊥有限会社宮沢工業
本郷 其
(昭和23年卒)
口 □
一新幹線、知事選挙など
秋田の話に花が喋く−
田園。
東京馬羊会(Sl1年卒)
〓ノ
璃威喝醸璃醜㌣淘軒磯蝉璃線 密輸 蔓細㍉廟「朝鮮魂紆牒膠
三月二十一日、サンルー
ラル大潟において、﹁大潟村
秋校同窓会設立十周年記念式
典﹂並びに毎年恒例の﹁新入
生歓迎会﹂が盛大に開催され
た。
当日は、同窓会本部よ。丸
山会長、田口事務局長、母校
から松岡校長、更には五城目
の加賀谷支部長、八郎潟の小
野支部長、男鹿の加藤支部長
等々多数のご来賓のご列席を
賜り、心から感謝申し上げま
す。
また、今回の新入生歓迎会
誓禁射 ず吋
は7名︵男子5名・女子2名︶ 内訳話も飛び出し会場は大い
の合格者と父母の参加を頂き、 に沸き立った。
式典を通じて、新入生は合
十周年を祝うに相応しい式典
格した喜びと、秋高生として
となった。
最初に挨拶に立った、大潟 の新たな決意を抱いてくれた
村の児玉邦男会長は、同窓会 ものと思う。
また、新入生の父母からは
設立当時のエピソードや、今
年も卒業生53名中7名もの合 秋田高等学校の伝統と個性あ
格者を生んだ大潟村の教育水 る校風に接し、﹁改めて感激
しました﹂との感想を頂き、
準等について話された。
続いて、来賓を代表して丸 私ども同窓会員一同も大変勇
山会長より歴史ある秋田高等 気付けられた。
大潟村秋校同窓会は発足し
学校の誇り、松岡校長からは
秋高生としての心得について、 て10年、会員も21名と小規模
な組織ですが、今後も秋高生
それぞれご挨拶を賜った。
最後に、各支部長からは秋 としての誇りをもって、母校
高生当時の思い出を語って頂 と地域発展の為頑張りたい。
︵事務局 薄田茂︶
き、中には﹁今だから話せる﹂
樟声帯殖饉坤榔隼句碑粧
田口歯科医院
笹原内科医囁
取締役社長
麺
がやぶ㍉ぷ諭㍉
秋田地区交通安全協会
御所野支部
内科・胃腸科・レントゲン科
備「本日韓 建 設
田.
せ ヰ
四 日
日
日
︻]
四
日
l
l
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l
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纂
t
ロ
”
I
.
U
田罰
田
︳
日
田
営業所’東京・大阪・仙台・秋田
秋田市寺内字高野
画(0120)86−5483
峯㌣∵1ぱ
沖腕 も °ト
月月月月
して三十年たった
昭和四十一年の初会合、井上、
三川両先生をはじめ、秋田、
大阪から多数のクラスメイト
を迎え盛会を極めた回想が語
られた。
続いて、前年逝くなったメ
ンバーの冥福を祈る。新しい
話題は秋田新幹線、新装なっ
たといわれる秋田駅、秋田県
知事選挙など。
会員は来年傘寿。全員揃っ
て二十一世紀へゴールインを
申し合わせ解散。 ︵今記︶
[出席者]田中虞吉、泉義一
︵大阪︶、樫庭庄左工門、小
田部精二貝塚吉雄、三神正
孝、石田正、今行雄
阿部行夫
(昭和33年卒)
清瀧和敏
(昭和33年季)
回
悶Hu
■■■■回u
閉Hu
ダ乳で”〆
撃潤
的 円 H u
社長
社長
n川u
和u
国
罪Hu
悶HHu . 同
1
秋田木工株式会社
繁精白,6
稗 田
叫 十
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曲木家具・一般洋家具
既成品・受注設計製作
お墓のデパート
一 門m馴乱
’J,●小P.′
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海
田。
羞禦望兜蝉
轟三一哲子三三千l士二こ
璃湘知線輪
矧慨昭苺磁張
1.間
..一・才
阜
漂浪露暮雲窯
、一一r −
﹂
標記の同 れていたので、感慨ひとしお
口嗣
期会を、飛 の集いだった。それに母校野
摘岨■日開
一同凧皿此
固
翔会が中心 球部の選抜甲子園出場の吉報
□
︻u
日間山国脳
が飛び込んできて、50年振り
に企画し、
平成八年二 の同期生の管飽の交わりを一
鼠続発患閥は
糠
月二目に東 層深め合う再会だった。
題胴■題
︵鷺谷 記︶
田日Ⅳ川姐闊
京五反田の
〇日
[出席者]小林次郎、佐藤和
﹁ゆうぽう
■日嗣園□日
層
間脳
と
﹂ におい 三郎、土田裕国、榊 幹雄、
田Hu
風は旧
て、北は北 鈴木秀夫、保坂邦雄、吉野重
海道から南 厚、加藤治夫、田口長兵衡、
日 − 脳 田 園
回。 田 那脳
は兵庫県ま 大山重邦、長山君雄、川口義
温田8器
田
で47名の参 二鎌田武二郎、貝田昭次、
囚
加者を得て、 佐々木清司、国安 彰、佐藤
盛会裡に開 時昭、村上 透、小高昭二、
車ネすヤ吋叫
㌔甑 催すること 佐藤信昭、岡崎和市、稲葉
吋袖
閉れ
茂、渡連 聴、鷺谷澄夫、越
が出来た。
田
特にこの度 後史朗、野口達二、相馬高胤、
和u
の且型式は、 畠山和夫、岡田久治、利部
討表︻〓開
昭和20年卒浩、加賀谷清、佐々木照雄、
業50周年記 梁田昭悦、平賀謙治、酒井
タ
剛肌朋格
健、後藤治朗、菊地徳三、伊
念
の他に、
遥脳椅話
′叫
古稀と記念 藤一雄、月泉悦良、塚本伸治、
四
雨甑闇
誌の発刊の 池田錬二、島田日立郎、布袋屋
開閉闊鯛
お祝いの意 伊作、半田丈士、佐藤周二
義が込めら 佐藤孝之、鈴木英二郎
噛鳴鯛食
日
Jl− . こ・・
瀾喝私儀轟
第53号
秋 高 同 窓 会 だ よ
(5)平成9年7月27日
ヽ▼′、.′、−′、−′、.′、−′、.′、.′、.′、.′、.′、.′、.′、.′、.′、.′、.′、.、.、.、一 、.、.、.′、−′、.′、.、.′、l 、l ヽl′ ヽl′ ヽl′ ヽt′
′lヽ ′.ヽ ′lヽ ′一ヽ ′ハ ′ハ ′−、′一、′.、′.、′.、′.、′一、′一、両 ′一、中 小 ′.、′一、′−、′一、′.、′−、′.、′.、′−、小 ′一、′−、′一、′−、′一、′lヽ
高
∵
l
⊥
口一
コ
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六月十八日 ︵水︶
﹁大曲エンパイアホ
テル﹂ に於いて支部
総会を開催したが、
本部より丸山会長、
田口事務局長、母校
より池田校長先生の
ご臨席を賜り、盛会
裡に終了することが
できました。
[出席者]伊藤四郎、
加藤芳男、五十嵐卓、
小松正二富樫公一
郎、根本幸蔵、加沢
敏郁、藤田紀一、斉
藤順治、下山彰一郎、
清水貞夫、椎名光雄、
藤井久男、下山維敏、
斉藤正俊、伊藤圭右
工門、佐々木岩男、
宮原拓也、茂木晃、
大坂昭治、佐藤元一、
は
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㌧
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一
RuRHU
華酵懐疇彿碗陶 一 頭扁㌔∵ヅ璃
J1一
−ヽ −・.−・
結果は次の通りである。
第一試合 秋田13−7大農
第二試合 秋田9−5大曲
母校野球部を招いて交歓試合
康
辻久男、高橋良一、小山田薙、
鎌田浩治、山本美幸、森本光
博、石河知之、三嶋信夫、鐙
隆千代、佐藤良和、 高田博充、
石川武蔵、有
明秀太郎、佐
藤照、嵯峨弘
0
本年大曲支四
部は五十周年
を迎え、これ
を記念して去
る五月五日、
大曲市営野球
場に於いて母
校野球部を招
き、大曲農業
高校、大曲高
校野球部と交
歓試合を行っ
た。
警察支部発足
∼意気盛んなり∼
l
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・ H.・、ノ・ ..ヽ
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・ 磯 苺
ナ ナ 十
日日日田mull
相川相川相川HmHH闇相場
岳
l闊l嘘回
3月8日 ︵土︶、﹁警察支部 て同窓会から丸山会長が同窓
総会﹂ を秋田市の第一会館で 会の現況について、松岡学校
開催。会員等51人︵現在数103
長からは、﹁文武両道を目指
人︶ が出席しました。
し、文では東北3位の維持、
当初、警察支部は県庁支部 武では甲子園出場4連破、そ
に所属していたが・会員が100 して優勝旗が白河の関を越え
る﹂ と広大な夢を語っていた
だきました。
さらに、退職される小野寺、
佐藤両先輩︵30年卒︶ から挨
拶をいただき、進藤先輩︵27
年卒︶の乾杯により懇親龍入
りました。
懇親では、学校時代のこと
現在の学校、将来像等の話題
に花ひらき、最後に若手の音
頭で校歌を5番まで歌い余韻
を残す中解散となりました。
︵佐々木 幹事記︶
‖
田
l
−
腋m闘閉り
阿HHu
正 ・八ニ
園⋮り
華
人近くなった平成4年、警察
支部として独立。毎年3月に
定例の総会を、退職される先
輩の送別会と兼ねて開催して
きました。
これまで、警察内だけで活
動してきましたが各支部にも
その存在を知っていただきた
く同窓会に連絡したところ、
多忙な丸山同窓会会長、田口
事務局長、松岡学校長のこ三
方の出席をいただきました。
会では、最初に支部を代表
して田宮会長から挨拶、続い
l
擬㍗ネげ
感回
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調的
田同用は
ヽ▼▼
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闇闊姐
帽は馴馴馳阻深箋
1如
村田産婦人科医院
院長
村田純治
︵昭和33年季︶
秋田市土崎港中央五丁目三主毛
電 話〇一八八︵五七︶四〇五五
FAX 〇一八八︵五七︶四〇〇七
心にひびく四季の酒
粛錬れ
秋田酒類製造株式会社
常務取締役
︵昭和33年季︶
近 藤 隆
秋田市川元むつみ町四番十二号
TEL〇一八八︵六四︶七三三一
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川
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開園問
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軋
秋田市千秋北の九五−六三
TEL〇一八八一三五︶九六七四
外科・胃腸科・内科
倉 田 医 院
(昭和33年卒)
﹁大曲支部﹂創立五十周年記念野球大会及支部総会
□
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固田Ⅷ凶り 日
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関 指 幣
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宮崎林次郎
(昭和33年卒)
TELO3(3388)5802
FAXO3(3388)引引
1′㍍−・・−・11r∵.ニ:
秋田市大町1丁目3番37号
札幌市手稲区曙5条5丁目3番2号
T E L Oll−694−6311
FAX Oll−694−6315
(自宅)
札幌市手稲区西宮の沢2条3丁目
〒010秋田市旭南二丁目3−10
TELO188(23)0227
FAX O188(66 5654
日本エンジ二世」ンクモデル株式会社
〒沌6東京都杉並区高円寺北卜20−6
ノ ブti
三.い一・ロー∼
荻原正夫
(昭和33年卒)
各種模型製作・IC製造薬品装置
摘 処
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(昭和33年季)
等誓㌘
P渡辺吉雄
(昭和33年卒)
町㌘「.t一貫す一tt・・∵.叫.巾∴∴ ∴−1・
代表取締役社長
代表取締役
遍Ⅷ
秋田市八橋新川向12−9
T E L O188−62−3351
TE L O188(68)1262
FAX O188(68)7630
北海道急行運輸株式会社 協和石油株式会社
子音
曾漉吾呉服店
川 叫“一 わ
清三屋商事株式会社
ダスキンきよみや
住職
撃禦讐撃撃讐禦翠莞翠
長谷川善四郎
(昭和33年卒)
同 期生一 同
虫 亘竺
清水信夫
佐 藤 義 明
圭
≡≡≡≡≡〒≡≡÷≦・.=≡三≡≡垂
代表取締役
中泉俊尭
(昭和33年卒)
秋高・東京三三会
 ̄・Yチ
円
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一前校長も熱弁−
ダスキンで住まいと暮らし
まるごとキレイ
曹洞宗東 福 寺
慮
昭和33年卒
、触.朝食
代表取締役
代表取締役社長
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脚絆
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飛澤関弊関澤
適蝋轟蜜
琶扇
ごま_■. t −1・ふ−・・∴.、二二ふ:⊥悪
≡≡=這こふ…,U..,._血。.▼_
国囲山
﹁十二年卒坂本元書、十四年 てますます強くなるから、み
卒穂積惇君、十六年卒森川俊 なさんからはもっと多くのご
は患l 太郎君﹂⋮
寄付をお願いしたい﹂ と熱っ
日 松嶋会恒例の出席とり風景 ぽく語った。
である。名前を呼ぶ佐々木洋
このあと、懇親会に入り、
之氏︵S61卒︶ の凛とした声 冒頭の出席とりとなったが、
に比べ呼ばれる側は、会釈す 盛り上がったのは各年次別代
る動作はにぶく、頭髪も薄かっ 表の一分半あいさつだ。
たり、白かったり。
﹁良き師、良き友に恵まれ、
秋田市新屋地区在住の同窓 読書も世界田文学全集を全巻
生の集いである松嶋会は、一一 読み通した﹂ との超OBの回
月二十三日午後六時から、母 顧はともかくも、鈴木隆一氏
校の松岡正樹校長、同窓会本
︵旧姓高橋、S25卒︶、高島
部の田H能祐事務局長を招き 遺之助氏︵S型牛︶ らが戦時
約五十人が出席して日吉会館 中の先輩の怖さを暴露したの
で開かれた。
で会場は大爆笑。
太田寿男支部長︵S25卒︶
中野鋼一氏︵S塑笠 のあ
の格調の高いあいさつ、会務 ざやかな進行の下、熱くなっ
報告の後、この三月末で定年 たり冷や汗をかいたり、約三
退職するはずの松岡校長が母 時間をそれぞれ思い出を浸っ
校の二十一世紀を展望した振 た。
興方策の概略を説明、﹁進学
︵信田聡一記︶
もそうだが、野球もこれによっ
巳:]
[rj
松 嶋 会
肇卿醗
十十ナナナイキ
■
字・〒 ±
軟高同窓会大曲支部総合
喝喝喝郷
(7)平成9年7月27日 秋高 同 窓会 だ よ り 第 53 号
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粁宰吾≒こ...:こ.1㌢1::こi:i:i:ilこ∴;ここ号.::甘こ!:こ郡こて訂1・・・.−・こて五°貫首雷五号−ェ.■題−言■■.訂ト: 罷.詳′ ̄− ‘■■.こ:丁−iiき.こ:こて1コ−.‘− ,思こ‘涌ぎ皿F 琵「詔F 憩‘群 ̄ 甘  ̄軍:;:牡 等::.篭去.且 て法 批 菅
追分地区新入生歓迎会
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生徒会長を招き6名の新入生を迎える
磯号ィ、観
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東仙北支部総合
秋田市中通2丁目5−20
TE L O188(33)6611
円
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闊u
秋田市将軍竪了南4丁目6−2
TE L O188(45)1118
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秋田市山王中園町10−26
(児童会館通り)
TE L O188(64)1522㈹
mu
秋田市山王中園町3−8
TEL O188(63)7533
1
西村紀一郎
(昭和34年季)
仙北郡角館町岩瀬町三六
TEL〇一八七一五三︶二三四六
高木紘一
(昭和34年季)
TEL O188(62)3532
堀井照重
(昭和34年卒)
秋田市泉字大橋98−1
︵昭和34年卒︶
小林大蔵
代表取締役
田鉄電器株式会社
高橋広悦
(昭和34年卒)
堀井軍平
(昭和34年卒)
、
昭和37年季同期会会長大嶋駿一
盛岡会計センター㈲
高橋税理士事務所
合資会社一 力 雲昔碧背景票 高木内科胃腸科医院 株式会社山 ニ
しいただいた後、小西理兵衛
氏︵S12卒︶ の乾杯で開宴。
二・二六事件の話題やら東海
林太郎にまつわるエピソード
等が飛び出した後、籾山君の
リードによる校歌を熱唱、盛
会裡に終了した。
帰り際に、元軟派連から、
次回は﹃あげまき会﹄と合同
でやろうとの声があり、検討
することとして散会。
︵藤井記︶
[出席者]熊谷義一、小西理
兵衛、京野大三、小西玄太郎、
熊谷 徳、藤井国夫、亀井日
出男、小西弘蔵、籾山政茂
駅前校舎の思い出を語ろう/
l
■
卒業35周年記念
、1
﹁秋田高校の歴史にみる人物﹂
−第一次掲額者決まる−
堀井梁歩
石井漠
多田等観
中川重春
須磨弥吾郎
武藤鉄城
東海林太郎
下田菊太郎
* 石井露月
* 小田島樹人
* 寺崎広業 計 2 4 名
なお*は未写真
また二次選考は平成10
年末にかけて行なう予定。
m●■一.■−…■■■■■■■■■■■■■■●■■空転鼠汐
“
田国
■ ■ ■ ■ ■ . ■l ■ l ︳ ■ l ● ■ l ■ ■ ■ ■ ■ l ■ ︻ ■ l
正時で、数字は卒業年次︶
平成7年後半から、
町田忠治
﹁羽城館整備﹂ というこ
田中隆造
とで、会議を開いて詰め
二木謙三
てきた﹁秋田高校の歴史
小西正太郎
にみる人物﹂ について、
小田内通敏
この4月の企画委員会で、
上遠野秀忠
第一次の決定をみた。次
小場恒吉
の二十四名で、他を保留
塩田団平
とした。今後皆様の更な
菅礼之助
るご意見を入れ、充実し
斎藤佳三
たいとかんがえているの
物部長穂
で、どしどし事務局へお
湯沢幸吉郎
寄せいただければ幸い。
木村謹治
︵なおMは明治、Tは大
:_誓二 ぎ ー1−11撃l茫竺
誓 す す轡,,拳
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口
闇悶Ⅶ
脳室ロ日日日田回顧翌日回国図日田圃遍表臼田日田園田回国日日回
歓迎の言葉
国日日臼国i図日云園田図回。日!宰由ネ函図四扇田ロ囲固
声翠謬ヲ陛 ̄ ̄l ̄i主l軍l?l ̄戸l警 ̄一軍 ̄賢冒Il毒l ̄琶琴軍司
げ 洋ポ
ナ
も実現できる学校です。
ですから私たちは、なんと
なく日々を送り、無難なとこ
ろに自分を安住させていては
ならないのです。
全てが整ったこの素晴しい
環境の中で、常にハングリー
精神を持ち何かを求め続ける
のは、辛く厳しいことかもし
れません。しかし、自ら何か
をやってみようとする自主的
な姿勢と、その中でさらに上
を目指そうとする向上心とを
満たしてくれるものこそ、秋
高の自由であると私は思いま
す。
みなさん一人ひとりが、そ
れぞれの手で自由を掴んでく
れることを期待しています。
田
闘建
幽g瀾鰯
税理士・中小企業診断士
杜長
公認会計士・税理士
代表社員
(昭和34年卒)
郵波伊四郎
(昭和34年卒)
〔TEL O188−23−3121〕
秋田市川尻御休町1−17
TE L O188(64)6228
FAX O188(23)2576
秋田市大町4丁目3−35
TE L O188(23)4311
※出欠はがきはお送りしていますが、不明の時は大嶋まで。
豊 口祐一
日 時 8月9日(土)午後5時∼
会 場 秋田ニューグランドホテル
会 費 10,000円
弁護士
秋高37年卒同期会
㈱那波伊四郎商店
豊□法律事務所
紙・文具・事務器・スチール家具
回
平成9年2月27日、幸町
間は
﹁北秋倶楽部﹂に於て、8年
図
度の大館支部総会を開催。伊
四
藤碩彦副会長︵S35卒︶ の開
田園
悶田国
催の言葉に続き、布袋屋伊作
図
闊■■■四m
I丸山会長を迎え盛り上がるI
会長︵S20卒︶が﹁一年振。
四回
の総会懇親会だが、今日は47
園
回
日
名もの会員にご出席をいただ
乾
年々会員の減少に悩む東仙 て、京野氏から2期8年にわ
き、しかも秋田桂城短大も順
ダナ鞄
調に関学にこぎつけたし、嬉 北支部︵六郷町・千畑村・仙 たる町長の在職中の思い出な
しい限り⋮⋮﹂と挨拶。母校 南村︶総会は、昨年勇退され どが語られ、丸山会長からは
軒聯
より馳せつけてくれた斎藤秀 た前六郷町長京野大三氏 ︵S 同窓会の現況等についてお話
図
軽
男教頭より学校長がまとめた 12卒︶ の慰労会
を兼ね、2月26
﹃5つの改革、3つの提案﹄
田
−﹃21世紀を展望した秋田高 日午後6時から
校の振興方策﹄等の近況報告 六郷町アクアタ
ウンホテルで、
があった。
記念撮影のあと小畑元大館 奇しくも当日が
市長︵S42卒︶が昨年関学し ご誕生日にあた
た秋田桂城短大の宮城一男学 られた丸山健同
長︵S20年卒︶ の紹介を折ま 窓会会長をお迎
ぜて乾杯の音頭をとり祝宴に えし、会員8名
入った。途中、持ち時間一人 に急遽秋田銀行
30秒の自己紹介があり、出合 六郷支店から藤
井、籾山両氏の
の楽しさを満喫した。
麦芽妾孝妻妾菱笈蒙老妻芽笈老老蒙蒙蒙肋劉劉劉劇劉孔矧矧矧㈲矧矧矧矧矧胤臥矧矧胤矧矧矧臥矧臥矧臥臥矧臥臥臥腋腋董妻妾董菱を菱董老孝老妻菱菱蒙菱董場菱樅笈菱等
中締めは伊藤久満氏︵S29 参加を得て開催
騨
馳
された。
卒︶ のリードで校歌、副歌、
圏肖
記念撮影後、圭
校友会歌を高らかに斉唱し、
まず支部長の熊㍑
再会を期して散会した。
ヽ㍉
金谷生徒会長の
︵事務局 加藤 記︶ 谷義一氏︵S‖
卒︶挨拶に続いィ
、
払曲飽戯
T
5 3 4433434139
軒鞍
.ぺ − ■rlllllJ■.一 一1−、.
一年生のみなさん、ご入学
おめでとうございます。
秋高はよく﹁自由﹂という
言葉で表現されますが、その
根本を成しているのは、秋高
のモットーでもある﹁自主自
律﹂ の精神です。今日は、た
くさんの意味や理念のこめら
れたこの﹁自由﹂ の解釈のう
ち、ほんの一つをお話しした
いと思います。
秋高では、学校生活のあら
ゆる場面において生徒の自主
性が最大限に尊重されていま
す。県下一の進学校ゆえに勉
強は大変ですが、そのために
部活動や生徒会活動が規制さ
れることは全くありません。
やろうと思えばどんなことで
39383837313131282827261413
■
ー秋田桂城短大の関学と
ひとり30秒の自己紹介と
して欲しい。
■ * * M
吏二二こ:.こ訂.÷.・で  ̄ ̄:こ:こiここ 宇土ここ‘‘こ;甘 辛強 鵠肯Illl−1T Lここ宣;てこ三..こ三こ: ̄ ._ − う.三 方. ここ 1こ・−; J■■■ ノ‘.ここ ‘ ̄ 骨、 . L V こ乱 .ニ芹. ここ;こ;ここ .こ:ニ:ここ.・浪 こ:こ;こ:_ こカ
や
も
追分地区新入生歓迎会を去
る3月29日開催した。
今年は例年より新入生が少
なく︵6名︶、若干寂しい気
がしたが、現役バリバリの生
徒会長金谷さおりさんが出席
して、会を
盛り上げて
くれた。ま
た、いつも
ながら斎藤
秀男教頭先
生、田口能
祐先生にも
出席してい
ただき、会
員一同感激
した。
新入生諸
君にはこれ
から三年間
の秋高生活
で、自らを
しっかり鍛
えて目標に
向って邁進
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1月 遠藤
斎藤
2月 道田
重慎善
雄也治
一関重一郎
蓼沼 八郎
池田潤一郎
石川 稔
金 俊彦
3月 石戸谷芳夫
岡部 徳
越前屋正一
明石 秋賓
小川 幸吉
4月 佐藤 卓
庄司 高虎
渡辺博太郎
丸山 完
田中 二郎
三浦 邦夫
石井 功
5月一関 吉美
三浦 英紀
若松 欣一
石田鋼一郎
孫 孝義
6月 長谷川英夫
鈴木良一
0
3・8
3・3
母校は全県総体や秋高祭な
ど一年間のうち最も忙しい時
期であり、各担当の先生方に
とっては、その忙しさの合間
を縫っての編集であった。紙
面レイアウトの段階になって
スペースが余ることに気づき、
急遽、発行日直前の理事会も
記事に含めることになった。
担当者も難儀したが、印刷の
方々にも御迷惑をおかけした
ことと思う。
とにかく、第53号も無事に
完成。各担当は休む間もなく
次号の準備にとりかかる。ご
期待下さい。
学校側編集委員
清水清孝、安藤巳智子、佐
藤健公、佐々木晃久、石塚千
鶴子、佐藤康一︵新︶
編 集 局
行
7・7 宇都宮支部総会
7・27 同窓会だより53号発
7
剰遊郭団樽優勝全県総体
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四日闘凶
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3・29
4・10
4・17
4・30
5・6
5・14
5・23
5・30
6・6
6・10
6・13
6・16
6・18
3・10
3・21
6 6 6
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主的稽古への取り組みと、O
Bとの強い連携が今回の優勝
をもたらしたものと結論付け
たいですね。
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鵜野待樟胤風刺射
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一
口 ロ
日国劇
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︹バドミントン︺
︹バスケット︺
男子団体
二位
ナ︶、郵便番号・現住所・電
会務事項報告
三回戦 秋田49−79能代工︹バドミントン︺
男子団体
話番号、勤務先名・電話番号
一回戦 秋田2−3国学館
︹ソフトテニス︺
女子団体
三位
等は必須事項ながら、所属部 2・28 県庁送別慰労会
個人
男子団体
︹サッカー︺
課・役職等はその限りにあら
第四回財政委員会
シンクルス優勝 斉藤 拓則 一回戦 秋田1−2仁賀保
三位
ず﹂ を平成9年9月30日まで
警察支部総会
︵インターハイ出場︶
女子団体
︹弓道︺
ご回答下さい。なお予約頒価
羽城館整備委員会
男子団体
ダブルス 優勝
二回戦 秋田0−3和洋
男子団体
二位
は四、五〇〇円で、掲載人員
大潟村支部十周年記
六月六日よ。、県北地区を中心会場に、十日までの日程で
一回戦 秋田0−3秋田商
斉藤拓則 小松 亮
︹登山︺
︹硬式野球︺
約3万名。
念総会
第四十三回秋田県高校総合体育大会が開催され、各地で熱戦
女子団体 三位
女子団体
予選リーク
中央地区大会 ︵5/9︶
二、今年度の通常総会は、7
平成八年度年次名簿
が繰り広げられた。﹁熱い思い 熱い汗 二度とないこの時
三位決定戦秋田3−0西目
一回戦 秋田0−3能代商 中央地区大会
回 戦 秋 田 5 − 1 0 秋 田 南月12 ︵土︶・13 ︵日︶ が母校
委員会議
に⋮﹂という大会キャッチフレーズのもと、本校生徒も日頃
︵東北大会出場︶
︹ボート︺
︵5/10∼5/冥主な成績
学校祭、20 ︵日︶・21 ︵月︶
井川支部総会
部活動で鍛えた成果を存分に発揮し、多くの部がインターハ
︹柔道︺
舵手付きフォア 三位
︹陸上競技︺
土崎の祭りのため、7月27日
追分支部総会
イ・東北大会出場を決めた。
男子団体
シングルスカル 二位
男子四百米リレー 四位
︵
日
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会
場
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第一回名簿委員会
工藤 翌 工藤 聡
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前
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時
第一回企画委員会
女子百M 五位 村山晃子
個人
ダブルスカルB 三位
女子四百米リレー 二位
窓会名簿﹂ の改訂の年。事務 30分支部長会議、午後2時よ
第一回広報委員会
※以上全員東北大会出場
中量級
優勝 長谷部 亮 ※以上東北大会出場、ダブル
︹ボート︺
局ではより万全で体裁のいい り通常総会、3時20分からの
第一回財政委員会
︹剣道︺
︹卓球︺
︵インターハイ出場︶
スカルAはインターハイ出場。 ダブルスカル
優勝
名簿作成を心掛け、名簿委員 講演は山形市荘内銀行取締役
企画委員会当番年次
男子団体 優勝
男子団体
中量級
二位 岩見信一郎
︹サッカー︺
シングルスカル
二位
会と共同して、今から全力を 頭取の町田容 ︵さとる︶ 氏
会議
決勝 秋田4−0秋田工
準決勝 秋田2−3秋田工 女子個人
二位
舵手フォア
二位
あげたい。そのため全会員に
︵昭和31卒︶。
東肥羽城会
女子団体 予選リーク
︵東北大会出場︶
5 2 旬 級 優勝 石井 幸恵 決勝 秋田0−3秋田商
︹バレー︺
お願い。
ふるってご参加を。
東京支部総会
︹陸上競技︺
シンクルス二位 高橋智宏
︵東北大会出場︶
︵東北大会出場︶
二位
まずこの ﹁同窓会だより﹂
会計監査
男子四百M一位 工藤 聡
︵インターハイ出場︶
︹弓道︺
︹ラグビー︺
︹剣道︺
に同封の ﹁会員名簿データ確
正、副会長・参与・
哀
悼
四百M ハードル
ダブルス 三位
男子団体 予選リーク
五
位
五
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委
員長会議
一位 工藤 聡
高橋智宏 黒木 毅
個人 優勝 佐々木 直
秋田27−25秋田中央︹卓球︺
購入希望の有無にかかわらず
謹んで
S27年次同期会
千六百米リレー二位
︵東北大会出場︶
︵インターハイ出場︶
︹バレー︺
三位
男子団体
会員全員が﹁卒業年次、氏名
哀悼の意を表します
羽城館掲額
渡辺広志 伊藤和明
︹硬式テニス︺
女子団体 予選リーク
三回戦 秋田0−2雄物川
︹柔道︺
︵フリガナ︶、旧姓︵フリガ
大曲支部総会
董艮ユ巨だ巨ギ仁館わ巳㌔巨ぢ菌ギeよ♪農n耳ぷ巻屡蓋世Pギ細巨群と艮耳Pよ虎キざモ巨璧巨璧ビ告烏ちぷ盲屡裏虐よとき圭圭わbよゎbよ鋸よ圭わ長屋んbよ倉よ爵わbよ屋ん塵虎よと屡eよ圭虐よhbよ虐さんbよゎbよ董ぶちぷ盲き董bLギβ身
羽城館掲額
第一回理事会
S26年次同期会
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累 大 作先生
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頭関田
拉繭i意,
久し振りのインターハイ、
どう大会に臨むつもりですか、
その抱負をお聞かせ下さい。
一昨年全国選抜を経験した
選手ですのでプレッシャーと
いうのはそんなに感じないと
思います。しかしインターハ
イには一種独特のムードがあ
りますので、今からその点に
ついて話していかねばと思っ
ています。
まだまだ力不足のチーム、
のこされた期間、秋田県代表
としてはずかしくない試合が
出来ますように、稽古を積ん
でいくつもりです。
当面、予選リーク突破、決
勝トーナメント、一戦一戦満
足いく試合をさせることに心
掛けたいと思います。
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星旗大会でのベスト8戦での り続けるという行為が、最大
敗退に強いショックを覚えま の収穫でありました。
した。
一方、いつにない生徒主導
総体に向けて、今何をしな で意欲的な部活動が、剣友会
ければいけないか、部員とじっ 若手OBの心を動かし、全国
くり話しあいました。
三連覇当時の選手が連日駆け
敗れた原因は、力不足以外 つけ、激しい稽古をつけてく
の何物でもないという結論に れたことと、当時の様子を熱っ
達し、その対策として部員総 ぽく語り続けてくれたのです。
意で大会まで朝稽古をして力
このことが部員に絶対優勝
量アップをはかることに決め できるのだという自信と勇気
たわけです。
を与えてくれたようです。
稽古を見守る側としては、
また、大会期間中もOBが
いつ息切れするか、心配して つきっきりで選手を盛り上げ
いたのですが、部員の意志は る姿勢はどこの学校にもまさっ
固く誰一人として休むことな ており、OBと選手の一体感
く大会出発まで続けられまし を感ぜずにおりませんでした
た。
し、これで優勝できなければ
私にとっては力量アップは おかしいと思った程です。
もちろんですが、自分達がや
やはり、部員の手による自
蛮虫ナ由
全県総体団体優勝おめでと
うございます。本校にとって
団体優勝は剣道だけというこ
とで大変喜んでいるわけです
が、ずばり今回の勝因につい
てお聞かせ下さい。
どうもありがとうございま
した。八年振りの優勝という
ことで今日まで長く暗い道の
りでありました。これに光明
を与えてくれたのは、生徒自
身の ﹁やらねばいけないとい
う気迫﹂と、OBの強い後押
しがあったからと思います。
昨年のインターハイ︵予選︶
全国選抜︵予選︶ と今一つ歯
車がかみあわなかったわけで
すが、今年になってさらに魁
ヰ ナナ汁十 十キ‡∵ ネ 十
第 53 号
(8)平成9年7月27日 秋 高 同 窓 会 だ よ
S S S S S S S S S S S S S S S S S S S S S S S S S S S
8 6 3929181714333120191712 2 35292717 7 312817 9 8 3 318