交渉教育の未来 良い話し合いを創る 野村 江口 美明 勇治 編 子供が変わる はじめに わたしたち人間は、言葉や表情やちょっとしたしぐさによって、自分が思っている ことや感じていることを相手に伝えることができます。とくに言葉を使ってお互いに 伝え合うこと(やりとり)を話し合いといいます。わたしたち 1 人 1 人は、好きなも のも感じ方も考え方も違います。お互いに異なった人々が同じ家族、同じ教室、同じ 地域でいっしょに生活することができるのは、話し合いができるからです。 自由で民主的な社会では、自分のほしいものを手に入れるために脅しや暴力を用い ることは法律で禁止されています。話し合いが社会の中心になっているのです。世界 にはたくさんの国があって、国と国とのもめごと( 「紛争」といいます)もなかなかな くなりませんが、国際連合憲章は、紛争は軍隊の力ではなく話し合い( 「交渉」といい ます)などの平和的な方法で解決しなければならないと決めています。 このように、日本でも世界でも人間がみんなで平和に暮らしていくためには、じょ うずに話し合うことがいちばん大切だということが分かります。ではどうすればじょ うずに話し合うことができるのでしょう。 この本は、小学校の低学年から高学年の児童が、じょうずに話し合うための方法を 学ぶためのものです。教師が「話し合い」の方法を一方的に教えるのではありません。 この本は、児童が読んだり動いたり話したりする活動を通じて、自然と良い話し合い の方法を学ぶことができるように工夫されています。 【理論編】では、良い話し合いとはどのような話し合いなのか、良い話し合いのた めの 7 つの指針(ヒント)とはどのようなものか、どうして小学校で話し合いを学ぶ ことが大切なのかを説明します。良い話し合いのための 7 つの指針は、アメリカのハ ーバード大学で開発されたものです。【実践編】では、小学生が「知っている」「聞い たことがある」というようなエピソードを用いて、7 つの指針の使い方を練習します。 この本は、大学の教員(法律、心理学、教育学など専門はいろいろです) 、小学校や 高校の教員、企業人、弁護士や裁判官など、交渉の教育が法教育の中心だと考える専 門家達が書いたものです。 わたしたちは、子供達が、人間の社会生活の基本的な活動である交渉を本格的に学 んでくれることを期待しています。そして、良い交渉ができる子供達が自由で公正な 社会の担い手となって、今よりよい世界を作り上げてくれることを願っています。 最後に、この本を作るために支援してくださった公益財団法人日弁連法務研究財団、 公益社団法人・商事法務研究会の松澤三男専務理事と、研究を支えてくださった実践 法教育研究会のみなさまに心から感謝したいと思います。 2015 年 7 月 i 野村美明 編著者 野村 美明 (のむら よしあき) 大阪大学大学院国際公共政策研究科・法学部教授 江口 勇治 (えぐち ゆうじ) 筑波大学人間系教授 執筆者 井上 修 (いのうえ おさむ) 日本ヒューレット・パッカード株式会社取締役執行役員 法務・コンプライアンス統括本部長 ♦13 章 今村 信哉 (いまむら しんや) 共栄大学教育学部客員教授 江口 勇治 (えぐち ゆうじ) 筑波大学人間系教授 大澤 恒夫 (おおさわ つねお) 大澤法律事務所弁護士、桐蔭法科大学院教授、 大阪大学大学院国際公共政策研究科招へい教授 ♦4 章 ♦15 章、♦おわりに 太田 勝造 東京大学大学院法学政治学研究科教授 (おおた しょうぞう) 小貫 篤 (おぬき あつし) 東京都立雪谷高等学校教諭 柏木 昇 (かしわぎ のぼる) 東京大学名誉教授 ♦1 章、♦14 章、♦15 章 ♦5 章 ♦11 章 桑原 敏典 岡山大学大学院教育学研究科教授 (くわはら としのり) 小泉 育 (こいずみ いく) 筑波大学大学院教育研究科 ♦7 章 ♦15 章 齋藤 宙治 ハーバード・ロースクール客員研究員 弁護士 (さいとう ひろはる) 茅野 みつる (ちの みつる) 伊藤忠商事株式会社執行役員法務部長 ii ♦6 章 ♦10 章 ♦コラム 1 ♦コラム 4 豊田 愛祥 (とよだ よしなか) 光和総合法律事務所弁護士 野村 美明 (のむら よしあき) 大阪大学大学院国際公共政策研究科・法学部教授 ♦はじめに、♦2 章、♦3 章 萩原 新 (はぎはら あらた) 日本ヒューレット・パッカード株式会社 法務・コンプライアンス統括本部ビジネスリーガル本部 弁護士 ♦8 章 樋口 正樹 (ひぐち まさき) 東京地方裁判所判事・東京簡易裁判所判事 福井 康太 (ふくい こうた) 大阪大学大学院法学研究科教授 福澤 一吉 早稲田大学文学学術院教授 (ふくざわ かずよし) 蓮 行 (れんぎょう) ♦コラム 3 ♦12 章 ♦コラム 2 大阪大学コミュニケーションデザイン・センター特任講師 ♦9 章 編集協力 今村 信哉 (いまむら しんや) 共栄大学教育学部客員教授 小貫 篤 (おぬき あつし) 東京都立雪谷高等学校教諭 西尾 冬馬 (にしお とうま) 愛知県小牧市立小牧西中学校教諭 (前・筑波大学大学院教育研究科) 小泉 育 (こいずみ いく) 筑波大学大学院教育研究科 交渉教育支援センター 大阪大学大学院国際公共政策研究科 iii 目次 はじめに 【理論編】 1 小学校における交渉教育とは何か 第1章 学級・学校での「もめごと」を超えて -良い話し合いができる学習へ- 第2章 良い話し合いをするための 7 つの指針 第3章 オレンジ事件(紛争) 第4章 小学校生活における交渉教育の必要性 第5章 交渉教育における教材開発の視点と手順 コラム 1 【交渉のフロンティア】企業と交渉 コラム 2 【交渉のフロンティア】いろいろな配役を演じてみよう iv 【実践編】 2 ウィン・ウィン(win-win)を目指す実践的授業とは何か 〇低中学年 第6章 「一つのオレンジをどう分ける!?」 ―演じて、観客になって観て、そしてみんなで考えよう- 第7章 皆が納得できる仕事の分担の仕方を考えよう 第8章 清掃当番を決めよう 第9章 件(くだん)の宣言 コラム 3 【交渉のフロンティア】裁判における交渉 コラム 4 【交渉のフロンティア】ルールを探そう 〇高学年 第 10 章 こうへい君は本当に悪い!? 第 11 章 みんなが納得できるものさしで議論しよう 第 12 章 みんなで仲よくバスケットゴールを使う方法を考えよう 第 13 章 緑のカーテンプロジェクトを成功させよう! ―水やりの回数はどうやって決めればよいのだろう?- 第 14 章 好きなもの嫌いなものゲーム 第 15 章 ウィン・ウィン(win-win)のために最善の代替案を考える ―交渉の強さを高め、解決へ導く手法- おわりに v vi 理論編 ~小学校における交渉教育とは何か~ 1 第1章 学級・学校での「もめごと」を超えて ―良い話し合いができる学習へ― はじめに 私は教育や学校の専門家ではありませんが、取引などの交渉のパフォーマンスを高 めることや、交渉ごとに関わっての「もめごと」を自律的に解決するための話し合い の能力の習得を可能にする「法交渉学」を長年研究してきました。その立場から、学 校、学級、あるいは教室での「良い話し合い」の実現のための基礎的なポイントを論 じてみたいと思います。実際の学校教育への応用や授業での指導については、後掲の 諸論考をご参照下さい。 1.「良い話し合い」を評価するときの考慮の諸条件 (1)話し合いの「結果」をどう考慮したら良いか 一般に人々が買い物などの日常生活を送る過程で、もめごと、つまり問題や課題が 発生したら、人々はそれぞれの問題などの性質に応じて解決を図ろうとします。 その際、中立的な第三者に「もめごと」の解決を委ねることもありますが、一般的 には「もめごと」にかかわる当事者が自立(自律)的に、ある程度の成果を求めて解 決することが効率的であり、双方にとって望ましい適正な問題解決であると思われま す。 このとき問題となるのが、 「良い話し合い」ができていたかどうかを、当事者がしっ かりと自覚できているかどうか、また、実際に「良い話し合い」が実現できているか どうか、です。 では、 「話し合いが良い、悪い」というときの、価値判断の内容あるいは基準とはど のようなものになるのでしょうか。 この判断は、 「もめごと」に関わる人々の「立場」とか、「もめごと」になっている ものの「性質」とか、それらによってつくり出される「文脈」などによって異なりま す。 ただし、最終的に求められることは、 「良い話し合いによって、当初のもめごとが解 2 決した」と、紛争の当事者がお互いにプラス評価をすることでしょう。すなわち、話 し合いが終わった段階で、話し合いをしていた当事者が振り返ってみたとき、話し合 いによって「当初の目的を達成できた」と感じられることが、良い話し合いになった、 という判断基準になるのです。 もちろん、交渉による解決を目指すときでも、競争的な性格の強い人にとっては、 「交渉の相手と比較して、自分が勝ったか、あるいは負けたか」といった内容が、 「交 渉の良し悪し」の判断の基準となるのかもしれません。あるいは、話し合いの中核的 な「もめごと」の解決に付随して、交渉の相手と「仲良くなれたか、否か」や、 「信頼 関係を築けたか、否か」で話し合いを評価する人もいるでしょう。 こうした面からみれば、当初の目的を完全には達成できなかったとしても、合意の 内容にお互いが納得し満足できれば、良い話し合いだったと評価できるのかもしれま せん。 だとすれば、まずはこれらのいろいろな「結果」についての肯定的な評価が、 「良い 話し合い」の成立の条件や基準になるように思われます。 しかし、本当にこれらは、 「もめごと」を解決できたとする「結果」による判断なの でしょうか。 話し合いが終わった段階では、実はまだ話し合いによって目指された解決の到達点 としての実質的な目的が実現されたか否かは、不確定のままであることが多いのです。 すなわち、上記のような暫定的な結果による願望的な判断によって、「良い話し合い」 であったと、お互いが納得したいだけのことなのかもしれません。 このことは、たとえば売買交渉を考えればわかりやすいのではないでしょうか。 「あ る必要な財やサービスを、ある価格で購入、あるいは売却します」という話し合いが なされたとき、話し合いの終わった段階では、まだ本当にその取引が実現するかは必 ずしもわかりません。 日常の生活では、こうした約束がちゃんと履行されないことが一定程度起きるのが 普通です。もしかしたら、その売買の契約が実施されなかったり、欠陥のある財や不 十分なサービスが提供されたりするかもしれません。あるいは、代金が払われなかっ たり、一部しか支払われなかったりすることもあるでしょう。 さらに、たとえ合意の内容どおりに契約が履行なされたとしても、それですべてが 終了したとは限りません。 例えば、親子や夫婦などの間での「もめごと」の解決に向けた話し合いでは、今後 も性質がかなり類似する同様の話し合いや、さまざまに異なる性質の話し合いが、同 3 じ当事者間で長く繰り返されることになります。こうした継続的な話し合いは、なに も狭い社会のみで起こることではなく、会社などの広い社会の場合にも一般的に当て はまると考えられます。 だとすれば、今回の話し合いの「結果」は、相手との関係が続く以上、それ以降も 繰り返される多様な話し合いのほんの一部に過ぎないのです。 極論すれば、 「本当の結果」とは、死亡、離婚、破産、解散などによって、相手との 関係性が断たれ、終焉を迎えるときに初めて確定するのかもしれません。この長いプ ロセスの中のほんの短い一コマでしかない今回の「話し合い」について「結果」と呼 ぶことは、妥当なのだろうか、という疑問が生じます。 ただし、 「良い話し合い」の成立条件の一つに、今回の「結果」に対するお互いの評 価があることも間違いありません。やはり一般的には良い話し合いのためには、当初 の目的が達成されたと考える判断が必要になってきます。 (2)良い話し合いは関係者の多くが納得することで実現する ここまでは、話し合いをしてきた者の「立場」について見てきましたが、一方で「立 場」を替えて、話し合いの当事者以外の第三者だったら、話し合いをどのように評価 するか、というのも大切な考慮事項ですし、「良い話し合い」の基準となります。 当事者同士が、 「良い話し合いだった」と評価しても、それはあくまで当事者間での 評価であり、 それを支える多くの第三者の評価もまた重要な要素となります。さらに、 紛争解決に関わる専門的な立場の人々からも、良い話し合いであったと承認されるこ とが望ましいでしょう。 「もめごと」の解決や処理に専門的にかかわる「あっせん人、調停人、仲裁人、和 解を勧告する裁判官など」 、あるいは「取引の仲立ち人、ブローカー、取引所の関係者 など」などといった人々は、良い話し合いがなされているか、良い話し合いになった かについて、強い関心を持っています。なぜなら、紛争解決の専門家は、人々それぞ れが自分の周りで起こっているもめごとに対し、良い話し合いを通して解決を図るこ とで、もめごとをサスティナブル(持続可能)かつシステマティック(体系的)に解 決していける社会を目指していけると考えているからです。 また、このような専門的な立場の人々でなくても、中立的な第三者がこの話し合い を見ていたら、どのように評価しただろうかと考えてみてください。この場合は、上 記(1)で述べた当事者同士の場合における評価の判断の基準とは、かなり異なってく るのではないでしょうか。 中立的な第三者は、 「もめごと」の解決や処理がさしあたり実現されたかどうか、と いう点に着眼します。そのため、紛争当事者の「どちらが勝ったか、負けたか」とい 4 う結果は、第三者的には必ずしも大きな評価の要因とはなりません。 むしろ、勝敗ではなく、話し合い当事者の双方が、 「それぞれの当初の目的を、ある 程度以上達成したか、否か」というような、話し合いの質的な保証となる「公平性」 の観点が入ってきやすくなります。 つまり、 「結果はまあまあだけど、この話し合いには満足している。」とお互いが合 意できる姿を、第三者は話し合いの良し悪しの基準として求めるのです。 このように、何が良い話し合いかという判断は、 「立場」によって、ときとして大き く、ときとして微妙に異なります。良い話し合いの考慮の基準として、 「もめごと」の 当事者だけでなく、 「もめごと」を幅広く支える多くの人々の「公平性」という見方も あることは大切な論点です。この公平性の論点は、学級での話し合いの大きな考慮事 項となるかもしれません。 (3) 「もめごと」の文脈や特質をとらえた話し合いの展開へ さらに立場だけでなく、話し合いが位置づいている「文脈」あるいは「特質」に着 目することも大切です。 いろいろな問題の解決を目指そうとする「場」 (文脈)の違いによっても、話し合い が良かったか、悪かったかは大きく異なってきます。 例えば、取引きなどの交渉の場合には、初めから話し合い当事者たちがウィン・ウ ィン(win-win)の成果を期待しています。そのため、ウィン・ウィン(win-win)の 可能性がなければ、どちらかは損をしてしまうのでそもそも取引きの話し合いはなさ れないか、ウィン・ウィン(win-win)が実現されないにしても、話し合いの成果とし ての果実(収益)をできるだけたくさん得ようとするかのどちらかになります。 こうした文脈の話し合いでは、おのずと話し合い当事者の間では両立性(コンパテ ィビリティ) 、 すなわち話し合いによるお互いの共通の姿勢、 共通の目的が存在します。 これに対して、喧嘩相手との話し合いであれば、当初の目的がお互いに相手をへこ ませてやりたいという願望であることが多く、当事者の当初の目的に両立性(コンパ ティビリティ)が存在することは稀になってきます。 また、 「結果」とは何だろう、ということで先ほど考えたように、話し合い当事者の 間の関係性が、今回限りと決まっている場合と、これからも長い付き合いが続く場合 とでは、話し合いが良いか悪いかを評価するときの考慮要素も変わってきます。 さらに、話し合い当事者の関係性のみならず、妻や家族や友人などが背後にいて、 話し合いの結果に注目している場合、それらの者の評価を気にせずにはいられないで しょう。このように状況や文脈によっても話し合いの評価は大きく変わってくるので 5 す。 ここまで「結果」を中心にして話し合いの良し悪しを考えてきました。しかし、実 は良し悪しの判断基準は「結果」以外にもある、ということも問題を複雑にしていま す。 話し合いの作法や話し合いのマナーも、話し合いの評価にかなり大きく影響します。 殴り合いや嘘の付き合いをしつつ行われるような話し合いは、通常は良い話し合いで あるとは評価されません。 また、相手に主張や反論や提案の機会を与えないで、一方的に要求を呑ませようと する話し合いも、その結果が仮に当初の目的を達成するようなもので、しかも公平だ ったとしても、良い話し合いであると言えない場合がほとんどです。 その顕著な例が Boulwarism(ブールウェァリズム\ブールヮリズム)と呼ばれる交 渉の仕方です。Boulwarism(ブールウェァリズム\ブールヮリズム)とは、例えば労 使交渉で経営側が「これが労働者、使用者両方のさまざまな事情を客観的かつ公平に 考慮した上での正しい解決策だ!」と言い切り、相手の言い分や提案を一切受け付け ずに「呑むか、蹴るか」の二者択一を迫るタイプの交渉のことで、これは結果にかか わらず、あまり良い交渉とは言えないでしょう。話し合いの結果ではなく、話し合い の手続き、つまり作法やマナーのあり方もまた、話し合いが良いか悪いかという判断 に大きな影響を与えます。 このように、話し合いに付随するさまざまなこと考慮することが、良い話し合いの 評価の上では大切な論点となってきます。 2.「良い話し合いのモデル」とは何か 私たちが「良い話し合いとは?」ということを考える際、通常は第三者の立場に立 って考えることが多く、話し合いの当事者のどちらか一方のみの立場に立つことはあ まりありません。仮に当事者の主観に重きをおいて考えるとしても、その当事者が結 果に納得する、満足するということが、話し合いの参加者全員にとっても同程度に成 り立つ、というように考えるのが普通なのではないでしょうか。 しかも、話し合い当事者の満足や納得によって話し合いの良し悪しを評価する場合、 相手や第三者による詐欺 (人を欺いて、本来のものではない意思表示を行わせること) や強迫(恐怖心を感じさせ、自由な意思表示を妨害すること)はもとより、錯誤(意 思と表示行為が異なっており、それに本人が気づいていないこと。例えば、英和辞典 を買おうとして和英辞典を買ってしまう、など。本来実現したい意思の表示が行われ 6 ていないため、満足や納得からは遠ざかってしまう)や事実誤認(事実を誤って認識 すること)に基づいていないことは当然の前提とされています。 このような問題がない、自由で任意で合理的な判断を話し合い当事者の全員ができ ていることを前提としたうえで、話し合いの結果によって全員が当初の目的の一定以 上を達成したとか、満足したとか、納得しているという状態は、経済学の用語を用い れば「パレート改善(誰かの効用、つまり納得や満足を減らすことなく、少なくとも 1 人以上の効用を増やすこと)をもたらした話し合い」である、ということになりま す。そして、このような話し合いを尽くして辿り着く極限が、これ以上話し合っても、 パレート改善できないという状態で、これは「パレート最適」と呼ばれます。良い話 し合いと評価されるためには、究極的にはパレート最適に近づくものでなければなら なのです。 ただし、注意しなければならないのは、第三者的な立場と言いつつも、第三者がそ の価値判断を話し合い当事者に押し付けずに、話し合い当事者の主観的価値を尊重し なければならないということです。 例えば、納豆が大好きでドリアンが大嫌いな話し合い当事者たちが、ここにある納 豆とドリアンの取り分について、話し合いを通して「ドリアンを捨てて納豆を分け合 おう!」という結果を出したとしましょう。この結果に対し、ドリアンが大好きで納 豆が大嫌いな第三者が自分の嗜好を押し付けて、その話し合いの結果はみんなが納豆 を分け合っていてドリアンを捨てているから、ウィン・ウィン(win-win)ではなくル ーズ・ルーズ(lose-lose)で良くない、というのはナンセンスです。 このように、納得や満足は主観的なものなので、話し合い当事者の主観性を尊重し なければなりません。 さらに、パレート最適な話し合い結果は良い話し合いであるための必要条件ですが、 十分条件ではないということも忘れるべきではないでしょう。 例えば、AとBの話し合いの開始前に、それぞれ 100 円を持っていたとします。話 し合いの結果としてプロジェクトを実行し、プロジェクト終了時にAが 101 円を持ち、 Bが 1 億 100 円を持つ状態となった場合、 Aは 1 円増え、Bは 1 億円増えているから、 見た目の上ではウィン・ウィン(win-win)のパレート改善が行われています。しかし、 分配的正義や公平性を踏まえたら、この結果を良い話し合いだったと評価する人はほ とんどいないでしょう。つまり、全体で 1 億 1 円増加したのだから、5000 万円と 5000 万 1 円とかの割合で分けるべきだ、B だけ多くて不公平だ、と私たちは考えます。 このように、話し合いはパレート改善が実現したかどうかだけではなく、公平性や 分配的正義の観点からも判断する必要があります。 とはいえ、公平性は曖昧で多義的な概念です。仮に、1 億 1 円の価値の増加をもた 7 らしたのが、もっぱら献身的な努力を傾けて仕事をしたBの成果であり、Aは何もし ないでブラブラしていただけなのだとしたら、5000 万円と 5000 万 1 円に分配したら、 何もしていない A が B と同じだけもらえて不公平だ、と考える人が今度は多くなりま す。公平性という評価基準にはこのように多義性や状況への依存性が取り巻いている ことにも注意しつつ、評価しなければならないでしょう。 また、通常は 1 回限りの関係性による話し合いという文脈よりも、長い関係性によ る話し合いという文脈の中で考える場合が多いため、話し合いの結果が実現したか挫 折したかの決着を見るまで、良し悪しの判断を下すことはできません。とはいえ、話 し合いによっては何年も、あるいは何十年も待つことになり、そこまで待たないと判 断できないとしてしまうのは問題があることもあるでしょう。そもそも、そんな何年 も後になってから昔の話し合いを評価してもあまり意味がありません。 機会の均等性を中心とする手続的正義の立場から、結果とは別に、話し合い自体に ついての良し悪しの評価をする必要もあります。つまり、良い話し合いと判断するた めには、話し合い当事者たちが全員、思いのたけを主張でき、根拠や証拠を示したり 求めたりすることが自由で、裏切や騙し合いや脅し合いなども行われず、お互いがお 互いの人格と考え方と立場を尊重し合っている必要があります。また、話し合いが合 理的、理性的に行われていることも必要です。 とはいえ、現実の生身の人間には感情・情緒があり、人間の価値や行動には、当然 ながら「人間であるがゆえの」エモーショナル(情緒的)な側面が大きな作用を及ぼ します。したがって、私情を忘れろと言わんばかりに、話し合い当事者に合理性を「上 から目線」で要求することは妥当ではありません。言い換えれば、手続的正義の実現 のためには、手続において話し合い当事者たちがときとして非合理にも走り得る感 情・情緒を持っていることを認め、それをも踏まえて上手く話し合いに取り込み、お 互いに尊重し合うことが必要となってきます。 さらに、良い話し合いであるためには、話し合いの進め方自体( 「メタ話し合い」 、 という)についてもお互いに納得し合って進める必要があります。話し合いの進め方 自体の設定をアジェンダ・セッティングと呼び、どのテーマから話し合うか、どのよ うな組み合わせで話し合うかなどのアジェンダ・セッティング次第で、話し合いがス ムーズに進むか、紛糾してしまうか、あるいは話し合い当事者の誰が有利になるか、 不利になるかなどについて影響が生じます。そのため、アジェンダ・セッティングも 重要な話し合いの対象になるのです。 8 さらに、話し合いに誰を参加させるか、ということも話し合われる必要があるかも しれません。証拠調べをするか、第三者の意見を聞くか、各自がどのくらいの持ち時 間を与えられるかなど、手続進行の全ての側面が話し合い当事者の納得や満足や有利 不利に関係してくるからです。 このような前提的な話し合いについて、相互が納得し、 結果を尊重したうえで、話し合い本番が行われる必要があります。 結論として、ここまで述べてきたような「話し合いの様々な側面のすべて」を総合判 断したうえで、 「良い」と判断された話し合いが良い話し合いということになります。 とはいえ、このような結論は、若干トートロジカル(良い話し合いだから良い話し合 いなのだ、という繰り返し的[同語反復的])な定義となっていることには注意が必要 でしょう。そのことを理解した上で、このトートロジカルな定義についてさまざまな 側面から考え続けること、それ自体が大切になってきます。本書に収録されている理 論と教材を活用し、小学校における良い話し合いとは何かを子供と一緒に考えていた だければ幸いです。 (太田勝造) 9 第2章 良い話し合いをするための 7 つの指針 はじめに 動物や植物は、音や体の動きやにおいによって、自分のことを相手に伝えます(こ のように相手に伝えることをコミュニケーションといいます) 。わたしたち人間は、言 葉や表情やちょっとした体の動き(しぐさ)によって、自分が思っていることや感じ ていることを相手に伝えることができます。とくに言葉を使ってお互いに伝え合うこ と(やりとり)を話し合いといいます。 わたしたち 1 人 1 人は、好きなものも感じ方も考え方も違います。お互いに異なっ た人々が同じ家族、同じ教室、同じ地域でいっしょに生活することができるのは、話 し合いができるからです。家族や教室だけではなく、日本の国全体を考えても、話し 合いによってものやサービスを売ったり買ったりする経済がなりたっています。 日本の国会が国全体の約束ごとである法律をつくることができる(憲法 41 条を参考 にしてください)のも、政治の世界で話し合いができるからです。外国との国際関係 を考えても、話し合いによって約束(条約といいます。憲法 98 条を参考にしてくださ い)をすることが重要です。外国とのおつきあいを「外交」といいますが、外交で話 し合いが大切なことはいうまでもありません。国と国の間でもめごと( 「紛争」といい ます)がある場合でも、できるだけ話し合いで平和的に解決することになっています (国際連合憲章 33 条を参考にしてください) 。 このようにみてきますと、人間がみんなで平和に暮らしていくためには、じょうず に話し合うことがいちばん大切だということが分かります。じょうずに話し合うため には、つぎに説明する 7 つの指針が参考になります。この指針を守って話し合いをす れば、みんなが満足する良い話し合いをすることができます。 この 7 つの指針は、 アメリカのハーバード大学の授業で最初に用いられたものです。 日本でも「ハーバード流交渉術」として広く利用されています。 ここではまず 1 で 7 つの指針について説明し、 つぎに 2 では指針 4 の応用として「理 想的な話し合いー三方よしの原則」を紹介します。 以下の説明では、 「みんなで約束ごとをしたりものごとを決めたりするために話し合 うこと」を「交渉」と短く呼ぶことがあります。 10 1.良い話し合いをするための 7 つの指針 指針 1.人と問題を切り離そう 話し合いがうまくいかないときに、相手が悪いからだと相手のせいにしていません か。良い話し合いをするために大切なことは、みんながいっしょになって問題を解決 しようと努力することです。話し合いをする「人」ではなく、なんのために話し合う かの出発点となった「問題」に注目しようというわけです。 指針 1 は、 「人に対してはやさしく問題に対しては強くでる」と言いかえることがで きます。この指針の強みは、あなたがたとえ相手と仲が悪くても、信頼していなくて も、話し合いができることです。仲が悪い相手とも協力して問題を解決することがで きることは、学校だけではなく、政治や外交の世界でとても重要な力となります。 例 オレンジ事件(→第 3 章)で、姉と弟が 1 つのオレンジをとりあってけんかして しまったとしましょう。1 つの方法は、力の強い方がオレンジをとってしまうことで す。たとえば姉が「もう知らない」と腹を立て、話し合いに応じないでオレンジを独 り占めしてしまうかもしれません。 もう 1 つの方法は、けんかしてお互い腹は立つけど、それは置いておいて「しょう がないなあ」と二人で話し合いをすることです。オレンジ事件のストーリーではお姉 ちゃんが最後は話し合いに応じていました。大切なことはお姉ちゃんが意地悪で弟が 厚かましいというような人の性格や感じ方ではなく、1 つのオレンジをどうわけるか という問題だと考えることができれば、二人はもっとうまく話し合いを進めることが できるでしょう。 指針 2.立場ではなく利害に焦点を合わせよう 指針 2 は、 ある問題について相手と自分の言い分が違うときに、 対立する言い分( 「立 場」。「請求」とか「主張」ともいいます)ではなく、その根っこにある理由(学問的 には「利害」といいます)を重視しようという意味です。 例 たとえば、オレンジ事件で、姉と弟の両方が「このオレンジは私のものだ」と言 っていますが、 「オレンジがほしい」というのが「立場」です。でも「オレンジがほし い」という立場の理由(利害)は、それぞれ違います。姉の理由(利害)は「ケーキ を作るために皮がほしい」でしたし、弟の理由(利害)は「実が食べたい」でした。 おたがいに根っこの利害が理解できれば、弟「なんだ、ぼく皮なんかいらないよ。 お姉ちゃんどうぞ。 」 、姉「実がほしかったんだ。あげるよ。 」というように、お互いが 満足できる解決につながったでしょう。 11 指針 2 は、 「相手の利害を探ってみよう」と言いかえることができます。反対に言う と、理由や利害を知らなければ、相手がどうしてこんな言い分をしているのかが理解 できないのです。相手の利害を理解するためには、自分があの人ならどう考えるだろ うどう感じるだろうと「相手の立場に立って考える」ことが大切です。 指針 3.双方にとって有利な選択肢を考え出そう 第 3 の方針は、ある問題を話し合うときには、1 つの解決方法にこだわるよりも、 お互いに得になるような解決方法をたくさん考える方が良い話し合いができるという 意味です。言いかえれば、 「まずお互いに得になるような複数の選択肢をつくり、決定 はその後にしよう」ということです。選択肢のことを「オプション」ということがあ ります。 選択肢を考え出すときには、 「ブレーンストーミング」の方法が役に立ちます。ブレ ーンストーミングとは、相手の発言を批判しないでお互いに自由に発言し合って、そ の後でそれぞれの発言の良いところや共通の部分がないかを話し合うことです。 オレンジ事件(→第 3 章)で、指針 2 を使えば「皮」と「実」に分ける解決方法を 思いつくことができます。この解決方法が指針 3 の双方にとって有利な解決方法なの です。次の選択肢のうちでどれが二人の満足度を大きくするかを考えてみてください。 選択肢 ① 話し合いをしないで姉がオレンジを独占。 姉の満足度=100 ポイント 弟の満足度=0 ポイント 総計 100 ポイント ② 話し合ってオレンジを半分ずつにわける。 姉の満足度=50 ポイント 弟の満足度=50 ポイント 総計 100 ポイント ③ 話し合って、姉が皮をもらい弟が実をもらう。 姉の満足度=100 ポイント 弟の満足度=100 ポイント 総計 200 ポイント 話し合いをしなかったときと話し合いをしたときを比べて、話し合いをしたときの 方が二人の満足度が大きければ話し合いは成功です。両方が得をするので、ウィン・ ウィン(win-win)の解決ということもあります。②の話し合いをしたときの姉と弟の 満足度と③の話し合い後の二人の満足度を比較してみてください。②より③の満足度 の合計の方が大きいときは③の解決方法が双方によってより有利な選択肢といえます。 では、オレンジ事件で話し合って姉が皮を全部もらい、しかも「少し甘さもほしい よね」といって、実の方も半分もらってしまったとしたら、満足度はどうなるでしょ う。 12 ④ 話し合って、姉が皮をもらい実も半分もらい、弟が実を半分だけもらう。 姉の満足度=100 ポイント 弟の満足度=50 ポイント 総計 150 ポイント ④の場合は、二人の満足度の合計は 150 ポイントで、①の話し合いをしないときの 100 ポイントや②の 100 ポイントに比べると、双方にとって有利な選択肢だといえま す。でも弟は②の選択肢の時は文句を言わなかったのに、④の選択肢のときは「お姉 ちゃんだけずるい」と文句をいいました。双方にとって有利な選択肢であっても、公 平(公正)でないと感じることがあるのです。 指針 4.客観的基準を強調しよう 客観的基準とは、話し合いをしている人たち以外の人(第三者)でも認めてくれる ような基準のことです。外部の基準ともいいます。自分たちと相手の人たちとの意見 が対立している場合に、自分たちの基準や相手の基準で判断しようとしてもお互いに 満足できません。第三者でも受け入れることができる外部の基準なら、自分たちや相 手の言い分とは直接の関係がないので、双方とも公平な基準として受け入れやすいの です。 客観的基準を強調することは、相手にも受け入れてもらえる論拠(なぜなら〇〇だ からという理由のこと) を示すという意味で、 「正当性を示す」とも言いかえられます。 例 1 大人の話し合い(交渉)の例としてよく使われるのが、不動産の取引です。Iさ んが 4 月に大学に入学する娘のために大学の近くのアパートに部屋を借りようと持ち 主Oさんと話し合っているとしましょう。Oさんが「家賃月額 8 万円以下では難しいで すな」といって、反対にIさんが「学費もあるので、部屋代に月額 6 万円以上は困りま す」と言い続けたら、話し合いは決裂するでしょう。 ここで、Iさんが近くの不動産屋で調べて、「お宅のご近所のアパートは少し古いの ですが、家賃月額 5 万円で貸してくれるそうですよ」と言ったとしましょう。Iさんの 言葉が本当かどうかは、Oさんも不動産屋で調べればわかるはずです。つまり、話し 合いをしているIさんとOさん以外のだれがみても、「少し古い近くの家の家賃が月 5 万円であること」は間違いがない。するとIさんとOさんはこの 5 万円の家賃を基準に して、もっとうまく話し合いを続けることができるというわけです。この場合の「少 し古い近くのアパートの家賃が 5 万円であること」が、客観的基準だといえます。 例 2 あなたは自転車で狭い道路を走っていて、広い道路と交差する場所に出てきま した。この交差点は信号がないのですが、広い道路には車の姿も見えないので、スピ ードを落とさないで渡ろうとしました。ところが車にばかり気をとられて、広い道路 の右側から走ってくる自転車に気がつかなかったので、その自転車にぶつかってしま いました。幸いあなたも、ぶつかった相手もけがはなかったのですが、あなたの自転 13 車も相手の自転車も相当壊れてしまいました。相手は「壊れたのだから修理費を出し てくれ」と言っています。でもあなたは心の中で「自分の自転車も壊れたのだし、相 手は広い道路を走っていて自分より速く走っていたようだから、相手も悪い」と思っ ています。 例 2 のような事故の話し合いでは、法律の決まりが客観的基準になることが多いの です。たとえば道路交通法という法律には、道路が交差しているところでは、交差し ている道路の走ってくる自動車や自転車に注意して「できる限り安全な速度と方法で 進行しなければならない。 」 (道路交通法の 36 条 4 項です) と書いてあります。しかし、 狭い道路を走っている自転車が幅の広い道路に出ようとするときには「徐行しなけれ ばならない」 (道路交通の 36 条 3 項です)とも書いてあります。例 2 をこのような法 律上の基準なしで話し合う場合と、法律上の基準を用いて話し合うのとでは、話し合 いの内容は違ってくることでしょう。 指針 5.最善の代替案を用意しよう 最善の代替案とは、もっとも良い代わりの案という意味です。話し合いによる解決 ができなかった場合に、そのかわりになる解決案がいくつか考えられることでしょう。 話し合いにかわる解決案のうちでもっとも良い案、それが最善の代替案です。話し合 いが不調に終わった時の対策という意味で「不調時対策」ともいいます。 交渉の専門家の間では、現在の交渉がうまくいかなかったとした場合の最善の代替 案(英語では BATNA バトナ)と呼ばれています。現在の交渉の中での最低水準(ボ トムライン)とは区別することが必要です。 例 1 指針 4 の家を借りる交渉を考えてみます。Iさんには、①少し古い近くのアパー トを家賃月 5 万円で借りるという選択肢がありました。Iさんにはもう一つつぎの選択 肢があるとします。②Oさんのアパートよりは大学からだいぶ遠いアパートを月額家 賃 6 万円で借りることができます。 Oさんとの話し合いがうまくいかないとした場合、Iさんが「家は少々古くても家賃 が安ければがまんできるけれど、大学から遠いのは困る」と考えているとすれば、I さんにとっては②ではなく①がOさんとの話し合いがうまくいかない場合の最善の代 替案になります。反対に、Iさんが「大学から遠くても歩けば運動になるかな」と考え たとすれば、②のほうを最善の代替案とするのがよいでしょう。 ここで、4 年間借り続けたいというIさんに対して、4 月から 4 年生になる男子学生 U君が 1 年間だけ月額家賃 8 万円で借りられないかとOさんに電話で問い合わせてきた としましょう。ほかに借りてくれる人が出てくるかどうかわからないので、Oさんの 最善の代替案はU君に貸すことなのですが、Oさんは家賃は少し安くしてもいいので、 14 できたら 4 年間借りてほしいと考えています。Iさんの最善の代替案とOさんの最善の 代替案とでは、どちらが強そうに思いますか。 今やっている話し合いがうまくいかなかったとした場合の最善の代替案が強ければ 強いほど、今やっている話し合いを有利に進めることができるのです。 今やっている話し合いがうまくいかなかったとした場合の最善の代替案に対して、 今やっている話し合いの中で最低ラインの案をボトムラインと呼びます。 例2 IさんがOさんからアパートを借りようとする話し合いで、Iさんが「たとえ奨 学金があたっても家賃に月額 6 万 5 千円以上出すのは無理だ」と思っており、Oさん が「4 年間借りてくれるとしても月額 6 万円が最低ラインだ」と考えているとすれば、 Iさんのボトムラインは 6 万 5 千円でOさんのボトムラインは 6 万円ということになり ます。 指針 6.確約(コミットメント)の仕方を工夫しよう 確約というのは、自分が何をするのかを明確に相手に示すことです。 例 1 どうしても手に入れたい骨董の壺を買いに行って、渋る持ち主の前にたとえば 現金 100 万円を出して、ぜひ 100 万円で売ってくださいという。単に口だけで「100 万円を払います」と言うだけではなく、持ち主から見ると買主が実際に 100 万円払っ てくれることが確実なので、「確約」といえます。 確約があれば、話し合いはとても有利になります。骨董の壺の例で、持ち主は「イ エス」というだけで目の前の 100 万円が自分のものになります。反対に、 「ノウ」と言 ってしまえば、同じような値段で買ってくれる買主はなかなかあらわれないかもしれ ないからです。 例 2 コンピュータの画面でクリックするだけで商品が手に入るようにすると、買っ てもらえる確率が高くなります。この方法は、商品の売り主が買い主にコンピュータ の画面を通じて、 「クリックしてくださるだけでこの商品を今画面に表示されている特 別価格で売ります」という確約をしているのです。でもこのようなやり方は悪用され る恐れがあるので、注意が必要です(特定商取引に関する法律が参考になります)。 指針 7.良い伝え方(コミュニケーション)を工夫しよう コミュニケーションとは、お互いに理解しようとするやりとりのことです。相手に 理解してもらうため話すことと相手のことを理解するためによく聞くことが大切です。 よく「聴く」という言葉も使われます。伝え方には、わかりやすい言葉だけではなく、 声の大きさや手振りや身振りや図を書いて説明したりする工夫が含まれます。 よく伝えるためには、何のために話すか、自分の話が相手に伝わっているかを確認 15 しながら話すことが重要です。 「おしゃべり」は良いコミュニケーションではありませ ん。また、私はあなたの話を聞いていますよという「傾聴サイン」を送ることで、話 し合いの雰囲気をよくすることができます。 相手のことを理解するためには、疑問に思ったことを聞いてみる、つまり質問して みることも重要です。オレンジ事件(→第 3 章)で、どちらかが、どうしてオレンジ がほしいのと質問してみれば、指針 2 のように、対立しているように見えた姉と弟の 言い分の根っこにある本当の理由が理解できたでしょう。 2. 理想的な話し合いー三方よしの原則 ここでは、指針 4 の「客観的基準を強調する」 (正当性を示すとも言いかえられまし た)の応用として、理想的な話し合いの原則について説明します。 指針 3 にしたがって、双方にとって得になるようなウィン・ウィン(win-win)の解 決を考え出せたとしても、他人から見れば「けしからん、間違っている」といわれる 場合もあります。たとえばオレンジ事件(→第 3 章)で家にオレンジが 10 個買って あって、姉と弟がオレンジ全部を指針 3 の③の方法で皮と実にわけてしまったとしま しょう。2 人は幸せですが、ほかの家族は「お客様に出そうと思っていたのに」とか、 「どうしてお母さんに残しておいてくれなかったの」と腹を立てるのではないでしょ うか。 オレンジ事件の姉と弟のような話し合いをする人たちのことを「当事者」といいま すが、当事者だけが得をしてもそれ以外の人たちが損をする場合があります。ある話 し合いが本当に良いものか悪いものかを考えるときには、当事者だけの損得だけでは なく、当事者以外のそのほかの人たち、つまり社会に対する影響を考えなければいけ ないのです。 話し合いをしている人たちにとってはみんが得をするウィン・ウィン(win-win)の 解決が得られる良い話し合いができたと思っても、それが話し合いに参加しなかった 多くの人たちにとっては損になってしまう例として、 「談合」があります。 例 公民館建築工事の談合 市や町などが公民館を建てるときには、できるだけ安い値段で建築できるように、 建築工事をしたい会社がそれぞれ自分の会社ならいくらの価格で請け負うかを申し出 させて、原則として、一番安い値段をつけた会社に工事をさせるという方法(入札制) をとります。建設会社にとってはできるだけ高い工事費で注文してもらった方が得で すが、入札制では他の会社が自社より安い価格を申し出てしまうかもしれません。そ こで、この工事を受注したいと思う会社がみんなで話し合って、あまり安い値段をつ 16 けないようにすることがあります。このような話し合いを談合といいます。 談合は、参加した建設会社にとっては利益が確保できるので得になるかもしれませ んが、談合をしなかった場合に比べて公民館の建築費用が高くなってしまいますので、 市にとっては損になります。もちろん、税金を払っている市民にとっても損になりま す。このような談合は、 「不当な取引制限」として禁止されています(私的独占の禁止 及び公正取引の確保に関する法律 2 条 6 項、3 条に定められています) 。また、そのよ うな話し合いに参加した人は、 「公正な価格を害し又は不正な利益を得る目的で、談合 した者」として、罪になります(刑法 96 条の 6 の 2 項に定められています) 。 昔の滋賀県(近江国)の商人には、 「売り手良し、買い手良し、世間良し」という商 売の指針がありました。これは「三方よし」といって、売り手と買い手がともに満足 (ウィン・ウィン(win-win))するだけではなく、社会にも損をさせないのが良い商 売だという意味です。 談合の例は、工事を受注する会社には得になりますが、その分発注する市や市民が 損をしますので、 「三方よし」にはなりません。三方よしという商売の原則は、話し合 いの理想を表したものともいえます。みなさんが教室や友達同士で話し合ってものご とを決めるときには、それが三方よしになるかどうかも考えてみましょう。 参考書 ①「法令データ提供システム」 この章を理解するために参考となる憲法や法律の内容は、つぎのインターネットサイ トでみることができます。Law.e-gov.go.jp/ ②交渉教育研究会制作 『実演交渉 DVD 交渉は楽しい! ●解説テキスト』(商事法 務,2011 年) この DVD は、話し合いがうまくいかなかったストーリーとうまくいったストーリー が俳優によって劇として演じられています。話し合いがなぜうまくいかなかったのか、 どうしてうまくいったのかが、実際の映像でわかりやすく紹介されています。 解説テキストには、ストーリーの登場人物のせりふ(スクリプト)とともに、ポイ ントが説明されています。さらに、自由に話し合いができる公正な社会を作るための ポイント、学習方法および教育方法が、 「法教育」という考え方を用いて解説されてい ます。 ③野村美明「交渉と法教育-自立型市民の養成」帝塚山法学 26 号松岡博先生追悼号 (2015 年) なぜ交渉を学ぶことが法教育の中心となるのかを説明しています。 (野村美明) 17 第3章 オレンジ事件(紛争) ストーリー ナレーター:姉がテーブルの上にオレンジをおいて、何かをはじめようとしています。 そこへ弟がやってきました。 弟:あっ、オレンジだ。ラッキー。 姉:だめよ。これはわたしがお母さんにもらったのよ。 弟:自分だけずるーい。分けてよ。 姉:ダーメ。 ナレーター:言い争いは続きます。 弟:いじわる。半分くれてもいいじゃないか。 姉:しょうがないなあ。じゃあ半分だけね。 18 ナレーター:半分に分けたオレンジを二人はどうしたのでしょうか?弟はオレンジの 皮をむくなりゴミ箱へポーン。実だけを食べてしまいました。 ナレーター:姉はオレンジの皮をむくと、細かく刻みはじめました。オレンジピール を使ってケーキを焼きたかったのです。 解説 弟がほしかったのはオレンジの実、姉が欲しかったのはオレンジの実ではなく皮で した。このストーリーは、姉と妹がオレンジを前にけんかをして結局半分ずつに分け ることにしたが、実はもっとうまい解決方法があったという有名な話をもとにしてい ます。オレンジ事件は、わたしたちに色々なことを教えてくれます。ふたりは、どの ように交渉すれば、お互いにもっとも満足のいく結果が得られたのでしょう。 良い話し合いをするためにはコツがあります。ここでは 3 つの指針を紹介しておき ます。この指針を使って、この事件やまたはみなさんの周りで起こった事件、トラブ ルで、おたがいに満足のいくような話し合いをするにはどのようにすればよいのかを 考えてみてください。良い話し合いをするための 7 つの指針(→第 2 章)には、もっ とくわしい説明があります。 指針 1「人と問題を切り離そう」は、お姉ちゃんは意地悪だ、弟は厚かましいとい うような人の感情に注意を奪われないで、今問題になっているのは何かを二人でよく 19 考えてみると、良い解決方法が見つかるよということです。 指針 2「立場ではなく利害に焦点を合わせよう」は、姉と弟の言い分が違うときに、 対立する言い分(立場)ではなく、その根っこにある理由(学問的には「利害」とい います)を重視しようという方法です。 指針 3「双方にとって有利な選択肢を考え出そう」は、ある問題を話し合うときに は、1 つの解決方法にこだわるよりも、お互いに得になるような解決方法をたくさん 考える方が良い話し合いができるという意味です。 参考書 ①交渉教育研究会制作 『実演交渉 DVD 交渉は楽しい! ●解説テキスト』(商事法 務,2011 年) オレンジ事件はこの DVD から引用しました。話し合いがうまくいかなかったストー リーとうまくいったストーリーが俳優によって劇として演じられています。話し合い がなぜうまくいかなかったのか、どうしてうまくいったのかが、実際の映像でわかり やすく紹介されています。 解説テキストには、ストーリーの登場人物のせりふ(スクリプト)とともに、ポイ ントが説明されています。さらに、自由に話し合いができる公正な社会を作るための ポイント、学習方法および教育方法が、 「法教育」という考え方を用いて解説されてい ます。 (野村美明) 20 第4章 小学校生活における交渉教育の必要性 はじめに 学校は、様々な個性をもつ子供と教職員で構成される社会です。そこでは様々なト ラブルが生じます。また、生活改善のための様々な要望や希望も出てきます。教室と いう狭い空間に 40 名もの子供が入って長時間生活するのですから、 トラブルが起こっ たり、状況を改善したいという要望や希望をもったりすることは必然でしょう。この 小さな社会で起こる問題の解決は、大人になってからの大きな社会における問題解決 のための重要な学習となります。小学校生活は学習課題の宝庫ともいえるのです。で すから、小学校段階で現実のトラブル解決、及び予防のための「交渉」について学ぶ ということは極めて重要なのです。 さらに「交渉教育」には開発的な要素があります。子供は「成長する」ことが特質 ともいえます。日々、 「知徳体」に関わることを学び、成長している子供たちには「よ りよい生活を送りたい」 「自分をより高めていきたい」という指向があるのです。そん な子供たちの特性に「交渉教育」は応えることができます。 「交渉教育」にはトラブル に巻き込まれたときにどう対応するかという「治療的な要素」 、トラブルを防止すると いう「予防的な要素」 、そして、自分を高め、よりよい生活を送る「開発的な要素」が あるのです。 1.ブランコ復活 私が初めて校長として赴任した小学校にはブランコが校庭にありました。現在、あ まり見られなくなってしまいましたが、その原因は安全性にあるのだろうと思います。 ブランコを高学年が使用すると大きく振れて、そのスピードはかなりのものになりま す。ブランコでの事故はかなりの頻度であり、打ち所が悪いと大けがになる恐れがあ るのです。 その小学校でも事故が多発しました。そこで、私は機会を見てブランコをチェーン ごと撤去したのです。しばらくたって、低学年の女の子たちから 「校長先生、ブランコはいつ付けてくれるのですか。私たちブランコが大好きなんで す。」 21 と直訴されてしまいました。しかし、安全対策に名案が浮かばず、時間は過ぎていき ました。 しばらくたって、私は父親に呼びかけて「父親学校会」なるものを土曜日に行われ る学校公開日に実施しました。 「おやじの会」のようなものがなかったので、これまで 父親の考えを聞くチャンスはほとんどなかったのです。そこで、父親を集めて「子供 の学校生活に対して父親ができることは何か」を議題に学級会の父親版を行ったので す。100 名近い父親が集まり、話し合いが始まりました。司会は校長である私が行い ました。そこで、取り外されたブランコが話題になったのです。ある父親から 「危険だからといって、ブランコを排除するのはいかがなものか。学校から危険なも のをみな排除していったら教育ではなくなるのではないか。 」 という意見が出されました。それに対し 「そうは言っても、自分の子供が大けがをしたらと考えるとそのまま取り付けるとい うのには抵抗がある。 」 という意見も出され、そこでもなかなか名案が出ることはありませんでした。 限られた時間であったので、結論を出すことはできませんでしたが、何名かの父親 に実行委員になってもらい、保護者と共に具体策を練ることにしました。そこで出し た結論は、 1 教育委員会に柵をしっかり作ってもらうよう要請する。 2 ブランコの下の部分の整地等、環境づくりを保護者が行う というものでした。確かに柵の間から子 供たちが自由に出入りできるために起こ った事故が大半であったので、1 の策は 有効であると思われました。また、保護 者も一肌脱いでくれるというのが校長と してはうれしく、さっそく実行に移しま した。教育委員会もその経過を理解し、 すぐに柵の増設を行い、環境は整いまし た。しかし、まだ、何か足りません。実 際にブランコを使う側の子供たちは何も変 《ブランコのルールを説明する児童会役員》 わっていないのです。いくら環境を整備し ても、使う子供たちの意識が変わらなければ事故は減りません。そこで、児童会の役 員にブランコを復活する条件として、ルール作りを依頼しました。子供たちは予想以 上に真剣に話し合いました。4 年生以上で構成される代表委員会は自分たちが親しん できたブランコですが、低学年の気持ちを十分に理解していたのです。そこで決まっ たルールは次のとおりです。 22 〇 業間休み(長い休み時間)は低学年・中学年児童を優先とする。 〇 ブランコの順番は柵の外で並んで待つ。 〇 前の子がブランコから降りてから、次の子が柵の中に入る。 低学年の女の子が私に直訴してから数か月かかりましたが、見事にブランコが復活 したのです。児童会が復活の日に集会を開きました。そこで、児童会代表がルール説 明を行い、児童代表と保護者代表、そして、私とでブランコを結んでいた紐にはさみ を入れました。テープカットならぬロープカットです。その瞬間に、解き放たれたブ ランコが弧を描いて広がっていきました。 その後、 子供たちはしっかりルールを守り、 楽しくブランコで遊んでいます。 低学年の女の子が校長に直訴という形で交渉し、それを受けた校長が保護者と交渉 し、具体的な解決策を模索し、児童・保護者・学校、そして行政が動き、最終的には、 最初に交渉した低学年児童の願いをかなえた形になったのです。 2.学年の発達段階に応じた交渉 6 歳から 12 歳という年齢差のある小学校では、教育する際に各学年に応じた年間指 導計画を作成します。交渉の仕方についても、発達段階に応じて考える必要がありま す。ここに「小学校段階における交渉」のポイントがあります。 (1)低学年児童における交渉 先ほどの「ブランコ復活交渉」で、最初に校長と交渉したのは、低学年の児童です。 低学年児童の特徴は、思考と活動が未分化であることが挙げられます。行動しながら 考える、又は、考えていることがそのまま行動に出てしまうのが特徴なのです。その ため、ブランコで遊びたいという願いをもった低学年児童がたまたま校長と出会い、 「校長先生に頼んでみたら何とかなるのではないか」と考え、そのような行動に出た のです。思考と活動が未分化な児童が交渉の仕方を学ぶためには「良い伝え方(コミ ュニケーション)を工夫せる」ことが重要です。コミュニケーションはお互いを理解 しようとするために行われるものですので、コミュニケーションを成立させるための 要件として、 「相手の話を聞く」ことを学ばなくてはなりません。低学年児童において は、まず自分の思いをしっかり相手に伝えることに重点を置き、その上で相手の思い も同様にしっかり聴くという態度を養っていきたいものです。 (2)中学年児童における交渉 中学年児童は、学校生活に慣れ、活動範囲も広がり、小集団を作って活発に活動す るという特性をもっています。当然、活発になればなるほど、友達同士の摩擦は増え、 23 トラブルは多くなってきます。しかし、生活を向上させたいという意欲が高まり、創 意工夫することに喜びを感じることが多くなるのも中学年の特徴です。この時期の子 供たちに必要なことは、 「相手のいうことに耳を傾ける」ことです。違う意見の児童と 「双方にとって有利な選択肢」を考え出し、折り合いをつけていくことがポイントと なってきます。 この時期に交渉の基礎を教え、問題が起こっても協力し合えるような状況を作るこ とができることを理解させることは重要です。 (3)高学年児童における交渉 このケースでは、校長が高学年中心の児童会にルール作りを委嘱しました。児童会 の協議機関は「代表委員会」です。 「ブランコ」を復活するかしないかは、代表委員会 の話し合い次第となったのです。そこで、子供たちは「自分たちがたくさん乗りたい」 という利害を超えて、ブランコを復活させるという共通する目的のために話し合いま した。児童会担当者によれば、これまでにない真剣な話し合いであったとのことでし た。そのような話し合いを経て、先に挙げた低学年にかなり配慮したルールが完成し たのです。 高学年において交渉の仕方を指導する場合は、人と問題を切り離し、何のために話 し合うかを明確にし、対立する立場ではなく、共通する利害を認識して話し合うこと が重要です。思考力をもって、ものごとを判断することができる高学年児童であるの で、 「理」で問題を解決する体験を積むという観点からも、人と問題を切り離して考え る場を与える必要があるのです。 3.教育課程における「話し合い」(交渉)の指導 (1) 「法教育」と「交渉教育」に関わる特別活動 法やルールの背景にある価値を理解し、法的な物の考え方を身に付けるための「法 教育」と紛争解決や有益な取引のための「交渉教育」は密接な関係にあります。法的 な物の考え方を身に付ける際に必要な具体的な方法は「交渉」です。交渉を通して、 法の背景にある「正義」や「公正」などの価値に気付き、それらを理解することがで きるのです。いわば法教育と交渉教育は、よりよい社会を形成するために必要な教育 の両輪ともいえます。 そしてその「法教育」と「交渉教育」に密接に関わっている教育課程が「特別活動」 なのです。特別活動の目標は 24 「望ましい集団活動を通して、心身の調和のとれた発達と個性の伸長を図り、集団の一 員としてよりよい生活や人間関係を築こうとする自主的、実践的な態度を育てるととも に、自己の生き方についての考えを深め、自己を生かす能力を養う。 【小学校学習指導要領第 6 章特別活動より】 (下線部 今村) となっています。自治的な活動は特別活動の特質でもあります。社会生活をよりよい ものにするために作られている「法」と学校生活を豊かにするための特別活動は、そ の対象が社会生活と学校生活という違いだけで、その目的は同じなのです。そして、 学習指導要領解説特別活動編では次のようにいっています。 学級活動や児童会活動においては、諸問題についてみんなで話し合って民主的に解 決したり、決まりの必要性を理解させたりする場面が多くあり、法教育としての役割 も有している。 【小学校学習指導要領解説特別活動編より】 特に「学級活動(1)学級や学校生活づくり」の中の「学級会」は、学級生活の諸問 題を学級の構成員で話し合い、解決していくものであり、交渉教育そのものといって も過言ではありません。しかし、交渉の仕方については、国語で学ぶか、学級会で実 践的に学ぶかしかなかったのです。よりよい話し合いにするための学習はこれまで位 置付けられていませんでした。そこで、本論では「学級活動(2)日常の生活や学習へ の適応及び健康安全」において、効果的な話し合いを展開し、よりよい学校生活を作 り出すためのするための学習を提示しました。 (2)さいたま市立蓮沼小学校における事例 さいたま市立蓮沼小学校では、 毎年、埼玉弁護士会と共同で法教 育の実践を行っています。その実 践は、子供たちが自分たちの学校 生活の中で疑問に思ったこと、困 ったことについてその解決方法を 考えるというものです。この法教 育実践は、 「現実の学校生活で解決 したいこと」について、グループ 毎(同様の課題を持つ児童でグル ープを作る)に話し合い、その方法を考え、実践するのです。実践する際には、当然 「交渉」が必要になってきます。 そして、その話し合いの際に弁護士にオブザーバーとして入っていただき、子供た ちの考える解決方法に「客観的な基準」を示してもらいます。ねらいと評価について は、他の教科・領域等と同様の次の 4 観点で行いました。 25 ・生活上の諸問題に正対し、進んで解決しようとする。 (関心・意欲・態度) ・これまでの経験や新たな考え方から、生活上の諸問題の解決方法を考える。 (思考・判断・表現) ・弁護士から得た生活上の諸問題解決に関する価値付けを理解し、実生活に応用する。 (知識・理解) ・解決策や納得する意見を話し合う中で、広い心で自分と異なる意見や立場を大切に し、分かりやすく話したり、視点の違いを受け入れたりする。(技能) これまでに話し合われた主なテーマは次のとおりです。 <ルールについて> ・学校に遊び道具やお金を持って来てはいけ ない理由 ・給食でグラタンを出してもらう方法 ・校庭の利用方法(朝はサッカー禁止) <友達について> ・友人は自分のことをどうみているか ・苦手な人とどう接していけばよいか <いじめについて> ・友達グループのいじめをどうしたらやめさせられる ・嫌なあだなを言われたり、避けられたりして困っているが、どうしたらよいか <進学について> ・中学校の校則(制服、部活など)への不安 ・小学校は私服、中学校は制服だが、中学校でも私服でよいのでは <その他> ・先生がすぐに怒るので、時間がなくなる ・自分を変えるにはどうしたらよいか この実践により、子供たちは自分たち自身で解決する方法について客観的かつ、ト ラブル解決のプロである弁護士より価値づけ、もしくはアドバイスを受けることによ り、自分たちの判断に自信を持つことができました。そして、これから自分たちが判 断し、行動するための客観的な基準があることを知り、そこからの情報を得て交渉す る必要性や方法を学ぶことができたのです。 4.小学校教育における「良い話し合いをするための 7 つの指針」 前章で野村美明大阪大学教授の示した「良い話し合いをするための 7 つの指針」を 26 学級会や学校生活の中でどのように生かし、実践していくのかを次に示します。 指針 1. 人と問題を切り離す 学級会等での話し合いの中で、決定に至るプロセスに子供同士の人間関係が表れて しまう場合があります。 「〇〇ちゃんの提案だから賛成しよう。」 「〇〇ちゃんが出した意見だから反対しよう。」 などということが起こる場合もあるのです。そのような場合に、この「人と問題を切 り離す」という指針が重要なものとなってきます。あくまで、直面している問題に正 対することが肝要であり、人によって左右されるものではないことを教える必要があ ります。 指針 2. 立場ではなく、利害に焦点を合わせる 小学校段階では、自分の主張を強く出し、相手のいうことに耳を傾けないというケ ースがあります。特に低・中学年においては、その発達段階から自我意識が強く、相 手の言い分にまで考えが至らない場合があります。相手の言い分の理由(利害)をし っかり聞き、自分の言い分の理由(利害)と対立するものであるかどうかを見極めさ せる必要があります。道徳等との関連を図りながらも指導しますが、学級会での話し 合い活動において、実践的に学ばせていきたいものです。 指針 3. 双方にとって有利な選択肢を考え出す 学級会等でものごとを集団で決める際には、A という意見に B という考え方をとり いれて C という意見を出す。また、A の意見と B の意見を合わせて D という意見に する。というような建設的な話し合いが必要です。多数決ですぐに決着するのではな く、総意でものごとを決定するためのプロセスとして、双方にとって有利な選択肢を 出すことは交渉成立のための重要な鍵となります。 指針 4. 客観的な基準を強調しよう さいたま市立蓮沼小学校の事例が一つの例となります。憲法や法という客観的な基 準に精通している弁護士が参加することにより、子供たちの出す解決策に客観的な価 値を与えることができました。ある実践で子供が解決策を提示した際に、弁護士より 「君の言っていることは、憲法第〇条に書いてあることと同じだよ。」という言葉をか けてもらったことがあります。その時、子供は自分の考えたことが、憲法という日本 の最高法規と同じであることに非常に感激しました。このような経験をとおして、子 供たちは客観的な基準の重要性や必要性を学んでいくのです。 27 指針 5. 最善の代替案を用意する お楽しみ会で行うゲームで室内ゲーム派と外遊び派が対立してしまうような場面で、 学級会などで意見が対立。話し合いがこれ以上できないという事態が起こることがあ ります。その際、話し合いに代わる最前の代替案(BATNA)をそれぞれがもつように します。子供たちは、何とかして自分たちのやりたい遊びに決めたいと思っています。 そのような時に「今回は諦めて、次回に遊びを回す」 「時間を半分に切って、2 つの遊 びをやる」などの方法が考えられます。それぞれが、やりたい遊びにたっぷり時間を 取ってやりたいか。それとも、時間は少しでもいいから、今回のお楽しみ会でやりた いのかによって最前の代替案は変わってきます。その際、自分の利害を明確にした上 で代替案を用意させるようにすることが大切です 指針 6. 確約(コミットメント)の仕方を工夫しよう 話し合いで子供たちは、自分の思ったことを次々に発言し、議論がかみ合わず、収 集がつかなくなってしまうことがあります。そのようにならないためにもコミットメ ントを工夫する必要があります。児童は、他の児童がどのような意図で発言している のかを考えています。係を決めるような話し合いで、発言している児童がその係が本 当に必要であると思っているのか、または、個人的な感情で発言しているのかが測り 切れない場合があります。そのような時に「自分はその係がやりたい」ということを 明言すれば、その発言の信頼性は高くなるでしょう。 指針 7. 良い伝え方(コミュニケーション)を工夫する この指針は小学校教育の中で重要な位置を占めます。自分の言い分を相手に聞いて ほしいと思うことと、相手の話をしっかり聴くということを同等に扱うことは、話し 合いにおいて極めて重要なことです。幼児性の残る低学年児童から、思春期に入る高 学年児童に至るまで、全ての学年において、良い伝え方については発達段階に応じて 指導する必要があります。最初に挙げたブランコ復活のきっかけを作った低学年児童 は、校長を相手に、実に説得力のある良い伝え方をしたのです。 このように、 「良い話し合いをするための 7 つの指針」は学級会という教育課程上の 学習の場で学ぶことができます。そして、学級会はリアリティーのある子供たちの生 活上の諸問題を扱っています。そこで学んだ「交渉」の仕方については、学校生活全 般で活用することができるのです。当番活動や係活動から休み時間でのやり取りに至 るまで、学校生活は「交渉教育」の学習課題が満載です。ぜひ、 「交渉教育」で学校生 活を豊かなものにすると同時に、これから「自立」するための「生きる力」を伸ばし ていっていただきたいと思います。 28 参考書 ①「学校生活の問題解決を図る法教育 ―小学生の発達段階に則した特別活動による 実践」今村信哉 ( 『法と教育』Vol.2 法と教育学会編,2011 年) ②「ブランコ復活」文部科学省(『わたしたちの道徳 小学校 3・4 年』 ) (今村信哉) 29 第5章 交渉教育における教材開発の視点と手順 はじめに 私たちは一人ひとり違う生き方をしています。生まれる場所も、育った環境も誰一 人として同じ人はいません。当然、考え方は一人ひとり違ってきます。私たちは、こ のように自分とは全く違う他者と一緒に社会をつくっています。社会とは、家族、地 域、県、国家、世界というようなものです。小学生で考えると、学校、クラス、友達 関係も社会といえます。そうした社会では当然対立やトラブルが起こるでしょう。そ うした中で、私たちは違いを前提としつつ、どうすればうまく折り合いをつけて合意 していくことができるのでしょうか。 私は、そのための手段の一つが「交渉」ではないかと考えています。特に、ハーバ ード流交渉術とよばれる考え方を身に付けることで、自分と異なる他者とうまく折り 合いをつけることができるようになると思っています。これは、大人だけでなく、小 学生から学習することができるものです。その交渉教育の教材開発をどうやっていけ ばよいのかを実践に基づきながら、以下、考えていきます。 1.交渉教育と法教育 日本が、従来の義理や人情ではなく、交渉・調停・仲裁・訴訟といった法的な手続 きによってトラブルを解決する社会になっていくにつれて、学校教育では法教育の重 要性が叫ばれています。小学校の学習指導要領でも社会科、道徳、特別活動などで法 教育が重視されています。 その法教育には、どのような種類があるのでしょうか。一般的にアメリカの法教育 カリキュラムは以下のように分類がなされています。 ①法的な概念を視点としながら、法的なものの見方・考え方を育成するもの ②身近な法的な問題を取り扱い、問題解決技能を育成するもの ③地域の政策を決定したり、地域の奉仕活動を行ったりすることで、社会に参加す る態度を形成するもの ④調停、交渉や模擬裁判を行い、紛争解決技能を育成するもの そしてこの分類から、日本の小学校における法教育として以下の 3 つの視点があると 30 いわれます。 1)法・ルール・きまりをつくる…「ごみ置き場をどのように使うか」など、子供の 身近な法的な問題を取り扱い、子供がつくる法・ルール・きまりをめぐって議 論を行う学習活動。 2)法・ルール・きまりを使う…紛争を認識し、紛争解決の手続きを使うことで紛争 解決に必要な技能を育成する学習活動。 3)法・ルール・きまりを考え、判断し、変える…自由、平等、正義、責任、プライ バシーなどの法的な価値を踏まえて、法的な問題を考え、判断し、変えていく ことによって、法・ルール・きまりを評価する学習活動。 交渉教育は、上記の 1)~3)のすべての視点を扱います。 第 1 に、2 者間または複数の人の間で交渉をすることできまりやルールをつくり、 運用をすることで社会は動いていきます。 第 2 に、決めたきまりやルールに従って経済活動などを行い、そこでも交渉がなさ れます。売買契約などがこれに当たるでしょう。ここでは、交渉によって経済的な利 益を得ることができます。 第 3 に、決めたきまりやルールが多くの人にとって都合が悪ければ、それをまた交 渉によって変えていくことになります。 このように、交渉教育は法教育がもっている視点の多くを兼ね備えているといって よいでしょう。 2.小学校と特別支援学校での交渉教育の実践 交渉教育の先行実践や教材を探してみても、日本ではほとんど先行実践が見当たり ません。ですので、私が実際に実践をしてみることにしました。以下に紹介するのは、 小学校と特別支援学校小学部での実践です。 (1)小学校での交渉教育 これは、2008 年から 2009 年にかけて、ある小学校で行った実践です。対象は 3 年 生と 5 年生です。授業構成は、事前にどのようなもめごとが身近なのかアンケートを とり、それをもとにもめごとの題材を設定してどのように解決するか考えさせるもの です。授業時間は 1 時間です。 ①授業のねらい 授業のねらいは、3 年生も 5 年生も同じです。2 者間のトラブルにおいて「どちらも やりたいことができるようにする」 「表面的な主張ではなく、その背景にある利害に目 31 を向ける」という考え方を身に付ける、というものです。 ②授業の実際 小学 3 年生の場合、ボールの取り合いが日常的なもめごとだとアンケートの結果わ かりましたので、ボールの取り合いを私とその学校の校長先生が実演しながらもめご とを紹介しました。その際、 「ほしい」ということだけでなく、私は「昼休みは絶対に ボールで遊びたくて 3 時間目からずっとボールをねらっていたこと」、校長先生は「み んなでドッヂボールがしたかったこと」を説明しておきます。その上で、 「みんなだっ たらどうやって解決する?」と問いかけました。この問いかけに対しては、 「がまんす る」「譲る」 「交代交代で使う」 「先生に決めてもらう」「じゃんけん」といった回答が でてきましたが、 「では、どっちもやりたいことができるようにするためには、どうれ ばよいかな?」と投げかけました。そこで、「昼休みは絶対にボールで遊びたくて 3 時間目からずっとボールをねらっていたこと」 「みんなでドッヂボールがしたかったこ と」を思い出させました。 すると、 「ボールで遊びたい人とみんなでドッヂボールがしたい人ならば、一緒にド ッヂボールをすればいいじゃん」という発言が出てきました。 このように、 「ボールが欲しい」という主張ではなく、その背景にある「ボールで遊 びたくて 3 時間目からずっとボールをねらっていた」 「みんなでドッヂボールがしたい」 という利害に目を向ければ、 「どっちも満足できる」可能性がひらけることに児童は気 づいてくれました。 小学 5 年生の場合は、やはりアンケートで多かった「チャンネル争い」を事例にし ました。授業の流れ自体は 3 年生とほぼ同じです。お姉さんと弟がチャンネル争いを してどちらも「テレビが見たい」と言っていますが、よくよく聞いてみると、お姉さ んは「勉強で疲れたからネプリーグでも見て気分転換がしたい」 、弟は「学校でテレビ の話題についていきたいからコナンが見たい」ということがわかったという事例です。 これも児童は、 「主張ではなくその背景にある利害に目を向ける」ことを考えること で、 「がまんする」 「お姉さんなのだから弟に譲る」 「勉強で疲れているんだから弟はお 姉さんに譲る」といった解決策ではなく、 「30 分番組のコナンを見た後にネプリーグ を見て気分転換すれば双方が満足する」という「どっちも満足できる解決策」を導き 出しました。 3 年生、5 年生ともに、授業後には「こんな授業ははじめてだった」「これからもめ ごとを解決するときに使えそう」 「実際の生活でも『どちらも満足できる』ことを考え てもめごとを解決していく」といった趣旨の感想が多数出てきました。やはり、授業 によって、実際の行動が変わっていくことが大切だと思いますので、そうした感想が 出てきたことはとてもうれしいものでした。 32 (2)特別支援学校での交渉教育 これは、2013 年に、ある特別支援学校の「生活単元学習」で行った実践です。対象 は知的障害クラス小学部 5 年生の 8 人です。知的には 3 歳から 4 歳の段階の児童です。 特別支援学校の知的障害クラスでは、 「おもちゃの取り合い」が毎日起こります。私 が勤務していた特別支援学校では「自動販売機のおもちゃ」が特に人気でした。おも ちゃのお金を入れて自販機のボタンを押すと、おもちゃのジュースがでてくるという 他愛もないおもちゃでしたが、これの取り合いでけんかになります。児童が取り合っ ている最中には、話し合いや「かして」といった言葉かけはあまりなく、力で取り合 うことが多い状態でした。そのため、どちらか一方が無理やり奪い取り、奪い取られ た側は不満が残っていました。 ただ、 私がそのけんかに介入し仲裁した結果、 「ごめん」 や「ありがとう」といった言葉がでてきます。児童がもつこの経験を生かして、力で はなく交渉によってもめごとを解決できるようになればよいと思い交渉教育をやって みようか、と思い立ちました。つまり、良い話し合いをするきっかけとして交渉教育 をやってみようと考えたわけです。 ①授業のねらい 授業のねらいは、自分の身の周りに起きるもめごとを力ではなく交渉の手法を使っ て解決することができることです。 ②授業の実際 授業は 2 段階に分けてつくりました。特別支援学校のため、スモールステップがと ても大切です。一つひとつ何回も繰り返し丁寧に教えていく必要があります。 第 1 段階は、隣のクラスの先生に協力をお願いして、私とその先生の 2 人で実際に 自動販売機を取り合う劇を演じました。その上で、こういうときは「かして」 「いいよ」 「ありがとう」という言葉を使うことが大事だよね、というパターン化された言葉を 使うことを教えました。これを実際には 4 回ほど期間をあけて繰り返しました。少し ずつ日常生活でこうした言葉が出てきた後で、第 2 段階に入りました。 第 2 段階に入る前に、事前におもちゃを取り合っていた児童に「なんでそれがほし いの?」と聞くと「自販機のボタンを押したい」という答えが返ってきました。もう 片方の児童に聞くと「自販機にお金を入れたい」という答えが返ってきました。これ だ!と思いました。主張と利害を区別させることを教えればよいのです。 第 2 段階は、これを受けて「なぜおもちゃがほしいのか相手に聞くこと」がテーマ になりました。児童に実際に自動販売機のおもちゃを取り合わせるロールプレイを行 い、取り合う場面では A さんも B さんも「おもちゃが欲しい」 (=立場)と言ってい る場面を設定しました。ここでは双方が自分の立場に固執するため、どちらかが勝つ か負けるけんかにならざるを得ません。そのあとで、実は、A さんは「おもちゃのボ タンが押したい」 (=利害)、B さんは「おもちゃにお金を入れたい」 (=利害)と思っ ていることを確認しました。利害を確認し、立場ではなく利害に焦点を当てれば、ど 33 ちらも満足できる解決策が見つかる可能性が高まります。つまり、B さんがお金を入 れ、A さんがボタンを押すのです。 「なぜ、それがほしいのか」を聞き合うことでおも ちゃの取り合いというもめごとを解決することができるようになりました。実際に、 この授業のあと、けんかをしていた児童の一人が「なんでほしいの?」と取り合って いる最中に聞いている様子が見られました。小さな変化でしたが、授業の成果が少し は出ているなとうれしくなったものです。 3.交渉教育の教材開発の視点 (1)私的自治の考え方で教材開発をする 私たちの社会は、自分のことは自分で決め、自分の行動について自分で責任をもつ という私的自治の原則にもとづいています。今後、より一層規制緩和が進んで、事前 規制型の社会から事後チェック型の社会へと変わっていくことが予想されています。 つまり、自由の範囲が広がる分、自分で責任をもって行動していくことがより一層求 められるようになっていくと考えられているのです。 こうした社会では、自分で考えて行動し、相手と折り合いをつけて合意していくこ とが求められます。しかし、こうした技能はすぐには身に付きません。小学生の段階 から少しずつ学習を積み重ねていく必要があります。私たち教員は児童の行動に介入 しがちですが、児童に任せる部分を広げていくことも必要な時代になってきているよ うに思います。そのため、小学校の低学年から「自分のことは自分で考えて決めよう」 というような教育を行っていく必要があると思います。もっといえば、小学生の低学 年から高校 3 年生まで系統だった交渉教育のカリキュラムを作る必要があるでしょう。 しかし、私たち教員は実践家でもあります。それぞれの学校で目の前にいる児童・ 生徒に合わせて交渉教育を行うことで、自然と何らかの系統性がでてくるのではない でしょうか(こうした実践の積み重ねによって、小学校低学年から高校 3 年生までの 交渉教育のカリキュラムが自然とできれば素敵だと感じています)。ただし、その根底 には私的自治の考え方がなくてはなりません。 私的自治を念頭に置きながら、児童の実態に合わせて教材を選び、授業をつくって いくことが大切だと考えています。 (2)児童にとって身近な問題を取り上げる 交渉教育では児童にとって身近な問題を取り上げるべきではないかと考えます。現 実の問題を扱えれば一番良いですが、学校や児童の実態からそれが難しいこともあり ますので、そういう場合は架空の問題を設定することになります。 「2.小学校と特別支援学校での交渉教育の実践」でとりあげましたが、小学 3 年生 34 ではボールの取り合い、小学 5 年生ではチャンネル争い、特別支援学校小学部 5 年生 では自販機のおもちゃの取り合いが身近で日常的におこるもめごとでした。 こうした身近な問題は、日々児童と過ごしている先生方はすぐにいくつか思いつく でしょう。たとえ思いつかなくても、どういう問題が児童の身近で起こっているのか アンケートを取ってみることもできます。 人間関係のトラブルといったことも交渉教育の恰好の題材になると思いますし、売 買交渉なども良い教材になるのではないでしょうか。売買交渉などは、現在盛んに推 進されているキャリア教育にもつながるものですので、総合的な学習の時間などでも 取り組みやすいと思います。 いずれにしても、児童の身近な問題を交渉教育の教材とすることが大切だと考えま す。 (3)児童がロールプレイをする 架空の事例を教材とする場合、児童自身がロールプレイをし、もめごとの当事者に なってみるという体験をすることが大切だと考えます。ロールプレイを通して、児童 が自分の問題として事例をとらえることができるからです。そうすれば、真剣にどう 解決するべきか、どの解決方法がよいのかを考えることができるでしょう。 交渉教育では、導入として架空の事例を設定し、その解決策を考えさせることが多 くなるでしょう。それを前提に考えれば、もめごとの当事者の立場に自分を置いて、 そこから原因や解決策を考えるロールプレイも必要になってくると思います。 (4)児童同士で議論する 児童が自由に解決策をブレインストーミングで出し合い、それについて話し合う時 間をとれればよりよい授業になるでしょう。児童同士で議論する時間をとることで、 より多様な考え方や解決策が出てきます。それを議論する中で、もめごとを自分のこ ととしてとらえ、より深く考えることができるのではないでしょうか。 (5)調停とつなげる 交渉教育は万能ではありませんし、ハーバード流交渉術には限界もあります。 『ハー バード流交渉術』の著者フィッシャーとユーリーは、もめごとにおける問題点を感情 から切り離すことを強調します。その上で、表面的な主張ではなくその裏にある本音 や利害に焦点を当て、その問題点を克服するための解決策を探し出すことになります。 これはとても理にかなった理論ですが、感情と問題点の切り離しが難しいこともあ ります。たとえば、相手への恐怖や嫌悪からおこるもめごと、自分のプライドを傷つ けられるような場面では、この手法でもめごとを解決することは難しいでしょう。も めごとの当事者として解決できない事例も当然あるでしょう。 35 その場合は、第三者に間に入ってもらう「調停」を利用してもよいと思います。そ れでも解決できない場合は「仲裁」 「訴訟」を利用することもできます。この「調停」 で授業をつくるならば、 「もめごとの当事者の間に入る第三者の立場に立ってもめごと を解決してみよう」といった実践が考えられます。 このように、交渉教育は限界もありますが、当事者として自分のもめごとを自分で 解決し自分の力でよりよい社会を創っていくという視点をもちつつも、第三者の視点 を取り入れた「調停」とも結び付いていくことによって、その限界を超えることがで きるのではないでしょうか。 4.交渉教育の教材開発の手順 私が交渉教育を小学校で実践したとき、以下のプロセスで学習をつくりました。一 つの参考資料として載せておきます。 1.どんなことを指導したいかを決める(指導内容の決定) 2.児童の実態(実情と解決の工夫)を把握する 当日の指導展開を意識したアンケートを行う ⅰ)どんな様子か(実態・問題点の把握) ⅱ)どうしてそうなるか(原因の追究) ⅲ)どうしたらいいか(解決方法) 3.具体的に行動させたい内容を決める 子供の実態や改善の内容を基にねらいを絞る。 4.指導展開の決定 具体的にはアンケートの項目と同じ順番 ⅰ)どんな様子か(改善すべきことを意識化する) ⅱ)どうしてそうなるか(原因の追究) ⅲ)どうしたらいいか(解決方法) ⅳ)自分としての具体的な方法(自己決定) 5.指導形態を考える 指導者、場所、活動 6.板書計画、ワークシートの作成 いつ・どこで・どのように・決めたことを忘れない方法等、具体的な実践が促 される内容にする。 7.事後指導(振り返り) 行動がどのように変化したか確認する。 これを大きく分けると「アンケート」→「授業」→「振り返り」になります。アン ケートで出てきた児童の問題をもとに事例を設定し、その事例をハーバード流交渉術 36 をもとに解決します。そして、振り返りとして、実際の日常生活ではどのように行動 が変わったのかを確認するという流れです。 (1)事前のアンケート アンケートのねらいは、①実践をするに当たってどのような事例設定が児童にとっ て身近なものなのか②今まで児童はどのようにしてもめごとを解決してきたのか③ど うすればよりよい解決ができると考えているのか、を明らかにすることです。 アンケートの質問は、以下の観点でつくりました。 (ⅰ)どんな様子か(実態・問題点の把握) (ⅱ)どうしてそうなるか(原因の追究) (ⅲ)どうしたらいいか(解決方法) 以下に、私が実際に小学 5 年生にとったアンケートの例を示します。 小学校 5 年生アンケート 男 ・ 女 1.学校の中でけんかをしたことがありますか。 (○をつけてください) はい ・ いいえ 2.1.で「はい」と答えた人に聞きます。 そのけんかの理由は、何ですか。①どういうことでけんかをしたのか。 ②自分の思い(自分は何を求めていたのか) 3.1.で「はい」と答えた人に聞きます。 その時、あいてに言った言葉は何ですか。 4.1.で「はい」と答えた人に聞きます。 どういう行動をとりましたか。 たとえば、あいての顔を、なぐった。ぼうでたたいた。 5.1.で「はい」と答えた人に聞きます。 どうしたら、けんかせずにすんだと思いますか。 1.は、学校の中の出来事を中心としました。というのも、まずは児童が一日で一番 長い時間をすごす学校や学級の問題を解決することが大切だろうと考えたからです。 2.は、①どのような事例なのか、②主張ではない自分の本音を記入してもらいまし た。主張ではない本音、利害を説明する際、オレンジの例(→第 3 章)を挙げ、口頭 で説明を行いました。 3.は、自分の主張(相手に対して言った自分の言い分)を記入してもらうように説 明しました。 4.は、もめごとの結果どうなったのかを記入してもらいました。 37 5.は、授業の前の段階で、考えられる解決の方法を具体的に記入してもらうように 説明しました。 (2)授業 授業展開はいくつかのパターンがありますし、その具体例については本書の実践編 に詳しいですが、私は、以下のような項目で授業をつくりました。 1.どんな様子か明らかにする。(改善すべきことを意識化する) 2.どうしてそうなるかを考える。 (原因の追究) 3.どうしたらいいかを考える。(解決方法) 4.自分としての具体的な方法を考える。 (自己決定) (3)振り返り 交渉教育では振り返りが重要となります。おもちゃの自動販売機を取り合っていた 児童のように、授業で学んだことを実際の日常生活に生かしていかなければ意味があ りません。そのためにも、授業の後、日常生活でどのような変化があったのかを書い てもらうことが必要になるでしょう。私が特別支援学校で実践した児童は書くことが できなかったため、行動をじっくりと観察し、どのような相手に、どのようなタイミ ングで、どのような言葉を使っているかを確認しました。その観察から、 「なんでほし いの?」と言っている様子をみとることができました。 小学校では、実際にどのように交渉の考え方をつかって日常の問題を解決したか、 どのように自分の行動が変わったのかを児童にプリントなどに書いてもらうことがで きるでしょう。 こうした振り返りを通して、行動がどのように変わったのかを確かめることが必要 になると考えます。 5.おわりに 交渉教育は、大きな可能性を秘めていると思います。一人ひとり違う私たちがなん とか折り合いをつけて合意していかなければならない社会にこれからなっていくでし ょう。その中で、自立して、自分で考え、自分で行動して、自分と異なる他者と社会 をつくっていける市民になるための教育がまさに交渉教育なのではないでしょうか。 この交渉教育を学校教育にしっかりと根付かせるためには、私たち教員が小さな実 践を積み重ね、討議し、改善していくしかありません。交渉教育がこれから発展して いくように私も交渉教育の教材を開発し、実践を積み重ねていきたいと考えています。 38 参考書 ① 磯山恭子「法化社会が求める法教育の方向性」江口勇治・磯山恭子編『小学校の法 教育を創る』 ,東洋館出版社,2008 ② 寺本誠「アメリカ合衆国テネシー州の紛争処理を重視した法教育の研究 “Peaceable Schools”の分析を中心に」江口勇治編『世界の法教育』,現代人文社,2003 では、アメリカのテネシー州で行われているハーバード流交渉術の授業が紹介されて います。中学・高校向けの教材です。 (小貫 篤) 39 コラム 1:企業と交渉 個人が自分のことについて交渉をする場合、主体は個人であり、交渉の相手も明確 です。そして、交渉の結果も全て交渉当事者が引き受けることになります。これに対 して企業間の交渉では、実際に交渉を行うのは個人ですが、主体はあくまで法律上の 人格しか有さない企業です。つまり企業間交渉において、個人は企業から一定の権限 を与えられ、その範囲内で交渉を行うという制約を受けています。これが個人間交渉 と企業間交渉との大きな違いです。 交渉を行う個人への権限の付与には、様々な方法があります。例えば、個人の役職 に応じて権限を設定する方法(課長権限として 100 万円までの契約決済を自らできる など)、案件ごとに企業として方針を定める方法(A 社と X 社の紛争解決につき A 社 の方針として、1 億円までであれば X 社に和解金を支払っても良いと社内決定するな ど)などが挙げられるでしょう。どのように権限を付与するにせよ、交渉にあたる個 人はいわば手足を縛られた状態で交渉を行うことになります。とりわけ日本企業では、 欧米企業と比べて交渉者が大きな権限を与えられていないため、たびたび本社にお伺 いをたてなければならず、交渉がダイナミックに進まない、といったエピソードは良 く聞くものです。 ロジャー・フィッシャーらが著した『ハーバード流交渉術』は、こうした問題を突 破するために、まず交渉過程における複数の選択肢を仔細に検討してみることを勧め ています。例えば、100 万円以下でしか契約締結の権限が与えられていない社員が、 200 万円の売値を主張する会社と交渉する際に「100 万円」という制約だけに囚われる のではなく、相手方の値段の根拠は何か、価格以外に重視すべき契約条件は存在しな いのか(例えば、対象物の保証期間)といった点を相手方とブレーンストーミングす ることを通じて、制約のもとでも両者が満足する結果の糸口を積極的に探っていくの です。 さらに、 『ハーバード流交渉術』のいわば続編とも位置付けられる『新ハーバード流 交渉術』においてフィッシャーらは、前述の「複数の選択肢をつくる」作業を通じて 交渉当事者は「自律性」を拡大できると述べています。この自律性の拡大 (expansion of autonomy)は交渉において非常に重要な役割を果たします。個人は日常生活におい 40 て自律的に無数の選択を行っているにもかかわらず、ひとたび交渉に臨むと、自らの 自律性を抑制してしまうのです。これは企業から権限を付与されて交渉を行う個人に おいて特に顕著で、交渉が挫折する大きな要因となります。自らがもつ自律性を認識 し拡大することは、交渉を成功に導くカギなのです。 自律性の拡大は交渉の場面のみならず、リーダーシップの発揮においても不可欠で す。企業社会では上下関係がつきものですが、そのような環境においてもリーダーシ ップがある人間とは、役職とは必ずしも関係なく、全く肩書きがなくとも意思決定の 自由度を拡大することができる人ではないでしょうか。 (茅野みつる) 41 コラム 2:いろいろな配役を演じてみよう ここで提示する教材は、児童の多面的・複眼的なものの見方を潜在的に強化するも のです。様々な角度から対象を捉えるスタンスを身に付けるために有効と考えられる、 次の 2 つのトレーニングをしてみましょう。まず、教育プログラム A は、ひとつの出 来事を多方面から語る、というものです。また、教育プログラム B は、いろいろな立 場からの語りの共通部分を取り出す、というものです。これらを通して、同じ場面を 共有していても、立場が異なると対象の見え方が違うことを感じ取ることを学びます。 教育プログラム A:ひとつの出来事を多方面から語る プログラム A 用教材:児童がよく知っている紋切型の物語(例:桃太郎、花咲か爺、 舌切り雀など)で、語りの視点が一定の教材であるなら何でも構いません。教える際 の手順は以下のとおりです。①教師から児童に物語を読み聞かせます。②児童は物語 の登場人物の一人(または動物等で登場するキャラクター)を選択し、その人の視点 から物語を再構成します。その時、その人物がある場面で言いそうなセリフも考えま す(例:桃太郎であれば、桃太郎、御爺さん、御婆さん、キジ、サル、犬、鬼の立場 などがあります) 。③終了したら各児童は自分が選択した人物(またはキャラクター) から見た物語を発表します。④同じ人物を選択した児童同士で共通する点、異なる点 をチェックし合います。⑤自分とは違った登場人物の立場から再構成した物語につい て感じたことを話し合います。 さらに、児童がプログラム A 用教材で共有する内容に関して、以下の 6 つの点から 話し合います。①特定の登場人物 2 人(例:桃太郎 vs。鬼)を選びます。そして、そ れぞれの立場からなされた物語の再構成内容を照らし合わせます。これを通して、そ の 2 人(またはキャラクター)の間の対立を考えてみます。例えば、 「何が」対立して いるのか考えてみるのです。②ある登場人物の立場で物語を再構成すると、その人物 (または動物)は得をしたり、損をしたりするかを考えてみます。③対立する登場人 物の主張とその理由を聞いてみます。④対立する登場人物の主張とその理由の良い点 を見つけます。⑤自分が担当した登場人物の立場を相手に説明します。⑥各登場人物 は何を良いこと、何を悪いこととして考えているかを話し合います。 42 教育プログラム B:いろいろな立場からの語りの共通部分を取り出す プログラム B 用教材:まず、B1 教材です。ナレーションが一切含まれない、登場 人物の会話のみからなる教材で、内容は可能なかぎり視覚的にイメージしやすい具体 的なものにします。続いて B2 教材です。ある情景を描いた絵を用意します。出来る だけ様々な様子が描かれているものが良いでしょう。 教材 B1 を使用する場合の手順は次の通りです。①児童に配役を割り当て、教材 B1 を音読してもらいます。②児童は登場人物の会話で、ひとまとまりとして捉えられる と思うところを選び出します。③選び出した個所の状況(風景)を簡単な絵にしてみ ます。そして、それを説明します。④描いた絵を見ながら、ひとまとまりとして区切 る個所について発表し、なぜ、自分が取り出した個所にまとまりがあるのか、説明し ます。⑤また、状況の説明を児童同士で共有し、その異同について話し合います。 教材 B2 を使用する場合の手順は次の通りです。①教材 B2 を提示します。②その絵 が何の絵であるか、児童に答えてもらいます。③絵について解説する場合、 「この絵は 〇〇を描いています。なぜなら、ここに〇〇が描かれているからです」の形式をとり ます。④同一の絵についての他の児童の考えを聞いて、自分の考えとの違いを指摘し 合います。 参考書 ①福澤一吉 『議論のレッスン』NHK生活人新書 2002 年 ②三森ゆりか『言語技術のレッスン』(つくば言語技術教育研究所)2011 年 (福澤一吉) 43 44 実践編 ~ウィン・ウィン(win-win)を目指す 実践的授業とは何か~ 45 低中学年 本実践事例では、交渉教育のおもに低中学年用に設定した実践事例が提案されてい る。 設定学年については、低学年では子供同士の話し合いとしては難しいやり取りなど もあるが、失敗経験から学ぶという交渉のイロハの経験として寛容に授業として展開 してほしい。 学習目標としては、理論編の第 2 章の「良い話し合いの 7 つの指針」の獲得を目指 すように設定しているため、これまでの各教科等の指導の目標にそのまま教育課程上 フィットするものではないが、いろいろな各教科等の目標に転用できると想定してほ しい。 たとえば、小学校の「特別活動」の目標「望ましい集団活動を通して、……集団と してのよりよい生活や人間関係を築こうとする自主的、実践的態度を育てるとともに、 自己の生き方についての考えを深め、自己を生かす能力を養う」や「総合的な学習の 時間」の目標 「………、 よりよく問題を解決する資質や能力を育成するとともに、……、 問題の解決や探究活動に主体的、創造的、協同的に取り組む態度を育て、自己の生き 方を考えることができるようにする」などには、直接関係する目標であろう。また社 会科や道徳での人々の間に生ずる紛争や問題の解決に資するものとして設定されてい る学習活動の目標にも、理論編で示した交渉教育の 7 つの指針は、実際の能力、態度、 技能等の育成の面で応用できるものである。このように適宜実践事例を利用して、幅 広い各教科等の指導に役立ててほしいと考える。 なお「交渉のフロンティア」と題する「コラム」には、交渉の最前線で活躍されて いる法交渉の実務家からのちょっとしたヒントが示されている。ぜひ実際の活動に、 そこに示された論点を適宜活用してほしい。 ちなみに低中学年用の実践事例の多くは、高学年でも活用できるものでもあり、学 年にこだわらず利用されることを望みたい。 46 第6章 「一つのオレンジをどう分ける!?」 ―演じて、観客になって観て、そしてみんなで考えよう- 1.学習の目標 ・他者間で生じている問題の解決を図るために、介入する第三者(調停者)としてど のような役割があるか気づくことができる。 2.評価のポイント 一つのものを数人で分けることは 日常生活や学校生活の中でもよく見 受けられる光景である。例えば、兄 弟で一つのケーキをどのように分け るか、であったり、給食の残りを誰 が食べるのかを決めたりなどがあげ られるが、そのとき、一般的には半 分に分けたり、弟の方が兄より少な かったり、ときにはじゃんけんで決 めることもあるかもしれない。 しかし、安易に半分に分けるので はなく、主張の背後にある利害(本 当に欲しいのは何なのか)に着目す ることで、相互に相手の欲しいもの と自分の欲しいものとを両立できる 解決策ウィン・ウィン(win-win)の 提案が可能となるかもしれない。 本授業は、理論編第 3 章で紹介がなされたオレンジ紛争を実際に体験し、介入する 第三者の適切な働きかけによってウィン・ウィン(win-win)関係を体感することを意 47 図している。立場ではなく利害に焦点を合わせることはできたかが評価する際の最大 のポイントである。 具体的には、第三者として介入す る親が姉と弟のオレンジの取り合い を解決するとき、安易に裁断して分 けてしまうのではなく、まず「なぜ オレンジが欲しいのか」 「オレンジを どのように使いたいのか」と尋ねる ことで相互利益の獲得の糸口が見出 されることを確認する。 演じる児童をはじめ、観劇する児 童には、介入する第三者の働きかけ の仕方によって異なる結果がもたら されたこと、そしてウィン・ウィン (win-win)の解決ができた事例の要 因はしっかりとオレンジを欲しいと する理由を丁寧に聞いたことである ことに気づかせたい。 3.学習の内容と方法 (1)学習の内容 意見の対立は、日常の様々な場面で生じる。例えば、学級での係決めや、レクリエ ーションで何をするか、席替えはどのように行うかなどがあげられる。その際、友人 48 同士でお互いの意見を聞き合ったり、複数の意見を出し合ったりして解決を図る。そ の解決を図る過程がではまさに児童間での交渉が行われており、また、そこで対立が 生じた場合、これに介入し調停する親、教員の活動も行われている。このように日常 性の中に潜んでいる意見対立場面(交渉場面)において、交渉者としての教訓や介入 者としての関与の在り方について、具体的なエピソードを演じ、また観劇することを 通じて児童に考えさせることが本学習のねらいである。 具体的には、 第 1 に、喧嘩やもめごとなど日常の生活の中で意見が対立する場面で、 対立当事者ではない第三者として介入し問題解決を図るには、どのように対立の中に 入ったらいいのかを考えさせること、第 2 に、対立する当事者として、相手方との交 渉はどのように進めるべきなのかを考えさせること、の二つがあげられる。 児童たち自身、すでにこれまでの学校生活や日常の中でから交渉における当事者ま た調停者としての役割を担ってきているはずであり、その経験の中に埋め込まれてい る実践的な知恵を出し合い、互いに気付き合うことを目指したい。 (2)学習の方法 本教材のエピソードは、理論編で紹介した『ハーバード流交渉術』などで使われて いる「オレンジ紛争」の寓話をもとにして、喧嘩している姉弟の間に親が介入する場 面を想定している。その寓話に埋め込まれている交渉当事者としての教訓や、この教 材のスクリプトに含まれる中立的第三者による対話促進の基本的な理念や技術を体験 的に理解したい。具体的には、①立場ではなく、具体的な利害に焦点を当てる。②多 様な人の在り方を尊重し、各人の具体的なニーズを知る。③人の具体的な言葉を受け 止め、全員で共有する。④多様なニーズができるだけ満たされる解決策を、当事者主 導で創り出す。の 4 つである。これ らの事項の役割について、児童同士 のロールプレイ及び観劇を通して気 付くことが望まれる。 その中でも本教材では、中立的な 第三者として、 「①立場ではなく、具 体的な利害に焦点を当てること」を主 眼におきたい。そのために、演じてい る児童の心情に配慮しながら、教師は セリフの背後にはどのような思いがあ るのかに児童が焦点化できるようにし たい。 49 本単元は、交渉についての学習を始めることを念頭に置いた導入単元として位置付 けている。学習内容として 2 つのエピソードで構成されているが、両エピソードは、 オレンジの取り合いをめぐる同じもめごとについて、親の語り掛けの違いによって、 その後の進展が大きく異なることを示している。即ち、エピソード①はどちらか片方 が利益を獲得できるウィン・ルーズ(win-lose)関係であり、エピソード②は両者がお 互いに利益を獲得できるウィン・ウィン(win-win)関係を実現している典型的な例を 示している。二つのエピソードのロールプレイ及び観劇を通じて児童はこれまでの生 活経験から直感的にウィン・ウィン(win-win)関係が望ましいことが分かるであろう。 しかし、なぜ実現できたのかについてまで考察は容易ではないと思われる。そこで、 ワークシートを用いて 2 つのエピソードの差異を個人で考察を加えた後、グループで 話し合い活動を行い、もめごとに介入する第三者としての望ましい役割に気付かせた い。その際、具体的にどのような働きかけによってウィン・ウィン(win-win)関係の 実現を可能にしたのかを、セリフ番号を用いて具体的に話しあうことに留意する。 4.学習の計画 主な学習活動・内容 第一次 (本時) 第二次 ・シナリオに沿ってロールプレイを行い、第三者(調停者)としてどのよ うにして問題解決を図るかを体験的に理解する。 ・前時の振り返りを行い、第三者(調停者)としての役割(立場ではなく 利害に焦点を合わせること)を確認する。 5.本時 (1)本時のねらい ・中立的な第三者(調停者)として、対立する両当事者の言葉を聴き受けとめてその 場で共有することを通じて、両者が相手方の具体的なニーズを互いに知り、自ら適切 な解決に向かうよう支援することができる。 ・自分自身が対立する争点について交渉する場合、立場ではなく具体的な利害に焦点 を当て、相手に対して具体的に理由を説明し、また、相手の具体的な利害やその理由 に耳を傾けて考えることができる。 50 (2)本時の展開 時間 導入 7分 主な学習活動・内容 指導上の留意点・配慮事項 ・代表者 3 名を選出し、配役(姉役、 ・代表者を選出することも一つの交渉場 弟役、親役)を決め、観劇する際の ルールを確認する。 面として示唆する。 ・観劇を行う際には、友達が演じやすい 雰囲気を作るよう心掛ける。 展開 30 分 ・スクリプトの朗読により演じさせ、 ・観劇を行う際には、親の発言に着目す 演じ役でない児童は観劇する。 るように促す。 ・姉と弟の間には、以前、弟の飴を姉 が食べてしまったというもめごと があったことを確認する。 ・エピソード①を行う。 ・どちらか片方が得をし、損をするウィ 演劇について各立場についてどの ン・ルーズ(win-lose)関係であるこ ような特徴があったかについての とを念頭に置く。また、このようなや 感想を数名聞き、全体で共有する。 り取りが日常生活の中でよくあるこ とを指摘する。 ・エピソード②を行う。 ・エピソード①とは異なる親の働きかけ 演劇についての感想を数名聞き、全 によって両者が相互の利益を獲得で 体で共有する。 きるウィン・ウィン(win-win)関係 その後、ワークシートを用いてエピ であることを念頭に置く。 ソード①・②、どちらの展開が良か ったかを問う。 ・スクリプトを全員に配布する。 ・エピソード①と②の差異を考える。 ・異なる結果となった要因について、ワ まず、各エピソードにおいてワーク ークシートを用いて①・②を比較す シートを用いて損得をした点の事 る。その際、親のセリフ番号に着目し、 実確認を行う。 何番のセリフのどのような点がよか ったのかまで考えさせたい。 ・エピソード②のようにウィン・ウィ ・親の話し方について具体的に何が良か ン(win-win)関係を実現することが ったのかをセリフ番号をあげながら できた要因について、セリフ番号を 考察することを確認する。 用いて考察する(個人で行う) 。 51 ・3~4 名のグループに分かれて各々が ・「お互いの具体的な利害やその理由に 考えた要因についてワークシート 耳を傾ける」ことができているからこ を用いて話し合い、各自の考えを深 そ、ウィン・ウィン(win-win)の解 め共有する。 決方法が見出せたことに気付かせた い。 ・教員がファシリテータとなり、各班 で出た意見を全体で共有する。その 際、親の話し方について 2 つのエピ ソードにどのような差異があるの かを明確にする。 終結 ・演劇・観劇を体験したことを意見交 ・第三者として、対立する両当事者の言 8分 換し、第三者としての役割に気づく 葉を聴き受けとめ共有し、両者の具体 ことができたか確認し、本時のまと 的なニーズを互いに知ることができ めを行う。 るよう手助けすることの意義を確認 する。 ・当事者としても、立場ではなく具体的 な利害に焦点を当て、相手に対して具 体的に理由を説明すること、また、相 手の具体的な利害やその理由に耳を 傾けて考えることが大事であること を確認する。 6.エピソード(シナリオ) <オレンジ紛争ミディエイション> 対立する当事者ではない中立的な第三者として紛争に介入する人のことを、ミディ エイター(調停者)という。そのような第三者の助けを借りて合意形成を目指すプロ セスのことを、ミディエイション(調停)という。以下の例では、親がミディエイタ ーである。 1 個のオレンジを前にして姉と弟が争っています。そこに親が現れました。果たして 姉弟のもめごとはどうなるでしょうか? ここでは親の話しかけ方が姉と弟にどのような影響を及ぼすか、2 つのエピソードの 52 シナリオで演じてみましょう。 また、エピソードで登場する姉と弟には、以前、机の上に置いてあった弟の飴を姉 が食べてしまったということがありました。そのことも今回のもめごとに関係してい ます。 <共通> ※(教員)姉が大きなオレンジを 1 つ、テーブルに置いて切ろうとしています。そ こに弟が来ました。 弟:あ、お姉ちゃん、美味しそうだね。僕にもちょうだいよ! 姉:だめ、これ、わたしの。あげないよ。 弟:なんで~いいじゃん、少しくらいちょうだいよ~! 姉:だめったら、だめ。絶対にあげな~い。 弟:あ~、ひどい! このまえ僕のアメを取って食べたくせに!(と言って、オレン ジに手を出そうとする。 ) 姉:何すんのよ!(オレンジを取り上げる)あっち行ってよね。 ※(教員)姉と弟が争っているところに親が現れました。 親:どうしたの。 弟:お姉ちゃんがオレンジくれないんだ! 姉:ダメって言ってるでしょ! これはあげられないの! 弟:こないだお姉ちゃん、僕のアメ取ったんだよ! ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― <エピソード 1>*********************************************************** 1 親:二人ともうるさいわね!(姉に向かって)だいたい、あなたお姉ちゃんでしょ! (弟に向かって)君もお姉ちゃんのオレンジなんだから、ダメでしょ。 2 姉:ほらごらん、お姉ちゃんのなんだから。 3 弟:なんで!? なら、こないだ僕のアメ取ったのはどうなるの! 4 親: (姉に向かって)お姉ちゃんは本当にアメ取ったの? 5 姉:机の上にほったらかしてあってから、いらないんだと思ったんだよ。放ってお く方が悪い。 6 親: (弟に向かって)放っといたの? 7 弟:違うよ! 後で食べようと思って、置いといたんだ! 8 親: (姉に向かって)置いといたって言ってるじゃないの! 9 姉:アメに名前なんか書いてないから、分かんないじゃない! 10 弟:僕の机なんだから、僕のに決まってるじゃん! 11 親:もう、うるさい! 人に食べられたら困るものだったら、自分でちゃんと仕舞 53 って置きなさい。オレンジはお姉ちゃんの、いいわね。 12 弟:えー。どうしていつも僕ばっかり…。 13 姉:そんなことないでしょ。今回だけじゃないの。 14 弟:ふーんだ。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― <共通> 上記と同じ <エピソード 2>************************************************************ 1 親:まったくもう~。 (弟に向かって)君はオレンジを食べたいのよね。 2 弟:うん。お姉ちゃんも僕のアメ食べたし・・・ 3 親: (姉に向かって)お姉ちゃんもオレンジを食べたいのよね。 4 姉:うううん(首を振る)、違うよ。 5 親:そんなら、どうしたいの? 6 姉:わたし、今度学校でオレンジピール*作るから、練習したいの。 7 親:あ~、そうなんだ。オレンジピール作るんだったら、皮を使うんだね。 8 姉:うん。 9 親: (姉に向かって)あなたは学校でオレンジピールを作るから、練習でこのオレン ジの皮を使いたい、 (弟に向かって) 君は、 オレンジの実が食べたいってことね。 それで、君はお姉ちゃんに、オレンジを欲しいと言った。でもお姉ちゃんは、 皮を使うから、 「ダメ」って言った。(二人に向かって)二人とも、そういうこ とよね。 10 姉・弟: (そろって)うん、そうだよ。 11 親:それなら、二人でオレンジを分けられるね。 12 姉・弟: (そろって)うん。(姉が皮をむいて、弟に実をあげる) 13 姉: (弟に向かって)こないだアメ食べちゃってごめんね。机の上にあったから、 いらないんだと思ったんだ。オレンジピールできたら、あげるね。 14 弟:うん、ありがとう。僕も悪かったし、他のアメがまだあったからいいよ。オレ ンジピール楽しみにしてるね! *オレンジピールとは、47 頁の一番下の右側の写真のように、オレンジの皮を 砂糖などで煮詰めて乾燥させドライフルーツにしたものである。 54 参考書 ①R.フィッシャー,W.ユーリー著(金山宣夫・浅井和子訳) 『ハーバード流交渉術』(三 笠書房知的生きかた文庫、1989 年) ②交渉教育研究会制作(支援・日弁連法務研究財団) 『実演交渉 DVD 交渉は楽しい!』 (DVD・解説テキスト) (商事法務・2011 年) (大澤恒夫) 55 ふたつのエピソードはどうして異なる結果になったのだろう? 年 組 番 氏名 〇どちらの解決方法が良かったと思いましたか?その理由はなんですか? ・①について、得をした人・損をした人は誰ですか?(〇で囲んでみよう) 得をした人 姉 弟 損をした人 姉 弟 姉 弟 ・②について、得をした人・損をした人は誰ですか? 得をした人 姉 弟 損をした人 ・②はなぜお互いが満足することになったと思いますか?セリフ番号をあげて考えて みよう! 良いと思ったところ セリフ番号 ・お互いが満足する結果になった理由についてグループで意見交換してみよう! 自分と同じ意見 自分と違う意見 56 第7章 皆が納得できる仕事の分担の仕方を考えよう 1.学習の目標 何かの仕事を皆で負担する場合、じゃんけんで決めたり、単純に同じ分量の仕事を 割り振ったりすることが多い。しかし、負担は皆が同じであれば必ずしも平等という わけではない。 それぞれの状況に応じた仕事の分担について、 皆で粘り強く話し合い、 全員が納得する割当て方を見出すことが大切である。本教材では、皆が納得する方法 を見出すための手がかりとなる交渉のための条件に気付かせることが目指されている。 特に重視しているのは、以下の点である。 ①皆にとって公平になるようにものごとを決定するためには、自分の利益を主張す るだけではなく相手の利益も考えて、お互いに納得できる方法を交渉の中から見 つけ出さないといけないことに気付くことができる。 ②ものごとを決定するための交渉の過程においては、自分にとっても相手にとって もよりよい結果をもたらすためにいくつかのルールがあることに気付くことがで きる。 2.評価のポイント 小学校の特別活動における評価規準は、関心・意欲・態度、思考・判断・実践、知 識・理解の三観点に基づいて設定されている。本教材は、これらの三観点に関する規 準を目標とすると同時に、自分の感情や価値観に基づく自己中心的な判断を慎重に振 り返り、他者の立場や気持ちをふまえたうえで、自分も他者も心から納得できる方法 を話し合うための態度や技能を身に付けることをねらいとしている。 関心・意欲・態度については、以下のような評価規準を設定した。 ・学級集団の一員として、よりよい生活づくりのための負担の配分の仕方に関心を 持つ。 ・負担の配分という学級の問題の解決に自主的に関わろうとする。 また、思考・判断・実践については、以下のような評価規準を設定した。 ・学級集団の一員として、学級の問題解決に関して自己の責任や役割、よりよい解 決の仕方について考え、判断し、協力し合って実践しようとしている。 57 最後に、知識・理解についての評価規準は以下のように設定した。 ・みんなで楽しく豊かな学級の生活を作ることの意義や、学級集団としての意見を まとめる話し合い活動を効率的に進めるために必要な交渉のルールについて理解 している。 3.学習の内容と方法 (1)学習の内容 本教材は、小学校学習指導要領に定められた特別活動の目標のうち、学級活動にか かわるものである。学級活動に関しては、以下のような目標が定められている。 学級活動を通して、望ましい人間関係を形成し、集団の一員として学級や学校にお けるよりよい生活づくりに参画し、諸問題を解決しようとする自主的、実践的な態度 や健全な生活態度を育てる。 この目標にしたがって、本教材では、集団の一員として学級におけるよりよい生活 づくりに参画し、負担の公平な配分という問題を解決しようとする態度を養おうとし ている。そのためには、自分の利益のみを主張するのではなく他者の利益にも気を配 り、より望ましい人間関係を形成したうえで、皆にとってよりよい決まりは何かを交 渉を通して導き出すことが必要である。 本教材は、学習指導要領にいずれの学年においても取り扱うように定められた共通 事項のうち、 「(1) 学級や学校の生活づくり」に関わるものである。(1)には、次の 三点の内容が示されている。 ア 学級や学校における生活上の諸問題の解決 イ 学級内の組織づくりや仕事の分担処理 ウ 学校における多様な集団の生活の向上 本教材は、このうちアとイに該当するものである。本教材においては、直接的に学 級の問題を取り上げるのではなく、問題自体は児童が生活する地域の問題となってい る。これは、地域で生じている問題の解決で身につけたルールを学級に活用するため の応用力を身につけさせるためである。 本教材のねらいは、皆で守るべきルールを決定する際に、皆が満足する良い結果を 導き出すためにはどのような話し合いが必要であるかということを考えさせることで ある。その際に学校内の出来事ではなく、地域社会の中で発生したルール作りの場面 を素材としたい。その理由は、学校内の出来事は学校独自のルールで決定されること が多く、その決定の方法について児童が主体的に決める場面を想定することが難しい からである。これに対して、様々な考えを持つ人々によって構成される地域社会の問 題については、児童が自分たち自身で比較的自由に決定できる場面を想定することが 58 可能である。 (2)学習の方法 本教材では、児童に考えさせる具体的なエピソードの場面として、地域の公園の掃 除の分担の仕方についての話し合いを設定した。 この問題について、 単純に考えれば、 関係する児童が順番に掃除当番を決めていけば問題は解決するように見える。しかし、 公園の利用の仕方は皆同じではないし、掃除のための負担についても、公平に配分し たとしても受け入れる側の年齢などによって実際の負担の程度は異なってくることが 予想される。そのため、掃除の負担の仕方を決定するための話し合いは、皆にとって よりよい合意を引き出すための交渉となるのである。教材では、エピソードの中に登 場する人物の話し合いの様子を読み解きながら、それぞれの発言の中に原則立脚型交 渉に見られる良い話し合いのための指針を発見することを児童に求めていく。児童は、 エピソードの中の発言のうち、話し合いを合意に導くうえで良いものをまずは直観的 に選び出し、それがなぜよいと思われるのかという理由を考察することを通して、よ りよい結果をもたらすための交渉の方針を発見することができるのである。 4.学習の計画 時数 第1時 主な学習活動・内容 エピソードをロールプレイして、問題を発見しよう。 第 2 時(本時) エピソードの中の登場人物の発言について考えてみよう。 第3時 よりよい話し合いの方法について考えてみよう。 5.本時(3 時間扱いの第 2 時間目) (1)本時のねらい ①エピソードの人物の発言の分析を通して、効果的に話し合いを展開しよりよい結 果を導くような交渉のためのルールがあることに気付くことができる。 ②エピソードの人物の発言の分析・評価の過程において、交渉のためのルールにつ いて考えることができる。 59 (2)本時の展開 過程 主な学習活動・内容 指導上の留意点・配慮事項 導入 〇問題の把握 10 分 ・前の時間に読んだエピソードの内容 ・エピソードの概要を数人の児童に尋ね を思い出す。 たうえで、問題を文章として明確に表 ・問題となっていることは何かを各自 で考えたうえで、発表する。 現させる。 「近所の公園の清掃を皆で公平に負担 するには、どうすればよいだろう?」 〇問題状況の理解 ・自分たちのこれまでの経験を振り返 って、同様の問題に直面したことが ・数人の児童に発表させる。解決につい ないか考える。 ては、簡単に説明させるだけにとど ・同じような体験をしたことがあれば、 その時にどのような解決をしたか思 め、のちの考察の妨げにならないよう に配慮する。 い出してみる。 展開 〇エピソードの分析 30 分 ・エピソードの話し合いの中で、 「納得 ・「納得できる」、「納得できない」、「間 できる」と思う意見を述べている人 違っている」をたんなる感情ではな の発言を取り出してみる。それは誰 く、話し合いからよりよい結論を導く のどのような発言か、また、なぜ、 ための発言として適切かどうかとい その発言は納得できると思ったのか う視点から考えるように指導するこ を考える。 とが大切である。 ・エピソードの話しあいの中で、 「納得 できない」あるいは「間違っている」 と思う意見を述べている人の発言を 取り出してみる。それは誰のどのよ うな発言か、なぜ、その発言は納得 できない、間違っていると思ったの かを考える。 ・各自の考えをグループで話し合う。 ・エピソードの中の発言から、下記の良 ・グループで話し合った結果を、クラ い交渉をするための 7 つの方針に該当 ス全体に報告する。 するものを取り出して、その理由を説 ・よりよい結論を導くための話し合い 明する。 のルールについて、自分たちの話し 1)人と問題を切り離す 合いを振り返りながら、教師の解説 2)立場ではなく利害に焦点を合わせ を聞いて理解する。 る 60 3)互いに有利な選択肢を考え出す 4)客観的な基準を強調する 5)話し合いによる解決ができなかっ たときのための代替案を用意する 6)約束したことを確認する方法を考 える 7)自分の主張を相手に伝えるための よりよい方法を考える 終結 〇問題の解決に向けて見通しをもつ 10 分 ・エピソードの話し合いの中から導き ・交渉の結果を実行する際には、どのよ 出されるもっとも良い解決策は何か うなことが必要か、交渉をする上でそ を考える。 の結果について責任を持つとはどう ・エピソードのこの後の展開について、 いうことかについて考えさせる。 次の点を考える。 ①下の子たちや両親など地域の大 人、あるいは先生から反対意見が 出たとしたら、どのようにすべき か。 ②大地が自分の主張が通らなかった らやらないと宣言しているが、も し、本当に彼が決まりを守らなか ったとしたら、それについてどう 思うか。 6.この指導案作成の元となった状況(エピソード) 小学校 6 年生の海斗君たちは、同じA地区に住む他の 4 名の同じ小学校に通う仲 間とともに、いつも遊んでいる近くの公園の掃除を、夏休みの間だけ週に一回やる ことにしました。これは、いつも使っている公園を管理してくれている大人に感謝 の気持ちを示し、少しでも苦労を分かち合おうという気持ちから、海斗君が提案し ました。公園は隣の地区との境界近くにあるので、隣の地区の恭平君にも声をかけ て、隣のB地区の児童 8 名も一緒にやろうということになりました。そこで、海斗 君らは、夏休み前に 5、6 年生で集まって、どのように掃除を実施するか、その方法 について話し合うことにしました。 61 話し合いの参加者 A地区:海斗(6 年生) 、かえで(6 年生) 、里美(5 年生) B地区:恭平(6 年生) 、大地(5 年生) 、はるか(5 年生) 、 菜穂(5 年生) A地区の小学生:上記 3 名の他、2 年生 1 名、1 年生 1 名 B地区の小学生:上記 4 名の他、4 年生 2 名、3 年生 1 名、2 年生 1 名 ≪話し合い≫ (1)海斗:公園の掃除のことだけど、夏休み中、週に一回、月曜日に 1 時間程度やるのはど うかな。 (2)恭平:賛成だけど。毎回、全員でするの。小さな公園だから、そんなに人数はいらない よ。A地区とB地区で、交代でやればいいんじゃない。 (3)かえで:交代でやるのはいいけれど、AとBじゃ人数が違い過ぎるわ。交代は不公平よ。 (4)里美:それもそうだけど、このこと、私たちだけで決めていいのかしら。下の学年の子 たちもやるんだから、話し合いに参加させてあげた方がよくない。 (5)大地:下の子たちに話し合いは無理だよ。ここは、上級生の僕らで決めたんでいいんじ ゃないかな。僕らが代表として決めたことなら、下の子たちも文句は言わないよ。 (6)はるか:下の子たちが話し合いに参加したら、まとまるものもまとまらなくなるわ。参 加させてあげてもいいけれど、下の子たちの意見を聞く必要はないんじゃない。 決めるのも、私たちで決めればいいわ。 (7)恭平:そうだね。もうすぐ夏休みだし、あまり長く話し合ってはいられないから、下の 子たちの意見を聞く必要はないと思うよ。 (8)海斗:そうかな。まあ、今日はいないから仕方ないね。ところで、さっき、かえでが言 ったことだけど、僕もAとBが交代で担当するのは不公平なような気がするな。 Bは人数が多いのだから、掃除の担当回数も多くていいんじゃない。 (9)恭平:人数が多いのはたまたまそうなっているだけだし、夏休みの間の数回の掃除なん だから交代でいいんじゃない。 (10)かえで:それは納得できないわ。Aには 1 年生もいるし、実際に掃除をするとなると、 その子たちの面倒も見なきゃいけないから大変なのよ。 (11)大地:いつも文句を言うのはかえでだな。何かを決めようとしたら、いつも足をひっぱ るじゃないか。かえでの言うことは聞けないな。 (12)菜穂:私も、かえでちゃんはいつも決まりかけたことに文句ばかり言っていると思う。 かえでちゃんが相手だったら話が進まないわ。 (13)かえで:ひどいわ。私は、正しいことを言っているだけなのに。 (14)海斗:待って、待って。これでは話し合いが進まないよ。みんなが納得するような方法 を考えているのだから、気になったことはどんどん遠慮なく言ってもらわないと。 62 発言するのが悪いと言ってしまったら、話し合いはできないよ。時間がかかって も、気になることは徹底的に話し合うのが一番いい方法だと思うな。 (15)はるか:お互いに自分のことだけではなくて、地区のほかの人たちにも負担をかけない ようにと考えるから、どうしても熱が入ってしまうのよ。でも、皆いろいろな意 見を持っていることは分かっているのだから、まずは、じっくりと相手の話を聞 いてあげましょう。 (16)海斗:ところで、地区ごとに交代で担当すると、本当に負担が不公平になるのかな。何 か別に良い方法はあるかな。 (17)はるか:自分たちの地区のことだけを考えようとするから、いい方法が見つからないん じゃないかしら。問題は、どうすれば皆にとって負担が公平になるかということ じゃなかったかしら。それなら、両方の地区の皆で一緒に毎週やればいいじゃな い。人数が多ければ、その分はやく掃除が済むわ。 (18)里美:毎週はやっぱり大変よ。地区ごとに掃除をすることにこだわらなくていいんじゃ ない。 (19)かえで:それがいいわ。二つの地区を合わせてグループを作ってはどうかしら。高学年 の子供と低学年の子供の割合が同じになるようにすれば、お互いの負担の偏りも 小さくなるし。 (20)大地:でも、グループの中に一生懸命やる人とそうでない人がいたら、結局負担は公平 にならないんじゃないかな。 (21)里美:誰が一生懸命やって、誰がやらないかなんて分からないんだから、人数と学年が できるだけ均等になるようにわけるしかないと思うわ。この方法が最も公平な方 法かどうか、誰かほかの人の意見を聞いてみたらどうかしら。この話し合いの後、 学校で先生に相談してみるのはどうかしら。 (22)海斗:それがいいね。先生に事情を話して意見を伺ってみよう。じゃあ、AとB一緒に してグループを作って交代で掃除をするようにしようか。これで決定かな。 (23)かえで:ちょっと待って。下の子たちの意見は聞かなくていいの。 (24)はるか:それに、今決めたことを何か紙にでも書いておかないと。このままじゃ夏休み が始まる頃には忘れてしまうわ。決まったことを皆で確認して、あとでそうじゃ なかったということが起きないようにしておくことが大切だわ。 (25)恭平:そうだね。それから、このことを中学生にも伝えてみようと思うんだ。中学生も 時々公園を使っているし。 (26)菜穂:そうね。それから大人たちにも伝えてみましょうよ。みんなの公園だから地区の 皆が協力すべきだわ。 (27)かえで:下の子たちがやりたくないって言ったらどうする。それから、大人に伝えた時 に、子供がそんなことをしなくてもよいと言われたらどうする。 (28)海斗:そうだね。下の子たちが反対したら、もう一度皆で集まって話し合おうか。もし、 63 それで皆の意見がまとまらなかったら、この地区の自治会の人に意見を聞いてみ よう。 (29)大地:やっぱり地区ごとにやった方がいいと思うな。地区に関係なくグループを作って やると、知らない子の面倒を見なくてはならなくなるから、やりたくないよ。そ うなるんだったら、ぼくはやらない。 (30)海斗:待ってよ。よく考えてくれよ。 (31)恭平:そうだよ。自分の意見が通らないからって、やらないというのは勝手過ぎるよ。 (32)海斗:もう時間がないから今日はここまでにしよう。取りあえず、今日話し合ったこと を、下の子たちや、中学生、そして、皆の親に伝えてみてください。 《留意点》 例えば、指導案の中に示されている「良い交渉をするための 7 つの指針」に合致す ると思われる児童の発言は、次の通りである。 指針 1. 人と問題を切り離す:(14)海斗 指針 2. 立場ではなく利害に焦点を合わせる:(17)はるか 指針 3. 互いに有利な選択肢を考え出す:(19)かえで 指針 4. 客観的な基準を強調する:(22)海斗 指針 5. 話し合いによる解決ができなかったときのための代替案を用意する :(28)海斗 指針 6. 約束したことを確認する方法を考える: (24)はるか 指針 7. 自分の主張を相手に伝えるためのよりよい方法を考える:(15)はるか 参考書 ①野村美明「ハーバード型交渉法再考」『国際公共政策研究』17(2) (2013 年)1~9 頁 (桑原敏典) 64 第8章 掃除当番を決めよう 1.学習の目標 係や当番を決める際、ジャンケンやリーダーの指名等によって決めてしまい、全員 が納得するように話し合いで決定することが少ない。本題材は、掃除当番を決める際 に、掃除をする意義に着目させ、掃除当番を決める方法をみんなで考え、話し合いで 決定する方法を学んでもらうことをねらいとしている。 ・掃除の意義や働くことの大切さを理解することができる。 ・友達のことを考えながら、みんなが納得する当番の決め方を理解する。 ・交渉の仕方を実際の当番決めで生かそうとする意欲を持つ。 2.評価のポイント 小学校では、掃除当番を決めることは毎学期、どの学年でも行われている。そのた めに、ほとんど時間をかけずに決められているのが現状である。しかし、毎年、どの 学校においても実施されているこの当番決めをとおして、掃除をする意味を考えさせ ることは極めて重要である。 ①「人と問題を切り離す」ことができたか。 問題を解決する際には、しばしば、その「問題」ではなく「人」が注目されるこ とがある。例えば、 「〇さんが好きだから一緒のメンバーになりたい。」 「〇さんは苦 手だ。」などである。しかし、話し合いで「問題」を解決する場合、 「人」ではなく 「問題」に集中しなければならない。この話し合いでは「問題」は掃除をすること の意義である。なぜ、掃除をするのかを考えながら、その方法を考えさせたい。 ②客観的基準を強調することができたか。 参加者が各々の主観的な利害に目が向いていては、話し合いで合意を得ることは 難しい。主観的な利害を超えた「客観的基準」を強調することで、話し合いをスム ーズに進めることができるであろう。 ③良い伝え方=コミュニケーションを確保することができたか。 話し合いにおいて、その前提となるのは、参加者と話し合いができる好ましい人 間関係を築くことである。そのためには、例えば、 「相手の話をよく聞く。 」や「決 65 定過程に参加者全員が加われるようにする。」等がある。望ましい集団活動をとおし て行われる特別活動においては、ここがポイントとなる。 3.学習の内容と方法 ねらいを達成するために、以下の条件を教員から出し、そのためにどのようにすれ ばよいかを話し合い、実際の「掃除当番決定」において実践できるようにする。 (1)学習の内容 <教員から出す条件> ①「ジャンケンやくじ引きでは決めないようにしよう。」 ②「ずっと同じことをするのではなく、役割を変えて、これまでやったことのない役 割をするようにしよう。 」 (2)学習の方法 階段掃除の当番を例にして考えさせる。 (2 週間交代の場合) ほうき 2 名 ・ 雑巾がけ 2 名 ・ 窓ふき 1 名 ・ ちりとり・ゴミ捨て 1名 上記の 2 つの条件に合うような決め方について、 子供たちに考えさせる。 「話し合い」 で決めるという事はすぐに出てくると思われるが、何をどのように話し合うかを具体 的に出させるようにする。 <子供の発言例> 1 やりたいものをそれぞれ出し合って決める ・人数が限られているので、同じことをやりたい人が多かった場合どうするの かを考えさせる。 (通常はじゃんけん等で行うが今回はそれができない) ・日によって交代する。 ・次に階段掃除が回ってきたときに、交代する。 ・その仕事が得意だと思われる方にする。 2 多数決で決める その際は「学級会」のルールである「なるべく多数決はせずに、総意で決める ようにする」を想起させ、みんなで決めることの大切さを確認する。 3 リーダーが決める 一人の人に責任を押し付けることにもなることに気付かせ、みんなで決めるこ との意義を考えさせる。 66 <「掃除の意義」 「紛争解決」を考えさせる> 「掃除の意義」 ・掃除をすることによって、快適な環境で学校生活を送ることができる。 ・ 「床を磨くことは心を磨く」と言われているように勤労の精神は、自分自身を高 めることができる。 「紛争解決」 ・公平性 ・能率 ・それぞれの役割を果たす人の気持ちが分かる 上記の意義を考えさせながら、教員の出した「客観的な基準」である 2 つの条件を 基に、よりよい方法を考えさせるようにする。 4.学習の計画 時数 主な学習活動・内容 第1時 教員が出した条件の意味を理解し、納得した形での掃除当番を決める (本時) 方法(ルール)を理解し、実践しようとする態度を育てる。 朝の会 本時で学習したことを実践する。(掃除当番を決める) 5.本時 (1)本時のねらい ・掃除の意義や働くことの大切さから、話し合いでみんなが納得する当番の決め方 を考えさせる。 ・交渉の仕方を実際の当番決めで生かそうとする態度を育てる。 67 (2)本時の展開 時間 主な学習活動・内容 導入 〇問題の把握 5分 1 指導上の留意点・配慮事項 みんなが納得できる掃除当番の決 め方を考えることを示す。 〇これまでの決め方から出た問題点を 出しながら、改善の必要性を示す。 ・いつも〇〇さんがほうきをとるの で、自分はその仕事ができない。 ・決まった役割をやらない子がいて困 る。 2 2 つの条件を示し、その条件を満た した決め方を考えることを伝える。 ①ジャンケンやくじ引きでは掃除当 番を決めない 〇もっときれいにするためには、掃除の 意味を考えて当番を決める必要があ ることを理解させる。 ②役割を変えて、これまでやったこと のない役割もできるようにする。 展開 30 分 1 じゃんけんやくじ引きではない良 い方法は何かを考える。 〇これまでの不満で多かったことを解 消する意味があることを理解させる。 〇「掃除をする意義」や「働くことの意 義」を確認する。 (1)みんなが納得する方法を考える 〇「やりたいものを出し合って決める」 という発言に対しては想定される問 題を指摘しその対応を考えさせる。 ・同じ役割希望が重なった場合 日によって交代する。 ・次に階段掃除が回ってきた時に 交代する。 ・その仕事が得意だと思われる方に する。 〇「多数決で決める」という発言には「学 級会」のルール「なるべく多数決はせ ずに、総意で決めるようにする」を想 起させる。 〇「リーダーが決める」という発言には 総意で決めることの意義を考えさせ る。 (2)決まった後に、自分の役割「ゴ ミ捨て」をやりたくないと言ってく 68 〇どのように説得するか、具体的な理由 を出させるようにする。 る子がいたらどうするか考える。 〇「自分の役割と交代させる」という意 見が出た場合に、1 対 1 で決めてよい かを問う。 ・みんなで決めたことなので、2 人だ けで決めるのはおかしい。みんなが納 得できる方法で交代する。 (3)役割を決める日に欠席者がいた らどうするかを考える。 〇自分が欠席した時に決まってしまっ たらどう思うかを考えさせ、その理由 も言わせるようにする。 2 役割をかえて色々な事ができるよ うにするための方法を考える。 〇役割を代えることの意義から考えさ せる。 ・様々な経験をする大切さ。 「人の気持ちが分かる」 「ひとり立ちして、生活する時に 役に立つ」 ・公平性 ・飽きずにできて効率がよい 終結 10 分 〇掃除当番を決める時に気を付ける これまで、出てきた意見を参考にし ことを自己決定する て、 「掃除の意義」 「紛争解決」2 つの視 ・不公平にならないようにする 点から、子供一人ひとりが、実際の当 「一人で同じことをやらずに、 順番にする」等 番決めの時に実行できるように具体的 に自己決定させる。 ・廊下をきれいにすることで、みん なやお客さんが気持ちよく歩け るようにすることが目的なので、 誰と一緒になりたい、誰と一緒に なりたくないなどという事は言 わないようにする。 69 6.この指導案作成の元となった学級の実態(エピソード) A さんのいる 6 年 1 組では、掃除当番を 1 班から 6 班の班ごとに分けて担当していま す。A さんが班長を務める 3 班は、この 2 週間、階段掃除が担当です。 3 班は、A さん、B くん、C さん、D くん、E さん、F くんの 6 人です。 今、3 班では、掃除の役割分担を決めようとしています。 A さんは、掃除の役割を決めるために、班のみんなを集めました。 まず、先生から言われた 2 つのお願いを伝えました。 次に、班の中で話し合って、階段掃除を次の係に分けることにしようことにしました。 ① ほうき係 :2 人 ② 雑巾がけ係 :2 人 ③ 窓ふき係 :1 人 ④ ゴミ捨て係 :1 人 <みんなの希望> A さんは、班のみんなから係の希望を聞いてみました。以下はその時のみんなの話で す。 A さん: 「前に階段掃除係をやったことがあって、ゴミ捨て場の場所や、ゴミ捨てのル ールは知っているよ。前に階段掃除係をやったときに、 『ゴミ捨て係』と『窓 ふき係』はやったことがあるよ。」 B くん: 「前に教室掃除をしていたときに、 『B くんって雑巾かけるのすごく上手だね。 』 って先生に褒められたことがあるよ。 『雑巾がけ係』はこのときにやったこと があるけど、これまで『ほうき係』、『窓ふき係』、『ゴミ捨て係』はやったこ とがないなぁ。 」 C さん: 「うちの家にはお庭があって、毎週土曜日にほうきで掃除をするお手伝いをし ているの。だから、ほうきを使うのは得意よ。そういえば、学校でも『ほう き係』が多いわ。 『雑巾がけ係』も『窓ふき係』も『ゴミ捨て係』もしたこと がないの。 」 D くん: 「窓ふき大好き。教室の掃除でも、いつも窓ふきをするんだ。いつもやってい るから自信があるよ。でも、ゴミ捨てはいやだ。やりたくない。だから今ま でも一度もやったことがないんだもん。うまくできるか自信がないよ・・。」 E さん:「私は C さんとは違って、なぜか『雑巾がけ係』が多いの。だから雑巾掃除 は慣れているよ。 『窓ふき係』『ゴミ捨て係』はこれまでしたことがないわ。」 F くん:「これまでは『ほうき係』が多かったなぁ。この 4 つの中でやったことがな いのは『雑巾がけ係』だな。大変そうなんだもん。 『雑巾がけ係』はやりたく ないなぁ。 」 70 話し合いの結果、次のような役割分担になりました。 ほうき係 :2 人 : C、 F 雑巾がけ係 :2 人 : B、 E 窓ふき係 :1 人 : D ゴミ捨て係 :1 人 : A しかしこの係分けについて、E さんが「私、 『雑巾がけ係』やりたくない。だって、 B くんと一度も話したことがないんだもん。なんだか不安・・。」と言っています。あ なたはどうしますか? 【児童の発言例】 ・当番は 2 週間、次は別の係になることができる。 ・B くんと E さん以上にこの役割をこなせる人はいないこと。 ・B くんと友達になれるチャンスであること。 ・階段をきれいにすることは、誰とやるかより大切なこと。 を理由にして説得する。 今度は D くんが『窓ふき係』をしたくないようです。そこで、あなたは自分の係と D くんの係を交換しようと思いました。もし、2 人の係を交換するならば、あなたと D くんと話し合って決めますか? それとも、みんなで話し合って決めますか? 【児童の発言例】 みんなで話し合って決める方がよい。話し合うときはみんながいることで、C さん、 D くん以外の人にも納得してもらいやすい。 (萩原 新) 71 第9章 件(くだん)の宣言 1.学習の目標 本題材は、児童一人ひとりが主権者となって意思表示をし、投票による合意形成を 体験させることで、民主的な意思決定をする際の話し合いの意義に気付かせることを ねらいとしている。 ・自分の考えを認識することができる。 ・他者の意見を聞くことができる。 ・自分の意見を表明することができる。 ・自分と違う意見を持つ他者の立場からも物事を考えることができる。 2.評価のポイント 複数の人が存在する社会において、それぞれが異なった考えを持つ中で、最終的に 一つの決定を下すことが政治である。政治というと難しく聞こえるかもしれないが、 実はこのような場面は学校の中や家庭、 友人間など、日常生活の中に無数に存在する。 本教材では、このような政治において民主的な意思決定をすることの意義と難しさを 子供に理解させることを目指している。 ・良い伝え方を工夫することができたか。 本教材においては、自分の立場を確認した上で、あえて別の立場に立って主張する という活動を行っている。自分の立場を理解し、主張する前提として、相手がどのよ うなことを考えているのかを精確に把握するのは大切である。 3.学習の内容と方法 ねらいを達成するために、グループ編成のルールに沿ったうえで、合意形成のため に話し合えるようにする。 72 (1)学習の内容 <グループ編成のルール> ・1 グループ 4 人以上 6 人以内 ・必ず偶数グループになるようにする。 ・賛成するグループ、反対するグループを同数にする。 (2)学習の方法 ご飯か、パンかというシンプルかつ子供の生活に密着した 2 つの選択肢を提示し、 話し合わせることで、政治における民主的な決定の方法の最たる基盤にある考え方を 子供に理解させることを目指す。この教材のカギとなるのは、ワークシートの「わた しがどう思っているかは置いておいて」というところである。すなわち、最初に自分 がご飯とパンのどちらを選択するか考えた後、それを置いておいて、他の立場に目を 向けさせるのである。 子供はしばしば、 「私は A がいい!」、「いや、僕は B だと思う!」、 「A はこんなに いいのよ!」、 「いや、B だって…。 」と、自分の立場に視点を置いたまま、堂々めぐり の話し合いをしてしまう。そこで、一度自分の立場から視線を外し、相手の立場に立 って見ることの大切さを考える必要がある。このような考え方の転換は、相手のこと を理解しようとする態度の育成にもつながる。 4.学習の計画 時数 第 1 時(本時) 主な学習活動・内容 グループで他者の意見を聞き、自分の意見を表明する。 5.本時 (1)本時のねらい ・民主的な意思決定のために話し合うことの大切さに気付かせる。 73 (2)本時の展開 時間 主な学習活動・内容 指導上の留意点・配慮事項 導入 〇ご飯とパンのどちらを選ぶか、自分 〇月桂樹をかぶり、古代ギリシャのポリ 8分 の意見をワークシートに記入する。 スの議長クレイステネスに扮する 〇「みなさんこんにちは。私は古代ギリ シャの『アテナイ』というポリスから 来た、クレイステネスと言います。私 はあることに悩んでいます。悩みに悩 んで、この 4 年 3 組ポリスのみなさん に意見を訊きたくて、2500 年前よりタ イムトリップしてきてしまいました」 〇「ポリスというのは、 『小さい国』のこ とで、この 4 年 3 組が、1 つの国になっ たと思ってください」 〇「おかずと一緒に毎日食べている『ご はん』とか『パン』を『主食』と言い ますが、クレイステネスは、今日お父 さんに、『もう、主食は、パンかごはん かどっちかしか食べちゃダメ!』と言 われました。もし一生、主食にどちら かしか食べられないとしたら、どっち を食べたらよいのでしょう。嗚呼、ほ かほかのごはんも捨てがたいけど、ジ ャムをぬったりバターをぬったり、サ ンドウィッチにしたりできるパンだっ て食べたい!どうしたらよいんだ!」 〇ワークシートを配付し、一番上のとこ ろに〇〇小学校 4 年 3 組ポリスと書か せ、友達と相談せず、自分の意見に〇 を付けさせる。選択肢は『ごはん』、 『パ ン』、『どちらともいえない』である。 書けたら、山折りのところを 2 回折っ て、見えないようにさせる。 展開 〇自分の意見からいったん離れ、カー 35 分 ドに書いてある意見を主張する。 〇1 班 1 枚カードを引きに来させる 〇「ワークシートの真ん中の二重四角の ところに、カードに書かれている、パ 74 ン、ごはんを書いてください。今から、 自分の意見は置いておいて、二重四角 に書いた考えの人になったつもりで意 見を言ってください」 (主発問) 「〇〇さんはどちら派ですか?その理 由も言ってみましょう。」(自分の意見 ではなく、カードに書いてある意見に ついて考えさせる。) 〇「グループで相談して意見を発表して ください。相談時間は 10 分です」 〇「プリントの一番下に、友達と相談せ ず、今のみなさんの本当の意見に〇を 付けてください。最初の意見と違って も構いません」 〇「切り取り線で切り取って、投票ボッ クスに投票しに来てください」 〇各班から代表者 1 名を出させ、票を数 えさせる。 〇「〇〇小学校 4 年 3 組ポリスでは、パ ンかごはんかどちらかしか食べられな いとしたら、***しか食べない(ど ちらともいえない)ということを宣言 します!拍手!ありがとうございまし た!すっきりしました。ギリシャに帰 ります」 終結 〇政治を行う上で、自分の考えをはっ 〇「こうしてみんなで話し合って投票で 2分 きりとさせ、その上で相手の立場に 決めることを『民主制』といいます。 立って物事を考えることの大切さ 大人になった時にはこうやって物事を に気付く。 決めていきます」 75 6.ワークシート わたしの本当の意見は です。 -----------------やまおり---------------------------------やまおり----------------- わたしがどう思っているかは置いておいて、 今日は 考えます。 ポリスの 派として意見を メモ -----------------やまおり----------------- 投票用紙 (ごはん・どちらともいえない・パン) (蓮行) 76 コラム 3:裁判における交渉 交渉の可能性が尽きたからこそ、その先に法的拘束力を伴う裁判がある、というの が裁判に対するよくある理解でしょう。この理解は間違いではありませんが、 「逆は必 ずしも真ならず」ともいいます。すなわち、裁判の段階に至ったからといって、交渉 可能性がもうない、ということにはならないのです。①裁判官という調整役たる第三 者が介入する可能性と、②最終的にはその裁判官による強制的な裁定がされる可能性 という 2 つの条件が付加された場に交渉のステージが変わるに過ぎません。また、こ の 2 つの付加条件を、交渉に対する制限とみるか、裁判という場や裁判官の存在がツ ールとして利用できるようになったとみるかも、それぞれの交渉者の認識の問題です。 しかしながら、この点に関して、逆も真である(裁判における交渉可能性はない) とする誤解は少なくありません。とにかく相手方をやり込めるだけやり込めなければ ならないと無批判に考えている裁判の当事者や、クライアントの言い分を、ほとんど そのまま書面に落として裁判所に出せばよいとか、少しでも可能性のある法的構成を 全部並べ立てるのが自分の仕事だと考えている代理人弁護士も少なくないのです。裁 判官にすら、判決を書かないということそれ自体に対する漠然とした罪悪感を持つ者 もいます。 裁判の目的は、公権力による紛争の解決です。それは、公権力の裏付けを利用した 紛争の解決の意であって、判決は公権力の裏付けの 1 つにすぎませんし、判決をすれ ば自動的に紛争が解決するわけでもありません。判決をするには、その紛争において 最も根幹となっている争点がどこにあるのかを、裁判の当事者双方及び裁判官の三者 間において共有する必要があります。その争点を探索する作業は、裁判の当事者双方 が向かい合う形で対立して行えるものではありません。裁判の当事者双方が共通して 抱えている問題を、裁判官を利用し、お互いに協力して解きほぐしていく作業です。 事実の有無や位置付け、その裏付けとなる証拠の有無やその価値を整理し、その紛争 において最も根幹となる争点、問題の焦点について共通認識を形成していきます。こ の作業は、それ自体が交渉の前提を提供するとともに、作業の結果(紛争の整理と争 点の共有)は交渉成立の可能性を相当高めるのが通常です。これらの状況を利用し、 または、これらの作業結果が明らかになる前の段階で、交渉を行い、合意形成による 紛争解決を図るのか、これらの状況を踏まえ判決を得た上で紛争解決を図るのかの選 77 択肢が、裁判の当事者には提供されています。 交渉は、意識して行わなければ行えないものではなく、日々の生活の中に不可避的 に組み込まれています。それは、裁判の場であっても変わりはありません。しかし、 意識して行うことによって、その結果も、そこに至るのに必要な時間的・経済的費用 も大きく変えることができます。裁判における交渉とは、こうした位置付けにあり、 それは他の場面における交渉のそれと何ら変わりはないのです。 (樋口正樹) 78 コラム 4:ルールを探そう ルールというものが生まれてくる社会的な背景や思潮が何なのか、その意味すると ころを探求することが、交渉原則でいう『客観的な基準を用いて交渉する』ために必 要かつ有用である。ルールの客観性・真実性は不断に吟味されなければ、ルールとし ての説得力を失う。ルールと称されるものの中味を吟味し、真にルールに値するもの だけを取り出そうと努力する視点で優先席ルールの変遷をみると興味深い。 1.阪急グループによる実験 阪急グループ(正しくは阪急阪神東宝グループ)の阪急電鉄および能勢電鉄・神戸 電鉄では、1999(平成 11)年 4 月 1 日より、それまで実施してきた優先座席を廃止し、 全車両の全座席が優先座席と同様に扱われるよう乗客のモラル向上を呼び掛けました (実質的には区分のみを廃し、全座席を優先座席化するものでした) 。これは、優先座 席を利用すべき対象者(高齢者・身体障害者・怪我人・妊婦・乳幼児連れなど)が事 業者により設定された場所に追いやられる形は好ましくなく、本当に必要な人が間近 の席でも利用できるようにとの考え方によるものでした。 2.優先席の歴史 シルバーシートが初めて我が国に登場したのは国電中央線で、1973(昭和 48)年 9 月 15 日(敬老の日)でした。この年は、総務庁が老人対策室を設置し、行政が高齢化 社会への取り組みを本格的に開始した時期でもありました。 名前の由来も意外です。後に JR 東海社長の任を務めた須田氏によれば、座席の色 から名がついたと言います。識別しやすいように座席の布地の色を変えようとしたの ですが、準備期間が短く、余っていた新幹線用の布地を使うことにしたのですが、そ の色がシルバーグレーだったからだと言います。 全国の私鉄が優先席を導入したのは、1975(昭和 50)年のことでした。運輸省通達 79 を受けたものです。通達は、 「身体障害者雇用促進法」施行規則の一部改正に伴うもの でした。要するに、身体障害者が通勤に電車を利用しやすいように、というのが狙い だったと言われています。 3.優先席を支える思想的基盤 シルバーシートを生み出した背景には、高齢者や障害者は一般社会とは隔離された ような施設で特別に面倒を見ればいいという、戦後繰り返してきた福祉の思想が見え 隠れしているという意見があります(出典は Wikipedia)。対象者への支援をシルバー シートで完結させてしまっており、対象者ではない人々の弱者に対する理解や思いや りの心を奪ってきた、という評価です。それは「障害者は社会に出てくるな、施設に 行けばいい」という古い考え方と同じ脈絡で、 「対象者は一般の座席ではなく、シルバ ーシートに行けばいい」といった風潮に表れるということになります。 4.阪急グループによる実験の失敗と優先席の存在意義 さて、1.で述べた阪急グループの実験はどうなったのでしょうか。2007(平成 19) 年に阪急電鉄の株主総会で「座席を譲ってもらえない」との意見が出ました。そのこ とをきっかけに再検討され、同年 10 月 29 日から再び優先座席の区分を用いる方針へ と転換したのです。この失敗の原因を探ると以下のようになります (この部分は私見 です)。 優先席であれば、身体の不自由な人は遠慮なく譲ってくれ、と言えます。普通の席 だとそれが言い出しにくいものがあります。また、若者の中には譲るのが恥ずかしい という風潮があります。思ってもなかなか行動に移せません。その点、優先席があれ ば譲りやすいのです。高齢化社会を受け、老人が増大するにつれ、保護対象者数が増 大します。保護対象者の中には若年者以上の健常者もいます。老人だから譲るという ことの意味が失われていきます。それが優先席の存在意義について疑問を生じさせた いちばんの原因です。しかし、老人以外の、身体障害者、妊婦、乳幼児連れ女性など、 外見からも保護の対象者であることが判る人達がいます。この人たちを優先させるこ とについて社会に異論は存在しないといってよいでしょう。優先席は「高齢者保護」 という縛りから解き放たれたことで、本来のルールとしての正当性を取得したといえ るのです。 (豊田愛祥) 80 高学年 本実践事例では、 交渉教育のおもに高学年用に設定した実践事例が提案されている。 設定学年については、高学年の子供同士の話し合いに適切な事例と考えるが、中に は経済交渉等の内容もあり、若干難しい話し合いの活動も示されている。そのため、 交渉の成功や失敗の経験から学ぶという側面から、適宜活用されることを望みたい。 学習目標としては、低学年でも示した通りである。すなわち理論編の第 2 章の「良 い話し合いの 7 つの指針」の獲得を目指すように設定しているため、これまでの各教 科等の指導の目標にそのまま教育課程上フィットするものではないが、いろいろな各 教科等の目標に転用できると想定してほしい。 たとえば、小学校の「特別活動」の目標「望ましい集団活動を通して、……集団と してのよりよい生活や人間関係を築こうとする自主的、実践的態度を育てるとともに、 自己の生き方についての考えを深め、自己を生かす能力を養う」や「総合的な学習の 時間」の目標「……、よりよく問題を解決する資質や能力を育成するとともに、……、 問題の解決や探究活動に主体的、創造的、協同的に取り組む態度を育て、自己の生き 方を考えることができるようにする」などには、直接関係する目標であろう。また社 会科や道徳での人々の間に生ずる紛争や問題の解決に資するものとして設定されてい る学習活動の目標にも、理論編で示した交渉教育の 7 つの指針は、実際の能力、態度、 技能等の育成の面で応用できるものである。このように適宜実践事例を利用して、幅 広い各教科等の指導に役立ててほしいと考える。 なおここでも「交渉のフロンティア」と題する「コラム」で、交渉教育のヒントと なる論点を示したのでぜひ活用してみてほしい。 ちなみに低中学年用と同じように、高学年の実践事例の多くは、低中学年でも活用 できるものでもあり、学年にこだわらず利用されることを望みたい。 81 第 10 章 こうへい君は本当に悪い? 1.学習の目標 ・学校内で起きた問題に対し、話し合いを通じて解決することができる。 ・問題を解決することを通して、交渉の考え方と技能を活用することができる。 2.評価のポイント なにか問題が生じたとき、それはしばしば問題の原因の全てが人にあるように思わ れてしまうことが日常生活・学校生活の中でもしばしば見受けられるだろう。しかし、 実際には問題の原因は人にあるのではなく、その人が置かれている状況が複雑であっ たり、与えられている仕事が多いがために一つ一つの仕事に充分に手が回らなかった り、といったこともありうる。そこで、本授業を通して、生き物係の仕事が上手くい かない原因は、係担当の児童ではなく、その他の要因にあることに気づかせたい。 ・ 「人と問題を切り離す」ことができたか 本授業の展開は、生き物係担当のこうへい君がしっかりと仕事をしていないのが悪 いとするクラスメイトの意見が多くある中で、本当にこうへい君一人の問題なのか、 生き物係の仕事内容は適切かといったことに焦点を当て議論を進めたい。まさに、児 童が人と問題を切り離し、決してこうへい君一人の責任ではないことに気づき、現状 を改善する代替案を、議論を通して考えさせたい。 3.学習内容と方法 (1)学習内容 問題の原因は、生き物係担当のこうへい君一人にあるのではなく、生き物係の仕事 内容、そして人数は適切かどうか、他の係と比較して生き物係の置かれている状況は 適切かどうかなど、人と問題を切り離すことで、問題の原因を突き止め、現状を改善 するための代替案を考えさせたい。そのために、ワークシートを用いて生き物係のこ 82 うへい君が置かれている状況、事実を丁寧に確認することを通して、生き物係の仕事 内容を一人でこなすことの限界に気づき、一方で他の係の仕事内容、人数は適切かど うか、見直しを図らせたい。そして、例えば他の係の人数を減らし、生き物係の人数 を増やすことであったり、他の係や日直と仕事内容を分担したりすることで、こうへ い君一人の仕事内容を減らすなどの代替案を提案させたい。 (2)学習の方法 本単元では「生き物係」を事例として設定する。 小学校において「係」の仕事は学級運営上必要不可欠な要素である。児童は係とい う役割を通して共同体に対する責任・協力性を学び、クラスに対する所属感を得て、 ひいては充実感や満足感を獲得する。しかしすべての集団と組織がそうであるように、 小学校の係の仕事においても同様にもめごとが起きないとは限らない。むしろ集団生 活を営む上で、係と関連したもめごとに対して積極的に解決していこうとする姿勢と 能力を養うことは、社会参加した際の大きな財産になるであろう。 今回の「事例」は、ウサギのピョンちゃんの世話(=揉め事)を通して、今後の「生 き物係」について児童たちに考えさせる場面(=交渉)を設定する。 ‹事例› さきこちゃんのクラスでは、ウサギのピョンちゃんを飼っています。ある日、さきこ ちゃんがウサギ小屋の前を通りかかると、ピョンちゃんが元気のない様子でぐったり してしまっていました。小屋の中を見ると、ゴミがたまっていて、あまりきちんと掃 除がされていないようです。さきこちゃんは、このままではピョンちゃんが死んでし まうのではないかと、とてもショックを受けました。その日の学級会で、さきこちゃ んは、生き物係をこうへい君から別の人に交代させることを提案しました。こうへい 君は、すっかり落ち込んでしまいましたが、やっぱり生き物係としてピョンちゃんの 世話は自分が続けたいと思っています。誰が生き物係をやるかについて、どのように 解決したらいいか考えてみましょう。 この事例を通して、児童は原則立脚型交渉で示される 7 要素を理解し、実際に使え るようになることをめざす。特にその中でも、「人と問題を切り離す」「双方にとって 有利な選択肢を考え出す」ことの二点に焦点を当てて本授業は展開したい。 児童はピョンちゃんの調子が悪くなってしまったことに対して、こうへい君個人を 敵視すると予想される。このままでは、こうへい君は交渉のステージに上がることが できない。だからまずは、「人と問題を切り離す」ように務める必要がある。「人と問 題を切り離す」ためには、こうへい君がなぜピョンちゃんの世話をしきれなくなって しまったのかについて、深くこうへい君の事情を理解する必要がある。こうへい君の 83 事情を深く聞くことによって、問題の事実関係が整理され、もめごとの焦点はこうへ い君本人から事実関係へとずれる。 (たとえばこうへい君の話を聞くうちに、生き物係 は他の仕事に比べると負担が 2 倍あることを児童は理解する。それにより、今回のも めごとは「こうへい君の不手際」から「生き物係の仕事量」へと移り、人と問題を切 り離すことができるようになる。) 人と問題を切り離すことに成功したら、次は問題を根本的に上手く解決するための 選択肢を生み出すことの重要性を理解させる。一見すると、 「こうへい君が生き物係を 続けるか」VS「別の人に生き物係を交代させるか」という 2 択に見える問題に対して、 別の方法として、生き物係の人数を増やす(あるいはウサギ係、カメ係、ハムスター 係の 3 つに分ける)という方法などが存在することを考えさせる。また、生き物係の 人数を増やす方法についても、どの係の子も今の係を続けたいと思っていることに十 分に配慮し、別の係から生き物係に「移動」させるのではなく、 「兼任」させる方法な どがあることを考えさせる。 4.学習の計画(3 時間扱い) 時数 主な学習活動・内容 第 1 時(本時) 「生き物係」問題をもとに、交渉をするために必要なことを学ぼう。 第2時 自分たちの係など、実際の身の周りの問題をもとに、立場を分けて、 第3時 実際に自分たちで交渉をしてみよう。 5.本時 (1)本時のねらい ・ 「生き物係」の事例を通して、自分の身の周りに起きる揉め事を交渉の手法を使って 解決することができる能力及び態度を養う。 ・交渉のために、 「人と問題を切り離す」見方・考え方を養う。 ・紛争解決のために、双方の利益となるような解決案を考える態度を養う。 84 (2)本時の展開 時間 主な学習活動・内容 指導上の留意点・配慮事項 導入 〇問題の把握 15 分 ・今日は、ある男の子が係の仕事をし ていたときに起きた問題を、見ても ・ワークシート 1「ピョンちゃん問題」 を配る。 ・本文及び 4 コマ漫画を読ませ、「もめ らいます。 ごと」を理解させる。 ・児童の意見を聞いてみる。 ・「この文と漫画を読んで、どんなこと を考えた?」 (予想される児童の反応) ・ウサギが可愛そう ・こうへい君が悪い 展開 〇原因の追究 15 分 ・ピョンちゃんの世話をしなかったこ ・ワークシート 2「こうへい君は本当に うへい君だけが悪いのでしょうか。 悪いの?」を配る なぜこうへい君が世話をしなかっ ・主発問「なぜ、こうへい君は世話をサ たのか、真相をみんなで考えましょ ボってしまったのか」を板書する。ワ う。 ークシート 2 を参考にするよう注意 しながら、子供の意見を板書する。 (予想される児童の反応) ・ウサギとカメとハムスター、3 匹の世 話を 1 人でするのは大変だ。 ・こうへい君もやる気はあった。 ・まとめ どうやらこうへい君に問題があると いうより、生き物係の仕事に問題があ るかもしれません。このように揉め事 が起きたときは、単に悪い人を探すの ではなく、どうしてもめごとが起きた のか、深く追求するようにしましょ う。 (=人と問題を切り離す) 85 終結 〇問題の解決 15 分 ・「こうへい君が生き物係を続ける」、 ・主発問「みんなの願いを叶える答えを 「別の人に生き物係を交代させる」 以外の答えを考えてみましょう。 探してみよう」 ・ワークシート 3「みんなの要望」を配 る。 ・第 3 の新たな選択肢を考えるように強 制させてみる。 ・グループをつくり、みんなの意見を聞 きながら考えさせる。 ・まとめ こうへい君だけの、別の人だけの、願 いを叶えるのは簡単です。でも大事に してほしいことは、こうへい君も、別 の人も納得できる案を、考えることで す。 (ウィン・ウィン(win-win)を志向す る重要性を訴える) 6.この指導案作成の元となった学級の実態(エピソード) さきこちゃんのクラスでは、ウサギのピョンちゃんを飼っています。ピョンちゃん はとっても可愛いウサギで、みんなピョンちゃんのことが大好きです。ところが、あ る日、さきこちゃんがウサギ小屋の前を通りかかると、ピョンちゃんが元気のない様 子でぐったりしてしまっていました。小屋の中を見ると、ゴミがたまっていて、あま りきちんと掃除がされていないようです。さきこちゃんは、このままではピョンちゃ んが死んでしまうのではないかと、 とてもショックを受けました。 その日の学級会で、 さきこちゃんは、生き物係をこうへい君から別の人に交代させることを提案しました。 「こうへい君がピョンちゃんの世話をさぼっているから、ピョンちゃんが大変なこと になってしまったじゃないの!こうへい君は生き物係失格だと思うわ!こうへい君で はなくて、誰か、別の人を生き物係にしましょうよ。」 他のみんなも口々に、こうへい君を非難しました。こうへい君は、すっかり落ち込 んでしまいましたが、やっぱり生き物係としてピョンちゃんの世話は自分が続けたい と思っています。誰が生き物係をやるかについて、どのように解決したらいいか考え 86 てみましょう。 【ヒント情報】 (※指導者は、子供たちに質問をさせ、的確な質問がなされた場合にそれに回答する 形で、以下の情報を小出しにしながら議論を誘導する。) ・ 実は、こうへい君は、とても真面目で、生き物の世話をするのも大好きな子です。 ・ クラスの全員が何かの係を担当しています。 ・ 生き物係は、仕事が大変なので、あまり人気がありません。 ・ 生き物係は、ウサギ小屋のピョンちゃんと、教室内で飼っているカメとハムスタ ーの世話を担当する係です。生き物係は、こうへい君 1 人です。 ・ 今は、クラスの係の割り振りは次のようになっています。ミュージック係 4 人、 スポーツ係 4 人、イベント係 7 人、学級新聞係 4 人、配布係 7 人、掲示係 4 人、 黒板係 4 人、生き物係 1 人(こうへい君) ・ どの係の子も、今自分が担当している係を続けたいと思っています。 7.ワークシート ワークシート 1 87 ワークシート 2 ワークシート 3 (齋藤宙治) 88 第 11 章 みんなが納得できるものさしで議論しよう 1.学習の目標 ・誰もが納得する客観的な基準を使って議論することができる。 ・みんなが納得するような論拠を示すことができる。 2.評価のポイント ①教室のいろいろな場所の客観的なデータ、他の学校や企業の状況などの客観的基準 を集めようとしていたか。 ②集めてきた客観的な基準に基づいて議論をすることができたか。 3.学習の内容と方法 本学習で取り扱う「教室のエアコンの設定温度」は児童が関心をもっているテーマ である。特に夏や冬に行われる体育や休み時間の後は「エアコンをつけてほしい」 「エ アコンの設定温度を上げてほしい・下げてほしい」といった発言がでることが多い。 そうした声を取り上げて、教室全体で問題を共有することで、無理なく自然に交渉教 育を行うことができる。 (1)学習の内容 本学習は、もめごとが起きたときに、「暑い」「寒い」というような感覚的な言葉を 使うのではなく、誰もが納得する客観的な基準を使って議論すること、議論の際はみ んなが納得するような論拠を利用することを学習内容とする。ハーバード流交渉術で は「客観的基準を強調せよ」という法則に関連する。 具体的には、 「教室のエアコンの設定温度」を事例として設定する。寒暖計ができる 前は、人は個人的感覚で「暑い」 「寒い」を表現した。しかし、暑がりの人もいれば寒 がりの人もいる。そこで、温度計で温度を測ることによって客観的に議論ができるよ うになる。ある特定の温度が教室の温度設定として適切なものであるかどうかについ 89 ては、自分の主張を押しつけるだけではなく、自分の主張が正当であることの根拠を 示さなければならない。 温度を測る場所も客観性の一つの基準になりうる。温度を測る場所の数や位置も客 観性の一つの要素になる。どれだけ根拠を探し出してくることができるかで交渉の結 果が左右される。どれだけ説得力のある論拠をさがしだしてくるか、がこの問題の中 心である。 この事例を通して、ハーバード流交渉術で示される「客観的基準を強調せよ」とい う概念を理解し、実際に活用することができるようになることをめざす。 (2)学習の方法 学習の方法は、クラス全体での議論が軸となる。 具体的には、 「エアコンの設定温度」について児童に様々な意見を出させた後、以下 の①~⑨の視点を提示して議論させ、最終的には客観的データを集めることが大切だ という理解に導いていく。その際、客観的データが不足している状況で、感覚的に教 室内温度差を議論しても意味がないことに気付かせる。一度、クラス全員が温度計を もってきて、各自の席の机の上の温度を測ってみて、教室の温度分布表を作ってみて もよい。なお、文科省の学校環境衛生基準によると、望ましい教室の温度は「10~30 度」となっている。 ①多数決できめてはどうか。 ②寒けりゃ着込めば良い。暑い人はどうにもならないのだから、暑がり派を中心に決 めるべき。 ③いまだに冷房のない教室で勉強している小学生が圧倒的に多いのだから、冷房のあ る教室で勉強できるさやかちゃんや忠彦君は贅沢である。我慢すべき。 ④快適すぎる環境はよくない。そもそもエアコンなど贅沢品であるから、冷房が入っ ているだけで満足すべきである。冷房を最小限にすることがよい。だから、寒がり 派を基準として考えるべきである。 ⑤地球温暖化の問題や、電力不足の現状を考え、省エネ効果を考慮すべき。 ⑥温度調節器は、教室の一番温度の上がらないところに設置されているので、その場 所で 27℃でも、教室の平均気温は 2℃ほど高めになってしまうはずだ。 ⑦教室内にそんなに温度差はない筈だ。 ⑧窓ガラスは遮熱・断熱タイプのものだが、 教室の南側半分はかなり温度が上がるし、 逆に北半分はあまり上がらないのだから、寒がり派を南側に、暑がり派を北側に、 席替えをすればよい。 ⑨北半分でも南半分でも、温度は変わりはない。むしろ、冷気の吹き出し口に近いと ころだけ温度が低いのではないか。 90 4.学習の計画 時数 主な学習活動・内容 第1時 みんなが納得できる「エアコンの設定温度」についてクラス全体で議 (本時) 論し、みんなが納得するためには客観的基準が必要であることを理解 する。 第2時 教室の温度分布を調べたり、他の学校や企業の状況などを調べて客観 的な基準を集め、それをもとにみんなが納得できる「エアコンの設定 温度」の結論を出す。 5.本時 (1)本時のねらい ・議論などを通してみんなが納得できる基準を探すことができる。 ・紛争解決の方法として「客観的基準を使う」ことを理解することができる。 (2)本時の展開 時間 主な学習活動・内容 導入 〇問題の把握 10 分 ・エピソードを読む。 指導上の留意点・配慮事項 ・「エピソード」を読ませてもよいし、 実態に合わせて変更を加えてもよい。 展開① 25 分 〇問題の追究 ・主発問を受けて、どうすればどちら ・主発問「どうすれば、どちらも納得で も納得できる結論になるか考える。 「寒い人は着込めばよい」 きる結論を出すことができる?」を発 問し、児童の意見を板書する。 「我慢する」 ・教師から示された視点を吟味する。 ・児童の意見で下の視点がない場合は、 「多数決にするべき」 教師が提示する。 「電力不足だから省エネが必要」 ①多数決 ②寒い人は着込む。暑がり派 「席替えをすればよい」 を中心に決める ③我慢する ④冷房 はぜいたくなので、冷房を最小限にする ことがよい。だから、寒がり派を基準と して決める ⑤省エネ効果を考慮する 91 ⑥温度調節器は一番温度の上がらない 所に設置されているので、教室の平均気 温は 2 度ほど高めになる そんなに温度差はない ⑦教室内に ⑧窓ガラスは 遮熱・断熱だが、教室の南側半分は温度 が上がるし、北半分は上がらないから、 寒がり派を南側に、暑がり派を北側に、 席替えをする ⑨北半分でも南半分で も、温度に変わりはない。冷気の吹き出 し口に近いところだけ温度が低い 展開② 10 分 〇発想の転換 ・教師の説明を聞き、客観的な基準が ・問題の解決には、客観的な基準が必要 必要であることを理解する。 であることを説明する。 「みんなが納得できるエアコンの設定 温度を決めるためには、自分の思いだ けではなく、客観的なものさしが必要 になるよね」 ・客観的なデータ不足で議論しても問 題は解決しないことを理解する。 ・「実際に教室の温度はどうなっている んだろう?」「実際に測ってみること で客観的なものさしになるかもしれ ないね」 ・次回の授業では客観的な基準を探す ・次回の授業では、実際に教室の温度を ことを理解する。 測ったり、他の学校の実態を調べたり と、客観的な基準を探すことを予告し てオープンエンドで終わる。 6.この指導案作成の元となった学級の実態(エピソード) ・この学校の冷房時の標準設定温度は 25℃だが、省エネに協力するために 27℃に設定 温度を上げた。しかし、各教室で、児童がもっとも勉強しやすい温度に設定しても よいことになっている。 ・温度感知器の入った温度調節器は教室の北西の隅の床から 1.5 メーターのところに 設置してある。 92 ・窓ガラスは遮熱・断熱タイプのものである。 藤さやかちゃんは、小学校五年生です。すこし太めです。青井忠彦君と同級生です。 さやかちゃんと忠彦君が通っている小学校は私立の学校で、全教室に冷房機器が取り 付けられています。忠彦君はちょっとやせ気味です。教室は夏になると冷房が入りま すが、さやかちゃんは教室に冷房が入っても暑くてたまりません。逆に忠彦君は、教 室に冷房が入ると寒くてクシャミが出ます。できれば冷房はよほど暑い日に限って欲 しいと思っています。クラスメイトの中には、さやかちゃんと同じく冷房が入ってい ても暑いと思う人が数人と、忠彦君のように寒くなると感じている人が数人います。 冷房をもっと強めて欲しいとおもうさやかちゃんグループ(暑がり派)と冷房をもっ と弱めて欲しいと思うグループ(寒がり派)が、冷房の設定温度を巡って交渉するこ とになりました。 (柏木 昇) 93 第 12 章 みんなで仲よくバスケットゴールを使う方法を考えよう 1.学習の目標 初めて代表委員会に参加する児童は、みんなのために学校をよくしていこうとする 意欲にあふれている。しかし、経験が少ないために話し合いをする際の議題や決定の 仕方について理解が十分でない現状がある。本題材では、代表委員会の役割と、参加 する意義を知り、代表委員会等の児童会活動に自分から進んで関わり、問題を解決し ていこうとする実践的な態度を育てることを狙いとして設定した。 ・代表委員会の役割を知り、問題を解決する場であることを理解する。 ・問題を解決するためにルールをつくり、それに従うことで争いのない学校生活を 送ることができることを理解する。 ・ルールに不満がある場合にも、力ずくではなく話し合いでルールを変えていくこ とが必要であることを理解する。 2.評価のポイント 児童会活動のオリエンテーションともなる授業であるので、児童会の役割と代表委 員会の活動についての理解させる必要がある。その理解のために、事例を使ってその 必要性を認識させたい。 ・具体的事例から児童会の必要性とその役割を理解させる。 ・そこでどのように話し合えばよいかを事例を基に考え、児童会に参画しようとす る実践的な態度を育てる。 ・「双方にとって有利な選択肢」を考え出すことができる。 ・「良い伝え方(コミュニケーション)を工夫」する必要性を理解することができる。 3.学習の内容と方法 児童会の役割を理解し、よりよい学校生活を送るために代表委員会で諸問題を話し 合い、解決していくことができることを理解させたい。その際に、代表委員会でよく 94 話し合われる議題となっている「校庭の使い方」についての例を使って考えさせるよ うにする。その例をとおして、児童会の必要性とその役割を理解させ、4 年生として 代表委員会の活動にどのように参画することができるのかを具体的に示すようにする。 4.学習の計画 時数 主な学習活動・内容 第1時 「校庭の使い方」を例にして、児童会の必要性や役割を理解し、どの (本時) ように話し合って問題を解決しようとするのかを考える。 5.本時 (1)本時のねらい ・全校のみんながバスケットゴールを仲良く使う方法を考える。 ・問題を自分たちで解決しようとする態度を育てる。 (2)本時の展開 時間 導入 主な学習活動・内容 〇問題の把握 5分 展開 指導上の留意点・配慮事項 〇学年が違う子供たち同士のトラブル 「校庭の使い方」の事例を理解する。 1 30 分 この事例を基に、この問題を解決 するためにはどのようにしたらよ いかを話し合う。 であることに着目させる。 〇自分だけで解決するものではないこ とを理解させる。 〇「学級で困ったこと」について、話し <解決策を考える際の前提> 合いで解決するのが学級会。「学校で ・先生はアドバイスしたり、相談にの 困ったこと」について、話し合いで解 ったりはするが、子供たちの力で解 決するのが代表委員会であることを 決すること。 認識させる。 A 直接 5 年生に話をして解決する。 〇「客観的な基準(ルール)」を作る場 代表委員会で話し合ってもらい解 としての代表委員会の存在に気付か 決する。 せる。 B C 6 年生にお願いして解決してもら う。 95 2 自分たちが代表委員であったらど のようにして解決するかを考える。 A 低・中・高学年毎に校庭で遊ぶ範 囲を決める。 B 〇全員が代表委員になったつもりで考 えさせる。 〇4 年生にとっても、5 年生にとっても 良い解決方法を探るようにする。 低・中・高学年毎に校庭で遊ぶ曜 日を決める。 C 業間の休み時間を前半と後半に分 けて高学年・低学年毎に遊ぶ。 3 ルールに従わない 5 年生が出てき たらどうするのかを考える。 すことを認識させる。ここでは、自分 A ルールをまもらない 5 年生を説得 する。 B 〇あくまで話し合いによる解決を目指 たちだけでなく、教職員の存在も視野 に入れて考えさせるようにする。 代表委員会でもう一度話し合って もらう。 C 先生に言って、ルールをまもらな い 5 年生を指導してもらう。 終結 〇学校の問題を解決する代表委員会 〇ここで提案できない児童については、 10 分 と同じく学級の諸問題を解決する 問題が起きた時にどうするかという 「学級会」があることを認識し、今、 事を具体的に発表、もしくはワークシ 学級会、代表委員会で話し合ったほ ートに書かせるようにする。 うがよいと思われることを提案す る。 6.この指導案作成の元となった学級の実態(エピソード) <事例> [4 月]トモ君は、アルトコ市立アルトコ小学校の 4 年生。友達と遊ぶのが好き。 みんなが仲よくできることをいつも大事にしている。ある日、業間休みに校庭でバ スケットリングにボールを入れる遊びを友達と一緒にしていたところ、5 年生のグ ループがやってきて、「僕たちがバスケットボールの試合の練習をするから、4 年 生はそこを退け」と言ってすごんできた。5 年生は近隣の小学校とバスケットボー ルの試合をすることが決まっている。だから、どうしてもバスケットボールのコー トを練習のために使いたいと言う。だからといってトモ君たちも譲れない。友達と 昼休みを楽しく過ごすのはトモ君にとって最高に重要なこと。そしてバスケットボ 96 ールはみんなの共通の趣味。5 年生のグループの都合で遊べなくなるなんて考えら れない。4 年生はみんな「いやだ」と叫んだ。5 年生はだんだん業を煮やしはじめ、 力尽くでバスケットリングを使わせろとすごんできた。トモ君、どうする!!! ちなみに、アルトコ小学校は小さな小学校で校庭は狭く、バスケットボールのコー トは 1 面しかない。業間休みは 25 分。どうしたらいいだろう? [5 月]代表委員会がこの問題を取り上げ、休み時間にどのようにして校庭を使う かについてのルールをつくり、4 年生も 5 年生も仲よくバスケットボールのコート を使えるようになった。そうなってから 1 ヶ月。5 年生のグループは他の小学校と の試合に勝ち、もっと練習をしたいというようになった。そこで 5 年生たちは、4 月に作ったルールを変えたいと言う。「4 年生はべつに他の小学校と試合なんかし ないんだから、業間休みは僕たちにコートを使わせろ」というのが 5 年生たちの要 求だ。5 年生のひとりは「使わせてくれないなら力ずくでも使わせてもらう」と言 う。トモ君たち 4 年生もだんだんバスケットボールが楽しくなり、ルール通りの使 い方でコートを使いたい。でも、5 年生たちの気持ちも分からなくはない。けれど も、このままでは 5 年生とあらそいになる。トモ君は友達とどうにかできないか話 し合った。そして 5 年生たちと向き合うことに。さあ、どうするトモ君。 (福井康太) 97 第 13 章 緑のカーテンプロジェクトを成功させよう! -水やりの回数はどうやって決めればいいのだろう?- 1.学習の目標 本題材は、緑のカーテンをはじめ、学級で何かをみんなで作るときに生じうるもめ ごとに対し、その解決を図るために重要になる能力の育成を目指すものである。 ・感情を根拠にした主観的基準よりも、事実を根拠にした客観的基準の方が、話し合 いの目的を達成するためには重要であるということに気付くことができる。 ・伝え方を工夫することで話し合いは解決に近づくことを理解できる。 2.評価のポイント ① 「客観的基準を強調する」ことができたか。 何かを決めるとき、それぞれの感情による主観的基準をもとにしていては、話し合 いが進まない。誰が聞いても納得する客観的基準を用いることにより、話し合いが解 決に近づくことを理解する。 ② 「良い伝え方を工夫する」ことができたか。 たとえ客観的基準を用い、相手を説得することのできるような流れにしても、伝え 方が悪ければ話し合いがうまくいくはずがない。例えば否定ではなく問い掛けを用い るなど、伝え方を工夫することは、話し合いをする上で重要になってくる。 3.学習内容と方法 (1)学習内容 本教材は、原則立脚型交渉術の 7 つの要素のうち、特に「客観的基準を強調する」 ことの重要性を伝えることを目的としたものである。意見の対立が生じた時、児童は しばしば感情を根拠にした主観的基準を用いて議論を進めようとする。しかし、感情 は人それぞれ異なる。主観的基準を用いていたのでは話し合いは解決しないどころか、 98 ヒートアップして相手をいたずらに傷つけてしまうことすらある。そこで、争いを解 決するにあたっては過去の成功例や専門家の意見、裏付けのあるデータなどを根拠に した客観的基準を適切に用いる必要がある。特に、自己中心的な視点から脱皮し、他 者を思いやる気持ちを獲得するよう成長していく小学校高学年の児童に対し、客観的 基準の重要性に気付かせることには大きな意義があるだろう。 また、自分の考え方を押し通そうとすると、子供はしばしば断定的、否定的な伝え 方をしてしまうことがある。 しかし、 このような伝え方は相手の反抗を招いてしまい、 ウィン・ウィン(win-win)の実現を難しくしてしまう。相手の意見を尊重する、問い 掛けを活用するなど、伝え方を工夫することで、話し合いは解決に近づくということ も理解させたい。もちろん、いずれの話し合いにおいても「良い伝え方を確保する」 ことは重要である。だが、特に「主観と客観」がテーマになっている本教材は「良い 伝え方を確保する」ことの重要性を伝えやすいのでは、と考えられる。 (2)学習の方法 本教材では、客観的基準の重要性について児童に考えさせるために、 「朝顔の世話に 関する意見の対立」という状況を設定した。多くの小学校では、低学年の生活科にお いて朝顔の世話を児童に体験させている。主観的基準と客観的基準を比較する際には 特に児童が事例に対して感情移入することが重要であると考えたため、児童に近しい 事例を設定した。 具体的には、朝顔に週何回水をやればいいのかという話し合いの場を想定し、異な った基準に基づく意見をいくつか登場させる。「可哀想だから」「面倒だから」という 感情を基準にしているもの、 「家が花屋だから~だと思う」という一見もっともに見え るけど裏付けがないもの、そして過去の成功例という事実を基準にしているものなど、 バリエーションを用意し、何を基準にした意見を用いればいいのかを児童に考えさせ るのである。このような意見の対立は実際の学校生活の中で多かれ少なかれ生じるも のである。その際に、話し合いの目的がどこにあるのかを見据え、その目的を達成す るために必要な客観的基準を用いることができるようになることを目指す。ちなみに、 今回の事例でいう話し合いの目的とは、相手を言い負かすことではなく、緑のカーテ ンを成功させることにある。 なお、小学校に在籍する児童に対して、 「客観的基準」という難しい言葉をそのまま 用いることは好ましくない。他の言葉に置き換えるとニュアンスは多少変わってしま うかもしれないが、 「話し合いの目的をかなえるための基準」 「みんなが納得する理由」 、 などと言い換える必要がある。 また、この事例を通して「良い伝え方を確保する」ことの重要性も理解させたい。 この要素は多分に感じ方、主観に拠っているため、 「良い伝え方」と「悪い伝え方」を それぞれ児童と一緒に実演し、その感じ方の差を実際に体験させるのがよいだろう。 99 4.学習の計画(1 時間扱い) 時数 主な学習活動・内容 第 1 時(本時) ・主観的基準と客観的基準の違いについて、実際に体験しながら学ぶ。 ・伝え方を工夫することの必要性を考える。 5.本時 (1)本時のねらい ・感情を根拠にした主観的基準よりも、事実を根拠にした客観的基準の方が、交渉の 目的を達成するためには重要である、ということに気付くことができる。 ・断定的、否定的な伝え方よりも、問い掛けを用いた伝え方の方が効果的であること に気付くことができる。 (2)本時の展開 時間 導入 15 分 主な学習活動・内容 指導上の留意点・配慮事項 〇プリントの事例を読み合わせ、どの 〇黒板に緑のカーテンの写真を貼り、簡 ような問題が起こっているのかを 単に説明をする。 理解する。 〇「今日はある学校で行われた、緑のカ ーテンを作るための学級会のようす を見てみましょう。」といい、プリン トを配付する。黒板に議題を書き、学 級会のような雰囲気にする。 〇ランダムに指名した児童数名に、プリ ントに書かれている事例を音読させ る。その際、実際に自分の学級で問題 が起こっていると仮定して演じるよ う指示する。 〇あらかじめ作成しておいた B~E の水 やり回数吹き出しを黒板に貼り、意見 の相違を可視化する。 100 展開 〇主発問を受け、B~E の意見が何を 〇(主発問) 「A 君は、B 君、C さん、 25 分 基準にして出されたものなのかと D 君、E 君の意見のうち、どれを採用 いう点に注目する。 したらいいのだろうか?」 〇前提として、B~E の伝え方に問題 があることに気付く。 〇「なぜ話し合いはうまくいかなくなっ てしまったのだろう?伝え方に問題 「相手の話しを聞かず、自分が正しい と言い張っている。相手を否定して はあったかな?」と問い、B~E の伝 え方の問題に着目させる。 いるから雰囲気が悪くなる。」 〇2 種類の伝え方から受ける印象の違 〇否定的な伝え方ではない「良い伝え い に つ い て教 師 と一 緒に 体 験 し 、 方」の例として、問い掛けを挙げる。 「良い伝え方」を確保することの重 教師(T)が否定的な話し方と問い掛 要性に気付く。 けを活用した話し方を児童(S)と一 緒に実演してみせ、それぞれの違いに 気付かせる。 (否定的な伝え方) T: 「 (児童に対して)あなたは、週何回 水をあげれば朝顔がちゃんと咲くと 思う?」 S: 「〇〇回かな?」 T:「いや、それは違うよ!あなたは間 違っている。」 このような否定的な話し方だと、話し合 いが終わってしまうことを説明する。 (問い掛けを用いた伝え方) T: 「 (児童に対して)あなたは、週何回 水をあげれば朝顔がちゃんと咲くと 思う?」 S: 「〇〇回かな?」 T:「なんでそう思ったの?」 S: 「〇〇だから。」 T:「なるほどね。でも、それだと〇〇 じゃないかな?…」 問い掛けを用いた伝え方により分かり 101 合うことができる可能性もあるし、仮 に相手の考え方に反論するとしても、 感情的な対立は避けられることを説 明する。 〇B~E の意見の基準がそれぞれ異な っていることに気付く。 〇あらかじめ作成しておいた B~E の理 由吹き出しカードを、ひとつずつ黒板 に貼る。ランダムに指名した児童に理 由吹き出しカードの文章を音読させ る。 〇誰の意見を採用すべきか、考えたこ 〇児童数名に考えたことを発表させる。 とを発表する。 児童の意見は板書し、ある程度出揃っ 「C さん、D 君の意見では、緑のカー たら B~E の誰の意見を採用すべきと テンは成功しない。 」 考えたのか、クラス全体に挙手を求 「B 君は花屋だから正しいことを言っ め、それぞれ数える。 ていると思う。 」 「B 君は花屋だけど、あいまいで根拠 がない。 」 「E 君の方法で毎年成功しているのだ から、E 君のやり方がいい。」 〇E 君の意見が採用された理由につい 〇「なぜ E 君の意見を選んだのか?」 て考える。 と問い、客観的基準を強調するという 「他の人の意見に比べて、緑のカーテ 考え方に気付かせる。なお、客観的基 ンを成功させるという目的を達成で 準という難解な言葉は用いず、 「話し きそうだから。 」 合いの目的をかなえるための基準」、 「感情ではなく、過去に成功している 「みんなが納得する理由」などに置き という事実を根拠にしているから。 」 換える。 終結 〇話し合いの目的を確認したうえで、 〇話し合いの目的を達成するには、客観 5分 それを達成するためには客観的基準 的基準を用いること、良い伝え方を確保 を強調することが有用であることに することが重要だということをまとめ 気付く。また、良い伝え方を今後の学 る。実際に最近生じた学級内でのもめご 校生活の中で実践するよう意識する。 とと関連付けることができればなおよ いだろう。 102 6.この指導案の元となった学級の実態(エピソード) ①5 月の連休明けの金曜日、5 年 2 組ではみんなで朝顔の種をまきました。今年は暑く なるというので、朝顔でうさぎ小屋の「緑のカーテン」を作ろうということになった のです。今年から上級生になったので、種まきから枯れた後の片付けまで、先生に教 えてもらわずに自分たちだけでやってみよう、ということになりました。先生も大賛 成で見守ってくれています。 さて、種まきが終わった次の月曜日、朝顔の世話について話し合うための学級会が さっそく開かれました。司会は学級委員の A くんです。 A くん「今日は朝顔にどれくらい水をやればいいのか決めましょう!意見がある人は いますか?」 A くんがクラスに質問したところ、次々と意見が返ってきました。 B くん「俺は、週に 2 回でいいと思うな。 」 C さん「私は毎日水をあげなきゃいけないと思う。もちろん、土日も学校に来るのよ!」 D くん「水をわざわざあげなくても、放っておけばいいんじゃないかな。 」 E くん「僕は、週に 5 回あげる必要があると思うよ。」 B くん「おい、俺の家は花屋だぞ。みんなが間違っていて、俺の言っていることが正 しいに決まってるじゃん。週 2 回でいいんだってば!」 C さん「ちょっと B 君、それじゃ朝顔がかわいそうじゃない。なんでそんなひどいこ というの!?最低!」 D くん「もう面倒だし、あげなくていいじゃん!」 E くん「みんな、僕の話を聞いてよ。」 B くん「うるさい、俺が正しいに決まっているんだよ。」 色々な意見が出てきたため、話し合いはまとまらなくなってしまいました。 ②誰の意見を採用しようか迷った A くんは、みんなに理由を聞いてみることにしまし た。 B くん「俺んち花屋だし、花のことは俺が一番知ってるから、俺の言うとおりやれば 間違いない!ちゃんと見たことはないけど、うちは多分週に 2 回くらいしか水 あげていないよ。 」 C さん「昔水やりをさぼって朝顔を枯らしちゃったことがあって、すごく悲しかった の。だから、今度は枯らさないために毎日あげたい!」 D くん「自然に朝顔は咲くんだから、自然のままにしておけば間違いないと思うよ。 みんな上級生になったから忙しいし、何より面倒だし!」 103 E くん「僕は栽培委員をやっているんだけど、栽培委員は毎年朝顔で緑のカーテンを 作っているんだ。記録を見たら、週 5 回水をあげれば成功するって書いてあっ たよ。 」 104 7.ワークシート 5 月の連休明けの金曜日、5 年 2 組ではみんなで朝顔の種をまきました。今 年は暑くなるので、朝顔でうさぎ小屋の「緑のカーテン」を作ろうということ になったのです。今年から上級生になったので、種まきから枯れた後の片付け まで、先生に教えてもらわずに自分たちだけでやってみよう、ということにな りました。先生も大賛成で見守ってくれています。 さて、種まきが終わった次の月曜日、朝顔の世話について話し合うための学 級会がさっそく開かれました。司会は学級委員の A 君です。 A くん「今日は朝顔にどれくらい水をやればいいのか決めましょう!意見があ る人はいますか?」 A くんがクラスに質問したところ、次々と意見が返ってきました。 B くん「俺は、週に 2 回でいいと思うな。」 C さん「私は毎日水をあげなきゃいけないと思う。もちろん、土日も学校に来 るのよ!」 D くん「水をわざわざあげなくても、放っておけばいいんじゃないかな。」 E くん「僕は、週に 5 回あげる必要があると思うよ。」 B くん「おい、俺の家は花屋だぞ。俺の言っていることが正しいに決まってる じゃん。週 2 回でいいんだってば!」 C さん「ちょっと B 君、それじゃ朝顔がかわいそうじゃない。なんでそんなひ どいこというの!?最低!」 D くん「もう面倒だし、あげなくていいじゃん。」 E くん「みんな、僕の話を聞いてよ。」 B くん「うるさい、俺が正しいに決まっているんだよ!」 色々な意見が出てきたため、話し合いはまとまらなくなってしまいました。 どのようにしたら話し合いが進むのでしょうか。考えてみましょう。 105 8.板書について ・①緑のカーテンの写真、②B、C、D、E の画像とそれぞれの回数の吹き出し、③理 由の吹き出し 4 種類をあらかじめ用意する。 ・①を貼り、緑のカーテンについて説明をする。 ・ワークシートを読ませた後、②を順に貼り、意見の相違を確認する。 ・ 「意見を出した理由を聞いてみる」という児童の発言を得ることができた後、③を貼 り、理由を説明する。 (井上 修) 106 第 14 章 好きなもの嫌いなものゲーム 1.学習の目標 ・ゲームを通してコミュニケーションの技能を習得し、 それを活用することができる。 2.評価のポイント ①話し合いの際に推論をすることができたか。 ②話し合いの際に相手を理解しようとしていたか。 ③伝え方を工夫しているか。 3.学習の内容と方法 本学習で取り扱う 「コミュニケーションの仕方」 は児童にとって必須の能力である。 なかなかうまくコミュニケーションをとることができない児童が増えているため、 「お しゃべり」ではなく、相手に理解してもらうために話すことと相手のことを理解する ためによく聞くことをコミュニケーションの技能として身に付けることは非常に重要 である。 (1)学習の内容 本学習は、ゲームを通してヒューリスティックなどの推論とコミュニケーションの 技能を身に付け、多人数での話し合いや決定方式について理解することを学習内容と する。ハーバード流交渉術では「良いコミュニケーションを工夫せよ」という法則に 関連する。 以下、「ヒューリスティックス」と「多人数での話し合い」の 2 点について述べる。 第一に、ヒューリスティックスとは、ある問題に対して必ずしも正解するとは限ら ないが大概は正解するという直観的な思考方法である。これは、コンピュータのアル ゴリズムに対置されることが多い。ヒューリスティックスとアルゴリズムの具体例と 107 して「電話帳から親戚を探す」というものが有名である。 電話帳に住民すべての電話番号が載っている町があるとする。この町の住民の中に 必ず自分の親戚がいることが分かっている。その際、電話帳を見て自分と同じ姓の人 だけを選んで電話し、確認するのがヒューリスティックスである。これは結婚などで 姓が変わっている親戚を見落とす可能性があるが、手間や時間がアルゴリズムよりは かからない。アルゴリズムでは全ての電話番号に電話をかけ、一つずつ確認していく ことになる。これは時間や手間はかかるが、確実に親戚を見つけ出すことができる。 このようにヒューリスティックスとは経験に基づく直観的な思考方法を指す。もう一 つ例を挙げると、 「服装からその人の性格や職業を判断・推測する」というのもヒュー リスティックスである。 本学習では、ヒューリスティックスを使い、相手の「好きなもの」 「嫌いなもの」を 当てるゲームを行う。これを通して、相手の考えを推論するというコミュニケーショ ンの基本的な技能を身に付けさせていく。 第二に、多人数での話し合いとその決定方式であるが、話し合いと決定方法にはい くつかのやり方がある。例えば、相対過半数多数決方式(実際の投票者の単純多数で 決する)、絶対過半数多数決方式(投票権者全体の過半数で決する) 、特別多数決方式 (例えば、実際の投票者の 3 分の 2 以上の賛成で決する、など) 、全員一致方式、投票 によらず話し合いによるコンセンサス(合意) で決める方式、などである。本学習で は、みんなで話し合った結果、どのように物事を決定していくか考えさせていく。 (2)学習の方法 学習の方法は、5 人 1 組でのグループ活動が軸となる。具体的には、以下のような 手順で学習を進めていく。 ①グループになり、それぞれ「自分の好きな食べもの」 「嫌いな食べもの」を一つずつ 紙に書く。紙は裏返しておく。 ②1 番から 5 番までグループ内で自分の番号を決める。 ③1 番から順番に、残る 4 人から 1 人を指名して以下の質問をする。 「あなたは、〇〇 が好きですよね?」 「あなたは、××が嫌いですよね?」(〇〇・××は推量で入れる) 「あなたは、好きなものを食べさせてもらうためのどんなことをしていますか?」 「あなたは、嫌いなものを食べることができるようになるために、どんな努力をし ていますか?」 。 ④指名された人は、 「好き・嫌い」の質問をされたらウソを答えてよいが、紙に書いた 内容が当たっていたら正直に「参りました!」と言い紙を見せる。 「・・・どんなこ とをしていますか?」の質問をされたときは、紙に書いた内容を念頭に正直に答え るが、紙に書いた内容が分からないように工夫する。 ⑤1 番さんが終わったら、順次、次の順番の人がやる。 108 ⑥二順するまでに、 「参りました!」と二人目が言ったらそこでストップとなる。 ⑦「参りました!」の対象となった二つの好きな食べものないし嫌いな食べ物につい て、次のようにしてみんなで話し合う。好きな食べ物の場合はそれを「家や給食で 出して貰い、食べさせてもらうためにどんな工夫や理由づけが考えられるか」をみ んなで知恵を出し合い、嫌いな食べ物の場合はそれを「食べることができるように なるためには、どんな努力や工夫をしたらいいか」みんなで知恵を出し合う。 ⑧5 人組の中で、好きな食べ物ないし嫌いな食べ物についてのベストな知恵をひとつ 話し合いで決めて、みんなの前で発表する。発表者も話し合いで決める。どのよう に決めるかを決める。 4.学習の計画 時数 第1時 主な学習活動・内容 ゲームを通してコミュニケーションの技能を身に付ける。 (本時) 5.本時 (1)本時のねらい ・推論をすることができる。 ・多人数の話し合いと決定方式を理解することができる。 (2)本時の展開 時間 導入 主な学習活動・内容 指導上の留意点・配慮事項 ・5 人 1 組のグループを作る。 ・本日の学習内容を説明する。 ・各自、「自分の好きな食べもの」と ・紙は裏返して見えないようにさせる。 5分 展開① 20 分 「嫌いな食べもの」を一つずつ書 好きなものや嫌いなものでなくて適 く。 当な食べ物を書かせてもよい。 ・グループの中で 1~5 まで番号を付 ける。 109 ・教員が機械的に番号を割り振る。 ・1 番さんから順番に、残る 4 人から ・〇〇は、適当に、ないし推量で入れさ 1 人を指名して質問を 2 つする。 せる。××は、適当に、ないし推量で 質問の内容 入れさせる。 ①「あなたは、〇〇が好きですね?」 ・4 つの質問から 2 つを選ばせる。 ②「あなたは、××が嫌いですね?」 ・指名された人は①か②の質問が来たと ③「あなたは、好きなものを食べさ きは、ウソを答えてよいが紙に書いた せてもらうためのどんなことを 内容を当てられたら正直に「参りまし していますか?」 た!」と言って紙を見せる。③か④の ④「あなたは、嫌いなものを食べる 質問が来たときは、紙に書いた内容を ことができるようになるために、 念頭に正直に答えるが、紙に書いた内 どんな努力をしていますか?」 容が分からないように工夫して答え る。 ・1 番さんが終わったら、順次、次の ・ヒューリスティックスの考え方を教員 順番の人が行う。 が机間指導をしながら伝えていく。 ・2 順するまでに、 「参りました!」と ・2 順するまでに 2 人が「参りました!」 2 人目が言ったらそこでストップす にならなかった場合、それまでに「参 る。 りました!」を言った人がいれば、そ の人がもう一人を適当に指名してそ の人の嫌いな食べ物を見て、それを 「参りました!」の対象とする。 ・2 順するまでに誰も「参りました!」 にならなかった場合は、1 番さんの好 きな食べ物と 3 番さんの嫌いな食べ 物が「参りました!」の対象とする。 ・「参りました!」の対象となった 2 ・話し合いの際、相手に理解してもらう つの好きな食べものないし嫌いな ために、 「わかりやすい言葉で伝える」 食べ物について、「好きな食べ物を 「図を描いて伝える」といったことも 家や給食で出して貰い、食べさせて 有効であることを教員が伝える。 もらうためにどんな工夫や理由づ ・話し合いの際、相手のことを理解する けが考えられるか」「嫌いな食べも ために「よく聴く」ことも重要なコミ のを食べることができるようにな ュニケーションの要素であることを るためには、どんな努力や工夫をし 教員が伝える。 たらいいか」を話し合う。 110 展開② 20 分 ・5 人組の中で、好きな食べ物ないし 嫌いな食べ物についてのベストな ・発表者も話し合いで決めさせる。 ・どのように決めるかを決めさせる。 知恵をひとつ話し合いで決めて、み その際、過半数多数決方式、特別多数 んなの前で発表する。 決方式、全員一致方式、コンセンサス 方式といった選択肢があることを伝 える。 (太田勝造) 111 第 15 章 ウィン・ウィン(win-win)のために最善の代替案を考える ―交渉の強さを高め、解決へ導く手法― 1.学習の目標 ①問題を解決したいと考え、お互いが解決への多様な知恵を出し合うことの大切さ と強さの重要性を理解する。 ②交渉では意に沿った到達点で合意することが最善であるが、お互いが納得できる 合意ができないときには、解決の意思が強ければ、合意による解決に劣るが、少 なくとも一定程度納得しうる、合意の次善策としての代替案を見つけることが必 要であることを理解する。 ③最善の代替案(BATNA = Best Alternative To a Negotiated Agreement、BATNA バト ナ[交渉不調の際の最善の代替案] )とは、交渉がうまくいかなかったときに選択 する、合意に次ぐ最善の解決策であり、それを考えることが交渉では不可欠であ ることを理解する。 ④合意したいと強く考えるときには、あらかじめ代替となりうる多様な選択を探っ て、用意しておくことが良い準備であることを理解する。 ⑤それぞれが、上の①~④を理解したうえで、交渉相手の代替案等を予想しつつ、 ウィン・ウィン(win-win)を目指して、交渉するやり方の基礎を実際に摸擬的に 体験し、バトナという手法の有効性を確認する。 2.評価のポイント 〇「最善の代替案を用意する」ことができたか。 ウィン・ウィン(win-win)が実感できる合意による問題解決が、交渉に当たる当 事者同士では、最善の解決であろうが、解決を目指すためには、交渉が失敗したと きの代替案等をあらかじめ用意することで、合意の程度などの解決策の方向性を探 ることが必要である。 そのためこの学習では、合意を目指す意思の強さを確認しつつ、かりに合意がで きなかったときの最善の代替案を多様に探ることが話し合いの準備としてできてい 112 ることや、摸擬的な交渉の過程で、多様な角度から相手方の代替案を想定すること ができたり、自分の代替案の一部を適宜適切に持ち出したりして、交渉解決に導く ためのノウハウの基本があることを確認させることが必要となる。 そこで、ここではミニ交渉ケースをいくつか設定することで、バトナの考え方を いろいろ体験できるとともに、そのチェックをチェックリストによって随時できる ようになっているかが、学習の成否となる。 3.学習の内容と方法 (1)学習の内容 この学習では、本来合意による交渉の経験を理解することを目指すわけであるが、 合意条件等を探るためや、合意のため一定程度妥協することなどを考える上で、どこ までが譲れる範囲や程度なのかを交渉当事者があらかじめ検討しておかなければなら ない。そのためには、自分の譲歩の限界を知る上で必要となる「最善の代替案(BATNA = Best Alternative To a Negotiated Agreement、バトナ)」の意義やその考え方を理解する ことが基本となる。 一見すると、合意に代わる代替案を用意することは、交渉過程の準備においては余 計なことで、交渉とは異質の考えのように思われるかもしれない。しかし、実際は最 善の代替案を検討しておくことで、どこまで譲歩できるか、どこで交渉を打ち切って 決裂させるかの見通しがついてくる。 しかも、 最善の代替案が有利なものであるほど、 交渉の際に強気に出ることができるようになる。このように、交渉による合意に代わ るいろいろな対策案や選択肢を、事前に考えることが不可欠である。 こうした考え方は、経済取引活動での意思決定における費用・便益分析による事前 準備の手法とも類似するものである。バトナを事前に検討するというここに見られる 考え方は、合理的な意思決定ではもっとも基本的な要素である。 したがって、本章の内容は、児童・生徒たちが今後、人間として経済、社会、政治 の中で理性的に生きてゆく上での基礎となる考え方に通じるものである。言い換えれ ば、人としての生き方のコアとなるものである。合理的な交渉技法のひとつとして、 十分に理解させることが大切である。 (2)学習の方法 下記 6 を参照。同じ者の売買交渉を、 売り手と買い手の組合せを変えつつ繰り返す。 その際は、交渉ごとに秘密のカードを渡して、売り手と買い手のそれぞれのバトナを 変えることで、交渉のしやすさや合意内容が変わってくることを体感させる。それを 通じてバトナの意味、交渉におけるバトナの役割を実感させる。 113 4.学習の計画 時数 主な学習活動・内容 第1時 ・交渉がまとまらない経験を通し、あくまで交渉の一要素としてのバ (本時、2 時 トナ、つまり最善の代替案の交渉における意義を考えさせることがで 間続き) きる。 ・バトナを用意することにより交渉が有利になることを体感する。 5.本時 (1)本時のねらい ① 売買の値切り交渉をまずやってみて、交渉のマインドセットを理解する。 ② 当面の相手との交渉決裂の際に取りうる代替的な手段のあるなしの交渉を体験し て、交渉におけるバトナの役割を体感する。 ③ 異なるバトナの状況での交渉を体験して、バトナが自己に有利なほど交渉で強く 出られることを体感する。 ④ 相手のバトナがだいたいわかっている場合の交渉を体験して、相手のバトナを的 確に予想しつつ交渉することの重要性を体感する。 (2)本時の展開 時間 導入 主な学習活動・内容 1 10 分 指導上の留意点・配慮事項 話し合い、交渉は必ずしもうまく いくわけではないことを、自分の経 験も踏まえて考える。 〇最近話し合いがうまくいかなかった 経験がないか、児童に問う。 ・係決めがうまくいかなかった。僕は生 き物係がよかったのに、A 君も生き物 係をやりたいと思っていて、けんかに なってしまった。 ・サッカーのポジション決めがうまくい かなかった。 ・友達と何の映画を見るかで意見が分か れ、もめてしまった。 2 話し合いがうまくいかない時、次 〇バトナという言葉を紹介する。バトナ 善の案を心の中に用意することで の持つ多様かつ複雑な意味合いを言 話し合いがうまくいく、という考え 葉で説明するのは難しいので、実際に 114 方があることを知る。 ゲームをやりつつ児童に理解させる ようにする。 展開① 35 分 ゲームを通してバトナの持つ意味を体感しよう。 (1)対象物の公正価格を考え、メモ を取る。 〇「今から、バトナという考え方を知る ために、クラスのみんなでゲームをや ってみようと思います。 」 〇2 人組を作らせ、交渉の対象物を提 示、あるいは配布する。今回は例とし て、先生の腕時計を用いる。 〇「2 人組のうち、左側に座っている人 が売り手、右側に座っている人が買い 手です。今から、この時計を 2 人で売 り買いしてもらおうと思います。」 〇「まず、この時計の値段をそれぞれ考 えてみましょう。プリントの「公正な 価格の見積もり」と書いてあるところ に、売り手はいくらなら売るか、買い 手はいくらなら買うか、ということを 想像しながら、時計の値段を考えて書 いてみてください。 」 (2)事例①:バトナを用意しない交 渉 〇「それでは、それぞれが考えた値段を 念頭に置きながら、交渉してみましょ う。」といい、5 分程度で交渉をさせ る。 〇5 分後、プリントの「合意した売買価 格」 、 「合意した場合に掛かった時間」、 「交渉は難しかったか易しかったか」 に記入をさせる。 115 〇児童に事例①での感想を問う。 ・難しかった。まったく違った価格をイ メージしていたから、交渉がうまくい かなかった。 ・どうしたらいいのかよくわからなくな ってしまった。 (3)事例②:バトナを用意した上で 〇事例①で交渉が難しかったという経 臨む交渉――売り手と買い手のバ 験を踏まえ、バトナを用意した状態で トナが離れている 交渉を行うことの意味を体験させる。 〇「今度は秘密のカードをみなさんに配 ります。売り手は買い手に、買い手は 売り手にカードを見られないよう注 意して下さい。」といい、秘密のカー ド Part.1 を配布する。 〇秘密のカード Part.1 の情報を踏まえ つつ、改めて腕時計の売買交渉をさせ る。カードに書かれている情報を活用 するためには時間がかかるはずなの で、事例①よりも多めに交渉時間を取 る。困っている児童にはヒントを出 す。 例:売り手の場合「乙が 1100 円で買っ てくれるって言っているよ。だった ら、買い手にはもっと高い金額を出 してもらいたいよね。いくらだった ら買おうって思うかな?」 〇交渉の結果を事例①同様にプリント に記入させ、感想を問う。 ・さっきよりかは交渉がやりやすくなっ た。 ・あまりにも安い金額しか提示してこな いのなら、買い手から買わなくてもい 116 いやって思いながら交渉したら、さっ きよりも自信を持って話し合えた。 休憩 展開② 35 分 (4)事例③:バトナを用意した上で 臨む交渉――売り手と買い手のそ 〇「みんな交渉に慣れてきたね。今度は 秘密のカード Part.2 を配るよ。 」 れぞれのバトナが接近している 〇事例①、事例②と同様に交渉をさせ る。終わったらプリントに記入させ、 感想を問う。 ・事例②よりもさらにやりやすくなっ た。 ・選択肢も増えたし、売り手と買い手が 望んでいる価格が同じところにある ということに交渉を進めるうちに気 づくことができた。 (5)事例④:バトナを用意した上で 〇秘密のカード Part.3 を配布する。秘密 臨む交渉――相手のバトナのだい のカード Part.3 の意味を理解するた たいの様子が分かっている めの時間を確保する。難しそうであれ ば、ゲームに支障がない範囲で補足を する。 「今回は、相手が大体どのくらいの値段 にバトナを置いているかが分かって いるということだよ。」 〇事例①②③と同様に売買交渉をさせ る。終わったらプリントに記入させ、 感想を問う。 ・相手がどのくらいの値段でなければ OK してくれないのかが大体わかって いたからやりやすかった。 ・相手も自分のバトナが分かっているら しいから、心理戦になった。 ・自分のバトナをはっきり確認しておく ことで、ちゃんと交渉することができ た。 117 まとめ 10 分 1. ゲームから習得したバトナの考え 〇最初の「最近話し合いがうまくいかな 方を整理し、日常の話し合いに活 かったこと」に立ち返り、同じ児童に かす。 「バトナを勉強した今だったら、どう いう風に話し合いをすることができ たかな?」と聞いてみる。 ・生き物係じゃなくて、同じように生き 物に触れられるから理科係でもいい かな、あるいは係りじゃなくても生き 物係りを手伝えばいいかな、って思っ ていれば、意地になったりはしなかっ たかもしれない。 〇改めて、話し合いは必ずしもうまくい かないからこそ、自分の中に最善の代 替案=バトナ=次善の策を用意して おくことが重要なのだと伝え、授業を まとめる。 6.この指導案作成の元となった交渉事例 二人組(売り手と買い手)で 5 分以内で合意するように売買交渉をします。 売買交渉の対象物:先生の腕時計、パン、カードゲームのカード、キーホルダーなど 何でもよいので、先生が準備する。できれば、①児童が真剣に交渉したくなるような もの、②値段設定に幅が生じうるものを設定したい。準備した物のだいたいの相場に 合わせて、以下の秘密の事情の価格を修正して使う。 1. 売り手と買い手で、別々に、売買交渉の対象物の価格として幾らが公正か考えて メモします。 2. 事例①[たとえば、先生の腕時計と同じ物の新品] 上記 1.の公正価格を念頭において、売り手と買い手とで、いくらで売買するか交渉し ます。合意できたらその価格をメモし、合意できなかったら、自分の最後の提案価格 をメモします。 3. 事例②[事例①と同じ物、売り手と買い手の組合せを変える] 118 売り手と買い手に秘密の情報が与えられます(2.の公正価格は忘れて下さい) 。自分の 秘密の情報に基づいて、売買交渉をします。合意できたらその価格をメモし、合意で きなかったら、自分の最後の提案価格をメモします。 売り手の秘密の情報: 別の友達甲から 1000 円で買いたいと申し込まれました。 さらに別の友達乙からは 1100 円で買いたいと申し込まれました。 買い手の秘密の情報: 別の友達Xから 3500 円でなら売ってあげてもいいと言われました。 さらに別の友達Yからは 3400 円でなら売ってあげてもいいと言われました。 上記の秘密の情報を念頭において、売り手と買い手とで、いくらで売買するか交渉し ます。合意できたらその価格をメモし、合意できなかったら、自分の最後の提案価格 をメモします。 4. 事例③[事例②と同じもの。売り手と買い手の組合せをさらに変える。下記の 2200 円と 2300 円の間の合意可能範囲 100 円は、もっと狭めて 2240 円と 2260 円のよう にしたり、2250 円と 2250 円と同じにしたり、逆に 2300 円と 2200 円のように合意 できない交渉事例としてもよい。指導する教諭の裁量である。 ] 売り手と買い手に秘密の情報が与えられます(3.までの秘密情報や交渉は忘れて下さ い)。自分の秘密の情報に基づいて、売買交渉をします。合意できたらその価格をメモ し、合意できなかったら、自分の最後の提案価格をメモします。 売り手の秘密の情報: 別の友達甲から 2000 円で買いたいと申し込まれました。 さらに別の友達乙からは 2100 円で買いたいと申し込まれました。 また別の友達丙からは 2200 で買いたいと申し込まれました。 買い手の秘密の情報: 別の友達Xから 2500 円でなら売ってあげてもいいと言われました。 さらに別の友達Yからは 2400 円でなら売ってあげてもいいと言われました。 また別の友達Zからは 2300 円でなら売ってあげてもいいと言われました。 上記の秘密の情報を念頭において、売り手と買い手とで、いくらで売買するか交渉し ます。合意できたらその価格をメモし、合意できなかったら、自分の最後の提案価格 をメモします。 5. 事例④[事例③と同じ物。売り手と買い手の組合せをさらに変える] 売り手と買い手に秘密の情報が与えられます(4.までの秘密情報や交渉は忘れて下さ い)。自分の秘密の情報に基づいて、売買交渉をします。合意できたらその価格をメモ し、合意できなかったら、自分の最後の提案価格をメモします。 119 売り手の秘密の情報: 別の友達甲から 1000 円で買いたいと申し込まれました。 さらに別の友達乙からは 1100 円で買いたいと申し込まれました。 また別の友達丙から、相手の買い手には 3 千円より少し高い額でなら売って あげようという友達がいるらしいという噂を聞きました。 買い手の秘密の情報: 別の友達Xから 3500 円でなら売ってあげてもいいと言われました。 さらに別の友達Yからは 3400 円でなら売ってあげてもいいと言われました。 また別の友達Zから、相手の売り手には 1000 円前後でなら買って あげようという友達がいるらしいという噂を聞きました。 120 7.秘密のカード集、ワークプリント 秘密のカード Part.1 買い手 別の友達Xから 3500 円でなら売ってあげてもいいと言われました。 さらに別の友達Yからは 3400 円でなら売ってあげてもいいと言われました。 秘密のカード Part.2 買い手 別の友達Xから 2500 円でなら売ってあげてもいいと言われました。 さらに別の友達Yからは 2400 円でなら売ってあげてもいいと言われました。 また別の友達Zからは 2300 円でなら売ってあげてもいいと言われました。 秘密のカード Part.3 買い手 別の友達Xから 3500 円でなら売ってあげてもいいと言われました。 さらに別の友達Yからは 3400 円でなら売ってあげてもいいと言われました。 また別の友達Zから、相手の売り手には 1000 円前後でなら買ってあげようと いう友達がいるらしいという噂を聞きました。 121 秘密のカード Part.1 売り手 別の友達甲から 1000 円で買いたいと申し込まれました。 さらに別の友達乙からは 1100 円で買いたいと申し込まれました。 秘密のカード Part.2 売り手 別の友達甲から 2000 円で買いたいと申し込まれました。 さらに別の友達乙からは 2100 円で買いたいと申し込まれました。 また別の友達丙からは 2200 円で買いたいと申し込まれました。 秘密のカード Part.3 売り手 別の友達甲から 1000 円で買いたいと申し込まれました。 さらに別の友達乙からは 1100 円で買いたいと申し込まれました。 また別の友達丙から、相手の買い手には 3 千円より少し高い額でなら売って あげようという友達がいるらしいという噂を聞きました。 122 8.ワークシート 1.公正な価格の見積もり:________円 2.事例①:あなたの名前:________ 相手の名前:________ あなたの役割: ( ( )合意した )買い手 ( ( )売り手 )決裂した 合意したら売買価格:________円 合意した場合に掛かった時間:___分 交渉は難しかったか易しかったか? 1―――2―――3―――4―――5―――6―――7 非常に 簡単 簡単 やや どちら やや 簡単 とも 困難 困難 非常に 困難 いえない 3.事例②:あなたの名前:________ 相手の名前:________ あなたの役割: ( ( )合意した )買い手 ( ( )売り手 )決裂した 合意したら売買価格:________円 合意した場合に掛かった時間:___分 交渉は難しかったか易しかったか? 1―――2―――3―――4―――5―――6―――7 非常に 簡単 簡単 やや どちら やや 簡単 とも 困難 困難 非常に 困難 いえない 4.事例③:あなたの名前:________ 相手の名前:________ あなたの役割: ( ( )合意した )買い手 ( ( )売り手 )決裂した 合意したら売買価格:________円 合意した場合に掛かった時間:___分 交渉は難しかったか易しかったか? 1―――2―――3―――4―――5―――6―――7 非常に 簡単 簡単 やや どちら やや 簡単 とも 困難 いえない 123 困難 非常に 困難 5.事例④:あなたの名前:________ 相手の名前:________ あなたの役割: ( ( )合意した )買い手 ( ( )売り手 )決裂した 合意したら売買価格:________円 合意した場合に掛かった時間:___分 交渉は難しかったか易しかったか? 1―――2―――3―――4―――5―――6―――7 非常に 簡単 簡単 やや どちら やや 簡単 とも 困難 困難 非常に 困難 いえない (太田勝造・江口勇治・小泉育) 124 おわりに 長年、小・中・高等学校の社会科教育、とくに実際的な公民教育にかかわってきて、 気になっていたことがあった。その一つは、法に関連した内容・技能についての教育 が、思いのほか学校では学ばれていないことであった。これについては幸い法律専門 家の協力を得て、法教育というまとまりである程度の議論ができるようになったと思 う。 そしていま一つの気になっていたことは、現実的な紛争解決に広くかかわる内容と 技能のことである。実生活の上での人と人の関係において、利益・不利益、権利・責 任などの配分や、その過程での交渉・調停・裁判といったトラブルの解消・軽減など を理解することの教育が決定的に不足しているという思いであった。教育の多くは「公 共的な解決機関に相談しなさい」式の対応の必要性は示しても、自立・自律して紛争 の未然的な予防学習の在り方についてそれほど重視していないのではと感じている。 今回こうした個人的な疑問に応えるという意味もあって、 「交渉教育」と銘打って編 著者の野村美明教授、太田勝造教授、大澤恒夫弁護士らによって長年温めてこられた 内容・方法を、今村信哉校長や筑波大学教育研究科の修士論文で交渉教育を研究した 小貫篤教諭の尽力を得て、小学校の学習として整理してみたのが本書である。 民主主義とか、立憲主義とかといったある種堅苦しい内容の理念・原則を、それぞ れの当事者・関係者の目線から、実際的に展開した姿が、本書の教材やコラムにはし っかりと位置付けられている。いわゆる「交渉」 (ネゴシエーション)や「調停」(ミ ディエイション)は、人が人々の中で「より良く話し合って生きる」ことのために不 可欠な行為・活動であり、小学校といった時期から、みんなの中で、適切な教材とと もに学ばれる必要を強く主張したい。 その最初の手助けとなる本書が、ひろくかつ実際的に学校現場でつかわれることが、 我が国の市民の民主主義的な成熟に比例するものと思いたい。 ときに、今回の教材の整理では、執筆者一覧に示された法律実務のプロや研究者か ら提出いただいた教材を、小職の担当する授業を利用して、子供の目線や授業の実態 などにあわせて、整理させていただいた。その折、献身的に教材の改作等に協力して いただいた筑波大学修士課程教育研究科「社会科教育コース」の院生にはお礼申しあ げる。とくに編集協力の西尾冬馬、小泉育の両君には衷心より、感謝申し上げたい。 学校現場等で広く社会・地理歴史・公民の教育にかかわっていく諸君の、今後の活躍 をただただ願うばかりである。 2015 年 7 月 125 江口勇治 索 引 BATNA .................................................................................................... 14, 112 Boulwarism ...............................................................................................................6 アジェンダ・セッティング ......................................................................................8 アメリカの法教育カリキュラム ........................................................................... 30 アルゴリズム ...................................................................................... 107, 108 アンケート ........................................................................................................... 36 言い分 .................................................................................................................. 37 ウィン・ウィン(win-win) ........ 5, 7, 12, 47, 48, 50, 51, 52,112 ウィン・ルーズ(win-lose) ....................................................................... 50, 51 オプション ........................................................................................................... 12 オレンジ紛争 ............................................................................................. 47, 49 確約(コミットメント)の仕方を工夫する .................................................... 15, 28 語り掛け .............................................................................................................. 50 学級会 .................................................................................................................. 25 学級活動 .............................................................................................................. 25 過半数多数決方式 ............................................................................................ 111 関心・意欲・態度 ...................................................................................... 26, 57 機会の均等性 ...........................................................................................................8 技能...................................................................................................................... 26 客観的基準 ........................................................................................................... 13 客観的基準を強調する ........................................ 13, 16, 27, 65, 89, 98 教育課程 .............................................................................................................. 24 強迫..........................................................................................................................6 議論...................................................................................................................... 35 決定方法 .......................................................................................................... 108 件(くだん)の宣言.................................................................................................. 72 合意形成 .............................................................................................................. 52 交渉............................................................................................................ 10, 21 交渉による解決 ........................................................................................................3 公正...................................................................................................................... 13 公平............................................................................................................ 13, 57 公平性 ............................................................................................................... 5, 7 コミュニケーション ............................................................................................. 10 コミュニケーションの技能 .............................................................................. 109 126 コンセンサス ................................................................................................... 108 コンセンサス方式 ............................................................................................ 111 最善の代替案 ......................................................................... 112, 113, 114 最善の代替案を用意する ............................................................... 14, 28, 112 裁判...................................................................................................................... 77 裁判官 .................................................................................................................. 77 詐欺..........................................................................................................................6 錯誤..........................................................................................................................6 三方よし .............................................................................................................. 17 思考・判断・実践 ................................................................................................ 57 思考・判断・表現 ................................................................................................ 26 事実誤認 ..................................................................................................................6 次善の策 .......................................................................................................... 118 実践的な知恵 ....................................................................................................... 49 私的自治 .............................................................................................................. 34 児童会 .................................................................................................................. 23 小学校学習指導要領 ............................................................................................. 25 絶対過半数多数決方式 ..................................................................................... 108 全員一致方式 ...................................................................................... 108, 111 選択肢 .................................................................................................................. 12 相対過半数多数決方式 ..................................................................................... 108 双方にとって有利な選択肢を考え出す.......................... 12, 20, 27, 83, 94 代表委員会 ........................................................................................................... 24 対話促進 .............................................................................................................. 49 立場...................................................................................................................... 11 立場ではなく利害に焦点を合わせる ....................................... 11, 20, 27, 48 多人数での話し合い ......................................................................................... 108 知識・理解 ................................................................................................. 26, 57 中立的な第三者 ................................................................................................. 2, 4 調停...................................................................................................................... 52 調停者 .................................................................................................................. 52 手続的正義 ...............................................................................................................8 当事者 .................................................................................................................. 16 当事者主導 ........................................................................................................... 49 特別活動 .............................................................................................................. 24 特別多数決方式 ................................................................................... 108, 111 127 納得...................................................................................................................... 57 年間指導計画 ....................................................................................................... 23 呑むか、蹴るか ........................................................................................................6 バトナ .................................... 14, 112, 113, 114, 115, 116,117 話し合い .............................................................................................................. 10 話し合いの作法 ........................................................................................................6 パレート改善 ...........................................................................................................7 パレート最適 ...........................................................................................................7 人と問題を切り離す .................................. 11, 19, 24, 27, 65, 82, 83 ヒューリスティックス ........................................................... 107, 108, 110 費用・便益分析 ................................................................................................ 113 評価規準 .............................................................................................................. 57 ファシリテータ .................................................................................................... 52 不調時対策 ........................................................................................................... 14 振り返り .............................................................................................................. 38 ブレーンストーミング ......................................................................................... 12 法教育 .................................................................................................................. 24 法交渉学 ..................................................................................................................2 ボトムライン ............................................................................................. 14, 15 本当の結果 ...............................................................................................................4 ミディエイション ................................................................................................ 52 ミディエイター .................................................................................................... 52 民主制 .................................................................................................................. 75 民主的な意思決定 ...................................................................................... 72, 73 メタ話し合い ...........................................................................................................8 もめごと ..................................................................................................... 2, 4, 5 良い伝え方 ........................................................................................................... 65 良い伝え方(コミュニケーション)を工夫する........... 15, 23, 28, 94, 98, 107 良い話し合い ................................................................................. 2, 4, 6, 8, 9 利害............................................................................................................ 11, 32 両立性 ......................................................................................................................5 ルーズ・ルーズ(lose-lose) .........................................................................................7 ルール .............................................................................................. 58, 79, 94 ロールプレイ ....................................................................................................... 35 論拠...................................................................................................................... 13 128 『わたしたちの道徳』 ......................................................................................... 29 129 編者紹介 江口 勇治(えぐち ゆうじ) 筑波大学人間系教授。編著書; 『世界の法教育』(現代人文社, 2003 年)、 『中学校の法教育を 創る』(東洋館出版, 2008 年)、 『教職論』(培風館, 2010 年)等。委員;法務省法教育推進協議 会、関東弁護士連合会法教育研究センター嘱託研究員等。 野村 美明(のむら よしあき) 大阪大学大学院国際公共政策研究科教授。編著書; 『ケースで学ぶ国際私法』第 2 版(法律文 化社,2014 年)、交渉教育研究会『実演交渉 DVD 交渉は楽しい!』(商事法務,2011 年)。司 法試験考査委員(平成 21~26 年度)、法制審議会商法(運送・海商関係)部会委員、NPO 法 人 GLEA 代表。
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