2016 年・8 月号

二〇一六年八月一日発行(毎月一回一日発行) 第五十五巻第八号 (通巻六五四号)
2016 年・ 8 月号
川又幸子先生追悼号と遺歌集の刊行
〈 お知らせ 〉
十月号を「 川又幸子先生追悼号 」に予定
しています。八月十五日必着にて、会員の皆
様からの追悼文を受け付けます。電子メール
での投稿が可能な方は、なるべく御利用下さ
るようお願いします。
川又先生には、既刊の四歌集がございます
が、冬雷文庫 の『 歳月 』( 二〇〇九年一
月刊 )以後の作品もかなり溜まっているこ
とになります。平成十一年から十七年迄につ
いては、あらためて準備するには膨大な時間
が見込まれ諦めますが、冬雷がDTPデジタ
ル組版導入以後の十八年〜現在なら諦める程
じゃないので、保存管理するデジタルデータ
から川又先生作品を抽出して、遺歌集を編纂
刊行することに致します。
遺歌集出来を十月の大会の日に定め、大会
出席の方には直接にお渡し致します。川又先
生追悼の意味からも、一人でも多くの大会出
席を希望致します。 ( 冬雷短歌会 )
八月号 目次
/
表紙絵《浅間嶺》嶋田正之
題字 田口白汀 78 76 73 60 59 58 46 45 44 30 29 17 16 14 12 11 62 48 32 18 1
/ 作品欄写真 関口正道 /
冬雷集………………………………………山﨑英子他…
八月集……………………………………高松美智子他…
作品一………………………………………穂積千代他…
作品二………………………………………立谷正男他…
作品三………………………………………山本三男他…
今月の画像…………………………………………関口正道…
今月の三十首(大規模修繕)……………………西谷純子…
今月の三十首(今そしてあの頃)………………山本貞子…
六月号冬雷集評……………………………………中村哲也…
六月集評……………………………………………小林芳枝…
コラム「身体感覚を歌う」五……………………橘美千代…
六月号作品一評……………………冨田眞紀恵・嶋田正之…
歌誌「抜錨」を読む⑶……………………………中村哲也…
六月集十首選………………………………………赤羽佳年…
六月号作品二評………………………赤羽佳年・中村晴美…
詩歌の紹介㉙〈『故郷の道』より〉………………立谷正男…
六月号作品十首選………………………昌三・説子・克彦…
六月号作品三評……………………水谷慶一朗・関口正道…
暑中お見舞い申し上げます(維持会員)……………………
歌集 歌書御礼…………………………………(編集室)…
第 回 冬雷大会ご案内 ……………………………………
55
007
冬 雷 集
冬雷集
哀悼川又様 東京 山 﨑 英 子 別れとは突然襲ひくるものと電車に一人涙を流す
唯生きゐて欲しかつたと思ふのみ日々に増しくる思ひの強し
ベラフォンテ芝居絵画に旅行にと共に歩みし七十年よ
上野山花神の舞か花吹雪立ちつくしたり二人の思ひ出
年々の誕生日には赤飯を届ける慣ひももう二度とは来ない
諍ひは一度も無かりしと云ひ呉れて歌に残るを尊く思ふ
歌に生き歌友に囲まれ大山先生の弔辞を胸に永遠の旅立ち
秘めごとに似たる思ひの約束を守りしと告げ永遠の別れす
ポツカリと穴の空きたるこの虚ろいつの日埋まる埋まりゆくのか
逝きてより二十一日朝早く夢に来ませり満面の笑みに
川又先生逝く 東京 櫻 井 一 江
あんなにも嬉しさうにしこちら向く川又先生の遺影に救はる
カーネーションも百合もピンクの系列に先生の遺影を映えて囲みぬ
「凄いでしよ大山さんのこの企画は」嬉々と語りし先生のこゑ
『冬雷の一一三人』を手に先生は良き合同歌集と喜びにけり
木島茂夫先生を崇め冬雷を守り続けし川又幸子像
みなとみらい地区 汽車道 港1号橋梁
1
厳かに大山氏の弔辞ながれつつ柩の中へ入りてゆくなり
大山氏の弔辞に満足する如き満面笑みの先生の遺影
先生の柩に次々入れらるる別れ花放つ悲しき香り
冬雷に命燃やせし幸子よと彼の世に待つらむ茂夫師國男氏
申年に生れし先生申年の五月に逝きぬ享年九十五
(パソコン映像)
永訣 大阪 水 谷 慶一朗
文明に倣ひ百歳の歌を意識せし幸子先生の五年早き死
粗相なく過ごせる事を百歳の自信とせし人の脆し命は
冬雷を支へ貢献せしふたり國男幸子の矢継ぎ早の死
百歳まで生きつぐ自信を詠みゐたる幸子先生脆く完りぬ
花園にいます悦びさながらに祭壇の遺影は微笑みかくる
百歳の境地を悠々詠み遺しし文明の凄さあらためて識る
語尾あげて訛りある女のこゑ響き受話器にスマホの乗り換へを解く
喉ごしのよろしき饂飩を吞みものと讃岐の人は憚らず言ふ
バスタオルを腰に巻き付け湯上りに赤星仰ぎ躰を冷ます
床のべて寝ねつく前に赤星の煌めく孤独の光に見入る
緑豊けし 埼玉 嶋 田 正 之 背広の肩落ちて見ゆると背後から乾いた声に連れ合ひの言ふ
体重はここ数年の変はりなく六十二キロの前後を保つ
八十の声目前に迫り来て背丈もやはり縮みゆくべし
2
冬 雷 集
公園のベンチの堅さ身に凍みて臀部の肉の減少を知る
しばらくと誰にともなく呟きて春の妙義をじつくり仰ぐ
妙義町のあぜ道に見る山麓は吹く風を受け緑豊けし
紅葉の妙義描きしあの時とやや場所を換へ緑を見つむ
江東区枝川町の祭壇は慎ましやかに供花のにほふ
薄紅の花に囲まれ川又さん最期の顔は綺麗でしたよ
六月号に九首を載せて逝きませる欠詠はだめ見事成し遂ぐ 梅捥ぎ・出前歌会 東京 赤 羽 佳 年
梅の木に梅の実みのりたわわなり捥がれてかをる梅雨待つ畠に
梅の木の下に仰ぎて鈴なりを選び選びて捥げば重たし
梅捥ぎは下より仰ぎ捥ぐがよし小川照子さんの指示にうべなふ
稔田を想ひ立てれば早苗田の細き早苗に風吹くらしも
押しかけの歌会は野外のテントにて心地よきかな風吹きぬける
手作りの米粉団子や梅漬けに接待を受く小川家親子に 柊の古木は丸葉繁らせて鋸歯葉少なし雪にも耐へて
宅配に捥ぎたての梅託送し待つ身は楽し梅酒仕立てむ
さきたまの毛呂山に四季のめぐみ受け暮らせる人を羨しみ帰る
さきたまの中央の地に毛呂山は穏やかにして柚子を生らしむ
慈光寺 神奈川 桜 井 美保子
慈光寺の本堂前の多羅葉樹はがきの語源といはるる葉を持つ
3
千年を越ゆる樹齢の多羅葉樹これから先もこの地に在らむ
多羅葉の根元を覆ふドクダミの十字の花は勢ひ保つ
花の時季ひと月まへか緑濃き葉を繁らせて菁莪の群生
文明の墓を訪ねて慈光寺に友らと来りぬ風渡る日に
土屋家の手桶のあれど水道の止まりて水なく墓に参りぬ
花差しの枯れたる花はそのままに手を合はすなり文明の墓
墓を守るごとくに聳ゆる巨木あり歌碑近く立つ朴の木二本
朴の木の枯葉は土に還るのか乾き切りをり山の斜面に
接木されて比企の山に根を下ろす文明ゆかりの匂桜は
東京 森 藤 ふ み
山の木の伐られてぽつかり墓地のあり文明と数基の墓が建つ
朴の木のあかるき下に文明の歌碑のたちをり墓守るがに
慈光寺の昼をしらせる鐘の音強風にのりいづこにゆくや
多羅葉の枯れ葉ごそりと散りてゐる緑の葉裏に字を書きみたし
鳴きかはす鳥の姿を見ぬままに野あざみの咲く山道くだる
木々さやぐ庭にテント張り幼稚園の椅子が置かるる梅のかたへに
梅の木の葉裏にたてば日に透けてまるまる大粒青き実あまた
下枝垂る木の裏側にもぐりこみ熟する前の梅の実を捥ぐ
庭先のくれなゐふかく光る花きりて下さるを抱きて帰る
東京 白 川 道 子
4
冬 雷 集
地下鉄のシート今日より緑色けしき見えねど車内明るし
幸せを分けてあげると貰ひたるスズラン増ゆる庭のあちこち
しぶとさはどちらが勝ちかスズランとドクダミの根絡み合ひつつ
しぶとさを競ひながらもそれぞれに白く愛らしき小花を咲かす
挿し木して二十数年枝ひろげイロハモミジのさざめく若葉
かがまりて草引く母の後姿を想ひ出したり命日近し
柔らかき五月の光追ひかけてカーネーションの鉢を移動す
夜の庭に明かりの如しくれなゐの皐月こんもり咲き満ちるなり
福島 松 原 節 子
百合の時まだ来ず庭に車輪梅咲き盛る日に逝きたまひたり (川又幸子先生)
文鎮の真紅のコスモス賜りし日の遠く過ぎ先生は亡し
福島に高リコピンのトマトあれど今年は熊本産トマトを選ぶ
日曜の「やさいの時間」を見始めて母はメモとり楽しげにをり
鉢植ゑのトマトは井戸の屋根の下オクラの苗も取り寄すこととす
除染後に山砂入れられたる庭の茫々の草の中に立つ野蒜
庭の樹の葉の茂りきて家の中覗かれずなり外も見えない
暑がりと寒がりの二人住む家の炬燵を仕舞ふ時はかりをり
電子音小さく聞える何かまたわたしは忘れてゐるのだらうか
愛知 澤 木 洋 子 半夏生持ちくれし友の消息の絶えて久しも走り梅雨もよひ
5
『一握の砂』をしのばせ嫁入るとはにかむ友の何とかはゆし
臨月の子が待つからと会合のはねて帰りを急ぐ人をり
種を播き苗を育てて八ヶ月両手にずしり玉葱を撫づ
ぬるま湯に少し浸して播くがよしオクラの註を赤に記せり
ひと抱への十薬摘みて陰干しす茶のやう飲むが傍らにゐて
京の町百万遍の古書店を倦まず巡りきわが彷徨のころ
他府県のあまたパトカーと出くはしぬサミット終了湾岸道路ゆく
免許証更新に行く道すがら嬉しや栴檀の満開に遇ふ
東京 赤 間 洋 子
デザインを学ぶため通信教育申し込む二十四年前の退職直後
デザインの課題はどれも難解で卒業までに三年要す
卒業後仲間入りして二十一年グループ展にて作品発表
指導受けし教授の勧めで北海道九州韓国の展覧会にも参加す
鹿児島と盛岡展には夫と行き展示を頼みしことも懐かし
グループ展終はればすぐに来年を思ひてたちまち一年過ぎる
我が属すグループ展は二十五回今年最後と思へば淋し
布折りたたみ重ねて縫ふ時力なく時々ペンチで針を引き抜く
引越しで古きを捨てて新しく建てたる藍で色濃く染まる
体力は衰へたるもまだ続く他のグループ展でも藍染発表
茨城 佐 野 智恵子 6
冬 雷 集
中学の太鼓が響き腹の肉プルンプルンと揺るるをおぼゆ
五月にて急に木々の葉色も濃くこんもりとなす庭をせばめて
ベランダに鳩が番でやつて来る食べものなどは何もないのに
鳩の声好きでないのに声にして重たげな音うるさくなりぬ
医院にて背丈測れば十センチ低く書かれて気になりてをり
吾が前を烏が低く飛びて来るあとずさりして胸痛くなる
玄関に真赤なバラが置かれてた若き日の事思ひ出したり
姉達が罪深きなどと言ひてをり独り悩みし事など思ふ
長いこと気付かぬままに過ごし来て「小満の月」小さいと知る
姿なく囀りの良く聞いた鳥「いそひよどり」と教授より聞く
(五月二十一日)
富山 冨 田 眞紀恵 爽やかな五月の風はわが老いの齢をなでて過ぎてゆきたり
目指すものあるが如くに河の水とどまる事なく流れゆくなり
雨の日も晴れたる日にも庭石はただひたすらにわが位置まもる
春の陽はやはらかにして庭木々の新芽をやさしく光らせゐたり
亡き父母や幼き子等らに食さすと作りし粥を今はわが為に
この友と長く付き合ひゐしなれど知らざる事のいくつかあらむ
この日記あとどの位埋めらるる今日は三行書きて閉ぢたり
東京 池 亀 節 子 強風に倒れたる南天支柱にくくり剪定なして見映えよくなる
7
一つ枝に白紅まだら群れて咲く五月は花壇に今盛りなり
枯れたると思ひし木槿に点てんと青く芽吹きぬ柔やはとして
苦にならず料理しつつのストレッチ爪先立ちや背筋伸しを
事故あらば防犯カメラの録画をば見せてと言はるその装置なく
てかてかと葉叢夕陽に輝きてあたかも白き花かとまがふ
化野念仏寺&伊良湖崎 東京 天 野 克 彦
風葬の跡と伝ふるあだし野の朝まだはやき寺に佇む 気は澄みて無縁墓域の朝がすみたちまち消ゆる日の上りきて
かんばせ
)
あだし野の無縁八千体の石ぼとけペチャクチャ姦しわれを取り巻き 調はぬ石仏達の顔は千古を刻みあやめもわかぬ
ひざまづき十句観音経唱ふればもの哀しくて涙のこぼる
G
( 7開幕前夜
(鳥羽フェリー埠頭)
新緑の伊賀より伊勢へただ一路要人警護の人おびただし
しほなわ
わが子より若き警官笑顔にて車内検査をおづおづ頼む
波寄する渥美半島伊良湖崎巌をめぐりて潮沫たゆたふ
卯波立つここを恋路が浜といふ自生のはまゆふ群がりて咲く
岡山 三 木 一 徳 何想ひ何考へゐるか白鷺は一本足にて流れに立てり
高野山山麓に柿の葉ずし求めほほばりながらバス旅続く
夏近く八丁蜻蛉もう群れて今年はいつより多いとぞいふ
握りたる手に力なく旅立ちぬ義妹に手合はせ心経唱ふ
8
冬 雷 集
特撮のセットと見紛ふ熊本で佇む人の心境やいかに
原爆の廃止訴へオバマ氏は米大統領初の広島慰霊
ヘリの音仰ぎて見れば赤印見えたるものは消防のヘリ
栃木 兼 目 久 新しき画仙紙買へば試し書きしてみんものと筆を走らす
書をかくも格闘技の如きものなりと先輩かつて吾に話しき
文明先生の選になるとふ歌一首刻みたる碑が墓に立ちをり
夜十時こつんと突き上ぐる地震ありテレビをつけるも速報出でず
作りたる一日分だけ売り切れば即刻店を閉づ大福の老舗
ベニカナメモチ深紅の若葉萌え出でて春の到来を強く誇示せり
真ん中の若葉の芯がピンク色に可憐に染まり生ふるアカザは
弁護士の「違法性はない」の見解を引き出し居坐る舛添都知事
千葉 堀 口 寬 子 病持つ夫のそばに努力して明るく元気に生きてゆきたし
卯の花の咲く峠道今日は越え夫の病気の検査に行きぬ
一日に三つの検査をしつかりと受ける夫に今日はつき合ふ
もう少し手術する日を待ちませう夫の病気まだ大丈夫
この辺でお別れしますと言ふ様に百合の咲く日に百合子様逝く
甥からの知らせに急ぎ老人の施設に暮らす兄嫁見舞ふ
小学校教師でありし兄嫁は真面目にいつも暮らして居たり
9
さはやかに兄嫁の遺影笑みて居り別れの儀式静かに終る
東京 近 藤 未希子 コスモスは五月になりて花咲かす何か狂へる今年の気候
わが庭は花一杯となり花の下に細かき草の芽負けず伸びゐる
外に出てやらねばならぬ事多し見ないふりして家にこもりぬ
〆切を十日に決めて外に出で見れば新しき花の咲きたり
木の枝の間に伸びて空色の花開きをり造花のごとし
丸刈りの伽羅木の中抜き出でてほたるぶくろ三本花のふくらむ
去年移植の都忘れの花の色紫うすく濃く桃色と白
末の妹の好みし忘れな草去年植ゑたるが咲きはじめたり
花の色の紫の多いは太陽光と係りあるやと思ひゐるなり
鳳仙花今年びつしりと出でて居り茎の色は白多くして赤の少なし
神奈川 浦 山 きみ子
京城を離れて遠くなりにけり今は訪ふべき予定もあらず
京城に住みゐたる日々その土地の言葉まぜつつ買物したり
京城に住めば朝鮮語もまじり友らと遊びき日々の言葉に
漢江橋渡る電車にゆられつつ第二高女に通ひたる日々
東京で生まれ京城で育ちをり標準語のみ日本語として
田舎弁使へぬ主婦と標準語にて育ちし我と親しみあへり
引揚げて来し母の里の農協にわが勤めその主婦と知り合ふ
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夫も娘も揃ふ夕餉は週に二度おだやかに卓を囲む幸せ
午後三時やがて夕づく空の色見上げて夜の菜考へる
夫の寝息鎮もりて夜の静けさやおのづから目のふさがりて来つ
東京 小 林 芳 枝 女性のみ乗りゐる朝の一車両停車のときは少しよろけつ
早朝の東京駅南口出でて教へてもらふ迷はぬうちに
みつしりと小花のならぶ房垂れて藤のかをりの風とほりくる
パンフレットの迫力にとほく及ばねど白藤の下を端まであるく
ハンカチの木の高枝にしろく垂る苞葉にして花のごとしも
通した旧横浜駅と新港埠頭を結ぶ臨海
線があった。この廃線跡地が現在の汽
車道として散歩道になった。貨物支線
と し て 昭 和 六 十 一 年 ま で 現 役 だ っ た。
今は当時のアメリカ製、イギリス製の
「 ト ラ ス 橋 」 の 橋 梁 が、 歴 史 的 建 造 物
として保存されている。 (関口)
めづらしき苞葉にハンカチを想ふ人ありて命名す「ハンカチの木」と
古びたる幹より出でて絡み合ひ伸びたる蔓を棚は導く
方形に導かれたる藤蔓のした明るくて花はさざめく
伸びながら咲きゆく藤の房のさき緑の粒のちひさく詰まる
も無いから文字通り陸上交通は馬車が
活躍した。馬車道はその名残だ。JR
関内駅東口から港へ伸びる商店街通り
に名称が残る。汽車道はつい最近の公
募による命名である。JR桜木町を下
りると、そこは整備された「みなとみ
ら い 地 区 」。 じ じ つ 明 治 時 代 末 期 に 開
ひたちなか海浜公園の遊歩道行きつつおもふ友のいくたり
◇今月の画像
横浜に馬車道という地名があるのを
知っていた。だが「汽車道」は、最近
まで知らなかった。調べてみると両者
と も 行 政 区 分 と し て の 名 称 で は な い。
幕末から相当な期間、車はむろん鉄道
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大規模修繕 西谷 純子
三棟有る大規模修繕の始まりて資材次々運び込まれる
掲示板に修繕の予定表張られたるそれを読みつつ吾も行動す
ベランダのプランター、植木鉢諸諸の棄てがたきもの十五個残す
鉢運ぶ夫は階段十五回上り下りして脹脛揉みをり
足場組み行き交ふ作業員の太き声部屋内の吾は落着きのなく
怒鳴り声に何が有るのかと戸を開けて気を付けろよの声に安堵す
足場組まれメッシュシートを掛けられて視界悪くとも戸を締め切りぬ
洗濯物外には出せず窓際に干せば乾燥機は大いに役立つ
屋上のコンクリート剥がす音酷くテレビも聞けず買物に出る
カチャカチャと工具を付けて行き交ふ人等会へば挨拶す礼儀の正し
聞き慣れぬ会話は他国の人なるや人手不足となりたると聞く
中庭に鴬の声聞けなくて様子も変り鳥も寄り来ず
普段ゐる白黒三毛の猫達は姿も見せぬ何処にゐるらん
高圧水にて天井や壁は洗浄され長年の汚れ驚くばかり
今日も雨風の強き日も工事は中止天気予報に自づと目の向く
こんなにも工事は天気に左右され人手不足も遅れに繫がる
中庭にたんぽぽ十薬花をもち己が植木にも水遣りをする
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今月の 30 首
帰り支度終へたる若き作業員白のパンプスに襞のスカート
外壁を三回に分けて塗るといふ塗料の臭気は咽に痛し
戸を閉めて扇風機回し換気扇付け吾は度度嗽ひをする
ベランダの防水は三回も塗ると言ひ雨の降れば作業の遅れる
作業員さんに咽痛くないかと尋ねれば慣れてゐるからと笑顔に答ふ
夜の明けて鳥の囀る声のするシートに囲はれ姿の見えず
土砂降りのなか西側のネット外される六月十三日やつと外見ゆ
六月十五日足場を外す作業員の手際の良さをベランダに眺む
六月十六日西側の足場は片付きて樹木の緑の艶めきて見ゆ
ベランダに立ちて両の手大きく広げ深く深く深呼吸をする
太陽を受けて布団はふつくらと湿りの取れて軽くなりたり
歌会終へ富士を背に沈む太陽を師のベランダに友と眺める
ベランダに出でて久しぶりに月眺む二十日の満月楽しみに待つ
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今そしてあの頃 山本 貞子 運動より何より食事が大事だと知りて食物にこだはりて来ぬ
無農薬有機栽培の玄米を年間毎に予約してをり
秋田より送られて来る玄米は送料共五キロ三千五百四十円
玄米食が長生きするとは思はねど続けて早も五十年近し
圧力鍋の新しいのに未だ馴れず玄米炊く度こがしてしまふ
パンフレットに疑問もつ事多ければ無視して勝手にやる事にする
今迄通り玄米は五時間つけ置きて水も多めに炊けば上出来
隣家が豆腐屋なれば不揃ひの厚揚がんもはよくもらひたり
豆腐屋の子は医師に大学教授大豆のせゐかと人ら言ふなり
雲り日のマンションの外灯早々とドミノ倒しの如くつきゆく
14
今月の 30 首
好きな番組見終へて消したる静かさに安堵す人間われの勝手さ
ベランダより苑の桜を賞めゐたる夫は翌日出先きで倒る
桜咲く季に逝きたる夫にて毎年遺影に花見するなり
飛行兵たりし夫が時ながく夜空眺むる後姿の顕つ
兵たりし夫の心はわからねど知覧への旅は数知れずなり
元旦にははに逝かれて困ること多々ありたるを今も忘れず
正月の三ヶ日は商店も火葬場さへも休業の昔
毎日が通夜と同じくローソクや線香絶やさぬ日が続きたり
火葬場も順番待ちにてははの葬儀漸く七日に入れてもらひぬ
線香嫌ひになりたる夫の言葉守り墓参りにも花のみ供ふ
八十歳過ぎて怖るる何もなし難病二つの症状出でず
症状のなくとも完治なき事を医師はデータ見つつ言ふなり
長病める吾が身のみを気遣ひて一人暮らしの良さを思ひぬ
唐草模様の大風呂敷に包まれた吾が家の布団もらはれてゆく
喜んでもらひくれたる人の家に二枚並べて干されてありぬ
布団なれど見れば作りてくれし人浮かびて思はず振り返りたり
わが死後の片付けは業者に頼めよと娘に告げて気がらくになる
仏壇は菓子置場かと子に言はる酒飲めぬ夫の好物多し
春秋の彼岸は子と逢ひ墓参後に常なる店にて食事たのしむ
嫁ぎ来て八年目に子に恵まれき老いての安らぎ計り難かり
15
六 月 号 冬 雷 集 評 中村 哲也 困難さを暗示させているように思われた。
坂 」 と い う 描 写 に も、 夫 妻 以 降 の 維 持 の
伴 っ て い な い 事 が 気 掛 か り だ。「 向 か う
ちで師を頼りをり 赤間洋子
一人で考へてやれと言はるるが順番待
いよう「御座候を」としては如何だろうか。
なお、丁寧語の「御座候ふ」と混同しな
え る と い う。 よ ほ ど 好 物 だ っ た よ う だ。
新しきはがき買ひおく三十枚あれば書
日の射せばパーの手の跡目立ちくる昼
師匠に「一人で考へてやれ」と言われ
た作者。それだけの実力がに備わってい
い か ら で あ ろ う。 次 に 引 き 継 ぐ 世 代 を
かうの気持おこらむ 川又幸子
暖かき南のガラス 白川道子
した風情を感じる。なお、「終へし」は「終
一年の役目を終えた一面の田に、寂莫と
作者の両親は最上川を挟んだ河岸向か
い合う集落の出身のようだ。その両岸の
田の広きが続く 浦山きみ子
最上川はさみて父と母の里刈り終へし
衷心よりご冥福をお祈り申し上げます。
の葉書を差し上げた際、丁寧なご返信の
起してゆけるとの思いだ。筆者もご挨拶
感じ、本当に春の訪れを実感したようだ
のであろう。今年もそうした変化を肌で
白木蓮の花の散った頃、水の温度が増
したと感じた作者。毎年感じている事な
たさやはらぎきたり 松原節子
白木蓮ことごとく散り米を研ぐ水の冷
変 わ ら ぬ 姿 勢 に、 頭 が 下 が る 内 容 歌 だ。 た。そのような和やかさが感じられる。
お葉書を頂戴し恐縮した。最後までその
行列に時折夫は「御座候」買ひて写真
らあら」と苦笑を浮かべながら拭き取っ
た跡だろうか。それを見つけた作者。
「あ
南向きのガラスに日が射して、くっき
りと目立った手のひらの跡。幼子の付け
つと半分になる 堀口寛子
桜咲き通ひつづける耳鼻科医の薬がや
その並木の規模と壮麗さが窺える。
いる。下句「高き護岸を覆ひつくせり」に、
堤防の両側に植えられている枝垂桜。
その満開の桜花に、枝は大きくしなって
を覆ひつくせり 森藤ふみ
両側より花に膨らむ枝しだれ高き護岸
謙虚さに、物事の上達の秘訣を感じる。
順番を待って師の指導を仰ぐ作者。その
ると認められての事であろう。それでも
療養中の作者。新しく葉書三十枚を手
元に置いた。用意しておけば書く気力も
ふ」の連体形「終ふる」で良いのでは。
亡き姑の好物で、夫が時折買い求めて供
にそこに至るまでの長さが察せられる。
よ う だ。 行 列 が 出 来 る 程 の 人 気 ら し い。 う や く 半 分 に な っ た。「 や つ と 」 の 言 葉
いつの頃から通い続けているのか定か
の母の前置く 澤木洋子 ではないが、桜の咲く頃になっても耳鼻
「 御 座 候 」 と は 姫 路 の 菓 舗 の 商 品 名。
大判焼き、今川焼と呼ぶ菓子と同じ物の 科に通い続ける作者。そして処方薬がよ
足どりの重く墓苑の坂をゆく老いの夫
婦は供花をさげて 水谷慶一朗
墓苑に向かう坂を登り行く高齢の夫妻
自分たちが元気なうちは欠かさずとの思
16
六月集評
小林 芳枝
☆
ふかふかに土起こしたる畑に立ち夏の
野菜の段取りを練る 吉田綾子
耕した畑に初夏の日が差して表面の土
が少し乾きはじめている、さて今年は何
処に何を植えようかと思案する何とも楽
し み な 様 子 が み え る。「 ふ か ふ か に 」 と
いう土の感じが快い。
こか燃焼しきれていない自分の気持ちを
拾ひて墓前に並ぶ 村上美江
重 ね ら れ た よ う に も み え る が「 そ の 花 」
門の戸に寄りて歌つた人生の並木道今
私の育った家にも門があり、家族が皆
帰宅したら閂をかけたりした。物寂しい
墓地の周りに咲いているのだろうか。
ポトンと落ちる椿をよく見て表現し、ど
思い出だが作者はどんな気持ちでこの歌
にはもう少し推敲の余地がありそうだ。
も口ずさみをり 沼尻 操
を歌っていたのだろうか。二句は口語で
図書館の「おはなしコーナー」に聞き
十三年共に過ごせし自動車は角を曲り
が来るだろう。現代はここまで厳しい。
なく「歌ひし」としたい。
探知機に幾度も引っかかる社員ありて
暖かき日久びさに行く美容院おかえり ゲートの前に行列できる 大塚雅子 ☆
なさいと迎えくれたり 大川澄枝 ☆ どんなお仕事をされているのか分から
ないが社員さえ信用できない状態は情け
寒い間は行く気になれなかった馴染み
の美容院。「お帰りなさい」で心が解れる。 ない。なんて言うと「甘いよ」って反論
入りてたんぽぽのよう保育園児は
那珂川の土手にたんぽぽの黄は続く隣
現された。かわいい直喩が効いている。
にやら我が手に馴染む 永光徳子
机上には義母の残しし天眼鏡いつの間
まで見送る気持ちが切ない。
☆
ゆく梅散らす風 永田夫佐
一週間振りの晴天干し物をひるがえし
久しぶりの晴天を喜ぶのは風も同じな
自分の足のような存在として十三年間
を共に過ごした車との別れ、角を曲がる
の町のその先の先 飯嶋久子
晩年の姑の愛用した天眼鏡を何時の間
にか使うようになっている自分に気付
て引き取られ行く 大野 茜
のだろう。梅の花まで散らして明るい感 関口みよ子 ☆
じだが「干し物をひるがえし梅散らしゆ
読み聞かせであろうか。黄色の帽子で
く風」と畳み掛けてみても面白いのでは。 聞き入る子等を「たんぽぽのよう」と表
髙橋説子
こちらは実在するたんぽぽ。川土手に
増えて咲き続く様は町と町を繋いでいる
ランドセルを開けたり閉めたり背負つ
たり売る人買ふ人みんな笑顔で
赤と黒だったランドセルが最近ではカ
ラフルな物が多くなり様々な工夫もされ
ような、目にみえない力さえ感じられる。 く。そんな年齢になったのだなあ、と在り
し日の姑を思い出しながら感慨にふける。
☆
て選ぶのも時間がかかる。楽しい迷いで
散らばらず開ききらずの落ち椿その花
☆
あり、その様子が上手く捉えられている。
17
八月集
赤きペン字 栃木 高 松 美智子
それぞれの事情を置きて午後八時川又先生の訃報に集う (佐野支部)
八潮の日々を見舞わざりし悔いそれぞれに添削指導の話にいたる
綴り置きし古き歌稿は黄ばみたり赤きペン字びっしりと先生の教え
桜の時期を常に選びて迎えたり歌会の窓にいっぱいの桜
冬雷大会に記憶に残る一首ありその後植えたる雪柳ひともと
懇親会に好みて唄いしノーエ節心解きたる笑顔と声に
「誠実が一番なのよ」と語られたる言葉離れずわが耳にある
歌のみにあらずわが身も正されし短歌への姿勢大正の矜持
「あひる」の友冬雷の仲間に伴われ先生乗せたるバスを見送る
☆
☆
みなとみらい地区 汽車道 港2号橋梁
十年を越えて咲き継ぐリップセージの紅うすれて白き花咲く 茨城 吉 田 綾 子
突然の訃報に戦き立ちつくす信じられない川又先生の死は
衰えて独りホームに移られしが見舞い叶わず悔しみ頻り
先生への思慕を同じくする歌友と通夜につれだち香煙手向く
ぎっしりと供花に埋まる祭壇に気品にみちる笑顔の遺影
先生から折に賜いし鳩居堂のはがきいくつも手許に遺る
異常なる高温気候に縷紅草は畝の間に双葉盛り上ぐ
18
八 月 集
徒長なすレタスの苗を手しおに掛け葉先のフリル豊かに育つ
花付けをすべくカボチャの花に寄れば花粉まみれの蜂が出でくる
東京 大 塚 亮 子
空き家となりたる豊洲の部屋に先生の使ひし茶碗箸を探しぬ
先生の源右衛門の飯茶碗埃かぶりて笊に遺りぬ
祭壇に供ふる六つの枕団子捏ねて丸める涙は拭かず
炊き立ての飯を茶碗に山と盛り告別式の朝を迎へる
美しく化粧されたる先生の旅立ち手伝ふ仲間と共に
ドライアイス傍へに置かれ冷たからうと手甲脚絆の紐を結びぬ
母の作りし惣菜いつも盛られたる大鉢われの手に重かりき
小一の孫に将棋を教へてと言はれてよしと夫張り切る
東京 酒 向 陸 江
添削に賜りし先生の御言葉を押し頂きて今読み返す
短歌への熱き思いに導かれ初心者吾の十八年経つ
先生と吾が母年の近ければ眼差し似てると思う時ありき
川又先生の後姿と見紛いきその夜に届く突然の訃報
去年母を今年先生の訃報受け電話口にて立っておられず
「川又先生導き下さりありがとう」両の手合せば涙の流る
涙流し別れを惜しむ人多く冬雷家族の温かな葬送
☆
先生の遺品賜る『低き山々』幾度も読みいくたびも撫づ 19
☆
山梨 有 泉 泰 子 さ緑の小さな手鞠隠れあり紫陽花の葉の間にひそかに
さ緑の小さな蕾清らなり色付くも良し色付かぬも良し
先生の訃報を受けて「たられば」と後悔の思ひ沸きて離れず
生前の父との約束果たさむと豊洲のお宅訪ねしことあり
色紙をば大切にして下さりしとふ礼をば述べむと書けずに終る
「たられば」と悔いで被はる曇り空出さずに終るバラの絵葉書
父母の墓前に伝へる師の逝去桜葉そよぎ死者の声する
墓参り終へて帰れば冬雷の六月号届く師の声聞かむ
真先に先生のお歌拝読す 精一杯生きる様受けとむ
東京 永 田 夫 佐
ありがとう川又先生へ繰り返す言葉つまらせ焼香をする
ふと短歌出来るのだからふとは駄目川又先生の『歳月』に学ぶ
再びは動くことなきひかり号生誕の地に車体静もる
命なきひかり号と旅をする吾が青春の昭和の時代へ
問題を積載したる東京オリンピック都民の目にて行方見守る
井之頭公園の象の花子へ掌を合せ門にてお別れ言いて来たりぬ
躾のため置き去りにされたる男の子六日目にみつかり世界を湧かす
船影のなくて見渡す水平線百八十度視界吾がもの
神奈川 関 口 正 道 20
八 月 集
山行きのリュックに小さき鎌入れて兄嫁は墓の草刈りに来る
間質性肺炎の診断肯へり高額医療など受けずともよし
一ページ一行の俳句を鑑賞す成田三樹夫の活字の記録
昭和時代の「シルクロード」残しVHSのテープ処分す機材も無きに
変色せし卒業アルバムの元画像復元を試みるモノクロの度合
顔見れば多分泣くだらう川又幸子先生の棺の中は見ず天寿と言ひ聞かす
朝凪橋越えて下れば豊洲の夜煌々と明かり降り注ぎをり
夏の日に桜島の裂け目の鋭くて戦きゐたり仙巌園の庭 千葉 黒 田 江美子
「八潮垳」をグーグルマップに探しゐて訪ふことなく別れとなりぬ
死の床に化粧されたる師の御顔鼻筋高く凛然と在り
納棺師の濃き紅をさす唇に欠詠戒む師の声を聴く
イタリア製生地に誂へる鮮やかなツーピース着け師は旅立ちぬ
液状化の激甚災害復興し浦安の町に新庁舎建つ
災害時も中枢機能の役果たし市民を守る拠点なるらむ
十階の食堂売店ソラカフェは福祉団体の運営となる
新庁舎の竣工祝ひ浦安の三社の神輿揃ひ集へり
広重の江戸百景に描かれたる寒村栄え浦安と成る
茨城 関 口 正 子 末長く見守り下さい冬雷を川又先生の御霊に祈る
21
逆しまに映る若葉の木々分けてゆらりと浸かる小野川の湯に
源泉の殺菌力で日持ちする温泉たまごを友の土産に
源泉を利用し茹でたる半熟卵食めばほのかに湯の香たちくる
灯のともる家並の涯に孤をゑがく海にぽつりと白きフェリーが
ザック負ひジムへと向かふ朝のみち柚子の花の香あまくただよふ
兄危篤の電話に急ぐタクシーの窓に移ろふ灰色の海
意識なき兄と面会帰り路に追ふやうにくる死亡の知らせ
兄のみ骨つぼに入れると砕く音ざくざく浄土へたどり行く音
福島 山 口 嵩
そのうちに伺ひたしと思ひつつ悔いの募れる先生の訃報
訪問も手紙もなさぬご無沙汰を悔やみて受くる川又先生の死
大会の帰り二度ほど立ち寄りし川又宅の雑談なつかし
返送の歌稿のファイル手にとりて赤文字の意を学びなほせり
助詞一字五句と四句の倒置にて歌甦へる赤ペンの偉力
妹を見舞ひて帰路の大川に佇み思ふ『運河夕映』
Sさんと見舞ひしときの先生のほほゑみ浮ぶ河畔に立ちて
一帯が湖水のやうなる水田に月の光は揺れてのびゆく
月影も陽射しも風も変わりなく人居ぬ村を五年の時去る
東京 田 中 しげ子 歌の師の思ひも寄らぬ突然死小学校からのえにしにありて
22
八 月 集
足弱り家にこもれる我が歌に温かき添削の数数
母君の教へを受けて歌に生き一筋の道を歩みたる師は
カレンダー今年も半分こなし来て公園に紫陽花の大き花まり
広島より脳梗塞の友の焼くクッキー送り来ぬ涙して食む
三度目の発作にも負けずリハビリし体動かす友は強しも
枇杷の実の熟し来たれば大声の尾長の声も間近にあらむ 栃木 斉 藤 トミ子 ☆
赤ペンに「前にも申した筈です」とありて勉強不足を見透かされたり
佐野支部の歌会に見えたる先生のお姿言の葉今も心に
我が母と同年代なる先生の華あるお姿に憧れいたり
矢島さんの通夜に参列下さりし逆を辿りて豊洲に向う
ゆりかもめの最前列に坐りいて子供の如くビル群見つむ
屋上に庭園作るビルありて緑多しと思う豊洲は
大会に会いたるお顔そのままに短歌の話しそうな遺影
「早過ぎたね百首詠をも期待せし」と大山先生の弔辞に咽ぶ
不真面目な会員なるを詫びながらピンクの百合を胸元に置く
東京 高 島 みい子 苦しみを解き放したる師のお顔は尊く柩の花に埋まる
願ひ事叶ふ日のあり不思議にも膝は痛まず五月二十四日に
師の告別式終り帰れば何時もよりねむの葉早く閉ぢて合掌
23
公と私の丼勘定のニュース聞きまさかまさかの澄める青空
バラ園も水元公園の緑陰も遠くなりたり総て思ひ出
嬉しさが飛び出しさうな影つれて旧友迎へに駅まで五分
観覧車初めて乗りしときめきは今溜息となりて見上ぐる
確かなる歩みとまでは行かねども戸に写る影ややに快復 栃木 正 田 フミヱ
美しき花桃の花が庭に咲き臥す姑のため戸を開け放つ
寝たきりにならぬようにと姑を夫婦で介護の三年が過ぐ
物忘れ疲れやすいを自覚する介護をしつつわれも老人
点滴と流動食の姑に在宅医療介護の限界知りたり
在宅医療の姑は九十二歳にして生涯初の入院となる
短歌とは泣き泣き作るものならず思いは胸に溢れんばかり
佐野支部のわれらに親しく幾度もご指導賜りし川又先生
添削は自分に聞かせて言うのです笑顔で語りし川又先生
川又先生の告別式に行けぬわれ佐野より祈る感謝を込めて
別れ 茨城 糸 賀 浩 子
川又師の笑顔若かりし谷田部の歌会に来られし頃か
牛久駅より谷田部への田舎道空気がきれいと師はよろこびき
若輩のどぎまぎハンドル握る吾に川又先生の声やさしかり
思い出す川又先生・神取さん乗せたる筑波路柿の実たわわ
☆
☆
24
八 月 集
嘗て村なりし生家も老齢化進み馴染みの媼減りたり
待ちくれてトマトにスイカ積みくれし媼も今はデイサービスに
六角堂守護する灯籠と波しぶき海なき里に棲めば燥ぎぬ
☆
☆
岩手 岩 渕 綾 子 母の日に花贈りくるる千葉のひと震災より五年つづく優しさ
友よりの夜半のメールに川又先生の御逝去とあり呆然としぬ
訃報ありて川又先生偲びゐる長い年月教へ受けたり
「カモシカ」の出没ありの注意書き農道下のわが復興住宅
対岸の山崩したる造成地に日毎に大きく学校が建つ
童謡を幼に還り合唱す「グッパーグッパー」戸惑ひつつも
万緑に淡きむらさき桐の花デイサービスの車窓より見ゆ
においばんまつ り
東京 長 尾 弘 子
葉と見紛う小さき花を咲かせおり「源平山法師」園芸店の隅
「匂蕃茉莉」雨に打たれて花散らす木下を行くに香り漂う
閉店のショウウィンドウに入り込みて猫の寝そべる主の亡き店
重たげに紫露草咲き揃う細葉に雨粒銀色にころがる
茂る葉を覆いて咲ける山法師ビル陰の道すこし明るむ
素麺の薬味に茗荷と紫蘇を添え蒸し暑き日の昼餉楽しむ
東京 佐 藤 初 雄
解説の文字を読み取る視力無くテレビの前にゴロ寝なす我れ
25
拡大鏡必須となりてこの頃は見出し選びて新聞を読む
パラリンピックを目指して励む人ら居て恙なき身の幸せを知る
喀痰の意の儘ならぬ咳込みに恐れつつ居る肺炎再発
洟水に血糊有らぬを確かめて今日いち日の安堵に浸る
二十余り朱に輝きて花咲けど今年の石榴も実は成らず散る
強風の夜明けの庭は一面に散り敷く柿の蔕も粒実も
咲き続く並木の路の花水木眺め歩みき退院の日に
栃木 本 郷 歌 子
ざりがにを釣りし小川の既に無く荒草茂る排水路となる
久し振りに雉の声響く太陽光パネル広がりてより聞かざりし声
制服の白きブラウス眩しくて六月の街は俄に夏めく
葉桜の陰濃くなりて園児らは風受け憩うその下草に
初生りの胡瓜三本細けれど寿命を伸ばすと兄に届ける
時刻のみポツリと告げて留守電に夫は駅への迎えを頼む
雑草という名の草はないと言う教えを小草抜くたび思う
戻り来し原稿繰れば赤字にて師の添削の目に飛び込みき
石畳の隙間に蟻の巣の在りてドーナツ形に土盛り上がる
宮城 中 村 哲 也
玉葱を切らむと包丁滑らせて左手の指したたかに切る
ろくろくに野菜も切れぬなまくらに切りたる指の傷は浅かり
☆
26
八 月 集
地下鉄のトイレの中も覗きつつ警官ひしめくG7まへ
酔ひ醒ます故か灯りに背を向けてベンチに三人のをとこが眠る
おも
夜の道を歩み時々止まりゐてメモ取る我は怪訝な者か
五月にして夏日となれる夜の月の面は仄かに赤味を帯ぶる
「いい人が居るの」と電話を呉るる人に一人未婚の娘のゐたり
裸木の花咲く頃に髪を切りまた切りに行かむ葉の茂る頃
東京 永 野 雅 子
二十数年使いたる二階の我が部屋へ父が引っ越すことに決りぬ
☆
☆
ベッド置くスペースを確保する為に弾かないピアノを売ることにする
窓際のタンスを二棹動かしてピアノ搬出の準備に入る
我が部屋から運び出したる荷物見てよくぞ溜めたと我ながら思う
使わない物は捨てるつもりでも一つ一つに思い入れあり
運送屋がピアノを搬出する際の巧みな手つきに感動覚ゆ
すっきりせる部屋を楽しむ暇も無く大量の荷物を運び入れたり
東京 廣 野 恵 子
おあいする事なきうちにみまかられ歌で知るのみ川又先生
突然の訃報を聞きて冬雷集川又先生の歌読みかえす
月毎の歌それぞれに思い描く胸ささるものあり先生のご様子
買いおきし葉書はつかい切られたか人の終いはわからぬものよ
リウマチを患い膝も手術した友とのランチ風そよぐ初夏
27
テーブルに届く料理は色あざやかシェフの意気ごみ会話もはずむ
半月生茎頂の葉の白くなり梅雨に入るという自然の不思議
☆
神奈川 大 野 茜 冬日照る公園の朝に赤と黄の帽子の園児等わいわい駈ける
桜満つる紀州の寺を巡りたく大寒の日に予約を入れる
桜咲く山手の丘の教会の絵を描く人の背に花びら
耳鳴りの無きこの朝の静けさを確かめ幾たび耳を澄ましぬ
健康に生きたし今日も一万歩少し飽きるもこの道を行く
坂道をすいすい登る妻のあと草花見つつ息を整ふ
日本語と英語の案内いつからか車内放送止む時のなく
カナダ ブレイクあずさ
三絃の響きも違う日本とは異なる空気に鳴らしてみれば
明け方に港の船のエンジン音と猫の寝息が共鳴したり
カヤックに海峡行けば岩礁のアザラシの子らわれを見ている
カヤックを漕ぐ手の止まるくろぐろと広がる海の入り口に来て
木から木へ尾羽ふりふり飛びまわるカラスの背中に産毛の光る
黒ミサと呼ばるるソナタ弾き終えて少女の頬に笑みの戻りぬ
マジャールの古き民謡悲しかり言葉を知らぬわれの耳にも
師の国の曲を弾きたくマジャールの低くこもれる言葉を学ぶ
九十を迎えたる師は補聴器をえいとはずしてピアノに向かう
28
ある。体調不良や疲労が免疫低下を引き起
痛みが主体なのが帯状疱疹(ヘルペス)で
し始める。皮膚病と言えば痒みが定番だが、
期、気温湿度の上昇と共に皮膚疾患が増加
かに、夜には辺りを蛍が飛び交う。この時
自分の事のように友を気遣う心情が伝わっ
た。 入 院 す る 程 で あ り 重 症 な の で あ ろ う。
ていた。ところが、その友が入院してしまっ
作者自身、病を乗り越え久しぶりに吟行
に参加し、友と再会できるのを心待ちにし
ペス病みて友入院す 糸賀浩子
我が会の九十九里吟行の近づくにヘル
疱のことを言う。
ある。因みにヘルペスとはウイルス性の水
状に出現する水疱と紅斑、そして神経痛で
帯状疱疹の症状は、ウイルスに感染した
神経の分布する皮膚の範囲(分節)に、帯
が、人としてもさすがだと尊敬してしまう。
して生きる強さに溢れている。歌もそうだ
となく、自己の老いと共に受け容れ、凜と
者もそれに悩まされた。しかし悲観するこ
し念じてみた。 いい歌をありがとうと、心のなかで繰り返
がったかのような。来てくれてありがとう、
る間際に自らのあかしを発信したかった作
えなくなった。歌を求める筆者と命の尽き
なる前の日だった。そして一週間程して見
の歌がパソコンの検索画面に現れた。亡く
まで全くヒットしなかったのが、不意にこ
トでヘルペスの歌を検索していたが、それ
学んだ。数日前、二年間の闘病を経て亡く
者とは、初心の頃ネット歌会で共に短歌を
下句に痛みに堪え得た安堵感がにじむ。作
めた空に残る月を見て詩情が湧きおこる。
㈤
こし、脊髄の神経根に眠っていた水痘・帯
身体感覚を歌う
状疱疹ウイルスが甦り暴れ出すのだ。
てくる。 橘 美千代
五月も終わりに近づき、新潟平野の水張
田には苗が整然と並び、用水路の水量は豊
帯状疱疹(ヘルペス)の痛み
疲癆つもりて引出ししヘルペスなりと
帯状疱疹の神経痛が激しい場合、局所麻
酔薬を持続的に注入する硬膜外ブロックや
あ
方を思えば結句が迫力を帯びてくる。帯状
口語にて軽口風に歌われているが内容は
決して軽くない。作者の波乱に満ちた来し
ヘルペスの痛さにひと夜眠り得ず開け
い場合は、抗ウイルス薬を点滴静注もある。
する。脳炎の合併や全身播種など皮疹が重
者と。サイバー界を通じて互いの思念が繋
なってしまわれた。筆者はこのところネッ
いふ八十年生きれば そりや あなた
疱疹の痛みは神経痛であり、時に激烈で睡
たる窓に残る月見ぬ 斎藤 茂
ワンショットの星状神経節ブロックで治療
眠も日常生活もままならない人もいる。帯
痛みに眠れぬ一夜を過ごし、漸く白み始
齋藤 史 状疱疹後神経痛の後遺症が残ることも。作
29
六月号作品一評
さんの姿が駆けめぐっていた事でしょう
しの音楽葬は 江波戸愛子
☆
ね。
☆
に待っていたのは、至福の時間でしたね。
素晴しい光景に恵まれて、一日の終わり
夕方の帰り道の渋滞はいらいらするも
のですが、今日は何と幸せなのでしょう。
めかせ太陽燃ゆる 酒向陸江
渋滞のあなうれしもよ夕暮れの波きら
れなのだと思えば。
亡き人を見送るのには色々な形があっ
ても良いと思います。ほんの一時のお別
☆
からぬ空の旅へと 高松ヒサ
西風に白いビニール飛んで行く先のわ
朝の日に遊ぶ小雀を友にして草引くは
冨田眞紀恵
楽しひとりの庭に 橋本佳代子
よく見かける情景であるが、下句が巧
い。読者も一緒に飛んで行きたい気分に
埋立地に野鳥が運び来たるタネ四十年
なる。
事はこなし、それを楽しみとしていらっ
相当なお年の作者だと思われるがこの
様にお元気なのは、庭の草引き等出来る
しゃるからだと思う。
経て樹林となれり 黒田江美子
落ちてなほ色と形を保ちゐる赤き椿を
明日も良い日になる事でしょう。
れを思うと我々が与えられた一生と言う
よけつつ歩む 関口正子
大ざっぱに言って、人間の一生の約半
分で一粒の種が樹林となるのですね。そ
年月を疎かににせず、心を込めて丁寧に
椿は確かに花首から落ちているので踏
むのは哀れですね。結句は「踏まぬよう
若くして逝きたる夫や娘の命継ぎ足し
行く」ぐらいでどうですか。
くと頭が下がります。どうぞくれぐれも
私もこの作者と同じ思いです。「冬雷」
に力の限りつくしていらっしゃるのを聞
☆
豊洲五丁目三の五の四一七訪いたるな
られて思い出を沢山つくって下さい。「継
お体をお大切にという言葉しか見つかり
けれど忘られぬ番地 高松美智子
生きるが私の使命 高島みい子
るのである。
過ごさなければと、しみじみと思わされ
浮きて来る湯豆腐箸でつつきつつ女は
昔の繰り言やめず 田端五百子
相手の愚痴に困っておられる作者の顔
が見えてくる様な一首。
☆
連れてってやれないからと江戸前の寿
司屋を録画これも優しさ 山田和子
これはこの頃よくテレビで放映してい
る有名店ランキングの番組を見ての一首
でしょうか、何れにしろご主人の優しさ
ぎ足し」は「重ねて」という言い方もあ
ません。
若くして亡くなられたご主人や娘さん
は残念でしたが、どうぞその分まで生き
ランドセル売場で笑顔の爺と婆些か高
ります。
が一番ですよ。
いが嬉しき負担 荒木隆一
叔父らしき葬儀と思う僧侶居ず戒名な
これも又嬉しい一首ですね。お二人の
頭の中では、ランドセルを背負ったお孫
30
逃さないご主人との長年の生活ある。
に減っているのかも知れないが其処を見
残すのだろう、鍬の刃先の右か左が極端
る。道具は長年使い込むとその人の癖を
に作者ならではの感慨が込められてい
様 の 場 合 は 戒 名 も 無 い 音 楽 葬 だ と 言 う。
人が間違いなく増えている。作者の叔父
思う。盛大な葬儀等は止めてくれと願う
族葬と言う形式が非常に多くなった様に
たいかは本人の意思は大切だ。最近は家
六月号作品一評
朝の日に遊ぶ小雀を友にして草引くは
嶋田 正之
楽しひとりの庭に 橋本佳代子
この歌にも雀が登場する。生ごみ収集
の日なのだろうか、それとも心無い人の
く待つことにする 大塚亮子
捨てられたる弁当啄む雀らに掃くは暫
さり気ない日常の小さな幸せを感じる。
来た身体が、また中毒の誘惑に引き戻さ
の代に繋がってゆく摂理がある。
ばれ出来上がった樹林があると言う。後
そこに何時しか鳥達の排泄物によって運
下さる同級生は本当に嬉しい存在である。
まだ少し煙草吸ひたき衝動ありニコレッ この歌に呼応するかの様に大滝詔子さ
ト噛む高価なれども 関口正道 んの『怯むことなく』が発行された。確
かに三月号から詔子さんのエッセイと短
作 者 は 禁 煙 を 決 意 し て ま だ 間 が な い。
長年に渡ってニコチンの中毒に侵されて 歌が冬雷の紙面から消えている。心配して
の無いを寂しむ 酒向陸江
数多いる冬雷読者の級友が詔子の短歌
くゆくだろうと納得する。
埋立地に野鳥が運び来たるタネ四十年 一つの素敵な仕舞い方だと思う。
人は気の持ちようで後ろ向きにも前向 経て樹林となれり
黒田江美子
きにもなれる。この歌にしても寂しいと
息子には内緒と嫁が我に言うそれだけ
詠えば寂しくもなる。与えられた時間の この歌には大きな時間の流れが捉えら
で只かわゆく思う 斉藤トミ子 ☆
中で、気張ることなく生きて行く為には れている。人間社会から排泄されたゴミ
なかなか利発なお嫁さんの姿が浮かん
ま ず、 健 康 が 第 一 だ が、 こ の 歌 か ら は、 な ど で 埋 め 立 て ら れ た 土 地 な の だ ろ う、 いでくる。多分嫁姑の仲もこれなら上手
つけた雀が喜んで啄んでいる様子が詠わ
単身に潮来に住める夫との電話の会話
変化を捉えた作者の感受性が見える。
単身赴任とは言え、県内の様だ。夫の
生活が変わったことによる微妙な空気の
ぎごちなくなる 中村晴美
☆
れている。それを見詰める作者の目が何
れようとしている。ここで負けるか勝つ
仕業なのだろうか、捨てられた弁当を見
とも優しく読む人を包む。
昏き蔵のぞけば夫の使ひゐし癖ある鍬 かまさに勝負だ、頑張ってくれ。
の錆びてころがる 田端五百子 叔父らしき葬儀と思う僧侶居ず戒名な
蔵の中に以前ご主人が使っていた鍬を しの音楽葬は 江波戸愛子 ☆
発 見 し て の 歌 だ。 四 句 の「 癖 あ る 鍬 の 」
終焉は必ずくるが、その葬儀をどうし
31
作品一
東京 穂 積 千 代
電線に羽ばたける時均衡の危ふき刹那みてしまひたり
バスを待つ視界に尾長一羽ゐてときに重たき尾をもてあます
ふくらはぎ逞しく自転車こぎゆけりヘルメットなきごましほ頭
知りたくて経し年月の長かりし今日知る深山含笑の名を
大ぶりの白花さはに咲かしめて佇まひよし深山含笑
福井 橋 本 佳代子 九十の足許もたもたしながらも未だ外仕事の叶ふ喜び
春畔を刈る季となりてけふは農協に手作り草鎌二丁の注文す
今の吾に機械の草刈り危なきとけふは鎌に替へて畑の畔刈る
長い間扶け呉れたる草刈機きよめてけふは納屋に仕舞へり
ふたたびは動かすことなきこの刈機わがはげみし日の証に残し置く
くらし
朝早き峡田に餌捕るこふのとりけふ間近に見るは嬉しおどろき
わが窓に朝夕親しむ垣山は藤のむらさき今最中なり
五月半ば峡の気温の定まらず朝はストーブ昼は扇風機
庭畑にひとりの胡瓜・茄子・ピーマン二本づつ植ゑて事足る生活
みなとみらい地区 汽車道 港3号橋梁
32
作 品 一
栃木 髙 橋 説 子 電気ショックに生き返りたる夫なり手術瘡わきのその跡に触る
ベッドごと蛻の殻の病室に夫の検査の終るを待てり
病院への四十分の道のりをCD聴きつつ苦にならず通ふ
「アドロ」といふ懐かしき歌を収録の中古CD迷はずに買ふ
四十日ぶりの洗髪シャワー終へシャボンのにほひの夫の戻る
病院への道に目にする風景のひとつ足利市のピンクのゴミ袋
病院を出ればまん丸の月ありて家まで吾を見守りくれぬ
本体より重きチラシの挿まれて連休初日の朝刊届く
手洗ひの蛇口より水の音もなく細く落ちゐたりいつからだらう
両腕に幼なを一人づつ抱へ息子は散歩す筋トレ兼ねて
愛知 小島 みよ子 北朝鮮の長き年月いかならむ機より降り立つ五人の人ら
二十四年ぶり肉親と肩抱きあふ映像見つつ涙こみ上ぐ
この夏の暑さに耐へし日日思ひ夏の衣服を愛しみたたむ
晴れ渡る空を仰ぎて生日の朝を歩みぬ心温みて
結婚記念日と二人の誕生祝ひ兼ねすし屋にて食む定食の味
美濃の寺巡りて帰る一宮のタワーの上に淡淡と虹
朝の日を背に受けながら歩きゆく巨人の様な吾が影を追ひ
ラジオよりオカリナの音流れ来る雨の日の暗さ一瞬晴れて 33
愛知 山 田 和 子
いつの間に迷いこみしか一匹のはえと格闘す台所に立ち
黄の孔雀さぼてん開きたる夜に先生の訃報を電話にて知る
黄みがかる月の登りて開きたる孔雀サボテンは香りを放つ
二十四秒ここで待とうか座ろうかレンジでミルク温める間を
まん丸の固い蕾が上を向き開花はまだかと沙羅樹を仰ぐ
☆
夜半に雨降りいたるらし新聞をビニールから出し青空見上ぐ 岩手 田 端 五百子 交さるる握手と抱擁大統領と被爆者の永のしこり一瞬に解く
哀悼の誠をささげ大統領は敬意あらはし未来語れり
震災をくぐりし廃船潮だまりに竜骨きしませ春日あびをり
自転車に乗れし日のこと想ひ出づ世界広げてくれし道具よ
祭りばやし遠く近くに聞え来る故人ばかりのテレビ観をれば
伯父逝きていまだ目鼻のおぼつかぬ般若の面が土間にころがる
没つ日に水田は金と輝きて畦掻く人の大きく伸びをす
花ふぶく下を間のびて擦れ違ふ遠足の子とハイタッチする
千葉 野 村 灑 子 昭和四十四年の開閉を最後に開くなき勝鬨橋の下今船にゆく
大き船とすれちがふとき波頭高く揺れゆく隅田川遊覧に
一万歩以上歩ける桜見物に押されれば倒るる程に疲れぬ
34
作 品 一
雨降らず沸いてくるやうな人混みの中押されつつ桜見にゆく
開花宣言の桜といふを見に行けば半径三メートル綱張りてあり
連れだちて来たる桜見物にはぐれたる友に携帯電話す
歌一つ出来てまさぐるバッグには今日一枚もメモ用紙なし
東京 荒 木 隆 一 菊坂の一葉旧居の路地の奥に井戸が残れり災害用にと
公開の伊勢屋質店通ひ来し人を偲べば万感の想ひ
洗浄の前に確かむ快便と快食快眠が健康の元
週三回次いで二回今一回丸山ワクチンと永き付き合ひ
花粉飛ぶ予報が消えて紫外線の強さと替る明日の予報
処刑者を慰霊の石の大地蔵大涎掛けが梅雨に濡れをり
窓明けるを嫌ふ当世の若者は地下鉄に乗りてもブラインド下ろす
補助輪の外れたる児は颯爽と案ずる親を尻目に馳せゆく
見ぬやうで人は見てゐる背の丸み日々の散策の吾出で立ちぬ
埼玉 小 川 照 子 母の日に並ぶふた鉢の紫陽花は嫁洋子と吾のものなり
栗の花咲くを待ちゐてゴマを蒔く秩父連山みどり増し来る
籾種を蒔きて苗箱田に出せば越辺川の水にてすくすく育つ
バラの挿木を持ち来て友は百日草の苗持ち行きぬきれいに咲かすと
朝々にとる絹さやは吾の仕事鶯の声に癒されながら
35
五月末田植ゑ終れば夜の田は蛙らのこゑ楽しく聞こゆ
たのしませくれたるぞうの花子さん死にたるを聞きてそつと手合す
初ものと息子取り来る五本の真竹皮むきゆでて仏に供ふ
埼玉 栗 原 サ ヨ 朝顔の二つのび行きむらさきの花が咲きたりつぎつぎと咲く
縁側の椅子に腰かけまどろみをれば風強くなり頬にふれゆく
木斛の花は見えねど秋になり赤い実がなり友が見て居し
栃木 高 松 ヒ サ ☆ 車椅子卒業出来て歩行器に移る喜び子供のごとし
久し振りに庭に下りたる靴底に土の感触直に伝わる
柿の葉の合間に見える青き実は熟れる迄に半分落ちる
センターの湯船一杯バラの花浮かび香りを皆で楽しむ
一面に雨に倒れたる麦畠雀やカラス朝から下りる
すいすいと畠の上を飛ぶつばめ美しい姿にしばし見とれる
農道を一人歩けば珍しい草花に引かれ腰痛忘る
揃いの帽子を冠り二列に並び幼稚園児が手を振り通る 茨城 沼 尻 操 花桃の花強風に舞ひ上り落ちゆく先の定まらずをり
石垣の上に海棠の花咲けば里のままごと遊び想へり
庭先にむしろを敷きて花菓子で遊びし友も少なくなりぬ
36
作 品 一
青き空見透せぬほどの白木蓮の花を通行人仰ぎつつ行く
農林省の桜並木を外人達が一斉に笑顔でシャッターを切る
日曜日トラクターで出掛けた倅雲足早きを眺め待ちをり
盆栽に固形の油粕やり終へて松の緑の色増すを待つ
鷺草を水もくと混ぜ植ゑ替へて二十日過ぎ元気に二葉となりぬ
☆
千葉 石 田 里 美 亡き夫と巡りし阿蘇の山々はやさしかりしと地震に戦く
買ひ呉れし机の上に応へむと原稿用紙と辞書を並べる
庭仕事もう無理だからと云はれれば家人の留守に雑草を引く
やうやくに畠となりしと初めてのナスの収穫よろこべり
東京 大 川 澄 枝
風呂掃除の出来たる日には安心と心落ち着き自信にひたる
初物のそら豆茹でてこの香り父の好物とふとこみあげる
医院にて名を呼ばれればハイとすぐ返事をかえす昭和生れは
「おばあちやん良い物件を提供します」不動産屋来る大きなお世話だ
五月二十一日りょう君来る日カレンダーに一きわ大きく赤い丸印 富山 吉 田 睦 子 満水になりて流るる小川のほとりたんぽぽ綿毛風に流るる
道路沿ひの赤白交互の花水木華麗な中を車に走る
快晴の続く水張田忽ちに早苗植ゑられ青き葉光る
37
早春に蒔きし春菊芽生えよく若葉雨受けふさふさ靡く
コーヒーの匂ひ漂ふ友の家気分壮快話はづみて
樫の木の葉陰に差せる薄き陽に二羽の鴉は何か食みゐる
祖先よりいそしみし田畑託す今申し訳なく老いて悲しき
ショートスティ 東京 岩 上 榮美子 四月一日予約せるショートスティに出向きたり家族の英国ゆきに合はせて
自宅にて留守番も可能と思へども嫁の手配も無には出来ぬ
九十五歳の方もあり賑やかに手振り交へて大声で話す
四階なれば夜景美しく見惚れたり時間で色替る塔もあるなり
一人で自室を出てはならぬ用あればボタン押して呼び出す
洗面台、トイレも室内なれば気兼ねなし十畳程の生活空間
入浴は二日おきにて介助付午后二時からと決められてをり
西武沿線の遠方より電話あり長女が会ひに来て呉れるなり
サザエさんの新刊四冊持参して退屈なわれを元気付け呉る
東京 飯 塚 澄 子 落葉拾ひ手伝ふそばに白き花空木のいはれ夫の語らふ
庭仕事を夫に任せて幾年ぞ卒寿労り落葉拾ひす
孫の名の椿の枝を切り落す歩きよくなると夫の勧めで
しやがみ込み木蓮の実を拾ふ夫に腰を屈めて我も並びぬ
枇杷食ふは烏と判明屋根の上車の上に汁と残骸
38
作 品 一
台東の文化施設を巡る券区報にあれど心も動かず
六月の初めは曽孫の二歳の日孫の意損ね会へぬこの日々
細やかな気遣ひもせず思ふまま言ふからですと息子の忠告
☆
鳥取 橋 本 文 子 五年前修学旅行より帰りきて少女は言ひき「沖縄かなし」
沖縄の修学旅行より帰り少年は言ふ「政治ってむつかし」
散歩してねぢ花摘みを楽しみたる空地この頃敷地となれり
『怯むことなく』を読みつつ思ふ感動を共にしたき友ら親類
ハワイから転入したる同級生戦時の我らと共に学びき
学徒動員済み復学の教室にハワイ育ちの友はみえざりき
早く植ゑ待ちに待ちたるミニトマト赤く採れたり六月一日
兵庫 三 村 芙美代
明け方に「ドスン」と大きな音響き騒めく鴉の鳴き声遠のく
朝のチラシのゴミ出し一回五百円電話帳に挟み置くなり
名に引かれ一昨年買いたる山野草「オウゴンオニユリ」色見せ初める
俯きかげんの黄の色淡きオウゴンオニユリ小雨降る朝密かに咲けり
花好きの見せたき人の帰りたる翌朝咲けるオウゴンオニユリ
一緒に行こうと誘って呉れた筈のなのにどうなったのよ二枚の切符
老い先を励まし合える仲ゆえに物忘れする友を訝る
これまでの記録を破る花咲かす妹の形見の孔雀サボテン
39
妹の遺影の見える窓際に孔雀サボテン向き変えて置く
茨城 姫 野 郁 子
「この数値変化しません」減塩と歩く事強く指導されたり
座敷の鴨居にハンガー掛かりいて兄が我家で過ごした事思う
トントンと木を打つ音のひびききて棟上げの朝に心地好く聞く
小ホールの小中学生の大太鼓我が心臓に続け様に入る
兄妹で行ったばかりの日光へ誕生日に娘が誘い呉れたり
夫婦にて趣味のバラ園を手入れして十七年間に百種類あり
空の青より青く紫陽花は一気に色増し梅雨を迎える
埼玉 高 橋 燿 子
舳先あげ沖に出で行く船影のたちまち消えて日の出待ちおり
サーフィンカヌーヨットが見える海色取りどりの若者動く
砂浜に大声出して組合って子等のあそびは今も変わらず
江の島へ六百五十メートルを歩く人等の絶え間なき橋
紫陽花の山道登る人々を見上げて休む木陰の椅子に
四天王邪鬼を踏みつけ紫陽花の中に憤怒の目をむきおわす
電気消し静もる刻に甦るランプ暮らしの細やかな音
感動が無きこの頃を話しつつ紫陽花を見る菖蒲をめでる
埼⽟ 江波⼾ 愛 ⼦
新緑のイロハの坂を登りゆく⾞の運転夫にまかせて
☆
☆
☆
40
作 品 一
何の声ですかと問えば⽜の乳⼿渡しながら春ゼミという
友の詠む歌に識りたる春ゼミを⾒むと仰げばみどりの眩し
春ゼミの声はこれかと⽇光の林のなかにわが⽴ち尽くす
イロハ坂下らず沼⽥へ向かいます養蜂園に蜜を買いたく
臥す前に匙⼀杯の蜂蜜を飲めば寝つきの良くなるという
桜蜜アカシア蜜に百花蜜求めて味の違い確かむ
サーモンの刺⾝を購い栗かぼちゃ煮付けて泊りに来る孫を待つ
⼿札より迷い迷いて漸くに⼀枚ひけば孫の歓喜す
茨城 大久保 修 司
冬雷のお蔭としみじみ思ひをり初の歌集の出版終へて
年年に苗の育つを愛で来たる街中の田はいつしか埋もる 春たけて朝の日差しにわが庭の草木の葉つぱがきらきら耀ふ
濃緑の上に萌黄の葉を纏ひヒバの生垣一際映える
☆
一度にて済むのが良くてコンディショナー入りシャンプーをわれは好みぬ 浴室には昔ながらの真白なる固形牛乳石鹸を選る
わが門の向かひにピンクの立葵みな笑む如く群れて咲きをり
埼玉 本 山 恵 子
梅雨入りも間近なるらし庭木々の緑濃くなり茂るモッコク
屋久島の笹や薄にタンポポと吾が集めたる植物は小型
挿し芽にて小さく育てたアサギリソウ銀白色の葉に露をおく
41
効果は半々という新しき免疫療法夫は試みる
最後まで自宅に過ごすかと訊く緩和ケアの医師まだ実感なく
神奈川 青 木 初 子
昨日よりカタカタカタと音をさせ脱水槽はうるさく回る
バランス良く脱水槽に濯ぎ物入れてもすんなり回転をせず
保証書の無料修理の期間にて買ひ替へはせず直して使ふ
リホームをせざるままなる洗面所に二槽式洗濯機の位置変へられず
洗面所の掃除を兼ねて洗濯機を奥より出すに二日は掛かる
掃除の日と修理を頼む日連続に二日の家居なかなかあらず
カタカタと音をたてゐる脱水槽なだめつつ使ふ修理の日まで
小一時間修理を終へたる脱水槽遠心力の音ここちよし
茨城 中 村 晴 美
血圧の高く保てる日の続く成分二倍の処方のさるる
もう少し長生きしたし五十代むかしは終る年齢なれど
血圧計新調したし量販の家電店へ行く大雨の中
新調の血圧計も変らずに高き血圧何度も示す
更年期高血圧の有るらしき該当するか五十代われ
トラックに溜まる雨水飛沫上げ歩道の我をずぶ濡れにせり
今月は畳の新調したばかりまたも出費か床の虫食ひ
東京 増 澤 幸 子 42
作 品 一
川風に揺るるポピー三色のカーペットかと見まがふ十四万本
涼風は強き陽ざしを柔らげて水の香送り来岸辺に遊ぶ
川岸に手ながエビ捕る釣り人の糸たれ動かず水面に見入る
水引ける干潟に遊ぶ白鷺の連れ立ちて行く少し首ふり
濁りたる池の木陰にゆつたりと緋鯉の泳ぐ誰も来ぬ陰
公園に小鳥よばんと植ゑたる欅人ら憩ひぬ広き木陰に
三色の花弁のみのアート展散らしたる花幾ほんならむ
朝あさに数へる紫陽花色深めまるまる太きが首垂れてをり
ひ
慈光寺 埼玉 大 山 敏 夫
ぢつと書を読む青年をり山深きこの墓地の隅に何を求めて
美保子さんの持ち来たる線香に火を点し燃えあがる炎に少し梃子摺る
さつと来て卒塔婆鳴らす六月風土屋文明の墓石のめぐり
文明の墓石めぐりの草を抜き萌え出る鶏頭の赤芽はのこす
朴の大樹二つのつくる木陰には文明歌碑あり槻の丘のうた
する が だいにほひ
落葉樹朴は年年葉を落し樹下に朽葉をがさごそと積む
土屋家の庭よりここに移り来て気骨あり駿河台匂の若木
かいせいしふ
しや が
墓所いでて下る小径に春紫苑咲きうつぎ咲き山法師咲く
『韮菁集』の「菁」を用ゐて「菁莪」と記す札立てりここ慈光寺にては
快晴の都幾山慈光寺やはらかく顔を撫でゆく六月の風
(☆印は新仮名遣い希望者です)
43
二 月 号( 二 巻 二 号 ) 概 略 歌誌「抜錨」を読む ⑶
それがない」としている。そして「もし能勢
君がこの一連を甥といふ家族制度の一派生た
る肉親愛を離れて人間としての一帰還者と見
つめ得たら作品は遥かに高級なものになった
で あ ら う。」 と 述 べ、 土 屋 文 明 の 山 谷 集 掲 載
短歌雑誌 抜錨 二月号 集 其二。最後に屋代温の編集後記で締め括
られている。主要出詠者が固定化されつつ、
原 隆、佐藤美枝子らの作品を掲載した二月
壽郎、泉義徳、齋藤大太郎、二ノ宮セン、藤
な立場から捉へてゆく時にのみかくの如き生
事詠はそれを社会の一事象として作者が自由
ていたく痩せたり を 採 り 上 げ、「 こ の 直 截 を 見 よ。 ま こ と に 人
子供連れて君上海をのがれきぬ恙なくし
の一首
昭和二十二年一月二十五日 印刷 新規の出詠者も若干見受けられる。
彩 マ
(マ を
) 放 つ の で あ る。」 と 結 論 し、 最
後に「能勢君と古屋君の如き若い世代のひと
中 村 哲 也
昭和二十二年二月一日 発行
表 紙 裏 の 屋 代 の 文 題 は「 人 事 詠 に 就 て 」。
生 田 一 男、 村 上 仁 子、 武 田 千 舟 史、 鈴 木 静
代温らの作品掲載の二月集 其一。横尾登米
雄の「非主観的主観短歌」と題した文の後、
二、榛原駿吉、鈴木より子、横尾登米雄、屋
表紙裏及び裏表紙の裏を使用して頁数は
十八頁になる。出詠者は、手塚正夫、坂本凱
この評に対して屋代は、能勢の「テーマに
対する作者の態度の不備」であるとし、「人
ないか。』との評に対する一文である。
痩せては重複してゐるのも一考さるべきでは
州まはり」は説明に堕しているし病み疲れと
く読者の胸を打つものはない。「ソ聯より満
て幾分低調」として、『作者の感動ほどに強
は痩せてかへりぬ
に対し、まず「今月の一連取材の困難さもあっ
ソ聯より満州まはり病み疲れ十八才の甥
ま落葉踏みゆく 坂本凱二
肋骨もあらはに痩せし白き犬首たれしま
がら脈とりゐたり 手塚正夫
病む妻に夕べ寄り添ひ欲情をはかなみな
内容を感じさせる。
前号までの出詠歌・読み物・前月評・編集
後記の固定化された編集から一歩踏み込んだ
である。」と結んでいる。
は実作に批評にこの事実を忘れてはならぬの
子、鎌形武、新井伊三郎、高橋臥牛、官 榮
一、笹川琭玲、岡村宅造、山口登之、河内昭
事詠の進んだ行き方」として「社会事象の一
今月号において、前月号の一月集 其二評を
担当した古屋數智による能勢壽郎の掲載歌
二、飯塚初枝らの作品を掲載した抜錨集。榛
ありし日の間取りの侭の土台ぬちに白菜
ごたへなき海辺ゆきつつ 鈴木より子
素枯れたる浦ひといろに伏すところ踏み
ばたはむれまたひたむきに 榛原駿吉
ダンスをば習はむなどといひ出しぬなか
原駿吉、古屋數智の前月歌評。一月号正誤に
つと観 マ
(マ ず
) る作者の見識と洞察力から
詠嘆されてゆく方法であって能勢君の甥には
続いて、三上恒治、村井康、古屋數智、能勢
44
表もある。二月号での発表という事は、前納
り會費を一月から三ヶ月拾円とする。」の発
と謝意を表している。 (続く)
び発行費として百円の寄付があった事の報告
を栽えまた水菜をば栽う 横尾登は米る雄
者には遡っての追加支払いの依頼ようだ。そ
「抜錨」誌の編集方針としては、性急な表記
定された「現代かなづかい」の問題に対して
表したものや、仮名遣表記の簡易化として決
用する漢字の範囲を「当用漢字表」として公
これは、昭和二十一年十一月十六日に内閣
が告示した公文書や出版物など一般社会で使
等の散文に就ては筆者に任せる」としている。
の処置をしてゆきたい。」とした後、「尚批評
ろあるが遅れずまた進み過ぎずの態度で適時
漢字制限の事もあり歌に及ぼす影響がいろい
事にする。今後の國語は左横書の問題もあり
編集後記で屋代は「新假名づかひに就ては
歌は文語脈のもの故当分の間これに依らない
容が印象的だ。
らの置かれた状況を託したようにも思える内
た犬」や「踏みごたへなき海辺」からは、自
二月集 其一から採り上げた。生活の向上
を目指す努力が垣間見える内容、また「痩せ
配給品だけでは生活困難となり、結果ヤミ物
都市生活者への食糧・物資は極端に不足し、
く、特に海外からの引揚者が急激に増加した
れたものと思われるが、国家にその蓄えが無
行き届いていれば、極端な物価上昇は抑制さ
価統制令の事であろうか。充分に物資配給が
月危機とは、昭和二十一年三月三日公布の物
源として死者・不明者千三百三十人を出した
和二十一年十二月二十一日に紀伊半島沖を震
る。関西方面を襲った地震とは、時期的に昭
戦の次に天災そして三月危期 マ
(マ で
) は救
はれないのは人民ばかりの感が深い。」とあ
そして「関西方面を襲つた地震と津波には
会員では殆ど被害を被つた方がなかつた。敗
様々に手を尽くして買い入れていた模様だ。
り正規の購入ルートでは用紙確保が困難で
よったものである」事を明かしている。つま
したのは一月号だけで他は在京同人の尽力に
資に頼らざるを得ない状況下に置かれていた
その中にあって、手塚正夫より用紙千枚及
りて体に軽し 児玉 孝子 ☆
葛の匂い 永光 徳子 ☆
畑に出で久し振りなる土起しさくさく入
鈴薯畝に隠れる 村上 美江
夕暮れの幽かな風に漂うは夫が切りたる
ち初取りをする 早乙女イチ ☆
さつくりと次ざつくりと土を盛り種芋馬
店はいま稼働中 橘 美千代
ぽかぽかと暖かくなり菜園のカキ菜も育
れば人は訪ひ来る 石田 里美
棒切れのようなる足にどうしたと強くた
たきて活入れ歩く 大川 澄枝 ☆
あまき香の夜風にみちくる町内の洋菓子
り売る人買ふ人みんな笑顔で 高橋説子
充分に手入れの出来ぬ庭なれど春ともな
せぬと覗き込みたり 永田 夫佐 ☆
ランドセルを開けたり閉めたり背負つた
菜の段取りを練る 吉田 綾子 ☆
つくづくし堤にひとつ又ひとつ手折りは
ふかふかに土起こしたる畑に立ち夏の野
六月集十首選 赤羽 佳年
泊まりたる友もかへりて暖かき新年の休
変更を考えず、時流に合わせて必要とあれば
の上で「本紙の用紙は今までに印刷所に依存
みに鶏小舎つくる 屋代 温
適宜変更との考えを示している。
事を意味すると思われた。
昭和南海地震の事を指すと思われ、また、三
国語表記の一大転換期の中にあって、大よ
その流れを見極めての提示であったのであ
ろ う。 ま た、「 用 紙 と 印 刷 費 の 値 上 が り に よ
45
六月号作品二評
赤羽 佳年
尾骨打ち坐るも寝るも痛き日々腹這ひ
遣いがうれしい。
初句は、画家の猪熊弦一郎を言うので
あろう。私は猪熊のこの作品を見たこと
鷺の十数羽立つ 矢野 操
猪熊の〝鳥〟の洋画さながらに野に白
☆
て花のカタログ捲る 東 ミチ
はないが、下句に様子を伝えているよう
な気がする。「さながら」が活きていよう。
バスの時間気になりゐるも前をゆく杖
をつく人を追ひ越せずをり 山本貞子
庭仕事に怪我をされた様子。床臥せの
オレンジの蕊を守るとクロッカス日の 身に次の行動を考えている。前向きな姿
傾くに花びらを閉づ 立谷正男
勢に感心する。回復も早いことでしょう。
二句のような作用があるとは寡聞にし
て知らなかったが、然もありなんと思う。 山 里 の 地 に 義 民 碑 を 尋 ね 来 れ ば 落 花
注ぐ碑にも我にも 和田昌三
一人居のわれを気遣ふ子の電話に介護
☆
観察眼の鋭さが感じられる。
百姓一揆と義民の研究活動、啓蒙運動
の墓を清める 田中祐子
ケイタイの待ち受け画面に桜満つ病室
静寂な園庭の様子がありあり。結句の
活喩法の効果が活きている。
四時間の陽ざし 富川愛子
通院の往きには五分の桜花帰りは満開
わせて無常感がある。
からの感慨であろう。雅語のような響き
下句は、初句「催花雨」の意味を知って
ら、菜花雨→菜種梅雨になったとも言わ
花」が同音の「菜花」に通ずるところか
☆
☆
この発見には作者の心おどりがあった
ことでしょう。「往き」「帰り」には、往
のあるこの言葉を、よく捉えた。
に温もり僅かに感ず 山口めぐみ
催花雨という語を初めて聞く今日の雨
二首ともに、結句はひと工夫が欲しい。
作者の気質、気心のはっきりと出た作
品と思う。力まず衒いなく詠っているが
する身をいとへと言ひぬ 同
灯を消して手足伸ばして床の中今日一
下句には感慨が出ている。
子や姻戚関係は絶えてしまったのであ
ろうか。供養をされる作者の優しさ、気
☆
日の息太く吐く 佐藤初雄 ☆ をされている作者。結句の畳み掛けた表
現が生き生きとしている。
上 句「 消 し て 」「 伸 ば し て 」 の 音 調 が
悪 い の で「 手 足 を 伸 ば し 」 と し て 見 る。 輝きしその人生を想いつつ寂れる伯父
春休み園児の居ない園庭にブランコの
にいる友にも送る 野崎礼子
き→還り・行き→帰り、の統一性が欲し
みが風と遊べり 倉浪ゆみ
花見に出掛けた作者は見事な桜に感動
しケイタイの待ち受け画面に撮り入れ
い。
れる。「春霖」や「春雨」も語意の仲間。
催花雨とは耳慣れない言葉ではある
が、「菜種梅雨」なら覚えはあろう。「催
た。出歩けない、入院中の友にも楽しん
遣いを伝える。生者必滅、栄枯盛衰を思
で貰いたいとメールに送る。励ましの心
46
六月号作品二評
中村 晴美
ろう。
る時代でもあるが体感に勝る事はないだ
分かる。スマホで何でも分かった気にな
ても気にかかりをり 西谷純子
駐車場に忘れられゐし乳母車床に付き
揺れる乙女心でしょうか。ありのまま
という言葉も流行しましたが髪を染め化
り染めて黒髪保つ 金野孝子
幾度も白髪のままを決めたるにやつぱ
なります。
事件事故でなければ良いが。気になる
のは読者もでしょう。その後が知りたく
病院の待合室にマスクして居並ぶ人ら おかしいよ本音で呟く友がいて柔軟な
語らいも無く 佐藤初雄 ☆ 心取り戻したり 野崎礼子 ☆
待合室は見知らぬ者同士、気さくに語 大人になると表面的な付き合いばかり
ら っ て い る も の だ が。 語 ら い も な く て、 になる。本音の友は貴重である。
何か深刻な事態が伝わる。
早朝の厨に持てるオリーブ油つめたく
粧をしてる人の方が元気で生き生きとし
吾が前の遅き歩きにいらつきて追ひ越
てる様に見えます。私見ですが。
を歌にする。シンプルが素晴らしい。
し見ればスマホ操る 髙田 光
寒さでオリーブ油は白く固まる。日常
の中の小さな変化で季節を感じる。これ
☆
固しやよいの寒さ 糸賀浩子
☆
日中と夜の温度差ありすぎて風邪気味
なのか花粉症か 吉田佐好子
クラス会の案内出すも大方は体調不良
冬を過ぎ春を迎えて体調を崩す。花粉
症も今や風物詩。温度差は血圧にも良く
ない。年を重ねると若い頃には考えられ
で欠席と言う 和田昌三
に今を生きている。
今を歌ってる。スマホの歩き使いはタ
イムリーな問題。それに関わる作者は正
ない不調が重なりますね。
体調だけでなく生活面に問題があり出
席できない者もいるだろう。体調不良は
残業の足取り鈍く帰るとき満月ありて
エメラルド色 伊澤直子
今年も猛暑予報。沖縄は涼やかです。
☆
雲間より青空のぞき海光るこれぞ沖縄
上句の闇を下句が明るくさせる。コン
トラストが効いて良い作品です。
☆
本当かも知れないが深い言葉だ。
沈丁花香る 本郷歌子
☆
近況を語り終へたる四姉妹堤のさくら
息つめてみる 倉浪ゆみ
映画「細雪」みたいな光景。今は四人
姉妹は見かけないが、静けさの中に団結
序は十三を数う 田中祐子
に一喜一憂。自ら育てる楽しみが伝わり
☆
を感じる。子を多産できない現状は是正
君子蘭はオレンジや黄色の花を付け大
ぶりの鉢に華やかに咲く。一時の花の為
昨年は何故か咲かざる君子蘭今年の花
しないと淋しい国になりそうです。
ます。
朝食後浜を散歩すドドッという波の音
が体に響く 浜田はるみ
☆
体に響く波の音は実際に行って初めて
47
作品二
茨城 立 谷 正 男
雲隠れの言葉の如く淡々と川又先生逝きてしまへり
添削に共感の文字寄せられて短歌の道を離れずに来し
今にして深き御恩を思ひ知る作歌指導の長き日々
生前の姿いくつも浮び来て夜明けの空にまた日は昇る
何色を好みて在りし薔薇園に川又先生の面輪浮かべる
木島先生川又先生何ゆゑに短歌の道に一生捧げし
ひと日来て筑波の山の花いばらかつて蕪村が愁ひを言ひし
東京 髙 田 光
地方紙の裏面を占むるお悔やみ欄旧知なきかと活字追ひをり
無料紙に載りたる姉のお悔やみ欄甥は残しぬクリアーファイルに
自転車のタイヤに空気を入れむとて指押せば脇にひび割れのあり
自転車のブレーキライトの性能も落つる状態買ひ替へ時期か
買ひ替へてあとは何年持つのやら十年のちの吾の寿命も
音の出るトイレに戸惑ひゐるならむ終はつたはずが未だ音のする
用終へて下着を上ぐる其の端に川又幸子と吾が字のサイン
呼び出され息無き吾が師を見て居りぬ早くはないか昼に別れて
横浜市中区 馬車道
48
作 品 二
埼玉 田 中 祐 子
贈られし莟あまたの胡蝶蘭の開花日毎に小座敷装う
用向きは然程あらねど年番の地区の組長夫とこなせり
回覧を挟む厚紙ボロボロにどこぞの雨に打たれて戻る
薄味に調う嫁の歓待に夫と寛ぐ息子の新居
スーパーに若きママさん真剣に「鮫の切り身」の調理を問い来
後継者不在に空家同然のお隣さんの気に掛かる日頃
朝刊を取る受け箱に有り難き午前零時のパトロールメモ
そら豆の莢をきれいに剥き呉れて箱一杯の柔き実届く
そら豆の礼の電話に本来は剛気なる兄「偶には来いな」
新潟 橘 美千代
地球に接近中の火星とアンタレス赤き星ふたつ南南東に
こ よひ
足下にすり寄る猫を抱き挙げてあふぐオレンジの上弦の月
失望を重くひきずり戻り来ぬ今夜火星はひときは大きく
震災後まなき福島の歌会にて再会せしよ病む前のきみと
福島駅前にて原発反対のデモにたちまち加はりし君
君の歌をネットに見出で懐かしみしその翌日か亡くなりたるは
☆
(五十公野あやめ園)
傷心のわれをさりげなく気遣ひてくれたる君よ逝きてしまへり
満開にいまだ間のあるあやめ園咲きゐる花にひと等集まる
どんな花咲かせるだらう花菖蒲「湖水の色」はまだ蕾なる
49
栃木 早乙女 イ チ
桜木の落葉すっかり掃除され根方さっぱり風通りゆく
さっぱりと芝生刈られて緑映え公園広場雀出入りす
緑映えさつき際立つ城山の心地好い風の公園歩く
鯉の池目差して来れば水抜かれ修理中ですと看板が立つ
埼玉 野 崎 礼 子
お父さんの花が咲いたと母が言う裏庭に咲く紫陽花の花
紫陽花は父が好んだ花だから特別の花一番の花
向かい合いランチする時間増えてきてこれが老後かとふと考える
小さき実幾つも付けたるミニトマト見上げる空は雨の匂いす
原稿が真っ赤になるほど熱心なご指導賜りし川又先生
厳しくて熱き指摘が懐かしい先生がいて今の我あり
先生と母同い年と知り驚きぬ若さ溢れる歌数多あり
東京 樗 木 紀 子
冬雷大会にお目にかかること叶わざる川又先生をお見送りする
百円のお茶代集会所の缶に入れ人の集まる毎週土曜日
集会所隣のストアでおにぎり買い雑談しつつ食べる人達
向い側にマンション建ちてベランダの日当り悪く君子蘭枯れる
次々とサボテン類の枯れる中ゼラニウムのみ元気よく咲く
紅のゼラニウムは大宮で買いしもの転居多く五十五年経つ
☆
☆
☆
50
作 品 二
埼玉 浜 田 はるみ
衣替えで思い出したり制服が半袖になりしさわやかな朝
体力は年相応でも脳内は学生のような団塊世代われ
ありがとうと運転手に言いバス降りる幼児の声に気持ちなごみぬ
自然から得た喜びは大きくて大人となりて力となりぬ
あなたの子供時代があなたを支えてくれるその通りなり
☆
☆
青森 東 ミ チ 脚立より更に椿によぢ登り庭師は我が指す枝に鋸引く
五分咲きの椿に登りたる庭師我が指す枝を何度も確かむ
切られたる「錦椿」の大き枝庭師に担がれゆさゆさ揺るる
声澄める小鳥来て啼く早口の言葉のやうで聞耳たてる
再びのすべてに絶たるる訃報なり川又先生のご冥福祈りぬ
我の飼ふ猫にも気遣ひ賜ひける川又先生のやさしさ染み込む
キウリ二本トマト二本鉢植ゑし「大きくなれよ」声かけてゐる
岐阜 和 田 昌 三
開幕の早近づきて辻々に郡上おどりのポスター貼らる
「いつ来ても郡上おどりが踊れます」観光施設に目立つ看板
軒下にベンチ並べる家ありて観光客はほっと一息
貰いたる小さき苗も生長し買いたるパンジーに負けず咲き継ぐ
突如出でゴオーと吠える大蜥蜴に思わず声上ぐ恐竜の森
51
ゴーカートに乗りて回れば次々と恐竜出でて吠え声響く
小川には豊富な水の流れ居て熊川宿は静かに暮れる
今も尚内閣支持が半数に達する程に有るを驚く
自らの失政言わず消費税増税またも延期すと言う
埼玉 倉 浪 ゆ み 四姉妹「月の砂漠」を口ずさみゆつくり歩む御宿の浜
子供たちの幼き日々をおもひつつグリンピースの御飯たきをり
負けるたびうれしく思ふトランプ遊び幼き孫に知恵のつきたり
栴檀の花の明るき園庭に園児らの声はじけとび交ふ
窓をあけ初夏の朝けの深呼吸くすの木若葉のかをり入りくる
清すがしく白花つける十薬を窓辺に一りん置きてながむる
岩手 金 野 孝 子 川又先生の訃報を聞きて六月号冬雷集よむ九首一気に
初めての歌詠む吾の恩師なれば十年歳月の思ひ果てなし
「よかつたわ」震災安否確認の電話のお声いまにし聞こゆ
そのうちに便り出さむと思ひつつ成さぬ悔しさ胸をめぐりぬ
老い吾を励ますごとく老木の白躑躅まんかい去年と変らず
落ちる陽に花びら互ひにたたみつつ眠りに入るやアネモネの花
JAより新茶とどきぬ静岡産しろき湯吞みにさみどり鮮やか
鮮やけき色と香りに魅せられて抹茶碗にて正座して飲む
52
作 品 二
☆
東京 西 谷 純 子 このところ聞こえ悪しと医師に問へば年齢ですからと簡単に言ふ
診察も薬代も安き高齢者一割負担の吾も一人なり
シルバーパス使ふは二度目バスに乗る次は巣鴨ね友と言ひつつ
原稿用紙に向へば在りし日の前掛け姿の川又先生浮びくる
私はね添削する時が一番の楽しみなのよと話されゐたり
先生は月と星座のカレンダー楽しみなのよと喜び下さる
吾の歌添削されたる先生の赤ペンの文字今は懐かし
東京 石 本 啓 子
川又先生の微笑む遺影に等身の彼の日の姿ありあり浮かぶ
誰にでも分かるようにと歌を詠む教えを遺し恩師は逝きぬ
日めくりに生日命日それぞれの人想いつつ過ぎし日しのぶ
「げんき応援教室」に当選し一年間の体操可能
数多なる「やまと絵の四季」を堪能し安らぐ出光美術館
フジコ・ヘミング弾くピアノ「ラ・カンパネラ」に感動し立ちて拍手す
五月雨に彼の日まざまざと浮かびきて夫を偲ぶ五年目の墓
東京 林 美智子 ☆
十二羽の子ガモがあやめの葉の陰にギュウッと固まり微睡みており
幼児が草をちぎって投げる度子ガモが水面を横切りて来る
十二羽の子ガモを連れる母ガモのしぐさ、目配り、寛容さに見入る
53
ひとり居の兄の電話にふにゃふにゃと目眩がすると聞き駆け付ける
一時間に一本のバスは出たばかり財布確かめタクシーに乗る
ケアマネジャーに電話してもらい病院へ水分不足と言われ安堵す
寝る前にコップ一杯の水飲めと兄の電話に繰返し言う
賜れる梅の熟せる香の立ちて窓の外にはひと日雨降る
大滝さんの『怯むことなく』回し読む 冬雷に感謝元気いただく
岩手 及 川 智香子
詰草も背高泡立草の群落も何時しか見えず震災五年
草木伸び売地の立て札隠れゐて浜茄子の花際立ちて咲く
一升の餅を背負はせよちよちと歩む幼に念ひを託す
児童らの玉苗握りこはごはと植ゑたる田の面笑顔に揺れる
讃美歌の中に佇む姪の娘は牧師の語りに静かに頷く
☆
賢治の詩「雨ニモマケズ」をわれ踊る嬉しきサプライズと花嫁にこり
刈り込みて円み増したる山椒のにほひ香ばしふり返り嗅ぐ
東京 関 口 みよ子
人参色の足軽やかに下萌えを駆る鵯群れより出でて
鵯の俄かに発てばおもむろに羽をたたみてカラス降りくる
スパンコール光るポーチの底にして芳しきかな友の沢庵
街に住むホームレス老いて「春の小川」口ずさむ昼燕が飛びぬ
街に住むホームレス今日も大股に歩むよ冬を越え来たる足
54
作 品 二
雨の夜を樹下のベンチにし寐たるホームレスは褥の新聞紙剥がす
風に舞うチラシが誘うその笑顔レモンちゃんこと落合恵子
プードルのごとき髪型振り乱し反戦を説く落合恵子
1200万署名達成とニュースにて知りたり我の意思も加わる
☆
東京 富 川 愛 子 一時間並び賞でたる若冲展「三大菩薩」の笑みを拝す
立錐の余地なき部屋に「郡鶏」のその緻密さは躍動に満つ
出来るだけ歩行可能にをるために太腿きたへよと医師に言はれし
ステップウォーカーといふ機器求め先づは百歩の足ならしせり
室内に出来る運動便利なり日焼けもせずに汗ほどほどに
湯の中に冷凍うどんの解るるを見つつ静まる胸のかたまり
おもはざる読書欲など出できたり視力失せたる片目となりて
香川 矢 野 操
さくら済み若葉青葉の丸亀城市街の緑最も多し
歌つくり梅根性が夢を見る下から上へ咲く立葵
酢に和える沖縄産の島らっきょうしゃきしゃき感に手間を忘れる
ロケットや飛行機にない機能もつバックを効かす車の運転
手をあげた動作まねする幼児に笑顔を向ける横断歩道
「あなたへはほめ言葉を使わない」機嫌をとってくれない書友
しつけには細かく言わぬ母でした人のふり見てわがふり直せ
55
茨城 飯 嶋 久 子 ☆ 県展の準備娘は始むるや絵の具の匂い強くこもれり
行く先の連なる山々晴れ居るに雨雲の下ワイパー忙し
もんぺ穿き麦藁帽子に鍬をふるあなたの知らない私の今です
一時間草引きしたら休むべし向かい家の夫君声掛けくるる
横浜のホテルに友と語らいて船の汽笛に一瞬沈黙
船に乗り遠くの国へ行きたしと同時に同じ言葉を発す
あの人がそうあの人ねと最後まで名前出ぬのに話し通じる
私のとあなたの思うあの人は違うかも知れぬ奇妙な会話
☆
東京 山 本 貞 子 吾亦紅買へば訝る友のをりきれいと言へねど吾が好みなり
接木したるミニトマトの苗一本の楽しみを買ふ三百二円で
一切れのさつま芋より葉の伸びて皿洗ふ眼をひく一年近く
たわいなく「夏は来ぬ」の歌うたひ一人の食器洗ふ夜もあり
常に見るNHKのアナウンサー理容院へ行つたとわかる
帰宅促すチャイムが鳴りて公園の砂場にトンネルと砂団子残る
茨城 吉 田 佐好子
五種類の薔薇がおのおの咲き誇る五月の庭は美し楽し
それぞれに色や形が違う薔薇甘さの指標は蜜蜂の数
ワープロがなければきっとカタカナで書いてしまうよ「薔薇」という文字
56
作 品 二
方形に剪定されて躑躅あり製薬会社の青芝映える
どのように測定したのか方形に剪定された躑躅の低木
この時期の庭は華やかまぶしくて蜂や蚊居らねばなお良い季節
体育祭に我が子を探すカメラ持ちフィルター越しに競技観戦
かけっこは早く済ませて綱引きに気持ちを高めて勝負に挑む
高知 松 中 賀 代
笑い合う声弾けくる隣り家の四人姉妹は皆きりょう好し
朝空に飛びたつ前のミーティング五羽のつばくろ頭ならべて
波風のたたぬ暮しに浸りいて一人の姉の看取りを思う
わが畑の雑草の根はたくましく「スギナ」はとくに手に余る草
寒暖に振り回されて梅雨に入りまだ冬物も仕舞われず居る
☆
東京 伊 澤 直 子☆
わが歌の活字になるは恥ずかしいと言いし弟子入りこの間のよう
初心者をやさしく導き下されし五年の歳月我が宝なり
大会に召されしブラウスお似合いと言えば電話のお声華やぐ
散り落ちるばらの花びら集めきて「お花のケーキ」を作ろうと幼
娘らと葛西の海に潮干狩り沢蟹やどかり幼のバケツに
引き潮の葛西の浜はヘドロ禍かゴム草履の底吸いつき重し
そういえばここは羽田と成田の間葛西の空に飛行機多し
パプリカと水茄子トマトの苗植える夏の庭の楽しみひとつ
(☆印は新仮名遣い希望者です)
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詩歌の紹介 たちやまさお詩歌集
『故郷の道』より㉙
しい。
「島唄」
でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た
でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐が来た
うとのこと。比べものにならない私の詩。
「三毛猫たまちゃん」
理も繰り返し流されている。北朝鮮や中国と
安全のためにアメリカの基地が必要という論
沖縄でまた悲しい事件が起きた。強姦殺人
事件を死体遺棄事件と報道している。日本の
うたかたの波の花
ささやかな幸せは
さざ波がゆれるだけ
でいごの花も散り
ウージの下で千代 ち
(よ に
) さよなら
今日も遊びにきてくれた
きらきらと黒白まじりの猫さんが
三毛猫たまちゃん
三毛猫たまちゃん
の対立を前提にしているが、そうではないと
ウージの森で歌った友よ
立谷 正男
くり返す悲しみは 島渡る波のよう
心ある人は東アジア共同体の平和的構築を目
ウージの下で八千代の別れ
三毛猫たまちゃん
眠れ良い子よねんねこよ
お日さまと長いお昼寝つづけてる
指している。仏教初め日本人の精神形成に中
ウージの森であなたと出会い
国朝鮮の影響は計り知れない。私の尊敬する
ばなければならないと言っている。哲学者梅
島唄よ 風に乗り
鳥とともに 海を渡れ
島唄よ 風に乗り
三毛猫たまちゃん
不思議そうテレビをじっとみつめてる
原猛先生は克服を求める西洋文明よりも自然
鳴きながら私のあとをついてくる
私の帰りを待っている
ひっそりとおしろいばなのはなかげで
三毛猫たまちゃん
わかりあう言葉がほしいね
猫さんいっぱい映されて
界との融和を求める東洋文明の方が遥かに優
届けておくれ 私の愛を
蕪村は俳境の深化を求めるなら中国の詩を学
れていると言う。昨今のテロにみられる如く
海よ 宇宙よ 神よ いのちよ
欧米思想では混乱が続く。犠牲になられた島
袋さんには申し訳ないが、いよいよ沖縄に基
このまま永遠に夕凪を
ウージとはサトウキビ畑、別れは戦争を言
地は要らないという運動が本土も含め発展す
ることを願いたい。
私は沖縄の歌が好きだ。どの言葉も美しく優
58
染む 中村 晴美 干しぶだうふんだんに入るちぎりパン喰ひた
れゐて 橋本 文子 春先の強き風に巻き上がる畑の土が空を黄に
と歌いすぎゆく 高橋 燿子 ☆
故郷の神社に鳩は多かりき鳥居の下に豆売ら
避難者 山口 嵩 ちさき傘回して歩む幼子が「さくらさくら」
大久保修司 六年目迎へたる今も復興と頑張れの声に喘ぐ
ふコンビニの勘定 関口 正道 病む夫を妻が看る家の玄関に柊鰯の頭残りぬ
人にも見ゆ 黒田江美子 財布開け小銭をトレイに全て出し数へて支払
く吾が琴の会 荒木 隆一 大木を取り囲み咲く薄青のイヌノフグリは小
り言やめず 田端五百子 世をすねる訳にあらねど懐かしき昭和の唄弾
浮きて来る湯豆腐箸でつつきつつ女は昔の繰
作 品 一 和田 昌三
ルド色 伊澤 直子 ☆
雲間より青空のぞき海光るこれぞ沖縄エメラ
やかに動く 本郷 歌子 ☆
人を追ひ越せずをり 山本 貞子
ぶり返す膝の痛みに苛立つも雛飾る手はしな
ス心ときめく 及川智香子 バスの時間気になりゐるも前をゆく杖をつく
下る 西谷 純子 掻き消えたる高田松原に再びの白砂のニュー
に体重乗せる 東 ミチ 長く長く引き潮にのる花筏大横川をゆつくり
りつ 野崎 礼子 ☆
擬宝珠の移植にスコップ深く差し梃子の原理
たるの如し 倉浪 ゆみ 薄紅の桜隠しの雪が舞い信濃の春は行きつ戻
図書館のガラスの外をふうはりと桜花びらほ
太く吐く 佐藤 初雄 ☆
ちに鳴く 立谷 正男 灯を消して手足伸ばして床の中今日一日の息
笹なかを出でて鶯柔かに芽吹きの山のをちこ
作 品 二 髙橋 説子
のひとつ 中島千加子
は語りぬ きすぎりくお
毒がある花と知れども鈴蘭は吾が定番の香り
群島父の歌声
藤田 夏見 ☆
九年前ふとわが言ひし言葉への感情を今宵妻
ヒー入れくれし君を忘れず 片本はじめ 鼻歌の「酋長の娘」おはこなりしマーシャル
丈夫心うろうろ 川俣美治子 ☆
「はじめさんはやく起きてよはい新聞」コー
らしつつ 木村 宏 ☆
爪赤く染めてみたものの恥ずかしいいいや大
を誘う 山口 満子 ☆
梅の花西日の中に飛んで行く激しき風に枝な
日如来 廣野 恵子 ☆
楽団の奏でる曲は緩やかに流れるようで眠気
りは青し 星 敬子
本堂の小さき窓より拝すればひっそり輝く大
り放てり 乾 義江 ☆
春の雨しづかに降りて川土手に芽吹く柳の翳
潮騒の聞こえる岬に犬吠埼の灯台しずかに光
作 品 三 天野 克彦
六月号 十首選
くなりて毛呂山へ行く 大山 敏夫
六月号 十首選
59
六月号作品三欄評
の慨嘆の聲でもある。
げたりピアニッシモで 鍵盤に迷うカメムシ師の指はつまみあ
☆
白波をたてて寄せくる潮騒の太平洋に
ブレイクあずさ
飛んで来てピアノの鍵盤を這うカメム
シを師は慌てず、極めてやさしく緩やか
☆
に抓みあげて捨てたのだろう。師の一連
乾 義江
太平洋と大仰に言つたのに五句は甚だ
弱い。せめて「太平洋に雨降りしきる」
の動作をピアニッシモと、音楽家らしい
雨は降り注ぐ 「太平洋はどしゃぶりの雨」でどうか。
観入で捉えたのは素晴らしい。
水谷慶一朗
ありがたきふるさとの山切り崩し被災
近隣によく見かける景観。空地があれ
ばすぐ戸建ての家が建ち干された洗濯物
☆
の町に嵩上げの土 斎藤陽子
知らぬ間にここの空地に家の建ち洗濯
から生活が窺える。上句「いつの間にか
物が乾されていたり 山本三男
空地に瀟洒な家が建ち」位に言えれば流
を切り崩した土が、街の嵩上げに役立っ
なべて幼児の顔の表情からその時どき
の気分を察するのは困難である。作者は
楽は単純ならず 顔見ても分かる筈なく幼くとも喜怒哀
きすぎりくお
ふるさとの山をありがたいと言ったの
は啄木だが、被災地再興の爲に古里の山
たありがたさを伝えている。下句「被災
幼児に接しながら感情の喜怒哀楽の複雑
麗的。洗濯物は「干」が良いと思う。
サイレンを鳴り響かせて救急車は散り
の街を嵩上げし土」で分りよくなる。
通勤の道すがら視野に入った安息の景
観である。作者には珍しい写生歌である
菜の花が咲く 中島千加子
さを把握した。下句はうまい纏め方。
通勤の脚を緩める河岸に朝陽あつめて
聖域の門番である仁王の眼は山門の闖
入 を 睨 む。「 我 」 不 要。 五 句 字 不 足 ゆ え
山門の仁王像に見つめられ階段のぼる
我は背のばす 廣野恵子 ☆
たる桜踏みて走り去る 鈴木やよい
すんなり詠み切つた様でも推敲不足は
否めない。特に「て」と「る」二度づつ
重出したのは煩さい。上句は其の儘とし
ても下句は再考でしょう。「桜の花びら
踏みちらしゆく」で確かになる。
きだ
と思う。元もと感覚、感情の多感な人で
あるから、如何なる素材にも対応できる
を込めて拍手を送ろう。
いるのは確かである。再出発に際し期待
☆
遠く近く見渡す限り春満ちて携帯片手
震災の教訓と言ふが海はどこ城壁めく 「段のぼりつつ背筋を伸ばす」でよい。
高き防波堤あり 植松千恵子
日常の散策道をウオーキングしている
のだろう。三句は漫然とするから「春の
詠嘆の鋭さ力量は、高水準を具備されて
いろ」の方が明確になろうか。
に歩くあぜ道 川俣美治子
れた。城壁めくがそれで捉えた表白であ
震災津波の災害を踏まえて、風光明美
な海岸線にとてつもない防波堤が建設さ
る。市街地からもう海は見えない。作者
60
六月号作品三欄評
関口 正道
☆
絶え間なくしゃべり続ける女居るレス
トランから雀が見ゆる 山本三男
食事をしに来ているのだから静かに願
いたいと作者は思う。囀るしかない雀の
所業に似ている!との指摘は納得する。
二人で京都楽しむ 加藤富子
☆
の現実は喜びで、これは素直に嬉しい。
御主人の病状が落ち着いたのか、健康
が回復したのか、桜見物か、姉妹二人だ
☆
けの旅は単なる報告ではない。
爪赤く染めてみたものの恥ずかしいい
や大丈夫心うろうろ 川俣美治子
作者の年齢は判らないが、マニキュア
は初体験なのか。足の爪ならば素足でサ
の戦争ぎらい 藤田夏見
い て き た か ら 単 な る 平 和 論 者 で は な い。
☆
ンダル履きで出掛ければ度胸が据わる。
戦争が好きだ、という人も居ないと思
うが、この作者は父親から折に触れて聴
折々に戦争のこと聞き育つ戦後生まれ
携帯が鳴れば君かと思ひたり君を亡く
して十日経てども 片本はじめ
父親の経験は語り次いで欲しい。
同居している母と大きくあくびして掃除
をすれば雪が降り初む 荒木亜由美 ☆
一瞬を捉えている。ある程度の年齢に達
しさを励ましにけり 野口千寿子
すればみな何らかの身体事情がある。
られたる蟹なんと残酷 斎藤陽子
☆
こういう歌は類型歌が多いとの批判も
多いだろう。だがチューリップの鮮やか
もっとも親しくしていた友人の死。周
義姉も淵われも淵なる過ぎし日を語り 囲の人間の死は悲しく、立ち直るのに時
て尽きぬ宿の夜更けて 乾 義江 ☆
間がかかる。乗り越えて頂きたい。
「 淵 」 と は 重 い 言 葉、 人 生 沈 ん だ ま ま
で は な い と 思 う。 米 寿 だ が 健 脚 な の は、 散歩道の赤白黄のチュウリップわが寂
身体は「淵」のままではない。寝たきり
さを強調する意味に於いては有効。
ミモザ咲き梅が終りて桜散る水を飲み
夫の身のやや落ちつける春の日に妹と
想像できる形容、これは秀歌だ。
歌会のため頑張って欲しい。
らの自分を暗示している。将来の冬雷短
欠詠されていたが、復活されて嬉しい
ブレイクあずさ ☆ 限りだ。若いが筆者など及ばない歌歴が
ピアニッシモは「弱く」の意味とある。
カメムシとピアノの対比、師匠の仕種も ある。三種類の花の状況を言い、これか
一 首 目、 六 首 目 の 歌 は 深 刻 に 思 う が、
この歌は、それを打ち消すような日常の
の人も多い。ここをプラス思考にしたい。
鍵盤に迷うカメムシ師の指はつまみあ
干す吾は生きてゐる 中島千加子
生きたまま鍋に入れられ鳴きながら煮
げたりピアニッシモで
筆者の私は肉食が苦手だ。甲殻類は嫌
いではないが、単に高級なので手が出な
い。こういう見方もあるのは面白い。
☆
雨ののち日差しの向こう虹架かる初孫
誕生知らせが届く 川上美智子
短歌はどうしても喜怒哀楽の哀しい経
験が多い。だが虹を見る感動と孫の誕生
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作品三
群馬 山 本 三 男
アリ群れてカミキリムシの亡骸に土盛りゆくを驚きて視る
ハエ落つる音を聞きたり室内に殺虫剤撒きしばらくの後
若き日感動したる小説も年経て読めば嘘の目につく
住民は皆一様に歳老いて朝早くから人声を聞く
サボテンのトゲの間を逃げ回る赤く小さき蜘蛛追い詰める
街灯に照らされ「ブラック」の文字の見ゆ夜の路上に缶捨てられて
葬儀場の駐車場に立つガードマン老いたる顔は黒く日焼けて
些細なることを気に病む育ているコスモスの苗にアブラムシ付き
半袖と長袖混じる女生徒ら歓声を上げ自転車を漕ぐ
☆
岩手 村 上 美 江 お痛みはありませんかと葉書あり短歌の師よりの台風見舞 (川又幸子先生より)
年々の異常気候を語る義母からつゆの下にきぬさや固し
今日といふ朝の来りて今日といふ我の心音いとほしみ立つ
塩だけで茹でる新薯󠄀ホクホクの熱きを食めば季節動きぬ
トロトロの玉葱箸で落とさずに大地の力と恵み煮付ける
手の平にすず転がせば音色清しこれほどの音小さな幸せ
横浜市中区 馬車道・萬国橋
62
作 品 三
明日は雨天気予報のテレビより何故だか当る膝の痛みに
☆
東京 鈴 木 やよい 車窓より遠くを見つめ巡らすは今日をなんとか遣り過ごす手立て
老化なれどやはり手術が必要か幾度も確かむ左目のかすみ
手術日に印付けたる手帳持ち新たな予定を書き入れてゆく
貰ひたる椎茸原木うち置けど気付けば頭のむくり出でをり
収穫の椎茸丸くふつくらと裏のひだには乱れひとつ無し
蛍ゐると聞きて来たれど川沿ひは眩しきライトの車が通る
目を凝らし暗き水辺を見つめれば淡き光の蛍現る
墓終い 東京 卯 嶋 貴 子
遠いところ熊本地震に義捐金吾の出来る事と銀行へ行く
熊本の大地震による墓終い夫と二人で熊本へ飛ぶ
離陸してすぐに機体は雲の中不安な気持で二時間すごす
飛行機に二時間にて着く熊本のまわりの家はブルーシート数多
父祖の地の熊本地震にて墓倒れ継ぐ者なくて墓終いする
空港にてレンタカー借りて親戚の家へ役場へと走りまわりぬ
静岡 植 松 千恵子 日常を飾らぬ言葉で詠ひあげ大久保さんの優しさにじむ
田植ゑ後の苗の曲りも気にかけず慣れぬ作業の息子をねぎらふ
田植機が畔に上がらず難儀する翁に手を貸す隣の人達
63
逞しき大滝さんの短歌読み根幹作る人生を知る
見識を広めむと敢へて途上国へ大滝さんの強き生き方
良き香り梅花ウツギの白花をさし木でつくと友は持たせをり
大統領が厳戒のなか広島に被爆者とハグすテレビに見れば
茨城 乾 義 江
切り開く山の車道のところどころ白き山桜静かに咲きおり
玄関を開けて羽音を目に追えば繁る庭木に子鳩潜りぬ
眩暈かと思えば地震の揺れだして携帯にひびく緊急速報
核カバン携えオバマ大統領広島に謳う核なき世界
ふくらめる拳ほどなるゴミ袋風に吹かれて目交いに舞う
水田にて餌漁りいる番い鴨うしろに残る奇麗な波紋
見ぬようで見ている鴉電柱より人去りゆきし芥に降下す
岩手 佐々木 せい子
包丁を使う手捌きたしかなり朝の厨に娘は根を張る
花好きと云える夫ではないけれど連れて行きたり折々の花園
太陽は高台住宅惜しみなくひと日包みて今沈みゆく
花粉時期やっと過ぎ去り気分よく暮らしておれど梅雨もまた敵
裏山に巣作るカラスの騒ぐ声上空に鷹の狙う気配して
☆
☆
神奈川 山 本 述 子 夕暮れに蛍待ちつつ他愛なく緑ゆたけき森にて語る
64
作 品 三
小網代に五百匹近く蛍翔び童心に返る闇の空間
紫陽花の山の傾りに広ごれり溢るる優しさ観音の慈悲
弾む如山に紫陽花咲き誇り長蛇の列のカメラに応ふ
(長谷寺)
コンサートに纏められたる「母の歌」涙込み上ぐ愛の深さに
幼き日小川にとらへたる蛍蚊帳に放ちて戯れ居たり
五月尽塾生のリレー応援す我孫の如く力の入りて
東京 大 塚 雅 子
二の腕を揉みほぐしつつ筋肉痛の理由は何かと思いあぐねる
穏やかな朝の日差しに地下道を今日は使わず通勤をする
本格的夏の訪れ感じらるゴミ捨てに出たる朝の気温に
福島 中 山 綾 華
節句には母と作りし柏餅今も作りて孫に届ける
磐梯山より眼下に光る猪苗代湖浮かぶ小舟もゆるやかにして
庭に咲く花を手いっぱい摘みいたり預かれる子等競い合いつつ
☆
☆
岩手 斎 藤 陽 子 まみえねどやさしき文を二度賜りし川又先生の御逝去を悲しむ
亡き父に面ざし似たる舛添氏苦しき言ひ訳見るにしのびず
オバマ氏は祈りの花輪捧げ終へあふるる思ひにまなこ閉ぢたり
レギュラーになれず野球三年間続けたる孫におにぎり作りき
玄関のつばめの巣にはヒナが五羽配達の人らまづは笑顔に
65
あきらめてゐたる観葉植物に新芽見つけた今日の幸せ
梅漬ける日をたしかめむと読む日記におばは在りたり去年たしかに
茨城 豊 田 伸 一
春雨の静かに降りてたまる水歩くそばから泥はねあげる
春盛りの桜を散らす強東風に惜しむ気持さえ吹き飛ばしたり
奥久慈の桜並木と菜の花の対照映えて清々しけり
強東風に庭の椿の紅白の花みな落ちて惜しむ気のある
白色のシンビジウムが咲きみだれやがて散るらむ薄紅色に
幼児は父の死知らず無邪気なり読経の声のみ響きわたりぬ
いつもなら隣の子等のさわぐ声あらぬは悲しその父の死す
高知 川 上 美智子
にょきにょきと春の陽浴びて現れる蕨採りたり野鳥鳴く野に
蕨筍蕗の入りたる五目寿司友の手作り夕餉の馳走
両岸は萌える若草風渡り揺れる川面が草色に染む
熊本の被災者如何にと案じおり深夜の雨に寝返りを打つ
赤土の段段畑は畝の帯耕運機進み機織る如し
甘き香に誘われ行けばみかん畑羽音賑わす蜜蜂飛び交う
東京 山 口 満 子
「誕生日に何が欲しいか」と問われ外付けハードディスクをねだる
最近の夫とのデートコースはイオンにホンダにオーケーストア
☆
☆
☆
66
作 品 三
埼玉 星 敬 子 遙かなるロシアへの旅一日千秋指折り数ふ無事を祈りて
在りし日の君が作りし茶道具の四方水指今日初舞台
風薫る戸定の庭に人々が一期一会の茶会楽しむ
今日も又体操教室の帰り道あやめ咲く水元公園に寄る
い づら
あやめ咲く水元の里花陰に青鷺一羽凛として立つ
☆
五浦海岸 茨城 木 村 宏 白波は巌にくだけて飛び散りぬ六角堂を春疾風吹く
久々に六角堂の海を見つエメラルドグリーンの波頭まぶし
はまなすの匂ひ流れて立ち停まる小径の下に波砕け散る
柿の葉は浅き緑に輝きて西日の中に風渡りゆく
二年余り拙き短歌をみてくれし師は忽然とみまかりしかな
我が顔の染み年々にひろがりて流石に傘寿近きをぞ知る
癌検診異常なしとぞ嬉しかり傘寿控へて安らかに過ぐ
我が猫も十歳を過ぎぱたぱたと階段鳴らして登りくるかな
栃木 川 俣 美治子
どこまでも五月の空は眩しくて飛行機雲が青を分け行く
遠くまで整然と並ぶ田植えあと空をうつして飛ぶ鳥の影
きのうホット今日はアイス悩むのは梅雨に入った朝のコーヒー
同じ場所いつもの季節青い花今年もたくましあじさい濡れて
67
濃い薄いあれど山々緑のみ夏を前にしてより力増す
雨でなく今にも雲が落ちそうな暗く低い空梅雨の最中
いつからか身体動かすそのたびに口からこぼれ出るどっこいしょ
久しぶりに夫婦で歩く玉砂利の音心地良く歩幅を合わす
愛知 鵜 﨑 芳 子
ピカドンと言われた爆弾その無惨大人になって知ることとなる
遠き日の夏休みに子等を連れ行きし原爆館に言葉を無くす
長き年月心の中に響く歌原爆ゆるすまじのうた声
アメリカの大統領が初めての広島訪問テレビに見入る
伊勢志摩の緑豊かな賢島G7サミット警備は厳重
☆
☆
奈良 片 本 はじめ 焼肉を食へばガチャリと音のして右上奥歯が瞬に折れたり
院長はやさしく声をかけくれて右上奥歯をたちまち抜きぬ
自治会の草掃除にて村人らの慣れたる動きに我追ひつかず
穏やかなる顔の老人のんびりとトラクターにて田植ゑをしをり
隣室の女はいつも無表情笑顔ひとつも見する事なし
隣室の女は村の草掃除さへも出て来ず平然とをり
病弱にて貧しけれども苦にならず忌はしき過去思ひ起こせば
スーパーのレジにて長く並びても愛想の良き女を選ぶ
東京 永 光 徳 子
68
作 品 三
風にのり少年院の若者のグランド走る掛け声聞こゆ
高き塀木立の奥は見えずとも試合楽しむ歓声嬉し
棕櫚の木に蛇の如くに絡まりて定家葛は高きへのぼる
満開の定家葛は花の帯道行く人は暫し見上げる
庭隅に小さき畑作りたり初採り胡瓜は写真に残す
南東の空に煌めく赤き星スーパーマーズ眺めて飽きず
長崎 野 口 千寿子
梅雨の晴間に紅きやまももの実を見つけ遠き古里に思いを馳せる
くちなしの花の香深く咲きはじめ小庭明るし雀が並ぶ
☆
☆
沙羅 東京 松 本 英 夫 ゆつたりと教へられしにかくも疾く師はゆき賜ふ沙羅白く咲き
八潮へは行かねばならぬと思ひしに豊洲の地にてかんばせ拝すとは
会閉ぢる師にささげたるわが短歌喜び賜ひしに吐息深き
いくたびか苦吟楽しみし四階の窓思ふ間なく師は逝きたまふ
初めての真夏日なれど涼やかに眠りたまへり師は見守られ
親しみし歌人たちに見送られ輝く道を旅立たれたり
暑き日に集ひし黒服の人々はバスに電車に明日に向かひぬ
東京 佐久間 淑 江
亡き母と春祭の煮しめ盛り付けし大皿磨く太鼓聴きつつ
太鼓の音遠くに響く春祭りハッピ姿の亡き父想う
69
笑顔にて我が誕生日祝いくるる弟妹と温きテーブル囲む
ゆったりとベッドに背もたれペンを持つ春夜の我の憩えるひととき
音たてて牡丹散る庭茶の間よりそっと見守る月明りの中
栃木 加 藤 富 子
病院の銀杏並木は季ごとに元気と癒しを我らに贈る
苺つみに誘いてくれる友ありて孫の好物ジャムを作りぬ
ハウス内温度上がりて心踊る真赤な苺の鈴生りを見て
(新潟県阿賀町)
吹き出る汗さっと鎮めて五月の風孫と一緒に苺つむ朝
看護師の道を歩める娘との会話は時に解剖生理
幼き日狐の嫁入り耳にせり今も行われる津川の祭り
☆
(幼友達の芳子さん逝く)
埼玉 横 田 晴 美 ☆
教え受く恩師に会うこと無きままに訃報を受ける哀しきメール (川又幸子先生逝く)
頭から尾まで真っ赤な金魚等が並ぶ十匹升目の中に
歌という短詩を綴る難しさ教え頂く遠い思い出
ヨッチャンが湯舟の中で唯独り天国行の列車に乗った
二人して襁褓を付けて手を繋ぎし幼友達別れとなりぬ
紅を差し眠るがごとく穏やかに棺の中に花に埋もるる
紫がけぶるがごとく降る雨にいよよ色増すてっせん数輪 愛知 児 玉 孝 子 ☆
母の日にこだまさんにもあげたいと絵をかき呉るる隣りのだいちゃん
70
作 品 三
九十五歳にて逝きたるははの十三回忌迎うる支度をなすは尊し
挿し木して三年目なるキソケイに黄花咲き初め花瓶にさしぬ
菜園に胡瓜の二本なりており僅かに曲がる初ものを取る
年とるも筋肉はできると励む日に腹筋五回出来て驚く
五羽の雛育ちて巣からこぼれそう親燕くるにみな口を開く
人格とは何かと問わん東京都知事のなしたるまさかの不祥事
あ に 広島 藤 田 夏 見
六代の墓終うこと覚悟する従兄に伴われ墓経聞きつつ
伯父の碑はひときわ聳えて記あり「資性沈勇果敢幼より」
ひと節の大腿骨の出で来たる四代前の墓の下より
どの墓も骨のしるしの残りいてひとつの箱に静かに眠れ
同級の石屋に頼み十六基ひと日のうちに寺に納める
十六基の墓は次つぎ運ばれぬ更地となりて山鳥の声
時過ぎて笑い話と全てなれ幼に会えぬ病室の娘の
埼玉 きすぎ りくお
最上川を渡れば心なみ立ちぬ我が青春を過ごしたる街
あかねさす昼の光の野に寝ねて両手にかざし師の歌集読む
宙たかく伸びる周りの麻群につられて伸びたし蓬のわれも
むづかしき集金すみての帰り道いささか奢りウニをあがなふ
立ち枯れの木は雨に濡れ細き枝のひときは朝の陽に輝きぬ
☆
71
帰宅して小さな靴が玄関にちよこんと在りぬ孫来てるらし
母の日はプレゼント持ち訪ね来る昨日母子で諍ひし娘も
かうすれば良かつたなどと悔みつつ眠らぬ我の夜が更けゆく
東京 中 島 千加子
皇居から迷ひきたるか鷺一羽首都高下の濠を歩めり
轟音の下の灰色の淀みにてしやきりと立ち白鷺ひかる
泥色の淀みで鷺は一拍置き翼広げて光を放つ
白鷺が去りたる後の淀みにはビニールごみがぷかぷか浮かぶ
みづ多く水彩絵の具を混じらせて描きてみたし今朝の紫陽花
思ひ出すローランサンの水彩画滲む色合ひ紫陽花に似る
何色も色鉛筆を重ね塗る今日の紫陽花忘れられずに
明日にはどんな色へと移るのか夜の紫陽花闇に穏やか
紫陽花のつかみどころのなき色に映えるか白きブラウスを着る
三重 松 居 光 子 ふんはりと友焼きくるるシフォンケーキきめ細やかにやさしかりけり
びやうやなぎ
簡潔にメール調なる孫の手紙「現代っ子ね」夫と笑ひぬ
ありなしの風に揺られて未央柳黄の蕊さやに夏は来にけり
サミットの警備の人らものものしゴミ箱撤去されたる駅は
(☆印は新仮名遣い希望者です)
六日間を如何なる思ひに過ごしたるや水のみに七つの少年生きぬ
菖蒲園をそぞろ歩きて思ひをり紫は梅雨の曇りに相応ふ
72
暑中お見舞い申し
上げます 石田 里美
御無沙汰して居ります。チャンスを頂
き暑中見舞を申し上げられること幸せ
と思います。どうぞ健康に御注意あそ
ばして夏を乗り切って下さいませ。
暑中お見舞い申し上げます。
会員皆さまのご健康とご健詠を、そし
て冬雷短歌会の益々のご発展を心より
お祈り申し上げます。
大川 澄枝
暑中お見舞い申し上げます。
酷暑の日々、熱中症にも気をつけてど
うか皆さまご用心なされて下さい。又
お元気で大会でお会いしましょう。
糸賀 浩子
岩上榮美子
大塚 亮子
暑中お見舞申し上げます。
大久保修司
暑中お伺い 格別の夏季、先生方、会
員の皆さま差障りなくお過しでしょう
か。皆々様のご健康と、ご健詠をお祈
り申し上げます。よい夏を 。
赤羽 佳年
旧い時代、梅雨はジトジト降るもので
台所の醤油びんの中の表面には青カビ
が浮いていたものでした。神経質な若
かった母がマメに取り除きました。
「 年 を 取 る の は 仕 方 な い が、 年 寄 り に
なる必要はない。」
老後などの語は肯定しないが、老いを
どう詠うかは、考えて行きたい。
暑中御見舞申し上げます。
体調管理に気をつけて暑さを乗り切り
ましょう。
赤間 洋子
暑中お見舞い申し上げます。
改めて短歌と向き合い、難しさに直面
しています。言葉ひとつひとつに導か
れながら学びの日々です。
猛暑の季、皆様いかがお過しでしょう
か。謹んでお見舞申し上げます。
水にひたした飯を庭にまいて寄ってく
る雀を見ていると暑さを忘れてしまい
ます。
今年も大会でお会いしましょう。
黒田江美子
江波戸愛子
池亀 節子
73
‼
近藤未希子
暑中お見舞申し上げます。
今年の夏は何か狂ってしまった様な丈
低くコスモスが五月から咲き出し毎日
新しい色の花が咲いています。
兼目 久
暑中お見舞い申し上げます。
暑さとともに、天候不順も続いており
ますが、皆様のご清祥をお祈りいたし
ます。
佐野智恵子
本部にも支部にも欠席で皆様の顔まで
思い出せなくなり外出もしないのでま
すます老いて淋しいかぎりです。
下手でも歌だけは出させて貰います。
酒向 陸江
暑中御見舞申し上げます。
川又先生亡き後も、大山先生、小林先
生を中心に、冬雷短歌会がますます発
展しますように!。
高松美智子
暑中御見舞申し上げます。
厳しい暑さが続きますが暑さに負けぬ
よう夏を乗りきり大会でお会いできる
こと楽しみにしております。
高田 光
暑中お見舞い申し上げます。
水不足に怯え、暑さを恨めしく思って
います。大会で皆様と会えることを思
い、涼としています。
白川 道子
暑中御見舞い申し上げます。予報では
酷暑の由、皆様どうぞご自愛下さい。
田中しげ子
御暑さお見舞申し上げます。
お暑さが続き居りますがお元気に御過
ごしの程念じ居ります。
櫻井 一江
暑中お見舞い申し上げます。
今年の夏も朝夕の散歩、水分の補給を
怠りなく頑張ります。
中村 哲也
今年は猛暑との予報がございます。
皆さまお元気で暑さを乗り越えられ
ますよう、お祈り申しあげます
暑中お見舞い申し上げます。皆様お変
わりございませんでしょうか。当分き
びしい暑さが続くようですが、お体を
大切にお過ごし下さい。
関口 正道
暑中お見舞い申し上げます。
被災地の皆様に思いを寄せ合いて、節
水節電に努めながら元気に夏を乗り切
りたいと念じおります。
桜井美保子
74
野口千寿子
暑中御見舞申し上げます。
まったくの初心者を受け入れてくださ
り感謝申し上げます。冬雷の皆様を目
標に励みます。
水谷慶一朗
暑中お見舞い申し上げます。
年々に体力の衰退を感じています。今
から体調を整えて、大会に出席したい
と思います。
三木 一徳
暑中お見舞申しあげます。
人も暑さ寒さで生かされています。暑
さに負けないで、がんばりましょう。
山田 和子
暑中お見舞申し上げます。
今年は日除けに苦瓜を二本植えまし
た。
山﨑 英子
暑中御見舞い申し上げます。
この夏を元気に乗り切って秋の大会に
皆様にお会い出来ます様に願っており
ます。
暑中お見舞申し上げます。
遠くから花火の音が聞えて来る頃とな
りました。朝顔の花開くも楽しみです。
西谷 純子
暑中お見舞い申し上げます。
まだ自分の足で歩きたく股関節の手術
をいたしました。
吉田 綾子
冬雷短歌会
自分の歌を詠め。(木島茂夫)
下手でも良い。
暑中御見舞い申し上げます。
皆々様の御健康をお祈り致します。
暑中御見舞申し上げます。
皆様御元気でいらっしゃいますか?
もう一度大会に出席して皆様にお会い
できればと思いますが?
本山 恵子
森藤 ふみ
暑中お見舞申し上げます。
福士香芽子
暑中お見舞い申し上げます
松原 節子
75
歌集 / 歌書
御礼
に響いて来る。母への細やかな愛情が溢れて
収録した。平成二十七年九月十日発行。
かくまで細き万作の花
バレリーナの四肢のさやぎが目に浮かぶ
ぐろき餡見つめをり
仏壇にほほゑむ父とあんぱんを割りてか
ている。
ように作者もまた母への限りない愛情を持っ
荷風が母への深い思いを持っていたのと同じ
を愛し、その生き方に心を寄せる作者である。
それぞれに留守がちの四人家族にてとき
思い出多し
留守番を夫に任せた一年が我らにありて
の夜はぐっすり眠る
留守宅に家事も子どもも置いてきた出張
の姿に及ぶ
留守番の子らを思えばその子らの幼き頃
九月十六日発行。
の作品から五一九首を収めた。平成二十七年
「新暦」「十月会」に所属する著者の第四歌
集。二〇〇八年五月から二〇一五年四月まで
■河路由佳歌集『夜桜気質』
もう幾杯ここできしめんすすりしか母見
一本の樹木のやうなこの道の根のはうへ
たま揃うときの幸せ
いて、心温まる作品である。永井荷風の文学
舞ふたのしみのごとくに
暗き家路たどりぬ
編 集 室
われいつか白髪となり見わたせば無数の
クロールがロボットのやうだといはれた
安らぐひとときなのだろう。二首目はきしめ
一首目、幾たびも母の見舞いに通う日々。
その度に店に寄ってきしめんを食べる。心が
こはばりしははの足指ゆのなかにそつと
だと母はいふなり
温泉のもとをふたさじ加へたりええ匂ひ
足を湯に浸
らせて奥が深い。四、五首目の水泳の歌はユー
庭にもどることだ。どの歌も読者を立ち止ま
とは生活の基盤である根っこともいうべき家
を思わせる万作の花、そして家路をたどるこ
この世にいない父ともあんぱんを分け合っ
て自在に語り合う。バレリーナの繊細な動き
らくをヒトやめてをりたり
うつぶせでプールに浮きぬ息つづくしば
りギシギシと夜の腕をまはしぬ
続々と来る新入生吸いこんで破裂しそう
ような仕事が増える
役職をひとつ受ければぞろぞろと小芋の
品で温かい心に溢れている。
ことが何よりの幸せなのだ。実感の籠った作
けに四首目にあるように時々家族全員が揃う
最初の二首はパリに出張した折の作。仕事
と家庭を両立させながら働く母親の姿が描か
洗面器二つつ買ひきて骨と皮ばかりの母の
んを食べながらの発見。自分だけでなく店の
モア感があり親しみを持てる作品だと思う。
子らの世代の学生集う夏合宿 靄のごと
いた思い出が感慨深く詠まれている。それだ
れている。三首目は単身赴任で中国に渡り働
客も同じように老いていることに気づく。何
な教室である
を介護する場面を捉えたもので、じいんと心
ひらきぬほころびはじむ
か哀感が漂うような一首。三、四、五首目は母
(かりん叢書第二九九篇 短歌研究社刊)
く
「かりん」編集委員を務める著者の第六歌
集で、近年の作品から五百三十八首を選んで
■日置俊次歌集『落ち葉の墓』
白髪がきしめんすする
76
旧約聖書にあるアブラハムという男をめぐ
る二人の女性、ハガルとサラの物語を想起さ
て花を付けざり
われへ降り止まぬ雨
せる歌集名である。愛の苦悩を象徴したもの
枯れつつもゆるく匂いぬ一月に死したる
■渡部洋児歌集
な の か と 思 い な が ら 読 み 進 め た。「 短 歌 人 」
父の傍らに似て
家族四人かたまりていしシートあり…、
に所属する著者の第三歌集で、あとがきには
自らの内面と向き合って紡ぎ出された作品
群である。ゆっくりと何度も読んでみると作
『ハガル=サラ・コンプレックス』
多いのだろう。生徒達の成長を見守りながら、
テーマ性を帯びた歌を作り続けている以上、
品の提示している世界が奥深いものであるこ
くあれ教師の我は
導いて行く姿が歌集の作品から感じられる。
歌集を出してこそ歌が完結すると述べてい
とに気づく。全体が三章に分かれており第一、
歌集名は「よざくらかたぎ」と読む。職場
のすぐ近くに桜並木があり、仕事で遅くなっ
にんげんは小さし されど果てしなき宇
どれほどを見つづけ来しか夏の夜の橋に
けで見えてくるものがある。
手術後の両目はかすみ見えぬままわれは
し父の目覗き帰りぬ
ふたりして来たるわが子は家を捨て病み
が深い。次のような作品である。
の第三章は作者の心情がよく出ており味わい
ベランダに四本植えたる沈丁花一本枯れ
真冬に花火の夜を問いつつ
照明を浴びてぼうっと浮かびつつ身じろ
る。平成二十七年九月二十八日発行
第二章から印象に残った作品を挙げた。最後
仕事に生きる日々は充実そのものであろう
が、一方で人から見えないところでの苦労も
ぎもせぬ夜桜気質
目を病みて久しき緑の眼底に黄泉まで映
昼は白の泡立つ桜花 暮れゆくほどに
白
くれない
ること稀に有り
優る
て帰る頃、夜桜が作者の心と体の疲れを癒し
死後の世界を見ることは見ようという意識
があるからだろう。目を病んだことがきっか
紅
てくれるのだった。歌集名には桜と作者の静
宙のごとき人ここにあり
て汝とすれ違う夢
かな対話が籠められているような気がする。
装丁に桜のデザイン選びたる桜大樹のよ
修 行 』( 白 水 社 ) が で き あ が っ た 」 と あ る。
との共著『ドナルド・キーンわたしの日本語
哀しくとも旨きものは旨き四万十の鮎塩
りている川に来て
誰と眺めたいのかいつも清流のはずが濁
出されている
メール受け取りて父
オーロラを見しとオう
ー ロ ラ
彩色
のわが身の奥の多
この貌となりつつ
子は帰り君が訪い来ぬ屋上に父からおと
人影探していたり
うな先生
得たいものが心にあってもそれを手に出来
ない虚しさ。思いの深さが夢を詠むことで表
共著という素晴らしい仕事が、またこのよう
焼きの粒子なす塩
小題「ドナルド・キーン先生」より。詞書
に「二〇一四年九月、ドナルド・キーン先生
な作者ならではの豊かな作品を生んでいる。
また一人の地へ戻るべく空港に来たれど
(以上担当 桜井美保子)
(短歌研究社刊)
(新暦叢書四八篇 短歌研究社刊)
77
第
回 冬雷大会ご案内
日 時 月 日 (第三日曜日)
場
午前 時開会 (受付は9時 分開始)
会
ホテルルートイン東京東陽町
◎地下鉄東西線 東陽町駅2番出口より徒歩2分
出詠細則 未発表の作品一首
二百字詰原稿用紙に、作品・氏名・郵便番号・
住所・電話番号の順に記載。
封筒の表書きに「大会詠草」と朱書きのこと厳守。
投稿用紙を本誌に綴じ込みますのでご利用ください。
会員は全員参加を原則とします。
出詠締切 8月 日(水) 締切日厳守のこと。
参加費千円を添えて左記事務局まで送付のこと。
〒125︱0063
葛飾区白鳥四︱十五︱九︱四〇九
小林芳枝宛
大会プログラム (概要)
30
◇大会挨拶 大山敏夫
◇第 回編集委員会賞 発表と表彰 大山敏夫・桜井美保子
◇作品批評 第一部(午前)詠草前半部
江波戸愛子・澤木洋子・中村哲也・水谷慶一朗
質疑応答 司会 嶋田正之(一部二部共に)
昼食休憩
◇作品批評 第二部(午後)詠草後半部
赤羽佳年・天野克彦・高橋説子・橘 美千代 質疑応答
小休憩
◇あなたにインタビュー
進行 桜井美保子 高田 光
◇互選結果 発表と表彰
◇懇親会
( 会場にて 時 分から 時 分頃まで )
同
◎会場へのアクセス等は、全詠草プリント・互選葉書
の送付時に添付致します。
22
( 大 会 参 加 者 は 割 引 が 受 け ら れ ま す が、 早 め の 予 約 を
お願い致します。)
宿 泊 希 望 者 は 直 接 予 約 を、( 電 話・ F A X 0 3 ︱ 3604︱3655)
19
30
他 費 用 昼食代 一五〇〇円 (本大会参加者すべて)
会食代 六〇〇〇円 (懇親会参加者)
30
10 16
10
☆大会は、年に 一度の会員交流の場です。
多くの方の参加をお願い致します。
17
10
55
78
(ここから切り取って投稿することもできます・キリトリセン)
回冬雷大会用詠草 ︵未発表作品一首︶
締切日 8月
日 (水)
☆楷書で分かり易くお書き下さい
お名前
ご住所
〒
小林 芳枝宛
送り先 〒 125︲0063 葛飾区白鳥四︲十五︲九︲四〇九
☎
参加費 一〇〇〇円をそえて下記へお送り下さい
☆会員は全員出詠が義務づけられております。
10
第
55
甦る。翌年四月「木島茂夫先生追
急逝されて慌てた夜のことがまた
苦 心 の 編 集 が 始 ま る こ と に な る。 だが今から投稿可能なので、ぜひ
で も こ れ か ら は、 先 ず そ こ か ら
る か 迷 う 必 要 が な く て 楽 だ っ た。 より大会詠草用の用紙が綴込みに
に向けて準備が進んでおり、先月
慕の集」を纏めたが、先生最後の
月々のホットな方の作品を流動的
▽一九九九年十二月、木島先生が 「 冬 雷 集 」 ト ッ プ の 作 品 を 誰 に す
歌集を編纂しつつ涙が零れた。
に 置 く こ と に な る だ ろ う。 師 は、 ▽大会は年に一度の大きなイベン
トです。全員参加がきまりなので
力作をお寄せ戴きたい。
なっている。締め切りは八月十日
▽六月三日、大山編集長の案内で
・後継者に大山敏夫を決めしより
編 集
後 記
慈光寺にある土屋文明の墓を訪ね
▽寄附御礼
り下さい。 (小林芳枝)
当日参加できない方も作品をお送
う態度だったので、先ず木島作品
た。 こ の 日 の 一 行 は 大 山 編 集 長、 三十六年過ぎたるを知る
「冬雷」はどこを読んでも面白い
という一首もあった。この歌の作 から、場所に拘る必要ないってい
を探す所から誌面を読み始めたも
赤羽さん、小林さん、森藤さんと
私の五名。慈光寺の深い木立の中
歌年から考えると三十六年前は私
を歩き、墓地には正午過ぎに到着。 が冬雷に入会した年に当る。随分
文明の墓に全員でお参りした。午
した時間を過ごす。小川さん御一
号作品を批評しながら交流し充実
発行所は私の所にある。師の指名
大山敏夫川又幸子当然ならん
という一首を尊び、川又さんに発
か り 持 っ て 今 年 も 暑 さ に 負 け ず、
申 し 出 た。 そ し て 十 七 年 後 の 今、 励ましも力になる。心構えをしっ
行所を一先ず受け持って欲しいと
しかし、用心は欠かさず乗り切り
構えが感じられ、こうした互いの
っている暑さに備えようという気
後、毛呂山の小川照子さん宅に伺
思 い 切 っ た こ と を 仰 有 る。 で も、 のだ。師の貫いた編集スタイルも 秋草喜久枝様(ご遺族様)
あの時の私には冬雷発行所を引継 当然継承したい。 (大山敏夫) 林美智子 兼目 久
ぐ環境に無かった。同じく先生の、 ▽例年通り維持会員の皆さまより ▽誤植訂正
家の温かいおもてなしに一同大感
に漸く応えられる時がきた。
たい。大会参加を楽しみにされて
頁2行目 い、梅の収穫を楽しむ。そして敷
激。有難うございました。
い が す る。( 個 人 情 報 保 護 の 為、
大阪港上り → 大阪港より
6月号
・木島から打ち明ける友二人あり
▽川又幸子氏も又、文明の文学を
・三十年聞き来し大山敏夫のこゑ
住所などは掲載しておりません)
*ゆりかもめ「 豊洲 」駅前
暑中見舞いを戴いた。本格的な夏
地内に設置されたテント内で出前
愛する方だった。歌集『歳月』に
今にわが子と思ひゐる甘さ
と い う 勿 体 無 い 一 首。 私 は 何 が
「豊洲シビックセンター8階」
です。
には少し早いが、年々きびしくな
は文明が疎開した川戸の大川家訪
あっても先生の遺志を引き継ぐ。
8月 14 日( 第2日曜日 )
。
第6研修室 午後1時~5時迄
*例会終了後暑気払いを行いま
す。(会費 1000 円)
歌会を開催した。小川さんの六月
問の折りの連作がある。今回の慈
いる方も多く、心の引き締まる思
光寺行きを川又幸子氏に心の中で
御報告した。 (桜井美保子) ▽ 発 行 人 川 又 幸 子 さ ん の 時 代 は、 ▽編集委員会でも第五十五回大会
編集後記
14
冬雷本部例会のご案内
頒 価 500 円
ホームページ http://www.tourai.jp 一、この会則は、平成二十七年十二月一日よ
〉
[email protected][email protected]
データ制作 冬 雷 編 集 室 印刷・製本 ㈱ ローヤル企画 発 行 所 冬 雷 短 歌 会
350-1142 川越市藤間 540-2-207
電話 049-247-1789 事 務 局 125-0063 葛飾区白鳥 4-15-9-409 振替 00140-8-92027
≲冬雷規定・掲載用≳
小林芳枝〈
大山敏夫〈
≲Eメールでの投稿案内≳
一、Eメールによる投稿は左記で対応する。
方は実際の締切日より早めに投函する。
て必ず同じ歌稿を二通、及び返信先を表
記した封筒に切手を貼り同封する。一週
間以内に戻すことに努めている。添削は
入会後五年程度を目処とする。
一、事情があって担当選者以外に歌稿を送る
名の下に☆印を記入する。 一、無料で添削に応じる。一通を返信用とし
原稿用紙はB5判二百字詰めタテ型を使
用し、何月号、所属作品欄を明記して各
作品欄担当選者宛に直送する。原稿用紙
が二枚以上になる時は右肩を綴じる。締
切りは十五日、発表は翌々月号。新会員、
再入会の方は「作品三欄」の所属とする。
担当選者は原則として左記。
作品一欄&作品三欄 担当 大山敏夫
作品二欄 担当 小林芳枝
一、表記は自由とするが、新仮名希望者は氏
り執行する。
一、本会は冬雷短歌会と称し昭和三十七年四
≲投稿規定≳
月一日創立した。(代表は大山敏夫)
一、事務局は「東京都葛飾区白鳥四の十五の
一、 歌稿は月一回未発表十首まで投稿できる。
九の四〇九 小林方」に置き、責任者小
林芳枝とする。(事務局は副代表を兼務)
一、短歌を通して会員相互の親睦を深め、短
歌の道の向上をはかると共に地域社会の
文化の発展に寄与する事を目的とする。
一、会費を納入すれば誰でも会員になれる。
一、長年選者等を務め著しい功績のある会員
を名誉会員とする事がある。
一、会員は本会主催の諸会合に参加出来る。
一、月刊誌「冬雷」を発行する。会員は「冬雷」
に作品および文章を投稿できる。ただし
取捨は編集部一任とする「冬雷」の発行
所を「川越市藤間五四〇の二の二〇七」
とし、編集責任者を大山敏夫とする。
一、編集委員若干名を選出して、合議によっ
て「冬雷」の制作や会の運営に当る。
一、会費は月額(購読料を含む)次の通りと
し、六か月以上前納とする。ただし途中
退会された場合の会費は返金しない。
*会費は原則として振替にて納入する事。
A 普通会員(作品三欄所属) 千円
B 作品二欄所属会員 千二百円
C 作品一欄所属会員 千五百円
D 維持会員(二部購入分含む)二千円
E 購読会員 五百円
《選者住所》 大山敏夫 350-1142 川越市藤間 540-2-207 TEL 090-2565-2263
小林芳枝 125-0063 葛飾区白鳥 4-15-9-409 TEL 03-3604-3655 2016 年8月1日発行
編集発行人 大 山 敏 夫