GIS による言語地理学研究 -『瀬戸内海言語図巻』との比較を通じて-

博士学位論文
GIS による言語地理学研究
-『瀬戸内海言語図巻』との比較を通じて-
徳島大学大学院総合科学教育部
峪口
有香子
博士学位論文
GIS による言語地理学研究
-『瀬戸内海言語図巻』との比較を通じて-
徳島大学大学院総合科学教育部
峪口
有香子
GIS による言語地理学研究
-『瀬戸内海言語図巻』との比較を通じて-
目次
Ⅰ.序論
第1章
本論文の目的と意義・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1
1. GIS による言語地理学研究の意義とそこから見出される本論文の目的・・・・1
2.
言語地理学の現状・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2
3. 言語地理学の課題-GIS を援用した言語地理学研究-・・・・・・・・・・・ 3
第2章
本論文の目的と研究方法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6
1.
本論文の目的・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6
2. LAS の成果と課題とは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6
3. LAS の追跡調査について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7
4.
本論文の構成・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8
第3章
LAS の電子データ化の試み・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 9
1.
本章の目的・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9
2.
電子化の手順・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9
2.1.データの入手と加工・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9
2.2.全国市区町村界データの入手・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9
2.3.LAS の電子化・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 10
2.4.ラスタデータの取得・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 11
2.5.空間補正・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・12
2.6.属性データ化・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 13
2.7.シンボルの変更・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 13
2.8.印刷用の地図作成・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 13
3. 本章の結論と今後の課題・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 14
I
Ⅱ.GIS の空間解析を用いた言語分析
第4章
空間検索・標準偏差楕円による言語分析-「さつまいも」を事例として-・16
1.本章の目的・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・16
2.調査・地図化の方法と本論の対象・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・16
3.「さつまいも」の方言分布・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 17
3.1.先行研究・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・17
3.2.瀬戸内海全域における方言分布の概観・・・・・・・・・・・・・・・18
3.3.淡路島における方言分布の概観・・・・・・・・・・・・・・・・・・28
4.
本章の結論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・32
第5章
標準偏差楕円による言語分析-「にわか雨」を事例として-・・・・・・・33
1.
本章の目的・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・33
2.
調査・地図化の方法と本論の対象・・・・・・・・・・・・・・・・・・・33
3.
「にわか雨」の方言分布・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・33
3.1.全国分布の概観・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・33
3.2.通時的考察・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・34
3.3.瀬戸内海全域における方言分布の概観・・・・・・・・・・・・・・・35
3.4.香川県における方言分布の概観・・・・・・・・・・・・・・・・・・43
3.5.淡路島における方言分布の概観・・・・・・・・・・・・・・・・・・46
4.
本章の結論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・54
第6章
カーネル密度による言語分析-文末詞「ナー」「ノー」を事例として-・・ 56
1.
本章の目的・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・56
2.
調査・地図化の方法と本論の対象・・・・・・・・・・・・・・・・・・・56
3.
全体の結果・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・56
4.
文末詞「ナー」のカーネル密度による方言分布・・・・・・・・・・・・・59
5.
文末詞「ノー」のカーネル密度による方言分布・・・・・・・・・・・・・72
6.
本章の結論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・85
第7章
標準偏差楕円・メッシュ地図による言語分析
-接続助詞「から」を事例として-・・・・・・・・・・・・・・・・・86
1.
本章の目的・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・86
2.
調査・地図の方法と本論の対象・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・86
3.
先行研究・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・87
4.
瀬戸内海域における原因・理由を表す接続助詞「から」の方言分布・・・・88
II
4.1.1.瀬戸内海地域における方言分布の概観・・・・・・・・・・・・・88
4.1.2.瀬戸内海域「カラ」における地理的分布特性の算出・・・・・・・97
4.2.1.淡路島における方言分布の概観・・・・・・・・・・・・・・・・99
4.2.2.淡路島「カラ」における地理的分布特性の算出・・・・・・・・・99
4.3.1.小豆島における方言分布の概観・・・・・・・・・・・・・・・・105
5. 方言分布から推定される変化の過程・・・・・・・・・・・・・・・・・・106
6. 本章の結論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・115
第8章
WEB による言語地図の公開・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・116
1. 本章の目的・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・116
2. 分析手法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・116
3. R と Leaflet による可視化方法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・117
4. 本章の結論と今後の課題・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・120
Ⅲ.GIS 地図をベースとした言語分析
第9章
瀬戸内海地域における言語変化-「コピュラ形式」を事例として-・・・・121
1. 本章の目的・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・121
2. 取り扱う調査について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・122
3. コピュラ形式の方言分布・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・122
3.1.全国分布の概観・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・122
3.2.
「-だ」における方言分布の概観・・・・・・・・・・・・・・・・・・123
3.3.
「-だった」における方言分布の概観・・・・・・・・・・・・・・・・129
3.4.
「-だろう」における方言分布の概観・・・・・・・・・・・・・・・・134
4. 本章の結論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・134
第 10 章
瀬戸内海地域における言語動態
-文末詞「ノーシ・ノモシ」
「ゾイ」を事例として-・・・・・・・136
1. 本章の目的・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・136
2. 取り扱う調査について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・136
3. 文末詞「ノーシ・ノモシ」における方言分布の概観・・・・・・・・・・・137
4. 文末詞「ゾイ」における方言分布の概観・・・・・・・・・・・・・・・・145
5. 本章の結論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・153
III
第 11 章
淡路島における言語動態
-「じゃがいも」
「さといも」を事例として-・・・・・・・・・・154
1. 本章の目的・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・154
2. 取り扱う調査について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・154
3. 「じゃがいも」の言語動態・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・154
3.1.先行研究・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・154
3.2.LAS と 2012 年調査の比較・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・155
4. 「さといも」の言語動態・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・159
4.1.先行研究・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・159
4.2.1999 年調査と 2012 年調査の比較・・・・・・・・・・・・・・・・・160
5. 本章の結論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・163
第 12 章
逆接の接続助詞について
-「けれども」
「そうだけれども」を事例として-・・・・・・・・164
1. 本章の目的・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・164
2. 取り扱う調査について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・164
3. 島別にみた「けれども」の方言分布・・・・・・・・・・・・・・・・・・164
3.1.淡路島における「けれども」の方言分布・・・・・・・・・・・・・・164
3.2.小豆島における「けれども」の方言分布・・・・・・・・・・・・・・167
4. 島別にみた「そうだけれど」の方言分布・・・・・・・・・・・・・・・・169
4.1.淡路島における「そうだけれど」の方言分布・・・・・・・・・・・・169
4.2.小豆島における「そうだけれど」の方言分布・・・・・・・・・・・・172
5. 本章の結論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・173
第 13 章
小豆島における民俗語彙
-「神輿」
「葬式」
「埋葬地」
「墓制」を事例として-・・・・・・・174
1. 本章の目的・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・174
2. 取り扱う調査について・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・174
3. 「神輿」における方言分布の概観・・・・・・・・・・・・・・・・・・・174
4. 「葬式」における方言分布の概観・・・・・・・・・・・・・・・・・・・176
5. 「埋葬地」における方言分布の概観・・・・・・・・・・・・・・・・・・177
6. 「墓制」における方言分布の概観・・・・・・・・・・・・・・・・・・・178
7. 本章の結論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・179
IV
Ⅳ.結論
第 14 章
本論のまとめと今後への提起・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・181
1. 本論のまとめ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・181
2. 今後への提起・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・188
参考文献
既発表論文との関係
※【注】は、それぞれの章末に付した。
V
Ⅰ.序論
第1章
本論文の目的と意義
1 . GIS に よ る 言 語 地 理 学 研 究 の 意 義 と そ こ か ら 見 出 さ れ る 本 論 文 の 目 的
本 研 究 は 、 GIS( Geographic Information System 地 理 情 報 シ ス テ ム ) に よ る
言語地理学研究をテーマにしたものである。
言語地理学とは言語史研究の一部をなし、音声・文法・語彙などの地理的分布
にもとづいて言語の変遷を解明する研究分野である。例えば、方言の地理的分布
を通じ、歴史的にどのように形作られてきたのか、そして、そこにはいかなる要
因や背景が関与しているのか、といった点を究明することが主な目的である。
柴 田( 1969)は 、言 語 地 理 学 は 地 方 の 言 語 史 を 再 構 成 す る こ と で あ る と 定 義 し
ている。地域的な変種、すなわち、方言の地図化を行うことによって地理的分布
を見出し、地域的変種の時間的変化とその要因を推定することで、ある地方(地
域)における言語変化の歴史をあとづけるという意味である。
本研究は、柴田が定義した言語地理学的研究にもとづき、瀬戸内海地域をフィ
ー ル ド 調 査 の 対 象 地 域 に 設 定 し 、言 語 変 化 を 解 明 す る こ と を 本 論 文 の 目 的 と す る 。
方 言 地 理 学 の 大 き な 成 果 で あ る 藤 原 与 一・広 島 大 学 方 言 研 究 所 編( 1974)『 瀬
戸 内 海 言 語 図 巻 上 ・ 下 巻 』 の 調 査 が 開 始 さ れ て か ら 50 年 以 上 が 経 過 し 、 瀬 戸 内
海域における方言も変化が進行していることが予想される。そこで、本研究では
方言分布の「実時間」上における経年変化に焦点をあて、そこに見出しうる方言
分布の変動を捕捉し、瀬戸内海地域での言語変化の解明を目指したい。また、こ
れ ら の 目 的 を 遂 行 す る た め 、 GIS の 技 法 を 援 用 す る 。 す な わ ち 、 言 語 地 理 学 を 言
語研究の枠内に閉じ込めるのではなく、地理情報科学・空間情報科学という新し
い 学 問 分 野 と の 融 合 の 道 を 切 り 開 く た め 、 GIS を 援 用 し 、 言 語 の 地 理 的 な 分 析 を
試みる。従来の言語地理学の方法を踏襲するとともに新たに地理・空間情報シス
テムをフルに活用した研究であることが本論文の特色である。
日 本 の 方 言 研 究 界 に お い て こ れ ま で に GIS を 利 用 し た 研 究 と し て 大 西 ( 2008)
が一部にあるものの、本格的に活用された研究はほぼ皆無に等しい。詳細につい
て は 後 述 す る が 、 GIS に つ い て さ ら に 敷 衍 す る と 、 地 理 情 報 シ ス テ ム と 呼 ば れ る
も の で あ る 。 地 理 空 間 に お け る 事 象 を 扱 う 言 語 地 理 学 に お い て 、 GIS へ の 理 解 と
注目は進みつつある。言語地理学は過去と現在の地理的分布から言語変化をいか
に考えるか、という目的をもった学問領域であり、その目的を達成するうえで、
GIS に よ る 時 間 と 空 間 に 関 す る 分 析 が 、こ れ か ら の 言 語 地 理 学 的 研 究 に お い て 必
要とされる。
1
2.言語地理学の現状
日 本 に お い て 言 語 地 理 学 研 究 が 盛 ん に 行 わ れ た 時 期 は 、 1960 年 初 頭 か ら 1970
年 代 後 半 に か け て で あ り 、 こ の 期 を 中 心 に 約 400 冊 の 言 語 地 図 集 と 約 30,000 枚
の 言 語 地 図 が 公 表 さ れ 、 こ の 数 は 世 界 ト ッ プ で あ る ( Lameli et al.2010)。
言語地理学研究は、言語地図の解釈を通して方言分布に見出せる言語変化の
種々の現象を追求し、一定の成果を挙げてきた。日本の言語地理学では柳田國男
が提唱した『方言周圏論』を出発点とし、言語地理学=文献国語史の解明といっ
た 目 的 を 掲 げ 、国 立 国 語 研 究 所 を 中 心 に 柴 田( 1969)『 言 語 地 理 学 の 方 法 』、グ ロ
ー タ ー ス ( 1976)『 日 本 の 方 言 地 理 学 の た め に 』、 徳 川 ( 1993)『 方 言 地 理 学 の 展
開 』、馬 瀬( 1992)『 言 語 地 理 学 的 研 究 』ら の 研 究 に よ っ て 進 め ら れ 、隆 盛 を み た
が 、 真 田 ( 1990) に よ っ て 指 摘 さ れ た よ う に 、 80 年 代 以 降 は 研 究 動 向 が 地 理 的
研究から社会言語学研究へ移行したため、言語地理学的な研究自体が後退する傾
向にあるのは事実である。
日本の言語地理学は、小地域をフィールド調査の対象とした研究と、全国ある
いは関東地方、中国地方などといった広範囲を対象とした研究の両面から進めら
れ て き た 。 前 者 の 代 表 は 、 柴 田 ( 1969) に よ る 、 新 潟 県 糸 魚 川 地 方 で の 調 査 で 、
その後の言語地理学的研究の草分け的存在となった。この研究の影響を受け、全
国各地での言語地理学的調査が行われた。その結果、全国各地で微細言語地図が
次々に作成された。一方、微細言語地図に対し、全国や地方など、広域な地域を
対象とした鳥瞰的広域言語地図もこれまで多く作成されている。日本における方
言 の 全 国 規 模 の 調 査 に は 、 国 立 国 語 研 究 所 編 ( 1966-1974)『 日 本 言 語 地 図 第 1 6 集 』、同 編( 1989-2006)『 方 言 文 法 全 国 地 図 第 1 -6 集 』 な ど が あ げ ら れ る 。 地
方 単 位 で の 研 究 成 果 と し て 、広 戸 惇( 1965)
『 中 国 地 方 五 県 言 語 地 図 』、藤 原 与 一 ・
広 島 大 学 方 言 研 究 所 編( 1974)
『 瀬 戸 内 海 言 語 図 巻 上・下 巻 』、大 橋 勝 男( 1974-1976)
『関東地方城方言事象分布地図』などがある。このように日本において言語地理
学的手法に基づいた調査研究は、半世紀以上も前から本格的になされ、多くの成
果を上げてきた。
2011-2015 年 度 文 部 科 学 省 科 学 研 究 費 基 盤 研 究( A)
「方言分布変化の詳細解明
― 変 動 実 態 の 把 握 と 理 論 の 検 証・構 築 ― 」
( 代 表:大 西 拓 一 郎( 国 立 国 語 研 究 所 教
授 ))の 調 査 研 究 が 2011 年 か ら ス タ ー ト し 、新 た に「 方 言 の 形 成 過 程 解 明 の た め
の 全 国 方 言 調 査 」を は じ め 、21 世 紀 初 頭 の 日 本 全 国 の 方 言 分 布 解 明 に 乗 り 出 し て
いる。前世紀に行われた方言調査結果との比較を行うとともに、現在の分布を明
らかにすることで、時間を隔てた方言分布の変化が解明できると考えられる。
方言研究がことばの地域差に関する研究である以上、地理的視点からのアプロ
2
ーチを無視することはできないはずである。言語地理学に新たな視点を導入し、
今、研究自体を再構築する時期であると確信する。
方言形成の過程を明らかにする研究においては、方言周圏論、孤立変遷論に基
づ く 既 知 の 分 布 理 論 の 分 析 の ほ か に 、徳 川 宗 賢( 1972、1993)は 、分 布 領 域 に 対
して正確な距離や方向・面積などの測定を実施することで、言語伝播の速度測定
につながり、絶対年代による中央語史の再構築に有効な知見を見出しうると述べ
た。方言の地理的伝播速度による研究はその後、一連のグロットグラム調査を実
施 し た 井 上 史 雄( 2003、2004)に よ っ て す す め ら れ 、方 言 は 年 速 1 ㎞ の 速 度 で 伝
播するという結果が導かれた。
言語の歴史的変遷と地理的条件が伝播速度に基本的に働いているのは事実であ
るが、この伝播速度に影響する要因は、伝播速度が問題となる語形の使用頻度数
とも関係し、また語形の使用領域のほかに使用場面、さらには社会・文化的要因
が 言 語 変 化 に 複 雑 に 絡 み 合 う 。こ の よ う な 状 況 の も と 、20 世 紀 後 半 に 行 わ れ た 諸
研究の継続と、さらに新たな知見を生み出すためには、言語地理学における核心
的 課 題 で あ る 方 言 の 空 間 分 析 が 可 能 と な る 新 た な 分 析 手 法 と し て 、GIS を 用 い て
多元的な視点から言語変化の状況を把握することが、日本語の諸方言の過去・現
在・未来において言語地理学的研究は極めて重要な意味をもつ。
以上のことを踏まえて、次節では言語地理学の課題についてみていく。
3 . 言 語 地 理 学 の 課 題 ― GIS を 援 用 し た 言 語 地 理 学 研 究 ―
第 3 節 で は 、 GIS を 利 用 し た 言 語 地 理 学 の 新 た な 可 能 性 に つ い て 述 べ た い 。
言 語 研 究 へ の GIS を 用 い た 分 析 手 法 の 導 入 は 、 ま だ 緒 に 就 い た ば か り で あ る 。
た と え ば 、既 存 の 言 語 地 図 を GIS 利 用 に よ っ て デ ー タ ベ ー ス 化 し た 試 み と し て 大
西( 2003、2008)、 鳥 谷( 2006)の 研 究 が 見 ら れ 、社 会 言 語 学 の フ ィ ー ル ド 調 査
で 得 ら れ た デ ー タ を GIS ソ フ ト に よ っ て 言 語 地 図 化 す る 試 み と し て は 松 丸
( 2003)、中 井( 2005)が あ り 、さ ら に は『 日 本 言 語 地 図 』の 電 子 化 が 熊 谷( 2013)
によって進められている。
また日本の方言研究界では、各地の方言の実態に関する膨大なデータが蓄積さ
れ て お り 、 そ れ に 見 合 っ た 将 来 と 展 開 が 必 要 で あ る と 考 え る 。 GIS を 利 用 し た 方
言のデータ分析は、停滞しがちとみられる言語地理学の状況を打破することがで
きるはずである。
GIS を 援 用 し つ つ 、 地 図 デ ー タ と 属 性 デ ー タ を 管 理 し 、 言 語 地 理 的 事 象 を 時 空
間上で捉えることは、これまで試みられていなかったデータ分析を可能にする。
例 え ば 、方 言 研 究 に GIS を 用 い る こ と で 、多 種 多 様 な デ ー タ の 利 用 が 可 能 に な り 、
3
時間軸に関する分析が可能となることにともない、多くの現象を包括的に考察す
ることができるようになる。
また、
『 瀬 戸 内 海 言 語 図 巻 』は 現 在 紙 媒 体 で し か 存 在 し な い が 、こ の 言 語 地 図 の
電 子 化 を 行 う こ と に よ り 、GIS の 技 法 を 利 用 し た 方 言 の 地 理 的 分 布 の 解 釈 や 言 語
変化についての時空間分析ができるばかりか、追跡調査との経年変化を明らかに
するための比較・対照も、同じ土俵の上で可能になる。データの階級区分におけ
る階級数や階級区分の方法を変える場合、手書きの地図だと、その都度、最初か
ら描き直すことになり作図には描き換えるたびにかなりの時間を要するとともに、
誤 差 を 生 じ る こ と に な る が 、GIS を 用 い れ ば 言 語 情 報 の デ ジ タ ル 化 が 可 能 と な り 、
コンピュータで作図する場合は設定を変えるだけで容易に描き直すことができる。
また近接性やポテンシャルの測定など、膨大な空間データを用いた高度な統計解
析も手間がかからず容易に行うことができる。
GIS の 最 大 の 利 点 は 、 主 題 の 異 な る 複 数 の 空 間 デ ー タ 群 が 存 在 す る 場 合 で も 、
そ れ ら の デ ー タ を 重 ね 合 わ せ て 表 現 で き る こ と で あ る 。こ の よ う な 特 性 を 活 か し 、
語形ごとのレイヤ地図を重ね合わせ、瀬戸内海域の言語鳥瞰地図と微細地図を交
互に示し、視覚化し表示することにより、詳細な方言の分布、ことばの伝播模様
を探り言語変化の実情に明らかにすることを示した。
ま た 、GIS を 用 い た 空 間 分 析 の 事 例 と し て 、高 坂 、関 根( 2005)に よ る と 、近
年 の GIS は 、空 間 分 析 、空 間 モ デ リ ン グ 、そ し て 空 間 統 計 学 と シ フ ト し て き た と
さ れ る 。初 期 に お け る GIS の 利 点 は 、空 間 デ ー タ の 蓄 積 、更 新 、表 示 の 能 力 に あ
ったが、今日では、空間データ分析に頻用されるようになってきたという。利用
の範囲は種々の分野に及び、犯罪分析や疫病学においても、空間モデリングや空
間統計が援用されている。
永 家 ら( 2011)は 、東 日 本 大 震 災 の 際 、社 会 福 祉 施 設 が 潜 在 的 に ど の よ う な リ
スクを抱えていたのか、施設立地の側面から分析を試みた。具体的には、地形的
側面、施設立地の特性(標高、海岸線からの距離、高台までの最短距離)などつ
い て GIS の 手 法 で 明 ら か に す る も の で あ る 。東 北 3 県 の 福 祉 施 設 の 地 理 的 分 布 状
況を表したもので、分布志向性分析を用いて分析を行っている。岩手県と福島県
に お け る 福 祉 施 設 の 地 理 的 重 心 は 、海 岸 線 か ら 100 ㎞ 程 度 離 れ た 内 陸 部 に あ る の
に対して、宮城県は海岸線に近い場所にある。また、標準偏差楕円は3県のうち
宮城県が最も小さく細長い。施設立地傾向からみて、宮城県は海岸線に近く凝集
度が高いことから、他の2県と比べて津波被害のリスクが高い施設が多かったと
いうことになる。このような事例を参考に、地点データ・地理的分布の空間解析
を言語地図にも応用し分析を試みる。
4
本論文では、このような方法をもとに、それぞれの事例に基づいた検討を行う
ことで、言語地理学研究の新たな展開の可能性を提示したい。
5
第2章
本論文の目的と研究方法
1.本論文の目的
本 研 究 の 目 的 は 、1974 年 に 藤 原 与 一・広 島 大 学 方 言 研 究 所 に よ っ て 出 版 さ れ た
『 瀬 戸 内 海 言 語 図 巻 』( 以 下 LAS と 略 す )の 追 跡 調 査 を 実 施 し 、方 言 の 経 年 比 較
と い っ た 視 点 か ら 言 語 変 化 を 探 る こ と に あ る が 、こ れ ら 一 連 の 工 程 で は GIS を 用
いた言語地理学研究のもとに進めるという点が新規的であり、日本の方言研究界
においても新たな方向性を示すものであると確信する。
LAS の 刊 行 以 来 、本 図 巻 を 対 象 と し た 研 究 も 多 く み る こ と が で き る 。追 跡 調 査
だ け で も 、室 山( 1977)・岸 江( 1981・1983)・広 島 大 学 方 言 研 究 会( 1986)・ 友
定 ( 1988)・ 佐 藤 ( 1990)・ 町 ( 1999) な ど を あ げ る こ と が で き る 。 こ れ ら は 、
い ず れ も LAS の 調 査 地 域 内 で 、同 調 査 か ら 一 定 の 年 数 を 経 て 追 跡 調 査 を 行 い 、方
言がどのように変化しているのかを考察したものである。これらの研究成果も大
い に 参 考 に し な が ら 瀬 戸 内 海 地 域 に お け る 言 語 調 査 を 企 画・実 施 し 、室 山( 1999)
の指摘した瀬戸内海言語の近畿圏の影響の増大と共通語化による言語変化といっ
た仮説のもとに、当地域における言語流動の実態を解明することを目指す。この
ような点で、本研究の成果は方言伝播の新たな理論を生み出す可能性を秘めてい
ると同時に、停滞している言語地理学研究への貢献も大いに期待できるものと思
われる。
2 . LAS の 成 果 と 課 題 と は
第 2 節 で は 、LAS に つ い て 説 明 す る 。LAS は 、上 述 し た よ う に 藤 原 与 一・広 島
大学方言研究所編が発刊した言語地図である。これは鳥瞰図的な視点に立つ、世
界でも類をみない、日本の言語地理学的研究の成果であるといっても過言ではな
い 。LAS は 、老 年 層 と 若 年 層 の 二 層 を 対 象 と し た 計 251 図 か ら な る 言 語 地 図 で あ
り、地理的な言語変異を描き出すと同時に世代間の言語変化を浮き彫りにしたも
のである。調査対象地域は、一大内海多島地域の瀬戸内海域である。調査時期は
1960 年 か ら 1965 年 の 5 カ 年 、 LAS 完 成 ま で に は 実 に 14 年 の 歳 月 を 要 し た 。 和
歌山、大阪、兵庫、岡山、広島、山口、福岡、大分、愛媛、香川、徳島の各府県
で 特 に 瀬 戸 内 海 に 含 ま れ る 地 域 を 対 象 に 行 わ れ た 。総 調 査 地 点 数 は 計 842 地 点( 島
嶼 部 701 地 点 、 沿 岸 地 点 141) で 各 地 点 、 老 年 層 の み な ら ず 少 年 層 を 対 象 と し た
方 言 調 査 を 実 施 し た 。老 若 二 世 代 に お け る 地 理 的 分 布 を 同 時 に 提 示 し た こ と で「 見
かけ時間」上の方言差を映し出すことに成功している。
6
3 . LAS の 追 跡 調 査 に つ い て
第 3 節 で は 、追 跡 調 査 に つ い て 論 じ る 。追 跡 調 査 と は 、LAS と 同 様 、瀬 戸 内 海
島 嶼 部 お よ び 瀬 戸 内 海 沿 岸 地 域 に お い て 2011 年 10 月 か ら 2014 年 12 月 ま で 筆
者が行った大規模方言調査(通信調査・面接調査)のことである。筆者が行った
こ の 調 査 を 以 下 で は 峪 口 調 査 と 称 す る 。 た だ し 、 今 回 の 追 跡 調 査 で は 、 約 50 年
前の同一人物に対して調査をしているわけではない。
調査対象地域を詳しく述べると、瀬戸内海島嶼部各地をはじめ、大分、福岡、
山口、広島、岡山、徳島、愛媛、香川、兵庫、和歌山、大阪各府県の瀬戸内海沿
岸の諸地域である。
調査方法は、通信調査が主で、臨地面接調査も一部並行して実施した。通信調
査では、各地の教育委員会および公民館などの機関を通じ、回答者に調査票を配
布頂き、調査票の返送をお願いした。
通 信 調 査 で は 第 一 次 調 査 と し て 、 2011 年 10 月 か ら 同 年 12 月 ま で に 瀬 戸 内 海
域 の 市 町 村 教 育 委 員 会 、公 民 館 、漁 業 協 同 組 合 等 の 協 力 を 得 、約 600 地 点 で 、1962
年 以 前 に 生 ま れ た 生 え 抜 き の 方 々 か ら 回 答 を 得 た 。 第 二 次 調 査 は 2012 年 8 月 か
ら 同 年 9 月 に 実 施 し 、 こ ち ら も 約 600 地 点 の デ ー タ を 得 た 。 第 三 次 調 査 は 2013
年 4 月 か ら 2014 年 12 月 に 実 施 し 、150 地 点 の デ ー タ を 得 た 。第 四 次 調 査 は 、2015
年 6 月 か ら 9 月 に 実 施 し 、 150 地 点 の デ ー タ を 集 め る こ と が で き 、 現 時 点 で 得 ら
れ た デ ー タ 数 は 、 1500 地 点 で あ る 。
臨 地 面 接 調 査 は 、2011 年 10 月 か ら 2014 年 12 月 に か け て 随 時 、各 地 を 訪 問 し
た。訪れた地域は、香川県小豆島、豊島、香川県さぬき市、香川県綾歌郡宇田津
町 、 香 川 県 観 音 寺 市 ( 大 野 原 町 、 豊 浜 町 )、 香 川 県 高 松 市 ( 牟 礼 町 )、 香 川 県 坂 出
市 、香 川 県 東 か が わ 市( 三 本 松 、黒 羽 )、兵 庫 県 姫 路 市( 家 島 、坊 勢 、白 浜 町 、大
塩 町 )、淡 路 島 、福 岡 県 北 九 州 市 、大 分 県 国 東 半 島 、広 島 県 尾 道 市 か ら 愛 媛 県 今 治
市にかけてのしまなみ海道、広島県大崎上島、徳島県徳島市、阿南市(椿泊町、
橘町、海陽町、鳴門市(鳴門町、里浦町、瀬戸町)である。なお、香川県での調
査には香川県話しことば研究会の島田治氏に人選をして頂き調査を遂行した。
第 一 次 調 査 、 第 二 次 調 査 、 第 三 次 調 査 、 臨 地 調 査 と 併 せ て 、 1,500 人 の 各 地 生
え 抜 き 話 者( 1962 年 以 前 に 生 ま れ た 男 女 )か ら 回 答 を 得 た 。な お 、各 章 に よ っ て
調査人数には異同があることを断っておく。
調 査 項 目 数 は 161 で 、挨 拶 ・文 法 ・語 彙 ・ 民 俗 に 関 す る 質 問 項 目 が 中 心 と な っ
て い る 。 な お 、 調 査 項 目 は LAS 調 査 で 取 り 上 げ ら れ た 項 目 を 大 幅 に 採 用 し た 。
7
4.本論文の構成
本 論 文 は 、 大 き く 分 け て 、 序 論 、 GIS の 空 間 解 析 を 用 い た 言 語 分 析 、 GIS 地 図
をベースとした言語分析、結論の 4 部構成となっている。
このうち序論は第1章で、本論文の目的と意義、これまでの言語地理学研究に
おいて言語地理学がどのように取り上げられてきたかを概観し、これからの言語
地 理 学 の な す べ き 課 題 を 明 ら か に し た 。ま た GIS を 利 用 し た 新 た な 言 語 地 理 学 の
方 向 性 を 示 し た 。第 2 章 で は 、こ れ ま で 筆 者 が 行 っ て き た LAS の 追 跡 調 査 に つ い
て 詳 細 に 示 し た 。第 3 章 で は 、紙 媒 体 で し か 存 在 し な い LAS の 電 子 化 の 過 程 を 述
べ 、 GIS 地 図 の 可 能 性 を 示 唆 す る 。
具 体 的 な 事 例 に 基 づ い た GIS の 空 間 解 析 に よ る 言 語 分 析 は 第 4 章 ・ 第 5 章 で 、
空間検索・標準偏差楕円による言語分析、第6章ではカーネル密度による言語分
析、第7章では標準偏差楕円・メッシュ地図による言語分析を、それぞれの事例
に よ る 検 討 を 行 う 。 第 8 章 で は 、 WEB に よ る 言 語 地 図 の 公 開 に つ い て 論 じ 、 従
来の言語地理学研究とは違う方法論を提示する。
GIS 地 図 を ベ ー ス と し た 言 語 分 析 は 、 第 9 章 ・ 第 10 章 ・ 第 11 章 ・ 第 12 章 ・
第 13 章 で 、 瀬 戸 内 海 全 域 と 、 よ り ミ ク ロ な 視 点 か ら そ れ ぞ れ の 事 例 に よ る 検 討
を行う。
結 論 は 第 14 章 で 本 論 文 の ま と め と 、 今 後 の 言 語 地 理 学 に 対 し て 本 論 文 が 提 起
する問題を示す。
8
第3章
LAS の電子データ化の試み
1.本章の目的
本 章 で は 、 LAS の 電 子 化 の 工 程 に つ い て 説 明 す る 注 1 。 ま た 、 電 子 化 の 対 象
と し た 、LAS の 50 年 後 の 変 化 を み る た め に 瀬 戸 内 海 域 島 嶼 部 お よ び 沿 岸 で 行
っ て い る 追 跡 調 査 の 結 果 を 併 せ て 示 す こ と に し 、実 時 間 上 の 言 語 変 化 に つ い て
考察する上で電子データ間の比較の有効性について述べることにしたい。
2.電子化の手順
2.1.データの入手と加工
近 年 、 GISで 扱 え る 図 形 デ ー タ や 統 計 デ ー タ を 提 供 す る ウ ェ ブ サ イ ト が 急 速 に
増 え て い る 。 特 に 、 国 土 交 通 省 や 国 土 政 策 局 、 総 務 省 統 計 局 な ど の GIS関 連 サ イ
トの充実は著しい。ここでは、そうしたウェブサイトのうち国土交通省の国土数
値 情 報 を 紹 介 し 、そ こ か ら デ ー タ を 入 手 あ る い は 加 工 す る 手 順 に つ い て 説 明 す る 。
まず図形データに関して、サイトから国土数値情報を入手する手順を述べる。
つ づ い て 加 工 す る 方 法 に つ い て 詳 述 す る 。最 後 に 、LASを 大 型 ス キ ャ ン 注 2 に か け
て 読 み 取 り 、画 像 を デ ー タ 化 し 、属 性 デ ー タ 注 3 を 作 成 し て い く 具 体 的 な 手 順 を 示
す。
2.2.全国市区町村界データの入手
国 土 交 通 省 国 土 政 策 局 国 土 情 報 課 の 「 GIS ホ ー ム ペ ー ジ 」 の サ イ ト で は 、 GIS
の利用に役立つデータなどが無償で提供されている。ここでは一例として「国土
数値情報行政区域データ」のダウンロードの手順を紹介する。まずこのサイトに
ア ク セ ス を す る 。( http://nlftp.mlit.go.jp/ksj/gml/gml_datalist.html)
ベ ク ト ル デ ー タ 注 4 の 「 行 政 区 域 ( 面 )」 を ク リ ッ ク す る と 図 1 が 現 れ る の で 、
ウィンドウをスクロールダウンするとメニュー画面に「ダウンロードするデータ
を選択」が現れるので、ダウンロードしたい都道府県をクリックしてダウンロー
ド画面に進む。次にデータのダウンロードの選択という画面に進み、ダウンロー
ドしたい年度の地図をクリックする。このように、県別のアーカイブファイルを
1 つ ず つ ダ ウ ン ロ ー ド す る ( 今 回 作 成 を 試 み た 地 図 情 報 は 、 平 成 25 年 度 版 の 地
図 を ダ ウ ン ロ ー ド し て 作 成 を 行 っ た も の で あ る )。な お 、こ の デ ー タ は 圧 縮 さ れ て
い る の で 、 解 凍 先 を フ ォ ル ダ に 指 定 し て 解 凍 す る 。 zip フ ァ イ ル を 解 凍 す る と 、
dbf、 sbn、 shp、 shx の フ ァ イ ル が 生 成 さ れ る が 、 こ れ ら は 順 に 属 性 デ ー タ 、 投
影 情 報 、イ ン デ ッ ク ス デ ー タ 、説 明 フ ァ イ ル で あ る 。こ の「 行 政 区 域( 面 )」の シ
9
ェ ー プ 形 式 フ ァ イ ル を 、GIS( ArcMap)に デ ー タ を 追 加 す る 。シ ェ ー プ フ ァ イ ル
に は 地 理 座 標 系 注 5 の 情 報 が 含 ま れ て い な い の で 、 別 途 ArcCatalog で 地 理 座 標 系
を 日 本 測 地 系 2000( JGD2000) 注 6 に 指 定 す る 必 要 が あ る 。
ま た 県 別 で は 扱 い に く い た め 、 ArcGIS の ジ オ プ ロ セ シ ン グ ツ ー ル ( デ ー タ 管
理 ツ ー ル >一 般 >マ ー ジ 注 7 ) を 使 用 し て 1 つ の シ ェ ー プ に ま と め て お く 。 以 上 の
ように、地図データの作成を行う。
図1
行政区域(面)のダウンロード画面
2 . 3 . LAS の 電 子 化
地図をデジタル化するためには、単にスキャナで読み取りデジタル画像化する
だ け で は 意 味 が な く 、読 み 取 っ た 地 図 を も と に GIS 化 す る こ と が 重 要 で あ る 。こ
10
う す る こ と で LAS と 峪 口 調 査 図 を 重 ね 合 わ せ た り 、経 年 変 化 の 言 語 動 態 を 調 べ た
り す る こ と が 容 易 に な る 。そ こ で 、以 下 で は LAS の GIS 化 の 手 順 の 説 明 を 行 う 。
ま ず 、 こ の LAS の 資 料 に つ い て 概 観 す る 。 LAS は 、 各 図 、 老 女 、 少 女 二 層 図
を 上 下 に 対 照 さ せ た 計 251 図 か ら 成 る 。 調 査 時 期 は 1960 年 か ら 1965 年 の 5 カ
年 、LAS 完 成 ま で に は 実 に 14 年 の 歳 月 を 要 し 、総 調 査 地 点 数 は 842( 島 嶼 部 701
地 点 、 沿 岸 地 点 141) で 各 地 点 を 臨 地 調 査 し た 結 果 に 基 づ く 2 冊 の 言 語 分 布 の 図
巻 で あ る 。 両 巻 と も 、 各 図 、 縦 57 セ ン チ ・ 横 101 セ ン チ の 分 布 図 を 二 つ 折 り に
し、凡例記号は黒一色で、ゴム印を作成し1つ1つ地点と照らし合わせ押印して
地 図 化 さ れ て い る 。項 目 の 内 訳 は 、音 声 関 係 の 項 目 18、文 法 関 係 の 項 目 102、語
彙 項 目 121 を 含 む 、各 項 目 に は 関 連 す る 項 目 が あ る も の が 多 く 地 図 は 上 下 巻 あ わ
せ て 総 計 251 枚 と な る 。さ て 現 在 で は 、デ ジ タ ル 技 術 が 進 歩 し た た め 、以 上 の よ
うな大盤の地図であっても、大型スキャナがあれば電子化が可能となる。
2.4.ラスタデータの取得
図2
地図の編集作業
ま ず 、ラ ス タ デ ー タ 注 8 を 取 得 す る に は 、一 般 に マ ッ プ を ス キ ャ ン す る か 、航 空
写真や衛星画像を収集する。スキャンしたマップデータセットには、通常、空間
参照情報は含まれていない。このため、ラスタデータセットを他の空間データと
11
併 せ て 使 用 す る に は 、マ ッ プ 座 標 系 に 合 わ せ る 、つ ま り ジ オ リ フ ァ レ ン ス 注 9 が 必
要になる。マップ座標系は、マップ投影(地球の曲面を平面に描写する方法)を
使用して定義される。
そ こ で 、 LAS を 大 型 ス キ ャ ナ で 読 み 取 り 、 ラ ス タ デ ー タ を TIFF フ ァ イ ル 注
10
で 取 得 す る 。デ ー タ 化 す る た め に は 、い く つ か の 作 業 が 必 要 と な る 。LAS は 二 層
図 に な っ て い る こ と か ら 、Adobe Photoshop Elements9 を 用 い 、地 図 の 編 集 作 業
を 行 う ( 図 2 )。
2.5.空間補正
図3
ジオリファレンス後の地図
次 に 、 上 述 し た 国 土 交 通 省 の 地 図 と の 誤 差 を 抽 出 す る た め に 、 ESRI 社 の
ArcGIS9 を 使 用 す る 。LAS を 現 在 の 測 地 座 標 系 に 登 録 す る に は 、図 中 の 座 標 と 測
地座標との対応関係、すなわちコントロールポイントを指定する必要がある。コ
ントロールポイント注
11
は、主として拡幅されていない県境界や、地理的特徴物
に 設 定 し た 。こ れ ら の コ ン ト ロ ー ル ポ イ ン ト を 基 に し て 、LAS を 相 似 変 換 で 、現
12
在の投影座標系にフィットさせた。地図の空間的歪みは大きく、アジャスト変換
注 12
を行い補正した。コントロールポイントは、各項目地図によって異なり、約
50 地 点 に 及 ぶ も の の 、地 域 に よ っ て 粗 密 が 大 き く み ら れ た 。適 宜 、空 間 的 補 正 を
し て ジ オ リ フ ァ レ ン ス を 行 っ た 。こ の よ う に ArcMap で ジ オ リ フ ァ レ ン ス を 施 し
て 、 背 景 図 と し て 表 示 さ せ る ( 図 3 )。
2.6.属性データ化
次 に 、LAS に お け る 調 査 地 点 の ポ イ ン ト デ ー タ を 新 規 シ ェ ー プ フ ァ イ ル に 生 成
し、文字情報を属性テーブル注
13
に入力しデータベースを作成する。この属性テ
ーブルには、地物に関する情報が数値、テキスト、日付などのフォーマットで保
存 さ れ る 。す な わ ち LAS に お い て は 、調 査 地 点 に ポ イ ン ト デ ー タ を 打 ち 、方 言 形
をテキストで一つ一つ入力していかなければならない。地点の重なりや凡例など
に注意しながら、適宜原図を確認し作業を行った。
2.7.シンボルの変更
以 上 に よ う に 、2 - 2 .で 取 得 し た 基 図 に 、2 - 3 .で 作 成 し た 新 規 シ ェ ー プ フ
ァイルを重ね合わせると、地点データのシンボルのみ表示されるようになる。
次に、シンボルの表示と変更の作業を行う。新規シェープファイルを作成したフ
ァ イ ル の テ ー ブ ル ・ オ ブ ・ コ ン テ ン ツ を 右 ク リ ッ ク し た あ と [プ ロ パ テ ィ ]を ク リ
ッ ク す る と 、[レ イ ヤ プ ロ パ テ ィ ]ダ イ ア ロ グ ボ ッ ク ス が 現 れ る の で [シ ン ボ ル ]タ ブ
をクリックする。
左 側 の レ ン ダ リ ン グ リ ス ト で [カ テ ゴ リ ] の 下 の [個 別 値 ] オ プ シ ョ ン を 選 択
し 、カ テ ゴ リ が 格 納 さ れ て い る 属 性 フ ィ ー ル ド( 方 言 形 )を 選 択 す る 。続 い て [す
べ て の 値 の 追 加 ] ま た は [値 の 追 加 ] を ク リ ッ ク し 、 表 示 す る カ テ ゴ リ を 特 定 す
る 。[値 の 追 加 ] で は 、フ ィ ー ル ド 値 の サ ブ セ ッ ト を 選 択 し て 、カ テ ゴ リ と し て レ
イヤ表示に含めることができる。
カテゴリの表示に使用するシンボルを特定する。このためには、各カテゴリの
シ ン ボ ル を 右 ク リ ッ ク し て 、シ ン ボ ル プ ロ パ テ ィ を 変 更 す る か 、別 の シ ン ボ ル を
選択し、凡例記号を決めていく。
2.8.印刷用の地図作成
次にマップのレイアウトを整えて出力する際に方位記号や縮尺などの様々な情
報をつけ加えていく。
ま ず タ イ ト ル 表 示 は 、[表 示 ]→[レ イ ア ウ ト ビ ュ ー ]と ク リ ッ ク し デ ー タ ビ ュ ー の
13
中 に レ イ ア ウ ト ビ ュ ー を 表 示 さ せ る 。そ の あ と 、[挿 入 ]→[タ イ ト ル ]を 選 択 す る と
タイトルを入力するボックスが表示されるので、ここでタイトルを入力する。
次 に 、方 位 記 号 を 表 示 す る に は [挿 入 ]→[方 位 記 号 ]と ク リ ッ ク し 、ダ イ ア ロ グ ボ
ッ ク ス を 表 示 さ せ 、候 補 の 中 か ら 使 い た い 方 位 記 号 を 選 択 し て [OK]を ク リ ッ ク す
る と 方 位 記 号 が レ イ ア ウ ト ビ ュ ー 上 に 表 示 さ れ る の で 、適 当 な 位 置 に 移 動 さ せ る 。
縮 尺 記 号 も [挿 入 ]→[縮 尺 記 号 ]と ク リ ッ ク し ダ イ ア ロ グ ボ ッ ク ス を 表 示 さ せ 、候
補 の 中 か ら 使 い た い 縮 尺 記 号 を 選 択 し て [OK]を ク リ ッ ク す る と 縮 尺 記 号 が レ イ
アウトビュー上に表示されるので、適当な位置に移動させる。
最 後 に 凡 例 を 表 示 さ せ る に は 、[挿 入 ]→[凡 例 ]と ク リ ッ ク し [凡 例 ウ ィ ザ ー ド ]ダ
イアログボックス(凡例項目選択)を表示させる。候補の中から使いたい凡例項
目 を 選 択 し て [次 へ ]を ク リ ッ ク す る と 、[凡 例 ウ ィ ザ ー ド ]ダ イ ア ロ グ ボ ッ ク ス が 表
示される。ここで、凡例のタイトルや、凡例フレームの設定が可能となる。全て
入力すると、設定した凡例がレイアウトビュー上に表示されるので、それを適当
な位置に移動させる。
作成したマップをワードやパワーポイントに貼り付けるのは、マップをエクス
ポートしてファイルに保存をする必要がある。マップをエクスポートするには、
[フ ァ イ ル ]→[マ ッ プ の エ ク ス ポ ー ト ]と ク リ ッ ク し 、ダ イ ア ロ グ ボ ッ ク ス を 表 示 さ
せ る 。[保 存 す る 場 所 ]を 作 業 用 フ ォ ル ダ に 設 定 し 、[フ ァ イ ル 名 ]を 入 力 し 、[保 存 ]
をクリックするとエクスポートされる。以上の作業を経て言語地図が完成する。
3.本章の結論と今後の課題
本 章 で は 、 LAS の 電 子 化 の 手 順 に 触 れ 、 当 言 語 図 巻 の 50 年 後 の 変 化 を み る た
めに瀬戸内海域島嶼部および沿岸で行った追跡調査の結果との比較を行い、言語
変化がどのように進行しているかについて考察してきた。
研究目的にも触れたように、紙地図を電子データ化することにより汎用性が増
し、コンピュータさえあれば誰もが利用することが出来るようになる。紙地図を
GIS 化 す る に は 、 相 当 な 時 間 を 有 し 、 大 変 な 労 力 が か か る 。
しかし、今後は言語地理学の分野においても、ディジタルアーカイブの第一段
階として、このような情報技術を用いたアプローチには大きな可能性があると思
われる。
具体的には、地図を介して各種の地理情報を照合するオーバーレイと呼ばれる
方 法 や 、言 語 内( 方 言 )
・言 語 外 の 地 理 情 報 を 多 角 的 に 分 析 す る こ と が で き る 。さ
らに言語変化に対しても過去に行われてきた変化の跡づけるだけではなく、未来
の言語変化を予想することも可能になると思われ、言語の地理的分布のメカニズ
14
ムの解明につなげていくことが可能になるはずである。
最 後 に 言 語 地 理 学 に お け る GIS の 活 用 に つ い て み て き た が 、そ の 応 用 は こ こ に
あげたものに止まらず、さらに多様な利用が可能であろう。
【注】
注1
以 降 、本 論 文 で は 、各 章 の 始 ま り ご と に 番 号 を( 1 )( 2 )( 3 )…と 振 り な お
す。
注2
本 研 究 で 用 い た 大 型 ス キ ャ ン は 、 GRAPHTEC MASTER JET JW1000 を 使 用
した。
注3
属 性 デ ー タ は 、空 間 オ ブ ジ ェ ク ト と リ ン ク し た 、空 間 情 報 以 外 の デ ー タ で 、ID、
距離、面積や周囲の長さなどである。
注4
図 形 を ポ イ ン ト 、ラ イ ン 、ポ リ ゴ ン の 3 要 素 で 表 現 す る 形 式 の 図 形 デ ー タ の こ
とを指す。
注5
地 理 座 標 系 は 、3 次 元 の 球 面 を 使 用 し て 、地 球 上 の 位 置 を 定 義 す る こ と を い う 。
注6
測 地 系 と は 、地 球 の 重 心 に 座 標 系 の 原 点 を 置 い た 、世 界 で 共 通 に 利 用 で き る 位
置の基準のことをいう。
注7
複数のレイヤを1つのレイヤにまとめてしまう機能のことをいう。
注8
図形を格子状に並んだ画素の集合体として表現する形式の図形データのこと
をいう。
注9
紙地図をスキャンしたイメージや、任意に入手した地図イメージファイルを
GIS の 地 図 画 面 上 に 取 り 込 ん で 同 じ 位 置 で 重 ね 合 わ せ て 表 示 す る 機 能 の こ と
をいう。
注 10 非 圧 縮 の デ ー タ の こ と を い う 。
注 11 コ ン ト ロ ー ル ポ イ ン ト は 、ラ ス タ デ ー タ セ ッ ト と 現 実 の 座 標 で 正 確 に 特 定 で き
る位置のことをいう。
注 12 ア ジ ャ ス ト 変 換 は 、レ イ ヤ の 座 標 を あ る 場 所 か ら 別 の 場 所 に 変 換 す る こ と を い
い、主に歪みの多い地図に用いられる。
注 13 シ ェ ー プ フ ァ イ ル の 属 性 デ ー タ を 意 味 し 、こ の デ ー タ は 行 に レ コ ー ド 、列 に フ
ィ ー ル ド を 配 し た テ ー ブ ル 形 式 で 表 現 さ れ る の で 、属 性 テ ー ブ ル と 呼 ば れ て い
る。
15
Ⅱ.GIS の空間解析を用いた言語分析
第4章
空間検索・標準偏差楕円による言語分析
-「さつまいも」を事例として-
1.本章の目的
本 章 で は 、 GIS の 空 間 解 析 に よ る 言 語 分 析 を 示 し 、 語 彙 「 さ つ ま い も 」 を 事 例
と し た 考 察 を 行 う 。同 調 査 の 質 問 項 目 は 全 体 で 約 180 項 目 に 及 ぶ が 、こ の 中 か ら
「 さ つ ま い も( 甘 藷 )」の 項 目 に つ い て 、今 回 、実 施 し た 調 査 結 果 を も と に 分 析 を
行うことにしたい。また、過去において当地域を対象とした調査があり、これら
の結果との経年比較が可能である。以下では、これらの結果を併せて示すことに
する。
2.調査・地図化の方法と本論の対象
本 章 で 比 較 ・ 考 察 の 対 象 と す る の は 、LAS( 1974)、1999 年 合 同 調 査 は 徳 島 大
学・神 戸 松 蔭 女 子 学 院 大 学・園 田 学 園 女 子 大 学 3 大 学 合 同 調 査 、2012 年 度 に 実 施
し た 淡 路 島 で の 方 言 調 査 、 峪 口 調 査 ( 2011-2012) で あ る 。
LAS( 1974)は 、第 2 章 で 紹 介 し た よ う に 、老 女( 当 時 明 治 生 ま れ )・少 女( 当
時 中 学 1・ 2 年 生 ) 二 層 図 を 上 下 に 対 照 さ せ た 上 下 二 巻 、 計 251 図 か ら な る 言 語
地 図 集 で あ る 。 1960 年 か ら 約 5 年 間 、 計 842 地 点 ( 内 海 島 嶼 部 701 地 点 、 沿 岸
部 141 地 点 ) で 面 接 調 査 を 行 い 、 そ の 結 果 を 言 語 地 図 化 し た も の で あ る 。
1999 年 合 同 調 査 は 徳 島 大 学・神 戸 松 蔭 女 子 学 院 大 学・園 田 学 園 女 子 大 学 3 大 学
合 同 で 、1999 年 8 月 8 日 か ら 同 年 8 月 10 日 の 2 泊 3 日 で 行 な わ れ た も の で あ る 。
調 査 地 点 は 、 淡 路 島 全 域 61 地 点 、 調 査 対 象 者 は 、 生 え 抜 き ( 昭 和 18 年 生 以 上 )
で あ る 。調 査 結 果 は 公 刊 さ れ て い な い 。2012 年 度 に 実 施 し た 淡 路 島 で の 方 言 調 査
は 、 通 信 調 査 と 面 接 調 査 を 実 施 し 、 第 一 次 調 査 と し て 2011 年 10 月 か ら 12 月 に
か け て 、淡 路 島 各 集 落 の 回 答 は 76 地 点 で あ っ た 。第 二 次 調 査 は 、2012 年 8 月 以
降 に 実 施 し 、 調 査 地 点 は 18 地 点 で あ る 。 第 一 次 と 第 二 次 調 査 を 合 わ せ る と 、 計
94 地 点 分 の デ ー タ が 淡 路 島 か ら 回 収 さ れ た 。な お 、こ の 調 査 デ ー タ を も と に 岸 江
信 介 ほ か 編 ( 2013)『 淡 路 島 言 語 地 図 』 を 公 刊 し た 。 こ の 報 告 で は 、 上 記 の 第 一
次・第二次調査で得られたデータをもとに大半の調査項目について解説を行った
が、一部、データの解説ができなかったものがあり、そのうちの重要と思われる
項目を今回ここで取り上げる。
峪 口 調 査 は 、LAS 追 跡 調 査 を 行 う た め 、瀬 戸 内 海 島 嶼 お よ び 沿 岸 に お け る 全 域
調 査 を 2011 年 か ら 約 4 年 間 に わ た っ て 実 施 し た 。 な お 本 章 で は 、 1,300 人 の デ
16
ータを用いて言語地図化を行っている。以上の調査結果を随時比較し考察してい
くことにする。
GIS を 用 い た 調 査 結 果 に つ い て 、 空 間 統 計 ツ ー ル の 地 理 的 分 布 特 性 を 算 出 し 、
分布志向性分析を用いて解析を試みる。また、瀬戸内海全域の分布をみるときは
峪 口 調 査 の 地 点 は 、LAS と 比 べ 広 域 に 調 査 地 点 の あ る こ と か ら 、LAS と 同 じ 調 査
範囲内のポリゴンデータを作成し、その範囲内のポイントデータを空間検索し取
り出し作図を試みている。
3 .「 さ つ ま い も 」 の 方 言 分 布
3.1.先行研究
「 さ つ ま い も 」は 、ア メ リ カ 大 陸 原 産 で あ り 、コ ロ ン ブ ス の 大 航 海 時 代 の 時 に 、
ま ず ス ペ イ ン に も た ら さ れ 、 や が て フ ィ リ ピ ン 、 中 国 福 建 を 経 て 1605 年 に 琉 球
に 伝 え ら れ た 。そ し て 、1605 年 の 薩 摩 の 琉 球 入 り 以 降 に 琉 球 か ら 薩 摩 に も た ら さ
れ た と い う 。 内 地 に 広 ま っ た の は 、 1615 年 6 月 14 日 の イ ギ リ ス の 商 館 長 リ チ ャ
ー ド・コ ッ ク ス 注 1 の 日 誌 に 自 分 が こ の 芋 を 琉 球 か ら 長 崎 に 持 ち 込 み 、平 戸 で 栽 培
したことを記している。
ま た 内 地 に 栽 培 が 普 及 し て い っ た こ と を 、佐 藤( 1991)は 、青 木 昆 陽 の 努 力 に
よるところが大きいといい、昆陽は当時の全国的な飢餓を憂えて幕府に進言し、
1735 年 に 薩 摩 か ら 種 芋 を 得 て 今 の 小 石 川 植 物 園 に 植 え 、さ ら に 下 総 、上 総 、伊 豆
諸島に移植し、これがサツマイモの名称の起こりであり、サツマイモの名は、以
後栽培の普及とともに、関東を中心としてその周囲に広がったものと指摘してい
る。
渡来作物の名称には、その出身地・経由地を示すものが多い。その名称は出身
地 ・ 伝 来 経 路 に 由 来 し 、『 日 本 言 語 地 図 』( 以 下 LAJ と 略 す ) 第 4 集 ・ 第 176 図
「 さ つ ま い も( 甘 藷 )」の 地 図 を 大 き く 分 類 し て み る と 、東 日 本 か ら 近 畿・中 国 に
か け て「 サ ツ マ イ モ 」、九 州 北 部 か ら 山 口 な ど に か け て「 ト ー イ モ( 唐 芋 )」、九 州
南 部 と 四 国 の 一 部 で「 カ ラ イ モ( 唐 芋 )」、九 州 北 西・中 国・四 国・能 登 な ど で「 リ
ューキューイモ」と称している。西日本が複雑で錯綜し、東日本が単純な分布を
示している。
江戸中期から、様々な文献にサツマイモが出てくるようになってきた。以下、
『日本国語大辞典
第二版』等を参考にまとめて示す。
● 『 俳 諧 ・ 手 挑 灯 』( 1745) 中 「 九 月 〈 略 〉 薩 摩 芋 ( サ ツ マ イ モ )」
● 『 雑 俳 ・ 柳 多 留 ‐ 八 』( 1773)「 品 川 は 山 の い も よ り さ つ ま い も 」
17
●『 物 類 称 呼 』
( 1775)
「 畿 内 に て り う き う い も と 云 ,東 国 に て さ つ ま い も と い ふ ,
肥前にてからいもという」
● 『 浄 瑠 璃 ・ 古 戦 場 鐘 懸 の 松 』( 1761) 二 「 ホ ホ ホ ホ ホ あ な た と し た 事 が . さ つ
ま芋か何んぞの様に,是がどこにさもしい物」
●「 甘 藷 百 珍 」( 1789)「 八 里 半〔 栗( 九 里 ) に 近 い 味 〕」「 十 三 里 〔 栗( 九 里 ) よ
り ( 四 里 ) う ま い 〕」
● 『 滑 稽 本 ・ 浮 世 床 』( 1813~ 1823)
初・上「琉球芋(サツマイモ)なら一本十六文(そくもん)宛(づつ)もし
べいといふ角(つの)を二本生しゃアがって」
初・中「しかし家鴨と迄もいくめへ薩摩芋(サツマイモ)の精霊さ」
● 『 雑 俳 ・ 手 ひ き ぐ さ 』( 1824)「 と っ と 退 き 下 女 に 買 は し た さ つ ま い も 」
● 和 田 定 節 『 春 雨 文 庫 』( 1876~ 1882) 九 「 い つ 何 時 ( な ん ど き ) 薩 摩 芋 ( サ ツ
マイモ)が浪人者を引きつれて京都へ押し込んで来るかも知れぬとて」
● 松 村 任 三 『 日 本 植 物 名 彙 』( 1884)「 サ ツ マ イ モ リ ウ キ ウ イ モ 甘 藷 」
● 夏 目 漱 石 『 吾 輩 は 猫 で あ る 』( 1905) 一 〇 「 坊 ば は 固 ( も と ) よ り 薩 摩 芋 が 大
好きである」
LAJ で は 現 在 、近 畿 一 帯 は ほ ぼ サ ツ マ イ モ で 覆 わ れ て い る 。し か し 、上 述 し た
ように、
『物類称呼』
( 1775 年 刊 )を み る と 、か つ て 近 畿 一 帯 に リ ュ ー キ ュ ー イ モ
が広がっていた時期があり、それが東日本から押し寄せたサツマイモによって追
われて、現在の状態になったと考えられる。現在、能登半島の先端に見られるリ
ューキューイモは、昔、近畿を覆っていたものの残存だといえる。
す な わ ち 、サ ツ マ イ モ が 琉 球 あ る い は 九 州 南 部 に 渡 来 し た と き に 、
「 唐 イ モ 」の
名 が 与 え ら れ 、琉 球 か ら あ る 程 度 離 れ た 土 地 に 到 達 し て 、
「 琉 球 イ モ 」と な り 、薩
摩から江戸に移入された「薩摩イモ」となったわけである。この順序で列島の西
から東へ向かって分布している。
3.2.瀬戸内海全域における方言分布の概観
LAS 第 149 老 年 層 図 か ら 作 図 注 2 し た 、 図 1 を み て い く 。 共 通 語 と 同 形 の サ ツ
マイモは、近畿から山口県周防大島までの地域全体に分布がみられ、一方で、九
州 に は 僅 か 3 地 点 し か 分 布 が み ら れ な い 。ま た 単 純 化 さ れ た イ モ は 、LAS で は 淡
路以西の全域にひろく分布域を形成していることがわかる。カライモ・トーイモ
系・リューキューイモ系をみると、カライモが、愛媛の三地点にみられ、トーイ
モ系が香川県西部から愛媛県、山口県西部、福岡県、大分県に分布している。
18
19
図1
LAS 第 149 図 か ら 作 図 「 さ つ ま い も 」
20
図2
峪口調査「さつまいも」
21
図3
LAS 第 149 図 か ら 作 図「 さ つ ま い も 」グ ル ー ピ ン グ 図
22
図4
峪口調査「さつまいも」グルーピング図
23
図6
LAS
峪口調査
図5
空間検索後サツマイモ
サツマイモ
24
図8
峪口調査
図7
イモ
空間検索後イモ
LAS
25
図 10
峪口調査
図9
リューキューイモ系ほか
空間検索後リューキューイモ系ほか
LAS
26
図 11
峪口調査
空間統計図
標準編楕円
特にリューキューイモ系が、主に淡路島南部に盛んに分布がみられ、続いて徳島
県・岡 山 県 西 部・愛 媛 県 島 嶼 部・山 口 県 下 へ 点 在 し て い る 。ま た LAS で は 、珍 し
い形式である、ゲンジイモが愛媛県の佐田岬半島にみられ、ゲンキイモが山口県
大津島に確認ができた。
次に図2の峪口調査をみていくと、サツマイモは近畿から九州までの地域に勢
力が拡大していた。つまり、サツマイモが共通語形として受け入れられ、今まで
あった方言形がサツマイモに変わっている様子を掴むことができる。また香川県
に関しては、サツマイモの語形しかみられない。さらに、イモの分布は縮小する
傾向がうかがえる。カライモは愛媛県に多く分布をし、飛び地的に兵庫県、香川
県小豆島、岡山県島嶼部、山口県西部、福岡県とみられる。トーイモ系は、山口
県以西に分布が盛んにみられ、徳島県、愛媛県と分布がみられる。
つぎにリューキューイモ系は依然として淡路島南部に特に盛んにみられ、徳島
県、愛媛県、山口県西部に分布していました。愛媛県島嶼部でみられたリューキ
ューイモ系の分布がみられなくなり、内陸部に多く分布していることがわかる。
次に、この二枚の地図で比較するのは、困難な為、グルーピングした地図を作
成し比較を試みる。
以下で示す地図は、
「サツマイモ」
「イモ」
「 リ ュ ー キ ュ ー イ モ 系・ト ー イ モ 系 ・
カライモ系」と、3つにグルーピングした地図である。
まず図2と図3を比較してみると、サツマイモの共通語化の進捗状況を把握で
きる。サツマイモが瀬戸内海西部域に分布を拡大させている一方、図7・図8で
はイモが減少していることがわかる。つまり、当地域ではイモがサツマイモに置
き 換 わ っ た と い え る 。 続 い て 図 9 ・ 図 10 の リ ュ ー キ ュ ー イ モ 系 、 ト ー イ モ 系 、
カ ラ イ モ 系 の 図 で は 、依 然 と し て LAS 時 と 同 地 域 に 分 布 が 確 認 で き る 。な お 既 存
の分布域のみならずそれ以外の地域(小豆島、香川県西部、山口県島嶼部)にも
新たに分布が確認できた。
次に、
「 さ つ ま い も 」の デ ー タ を 使 い 空 間 解 析 の 分 布 志 向 性 分 析 を 用 い て 分 析 を
試 み る 。 図 11 の 標 準 偏 差 楕 円 の 図 で は 、 LAS の 分 布 領 域 と 比 べ て 峪 口 調 査 の 楕
円が拡大していることから、共通語形のサツマイモが広域で使用がひろがってい
ることが判明した。
以上、グルーピングした 3 つの語形をみてみると、一番古い語形は、イモであ
る。かつてイモはサトイモの名称として使用されていたが、使用される地域や時
代によって、イモの意味は、サトイモ・サツマイモ・ジャガイモへと変化してい
っ た よ う で あ る 。甘 藷 が 日 本 に 渡 来 し て き た の は 、江 戸 時 代 で あ り 、中 国・沖 縄 ・
薩 摩 を 経 て 渡 来 し て き た こ と か ら 、経 由 地 を 呼 称 し た 名 前 が 今 で も 残 存 し て い る 。
27
今回の事例から明らかになったことは、複雑な分布の中にも、古い語形が淘汰さ
れ共通語形が拡大する分布、一方、古い語形が未だに地域を限定し残存する分布
の2種類あるということである。
つまり、サツマイモの語形は共通語として一般化し、広域にまとまった分布の
様相を呈しているが、逆にリューキューイモ系ほかの分布は、伝承されていた地
域のみに地域言語として残存しているといえるのである。
3.3.淡路島における方言分布の概観
ま ず LAS 第 149 老 年 層 図 の「 さ つ ま い も 」か ら 作 成 し た 地 図( 図 12)と 、1999
年 に 行 わ れ た 1999 年 調 査 の 地 図 ( 図 13) と 、 2012 年 調 査 ( 図 14) の 地 図 を 概
観し、比較・考察を行う。
「さつまいも」の地図3枚共、全域に共通語形のサツマイモが分布している。
その中で、方言形で盛んにおこなわれているのが、淡路(おもに南部)のリュー
キ ュ ー イ モ 系【 リ ュ ー キ イ モ 、リ ュ ー キ ュ ー イ モ 、リ ュ ー キ ュ イ モ 、リ ュ キ イ モ 、
リ キ イ モ 、ジ ュ ー キ イ モ 】で あ る 。LAS 全 体 地 図 で は 、徳 島 ・岡 山 県 西 部 ・ 愛 媛
島嶼・山口県下に分布が点在している。その中でも、淡路が特に分布が優勢であ
る 。藤 原( 1976)も 指 摘 し て い る よ う に 、淡 路 島 に お い て は 、西 方 、九 州 や 、山
口県下などとともに、しばしば比較的古い語形をとどめがちのようである。
このリューキューイモ系が経年変化でどのように言語変化が起きたかを言語地
図 を 比 較 す る こ と で 推 定 す る こ と に し た い 。1999 年 調 査 を み る と 、リ ュ ー キ ュ ー
イモ系【リューキイモ、リューキューイモ】は、淡路島南部(南あわじ市)に分
布 が み ら れ 、サ ツ マ イ モ と リ ュ ー キ ュ ー イ モ 系 の 併 用 回 答 の 地 点 が 多 く み ら れ た 。
さ ら に 2012 年 調 査 に お い て も 、 リ ュ ー キ ュ ー イ モ 系 【 リ ュ ー キ イ モ 、 リ ュ ー キ
ューイモ】の分布は、淡路島南部(南あわじ市・洲本市)に使用の確認ができ、
1999 年 調 査 と 同 じ く 、 サ ツ マ イ モ と リ ュ ー キ ュ ー イ モ 系 の 併 用 回 答 が 目 立 っ た 。
先 行 研 究 で 上 述 し た『 物 類 称 呼 』
( 1775 年 刊 )で は 、
「 さ つ ま い も 」の 見 出 し 語
としてリューキューイモが立てられており、当時、共通語の位置にあったとみら
れる。現代ではリューキューイモ系の形式はサツマイモに追われ、淡路島におい
ても淡路島南部に追いやられ残存しているとみられる。このような現象は近畿周
辺部にも散見される。上述した能登半島の例とも一致している。
次に、イモという回答を比較してみる。まず兵庫県において、イモとはどの地
域 に 回 答 が あ る の か を 、LAJ を み て 確 認 し て み る 。兵 庫 県 で は 淡 路 島 中 央 部 の み
に、
「 さ つ ま い も 」を イ モ と 回 答 し て い た 。全 国 的 に み る と 、西 日 本 を 中 心 に 分 布
28
図 12
LAS 第 149 老 年 層 図 「 さ つ ま い も 」
29
図 13
1999 年 調 査 「 さ つ ま い も 」
30
図 14
2012 年 調 査 「 さ つ ま い も 」
31
が み ら れ る 。LAS で は 、淡 路 島 全 域 に み ら れ た 。1999 年 調 査 、2012 年 調 査 に お
いては、若干分布の数は減少しているものの、依然としてイモの分布は健在であ
ることがわかった。
ま た 1999 年 調 査 で み ら れ た 、 カ ン シ ョ ( 甘 藷 ganshu) は 、「 さ つ ま い も 」 の
漢 名 の こ と で あ る 。 そ し て 同 じ く 1999 年 調 査 で み ら れ た 、 ア カ イ モ 、 ア マ イ モ
は「 さ つ ま い も 」の 別 名 で あ る と い え る 。こ の 他 、2012 年 調 査 で 分 布 が 確 認 で き
たサツマは、イモの部分が脱落した方言形である。
4.本章の結論
以上、本章で論じてきたことをまとめ、結論を述べる。
LAS の 時 代 で 多 く み ら れ て い た 、一 番 古 い 語 形 で あ る イ モ は 、時 間 が 経 つ こ と
により、イモからサツマイモという共通語形へ置き換わっていった。その理由と
しては、かつてイモはサトイモの名称として使用されていたが、使用される地域
や時代によって、イモの意味は、サトイモ・サツマイモ・ジャガイモへと変化し
ていったためである。
また共通語形のサツマイモは、空間統計図で確認できたように、瀬戸内海域で
使用の拡大がみられる。一方で、リューキューイモという経由地を呼称とした名
前が地域を限定して、今でも残存することが明らかとなった。
今回の事例から明らかになったことは、複雑な分布の中にも、古い語形が淘汰
され共通語形が拡大する分布、一方、古い語形が未だに地域を限定し残存する分
布の2種類あるということである。
つまり、サツマイモの語形は共通語として一般化し、広域にまとまった分布の
様相を呈しているが、逆にリューキューイモ系ほかの分布は、伝承されていた地
域のみに地域言語として残存しているといえるのである。
【注】
注1
江 戸 初 期 に 日 本 の 平 戸 に あ っ た イ ギ リ ス 商 館 長 を 務 め た 人 物 で あ る 。在 任 中 に
記 し た 詳 細 な 公 務 日 記「 イ ギ リ ス 商 館 長 日 記 」
( Diary kept by the Head of the
English Factory in Japan: Diary of Richard Cocks, 1615-1622) は 、 イ ギ リ
スの東アジア貿易の実態や日本国内の様々な史実を伝える史料となっている。
注2
LAS を 電 子 化 し た 地 図 の 凡 例 は 、 LAS の 凡 例 に 近 い 記 号 を 割 り 振 っ て い る 。
32
第5章
標準偏差楕円による言語分析
-「にわか雨」を事例として-
1.本章の目的
本章では、
「 に わ か 雨 」を 事 例 と し て 、方 言 分 布 の「 実 時 間 」上 に お け る 経 年 変
化 に 焦 点 を あ て る 。瀬 戸 内 海 域 で は 、
「 に わ か 雨 」の こ と を 、ソ バ エ と い う 。こ の
ソバエは、瀬戸内海方言を代表することばである。この事例の検討を通して、瀬
戸内海方言が、どのようなうごきをみせているのか、また共通語の受容などにど
のように関わっているのかを具体的に描き出していくことを本章の目的とする。
2.調査・地図化の方法と本論の対象
本 章 で 比 較 ・ 考 察 の 対 象 と す る の は 、 LAS( 1974) お よ び 1999 年 合 同 調 査 は
徳島大学・神戸松蔭女子学院大学・園田学園女子大学の3大学合同調査、峪口調
査 ( 2011-2012) で あ る 。
LAS は 、 第 2 章 ・ 4 章 で 紹 介 し た 調 査 概 要 に 準 ず る 。 1999 年 合 同 調 査 は 第 4
章で紹介した調査概要に準ずる。
な お 、峪 口 調 査 は 、LAS 追 跡 調 査 を 行 う た め 、瀬 戸 内 海 島 嶼 お よ び 沿 岸 に お け
る 全 域 調 査 を 2011 年 か ら 2012 年 ま で 約 2 年 間 に わ た っ て 実 施 し た 。 な お 本 章
で は 、 1,216 人 の デ ー タ を 用 い て 言 語 地 図 化 を 行 っ て い る 。
以上の調査結果を随時比較し考察していくことにする。
3 .「 に わ か 雨 」 の 方 言 分 布
3.1.全国分布の概観
ま ず LAJ 第 6 集 ・ 第 255 図 「 ゆ う だ ち ( 夕 立 雨 )」 の 地 図 を 概 観 す る 。
共 通 語 形 と 同 形 の ユ ー ダ チ 系( ユ ー ダ チ・ヨ ダ チ )は 、全 国 的 に 使 用 さ れ る が 、
奄美大島、沖縄、八重山諸島では使用されない。北海道南部から東北の日本海側
にかけてニワカアメ、東北の太平洋側にライサマアメ、岩手県・秋田県から長野
県にかけてカンダチ、青森県・石川県・島根県などのムラサメ、関東東北部のシ
グレ、伊豆諸島・和歌山県・高知県などのザブリ、伊勢湾沿岸のハヤテ、四国の
一部と九州南部にサダチ、そして奄美大島、沖縄に、ナチグリ・アマグリ・アモ
ーレーなどの諸形式が分布している。
瀬戸内海域においては、まずソバエの各分布が目を引く。瀬戸内海域のうち、
香川県の小豆島、手島、直島、伊吹島などの島嶼部においては、ソバエ、ソバイ
33
の 分 布 が み ら れ る 。香 川 県 内 陸 部 で は 、先 述 し た ユ ー ダ チ 系( ユ ー ダ チ・ヨ ダ チ )
の分布がほぼ全域に確認できる。
3.2.通時的考察
全国の分布状況を概ね把握してきたが、通時的観点による主な先行文献による
記述を以下に取り上げる。
瀬 戸 内 海 島 嶼 部 で み ら れ た ソ バ エ は 、藤 原( 1999)が 指 摘 す る よ う に 、瀬 戸 内
海域全域にきれいに分布がみられ、然るべき環境に即して分布している。
ま た 浄 瑠 璃 本 の「 伊 達 錦 五 十 四 郡 」に も 次 の よ う に 、ソ バ エ が 使 用 さ れ て い る 。
●「南無三ばら南無三ばらそばへが来た、さいはひの辻堂」
( 浄 瑠 璃 本 ・ 伊 達 錦 五 十 四 郡 [一 七 五 二 ]三 )
「 南 無 三 ば ら( ク ハ バ ラ )南 無 三 ば ら( ク ハ バ ラ )」は 、落 雷 よ け の お ま じ な い の
ことを指している。現代語訳すると「くわばらくわばら、そばえが降ってきた、
幸い辻堂だ」となる。
こ の ソ バ エ に つ い て は 、「 そ ば え る ( 戯 )」 と い う 動 詞 か ら 派 生 し た 名 詞 で 、 ソ
バエ(戯へ)となり、この類のものが、瀬戸内海域での特色分布をなしていると
いえる。
近 石( 1976)に よ る と 、ソ バ イ・ソ バ エ は 、島 嶼 部 の 小 豆 島 、高 見 島 、伊 吹 島 、
及 び 内 陸 部 の 高 松 、丸 亀 に 分 布 す る と い い 、か つ て サ ダ チ は 、旧 大 川 郡 、木 田 郡 、
綾歌郡に分布していたと指摘している。
これらの語形のうち、もっとも多く日本列島に分布しているユーダチは佐藤
( 2002)に よ る と 、「 夕( に )た つ( 夕 方 に 現 れ る )」の 意 で あ る と し 、ま た サ ダ
チ の 語 源 は 不 明 で あ る が 、 こ の 「 サ 」 は 「 さ つ き ( 五 月 )」「 さ み だ れ ( 五 月 雨 )」
「 さ な え( 早 苗 )」
「 さ お と め( 早 乙 女 )」な ど の「 さ 」と 関 係 が あ る の か も し れ な
いという。
次に奈良時代後期の資料から、様々な文献にユーダチ・ソバエ・ヨダチ・シグ
レが登場するようになってきた。
「万葉集」では、次のようなユーダチの使用がみられた。
●「暮立(ゆふだち)の雨降るごとに春日野の尾花が上の白露思ほゆ」
34
( 万 葉 集 [七 五 九 ]詠 み 人 知 ら ず ・ 二 一 六 九 )
「暮立」のダチ(立つ)は、自然界の動きがはっきり目に見えることを指すとい
う 。 ま た ユ ー ダ チ は 、「 夕 ( に ) た つ ( 夕 方 に 現 れ る )」 の 意 で あ り 、 も っ と も 古
いことばである。
柳 田( 1927)は 、全 国 の 大 部 分 を 占 め る 、ユ ー ダ チ 、サ ダ チ の よ う な ~ タ チ の
語形は、天から降ること、神が君臨することの意であるとも述べている。いずれ
に し て も 、「 ~ タ チ 」 は 自 然 現 象 の こ と を 指 す よ う で あ る 。
またシグレも、同様に「万葉集」にでてくる。
●「夕されば雁(かり)の越えゆく龍田山四具礼(シグレ)に競(きほ)ひ色付
きにけり」
( 万 葉 集 [七 五 九 ]詠 み 人 知 ら ず ・ 二 二 一 五 )
シグレは「晩秋から初冬にかけて降ったりやんだりする小雨」の意を持ち、上
代 の 文 献 例 も そ の 意 味 と さ れ 、 さ ら に 『 日 葡 辞 書 』( 1603-1604) に も (「 Xigure
(シグレ)冬や秋の雨」がみえる。
3.3.瀬戸内海全域における方言分布の概観
ま ず 、LAS 第 134 老 年 層 図「 に わ か 雨 」の 分 布 を 概 観 す る 。老 年 層 図 で は 、ソ
バエがおよそ全域に分布する様相を呈している。ただしソバエ系の分布は瀬戸内
海東部の大阪府にはみられなかった。ソバエ系では、ソバーが山口・広島県備後
域・岡山県、スバエ、スバースバイが山口県周防・広島県安芸、ソバイが中部以
東に分布する。ソバエは淡路島にも一地点にみられるのみである。一方、ソーバ
エ、ソーバイという形式は、淡路島、家島、坊勢島にみられ、小豆島の一地点、
香川県島嶼の四地にも分布が点在し、愛媛県西部興居島、釣島にも分布の確認が
出来た。
サダチ系(サダチ、サンダチ)は、徳島県、淡路島西南端、沼島にみられ、四
国東部から淡路島にかけての分布が中心となっている。
シグレ系は、瀬戸内海西部にあたる大分などの九州地方にかなり優勢に分布し
ており、山口県周防より東にはごくまれに点在するのみである。
す で に 指 摘 し た 、ユ ー ダ チ 系( ユ ー ダ チ・ヨ ダ チ・ヨ ー ダ チ )は 全 域 に あ る が 、
ヨーダチは比較的分布が少ない。
35
図1は、峪口調査による調査結果を地図化したものである。峪口調査では、島
嶼部にソバエ系が広く分布し、それを取り囲むようにニワカアメが分布している
様相がうかがえる。
図 2 は 、図 1 と 同 様 、峪 口 調 査 の 結 果 で あ る が 、ニ ワ カ ア メ に 注 目 し た 地 図( 概
略 図 )で あ る 。ニ ワ カ ア メ は 、瀬 戸 内 海 全 域 に 多 く 分 布 が み ら れ 、回 答 数 は 、473
件であった。経年変化の傾向として、ここから共通語形の分布が拡大しているこ
とがわかる。
図3は、ソバエ系に注目した分布図で、瀬戸内海島嶼部を中心に分布がうかが
え る 。ソ バ エ 系 だ け で も ソ バ エ 、ソ ー バ エ 、ソ バ イ 、ソ ー バ イ 、ス バ イ 、ソ バ ー 、
ソベー、ソービャーなどの諸形式の使用が瀬戸内海域で広域に分布域を形成して
いる。瀬戸内海方言であるソバエ系が根強く残存しているのは、過疎地域が多く
存在する島嶼部の人口流動が少ないことに起因して共通語系の伝播の遅れが生じ
ているのかもしれない。ソバエ系でも地域差があり、淡路島ではソーバイという
長音化した形式が集中して分布している。さらにスバエは山口県の周防・広島県
安 芸 に 多 い 。 こ の 状 況 は 、 LAS に お い て も 同 様 で あ っ た 。
LAS は 、前 述 し た よ う に 大 阪 府 お よ び 和 歌 山 県 に は ソ バ エ 系 が み ら れ な か っ た
が、今回の峪口調査では、大阪府泉州地域から和歌山市にかけて僅かだが、ソバ
エの分布がみられた。
図4は、トーリアメとユーダチの分布図である。こちらは、共通語形のニワカ
アメと似たような分布をしている。ニワカアメ、トーリアメ、ユーダチの中で一
番 多 く 分 布 し て い る の が 、ト ー リ ア メ で あ る 。LAS の 少 年 層 の 地 図 で は 僅 か 1 例
の み 徳 島 県 鳴 門 市 に み ら れ た 語 形 で あ る が 、 約 50 年 経 過 し た 現 在 、 徐 々 に 広 く
使用されるようになったことがわかる。
図 5 の サ ダ チ 類 に つ い て は 、藤 原( 1976・1996)に は 、瀬 戸 内 海 東 部 、四 国 東
部 か ら 淡 路 に か け て 分 布 し て い た と 述 べ ら れ て お り 、LAS で は 、徳 島 、淡 路 西 南
端、沼島にみられたが、峪口調査では愛媛県南西部、香川県東かがわ市、徳島県
徳島市と点在しており、淡路島においてサダチは確認出来なかった。
図6では、その他の語形についてふれることにする。ここで特に注目しなけれ
ば な ら な い の は シ グ レ で あ る 。LAS で は 九 州 地 方 で ま と ま っ て 分 布 を し て い た が 、
その他の地域にはみられず、兵庫県上郡と徳島県海南町のわずか2地点のみであ
った。早晩消えさる語といえよう。
36
37
図1
峪口調査「にわか雨」
38
図2
峪口調査「ニワカアメ・ニワカソバエ」(概略図)
39
図3
峪口調査「ソバエ類」(概略図)
40
図4
峪口調査「トーリアメ・ユーダチ」(概略図)
41
図5
峪口調査「ヨダチ類」(概略図)
42
図6
峪口調査「その他の語形」(概略図)
小豆島にみられるネズミノヨメイリは比喩的な表現として定着した形式であり、
藤 原 ( 1999)『 日 本 語 方 言 辞 書 ― 昭 和 ・ 平 成 の 生 活 語 ― 』 に よ る と 、 空 は 晴 れ て
昼の雨降りのことを指すという。今後この語形も消えていくかもしれない。
峪 口 調 査 で み ら れ た 、 シ マ キ 、 ザ ブ リ 、 ジ ヤ マ ア メ 、 キ タ ケ 、 ワ イ タ は 、 LAS
でみられない形式であった。また大阪府、和歌山県では、共通語と同形のニワカ
アメやユーダチが各地で多く使用されていることが判明した。
3.4.香川県における方言分布の概観
に わ か 雨 の 地 図 、LAS 第 134 図 か ら 作 図 し た 地 図( 図 7・8 )と 峪 口 調 査( 図
9・10)の 地 図 を 比 較・考 察 す る 。LAS の 調 査 地 域 は 、島 嶼 部 と 海 岸 沿 い に 集 中
しているが、一方、峪口調査は島嶼部・海岸沿いと一部内陸部にも調査地域が拡
大している。
LAS の 地 図 を み る と 、島 嶼 部 を 中 心 に ソ バ エ 類 が 広 く 分 布 し て い る こ と が わ か
る。一方内陸部においては、ソバエ類はどちらかというと劣勢であり、香川県西
部にはニワカアメの分布が目立つ。
峪口調査ではソバエ類が島嶼部、内陸部ともに広く分布していることが確認さ
れ、瀬戸内海方言の伝統的な語形が今もなおしっかりと残っていることがわかっ
た 。ま た LAS に お い て 、ヨ ダ チ が 島 嶼 部 、小 豆 島 、直 島 、女 木 島 に 確 認 が で き る 。
一方、峪口調査では、ヨダチは確認できなかったが、サダチは香川県東部に分布
がみられた。
次 に LAS で み ら れ た 、 シ グ レ は 峪 口 調 査 で は 、 志 々 島 に 分 布 が 確 認 で き た 。
そ の 他 の LAS で み ら れ た 、 ワ イ タ ・ ワ イ タ ア メ に つ い て は 、『 日 本 国 語 大 辞 典
第二版』によると夏のにわか雨に伴う一時的な強風のことを指すといい、香川県
が 使 用 地 域 と い う 。ま た 近 石( 1967)で は 、旋 風 の 意 を ワ イ タ・ワ イ タ カ ゼ と し 、
島嶼部全域、仲多度、三豊に使用されているとしている。香川県では、ワイタ・
ワイタアメは確認できなかった。
LAJ 第 6 集 ・第 255 図 「 ゆ う だ ち ( 夕 立 雨 )」 の 地 図 と 比 較 す る と 、 小 豆 島 で は
ユーダチは少なく、ソバイやソバエの方が多く使われている。また、この図にみ
える回答形のニワカソバエやドンドロソバエが今回の調査では回答が得られなか
った。国研調査から半世紀が経過し、共通語と同形のニワカアメやユーダチに各
地の伝統形式が取ってかわられたものと考えることができる。今回の調査でソバ
イ、ソバエなどはいまだ衰退傾向はみられないものの、これら以外の各地の伝統
方言が徐々に消えていく傾向が明らかとなった。
43
図7
LAS 第 31 老 年 層 図 か ら 作 図
香川県内陸部
図8
LAS 第 31 老 年 層 図 か ら 作 図
香川県島嶼部
44
図9
峪口調査
香川県内陸部
図 10
峪口調査
香川県島嶼部
45
3.5.淡路島における方言分布の概観
図 11 の LAS 第 134 老 年 層 図 「 に わ か 雨 」 の 分 布 を 概 観 す る 。
瀬戸内海方言では、ソバエ類の分布が優勢である。ソ(ー)バエは、東部は淡
路島から、西部は、山口県まで分布が広がっている。
ソ バ エ 類 の 分 布 は 、 LAS で は 淡 路 市 、 洲 本 市 、 南 あ わ じ 市 に ソ ー バ イ が あ り 、
ソーバエと分布上、対立している。音変化したソーバイ、ソービャーといった語
形もある。
共通語形のニワカアメは、単一回答だけをみると、北部に集中している。
サ ダ チ 、サ ン ダ チ は 、南 部 に 集 中 し て い る が 、勢 力 も 衰 退 気 味 で あ る 。藤 原( 1996)
によると、サダチ形は瀬戸内海地域では、東部に点在しており、まさに淡路島を
中心にみられる。
ハ ヤ テ は LAJ 第 6 集 ・第 255 図「 ゆ う だ ち( 夕 立 雨 )」に よ る と 伊 勢 湾 沿 岸 に 分
布 す る 語 形 で あ る 。 シ ケ に つ い て は 、 洲 本 市 で 1 名 の 回 答 が あ る が 、 LAJ で は 、
みられない回答形だった。
次 に 、 1999 年 調 査 ( 図 12) を 概 観 し た い 。 ソ バ エ 形 の 分 布 が 広 範 囲 に 及 ん で
お り 、な か で も ソ ー バ イ の 勢 力 が 広 く ま と ま っ て い る 。LAS で は 、ソ ー バ エ と ソ
ー バ イ が 対 立 し て い た が 、1999 年 調 査 で は 、ソ ー バ エ が な く な り 、長 音 が 短 呼 化
さ れ る ソ バ エ と な っ て い る 。LAS の 分 布 と 同 じ く 、洲 本 市 の 由 良 に 複 数 回 答 だ が 、
ソーバイ・ソービャーという回答があった。ソービャーとは、由良独特の語形な
のだろうか。トーリアメは洲本市に1か所回答があっただけである。ユーダチも
淡 路 市 、洲 本 市 、南 あ わ じ 市 に 点 在 す る 程 度 で あ る 。LAS で 見 ら れ た 、サ ダ チ 形 、
シケ、ハヤテという回答は得られなかった。共通語形のニワカアメの回答が増え
ていて、南部に南あわじ市に増えていた。
次 に 峪 口 調 査( 図 13)を 概 観 す る 。こ こ で は 、ソ ー バ イ の 分 布 域 が 広 く 、共 通
語形ニワカアメも散見される。ニワカアメは洲本市に集中していた。
1999 年 調 査 と 同 じ く 、ソ ー バ エ の 分 布 が な く 、ソ バ エ の 短 呼 し た 回 答 が 南 あ わ
じ市と沼島に分布していた。ソービャーについては上述したが、峪口調査におい
て も 洲 本 市 の 由 良 に 分 布 が 見 ら れ た 。LAS で は 、ま っ た く み ら れ な か っ た ト ー リ
アメが岸江調査では、洲本市に1名あったのが、峪口調査では、洲本市を中心に
南あわじのと合わせて4名から回答があり、増加傾向が窺える。
に わ か 雨 の 項 目 に お い て 、LAS、1999 年 調 査 、峪 口 調 査 を 見 渡 す と 、全 体 的 な
傾向として、ソバエ形という伝統的方言形が根強く使用される一方で、共通語形
も徐々に浸透しているということであろう。共通語形の浸透は、本土側からの地
伝いの伝播と、テレビなどマスコミの影響、つまり空からの伝播も考えられる。
46
図 11
LAS第 134老 年 層 図 か ら 作 図 「 に わ か 雨 」
47
図 12
1999年 調 査 「 に わ か 雨 」
48
図 13
峪口調査「にわか雨」
49
図 14
LAS空 間 解 析 図 「 ソ ー バ イ 類 」
50
図 15
1999年 調 査 空 間 解 析 図 「 ソ ー バ イ 類 」
51
図 16
峪口調査空間解析図「ソーバイ類」
52
図 17
LAS・1999年 調 査・峪 口 調 査
53
空 間 解 析 図「 ソ ー バ イ 類 」
GIS は 、 基 本 的 に 地 伝 い の 伝 播 を 検 証 す る も の で あ る が 、 空 か ら の 伝 播 を ど う
関連づけるのか、今後の課題である。
ここでは、にわか雨における淡路島で代表的な分布である、ソーバイ類につい
ての地理的分布特性の算出注1を行う。
図 14 は 、 LAS か ら 作 図 し た 、 ソ ー バ イ 類 の 空 間 解 析 の 地 図 で あ る 。 楕 円 の 中
心 は 、 淡 路 市 に あ り 、 楕 円 大 き さ は 、 図 15、 図 16 と 比 較 す る と 大 き い こ と が わ
か る 。楕 円 が 大 き く な れ ば な る ほ ど 、地 理 的 中 心 点 か ら の ち ら ば り が 大 き く な る 。
分布傾向として、淡路島に広く分布していることがわかる。楕円の傾きは、中
心点からみるすべての地点データと分布の位置によって決まる。北部の先端と、
南 部 に 分 布 が 多 い の で 、 図 14 の よ う な 傾 き に な っ た と い え る 。
図 15 の 楕 円 の 中 心 は 、 南 あ わ じ 市 に あ る 。 全 体 の 傾 向 と し て 、 岸 江 調 査 は 地
点数が少ないので、楕円は小さく表示された。淡路市北部には、分布が少ないこ
とから、楕円の長さは中心点から短く描かれている。
図 16 の 楕 円 の 中 心 は 、 洲 本 市 に あ り 、 LAS と 比 べ て ソ ー バ イ 類 の 分 布 の 数 が
減るものの、ソーバイ類がほぼ淡路島全域に分布していることから、淡路島と同
じ形、同じ傾きの楕円が描かれている。
次 に 、 中 心 点 の 移 動 距 離 を 測 定 し て み る 。 図 17 の 地 図 は 3 枚 の 地 図 を 重 ね 合
わ せ た 地 図 で あ る 。LAS の 中 心 点 か ら 1999 年 調 査 の 中 心 点 ま で の 距 離 注 2 は 、南
方 向 に 9.71Km で X 値 3885.837、 Y 値 - 358255.1 だ っ た 。 1999 年 調 査 か ら 峪 口
調 査 の 移 動 距 離 は 、 東 方 向 に 4.82Km で X 値 は -3338.19、 Y 値 は - 363721.2 だ っ
た。ソーバイ類においては、複雑な分布傾向を見せていることがわかる。実時間
上の変化で共通語形が浸透しつつも、ソーバイ類という瀬戸内海方言である伝統
的方言形が淡路島には根強く残っていることがいえるだろう。
4.本章の結論
本章は、
「 に わ か 雨 」を 事 例 と し て 、方 言 分 布 の「 実 時 間 」上 に お け る 経 年 変 化
に焦点をあて考察を行ってきた。これまでに瀬戸内海をフィールドとして行われ
た3の方言調査を事例として、方言分布の移り変わりをみていった結果、伝統的
語形であるソバエ類は、依然として勢力を保って分布していることが明らかとな
った。一方で、共通語形のニワカアメ、トーリアメ、ユーダチとソバエ類を囲む
ように使用が拡大していることもわかった。
つ ま り 、 ソ バ エ 類 は 、 LAS の 調 査 か ら 50 年 た っ た 現 代 で も 、 共 通 語 が 浸 透 し
て い く 中 、伝 統 的 方 言 と し て 使 用 が み ら れ る こ と が い え る 。本 章 の GIS を 利 用 し
た 地 理 的 分 布 特 性 の 算 出 は 異 分 野 の 手 法 だ が 、言 語 地 理 学 で 応 用 し て 行 っ て み た 。
54
各地のデータをしらみつぶしに調べることや、話者における社会的属性について
も、無視するわけにはいかないだろう。
【注】
注1
楕 円 に つ い て は 、STD×1 の 範 囲 は 、確 率 的 に 約 7 割 の 点 が 分 布 し て い る 範 囲
を示している。
注2
移 動 距 離 も 求 め 方 は 、GIS 機 能 で あ る ジ オ メ ト リ 演 算 を 用 い て い る 。テ ー ブ ル
内で直接面積やラインの長さなど計算する機能を指す。
55
第6章
カーネル密度による言語分析
-文末詞「ナー」「ノー」を事例として-
1.本章の目的
本 章 で は 、文 末 詞を 取 り 上げ 、当 該地 域 の 言 語 変化 を 考 察す る 。瀬 戸 内海 域 に お
け る文 末 詞 は広 範 に わ た り、日 常 盛ん に 使 用 さ れて い る 。主 に 、ナ 行 音文 末 詞 、ヤ
行 音文 末 詞 、サ 行 音 文 末 詞、カ 行 音文 末 詞 、ワ 行音 文 末 詞な ど が 用 い られ 、さ らに
複 合形 文 末 詞が 数 多 く 存 在し て い る。
瀬 戸内 海 の 文末 詞 に つ い ては 、藤 原( 1958)、佐 藤(1975)、江 端( 2001)など 、
大 半が 記 述 的研 究 と し て 述べ ら れ てい る も の で あり 、言語 地 理 学的 に 解釈 し た 報告
は 多く な い 。そ こ で 本 章 では 、瀬 戸内 海 域 に お ける 文 末 詞の 分 布 に 焦 点を あ て 、言
語 地理 学 的 な視 点 か ら 実 時間 上 の 言語 変 化 を 探 りた い 。
2.調査・地図化の方法と本論の対象
本 章 で 比 較・考 察 の 対 象 と す る の は 、LAS( 1974)、峪 口 調 査( 2011-2012)で
ある。
LAS( 1974) は 、 LAS は 、 第 2 章 ・ 4 章 で 紹 介 し た 調 査 概 要 に 準 ず る 。
峪 口 調 査 は 、LAS 追 跡 調 査 を 行 う た め 、瀬 戸 内 海 島 嶼 お よ び 沿 岸 に お け る 全 域
調 査 を 2011 年 か ら 約 4 年 間 に わ た っ て 実 施 し た 。 な お 本 章 で は 、 1,300 人 の デ
ータを用いて言語地図化を行っている。
以上の調査結果を随時比較し考察していくことにする。
3.全体の結果
ここでは峪口調査における調査結果で文末詞を取り上げる。男女に分け使用率
のランキングを示すことにより、当該地域の言語変化を考察する。以下の図1・
図2がランキング結果である。
上 位 の ラ ン キ ン グ を み る と 、「 ナ ー 」 は 男 性 ・ 女 性 と 共 に 、 使 用 率 が 高 い 。「 ノ
ー 」 に な る と 男 性 の 使 用 率 が 高 い も の の 、 女 性 の 使 用 率 は 50% 以 下 と な る 。
56
文末詞 男性
90.00% 84.46%80.64%
80.00%
70.00%
60.00%
50.00%
40.00%
30.19%
30.00%
20.00%
16.94%
20.00%
5.61%
10.00%
0.00%
図1
2.42% 2.17% 1.40% 1.27% 0.76% 0.76%
文末詞ランキング
男性
文末詞 女性
80.00% 74.69%
70.00%
60.00%
50.00%
47.62%
40.00%
30.00%
20.00%
10.00%
16.04%
9.02% 7.52%
0.00%
図2
2.76% 2.26% 2.26% 0.75% 0.25% 0.25% 0.25%
文末詞ランキング
57
女性
図3
図4
文末詞「ナー」の使用率
文末詞「ノー」の使用率
58
「 ~ ワ イ 」「 ~ ナ ラ 」「 ~ ワ イ ヤ 」 は 、「 ナ ー 」「 ノ ー 」 に 比 べ て 使 用 率 が 低 く な る
が、男性の使用が高いことがわ他の語形に関しても女性より男性が文末詞をよく
使用していることが判明した。
男 女 と も 値 の 高 か っ た 、「 ナ ー 」「 ノ ー 」 の 結 果 に つ い て 、 カ イ 二 乗 検 定 を 行 っ
た。
結 果 は 、図 3・図 4 で あ る 。瀬 戸 内 海 域 に お い て は 文 末 詞「 ナ ー 」
「 ネ ー 」が 男 女
と も に 使 用 さ れ る が 、使 用 頻 度 の 点 で 差 が み ら れ 、以 下 の よ う な 特 徴 が 判 明 し た 。
文末詞「ナー」は男女ともに使用する者が多く、文末詞「ノー」には男女で使用
差があり、女性に比べて男性の使用が極めて目立つ結果となった。
4.文末詞「ナー」のカーネル密度による方言分布
「 ナ ー 」 を 詳 し く み て い く こ と に す る 。 図 5 ・ 図 6 ・ 図 9 ・ 図 10 は 、 LAS 第
94 老 年 層 図「 ナ ー・ノ ー・ネ ー・ニ ー 」の「 ナ ー 」の み を 取 り 出 し 、言 語 地 図 化
し た も の で あ る 。 な お 、 図 5 ・ 図 6 ・ 図 9 ・ 図 10 は 、 言 語 事 象 が 多 い た め 、 概
略 し て 作 図 を 行 っ た 。 ま た LAS 第 96 図 は 、 ナ ー ・ ノ ー ・ ネ ー ・ ニ ー が 一 枚 の 地
図に収められている。そこで今回は、事象毎に地図化を図っている。
図7・図8の老年層図をみると「ナー」は、瀬戸内海東部から広島県島嶼部に
かけて、盛んに分布がみられる。一方、山口県以西の分布は僅かである。
方 言 分 布 の 密 度 を 調 べ る た め に 、 GIS の 空 間 解 析 の 一 つ で あ る 、 カ ー ネ ル 密 度
注1
を 用 い て 作 図 し た 地 図 を み て い く 。カ ー ネ ル 密 度 と は 、ポ イ ン ト デ ー タ の 分 布
図を面の密度図へと変換する手法であり、言語地図でもこの図を作成し解析を試
みる。
老年層図においては、兵庫県淡路島、香川県小豆島に集中して分布しているこ
と が わ か る 。 そ し て 瀬 戸 内 海 西 部 に は 、「 ナ ー 」 の 分 布 は な い こ と が 窺 え る 。
続 い て 、少 年 層 図 9 ・ 図 10 を み て い く 。老 年 層 図 と 同 じ 様 に 瀬 戸 内 海 東 部 で 、
「ナー」が盛んに分布していることがわかる。
カ ー ネ ル 密 度 図 ( 図 11・ 図 12) で は 、 老 年 層 と 同 じ く 兵 庫 県 淡 路 島 と 香 川 県
小豆島に集中して分布し、広島県から愛媛県までの島なみ街道での分布が減少し
て い る こ と わ か る 。つ ま り 、LAS 時 に お い て は「 ナ ー 」の 分 布 は 、近 畿 系 の 分 布
をみせていて、内海域では東部中心に分布していたことがわかる。
続 い て 、 峪 口 調 査 の 地 図 注 2 ( 図 13・ 図 14) を み る と 、「 ナ ー 」 が 広 域 に 分 布
し、主に島嶼部以外の、内陸部に広がりをもって分布していることがわかる。四
国での使用も広がっている。
さ ら に 、カ ー ネ ル 密 度 図( 図 15・図 16)を み て も 、内 陸 部 に 使 用 が ひ ろ が り 、
59
60
図5
LAS 第 96 図から作図(瀬戸内海東部)
61
図6
LAS 第 96 図から作図(瀬戸内海西部)
62
図7
カーネル密度図(1)
63
図8
カーネル密度図(2)
64
図9
LAS 第 96´図から作図(瀬戸内海東部)
65
図 10
LAS 第 96´図から作図(瀬戸内海西部)
66
図 11
カーネル密度図(3)
67
図 12
カーネル密度図(4)
68
図 13
峪口調査(瀬戸内海東部)
69
図 14
峪口調査(瀬戸内海西部)
70
図 15
カーネル密度図(5)
71
図 16
カーネル密度図(6)
兵庫県に使用が多いことがわかる。
「 ナ ー 」の 分 布 を ま と め て み る と 、瀬 戸 内 海 東 部 で は LAS 老 年 層 、少 年 層 、峪
口調査と似たような分布をみせ、広く使用が認められる。一方、峪口調査では、
瀬 戸 内 海 西 部 ま で「 ナ ー 」の 分 布 が 伸 び て い っ て い る よ う で あ る 。つ ま り 、
「ナー」
が西進している様子が窺えるのではないだろうか。
5.文末詞「ノー」のカーネル密度による方言分布
次 に 「 ノ ー 」 に つ い て み て い く 。 図 17・ 図 18・ 図 21・ 図 22 は 、 LAS 第 96
図「ナー・ノー・ネー・ニー」から「ノー」の分布を取り出し、言語地図化した
ものである。
ま ず 老 年 層 図( 図 17・ 図 18)か ら み て い く 。「 ノ ー 」に つ い て は 瀬 戸 内 海 全 域
に 使 用 の 確 認 が で き る が 、 LAS「 ナ ー 」 の 老 年 層 図 ( 図 5 ・ 図 6 ) と 比 べ て 、 兵
庫 県 淡 路 島 、香 川 県 小 豆 島 に 分 布 が 少 な い 。近 畿 沿 岸 に は 、
「 ノ ー 」が ほ と ん ど な
い 。 つ ま り LAS 時 に お い て 、「 ノ ー 」 の 分 布 は 、 そ の 中 心 が 瀬 戸 内 海 中 部 、 西 部
に あ っ た と い う こ と に な ろ う か 。 さ ら に 、 カ ー ネ ル 密 度 図 ( 図 19・ 図 20) を み
ると、広島県島嶼部から山口県周防大島域にかけて「ノー」の分布が多いことが
わかる。また「ノー」は、瀬戸内海西部まで使用されていることが一目瞭然であ
る。
続 い て 、 少 年 層 図 ( 図 21・ 図 22) を み て い く 。 瀬 戸 内 海 東 部 で は 、 若 干 使 用
数が減るものの、老年層図と似たような分布をみせている。さらに老年層と同じ
く近畿沿岸では「ノー」の使用は確認できない。一方、瀬戸内海西部では、広島
県 島 嶼 部 で は 分 布 が 濃 厚 で あ る が 、山 口 県 島 嶼 部 以 西 で は 分 布 が 弱 く な っ て い る 。
カ ー ネ ル 密 度 図( 図 23・図 24)を み る と 、「 ノ ー 」の 分 布 が 老 年 層 図 よ り 減 少
し て い る こ と が わ か る 。つ ま り 見 か け 時 間 上 の 変 化 で 、
「 ノ ー 」が 顕 著 に 残 っ て い
るのは、瀬戸内海中部の中国側だといえる。
さ ら に 、 峪 口 調 査 の 「 ノ ー 」 の 結 果 ( 図 25・ 図 26) を み て い く 。 瀬 戸 内 海 東
部 、西 部 と も に 広 く 使 用 さ れ て い る こ と が わ か る 。6 - 2 で も 述 べ た 、
「 ナ ー 」が
西 進 し て い く 中 で も 、「 ノ ー 」 は 内 海 全 域 で 顕 在 だ と い う こ と が 窺 え る 。
カ ー ネ ル 密 度 図( 図 27・図 28)を み る と 、兵 庫 県 に 最 も 使 用 が 集 中 し て い た 。
ま た LAS 少 年 層 図 ( 図 24) の カ ー ネ ル 密 度 と 比 較 を す る と 、 峪 口 調 査 の ほ う が
「 ノ ー 」の 分 布 が 西 へ と ひ ろ が っ て い た 。こ こ で 考 え ら れ る の は 、LAS 時 の 老 年
層で「ノー」は、特に瀬戸内海中部、東部で盛んだったが、少年層の分布が弱く
なっていた。ところが、峪口調査の「ノー」は未だに瀬戸内海全体で、顕在であ
ることが判明した。
72
73
図 17
LAS 第 96 図から作図(瀬戸内海東部)
74
図 18
LAS 第 96 図から作図(瀬戸内海西部)
75
図 19
カーネル密度図(7)
76
図 20
カーネル密度図(8)
77
図 21
LAS 第 96´図から作図(瀬戸内海東部)
78
図 22
LAS 第 96´図から作図(瀬戸内海西部)
79
図 23
カーネル密度図(9)
80
図 24
カーネル密度図(10)
81
図 25
峪口調査(瀬戸内海東部)
82
図 26
峪口調査(瀬戸内海西部)
83
図 27
カーネル密度図(11)
84
図 28
カーネル密度図(12)
つまり、見かけ時間の変化だけでは、見いだせなかったことが、追跡調査をす
ることで明らかになったといえるだろう。
6.本章の結論
本 章 で は 、GIS を 利 用 し 言 語 地 図 を 作 成 し 、LAS の 経 年 変 化 に つ い て 、追 跡 調
査の結果を併せて示し地理的分布からみた特徴を整理した。また、空間統計のカ
ーネル密度を算出し、語形間の密度を地理的にみてきた。
文末詞「ナー」は、時間が経過することで、西に進んでいることが明らかとな
っ た 。文 末 詞「 ノ ー 」は 、LAS 時 の 老 年 層 で 、特 に 瀬 戸 内 海 中 部 、東 部 と 盛 ん だ
ったが、少年層の分布が弱くなっていた。ところが、峪口調査の「ノー」は未だ
に 瀬 戸 内 海 全 体 で 、 顕 在 で あ る こ と が 判 明 し た 。「 ナ ー 」「 ノ ー 」 は 、 男 女 差 が あ
るものの、瀬戸内海域で根強く使われている、文末詞ということが明らかとなっ
た。
今後は、今回扱っていない文末詞の考察を進め、言語変化の変容プロセスを解
明し、言語変容地域における共通語の普及過程や人口移動量の差異との関係など
も明らかにしていきたい。
【注】
注1
カ ー ネ ル 密 度 と は 、GIS の ジ オ プ ロ セ シ ン グ ツ ー ル の 一 つ の こ と で 、対 象 フ ィ
ーチャの近傍におけるフィーチャの密度を計算し表示し視覚化することであ
る。
注2
峪 口 調 査 の 地 点 は 、 LAS と 比 べ 広 域 に 調 査 地 点 が あ る こ と か ら 、 LAS と 同 じ
調 査 範 囲 内 の ポ リ ゴ ン デ ー タ を 作 成 し 、そ の 範 囲 内 の ポ イ ン ト デ ー タ を 空 間 検
索 し 取 り 出 し 作 図 を 試 み て い る 。( 空 間 検 索 と は 、 GIS の 地 図 画 面 上 で 情 報 を
抽出する方法である)
85
第7章
標準偏差楕円・メッシュ地図による言語分析
-接続助詞「から」を事例として-
1.本章の目的
本章では、方言分布の「実時間」上の変化に焦点をあてながら言語変化の動向
の一端を探ることにする。
藤 原( 1999)は 、瀬 戸 内 海 域 を 、人 間 の 居 住 す る 125 島 を 擁 す る 一 言 語 内「 多
島海域」とし、かつての舟運などの生業をはじめ、発達した瀬戸内海の海路が、
瀬戸内海方言に多大なる影響を与えてきたと述べている。多島海域である瀬戸内
海は、近畿・中国・四国・九州といった西日本の諸地方に取り囲まれており、言
語接触、言語変化という視点から西日本方言における言語動態を把握する上で恰
好のフィールドであるといえよう。
さ ら に 藤 原( 1999)は 、瀬 戸 内 海 域 の 諸 方 言 に も 、各 地 域 で の 方 言 に は 独 特 の
特色があり、また、それぞれの方言は時間軸に沿って言語変化が起きており、こ
れらの要因にはさまざまな理由が考えられることを指摘している。
以下では、方言事象としてバリエーションが多い、原因・理由を表す順接の接
続助詞「から」に相当する方言を取り上げ、考察する。
2.調査・地図化の方法と本論の対象
本 章 で 比 較 ・ 考 察 の 対 象 と す る の は 、 藤 原 ( 1990)、 LAS( 1974)、 峪 口 調 査
( 2011-2015)、徳 島 大 学 に お け る 小 豆 島 に お け る 調 査( 岸 江 ・ 峪 口 編 2015)、で
ある。
藤 原 ( 1990) は 、 中 国 ・ 四 国 ・ 西 近 畿 を 調 査 対 象 地 域 と し た 若 年 層 ( 15 歳 か
ら 18 歳 の 助 成 )の 言 語 地 図 で あ る 。1933 年 か ら 二 年 間 か け て 実 施 し た 、総 計 833
地 点 で の 通 信 調 査 の 結 果 を ま と め た も の で あ る 。 つ ま り 約 80 年 前 の 若 年 層 を 対
象とした調査である。
LAS は 、 第 2 章 ・ 4 章 で 紹 介 し た 調 査 概 要 に 準 ず る 。
峪 口 調 査 は 、LAS 追 跡 調 査 を 行 う た め 、瀬 戸 内 海 島 嶼 お よ び 沿 岸 に お け る 全 域
調 査 を 2011 年 か ら 約 4 年 間 に わ た っ て 実 施 し た 。 な お 本 章 で は 、 4 . 1 . 1 .
で は 1,300 人 の デ ー タ 、 5 . で は 1,512 人 の デ ー タ を 用 い て 言 語 地 図 化 を 行 っ て
いる。
徳 島 大 学 に お け る 小 豆 島 に お け る 調 査 ( 岸 江 ・ 峪 口 編 2015) は 、 2011-2015
年 度 文 部 科 学 省 科 学 研 究 費 基 盤 研 究 ( A)「 方 言 分 布 変 化 の 詳 細 解 明 ―変 動 実 態 の
86
把 握 と 理 論 の 検 証 ・ 構 築 ―」( 代 表 : 大 西 拓 一 郎 ( 国 立 国 語 研 究 所 教 授 )) の 一 環
として実施された香川県小豆島調査のことである。徳島大学日本語学研究室のゼ
ミ 生 が 中 心 と な り 、 す べ て の 地 点 で 面 接 調 査 を 行 っ た 。 第 一 次 調 査 は 2012 年 3
月 24 日 ~ 同 年 3 月 27 日 、 第 二 次 調 査 は 2013 年 6 月 29 日 ~ 同 年 7 月 1 日 、 第
三 次 調 査 は 2014 年 9 月 14 日 に 実 施 し た 。 総 調 査 地 点 は 、 94 地 点 で あ る 。 調 査
項 目 は 、 計 112 項 目 か ら な り 、 挨 拶 ・ 文 法 ・ 語 彙 ・ ア ク セ ン ト ・ 民 俗 に 関 す る 項
目が含まれている。以上の調査結果を随時比較し考察していくことにする。
3.先行研究
原因・理由を表す接続助詞「から」の全国分布をあつかったものに『方言文法
全国地図』
( 以 下 GAJ と 略 す )第 1 集・第 35 図「 雨 が 降 っ て い る か ら 」が あ る 。
全国共通語形のカラを使用する地域は、北海道のほか、岩手・宮城・福島など
東北地方の太平洋側および関東地方である。東北地方の日本海側や中部地方およ
び西日本の各地方ではカラの分布はさほど目立たず、カラ以外の形式が使用され
る地域が目立つ。九州地方には宮崎県にカリ、宮崎県・鹿児島県にカイ、鹿児島
県奄美地方の喜界島にカラニ、加計呂麻島にカランなどカラ系とみられる諸形式
の分布が認められる。
青森県から秋田県、山形県、さらに新潟県にかけての日本海側では、さまざま
な形式が入り組んで分布しているが、特に注目されるのは東日本の日本海側から
近畿地方にかけて、サカイ系の諸種の形式が分布している点である。東日本にお
けるサカイ類の諸形式は以下の通りである。
青森県
シケァ、シカイ、シケー、スケァ、スカイ、ステ(シテ)
岩手県
サ カ エ ( ニ )、 シ ケ ー ( ニ )、 シ ケ ァ 、 ス ケ ー
山形県
サ ゲ ( サ ケ )、 サ ゲ テ ( サ ケ テ )、 ハ ゲ ( ハ ケ )、 ハ ゲ ァ 、
ハゲテ(ハケテ)
秋田県
ハゲ、バゲエ、ハゲア
北 陸 か ら 関 西 に か け て は サ カ イ( ニ )、サ ケ な ど の ほ か 、ハ カ イ・ハ ケ・サ カ の
形式もみられる。大阪府及び奈良県のあたりにはサカイ(ニ)がまとまって分布
しており、ヨッテ(ニ)が入り混じった状況を呈している。中部地方に目を転じ
る と 、デ が 広 く 分 布 圏 を 形 成 し て い る 。こ の デ は 関 西 の サ カ イ( ニ )、サ ケ を 挟 ん
で、京都府や兵庫県北部のほか、南九州の鹿児島県に分布している。中四国以西
か ら 九 州 中 部 に 至 る 地 域 は ほ ぼ ケ ー 、ケ 、ケ ニ 、ケ ン 、ケ ン ガ 、キ ー 、キ 、キ ニ 、
87
キンなどといった形式が広がっている。鹿児島県を中心とする南九州地方ではデ
が注目されよう。奄美地方から南西諸島の諸方言では、バ、クトゥ、ク、トゥな
どの諸形式が分布する。
と こ ろ で 淡 路 島 で は 、北 部 で は サ カ イ( ニ )、南 部 で は ヨ ッ テ( ニ )が 分 布 し て
いることがわかる。一方、共通語形と同形のカラは淡路北部と近畿地方にも広く
分布している。
ち な み に カ ラ と ヨ ッ テ( ニ )に 関 し て『 皇 都 午 睡 』 注 1 に「 江 戸 の 人 が さ う し て
から、かうしてからと云を聞ては、京摂者は口まねをして笑ふが、こつちの者に
言はすと、よつてと云、さうしたよつて、かうしたよつてと云也、よつてとから
とはどちらが古い詞ぢやと問はれると、からの方が古言也」と述べられており、
ヨ ッ テ( ニ )よ り も カ ラ の 方 が 古 い と し て い る 。次 に サ カ イ( ニ )と ヨ ッ テ( ニ )
の関係についても触れてみることにしたい。
彦 坂( 2001)に よ る と 、サ カ イ( ニ )と ヨ ッ テ( ニ )に 関 し て 近 畿 地 方 で は 紀
伊半島から瀬戸内海近くにあるサカイ(ニ)が先に生じ、そのあとヨッテ(ニ)
が 生 じ た と 指 摘 し て い る 。こ の 詳 細 に つ い て は 小 林( 1977)や 金 沢( 1998)が 指
摘しているように近世に入ると圧倒的に多かったヨッテ(ニ)が次第に減り、そ
れまで少なかったサカイ(ニ)が伸びて、ヨッテ(ニ)とサカイ(ニ)が拮抗状
態になったとされる。
4.瀬戸内海域における原因・理由を表す接続助詞「から」の方言分布
4.1.1.瀬戸内海域における方言分布の概観
次 に 、 LAS 第 31 図 の 老 年 層 図 を み て い く 。 ま ず 、 広 島 、 愛 媛 、 香 川 、 徳 島 に
ケンが分布し、岡山県備中島嶼、広島県備後島嶼、山口県下、九州北部にはケー
がみられる。一方、近畿中央部では、大阪を中心にサカイ(ニ)が分布圏を形成
しており、和歌山においては、サカとサケ(ニ)が対立をみせている。大阪府及
び兵庫県のあたりにはヨッテ類が淡路島を中心にまとまって分布している。この
状 況 は 、 先 に 見 た GAJ「 雨 が 降 っ て い る か ら 、 行 く の は や め ろ ( 第 1 集 ・ 第 33
図 )」 の 場 合 の 「 か ら 」 の 分 布 と ほ ぼ 同 じ 様 相 を 呈 し て い る と い え よ う 。
さ ら に LAS で は 、ヤ カ イ と い う 形 式 が 兵 庫 県 家 島 に み ら れ 、デ が 兵 庫 県 下 お よ
び徳島県鳴門市域にみられる。さらに瀬戸内海西部域に目をやると、大分県姫島
付近にデー、九州豊後地域にはホデが分布している。また、中国地方では、岡山
県東隅島嶼ショイ、岡山県東隅沿岸と小豆島とにセニ、シニがみられる。少年層
の分布状況においても、老年層図とほぼ同様の形式がみられ、両図には大きな差
がない。
88
図 1 の 峪 口 調 査 の 結 果 で は 、 LAS の 老 少 二 層 の 分 布 と ほ ぼ 同 様 の 結 果 と な り 、
各地域での諸形式がいまだなお、健在であることが判明した。内海東部域におけ
る サ カ イ( ニ )
( 図 3 参 照 )や ヨ ッ テ( ニ )
( 図 4 参 照 )、四 国 お よ び 中 国 地 方 沿 岸
から九州北東部域にかけてケン・ケー・キ・キー等(図5参照)をはじめ、内海
諸地域にみられる特色ある諸形式をほぼ追認した。
まず、サカイ(ニ)やヨッテ(ニ)は、大阪府や兵庫県など大阪湾沿岸地方を
中心とする地域にまとまった分布がみられ、これらの分布領域自体には大きな差
は み ら れ な い も の の 、兵 庫 県 淡 路 島 に お い て か つ て ヨ ッ テ( ニ )が 盛 ん だ っ た が 、
今回の調査でサカイ(ニ)の勢力が拡大していることなどが明らかになった。
ま た 、 大 阪 府 南 部 か ら 和 歌 山 県 に か け て み ら れ る サ ケ 、サ カ に は 分 布 上 の 対 立
については先述のとおりだが、これらの形式と並行して、サカイ(ニ)の進行が
これらの地域にみられる。
LAS で 広 範 囲 の 分 布 域 を も つ ケ ン・ケ ー 等 に つ い て は 、広 島 県 中 央 部 の ケ ン を
挟むような形で、それぞれ広島県東西部及び岡山県、山口県臨海部においてケー
が広範囲に分布している。一方、ケンに関しては四国沿岸部及び愛媛県全域にみ
られる他、大分、広島、岡山、福岡県西部などで分布がみられた。この状況は、
ほ ぼ LAS と 同 様 で あ っ た が 、内 海 域 各 地 に 散 見 さ れ る ケ ニ 、キ ニ 、キ ー な ど 多 様
な形式がケンやケーに収束していく傾向が認められた。また、比較的狭い範囲に
限定された諸形式である、大分県のホデ、同様に兵庫県家島にみられたヤカイ、
岡山県東隅島嶼にあったショイ、岡山県東部域や小豆島にみられたセニ(シニ)
などが、峪口調査においては、分布域を退縮させ、衰退の一途を辿っていること
が 確 認 で き た ( 図 6 参 照 )。
こ の セ ニ と シ ニ と い う 形 式 に つ い て 、柳 田( 1977)は 、も と も と は「 サ ニ 」と
いう接続助詞から派生したものであり、室町時代に接続助詞的用法として確立し
た と 述 べ て い る 。藤 原( 1976)に よ る と 、セ ニ や シ ョ イ は 、ゆ え ぶ か い 古 語 法 の
残形ではないかという。つまり、日本語史上、このセニやシニは峪口調査の凡例
の中で最も古い形式であると考えられる。これらは、今後確実に姿を消す運命を
辿ることになろう。
以 上 の 結 果 か ら 、大 局 的 に は 、サ カ イ 、ケ ン ・ケ ー 等 、LAS 調 査 で 瀬 戸 内 海 域
において広範囲に分布を形成していた諸形式は依然としてその分布領域を保持し
ているといえる。
一方、限られた地域にみられた、各地の特色ある形式は分布領域の退縮のみな
ら ず 、各 地 で の 衰 退 化 が 激 し い 。こ の よ う な 背 景 に は 、LAS の 調 査 時 の 段 階 で み
られた多様な形式が各地域で勢力のある形式(例えばケンなど)に飲み込まれる
89
という現象が各地でみられる。
LAS と の 比 較 に お い て 、も っ と も 注 目 し な け れ ば な ら な の は 、そ の 分 布 領 域 を
拡 大 さ せ た 共 通 語 形 式 と 同 形 の カ ラ で あ る( 図 2 参 照 )。カ ラ は そ の 勢 力 範 囲 を 拡
大 さ せ て お り 、 従 来 指 摘 さ れ て き た 、 近 畿 中 央 部 に お け る サ カ イ ( ニ ) →カ ラ と
軌を一にする変化である。カラが共通語形と同形という点で、共通語化という点
も当然考慮すべきであるが、瀬戸内海域にみられるカラの分布状況から京阪地方
からの直接の影響を考慮すべきであろう。
カラは今後、内海東部域において、やがてサカイ(ニ)やヨッテ(ニ)の分布
域を襲い、その分布領域を拡大させていくと考えられる。
なお、峪口調査では、カラの分布領域には、中国地方と四国地方とで極端な差
がみられ、中国地方での分布が着実にその領域を拡大させているのに対し、四国
地方各地では根づいていないことが判明した。
90
91
図1
峪口調査「から」
92
図2
峪口調査「カラ」(概略図)
93
図3
峪口調査「サカイ類」(概略図)
94
図4 峪口調査「ヨッテ(ニ)」(概略図)
95
図5
峪口調査「ケン類」(概略図)
96
図6
峪口調査「セニ・シニ」(概略図)
4.1.2.瀬戸内海域「カラ」における地理的分布特性の算出
ここでは、地理的分布特性の算出を援用して分析を進める。
方 法 論 上 、調 査 地 点 の 抽 出 箇 所 が 同 一 で あ る ほ う が 望 ま し い と 考 え る 。し か し 、
今回は事例研究、モデルケースとして分布傾向をみるために止め、方言学におい
ても地理的分布特性の算出が適用出来るかどうか、空間解析を利用し分析を試み
る。
図7は峪口調査における、原因・理由をあらわす接続助詞「から」の代表的な
形 式 「 カ ラ 」「 サ カ イ ( ニ )」「 ケ ン 」「 ケ ー 」 を 取 り 上 げ た も の で あ る 。 共 通 語 形
カ ラ 199 例 、サ カ イ( ニ )212 例 、ケ ン 437 例 、ケ ー 279 例 だ け を 抽 出 し た 空 間 統
計の地図である。
ラ イ ン で 囲 っ た 標 準 偏 差 楕 円 注 2 は 、標 準 距 離 偏 差 で は 表 現 で き な い 、点 分 布 の
向きの偏りも合わせて表示する指標である。標準偏差楕円において、地理的中心
は点分布の平均的位置を、軸の向きは分布の方向、長軸および短軸の長さは散ら
ばりの大きさを表す。
共通語形のカラは、関西に多く分布していることから、関西寄りに楕円が描か
れている。重心点は香川県小豆島にある。サカイ(ニ)は、近畿中央部に分布し
ていることから、近畿中心部に楕円が描かれ、淡路島淡路市の東部海域を重心点
とし、サカイ類の分布傾向が窺える。ケンは、西日本広い範囲で分布し、愛媛、
香川、徳島に多く分布していたことから、楕円の範囲は広く東部は淡路島から四
国は広域にカバーし、瀬戸内海地域に大きく描かれている。重心点は愛媛県新居
浜市にある。ケーは、岡山、広島、山口にかけて本州側に分布が多い為、ケンと
は楕円が狭まるも瀬戸内海島嶼部から中国地方にかけて楕円が描かれている。重
心点は広島県尾道市付近にある。
次に楕円各々の比較を行う。これらの楕円からいえることは、どこを中心にど
のように分布域の広がりがみられるのかということがわかる点である。
つまり、瀬戸内海東部は、サカイ(ニ)の領域、それに重なり共通語形のカラ
が高松市を中心に広島県西部まで分布をし、西日本のケン、ケーという伝統的語
形は瀬戸内海域で広範囲に勢力を保っているが、標準偏差楕円でみるとケンが最
も瀬戸内海域で勢力が強いことがわかり、ケーは中国島嶼部域を分布域とし分布
していることがわかる。
以上、瀬戸内海域において最も勢力があるこれら4つの形式は、それぞれ重な
りをみせつつも、それぞれの勢力分布域を有していることを、標準偏差楕円によ
る分析を試みることで大局的にではあるが明らかにすることができた。
97
98
図7
峪口調査空間解析図
4.2.1.淡路島における方言分布の概観
図8は、LAS 第 31 老年層図から作図した淡路島の言語地図である。全域に「サカイ」と
「ヨッテ」が分布している。北部にはサカイ類が、南部にはヨッテ類が広く分布し、南北対
立の様相をみせる。
GAJ(第1集・第 33 図)でも、北部はサカイ、南部はヨッテが分布しており、LAS と一
致していることがわかる。
日本語史では、中世・室町時代頃からヨッテ、ヨッテニが発達し、その後江戸期から、サ
カイが出現したとされる。淡路島南部におけるヨッテの残存、退縮は、本州からのサカイに
押された結果であることが推察される。一方で、共通語形の「カラ」は僅かな分布がみられ
る程度である。次に、図9で峪口調査の分布図を概観する。LAS よりは調査地点が減るも
のの、やはりサカイ類の分布が目につく。ヨッテ類も広く分布している。
図8では、サカイ類が北部、ヨッテ類が南部という分布傾向がみられたが、図9ではサカ
イ類が全域に広がり、ヨッテ類は南部に集中する傾向がみてとれる。ヨッテニは、みられな
い。南近畿に多い、サカという形式が淡路市室津にみられる。西日本に広く分布し、四国地
方で使用されるケンも、LAS では分布が確認できなかったが、ここでは単一回答が2地点、
複数回答「サカイ/ケン」が2地点、「サカイ/ヨッテ/ケン」が1地点あった。ケンの使
用が5地点あることになる。単一回答2地点のうち、1地点は、淡路市久留麻で、残りの4
地点は洲本市に集中している。以上をまとめると、本州側からのサカイの浸透があった一方
で、四国側からの影響も受け、ケンが浸透している様子がうかがえる。ケンについては、四
国から淡路島西部や南部へ伝播し、それが徐々に洲本市へと直接伝わった、いわゆる地を這
うような伝播をしてきたものではなく、洲本市に直接、飛び火したかのような分布の様相を
呈している点が特筆される。
4.2.2.淡路島「カラ」における地理的分布特性の算出
ここでは、
地理的分布特性の算出を援用して分析を進める。実時間上の変化として、図8、
図9との地図の比較を行なう。方法論上、調査地点の抽出箇所が同一であるほうが望ましく、
調査地点数にも偏りがあるが、分布傾向をみるには、地理的分布特性の算出は可能である。
今回は事例研究、モデルケースとして分布傾向を通じ、方言学においても地理的分布特性の
算出が適応出来るかをみるべく、空間解析を利用し分析を試みる。
図 10、図 11 は、サカイだけを抽出した地図である。標準偏差楕円は、標準距離偏差では
表現できない、点分布の向きの偏りも合わせて記述する指標である。標準偏差楕円とは、地
理的中心は点分布の平均的位置を、軸の向きは分布の方向、長軸および短軸の長さは散らば
りの大きさを表す。点分布の重心を中心とし、分布を最も適切に表現する楕円を描いたもの
である 。
99
図8
LAS第31老年層図から作図「から」
100
図9
峪口調査「から」
101
図10
LAS空間解析図「サカイ類」
102
図11 峪口調査空間解析図「サカイ類」
103
図12
LAS・峪口調査
空間解析図「サカイ類」
104
図 10 のサカイの分布は北部に偏り、図 11 では分布域が南部に偏り移動したさまが、標
準偏差楕円を用いることによってわかる。楕円の長軸、短軸の長さは、図 11 のほうが長い。
よって楕円が大きいことで、分布が地理的中心点から散らばりが多いことがわかる。分布
を比較してみると、LAS のサカイ分布は、北部から南部にかけて、楕円が分布している。
楕円が意味するのは、分布傾向であるので、淡路島北部ということは近畿からことばが伝播
し、広がっていったものと考えることができる。峪口調査では、楕円の分布が南部に移動し
ている。移動したことで、指摘出来るのは、サカイの分布がより南部に進行したことがわか
るという点である。或いは北部は近畿中央部から新しい語形が入ってきて、中部から南部に
かけてサカイの語形が残存しているかもしれない。四国では、サカイは使用されないので、
淡路島南部はサカイの吹き溜まり状態になっている可能性も考えられる。
地理的中心点に注目すると、図 10 では淡路市南部に位置するが、図 11 では、洲本市に
プロットされている。さらに地理的中心点を比較するために、図 10 と図 11 の地図を重ね
あわせた地図が図 12 である。地理的中心点間の距離を測定してみるためにジオメトリ演算
を用いて計算をすると移動距離は 2,562m だった。約 2.6km サカイの分布は、南下して
注3
いることが正確に明らかになった。
かつて畿内でひろく使用されていた伝統形式のサカイが、
標準語形であるカラに押され南進している様相が判明した。
4.3.1.小豆島における方言分布の概観
図 13(注 4)原因・理由を表す接続助詞「から」には、主にカラ・サカイ類・セニ・ケン
類・ヨッテ・デなどの形式が分布している。
LAS 第 31 老年層図の池田以東(池田、大部、草壁)で使われていたセニが約 50 年の時
を経てその勢力を弱めたことがわかる。福田地域付近にセニが確認できることから、かつ
てセニが小豆島東部で勢力を誇っていたと考えてよいであろう。今回の調査では、セニが
各地(吉田、堀越、蒲野、滝宮)に散在している。佐藤(1990)は、「池田以東の地域に
ついて「セニ」→「サカイ系」→「カラ」という変化が推測できる。
」と指摘している。こ
のときの推測が今回の調査で確かめられたわけである。このセニは、
「ゆえぶかい古語法の
残形である」
(藤原 1976)という。
一方で小豆島西部(土庄、伊喜末)をみると、おおむねカラの分布が多い。LAS では、
老年層と少年層とともに小豆島西部ではカラの使用しかみられなかった。西対岸の豊島、
北対岸の岡山東部の広い範囲でカラのみが分布している。つまり、このカラの分布は、共
通語形による影響とは考えにくく、この地域に古くからある語形であると思われる。四国
本土でよく使われるケンが小豆島町に、やや多くみられることがわかる。四国の影響を受
け、島嶼部にまでケンの分布域が拡大している様子をうかがうことができるであろう。
105
図13
小豆島調査「から」
5.方言分布から推定される変化の過程
まず、上述した4.1.1.LAS 第 31 老年層図を整理する。
LAS 老年層図では、ケンが広島、愛媛、香川、徳島に分布がみられ、ケーが岡山県備中
島嶼、広島県備後島嶼、山口県下、九州北部などにまとまって認められる。また近畿中央部
では、大阪を中心にサカイ(ニ)が分布圏を形成しており、和歌山においては、サカとサケ
が対立をみせている。大阪府及び兵庫県のあたりにはヨッテ(ニ)が淡路島を中心にまとま
って分布している。少年層の分布においても、老年層図とほぼ同様の形式がみられ、両図に
は大きな差がない。つまり接続助詞「から」については、見かけ時間上の変化はみられなか
ったといえる
そこで、本稿では、過去 80 年間というタイムスパンにおいて瀬戸内海域のことば「から」
がどのように変化していったのかを考察する。
まず、約 80 年前の調査研究である、藤原 1933 年調査の図 14 を概観する。サカイ(ニ)・
ヨッテ(ニ)の分布は近畿を中心にひろがりをみせている。一方で、和歌山は、調査地点が
少なく、サカ・サケの対立はみることができない。中国地方では、ケ(ー)の分布が盛んに
106
みられ、四国地方ではケニが広範囲に分布域を形成している。また、ケニは、四国に限らず、
中国地方や九州地方まで入り込んで分布がみられる。ここで、一番重要なのはケンの使用が
みられないことである。
次に、図 15・16 を概観していく。図 15 は、藤原 1933 年調査、図 16 は峪口調査の、ケ
ニ・ケンのみを取り出し作図した地図である。峪口調査結果を概観すると、図 16 は、四国
地方の徳島・香川・愛媛の各県を中心に分布しており、岡山・広島など中国地方にも分布が
確認できる。
約 80 年前の調査結果である図 15(藤原調査 1933 年)ではケンの使用がみられず、峪口
調査でみられたケンの分布域は、すべてケニ(ないしキニ)であった点が注目される。また
図 17・図 18 は、二次メッシュを用いて地図化を行っている。地図の濃淡で使用が確認でき
る。
つまり、相互の結果を比較すると、過去 80 年間というタイムスパンにおいてケニ→ケン
(キニ→キン)という変化が生じ、ケンが広く拡散した様子を知ることができる。峪口調査
からは、ケニ(ないしキニ)が分布域を縮小させており、今後、これらの形式はともにケン
に統一されていくのは確実である。
図 20「ケー」をみると、LAS では岡山県・広島県島嶼部、山口県、九州北部に分布をみ
せていたが、峪口調査では、依然として中国側で分布が優勢だといえる。図 19(藤原調査
1933 年)でも、ケーの分布は中国側でさかんである。ケーに関しては、実時間上の変化を
みても、この 80 年間、大きな変化がなかったことが明らかとなった。
サカイ(ニ)の分布は、LAS、藤原(1990)の両調査結果を比較しても、同地域で使用
の確認ができる。つまりこの 80 年の間、特に分布域が縮小することもなく、各地で受け継
がれ、使用されていることが判明した。
これまでの調査と比較した結果、大局的には、ケー、サカイ(ニ)、ヨッテ(ニ)など、
瀬戸内海域において広範囲に分布を形成していた諸形式は、依然としてその分布領域を保持
しているといえる。ただ、ケンに関しては約 80 年前の調査ではまったく現れず、現在、ケ
ンを使用する地域では、
かつてケニ(ないしキニ)
が使用されていたことが明らかとなった。
藤原(1990)の調査から LAS の段階でケニ(ないしキニ)からケンへと変化が生じ、そ
して現在ではケニ(ないしキニ)がほとんど消え、ほぼケンに統一されていることが判明し
た。また、LAS 調査でみられた、各地の特色のある形式(セニ・シニ・ショイなど)も分
布領域の退縮のみならず、各地での方言形式自体の衰退が激しい。このような背景には、前
述したとおり LAS の調査時の段階でみられた多様な形式が各地域で勢力を伸ばしたケンの
拡大が大きく影響を及ぼしている。
107
108
図14 藤原1933年調査(原図から複数)
109
図15 藤原1933年調査「ケニ」
110
図16 峪口調査「ケン・ケニ」
111
図17 二次メッシュ図「ケニ」
112
図18 二次メッシュ図「ケニ」
113
図19 二次メッシュ図「ケ(ー)」
114
図20 二次メッシュ図「ケ(ー)」
6.本章の結論
これまでの調査と比較した結果、大局的には、ケー、サカイ(ニ)
、ヨッテ(ニ)など、
瀬戸内海域において広範囲に分布を形成していた諸形式は、依然としてその分布領域を保持
しているといえる。ただ、ケンに関しては約 80 年前の調査ではまったく現れず、現在、ケ
ンを使用する地域では、
かつてケニ(ないしキニ)
が使用されていたことが明らかとなった。
藤原(1990)の調査から LAS の段階でケニ(ないしキニ)からケンへと変化が生じ、そし
て現在ではケニ(ないしキニ)がほとんど消え、ほぼケンに統一されていることが判明した。
また、LAS 調査でみられた、各地の特色のある形式(セニ・シニ・ショイなど)も分布領
域の退縮のみならず、各地での方言形式自体の衰退が激しい。
これらの結果から、大局的には、サカイ、ケン・ケー等、LAS 調査で瀬戸内海域におい
て広範囲に分布を形成していた諸形式は依然としてその分布領域を保持しているといえる。
一方、限られた地域にみられた、各地の特色ある形式は分布領域の退縮のみならず、各地で
の衰退化が激しいという事実が明らかになった。このような現象の背景には、LAS の調査
時の段階でみられた多様な形式が各地域で勢力のある形式(例えばケンの拡大など)に飲み
込まれるという傾向が存在すると考えられる。
【注】
注1
西沢一鳳著 1850 刊。原文は、近世デジタルライブラリーにアップされている資料によっ
た。http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763829/9
注2
楕円については、STD×1の範囲は、確率的に約7割の点が分布している範囲を示して
いる。
注3
テーブル内で直接面積やラインの長さなど計算する機能を指す。
注4
小豆島言語地図の地図番号は、岸江信介・峪口有香子編(2015)『小豆島言語地図』の
地図を掲載している。なお、言語地図の作図は、筆者による。
115
第8章
WEB による言語地図の公開
1.本章の目的
本章では、瀬戸内海全域の言語地理学的な方言調査を実施し、過去の調査デー
タの追跡調査を兼ね、方言研究で今まで試みられてこなかった、インタラクティ
ブ な 可 視 化 を 実 現 す る た め 、 統 計 解 析 言 語 R を 用 い 、 WEB 上 で の 方 言 動 態 の 公
開の実現を可能とする提示方法とその利便性について明らかにする。
R ソフトは、オープンソースソフトウェアの一つとして、その自由度の高さか
ら 、 統 計 解 析 に 限 ら ず 、 画 像 解 析 か ら 地 理 情 報 を 解 析 す る た め の 機 能 ( GIS) ま
で そ の 応 用 は 広 範 囲 に わ た り 利 用 さ れ て い る 。そ の R を 使 っ た 言 語 地 理 学 研 究 は 、
世 界 を み て も ま だ な さ れ て い な い の が 現 状 で あ る 。日 本 の 方 言 研 究 界 に お い て も 、
調査データの俯瞰と要約のために、インタラクティブな言語地図を作成する試み
はなされていない。
本研究は、その新たな言語地図を作成するために、瀬戸内海域をフィールドに
設定し、今回実施した方言調査結果を基にインタラクティブな言語地図に要約す
る こ と を 試 み 、 さ ら に そ の 結 果 を WEB 上 で 公 開 し 消 滅 が 危 惧 さ れ る 瀬 戸 内 海 方
言の記録と保存を目指すものである。
2.分析手法
可視化の事例として、以下では文末詞を取り上げる。質問の項目は以下のよう
に設定した。主に瀬戸内海域でよく使われている伝統的表現の文末詞を取り上げ
た 。 な お 調 査 項 目 は 、『 瀬 戸 内 海 言 語 図 巻 上 下 』 調 査 で 扱 っ た も の と 同 じ で あ る 。
【 1 】 誰 か が 来 た と き に 、「 誰 で す か 」 と い う 時 、「 誰 ぞ い 」 と 言 い ま す か 。
【2】近所の心やすい人に対して「どこへ行くのか」と聞く時に「どこに行く
んなら」と言いますか。
【 3 】心 や す い 人 に「 そ ん な ん 、知 ら ん ! 」と い う 時 、
「 知 ら ん わ い 」と 言 い ま
すか。
【 4 】「 大 き な 魚 が お っ た わ い や ー 」 と い う よ う に 、「 ~ わ い や ー 」 と 言 い ま す
か。
【 5 】「 今 日 は 、 暑 い の ー た 」 と い う よ う に 、「 ~ の ー た 」 と 言 い ま す か 。
【 6 】「 今 日 は 、 暑 い の ん た 」 と い う よ う に 、「 ~ の ん た 」 と 言 い ま す か 。
【 7 】「 今 日 は 、 暑 い の ー し 」 と い う よ う に 、「 ~ の ー し 」 と 言 い ま す か 。
【 8 】「 今 日 は 、 暑 い の も し 」 と い う よ う に 、「 ~ の も し 」 と 言 い ま す か 。
116
【 9 】「 今 日 は 、 暑 い な も し 」 と い う よ う に 、「 ~ な も し 」 と 言 い ま す か 。
【 10】「 今 日 は 、 暑 い な ー 」 と い う よ う に 、「 ~ な ー 」 と 言 い ま す か 。
【 11】「 今 日 は 、 暑 い の ー 」 と い う よ う に 、「 ~ の ー 」 と 言 い ま す か 。
【 12】「 今 日 は 、 暑 い の ー れ 」 と い う よ う に 、「 ~ の ー れ 」 と 言 い ま す か 。
【 13】「 お 早 う が ん す 」と い う よ う に 、「 が ん す 」と い う こ と ば 使 う こ と が あ り
ますか。
回 答 結 果 を 、地 理 情 報 API
注1
と 連 携 さ せ た 可 視 化 を 試 み る 。OSM
注2
テクノロ
ジーを利用することで、方言の使用地域や話者の属性などをインタラクティブに
確認することが可能になる。また話者の地理的属性として緯度経度を指定するこ
とで、回答の地理的分布を容易に確認できる。R では、データを地図情報と関連
付 け る の に 、JavaScript
注3
に 基 づ く 、Leaflet
注4
というシステムを採用している。
Leaflet は WEB ベ ー ス の 地 図 シ ス テ ム で 、ユ ー ザ ー の マ ウ ス 操 作 に よ り 、位 置 の
確認や拡大が容易にできる。つまり、言語データ(方言)のように話者とその地
理的分布に紐付けたデータを可視化するには最適なシステムだといえる。
方言データの分析では、多数の項目への回答を、話者のさまざまな属性と照合
しながら解釈していく必要がある。ここに話者の地理的属性を重ね合わせようと
すると、回答の数だけ地図を用意する必要があり、解釈が困難になる。また分析
結果を報告するのも煩雑となる。さらに、項目ごとに分類するには、従来のスタ
ティックな作図では、提示する情報の回答の数だけ地図を作成する必要がある。
また作成した地図を印刷する、あるいはパソコンのモニターに表示するなどの手
間が必要で、公開できる範囲も限られていた。
OSM の 提 供 す る 作 図 機 能 を 利 用 す る こ と で 、 ブ ラ ウ ザ さ え あ れ ば い つ で も ど
こでも言語地図を提示することが可能となる。また使い慣れたブラウザで表示さ
れ る た め 、 誰 で も 直 感 的 に 操 作 す る こ と が 可 能 で あ る 。 OSM は 従 来 の GIS シ ス
テ ム に 代 わ る 21 世 紀 の 地 理 情 報 シ ス テ ム と し て 、 こ こ 数 年 で 急 速 に 普 及 し て い
る 。 重 要 な の は 、 こ の 地 理 シ ス テ ム が JavaScript や R な ど の 可 視 化 技 術 や デ ー
タ 分 析 技 術 と 容 易 に 連 携 で き る こ と で あ る 。 以 下 、 R お よ び Leaflet で 方 言 デ ー
タを可視化した利点のいくつかを紹介する。
3 . R と Leaflet に よ る 可 視 化 方 法
作 成 し た 可 視 化 シ ス テ ム を 起 動 す る と 、図 1 に 示 す よ う な ペ ー ジ が 表 示 さ れ る 。
そして、質問に対する回答の選択肢とともに、話者の位置情報を色別するなどし
た グ ラ フ が 作 成 さ れ る 。表 示 さ れ る 棒 グ ラ フ は 各 話 者 の 数 を そ れ ぞ れ 表 し て い る 。
117
図1
R による言語地図
図2
属性表示例
118
図3
プルダウンメニュー例
回 答 1 が 赤 色 で「 使 用 す る 」、回 答 2 が 緑 色 で「 昔 は 使 っ た 」、回 答 3 は 青 色 で「 聞
い た こ と が あ る 」、回 答 4 は 黄 色 で「 聞 い た こ と も な い 」と 色 別 さ れ て い る 。ま た 、
地図上に色別されているポイントデータは回答者の位置情報を表し、ポイントの
色 別 に よ り 、回 答 1 か ら 回 答 4 ま で の 地 理 的 分 布 が 把 握 で き る よ う に な っ て い る 。
地図は、自由に拡大・縮小することが可能で、各ポイントデータをクリックする
と 、話 者 の 属 性 が 表 示 さ れ る よ う に な っ て い る( 図 2 参 照 )。こ れ に よ り 、回 答 選
択肢ごとに、話者の地理的偏りや分布の拡がりを容易に確認できるようになる。
ま た 、 文 末 詞 は 13 項 目 に わ た り 、 プ ル ダ ウ ン メ ニ ュ ー で 選 ん で 、 そ れ ぞ れ の
言語地図をインタラクティブに変更できる例を図3に示す。それに応じて、自動
的 に 左 下 の 棒 グ ラ フ が 更 新 さ れ る 。こ れ ら は 、す べ て R に 備 わ っ た 地 理 情 報 API
連 携 機 能 を 活 用 し て い る 。 こ の よ う に 、 Leaflet を 使 用 す る こ と で 、 直 感 的 に 操
作でき、データの全体像を俯瞰することが可能な言語地図が作成できる。また
Leaflet で は 、多 様 な プ ラ グ イ ン が 公 開 さ れ て お り 、GIS で 利 用 さ れ て き た Shape
フ ァ イ ル 注 5 も 読 み 込 め る よ う に な っ て い る 。こ こ で は 、ベ ー ス マ ッ プ に OSM を
119
利 用 し た が 、 地 図 情 報 API と し て は Google Map
注6
なども利用できる。作成し
た 言 語 地 図 は 、 WEB サ イ ト 上 に 置 く こ と が 可 能 に な り 、 R を 利 用 し な く て も ブ
ラウザ一つで閲覧可能となることが最大の利点といえる。
4.本章の結論と今後の課題
日 本 の 方 言 研 究 で は 、 こ れ ま で 言 語 地 図 の 電 子 化 を 進 め て き て お り 、 GIS ソ フ
トを用いた言語地図化も試みられている。本章では、方言データを地図情報と関
連づけ、なおかつインタラクティブに表示するシステムを構築するため、これま
で進めてきた瀬戸内海を対象とした言語地理学的調査の成果に対し R および
Leaflet を 利 用 し た 新 た な 言 語 地 図 の 可 視 化 を 試 み た 。
方言が消滅する危機が問題視されているが、方言の全体像を余さず残すには、
方言の記述だけでなく、その地理的な分布をデータ化することが必要である。特
に今後とも、消滅する方言を記録し、ひろくデジタルアーカイブとして一般に公
開 さ れ る こ と が 重 要 で あ り 、 そ の た め WEB 上 で の 地 理 情 報 シ ス テ ム を 利 用 し 、
研究成果を提示できるという点は非常に魅力的である。地理情報に関わる世界中
の研究者の間にもこうしたシステムを取り入れようとする動向が認められる。今
後は、方言形式と実際の音声をリンクさせたシステムや、空間分析結果を並列表
示できるよう拡張した言語地図の作成を行う予定である。
【注】
注1
地 理 情 報 Application Programming Interface を 指 す 。 以 下 地 理 情 報 API と
称する。
注2
OSM は 、 Open Street Map の こ と で あ り 、 道 路 地 図 な ど の 地 理 情 報 デ ー タ を
誰でも利用できる、フリーの地理情報データのことである
注3
JavaScript と は 、 プ ロ グ ラ ミ ン グ 言 語 の ひ と つ で あ る 。
注4
Leaflet と は 、 地 理 情 報 を 可 視 化 す る た め の JavaScript ラ イ ブ ラ リ で あ る 。
注5
Shape フ ァ イ ル と は 、図 形 情 報 と 属 性 情 報 を も っ た 地 図 デ ー タ フ ァ イ ル 」が 集
まったファイルを指す。
注6
Google が イ ン タ ー ネ ッ ト を 通 し て 提 供 し て い る 地 図 を 指 す 。
120
Ⅲ.GIS 地図をベースとした言語分析
第9章
瀬戸内海地域における言語変化
-「コピュラ形式」を事例として-
1.本章の目的
本 章 は 基 盤 研 究 (A)「 方 言 分 布 変 化 の 詳 細 解 明 ― 変 動 実 態 の 把 握 と 理 論 の 検 証 ・
構築―」
( 代 表:大 西 拓 一 郎 氏 )の 一 環 と し て 実 施 さ れ た 香 川 県 小 豆 島 調 査 で 得 た
データをもとに過去に同地域で行われた調査結果との比較を通して小豆島の方言
がどのような移り変わりを見せているのか、言語地図の経年比較により、方言が
生きてうごくすがたを捉えることをおもな目的としている。
香 川 県 小 豆 島 に お け る 方 言 調 査 で は 、 国 立 国 語 研 究 所 編 ( 1966-1974)『 LAJ』
1-6 集 、 同 編 ( 1989-2006)『 GAJ』 1-6 集 の ほ か 、 瀬 戸 内 海 域 を フ ィ ー ル ド と し
た 方 言 研 究 の 先 駆 的 な 業 績 と し て 、藤 原 与 一・広 島 大 学 方 言 研 究 所 編( 1974)
『 LAS』
がある。これらはいずれも鳥瞰図的な視点に立つ、日本の言語地理学的研究の成
果であるといっても過言ではない。
LAS 調 査 が 開 始 さ れ て か ら 50 年 以 上 が 経 過 し 、 瀬 戸 内 海 域 で の 言 語 変 化 が ど
のように進んだか、この点を明らかにするため、これまで瀬戸内海域を中心に近
畿・中国・四国・九州の各沿岸部も含めた通信調査を実施した。また、おもに淡
路島、小豆島といった瀬戸内海島嶼部東部域の島々においては別途、通信調査や
面接調査を交えた調査を行った。これらの調査の目的は、いずれも方言の経年変
化に目を向けようとするものである。
そこで本研究では、香川県小豆島をフィールドとして設定し、その南と北の対
岸および淡路島にも関心を払いつつ、主として下記の調査で収集した資料にもと
づ き 、 言 語 変 化 が ど の よ う に 進 行 し て い る か に 注 目 す る 。 な お 、 LAS 発 刊 以 後 、
瀬戸内海域での言語調査報告や追跡調査による報告として、主なものに室山・藤
原( 1990)を は じ め 、友 定 編( 1994)、友 定( 2001)、町( 2002)、高 橋 編( 2005)、
灰 谷( 2010)な ど が あ る 。ま た 、今 回 、考 察 の 中 心 と な る 瀬 戸 内 海 島 嶼 部 東 部 域
の 追 跡 調 査 と し て 、 佐 藤 編 ( 1990)、 佐 藤 ( 1990) を あ げ る こ と が で き よ う 。 佐
藤 編 ( 1990) で は 、 LAS か ら 25 年 後 の ケ ー ス ス タ デ ィ と し て 、 小 豆 島 を 中 心 に
1986 年 か ら 1988 年 の 3 年 間 に わ た り 、小 豆 島 と 小 豆 島 四 周 の 島 や 対 岸 な ど 計 14
地点で追跡調査を実施している。こういった先行研究における調査結果にも注意
を払いながら半世紀にも及ぶ歳月の流れの中で言語変化がどのように進んだのか
を探ることにしたい。
121
2.取り扱う調査について
本 章 で 比 較 ・ 考 察 の 対 象 と す る の は 、 LAS( 1974)、 徳 島 大 学 に お け る 小 豆 島
に お け る 調 査 ( 岸 江 ・ 峪 口 編 2015) お よ び 淡 路 島 調 査 ( 岸 江 ほ か 編 2013) の ほ
か 、 峪 口 調 査 ( 調 査 期 間 : 2011-2014) で あ る 。
LAS は 、 第 2 章 ・ 4 章 で 紹 介 し た 調 査 概 要 に 準 ず る 。
徳 島 大 学 に お け る 小 豆 島 に お け る 調 査 ( 岸 江 ・ 峪 口 編 2015) で は 、 第 7 章 で
紹 介 し た 調 査 概 要 に 準 ず る 。な お 、こ の 調 査 の 結 果 に つ い て は 、岸 江・峪 口 編( 2015)
に詳しい。図 1 には小豆島内における調査地点を示す。
図1
徳島大学調査地点図
淡 路 島 調 査( 岸 江 ほ か 編 2013)は 、第 4 章 で 紹 介 し た 調 査 概 要 に 準 ず る 。同 調
査 報 告 の 全 容 に つ い て は 、 岸 江 ほ か ( 2013) を 参 照 さ れ た い 。
3.コピュラ形式の方言分布
3.1.全国分布の概観
本 章 で は 、コ ピ ュ ラ 形 式 注 1 の「 だ 」を 取 り 上 げ 考 察 す る 。西 日 本 は 、伝 統 的 形
式として「ジャ」をまたは「ヤ」を用い、山陰は「ダ」を用いる特徴がある。
今までにこの項目を取り上げた全国調査として、国語調査委員会「口語法分布
図 」 19 図 ( 明 治 39 年 )・ LAJ( 第 1 集 ・ 第 46 図 「 今 日 は い い 天 気 だ 」 が 挙 げ ら
れる。これら二つの調査結果で共通しているのは「ダ」が東日本と山陰にみられ
こ と 、「 ヤ 」 が 北 陸 ・ 近 畿 に 、「 ジ ャ 」 が そ れ 以 外 に 分 布 し て い る 点 で あ る 。 香 川
県小豆島付近の分布を詳しくみると、まず国語調査委員会の調査では、香川県小
122
豆 島 は 「 ヂ ャ 」 と な っ て い る 。 一 方 、 LAJ で は 「 ジ ャ 」「 ヤ 」 が 分 布 し て い る 。
LAS の 解 説 書 で あ る 、藤 原( 1976)で は 、
「 ダ 」の も と は「 デ ァ 」
〔 dea〕で あ り 、
他 方「 デ ァ 」か ら「 ヂ ャ 」
〔 dʒa〕あ る い は「 ジ ャ 」
〔 ʒa〕へ と 変 化 し た あ と 、
「ヤ」
が成立したとする。
瀬戸内海域においても日本語史上における断定辞の変遷の過程と同じ道を歩ん
だ と い う こ と が で き る で あ ろ う 。例 え ば「 ジ ャ 」の 前 身 で あ る「 デ ア 」な い し「 デ
ァ 」 は 後 述 す る よ う に 東 讃 方 言 で 確 か に 観 察 さ れ て い る ( 岸 江 編 2011)。
以下では、コピュラ諸形式の分布の特色を踏まえて、言語地図を概観する。
3 . 2 .「 - だ 」 に お け る 方 言 分 布 の 概 観
ま ず LAS 第 59 図「 火 事 だ 」か ら 作 図 注 2 し た 図 2( LAS 老 年 層 図 )を 取 り 上 げ
る。瀬戸内海東部域では「ヤ」が和歌山、大阪府、兵庫県など大阪府沿岸部で使
用されるのに対し、淡路島北部では「ヤ」を使用し、南部にいくほど「ジャ」の
使用が目立つようになる。つまり関西中央部の「ヤ」が淡路島へ流入したあと、
南下している状況をつかむことができる。一方、小豆島では「ヤ」はまだこの段
階 に は 至 ら ず 、「 ジ ャ 」 が 優 勢 だ と い え る 。 兵 庫 ・ 岡 山 県 境 で は 「 ヤ 」 と 「 ジ ャ 」
が 相 対 峙 し て い る 様 子 が わ か る 。さ ら に 四 国 地 方 の 沿 岸 部 を み る と 、
「 ジ ャ 」の 使
用 が 目 立 つ 。 こ れ に 対 し て 図 3( LAS 少 年 層 図 ) で は 、「 ヤ 」 が 西 進 し て い る 様
子をつかむことができる。大阪湾岸域で「ヤ」が使用されているのは老年層図と
同じだが、明らかに相違する点は島嶼部の淡路島、家島諸島、小豆島で「ヤ」の
使用地域がひろがっていることである。淡路島では先述したように、北部から入
っ た と み ら れ る「 ヤ 」が そ の 使 用 領 域 を 拡 大 さ せ 、南 あ わ じ 市 に ま で 達 し て い る 。
た だ し 、淡 路 島 南 部 で は コ ピ ュ ラ 形 式 が 用 い ら れ ず 、文 末 詞 注 3 の み の 形 式 が 多 い
ことが窺える。さらに小豆島では、小豆島町を中心に「ヤ」が広域にひろがって
いる。家島諸島でも、老年層図では「ヤ」と「ジャ」が混在していたが、少年層
123
124
図2
LAS 第 59 から作図(瀬戸内海東部)「火事だ」
125
図3
LAS 第 59´図から作図(瀬戸内海東部)「火事だ」
図では「ヤ」と「ジャ」が混在していたが、少年層図ではすべて「ヤ」に変化し
て い る 。 つ ま り 、 LAS 老 年 層 ・ 少 年 層 の 両 図 は 、「 ジ ャ 」 か ら 「 ヤ 」 に 移 行 し て
いく言語流動の様子を物語っているといっても過言ではない。
徳 島 大 学 に お け る 小 豆 島 調 査 の 結 果 か ら 作 図 し た 図 4 を 概 観 す る 。土 庄 町 と 小
豆 島 町 と で「 ジ ャ 」と「 ヤ 」が 対 照 的 な の が わ か る 。小 豆 島 町 の「 ヤ 」は 、
「ジャ」
か ら の 変 化 で あ る こ と が 、 LAS と の 比 較 か ら 一 目 瞭 然 で あ る が 、 す で に LAS に
ついては概観したとおりである。瀬戸内海全域の老年層での分布上の特色として
藤 原 ( 1976) が 「 だ い た い に は 、「 ジ ャ 」 の 勢 力 が 、 中 部 以 西 に か な り さ か ん で
ある。東部に「ヤ」がよく見られるのは、おそらく後生の「ヤ」が近畿中心に、
新しく、その勢力を西にのばしたことを示すものであろう」と指摘しているよう
に、小豆島にもその影響が及んでいるとみることができる。また、四国本土側の
香 川 県 各 地 で も 、小 豆 島 町 と 同 様 、
「 ジ ャ 」か ら「 ヤ 」へ の 変 化 が 急 速 に 進 ん で お
り、小豆島町はこの変化に足並みをそろえたということもできよう。とくに小豆
島 町 の 東 部 域 は 、関 西 方 言 と の 関 連 が 濃 厚 で あ り 、
「 ジ ャ 」か ら「 ヤ 」の 変 化 が す
でに完了した関西中央部からの影響であるということができる。淡路島では、こ
の 変 化 が 老 年 層 に お い て も ほ ぼ 完 了 し て い る( 岸 江 ほ か 2013)こ と も こ の 影 響 を
考える上での資料となるだろう。土庄町では、中心部の土庄町土庄で「ジャ」よ
りも「ヤ」が優勢なのに対し、北西部の四海地区から大部にかけての海岸線の集
落や、土庄町の山間部ではジャが優勢である。コピュラ形式に関しては、小豆島
内では伝統的な形式の残存地域が北部で顕著であるということができる。これは
どのような理由によるものであろうか。
「 ヤ 」は 瀬 戸 内 海 域 を 含 め 、主 と し て 、四
国・九州などで広がりつつあるが、中国地方へはほとんど浸透していないという
のが実状である。小豆島北部域の方言は、中国方言、特に岡山方言との関連が深
く 、「 ジ ャ 」 の 分 布 を 同 地 域 で 考 え る 上 で 、 こ の 点 も 無 視 で き な い 点 で あ る 。
瀬 戸 内 海 東 部 域 の 現 状 を み る た め に 、峪 口 調 査 に も と づ き 作 成 し た の が 図 5 で
あ る 。 図 5 で も 、 和 歌 山 ・ 大 阪 府 ・ 兵 庫 県 各 沿 岸 部 で は LAS 図 と 同 様 、 ほ ぼ す
べ て の 地 点 で「 ヤ 」が 回 答 さ れ て い る 。淡 路 島 で は 、南 部 に 位 置 す る 沼 島 ま で「 ヤ 」
の使用が目立つ。淡路島では「ダ」の使用が洲本市、南あわじ市にみられるが、
これは断定辞とみるよりも文末詞とみるべきものであろう。また四国側の鳴門市
付近には「ジャ」が目立つのに対し、香川県沿岸部では「ヤ」の使用が目立つよ
うになっている。一方で、兵庫県と岡山県の県境では、依然として「ヤ」と「ジ
ャ」が相対峙している。岡山方言では近畿圏から「ヤ」の侵入をかたくなに拒否
し続けており、
「 ジ ャ 」→「 ヤ 」へ の 変 化 の 進 行 に 歯 止 め か け ら れ て い る と い う こ
とができる。
126
127
図4
徳島大学調査「雨だ」
128
図5 峪口調査「雨だ」
LAS に お い て 見 か け 時 間 上 に 映 し 出 さ れ て い た 変 化 が 、実 時 間 上 に お い て も 確
かめられ、近畿中央部の「ヤ」が瀬戸内海東部域において着実に西進していく様
子が窺える。
3 . 3 .「 - だ っ た 」 に お け る 方 言 分 布 の 概 観
こ こ で は 、コ ピ ュ ラ 過 去「 だ っ た 」に つ い て み て い く 。LAS で は 、コ ピ ュ ラ 過
去の項目は取り上げられていなかったため、徳島大学調査と峪口調査のそれぞれ
の結果を対照しつつ考察していくことにする。
ま ず 、徳 島 大 学 調 査 に よ る 図 6 の 結 果 を 概 観 す る 。
「 雨 だ 」と 同 様 、
「雨だった」
でも土庄町と小豆島町とで「ジャッタ」と「ヤッタ」の分布が対立している。土
庄町では、北部で「ジャッタ」が依然根強く、中心部の土庄旧市街地では「ヤッ
タ」の回答しかみられない。これに対して、小豆島町では、一部、中山などの山
間 部 に「 ジ ャ ッ タ 」が あ る の を 除 き 、全 体 的 に「 ヤ ッ タ 」が 優 勢 で あ る 。
「ジャッ
タ」から「ヤッタ」への変化が進んでいるが、やはり小豆島町での変化が先行し
ていることがわかる。また、土庄町では中央部から変化が始まっている様子が窺
え る 。小 豆 島 で は 、
「雨だ」
「 雨 だ っ た 」の い ず れ の 場 合 も 、「 ジ ャ 」か ら「 ヤ 」へ
の移行が認められ、特にこの変化は小豆島町で進んでいることが、ともに確認さ
れたことになる。コピュラ形式のテンス現在同様、この場合も、土庄町の北部で
は中国地方、特に岡山方言の影響が大きく、このことが、この変化の進行に歯止
めの可能性をかけていることも否めないだろう。
と こ ろ で 、 香 川 県 お よ び 徳 島 県 の 東 部 地 域 お よ び 淡 路 島 で は 、「 雨 だ 」「 雨 だ っ
た 」の コ ピ ュ ラ 形 式 が 、岡 山( ジ ャ・ジ ャ ロ ー・ ジ ャ ッ タ )、大 阪( ヤ・ ヤ ロ ー ・
ヤッタ)とは異なり、足並みが揃わない傾向がある。例えば、徳島や香川東部で
は 、 言 い 切 り が 「 ア メ ジ ャ 」 な の に 対 し 、「 ア メ ダ ロ ( ー )」「 ア メ ダ ッ タ 」、 淡 路
島 で も「 ア メ ヤ 」に 対 し「 ア メ ダ ロ 」
「 ア メ ダ ッ タ 」と い っ た 不 揃 い と な る 地 点 が
多い。
小豆島各地では、これら3形式は足並みを揃えており、土庄町の、特に北部域
では岡山に近い。一方、小豆島町でも、どちらかと言えば、大阪に近いと考えら
れる。いずれ関西中央部からの影響が島内各地におよび、ジャ系が衰退し、ヤ系
に統一されていくことは必須であると見られるが、今後、中国地方、特に岡山方
言などとの比較をはじめ、四国本土側との変化がどのような経過を辿るか、注目
する必要があろう。
瀬戸内海東部全域の言語変化をみるために、峪口調査による結果(図7)をみ
ることにしたい。和歌山、大阪府、兵庫県各沿岸部では、ほぼ「ヤッタ」が使用
129
されているが、淡路島では、「ヤッタ」が島内にひろがろうとする一方で、「ダ
ッタ」の使用もみられる。上述したコピュラ形式の足並みが揃わない傾向が特に
淡路島南部にみられる。
小豆島では、「ジャッタ」が各地で散見されるが、「ヤッタ」の勢力が優勢に
なっている。その中でも「ジャッタ」が土庄町北部域に多いことがわかる。また
豊 島 も「 ジ ャ ッ タ 」に な っ て い る 。さ ら に 兵 庫 県 か ら 岡 山 県 に か け て 、「 ヤ ッ タ 」
から「ジャッタ」に移り変わっている。岡山県日生は、兵庫県からの影響を受け
ている地域で、「ジャッタ」「ダッタ」が入り交ざっている。日生の西部では、
すべて「ジャッタ」となるが、この地域はすでに岡山方言の領域である。岡山に
近い香川県豊島や井島などの島嶼部は、「ジャッタ」の使用が優勢である。
この点から、香川県の島嶼部は、岡山方言の影響を色濃く受けていることがわ
か る 。四 国 側 に 目 を 移 す と 、徳 島 県 で は「 ダ ッ タ 」の 使 用 が 多 い が 、「 ジ ャ ッ タ 」
と「ヤッタ」の分布も確認できる。香川県東部を中心に「ダッタ」の使用も目立
つが、一方で「ヤッタ」の勢力が西進している様子を呈していることがわかる。
つまり、コピュラ過去になると、内海島嶼部では「ジャッタ」が「ヤッタ」に
次第に変化し、分布域を西へと伸ばしている傾向を看取できるが、中国地方、特
に岡山方言の影響が大きく、「ヤッタ」の進行に歯止めの可能性をかけていると
いえる。一方で淡路島南部や徳島・香川の四国東部地域では「ダッタ」の使用が
地域を限定して、増えてきていることも判明した。
130
131
図6
徳島大学調査「雨だった」
132
図7
峪口調査「雨だった」
133
図8
徳島大学調査「雨だろう」
3 . 4 .「 - だ ろ う 」 に お け る 方 言 分 布 の 概 観
まず、徳島大学調査の言語地図からみていくことにする。コピュラ形式関連と
し て 、 推 量 形 式 の 「 雨 だ ろ う 」 に つ い て も 付 言 し て お き た い 。「 雨 だ ろ う 」 に は 、
主 に 「 雨 ジ ャ ロ ー 」「 雨 ヤ ロ ー 」「 雨 ダ ロ ー 」「 雨 ゲ ナ 」 な ど の 形 式 が 分 布 す る が 、
先 の 項 目「 雨 だ 」の 場 合 と ほ ぼ 並 行 し て お り 、土 庄 町 で は「 ジ ャ ロ ー 」、小 豆 島 町
では「ヤロー」がそれぞれ優勢である。
岸 江 ほ か 編( 2012)に よ る と 、香 川 県 本 土 側 の 各 地 に お い て「 ジ ャ ロ ー 」か ら
「ヤロー」への世代変化がみられることから小豆島内においても、この変化が進
行中であるということができ、さらに土庄町よりもむしろ小豆島町で先行してい
ることがわかる。ただ、注目しておきたいのは、小豆島の中心地である土庄町土
庄では「ジャロー」よりもむしろ「ヤロー」の方の回答が多い点である。この傾
向 は 、「 雨 だ 」 の 「 ジ ャ 」「 ヤ 」 の 場 合 で も 同 様 で あ る が 、 土 庄 町 内 で も す で に 中
心部では変化がほぼ完了しつつあるとみることもできる。なお、大阪など近畿中
央部で起きた変化と軌を一にしていることから四国地方でのこの変化は近畿中央
部からの影響によるものであろう。
「 ダ ロ ー 」は 、四 国 東 部 を 中 心 に ま と ま っ た 分 布 が み ら れ る 。岸 江 編( 2011)に
よると、香川県東部と徳島県全域においてダローの分布が広範囲に分布している
ことが確認でき、小豆島においても西側の集落にこの形式が散見される。岸江編
( 2013)か ら 淡 路 島 に お い て も こ の 形 式 が 特 に 西 部 に 多 く み ら れ る こ と が わ か る 。
この形式は、共通語の直接の影響によるものではないであろう。コピュラ形式の
変遷の過程からは「であり」の「であ」から「ジャ」或いは「ダ」へとそれぞれ
変化したとみるのが一般的であり、小豆島や淡路島には「であ」の使用はみられ
な い が 、四 国 東 部 、特 に 高 松 市 な ど 東 讃 地 域( 香 川 東 部 )の 老 年 層 で は 、
「ダロー」
「 ダ ッ タ 」 の 前 身 に あ た る 「 デ ア ロ ー 」「 デ ア ッ タ 」 が 報 告 さ れ て い る ( 岸 江 編
2011)。
4.本章の結論
本章では、経年変化を焦点に瀬戸内海東部域におけるコピュラ形式について詳
しくみてきた。瀬戸内海東部をみると、時間が経つことにより「ヤ」が西進して
いく様子をつかむことができた。今回フィールド調査対象地域として設定した小
豆島においては、小豆島町と土庄町とでは言語変化に差があることも判明した。
さらに、コピュラ形式においては、見かけ時間上の変化は実時間上の変化とほぼ
一致していた。
LAS で は 見 か け 時 間 上 の 比 較 と し て 、老 年 層 と 少 年 層 の 二 層 の 言 語 地 図 を 掲 載
134
し て お り 、 今 回 の 50 余 年 を 経 た 今 回 の 一 連 の 追 跡 調 査 で は 、 こ の う ち の 少 年 層
の 結 果 に も 注 意 を 払 っ た 。す な わ ち 、LAS の 調 査 時 に お い て 少 年 層 で あ っ た 話 者
は 、 現 在 60 歳 を 超 え る 年 齢 に 達 し て お り 、 今 回 、 追 跡 調 査 で の 老 年 層 の 結 果 と
どの程度一致するかが興味深く思われる点であった。もちろん当時の話者を探し
回 答 し て も ら う と い う こ と は で き な か っ た が 、比 較 の 結 果 、お お む ね 、LAS に お
ける少年層での結果が今回の老年層を対象とした結果と一致したといえる。
なお、今後さらに瀬戸内海全体へと地域をひろげ調査を継続するとともに、他
項目の分析を行い、言語変化と分布変化の関係について考察を加えていく予定で
ある。
【注】
注1
「 今 日 は い い 天 気 だ 」「 今 日 は 雨 だ 」 な ど に み ら れ る 、 断 定 の 助 動 詞 を 指 す 。
注2
言 語 地 図 は 見 や す く す る た め 、 LAS で 調 査 対 象 と し た 、 瀬 戸 内 海 全 域 を 便 宜
的 に 二 分 し た 。 な お 、 峪 口 ・ 岸 江 ( 2013) で 紹 介 し た よ う に 、 現 在 、 LAS の
追 跡 調 査 を 進 め る と 同 時 に 、 LAS の 電 子 化 ( GIS を 利 用 し た 言 語 地 図 化 ) を
進めている。
注3
LAS と 同 様 に 淡 路 島 南 部 を 中 心 に み ら れ る 「 カ ジ ジ ョ 」「 カ ッ ジ ョ 」「 カ ジ ジ
ョワ」などは、凡例の中で「カジ+文末詞」として整理した。
135
第 10 章
瀬戸内海地域における言語動態
-文末詞「ノーシ・ノモシ」「ゾイ」を事例として-
1.本章の目的
本稿では、文末詞を取り上げ、当該地域の言語変化を考察する。日本語の文末
詞 に つ い て は 、 藤 原 ( 1953、 1972) が 文 末 詞 の 存 在 と 重 要 性 を 指 摘 し 、『 日 本 語
文 末 詞 < 文 末 助 詞 > の 研 究 上・中・下 』
( 1982‐ 1986)、
『文末詞の言語学』
( 1990)
など多岐にわたる研究が進められてきた。
藤 原( 1990)に よ る と 、文 末 詞 を「 文 表 現 の 末 尾 に 立 脚 し 、遊 離 独 立 し て 、文
表現のそこまでの意味作用を発展的に集約するもの」と定義している。方言にお
ける文末詞は、表情豊かで親しい者の間の会話には特に使用される。文末詞の中
で 、 最 も 多 用 さ れ る の は 「 ネ ー 」「 ナ ー 」「 ノ ー 」 で 、 ナ 行 音 文 末 詞 で あ り 、 本 来
は感動の声を表している。ヤ行音文末詞も、感声的文末詞と区別されている。
ま た 通 時 的 研 究 と し て 、 大 野 ( 1988)・ 藤 原 ( 1990) は ヤ 行 音 の 文 末 詞 は 、 日
本語史上、かつて盛んに使用されていたと指摘している。さらに、佐々木・藤原
( 1998)で は 、ナ 行 音 文 末 詞 と ヤ 行 音 文 末 詞 の 分 布 を 地 理 的 に 解 釈 し 、近 世 後 期
の資料として『浮世風呂』の調査結果を加え、上古から近世後期までのナ行音文
末詞とヤ行音文末詞の様相をある程度つかむことができたとしている。
瀬戸内海域においても文末詞は広範にわたり、日常盛んに使用されている。主
に、ナ行音文末詞、ヤ行音文末詞、サ行音文末詞、カ行音文末詞、ワ行音文末詞
な ど の ほ か 、こ れ ら の 文 末 詞 が 相 互 に 複 合 化 し 、複 合 形 文 末 詞 も 多 く 認 め ら れ る 。
瀬 戸 内 海 の 文 末 詞 に つ い て は 、藤 原( 1958)、佐 藤( 1975)、江 端( 2001)な ど 、
大半が記述的研究としてまとめられたものが多く、言語地理学的に解釈した報告
はけっして多いとは言えない。
そ こ で 本 章 で は 、瀬 戸 内 海 域 に お け る 複 合 形 文 末 詞 の 中 か ら「 ノ ー シ・ノ モ シ 」
「ゾイ」の分布に焦点をあて、言語地理学的な視点から実時間上の言語変化を探
りたい。
2.取り扱う調査について
本 章 で 比 較 ・ 考 察 の 対 象 と す る の は 、 LAS( 1974) と 峪 口 調 査 ( 2011-2014)
である。
LAS は 、 第 2 章 ・ 4 章 で 紹 介 し た 調 査 概 要 に 準 ず る 。
峪 口 調 査 は 、LAS 追 跡 調 査 を 行 う た め 、瀬 戸 内 海 島 嶼 お よ び 沿 岸 に お け る 全 域
136
調 査 を 2011 年 か ら 約 4 年 間 に わ た っ て 実 施 し た 。 こ の 調 査 で は 、 通 信 調 査 を 主
と し 、 一 部 、 臨 地 調 査 で 補 い な が ら 、 約 1,500 地 点 に お い て 各 地 生 え 抜 き の 老 年
層 の 方 々 の デ ー タ を 収 集 し た 。な お 、峪 口 調 査 の 地 点 は 、LAS と 比 べ 広 域 に 調 査
地 点 が あ る こ と か ら 、LAS と 同 じ 調 査 範 囲 内 の ポ リ ゴ ン デ ー タ を 作 成 し 、そ の 範
囲内のポイントデータを空間検察し取り出し作図を試みている。これら二つの調
査結果の比較を行い、方言の経年変化といった視点から言語変化の動向を探る。
峪口調査で取り上げた文末詞の質問項目は以下の通りである。
(1)
「誰ぞい」
(2)
「どこに行くんなら」
(3)
「知らんわい」
(4)
「大きな魚が
おったわいや」
(5)
「 今 日 は 、暑 い の ー た 」
(6)
「 今 日 は 、暑 い の ん た 」
(7)
「今
日 は 、暑 い の ー し 」
(8)
「 今 日 は 、暑 い の も し 」
(9)
「 今 日 は 、暑 い な も し 」
( 10)
「 今 日 は 、 暑 い な ー 」( 11)「 今 日 は 、 暑 い の ー 」( 12)「 今 日 は 、 暑 い の ー れ 」
以 上 の ア ン ケ ー ト 項 目 に 対 し て 、 4 つ の 回 答 項 目 を 設 け た 。「 ① 使 用 す る 」「 ② 昔
は 使 っ た 」「 ③ 地 元 の 人 が 使 っ て い る の を 聞 い た こ と が あ る 」「 ④ こ の 土 地 で は 聞
いたこともない」である。具体的に取り上げる質問項目は、ナ行音複合形文末詞
「 ノ ー シ 」「 ノ モ シ 」、 サ 行 音 複 合 形 文 末 詞 「 ゾ イ 」 で あ る 。
3.文末詞「ノーシ・ノモシ」における方言分布の概観
「 ノ ー シ 」「 ノ モ シ 」 に つ い て 詳 し く み て い く 。 ま ず 、「 ノ ー シ 」「 ノ モ シ 」 は 、
「 ノ 」 の 文 末 詞 と 「 モ シ 」 の 複 合 形 で あ る 。「 モ シ 」 は 、「 申 し 」 で 敬 意 を 表 し て
い る 。ま た 念 を 押 し た り 軽 く 詠 嘆 し た り す る 意 を 表 す と き に 使 わ れ る 方 言 で あ る 。
藤 原 ( 1996) は 、「 ノ ー シ 」 に つ い て 、 す べ て あ ら た ま っ た 丁 寧 な 言 い 方 で あ
る と 指 摘 し て い る 。 藤 原 ( 1988)『 瀬 戸 内 海 言 語 辞 典 』 か ら 使 用 例 を 掲 げ る 。
○マインチ
○イマー
ヨー
フル
ノ ー シ 。( 毎 日 よ く 降 り ま す わ ね え 。 老 女 → 中 男 )
ノ ー シ 。( 今 は ね え 。 中 女 → 老 女 )
また、間投詞のように使うこともあり、以下が使用例である。
○テマイニャー
オゴッツォサンニ
ナリマヒテー。
( 以 前 に は 、ね え ま あ 、家
内じゅうがご馳走さまになりまして、ありがとうございました。老女→中男)
137
138
図 1 LAS 第 114 図 か ら 作 図 「 ノ ー シ ・ ノ モ シ 」( 瀬 戸 内 海 東 部 )
139
図2
LAS 第 114 図 か ら 作 図 「 ノ ー シ ・ ノ モ シ 」( 瀬 戸 内 海 西 部 )
140
図 3 LAS 第 114´図 か ら 作 図 「 ノ ー シ ・ ノ モ シ 」( 瀬 戸 内 海 東 部 )
141
図4
LAS 第 114´図 か ら 作 図 「 ノ ー シ ・ ノ モ シ 」( 瀬 戸 内 海 西 部 )
142
図5
峪 口 調 査 「 ノ ー シ ・ ノ モ シ 」( 瀬 戸 内 海 東 部 )
143
図6
峪 口 調 査 「 ノ ー シ ・ ノ モ シ 」( 瀬 戸 内 海 西 部 )
藤 原( 1986)に よ る と 、「 ノ モ シ 」は 愛 媛 県 下 に 盛 ん に 使 用 が み ら れ 、主 と し て
県北域で使用されるという。瀬戸内海域で使用の確認ができる地域は、四国では
伊予に多くみられ、近畿南部も「ノモシ」類の地域をなしている。
以上の使用法や使用地域を踏まえて言語地図を概観する。
図 1 ・ 図 2 は 、 LAS 第 114 図 「 ノ ー シ ・ ノ モ シ ( 文 末 詞 )」 老 年 層 図 を 言 語 地
図 化 注 1 し た も の で あ る 。「 ノ ー シ 」 が 、 愛 媛 県 大 三 島 と 大 下 島 に 分 布 が 確 認 で き
る 。さ ら に「 ノ モ シ 」は 、や は り 愛 媛 県 大 三 島 と 大 下 島 に ま と ま っ て 分 布 し 、
「ナ
モシ」は、愛媛県西部に分布している。また「ノンシ」が、愛媛県新居浜市大島
と広島県大崎下島とに確認ができ、
「 ノ シ 」が 和 歌 山 県 下 で も 使 用 さ れ て い る 。和
歌山県の「ノシ」以外は、主として愛媛県下にみられ、分布が限られていること
が わ か る 。続 い て 、LAS 第 114 図「 ノ ー シ・ノ モ シ( 文 末 詞 )」少 年 層 図( 図 3 ・
図 4 )を み る 。少 年 層 図 で は 、
「 ノ ー シ・ノ モ シ 」類 の 分 布 が み ら れ な い 。地 図 上
に は 使 用 を 示 す 記 号 が 確 認 で き ず 、 LAS 時 の 少 年 層 お い て は 「 ノ ー シ ・ ノ モ シ 」
が 完 全 に 消 滅 し た と い う こ と を 意 味 し て い る 。な お 、回 答 が な い に も か か わ ら ず 、
地図を掲載しておくことにしたのは、経年変化を比較するためである。
次 に 、峪 口 調 査( 図 5・図 6 )の「 ノ ー シ・ノ モ シ 」の 結 果 を み て い く 。
「ノー
シ 」は 、LAS 老 年 層 図 と 同 様 に 、愛 媛 県 大 三 島 に 僅 か だ が 、使 用 の 追 認 が で き た 。
「ノモシ」に関しても、老年層図と同様に、愛媛県大島に僅かだか分布している
こ と が わ か っ た 。さ ら に 、LAS で は 現 れ な か っ た 地 域 に「 ノ ー シ・ ノ モ シ 」の 分
布 が み る こ と が で き る 。 ま ず 、 愛 媛 県 東 予 の 沿 岸 付 近 に 「 ノ ー シ 」「 ノ モ シ 」 の 、
まとまった分布が確認できる。また、山口県島嶼部、佐合島付近にも「ノーシ」
の使用がみられる。さらに和歌山県沿岸に「ノシ」を確認することができた。全
体的にみると、
「 ノ ー シ・ノ モ シ 」類 の 分 布 数 は 減 少 し た も の の 、や は り 愛 媛 県 島
嶼 部 や 沿 岸 に ま と ま っ た 分 布 を み せ て い る こ と が 明 ら か と な っ た 。 そ こ で 、 LAS
老年層図にみられた分布が、少年層図では分布が消えてしまったのに、なぜ峪口
調査で追認することができたのか、考察していくことにしたい。まず、今回の調
査 で は 50 年 前 の 同 一 人 物 に 対 し て 追 跡 調 査 を し て い る わ け で は な く 、 ま た 面 接
調査と通信調査といった調査方法の違いにも考慮しなければならないのは言を俟
た な い 。た だ 、LAS 時 、少 年 だ っ た 話 者 た ち は 、す で に 文 末 詞「 ノ ー シ・ノ モ シ 」
類に関して、当時、高齢者が使用する伝統的な方言形式という認識をすでにして
いたと思われ、聞くことはあっても使用しなかったものと思われる。
一般的に使用はしないが、聞くことはあることばの数は、実際の使用語よりも
はるかに多く、このようなことばは、使用語に対して理解語と呼ばれることがあ
る。方言が中心となる地域言語社会においても同様で、少年時代、大人が話すこ
144
とばを理解語として受容するが、その土地で成長するにしたがって理解語は次第
に 使 用 語 と な っ て い く こ と も あ る と 考 え ら れ る 。こ の こ と は 、Giles & Powesland
( 1975) に よ る Speech Accommodation Theory( ア コ モ デ ー シ ョ ン 理 論 ) に よ
っても裏付けられるであろう。地域社会のなかで子供から大人へと成長する過程
で、年齢や地位に応じた話し方へと調整するといった作用が働くのである。地域
社 会 の 成 員 と し て 意 識 し 、成 員 と し て の ア イ デ ン テ ィ テ ィ を 確 立 さ せ る た め に は 、
地域の文化や慣習について知る必要があるとともに、大人社会で話される伝統方
言を話すことが自ずと求められるのである。
敬語習得の例を取り上げてみよう。少年時代から大人社会で行われている敬語
運 用 を 身 に つ け 、誰 も が 敬 語 を 巧 み に 運 用 す る と は 考 え に く い 。柴 田( 1995)が
述べているように、敬語習得の場合には、実社会に出る頃、つまり社会性を獲得
する段階に達してから本格的に敬語の運用について学ぼうとする意識が芽生え、
敬 語 運 用 の 方 法 を 獲 得 す る よ う に な る の で あ る 。と こ ろ で 、こ の よ う な ケ ー ス は 、
決して敬語だけではないはずである。大人社会でしか用いられないような伝統的
な慣習や儀式(例えば冠婚葬祭など)に関することばも同じく、大人社会に入っ
て か ら 必 要 に 応 じ て 覚 え 、使 用 語 と な る の で あ る 。方 言 社 会 で は こ れ ら 以 外 に も 、
伝統方言とされるものは、老年層でしか使用されないというレッテルが貼られて
いるものも多々ある。文末詞「ノーシ・ノモシ」はまさにこれに該当し、少年時
代には老年層しか使わないことばという認識があったとみられる。しかし、地域
社会で次第に歳を重ねていくうち、使用語へと転じたのである。図7・図8で使
用が確認されたのはそのためと思われる。
藤 原( 1976)は 、少 年 層 図 の こ と を「 載 せ る も の が な い 。「 す な わ ち「 ノ モ シ 」
「ナモシ」などは、もはや、若い人々には無縁のものになってしまっているので
あ る 。」と 結 論 づ け て い る が 、お そ ら く 、老 年 層 と 少 年 層 の 方 言 の 比 較 、す な わ ち
見かけ時間からの比較においてみられなかったのである。文末詞「ノーシ・ノモ
シ」は、少年層での使用語は皆無であったものの、衰退し完全に消滅することは
なかったのである。文末詞「ノーシ・ノモシ」の使用地域は限定されるものの、
使 用 地 域 で は 一 旦 は 理 解 語 と し て 受 け 継 が れ つ つ も 、高 齢 者 の 仲 間 入 り を し た 50
年前の少年たちによって今、確かに使用されていることが明らかとなった。
4.文末詞「ゾイ」における方言分布の概観
ここでは、
「 ゾ イ 」に つ い て 詳 し く み て い く こ と に す る 。ま ず 、複 合 形 文 末 詞「 ゾ
イ 」 は 「 ゾ 」 が 「 イ 」 と 一 緒 に な っ た も の で 、「 ゾ イ 」 の 下 に 、 さ ら 「 ナ 」「 ノ 」
などがつくこともある。
145
「ゾイ」は単独の「ゾ」と比べて、聞き手への働きかけの上で、いくぶんやわ
らかい印象を受ける。
「 ゾ 」は 、強 調 意 図 を 表 し た り 、感 動 を 表 出 し た り す る 場 合
に用いられるほか、聞き手にもちかけたりする働きもある。
これに対して、
「 ゾ イ 」は 、相 手 へ の も ち か け( 働 き か け )が よ り 一 層 明 確 で あ
る 。 藤 原 ( 1996) は 、「 ゾ イ 」 は 「 ゾ 」 か ら 変 化 し た も の で あ る と 考 察 し 、 問 い
や誘い、さらには推量を表すばあいなどにも用いられると指摘している。
ま た 藤 原( 1985)で は 、通 時 的 な 視 点 か ら「 ゾ イ 」は 、早 く 、狂 言 詞 集 そ の 他
に み ら れ る と 述 べ 、「 ゾ イ 」 が 「 ゾ ヨ 」 か ら 変 化 し 、 成 り 立 っ た と 推 定 し て い る 。
以 下 で は「 ゾ イ 」「 ド イ 」の 使 用 例 を 、藤 原( 1988)『 瀬 戸 内 海 言 語 辞 典 』か ら 引
用する。
○ソンナコラニ
○ナン
アロー
ゾ イ 。( そ の へ ん に あ る だ ろ う よ 。
ド イ 。( そ れ 、 何 ?
老女→夫老男)
小男→母中女)
また、児童などが使用する場合には、ゾイがツォイのように聞かれることもあ
る と い う 。あ ど け な さ が 残 る 発 音 に よ る も の で あ ろ う 。な お 、
「 ゾ イ 」の 複 合 形 に
は 「 ノ ゾ イ 」「 ン ゾ イ 」 な ど の 使 用 が あ る と 記 述 し て い る 。
瀬戸内海域で使用の確認ができる地域は、四国では香川県西部、愛媛県全域、
徳島県全域、山口県島嶼部、広島県島嶼部に多くみられ、近畿では兵庫県西部、
和歌山県全域と広範囲に渡り使用されている。
以上の使用法や使用地域を踏まえて言語地図を概観する。
図 7 ・ 図 8 は 、 LAS 第 103 図 「 ゾ イ ( 文 末 詞 )」 老 年 層 図 を 言 語 地 図 化 し た も
の で あ る 。図 7 は 瀬 戸 内 海 東 部 域 、図 8 は 瀬 戸 内 海 西 部 域 を そ れ ぞ れ 表 し て い る 。
「ゾイ」が兵庫県淡路島・香川県小豆島に広く分布している。四国では徳島県鳴
門市のほか、香川県島嶼部を経て、愛媛県島嶼部へと、広がっている様子が窺え
る。
また、
「 ゾ イ 」か ら 派 生 し た と み ら れ る「 ド イ 」が 主 に 小 豆 島・愛 媛 県 島 嶼 部 に
分布している。同様に「ゾー」から変化したと思われる「ドー」は、香川県小豆
島・広島県向島・山口県大島長島・愛媛県西部島嶼部などに分布を確認すること
ができる。
続 い て 、LAS 少 年 層 図( 図 9・図 10)を み る と 、老 年 層 図 と 比 較 し て「 ゾ イ 」
の 分 布 が 明 ら か に 減 少 し て い る こ と が わ か る 。兵 庫 県 淡 路 島 で も 、
「 ゾ イ 」の 使 用
は 僅 か 1 地 点 だ け と な っ て い る 。 さ ら に 香 川 県 小 豆 島 で は 、「 ゾ イ 」 が 消 え 、「 ド
類」が増えている様子が確かめられる。島なみ街道、愛媛県島嶼部もほぼ同様で
146
147
図 7 LAS 第 103 図 か ら 作 図 「 ゾ イ 」 (瀬 戸 内 海 東 部 )
148
図 8 LAS 第 103 図 か ら 作 図 「 ゾ イ 」 (瀬 戸 内 海 西 部 )
149
図 9 LAS 第 103´図 か ら 作 図 「 ゾ イ 」 (瀬 戸 内 海 東 部 )
150
図 10 LAS 第 103´図 か ら 作 図 「 ゾ イ 」 (瀬 戸 内 海 西 部 )
151
図 11 峪 口 調 査 「 ゾ イ 」 (瀬 戸 内 海 東 部 )
152
図 12 峪 口 調 査 「 ゾ イ 」 (瀬 戸 内 海 西 部 )
ある。
LAS 調 査 時 の 、若 年 層 は「 ゾ イ 」類 は 、地 域 を 限 定 し 残 存 し て い る こ と が わ か
る 。し か し な が ら 、分 布 が 各 地 で 減 少 し て い る こ と か ら 、藤 原( 1976)で も 、少
年層では「ゾイ」はもはや使用されていなかったようであると述べている。
続 い て 図 11・図 12 は 、峪 口 調 査 の「 ゾ イ 」の 結 果 で あ る 。「 ゾ イ 」は 、お も に
兵庫県淡路島、兵庫県内陸部、四国各地、広島県、山口県島嶼部などにみられる
も の の 、 LAS 老 年 層 図 ( 図 7 ・ 図 8 )、 少 年 層 図 ( 図 9 ・ 図 10) と 比 べ て 、 使 用
数が減少していることがわかる。香川県小豆島で多くみられた「ゾイ」関連の形
式も、峪口調査においては追認することができなかった。
LAS 時 に 広 範 囲 に 確 認 で き た「 ゾ イ 」は 大 半 の 地 域 で 姿 を 消 し た も の の 、峪 口
調査では、徳島県鳴門市付や淡路島において未だに使用されていることが判明し
た 。ま た 、 瀬 戸 内 海 全 域 に お い て も ま ば ら な が ら 残 存 し て い る こ と も 同 時 に 確 か
めることができた。
文 末 詞「 ゾ イ 」は 、LAS 時 に 行 わ れ た 少 年 に 対 す る 調 査 で は 僅 か な 使 用 が 確 認
で き た が 、50 年 後 の 峪 口 調 査 で ま だ 完 全 に は 衰 退 し て い な い こ と が 突 き 止 め ら れ
た。つまり文末詞ゾイは経年変化をもって衰退していくのではなく、瀬戸内海各
地で細々とではあるが、確かに受け継がれてきたのである。
5.本章の結論
本 章 で は 、 電 子 化 の 対 象 と し た 、 LAS の 50 年 後 の 変 化 を み る た め に 瀬 戸 内 海
域島嶼部および沿岸で行っている追跡調査の結果を併せて示した。実時間上の言
語変化について考察する上で電子データ間の比較の有効性に触れながら瀬戸内海
島嶼部及びその周辺で特徴的な文末詞「ノーシ・ノモシ」および「ゾイ」を取り
上げ、その変化について詳しく触れた。
今 回 の 結 果 を 通 し て 、文 末 詞「 ノ ー シ・ノ モ シ 」で は 、50 年 前 少 年 だ っ た 人 た
ちは理解語として受容し、その土地で成長するにしたがって使用語と定着してい
っ た こ と が 判 明 し た 。ま た「 ゾ イ 」は 瀬 戸 内 全 域 で 衰 退 傾 向 に あ る と 思 わ れ る が 、
瀬戸内海という独自の環境の中、島嶼部を中心に根強く残っていることが明らか
となった。
【注】
注1
言語地図は見やすくするため、瀬戸内海全域を便宜的に二分している。
153
第 11 章
淡路島における言語動態
-「じゃがいも」「さといも」を事例として-
1.本章の目的
本 章 で は 、語 彙「 じ ゃ が い も 」
「 さ と い も 」を 事 例 と し た 考 察 を 行 う 。同 調 査 の
質 問 項 目 は 全 体 で 約 180 項 目 に 及 ぶ が 、こ の 中 か ら「 じ ゃ が い も 」
「 さ と い も( 里
芋 )」の 項 目 に つ い て 、今 回 、実 施 し た 調 査 結 果 を も と に 分 析 を 行 う こ と に し た い 。
また、過去において当地域を対象とした調査があり、これらの結果との経年比較
が可能である。以下では、これらの結果を併せて示すことにする。
2.取り扱う調査について
本 章 で 比 較 ・ 考 察 の 対 象 と す る の は 、LAS( 1974)、1999 年 に 実 施 し た 徳 島 大
学・神 戸 松 蔭 女 子 学 院 大 学・園 田 学 園 女 子 大 学 3 大 学 合 同 調 査 、2012 年 度 に 実 施
し た 淡 路 島 調 査 ( 岸 江 ほ か 編 2013) の 方 言 調 査 で あ る 。
LAS は 、 第 2 章 ・ 4 章 で 紹 介 し た 調 査 概 要 に 準 ず る 。 1999 年 合 同 調 査 は 第 4
章 で 紹 介 し た 調 査 概 要 に 準 ず る 。淡 路 島 調 査( 岸 江 ほ か 編 2013)は 、第 4 章 で 紹
介 し た 調 査 概 要 に 準 ず る 。同 調 査 報 告 の 全 容 に つ い て は 、岸 江 ほ か( 2013)を 参
照されたい。以上の調査結果を随時比較し考察していくことにする。
3 .「 じ ゃ が い も 」 の 言 語 動 態
3.1.先行研究
「 じ ゃ が い も 」 は 1598 年 に オ ラ ン ダ 船 に よ っ て ジ ャ ガ タ ラ ( ジ ャ カ ル タ の 古
名)から長崎にもたらされたが、全国に普及したのはアメリカから優良品種の持
ち込まれた明治時代以降とされている。
『日本国語大辞典
第 二 版 』に よ る と 、栽
培の盛んな東日本では、方言の種類が多く、分布も複雑である。その方言形式は
収 穫 に 関 わ る も の や 地 名 に 由 来 す る も の 、形 状 に 関 係 す る も の な ど 多 岐 に わ た る 。
【 収 穫 回 数 と の 関 連 】 ニ ド イ モ ( 二 度 芋 )・ サ ン ド イ モ ( 三 度 芋 )
【 収 穫 量 と の 関 連 】 ゴ シ ョ イ モ ( 五 升 芋 )・ ゴ ド イ モ ( 五 斗 芋 )
【 収 穫 時 期 と の 関 連 】 ナ ツ イ モ ( 夏 芋 )・ ア キ イ モ ( 秋 芋 )
【地名に関連】ジャガイモ・ジャガタライモ・オランダイモ・カライモ・ナン
キンイモ・シコクイモ・キューシューイモ
【外国語に由来する名称】カンプライモ・アップライモ(馬鈴薯を意味するオ
154
ラ ン ダ 語 aardappel に 由 来 )
【 色・形 状 と の 関 連 】と し て 、と し て ア ガ エ モ( 表 皮 の 色 )、キ ン カ イ モ( 禿 頭
のことをキンカと呼ぶことと関係して芋の形が禿頭を連想され
ることから)
【人名との関連】ジャガタロ(ジャガタラにタロー(太郎)を添加した形式)
ま た 、 新 村 ( 1944) は 「 馬 鈴 薯 ( ば れ い し ょ ) は 駅 馬 の 鈴 の よ う に 実 が な る
ということからこのように呼称されるようになった」と述べている。
ジャガイモは、江戸後期から様々な文献に登場する。
● 『 物 品 識 名 』( 1809)「 同 国 伊 勢 街 な る 柳 田 鼎 蔵 と 云 う 者 、 一 種 の 芋 を 贈 れ り 。
土俗之を咬吧芋(ジャガタライモ)と称す」
●『 救 荒 二 物 考 』
( 1836)
「 馬 鈴 薯 和 名 ジ ャ ガ タ ラ い も 、甲 州 い も 、ち ち ぶ い も 」
● 『 新 聞 雑 誌 ‐ 四 一 号 』( 1872) 明 治 5 年
四月「目今地味痩たりと雖も麦と馬
鈴薯(バレイショ じゃがたらいも)を生ぜざるなく」
( 以 上 、『 日 本 国 語 大 辞 典
第二版』等による)
LAJ( 第 4 集 ・ 第 174 図 ) の 「 じ ゃ が い も ( 馬 鈴 薯 )」 の 全 国 分 布 を 概 観 す る
と、全国各県にはさまざまな形式がみられる。
ホ ッ カ イ ド ー イ モ ( 鳥 取 県 ・ 福 井 県 )、 サ ッ ポ ラ イ モ ( 福 井 県 )、 セ ン ダ イ イ モ
( 岐 阜 県 )、エ チ ゴ イ モ( 滋 賀 県 )、ツ ル ガ イ モ( 岩 手 県 )、カ ン ト イ モ( 愛 媛 県 )、
コ ー シ ュ ー イ モ ( 東 海 地 方 ほ か )、 シ ン シ ュ ー イ モ ( 埼 玉 県 )、 ゼ ン コ ジ イ モ ( 滋
賀 県 )、ゴ ー シ ュ ー イ モ( 徳 島 県 )、イ セ イ モ( 兵 庫 県 )、ニ ド イ モ・ゴ ー シ ュ イ モ
系 ( 兵 庫 県 淡 路 島 ) シ コ ク イ モ ( 新 潟 県 ・ 兵 庫 県 )、 ビ ン ゴ ( 鳥 取 県 )、 キ ュ ー シ
ュ ー イ モ ( 福 島 県 )、 ヒ ュ ー ガ イ モ ( 奈 良 県 )、 リ ュ ー キ ュ ー イ モ ( 熊 本 県 ほ か )
など全国の地名に及び、いずれも名称の地からかけ離れた地方に分布している。
3 . 2 . LAS と 2012 年 調 査 の 比 較
ま ず「 じ ゃ が い も 」の 地 図 、LAS 第 150 老 年 層 図 か ら 作 図 し た 地 図( 図 1 )と
2012 年 調 査 ( 図 2 ) の 地 図 を そ れ ぞ れ 概 観 す る こ と に し た い 。
図 1 に よ る と 、淡 路 市 、洲 本 市 に お い て ジ ャ ガ イ モ が 盛 ん に 使 用 さ れ て い る こ
と が わ か る 。 淡 路 市 で は 、 沿 岸 部 の 松 帆 と 釜 口 か ら 県 道 28 号 線 を 下 り 津 名 に か
けての地域と江井崎・多賀周辺部にジャカイモがみられる。ジャガイモが音声変
化し、ジャカイモとなったようである。
2012 年 調 査 で は 、ジ ャ ガ イ モ は 、淡 路 島 全 島 に 分 布 が 及 び 、洲 本 市 近 辺 の 方 言
形式が若干少なくなっていることが確認された。淡路市北部には、一地点のみだ
155
がショーロイモという形式がみられた。ショーロは、メロン+カンショ(サツマ
イ モ )の 組 み 合 わ せ を し 、品 種 改 良 さ れ た 根 菜 の こ と を シ ョ ロ ー と い う こ と か ら 、
シ ョ ー ロ が 音 声 変 化 を 起 こ し た 形 式 だ と 考 え ら れ る 。2012 年 調 査 に お い て は 、シ
ョーロイモは確認できなかった。
LAS に お い て 、南 あ わ じ 市 西 南 部 と 沼 島 に は 、ゴ ー シ ュ ー イ モ と サ ル キ ン の 使
用が目立つ。ゴーシューイモは、四国の徳島県・香川県に分布がみられる。四国
のことばの影響を受け、淡路島南部に定着したものであろう。
2012 年 調 査 に お い て は 、ゴ ー シ ュ イ モ の 回 答 は な く 、同 じ 地 域 に ゴ ー シ ュ と い
う 形 式 で 僅 か に 残 っ て い た に す ぎ な い 。ま た 、サ ル キ ン に 関 し て は 、LAJ に は 分
布 が み ら れ ず 、LAS で 淡 路 島 西 南 部 の み に 分 布 が 確 認 で き た 。サ ル キ ン は 、昭 和
初 期 頃 ま で 淡 路 島 南 部 に お い て 使 用 が み ら れ た よ う で あ る 。2012 年 調 査 に お い て
も、サルキンは南あわじ市旧西淡町のみに残存していた。サルキンの意は「猿の
睾丸」を指す俗語のことのようである。おそらく形状からの命名であると思われ
る 。 LAS 時 に 淡 路 島 中 央 部 の 洲 本 市 で み ら れ た バ レ ー シ ョ は 、 2012 年 調 査 に お
いて激減しており、洲本市1例、淡路市1例のみみられたにすぎない。分布傾向
として、バレーショがジャガイモ・ジャガタライモに置き換えられているようで
ある。
収穫回数と関連がある形式としてニドイモ、サンドイモの分布をみることにし
た い 。 ニ ド イ モ は LAS で は 淡 路 島 中 央 部 に ま と ま っ て 分 布 し て い た が 、 2012 年
調査では、洲本市旧西淡町にわずかに一地点しか回答がなかった。ニドイモに関
しては、東北と近畿が主な分布領域だが、実際に「じゃがいも」の二期作を行う
のは関東以西であるという。二期作は、3月の末から4月の始めにかけて植え、
6月末から7月初旬にかけて取り入れる。植えてから3カ月ほどで収穫できるそ
うである。このように、ニドイモと同様の発想で、ニドイモのそばにサンドイモ
が 分 布 し て い る の か も し れ な い 。サ ン ド イ モ は 、LAS で は 洲 本 市 の み に 分 布 し て
お り 、2012 年 調 査 で は 南 あ わ じ 市 旧 西 淡 町 と 洲 本 城 付 近 と 洲 本 大 野 地 域 、淡 路 市
富 島 に み ら れ た 。さ ら に LAJ で ニ ド イ モ と サ ン ド イ モ の 分 布 を 確 認 し て み る 。ニ
ドイモの分布は、兵庫県丹波地方、但馬地方、淡路島中央部にみられた。サンド
イモは、兵庫県但馬地方、西播磨にみられ、淡路島ではみられなかった。一方、
LAS で は 、サ ン ド イ モ は 洲 本 市 に 使 用 の 確 認 が で き た 。つ ま り 、農 家 の 生 産 方 法
により分布域が若干変化してきたのだといえる。
ま た 「 じ ゃ が い も 」 の 品 種 名 で あ る 、 ダ ン シ ャ ク ( 男 爵 芋 ) が 2012 年 調 査 で
分布を確認できた。
156
図1
LAS 第 150 図 「 じ ゃ が い も ( 馬 鈴 薯 ) 」
157
図3
2012 年 調 査 「 じ ゃ が い も ( 馬 鈴 薯 ) 」
158
4 .「 さ と い も 」 の 言 語 動 態
4.1.先行研究
次に里芋について考察したい。
「 さ と い も 」は 、サ ト イ モ 科 の 多 年 草 で 熱 帯 ア ジ
ア 原 産 で あ る 。日 本 へ は 古 く 渡 来 し 、平 安 期 の 辞 書 に「 い へ の い も 」
「いへついも」
(いずれも「家の芋」の意)とし、山芋などに対して、この芋を家の近くで栽培
したことによるものであると考えられ、品種が多く各地で栽培されてきた。また
平安期にみられた古称の残存が、広島県や長崎県の五島にエノイモという語形で
残っている。
江戸初期からは、様々な文献にサトイモが出てくるようになってきた。以下、
『日本国語大辞典
第二版』等を参考にまとめて示す。
● 『 松 屋 会 記 』・ 天 正 一 七 年 ( 1589) 八 月 三 〇 日 「 く ゎ し さ と い も 、 き ん か ん 、
柿」
● 『 本 朝 食 鑑 三 』 ( 1697)「 芋 和 名 以 閉 都 以 毛 ( い へ つ い も ) 今 訓 以 毛 或 称 里
以 毛 ( サ ト イ モ )」
●『 洒 落 本 ・ 南 江 駅 話 』( 1770)「 土 用 見 ま い の 里( サ ト )い も を 一 斗 ば か り も 上
らねば」
● 『 俳 諧 ・ 杉 風 句 集 』( 1785)「 里 芋 の 長 な り 畠 中 の 庄 司 と や ら ん 」
●『 小 学 読 本 』
( 1874)
〈 榊 原・那 珂・稲 垣 〉三「 里( サ ト )芋 、唐 芋 、八 っ 頭 芋 、
蓮芋、皆茎をも併せ食ふ」
● 『 日 本 植 物 名 彙 』( 1884)〈 松 村 任 三 〉「 イ モ サ ト イ モ 芋 」
LAJ 第 4 集 「 さ と い も ( 里 芋 )」 の 地 図 は 、 語 形 が 多 く 、 第 177 図 、 第 178 図
の二葉にわたっていた。
『 現 代 日 本 語 方 言 大 辞 典 』の「 さ と い も 」の 語 形 に は 、イ モ ノ コ【 芋 の 子 】
(北
海 道 、 石 川 県 )、 ハ エ モ 【 葉 芋 】( 青 森 県 )、 サ ド エ モ ・ エ モ ノ ゴ 【 芋 の 子 】・ エ モ
【芋】
( 岩 手 県 )、エ モ ノ ゴ【 芋 の 子 】
( 秋 田 県 )、ハ ダ イ モ( 福 島 県 )、サ ド イ モ( 千
葉 県 )、サ ト イ モ( 東 京 都 、静 岡 県 、滋 賀 県 )、チ ボ イ モ・ズ キ イ モ( 富 山 県 )、タ
ダ イ モ ( 三 重 県 )、 ア カ ズ キ 【 赤 ず き 】・ オ ヤ イ モ 【 親 芋 】・ タ イ モ 【 田 芋 】・ イ モ
メ ン ケ ツ 【 芋 明 月 】( 滋 賀 県 )、 コ イ モ 【 子 芋 】( 滋 賀 県 、 京 都 府 、 愛 媛 県 )、 エ グ
イ モ ( 広 島 県 )、 ナ ツ イ モ 【 夏 芋 】・ オ ー ド ノ [里 芋 の 一 種 ]・ メ ア カ [里 芋 の 一 種 ]、
ナ ン キ ン イ モ ( 鹿 児 島 県 )、 ム ジ ゥ 系 ( 沖 縄 県 ) な ど が み ら れ る 。
さ ら に 、LAJ 第 4 集・第 179 図 の 、単 に イ モ と い う と き に 何 を 意 味 す る か の 地
図では、中部内陸部や新潟・東北以北など寒冷地でジャガイモ、それ以外の地域
159
でサツマイモという傾向がみられるが、栃木・埼玉・東京・静岡・岐阜南部・富
山・九 州 内 陸 部 な ど が サ ト イ モ と な っ て い る の が 注 目 さ れ る 。
「 イ モ の 意 味 」の 地
図が三種のイモ(ジャガイモ、サツマイモ、サトイモ)の栽培状況とほぼ一致し
ていることがわかる。関東から山梨・静岡にかけてと、富山や、岐阜および九州
の広い領域に分布している。これは「さといも」の栽培が盛んな地域とほぼ一致
している。
ま た 佐 藤( 1991)に よ る と 、サ ト イ モ と い う 呼 称 は 文 献 の 上 で は 江 戸 期 か ら 見
られるが、この呼称は、おそらく、関東で生まれて、共通語として全国に広がっ
た の で は な い か と 推 定 し て い る 。関 東 や 九 州 中 央 部 な ど に は 、
「 さ と い も 」を 単 に
イモと呼ぶところがあるが、昔はイモといえば「さといも」のことであり、サト
イモの名称が全国に広がった時期は、サツマイモやジャガイモが普及した後のこ
とではないかと指摘している。また、近畿を中心に北陸や四国に広がっているタ
イ モ( 田 芋 )は 、そ の 分 布 か ら 見 て 、比 較 的 新 し い 語 形 で あ り 、サ ト イ モ と 同 様 、
山芋に対して、それが栽培植物であることに着目しての命名であるという。
4 . 2 . 1999 年 調 査 と 2012 年 調 査 の 比 較
ま ず 1999 年 調 査 ( 図 3 )、 2012 年 調 査 ( 図 4 ) そ れ ぞ れ の 地 図 を 概 観 し 、 比
較・考察を行うことにする。
こ こ で 注 目 さ れ る の は 、イ モ ノ コ の 分 布 で あ る 。LAJ に お い て 、イ モ ノ コ は 北
海道や東北の一部と、飛んで佐賀県と能登半島に勢力をもって分布し、日本列島
の周辺地域にみられることから、諸語形の中でも比較的古い語形だといわれてい
る 。一 方 、淡 路 島 の LAJ で の 分 布 を み る と 、サ ト イ モ が 優 勢 で 、淡 路 島 南 部 に ズ
キイモと淡路島北部にコゾーイモ、コジイモがみられ、イモノコは確認できなか
っ た が 、1999 年 調 査 、2012 年 調 査 に お い て い ず れ も イ モ ノ コ が 確 認 で き た 。1999
年 調 査 で は 、 淡 路 市 と 洲 本 市 の 南 部 に み ら れ 、 2012 年 調 査 で は 淡 路 市 の み だ が 、
それぞれ使用を確認することができた。このことから、イモノコが淡路島南部に
も残存していることが明らかになった。サトイモには、種芋(親芋)と小芋があ
る 。コ イ モ は こ の 小 芋 の こ と を 言 っ た も の で あ る 。1999 年 調 査 で は 、コ イ モ が 淡
路 島 全 域 で 盛 ん で あ っ た が 、2012 年 調 査 で は 、淡 路 市 と 洲 本 市 の み に 分 布 が み ら
れる程度である。この点で、コイモの分布はやや退縮しつつあるということがで
きよう。サトイモの使用が増え、分布域を広げたことが大きく影響している。ま
た 、 1999 年 調 査 で み ら れ た ド ロ イ モ ( 泥 芋 ) は 、 LAJ に よ る と 奈 良 県 で の 分 布
がもっとも優勢で、そのほか大阪府と徳島県南部にも分布がみられる。ドロイモ
は大阪からの影響や、徳島方言との関連も無視ができない。
160
図3
1999 年 調 査 「 さ と い も ( 里 芋 ) 」
161
図4
2012 年 調 査 「 さ と い も ( 里 芋 ) 」
162
最 後 に 共 通 語 と 同 形 の サ ト イ モ に つ い て も 触 れ て お く こ と に し た い 。1999 年 調
査 に お い て は 、全 域 に 共 通 語 の サ ト イ モ と 方 言 形 が 分 布 を し て い た が 、2012 年 調
査では、南淡路市はすべてサトイモに置き換えられ、洲本市もサトイモの分布が
かなり優勢となっていることが判明した。共通語のサトイモは南淡路市や洲本市
を中心に分布を拡大させていることが明らかになった。このことから、どこを起
点として言語が変化していくかは、項目により差があるのかもしれない。また今
後はサトイモが北部まで押し寄せていくのかもしれない。
5.本章の結論
以 上 、本 章 で 論 じ て き た こ と を ま と め 、結 論 を 述 べ る 。瀬 戸 内 海 沿 岸 を は じ め 、
淡 路 島 の 各 調 査 を 比 較 す る こ と に よ り 、淡 路 島 に お け る「 じ ゃ が い も 」
「さといも」
の方言語彙の変異を確認した。
藤 原( 1976)が 指 摘 す る よ う に 、淡 路 島 は 古 語 が 残 存 し や す い 地 域 で あ る こ と
が追認できた。また語彙により、共通語化が進行中の語彙と、依然として伝統的
語形が残存している語彙とに分けられることがわかった。今後は、瀬戸内海域を
フィールドにさらに言語変化の過程を探っていきたい。
163
第 12 章 逆 接の接続 助詞について
-「け れども」「そう だけれども」を 事例として-
1.本章の目的
本章では、瀬戸内海東部域における言語の動態について取り上げる。瀬戸内
海 東 部 域 と は「 淡 路 島 」
「 小 豆 島 」を 含 む 地 域 を 指 し 、LAS の 調 査 結 果 の あ と 、
これらの島々で行われた追跡調査の結果を提示し、相互に比較を行うことにす
る 。 取 り 扱 う 項 目 は 逆 接 の 接 続 助 詞 で あ り 、「 け れ ど も 」「 そ う だ け れ ど 」 を 事
例 と し た 考 察 を 行 う 。こ れ ら の 項 目 を 取 り 上 げ る 理 由 は 、LAS 調 査 は も と よ り 、
淡路島および小豆島で実施したすべての追跡調査においてこれらを調査票に含
めたおり、経年比較が可能であるためである。
2.取り扱う調査について
本 章 で 比 較 ・ 考 察 の 対 象 と す る の は 、 LAS( 1974)、 1999 年 合 同 調 査 は 徳 島
大学・神戸松蔭女子学院大学・園田学園女子大学3大学合同淡路島調査、徳島
大 学 に お け る 小 豆 島 に お け る 調 査 ( 岸 江 ・ 峪 口 編 2015)、 淡 路 島 調 査 ( 岸 江 ほ
か 編 2013) で あ る 。
LAS は 、 第 2 章 ・ 4 章 で 紹 介 し た 調 査 概 要 に 準 ず る 。 1999 年 合 同 調 査 は 第
4章で紹介した調査概要に準ずる。
徳 島 大 学 に お け る 小 豆 島 に お け る 調 査( 岸 江・峪 口 編 2015)は 、第 7 章 で 紹
介 し た 調 査 概 要 に 準 ず る 。な お 、こ の 調 査 の 結 果 に つ い て は 、岸 江・峪 口 編( 2015)
に 詳 し い 。淡 路 島 調 査( 岸 江 ほ か 編 2013)は 、第 4 章 で 紹 介 し た 調 査 概 要 に 準
ず る 。 同 調 査 報 告 の 全 容 に つ い て は 、 岸 江 ほ か ( 2013) を 参 照 さ れ た い 。
以上の調査結果を随時比較し考察していくことにする。
3.島別にみた「けれども」の方言分布
3.1.淡路島における「けれども」の方言分布
図1は 、1999 年 に 淡 路 島 で 実 施 さ れ た 調査 であ る。この調 査で の「け れど も」
の結果 につい て まず概 観した い。 淡路 島全 地 域にケ ンド が用い られ て いる が 、 共
164
図1
1999 年 調 査 「 け れ ど も 」
165
図2
2012 年 調 査 「 け れ ど も 」
166
通語 と 同形 のケ ド の使 用も 一 部 み ら れ る 。 ケ ド は 、この 段階 で は淡 路島 北 部か ら
中部に かけ てみ られ、 南 部 に は ま だ 達 し て い な い 様 相 を 呈 し て い る 。
こ の 項 目 を 扱 っ た GAJ 第 1 集 ・ 第 38 図 で は 、近 畿 中 央 部 が ケ ド で あ る の に
対し、周辺部ではケンド、四国地方では一部、香川県のケドを除いてその他の
地域ではケンドである。淡路島では、ケンド、ケドの併用回答もみられるが、
依然としてケンドが優勢である。
図 2 は 2012 年 調 査 の 結 果 を 示 し た も の で あ る 。こ の 結 果 は 、1999 年 調 査( 図
1 ) 、 GAJ 第 1 集 ・ 第 38 図 、 LAS 第 38 図 と 同 様 、 淡 路 島 で は ケ ン ド が 優 勢
である。一方、共通語形ケドについては、図1と比較すると分布が洲本市、南
あわじ市を中心に拡大していることが判明した。また、ケンド、ケドの併用回
答もケドの分布領域の近くに確認された。
こ れ ら の 結 果 か ら GAJ、LAS と ケ ン ド が 優 勢 だ っ た が 、1999 年 調 査 、2012
年調査では共通語形のケドの浸透・拡大が着実に進みつつあることが明らかに
なった。
藤 原 ( 1976) は 、 瀬 戸 内 海 域 に お い て は 、 ケ ン ド ( ケ ー ド ) は 、 次 第 に 衰 退
していくものだろうと指摘している。この、藤原の推測通り、ケンドは瀬戸内
海東部域に位置する淡路島において今後衰退していく傾向にある。
3 . 2 . 小 豆 島 における「けれども」の方言分布
LAS 第 40 図 ・ 老 年 層 図 を 概 観 す る と 、 小 豆 島 町 で は ケ ン ド 、 土 庄 町 と 豊 島
ではケドが分布している。さらにその他の語形として、四海地区にケード、中
山 に ケ ン ド モ 、安 田 に ケ ッ ト 、坂 手 に ケ レ ド が そ れ ぞ れ み ら れ る 。こ れ に 対 し 、
少年層図では、その他の語形はことごとく消え、小豆島町ではケンド、土庄町
ではケドが対立をみせるのみである。
藤 原 ( 1976) は 、 ケ ン ド は 比 較 的 、 近 畿 ・ 四 国 に 強 い と い う 。 ま た 、 ケ ン ド
に近いケードがおよそ中国的な言い方であるとし、いずれにしてもこれらの語
形は、次第に衰退していくのだろうと述べている。このような点を踏まえ、今
回 の 調 査 結 果 ( 図 3 注 1 ) を み る と 、 LAS と 同 様 に 分 布 上 で ケ ド と ケ ン ド の 対 立
をみせていることがわかる。
167
図3
小豆島調査「けれども」
特 に ケ ド の 勢 力 が 優 勢 に な っ て お り 、ケ ン ド を お さ え て 分 布 領 域 を 拡 大 し て
い る こ と が わ か る 。 こ の こ と か ら 、 小 豆 島 に お い て は ケ ン ド →ケ ド へ と 移 行 し
つつあることがうかがえる。ただし、藤原が指摘した、ケンドの退縮は、まだ
完全に完了していず、変化が進行中であるということがわかる。
なお、ケドは全島的に分布するのに対してケンドは小豆島東部域から南部に
そ の 分 布 が 限 ら れ て い る 。こ の 点 は LAS 少 年 層 図 の 結 果 と も 一 致 し て い る 。今
回、土庄町大部でキンドが回答された。この語形は本来、香川県西部に見られ
る語形であるが、香川東部方言に属する小豆島方言では珍しい。
な お 、本 来「 け れ ど も 」は 接 続 助 詞 で あ る が 、今 回 、採 用 し た 質 問 文( 今 日
は 帰 る け れ ど も 明 日 ま た 来 る よ )が 逆 接 と も 順 接 と も 取 れ る 内 容 と な っ て お り 、
カラ、ケン、サカイなどの順接の諸形式とみられる回答が含まれている。この
ような事情を認識したうえで、地図化した点を断っておきたい。
168
4.島別にみた「そうだけれど」の方言分布
4.1.淡路島における「そうだけれど」の方言分布
図 4 の 「 そ う だ け れ ど 」 の 言 語 地 図 を 概 観 し た い 。 淡 路 島 で は ソ ヤ ケ ン ド の分
布が 一番 多く みら れる 。こ れは 鎌田 (1979) です でに 指摘 され てい るが 、接続 助
詞 に ソ ヤ ケ ン ド 、 ホ ヤ ケ ン ド の 使 用 が 多 い こ と が 改 め て 確 か め ら れ た 。 ホ ヤ ケン
ド に つ い て も 、 ソ ヤ ケ ン ド に 比 べ 分 布 域 が 狭 い も の の 、 南 部 に ま と ま っ て み られ
る 。 さ ら に 「 ホ ヤ ~ 類 」「 ホ ジ ャ ~ 類 」 は 南 部 に 分 布 の 偏 り を み せ 、「 ソ ヤ ~ 類 」
「 ソ ー ~ 類 」 は 北 部 か ら 中 部 に か け て 分 布 が 確 認 で き る 。 「 ホ ヤ ~ 類 」「 ホ ジ ャ
~類」は徳 島な ど四 国 方言と 同じ 傾向 を見 せ ている 。一 方「 ソヤ ~類 」
「ソ ー~ 類」
は近畿 中央 部か らの 影 響を受 けた もの であ ろ う。
LAS で も み ら れ た 伝 統 的 語 形 で あ る 「 ~ ジ ャ ガ 」 が 確 認 さ れ た こ と に 触 れ る 。
GAJ では、 全国 にお い て分布 が確 認で きな い が、 LAS で は「 ~ジ ャガ」 が広 島
県と 山口 県に 確認 でき る。2012 年 の調 査で は、 淡路 島に おい て洲 本市 2地 点と、
淡路市 岩屋 1地 点で「 ~ジャ ガ」が確 認が で きた。この 形式 は、断 定の助 動詞「ジ
ャ 」 + 接 続 助 詞 「 ガ 」 が 組 み 合 わ さ っ た も の で あ る 。 今 回 は 淡 路 島 の 結 果 の みで
分 析 を 行 っ た が 、 瀬 戸 内 海 全 域 で 広 域 に み る と 、「 ~ ジ ャ ガ 」 は 瀬 戸 内 海 域 で 広
く残存 して いる 可能 性 も否め ない 。
図5は 、図4 の概 略版 であり 、
「~ ジャ(ヤ )ケンド 」と「~ ~ジ ャ( ヤ)ケド 」
と い う よ う な 後 続 の 形 式 注 目 し 、 作 図 し た も の で あ る 。「 ~ ~ ジ ャ ( ヤ ) ケ ン ド 」
の 分 布 は 図 1 、 図 2 と 同 等 に 優 勢 で あ る こ と が わ か る 。 ま た 「 そ う だ け れ ど 」と
い う 形 式 に 関 し て も 共 通 語 形 の 「 ~ ケ ド 」 の 使 用 が 今 後 拡 大 し て い く こ と に なる
だろう 。
169
図4
2012 年 調 査 「 そ う だ け れ ど (全 語 形 )」
170
図5
2012 年 調 査「( そ う )だ け れ ど( 概 略 図 )」
171
4.2.小豆島における「そうだけれど」の方言分布
この項 目で は、
「そ うだ けれど 」の「 だけ れど 」の部分 に注 目し 概観 す る。まず、
島内で はヤ ケド が広 域 に分布 して いる 。そ の 中でも 、小 豆島 町で は ヤケド が多 く
みられ る。 これ に対 し て、土 庄町 では ジャ ケ ドが多 くみ られ る。 ま た中心 部の 土
庄旧市 街地 では ヤケ ド の回答 が多 い。 図3 の 「けれ ども 」の 分布 で は、ケ ンド と
ケドが 対立 し、 ケン ド がケド へ移 行し つつ あ ると解 説を おこ なっ た が、図 6「 そ
うだけ れど 」に おい て も、ケ ンド の退 縮傾 向 が窺え る。 ケン ドは 小 豆島東 部( 安
田・苗 羽) に散 らば っ て分布 して いる こと が わかる 。こ の結 果は 、 図3と よく 似
た状況 を示 して いる 。 LAS でも みら れた 伝統 的語形 のジ ャガ (断 定 辞「ジ ャ」+
接続助 詞「 ガ」)は 、広 島県と 山口 県に 分布 が みられ た形 式で あり 、その分 布が 小
豆島( 池田 、小 部、 小 江)ま で及 んで いる こ とがわ かる 。ま た、 峪 口(2013) で
も、ジ ャガ は淡 路島 で 確認が なさ れて いる 。
図6
小豆島調査「(そう)だけれど」
172
つまり 、ジャ ガは LAS 時から 、東へ 勢力 を拡 大 させた こと がう かが え る。なお、
本来「(そ うだ)けれ ど」は接続 助詞 であ るが 、断定辞 の部 分に つい て も述べ ると 、
ヤ は 小 豆 島 町 で 最 も 多 く 、 ジ ャ は 土 庄 町 に 集 中 し て い る こ と が わ か る 。 土 庄 町旧
市街地 では 、ヤ が盛 ん である 。
LAS 第 59「火 事だ 」老 年層図 の分 布を みる と 、小 豆島 はジ ャが 優勢 で、ヤが各
地 に 散 見 で き る の に す ぎ な い 。 こ の 状 況 下 か ら み る と 、 ジ ャ →ヤ の 変 化 が 進 行 中
で あ る こ と が う か が え る 。 こ の 変 化 は 小 豆 島 町 で 、 特 に 顕 著 で あ る と い え る だろ
う。
5.本章の結論
本 稿で は、淡 路島 ・ 小 豆 島 におけ る逆 接の接 続助 詞「け れど も」 、 「そ うだ け
れ ど も 」 を 取り 上 げ 、 地 理 的 な 分 布 の み な ら ず 追 跡 調 査 な ど の 結 果 を 交 え て 経
年 変 化 の 観 点 か ら も 考 察を 行った 。
瀬 戸 内 海 東 部 域 に 位 置 す る 淡 路島 ・ 小 豆 島 にお いて 伝統的 語形 のケン ドと ケド
が せめ ぎ 合 いを 見せて おり 、また 近畿 中央部 の影 響も あっ て、 次 第 に ケド へと移
行してい く 様 子が 明ら か にな った。GAJ「 ケ ド 」の 分 布 と の 比 較 す る こ と に よ っ
て 近 畿 中 央 部 で の「 ケ ド 」の 分 布 が 、し だ い に 淡 路 島 や 小 豆 島 に ま で 及 ん で い る
ことが明らかになった。
【注】
注1
小 豆 島 言 語 地 図 の 地 図 番 号 は 、 岸 江 信 介 ・ 峪 口 有 香 子 編 ( 2015)『 小 豆 島 言
語地図』の地図を掲載している。なお、言語地図の作図は筆者による。
173
第 13 章
小豆島における民俗語彙
-「神輿」「葬式」「埋葬地」「墓制」を事例として-
1.本章の目的
本 章 で は 、 民 俗 語 彙 の う ち 、「 神 輿 」「 葬 式 」「 埋 葬 地 」「 墓 制 」 を 事 例 と し て 取
り上げ、地理的分布を追いながら考察を行うことにする。同調査の質問項目は全
体 で 約 180 項 目 に 及 ぶ が 、こ れ ら 4 項 目 に つ い て 、今 回 、実 施 し た 調 査 結 果 を も
とに分析を行うことにしたい。また、過去において当地域を対象とした調査があ
り、これらの結果との経年比較が可能である。以下では、これらの結果も併せて
示すことにする。
2.取り扱う調査について
本 章 で 比 較 ・ 考 察 の 対 象 と す る の は 、 LAS( 1974)、 徳 島 大 学 に お け る 小 豆 島
に お け る 調 査 ( 岸 江 ・ 峪 口 編 2015) で あ る 。
LAS は 、第 2 章・4 章 で 紹 介 し た 調 査 概 要 に 準 ず る 。徳 島 大 学 に お け る 小 豆 島
における調査は、第7章で紹介した調査概要に準ずる。なお、この調査の結果に
つ い て は 、 岸 江 ・ 峪 口 編 ( 2015) に 詳 し い 。
以上の調査結果を随時比較し考察していくことにする。
3 .「 神 輿 」 に お け る 方 言 分 布 の 概 観
「 み こ し( 神 輿 )」の 地 図 を 概 観 す る と 、ま ず 小 豆 島 全 域 に ミ コ シ 、オ ミ コ シ な
どのミコシ類が優勢であることがわかる。またオミコシサン、ミコシサン、ミコ
サン、ミコッサン、コッサンという敬称「さん」を付加させた形式も目立つ。こ
の「さん」付けした形式は、関西では人以外にも付くことばが多くある。
また小豆島では、タイコという呼び方が、旧池田町に集中してみられる。これ
は池田の亀山八幡神社の秋季例大祭で奉納される太鼓台を指して、タイコと答え
たものだと考えられる。特に、海路を経て参加する神ノ浦地区の太鼓台などは、
内海特有の祭礼形態であり、亀山八幡神社秋季例大祭の特徴だといえるだろう。
また各地でダンジリがみられる。ダンジリは、もともと大阪を中心とした近畿
一 円 で み ら れ る 「 ダ シ ( 山 車 )」 の ひ と つ を 「 ダ ン ジ リ ( 地 車 )」 と 呼 ん で い る 。
た だ し 、 地 域 に よ っ て は 、「 ま つ り 屋 台 」「 太 鼓 台 」「 布 団 太 鼓 」「 担 き も の ( か き
も の )」 な ど を ダ ン ジ リ と 呼 ぶ と こ ろ も あ る 。
174
図1
小豆島調査「みこし(神輿)」
つまり、地域によってダンジリが指す対象は異なる。ダンジリに限らず、ミコ
シ、タイコ、タイコダイ、ヤグラなども地域により指す対象が異なることも断っ
ておきたい。
ま た 小 豆 島 は 瀬 戸 内 海 の 交 通 の 要 衝 に 位 置 し 、特 に 祭 礼 形 態 に 関 し て は 、大 阪・
播州・淡路島などからの影響を多く受けていることがわかる。瀬戸内海各地に散
らばる祭礼の発端は、港町や漁師町の生活と密接に関連している。
175
4 .「 葬 式 」 に お け る 方 言 分 布 の 概 観
「葬式の名称」として、伝統的形式のソーレン・ソーレ(以下ソーレン類と呼
ぶ)などを各地できくことができた。小豆島や豊島では、ソーレン類が優勢だと
いうことがわかる。ソーレンは「葬礼」であり、かつて大阪・京都をはじめとし
て近畿各地で使用された形式であるが、近畿中央部では、いちはやく姿を消して
いるが、瀬戸内海東部に位置する淡路島では今でもなお、ソーレン類が優勢であ
る ( 峪 口 ・ 鮑 2013)。 オ ク リ 類 ( オ ク リ 、 ミ オ ク リ ) も 小 豆 島 内 の 各 地 で 使 用 さ
れ て い る 。オ ク リ は 、
「 野 辺 送 り 」で あ り 、火 葬 場 や 埋 葬 場 ま で つ き 従 っ て 送 る こ
とを指している。かつては、葬式は夜に行うもので、表座敷に祭壇を作り、僧が
経を読み、列席者が焼香を行う、焼香が終わると野辺送りとなり、庭で葬列を組
む と い う 流 れ だ っ た 。回 答 例 に も あ る ノ ベ オ ク リ( 野 辺 送 り )、ノ ベ マ イ リ( 野 辺
参り)に関しても同じ意味合いがあるといえよう。また土庄町甲でみられた、ト
ギ( 伽 )、ト ー ギ は 、通 夜 の こ と を 指 し て い る 。通 夜 を 行 い 日 が 明 け る と 葬 式 を す
ることからトギ、トーギと回答されたものと考えられる。さらに、わずか 1 例だ
が、トムライという回答も得ることができた。
図2
小豆島調査「葬式の名称」
176
『日本国語大辞典
第 二 版 』( 2002) で は 「 と ぶ ら い ( 弔 い ) の 変 化 し た 語 」
と 説 明 さ れ て お り 、『 羅 葡 日 辞 書 』( 1595) で は 「 Necya< 略 > ビ ョ ウ シ ョ ニ
イテ
ヲ
シ タ ル tomurai( ト ム ラ イ )」と し て い る 。以 上 、葬 式 の 名 称 に も 、様 々 な
語形を確認することができた。淡路島と同様に、葬式という項目に関しては、伝
統的語形が多数認められ、共通語化の速度は遅いということがうかがえる。
5 .「 埋 葬 地 」 に お け る 方 言 分 布 の 概 観
「埋葬地の名称」では、伝統的語形であるサンマイ・サンマのことばが各地で
散 見 さ れ る 。 こ の サ ン マ イ に つ い て 、 柳 田 國 男 ( 1969) に も 「 三 昧 即 ち 埋 葬 地 」
で あ る と 述 べ て い る 。こ れ は 、両 墓 制 の「 埋 め 墓( う め ば か )」を 指 し て い る 。今
回、埋葬地の名称として、ウメバカという回答が得られたのも、このことを意識
し て の こ と で あ る 。三 昧 は 、
『日葡辞書』
( 1603-1604)に も み ら れ 、
「 Sanmai( サ
ン マ イ )。 ハ カ ド コ ロ < 訳 > 寺 院 の 墓 地 。 あ る い は 、 共 同 墓 地 」 と 記 述 し て い る 。
近畿地方では福井県や三重県などにも「墓地」の意味としてサンマイが用いられ
ており、近畿地方にみられる周圏分布の一例である。また『小豆島の民俗』によ
ると、埋め墓をミバカともいい、浜沿いに集中的に設けられていたという。
図4
小豆島調査「埋葬地の名称」
177
ミ バ カ と 同 類 の ミ ハ カ も 今 回 の 調 査 で わ ず か 1 例 だ が 認 め ら れ た 。 さ ら に 、ス テ
バカ(捨墓)も埋め墓のことを表している。アナホリに関しても、土葬する際の
墓穴掘りのことを指すのだろう。またタカツボという回答も得られたのだが、お
そらく土庄町高壺山が埋葬地であったため、高壺山という地名を回答したのであ
ろう。
ムソーバは、
『 日 本 方 言 辞 典 ― 標 準 語 引 き 』( 2003)に よ る と 愛 媛 県 西 宇 和 郡 に
みられる語形である。ムソー類は、主に東海から近畿にかけて埋葬地を意味する
方 言 と し て 用 い ら れ て い る 。こ の 他「 詣 り 墓 」
「 埋 め 墓 」を 区 別 せ ず 、総 称 し た ハ
カ類(ハカ、オハカ、ハカバ、ハカワラ、ハカチ、オハカバ、ボチ)の呼び方が
増えており、一般的になりつつある。両墓制から単墓制になりつつある現在、両
墓制の折のサンマイ類が次第に姿を消し、ハカ類に統合されている。
6 .「 墓 制 」 に お け る 方 言 分 布 の 概 観
「 墓 制 」と は 、墓 の つ く り 方 の こ と を 指 し て い る 。墓 制 の 回 答 例 と し て 、
「単墓
制 」「 両 墓 制 」「 も と 両 墓 制 」「 無 回 答 」 の 4 種 類 あ る 。
ここで注目されるのは「両墓制」と「元両墓制」の多さである。両墓制は、日
本に古くより伝わる墓制の形態を指し、墓地を二つにわけ祭祀と埋葬という二つ
の役割を分離させることをいう。柳田國男は昭和4年の「墓制の沿革について」
の中で、両墓制の存在を指摘している。この両墓制の分布は、四国では香川・徳
島の二県に限られるとし、香川では三豊・多度津郡の沿岸地方や島嶼部など西讃
岐 地 方 に 多 く 分 布 す る と い う ( 武 田 1987)。 つ ま り 、 こ こ で み ら れ る 分 布 か ら 、
日本の習俗であった「両墓制」のかつての存在を再確認することができる。
小 豆 島 、土 庄 渕 崎 の 話 者 に よ る と 、
「 昔 は 、埋 め 墓 は サ ン マ イ と い い 浜 辺 に あ っ
た。遺骸は大かめに入れて違う場所に埋めていた」とのことである。淡路島にお
い て も 、ほ ぼ 同 様 で あ り「 両 墓 制 」
「 も と 両 墓 制 」と い う 回 答 は 、ほ ぼ 淡 路 島 全 島
を 占 め る 結 果 だ っ た ( 峪 口 ・ 鮑 2013)。 こ の 両 墓 制 は 土 葬 を 基 本 と し 、 遺 体 処 理
の方法が殆ど火葬に切り替わった現代では、すでに行われなくなったといってよ
い。
小 豆 島 の 多 く の 集 落 は 、昭 和 30 年 代 か ら 40 年 代 に か け て 、土 葬 か ら 火 葬 に 移
行している。
『 小 豆 郡 の 民 俗 聞 取 り 集【 土 庄 編 3 】四 海・豊 島・大 部 地 区 』に よ る
と、大部地区では、火葬になったことに伴い海岸沿いにあった埋め墓を整理し、
地区ごとに墓地を整え、小豆島で遅くまで残っていた大部の両墓制の跡はすっか
り姿を消したと記述している。
178
図4
小豆島調査「墓制」
7.本章の結論
本 章 で は 、小 豆 島 に お け る 民 俗 語 彙「 神 輿 」
「葬式」
「埋葬地」
「 墓 制 」を 取 り 上
げ、考察を行った。
今回扱った民俗語彙については、単に言語面からだけでは解明できない諸要因
が潜んでいるようである。
「通夜」の項目で確認できた野辺送りなどは、全国的にみても現在ではめった
に目にすることがなくなった。その背景にあるのは生業基盤の変化、車社会の成
立、それにともなう葬祭ビジネスの確立である。かつては、地域住民が組織化さ
れた組や講中などの人たちが葬儀の準備や賄いなどを受け持つという分業システ
ムで葬送を執り行っていた。発展という流れは葬送の質的転換をもたらし、葬送
の専門業者が、それまで血縁者や地縁者が受け持っていた葬儀に関わる準備など
を代行するようになった。かつての野辺送りという葬送が、霊柩車で火葬場に運
ばれるというように変化していった。
つまり地域が共同体としての機能をしだいに失い、地縁が希薄になっていった
ことが変化を進めていった要因になっている。それにともない、民俗語彙におけ
179
る 伝 統 的 語 形「 ノ ベ オ ク リ 」
「ミオクリ」
「オクリ」
「ソーレン」
「サンマイ」
「ハカ
ワラ」
「 ハ カ ン ド 」な ど の こ と ば も 葬 送 形 態 の 変 化 に よ り 衰 退 の 一 途 を 辿 っ て い る 。
墓 制 に つ い て も 、同 様 な こ と が い え る 。か つ て 、日 本 の 伝 統 的 な 習 俗 で あ る「 両
墓制」は減少しているのは事実である。さらに、単墓制の地域が増えていること
も起因して、
「ハカ」
「ハカバ」
「 ハ カ チ 」と い う 呼 び 方 が 一 般 的 に な り つ つ あ る の
か も し れ な い 。 こ の 墓 制 の 変 化 と と も に 、 伝 統 的 形 式 で あ る 、「 サ ン マ イ 」「 サ ン
マ」がいずれは衰退の方向を辿ることは必須である。
今後は地域性や、土地ごとの風習といった、より多角的な視点から言語変化の
理解を深めていき、調査を進めていきたい。
【注】
注1
小 豆 島 言 語 地 図 の 地 図 番 号 は 、 岸 江 信 介 ・ 峪 口 有 香 子 編 ( 2015)『 小 豆 島 言 語
地図』の地図を掲載している。なお、言語地図の作図は筆者による。
180
Ⅳ.結論
第 14 章
本論のまとめと今後への提起
1.本論のまとめ
本 章 は 、本 論 文 の 結 論 に あ た る 。第 1 節 で は 、本 論( 3 章 ~ 13 章 )で 論 じ た こ
とを整理するとともに、第1章で掲げた目的に対応させた形で結論を述べる。
ま ず 、 第 3 章 で は 、従 来 の 言 語 地 理 学 研 究 と は 違 う 方 法 論 を 提 示 し た 。こ れ ま
で紙媒体で作成された地図や、この地図を作成するための資料をすべてデジタル
化 す る こ と が 不 可 欠 で あ る こ と を 説 い た 。GIS を ベ ー ス に し た 言 語 地 図 を 作 成 す
ることにより、地理空間情報の活用がスムーズに行えることになる。
本論文においては、このような状況のもと、主に紙媒体で残されているデータ
の地理空間情報のデジタル化に取り組み、言語情報の共有化を図ることの重要性
を指摘した。そのモデルとなるのが、実際に行った、藤原与一・広島方言研究所
編『 瀬 戸 内 海 言 語 図 巻 』の 電 子 化 の 試 み で あ る 。こ の 結 果 を も と に GIS を 利 用 し
て 言 語 地 図 化 を 行 っ た 。 同 図 巻 が 刊 行 さ れ て 以 後 、 約 40 年 後 に 電 子 化 、 す な わ
ち GIS 上 で デ ー タ を 分 析 す る こ と が 可 能 に な っ た わ け で あ る 。
また、これと並行して、筆者が独自で実施した瀬戸内海域での言語地理学的研
究 の 調 査 結 果 ( 本 文 で の 『 峪 口 調 査 』) も 当 然 電 子 化 を 行 い 、 GIS で の 言 語 地 図
化を行った。これら電子化の意義は、双方の調査結果をコンピューターの同一画
面上で自由自在に比較することができるようになることである。
『瀬戸内海言語図
巻 』 は 、 60 年 代 の 調 査 で あ り 、 峪 口 調 査 の 時 期 と は 、 実 に 50 年 以 上 の 開 き が あ
る。この実時間上での言語変化のありさまが非常に厳密に比較できるようになっ
た の も 、 電 子 化 デ ー タ の GIS 化 に よ る も の で あ る と い え よ う 。
日 本 の 方 言 研 究 の 分 野 で は 、 GIS の 利 用 は ま だ 緒 に 就 い た ば か り で あ り 、 残 念
ながらこれまで本格的な活用はなされていない。そこで、本論では、半世紀以上
も開きがある調査結果について空間情報を利用した言語地図の比較を行い、分析
し た 。言 語 地 理 学 に よ る 言 語 変 化 に つ い て GIS を 活 用 し て 一 定 の 結 論 を 出 す と い
う試みはこれまでなされていなかった。
以下では、このような空間情報科学をベースに行った分析結果の事例を提示し
ながら方言がどのような変化を辿ってきたか、その実態について少しく述べるこ
とにしたい。
第 4 章 で は 、「 サ ツ マ イ モ 」 の 方 言 を 取 り 上 げ た 。 こ の 事 例 で は 、 空 間 分 析 の
空 間 検 索 、 標 準 偏 差 楕 円 を 用 い た 分 布 志 向 性 分 析 を 利 用 す る こ と に よ っ て 、 LAS
の時代で多くみられていた方言形のイモが、時間が経つことにより、サツマイモ
という共通語形へと置き換わっていったことが判明した。かつてイモはサトイモ
181
の 名 称 と し て 使 用 さ れ て い た が 、使 用 さ れ る 地 域 や 時 代 に よ っ て 、イ モ の 意 味 は 、
サトイモ・サツマイモ・ジャガイモへと変化していったと考えられる。また共通
語形のサツマイモは、空間統計図で確認されたように、瀬戸内海域で使用の拡大
がみられた。一方で、かつて江戸安永年間に近畿で使用されたリューキューイモ
という語形が地域を限定して、今でも残存することが認められた。
言語伝播として、言語の地理的な分布が退縮したり、あるいは逆に拡散したり
する状況をつかむことができれば言語変異の実態を把握することができるはずで
ある。これまで実時間上での調査結果の比較が確かにこれまでに行われてきたも
の の 、双 方 の 地 図 を 目 で 追 っ て 比 較 し 、分 析 す る と い う の が 唯 一 の 方 法 で あ っ た 。
このような状況のもと、分布志向性分析を援用したのは、日本の方言研究では最
初である。
LAS 調 査 の デ ー タ を 用 い て 標 準 偏 差 楕 円 を 描 き 、ま た 、峪 口 調 査 の デ ー タ で も
同様に標準偏差楕円を描き、これら双方の楕円を重ねることによって時系列的に
モデリングすることが可能となる。分布志向性分析と呼ばれる方法である。誰が
追試しても同じ結果を導ける。今回のこの分析をもとにして、共通語と伝統方言
に着目し、その双方の分布を分析した。今回の事例から明らかになったことは、
複雑な分布の中にも、古い語形が次第に淘汰され、共通語形が拡大する一方で、
古い語形があくまでも地域を限定してだが、残存する傾向があることを見出した
点である。
今後、言語地理学において分布自体を相互に比較するというケースも追跡調査
が行われたり、過去の言語地図が電子化されたりすることによって機会が増える
ことになるはずである。今回試みた、標準偏差楕円をもとにした分布志向性分析
が今後、言語伝播や分布領域の状況を判断する手法として活用されることが期待
される。
第 5 章 で は 、「 に わ か 雨 」 の 方 言 を 例 に 、 そ の 方 言 分 布 が い か に 瀬 戸 内 海 域 で
形成されてきたのかを、これまでに瀬戸内海をフィールドとして行われた三つの
方言調査結果にもとづき、方言分布に視点をすえ、分布自体の移り変わりを探り
ながら論じた。ここでも、標準偏差楕円を用いることで、過去の3種類の調査結
果をそれぞれ比較し、空間分析の一つである分布志向性分析を行った結果、ソバ
エ類は、依然として勢力を保って分布していることが確かめられた。一方、共通
語形のニワカアメ、トーリアメ、ユーダチとソバエ類を囲むように使用が拡大し
ていることを指摘した。経年データをもとに各々標準偏差楕円を描き、楕円を重
ね合わせることによってその方言の存続や衰退などについて客観的な分析が可能
になるのである。このような試みと検討は、日本の方言研究界ではこれまでまっ
182
たくなされておらず、拙稿を機に分布の指向性を探る分析手法として定着するこ
とが望まれる。
第 6 章 で は 、 文 末 詞 「 ナ ー 」「 ノ ー 」 を 取 り 上 げ た 。 こ の 章 で は 、 有 限 の 標 本
点から全体の分布を推定する、空間分析の一種のカーネル密度を用いた。ここで
は、各文末詞の地理的な分布をもとにポイントデータの分布図を面の密度図へと
変換し考察を行った。カーネル密度では、ポイントデータをもとに実際には調査
されていない地点のポイントデータを推定データとして配置していくという手法
である。カーネル密度推定と呼ばれる所以である。
この手法も、日本の方言研究で利用された形跡はなく、今後、言語変化の動向
を地理的分布から探るうえで有効な分析法であることは言を俟たない。
例 え ば 、峪 口 ・桐 村 ・岸 江( 2015)に よ っ て 進 め ら れ て い る ツ イ ッ タ ー デ ー タ
などのビッグデータを対象とした地理的分布の動態などを探るには、これら統計
的な推定や分布の志向性を探る分析が必須となるであろう。
なお、この章で扱った文末詞「ナー」は、時間が経過することで、西に進んで
い る こ と が 確 か め ら れ た 。ま た 、文 末 詞「 ノ ー 」は 、LAS 時 の 老 年 層 で 、特 に 瀬
戸内海中部・東部では健在であったが、少年層ではほとんどその使用がみられな
くなっていた。ところが、峪口調査の「ノー」は未だに瀬戸内海全体で、顕在で
あ る こ と が 判 明 し た 。こ れ は 、LAS が 女 性 だ け を 対 象 に し た 調 査 で あ っ た こ と が
起因している。
「 ノ ー 」は 、過 去 に お い て は 男 女 と も に 使 用 さ れ た 形 式 で あ っ た が 、
LAS 時 代 の 少 年 層( す な わ ち 、少 女 層 )に と っ て は 各 地 で 理 解 語 で は あ っ て も 使
用語ではなかった。一方、峪口調査は、回答者を女性のみに限定せず、男性も対
象とした。
「 ノ ー 」は 瀬 戸 内 海 域 で 男 性 語 と し て は 健 在 で あ る こ と が 確 か め ら れ た
の で あ る 。「 ナ ー 」「 ノ ー 」 は 、 男 女 差 が あ る も の の 、 瀬 戸 内 海 域 で 根 強 く 使 わ れ
ていることを論じた。
第 7 章 で は 、原 因 ・ 理 由 を 表 す 順 接 の 接 続 助 詞 で あ る「 か ら 」を 例 に 、方 言 分
布の「実時間」上の変化に焦点をあてながら言語変化の動向ついて論じた。この
章では、空間分析の標準偏差楕円とメッシュ地図による言語分析を試みた。これ
ま で の 調 査 と 比 較 し た 結 果 、大 局 的 に は 、ケ ー 、サ カ イ( ニ )、ヨ ッ テ( ニ )な ど 、
瀬戸内海域において広範囲に分布を形成していた諸形式は、依然としてその分布
領 域 を 保 持 し て い る と い え る 。 た だ 、 ケ ン に 関 し て は 約 80 年 前 の 調 査 で は ま っ
たく現れず、現在、ケンを使用する地域では、かつてケニ(ないしキニ)が使用
されていたことが認められた。つまり、ケニ(ないしキニ)からケンへと変化が
生じ、そして現在ではケニ(ないしキニ)がほとんど消え、ほぼケンに統一され
ていることが判明した。一方、限られた地域にみられた、各地の特色ある形式は
183
分布領域の退縮のみならず、各地での衰退化が激しいという事実が明らかとなっ
た 。こ の よ う な 背 景 に は 、LAS 調 査 時 の 段 階 で み ら れ た 多 様 な 形 式 が 各 地 域 で 勢
力のある形式(例えばケンの拡大など)に飲み込まれるという傾向がみられるこ
とが起因していると考えられる。
第 8 章 で は 、方 言 デ ー タ を 地 図 情 報 と 関 連 づ け 、な お か つ イ ン タ ラ ク テ ィ ブ に
表示するシステムを構築するため、これまで進めてきた瀬戸内海を対象とした言
語 地 理 学 的 調 査 の 成 果 に 対 し R お よ び Leaflet を 利 用 し た 新 た な 言 語 地 図 の 可 視
化 を 試 み た 。ま た R を 援 用 し た 可 視 化 技 術 は 、今 後 ウ ェ ブ サ ー ビ ス と し て の 公 開
を目論んだものであり、言語情報の共有化を図ることができた意義は大きい。
昨今、方言が消滅する危機が問題視されているが、方言の全体像を余さず残す
には、方言の記述だけでなく、その地理的な分布をデータ化することが必要であ
る。特に今後とも、消滅する方言を記録し、広くデジタルアーカイブとして一般
に 公 開 さ れ る こ と が 重 要 で あ り 、 そ の た め WEB 上 で の 地 理 情 報 シ ス テ ム を 利 用
し 、 研 究 成 果 を 提 示 で き る と い う 点 は 非 常 に 魅 力 的 で あ り 、 GIS に よ る 言 語 地 理
学研究が今後さらに飛躍的に前進するという可能性も秘めている。
第 9 章 で は 、瀬 戸 内 海 東 部 域 に お け る「 コ ピ ュ ラ 形 式 」を 取 り 上 げ た 。瀬 戸 内
海東部をみると、時間が経過するにしたがって「ヤ」が西進していく様子をつか
むことができた。さらに、今回フィールド調査対象地域として設定した、小豆島
においては、小豆島町と土庄町とでは、言語変化に差があることも判明した。ま
た、コピュラ形式においては、見かけ時間上の変化は、実時間上の変化とほぼ一
致 し て い た こ と が 確 認 で き た 。 50 余 年 を 経 た 今 回 の 一 連 の 追 跡 調 査 で は 、 LAS
調 査 の 少 年 層 の 結 果 に も 注 意 を 払 っ た 。つ ま り 、LAS の 調 査 時 に お い て 少 年 層 で
あ っ た 話 者 は 、現 在 、60 歳 を 超 え る 年 齢 に 達 し て お り 、今 回 、追 跡 調 査 で の 老 年
層の結果と、どの程度一致するか、興味深く思われたからである。もちろん当時
の話者を探し、回答してもらうということはできなかったが、全体的な比較を通
し て 、LAS に お け る 少 年 層 で の 結 果 が 今 回 の 老 年 層 の 結 果 と お お む ね 一 致 し た こ
とを論じた。
第 10 章 で は 、 文 末 詞 「 ノ ー シ ・ ノ モ シ 」「 ゾ イ 」 を 取 り 上 げ た 。「 ノ ー シ ・ ノ
モ シ 」の 事 例 で は 、LAS 老 年 層 図 に み ら れ た 分 布 が 、少 年 層 図 で は 分 布 が 消 え て
しまったにもかかわらず、峪口調査ではこれらの使用が再び確認できたという点
に 関 し 、そ の 理 由 に 言 及 し た 。こ こ で 考 え ら え る の は 、LAS 時 、少 年 だ っ た 話 者
たちは、すでに文末詞「ノーシ・ノモシ」類を、当時、高齢者が使用する伝統的
な方言形式という認識をすでにしていたと思われ、聞くことはあっても使用しな
かったものと思われる。方言が中心となる地域言語社会においても同様で、少年
184
時代、大人が話すことばを理解語として受容するが、子ども時代には使わずにい
ることばは多くある。ただ、その土地で成長するにしたがって子ども時代の理解
語 が 次 第 に 使 用 語 と な っ て い く こ と も あ る と 考 え ら れ る 。 こ の こ と は 、 Giles &
Powesland( 1975) に よ る Speech Accommodation Theory( ア コ モ デ ー シ ョ ン
理論)によっても裏付けられると考えられる。文末詞「ノーシ・ノモシ」の使用
地域は限定されるものの、使用地域では一旦は理解語として受け継がれつつも、
高 齢 者 の 仲 間 入 り を し た 50 年 前 の 少 年 た ち に よ っ て 今 、 確 か に 使 用 さ れ て い る
ことが明らかとなった。
さ ら に 、文 末 詞「 ゾ イ 」は 、LAS 時 に 行 わ れ た 少 年 に 対 す る 調 査 で は 僅 か な 使
用 が 確 認 で き た が 、50 年 後 の 峪 口 調 査 で ま だ 完 全 に は 衰 退 し て い な い こ と を 突 き
止めることができた。峪口調査では、瀬戸内海東部である、徳島県鳴門市付や淡
路 島 に お い て「 ゾ イ 」が 、今 な お 使 用 さ れ て い る こ と を 明 ら か に し た 。ま た 、 瀬
戸内海全域においてもまばらながら残存していることも同時に確かめることがで
きた。文末詞「ゾイ」は経年変化によって衰退の一途をたどっている様相を呈し
ているものの、瀬戸内海各地で細々とではあるが、確かに受け継がれてきたこと
を確認することができたのである。
第 11 章 で は 、淡 路 島 に お け る「 じ ゃ が い も 」
「 さ と い も 」の 方 言 を 取 り 上 げ た 。
「 じ ゃ が い も 」に 関 し て は 、LAS 時 に 淡 路 島 中 央 部 の 洲 本 市 で み ら れ た バ レ ー シ
ョ は 、2012 年 調 査 に お い て 激 減 し て お り 、洲 本 市 1 例 、淡 路 市 1 例 の み み ら れ た
にすぎない。分布傾向として、バレーショがジャガイモ・ジャガタライモに置き
換 え ら れ て い る よ う で あ る 。 さ ら に 「 さ と い も 」 は 、 1999 年 調 査 、 2012 年 調 査
を比較した結果、諸語形の中でも比較的古い語形だといわれている「イモノコ」
の 分 布 が 残 存 し て い る こ と が 認 め ら れ た 。1999 年 調 査 で は 、淡 路 市 と 洲 本 市 の 南
部 に み ら れ 、2012 年 調 査 で は 淡 路 市 の み だ が 、そ れ ぞ れ 使 用 を 確 認 す る こ と が で
きた。このことから、イモノコが淡路島南部にも残存していることが明らかにな
った。
第 12 章 で は 、逆 説 の 接 続 助 詞「 け れ ど も 」「 そ う だ け れ ど も 」を 取 り 上 げ 、地
理的な分布のみならず追跡調査などの結果を交えて経年変化の観点からも考察を
行った。瀬戸内海東部域に位置する淡路島・小豆島において伝統的語形のケンド
とケドがせめぎ合いを見せており、また近畿中央部の影響もあって、次第にケド
へ と 移 行 し て い く 様 子 が 明 ら か に な っ た 。 GAJ「 ケ ド 」 の 分 布 と の 比 較 す る こ と
によって近畿中央部での「ケド」の分布が、しだいに淡路島や小豆島にまで及ん
でいることが判明した。
第 13 章 で は 、小 豆 島 に お け る 民 俗 語 彙「 神 輿 」「 葬 式 」「 埋 葬 地 」「 墓 制 」を 取
185
り上げた。今回扱った民俗語彙に関する中には単に言語面からだけでは解明でき
ない諸要因が潜んでいるようである。
「 通 夜 」の 項 目 で 確 認 で き た 、野 辺 送 り な ど
は、全国的にみても現在ではめったに目にすることがなくなった。その背景にあ
るのは生業基盤の変化、車社会の成立、それにともなう葬祭ビジネスの確立であ
る。かつては、地域住民が組織化された組や講中などの人たちが葬儀の準備や賄
いなどを受け持つという分業システムで葬送を執り行っていた。発展という流れ
は葬送の質的転換をもたらし、葬送の専門業者が、それまで血縁者や地縁者が受
け持っていた葬儀に関わる準備などを代行するようになった。かつての野辺送り
という葬送が、霊柩車で火葬場に運ばれるというように変化していった。つまり
地域が共同体としての機能をしだいに失い、地縁が希薄になっていったことが変
化を進めていった要因になっている。それにともない、民俗語彙における伝統的
語 形「 ノ ベ オ ク リ 」
「ミオクリ」
「オクリ」
「ソーレン」
「サンマイ」
「ハカワラ」
「ハ
カンド」などのことばも葬送形態の変化により衰退の一途を辿っている。
墓 制 に つ い て も 、同 様 な こ と が い え る 。か つ て 、日 本 の 習 俗 で あ っ た「 両 墓 制 」
は減少しているのは事実である。さらに、単墓制の地域が増えていることも起因
して、
「ハカ」
「ハカバ」
「 ハ カ チ 」と い う 呼 び 方 が 一 般 的 に な り つ つ あ る の か も し
れ な い 。 こ の 墓 制 の 変 化 と と も に 、 伝 統 的 形 式 で あ る 、「 サ ン マ イ 」「 サ ン マ 」 が
いずれは衰退の方向を辿ることは必須である。
以上の考察を踏まえて、瀬戸内海域の方言分布傾向を以下3点に絞って分類を
行う。
( 1 )『 瀬 戸 内 海 言 語 図 巻 』 時 の 地 理 的 分 布 の 領 域 が 拡 張 ・ 退 縮 す る も の
( 2 )『 瀬 戸 内 海 言 語 図 巻 』 時 の 地 理 的 分 布 の 領 域 が 拡 張 ・ 退 縮 し な い も の
(3)
『 瀬 戸 内 海 言 語 図 巻 』時 の 老 年 層 で み ら れ た 語 形 が 少 年 層 で は 消 え 約 50 年
経った今、使用の確認ができたもの
( 1 )『 瀬 戸 内 海 言 語 図 巻 』 時 の 地 理 的 分 布 の 領 域 が 拡 張 ・ 退 縮 す る も の
地理的分布の領域が拡張するものとして、5章で取り上げた「にわか雨」の共
通 語 形 で あ る 「 ニ ワ カ ア メ 」「 ト ー リ ア メ 」「 ユ ー ダ チ 」 と ソ バ エ 類 を 囲 む よ う に
使 用 が 拡 大 し て い た 。つ ま り 、共 通 語 形 の 領 域 は 拡 張 し て い る こ と が 認 め ら れ た 。
6 章 で 取 り 上 げ た 、文 末 詞「 ナ ー 」、第 9 章 で 取 り 上 げ た コ ピ ュ ラ 形 式「 ヤ 」の
分布は、瀬戸内海西部まで分布領域が拡張していた。関西系の言い方が瀬戸内海
東部のみならず、勢力を拡大し西進していることが確認できた。
第 11 章 で 取 り 上 げ た 「 じ ゃ が い も 」 は 、 LAS 時 に み ら れ た 音 声 変 化 形 の 「 ジ
186
ャ カ イ モ 」 は 、「 ジ ャ ガ イ モ 」 と い う 共 通 語 形 に 変 化 し て い た 。
第 12 章 で 取 り 上 げ た「 け れ ど も 」
「 そ う だ け れ ど も 」を み る と 、LAS 時 で は 優
勢だった「ケンド」が退縮傾向にあり、瀬戸内海東部域では、次第に「ケド」に
移 行 し つ つ あ る 様 子 を 確 認 す る こ と が で き た 。 つ ま り 藤 原 ( 1976) が 指 摘 し た 、
ケ ン ド( ケ ー ド )は 、次 第 に 衰 退 し て い く と い う こ と が 実 証 さ れ た 。さ ら に 、GAJ
「ケド」の分布との比較することによって近畿中央部での「ケド」の分布が、し
だいに淡路島や小豆島にまで及んでいることが判明した。
( 2 )『 瀬 戸 内 海 言 語 図 巻 』 時 の 地 理 的 分 布 の 領 域 が 拡 張 ・ 退 縮 し な い も の
5章で取り上げた「にわか雨」の伝統的語形であるソバエ類は、依然として瀬
戸内海域で勢力を保ち分布していることから、退縮しないものといえるだろう。
6章で取り扱った文末詞「ノー」は、老年層図で広域に使用されており、一方
で少年層図では瀬戸内海中部中心の分布だったが、峪口調査においては、内海全
域で使用の確認ができ、つまり「ノー」の分布は、分布領域が退縮しないものと
いえよう。
7章で取り上げた原因・理由を表す接続助詞「から」は、サカイ、ケン・ケー
等 、LAS 調 査 で 瀬 戸 内 海 域 に お い て 広 範 囲 に 分 布 を 形 成 し て い た 諸 形 式 は 依 然 と
してその分布領域を保持しているといえる。
(3)
『 瀬 戸 内 海 言 語 図 巻 』時 の 老 年 層 で み ら れ た 語 形 が 少 年 層 で は 消 え 約 50 年
経った今、使用の確認ができたもの
第 10 章 で 取 り 上 げ た 文 末 詞「 ノ ー シ・ノ モ シ 」は 、約 50 年 前 少 年 だ っ た 人 た
ちは理解語として受容し、その土地で成長するにしたがって使用語と定着してい
ったことが判明した。
大 局 的 に は 、 約 50 年 と い う 歳 月 が 、 各 地 で 方 言 形 を 衰 退 さ せ て い る こ と は い
うまでもなく、年層語形がそのまま使用され続けられているか、かつての少年層
語形が定着をみせているか、あるいは老年層で使用されていた語形が少年層では
消え、峪口調査で新たに使用の確認できたことなど、言語変化が著しく、かつそ
の方言変容の動きが地域、項目によって一律ではない傾向を空間的に把握するこ
とができた。
さらに、近畿中央部を中心に新たに発生したとみられる形式が瀬戸内海を西進
していく状況を捉えることができた。つまり、関西中央語が瀬戸内海諸方言に影
響を与え、徐々に伝播と拡散を繰り返していったと考えられる。これもまた、本
187
論文の言語地理学的観点からの比較を行うことで得ることができた知見である。
2.今後への提起
本 稿 で 取 り 上 げ て き た 、 GIS を 活 用 し た 方 言 研 究 は 、 言 語 地 理 学 の 目 的 を あ ら
ためて問い直すとともに、方言形成の原理そのものの追及や検討に立ち戻り、新
た な 方 向 に 向 け て の 再 出 発 を 促 す 契 機 に な る と 確 信 す る 。GIS の 空 間 解 析 で あ る 、
空間検索、点分布の分布傾向や拡散を把握するための標準偏差楕円、点分布の密
度をみるカーネル密度、点分布の使用割合をポリゴン単位で表示したメッシュ地
図 お よ び R を 援 用 し た 可 視 化 技 術 な ど 、新 た な 手 法 を 用 い た 事 例 研 究 は 、言 語 地
理学にとって初の試みであるといって過言ではない。また、従来の言語地図では
地点で表され、分布図をよむには、地理的解釈や国語史の知見を組み合わせて、
言 語 事 象 の 解 釈 を 行 っ て き た 。 と こ ろ が 、 GIS に よ る 空 間 分 析 を 使 う こ と に よ り
多次元的な視点から言語伝播の状況を把握することができた。
し か し な が ら 、言 語 地 図 の GIS 分 析 を 進 め る う え で の 課 題 も 多 い 。そ の 一 つ に
言 語 地 図 作 成 の た め の GIS 環 境 が 十 分 に 整 っ て い な い 点 が 指 摘 で き よ う 。言 語 地
図 の GIS 分 析 に 際 し て は 、 紙 地 図 上 の 調 査 結 果 を 電 子 デ ー タ 化 す る 必 要 が あ り 、
紙地図上にプロットされているすべての方言データをもとに凡例を一つずつ拾い
ながらデジタル化しなければならない。研究者が個々にポイント・ライン・ポリ
ゴンデータを最初から作成する必要もあり、膨大な時間と労力が求められる。今
後 、言 語 地 図 を 用 い た GIS 分 析 が 進 展 し て い く た め に は 、言 語 地 理 学 に お け る こ
れまでの研究成果も活用しつつ、全国各地の方言に関わる基礎的な空間データを
整備しなければならない。
今 後 、 GIS を 活 用 し た 言 語 地 理 学 を 推 進 し て い く た め に は 、 以 下 の 3 点 が 重 要
な課題となろう。
( 1 )GIS を 活 用 し て 、通 説 と な っ て い る 方 言 理 論 の 再 検 討 を 迫 る 研 究 成 果 を あ
げること
(2)研究成果を社会に向けて発信し、人々の知的好奇心を刺激すること
( 3 )今 ま で の 言 語 地 理 学 で は な く 、地 理 情 報 科 学 ・ 空 間 情 報 科 学 と い う 新 し い
学問分野との融合の道を示すこと
以上の点をふまえ、今後、これまで集められてきた方言データをもとに作成さ
れた言語地図の電子化を進めるとともに、日本各地の言語調査を並行して進め、
日本語方言における言語変化がどのような軌跡を辿ってきたか、また言語変化の
188
変容プロセスを解明し、言語変容地域における共通語の普及過程や言語外地理情
報を軸にした分析手法を取り入れるなど、理論化・一般化のために、今後、広く
様々な事例を統合して検討していかなければならない。
189
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( 文 末 詞 )の 研 究 に つ い て 」
『方言研究年報』
第一巻
広島大学方言研究会
藤 原 与 一 ( 1962)「 方 言 地 理 学 の 方 法 」『 方 言 学 概 説 』 武 蔵 野 書 院
藤 原 与 一 ( 1972)「 方 言 文 末 詞 ( 文 末 助 詞 ) の 研 究 」 広 島 大 学 文 学 部 紀 要
特輯
号2
藤 原 与 一 (1974)『 瀬 戸 内 海 言 語 図 巻 』 上 ・ 下 巻 東 京 大 学 出 版 会
藤 原 与 一 ( 1976)『 昭 和 日 本 語 の 方 言 第 三 巻 瀬 戸 内 海 三 要 地 方 言 』 三 弥 井 書 店
藤 原 与 一 (1976)『 瀬 戸 内 海 域 方 言 の 方 言 地 理 学 的 研 究 ―『 瀬 戸 内 海 言 語 図 巻 』
付 録 説 明 書 ―』 東 京 大 学 出 版 会
藤 原 与 一 (1982)『 昭 和 日 本 語 方 言 の 総 合 的 研 究 第 三 巻 方 言 文 末 詞 < 文 末 助 詞 >
の 研 究 ( 上 )』 春 陽 堂 書 店
藤 原 与 一 (1985)『 昭 和 日 本 語 方 言 の 総 合 的 研 究 第 三 巻 方 言 文 末 詞 < 文 末 助 詞 >
の 研 究 ( 中 )』 春 陽 堂 書 店
藤原与一
(1986)『 昭 和 日 本 語 方 言 の 総 合 的 研 究 第 三 巻 方 言 文 末 詞 < 文 末 助 詞
> の 研 究 ( 下 )』 春 陽 堂 書 店
藤 原 与 一 (1988) 『 瀬 戸 内 海 方 言 辞 典 』 東 京 堂 出 版
藤 原 与 一 ( 1990)『 文 末 詞 の 言 語 学 』 三 弥 井 書 店
藤 原 与 一 ( 1990)『 中 国 四 国 近 畿 九 州 方 言 状 態 の 方 言 地 理 学 的 研 究 』 和 泉 書 院
藤 原 与 一( 1996)『 日 本 語 方 言 辞 書 ―昭 和 ・ 平 成 の 生 活 語 ―< 上 巻 > 』東 京 堂 出 版
藤 原 与 一( 1996)『 日 本 語 方 言 辞 書 ―昭 和 ・ 平 成 の 生 活 語 ―< 中 巻 > 』東 京 堂 出 版
藤 原 与 一( 1997)『 日 本 語 方 言 辞 書 ―昭 和 ・ 平 成 の 生 活 語 ―< 下 巻 > 』東 京 堂 出 版
藤 原 与 一( 1999)「 瀬 戸 内 海 圏 環 境 言 語 学 志 向 」『 瀬 戸 内 海 圏 環 境 言 語 学 』武 蔵 野
書院
前 田 勇 ( 1964)『 近 世 上 方 語 辞 典 』 東 京 堂
牧 村 史 陽 編 ( 1989)『 大 阪 こ と ば 事 典 』 講 談 社 学 術 文 庫
馬 瀬 良 雄 ( 1977)『 方 言 周 圏 論 再 考 』『 言 語 生 活 』 312
町 博 光 ( 1979)「 第 9 章
方 言 伝 播 の 道 ( 1) - 海 路 と 川 路 の 場 合 - 」『 日 本 語 方
言学-その課題と方法-』東京堂出版
196
町 博 光( 1999)
「 中 国 山 地 域 方 言 の 動 態 ~『 瀬 戸 内 海 言 語 図 巻 』と の 比 較 か ら ~ 」
『瀬戸内海圏環境言語学』武蔵野書院
町 博 光 ( 2002)「 瀬 戸 内 海 域 方 言 の 動 態 : 『 瀬 戸 内 海 言 語 図 巻 』 の 追 跡 調 査 に よ
る 」『 瀬 戸 内 海 に 関 す る 研 究 : 創 立 15 周 年 記 念 事 業 』 福 武 学 術 文 化 振 興 財
馬 瀬 良 雄 ( 1992)『 言 語 地 理 学 的 研 究 』 桜 楓 社
松 丸 真 大 ( 2003)「 社 会 言 語 学 に お け る GIS ア プ リ ケ ー シ ョ ン の 活 用 と 評 価 -
ArcView を 用 い た 言 語 変 化 研 究 の 試 み - 」『 人 文 科 学 と GIS』 富 山 大 学 人 文
学 部 GIS 研 究 会
村 山 祐 司 ほ か ( 2009)『 生 活 ・ 文 化 の た め の GIS』 朝 倉 書 店
室 山 敏 昭 ・ 藤 原 与 一 編 ( 1999)『 瀬 戸 内 海 圏 環 境 言 語 学 』 武 蔵 野 書 院
室 山 敏 昭 ( 1977)「 愛 媛 県 温 泉 郡 中 島 町 大 浦 の 方 言 - 『 瀬 戸 内 海 言 語 図 巻 』 の 25
年 後 追 跡 調 査 - 」『 内 海 文 化 研 究 紀 要 』 第 5 号
室 山 敏 昭( 1999)
「 瀬 戸 内 の 一 島 嶼 に お け る 生 活 語 彙 と 環 境 ─環 境 言 語 学 の 一 つ の
試 み ─」『 瀬 戸 内 海 圏 環 境 言 語 学 』 武 蔵 野 書 院
室 山 敏 昭 ・ 藤 原 与 一 編 ( 1990)『 瀬 戸 内 海 圏 環 境 言 語 学 』 武 蔵 野 書 院
柳 田 國 男 ( 1946)『 毎 日 の 言 葉 』 創 元 社 。 な お 、 参 考 資 料 と し て 『 柳 田 國 男 全 集
第 十 九 巻 』 (1969)筑 摩 書 房 に 再 録 分 を 利 用
柳 田 國 男 ( 1969)「 先 祖 の 話 」『 定 本 柳 田 國 男 集 』 第 10 巻 、 筑 摩 書 房
柳 田 国 男 ( 1980)『 蝸 牛 考 』 岩 波 文 庫
柳 田 國 男 ( 1990) 初 刊 一 九 二 七 「 雷 神 信 仰 の 変 遷 」『 柳 田 國 男 全 集 11』 筑 摩 書 房
柳 田 征 司 ( 1977)「 原 因 ・ 理 由 を 表 わ す 『 ~ サ ニ 』 の 成 立 と 衰 退 - 『 史 記 抄 』 を
資 料 と し て - 」『 近 代 語 研 究 』 第 五 集
武蔵野書院
脇 田 順 一 ( 1975)『 讃 岐 方 言 の 研 究 』 図 書 刊 行 会
和 田 實 ・ 鎌 田 良 二 編 ( 1992)『 ひ ょ う ご の 方 言 ・ 俚 言 』 神 戸 新 聞 総 合 出 版 セ ン タ
Bailey, Guy. Real and Apparent Time, J.K. Chambers, Peter Trudgill, and
Natalie Schilling-Estes (eds.), The Handbook of Language Variation and
Change. 312-332. 2002. Blackwell.
Chambers.J.K.(2002)
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including
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Chambers, Peter Trudgill, and Natalie Schilling-Estes (eds.), The
Handbook of Language Variation and Change. 358-361. 2002. Blackwell.
Giles , H.,&Powesland,P.F. (1975) Speech style and social evaluation.
London:Academic Press.
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Space: An International Handbook of Linguistic Variation: Language
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参 考 URL
西 沢 一 鳳 ( 1883)『 皇 都 午 睡 』 甫 喜 山 景 雄 (「 近 代 デ ジ タ ル ラ イ ブ ラ リ ー 」 提 供 )
国立国会図書館公開
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/763829/9 ( 閲
覧 : 2015.01.19)
198
既発表論文との関係
第3章
LAS の電子データ化の試み
峪口有香子・岸江信介(2013)
「
『瀬戸内海言語図巻』の電子データ化の試み : 瀬戸内海
域における方言通信調査による電子データとの実時間上の比較」2013 年度日本語学会
中国四国支部大会研究発表配布資料
第4章
空間検索・標準偏差楕円による言語分析
-「さつまいも」を事例として-
峪口有香子・岸江信介(2013)
「淡路島の方言語彙に関する研究-じゃがいも・さつまい
も・さといも-」
『徳島大学言語文化研究』(21)徳島大学総合科学部
第5章
標準偏差楕円による言語分析-「にわか雨」を事例として-
峪口有香子(2014)
「讃岐方言のにわか雨・雷の方言」
『香川の民俗』
(76)香川民俗学会
峪口有香子・平井松午(2014)
「淡路島方言の実時間上の言語変化―『瀬戸内海言語図巻』
との比較を通じて―」
『徳島大学人間社会文化研究』(22) 徳島大学総合科学部
第6章
カーネル密度による言語分析-文末詞「ナー」
「ノー」を事例として-
峪口有香子(2014)
「瀬戸内海域における言語変化―『瀬戸内海言語図巻』との比較を通
じて―」
『徳島大学国語国文学』
(27)徳島大学国語国文学会
第7章
標準偏差楕円・メッシュ地図による言語分析
-接続助詞「から」を事例として-
峪口有香子(2013)
「GIS による言語地理学的研究-瀬戸内海沿岸における方言調査を事
例に-」
『国立国語研究所時空間変異研究系合同研究発表会 JLVC2013 予稿集』国立国
語研究所時空間変異研究系
峪口有香子・平井松午(2014)
「淡路島方言の実時間上の言語変化―『瀬戸内海言語図巻』
との比較を通じて―」
『徳島大学人間社会文化研究』(22)徳島大学総合科学部
峪口有香子(2015)
「解説」
『小豆島言語地図』科学研究費補助金(基盤研究 A)研究成
果報告書、2011 年-2015 年度「方言分布変化の詳細解明―変動実態の把握と理論の検
証・構築―」
(研究代表者:大西拓一郎)p31.
峪口有香子(2015)
「瀬戸内海地域における言語変化の動向―『瀬戸内海言語図巻』との
比較を通じて―」
『第 100 回日本方言研究会発表原稿集』日本方言研究会
199
第8章
WEB による言語地図の公開
峪口有香子(2015)
「統計解析言語 R による言語地図の可視化」『文理シナジー学会誌』
(20-2)文理シナジー学会
第9章
瀬戸内海地域における言語変化-「コピュラ形式」を事例として-
峪口有香子・岸江信介(2015)
「瀬戸内海地域における言語変化-小豆島をフィールドと
して-」
『国立国語研究所時空間変異研究系合同研究発表会 JLVC2015 予稿集』国立国
語研究所時空間変異研究系
第 10 章
瀬戸内海地域における言語動態
-文末詞「ノーシ・ノモシ」「ゾイ」を事例として-
峪口有香子(2015)
「瀬戸内海方言の実時間上の言語変化-『瀬戸内海言語図巻』との比
較を通じて-」
『次世代人文社會研究』(11)日韓次世代学術 FORUM
第 11 章
淡路島における言語動態
-「じゃがいも」「さといも」を事例として-
峪口有香子・岸江信介(2013)
「淡路島の方言語彙に関する研究-じゃがいも・さつまい
も・さといも-」
『徳島大学言語文化研究』(21)徳島大学総合科学部
第 12 章
逆接の接続助詞について
-「けれども」「そうだけれども」を事例として-
峪口有香子(2013)
「淡路島における逆接の接続助詞について」岸江信介・村田真実・峪
口有香子・曽我部千穂・森岡裕介・林琳編『淡路島言語地図』徳島大学日本語学研究
室
峪口有香子(2015)
「解説」
『小豆島言語地図』科学研究費補助金(基盤研究 A)研究成
果報告書、2011 年-2015 年度「方言分布変化の詳細解明―変動実態の把握と理論の検
証・構築―」
(研究代表者:大西拓一郎)pp.33.36
第 13 章
小豆島における民俗語彙
-「神輿」「葬式」「埋葬地」「墓制」を事例として-
峪口有香子(2015)
「解説」
『小豆島言語地図』科学研究費補助金(基盤研究 A)研究成
果報告書、2011 年-2015 年度「方言分布変化の詳細解明―変動実態の把握と理論の検
証・構築―」
(研究代表者:大西拓一郎)pp. 152-155
※第1章・第2章・第 14 章については、新たに書き下ろした。
200
本研究を遂行し学位論文をまとめるにあたり、始終暖かい激励とご指導、ご鞭撻を頂い
た岸江信介教授に心より感謝申し上げます。時に応じて、厳しくご指導いただいたこと、
またやさしく励ましてくださったことを通して、私自身の至らなさを実感することができ
たことは今後の努力の糧になるものであります。学位論文審査において、貴重なご指導と
ご助言を頂いた、平井松午教授、髙橋晋一教授に心より感謝申し上げます。
最後に、本研究を進めるにあたり、日本学術振興会科学研究費補助金(特別研究員奨励
費、研究課題番号:13J08268)
「GIS による言語地理学研究-瀬戸内海地域をフィールド
として-」の援助を受けましたことに対し、深く感謝の意を表して謝辞と致します。
201