サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅 Part1 旅の荷物について http://www.tsukubamon.jp/oldcolumn/index.html 今回は、2年(2006,2007)かけてスペインの北 900 キロにわたるサンチャゴ巡礼道(別名カミーノ・フ ランセス:フランスの道)を歩くことにしました。 Part2 成田〜ロンセヴァジェス 2006 年 5 月 29 日(月) 21:56 成田発。翌日 4:14 シャルルドゴール着で私たちの巡礼の旅は始まります。巡礼者の印である 帆立貝を背中につけて! JAL のパリ行きはエアーフランスの機材で行くので、チェックインは エアーフランスだったのに、うっかりしていた私は何も考えずに第2 ターミナルへ。東京在住の AY さんと空港での待ち合わせなのだが、 時間になっても一向に来ない。AY さんは早く来ていることはあって も遅れる人ではない。サービスカウンターで呼び出しを依頼してエア ーフランスは第1ターミナルであることが判明!慌てて空港内バス で第2ターミナルへ。旅のはじめからとんだ失敗をしてしまった。飛 行機は何事も無くパリへ到着。 機内でかねて見たかった「明日の記憶」を観る。医者役の及川光博の 台詞に「人の細胞は 60 兆、人は死ぬまでにいくつの細胞を使うのか?」考え深い意見である。私は大 分細胞を溜めているようである。 5 月 30 日(火) シャルルドゴール空港〜Saint Jean Pied DE Port 17,037 歩 4:14 予定通り到着。早朝の空港はひっそりしている。案内板に従って広い空港内を進む。 フランスの新幹線 TGV、モンパルナス行き 7:15 発に乗車の予定。ところがメトロの乗車券を購入する のに窓口が 6 時にならないと開かないという。自動販売機はクレジットカードかコインだけ。手持ちの カードがどれもエラーが出てしまう。3 人分のチケットが 24 ユーロ。紙幣はあるがそんなにコインが 無い。3 人の手持ちのコインを集めても足りず、近くにホテルシェラトンがあったので両替をお願いす るも 10 ユーロだけしかないという。すれ違う人に尋ねてもだめだった。それではと自動販売機数台に 再度 Cr.カードで挑戦。メトロに 6 時前には乗りたいのだ。仕方が無いタクシーを使おう!階段を駆 け上がる。ところがタクシーも 6 時からという。でもタクシーなら 6 時でも間に合うだろう。 モンパルナスに発車 30 分前に到着する。今回フランス&スペインのユーレイルパスを使用。乗車前の 駅での受付はスムーズに終了。やれやれ、昨夜の成田といい、今回の旅はどうも飛行場で手間取るよう だ。これから約 5 時間の列車の旅です。 列車に乗り込むと、最近私のブームになっている「数独」がおいてある。日本生まれのこのパズルがヨ ーロッパでブレイクしているようです。スペインでもキオスクで売られていました。 バイヨンヌ(Bayonne)は大西洋岸、スペイン国境に程近い比較的大きな街です。港町として栄え、カカ オの輸入地点であったためチョコレートが有名です。またピレネー山脈で育つ豚を使った生ハム Jambon も有名です。スペインにはチョコレートが有名なところが多いようです。 バイヨンヌで一息ついたあと、1 時間ほど汽車に揺られて目的の地サンジャンに到着。道を探すことは 無かった。多くの巡礼者がこの駅で降りた。私たちは同じようなリュックを背負った人々についていけ ばよかった。受け付けは混んでいました。ボランテイアの方々はあまり英語が得意ではなかった。きっ 1 200605-サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅.docx 2015-01-13 サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅 と心の内は「どうかフランス語を話す巡礼者でありますように!」しかもその英語さえ定かでない私た ち日本人 3 人の担当になるなんて・・・・ バイヨンヌ経由でサンジャンには 13:26 に到着予定でしたが、途中汽車が 15 分くらいストップしまし ました。動き出してホッとしました。フランス語オンリーの車内アナウンスでは何が原因か解りません。 乗り換えの時間があまり無いので心配していました。バイヨンヌに到着した時はサンジャン行きの電車 はすでに出た後だったので、3 時間待つことになりました。バイヨンヌは通過だけの予定でしたが、お かげでこの町を散歩することができました。 やっと私達の番です。私たちを受け付けてくれたのはやさしそうな女性でした。 日本人は珍しいようで、漢字のサインが大受けでした。これから巡礼者である私たちに大切なクレデン シャル(巡礼者証明書)と日本語解説付の一日目の地図を手に入れ手続きが完了。宿や諸々の説明は私た ちの前に手続きが終わった若い女性に聞くようにと、ちょっと逃げ腰です。何しろ後ろにまだ巡礼者が 控えていますから。私たちは彼女がてっきりスタッフだと思い込み、宿についてから彼女がアイルラン ドのマーガレットという名前で同じ巡礼者であることが解りました。彼女は多分 20 代半ばで、翌日 1 時間位一緒に歩きましたが、とても同じペースでは歩けなくて距離が離れてしまいました。 宿に到着後 8 人部屋に案内されました。なんと 4 つの 2 段ベッドの 8 人部屋。2 人は男性でした。 下調べでは解っていた積りですが、やはり現実に男女同室というのは、一つ目のカルチャーショックで した。若い時ではきっと逃げ出していたかも知れませんが、お互いおじさんおばさんですから気持ちの 切り替えは早いものです。巡礼宿(アルベルゲ)も全部ではありませんが大方ボランティアの方々のお力 で成り立っています。お世話してくださる方をホスピターレといいます。camino de Santiago を全部 歩いた方で無いとお手伝いはできません。ベッドも決まりサンジャンを散策です。巡礼のスタート地点 ということで私はのどかで何も無い村だと決め込んでいました。確かにのどかで美しい村ですが何も無 い村ではなかった。お土産屋さんやレストランなどあって活気ある村でした。 5 月 31 日 Saint Jean Pied DE Port 〜Roncesvalles 46,228 歩(しっかり 27176 ) 24.9k 巡礼スタートです。5 時起床、まだ真っ暗です。まだ寝ている人、支度を始めた人それぞれです。 ベッドの上で手持ちのライトで自分の荷物を確認して、部屋をそっと出ます。同室のドイツの男性はす ぐに出発するようです。帽子に小さなバラの花がさしてあります。奥様の代わりだそうです。無口でち ょっと怖そうだったのですが、朝の支度も実に静かでスマートな方でした。ピレネー越えのこの日、彼 が早朝に出発した訳はロンセヴァジェスに到着後納得です。 昨夜買い求めておいたトマト、ハム、ヨ−グルトと、用意されたパンとコーヒーで 6 時から朝食です。 私達が出発するころ食事をする巡礼者とオ−ナ−がキッチンに集まっていました。実に陽気な方々です。 彼らは私達よりも健脚で直ぐに私たちを追い越すことでしょう。 この一年、巡礼という言葉が口から出ていたが、本当のことは何も解らなかった。日本人の巡礼者だけ でも一年に 10 万人が歩くといわれています。黛まどか著「星の旅人」、米山智美著「巡礼の道」、中谷 月子著「サンティアゴ巡礼へ行こう!―歩いて楽しむスペイン」など沢山の本も読みました。インターネ ットのブログや HP も読み漁りました。 結局出発前、 全てを白紙に戻し歩き始めようと思ったのでした。 そして、今ここから発とうとしている私がいます。信じられない!歩き始めた!今回 3 週間という期間 が私に与えられました。行けるところまで行こう!出来たらレオンまで!つかめない何かを抱えて、と にかく進まなくてはと思いました。今回の一番の難所といわれているピレネー越えです。真っ青な空、 何よりのお天気です。ついていると思いました。 歩き始めの写真で、前の 2 人は今回の仲間、後ろの青い重そうな荷物を背負っているのが、昨夜同宿し たイタリアから来た Anna です。彼女は「私はあまり強くないからゆっくり歩くの、今年いっぱいに歩 き終わればいいの」といっていました。それにしてもこの荷物すごいですね。そして、5 キロ地点の HONTO に泊まりました。ここでお別れしました。Anna は今頃どうしているのか? 2 200605-サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅.docx 2015-01-13 サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅 実は前日 TGV が遅れなくて時間通りにサンジャンに到着していれば私たちは 5 キロ歩いてここに泊ま る予定でした。後でわかった話しですが、ここから本日の目的地ロンセヴァジェスまで 10 ユーロで荷 物を運んでくれるシステムがあったそうです。 9 キロ地点オリジョンのアルベルゲで休憩です。手作りのケーキとコーヒーで一息つきます。お天気に 恵まれすばらしい景色の連続に感嘆するばかりでした。ここで思いもよらず日本語が聞こえてきました。 それはカナダ大使館に勤務するスージ達のグループです。スージは妹さん、娘さん、仕事の同僚の 4 人 でした。その後も彼女たちと何度も出会い情報を交換しあいました。彼女は 5 年ほど日本で勤務したそ うです。現在はタイのバンコック勤務だそうです。なかなか流暢な日本語です。日本語で会話は嬉しい ものです。 ここまでは、景色を楽しみ背中の荷物も気になりませんでしたが、お昼近くなり、自分たちの判断の甘 さに気がつきます。これからが本格的なピレネー越えなのですが、何故かこの先でサンドイッチか何か を調達できると思い込んでいました。 どこまでも単調な上り坂を歩くうちにすっかり飽きてきました。周りを見ると私達 3 人だけです。間違 ってないだろうか?不安が一瞬心をよぎります。風がだんだん強くなってきました。周りは岩や石ばか り、それに風除けが転々としてきます。さすがに吹く風は冷たく「お天気が良かったのでこれくらいだ けどこれが雨や雪だったら・・」と 3 人は晴天であったことに感謝でした。 巡礼者の姿が見え始めました。風除けで食事を摂っています。私たちはとにかくほたての印しや黄色い 矢印を目指して歩くより仕方ありません。上りが落ち着いた頃、私たちも手持ちの食べ物を出し合い空 腹を凌ぎました。 私達の後姿が余程空腹を抱えて歩いているように見えたのでしょう。自転車のフランス紳士が「お昼は 終わったのかい?」と後ろから声をかけてきました。巡礼は歩くだけでなく自転車、ロバでもいいので す。疲れきったおばさん 3 人のお昼は、終わったようなものです。「イエス!」紳士は「それではこれ を食べると元気が出るよ」と木の実の砂糖煮を差し出しくれました。実の名前は解りませんし写真もあ りません。私たちは夢中でいただきました。美味しかったこと!生き返りました。 もう直ぐ、イバニエタ峠です。そこまで行けば今日の到着地までは直ぐです。元気を頂いて歩き出した 私達でしたが、迷いそうな地点で先ほどのフランス紳士がいるではありませんか!彼は何者?疲れきっ た体には何も考えずに行き先が解ることは本当にありがたいことです。お礼のキッスでもしたい気分で したが相手が望んでいないようなので差し控えました(爆笑)。再び彼にお礼を言って私たちは進みまし た。イバニエタ峠を下ったところに修復された「ローランの碑」が。 そこに再びフランス紳士!私達が無事ここに辿り着いたのを見届けて、月光仮面のごとく去っていきま した(*^^*)。いよいよスペインに入りました。今夜のアルベルゲである修道院に向かって森の中を歩き ます。教会の先端が見えるもののなかなか辿り着きません。 巨大な修道院に到着した時は、 もうくたくたでした。 あのドイツの紳士が 5 時に出発したのは正解です。 私達もこれからの出発は早く出ることです。 受付でクレデンシャルと 5 ユーロを支払います。アルベルゲは原則的には無料でお礼の気持ちで寄付を していくところもありますが、大体の所では 3〜8 ユーロです。 この修道院は 100 人以上巡礼者が泊まれる鉄パイプの 2 段ベッドが並んでいました。それは壮大なもの でした。地下にはシャワー室、洗濯機、乾燥機、談話室がありました。 入ったとたん圧倒されましたが、直ぐに現実に戻り、指定されたベッドに寝袋を用意して、早速シャワ ーを浴びました。私のベッドの隣には、韓国の女の子がいました。Hae Yeon ちゃんといって、日本語 が話せます。お母様が日本の方とか。なるほど!2 泊目のアルベルゲで途方にくれている私達にいろい ろ教えてくれました。アメリカに留学していたとかで英語は日本語よりモットお上手でした。若く見え ましたが 25 歳だそうで「ひとりで巡礼をしていて親御さんはご心配ではない?」との質問に「私はも う 25 歳ですよ(^-^)」そうでしたね。 わが子でも中学卒業以後あまり手をかけなかった私としたことが、ありきたりなことを聞いたものです (汗)。とにかく私たちは空腹でした。巡礼メニューというのがこの巡礼の道々には用意されています。 3 200605-サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅.docx 2015-01-13 サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅 前菜・メイン・デザートそれにワインか水を選択できて 8 ユーロが相場です。 イエンちゃんに教えられてレストランに。7 時の巡礼メニューを予約しました。 今夜はペンネ、マスのムニエルとフレンチポテト、ヨーグルト、赤ワインでした。 日ごろまったくアルコールを嗜まない私ですが旅に出た時はワインを頂きます。 仲間の H さんはビール党です。 ほとんどアルコールには弱い Y さんはこの巡礼ですっかりセルベッサ(ビ ール)のファンになってしまって、帰国後はご主人様のお相手が出来るようになったとか???? やっと私達の空腹も治まり 10 時の消灯に寝袋に入ると、夜は無かったのかしら?と思うくらい 5 時ま で爆睡でした。かくして巡礼歩きの一日目は終わりました 。(_ _)Zzzzzzzzzzzz Part 3 ロンセヴァジェス 〜パンプロ−ナ 6 月1日(木)ロンセヴァジェス〜ズビリ 41,603 歩(しっかり 33,946 歩)21.8K 5 時に目が覚める。まだほとんどの人々が寝ている。巡礼 2 日目の私は寝袋が上手く袋に入れられない ので、支度に手間取る。地下の大きなテーブルでゆっくりたたもうと、荷物を抱えて移動する。皆が起 きだす前に広い場所でゆっくり荷物を整理することが出来た。昨日はピレネー越えで疲れているだろう からもう少し2人は寝かせておこう!それに 2 人は支度が手早いので大丈夫だろう!H の話だと 6 時に 明かりがつき♪ハレルヤ♪の賛美歌で起こされたそうだ。私も聞きたかったな(^-^) 大きなテーブルで朝食を多くの人がとり始める。みんな用意が良い。私たちは 7 時に出発する。アルベ ルゲを出ると直ぐ右手に遊歩道があり森林浴を楽しみながら歩く。3 キロ地点がブルゲーテである。こ こにはヘミングウェイが逗留したというホテル ブルゲーテがある。昨日もう少し早く到着していれば、 ホテル ブルゲーテに私たちも宿泊したかったし、それがだめなら朝食だけでもと思っていた。生憎ホ テルはまだ閉まっていてどちらも願いはかなわなかった。せめてホテルの写真でもとパチリ! 直ぐ側の Bar でサンドイッチ、コーヒーとオレンジで朝食を摂る。Bar は巡礼者で混雑する。すでに顔 なじみの顔がチラホラ、お互い挨拶を交わしながらも、まだぎこちない。 サンジャンでいろいろ教えてもらったマーガレットに出会う。若い彼女にはすでに数人の親衛隊が着い ていて、早々に出発していった。足の速い彼女達にはそれ以来会うことは無かった。 少し歩いたところで、パンを焼く良い匂いに誘われて本日の昼食を調達。昨日昼食を持たずに歩いた教 訓である。私たちはサンドイッチを購入したが、居合わせた若者たちはフランスパンを一本買い込みリ ュックに背負う。私には、その姿がヨーロッパ的でかっこよく見えました。 牛がいっぱいの牧場を通り抜けると Irotz というかわいい町に入ります。ここですれ違う人がみな同じ パンを抱えて歩いています。通りすがりのおじちゃんに声をかけると、"一本あげようか?"と言われま した。皆気のよい方々です。せっかくの朝食を頂いては申し訳ないし、既に昼食調達済みの私達は、お 心だけを頂きました。 そのパン屋さんを見つけましたが、普通の家で、看板も何もありません。町中の人がそのパンを愛して いて、看板など無用なのでしょう。 私たちは矢印に導かれながら町を離れ、林の道を歩き始めました。細い上り坂に未だ慣れない背中の荷 物がズシリと感じられる。時々目にする手作りの矢印-巡礼者が作ったのでしょうか?-に何故か気持ち が癒されます。途中、林の中で、調達したサンドイッチの昼食を摂っていると、カナダ組がやってきま した。スージは今夜ララソ−ニャ(Larrasona)まで行くつもりだとのこと。彼女たちは元気だ! "ブエン・カミーノ Buen Camino"。これは巡礼者に送られるエールのようなもので、巡礼者同士又巡礼 者以外の方々からの励ましの言葉となる。Camino=道の意味。途中農作業中のおじちゃんはスペイン 語で"Buen viaje"「良い旅を!」と励ましてくださった。カナダ組とエールを交換し合い彼女らは先を 急いだ。Mezkiritz と Erro、2 つの峠を越え、ズビリ(Zubiri)に到着。ララソーニャはここから約 5.6 キロ先です。私たちは、ここで宿を取ることしました。 4 200605-サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅.docx 2015-01-13 サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅 巡礼の道から右へそれた方向にアルベルゲがあります。最初の宿が見えてホットしたのもつかの間、既 に満員でした。更に 1 キロ弱先のアルベルゲへ。ベッドは空いているようですがホスピターレは夕方に ならないと来ないという。手続きは後回しにして、とにかく自分たちのベッドを確保です。 ここで私達は水のシャワーの洗礼を、3 日目にして受けたのです。これ以後アルベルゲの受付を待って いる時先達者に"Agua caliente ?"シャワーはお湯?"と何度か尋ねたものでした。そして、終盤では泊ま れればシャワーがお湯、水の状態など問題ではなくなりました。男女同室から始まって、私達はどこで も生活できる人になって行きます。巡礼宿は、プライバシーやベッドメイキングなどはありませんが、 料金が安く大抵は洗濯場があって干す場所もあります。男女関係無く、到着後殆どの巡礼者はシャワー を浴び洗濯をします。 巡礼宿によって違いはありますが、3 ユーロで洗濯機やドライヤを借りることが出来ます。一人で 3 ユ ーロ(約 450 円)は贅沢ですが、私達は 3 人でしたので一緒に洗濯をして楽をさせてもらいました。 因みにここには洗濯機はありませんでした。 夕食後、巡礼宿の庭先で、仲間の Y がドイツの女性から指圧を受けました。重い荷物を背負った私達の 背中や肩は悲鳴を上げていました。私も得意のストレッチなどご披露。女性ばかり就寝までのひととき を、和やかな井戸端会議で過ごします。最後に私より少し上のお姉さんが「こうやって違う国の者同士 が心を通わせることが出来るのに何故戦争が続くのかしら」とポツリ!女同士の話は多岐にわたります。 お互いの顔が見えなくなり就寝! 6 月 2 日(金) ズビリ〜パンプロ−ナ 40,405 歩(30,660)20.8K 6:30am 出発。朝食はララソーニャで食べることにしました。ララソ−ニャまでは山道でした。カフェは 巡礼道からかなり外れます。カフェを探す途中でアルベルゲを見つけます。クレデンシャルでスタンプ を押して先へ進むと、ペンション兼カフェがありました。なんとカナダ組が先に朝食を食べていました。 ス−ジとは日本語で会話が出来るのでホットします。このペンションには、日本ひいきの親父さんがい るはずです。朝食を摂りその親父さんにランチを用意していただき先を急ぎます。 再び山道を歩きます。続いて砕石工場地帯と続き、農家の軒先の水のみ場で休憩。途中、馬の親子に道 を塞がれ一時立ち往生してしまいました。子馬連れの母馬の後ろを通過するのは危険です。 そこへ昨夜同宿のフランスの女性がパンを投げ、馬が其方に気を取られている隙に、私達も無事通過で きました。川辺でのランチの後は車道を歩くことも多かった。道路が作られ巡礼の道も寸断され(多分) 道や公園が整備されたのだろう。 延々と公園内を歩き、出口らしきところへ到着したのが既に 5 時ごろ。 気がつくとここがパンプローナの入口であった。 町の中心の巡礼宿を予定していたが、新しく出来たらしいアルベルゲの標識を目にする。 この時間で小さな巡礼宿に部屋があるのだろうか?町のアルベルゲまでどれほどかかるか解らない。 どちらにしてもパンプローナは大きな町なので最悪の場合はホテルに泊まることも出来る。疲れきった 体を思い、近くにある新しいアルベルゲに向うことにする。当りだった\(^o^)/ ここは巡礼の道を踏破したドイツ人有志が交代で奉仕してくださっているアルベルゲであった。幸運に も部屋もあった、しかも私達 3 人個室である。 それに台所、洗濯機なども完備されている。台所にはクッキーや飲み物も用意されていて自由に使えた。 豚ちゃんの貯金箱が置いてあって洗濯機の使用も含めて私達はそれぞれ 2 ユーロを入れた。 私達の世話をしてくださるドイツ人ご夫婦は、昨日からこちらに滞在とのことで、2 週間の奉仕をして くださるそうです。 快適な私達の部屋には、最初赤いシャツを着たドイツ人がいたらしい。彼は私達女性 3 人が着たので空 けてくださいました。 小指を立てたしぐさ等々でおかまちゃんと命名しましたが、彼は祖国に奥様とお嬢さん2人がおられる 元教師 64 歳でした。楽しい彼はきっとおかまちゃん生活を多分エンジョイしていたのでしょう(笑)。 私達は彼と何度もアルベルゲで出会い何かと親切にして頂きました。 5 200605-サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅.docx 2015-01-13 サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅 毎晩私は爆睡ですが、この夜は特に仲間だけ 3 人の部屋で回りに気遣うことなく眠りにつきました。 Part4 パンプロナ〜ログローニョ 6 月3日(土) パンプロナ〜ウテルガ 16.6 キロ 37,921 歩(しっかり 23,402) あまりにも快適なこのアルベルゲにいつまでも滞在するわけにはいかない。私達は 先へ進まなくて は・・・ お世話になった夫妻にお別れをして出発しました。まだ旅は始まったばかりです。パンプロナは大きな 町です。まず城砦の中を通過して街中へ歩いていきます。 昨夜泊まる予定だった修道院のアルベルゲへ向かいます。せめてクレデンシャルにスタンプを頂ければ、 と門をたたきました。マリヤテレサのようなシスターが優しく迎え入れてくださいました。よくニュー スでも紹介されるサン・フェルミン祭の牛追いがスタートする市役所の前を通過します。 早くこの町を出なくてはと思うのですが、素敵な公園や大学と私たちを誘惑する建物が次々と現れます。 大学の Office ではスタンプがいただけるとあっては素通りするわけには行きません。やさしい職員の方 が、 「どうぞ中を見学なさってください、食堂でお茶でもどうぞ」f(^_^)“ムチョ・グラシアス”。 やっと町を出たのは、すでにお昼近くなっていました。ここからはどこまでも麦畑です。遠くには電力 発電の風車が見えます。風になびく麦畑はまるで WindowsXP の待ち受け画面のようです。歩けども歩 けども風車が近づいてくれません。 今日は土曜日。明るい親子連れもハイキングです。いまどきのママも、日陰に入ると子供に上着を着せ 水分補給に気を使います。なかなか良い美人ママたちでした。 まだか?まだか?のぼりの連続です。風車に向かって歩き続けました。やっとペルドン峠に到着です。 ポスターで見るペルドン峠、何処にあるのだろう?見落とさないようにしなくてはと思っていました。 巡礼の道をちゃんと歩けば見落とすことはありません。上りが終わると下りです。私たちは天気に恵ま れたことに感謝するばかりでした。石だらけの急な下りはかなり厳しいものでした。 パンプロナでお昼まで過ごした私たちは、予定のプエンテ・ラ・レイナまでたどり着かず、ウテルガに 到着した時は既に 4 時半となっていた。レストランがアルベルゲも経営している。1 泊 10 ユーロはち ょっと高かったが、無理をしても仕方ないのでそこで泊まることにした。10 ユーロの価値はあった。2 段ベッドであったが部屋は男女別、シャワーも洗濯も熱いお湯が出た。ペルドン峠で先を行く若い女性 が違う道へ行ったので心配していたが、途中で気がつき戻ってきて私たちに追いついた。ドイツから来 た彼女(スザンナ)と途中まで何かと縁があった。スタイルが良くて美人だが、しゃべると「ガハハ」と 豪快に笑うお嬢さんだった。 6 月 4 日(日) ウテルガ 〜 アジェグイ Ayequi 30.8 キロ 52,769 歩(しっかり 43,351) ウルテガを早朝に出発。 6.9 キロを下り Puente La Reina に到着する。フランスからのびる四つの巡 礼路は、フランスの道とアラゴンの道を経て、ここプエンテ・ラ・レイナで一つになる。町の入り口に は昔の巡礼者の姿のオブジェがシンボルのホタテを下げて立っている。 6 200605-サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅.docx 2015-01-13 サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅 11 世紀に架けられた王妃の橋がそのまま町の名前になっている。当時サンチャゴを目指して歩く巡礼者 達の為に王妃が私財をかけて造ってくれた橋である。中世から巡礼を見守ってくれた橋は今も健在であ る。ここからサンチャゴへは一本の道になる。 黄色い矢印に導かれながら、私達の右手を自動車がスピードを出しながら通り過ぎる。そろそろ昼食時、 ローマ時代の橋が残るシラウキの町に到着。お腹がペコペコなのに、レストランが見当たらない。持参 のもので昼を済ませ、山道へ再び歩き出す。途中さくらんぼがすずなりだ!神様からデザートのお恵み とばかり 3 人の乙女はさくらんぼ狩に、しばし興じる。 本日宿泊予定のヴィジャトウエルタへ到着するが予定の宿がない?閉鎖されたのか情報が間違ってい たのか?仕方なく 4.1 キロ先のエステイジャへ向かう。大麦畑を見ながらやっと到着!アルベルゲの前 には早く到着した顔なじみの巡礼仲間が笑顔で迎えてくれた。しかし、もう満杯とのこと(あ〜神様!) 次の 2 キロ先のアルベルゲを教えてくれるが心身ともに疲れきった私の頭には理解が難しい!とにかく 行くしかない!相当疲れている。2 キロの距離の感覚が麻痺している。数百 m 歩いただけなのにこの辺? と思ってしまう。夕涼みをしているおばちゃん達に「アルベルゲは何処ですか?」親切なおばちゃん達 は面々に“あっちだ!こっちだ!”と教えてくれるがやはり理解できない。そこへ巡礼者らしいイタリ アの父娘が通りかかる。 “先のアルベルゲに宿泊しているから一緒に“と、その声は神のお告げのように聞こえました。 彼らは夕食を食べにエステイジャへ来て、今から宿へ戻るとのこと。私たちに合わせてかなりゆっくり 歩いているのだろうが、アジェグイまでの2キロは辛かった。到着したのは 6 時を過ぎていた。でも宿 は大当たり。スポーツセンターをアルベルゲとして使っているようだった。中は明るくて清潔。ベッド もフラットで久しぶり。わたしたち3人は顔を合わせながら就寝についた。 サマータイムのヨーロッパは 10 時過ぎまで明るく 5 時 6 時は特に日差しが厳しい!従って夕方洗濯を しても就寝の頃には乾くので、沢山の荷物を持てない巡礼者にとってはありがたい。 6 月5日(月)アジェグイ Ayequi 〜ロスアルコス 19.2 キロ 32,829 歩(しっかり 28,948) アジェグイを出発してすぐに“ワインの泉”がある。下調べをしているときからここには是非立ち寄っ てみたかった。ボーディガス・イラーチェ社が巡礼者に、無料提供している赤ワインと水飲み場。蛇口 をひねれば、右から水・左からワインが出てくる。ここで昨夜の父娘に出会う。改めて感謝の気持ちを 述べる。母娘の旅人は良くある話であるが父と娘のコンビはなにやら嬉しくなります。 ロスアルコスまでは 20 キロ弱の行程。日陰もなく巡礼のコースでもとりわけ厳しい道として有名。途 中アスケータでもボランテイアさんがたっぷり水を入れくれた。確かに炎天下延々と続く道だが余りに 前評判がすごかったので覚悟ができていたせいか辛いとは感じられなかった。 ロスアルコスには 1 時半ごろに到着!初めて早い時間の到着である。天気に恵まれてこの日も暑く水の シャワーも気にならない。ベッドを確保してシャワー、洗濯後、町を散策して昼食をとる。 スペインではシエスタ(お昼寝の時間)をとる習慣がある。商店も銀行もお休みにな る。暑く、いつまでも明るいこの時期のシエスタはここでは生活の知恵なのだろう。 食後夕飯と明日の為に買い物をしたかったのだが、すべてシエスタ中であった。宿に 戻り本日の記録をとる。今回の巡礼で初めてのんびりとした時間であった。 本来なら早朝に出て 2 時ごろに到着する毎日のつもりだったのだが、現実はうまくい きません。 この巡礼は通しで歩くと平均 40 日位の日数を要する。私達は二回に分けて歩く。又 ツアーで気に入った区間をツアーで歩くグループもある。彼らは荷物を車で移動してもらいデイバック で歩く。ズビリで出会った理髪店を営むイタリア人の夫婦は、仕事があるので 1 週間と決め来年続きを 歩くのだ、といっていた。巡礼に決まりはなく、夫々が自分なりの巡礼をしている。そして何より陽気 で明るい!巡礼中争う声を全く聞かなかった。夕方に再び町に出て夕食と明日の食料を調達! 7 200605-サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅.docx 2015-01-13 サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅 6 月 6 日(火) ロスアルコス〜ログローニョ 27.9キロ 45,936 歩(しっかり 41,151) 昨日調達したパンとジュースの朝食で午前 6 時教会の鐘で出発。サンソル、トレスデスリオと順調に進 む。すでに顔なじみの巡礼仲間と“オラ”と声を掛け合いながら進む。ヴィアナまでは下り坂上り坂、 太陽はぐんぐん高くなり暑くなる。やっと 18.5 キロ地点まで予定通り 12 時に到着。バルで昼食。 昼食後はスザンナ達と合流。もちろん彼女たちは早い、足の長さ・若さには追いつけない。 少しだけお話をして、後はあっと今に先へ行ってしまった。とにかく暑い日だった。それでも良く 3 時 半に到着したものだ。本日のシャワーは水。洗濯機がある Luky! 夕食時イタリアのグループ、といってもそれぞれ別に行動しているが、 同じ国同士すぐにまとまり食材を買ってパーテイをしてしまう。堅実 だ!私達はバルへ行くことにする。ここログローニョはバルの町と聞 いていたので、バルのはしごをするのを楽しみにしていた。 今夜のアルベルゲには清潔なキッチンや食堂それにコンセントがたく さんある。カメラの充電が思いっきりできた。アルベルゲで出会う人 は皆良い人で、盗難の心配は全くないように思える。 それでも中にはそれを目的でもぐりこむやからがいるとのことで、用心するようにと、先輩から注意を 受けていた。日本の機器は優秀なので狙われやすいとか。幸い今回の旅の間は何事も起こらなかった。 Part5 ログローニョ〜 6 月 7 日(水) ログローニョ〜ナヘラ 29 キロ 53,939 歩(しっかり 47,557) ログローニョのアルベルゲを暗い内から出発。扉を出てハテ?どちらへ?前日しっかり方向を調べてお くべきだった。他の巡礼者と苦笑しながら頼りの道標を見つけ改めて出発。出発直後から夕べ知り合っ たイタリアのグループのお兄ちゃん。彼は柔道をやっている消防士さん。黒帯らしい! 9 月か 10 月には大会に参加する為に来日するとのことだったが、その頃私は超忙しくてコンタクトを とる時間が無かった。来たのかな〜?スパゲッテイを宿でご馳走してくれると言ったのだが、この頃か ら私達は何とかレオンまでたどり着きたくて先を急ぎ同じ宿になることは無かった。 リオはワインが有名で、葡萄畑と赤土の道が続く。ナバラッテで休憩を取り、サンアントン峠を乗り切 る。ナヘラのアルベルゲは大部屋で、ドイツ人のおかまちゃん他顔馴染みがすでに到着していた。“お 互いが無事に到着したことを喜び合い、オラ”の挨拶から始まり、何かと情報を交換し合う。国は違っ ても仲間意識が育っていく。今思うとレオンで帰国する時彼らと一緒にゴールできなかったことがとて も残念でならない。 6 月 8 日(木)ナヘラ〜グロニョン 27.5 キロ 47,557 歩(しっかり 42,465) 本日もナヘラを早朝に出発。シルエーニャまで麦畑とブドウ畑を見ながら、なだらかな上りを歩く。 サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダまでの 21 キロを昼までに歩き終える。暑さと空腹から小さな 公園で休憩。休憩を終えて歩き始めてサント・ドミンゴに到着しているのに気がつく “サント・ドミ ンゴでセルベッサ(ビール)だ”と言いながら暑さを乗り切ったのに!(;。;) 。 スタンプとトイレをお借りしようとアルベルゲに立ち寄ると、イタリアのお兄ちゃん達はシャワーを浴 びたばかりの様子で“オラ!”と声をかけられる“オ〜ラ”と私達の返事だった。 ※スペイン語「Hola」は、親しみを表すくだけたあいさつ表現です。「やあ、こんにちは!」と言った 感じ。 サント・ドミンゴに素敵な宿があり、歴史のある街なので逗留したい気持ちはあったが、なんとしても 今年レオンまでは歩きたいという気持ちがあったので、私達は後ろ髪を引かれながら更に進んだ。 それにグロニョンのアルベルゲは最高との書き込みもあったのだ。 グロニョンのアルゲルベは教会だった。夕食、朝食付で無料!もちろん寄付は受け付けるとのことで、 私達もそれぞれ 5 ユーロを寄付させていただいた。 8 200605-サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅.docx 2015-01-13 サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅 6 月 9 日(金)グロニョン〜オカ 27.8 キロ 42,383 歩(しっかり 35,689 歩) 心づくしの朝食を頂き、7 時前に教会を出発。4 人の若者に出会う。昨夜アルベルゲでボランテイアを していた青年達だった。彼らは神父さまの卵。ポーランドのフィリップ、ニコラス,USA のジョナサン、 フランスのオーガスティン。オーガスティンとは何度も出会うことになる。 そろそろお茶の時間にビジャマジョール・デル・リーオの国道沿いに見えたレストランがあった。 立ち寄ると、噂のイベリコハモンに喉がゴックン!アルベルゲの宿泊代前後の 6 ユーロ!ちょっと高 い!しかし、日本では、とてもこのお値段では食べられない“いただきま〜す” おいしいものを頂いて更に歩きます。途中コウノトリの巣を発見。スペインでは珍しくない光景だ。見 慣れない私達にとって初めて見た時は感激だった。住み着くコウノトリの巣は相当の重さになるようで 現地にとっては問題があるようです。 午後 4 時頃、到着間近、車の往来の激しい国道は恐怖だったが、ようやく宿にたどり着く。ベッドを確 保してシャワーと洗濯は巡礼の定番である。 この時、2 段ベッドの下にこだわる若い女性がいた。後で解ったことだが彼女 6 ヶ月の妊婦さん。今頃 元気な赤ちゃんが生まれていることだろう。 明日の朝と昼の食料の調達にバルへ出向く。ここではバルで食料が売られていた。まだ食料が到着して いないとのことでフランス組と待つことになった。彼らはその食材で夕食を作りパーテイが始まる。私 達もご相伴にあずかり、メールアドレスの交換。 6 月 10 日(土) オカ〜ブルゴス 41.4 キロ 61,913 歩(しっかり 58,112 歩) 今日は山越え(200m 以上の標高差)である。6 時に出発まだ外は真っ暗だった。前を行くおじちゃんがい て、これはラッキーとばかりついていくが、途中でストップ!道が無い、人が歩いた気配が無い。すぐ に引き返す。分かれ道まで戻るとフランス組に出会う。“先に出たのに?(笑)”朝焼けが美しい! 戻ってみると二股のところに X の文字。何事もお任せではいけないと反省!先人が残してくれた印を大 切にしたい。途中、森の中で朝食。その後は 12 キロの山越え。胸突き八丁の坂はさすがに疲れた。サ ンファンデオルテガの教会に辿り着き休憩。フランス組はすでに到着。 ここで、例の妊娠さんと 6 ヶ月のお嬢さんを連れた若い夫婦に出会う。期せずして 6 ヶ月同士が同じ場 所で休憩タイムになりました。元気ですね。 さて、この日は 2 つの山越えをして、なんと 40 キロ以上を歩いてしまいました。特にブルゴスまでの 約 17 キロの平坦な道が長く感じられました。ブルゴスは大きな町です。町に入ってもなかなか町の中 心へ辿り着きません。やっと繁華街に入ってもアルベルゲまでは後一時間位はありそうです。オスタル に泊まることにしました。 9 200605-サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅.docx 2015-01-13 サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅 インフォーメーションを探しているとお互い前後していたドイツのス ザンナに遭遇しました。彼女は休暇に限りがあり、どうしてもサンチ ャゴへは到着したいので、オカからバスでブルゴスに来ていたのです。 この巡礼は絶対に歩かなくてはいけないなどという野暮な決まりはあ りません。歩き、自転車、バス、タクシーいろんな選択があります。 自分の状況に応じて臨機応変に巡礼を楽しめば良いと思います。 彼女がインフォーメーションまで案内してくれました。 “巡礼の道に沿 っていて安いオスタルを”とリクエスト!一泊 15 ユーロの宿を紹介さ れました。 久しぶりに誰にも気を使わず 3 人で寝ることが出来ましたが、お世辞にも快適な宿とはいえません。ア ルベルゲのすばらしさを実感しました。食料の調達にスーパーへ行きました。さすが大都会です。品物 は豊富です。 6 月 11 日(日)ブルゴス〜ホンタナス 29.5 キロ 44,934 歩(しっかり 40,175 歩) 昨日はさすがに疲れました。今朝は 7 時まで寝坊をしてしまいました。 世界遺産のブルゴス大聖堂です。ここでは巡礼者達は先を急がず、カテドラルへ立ち寄るようです。日 曜日のせいか、観光客も多くて、中は大変混雑していました。赤ちゃんを連れた若夫婦やフランス組に も出会いました。さすがスペイン三大ゴシック建築のカテドラル。見ごたえがありました。拝観料は 3 ユーロ。ただし私達巡礼者はクレデンシャル提示で 1 ユーロでした。 昼近くから巡礼再開です。昨夜泊まる筈だったアルベルゲへ到着しま した。10 時過ぎると誰もいません。きれいなアルベルゲでした。少し 行った所でバルを見つけ昼食を済ませました。 ホンタナスまで標高 100m 位アップダウンを3つほど超えます。 お昼から歩き出したので 19 キロ地点にあるアルベルゲでと思っていま したが、ホンタナスにプチホテルのような私営アルベルゲがあるとい う情報にそこまで頑張ろうということになりました。 初めの頃はフランスのオーガスティンとお話しながら歩いていました。 もちろん足が長くて若い彼についていけるはずもなく、回りは私達3人だけです。ラベ・デ・ラス・カ ルサーダスからのアップダウンはメセタの大地が何処までも続く。始めは “ワーア 360℃のパノラマよ” なんて乙女のような声を出して喜んでいたおばさん達だが、そのうち寡黙になる。 18 時半過ぎ建物が見えます。疲れが極限に来ている 2 人を待たせて確認に行く。一応はアルベルゲだ が少し贅沢を覚えたおばさん向きではない。途方にくれているとホスピターレのご好意で無事ホンタナ スへ送っていただくこととなった。 19 時を過ぎてホンタナスへ到着。プチホテルは勿論満杯でした。でも、案内されたアルベルゲには顔な じみがいっぱい。みんなの優しい笑顔や歓迎の声に疲れもなくなっていました。シャワー、洗濯を済ま せ例のプチホテルのような宿でいつもより遅めの食事をして就寝!2 段ベッド最高! 旅をしていると世の中には、こんなにたくさん良い人がいると感じてしまいます。 何故争いごとがあるのか理解できません(^。^) Part6 ホンタナス〜 6 月 12 日(月) ホンタナス〜ボアデイ−ジャ・デル・カミーノ 46,063 歩(しっかり 42,962) 29 キロ ホンタナスを早朝発って8時ごろ、遺跡のあるカストロヘリスを通過。城門をくぐる。 カストロへリスを通過してフィテロの橋に辿り着く。ここにある教会は、マルタ騎士団が運営している 宿で、疲れて辿り着いた巡礼者に足を洗ってくださるとか?そういえば TV の番組で壇ふみさん、つい 最近では NHK の世界遺産でも、あの細長い教会の中で洗っている風景を見かけましたが、私が訪れた 時は教会内の見学をさせて頂いたがそのような経験は出来なかった。 橋を渡ればブルゴス県とも別れを告げ、バレンシア県に入る。今日の宿はボアデイ−ジャ・デル・カミ ーノ。私的に夢のアルベルゲと称している。米山智美著「スペイン巡礼の道を行く」の中に書かれてい る宿を見たとき是非宿泊したいと思っていた。下調べをしていても、いつもその場所をみつけ出せると 10 200605-サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅.docx 2015-01-13 サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅 は限らない。延々と続く大地、太陽に耐えながら歩いていると情報などどうでもよくなる。ホタテの道 しるべと Bar の文字を頼りに歩く巡礼者である。 ボアデイ−ジャ・デル・カミーノに辿り着いた時、入り口にあった宿に入る気がしない(私には時に霊 感?のようなものがハシル!?)。先へ進むと間もなく又宿があった。暑さにヘキエキしながら疲れも 限界寸前!中に入ると庭の中央にはプールがある、それに洗濯物の満開色だった。奥へ進むとテーブル でくつろぐ巡礼者達。馴染みの顔と目が会う!“やあ到着だね!”“おめでとう!日本からようこそ” 私たち3人を拍手で迎えてくれた。ちょっと照れるなぁ(#^.^#) この頃になると私たちは巡礼仲間ではちょっとした有名人になりつつあった(スペイン中でないのがか わいいでしょホッ)。道端で休憩していると 40 前後の初対面の巡礼者から“貴方達が日本から来た3人 ですね” 。 「えっ!私達をご存知?」 。 “ハイ3人で歩いている日本の女性は強いとの噂をききました。初 めまして!ブエンカミーノ!” 「ウム!強い?ムム ヤマトナデシコの私達が?日本の女は辛抱強いんで すよ」 。 米山さんの本に出ている庭、ジョージクルーニ似のオーナーと息子エドワード、ここは夢のアルベル ゲ!神様って本当にいるのかも?なんて思ってしまいました。いかにもスペイン的なオーナーは優しく 迎えてくれました。受付をお願いすると“マアマア疲れただろう?ジュースでも飲むかい?”そういえ ばのどがカラカラでした。 “シイシイ・グラシアス ポルファボール”(ハイありがとうお願いします) グビグビグビ・・・・ のどの渇きが落ち着くと心の中は早くベッドを、シャワーを、洗濯をと言いた いのです。 オーナーはそんなことはお構いなしにゆっくりと仕事をこなしていきます。エドワードはジュースを運 んできてから愛犬と写った本の一ページを自慢げに見せてくれます。私だってこれを見たから来たの よ!夕食はここで頂くことにしました。巡礼メニュー8ユーロです。 その夜テーブルに着くと日の丸をあしらったエドワードの心づくしのテーブルセッテイングでした。 今夜も又心が更に優雅になり就寝! 6 月 13 日(火) ボアデイ−ジャ・デル・カミーノ〜カリオンデ・ロス・コンデンス 40,490 歩(しっかり 35,867)25.2 キロ 暗いうちに出発。月明かりを頼りに歩く。8時ごろにフロミスタに到着。バルで朝食!チェック時に カウンターのお嬢さんにペットボトルを差し出し、お水を頂く。巡礼が始まった頃はミネラルウオータ を購入していたが、すっかり私たちもスペインの住人になったようである。水道の水で十分である。 国道沿いに出来たセンダという巡礼道を3人で歩き続ける。変だ!誰も来ない?間違えた? そんなはずはない!確かに両脇にホタテマークのあるセンダ道を歩いている。 ところが、レヴェンガ・デ・カンポスで休憩をとり間もなく右の方からオリビアとフランスのオッちゃ んが出てきた。オリビアはパンプローナから前後しているマドンナ的な存在のスイス人です。 ≪このオッちゃん、フランス語を話せない者を馬鹿にしているように見受けられる。好奇心旺盛なぶら りはオッちゃんに会うたびに“ボンジュール!”と声をかけるようにしている。すると“Non! Bonjour” と講義が始まる。このオッちゃん片言だが英語は話せる。≫又横道にそれてしまいました。 「オリビア何処から来たの?」“貴方達こそ何処を歩いていたの?私たちは古い教会を見ながら歩いて いたの”ああ!成るほどそれで誰もこの道を歩いていなかったのだ!信心の無い私達を神はお呼びに成 らなかったのだ! 歩き始めて 13 日目、途中曇り空からにわか雨が降り出すが、直ぐに止んだ。初めてパラリと雨です。 11 時ごろビジャルカーサル・デ・シルガに到着。本日ここで教会横の名物親父さん「パブロの店」での ランチを楽しみにしていたが 13 時半開店だそうだ。諦めて開いているバルで昼食! 11 200605-サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅.docx 2015-01-13 サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅 食後、にわか雨のせいかちょっと蒸します。センダの道を再 びひたすらカリオンデ・ロス・コンデンスを目指し歩く。 13:30 に到着。 例のごとくシャワーと洗濯を済ませて町へ。通りのバルの窓 辺にハンサムさん!フランス人のオウガステインだ。彼はこ の巡礼を終えてから将来の進む道を考えたいと言っていた 20 歳の青年である。今頃進路は決定しているのだろうか? そうだこの写真も送ってない。 巡礼者、地元の子供たち、カリオンデ・ロス・コンデンスは いろんな顔を持って日が暮れていく。 part7 カリオンデ・ロス・コンデンス〜 6 月 14 日(水) カリオンデ・ロス・コンデンス〜サンニコラス 50,163 歩(しっかり 42,403)31.7 キロ 6:15 出発。だんだん明るくなる頃サン・ソイロ修道院の前を通り過ぎ国道へ進む。 いまだお世話になることも無い救護所を通り過ぎる。カルサデイージャに着くまで 17.2 キロ。バルも 何もない。ただひたすら歩くのみである。 車がビュンビュン通る国道を必死に歩く。小川を渡るところからローマ時代に造られた「ビーア・アキ ターナ」メセタの道が再度始まる。ローマ軍は何処にでも道を造る。村が見え始めバルの看板が見える。 「バルだ!バルだ!」 10:30 <カルサディージャ・デ・ラ・クエッサ> 13:15 6.2 キロ歩いて<レーディゴス> 14:10 <テンプラーリオス> 日本の女性に出会う。巡礼で意気投合した数人で、野宿をしながら巡礼を楽しんでいるのだと言う。な んとも羨ましい限り。限られた時間内で歩く私にとっては、やはり生まれるのが早すぎた!と思うばか りである。15 時、本日の宿があるサンニコラスに到着。20 名定員のこの宿は前日予約しておいた。 4人部屋のきれいな宿だった。夜中にすごい雨と雷の音だった。しかし私たちの睡魔はそれを越えてい た。 6 月 15 日(木) サンニコラス〜マンシージャ・デ・ラス・ムーラス 54,101 歩(しっかり 45,454)37.9 キ ロ 6時前に出発。まだホテルの前でストレッチ!先ずは 10 キロ先のサアグンを目指します。 朝焼けを見ながら、途中無人となった古い教会で休憩を取る。サアグンの町は目の前なのだがなかなか 辿り着かない。やっとホタテの目印が見えてきました。 サアグンは大きな町です。駅舎を通り過ぎ、アルベルゲのオブジェと記念撮影。バルで朝食。 昨夜隣室にいた元気なイタリア組とオリビアが先客だった。私たちが明日レオンでいったん帰国して又 来年歩くことを告げる。お互いの健康を祈って別れる。きっとオリビアはあの後サンチャゴまでを歩い たことだろう。 少し歩くと同室だったドイツのおじちゃんと再会。彼は物静かで、私達の就寝後何時ベッドインしたか 全く気がつかなかった。彼曰く、自分は高齢者なのでゆっくり巡礼をされるそうだ。普通自転車組はア ッという間に去って行き、途中で出会うことなどめったに無い。彼は本当に紳士だった。 12 200605-サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅.docx 2015-01-13 サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅 ここから又一本道が始まる。ベルシアーノス村に入ると道路にバルの文字。ここでバルに寄るわけには いかないなぁ。音楽とともに移動食料店のオープン!オカミサン達が出てくると同時にパラリ!オカミ サン達が「雨だよ雨だよ」と声をかけてくれる。「ありがとう!」と笑顔で答えて先に進もうとした時 “バリバリ・ドカーン”これはいけません。相当大きな雷です。道路のバルの文字にしたがってとりあ えず雨宿りをしなくては! やっと開いたばかりのバルに飛び込む。トイレと雨具に着替え、暖かいチョコレートで体を温める。 そこへ数人の男女が−やはり雨宿りだろうか?−飛び込んできた。アルギミロとの出会いであった。 彼は生ハム職人なのだ。彼らは飛び込んでくると手持ちの生ハムを切り始め、セルベッサを注文すると 宴会を始めてしまった。大きな生ハムを、体を使って切り始める姿に思わずシャッターを押してしまっ た。勿論断りは忘れない。そしてそのハムをご馳走してくれたのだ。 大層喜ぶ私たちにすっかり気をよくした彼は、残りを全部プレゼントしてくれました。イベリコハムは 有名だ。しかし、彼はこの地方特産の牛肉のハモン「セシーナ」つくりの職人さんでした。 雨は長くは降らなかった。歩き始めた私達はフランスのオッちゃんに出会う。彼は馬小屋で雨宿りをし ていたのだ。最初は「なんだこのフランス野郎」なんて思っていたオッちゃんでしたが、この頃には多 少お互い気持ちがほぐれてきました。でもやっぱり頑固者です(笑)。エル・ブルゴ・ラネーロまで同行 することになる。 彼はここの宿に泊まるとのことでお別れです。最後に、明日はレオンから帰国する旨を伝えると、彼は 貴方達の笑顔がとてもすばらしかったと別れを惜しんでくれました。オッちゃん!優しいフランス紳士 だったんですね。ちゃんと英語で私達にねぎらいの言葉をいただきました。“メルシーボクー” 更に私達は歩きます。その頃 A さんの肉刺は最高潮に達していた。彼女の根性には脱帽です。向かい風 の中を 3 人は言葉少なく歩いていました。そこへ車が横付けして、マンシージャ・デ・ラス・ムーラス まで乗っていけと言うのです。知らないおじさんには着いていきません。でもこのスペイン人ずいぶん 強引です。よく見ると今朝のハムのおじさん!レリエーゴスで泊まる予定だった私達に、彼の生まれ住 んでいるマンシージャ・デ・ラス・ムーラスに是非泊まるように勧めてくれているのです。アルギミロ はなんといっても聞き入れません。私達は彼の好意を受けることにして車上の人となりました。 15 時半頃にアルベルゲに到着。5 時にお茶の約束をして彼は帰宅。彼のお宅訪問です。9 月からマドリ ッドの大学に行く息子さんの通訳でお茶が始まりました。息子さんが、父はお茶なんて入れたことが無 いと笑っていました。彼は息子さんがとても自慢で、日本にも興味を持っているので私たちに会わせた かったのでしょう。 面白いことに侍について質問がありました。「日本では着物とちょんまげが今でも?」との質問に苦笑 してしまいました。そして、実情を説明して「では侍とは?」にしばらく思案した私は、アルギミロを 見ていて"貴方そのものが侍かも知れない"。彼は多分理解してくれたと思います。 マンシージャ・デ・ラス・ムーラスは古い城壁に囲まれた城下町。彼が愛して止まないこの町を薦めて くれたことが町を巡って体で感じ取れた。 私たちがアルギミロのお宅へ行くとき アルベルゲの台所で夕食を作っているグループがいた。皆でせ っせとジャガイモをむいていました。 お茶から帰ってみるとスペインオムレツのパーテイ真っ盛りだった。そして実はもうひとつハプニング があったのです。私たちのベッドが無い!今夜の宿は???お茶どころではなかったのです。ホスピタ 13 200605-サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅.docx 2015-01-13 サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅 ーレから新しいベッドが 20 人分来るので大丈夫。貴方達はお友達のところへ行きなさい、と言ってく ださいました。到着を待っていた 2 段ベッドが出来上がっていた。私達はお初で使わせていただいた。 6 月 16 日(金) マンシージャ・デ・ラス・ムーラス〜レオン 28,549 歩(しっかり 26,050)24.3 キロ すばらしい出会だった思い出を残して今日は最終日です。前半最終地、レオンは直ぐです。 朝から初めての本格的な雨です。ここ数日はパラリと降ることはあってもほとんど晴天に近い巡礼でし た。最後くらい経験させていただくのかな?止みそうも無い雨にいつもよりかなり遅い出発です。 1 時間半くらい歩いてプエンテ・デ・ビジャレンテのバルで休憩です。 休憩しているうちに雨も小降りになり足取りは軽くなる。レオンまで 12.7 キロ! 都会に近づいてきたのだろう、道路工事中が目立つ。下り坂になってはるか前方を見るとレオン町が見 えた。ホンタナスからお互い前後していたドイツのご夫婦と出会う。控えめな奥さんとは 2,3 言葉を交 わしたことは会ったが、ほとんど交流らしきものが無かった。寡黙がちで、頑固そうなご主人も声をか けあうことも無かった。 それでも久しぶりにお会いして思わず双方微笑んでしまった。そして 驚いたことに、あの寡黙なご主人が、写真を撮りたいとの申し出。い まさらながら人との出会いのすばらしさに感動してしまった。なかな か声すらかけることが出来なかったご主人、貴方はとてもシャイな方 だったんですね。 レオンだ!大きな町は到着してからが長い。これはブルゴスでも経験 済みだ。17 日間頼りにしてきたホタテの目印を探しながら広いレオン の町を歩く。13:30 ユースホステル兼アルベルゲに到着! ああ終わってしまった。このままサンチャゴまで歩きたい! 皆どうしているのだろう!17 日間の思い出が走馬灯のようによみがえる。欲を言えばきりが無い! ここまで歩けて、こんなにいっぱいたくさんの人々との出会いに恵まれて、自分の幸せに感謝します。 今回、歩かせていただいた、家族を始め大勢の方からのご親切のおかげです。 ありがとう“Muchas gracias” レオンの町は到着後ゆっくり見物することが出来ました。 残りの巡礼の道は 2007 年 5 月 30 日に出発します。レオンからの出発です。 part8 レオン〜 巡礼再開です。2007 年 5 月 30 日に成田を出発。マドリッド着。 翌日長距離バスでマドリッドからレオンまで行きます。スペインは汽車よりバスが安くて便利です。 初日はちょっと贅沢をしてパラドール泊。レオンのパラドールは No.2 のパラドールです。 さあ明日からいよいよ再出発です。早めに就寝しました。ところが 11 時半に電話のベル。 電話は、昨年マンシージャでお茶にご招待されたハムおじさんことアルギミロからでした。 彼からは出発前に「是非ランチにご招待したい」とのメールをいただいていました。 到着時から連絡を取っていたのですが連絡が取れずに仕方がないと思っていました。 「是非明日会いたい」とのことです。でも明日は出発です。事情を言うと「明日何時に出発するのか?」 パラドールの食事は遅くて 7 時半からです。9 時に出発の予定だと告げるとパラドールまで会いに着て くれるとのことでした。 6 月 1 日(木)レオン(Leon)〜マンシージャ(Mansilla) パラドールの朝食は豪華です。これからどんな食生活になるか解らないのでたっぷり食べておきました。 アルギミロ夫妻が約束とおり 9 時にホテルのロビーに現れました。 1 年ぶりの再会です。奥様の Lina とは初めてです。彼女はレオンの郵便局で午後 2 時から 9 時まで仕 事をしています。ランチに招待したい、何時レオンに戻ってくるのか?レオンに戻ってきたら是非我が 家に泊まるようにとご親切な申し出です。あまりの熱心さに根負けをしてしまい巡礼が終わったらレオ ンに戻りお邪魔すると約束をしました。 しかし、ハテ!サンチャゴから 300 キロ地点のレオンに戻ることを考えると大変なことです。 14 200605-サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅.docx 2015-01-13 サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅 相棒と相談して予定変更です。今日彼らの住むマンシージャへ行こう!お言葉に甘えて一晩お邪魔して 明日から歩き出すことに決定です。 Lina は「それはとてもいい変更よ!」といってくれました。その後わかったのですが、彼はその日休 みを取っていたのです。一路マンシージャへ、Lina は仕事前に家事をこなしアルギミロは彼の仕事場 のあるサグーンへ私達を案内してくれました。サーグンの町ではすれ違う人達、お店、役所誰もが知り 合いのようです。会う人事に私たちの説明をしているようです。そして入った建物は病院でした。2 階 に上がると彼のオフィスがありました。彼は一体何者? 昨年雨宿りのバールで彼らと出会ったのですが、その時一緒にいた女性もそこで働いていました。次に、 昨年立ち寄った時は修復中で入れなかったサン・テイルソ教会の中を見学することができた。しかも屋 根裏をつたって鐘楼までいけたのだ。そこを出て車で移動。Camino の道を少し南へ下がったところの Grajal というところに到着。彼は先ず村長さんのところへ。「日本からやってきた客を案内してきたん だよ・・・」なんて多分? 「城砦と宮殿のどちらが良い?」とアルギミロから聞かれて私達は城砦を選びました。 村長さんが宮殿を空けて待っておられました。きっと自慢の宮殿だったのかも知れません。空けたんだ から見ていきなさいとばかりに宮殿の中も少し見学、その後村長さんのお宅から城砦の鍵を預かり城砦 へ。彼は一体何者? 宮殿と城砦の写真は彼がプレゼントしてくれた本の 1 頁。 Lina が仕事に行かなくてはいけないので急ぎ彼の自宅へ戻ります。 レオンでランチにご招待なのだが、今日から歩くはずだったのでパラドールの朝食をしっかり食べてい た私は、せっかくのご招待だったのだが、どうしても思うように食べられなかった。本当に申し訳なか った m(_ _)m。Lina が仕事から帰宅したのは午後 11 時でした。それから皆で夕食をいただきました。 楽しいスペインの夜は長いのですがこの時だけは私達日本人晩餐の後就寝(_ _)Zzz 6 月 2 日(金)レオン〜ビジャダンゴス・デル・パーラモ (Villadangos del paramo) 24211(18659) 19.8k(内7キロは車) 9 時に出発の予定だった。私達の間で“ハムおじさん”のアルギミロ。どうもハム職人ではなさそうな ので出発の前に真意を確認することにした。彼は獣医さんだったのだ。 しかも更にレオン大学で法律と歴史の学士も取っているとのこと。ご夫婦に卒業写真の前でツーショッ トをお願いした。「ハムを作るのは趣味?」と聞くと「いや、仕事です」との返答でしたが、奥さんが すかさず「そうよ!趣味趣味」「私は獣医さんの奥さんになったはず」の答えに大笑い!彼はただ者で はなかった。 思いがけない幸せな時はあっという間でした。私達は本来の目的サンチャゴを目指して巡礼の旅に出か けます。お二人の温かいもてなしに感謝しつつお別れの時がやってきました。気持ちが高揚して思わず 涙でした。彼にレオンから7キロ先の La virgen del camino の教会で 10 時のミサに出て出発を勧めら れ送ってもらいました。 15 200605-サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅.docx 2015-01-13 サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅 歩き始めから疲れを感じます。それに、アルギミロお手製のセシーナ(牛の生ハム)に送られた上質の 写真の載った5冊の本。これを2人で分けて背中にあります。これが結構重いのです。歩き始めた直ぐ にモニュメントがありました。なんとなく気持ちがほぐれます。 今日は初日なので体慣らしで 13 キロである。San Miguel del camino に到着すれば今日の予定地 Viladangos del parame まで約7キロ遠めに町が見える。だがなかなか近くならない(>ω<) 1キロ手前で Hostal の看板。誘惑には負けない!どうしてもアルベルゲへ行くぞォ。若者3人組が追 い抜いていく。情報では Viladangos del parame のアルベルゲは目の前が芝生で、ベンチやテーブルが あり、傘は南国ムード。あった!道路には albergue の文字右手にあった!まさに芝生、南国ムードの 傘。 14:30 到着!ベッドを確保してシャワー、洗濯をしてパラソルの下でメモを整理する。しかも初日から フラットのベッド Lucky。パラソルでの写真,奥右手の男性は日本の物静かな男性シニア。お一人で巡 礼を歩かれていました。巡礼を終えた最終日サンチャゴのカテドラルの前で再開することとなる。時間 に余裕をもたれていて羨ましい巡礼をなさっておられた。 part9 6月3日ビジャダンゴス・デル・パーラモ (Villadangos del paramo)〜アストルガ(Asotorga) 47109 (41312)28.5k 午前 6 時 25 分出発。先に出た仲間たちの背中を見ながら歩き始める。コンパスの長い彼らは早く直ぐ に姿が見えなくなり後ろから来たグループに追い越されてしまう。マイペースを心がけるのが長い巡礼 の旅のコツである。美しい夜明けは、この道を歩けることへの感謝と一日の始まりを奮い立たせてくれ る。 7 時半 San Martin del camino 到着。オブジェに誘われてここで朝食!大きなコーヒーカップがうれし いですね。マフィンが 3 個ついて 3 ユーロでした。8 時 05 分出発。 暑い、まだ調子が出ない、背中のリュックが昨年より重く、おまけにアルギミロからのプレゼントが私 達の背中にズンと来る。8 時 50 分川の音に誘われて休憩。 9:30 スペイン版弁慶の伝説の残るオルービゴ橋に到着。 『スペイン版弁慶と言われるのはドン・スエロ・デ・キニョーネス Don Suero de Quinones 。 ドン・スエロは 1434 年 7 月 25 日前後の 1 ヶ月間、オルービゴ橋の真ん中に陣取り、名もしれぬ姫へ の思いから騎馬試合を催した。「われこそは」と剣に覚えのある騎士たちが名誉をかけてドン・スエロ に挑んでいく。寄せいる騎士たちをばたばたとなぎ倒し、勝利の記念に相手の騎士の槍を奪ったドン・ スエロ。1 ヶ月間で奪ったやりは数百本にものぼった。満願成就の暁に、サンティアゴに詣でをして想 い姫から戴いた金のブレスレットを奉納した。名前の知らない姫のために戦うなんて、ドン・キホーテ といい、中世の騎士は変わっている。お互いに名誉をかけた騎馬試合は、「名誉の歩み Passo de Honroso 」という騎士道物語としてヨーロッパに広く伝わっていく。 村では、6 月の第一週の週末、中世の服装をした村人たちが中世の料理を作り、中世の市や劇を開いて、 これを祝っている。 』 (中谷光月子著「サンテイアゴ巡礼ヘ行こう」抜粋) 私達が到着したその夜と前夜はまさにお祭りの日。この巡礼をするにあたっては中谷さんのこの本はず いぶんと参考にさせていただきました。 若者たちは昨夜からの酔いがまだ醒めないらしく陽気でした。町は今夜の祭りのために準備中でした。 町の規模の割にはアルベルゲがたくさんあります。 実は昨日到着予定だったのですが現実は・・・残念です。10 時前に今日ここに泊まるわけには行きませ ん。ああたくさんの日程が欲しい m(~-~m)〜。多少の後ろ髪惹かれる思いを振り切って先へ進みます。 10 時 45 分本日の歩き半分の地点 Villares de orbigo に到着。マフィン 3 つではお腹が持たなかったよ うで Bar を見つけてボカデイージョで昼食。 背中の荷物が相当堪えている。こんな日は太陽の照り返しがいっそう辛く感じる。 ここから 11 キロの峠越えが辛かった。こまめに休憩を取りながら「この山を越えればアストルガ」を 目標に、いくつ丘を越えたことか?途中のオブジェは何だったのか?大きなクロスが現れた。高台から アストルガの町が見える。そこから1時間最後の力を振り絞り歩きます。3 時半アルベルゲに到着。 今日は日曜日です。店は開いていません。レストランへ行く力がもうありません。 ハテ?と台所へ行くと皆が夕食を作っています。「店が開いているの?」と聞くと、お昼まで市が開か れていたがもう終わっているとの事。アメリカのお嬢さん達が余った野菜類を提供してくださり、作っ 16 200605-サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅.docx 2015-01-13 サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅 たパスタが余ったからとパスタもいただきました。先人達の残した食材からお米を見つけました。早速 ご飯を炊いて手持ちの梅干、焼き海苔それにいただいたもので私達は生き返りました。 翌日に、いただいたセシーナ、ガイドブック、それに使わないと思われる衣類を少し日本へ送ることに しました。明日は少し朝寝ができる。お休みなさ Zzzzzz 6月4日アストルガ(Asotorga)〜エル・ガンソ(El Ganso)32042(20532)13.7K アストルガはローマ時代「ルゴ」 「銀の道」「アキテーヌの道」を結ぶ交通の要所として栄えていた。 郵便局は 9 時からです。アルベルゲを 8 時出発。郵便局近くのホテルで朝食。9:15 郵便局を出る。 アルトルガを出る前にガウデイ作の司教館とその隣にあるカテドラルを見る。 ☆ガウディがアストルガ司教館の建設にとりかかったのは、すでにバルセローナのグエル邸や、サグラ ダファミリアの地下聖堂を手がけ、建築家として注目されていた頃のこと。 ガウディの友人であり、その才能を高く評価していた当時のアストルガ司教は、火災に遭い全焼した司 教館の再建をガウディに依頼したのだという。 ところがその司教が亡くなってしまったこと、財政上の問題、建設委員との折り合い等を理由にガウデ ィは建物の最上階と屋根を完成しないまま、アストルガを去ってしまった。 故意に凸凹を残した石で敷き詰められたその壁は、白い雪が付着した時に、美しい模様を描くことを計 算したものだったという(米山智美著 スペイン巡礼の道を行くより抜粋)。 アストルガを 10 時半出発。約 7.5 キロ先には、歴史保存地区 Castrilo de polvazares がある。 是非ここだけは見逃したくなかった。町全体が歴史保存地区に指定され、家を再建あるいは新築するに も、赤い壁に緑の扉の色も同じような形態を守らなくてはいけないそうです。 12:20Castrilo de polvazares 到着。小さくて、人がいません。いるのは巡礼者だけです。でもホテル が数件????そこへ小さなワゴン車が着ました。パン屋さんです。巡礼路では雑貨、野菜、魚とこの 種の車を見かけます。レストランがしまっているようなのでパンを購入、手持ちのトマトと一緒に日陰 で昼食です。 赤い町を出て約 2 キロ行くと Santa Catalina De Somoza です。町の入り口でおじさんが手作りの杖を 売っていました。今年は、ステッキを持参しないで現地でという思い出歩いていたのですが、赤い町の 手前のアルベルゲで売っていたものを購入したばかりでした。 そのおじさんのお勧めのアルベルゲ兼レストランに寄ってみました。中は素敵なパテイオでした。 レストランに入ると日本語で迎えられました。なんと彼は税関にお勤めだとか。 グルメな奥様 A さん、カウンターの海老、オリーブ、チョリソを注文!山の中なのに海老がおいしい o(^-^)o。A さんも私も夢中で食べてしまいました。このアルベルゲに泊まりたかったが後 4 キロ先の El Ganzo まで進むことにする。 3 時半に目的地エル・ガンソに到着!アルベルゲがなかなか見つからなくて、暑さの中、ちょっと Santa Catalina De Somoza に泊まれば良かったかな〜なんて後悔する。 やっと見つけたアルベルゲ、朝食つきで 8 ユーロ:ん〜ちょっと高いけどここしかない!入り口の屋根 裏部屋にベッドを確保、結果的にはこの屋根裏部屋に私達 2 人だけで結構快適な一夜だった。 シャワー洗濯とさっぱりしたところで町を散策。といっても小さな町である。地元のお年寄りの夕涼み に合流!知っているだけのスペイン語で話しかけたのが良かったらしく、えらく歓迎されてしまった。 このひと時が旅の楽しさである。レストランの巡礼メニューも野菜がいっぱいで結構なものだった。 昨年の巡礼で A さん飲めなかったセルベッサ(ビールのこと)が飲めるようになり、ご主人様のお相手な どできるようになったとのこと。 17 200605-サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅.docx 2015-01-13 サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅 そしてアルコールの習慣などなかったこのぶらりも、巡礼メニューにつくワインがすっかりお気に入り になってしまった。とはいえ我が家は晩酌の習慣のない家なのでぶらりのワイン生活は旅先だけである。 part10 6月5日エル・ガンソ(El Ganso)〜エル・アセボ(El Acebo)41225(34907)23.4km 広い屋根裏部屋を 2 人占領で久々にゆっくりと寝ることができた。 7:00 今日も朝陽に気持ちを奮い立たせて出発です。ここからはなだらかな上り坂。充分な睡眠のおか げか、たいした坂には感じなかった。途中、自転車は直進、人(pie)は右折の黄色い矢印。この矢印は私 たちの一番の味方。 8:45Rabanal del camino に到着。カフェで小休止。このカフェはレストラン、ホステル、アルベルゲの ある建物だった。ほとんどのアルベルゲは8時チェックアウトなので窓から見える2段ベッドの部屋に は誰もいなかった。 小休止後上り坂は 7.6 キロ続く。前を行く青年もカメラに建物を収める。歩き始めは多少の上り坂でも 余裕がある。私も A も同じ写真を撮っていた。町を出ると青年の姿、A、そして私の影がまだ一枚の写 真に収まった。さらに上りは続く。もう青年の姿は無く黄色い矢印が頼りになる。 10:00 パウロ・コエーリョ著「星の巡礼」では、廃村となっていたフォンセバンドン(Foncebndon) に到着する。アルベルゲがある。犬やアヒル?もいる。アルベルゲ以外住民はいない様子。パウロ氏の 本では、犬は人を襲う恐ろしい存在だが、なんと安心しきっているわんちゃん。その姿をご覧ください。 オット!のんびりしてはいられないこれからがイラゴ峠越え。 11:00、1.9 キロの上り坂を歩くと La Cruz de Hierro、鉄の十字架が見えてきた。巡礼が道中無事を 祈って自分の名前を書いた石を投げた場所。長い年月を経て石の小高い丘ができている。少し遅れてス ペイン4人組も着てお互い写真撮影。この4人組とはサンチャゴまで何かと縁があり私たちは助けられ ることが多々あった。この先がイラゴ峠の頂上。さらに 2.2 キロのなだらかな下り坂を歩く。 12:25 有名な Manjarin マンハリン。ここも廃村だったが今はオスピタレイロのトマスのアルベルゲが ある。トマスさんに会うのを楽しみにしていたのだが有名人の彼は携帯電話でずっと話していて忙しそ うだった。ぜひ彼と話をしたかったが待ちきれなくて先へ進む。次の町まで 6.9 キロある。 次の El Acebo エルアセボまで下り坂のはずだが結構上り坂もあった。しかし、眺めは最高!しかし道 ばかりが続く。途中から誰もいない私達2人だけの世界だった。やっとエルアセボの町が見え始めたの は 14:45 になっていた。もうぺこぺこ状態だった。アルベルゲ!レストラン!どこだどこだ! レストランを見つけ、とりあえず食事である。ちょっと落ち着いた。気がつくとここはアルベルゲ!カ ウンターでは 5,6 人が行列を作っている。そうだベッド、ベッドだ。とりあえず注文だけしてベッドを 確保しなくては!ベッドを確保して、巡礼メニューで空腹を満たした後はシャワー、洗濯。18 時近いの にじりじりと太陽が照りつける。おかげで洗濯物もあっという間に乾いてしまう。 遅い昼食に、私はもう夕食はパスだが、同行の A はしっかりとパスタを注文。彼女の元気はこの食欲に あるらしい。 昔の巡礼にはなかったものに、現代はデジカメや携帯の充電がある。電源の確保も早いもの勝である。 ベッドを決める時、コンセントが側にあるのを確認も大事なことである。私達はとうとう巡礼が終わる まで要領を得なかった。だが何とかなるものだ。日本製は人気があるので盗難に気をつけるようにとア ドヴァイスを受けたが、幸い一度も盗難にあうことはなかった。 18 200605-サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅.docx 2015-01-13 サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅 6月6日エル・アセボ(El Acebo)〜カカベジョス(Cacabelos)51325(43565)31.3km 6:15 出発 Morinaseca まで 8 キロの山道を歩く。8:00 バナナを食す。Morinaseca は教会と橋がある中 世へタイムスリップをしたような風景の美しい村である。途中山の中では樹木が焼けたように見えたが、 後で調べると 2003 年と 2006 年に山火事に見舞われたようだ。 Morinaseca の出口のホテルでクロワッサンとカフェの朝食を済ませ 8 キロ先の Ponferrada ポンフェラ ーダへ向かう。町を出て直ぐ教会の外私達巡礼の為のベッドだろうか 2 段ベッドがずらり。さすがに私 達はまだ外で過ごしたことはなかった。 ブドウ畑の中の上り下りを繰り返す。途中畑の側にさくらんぼ!このさくらんぼ巡礼者にとっては嬉し い果実なのである。いただいてもかまわないさくらんぼだけいただきました。広い平野に出ると遠くに ポンフェラーダの町が見えた。 11:00 ポンフェラーダに到着。ここは大きな街だ。 ポンフェラーダはローマ時代の街。9 世紀にサンテイアゴの遺骸が発見された街。1082 年アストルガ司 教押すムンドは木の危ない橋に造り替えた。この鉄の橋ポンス・フェラータ Pons Ferrata が街の名前 になった。1178 年テンプル騎士団の防備にあたりローマ時代広場があった場所に現在の城を建設した。 城は 1312 年のテンプル騎士団解散以後、持ち主は何度も変わっていくが、ポンフェラーダのシンポル として、今でも巡礼を支えている。 (中谷 光月子 著 サンティアゴ巡礼へ行こう!より) 昼食後歩き出すが、他の巡礼者がいない!ホタテも矢印もない!不安なまま先へ進む。何度道を聞いて もサンチャゴの方向だといわれる。6キロ以上歩いたところでやはり巡礼路ではないことが判明。しか し、確かにサンチャゴへ通じている。 「?Esto es El Camaino de Santiago ?(この道はサンチャゴへの 道?)」と問えば、聞かれた人は「その通り」と答え、事は当然だった。 中谷さんの本にも迷いやすいと書いてあった。そのコピー、昨夜読んでいたのにすっかり忘れていたの だ。このまま歩けばカンポナラージャへ着く。私達には戻って歩きなおす気力はもうなかった。暑さ、 アスファルトの道、国道を走る車どれも疲労を増すものばかりだった。 それでもカンポナラージャに到着して、バルで一杯のコーヒーと先着の巡礼仲間との他愛無い会話です っかり元気を取り戻した。午後 2 時 5.7 キロ先の cacabelos のアルベルゲへ向かって巡礼開始。 若き先輩巡礼 M ちゃんから 2 人部屋のアルベルゲがあるとの情報を得ていた。 ブドウ畑の中を歩く。カカベジョスの名前を見てほっとするがアルベルゲではなく小さな公園。さらに 歩く。やっと街に入る。アルベルゲは何処?レストランホテルが軒並みあるがアルベルゲではない。や っと町外れにすばらしい教会。そこが私達の目指したアルベルゲだった。2 部屋が並ぶこのアルベルゲ 76 名が泊まれるここに私達は 65,66 番目の訪問者だった。15 時 40 分 シャワーを浴び洗濯をする。5 時過ぎても相変わらず照り返しが強い。久々に寝袋を虫干し。それに本 当に 2 人部屋なのだ。日本語を勉強中のマカオのシンキ、ドイツの青年マイタと 4 人で夕食をともにす る。レストランに行くと全員は巡礼者。折り紙が取り持ち大いに盛り上がる。宿に戻るとアストルガで 知り合った大阪の男性に再会。彼は日本をアピールするのだと着物姿。ちょっと写真はぼけているが雰 囲気を感じていただきたい。交流は暗くなるまで続きました。 19 200605-サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅.docx 2015-01-13 サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅 part11 6月7日カカベジョス(Cacabelos)〜アンバスメスタス(Ambasmestas)39162(しっかり 32330) 21.8km ここカカベジョスのアルベルゲは忘れられないアルベルゲのひとつになりそうです。開いた扉は早朝に 誰かが出発したのでしょう、便利な洗濯場はきっとボランテイアのホスピターレの方々が整理整頓をし てくださったのでしょう。たくさんの思い出をいただいて 7:30am 出発。 ぶどう畑を左右に見ながら、なだらかな上り坂を歩き出す。 途中分かれ道で幹線を歩くか山道を歩くか選択をしなくてはいけない。便利だがやはり車の通る道はさ けましょう。お天気も上々だし!小さな部落を通過する時に珍しく緑の矢印とホタテ? 山道を歩き 8 時 40 分「飲み物、コーヒー、朝食にサンドイッチ!」なんて看板に誘われ朝食タイムを とることにする。食事後再び歩き始めた頃に昨夜知り合ったマカオのシンキが追いついてきた。 先で知り合いが待っているからと、重い荷物をしょって遠ざかっていった。もう会うことも無いかも知 れないと背中にエールを送った。彼女と驚きの再会をすることになるとはその時思いもよらなかった。 ブドウ畑を更に歩き続ける、途中小さな村を通過。この巡礼では山や畑を歩くが、その合間に小さな村 がある。巡礼を歩くにあたり、たくさんの資料を読んだ。誰の文章だったか思い出せないのだが、「東 京は街の入り口と出口が無い」とスペインの友が語ったといった内容があったのを思い出した。 巡礼をしていてほっとするのは、山道を黙々と歩いていてふっと顔を見上げると人家が遠くに見えてく るとき。「ああ!村だ!バル?アルベルゲ?」その時の体調によるが、あの、なんともいえない期待感 がたまらない! 村に入り(時には大都会の時もあるが・・)地元の方との出会い、何も無い村、バルでのひと時ナドナ ド。なるほど村の出口がある。そこを出ると畑だったり山道だったり。こういうことだったのかと納得。 東京にも、他の都市にも確かに入り口出口はあるのだが、確かに出入り口がわかり易い! 9 時 30 分、許される町、ヴィヤフランカ・デル・ビエルソ着。その昔 600 キロ以上も歩きながら様々 のことで後 183km を残して無念にも旅を断念しなければならなかった巡礼者達を哀れに思い、12 世紀、 ひとりの法王は「許しの門」をくぐることによってサンチャゴに着いたと同じ免罪を受けられると宣言 した。巡礼者達はここの教会の門をくぐれば旅を最後まで終えなくても神の許しを受けられたのだ。 もうひとつ、ここには有名な手づくりのアルベルゲがある。15 年前より、世界中から訪れた巡礼者達の 手によって作られたアルベルゲが、教会の後ろにある。ここでお手伝いがしたいと思っていたがすでに そのアルゲルゲは出来上がっていた。建設のリーダー へスス氏ともお会いできた。宿泊できなかった ことが残念だった。日本人の巡礼者も建設に携わったのだろう、日本語の表札がある。 許しの門はすでに観光地となっていて、観光客が車で乗り付けて来る。サンチャゴに向かって巡礼開始。 道は Las Herrerias までは少しの勾配で歩いていても気がつかない程度。しかし途中旧道が川に沿って あるのだが、国道にも沿っていて車の通りが多くてつらい道だった。今日は暑い!皆が段々と近い所で 泊まり始める。素敵なアルベルゲがたくさんある。この辺からフランスの道は観光化してきたように思 える。私達は巡礼の先輩 M ちゃんがホスピターレをしていたというアンバスメスタスまで行ってみた いと思っていたので頑張ってみた。オーナーが、お子さんが出来るので閉めるとのことだったが、偶然 に泊まったアルベルゲがその宿だった。聞いていた通り、清潔で快適な宿だった。同行の A さんが M ちゃんの写真を見てもらい、お互いの距離がぐっと近くなりました。A さんのプレゼントした手ぬぐい を早速鉢巻にして、はいポーズ!3 ヶ月のルイスちゃんを中心に幸せいっぱいでした。このアルベルゲ は全てルイスちゃんが中心です。夜の 9 時から翌朝まではプライベートタイムをしっかり守ります。今 夜のうちにお互い挨拶を交わしおやすみなさいzzzzz… 20 200605-サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅.docx 2015-01-13 サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅 6月8日アンバスメスタス(Ambasmestas)〜フォンフリア(Fonfria)43706(33438)19.2km 午前 7 時出発。約 5 キロ先までにベガ・デ・バルカルセ,ルイテラン,ラス・エレリーアスと小さな村が 3 つあります。M ちゃんの情報でエレリーアスに素敵なテラス付きの Bar で朝食を予定していたのです が、早朝のため、まだ開いていません。仕方なく手持ちのもので済ませます。 この 5 キロはきれいな家、 しゃれたレストラン、緑豊かな草原や小川と心豊かになる風景が続きました。 途中放牧のための牛の散歩は迫力がありました。 8 時半、ここからは La faba まで 3.7 キロ、胸突き八丁上り坂です。ここから今回巡礼のハイライトセ ブレイロ峠へ向かいます。のどかなエレリーアスの村を離れると、石だらけの急な坂をひたすら上りま す。1 時間ほど歩きやっと faba に到着。バルやアルベルゲがあります。 小雨が降り出しました。ひとまずバルで暖かいカフェコンレチェを頂きます。 峠まで地図では 4.8 キロなのですが、4 キロの標識!これがスペイン!どちらでも良いのです。峠まで 歩くことだけは確かです。この頃から私は自分の体調が本調子で無いことを感じます。峠の途中でハエ が払っても払っても顔に止まります。 アフリカの体の弱った子供達の顔にハエが集るのを見たことがあります。体が弱っているのが解るので しょうか?私はそんなに弱っているのだろうか?などと思いながら歩いていました。その頃にはもう雨 はやんでいました。サンテイアゴまで後 152.5km の標識です。目の前に豚ちゃんの顔に心が和みます。 振り向くとこんなに上ってきたのかと元気づけられます。 いよいよガルシア州へ入ります。前を歩いていたグラナダ出身の2人の女性と合流。ガルシア州ルゴ県 入り口の記念碑の前で記念撮影!体調も大分回復し峠まで約 600mです。 12 時前には到着、元気な A さんと教会の前で再会。教会の前にはケルト人の住居だったパジョッサが 博物館として公開されている。A さんは昼食を一緒にしようと待っていてくれた。野菜スープ、ジュー スで生き返る。 すっかり観光化したこの峠にはレストラン、お土産や、ホテル、アルベルゲと賑やかなところでした。 途中知り合ったグラナダのピポサさんもご主人と合流。記念撮影後“ブエン・カミーノ”とお互いエー ルを掛け合いお別れ。ここで宿泊の顔なじみとも再会を約束して私達は 3.2km 先のリニャーレスを目指 し下る。 リニャーレスのバルで一休み。やはり下りは足に来る。注意が大切!峠で宿を探していたスコットラン ドの男性と日本の女性のご夫婦が降りてくる。やはり峠は高いので先へ行き泊まるとの事。彼らも忘れ られない人たちとなる。彼女は土浦の人で、彼は留学を含め 8 年もつくばで暮らした通称マー君。日本 語が達者で何度も私達は彼らに助けられました。 そこから 900mを少し上るとサン・ロケ峠、春の巡礼像がユニーク。これを見て素通りするわけには行 きません。 “ハイポーズ!”A さんは相変わらず元気です。ホスピタルにアルベルゲが見えますが、す でに先に進んでいます。 後でわかったことですが、既にホスピタルのアルベルゲは満員だったらしい。パドルネロ村を通ります がバルも開いていません。暑い!ポイオ峠への上りです。上りきるとバルがありました。皆が休んでい ます。ここはアルベルゲでも満員でした。3.4 キロ先のフォンフリアまで進むしかありません。宿が取 れなかった我々を含み 8 名は歩き始めます。雲行きが怪しくなります。雷の響きが、やはりここはガル シア。屋久島と同じで雨の多い地域です。さすが晴れ女の私もかないません。 4 時 20 分、フォンフリアへ到着。スコールのような雨が突然降り出します。ああ間に合ったと思った のもつかの間、宿は満杯。何とかならないのか?「シャワーを使いたい?ガレージでよければ 3 ユーロ でいいよ」との事。寝袋がある、とりあえず寝ることが出来ればありがたい。ガレージに行くと簡易テ ントが3張りあった。とりあえず寝る支度をしていると長身のスペインの青年が自分達のテントを提供 すると申し出てくれた。 21 200605-サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅.docx 2015-01-13 サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅 疲れているのはみな同じなのだからと一度はお断りしたのだが、「スペインの男は強くてやさしいんだ よ」と嬉しいお言葉。ではお言葉に甘えて感謝感謝の夜でした。 ガレージにはコインランドリーがあり大助かりでした。寝る支度が終わり、さて食事!レストランへ行 くと巡礼者達が集まっている。 「何事?」聞けばこれからパーテイだとか。もちろん私達も参加 OK。な んと神様は優しいお方!本日はガルシア料理の巡礼メニュー、場所はパジョッサを模したメゾン・BAR、 8 時スタート! 先ずは赤ワインで乾杯から、宴もたけなわ。席の近くの方々に挨拶代わりに折り紙をご披露すると、予 想以上に反応があり、全体で盛り上がりました。ワインも手伝って、日ごろダンベルの教室で頭の体操 代わりにやっているゲームもご披露させていただいた。片方上下♪1・2,1・2♪片方は三角♪1・2・3,1・ 2・3♪スペイン語で♪ウノ・ドス、ウノ・ドス♪♪ウノ・ドス・トレス♪ドイツ語で♪アイン・ツヴァ イ♪♪アイン・ツヴァイ・ドライ♪これも大うけ。 パーテイ後も折り紙教室で夜が更けました。たった 2 人の日本のおばさんはがんばりました o(^o^)o 最後に寄付を 2 ユーロさせていただきました。すっかり皆さんと仲良くなりガレージも悪くないと思い ながら漠睡zzzzz part12 6月9日フォンフリア(Fonfria)〜サリア 3 キロ手前(Sarria)40530(35246)23.7k 快適なテントでの一夜が空け、ガレージは閉まったままですが、ベッドルームには明かりがみえます。 そろそろみんなも支度を始めているのでしょう。6 時 40 分 私たちはお先に出発です。サンチャゴまで 138 キロの標識です。30 分ほど歩くとカフェがありました。先ずは腹ごしらえです。 昨夜、パーテイの前の席に座っていたドイツ人も食事中でした。 再び出発。地図ではなだらかな下り坂の筈が、アップダウンがあります。相変わらず林道、集落の繰り 返しです。多少のアップダウンもこの自然の素晴らしさで苦ではありません。森林浴のおかげで一月前 に 93 歳で逝った母より長生きしそうです。 9 時 50 分トリアカステーラに到着。カフェがあります。自転車で巡礼中の2人連れの女性はオランダ から。ログローニョから歩いてきているスペインの4人組も到着。彼女達には昨夜もそうなのだが何か と助けられたグループです。リーダー格のローザと「トランキー」という合言葉で何度もの出会いがあ った。その意味は後々解るのだが、始めはわからないままお互いの楽しい暗号のように私達を繋いでい た。あまりのんびりとはしていられない。今日の目的地サリアまで 18.5 キロ残っています。 この日は暑かった。ここからもうふた山越えなくてはいけない。林の中の上り坂を進みます。 11 時 30 分 4 キロ地点の SanXIL 少し前に大きなホタテの水のみ場で休憩。さらに 6.7 キロを更に上り 坂。途中 4 人組と小川で童心に返る。 13 時 30 分 人家がある、真夏のような日・・・あったバル!おなかがペコペコ!先ずは生ジュースで ビタミン C を補給!この生ジュースはどんなに小さなバルでも絞ってくれる。スープ・パスタ・サラダ を注文。4 人組も到着。皆暑さでぐったりの様子。昨夜の頼もしいスペインの青年もやってきた。 22 200605-サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅.docx 2015-01-13 サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅 空腹を満たしサリアへ向かって歩き出す。 14 時 30 分 出発!30 分ほどで小さなアルベルゲがあったが先へ進む。雲行きが怪しくなってきた。更 に 1 キロ歩いた頃に新しい公営のアルベルゲ発見。サリアまであと少しだが、暑さの中、私達はかなり 疲れていた。手持ちの資料には無い素敵なアルベルゲだった。この巡礼の道を歩く人数も多くなり、特 にサンチャゴまでの 150 キロの地域にはカサと呼ばれる宿泊所やホステルが増えているようである。 La paloma y le?a:http://www.palomaylena.com/info 洗濯物を干しているところへ又 4 人組登場。雷交じりの雨が降り出した。彼女達もこのアルベルゲには 魅力を感じていたらしいが、サリアのアルベルゲに予約を入れてあるらしく、断念してもう少し歩くこ とになる。8 ユーロの夕食を申し込み、宿泊料が 8 ユーロ。 嬉しいことにクレジットカードが使用できた。ガルシア料理、豆のスープが美味しかった。 6月 10 日サリア 3 キロ手前(Sarria)〜ポルトマリン(Portomarin)44951(39597)25.9k 食堂で手持ちの朝食をとり、7時前朝もやの中を出発、サリアへ向かいます。 サリアまでは下りというより平らな道を歩き8時に到着。たくさんアルベルゲがあるがようだが、昨夜 のアルベルゲは良かった。 町中に入り、坂道に色とりどりの花が並べられていて、思わずホーと声が出てしまった。 アルベルゲから出てきた巡礼らしき女性にこの花道について聞くと、昨夜まで何も無くて今朝驚いたと の事。なんと一晩でこの道はできたらしい。詳しい事は解らないがセカンドイースターという説が濃厚。 上り坂が始まる。ガルシア地方らしく濃い緑の森に入る。屋久島を思い出す。9時過ぎ閉まっていたア ルベルゲの前で朝食をとる。今日も暑い日になりそう。日陰の無い道を歩き続ける。10 時 45 分バルだ。 顔見知りの顔がある。定番のカフェコンレチェで一息して再び出発! 12 時 26 分 Ferreiros で昼食!ドイツのクリスタとアンが席を空けてくれる。彼女達も2回に分けてフ ランスの道を歩いているとの事。サンチャゴまで気が合い連絡を取り合いながら一緒だった。本日のゴ ールポルトマリン直前、横浜から来たという女性に出会う。 彼女は相当疲れているようで、仕事の合間で2週間の休みを利用しての巡礼らしい。 賑やかな人で、ちょっと私も未だ調子が出ないままで、そのトーンについていけずゆっくりお話をする 気力がなく、程ほどにお別れをしてしまった。こんな私は今までに無いことで思い出すと心が疼く。 15 時半 ポルトマリンに到着。長い階段にアルベルゲの案内がある。私達は皆が選ぶアルベルゲは避け てもう少し奥のアルベルゲを選んだ。大きなところより小さなアルベルゲにしたかったのだ。ところが、 ふたを開けるとそれ以上に大勢のベッドのあるアルベルゲ。しかもとても庶民的で無料のところだった。 綺麗さから言えば階段の側のアルベルゲだったかも?そこは8ユーロだったそうだ。 ベッドの確保、シャワー、洗濯を終え町へ繰り出す。この頃になると町中顔なじみで“オラ!”バルで クリスタ、アンと合流。クリスタはドイツ語の他に英語、スペイン語が堪能である。おかげで楽にオー ダーができた。宿に戻るとベッドは満杯状態だった。私の隣のべッドには自転車野郎が就寝中。アルベ ルゲでは男女の別などは無い。1時頃、鼾で目覚める。私は鼾くらいではめったに目が覚めない。とこ ろが2段ベッドが2組づつセットになっていた為、隣のおじさんの頭と私の頭がかなり接近していたの 23 200605-サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅.docx 2015-01-13 サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅 だ。仕方なく頭と足の位置を変え再度眠りに着く。一度起きたらもう眠れないなんて私には関係の無い ことで朝まで爆睡! 6月 11 日ポルトマリン(Portomarin)〜ポンテカンパニャ(Pontecampana)46191(42019)29.4k なかなか体調が上昇しない!昨日横浜からの女性のお話も聞けないほど余裕の無い巡礼を、早く修復し なくてはいけない。このままの状態でサンチャゴに入りたくないと心に秘めて 6 時 40 分出発! 今朝は昨日とは違った橋を渡り森の中へ大勢が歩く。結構勾配のある坂を上り始める。ここでへばって は昨日と同じになると、我とわが身に鞭打って?ぐっぐと一歩一歩を上っていく!体が答えてくれる感 じだ!良い感じだ!後に同行の A があの時はすごい勢いだったと言われてしまった。私はこの時に再生 した感じだった。8 時 15 分 水飲み場で、昨日スーパーで買ったトマトとチーズを食べる。 直後 8 時半バルだ!朝食!先ほど少し食べたのでカフェコンレチェですませる。店にはこの家に代々使 われたものが飾られている。又女将さん作のクロスステッチが素晴らしい。 11 時 50 分 Casa A calzada でトイレ休憩。素敵なアルベルゲだったが時間的に早く、今日はサイトで見 つけた casa Domingo に泊まりたかった。13 時 34 分 に Palas de rey に到着。ここに泊まる巡礼者が 多かった。4 人組もここに泊まるようだ。我々2人はあくまでも casa Domingo。 通り道のホステルで昼食。8ユーロの巡礼メニューを食べる。メニューはスープ,メルルーサのメイン、 デザートはサンチャゴケーキ。こんな時間にこんなに食べてもう夕食は無理! アップダウンを繰り返しながら徐々に下り道。 15 時半 casanova の2キロ位手前、小川を渡ると目的 Casa Domingo があるはずなのだが? 林を抜け、橋を渡る、民家がある。お茶が飲めるのかな?などと思いながら入っていく。 ああここが Casa Domingo。でもこの時間でベッドはあるのか? 8ユーロでまだ十分にベッドはあった。やれやれ!巡礼者にとって8ユーロは結構お高い方だ。特にガ ルシアに入るとほとんどが無料で寄付というパターンが多い。 さすがに8ユーロ!素敵なプライベートアルベルゲ。後半は少々リッチな旅になっている。 遅い昼食と体の立て直しの歩きで私は非常に疲れていた。A さんは元気だ。私より5歳も上とはとても 思えない。見かけも私より若いが体力も・・・ 今夜の宿泊者は4名のイギリス自転車隊、サリアの手前のアルベルゲでご一緒だったドイツのご夫妻、 スペイン、アルジェリアの男性それに私達2人を含めて 10 名。 夕食は又折り紙で盛り上がり疲れた私はかなり頑張った。 いよいよこの旅も終盤に差しかかってきた。サンチャゴまで 100 キロを切った。今夜は夕食を取れない ほど疲れた私だったが、翌日から生まれ変わったように元気にゴールを目指すことになる。 part13 6月 12 日 ポンテカンパニャ(Pontecampana)〜アルスーア(Arzua)42549(32631)Km 24 200605-サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅.docx 2015-01-13 サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅 http://www.tsukubamon.jp/oldcolumn/view_column.php?article=column_burari49 昨夜は倒れるようにして爆睡!何もしないで寝てしまったので少し早起きをして支度する。朝食は手持 ちのオレンジジュースを飲み、昨夜顔なじみになった面々とお互いの成功を祈りながら夫々に出発。7 時に私達もこの居心地の良かったアルベルゲを出る。 林や森のアップダウンを歩き、casanova を過ぎる。県道に出たところでバルがあり、8時半朝食とな る。昨夜は豆スープだけだったのでさすがに空腹感を感じる。 カフェコンレチェとホームメードのケーキ。A 相変わらず食欲旺盛で、オムレツを注文、お裾分けをい ただく(A は本当に私より5歳も上?と疑ってしまうほどパワフル)。 再び林の中、草原、古い石橋、住宅街と黄色い矢印に導かれ歩いた。10 時、思ったより早くメリーデに 到着。メリーデ名物茹で蛸がある。こんなに早く着くのだったら朝食を少しセーブしておけば良かった。 でもここで名物をパスは考えられない! さて、どこがおいしい店?と思っていると、昨夜同宿だったウルグアイの青年が出てきて“ここだよ” と目配せ。顔なじみがちらほら。クレスタ、アンもいる。A の元気を超えている人ばかり。茹で蛸の大 とワインを一人でぺろり!う?ん!参った!私達は小を二人で頂きました。これから未だ歩かなくては と思うとセルベッサやワインはとても飲めない、オレンジジュースで乾杯! 11 時出発、とその前に、店を出た所で果物屋。にら饅頭のようなこの桃、パラグアヤ(Paraguaya)と 申します。味は正に白桃なのです。私のお気に入り桃です。スペインへ行かれる事がありましたら、お 試しください。マドリッドのスーパーでも見かけました。私達は6月に頂きましたので、多分季節は6 月頃?町を通り抜けるとよくぞ育ったと思ってしまう程高い木の林、そして牧草地と景色が変わります。 12 時 40 分頃、公園にベンチがあり、他のグループが昼食中。私達も休憩です。気温がだんだん高くな ってきました。暑い日はこまめに休み、水分補給が大事です。1時 10 分メリーデから 5.6 キロ地点の BOENTE です。そこから教会や住宅地を通り抜け、トウモロコシ、ジャガイモ畑の側を通り、リバッ デッソ・デ・バイショへ 5.3 キロほど進みました。 通りに人家が見えてきます。2時半、川で若者達が火照った足を 楽しそうに冷やしているのが見えます。 アルベルゲがあります。ここにも顔なじみが既に登録をすませて くつろいでいました。 アルトルで親切にしてくれた女性と再会。あの時 A がへばってい た時にクッキーをプレゼントしてくれた彼女です。静かな女性で 支えてあげたくなるよう人ですが、なかなかの健脚です。もう元 気になった事とその時のお礼を告げて、私達はもう少し先へ進み ました。 アルスーアまで後 2.7 キロと思って歩き出したが結構長く感じた。 2.7 キロの間、頼りの矢印やホタテが少なくて心細い思いをしながら進みました。 何とかアルスーアまで到着後アルベルゲを訪れるも宿泊する気にならなくて、少し先のカサに宿泊。 10 ユーロとちょっとお高いがよく頑張ったご褒美という事にしよう。台所と洗濯機もある、さすがだ! ポルトマリンで一緒だった二人組、サリア手前のアルベルゲやドミンゴのカサで一緒だったドイツのご 夫婦、それにクリスタとアンも次々とやってきた。 25 200605-サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅.docx 2015-01-13 サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅 台所もあるので夕食にはご飯を炊こうという事になり、レストランへ行きかけたクレスタとアンも合流 する事となり、急遽パーテイとなった。日本食は大人気。“明日の宿はどこ?”なんて質問まで出て大 笑い!おにぎりは明日の朝食と昼食になる。 6月 13 日 アルスーア(Arsua)〜ラパコージャ(La vacolla)48851(43846)Km ロビーで昨夜の残りのおにぎりの朝食を取っていると、クリスタとアンがやってきた。 クリスタは風邪を引いたらしく荷物を次の宿へ送る手配をして歩くという。昨日夕方から雨が降り今日 は気温が低い。次の宿は casa de Amariciio と教えてもらい再会を約束して私達は出発した。 今までもあったが、都会での目印は見つけにくい。サンチアゴに向かって歩くのだが、標識は必ずしも 旧巡礼道とは限らない。今回もやはり道がずれてしまった。自転車組はいるが歩きの巡礼者の姿が見え ない。実に不安な気持ちになる。とにかくサンチャゴに向かうしかない。 それでも神様は見放されなかった。ザック姿が現れた。巡礼道に戻ったのだ。 歩きやすい巡礼道になった。昨夜パーテイに加わった高校生とママが前を歩いている。 彼女達はこの巡礼道を歩き夏休みの研究課題とするそうだ。きっと研究課題以上の何かを得る事だろう。 巡礼もサンチャゴまでの距離が近くなるに従って、履きつぶされた靴がこのように置かれているのをよ く見かけた。また歩き終わった後、サンチャゴから出発地点へ歩く向かう巡礼者を見かけるが、青いク ッルと巻いた矢印は逆方面の矢印なのだ。 森の中で昼食を取り、私達はサンチャゴを目指し進む。国道を越え、住宅街、麦畑と歩くうちにサンチ ャゴまで 12 キロの地点の道標を見る。14 時 44 分。今日中にサンチャゴは無理かな?? クリスタと約束した宿にも到着していない。空模様も怪しくなってきた。 1時間ほど歩くとぽつぽつ顔に水滴が……そうこうするうちに casa de Amadecio の看板。 サンチャゴまで9キロの位置(casa の張り紙は9キロだったが、 地図では 10.2 キロだった、ここはスペイン!距離の点はアバウ トで……) 。部屋は個室二人で 40?。昨日よりさらに高いがもう歩 けないのでここで泊まる事にする。クリスタはレストランで一服 中。アンナはお昼寝中であった。スペイン4人組もやってきた。 皆で最後の晩餐だ。我々の部屋のヒーターが作動せず震えている と、4人組のリーダーローサがホテルに掛け合ってくれてヒータ ー作動!お陰で洗濯物もよく乾いた。最後まで彼女達には世話に なった。 6月 14 日 ラパコージャ(La vacolla)〜サンテイアゴ デ コンポステーラ 28096(15461)10.2 Km 26 200605-サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅.docx 2015-01-13 サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅 いよいよ今日はサンチャゴに到着する日。比較的好天に恵まれた私達の巡礼。神様もガルシアでやはり 雨の洗礼が必要だろう?と思ったのか、目覚めると本格的な雨!そういえば昨年レオン到着の日の出発 も雨だった。ローサ達は完全武装で出発”Buen Camino!” 8時私達も出発です。やっと持ち歩いた雨具が役に立ちます(笑) 9時前にモンテゴッサのモニュメントに到着。ここにも履きつぶされた靴が残されています。 どんな人がここに置いて行ったのか?後 4.4 キロ何を履いてゴールまで歩いたのか? モニュメントを下ると、モンテゴッソには大きなアルベルゲがある。昨夜 Casa の受付で出会ったドイ ツ人夫婦はきっとこのアルベルゲまで歩いたのだろう。彼らとはまた後日会う事が出来た。 雨の中を1時間歩き、ここでトイレ休憩とセルフサービスの食堂で私達は朝食をとる事にする。 一休みしている間に雨は上がり、すっかり良い天気になっていた。やっぱり私は晴れ女! いよいよサンチャゴへ向かって最後の歩き。サンチャゴはすごい都会だった。世界中の巡礼者がやって くる。石畳の道を歩き、カテドラルは近い。迷路のような道でなかなか目的の場所にたどり着かない。 カテドラルの側にきた時やっと事務所が見つかった。 入り口には仕事を終えた杖が納さめられていた。中の受付で聞くと手続きは2階だとのこと。行くと顔 なじみの顔がちらほら!思わずお互い汗だらけの身でハグし合い完歩を喜び合った。800 キロの距離を 歩き終わった者だけが全身で感じる喜びなのだ。 手続きに応対してくださったボランテイアの方は優しかった。この巡礼の目的を聞かれる。それによっ て証明書が違ってくる。本来はクリスチャンの人々がこの地への巡礼をするのが目的だが、皆さん心が 広く私のような無心論者も受け入れてくださった。私は正直に“チャレンジです”と答えた。各地で押 していただいたスタンプ帳とこの証明書は私の宝です。 ここのオフィスでは各地への飛行機や長距離バスの手配もしてくれる。私達はちょっと高いけどマドリ ッドまで飛行機で行く事にして手続きをしてもらった。 手続きを終え,オフィス近くのホテルを見つけチェックイン。 荷物を置きカテドラルへ行ってみる。ローマのヴァチカンへ行った時、本気でクリスチャンになりたい と思った事がある(敬虔な信者の方からは不謹慎とおしかりを受けそうですね)。ここでもそんな気分 になります。やはり単なる観光だけの感覚にはなれないその時の私でした。 このカテドラルは教会内のツアーがあると聞いていました。 早速申し込みに行くと、英語のツアーは明日、今夕あるのはスペイン語のツアーだとの事。 日本語はないのだから私達にとっては英語もスペイン語もよく解らない。それに明日からフィニステー ラへ向かって 120 キロの巡礼集大成が始まる。5時からのツアーを申し込む。 広場へ出るとスペイン4人組と出会い、記念撮影。 27 200605-サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅.docx 2015-01-13 サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅 ツアーが終わり、広場を歩いていると、土浦出身の M さんと、夫のマー君と出会う。これからパラド ールへ夕食をしに行くとの事。なんと豪勢な!と思っていると、巡礼者先着 10 名がパラドールの食事 を無料だというではないか。頂いた証明書のコピーを持参してパラドールの駐車場で待つ。昔サンチャ ゴのパラドールは巡礼の為の病院だった。いつまでもその精神を忘れない為に毎日昼と夜の食事を 10 名まで無料で振る舞っているとの事だ。時間が来るとホテルのマネージャーがパラドールの中をくねく ねと案内してくれた。因に私達は9番目 10 番目だった。 M さん夫婦はベジタリアンなのだが、用意された料理は受け取らず、しっかりベジタリアンである事を 伝える。少し遅れて別メニューが用意された。ワインも上々でした。 無料でパラドールの夕食を頂く事が出来たという事より、パラドールの日頃は入れない所にはいり、そ こを見る事が出来たというのはすばらしい経験でした。ヤコブ様ありがとう! 明日からは4日かけて 120 キロを歩く。通常サンジャンピエードポーを出てサンチャゴへの 800 キロを 歩き終えフィニステーラへバスで行く人が多いが、私達はあえて歩いていくことにした。 part14 巡礼者の多くはサンチャゴのその後、 「地の果て」と呼ばれている町フィニステーラを目指す。 私がこの地の果ての事を知ったとき、バスで行くと聞いていた。今年は昨年より少し日程を取っていた ので歩ける日が残っていた。しかも、Muxia へ行く事が出来るとは思っていなかったが、案内所で資料 を手に入れた時 Muxia まで行ってこそ私の巡礼の旅が完結すると思ったのです。 6月 15 日サンテイアゴ・デ・コンポステーラ(Santiago de compostela)ネグレイア(Negreira) 338373 歩(30006)21km サンチャゴではアルベルゲには泊まらず巡礼事務所の近くのホテルに宿泊。朝食が8時からなので久し ぶりに朝寝をする。豪華な朝食だった。 9時、4日間の旅なので不要と思われる荷物をホテルに預け出発。 サンチャゴは大きな町、それにサンチャゴから更に歩く巡礼者は少ない。今までのように目印が簡単に 見当たらない。終点まで平均 30km 迷っている時間はない。用心しながら先に進む。9 時 45 分、町外 れの公園の近くでやっと懐かしいホタテのマーク。ムシアまで 88.02km とある。今日の目標まで 19km ある。町が終り、山の中を歩く。1,000 年前の巡礼道もこのような道が多かったのではないだろうかと 思われる。今までにも何カ所かあったが、幹が真っ黒に焼けただれている森を見かける。数年前に山火 事があったらしい。 11 時 50 分、住宅街に出る。先ほどの標識から5km 地点、後 16km。バルでカフェコンレッチェ{カフ ェ ソロ(エスプレッソ)にミルクを注いだ、いわばコーヒー牛乳}とプデイングで一息。20 分ほどして再 出発。ちょっと気が緩んだのか?20 分程歩いた所で通りかがりの車から声がかかる。どうも逆方向を歩 いていたらしい。みんな優しいなあ♪感謝! 道を戻る途中にある巡礼道らしい門構え。又建築中の家がいっぱい!13 時 20 分 アグアペサーダでス ープとスペイン風オムレツで昼食。ここにはセルベッサを出すスペインらしいものも。更に私達は5km 進んでいた。本日の行程の約半分、14 時出発。ローマ時代とおぼしき石橋を見ながら更に進む。 気持ちの中に少し焦りを感じながら歩いている私達。フランスの道と違い、アルベルゲは沢山はない。 それでもこの道を歩く人はそんなにいないので泊まれない事はないと聞いている。それだけが頼りだっ た。しかし、何時頃にたどり着くのだろうか?バス停に案内の地名を見つけると、進んでいるのを確認 できた気持ちでほっとする。 “Carballo”後8km。歩き始めて1時間経っていた。川のせせらぎにいや される、40 分経っていた。 28 200605-サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅.docx 2015-01-13 サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅 ネグレイアの名前を目にした時「着いた!」と思ったのだが、この町は大都会だ!どうやらアルベルゲ は町はずれらしい。夕方の照り返しは疲れた体にこたえる。 “アルベルゲはどこだ?”巡礼者発見!強い 味方が現れた。やっと見つけたアルベルゲの看板、16 時 59 分だった。 アルベルゲは既に巡礼者でいっぱいだった。ホスピターレの方は6時に来るという事で受付を待ってい た。悩んでも仕方がない何とかなるさと、我々も待つ事にする。 中から土浦出身の M さんがきた。彼女達は 14 時に到着してベッドは確保できているらしい。 ガレージ宿泊を経験した我々、寝袋があれば大丈夫! 彼女達が町に買い物に出かけるというのでお買い物を依頼して、本日は自炊になる。 次にマカオのシンキもいてロビーにマットと寝袋での一夜だったが、何とか私達は寝る事が出来た。 又シンキの知り合いの男の子、実は横浜の 31 才の青年。終点までこの二人と同行するとはその時思い もしなかった。とにかく寝よう! 6月 16 日ネグレイア(Negreira) オルベイロア(Olveiroa)50991 歩(47477)33km 午前5時半、階段を下りる音で目が覚める。暗闇で荷物を整え私達も出発の準備!私達と同年代の多く は堅実で、用意した朝食を台所で取っている。我々も昨日買っておいた果物を食べて、薄暗い中を歩き 出す。外に出ると、寝袋にくるまり外で寝ていた若者にびっくり(◎_◎;) すぐに山道に入る。上り坂は結構きつい。一時間後、夜があけてきた。山に向かって登る途中、木々の 合間に射す光が美しい。山をぬけてやっと道に Bar のマーク!少し道がそれるような気がしたが、地図 を確認して先で合流する事を確認。先客がいっぱい、我々もここで朝食をとる。 この日は一日小雨が降ったりやんだり、山を林を抜け小雨に緑が美しかった。 午後に入ると皆の姿が見えなくなった。みんな早い!目印がなかなか見当たらない。 16 時 15 分、アルベルゲの案内が見える。同行の A の足が痛み始めたので、私は先に行って宿を確保す ることにする。アルベルゲはオフィスの住宅を中心にして数カ所ある。私達は小さな小屋の2階との事。 2階になんとシンキと、昨夜知り合った青年ヨウジがいる。私達が出発した時は未だ寝ていたのに、い つの間に私達を追い越したのか?「ずるしたでしょう」と冗談を言うと「歩いてきましたよ!」 どうやらバルに寄っている間に抜かれたらしい。 部屋には二段ベッド、シングルベッドと大きなマットが一つ、4人から5人の部屋のようだ。大きなマ ットに A は倒れるように寝てしまった。本来はこの大きなベッドに二人は寝る事が出来るが、もう彼女 には二段ベッドの上に寝る気力も大きなベッドを二人で共用する力も残っていなかった。30 分後一人こ こで寝られないかと尋ねられたが、申し訳ないが他をあたってもらう事にした(ごめん) シンキ、ヨウジそれに私と近くのレストランへ夕食を取りに行く。疲れていたので巡礼メニューは全部 入らないのでオムレツとワインで済ませた。後から A が私達を探してやってきた。彼女はさすがに食欲 が落ちていない。一眠りして私の倍は食す事が出来た。恐れ入った(笑) A は、明日とても歩く事は出来ないので、タクシーでムシアまで行く事にするとの事。明日も雨だろう。 私の心は揺れる。しかし、やはり歩きたい。A に起こさないで出かける旨を伝える。 ヨウジは現在スペインのサンタンデールに建築家のスペイン人の彼女と暮らしていて、ちょっとしたも め事があり彼女に巡礼をしてじっくり考えてくるように云われ歩いているとの事。 船を造る勉強をしながら、今は主夫をしているそうな、悩みは未だ解決できていないようで昨夜おばさ ん二人、お説教をしてしまった。 実は彼、夫の若い頃に似ていて、夫もあの頃、状況、問題は全く違うが、こんな風に悩んだ事もあった のかも?とこの年にして見えてくるものもあり。年を取るのも悪くないものだと巡礼の旅、終盤にして 彼との出会いは不思議なものを感じたぶらりだった。 今日も 33km の距離だったが、アップダウンが多く、50km くらい歩いた感じだ。就寝 zzzzzzzzzzz 29 200605-サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅.docx 2015-01-13 サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅 part15 6 月 17 日オルベイロア(Olveiroa)-ムシア(Muxia)58284(52392)30km 早起きする予定が、四人とも7時半までぐっすり。ヨウジが「ぶらりさん、僕は1秒で寝た人に会った のは初めてです。びっくりして 40 分も眠れませんでした」と言われてしまった。寝付きが良いのは自 他ともに認める有名な話だが1秒は大げさでしょう(笑) A は足首のトラブルで用心して、今日はムシアまでタクシーで行く事になった。シンキと二人で歩く事 になる。出発からすごい雨、少し登った時には雷、昨日今日と今までの分、一気に雨風雷のオンパレー ド!これも経験経験!不思議と雷が恐くない、本当は危険なので雷のなっている間は避難したりするも のである事を、最近知ったぶらりである。雷も数分で終了。 1時間程歩くとバルがある。朝食にカフェコンレッチェとボカデージョを注文。大きなボカデージョで 食べきれない半分ラップしてもらう。おかみさん明るくて商売上手!盛んに 15km 先までバルは無い よ!外の看板にもそう書いてある。後で解った事は、フィニステーラ方面は確かに何も無いらしい。し かし、私達の目的地ムシアへの道にいくつものバルがあった。 陽気なおかみさんと温かいカフェコンレッチェで私達はすっかり元気になった。少し行くとムシア、フ ィニステーラへの分かれ道の道標がある。もちろん右のムシアへ進む。 12:50 バルを見つけて昼食。優しい若いマスターオレンジの生ジュースで体の疲れの回復を感じさせて くれる。思わず2杯おかわりをしてしまった。 朝の残りをここで食べて、新しくボカデージョを作ってもらう事にする。 1:30 十分な休憩を取り、再出発!雨も止み、リュックの後ろに昨日乾かなかった洗濯物をひらめかし ながら歩く。後半ムシアまでの8km 地点頃から矢印が無い事が多く苦労する。 サンチャゴまでと違い、他の巡礼者になかなか出会わない。 最も速度の遅い私達もう既に先を歩いているのだろう。台風でも吹いたのだろうか道無き道がある。 本当にこの道で良いのだろうか?と不安になる。 タクシーで既に到着している A と連絡が取れる。アルベルゲがきれいでベッドが沢山あるとの情報。な んだか心が明るくなる。雨具を着ていると蒸し暑い。そうかと思うとまた雨!天気が不安定だ。 山を下り始めると、遠くに海だ!二人で手を取り合い、もうムシアに到着した気分だった。世の中そう うまくは行かないようだ。3km くらい歩いてもなかなかムシアらしい所に辿り着かない?元の道に引 き返す。電話で確認を取る。A が「ベッドがなくなりそうよ、早く!早く!」 そんな事行っても黄色いホタテ?矢印?やっと見つけた目印と近所で聞いた方向へ進むが行き止まり になる。 「えっ!どこ?」戻るがやはりこの道なのだ!柵を乗り越え砂地を歩く。見えた、A が教えて くれた目印の建物!やっと港町らしい町に到着。残りのベッドも少なく A のお陰で今夜のベッドにあり ついた。既にヨウジも到着していた。彼も私達が苦労をした場所で迷ったのと事。「まさかあの柵を越 えるなんて思いつかないよねえ」何はともあれ全員到着! A とヨウジが探しておいてくれたレストランで、全員の無事を祝ってかんぱ〜い!ここのワインはぐい 飲みで乾杯。 。 。おもしろ〜い!又港町らしく海の幸もなかなか美味でした。 目印が少なくて大変だったが、終わってしまえば今日の歩きは良かった。 30 200605-サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅.docx 2015-01-13 サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅 6 月 18 日ムシア(Muxia)〜フィニステラ(Fisterra)54260(41465)30km 今日は巡礼再終日。足に不安のある A、途中までタクシーと行っていたが、最後の道をやはり歩いて終 わらせたいと歩く事に決定。 7時半に出発するも、相変わらず黄色いホタテもしくは矢印がみあたらない? お釈迦様の手のひらのようにムシアの町中をぐるぐる回っている感じだ。 ムシアの町を早朝散歩してしまった。手持ちの食料で朝食とする。 そこへシンキがやってきた。結局3人で歩く事になる。 (余談だがシンキのリュクには乾かなかったかわいいパンテイが♪プラプラ♪我々も5本指の靴下を ブラブラさせながら歩く事はあるが、おばさん二人ハテどうしたものか?思案しながら後を歩くが、今 の所、誰もいないししばらく様子を見ようと言う事になった。数時間後ヨウジと出歩く事になった時い つの間にかリュックの洗濯物は消えていた。リュックにちゃんとしまったらしい。やはりおばさんだか ら安心していたのだな〜納得) 前方から地元の早朝散歩組がやってきた。そのうちの一人の男性が、鳥羽にいた事があると、日本を懐 かしがってくださった。我々を見て「フィニステーラへいくのかい?」「それならここから?」「フィニ ステーラへの分かれ道を気をつけて」と親切に教えてくださった。 無心論者の巡礼者にも神は公平に助けをくださる。感謝感謝! いつしか私達は又"→"を見失う。再びカミーノへの道を外れたらしい。道を尋ねながらオランダの巡礼 者と出会う。やっとカミーノの道へ戻り私達は4人旅となる。今日の道には川を渡らなくてはなる。さ て思案のしどころと話題になっていた所、目の前にその川が現れた。 逆を歩く一人旅の女性が、渡り終わった所だった。かなり川の流れは早い。私は沢歩き用のサンダルを 持っていた。膝の弱い私には必要なものだった。深さもある、渡り木があったらしいのだが大雨で流さ れたらしい。誰も頼れない。自分の力で渡るしかない!女は度胸!大和ナデシコの底力を発揮する時が きた。昨年からの 900km の道のりを共にした背中の荷物をしょいながら、バランスを考えながら行く 事だ。先を歩いているものと思っていたヨウジがやってきた。さすが男の子、難なく渡ってしまった。 さて、難関の川を渡り終えた所に久しぶりにドイツの夫婦がやってきた。私達は先輩風を吹かしてお二 人の検討を祈りながら先を急いだ。 バルでやっと昼食となった。そこへあのドイツのご夫婦。渡れなかったとご主人の方が「自分は大丈夫 だったが妻がねえ」このカップル、妻の意見が絶対なのです(笑)急遽皆でランチタイム! ドイツのご夫婦は遠回りをしてムシアへ向かうそうだ。私達は5名となり終点フィニステーラへ向かっ て歩き出す。目印が無い。紛らわしい目印もあり、私達は戸惑うばかり。皆の意見を出し合いながら先 へ進む。そして出たのが海岸だった。多分間違ったのだ。しかしこの海岸を歩いて行けない事は無い。 ここで我々はこの美しい景色を見ながら休憩する事にした。この美しい景色は疲れた私達に神様がくだ さったプレゼントに違いない。既に 15 時を回っていた。日のあるうちに私達は辿り着けるのだろうか? 巡礼道に戻る。フィニステーラの標識を見つけた時の嬉しさ。地の果てフィニステーラへ辿りつける確 信を皆がもった。人家が見える。海だ。遠くに海を見た時、私は体中に何かが走るのを感じた。うまく 説明が出来ないが、私のすべてが浄化した気がした。背中の荷物の重さも感じなくなっていた。私の体 にぶら下がっていたすべての重荷がなくなってしまった。ゴールまで後 10km の地点だった。足も軽く なりアルベルゲまで飛ぶように歩いて行った。嘘のような本当の話です。今でもあの時の体中を走った 何者かを時々思い出す事があります。 31 200605-サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅.docx 2015-01-13 サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅 2年かけて歩いた 920km の道。本当に歩いて良かったと思いました。 私の還暦のイベントとして、人生の再出発にふさわしいイベントでした。 長らくおつきあいくださって、ありがとうございました。 [参照資料] つくばもん 読み物 バラエティあるコラム Back Number(2010 年 2 月まで) http://www.tsukubamon.jp/oldcolumn/index.html 32 200605-サンチャゴ巡礼道 900 キロの旅.docx 2015-01-13
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