1 マイクロソフト独占禁止法訴訟と政権交代 クリントン政権からブッシュ

久保文明研究会卒業論文
マイクロソフト独占禁止法訴訟と政権交代
クリントン政権からブッシュ政権への移行を中心に
4年
序章
林
亜紀子
はじめに
第1章 マイクロソフト訴訟の経緯
第1節
司法省対マイクロソフトの係争
第2節
1998 年反トラスト法事件
第3節
司法省との和解
第2章
第1節
ハイテク産業への訴訟提起
第2節
国際カルテルの摘発
第3節
大企業合併審査の厳格化
第3章
終章
クリントン政権の反トラスト法政策
ブッシュ政権誕生とマイクロソフト訴訟
第1節
2000 年大統領選とハイテク業界
第2節
司法長官の人事転換
第3節
反トラスト局長の人事転換
おわりに
序章:はじめに
アメリカでは、日本における独占禁止法は反トラスト法(Antitrust Act)と呼ばれている。反
トラスト法は、1890 年に制定されたシャーマン法、1914 年に制定されたクレイトン法、連邦取引
委員会法の3つの法から成っており、これらの反トラスト法を執行するのは司法省反トラスト局
と連邦取引委員会(FTC)という2つの機関である。司法省では、司法長官は大統領に任命され、
その他司法副長官、司法次官、反トラスト局長といった主要なポストも、全て上院司法委員会公
聴会を経て、上院での承認を受けた後、その職に就任する。また、FTC でも委員長1人、委員4
人は大統領による任命後、上院司法委員会公聴会を経て、上院での承認を受けた後に就任する。
このように、反トラスト法の執行に関わるポストは政治的に任命されているため、この法の執行
は政治的側面も非常に強い。iまた、同じ法であっても、その時の政権の執行方針によって大きく
変化することがある。本論文では、反トラスト訴訟において政権の転換が及ぼした影響について、
「世紀の大訴訟」と呼ばれるほど大きな事件に発展した「司法省 vs マイクロソフト」事件を具体
的事例として検証していきたい。この事件では、マイクロソフトは 2000 年 6 月の地裁判決で分割
を命じる厳しい判決が下されたにもかかわらず、2001 年 6 月の高裁判決ではこの地裁判決を棄却
する判決が下され、その後司法省の態度は軟化し 2002 年には両者の和解が成立した。このように、
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分割という厳しい要求をも突きつけた反トラスト当局の態度が和らいだのは、2000 年大統領選挙
でブッシュが勝利し、民主党クリントン政権から共和党政権が誕生したことが要因となったので
はないか、という意見が挙がっている。本論文では、クリントン政権の反トラスト法運営を検証
したのち、ブッシュ政権になって変動した要因について検証し、政権の変化と反トラスト法執行
との関連性について論じていきたい。
マイクロソフト訴訟について扱った論文はいくつか存在するが、その多くは法律的な側面から本訴
訟を分析しているものであり、政治的な要因について言及しているものは数少ない。日本語の論文で、
本論文に最も近いテーマを扱っているのは、久保ゼミ9期生清瀬航太氏の「マイクロソフト訴訟に見
られる政治的側面 ロビー活動が及ぼす影響を中心に」
(久保ゼミ9期生卒業論文集、1999 年)である。
この論文では、1999 年までのマイクロソフト訴訟に見られる政治的側面について、議会でのロビー
活動に焦点を当てて政治的観点から考察している。
英語の文献では、John Heilemann 氏の”Pride before the fall : the trials of Bill Gates and
the end of the Microsoft era”(HarperCollinsPublishers, 2001)がマイクロソフト訴訟を深く掘
り下げて扱った代表的な文献であると言える。この文献では、地裁判決を下したトマス・ペンフィー
ルド・ジャクソン判事、またマイクロソフト会長のビル・ゲイツ氏やその他反マイクロソフト側の主
要な人物に著者自身がインタビューを行っており、その生の発言が数多く掲載されている点が興味深
い。この訴訟の裏の真実を見ることができるとともに、この訴訟に関わった多くの人物について詳し
く知ることができる。しかし、政治的側面については、ところどころ関連する内容は含まれているも
のの、ドキュメンタリー的要素が強く、分析としては弱い。また、1999 年の地裁判決までしか書かれ
ていないため、本論文で中心として扱う政権交代との関連性についてまでは指摘されていない。
本論文は、上に挙げた2つの研究と比較すると、政治的な視点からマイクロソフト訴訟を分析して
いる点で、清瀬氏の論文に近いと言える。しかし、清瀬氏の論文ではロビイングを中心的に扱ってい
るが、私の論文では、議会ではなく政府側の視点から政権交代によるマイクロソフト訴訟の性格の変
化について焦点を当て、クリントン政権からブッシュ政権への移行の時期に焦点を絞って論じている
点にオリジナリティがある。さらに、政権交代による政策の変化の影響を、人事の転換を中心的に扱
うことによって明らかにしていくという点も、本論文のオリジナリティであるといえる。
また、本論文のアメリカ政治研究としての意義は、まず第一に訴訟と政治との関係を明確に分析す
る点にあると考えられる。マイクロソフト訴訟に限らず、他の有名な訴訟においても、法律的な側面
から論じられた論文は数多く存在するが、政治的な側面から分析された論文は意外にも少ない。しか
し、アメリカでは裁判官が支持政党を明確にしているなど、政治的な側面が非常に強い。マイクロソ
フト訴訟という歴史的な事件において、政治との関連性について論じることはアメリカ研究史におい
ても重要なことだと考えられる。
第二には、訴訟と政権交代との関連を分析している点が挙げられる。これまで、政権と訴訟との関
連はあるとは言われながら、それを明確に分析した論文はあまり出てこなかった。さらに、1998 年に
始まった反トラスト法違反事件の訴訟は、2000 年の大統領選挙によって民主党のクリントン政権から
共和党のブッシュ政権へと転換した。大統領の政党が転換するという時期はそう数多くあるものでは
ないが、このターニングポイントにまたがって訴訟が展開されたというのも、貴重なタイミングであ
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ったといえる。よってこの変化について論じることは非常に意味のあることだと考えている。
まず始めに、第1章において、いわゆるマイクロソフト訴訟、
「司法省 vs マイクロソフト」事件の
経緯について述べていくこととする。そして第2章ではクリントン政権ではどのような反トラスト政
策が行われたかについて述べ、第3章では 2000 年大統領選挙においてマイクロソフトがどのような役
割を果たしたかを明らかにした後、ブッシュ政権誕生によって変動した要因について論じていきたい。
第1章
マイクロソフト訴訟の経緯
第1節
司法省対マイクロソフトの係争
マイクロソフト訴訟をめぐる係争は、FTC の事務局スタッフが 1990 年にマイクロソフトに対す
る調査を開始したことが発端である。1992 年末に FTC 事務局スタッフは「マイクロソフト社はオ
ペレーティングシステム(OS)市場を不法に独占しており、またアプリケーションプログラムの
開発販売における不当な優位性を維持している」として、マイクロソフト社の MS-DOS ライセンス
行為を一時差し止める仮差止命令を連邦地裁に申し立てるべしとの勧告が行ったが、これは 1993
年 2 月に賛成 2 反対 2 で却下された。iiまた、同年 7 月にマイクロソフト社に対して、FTC 法 5 条
に違反しているとして行政手続を開始すべしとの事務局スタッフの勧告は、再び 2 対 2 で却下さ
れた。二度にわたって審判開始の決定が見送られたことは、マイクロソフト側の強力なロビー活
動があったことを物語っている。iii
しかし、これを不満とした司法省は自ら調査を開始し、1993 年 8 月に提訴を行った。そして 1994
年 7 月、マイクロソフト社が競争をなくすために OS に関する支配力を行使することを禁じる同意
判決が下され、1995 年 6 月には司法省はマイクロソフト社が PC メーカーに対して、Windows95 を
搭載させて PC を出荷する際には他のマイクロソフト製品を抱き合わせさせないという同意判決
に署名したことで、調査を終了した。これが「1995 年事件」である。iv
だが、事件はここで完結しなかった。1997 年 10 月、司法省はマイクロソフト社が 95 年の同意
判決に違反しているとしてワシントン連邦地裁に法廷侮辱罪で提訴した。同地裁の判事であるト
ーマス・ペンフィールド・ジャクソン判事は、マイクロソフト社に対し Windows95/98 にマイクロ
ソフト社のインターネット閲覧ソフト(ブラウザ)であるインターネットエクスプローラー(IE)
の抱き合わせを強制することを禁止する仮差止命令を言い渡した。この判決を受けて、マイクロ
ソフト社は 1997 年 12 月、連邦控訴裁判所に上訴を行った。1998 年 5 月、連邦控訴裁判所は仮差
止命令は Windows98 には適用されないとの判断が下され、同年 6 月には連邦ワシントン特別区上
訴裁判所は、抱き合わせを禁じる仮差止命令を2対1で覆す逆転判決を言い渡した。ここまでが、
「1997 年同意判決事件」と呼ばれるものである。v
第2節
1998 年反トラスト法事件
1998 年 5 月、アメリカ 20 州とワシントン DC の検事総長、および司法省はマイクロソフトの次
期 OS「Windows98」に対し、ブラウザを組み合わせるのは反トラスト法違反の抱き合わせ販売に
当たるとして、それぞれワシントン連邦地裁に提訴した。司法省側の主要メンバーは、
、反マイク
ロソフト急先鋒の弁護士であるゲイリー・リバックに焚きつけられて提訴に踏み切った、反トラ
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スト局長ジョエル・クライン、そして数々の事件で勝利を収めてきた敏腕弁護士のデビッド・ボ
イズといった面々であった。一方、マイクロソフト側はビル・ニューコム弁護士を中心とした弁
護士団でこれに対抗した。vi
司法省や各州当局は、抱き合わせ販売はマイクロソフトがブラウザ市場でライバルのネットス
ケープ・コミュニケーションズを追い落とすため、OS 市場で 90%という圧倒的なシェアを持つ
Windows の支配力を不当に利用しているとしていた。これに対し、マイクロソフトは「OS とブラ
ウザーは一体のものであり、抱き合わせ販売には当たらない」と反論し、全面的に争う構えを見
せた。
法廷では、ボイズ弁護士が大活躍を見せ、司法省側が優位に立った。8 月 27 日、ゲイツはボイ
ズを相手に行われたビデオ証言において、30 時間にわたる証言の間、ゲイツがきちんと質問に答
えることはなく、椅子を揺らしたり座り直したり、すねているようにも相手を軽蔑しているよう
な態度を見せた。このビデオ証言のせいで、マイクロソフト側の証人の信頼性そのものが問われ
ることになった。vii
1999 年 3 月 31 日、ジャクソン判事は結論は「事実認定」と「法の適用」に分けると宣言した。
ジャクソン判事がこのような決定を行ったのには理由があった。もし分割命令を下すとすれば、
その指示を与えなければならないが、彼は、ビジネスについては詳しくない。そのため、
「事実認
定」において独占の存在を断定し、マイクロソフトに危機感を持たせることで、和解への道を開
こうとしたのだ。しかし、春から行われていた和解交渉では、マイクロソフトは行為の是正も視
野に入れていたにもかかわらず、交渉は 1998 年 5 月に決裂した。なぜなら、政府側は行為是正だ
けでは不服であり、分割も含めた構造的是正を求めていたからである。viii
この対立につき、ジャクソン判事は自らの敬愛する、著名な法学者リチャード・ポズナー判事
に調停役を依頼し、調停を開始させた。1999 年 11 月からこの交渉は行われたが、これは決裂に
終わった。この理由は、連邦政府が「是正措置」で和解してもよいとの姿勢を見せたのに対し、
マイクロソフト側がこの是正措置は実質的な分割に等しいとし、また 19 の州(1 州は途中で脱退)
は和解提案を突っぱねていたことから、連邦政府とだけ単独和解しても無駄だと考えたためであ
る。ix
こうして和解交渉決裂が決定的になった 2 日後の 2000 年 4 月 3 日、ワシントン連邦地裁はマイ
クロソフト社の独占禁止法違反を認める判決を下した。そして同年 6 月 7 日、同地裁はマイクロ
ソフト社に対し「是正措置命令」を下した。この「是正措置命令」は、マイクロソフト社を基本
ソフト(OS)部門とアプリケーション(応用ソフト)部門の 2 つに分割することを求める分割措
置と、OS の基本設計情報の開示や排他的な取引の中止などを求める行動是正の 2 つから成ってい
た。正式判決で企業分割が命じられたケースは、1911 年の最高裁判決によるスタンダードオイル・
トラストの解体命令などほんの数件のみであり、今回の判決は非常に希にみる厳しいものであっ
た。
この判決に対し、マイクロソフト側は控訴する意向を表明した。しかし、2000 年 8 月 15 日、
司法省は控訴審を最高裁で開くよう求める意見書を提出した。司法省がこの要求を行ったのは、
1995 年同意判決事件でワシントン連邦高裁はマイクロソフトに有利な判決を下しているためであ
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る。これに対し、マイクロソフトは控訴審を通常の手続き通りワシントン連邦高裁で開くよう求
める意見書を 2000 年 8 月 22 日に提出した。その結果、控訴審は高裁で行われることとなった。
2000 年大統領選での激しい戦いで勝利を収めたブッシュ政権の誕生を経て、2001 年 2 月 26、
27 日に行われたワシントン連邦高裁での口頭弁論では、地裁に比べ雰囲気が大きく変化した。こ
の口頭弁論では、マイクロソフトが競争排除的行為を繰り返したという司法省の主張に疑問を示す判
事の発言が相次いだ。7人の判事のうちエドワーズ裁判長は「分割しても独占企業が新たな独占企業
にとって変わられるだけではないのか」と司法省に切り込んだ。また、別の保守派判事は、マイクロ
ソフトが、インターネット閲覧ソフトのネットスケープを締め出そうとした疑いについても「ネット
スケープの顧客が増加しているのはなぜか」と司法省側を問い詰めた。xその他にも、多数の裁判官か
らマイクロソフト社の「独占行為」
「市場支配」そのものに疑義が出され、消費者側が具体的にど
のような不利益を被ったのかという点が重視された。さらに、一審判決について、判事が疑問を示
したほか、「2分割の根拠が不明」との発言も判事から飛び出した。一審を担当したワシントン連邦地
裁のジャクソン判事が判決後、米マスコミのインタビューに相次いで応じたことに対しても、エドワ
ーズ裁判長が「マスコミに判決の狙いを語ったことは恥ずべき行為。裁判への信頼を失わせた」と批
判し、出席者を驚かせた。xiこれには、出席者の大半が「マイクロソフトよりも政府側に厳しい内容が
多かった」との感想を持った。これに対し、フレデリック主任検事はこれまで通りの説明を繰り返
すだけで、説得力のある説明はできず、法廷には落胆の空気が流れるなど、マイクロソフト社に
有利な状況が作られていった。xii
そして 2001 年 6 月 28 日、ワシントン連邦高裁は同連邦地裁の一審判決を破棄し、同地裁に審
理を差し戻す判決を下した。この判決のポイントは、①マイクロソフト社を二分割せよという連
邦地裁の命令を取り消し、無効とした②マイクロソフト社は OS 市場において独占力を持っていた
と認定、そして独占力を守るために反競争的な手段を使い、シャーマン法2条に違反したと認定
し、再審のため訴訟をワシントン連邦地裁に差し戻す③一審の審理を担当したジャクソン判事は
不適切だとし、彼以外の判事が審理に当たるべきだとした、という3点である。xiii判決では、一
審の判事がマスコミで自分の見解を公表するなど、「訴訟指揮に公平性を欠いた」と指摘し、2分割命
令は無効とした。今回の判決は同社の事実上の勝訴と言える。しかし、独禁法違反行為があったこと
は認定しており、差し戻し審で新たな改善措置を検討することが命じられた。
第3節
司法省との和解
この判決により、司法省およびマイクロソフトの両サイドで和解ムードが広まった。2001 年 7 月 12
日、ニューメキシコ州はマイクロソフト社が訴訟費用を弁済するのと引き替えに告発を取り下げ
ると発表、和解のための交渉に入った。同州が和解に達したのは、
「今後、差し戻し審以降で、分
割命令の判決が出るとは思えない」と判断し、早期解決を望んだためであった。xivこれを見て、
最も強硬な姿勢を貫いているカリフォルニア州などの 4 州を除く 14
15 州はニューメキシコ州に
追随し、和解へと向かおうという雰囲気が広まった。
さらに追い打ちをかけるように、司法省と 18 州は 2001 年 7 月 13 日、ワシントン連邦高裁に対
して、同連邦地裁に早急に裁判を差し戻し、審理を開始するよう求める文書を提出した。高裁判決に
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対して、同省側は、最高裁への上告や、判決の一部を再検討するためのヒアリングの開催要求が可能
だったが、地裁の差し戻し審の早期開催を選んだ。同省側は「マイクロソフトの違法行為に対する是
正判決が早急に出ることが、公共の利益になる」と主張した。xvまた、2001 年 9 月 7 日には、米司法省
は6日、声明を発表し、マイクロソフトを巡る反トラスト法(独禁法)違反訴訟で、ワシントン連邦
地裁での差し戻し審ではマイクロソフトの分割を求めない考えを明らかにした。代わりに競争回復の
ための救済策を「できるだけ早く」決定するよう同地裁に要請した。これにより、マイクロソフトは
企業分割を回避できることが事実上確定した。xvi
連邦地裁の態度も、和解ムードに拍車をかけた。ワシントン連邦地裁は 2001 年 9 月 28 日、マイク
ロソフトを巡る反トラスト法(独禁法)違反訴訟で、原告の米司法省と 18 州、被告のマイクロソフト
に対して、11 月 2 日までに和解交渉をまとめるよう指示した。2001 年 10 月 14 日には、和解交渉の仲
裁人として、ボストン大学法学部のエリック・グリーン教授を任命した。xvii
その結果、2001 年 11 月 2 日、司法省はマイクロソフトとの和解で正式に合意したと発表した。和解
案は、①基本ソフト「Windows」に様々な応用ソフトの統合を認める②パソコンメーカーは独自に統合
するソフトの範囲を決めることができる③期待した応用ソフトをメーカーが Windows に統合しなかっ
たという理由で、罰則を与えるような契約は禁止④応用ソフトを統合した Windows の割引販売は可能
⑤Windows の情報開示の範囲を拡大する⑥パソコン利用者が応用ソフトを取り除ける機能を設ける⑦
和解実施状況を点検するため独立した委員会を設ける、などの内容であった。xviii
しかし、この和解案に対してニューヨーク、オハイオなど 9 州は和解受け入れを決めたが、残りの 9
州は受け入れを拒否した。xixそのうちアイオワ、フロリダなど 6 州は今回は受け入れを拒否したもの
の、今後の交渉の余地は残した。しかし、マサチューセッツ、カリフォルニア、ミネソタの3州は和
解案を全面拒否した。カリフォルニアやマサチューセッツには、マイクロソフトと競合するハイテク
企業が多く、それらの企業の意向の影響があると言われている。
そして、2002 年 3 月 18 日よりワシントン連邦地裁にて、カリフォルニア、フロリダなど9州が提案
した競争回復のための是正策の審理が始まった。この審理では、同年 4 月 23 日に初めてビル・ゲイツ
が証言台に立つなど、マイクロソフト側も強力に反撃を行った。この審理は、同年 6 月 19 日に最終弁
論が行われ結審した。コーラーコテリー判事が歩み寄りを求めたが、双方が拒否、真っ向から対立し
たまま司法に判断を委ねられることとなった。そしてついに、同年 11 月 1 日、ワシントン連邦地裁は
マイクロソフトが司法省と9つの州政府との間で 2000 年 11 月に合意した和解案について、「公共の利
益にかなう」と判断し、同案を承認する決定を下すと同時に、和解を拒否した別の9つの州政府が、
和解案よりも厳しい是正措置の実施を求めていた訴訟についても、州政府側の主張を退ける判決を下
した。この和解拒否組の各州が控訴しても、訴えは棄却される公算が大きく、98 年から続いてきたこ
の大型訴訟は、マイクロソフトの事実上の勝利で決着することが確実となった。xx
このように、一度は分割という史上まれに見る厳しい判決が下されたにもかかわらず、結果的には
司法省や原告の州との和解が成立し、マイクロソフトの勝利に終わったのは、企業活動への干渉に消
極的な共和党ブッシュ政権の誕生によって、司法省の態度が軟化したことが大きな要因だと言われた。
では、ブッシュ政権誕生によって変化したのはどのような要素であったのか。まず第2章でクリント
ン政権の反トラスト法運営を概観し、その後ブッシュ政権とマイクロソフト訴訟との関連性について
6
論じていくこととする。
第2章
クリントン政権の反トラスト法運営
第1節
ハイテク産業への訴訟提起
民主党クリントン政権下では、反トラスト法による経済の規制が積極的に行われていた。クリ
ントン政権期の連邦当局は、非競争的な行為は不法であり、消費者利益を害するとという立場を
取ってきた。xxi特に、急速に発展するハイテク産業に関しては、市場の機能不全の傾向があり、
消費者利益を守るために規制すべきだと考えていた。反トラスト当局が特に懸念していたのは、
「ネットワーク効果」というものであった。
「ネットワーク効果」とは、製品やサービスの価値は、
多くの人が使うに伴って上昇するという概念であり、この「ネットワーク効果」はコンピュータ
ソフト、とりわけ通信に関わるソフトにおいては特に生じやすいと言われている。xxiiクリントン
政権の FTC 委員長、ロバート・ピトフスキー氏は、
「規制政策を取らなければ、相当なコストが発
生する。ひとたびネットワーク効果が発生すれば、独占企業は競合を締め出すのが容易になるか
らだ」と述べ、ハイテク産業の規制に積極的な姿勢を示している。xxiii
こうした懸念を払拭するために、クリントン政権の反トラスト当局はマイクロソフトに対する
訴訟をはじめ、インテル、Visa/MasterCard などを提訴した。インテルは、パソコンの頭脳にあ
たるマイクロプロセッサの生産・販売で約 8 割のシェアを持つ独占的地位を利用して、特許権を
巡って係争関係にあったデジタル・イクイップメント、インターグラフ、コンパック・コンピュ
ータの 3 社がインテルのマイクロプロセッサを使ったコンピュータシステムを開発するのに必要
な技術情報を提供せず、開発を妨害したとして 1998 年 6 月に FTC から提訴された。xxivこの事件
は、FTC が「インテル社の行為は技術革新の妨げとなった」という主張を行ったのに対し、同社
が革新を妨げる行為を取ったという証拠に欠けていたとして、最終的にはインテルに限定された
規制を課すことで合意し、終了した。
Visa/MasterCard に対しては、1998 年 10 月、共謀してスマートカードの米国での導入を遅らせ
たとし、幅広い分野における反トラスト法違反の容疑で訴えた。xxvスマートカードは、クレジッ
トカードに似たカードだが、磁気ストライブではなく、カードに埋め込まれたコンピュータチッ
プを使ってデータの保管や、小規模なプログラムの実行ができる。スマートカードの導入に関し
ては欧州とアジアが先行しており、立ち上がったばかりの米国市場を大きく引き離している。司
法省は、スマードカードの導入が遅れた理由は明白だと考えている。同省は訴状の中で、
MasterCard は 80 年代初頭にスマートカードの開発を検討していたが、同社幹部会は 87 年の段階
で、VISA の合意なしにプロジェクトを進めるのは認められないとし、この結果このアイデアは中
断されたとの主張を行った。
第2節
国際カルテルの摘発
また、クリントン政権期には国際カルテルの摘発も積極的に行われた。1994 年 10 月、米司法
省は反トラスト法のガイドラインを発表し、米国内での外国企業の活動に対する監視の強化や、
米企業の輸出を妨げる海外市場での競争制限行為に反トラスト法を積極的に域外適用していく方
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針を明示した。そして 1994 年 11 月 2 日、クリントン政権は国際的な独占禁止法違反に対応する
ために他国と協定締結交渉を行う権限を米司法当局に与える「反トラスト国際協力法」に署名し、
法律が発効した。xxvi
そして 1998 年 1 月に、米司法省から 1995 年 12 月に価格談合で訴追された日本製紙が「米独禁
法の海外適用は不当だ」と上告していた訴訟で、連邦最高裁が同社の訴えを棄却する決定を下し
たことにより、日本企業同士が日本国内で価格カルテルを結んだ場合でも、米国市場に影響を与
えれば米国内法である反トラスト法の刑事罰が適用されることが初めて確定した。xxviiこの決定に
よって、クリントン政権は国際カルテル摘発へフリーハンドを得たために、この後次々に海外企
業を反トラスト法違反で摘発していった。
1998 年 2 月 23 日には、昭和電工の米国子会社であるショウワ・デンコウ・カーボンに対し、
鉄を製造する際に使われる黒煙電極の国際カルテルに加担したとして、反トラスト法違反で罰金
2900 万ドルの支払いを命令した。xxviiiまた、同年 2 月 26 日には、藤沢薬品工業に対し、金属やガ
ラスの洗浄剤に使われる薬品に関して、米国内の価格とシェアの維持を目的に国際的なカルテル
を結んだ反トラスト法違反で、2000 万ドルの罰金を下した。xxixその他にも、1999 年 4 月に東海
カーボンが製鉄用電炉に用いられる黒煙電極の販売を巡る国際カルテルに加担したとして、反ト
ラスト法違反で罰金 600 万ドルの支払いを命じたxxxほか、同年 7 月に日本合成化学工業が 2100 万
ドル、同年 9 月に武田薬品工業、エーザイ、第一製薬が計 1 億 3700 万ドル、同年 11 月に黒煙電
極メーカー・エスイーシーと日本カーボンにそれぞれ 480 万ドルと 250 万ドルの罰金を命じた。
これらの国際カルテル訴追について、司法省のジョエル・クライン反トラスト局長は、
「今日のグ
ローバル経済の下では、国際カルテルが米国企業や消費者の利益を損なう機会が増えている。我々
はそのようなカルテルの刑事摘発を最優先し、関係する企業や個人を厳しく起訴する」と述べて
おり、厳しい姿勢を取ることを示している。司法省反トラスト局チャールズ・スターク外国商務
部長も、
「国際カルテル摘発は、クリントン政権によって優先順位が非常に高い政策だ。独禁法の
精神は世界に広がっている。今や世界 70 ヶ国以上が独禁法を持ち、約 50 ヶ国は合併の事前通知
制度に類する条項を備えている。一部先進国だけの法律だった独禁法が、どこの国でも整備され
てきたことを多くの企業は理解する必要がある」と述べており、反トラスト法を世界的に広める
姿勢を明確にしている。xxxi
第3節
大企業合併審査の厳格化
またクリントン政権は、大企業の合併に対しても厳しい姿勢を見せた。1998 年 7 月には、アメ
リカの航空・軍需産業大手ロッキード・マーチンが総額 100 億ドルにのぼるノースロップ・グラ
マンの買収計画断念を発表した。買収が実現すれば軍需技術の寡占化につながり、反トラスト法
違反の疑いが強いと米司法省と国防総省が反対したためである。企業の競争力強化よりも軍事技
術に及ぼす弊害を重視した米政府の反対により、計画は頓挫した。xxxii同年 10 月には、司法省は
ノースウエスト航空とコンチネンタル航空が 1 月に結んだ資本、業務提携は「公正な競争を阻害
する恐れがある」として、反トラスト法に基づき、提携を阻止するための訴訟を起こしている。
以上挙げたように、クリントン政権は反トラスト法を非常に積極的に運用してきた。クリント
8
ン政権期の反トラスト局次長、A・ダグラス・メラメッド氏も、
「健全な反トラスト法があれば、
非常に大きな恩恵を経済界にもたらす」と述べている。xxxiiiこのように、クリントン政権では反
トラスト法の運用が非常に積極的に行われていた。マイクロソフト訴訟において同社の分割が要
求されたのも、このような流れの中で生じた積極的な姿勢であったといえる。では、こうしたク
リントン政権期の反トラスト当局の姿勢が、マイクロソフトとの和解に応じるまでに軟化したの
には、どのような要因があったのであろうか。第3章では、ブッシュ政権に移行することにより
変動した要因について検証していきたい。
第3章
ブッシュ政権誕生とマイクロソフト訴訟
第1節
2000 年大統領選とハイテク業界
ブッシュ政権とマイクロソフトとの関連性を論証するには、まず 2000 年の大統領選について明
らかにすることが重要である。2000 年の大統領選では、マイクロソフト訴訟のその高い注目度に
も関わらず、あまり表立った争点にはならず、議論にも上がらなかった。xxxivシリコン・バレーの
支持を積極的に集めようとする候補者たちは、この問題をできるだけ避けようとすらしていた。
なぜならば、もしマイクロソフトを支持すれば、他のハイテク企業の反感を買う危険性があり、
マイクロソフトに反対し、同社の分割を支持すれば、貴重な支持者である同社を怒らせることと
なるからである。
2000 年大統領選において、ハイテク産業は各候補にとって大きな財政源となっていた。1999 年
上半期の選挙献金の記録によると、ハイテク産業から大統領候補者への献金額は 84 万 3000 ドル
xxxv
にものぼり、
1996 年の大統領選の 3 倍にもなっている。
ハイテク業界からの献金額のトップは、
ジョージ・W・ブッシュの 38 万 200 ドルで、主な献金者はブッシュが新しく設立した情報テクノ
ロジー諮問協議会のメンバーである。この協議会は、ブッシュにハイテク問題についての助言を
行い、同産業のリーダーを選挙キャンペーンに動員するのを手助けするもので、デル・コンピュ
ータやテキサス・インスツルメンツ、マイクロソフト、EMC の幹部がメンバーとなっている。民
主党のアル・ゴア副大統領と、その対抗馬であったビル・ブラッドリーもハイテク産業と親交を
深めており、ゴアは 17 万 7950 ドル、ブラッドリーは 16 万 6975 ドルを集めている。また、共和
党上院議員のジョン・マケイン候補も 5 万 6715 ドルの献金を得ている。
この 1999-2000 年の選挙サイクルの間、マイクロソフトはソフトマネー、PAC、個人献金を連邦
の候補者、政党に 470 万ドル以上も行ってきた。xxxvi1993-94 年が 10 万 9134 ドル、1995-96 年が
25 万 6634 ドル、1997-98 年が 140 万 7271 ドルであることから、1999-2000 年選挙サイクルでは
過去3回の献金額の合計のほぼ3倍もの献金を行っていることがわかる。このうち半分以上は共
和党への献金であるが、1997-98 年の時は民主党への献金が 34%、共和党への献金が 66%であった
のに対し、1999-2000 年は民主党 46%、共和党 54%と、かなり拮抗している。
実際に大統領候補者への献金額を見ても、1999-2000 年にマイクロソフトの社員はブッシュ陣
営に 6 万 1250 ドルの献金を行っている。その影響もあり、ブッシュは 2 月にマイクロソフト本社
の所在するワシントン州レッドモンド近郊に遊説した際、
「マイクロソフト裁判は和解により解
決されることが望ましい」
「(ブッシュ政権の下では)反トラスト法の訴追基準は、技術革新、経
9
済の進展、雇用の創出に貢献しているかどうかである」
「ハイテク分野での技術革新のリーダーで
あるマイクロソフト社、同社の分割は好ましくない」
「独占禁止法運用は、カルテルや談合の規制
に絞られるべきである」と発言している。xxxviiこのようにブッシュがクリントン政権による反ト
ラスト法運用、とりわけマイクロソフト社に対する厳格な規制方針に慎重な姿勢を示したのには、
マイクロソフトが大統領候補者にとって大きな財政源となっているためだといえる。さらに、マ
イクロソフトはその他の候補者に対しても、ビル・ブラッドリーには 1 万 7250 ドルで献金企業中
第1位、ジョン・マケインにも 1 万 7500 ドルで第1位、アル・ゴアにも 6500 ドルで第3位と、
上位を占める額の献金を行っている。xxxviiiこれは、マイクロソフトがこの選挙を経て誕生する新
政権において、訴訟を有利に進めるべく高額の献金を行ったための見られる。
また、選挙キャンペーン中のみならず、選挙後の再集計をめぐる訴訟においても、マイクロソ
フトは強力な献金を行っている。2000 年大統領選は、周知のように史上まれにみる大接戦を繰り
広げ、開票後もその結果を巡って、法廷でブッシュ・ゴア両候補が激しい戦いを展開した。そし
て、この選挙の日から1週間の間、ゴアとブッシュは記録的な献金額の上昇をみせ、法廷の議論
やフロリダ州での争いを巡る支出のために献金者を募った。ゴアは再集計に 300 万ドルの支出を
行ったと言われており、ブッシュはさらにその倍だと言われている。xxxix
選挙献金は1つの選挙で1人につき 1000 ドルの上限があるにも関わらず、再集計の献金には上
限がなく、献金や支出は公開しなくても良いことになっている。ゴアの場合、献金者は公開して
いないが、ブッシュ陣営は 11000 人以上もの献金者から、340 万ドルを集めたとウェブサイトで
公開している。2000 年 11 月 21 日までに、500 人もの人々が「ブッシュ・チェイニー再集計基金」
に 1000 ドル以上の献金をしており、マイクロソフトの社員はおよそ 2 万 2500 ドルもの献金を行
っている。このように、マイクロソフトは選挙キャンペーンのみならず、再集計においても多額
の献金を行っている。これは、ブッシュをはじめとした候補者にとっては大きなものであり、マ
イクロソフト分割を追求することによって、同社を怒らせることは、すなわち選挙において強力
なダメージを被ることを意味する。以上のように、マイクロソフトは選挙戦を通じて新政権に影
響力を行使すべく、巨額の金を投じていたことがわかる。
第2節
司法長官の人事転換
では、2000 年大統領選の後に誕生したブッシュ政権において、反トラスト法運用に関わるポス
トはどのように転換したのであろうか。まず、司法省のトップである司法長官には、クリントン
政権期に 1993 年から 2000 年に渡って任期を務めたジャネット・リノ氏に代わって、ジョン・ア
シュクロフト元上院議員が就任した。
アシュクロフト氏は 1984 年から 1993 年までミズーリ州知事を務めた後、1994 年に同州上院議
員に選出された。xlこのミズーリ州上院議員時代、アシュクロフトは各社から選挙献金を受け取っ
ており、その中には彼の地元を拠点とするレンタカー社やモンサント社の他、スカーリング プ
ロウグ社などが含まれている。スカーリング プロウグ 社が献金を行ったアシュクロフトの共同
基金委員会は、法的に彼の主要選挙委員会に献金できなかった企業からの無制限のソフトマネー
献金を促進するために、全米共和党上院委員会と共に設置したものである。このアシュクロフト
10
の共同委員会には、2000 年の選挙で AT&T が 2 万 5000 ドル献金しているほか、マイクロソフトも
1 万ドルの献金を行っている。xliさらに、マイクロソフトはアシュクロフト個人にも 9250 ドルの
献金を行っており、合計で 2 万ドルもの献金がアシュクロフトにつぎ込まれている。これは、同
選挙においてマイクロソフト社が各候補に行った選挙献金の中でも上位に位置している。
この献金攻勢の効果からか、2001 年 11 月に司法省とマイクロソフトの和解が発表された際に
は、アシュクロフト司法長官はこの和解を支持すると表明し、
「マイクロソフトの不法行為は終わ
り、市場に効果的な救済がもたらされ、消費者はニーズに合った選択を保証される」と記者会見
で話した。xliiこれは政府の「裏切り」ではないかという質問に対しては、アシュクロフトは「そ
れは完全に間違っている」と答え、
「これは強力で、歴史的な和解だ」と述べている。さらに、こ
の記者会見で合意は取引の根本に達しており、事件は解決すると思うと述べたほか、
「この和解は
消費者とビジネスにとって、経済にとって、そして政府にとって正しい結果である」
「これは消費
者にとって迅速で、効果的で、確実な救済を与え、コンピュータ市場における先行きの不透明さ
を払拭するものである」と発言し、マイクロソフトに対してこれ以上の追求は行わないという、
好意的な姿勢を示した。
このようなアシュクロフトのマイクロソフト寄りの姿勢に対し、下院司法委員会のメンバーで
あるジョン・コンヤース Jr.民主党議員は、2002 年 2 月にアシュクロフトをマイクロソフト事件
からはずすよう求める文書を送った。アシュクロフトは、2002 年 1 月にエネルギー業界最大手の
エンロン社が倒産した事件において、同社から政治献金を受け取っていたため、自らをこの事件
の捜査の指揮から除外することを表明している。xliiiアシュクロフトは、上院議員時代の 1999 年
から 2000 年にかけて、エンロン社のレイ会長から 2 万 5000 ドルの個人献金を含めて 5 万 7499 ド
ルの献金を受け取っており、疑惑を招かないため、長官および長官の主席補佐官を捜査の指揮か
ら除外したのである。コンヤース議員は、この事件について取り上げ、
「なぜエンロン問題では自
身を捜査から除外したのに、マイクロソフト問題で同じ事を行わなかったのか」と文書の中で批
判した。xlivさらにコンヤース議員は、司法省はマイクロソフトのロビイストとアシュクロフトの
側近との接触の詳細を明らかにすべきという要求を繰り返した。しかし、司法省は彼が要求した
情報のほとんどは公開しないとして退けている。
2002 年 11 月 1 日に、司法省とマイクロソフトの和解が法廷に認められた際にも、アシュクロ
フトは「この和解を法廷が認めたことを歓迎する。法廷の決定は、最終判決によってもたらされ
る優位を得る消費者、ビジネスにとって大きな勝利である」と述べており、再度マイクロソフト
事件の解決に好意的な態度を明らかにした。xlv以上述べてきたように、アシュクロフト司法長官
はマイクロソフトと繋がりを持っており、それが訴訟の結果に影響を及ぼしているのではないか
と疑問視されている。
第3節
反トラスト局長の人事転換
司法長官と共に反トラスト法運営に中心的に当たる役職として、反トラスト局長(司法次官補)
がある。クリントン政権期には、最初にアン・ビンガマン女史がこの役職に任命された。1993 年
6 月、ビンガマンの反トラスト局長任命をめぐる公聴会において、上院司法委員会委員でこの公
11
聴会の議長を務めるハワード・メッツェンバウム上院議員は、
「反トラスト法の取り締まりがこれ
ほどいい加減になっていることは、いまだかつてなかったというのが私の率直な感想である」と
述べており、これに対してビンガマンは「まさにこの反トラスト法こそが私たちの経済システム
の基盤であると言え、この法律があるからこそ、社会に活発な競争が生まれ、それが革新を促し、
私たちを比類なきアメリカ人たらしめ、私たちを私たちならしめている」と述べxlvi、反トラスト
法の執行に積極的な姿勢を示し、司法省による反マイクロソフト訴訟の先頭に立っていくことと
なる。
ビンガマンは 3 年 5 ヶ月に及ぶ在任の後、1996 年 10 月に退任した。その後ジョエル・クライ
ン前筆頭次長が局長代行となり、反マイクロソフト訴訟における司法省側の中心人物となった。
クラインは、1997 年 7 月 17 日に司法省反トラスト局の責任者である司法次官補として上院の承
認を受けた。クラインは、マイクロソフト訴訟において反トラスト局長として各州の司法長官を
束ね、強力に反トラスト法執行を唱えてきたイメージが先行しているが、初めからマイクロソフ
トに訴訟を提起することに積極的であったわけではなかった。
ジョエル・クラインは 1980 年代にクリントン大統領と知り合い、1992 年の民主党予備選挙で
彼のアドバイザーを務めた。1993 年にはホワイトハウス弁護士副官に就いたが、ホワイトウォー
ター事件においてクラインがクリントンを批判する立場に立ったため、1996 年に新たにクリント
ンが選挙運動員を選ぶ際には彼ははずされた。そのため、反トラスト局長の地位は彼にとって残
念賞だった。しかし、そのポストからすらも彼は否定された。彼は勝つとわかっている事件しか
扱わず、それゆえにマイクロソフトを避けてきた、と言われていた。そのため、クラインを反ト
ラスト局長として承認する公聴会においても、クラインは民主党員からの反発に遭い、ニューヨ
ークタイムズも彼を「弱い候補者の一人」と呼んだ。また、クラインのスタッフもマイクロソフ
トを追い回すことに乗り気ではなかった。しかし、この司法省の慎重な姿勢に、反トラスト局の
チーフエコノミスト、ダン・ルビンフェルドは反対した。1997 年秋、ルビンフェルドの説得もあ
ってマイクロソフトに新たな調査員が送られ、その際マイクロソフトの排他的行為を示すメール
が明らかになった。これらの文書により、司法省の眠れる調査が復活した。司法省では No.2 の A・
ダグラス・メラメッドは証拠が不十分だとして、訴訟提起に慎重な姿勢を示したが、クラインは
マイクロソフトをさらに幅広く調査する決断をした。
そして、1997 年 10 月 20 日、クラインは「司法省はマイクロソフトの同意判決違反に対し差止
命令を求めるのみならず、抱き合わせをやめるまで1日 100 万ドルの罰金を課す」と発表するジ
ャネット・リノ司法長官の元で、
「我々はマイクロソフトの行いが革新と消費者の選択を抑制して
いるかどうか、幅広い調査によって明らかにしたい」と述べた。これを機に、クラインはマイク
ロソフト訴訟の急先鋒に立ち、同社の分割という厳しい裁定を求めるほどとなった。
その後任を務めることとなったチャールズ・ジェームズ氏は、ワシントンの反トラスト弁護士
で、ジョーンズ、デイ、リービス、ポーグの法律事務所でパートナーを務め、前ブッシュ政権で
は代理司法次官補を務め、反トラスト局を率いたこともある人物であった。xlviiブッシュ大統領が
大統領選当選後に様々な右寄り、ビジネス寄りの候補者を主要ポストに挙げたことから、ジェー
ムズも反トラスト法の積極的な運用には反対すると予測された。また、彼の前任者ジョエル・ク
12
ラインとは正反対の立場を取ると言われた。xlviii実際、ジェームズは 2000 年 4 月の CNBC の TV イ
ンタビューにおいて、
「はっきりしていることは、消費者は共通のプラットフォームで利益を得て
きたということである。もしマイクロソフトが分割されれば、共通のプラットフォームは分断し、
強力で競争的な市場を得られるか明確でない」と述べている。そして同時に、ジェームズはマイ
クロソフトを二分割する代わりに、マイクロソフトのビジネス慣行を変える方が良いと述べてい
る。xlix
だが、当初の予想ほどジェームズがマイクロソフト寄りの立場を取っていたわけではなかった。
これまでの多くの反トラスト局長とは違い、彼は「ポリティカル・アニマル」ではないと言われ
ている。彼は共和党の組織において大物になったこともなく、彼をノミネートしたホワイトハウ
スへの深い繋がりもなかった。l自身の承認公聴会以前、ジェームズはブッシュ政権がマイクロソ
フト訴訟に対する方針を変更するか否かについて、態度を示さなかった。ジェームズがマイクロ
ソフトの将来、および懸案の反トラスト事件について示した唯一の見解は、司法省は「勝利を維
持し、敗北を正すためにできるだけ近しく監視していく」というものであった。li彼は前ブッシュ
政権で働いていた間、ビジネスにおいて公正な厳しさを持っており、民主党の後任者もほとんど
付け加えるところのないほどの合併に関するガイドラインを書いている。また、反トラスト局長
に就任後は、強力な私設訴訟屋のフィリップ・S・ベックを彼のマイクロソフト担当に任命してお
り、自身のチームにマイクロソフト起訴を主張する団体の弁護士で、反マイクロソフト訴訟にお
いてクラインの重要アドバイザーを務めたフィリップ・R・マローンを引き入れている。lii
このように、ジェームズはマイクロソフト訴訟において、決して無関心な態度を取ってはこな
かった。しかし、それがすなわちマイクロソフト分割を推進するような、積極的な立場を取るこ
とは意味していない。彼は自身を「基本的保守派」と表現しており、信頼できる経済分析に基づ
かない反トラスト理論は即座に批判してきた。例えば、EU が GE とハニーウェルの合併を妨害し
た時には、彼はこの決定についてはっきりと非難した。liiiこうした見解から、彼はマイクロソフ
ト訴訟についても積極的な行動を取ってはこなかった。ジェームズの推進政策が生ぬるい、とい
う反トラスト弁護士からの私的な批判は、2002 年 9 月の上院司法委員会反トラスト小委員会にお
いて、議長から述べられた。ハーバート・コール上院議員は、
「反トラスト局の指示に関する不安
感が高まっていると聞いている。この懐疑的な感覚は、局の行動の減退の結果である」と指摘し
ている。liv
そして、最終的に司法省とマイクロソフトは和解という決着を選ぶこととなったが、ジェーム
ズは 2002 年 10 月に辞任を発表し、退任後はシェヴロン・テキサコの弁護士に就任すると発表し
た。政治的要素の薄かったジェームズの退任により、ブッシュ政権の法廷への政治熱は高まるの
ではないかとの見方も出ている。
終章
おわりに
以上、マイクロソフト対司法省の係争において、一度はマイクロソフト分割を命ずる判決が下
されながらも、最終的にはマイクロソフトの勝利ともいえる結末を迎えた背景を、民主党クリン
トン政権から共和党ブッシュ政権に転換したことと関連づけて論じてきた。積極的な反トラスト
13
法推進政策を行ってきたクリントン政権に対し、ブッシュ政権になってからはビジネスに対する
規制を厳しく行っていこうとする動きはあまり聞こえてこない。その大きな例として挙げられる
のが、本論文で扱ってきたマイクロソフト訴訟に対する消極的な姿勢であるといえよう。その消
極姿勢の理由としては、3章で述べてきたように、2000 年大統領選におけるマイクロソフトのブ
ッシュ候補などへの多額の献金や、マイクロソフト訴訟にあまり乗り気でないアシュクロフト司
法長官やジェームズ反トラスト局長の就任が影響していると言える。
しかし、今回の訴訟がこのような結末を迎えたその背景は、民主党政権は大きな政府を掲げ介
入を好み、共和党政権は産業界寄りで市場介入に否定的である、という型通りのイデオロギー的
な理由付けとは若干異なっていたようにも思える。先代のブッシュ政権は、同じ共和党のレーガ
ン政権に比べると、比較的穏健な反トラスト法運営を行っていたと言われている。レーガン政権
は、反トラスト法において、急進的であり、自由な企業活動を推進するシカゴ学派のベテラン弁
護士や経済学者を登用し、リバタリアニズム的であった。しかし、先代のブッシュ政権は、反ト
ラスト法を少しずつ生かすような役人を任命しており、リバタリアン色は消えていった。lv反トラ
スト局長に、先代のブッシュ政権でも反トラスト局を率い、競争と消費者の選択の維持という反
トラスト法の基本的価値を尊重するチャールズ・ジェームズを任命したことからも、現ブッシュ
政権がレーガン政権期の急進的な反トラスト運営よりも、比較的父の方針に近い方向性を持って
いることが窺える。
むしろ、イデオロギー的な側面よりも注目すべき点は、ハイテク業界のワシントン政治への参
入である。かつて、ワシントンには全く興味を示さなかったマイクロソフトが、この訴訟を期に
巨額の献金を行うようになったのは、前述の通りである。しかも、マイクロソフトがワシントン
に投じた金はこれだけではない。上院に提出された資料によれば、マイクロソフトは 2000 年だけ
で議会とクリントン政権に対するロビイングに 640 万ドルを投じている。これは、1999 年のロビ
イング支出額を 490 万ドルも上回る額である。lviさらに、この訴訟のワシントン政治におけるイ
ンパクトは、マイクロソフト自身をも超えて広がっている。反トラスト訴訟は、ワシントン政治
にハイテク産業を巻き込む大きなターニングポイントとなった。司法省が訴訟を起こした直後、
マイクロソフトはハイテク企業でワシントンにロビイング事務所を構え、ソフトマネーの献金を
行った最初の企業の一つとなった。それを契機として、2000 年までにコンピュータ・インターネ
ット産業は連邦レベルで 7 番目に大きい産業となり、政界に 3970 万ドル以上もの献金を行ってい
る。lviiこうしたハイテク産業のワシントンへの貢献が、今回の訴訟の行く末を左右する上で大き
な力を発揮したという点について指摘することができよう。
さらに、本論文では中心的に触れてこなかったが、法廷側の要因もマイクロソフトに追い風を
吹かせた原因として考えられる。マイクロソフトに分割を命じたワシントン連邦地裁では、同訴
訟の審理にマイクロソフトに対して強い不信感を持っているトーマス・ペンフィールド・ジャク
ソン判事が当たっていたが、上訴審を担当したコロンビア巡回連邦高裁では、7 人の裁判官のう
ち、レーガン政権の下で司法省反トラスト局に 4 年務め、そのうち 2 年間は局長を務めていたダ
グラス・ギンズバーグ判事を始めとして、少なくとも 4 人は政府の行動主義に懐疑的な保守派の
法学者だと言われていた。lviiiこの高裁においてマイクロソフトに好意的な判決が下されたことが、
14
マイクロソフトを勢いづかせ、司法省がこれ以上裁判を長引かせ、税金の無駄遣いだと国民の反
感を買うよりも、和解の道を探った方が賢明だと思わせるに至ったとの分析もなされている。
また、同時多発テロ以降、アメリカ経済が先行きの懸念を払拭できずにいることも、マイクロ
ソフトにとって追い風となった。テロ直後で深刻な景気悪化が心配されていた 2001 年 9 月末、コ
リーン・コラーコテリー地裁判事が「裁判の早期決着がもたらすアメリカ経済への恩恵を重視す
べきだ」と異例の発言を法廷で行い、司法省とマイクロソフトに早期和解を促す場面もあった。lix
裁判の長期化や厳しい是正措置によって、ハイテク業界を牽引するマイクロソフトの国際競争力
が弱まるのはアメリカ経済全体にとって望ましくないという危機感が、マイクロソフトに有利な
決着を後押ししたといえる。
また、このマイクロソフト訴訟の過程の中で、日々急スピードで目まぐるしく変化するハイテ
ク業界に対し、独禁法がそれに追いついていないという指摘もあり、産業構造の変化に合わせた
より柔軟な独禁行政の在り方を模索するべきだという議論も起こってきている。
「世紀の大訴訟」
と呼ばれたマイクロソフト訴訟は、ハイテク時代のワシントン政治や反トラスト法の在り方にも
一つの転機を与えた、まさに「世紀の大訴訟」であったということができるのではないだろうか。
i
清瀬 航太「マイクロソフト訴訟に見られる政治的側面 ロビー活動が及ぼす影響を中心に」(久保ゼ
ミ9期生卒業論文集、1999 年)
ii
同上
iii
同上
iv
和久井理子「マイクロソフト社と米国司法省の係争について(上) ネットワーク効果と反ト
ラスト法 」
『公正取引』 No.577 (1998.11), p74
v
同上 p75
vi
John Heilemann, Pride before the fall : the trials of Bill Gates and the end of the Microsoft
era(2001, HarperCollinsPublishers)
vii
NEWSWEEK 日本語版(2000.6.21)p18-21
viii
John Heilemann, Pride before the fall : the trials of Bill Gates and the end of the Microsoft
era(2001, HarperCollinsPublishers)
ix
同上 p22
x
毎日新聞 2001 年 2 月 27 日
xi
同上 2001 年 2 月 28 日
xii
読売新聞 2001 年 3 月 6 日
xiii
栗田昭平「米控訴裁、司法省/19 州の対マイクロソフト独禁法訴訟を差し戻し」『Computopia』
(2001.9) p109
xiv
毎日新聞 2001 年 7 月 13 日
xv
同上 2001 年 7 月 19 日
xvi
同上 2001 年 9 月 7 日
xvii
同上 2001 年 10 月 15 日
xviii
同上 2001 年 11 月 2 日
xix
同上 2001 年 11 月 7 日
xx
読売新聞 2002 年 11 月 2 日
xxi
David.S.Evans “Clinton’s brave new business world” Regulation, no.3 (Fall 2001) p26-33
xxii
和久井理子「マイクロソフト社と米国司法省の係争について(上) ネットワーク効果と反
トラスト法 」
『公正取引』 No.577 (1998.11), p75-76
xxiii
Evans, p26-33
15
xxiv
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ZdNet.JAPAN(1998.10.8) 「VISA と MasterCard に共謀の疑惑。司法省が独禁法違反で提訴」
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xxvi
読売新聞 1994 年 11 月 4 日
xxvii
同上 1998 年 1 月 13 日
xxviii
同上 1998 年 2 月 24 日
xxix
同上 1998 年 2 月 26 日
xxx
同上 1999 年 4 月 30 日
xxxi
同上 1998 年 3 月 15 日
xxxii
同上 1998 年 7 月 17 日
xxxiii
A・ダグラス・メラメッド「司法省反トラスト局の最近における反トラスト政策について」
『公
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xxxiv
American Antitrust Institute (2001.4.8) “Public Choice and Public Choices: Consumers
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http://www.opensecrets.org/alerts/v5/alertv5_24.asp
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Opensecrets.org (2001.9.6) “Microsoft Antitrust Case: An Update On the Company’s
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http://www.opensecrets.org/alerts/v6/alertv6_26.asp
xxxvii
野木村忠邦「独禁法訴訟の行方は泥沼化の様相 大統領選次第で大きく左右されるのは必至
だ」
『エコノミスト』(2000.5.30), p78
xxxviii
前掲 Opensecrets.org (1999.7.26)
xxxix
Opensecrets.org (2000.12.5) “The Neverending Story: A Look at Donors to Bush’s Recount
Fund” http://www.opensecrets.org/alerts/v5/alertv5_64.asp
xl
司法省ホームページ http://www.usdoj.gov/ag/ashcroftbio.html
xli
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毎日新聞 2002 年 1 月 11 日
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http://www.wired.com/news/antitrust/0,1551,50442,00.html
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http://www.usdoj.gov/atr/public/press-releases/2002/200416.htm
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清瀬 航太「マイクロソフト訴訟に見られる政治的側面 ロビー活動が及ぼす影響を中心に」(久保
ゼミ9期生卒業論文集、1999 年)
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xlviii
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http://www.businessweek.com/bwdaily/dnflash/aug2001/nf2001083_318.htm?db
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http://maccentral.macworld.com/news/0102/16.bush.shtml
l
前掲 BusinessWeek online(2001.8.3)
li
Itworld.com “Antitrust nominee shows poker face on Microsoft case”
http://www.itworld.com/man/2699/CWD010502ST060152/pfindex.html
lii
前掲 BusinessWeek online(2001.8.3)
liii
同上
liv
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http://seattletimes.nwsource.com/
lv
前掲 American Antitrust Institute(2001.4.8)
lvi
前掲 Opensecrets.org (2001.9.6)
xxv
16
lvii
同上
前掲 CNN.com
読売新聞 2002 年 11 月 3 日
lviii
lix
<参考資料>
一次資料
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米司法省 HP http://www.usdoj.gov/
米反トラスト局 HP http://www.usdoj.gov/atr/
米連邦裁判所 HP http://www.dcd.uscourts.gov/
ProComp
http://www.procompetition.org/
Opensecrets
http://www.opensecrets.org/
読売新聞
朝日新聞
毎日新聞
二次資料
John Heilemann, Pride before the fall : the trials of Bill Gates and the end of the Microsoft
era(2001, HarperCollinsPublishers)
村上 政博「アメリカ独占禁止法 アメリカ反トラスト法」(1999 年、弘文堂)
正田 彬 編「アメリカ・EU 独占禁止法と国際比較」(1996 年、三省堂)
清瀬 航太「マイクロソフト訴訟に見られる政治的側面 ロビー活動が及ぼす影響を中心に」(久保ゼ
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服部育生「比較・独占禁止法[第3版]」
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菱川摩貴「米テロ事件がマイクロソフト訴訟の早期解決を促すが、「XP」に新たな「囲い込み」疑惑が
浮上」『エコノミスト』(2001.10.30)
栗田昭平「世界注視の三つの IT 関連訴訟に新たな展開」『Computopia』(2001.5) p82-85
栗田昭平「米控訴裁、司法省/19 州の対マイクロソフト独禁法訴訟を差し戻し」『Computopia』(2001.9)
荒井弘毅「マイクロソフト訴訟とエコノミスト」『公正取引』No.592 (2000.2)
荒井弘毅「マイクロソフト訴訟の地裁救済措置について」『公正取引』No.604 (2001.2)
ロバート・ピトフスキー「連邦取引委員会の最近における反トラスト政策について」
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