アルカイド 第四十二 秋号 目次 月と蛇 呼ビト 変死現場 はぐれ雲 荻野 央 木村 誠子 池戸 亮太 二上 法幸 小西 九嶺 [小 説] 冷たい水 船越 一功 高原ちよみ 楠本 恒子 夜話 あした 不確かな明日 フルフルがなければ始まらない 4 16 34 51 78 57 94 117 水と少女 若いメル友 白杖の瞳 庇の昆虫博士 村井理恵子 浦上 京子 加川 清一 亀谷 美子 骨川にて 父の水筒 [エッセイ] 138 祥子 編集後記 ─────────────────── 同人名簿 ─────────────────── アルカイド四十号・四十一号の反響 他 ─────────── 多紀 信子 147 奥畑 150 183 165 184 194 193 191 じないは知りませんでしたが︑あと︑貝 は日本の海辺を伝わって各地にあるが︑ 現在は平和な家庭を築いて︑息子と妻を 実は世界では済州島と日本だけに見られ 連れて海水浴へ来ているんだけれど︑自 る珍しい習俗なのだという事実にも驚い 分が十歳のときは祖母に預けられていた︒ た︒そしてその海女たちだけに伝わる特 そのかわりに︑こどものころの彼は山と 殊な病気のことなども︑もう一つの哀切 海で遊んで︑自然のなかでいい生活をし な物語となっている︒二〇年前のドキュ ていた︑そういうところを丹念に書いて メント映画﹁消え行く︙︙﹂が︑ここで いるのが︑この小説の良さです︒ 改めてもう一つのドキュメント小説﹁消 伊藤 海の場面はよく書けていましたね︒ えた︙︙﹂となって蘇ったようなのも好 ひとつだけもったいないと思ったのは︑ いところだ︒ 象徴となっている巻貝に固有名詞をつけ ■三田文学秋季号 てほしかった︒主人公はこどものころか ら慣れているんですから︒みんながその ︵新同人誌評 勝又浩・伊藤氏貴︶ 伊藤 次は鵜瀬順一 ﹁螺旋﹂︵ ﹁あるかいど﹂ 固有の貝を﹁巻貝﹂と言っていたのかも ︶です︒主人公がこどものときに母親 しれませんが︑最後に貝を食べる場面で が再婚︒お互いに連れ子がいるんだけど︑ は︑名前が欲しかったですね︒ 問題なく四人で暮らしていた︒ところが︑ 勝又 お葬式の場面はよかった︒集まっ 弟が死んで父親がアル中になり︑手がつ て造花をつくったりして︒あと︑猫の子 けられなくなって︑責任を感じている少 を捨てにいくところも︒母親は妊娠して 年の話ですね︒結局父親は︑血のつなが いるから自分では捨てに行けない︒石を りのない自分に愛情を示してくれる︒ 詰めて捨てなきゃいけないのに︑この少 勝又 主人公の息子が十歳になったいま︑ 年は捨て方を知らないな︑と思いながら 自分が十歳だったころを回想しているん 読みました︒案の定︑母親に注意されて いる︒捨てるときの﹁だれにも当たんな︑ むかしのよかひとに当たれ﹂というおま ん上がっていくと下が見える︑同じ方向 と同じ場面が見える︑ということかな︒ ですね︒螺旋というのは︑人生をだんだ 40 【アルカイド四十号・ 四十一号の反響 他】 ■季刊文科 号︵同人雑誌季評 勝又浩︶ ﹁アルカイド﹂ ︵大阪市︶が 号︑一〇 年の歩みの﹁記念号﹂としている︒小説 だけでも一三編を揃えて四百ページを超 える大冊である︒小畠千住﹁じごくのや かた﹂ ︑ 村 井 理 恵 子﹁ い ち じ く ﹂ な ど 目 に留まった作品がいくつかあるが︑最も 感 動 し た の は 佐 伯 晋﹁ 白 い 海 へ ﹂ ︒元テ レビディレクターが︑二〇年前に撮った ドキュメンタリー番組﹁消え行く海女の 集落﹂にまつわる余話︑またその後日譚 を語っている︒取材過程での話もよいが︑ そのとき中心になってくれた海女がその 後︑自殺するように海で死んだ経緯もも う一つの物語として感動的である︒評判 になったこのドキュメンタリー番組は私 も偶然見ていたが︑いまも印象に残る場 しそのときは気づかなかったが︑登場し た海女たちのなかに済州島から出稼ぎに 面がいくつかある好いものだった︒しか 40 来ている一団もいたのだという︒海女漁 191 49 できなくなっていた︒少女時代の体験が を縫い針で刺して食べるというのは気に とめられ︑老婆と男は死んだ子供や母親 なった︒なんで楊枝じゃないのか︒ について諍いを始めた︒ヒナは逃げ失せ︑ 伊藤 西宮ではそうなんでしょうか︒危 ﹁私﹂は男につかまって棺の方へ︙︙︒ ないですよね︒ 題名からして読みたくなった︒焼き場 勝又 でも逆に言えば︑こんなことを言 という暗く異常な舞台での少女の心理が いたくなるくらい細部がよく書けている︒ 活写されていて︑一種スリリングな気に こどもの生活が我々を触発したり喚起し 駆られた︒主人公はそれ以来︑蜜柑を口 たりする︑いいものなんですね︒ にしなくなったとあるが︑隠微な罪悪感 ■樹林夏号 ︵小説同人誌評 佐々木国広︶ のせいだろう︒ ︵﹃あるか ■図書新聞・五月︵同人誌評 志村有広︶ 小畠千佳﹁じごくのやかた﹂ いど﹄第 号︶ 現代小説では小畠千任の﹁じごくのや ﹁私﹂が小学二年生の時︑ヒナは二学期 か た ﹂︵ あ る か い ど 第 四 〇 号 ︶ が 面 白 い︒ の初めに東京から転校してきた︒和歌山 ︿じごくのやかた﹀︵地獄の館︶とは︑死 の西部に石油コンビナートがあり︑親の 体焼き場のこと︒小学二年の私は東京か 転勤によるものだった︒彼女は級友と馴 ら転校してきたヒナに誘われて︿じごく 染 め ず︑ 友 達 を 作 ろ う と し な い︒ そ の のやかた﹀へ行った︒ヒナは幼い子が茶 日︑ ﹁ 死 ん だ 人︑ 見 に 行 か な い?﹂ な ど 毘に付されることを知っていて︑その死 と誘ってきた︒ひっそりとして蜜柑畑に 体を見ようと思っていた︒死んだ幼子は 囲 ま れ た 所 に 墓 地 が あ り︑﹁ 地 獄 の 館 ﹂ 小学校入学前に交通事故で命を落とし︑ と 呼 ば れ る 焼 き 場 が あ る︒﹁ 私 ﹂ は ヒ ナ その子の父親は私の黄色い帽子を取って が好きになれなかったけれど︑男子生徒 亡き子に被らせようとした︒私は蜜柑を を見返してやりたくなり︑お供え用にと 男に投げつけ︑足を踏みつけ︑帽子を奪 い返すと辛うじて逃げ出すことができた︒ 歳月が流れた︒私は蜜柑を食べることが きて帰れと窘められたが︑男の人にひき が開き︑意地悪な鬼婆みたいな人が出て 蜜柑を捥いで焼き場へ入っていった︒扉 40 心に深く根を下ろす︒私は死んだ子の父 親に棺桶の中を見せつけられるのだが︑ 少女の激しい恐怖心と場面の緊迫状況が 巧みに表現されている︒ ■中日新聞・中部の文芸 ︵小説・評論 清水 信︶ 雑誌では︑次のような記念誌に着目し た︒四百二十ページの大冊である﹁ある かいど﹂ ︵大阪市︶は 号記念号︒ ︵中略︶ ﹁あるかいど﹂では佐伯晋の﹁白い海へ﹂ 40 と池戸亮太の﹁サルオリ﹂に注目︒ ︵後略︶ ■神戸新聞・同人誌︵竹内和夫︶ ﹁あるかいど﹂ 号︵大阪市︶高畠寛﹁桜 吹雪﹂は︑ 歳の高校生﹁僕﹂と︑ 歳 の伯母﹁由紀さん﹂との風変わりな純愛 物 語 と い う べ き か︒ ﹁僕﹂が学校近くの 飛田で大人になったことを琵琶湖畔に隠 棲しているグラフィックデザイナーの由 紀さんに報告することから︑二人の手紙 の 交 換 が 続 く︒﹁ 僕 ﹂ が 大 人 の 男 に な っ たことで︑二人の関係はプラトニックな 41 42 愛に純化していく︒現在の伯母の性心理 の表出が期待される琵琶湖での再会の場 面が割愛されているのが残念であった︒ 18 192 ことがないのだろうか。 ︵祥子︶ ●この二年間、日本語を母語としな を掴みたい︱︱この飢餓感は尽きる ざまな格好で立っている。よい感性 迎えつつあるのに、私はますますぶ ち、友人たちは収穫の謐かな季節を る。●あれから四十五年の歳月が経 を探して歩きはじめたような気がす から私は、花野にのぼる夕月ばかり 与謝野晶子の歌集であった。その日 こちしていでし花野の夕月夜かな﹂ た。﹁ な に と な く き み に 待 た る る こ の向こうから聴こえてくる歌に酔っ のように見えた。●遠い昔、私は窓 が立ち、夕月はとてもはかないもの 昏に染まり始めた枯蓮の沼からは風 わず車からおりてそこに立つと、幽 ●蓮畑の上に細い夕月が見える。思 という自らの文学テーマは普遍性が る。 彼 女 が と り く む﹁ 言 語 の 越 境 ﹂ として旺盛な創作活動を展開してい 人・作家として,また日本語の作家 語 の 外 に 出 た 状 態 ︶。 ド イ ツ 語 の 詩 ︵エクソフォニーはドイツ語で、母 ﹁エクソフォニー 母語の外へ出る 旅﹂の中でこの疑問にこたえている 田葉子︵第一〇八回芥川賞受賞︶が 能性が切り拓かれるのだろう。多和 刺激的な状況の中で、どのような可 ない言語で小説を書く、その異質で た。二度目である。●自分の母語で は今年も芥川賞候補に名が上がっ な高さに驚く。シリン・ネザマフィ ろんだが、彼女らの到達した文学的 している。日本語習得の早さはもち 受賞作は初めから日本語で考え執筆 語はペルシャ語で日本語歴は十年。 シリン・ネザマフィはイラン人。母 ヤ ( ンイー は ) 中 国 人、 日 本 語 歴 は 二十年。第一〇八回文學界新人賞の もう少し考え続けたいテーマである。 語と文学﹂という問題︱秋の夜長に、 いる。二言語のハイブリッド性、 ﹁言 かという問題をわれわれに提起して 波 紋 を 拡 げ、 ﹁日本の文学﹂とは何 ﹁エクソフォニー﹂という不思議な この日本文学に異邦人が入ってきて、 ほとんどは、同時代世界文学たりえ 例 外 を の ぞ け ば、﹁ 現 代 日 本 文 学 の る。いずれも翻訳本だが、こうした ズラリと並んでいて驚いたことがあ 樹、辻仁成、小川洋子などの作品が しれない﹂●パリの書店に、村上春 谷を見つけて落ちて行きたいのかも むしろA語とB語の間に、詩的な峡 でも書く作家になりたいのではなく、 な気がする。わたしはA語でもB語 間の狭間そのものが大切であるよう い。言葉そのものよりも二ヶ国語の ということ自体にそれほど興味がな たしはたくさんの言語を学習する い異邦人作家の受賞が話題になった。 あり、文学の本質をついている。 ﹁わ ︵晋︶ ない﹂と嘆かれる状況が続いている。 第百三十九回芥川賞を受賞した楊逸 193
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