佳 作 在日、 韓国、 日本 自らの身を 滅ぼす自虐史観という共通項 りょう せ き 歳 ~ある在日が、 帰化を決心したわけ~ ご もっとも、私がこうして帰化するに至るまでには、自分のアイデンテ ィティをめぐる葛藤を通り抜けなければならなかった。私は在日韓国人 きにわたってこの日本を守ってこられたことへの感謝を捧げた。 この国の神々や英霊たちに、これから日本人となることのご挨拶と、長 とに思われた。梅雨を控えた青空のもと、拝殿の前で手を合わせ、私は 靖国神社への参拝は、日本に帰化するにあたって、どうしても必要なこ 味する。だから、日本を守るために戦ってこられた英霊が祀られている この国に万が一のことがあった際には、国のために戦うということを意 局の近くにある靖国神社に初めて参拝した。 日本人となるということは、 が一つ。そして、専攻として外交と安全保障を選び、国家というものが 際環境や、日本と朝鮮半島との関係を遠くから眺めることができたこと こうした「もやもや」が徐々に消えていったのは、高校を卒業して、 アメリカに留学するという経験を通じてのことだった。アメリカと日本 も、答えが出ない状況に陥っていた。 からか私は、こうしたアンビバレントな思いに悩み、考えても、考えて の国である日本を、いつまでも恨まなければならないのだろうか。いつ 知っている。それでも、植民地支配の「被害者」の子孫として、加害者 なければ、日本が快適で暮らしやすい国であることは、実感としてよく 2 52 謀略に!翻弄された近現代 誇れる国、日本〔Ⅷ〕● いばかりでなく、耳を塞いで、メロディが通り過ぎるのを待ったことす らあった。英語の先生から、下級生の授業で「在日の境遇について英語 条は世界の理想 で話してほしい」と頼まれ、「在日は日本に強制連行されてきた人々の 子孫だ」と大真面目にスピーチしたこともある。憲法 として生まれ、 「日本人は朝鮮で多くの人を虐殺した」という話を、父 どのような原理に則って国際社会で動いているのかを浅学なりに学べた つの国を比較する機会を得るとともに、日本の置かれている国 親らから繰り返し聞かされて育ってきた。そして高校生になる頃には、 ことも大きかった。そして、自分なりに日本のことを勉強していくうち という 「日本は先の大戦で、侵略によってアジアに多大な迷惑をかけた悪人の に、歴史を語る上では、様々な見方があり得るということを事実として いくら憎んでいても、自分自身は周りの日本人から差別を受けたことも 人自身は、幸せになれるのだろうかということである。そして、日本を 本に謝罪と賠償を求め続けたとして、それによって、在日自身は、韓国 人が「日本は悪人国家だ」と、子子孫孫にわたって恨みの心を伝え、日 しかし、これほどまでに日本を嫌っていた私の心の中には、どうして も解けない、一つの「もやもや」があった。それは、在日や本国の韓国 ように生きている、当時の私がいた。 早く共和国になるべきだと信じていた。まるで敵国に潜伏しているかの っているのは、生活保護であり国費の浪費でしかないのだから、日本は 思っていた。そして、先の大戦の戦争責任を負っている皇室を国費で養 の小泉純一郎首相は、アジアの人々の苦しみを解さない軍国主義者だと だと信じていたし、靖国神社への参拝を毎年、欠かさず行っていた当時 9 国だ」とすっかり信じるようになっていた。プロ野球の開幕戦を友人と 2015年 月、日本に帰化するための必要書類について説明を受け る第 回の「国籍相談」 (帰化申請の前段階)を終えた私は、東京法務 I.はじめに「敵国」で暮らしているかのような高校時代 編集者、ウェブメディア「ザ・ニュー・スタンダード」 編集長 呉 亮錫 26 知った。特に、東京裁判で堂々と日本の無罪を主張したインド人のラダ・ 6 観に行った時、スタジアムに「君が代」が流れるのを聞いて、起立しな 1 佳 作 在日、韓国、日本 自らの身を滅ぼす自虐史観という共通項~ある在日が、帰化を決心したわけ~ とらわれていては、現代に生きる私たち自身が身を滅ぼすことになりか 方は誤りであるということ。そして、誤りどころか、そうした歴史観に 「 も や も や 」 が 氷 解 し た 今 に な っ て 断 言 で き る の は、「 被 害 者、 加 害 者」という図式にとらわれて、過去の祖先の行いを裁くような歴史の見 った。 の理由だったと、議会で証言していたことを知ったことなどが参考にな グラス・マッカーサー元帥自身が、日本が戦争を始めたのは安全保障上 ビノード・パル判事のエピソードや、日本を占領したGHQトップのダ 行が困難になったために、朝鮮人の戦時徴用が行われたのは されたのは、1944年のことである。しかし、次の年には輸送船の運 国民徴用令が朝鮮に適用され、朝鮮人が内地の炭鉱などに強制的に動員 かし、そのうち、戦後に日本に残って「在日」になったのはごく少数だ。 であり、そちらの方がより実情に即している 3。厳密な意味で「強制連行」 しかし、在日の多くは、経済的なチャンスを求めて日本に渡ってきたの 行されてきた被害者やその子孫」というイメージがつきまとっている。 いた『朝鮮人強制連行の記録』などによって、「戦時中に日本に強制連 カ月にす と言い得る例があるとすれば、日本政府による「戦時徴用」がある。し ねないということ。そしてこのことは、在日韓国・朝鮮人(以下、「在 いうことも言える。前置きが長くなったが、在日、韓国、日本を苦しめ るような歴史観を構築できた時に、歴史的なわだかまりは解けていくと 加害者」という前提を超えて、それぞれの祖先の行ったことを讃え合え 則だということだ。これを逆に言えば、在日、韓国、日本が、「被害者、 日」と表記) 、韓国、日本、いずれの歴史認識についても当てはまる法 らを広い意味でとらえて「強制連行」と呼ぶ人もいる。日本に渡り、炭 もっとも、他にも内地での労働力不足を補うために、民間企業の労働 力を朝鮮半島で調達した「募集」や「官斡旋」という制度があり、これ のは、1959年時点で245人だけだったという 4。 務省によれば、徴用労務者として渡日してきた人で、日本に残っていた ぎなかった。徴用で渡日した労務者の大半は終戦後に帰国しており、外 鉱などの危険な現場で働いた朝鮮人労働者は、いわゆる「タコ部屋」に 押し込まれ、過酷な条件のもとでの労働を余儀なくされることが多く、 だ 5。 募 集 の 際 に も、 騙 さ れ た り、 脅 迫 を 受 け た り し た 場 合 も 存 在 し た よ う i. 「強制連行」は在日の実像ではない しかし、こうしたことをもって「在日は被害者だ」と断定的に結論づ けるわけにはいかない。戦時中は、大日本帝国を挙げて、戦争の勝利に Ⅱ.在日の自虐史観の病理 ている、自虐史観の病理について、ここから論じていく。 7 在日は、終戦の前には 百万人の規模だったが、終戦後に大量に帰国 したため 万人ほどとなり、最近では約 万人となっている 1。日本は 50 式に朝鮮人は日本国籍を失うこととなった。一方で、在日はすでに日本 たため、これを受けて、1952年のサンフランシスコ平和条約で、正 戦前、朝鮮半島を領土の一部として治めていたが、敗戦によって喪失し たり、強制的に働かされたりしたのであれば、それは日本人も同様だし、 されて働かされていたのだ。戦時中に、戦争遂行のために自由を奪われ なら、内地の日本人も本人の意に反して、軍需工場などに“強制連行” 向けて一丸となって取り組んでいた。国民徴用令を「強制連行」と呼ぶ ] 、 [イワタ行政 35 41 11 11 41 12 36 14 14 た 2。 40 在日については、朝鮮大学校の教員だった朴慶植氏が1956年に書 ― 3[菊池、2009、pp. ― ] 、 [鄭、在日・強制連行の神話、2004] 4[ 菊 池、2009、pp. ― ]、 [ 鄭、 在 日・ 強 制 連 行 の 神 話、2004、 pp. ― ] 、 [高市、2010] 5[ 鄭、 在 日・ 強 制 連 行 の 神 話、2004]、 [ 外 村、2012]、 [ 水 野 文、 2015] に定住しているということに配慮し、永住資格が認められることとなっ 2 1[在日本大韓民国民団]、[総務省 統計局、2015] 2[在日コリアン弁護士協会LAZAK、2008、pp. 書士事務所]、[菊池、2009、pp. ― ] 53 ● 謀略に!翻弄された近現代 誇れる国、日本〔Ⅷ〕 60 れる。実際に、日韓併合以降は日本への渡航希望者が殺到したため、日 の暮らしよりも内地の方が比較的、条件が良かったという理由も考えら のであったとしても、それでも渡航者が後を絶たなかったのは、半島で いレベルにまできているからだ。例えば、民団が推し進めている外国人 の主張は、日本が民主主義の社会を維持していく上で、受け入れられな ない社会権をすでに持っているのであって、さらなる権利を推進する側 現実的でなくなってきている。それは、在日は日本人とほとんど変わら 日が無反省に、日本人と同等の権利を求めて運動を続けていくことは、 本政府は渡航制限を実施せざるを得なくなっている 6。「強制連行」とい 参政権は、民主党内に賛成者が多く、彼らが政権に就いていた時代には、 外国籍を維持していながら、日本人と同等の権利を求める在日の運動 が、もはや限界にきていることは明らかである。朝鮮人に対する日本人 繰り広げていることではないだろうか。 としての特権意識を持ち、日本社会の破壊にさえつながるような主張を う言葉が独り歩きしているが、本当の在日特権とは、在日が「被害者」 という意識が、運動の底流に流れている。最近では、「在日特権」とい 国籍から放り出された被害者であり、平等な権利を求めて当たり前だ」 「自分たちは強制連行を受け、戦後は日本 いるからだ 7。言ってみれば、 のフルメンバーとなって社会に融合することを妨げている理由となって 害者」という見方が、帰化をタブーとするような空気を生み、日本社会 権利を奪うなという趣旨の主張である 8。しかしこれも、日本にとって あるいは、朝鮮学校が高等学校無償化の対象から外れたことに、不満 の声をあげる向きもある。国家間の対立によって、子供が教育を受ける 国籍を取得するのが道理であるのだ。 覆るものではない。日本での政治に参加することを望むのならば、日本 れがたい主張だと分かる。それは、いくら在日が税金を納めたとしても、 態も容易に想像されるため、日本側の国防という立場に立てば、受け入 まれている現状では、大量移住などによる自治体の乗っ取りといった事 論と言える。また、たとえ地方参政権であっても、近隣諸国の脅威に囲 ない外国人の立場でいながら、参政権だけ欲しいというのは、乱暴な議 うという「国防の責任」と表裏一体のものである。国を守る責任を負わ 63 54 謀略に!翻弄された近現代 誇れる国、日本〔Ⅷ〕● 当時の朝鮮人は日本人だったのだ。また、内地での労働条件が過酷なも うイメージを広め、 在日が 「被害者」 だと決めつける見方には問題がある。 に参加する権利というものは、その国の一員として、万が一の時には戦 の差別意識は歴史的に存在してきたとはいえ、現代は、在日を社会的に 北朝鮮の核開発や拉致問題が、国防上の最大の脅威であることを無視し 実際に成立するのではないかと危ぶまれた時期もあった。しかし、政治 「強制連行」というイメージが問題をはらんでいるのは、歴史的に誤 りであるからだけではない。強制連行説に象徴されるような「在日は被 表だって差別できるような時代ではない。確かに、ネット上には「朝鮮 て、自分たちの主張ばかりを押し通すことには無理がある。この問題で 「子供の教育を妨げている」というのであれば、北朝鮮に対して、周辺 人はゴキブリ」 「朝鮮人を殺せ」といった、人権無視の過激な言論が溢 人を差別している」と結論づけるのは、オーバーである。こうした行き 国を危険にさらす核兵器の開発を止め、拉致被害者の帰国を認めるよう 懸念されているのは、朝鮮学校に補助金を支給することが、北朝鮮の出 過ぎた言論をまともに広めようとするマスコミも存在せず、これらが日 に求める方が、よほど筋の通った議論ではあるまいか。 れていたり、街頭でこうした「ヘイトスピーチ」を堂々と行う団体も存 本社会のメインストリームでは決してないからだ。 ⅱ.シンプルに、祖先の努力を誇ればいい 先機関である朝鮮総連の活動を利することがないかという点だ 9。もし、 在日はこれまで、団体行動や裁判などを通じて、民族学校の設立や就 職差別の撤廃、指紋採取反対のために闘ってきた。しかし、このまま在 8[しんぶん赤旗、2015] 9[下村、2014] 、 [比護、2015] 在することは確かだ。しかし、それらを取り出して、「日本社会は朝鮮 6[黄、2012 、 p p . 1 4 2 ― 1 4 5 ] 7[鄭、在日韓国 人 の 終 焉 、 2 0 0 1 、 p p . ― ] 53 佳 作 在日、韓国、日本 自らの身を滅ぼす自虐史観という共通項~ある在日が、帰化を決心したわけ~ うか。日本国籍を取るということは、日本国民として、日本という国民 人間が社会生活を真っ当に送るために必要なのは、自由と責任の自覚 である。韓国籍の在日は最近まで、どこの国の国政選挙にも投票できな 取り、 日本社会の一員として生きていくことが真っ当な道だと言えよう。 のことに積極的に協力していく必要がある。そうであれば、日本国籍を 社会で暮らす在日にとっても有益であるのは当然だ。そして、在日もそ 国を守り、社会の安全や治安を維持し、経済を成長させることは、日本 になり、それは自分たちの利益にもならない。日本が磐石な国防政策で ている」と言い続けるだけなら、在日と日本社会との軋轢を高めるだけ れるはずがない。それを勘案せずに、 「日本人はいまだに在日を差別し することは勝手だが、日本社会を危機に陥れるような主張が受け入れら 日本という国と、ある意味で一蓮托生の関係にある。在日の権利を主張 本人の好む好まざるにかかわらず、日本で暮らしている以上は、在日も 等の権利を与えよ」という権利拡大の運動は、弊害ばかりだと言える。 れば、外国人参政権を求める運動など、 「外国籍の在日にも日本人と同 は今後も、日本社会のメンバーとして生きていく」という観点から考え ーを排して、こうした前提から議論を始めることが必要だろう。「在日 日が幸福に暮らしていくにはどうするか」を考える上では、イデオロギ れからも日本社会で暮らしていくことが確実であるということだ。「在 ばならないのは、在日は現に日本社会で暮らしている身であり、またこ 不要であるだけでなく、祖先の苦労に泥を塗る行為でもある。 いいのであって、そこで「強制連行」や「被害者性」を主張することは、 ャパニーズ・ドリーム」の先駆者だったのだ。そして、そうした祖先の メリカに「アメリカン・ドリーム」があるように、言ってみれば彼らは、「ジ 切り開いていった在日一世たちは、本当に素晴らしい人々だと思う。ア が悪いわけでもないのだ。しかし、そうした中から、身銭を稼ぎ、道を それは、「移民」という事象を考えればユニバーサルな現実であり、誰 は難しい。周りの日本人との違いから、差別を受けることだってある。 当たり前だ。言葉も文化も違う異国へと渡って、一から生活を始めるの な歴史認識を持つ必要がある。どこの国でも、移民の生活は苦しいのが の未来を切り開くために、海峡を渡って日本に来たのだというトータル この問題を解決するためには、まず前述したとおり、自分たちの祖先 は「強制連行の被害者」などではなく、よりよき生活を選び、自分たち り、日本社会にも溶け込んでいくことができない。 日はいつまでもどこの国の国民としての責任も負わない根無し草とな 虐史観が、大きな問題であることが分かる。これを解消しなければ、在 日本でも戦後の「自虐史観」がよくやり玉に挙がるが、ここまで見て きたように、在日にとっても「自分たちは強制連行の被害者」という自 あってこそ、この不健全な状態は解消できると言えるだろう 。 国家の一員としての政治や社会への責任に向き合うことになる。そうで い立場にあった。韓国の法改正によって、2012年にようやく韓国の 「在日は被害者なのだから、権利を求めるの こうしたことを言うと、 は当然」といった批判が出てきそうだ。しかし、前提として考えなけれ 大統領選に投票できるようになったが、それまでは、どこの国の政治に また日本人の中にも、「在日は強制連行の被害者」というイメージを 広めることを支援する人たちもいる。中には、在日の立場を向上させる も参加することができなかった 。また、本国の韓国人とは違って、徴 する義務や責任と向き合う必要がない立場にあって、日本ではただ自ら 兵についても猶予されている。これでは、在日は国民として政治に参加 だとしたら問題がある。もし在日の支援を本当に考えるのであれば、在 いう立場でしか自分を語れない社会のムードをつくってしまっているの ために善意で協力している人もいるのかもしれないが、在日が被害者と 苦労があってこそ、今日の自分がいる。そのことを単純に誇りに思えば の権利拡大を主張するだけの存在ということになってしまう。これは、 [鄭、在日韓国人の終焉、2001、pp.194―195] 55 ● 謀略に!翻弄された近現代 誇れる国、日本〔Ⅷ〕 11 日が自分の出自に自信をもてるようにすることこそが大切であり、「強 10 他ならない在日一人ひとりの精神にとって、不健全なことではないだろ [コリアNGO セ ン タ ー ] 10 11 きた。この「自虐史観」については、本国・韓国にとっても重大な問題 軍や警察が加担したとは言えない 。 「我々は被害者、日本は加害者」という見方にとらわれ 韓国もまた、 たままだ。こちらは、もはやこうした視点にこだわりすぎて、自殺行為 は別問題だ。日本の軍や警察が、慰安婦の拉致や強制連行を行っていた う。しかし、だからといって日本政府が法的に責任を負うべきかどうか まで築いてきた民主主義や自由を、自らの手で手放そうとしているかの 史問題にこだわるあまり、日本との必要な協力がおろそかになり、これ れても変わらない」と発言したのはよく知られている。だが、韓国は歴 独立運動記念式典」で、 「被害者、加害者という立場は、千年の時が流 こうした事実を無視して、「かわいそうな女性たちを、日本政府は救 済すべきだ」と、どこまでも無理筋の主張を展開していては、トータル などを通じて、そうした事業を行ってきた 。 度 だ ろ う。 そ し て 日 本 側 は 実 際、「 女 性 の た め の ア ジ ア 平 和 国 民 基 金 」 た女性たちに、お見舞いの気持ちを込めて支援を送るといったことが限 とは言えない以上、政府としてできることとしては、不遇な運命にあっ ようだ。 慰安婦問題に取り組んできた先駆け的な団体である「韓国挺身隊問題対 ・ 朴政権になってからは特に、韓国は慰安婦問題で日本に対して無理筋 の主張を繰り返し、謝罪や賠償を求めている。だがこの問題は、日本政 策協議会」が毎週水曜日のデモを続けているが、この団体は北朝鮮の工 日に行われた「 府が謝罪して金銭的に賠償するという類の話ではない。この問題の焦点 作機関との連携が指摘されている 。反日姿勢を取れば、南北統一に向 月 は、日本の官憲が、朝鮮半島から女性を拉致して、日本軍の兵士の慰安 けた北朝鮮との連携は可能になるかもしれないが、日本を敵視して北朝 外交を前面に推し進めてきた。2013年 に手を染めているに等しい現状がある。朴槿恵大統領は就任以来、反日 13 婦としたかどうかにある。しかしこれまでに、日本側が直接的に女性を 日本側が組織的に拉致などに加担したわけではないのだ。逆に日本の警 察は、軍を装って女性を拉致しようとする悪質な業者に手を焼き、彼ら を取り締まっていたことが、当時の新聞などに出てくる。「軍人として 拉致に加担した」と証言した人物もいたが、この吉田清治という人物の 『私の戦争犯罪』という本は、虚偽であったことが分かっており、この 14 な目で見て、韓国自身のためにならない。ソウルの日本大使館前では、 15 この部分の叙述にあたっては、 [秦、1999] [山際、2014]などを参考に した。 [ 秦、1999、pp.249―251]、 [ 産 経 新 聞 社、2014、pp. 224―229] [外務省、2000] [産経新聞、2015] 12 13 15 14 56 謀略に!翻弄された近現代 誇れる国、日本〔Ⅷ〕● 本の発刊当時から積極的に内容を報じてきた朝日新聞も2014年に誤 もっとも、日本政府は1993年の「河野談話」の中で、慰安婦の強 制的な動員に関与したことを認めたと言われている。しかし、この談話 制連行」という話ばかりを持ち出すのは、むしろその妨げになる。 Ⅲ.韓国の自虐史観の病理 は、調査でも確たる証拠が見つからなかったにもかかわらず、日韓関係 りを認めた 。 i. 「反日」で国を危うくする韓国 わせの上で発したものであり、これをもって慰安婦の強制連行に日本の と言える。 慰安婦になった女性たちの中には、貧しい家の出身も多く、貧困の中 で身売りをしなければならなかった不幸な境遇にあったことは事実だろ の前進のために謝罪が必要だと考えた当時の政府が、韓国側とのすり合 ここまで、在日韓国人の「自虐史観」の問題について触れ、日本に帰 化して日本国民としての責任を果たすことこそ、望まれる道だと述べて 12 鮮と歩調を合わせれば合わせるほど、今度は韓国の方が国を失う危機に 1 拉致して連行したという証拠は見つかっていない。勤め先での顧客は軍 3 直面しかねないと言えよう。実際に、2012年の大統領選では、北朝 1 人だったとはいえ、慰安婦の募集などは民間業者が行っていたもので、 3 佳 作 在日、韓国、日本 自らの身を滅ぼす自虐史観という共通項~ある在日が、帰化を決心したわけ~ 鮮と協調する「従北派」との連立を公約した野党候補が いかという懸念を唱える専門家もいる 。 %もの得票を 集めたことで、韓国政府の崩壊の方が、北朝鮮崩壊よりも早いのではな 48 を得なくなるという弱肉強食の世界にさらされていた。そして、近代化 が実現できなかった朝鮮は、列強が相次いで介入する「草刈り場」と化 ど、常軌を逸した「告げ口外交」を展開してきた。しかし、朴大統領の 最近では外交姿勢に変化も見られるものの、朴政権はここまで、日韓 関係に関係のない国に訪問した時も、日本に謝罪を求める発言をするな これまで国益や公益よりも一族の利益を最優先して権力闘争を延々と繰 する開化派などが、国の行方をめぐって勢力争いを繰り広げた。しかし、 乗り越えようとする守旧派や、日本の明治維新型の近代化を目指そうと すことになった。李氏朝鮮でも、周囲に開国を求める異国船がうろつく あまりの執着の仕方に、同盟国として韓国の安全のカギを握っているア り返してきた李王朝の旧態依然の体質は変わらず、李王朝は、独立や近 国の方である。また、東アジアでは中国の拡張主義をいかに封じ込める かにすれば、万が一の際にしっぺ返しを食らう恐れが最も高いのは、韓 はいえ、韓国は北朝鮮といまだ戦争状態にある。日米との関係をおろそ 「国は内部から滅びる」とよく言われるが、こうした点は、「日本が侵 略した」という一面的な見方をしていては、見えてこない。そして、そ た外国に援助を求めては、外交の主体を失っていってしまう 。 代化を目指すよりも、政敵の排除のために、清や、日本、ロシアといっ につれて、宗主国の清との属領関係を強化して攘夷運動によって事態を メ リ カ で も、 「韓国疲れ」の症状が表れている 。休戦を結んでいると かの議論が本格化しているところだ。そうした中で、「日本叩き」を外 うした見方にとらわれている限り、韓国は「朝鮮はなぜ滅びたのか」と ⅱ.国の体をなさなかった朝鮮の近代化を日本が助けた 自力による近代化の試みにことごとく失敗した朝鮮は、最終的には、 日本との合邦を選ぶほかに道はなかった。合邦については、日本に押し 自国の次なる発展のためにはならないと言える。 り、世論による後押しもあったと言える 。 在 日 の 例 と 同 じ よ う に、 韓 国 が 解 消 す べ き は、「 日 本 に 侵 略 さ れ た 」 という強烈な自虐史観だと言える。1910年の日韓併合については、 かったということだ。 ここで重要なのは、日韓は「合邦」したのであって、朝鮮が日本の植 民地になったわけではないということだ。欧米の植民地では現地人を人 付けられたものだという意見もあるが、当時の朝鮮では、日本との合邦 日本が明治維新を成し遂げた 世紀末、朝鮮半島を支配していた李氏 朝鮮では、官職の売買によって人口の半数が支配階級の両班となり、農 間扱いしないほどの搾取が横行したが、それに比べれば、日本の場合は 韓国側から日本による一方的な侵略だと指摘されている。しかし、目を 民の生活は王族や貴族の放蕩を賄うための重い年貢の取り立てによって 極めて穏当な統治を行い、朝鮮の近代化に貢献したと言える。そもそも、 を主張する「一進会」という団体が、最大の政治団体として存在してお 者だ」と言えば、謝罪や賠償は引き出せるのかもしれないが、それでは いう教訓を、歴史から学ぶ機会を失ってしまうと言える。「日本が加害 18 困窮を極めていた。列強による帝国主義が全盛を迎えていたこの時代に ]、[ ] 、 [ 古 森、 欧米の基準ではあり得ない。また、土地調査から始まった農業改革や、 が、“ 植 民 地 ” を 支 配 し て い た 王 族 に こ こ ま で 配 慮 す る“ 宗 主 国 ” は、 19 5 1 0 2 , ? ' e u g i t a f a e r o K ' g n i t t e g , n a p a J e k i l , a c i r e m A s I , y l l e K [呉、2012] [松木、2011] [金、2002] Ibid. 19 18 19 向ける必要があるのは、当時の朝鮮はもはや国としての体をなしていな 言えよう。 交の最優先に据えるのは、自国の安全保障さえも危険にさらす行為だと 17 日本は李朝の王室を残して日本の皇族とも姻戚関係を結ばせるなどした ]、[ 57 ● 謀略に!翻弄された近現代 誇れる国、日本〔Ⅷ〕 16 あって、アジア各国は近代化を急がなければ、植民地支配に甘んじざる [zakzak 、 2 0 1 5 ] [ 5 1 0 2 , n a p a J h t i w d e s s e s b O o S s I a e r o K h t u o S 2015] 17 16 4 1 0 2 , s d r a h c i R y h W , y l l e K 特 筆 す べ き は 人 口 が 増 え た こ と で あ る。 併 合 時 の 朝 鮮 半 島 の 人 口 は 一 三 一 二 万 名( 一 九 一 〇 年 ) だ っ た が、 併 合 後 に は 最 終 的 に (当時の世界の諸国では高くて二パーセント程度の成長率だった)。 政にとって、朝鮮への持ち出しは大きな負担だったはずだ。日本の統治 二五一二万名(一九四四年)と二倍近くにまで増加している。それ 一七億六六五七万円(一九一一~四一年)で、赤字分は本国からの 朝 鮮 統 治 で は、 最 後 ま で 投 資 過 剰 の 赤 字 経 営 が 続 け ら れ た。 朝 鮮 総 督 府 の 統 計 年 報( 各 年 度 版 ) に よ れ ば、 朝 鮮 の 財 政 赤 字 は 総 したのだ。また、日本は朝鮮に義務教育を導入し、「漢字ハングル混じ あることが分かる。日本からの投資を元手に、朝鮮の経済は大きく飛躍 韓国では日本が植民地支配を通じて、半島から収奪の限りを尽くした ように言われるが、こうした数字が裏付けるように、収奪史観は誤りで %にまで上昇している 。植民地を一次産品の産 6 植林が毎年行なわれ、一九二二年までに植林された苗木は総計約 一〇億本にのぼった。併合当時に米の生産高は年一〇〇〇万石だっ 水力発電所の建設などが全土に渡って展開された。 等の交通設備や電信・電話等の通信設備の敷設、近代工場や大規模 拓・灌漑などの大規模な土地改良、鉄道・道路・架橋・航路・港湾 り、「文化の抹殺」という批判は当たらないだろう。むしろ、氏の創設 れは戦時下にあって朝鮮をより日本に同化させる必要があったためであ 近代化につながる投資も惜しみなく行った。一方で、統治の後半では学 日本が朝鮮を自国の領土として扱ったのだ。それゆえに、日本は朝鮮の こうした事実は、日本が朝鮮を「植民地」とは見なしていなかったこ とを如実に物語っている。あくまでも、日韓は「合邦」したのであって、 を考えれば、当時の朝鮮人は日本の一員として、戦争の勝利のために協 校での日本語教育を強制したり、神社への参拝を奨励したりしたが、こ たが、一九三二年には一七〇〇万石、四〇年には二二〇〇万石超と 工 業 生 産 額 は 一 九 二 七 ~ 三 三 年 に 三 億 円 台、 三 五 年 に 六 億 円 台 超、四〇年に一八億円台超。工業成長率は一九一四~二七年に年平 と改名を認めた「創氏改名」や、志願兵の募集に希望者が殺到したこと がある。 出元とし、現地住民を酷使した欧米と、日本の統治との間には雲泥の差 21 力していたことが分かる 。 もっとも、日本はかねてから膨張戦略を取るロシアの南下を警戒し、 88 均五・三パーセント、二八~四〇年には年平均一二・四パーセントと 71 急 速 な 成 長 を 続 け た。 一 九 三 一 年 に は 軽 工 業 が 工 業 生 産 額 の 六 二 22 58 謀略に!翻弄された近現代 誇れる国、日本〔Ⅷ〕● 学校建設、インフラ投資など、朝鮮の発展につながる投資を行った。日 時代の朝鮮の経済発展について、拓殖大学の呉善花教授の著書に統計が ほど経済力が成長したのである 。 露戦争に勝利して名実ともに列強の仲間入りをしたとはいえ、日本の財 コンパクトにまとまっているので、ここで引用したい。 交付金(年間約一二〇〇万円) ・借入金・公債でまかなわれた。ま り文」を広めて、教育の普及にも貢献。併合当初は %ほどだった識字 た貿易収支では総額六億四七〇〇万円(一九一〇~三九年)の赤字 率は、1943年に 八〇億ドルにのぼった。 で あ る。 一 九 〇 〇 年 前 後 以 降、 日 本 か ら 投 入 さ れ た 資 本 は 総 額 で 20 大幅に増産された。 こうして北部には大規模な工業地帯が築かれ、南部では資本主義 的な商業が大きく発達し、米産は飛躍的な伸長を遂げた。開墾・干 22 [呉、2012、pp.233―234] [呉、2012、pp.240―242]、 [松木、2011、pp. ― ] [ 松 木、2011、pp. ―101、234―245] 、[ 水 間、2013、 p p . 1 2 4 ― 1 2 7 ]、[ 黄 、 2 0 1 2 、 p p . 2 0 2 ― 2 4 3 ]、[ 呉 、 2012、pp.242―249] 89 %、重化学工業(化学、金属、機械)が二五・六パーセントだったが、 三九年には重化学工業が逆転している。 一 人 当 た りGDPも 生 活 物 資 の 消 費 量 も 飛 躍 的 に 増 大 し、 一九二〇~三〇年代のGDPは年間平均四パーセントほど上昇した 22 21 20 佳 作 在日、韓国、日本 自らの身を滅ぼす自虐史観という共通項~ある在日が、帰化を決心したわけ~ し、たとえ自国の国益のための政策だったとしても、朝鮮半島がそれに 粋に朝鮮のために政策を立案したわけではないというのは事実だ。しか なる。それを考えれば、日本の朝鮮政策も自国の国益のためであり、純 清やロシアと同様に朝鮮の内政にも介入し、最終的には併合することに 朝鮮については独立して緩衝地帯となることを望んでいた。そのため、 感謝することを通じて、真の日韓の融和も成し遂げられることだろう。 加害者」という視点から抜け出し、祖先の努力を讃え、日本の貢献にも 糾弾によって、韓国は自国の安全保障を危機にさらしている。「被害者、 を塗る行為である。また、前述のとおり、「被害者史観」に立った日本 当時の人々を「親日派」呼ばわりして糾弾することは、祖先の努力に泥 なく、「我々は収奪された」と一方的に言い募り、また、あろうことか とだったと言えるだろう。 考えれば、日本が半島を統治したということは、朝鮮にとって幸運なこ 鮮のような状態になっていたであろうことは、想像に難くない。それを が、もし半島がソ連領だったとしたら、戦前から半島全域が現在の北朝 自虐史観の問題については、これまでも多くの論客が指摘してきたと ころだが、ここでは「国民の責任と民主主義」という観点について簡潔 危険を及ぼすところまできているという点では、日本も同様だ。 ここまで、「自分たちは被害者だ」として祖先の行為に泥を塗る在日 と韓国の自虐史観の病理について見てきた。自虐史観が自分たちの身に i.日本人から「健全な民主主義」を奪った現行憲法 Ⅳ.日本の自虐史観の病理 よって発展の恩恵を受けたことや、朝鮮の発展のために真摯に取り組ん だ日本人もいたということは、無視できない。また、帝国主義の時代に、 日韓合邦がなければ、半島はロシアが統治したであろうことは、容易に 「日帝 年の支配」が暗黒時代のように言わ 戦後韓国の歴史観では、 れるが、それは正しくない。近代化に失敗した朝鮮は、日本の統治を受 に 述 べ た い。 戦 後 の 日 本 は「 政 府 と 軍 部 の 暴 走 に よ る 侵 略 戦 争 に よ っ 想像がつく。ロシア帝国はやがて1922年に共産主義のソ連に変わる け 入 れ る こ と に よ っ て、 よ う や く 近 代 化 の 道 を 歩 み 始 め た と 言 う こ と て、多くの国民やアジアの人々が犠牲になった」という「反省」もあっ 条を含む現行憲法を今日まで維持して 評価すべきではないだろうか。 るが、これまでの道のりの中で、日本が担った役割についても、正当に はよく知られている。今日の韓国は、経済大国となったことを誇ってい にあてて、 「漢江の奇跡」と呼ばれる、急速な経済成長が実現したこと するためとされている。つまり、自分の身は自分で武装してでも守るこ 「自分の国は自分で守る」という原則は民主主義の基礎の基礎だ。例 えば、アメリカでは銃を保持する権利が基本的人権の一部として認めら える。 当たり前の意識を国民から奪ったという点で、極めて不健全なものと言 にさせるだけでなく、「自分の国は自分で守る」という民主主義として きた。しかし、国防について規定しない憲法は、国の守りをないがしろ て、戦力の不保持を定めた憲法 億 が で き る。 し か も、 統 治 期 の 投 資 だ け で な く、 日 本 は 終 戦 後 に、 億ドル、有償で ド ル も の 資 産 を 半 島 に 残 し、 そ の 請 求 権 も 最 終 的 に 放 棄 し た。 ま た、 1965年の日韓国交正常化の際には、日本は無償で 億ドルを供与。朴正煕政権はインフラ投資など こうしたことを言えば、 「日本の行為を美化しすぎている」と批判さ れるかもしれない。しかし、注意を向けるべきなのは、日本の投資を助 とが、当然の市民の権利としてまず存在し、そして、そうした市民が集 れているが、これは、自衛組織としての民兵(militia)を組織 けとしつつも、朝鮮の近代化を遂げていったのは、他でもなく、半島で は叶えられなかった朝鮮人の祖先は、日本の助けを借りて努力し、近代 まってつくったコミュニティーや国家についても、自衛するということ 億ドル、民間借款で 3 9 60 36 暮らしていた朝鮮人自身だったのである。近代化の道を模索し、独自で 3 化を実現していったのだ。こうした当時の人々の姿に思いを向けること 59 ● 謀略に!翻弄された近現代 誇れる国、日本〔Ⅷ〕 2 い苦役を押し付けられている人々」と定義されることになる。これでは、 とした政府答弁を基にすれば、自衛隊という存在は「国民がやりたくな 480年のサラミスの海戦に下層市民らが参加したことで、戦後、彼ら 国を守る仕事を、国民を代表して請け負っている自衛隊が、まるで囚人 が 当 然 の 権 利 だ と い う こ と に な る 。 ま た、 古 代 ア テ ネ で は、 紀 元 前 の 政 治 的 な 発 言 権 が 増 し、 よ り 平 等 な 民 主 主 義 の 発 展 に つ な が っ た 。 うに、そもそも日本人であるということは、日本という国に危機が生じ 主主義の成立に欠かせない流れなのだ。冒頭の靖国のシーンで述べたよ 国を守るための責任を果たした者が、政治に参加するということが、民 だ。この一連の答弁は、非戦を誓う「先の大戦の反省」が、健全な国防 兵制を敷くことは考えられない」などと答弁することも可能だったはず 代兵器を使う戦争においては、兵員には専門技術が要求されるため、徴 か何かのようである。「徴兵制はあり得ない」と答えたいのであれば、「近 思える。 た際には、国のために戦うことがあり得るということを意味している。 国を守るという士気を示さなければ、米軍が外国である日本を、お人好 についての考え方を妨げていることを、実に見事に象徴していたように しにも命を懸けて守るということは考えられない。「戦力の不保持」を と称されるべきだろう。ところが、先の大戦の「反省」から、戦争を絶 務を代表して担っているという意味では、自衛隊もまた「国民の代表」 議員のことを指すが、しかし、本来は国民が等しく負っている国防の義 本来であれば、国を守るために命を捧げる行為は、最高の栄誉をもっ て称えられるべきもののはずだ。 「国民の代表」と言えば、通常は国会 して当然の認識から、国民を遠ざけるものと言えるだろう。 に、匿名の学者グループが、経済的な繁栄に酔いしれる中で、日本が大 ス」の政治以外に、あり得ないのではないだろうか。かつて1984年 に、ただ国や社会から何を得られるかばかりを考える、「パンとサーカ それはひとえに、国民が、自分たちが国に対してなすべきことを考えず 国を、いかに守り、舵取りしていくかという視点を失うことを意味する。 は侵略を許さないから大丈夫だ」と考えたとしたら、日本の政治はどう いうセンセーショナルなタイトルの論考をまとめたことがあった。その なるだろうか。それは、日本人一人ひとりが、運命共同体としてのこの 対悪とする風潮が広まったことで、この国では国防の仕事が「苦役」と 切な精神的価値を失い、衰退していくことを危惧して『日本の自殺』と 条が定める『意に反する苦役』 戦後の日本では、あらゆる機会に「権利」、「権利」ということが 声高に叫ばれながら、人間や集団が自己の権利を主張するための基 中では、次のように述べられている。 隊は戦争で「人殺し」をするためのものであって、徴兵は政府が国民を 本前提となるべき義務と責任の重要性については、強調されること する、政府の答えである。確かに、軍事を忌避する人々からすれば、軍 も徴兵制が復活するのではないかと野党やマスコミが追及したことに対 にあたるため、違憲である」という答弁を行った。法案によって日本で 会での審議の中で、 政府は 「徴兵制は憲法 まで言われるようになってしまった。この夏の、安全保障関連法案の国 定めた現行憲法は、 「自分の国を自分で守る」という、民主主義国家と このように、もし国民が「自分の国は自分で守る」という責任から逃げ、 「きっと自衛隊が守ってくれる」「アメリカが助けてくれる」「国際社会 たとえ、日米安保条約があったとしても、日本人が自分たちの手でこの 24 9 20 強制的に「人殺し」に駆り立てるものだから、苦役以外の何物でもない 19 があまりなかった。その結果、権利という言葉は身勝手や利己主義 と同義語となり、やがて無責任や他人の権利侵害の口実にさえ広く 悪用されるに至ったのである 。 25 [グループ一九八四年、2012、pp.113―114] 25 18 41 という議論になるのかもしれない。しかし、 徴兵制を「意に反する苦役」 40 60 謀略に!翻弄された近現代 誇れる国、日本〔Ⅷ〕● 23 [Lund、2014]、[Williams、2015]、[大磯、2008] ]、 [「世界の歴史」編集委員会、2009、pp. ― ] 、 [ [ 木 下、 木 村、 吉 田、2008、pp. ― ]、[ 福 田、1985、pp. ― ] 24 23 10 5 0 0 2 , r e t n e C n o s l i W 佳 作 在日、韓国、日本 自らの身を滅ぼす自虐史観という共通項~ある在日が、帰化を決心したわけ~ 地解放につながり、現地にも日本の進撃を歓迎する声があったことも事 先駆けて訴えている。先の大東亜戦争は、もっぱら「侵略戦争」と言わ 国の守りに従事するということは、国民としての「義務と責任」の最 たるものである。これが失われ、 「権利」ばかりを主張する風潮がはび 実 だ 。 も っ と も、 戦 時 下 と い う 事 情 で 厳 し い 軍 政 を 敷 か ざ る を 得 ず、 れているが、日本が戦ったことが、結果的にはアジア・アフリカの植民 こっているとするならば、この国は本当に内部から「自殺」しかねない 度に強調する左翼的な風潮と言える。健全な民主主義を育む上でも、現 防を無視した現行憲法の体制と、それを支える「先の大戦の反省」を過 ということが言えるのではないだろうか。そしてこの病理の根源は、国 そして、この戦争に朝鮮半島からも志願して軍人となって参加し、戦地 放は、日本人の祖先が成し遂げてくれた、感謝すべき偉業なのである。 とは、遺憾としか言いようがない。欧米の支配を突き崩した植民地の解 物資も不足していたことで、現地住民に悪感情が残った場合があったこ 思う。現代の日本人が「日本は侵略の加害者だ」という懺悔を繰り返し、 て、先人たちがこのような人類史の偉業の一端を担ったことを、誇りに で散っていった人々も数多くいる。私は、半島の血を引く者の一人とし 行憲法の改正(あるいは、破棄)は喫緊の問題と言える。 V.おわりに 祖先の努力を称えあう歴史観こそ、国際平和の道 この国を守るために戦った英霊を顕彰する靖国神社にさえ堂々と参拝で 多くあるだろう。しかし、一方で、黄色人種の国として初めて近代化に 先の大戦は、多くの犠牲者を出し、国土を焦土としてしまったという 点では、不幸なことであり、戦略の間違いについては反省するところが 間違いを犯すこともあっただろう。しかし、まずは祖先が精いっぱいに たちが完璧でないように、その時々で、時代的な制約ゆえに、結果的に 会を受け継ごうと、努力してきた結果、今日の私たちがいる。今日の私 きないとすれば、これは子孫の不徳の至るところであり、前述の在日や 成功した日本が、アジアのリーダーとして、人種差別を背景とした欧米 生きてくださったことに感謝し、祖先の残してくれたものを受け継ぐと 日本が自虐史観から抜け出すために重要なのは、祖先の努力を素直に 評価し、それを誇りに思うべきだということだ。ここまで、「強制連行 の植民地支配に立ち向かったことは、評価されるべきだ。帝国主義全盛 いう姿勢がなければ、健全な歴史観に行き着くことはできない。「被害 韓国の自虐史観の問題と同様に、祖先の努力に泥を塗っていると言われ の当時、アジア・アフリカを奴隷のように蹂躙した欧米の植民地支配を 者、加害者」という見方で歴史を語ることは、当時を生きていた先人た の被害者」のように自らを飾る在日の歴史観も、「親日派」を糾弾する 覆し得る国は、日本をおいてほかになかった。特に、日露戦争での日本 ちが、どのように考え、必死で判断を下したのかを見えなくさせてしま ても仕方がないと言わざるを得ない。 の勝利はアジア各国に勇気と希望を与え、日本海海戦で劇的勝利を収め う。今日の基準で、祖先を断罪したり裁いたりすることなく、ありのま 韓国の歴史観も、祖先の行いに泥を塗る行為である点では同じだと述べ た連合艦隊の東郷平八郎・指令長官だけでなく、戦闘後の会見で敵将の まの歴史から学ぶことが、私たちが未来のための教訓を引き出していく てきた。その意味では、日本の自虐史観も同じである。 帯 剣 を 許 し て 武 士 道 を 示 し た 乃 木 希 典 将 軍 や、 陸 戦 で 破 竹 の 快 進 撃 を 上で、極めて重要なことである。そしてそれが、在日、韓国人、日本人 歴史の流れとは、私たちの先達たちの努力の賜物である。祖先が、今 日よりも明日、自分の代より子や孫の代へと、少しでも良い国、良い社 演 じ た 黒 木 為 楨 大 将 ら 日 本 の 軍 人 の 勇 戦 に、 海 外 か ら も 賛 辞 が 相 次 い と、それぞれの立場での自虐史観から脱却することにつながる。 [岡崎、重光・東郷とその時代、2003] [平間、2014] 61 ● 謀略に!翻弄された近現代 誇れる国、日本〔Ⅷ〕 27 だ 。また日本は1919年に、国際連盟でも、人種差別撤廃を世界に [岡崎、小村寿太郎とその時代、2010][平間、2014] 27 26 26 「被害者、加害者」 「糾弾する側、される側」という図式を国際 また、 関係に持ち込めば、行き着く先は、一方の国が他方の国をひざまずかせ、 なった時には、再び靖国神社に参拝し、神々と英霊にご報告申し上げる として、何らかの貢献ができればと心から願っている。正式に日本人に . h a n n a v a S x o C r u o F e h T f O s e l t t a B t n a t r o p m I t s o M (2011 年 月 日 ) 、 参照日: 2015年 月 日、参照先: . e c e e r G t n e i c n A : g n i t s e r e t n I s I t a h T l l A t n e i c n a f o s e l t t a b t n a t r o p m i t s o m r u o f e h t / m o c . g n i t s e r e t n i s i t a h t l l a / / : p t t h e c e e r g . t r e b o R . E y l l e K a e r o K ' g n i t t e g , n a p a J e k i l , a c i r e m A s I (2015 年 月 日) 、 参照日:2015年 月 日、参照先: ? ' e u g i t a f : r e t e r p r e t n I e h T g n i t t e g n a p a J e k i l a c i r e m A s I / 9 1 / 5 0 / 5 1 0 2 / t s o p / g r o . r e t e r p r e t n i y w o l . w w w / / : p t t h x p s a . e u g i t a F a e r o K . t r e b o R . E y l l e K h t i w d e s s e s b O o S s I a e r o K h t u o S y h W (2015 年 月 日) 、 参照日:2015年 月 日、参照先: . n a p a J : t s e r e t n I l a n o i t a N e h T . s 5 m 6 r 0 A 3 1 r a n a e p B a o j t d t e h s g s i e R s b e o - t h o s d a n e a r o t k n e h t m u d o n s e y h m w A / d g n o l c o b / e g S r e o . h t s T e r e t n i l a n o i t a n . w . m w o w . c / s / r : e p y t t w h a L (日付不明) 、 参照日:2015年 月 日、参照先: : m o c . s r e y w a L e h t d n a t n e m d n e m a d n o c e s e h t / s e i t r e b i l l i v i c / m o c . s r e y w a l . s t h g i r l i v i c / / : p t t h l m t h . s m r a r a e b o t t h g i r . n o s l e N d n u L 月 日、 参 照 先: e l b a n e i l a n I e h t d n a t n e m d n e m A d n o c e S e h T . e s n e f e D f l e S o t t h g i R e g a t i r e H e h T : n o i t a d n u o F d n a t n e m d n e m a d n o c e s e h t / 4 0 / 4 1 0 2 / s t r o p e r / h c r a e s e r / g r o . e g a t i r e h . w w w / / : p t t h e s n e f e d f l e s o t t h g i r e l b a n e i l a n i e h t . t n i l C s d r a h c i R K O R n a p a J r e v O n o i t a r e p s a x E s e c i o V S U 日) 、 月 日、参照先: . s e t u p s i D : t a m o l p i D e h T (2015年 月 日)、 月 日、 参 照 先: 参照日: / s e t u p s i . d s k m o r r A n a r p a a e j B r e d v n o a n p o e i e t a K r e o p t s t a h x g e i R s e c i o v s u / 8 0 / 4 1 0 2 / m o c . t a m r . o e l t p l i a d e W h E . t / s / m : p a t i t l l h i W 2015年 l m t h . s m r a / s e t o u q / w e w / u d e . u m g . y t l u c a f n o c e / / : p t t h : s m a i l l i W . E r e t l a W (2005年 月 日)、 参照日:2015年 . r e t n e C n o s l i W 月 日、参照先: r o f s n o s s e L t n e i c n A : s i m a l a S f o e l t t a B e h T . t f a r c e t a t S n r e d o M : r e t n e C n o s l i W t f a r c e t a t s n r e d o m 月 日) 、韓国が北より先に体制崩壊も…反日・反米の“従 r o f s n o s s e l t n e i c n a s i m a l a s e l t t a b e h t / t n e v e / g r o . r e t n e c n o s l i w . w w w / / : s p t t h . k a z k a z (2015年 62 謀略に!翻弄された近現代 誇れる国、日本〔Ⅷ〕● の模範であるような優れた国でい続けることができるように、その一員 隷従させることにしかならない。 こうした、「サド、マゾ」の歴史観からは、 予定である。 〔主な参考文献〕 「世界の歴史」編集委員会、(2009) 、もういちど読む 山川世界史、東京: 山 川出版社、 早く卒業すべきだと言える。在日も、韓国人も、日本人も、いずれも「被 害者、加害者」という立場にとらわれず、祖先の行いや努力を振り返り、 その良いところを称えあうことができて初めて、日韓の融和も可能にな るのだと信じている。 今日では、日本の首相が靖国神社へ参拝することについて、中国や韓 国、アメリカまでもが、文句を付けることが当たり前になっている。し かし、国を守るために命を懸けてくれた先達たちを顕彰し、感謝するこ とは、人間の当然の心であり、これを妨げることは誰にもできない。韓 国で『親日派の弁明』という勇気ある本を書いた金完燮氏は、「戦犯が 合祀されてはならないというのだが、かれらはほかの国から見て戦犯な のであって、日本の立場からすればみな愛国者なのだから、まったく話 にならない論理だ」と述べている 。これは希望的に述べるのだが、い ずれは「被害者、 加害者」という歴史観から脱して、各国がそれぞれの「愛 国者」を顕彰することを尊重し合い、日米やアジアの国々のトップが並 29 (2014年 月 日) 、 参 照 日:2015年 30 んで靖国参拝できる日が来ることを、私は願っている。そして、その日 こそが、本当に「戦後」が終わる日なのだと思う。 私は、海を渡って日本の地で身を立てるべく努力された在日の先達た ち、朝鮮半島の近代化のために身を尽くした朝鮮人の先達たち、そして、 8 29 アジアの解放のために命を懸けて戦われた日本の先達たち、そのそれぞ (2014年 月 参照日:2015年 29 2 れに、感謝の心を捧げたいと思う。そして自分が、それぞれの歴史を受 16 29 19 29 8 8 21 7 け継ぐ立場で生まれたことを、誇りに思う。これから私はこの日本とい 8 8 う国の一員として、この国の発展と民主主義の絶えざる向上のために、 8 20 力を尽くしたい。日本は先進国であると同時に、皇室の伝統を受け継ぎ 11 5 8 8 6 30 17 13 30 3 つつ、仏教や儒教、西洋思想までを受け入れ、神仏習合の寛容な姿勢を 8 4 5 8 28 保ってきた、世界でも稀な国だ。私は、日本がこれからの時代に、世界 [金、2002 、 p . 2 6 0 ] 28 佳 作 在日、韓国、日本 自らの身を滅ぼす自虐史観という共通項~ある在日が、帰化を決心したわけ~ 日、参照先: 24 : k a z k a z 日、 . 1 n 4 0 0 0 3 8 1 0 2 3 0 5 1 n r f / 0 2 3 0 5 1 0 2 / s w e n / n g i e r o f / y t e i c o s / p j . o c . k a z k a z . w w w / / : p m t t t h h 月 山 際 澄 夫、 (2014) 、 す べ て は 朝 日 新 聞 か ら 始 ま っ た「 慰 安 婦 問 題 」、 東 京: ワ ック株式会社、 産経新聞、 (2015年 月 日) 、 【歴史戦 第2部 慰安婦問題の原点( )】 「北 朝 鮮 が 仕 掛 け た「 万 人 性 奴 隷 」 「 親 北 」 公 言 す る 韓 国 の 反 日 団 体、 産 経 新 聞、 ページ: 、 産経新聞社、(2014)、 歴史戦――朝日新聞が世界にまいた「慰安婦」の嘘を討つ、 東京:産経新聞出版、 松木国俊、 (2011) 、ほんとうは、 「日韓併合」が韓国を救った! 東京:ワック 株式会社、 秦郁彦、 (1999) 、慰安婦と戦場の性、東京:新潮社、 水間政憲、 (2013) 、ひと目でわかる「日韓併合」時代の真実、東京:PHP研 究所、 水野直樹、文京洙、 (2015)、在日朝鮮人――歴史と現在、東京:岩波書店、 (2015年 月 日) 、統計表一覧、参照日:2015年 月 日、 総務省 統計局、 政府統計の総合窓口: 参照先: 5 北派”が伸長中 西岡力氏分析、参照日:2015年 月 イ ワ タ 行 政 書 士 事 務 所、( 日 付 不 明 )、 特 別 永 住 者、 参 照 日:2015年 参照先:イワタ行政書士事務所 入管サイト: l m t h . u u y j i e _ s z / m o c . i e s o y g a t a w i / / : p t t h エンリケ航海王子、(日付不明)、アテネにおける民主制の確立、参照日:2015 年 月 日、参 照 先 : マ ナ ペ デ ィ ア : グループ一九八四年、(2012)、日本の自殺、東京:文藝春秋、 コリアNGOセンター、(日付不明)、韓大統領選挙立候補者に『在日同胞政策に対 す る 要 望 書 』 を 提 出 し ま し た、 参 照 日:2015年 月 日、 参 照 先: コ リ ア NGOセンター : しんぶん赤旗、(2015年 月 日)、朝鮮高校も無償化に 裁判支援全国集会に 1200人、参照日:2015年 月 日、参照先:しんぶん赤旗: 1 3 7 4 / t x e t / p j . a i d e p a n a m / / : p t t h l m t h . 3 0 k r o w t e n / k r o w t e n / g r o . o g n a e r o k / / : p t t h l m t h . 1 _ 2 0 _ 7 1 3 2 2 0 5 1 0 2 / 3 2 2 0 5 1 0 2 / 4 1 k i a / a t a h a k a / p j . r o . p c j . w w w / / : p t t h t a t s e 4 2 5 6 2 2 9 2 0 0 0 0 = d i f n i s ? o d . l d s l X / t a t s e / 1 G S / p j . o g . t a t s e . w w w / / : p t t h 大 磯 正 美、 (2008年 月 日 ) 、 武 器 所 有 の 根 拠 ―― 米 憲 法 修 正 第 2 条 の 正 訳、 参照日:2015年 月 日、参照先:大磯正美研究室: l m t h . 3 0 1 n m u l o c / n m u l o c / i m e z _ o s i o / p j . s e i t i c o e g . w w w / / : p t t h 鄭大均、 (2001) 、在日韓国人の終焉、東京:文藝春秋、 鄭大均、 (2004) 、在日・強制連行の神話、東京:文藝春秋、 鄭大均、 (2011) 、姜尚中を批判する、東京:飛鳥新社、 比護義則、 (2015年 月 日) 、仰天論法 朝鮮学校無償化不適用はヘイトスピ ー チ 強 ま る 無 償 化“ 圧 力 ” 、 参 照 日:2015年 月 日、 参 照 先: 産 経 ニ ュース: m t h . 4 3 6 9 4 3 1 / l i a t e d / n i j i a d / u n e m _ b / p j . o g . t x e m . w w w / / : p t t h 30 29 黄文雄、(2012)、韓国は日本人がつくった、東京:徳間書店、 岡崎久彦、(2003)、重光・東郷とその時代、東京:PHP研究所、 岡崎久彦、(2010)、小村寿太郎とその時代、東京:PHP研究所、 下 村 博 文、(2014年 月 日 )、 下 村 博 文 文 部 科 学 大 臣 記 者 会 見 録、 参 照 日: 2015年 月 日 、 参 照 先 : 文 部 科 学 省 : 29 4 8 24 4 30 8 外村大、(2012)、朝鮮人強制連行、東京:岩波書店、 外 務 省、(2000年 月 日 )、「 女 性 の た め の ア ジ ア 平 和 国 民 基 金 」 に つ い て、 参照日:201 5 年 月 日 、 参 照 先 : 外 務 省 : l m t h . a w a g a k a n / n i k i k a i s a / a e r a / j a f o m / p j . o g . a f o m . w w w / / : p t t h : s s e r P B J l m t h . 1 n 2 2 0 0 6 1 8 0 5 1 m r p / 6 1 8 0 5 1 / s w e n / m u i m e r p / m o c . i e k n a s . w w w / / : p t t h 福田歓一、 (1985) 、政治学史、東京:東京大学出版会、 平間洋一、 (2014) 、イズムから見た日本の戦争、東京:錦正社、 木下康彦、木村靖二、吉田寅、 (2008) 、詳説 世界史研究 改訂版、東京:山 川出版社、 李榮薫、 (2009) 、大韓民国の物語――韓国の「国史」教科書を書き換えよ、東京: 文藝春秋、 蔡焜燦、 (2001) 、台湾人と日本精神――日本人よ胸を張りなさい、東京:小学館、 8 30 29 29 菊池嘉晃、(2009)、北朝鮮帰国事業――「壮大な拉致」か「追放」か、東京: 中央公論新社、 金完燮、(2002)、親日派のための弁明、東京:草思社、 古森義久、(2015年 月 日)、米国もとうとう「韓国にはうんざり」 、参照日: 2015年 月 日 、 参 照 先 : 0 5 0 4 4 / / s e l c i t r a / p j . a i d e m s i . s s e r p b j / / : p t t h l m t h . 5 1 4 s l i a t e d _ n m u l o c / p j . r g . e a n a s . w w w / / : s p t t h 29 20 8 8 呉善花、(2012)、韓国併合への道 完全版、東京:文藝春秋、 高市早苗、(2010年 月 日)、「在日朝鮮人の渡来および引揚げに関する経緯、 とくに戦時中の徴用労務者について」という外務省資料、参照日:2015年 月 日、参照先:高市早苗(たかいちさなえ): 8 1 29 在日コリアン弁護 士 協 会 L A Z A K 、 (2008)、裁判の中の在日コリアン、東京: 現代人文社、 在日本大韓民国民 団 、 (日付不明)、民団紹介、参照日:2015年 月 日、参照先: : 63 ● 謀略に!翻弄された近現代 誇れる国、日本〔Ⅷ〕 17 8 2 15 29 1 2 8 7 8 9 6 4 17 30 29 8 8 8 !? 30 23 8 8 29 n a d n i m l m t h . i e k u o t / i a k o h s / g r o . n a d n i m . w w w / / : s p t t h
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