精神分析の情動論の基盤 ――S・フロイトの「現勢神経症」 (Aktualneurose)をめぐる考察―― 日本学術振興会・京都大学 古川直子 本報告は、S・フロイトの精神分析における「現勢神経症」という臨床単位をめぐる議論から、精神 分析の情動論の基底をなす構造を析出し、そこからフロイトの情動論あるいは欲動論を読み直すことを 目的とする。 フロイトが「現勢神経症」を主題として論じたのは、その研究キャリアの初期においてであるが、本 報告では当時の論文・草稿を参照し、その議論の構造を把握するとともに、著作全体の通時的な理解か ら「現勢神経症」についての初期の見解がのちの精神分析の理論においていかなる展開を辿ったかを考 察する。 「現勢神経症」とは、ヒステリーや強迫神経症という技法・理論としての精神分析が中心的対象とす る「精神神経症」に対置されるものとしてフロイトが提唱した臨床区分であり、精神神経症のように「心 的機制」を持たず、精神分析によって治療することができないという点によって特徴づけられる。1895 年の「ある特定の症状複合を『不安神経症』として神経衰弱から分離することの妥当性について」とい う論文において、フロイトは「現勢神経症」に含まれる症候群の分類の刷新を提唱する。すなわち、不 安を症状の中心とする症候群を「不安神経症」と名づけ、独立した臨床単位として提起するのであるが、 その原因と機制についての説明には、のちの精神分析の情動論・欲動論にとって重要なモデルが見出さ れる。「不安神経症」の原因を体外射精、禁欲といった「満たされない性交」に見出すフロイトの見解 は、当時の時代的制約を色濃く反映しているように見えるが、実のところ議論の要諦は、不安という情 動の発生をめぐる特異な機制を打ち出すことにある。すなわち、不安は「心因」から導き出すことがで きず、蓄積された身体的興奮から直接的に由来するという仮説である。そして、ここで提起された不安 発生のモデルは、「精神神経症」とは区別されるべきものとしてフロイトが堅持した「現勢神経症」と いう範疇の意義そのものに関わっている。すなわち、不安という情動が「心的機制」を介さずに発生す るというモデルは、独立した臨床単位としての「現勢神経症」を基礎づける点である「心的機制」の不 在という特性に対応しており、「現勢神経症」の原因を「心因」ではなく、ある種の毒素の作用に帰属 させるという仮説をつうじて展開されてゆく。 「現勢神経症」という臨床区分に仮託された不安の発生をめぐる特異な機制は、「情動の通貨」として の不安、すなわち「不安が他のあらゆる情動に対してもつ優位」への着目として、精神分析の情動論の 基底をなすものとなる。さらに、この不安という情動が「心因」に由来しないという見解は、不安があ る対象/状況によって引き起こされるのではなく、対象に先立って発生した不安がのちにそれを合理化 する表象を対象として選択するという「不安とその対象の二次的結合」のメカニズムを強調する。これ はただ情動論のみならず、精神分析の欲動論の理解にとっても重要な構造である。すなわち、それは人 間における本能的恐怖、「生存本能」の存否をめぐって、自己保存欲動/性欲動という欲動二元論の鍵 となっている。本報告では、これらの考察を通じて精神分析の知見を読み解き、社会理論への示唆をさ ぐる。
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