市場の予測と投資家の心理

第 1
章
市場の予測と投資家の心理
ファンダメンタル分析、テクニカル分析、
そして行動ファイナンス
ほとんどの人は将来をのぞき見て、何が起こるのかを知りたいと思うだろ
う。人々は運命や他の人に驚ろかされることを好まない。彼らは、自分自身
や他の人々の運命をコントロールしたいと思っている。ある種の予言は、文
明の発祥以来、人々の間で人気を博し続けてきた。特に、手の届きそうにな
い複雑な決定に使われてきた。たとえば、旧約聖書やデルフォイの神託、巫
女の予言、占星術などは数千年もの間にわたって行われていた。このような
権威は、ときに将来が不確実な際に利用されていたのである。
金融市場で株式や為替、商品を取引する人々は、可能なかぎり短い期間で
最大の利益を得るために、それらのトレンドに関する予測を欲している。予
測は金融市場のすべてといっても過言ではないだろう。予測なしでは、多く
の市場のプレーヤーたちは将来の市場の動向についてのイメージを持てない
し、また、すべてではないにせよ、彼らの将来を方向づけるのに必要な自信
を得ることができない。
十分な基礎のある予測を積み上げるのは困難であり、多くの人々は長期の
しっかりした予測を作ることは不可能だと考えている。しかし、そのことは、
世界中のすべてのアナリストが、先物と名づけられた金融商品の動向を予測
することを阻むものではない。彼らの仕事は予測を積み上げることである。
自分の仕事を正しく理解しているアナリストたちは、自分たちは他の人々よ
りうまくやれると考えており、またそれゆえに、自分たちは間接的ながらも、
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市場で起こっていることをコントロールできると信じている。もっとも、と
きにはそれが幻想だということが証明されてしまうのだが。
予測を行う動機は、最大限可能な利益を求めることや、好ましからざる市
場の動きに対する保険というだけではない。人々が願うことは、ある特定の
決定が成功するか否かについて、あらゆる不確実性を取り除くことである。
予測の難しさ
予測に成功するか否かは、計測することが難しい。米ドルは12カ月以内に
x 円に達するだろう、といった類のポピュラーな予測は当たるかもしれない。
しかし、市場参加者にとって重要なのは、どのように x 円に到達するか、と
いうことなのである。
普通、人々は、自分が取引に参加するまで、こういったことには気づかな
い。それを知るのは、予測期間にわたって、ある通貨が一直線に動くのでは
ないということ、あるいは、その期間の大半ではイレギュラーな動きを示す
ということに気づいたときである。投資家は、投資の損失が与える精神的圧
力によって、途中でその投資を投げ出す、つまり、ポジションを清算するこ
ともある。1年後に彼らは、「私たちが12カ月前に申し上げましたとおり、ち
ょうど1年後に x 円になる見込みです」との投資報告書を読んで神経を逆な
でされることになる。予測は当たったことになる。一方、外れた予測はすぐ
に忘れ去られる。なぜなら、誰も自分が間違った予測を下したことを吹聴し
て回ることはないからだ。
職業的なアナリストたちは、他のアナリストと足並みを揃えた予測をしが
ちである。そして、意識的に同僚と意見の擦り合わせを行う。同じ意見なら、
反対意見によって調和を乱されることがない。そのアナリストの意見が誰か
に非難されることはないだろう。一方、異端な予測はより大きな混乱を起こ
すだろう。その予測が正しかった場合には、単にビギナーズ・ラックと受け
止められ、そうでない場合は、どうせ現実的な前提に基づいたものではなか
ったとして、誰からも相手にされないからだ。
相場の方向に対する予測(上がる、下がるなど)は、どの程度価格が変化
するかという情報が伴わなければ無意味である。もし予測される変動が小幅
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第 1 章 市場の予測と投資家の心理
なものであれば、それが当たる確率は比較的大きい。しかし、もし予測され
た方向が間違っていたら、どうなるだろうか? 予測を信じた投資家は、そ
れが間違っていることがはっきりした瞬間に大きな損失を被ることになるだ
ろう。しばしば、市場参加者はどの要因によって予測が外れることになるか
を知らない。唯一それを知ることができるのは、結果的にその予測によって
損失を被った人なのである。
したがって、アナリストは予測のパフォーマンスに対してプレッシャーの
かかる状況にある。彼らの予測は可能なかぎり正しく、また、高い的中率を
示さねばならない。しかし何にもまして、予測それ自体がよい商品である必
要がある。そのため、アナリストは曖昧な予測をすることで、逃げの立場を
取りやすいのだ。
たとえば、ある出来事に対しては、確率評価(Probability score)つきの
予測が行われる。具体的には、中央銀行が次の政策会合で政策金利を引き上
げる可能性は70%だとの予測がなされたとしよう。70%という確率はかなり
高く見えるが、同時にかなり高い不確定要素も含んでいる。実際、「50%:
50%」の予測が何もいっていないに等しいことと比べればそれは明らかだ。
現実には、「90%:10%」のようなアナリスト予測には、ほとんどお目にか
かることはない。
株価が40∼45ユーロの間の価格水準で、ある株式を買うべしとアナリスト
が推奨したときに、目標価格が110ユーロとされていたとしよう。これもま
た、曖昧な買い推奨といわざるをえない。仮にその株式を45ユーロで買えた
としても、おそらくほんのわずかな量しか買えないだろう。しかし、買い推
奨を出したアナリストは、すべての買い注文が45ユーロで執行されたと考え
る。これが間違いの最大の要因なのだ。
こういうことは、典型的にはアナリストに売買の経験がないか、あるいは、
市場に近いところで働いた経験がないときに起きる。もちろん、結果的にそ
の株価が110ユーロまで上昇すれば、人々は喜ぶだろう。しかし、もし誰も
その株を売らなければ、予測によって評判を上げるアナリスト以外、誰がそ
の買い推奨によって利益を得るというのか?
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ファンダメンタル分析
20年ほど前まで、特に欧州では、市場に影響を与える要因についての研究
(ファンダメンタル分析)は、経済学の一分野にすぎなかった。それは、経
済要因の影響と市場動向のトレンドを研究するものだった。今では領域を広
げ、政治的イベントに対する評価も研究分野に含めている。というのも、政
治的イベントは、株価、為替、金利、あるいはその他の商品価格に影響する
からである。ファンダメンタル分析の実践において、本質的に必要な条件は、
市場参加者たちがデータや観察された事実を合理的に判断し、一貫した方法
でそれらを取り扱うことである。
ファンダメンタル分析を批判する人々は、それが、市場を取り巻く経済要
因の予期せざる変化を、手遅れになる前に考慮に入れる柔軟さを備えていな
いと指摘する。なぜなら、予測されていなかった経済的、政治的要因の影響
はしばしば遅れて現れるからだ。したがって、金融市場の参加者たちはポジ
ションを取るとき、たびたびタイミングの問題に直面する(Goldberg 1990)。
さらにいえば、経済データを評価するには、ときに相当程度の知識を要求
されるが、すべての市場参加者が同じ程度の分析能力を有していることはな
い。加えて、異なる経済学派間での論争の結果、市場の分析や予測は曖昧な
ものになりがちである。
それでもなお、ファンダメンタル分析は、市場がある方向に動く理由を特
定することができるので、中長期的な予測(6∼12カ月かそれよりも長期)
に関するかぎり、相当程度の人気を集めている。経済現象が市場での大きな
価格変動を引き起こす可能性がある以上、投資家たちは経済法則についての
知識を軽視するべきではないだろう。言い換えるならば、ファンダメンタル
分析は長期の分析には確かに有用なのである。
将来の動向を数量化する必要があるとすれば、それはやっかいな問題だ。
たとえば、もし米ドルの価格が対ユーロで、最初10%もの大幅下落をした後
大幅に反転し、最終的に3%のドル高になるとしたら、単なる「米ドルが現
在よりも3%、対ユーロで高くなる」という予測はいったいどういう使い道
があるだろうか? この予測の最大の欠点は、為替レートは中間の時点では
考慮されていないことだ。確かに長期的には予測は一致しているが、そこに
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第 1 章 市場の予測と投資家の心理
至るまでには、予測値から大きく乖離するかもしれない。
これが意味することは、ファンダメンタル予測に基づいて行動するときに
は多大な忍耐が要求されるということである。それは最短の期間に最大の収
益を得るという市場参加者の目的に反する。たとえ非常にうまくいった予測
でも、常にその予測が実現するか否かという点については、非常に高い程度
の不確実性を伴っているのである。
一方、取引量の多い市場参加者は、ファンダメンタル・データの公表直後
に起こる価格変化の機会を、ポジションの変更をなるべく目立たないように
するために利用する。なぜならば、そういうときにこそ、通常以上に市場の
流動性が高まるからだ。
たとえば、ドル価格をサポートするような、驚くべきファンダメンタル・
データが公表された後に、米ドルの対ユーロ価格が今にも上昇しそうな局面
を考えてみよう。大口の売りに対する十分な米ドルの需要はこういった状況
でしか期待できないので、この米ドルの上昇はそれに続く大口の売りによっ
て吸収されるだろう。需要の量が不十分で市場が大口の売りに圧倒されるよ
うな場合には、ドルの価格はむしろ低下するかもしれない。
同様に、公表データが予想より相当悪い場合、価格上昇が起こるケースが
ある。データの公表によって生み出された供給は、しばしば大手の市場参加
者による秘密の需要に吸収されてしまう。それでも、市場がファンダメンタ
ルに基づかず、非合理的に動くのは意外なことだろうか?
テクニカル分析
さまざまな市場の参加者たちは、過去10年の間に、短期の分析に対するフ
ァンダメンタル分析の弱点を補強するため、次第にテクニカル分析を取り入
れるようになってきた。テクニカル分析は、早期にトレンドを認識し、柔軟
に新しいイベントに対応するうえで必要な一連のツールを提供してくれる。
テクニカル分析に必要とされる唯一の条件は、市場において需要と供給が、
多かれ少なかれ自由に動くことができるということだ。この条件が満たされ
ないと、価格は情報や人々の意見を不完全にしか反映しないため、価格の変
化を意味あるものと解釈することはできない。
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たとえば、欧州通貨統合の例に見られるように、より多くの価格が狭い幅
の中に押し込められていればいるほど、価格は情報や意見の形成過程から生
ずるものを反映しなくなる。いかなる需要や供給の欠如も、市場介入や政府
の補助に覆い隠されてしまう。極端な場合、固定相場制のように価格は政府
によって指定されてしまうのだ。
以上に加えて、テクニカル分析の哲学は、本質的には三つの前提に基づい
ている。第一の前提は、需要と供給の結果として現れる市場価格は、すべて
の利用可能な情報と人々の意見を含んでいるということだ。これが意味する
のは、価格は過去のすべてと現在の経済データや政治動向をも反映していな
ければならないということだ。この点において、テクニカル分析はファンダ
メンタル分析よりも実際上の利点を持っている。テクニカル分析は、明らか
に「誤って」解釈されたデータや情報にも反応することができる。
一方、ファンダメンタル分析を志向する市場参加者は、価格は厳密に経済
データが示す理屈どおりに動くと考える。だがその結果、価格の動きが予測
と異なり損失をすでに被った後でも、ファンダメンタル派の人々はあるシナ
リオが実現すると期待し続けてしまう。
それに対して、テクニカル分析は市場の均衡の歪みを早い段階で察知する
ことができる。これは、コンソリデーション(一定の狭い範囲で価格が動く
局面=保ち合い状態)の限界が破られたときには常に当てはまることだ。そ
うした状況下では、おそらくは新しい情報に基づいて、1人ないし複数の売
り手あるいは買い手が明らかに反応を示したという事実のみが、この事態を
説明できる。
最後に、テクニカル分析は時系列的な出来事の予測に基礎を置くことを狙
っている。つまり、以前の取引や価格に基礎を置いているのである。同時に、
コンソリデーション・ゾーンによって将来のトレンドがどの程度頑健かとい
うことも予測しようとしている。コンソリデーション・ゾーンは、たとえば、
為替市場においては時間的に見て70%の期間で有効である。
第二の前提は、トレンドによる価格変動に関するものだ。テクニカル分析
の主目的は、トレンドを発見し、これを利用することである。テクニカル分
析に基づいたトレーディング・モデルの中で成功したものの多くは、トレン
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第 1 章 市場の予測と投資家の心理
ドを追いかけることにその基礎を置いている。
第三の前提は「(市場の)歴史は繰り返す」ということである。これにつ
いては、疑問や、少なくとも哲学的観点からは議論の余地があると思われる
かもしれない。しかし実際のところ、価格とその動きは意見や情報の解釈だ
けではなく、価格形成に関与する人々の行動をも反映している。進歩が一般
的に信じられているにもかかわらず、人々の衝動や情熱が何世紀にもわたっ
てほとんど変化していないことを真剣に否定する人はいないだろう。
テクニカル分析は人間の行動の一貫性に基づいている。具体的には、図表
による価格トレンドの記録(チャート)によって、また、パターンや繰り返
しを探すことによって、それを行うのである。チャートによって示されたコ
ンフィギュレーション(チャートの形状)は、ある特定の時間における需要
と供給の強さを示している。究極的には、これらのコンフィギュレーション
は、市場参加者が価格形成を通じて作っているものであり、繰り返し現れる
傾向がある。あたかも、ある特定の人生を俳優が演じるかのように。そして、
市場環境は理論と心理的なメカニズムによって規定される。
市場参加者を含むすべての人々は、ある状況の下、あるいはある特定の市
場環境(ストレスなど)の下では、似たような反応を示す。人類の心理学的
な気質が変わらないかぎり、ある特定の価格変動に対する市場参加者の行動
は大きくは違わないはずなのだ(Goldberg 1990)
。
短期的な(3カ月以内の)市場の変動を評価する手段として、テクニカル
分析は過去5年から10年の間に人々の関心を惹きつけ、その存在が認識され
てきた。一方、長期予測は経済学的な分析の領域として残っている。こうし
た違いが生じた理由の一つとして、市場の透明性の向上が指摘できる。今や
現代メディアのおかげで、情報は非常にスピーディに公表されるようになり、
価格形成への影響度は極めて小さくなっている。というのも、限られた時間
内で入ってくるメッセージの洪水を、的確に処理しきれなくなっているから
だ。絶え間なく変化する市場環境のプレッシャーの下では、意識的にニュー
スを表面的に消化するしかない。1秒ごとに届くレポートを前にして、小麦
をモミから取り出すような努力をしてもほとんど無意味なのである。
市場参加者が情報の量に圧倒されているという事実は、観察された価格と
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その解釈のみを扱うテクニカル分析にとっては有利なことである。したがっ
てテクニカル分析は、習得し実践するのが簡単だと信じられている。商品の
価格が、すべての利用可能な情報の一部しか反映していないとしても、なお、
それは売り手と買い手の意見を描き出している。そしてその意見もまた、現
在ではテクニカル分析によるものであるかもしれない。
チャートの形状に基づくチャート・ポイントは、ファンダメンタル・デー
タと同じくらい重要な情報を表している。ファンダメンタル・アナリストの
中には、テクニカルな価格水準の予測を必須のものとして分析に組み入れる
者がいる。しかし、その予測が正しかろうと正しくなかろうと、ファンダメ
ンタル・データとすべての期待や意見はすでに市場価格に反映されているの
で、これでは市場を誤って描き出しかねない。つまり、それ自身に基づいて
の分析となる懸念があるのだ(Goldberg 1997)
。
テクニカル分析の限界
市場レポートは、かつてはゆっくりと広まってゆき、それを読んだ市場参
加者に競争で一歩先んじたという感覚を与えてくれた。だが、今やそれらは
非常に速く流通するので、(インサイダー的な知識を除けば)情報の利用は
うまくいかない。多くの市場参加者が、ほぼ同時にその情報を受け取るから
である。将来のテクニカル分析のチャートには、緩やかなパターンは次第に
見られなくなってゆくだろう。代わりに、短いショック型の価格変動が特徴
となると思われる。多くの情報を十分に持った人々が同時に取引を望むとき、
彼らが取引の相手方を見つけるのは容易ではないだろう。
一方、どんな明瞭なチャートも、もはや多数派から嘲られる少数の仲間内
だけの秘密ではない。プロの市場参加者すべてがアクセス可能な情報なのだ。
その結果は、テクニカル分析に対する批判者が言うような自己実現的な予言
ではない。むしろ自己実現的な破壊である。
それゆえに、今や危険でよく知られたチャート・ポイントで取引を行いた
いと思う人々は、ほんの少数の取引相手しか見つけられなくなっている(こ
れは、政治や経済情報と同様である)。価格のジャンプがあまりにも大きく
なるため、テクニカル分析を使う市場参加者の比較優位は劇的に小さくなる
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だろう。そして、当初は利益をもたらすはずだった取引が、損失をもたらす
ものになるだろう。
よく知られた情報提供者によって、数日間にわたって買い推奨が示されて
いるような、高いチャート・レベルに達したドルを想像してほしい。もし大
多数の買い手がこの推奨に従って行動したいと考えたとき、十分な売りの容
量を見つけられない事態が起きたとして何の不思議があろうか?
何らかの理由によって、大規模なボリュームの取引をしたいと考える市場
参加者が、じっと相場がチャート上の高いレベルまで上昇するのを待つとい
うのはよくあることだ。そういう人たちは、他の多くの市場参加者が買いシ
グナルに従ってドルを買いたいと思うとき、売り手としてそれに立ち向かう
だろう。そういうときでないと、大規模な取引相手を見つけるのは難しいか
らである。その結果、ドルの買い手は、なぜドル価格が変化しないのか不思
議に思うことだろう。
これは、テクニカル分析が意味のない分析手法になってしまったというこ
とだろうか? そうではない。しかし、テクニカル分析のいくつかの手法は、
すでに10年以上も前に開発されたものだ。より重要なことは、いろいろな学
派が市場の展開についての(チャート上の)テクニカルな解釈を確立してい
ることである。
また、多くのアナリストは独自にチャートの形状の解釈手法を持っている。
[訳注1]
アナリストの大半はある種のインディケーター(たとえば「モメンタム線」
[訳注2]
[訳注3]
「レラティブ・ストレングス・インデックス」「ストキャスティクス」など)
を信奉している。
アナリストはこれらのインディケーターによって市場をコントロールでき
[訳注1]実際の価格ではなく、価格の変化率を測定する手法。「M=V−V2」で表される(V=
直近のクローズ価格、V2=X日前のクローズ価格、M=モメンタム)。一定期間中の価格の変
化を連続的にプロットすることで、上昇・下落の「勢い」を知ることができる。たとえば、価
格が上昇を続けていても、モメンタム線がゼロ・ラインを下切るようならば、上昇の勢いはそ
の力を失いつつあると考える。
[訳注2]特定の金融商品が「買われ過ぎ」か「売られ過ぎ」かを判断する指数のこと。ある期間
内の上昇幅を同期間の価格の変動幅の合計で割って算出する。下落が続くと0%に近づき、上
昇が続くと100%に近づく。通常、70%近辺で「買われ過ぎ」
、30%近辺から「売られ過ぎ」と
判断する。
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ると信じているが、それは錯覚だろう。しかし、市場参加者の行動を映す鏡
と考えられているチャートの形状は、あまりにも広汎に使われているため、
実際にそのとおりに実現することは少ない。予測どおりに展開しないこと、
[訳注4]
つまり「ダマシの転換点」は、もはやそれが法則であるかのようだ。もっと
も、多くのテクニカル・アナリストの目には、彼らが見たいものしか映らな
いものなのだが。
しかし、市場価格、言い換えれば買い手と売り手の間の取引価格を記録す
るテクニカル分析は、資本市場の分析に適している。テクニカル分析の第三
の前提「市場の歴史は繰り返す」は、正しい方向に向けての小さな第一歩な
のだ。
とはいえ、テクニカル分析は人間の精神が市場では本質的な要因であるに
もかかわらず、これを詳細に分析していないため、得られる知見は表面的な
ものにとどまっている。なぜ、多くの人は含み損を抱えた資産を売るのをた
めらうのか? なぜほとんどの人は利益の確定を急ぐのか? 知的とされる
分析においては、現実に人々を動かすことが十分考慮に入れられていないの
だ。多くの科学者たちは、いまだに心を未知の領域として取り扱っている。
あるいは、パンドラの箱を開けることを恐れ、放っておいたほうがよいと考
えている。
心理的要因
ファンダメンタル・アナリストやエコノミストの多くは、市場参加者の心
理学を取り入れることに反対している。しかし、特にテクニカル・アナリス
トは市場行動を予測するためだけでなく、それを理解するために人間の行動
に関心を向けている。単純に数値的にチャート・ポイントやトレンド・ライ
[訳注3]価格が上昇するにつれ終値が価格変動幅の中で上限に近づきやすく、その逆に、相場展
開が下降局面では、終値が変動幅の下限に近づく傾向が見られることに基づく分析手法。直近
の終値を観察することによって、市場の動向がどの局面にあるかを判断する。過去数日間の終
値が底を這っているようなケースでは、相場の反転時期が近いと判断したり、終値が変動範囲
の中で高い位置になっている場合には、相場の天井が近いと見たりする。
[訳注4]テクニカル分析上では転換点であるはずだが、実際には転換が起こらず、市場参加者が
「ダマされた」状況になること。
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