橘高はツバメの巣?橘高生はツバメの子?! さて、わたしが毎日通勤のときに見ていたツバメの子どもたちはどんどん大きくなり、 狭いよ 小さな巣が手ぜま(暮らすには狭すぎる)になっていきました。巣から体がはみ出して、 こころ 先月の数週間、橘高校に来るのに楽しみがひとつ加わりました。 落ちるのではないかとひやひやすることもありましたが、ヒナたちは巣から飛び出すこと それは橘高校の一角に作られたツバメの巣と、そのヒナたちです。 なく上手に体を寄せ合い、親鳥が戻ってくるのを待っていました。 ヒナたちは最初は小さくて巣に隠れて見えなかったのですが、あっというまに目が開き それはなぜでしょう。この巣にいれば、親鳥がえさを持ってきてくれて、自分を成長させてくれることを知ってい 羽が生え、体がどんどん大きくなっていきました。親鳥がいないときには、黄色いくちばしを真一文字に結ん たからです。そして何よりも、広い外の世界よりも、この狭い巣の中が今の自分にとっては安心安全であるこ でおとなしくしているヒナたちですが、親鳥が戻ってくると、我先にと大きな口を開けてえ とを知っていたからです。 さをねだっていました。自分が小学生の頃、手乗り文鳥や十姉妹という鳥を飼っていた もちろん親鳥が来たときに口を開けたからといって必ずえさをもらえるわけではありませ のもあってその姿はたまらなくかわいらしく、いつまでも見ていたいと思えるほどでした。 ん。もしかしたら何度も何度ももらえないで、隣にいるきょうだいばかりがえさをもらってい るかもしれません。でもツバメのヒナは、ふてくされたりあきらめたりはしません。 さて、わたしはこの4月に上尾橘高校の保健室にやってきました。始業式にみんなに会うのを楽しみにし ていましたが、その一方で、橘高生と仲良くなれるだろうか、自分は橘高生のために何ができるだろうかと えさがもらえるまで何度でも何度でも口を開けてえさをねだります。 口を開けることをやめたら、えさをもらえず、死んでしまうからです。 不安な気持ちもありました。そして始業式の日。他の先生方と一緒に壇上に上がり、そこにいた生徒の顔を ひとりひとりじっくりと見ることができたのですが、そのとき私の中にわきあがってきた思いは、 この橘高校も同じです。ある生徒にとっては狭苦しいところかもしれません。もっと自由に好きなように動い 「かわいいなあ~~~」でした。(見た目がどうこうという話ではないですよ?!) て、好きなように羽を伸ばしたくなるかもしれません。でもそれをしたら、「巣」から落ちてしまいます。そして一 もちろん今までも生徒をかわいいと思うことはありましたが、どんな子かもわからない、 度落ちたら、もう二度と「巣」には戻れません。 話をしたこともない状態で、「みんなをかわいい」と感じたのは初めてのことでした。 もちろんみんなは人間だから、橘高校という「巣」を飛び出して「広い世界」に出て行ったとしても生きてはいけ るでしょう。 わたしたちはだれかを好きだとか、仲良くなりたいとか、一緒にいたいとか、かわいいとか思うときに、 でも、狭い巣の中で一生懸命口をあけてえさをもらうヒナのように、橘高校という巣の中で友だちと肩を寄せ 「○○だから(おもしろいから、やさしいから、都合がいいから)」という理由があるのではないでしょうか? あいながら、先生の運んできてくれる勉強、知識、やさしさ、厳しさというえさをもらって成長し、「橘高校卒業」 最近は親でさえ、自分の子どもを愛するのに「良い子だったら」とか「自分の思い通りになってくれるなら」と という立派な羽を広げて外に出て行くほうが、より高く、より遠く、より広い世界を見ることができるはずです。 条件をつける人もあるようです。でもわたしがみんなに感じたのは、そういう条件のない、「ただそこにいる だから・・・ 橘高生というだけでかわいい」と思える無条件の想いでした。 たとえちょっと狭くても(いろいろと注意されても) 運んでくる「えさ」があまりおいしくなくても(勉強がおもしろくなくても) わたしはずっと、なぜ自分がそういう気持ちになったのかを考えていました。別にわたし せっかく口をあけても「えさ」をもらえないことがあっても(自分の思い通りに は特別愛情深い人ではないし、みんなが、ツバメのヒナのように大きな口をあけて、 ならないことが多くても) かわいらしいアピールを私のためにしてくれたわけではありません。それなのになぜ、「○○だから橘高生 がまんし、友だちと譲り合い、いやなことでもがんばってとりくんでみて、自分の思い通りにならなくてもあきら はかわいい」ではなく「橘高生だからかわいい」という気持ちになったのだろうか・・・と。 めず、とにかくこの橘高校という「巣」の中にいられるように努力してほしいと思うのです。 そしてあるとき気がつきました。あのとき橘高生をかわいいと思ったのはわたしではなく、みんなを囲んで いた先生たちの気持ちだったのだということに・・・ 「親鳥」である先生たちは、みんなが橘高校という「巣」の中にいてくれてこそ、いろいろと教えてあげられるか らです。そして外の世界に上手に飛び立てるように育て、助けてあげられるからです。 1年、または2年間、みんなと一緒に過ごしてきた先生たちが、みんなを大切に 思っている、みんなをかわいいと思っている、その思いを感じて、自分もそういう気持ちになっていたので ちなみに・・・東南アジアにある「アナツバメの巣」は、中国では高級食材でおいしいとか・・・ す。そしてそれは、時間がたっても変わることはなく(もちろん時々は腹が立ったりもどかしく思ったりするこ もしかしたら橘高校は「アナツバメの巣」のように、目立たないところにあるけれど貴重ですばらしい学校か とはありますが)橘高生は橘高生であるというだけで、ほうっておけないわけです。 も?!
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