当日配布資料 - 東北学院大学情報処理センター

「ヨーロピアン・グローバリゼーションと諸文化圏の変容に関する研究」プロジェクト
第 3 回合同研究会(東北学院大学土樋キャンパス)2009 年 8 月 28 日・29 日
中世南フランスにおける異端審問官と都市民
─審問記録の利用と刑罰をめぐる一考察─
図師 宣忠
はじめに
○異端審問の歴史における南フランスの位置
・カタリ派(アルビ派)の蔓延(12 世紀半ば~)
・それに対応するアルビジョワ十字軍(1209-29)
・異端審問制度の創設(1233)と展開(~14 世紀初め)
…それぞれの局面における主要な舞台としての南フランス
○いかなる視座のもとで異端審問を見ていくか
・異端審問に対する伝統的な相反する評価
・宗教的・社会的転覆からキリスト教世界・西欧社会を救った
・ひとつの信仰を抑圧、火刑、恐怖でもって押しつぶした
⇔いずれの立場をとるにせよ、異端審問は異端の脅威に対する当然の反応であり、その結果として異
端が消滅したと捉える傾向(ex. Lea [1888])
※異端審問の歴史は、南フランス社会と緊密に交錯した宗教的・社会的な諸要素の複雑な変化という観点
から多角的・総体的に捉えられるべき
⇒背景としての 13・14 世紀の南フランス社会の変化
…王権による南フランス統治の開始、それと相俟った実践的な文書利用の進展、ローマ法の教育
と法律家の養成、異端審問の創設と展開、托鉢修道会の設立と説教活動...
○近年の異端審問研究
・異端の消滅に対する異端審問の影響の相対化
・Cahiers de Fanjeaux [1966-]のシリーズ:異端に影響を与えた宗教的・霊的な枠組みについて
・托鉢修道会の役割を重視:Biget [2007]
・異端審問記録の権力性へのまなざし
cf. 『モンタイユー』に対する批判(Henningsen and Tedeschi [1986])
・転換点としての Given [1997]
…「権力」の観点/統治の技術としての文書の作成、利用、保管
・審問記録の「読み」の問題:Pegg [2001] , Arnold [2001]
…審問記録に記された「真実」
・テクストと異端の抑圧という問題系:Bruschi and Biller [2003], Bruschi [2009]
…審問記録というテクストの分析を通じた抑圧の構造の解明
○本報告の目標
・目標:近年の研究を整理して、異端審問に関して全体の見通しを得ること/そのためにここでは審
問記録の利用のあり方と刑罰の意味に注目して、それが都市住民にいかに影響を与えたかを考察
する
1.異端審問における新たな技術
2.異端審問官による異端者の扱い
3.異端審問の人々への影響
1.異端審問の展開
○異端審問の制度化の進展
・異端審問創設当初、大規模な調査の実施
ex. 異端審問官ベルナール・ド・コーとジャン・ド・サン‐ピエール
…供述記録(1245-46)
:オリジナルは消失、コピー(1258 年 10 月から 1263 年 8 月の時期)の断片が現存
(Bibliothèque de la ville, Toulouse, MS 609)/判決記録(1246-48)
(Bibl. Nat., MS. LAT. 9992:Douias
[1900] II, pp. 1-89)
…2 年間にトゥールーズ司教区の 160 ヶ所以上を巡回/少なくとも 5471 名から証言を得る
・ポンキウス・エスティウの供述調書(de Vazega; Baziège, Hte-Garonne)
(1245 年 7 月 4 日)
「
〔ポンキウスは〕Ulmo(Orme)通りに建つピクタウィヌスの家で Bernardus de Mota と B. de Soler、……また彼
らとともに Nalals と呼ばれる者を見かけた。……それは 20 年ほど前のことであった。
」
(MS 609 Toulouse, fol.
58v.)
・13 世紀末以降、調査の効率化
ex. 異端審問官ベルナール・ギーの判決記録(British Library, Add. MS 4697:Pales-Gobilliard [2002])
…一回に招集する人数の減少
←異端者の減少もあるが、被告に関する調査書類の増加に伴うより正確なアプローチ
※13 世紀末から 14 世紀初めにかけて、異端審問による調査の効率化
…異端審問における審問記録の活用:異端審問官による異端者の把捉の試み
○異端審問官により用意される枠組み
ex. ジャン・ド・サン-ピエールによる尋問
「汝はその異端者たちを〈善き人々〉だと信じていたか?また彼らを崇拝したか?また彼らに何かを与えたか?ま
た彼らに何かを送ったか?また彼らの訪問を受け入れたか?また彼らや彼らの本から平穏を得たか?また彼
らの aparelhamentum もしくは consolamentum に加わったか?」
「いいえ」
ex. ベルナール・ギーの「審問マニュアル」
・尋問のパターン
「相手が異端者であると知りながら、もしくは異端者の噂のあるのを知りながら、異端者と会ったことがあるか。
幾度会ったか。そのとき誰々と一緒だったか。それはどこで、またいつのことか。次に、その相手とは親しい
関係にあったか、そうでなければ仲介者は誰か。次に、異端者を自宅に迎えたことがあるか。その異端者は誰
で、また誰が案内してきたか、どのくらい滞在したか、その間に訪ねて来たのは誰か、異端者を案内して連れ
去ったのは誰か、どこへ向かったか。次に、その者の説教を聞いたか。次に、彼らを礼拝したか。次に、彼ら
の祝福したパンを食したか、祝福の仕方はどうであったか。次に、コンヴェネンサの約定を結んだか。次に、
異端の流儀で挨拶したか、また誰かが異端の流儀で挨拶するのを見たか。次に、誰かの異端入信に立ち会った
か、そのときの異端者および列席者の名は何か、入信する病人が寝ていたのは家のどのあたりか、式はどのく
らい続いたか、時刻は何時であったか、入信者は異端者に何か遺贈したか、何をどのくらい遺贈したか、誰が
それを実行したか、異端者を礼拝したか、入信者はそのまま死んだか、どこに埋葬したか、そのときの異端者
は誰が案内して来て、誰が案内して去ったか。
」
(Mollat)
…その人物が何を考えているかということより、むしろその者が何をなしたかに対する関心に突き動
かされた質問(この質問に基づいて「答え」が引き出され、書き留められる)
※異端審問官が被告の告白を理解し、解釈し、判断するその仕方を形作る
○統治の技術としての文書利用──異端審問官による情報検索
・ベルナール・ギー『トゥールーズ判決集』の構成
・索引(17 葉)
・地名のリスト(130 の都市をアルファベット順にリストアップ)
・
「説教 sermones」のリスト(14 の総説教が年代順にリストアップ)
ex.「この本に含まれている sermones の第一のものは、主の年 1308 年、四旬節の最初の日曜日、3 月 3 日に
トゥールーズにて行なわれた。.io.F.」
・都市別に分類された被告のリスト
ex.「<ヴェルフェイユについて>
ピエール・マジョリス.†._.lo.F.
ミカエル・ミロニス 壁へ._.lxxio.F. また壁からの解放、ただし、‡._.xcixo.F.
レーモン・ミロニス 異端のうちに死亡._.lxxvo.F.
…」
「Ayceline Guillaume de Baynac の妻 異端のうちに死亡._.lxxvo.F.」
「Guillaume de Clairac senior, 壁へ_.xiiio.F. 戻り異端、世俗の法廷への引渡し、xxxvo.F.」
・各「説教」sermo generalis
・欄外の書き込み(ex. 見出し、刑罰の種類、別の審問記録のフォリオ番号...)
※過去の記録の参照による異端審問官の体系的な「調査」
…体系的な情報管理のための審問記録
…審問記録のなかから異端者に関する情報を効率的に引き出す手段の精緻化
2.異端審問官にとっての刑罰
◎異端審問官による刑罰のシステム
○異端審問官にとっての刑罰の目的
・
「異端の(二通りの)破壊」
:異端から正統に帰るか、世俗の権力に引き渡されて身体が燃やされる
か(Gui, Practica inquisitionis, p. 217-18)
○ベルナール・ギーの判決記録
・全 907 通の証書(1308 年 3 月 3 日~1323 年 6 月 19 日)
・刑罰に関するもの(633 通)/減刑に関するもの(274 通)
(cf. 表1)
・全 637 名
・うち 413 名は一度のみ登場/224 名は二度以上登場
◎刑罰化の進展と死者をめぐる争い
○世俗の腕への引き渡し=火刑
…異端者に対するもっとも過酷な措置、劇的で記憶されやすいイベント
cf. アルビジョワ十字軍(ex. ベジエの虐殺)~モンセギュール陥落以前
「前述の修道士たち〔Pierre Cellan, Guillaume Arnaud〕はモワサックでも審問を行い、生きているJean de la Garde
を有罪と宣告した。すると彼はモンセギュールに逃げ去り、その地で完徳者になった〔factus est…hereticus
perfectus〕
。しかしその後、同所で彼は210 人の他の異端者たちとともに燃やされた。
」
(Pelhisson, p.56)
⇔ただし、南仏の異端審問において火刑の占める割合は実はそれほど多くはない
cf. ギーの判決における火刑の割合
…1310 年 4 月 5 日に 17 名を一度に火刑に処したのが最多;合計 41 名(全体の 6.5%)
○埋葬された死骸の掘り起こしと焼き棄て
・13 世紀前半の事例(ギヨーム・ペリッソン)
「同じ頃、トゥールーズのブールでA(rnaud) Peyreが死んだ。彼は、サン・セルナン(修道院)への寄贈者であり、
死亡時にはサープリス〔司祭の着る袖の広い白の祭服〕を着る聖堂参事会員であったため、修道院に埋葬され
たのであった。しかるに、彼はその死の時点で聖堂参事会員に隠れて異端者〔hereticatus〕となっていた。
師ローランがそのことを知るに及んで、彼は兄弟たち〔修道士たち〕と聖職者とともにそこに向かった。彼ら
は彼〔アルノー〕を掘り出させ、火へと引きずっていかせた。そして彼(の死骸)は燃やされたのである。」
(Pelhisson, p.42)
「
〔審問官ギヨーム・アルノーは〕トゥールーズ市内の墓地をあばいて死骸を掘り起こし、街々にラッパを吹き鳴
らしてその名を報せ、かくなす者は、かく滅ぶぞと触れて、骨や残骸を引き回し、城外の牧場で神とその御母
(Pelhisson, p. 96)
なる聖処女ならびにその忠実なる僕ドミニコの栄光のために焼き棄てた」
・霊的な意味合いと見せしめの効果
「他の多くの者たちも、異端審問官である同修道士たちやその後任者である他の者たちによって有罪の判決が下さ
れた。彼らの名前は命の書には記されていないが、
〔彼らの〕肉体はこの世で燃やされ、
〔彼らの〕魂は地獄で
ひどく苦しめられている。
」
(Pelhisson, p. 108)
←肉体を燃やすという行為の意味は時代によって変化?(cf. 最後の審判の観念との関連)
→死骸の焼き棄てをめぐる都市民の反発
「彼〔アルノー・カタラ〕はすでに死亡している者たちをも断罪し、墓から掘り起こして焼き棄てさせたために、
アルビの市民が騒ぎ立て、彼を捕らえてタルン河に投げ込もうとした。辛うじて逃れることができたが、散々
に殴打され、衣服は引き裂かれ、顔は血まみれになっていた。暴徒に引きずられていく間も彼は叫びつづけて
いた。主イエスが祝福されんことを。
」
(Pelhisson, p.46)
○死骸の焼き棄ての刑罰化
・ベルナール・ギーの判決
cf. リカルドへの判決
「我々は、上述のリカルドが異端の帰依者であり、異端とされて死亡したことを告げ、この者を異端として有罪の
判決を下す。また我々は、死の間際に異端とされた上述のギヨームを異端として有罪の判決を下す。そして以
下のごとく命じる。破滅のしるしとして、彼らの死骸を、もし〔正統の〕キリスト教徒の死骸と判別できるな
らば、掘り起こし墓場の外で焼き棄てるべし。」
(LS, fol. 2v)
※異端審問官にとって何が問題であったのか?
・
「生きていても死んでいても」異端者を追及(許されざる罪としての異端)?
⇔南仏の異端審問において刑罰は「正統」に引き戻すための措置
⇒生きている者は正統に引き戻す/死んだ者こそが問題
…「正統」に戻る可能性がない存在に対する火刑
3.異端審問の刑罰と社会統制
○遺骸の焼き棄てと家屋の破却
・ギヨーム・ペリッソンの観察
「同じ頃、ある異端者が同ブールで死んだ。名をGalvanといった。彼はワルド派の大修道院長であった。そのこと
が会士Rolanの耳に入らないはずがなかった。そして、修道士たち、聖職者、民衆の何人かが召集され、Rolan
は説教で公にそのこと〔Galvanが異端者であったこと〕を口外した。彼らは自信を持って、件の異端者が死亡
した家へと赴き、その家を徹底的に破壊し、そこをごみ〔糞尿〕捨て場locum sterquiliniiにした。彼らは件
のGalvan(の死骸)を彼が埋葬されたVilleneuveの墓地から掘り出し、運び出した。彼らは彼の身体を盛大な
行列でもって市中引きまわしにし、市外の公共の場で焼き棄てた。このことは、我らが主イエス・キリストと
聖ドミニコへの賛辞と我らが母ローマ・カトリック教会の名誉において、主の 1231 年になされた。
」
(Pelhisson,
p.42f)
・ベルナール・ギーの判決
「同様に、上述のリカルドとギヨームがそこで異端とされた家屋は、それらの家が二度と人が住めないようにする
ため、また背信のたまり場になることがないように、土台からことごとく破壊されるべし。また、それらの家
を汚物の捨て場locus sordiumとし、ごみ〔糞尿〕と悪臭の場locum sterquilinii et fetorisへと変化させる
べし。そして、違反者や反逆者がもし存在するならば、その者たちは、この文書によって、破門の判決に従わ
せるべし。
」
(LS, fol. 2v)
cf. 家屋の破却に関する言及
・1229 年 11 月、トゥールーズ教会会議決議
「異端者の発見されたる家屋は破却され、その敷地、地所は没収されるべし」
(第 6 条)
・
「刑罰」としての家屋の破却とその影響
・Ayceline の罪状
「同様に、Guillaume de Baynacの寡婦Aycelineは、存命中に自身とその夫の家で異端者たちに会っていた。彼女
は病に臥した死の床で異端となることを欲してそのように懇請し、断罪されたる異端者の一派へと異端者
Philippeにより受け入れられ、恥ずべきことにそのなかで死んだ。また、彼女は自身のコートもしくはケープ
を、それを売った代金が異端者たちの手に渡るように願って、異端者たちに遺贈した。
」
(LS, fol. 75r)
→1312 年 4 月 23 日の判決:死骸の焼き棄て+家屋の破却
…家屋=異端者の集いの拠点を「背信のたまり場になることがないように」破壊
→異端者のネットワークを解体することにつながる
cf. Ayceline の息子 Guillaume de BAYNAC への刑罰
・投獄(1312 年 4 月 23 日)
・一組の十字架着用での投獄からの赦免(1319 年 9 月 30 日)
・十字架着用からの赦免(1322 年 9 月 12 日)
○異端に関わった人間への目に見える形での刑罰
・衣服に縫い付けられた黄色い十字架や赤い舌(のフェルト)
cf. 「プロパガンダとしての刑罰」
(Given [1997])/「刑罰」における贖罪の側面(Paul [1981])
※身体的なシンボルによって劇的に示された区分
・これらのシンボルは、家の内外を問わず、外してはならず、他の衣服で隠してはならない
→ひとたび異端審問官の手にかかった人物は、印しづけられ他のすべての人から分け隔てられる/外
すことが認められても、結局は元異端者・元帰依者というレッテルは残る
○多くの判決が下される壮大な儀式としての総説教
・総説教において大人数に科される刑罰
ex. 1309 年 5 月 25 日(91 名)
、1310 年 4 月 5 日(110 名)
、1312 年 4 月 23 日(194 名)
1316 年 3 月 7 日(74 名)
、1319 年 9 月 30 日(160 名)
、1322 年 9 月 12 日(152 名)
・総説教の主な手順
…〔審問官による短い説教/聴衆に対する贖宥の宣言〕/異端審問を支援する旨の国王役人セネシャルの誓約/同
じく都市役人コンシュル〔その他の世俗権力〕の誓約/異端審問の職務執行妨害者の破門/受刑者に対する罰
の軽減や代替(十字架からの赦免・牢獄からの釈放)/悔悛者の誓絶と破門の解除/衆人環視のもとでの異端
者への宣告(ラテン語で罪状と罰を言い渡し、俗語で要約)
・総説教での判決の読み上げの順番
…贖罪としての巡礼/十字架着用/終身刑/死者に関する判決(牢獄に入れられていた人物の名前の公表、過ちに
対する刑罰として財産の没収/異端の罪を抱えつつ生前告白しなかった者への死骸の掘り起こしの宣告/
consolamentum を死の床で受けた人物や悔い改めずに死んだ者への判決/残りは掘り出されるが燃やされ
ず)/逃亡者への破門宣告/世俗の腕への引き渡し(=火刑)
(戻り異端/悔悛せざる異端者/…)/カタリ
派の consolamentum が行われる場となった家屋の破壊が命じられる
※一種のスペクタクル的な空間としての総説教の場
○異端に関わった者+直接は関わっていない人々への影響
・罪状 culpe のリストの読み上げ(俗語での要約)
・有罪とされた者と異端との関わりのあり方
…何回カタリ派の完徳者に会ったか、何回彼らの説教を聞いたか、彼らが祝福したパンを食べたか、彼らを家に迎
え入れたか、など
⇒異端審問官によって科される刑罰を正当化する目的/正統に本質的な諸要素を強化する役割
※いかなる信仰や実践が正統でないかを特定することが、正統なる信仰と実践の領域を確定することに
:異端者が問題となっただけではなく、
⇒読み上げることの教育的な効果(正統と異端との線引き)
その他大勢の住民の魂の救済が問題
…異端審問官の托鉢修道士としての霊性の側面
※異端審問が発達させた技術:異端にまつわる人々の関係の統御
…自らの信条の拠り所を求める者に対して「正解」を提示
→異端への共感者に対する「解答」にもなる(カタリ派になびく→托鉢修道士に共感する)
←刑罰の効果/説教の影響
おわりに
○異端とのコミュニケーションのフェーズ
・論争/武力衝突/異端審問
※異なる思考の枠組みの接触
…当初の論争、武力的な衝突から法廷での「対話」へ(ただし、非対称な権力関係のもとに組み込ま
れる)
→刑罰の霊的側面と社会統制
○今後の課題
※異端審問における霊的権力と世俗権力との連帯と対立という側面
…霊的な権威のもとで政治的な優位性を打ち立てる教皇の試み/封建社会の枠組みを解体していく
新しい権力=王権の働きの双方に少なからぬ影響(…宗教的な事象と政治的な事柄との結合とそ
れらの絶え間ない相互作用)
⇒中世南フランスにおいて王権・異端審問・都市が取り結ぶ諸関係を当時の社会変化のなかに位置づけて
理解する
…国王・監察使/教皇・異端審問官(ドミニコ会士・フランチェスコ会士)/諸都市
←もはや異端問題が争点のすべてではない
表1:判決における刑罰と減刑
科された刑罰
数 %
巡礼
17
2.7
十字架着用(一組)
79 12.5
十字架着用(二組)
57
9
一年の投獄
1
0.2
終身刑「緩やかな壁」murum largum 268
42.3
終身刑「緩やかな壁」+家屋の破壊
8
1.3
終身刑「狭い壁」murum strictum
31
4.9
生きたまま火刑
41
6.5
死亡(生きていれば終身刑)
17
2.7
死亡(生きていれば火刑)
3
0.5
死骸の焼き棄て
52
8.2
死骸の焼き棄て+家屋の破壊
14
2.2
掘り出されたまま
3
0.5
不在において有罪宣告
40
6.3
十字軍への参加
1
0.2
その他
1
0.2
小計
633 100.2
以前に科された刑罰の減刑
牢獄からの釈放+十字架着用
十字架を外す許可
小計
合計
数 %
139 50.7
135 49.3
274
100
907
Given [1997]; Pales-Gobilliard [2002]をもとに作成
<主要参考文献>
Bibliothèque de la Ville, Toulouse: MS 609
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