第2740地区国際青少年交換委員会 2014年4月交換学生報告 交換学生名 宮原創一 ホストクラブ委員長名 ホストクラブ名 Arlon 受入学校名 ホストファミリー名 DAXHELET Bernard DEBATY Chantal 国名 新ホストファミリーへ移動予定日 新ホストファミリー 氏 名 Gene Caudron Institut Notre DAME D’ Arlon Belgium 月移動予定 DAXHELET Bernard DEBATY Chantal 健康状態: 異常ありません。 各種行事へ の参加 4月は行事もりだくさんで、これまでの留学生活のなかで一 番想い出に残る月となりました! まず学校の修学旅行として、3月29日〜4月4日までの7 日間をイタリアで過ごしました。 <3/29〜3/30・行きのバス> 移動は全てバスだったので最初と最後の2日間はバスの中 で過ごす形となっていました。1日目の予定は僕の町を2 2:00に出発してイタリアに11:00到着でした。そし て僕はこの3月29日〜3月30日にかけてのバス移動に とても「期待」をしていました。本来の僕ならば13時間も あるバス移動なんて憂鬱でやってられないと思うところな のですが、このバス移動の「時期」が特別でした。なにが特 別なのかというと、僕の誕生日が3月30日なのです!なの で、24:00を回った瞬間になにかあるのではないかとい う期待が胸にありました。しかし考えてみるとバスの中とい う事もあるし、24:00となると寝ている人も多いだろう と思っていたので、過度な期待はしていませんでした。そん な事を考えながらバスに揺られ、友達とトランプであそんだ りして着々と時間は過ぎてゆき、気づくと午前0時5分前で 3分の2の生徒は眠りに入っていました。「俺も寝よう」と おもい自分の座席につきヘッドフォンで耳を塞ごうとした 瞬間!クラッカーの音とともに「ジョワイユ・ザ・ニ・ヴァ セー♪」(フランス語版のハッピーバースデートゥーユー) という歌がそこら中から聞こえて来て、無事、期待通りにな り嬉しかったです!・・・と言いたいところなのですが正確 に言うと「期待通り」ではありませんでした。歌が終わりみ んなから祝福され、「18歳になったのだ」という奇妙な優 越感と「みんな忘れていなかった」という安堵に浸りながら、 「さあ、寝よう」と思った矢先、ベルギーチョコの雨が降っ てきました。生徒からは袋一杯のチョコと先生からはベルギ ービールを貰い、プレゼントまで準備されているなんて思っ ていなかったので「期待以上」の想い出に残るバス移動とな りました! <3/30〜4/3・観光> この期間、日中はヴェネツィア周辺を観光し、夜は毎晩砂浜 やバーでパーティー三昧という感じでした。僕から見たベル ギーの高校を何かに例えるならば「学校という管理下に置か れた大学生」という例えが一番しっくりきそうです。夜の門 限や規則にはもう驚きはしませんでしたが、やはり日本の学 校との違いは深く感じました。この5日間を要約すると、 ほぼ毎日ピザ食べて、夜中の2:00にベットに入り、朝は 7:00に起床して、日中のガイドの話は頭に入らず、気づ くとベンチでグッスリとみたいな感じです。ものすごくハー ドで最高に楽しい旅行になりました。 ↑ヴェネツィアまでの船旅 <4/4・帰りのバス> 爆睡 そしてイタリア旅行の次はロータリーのスペイン旅行で、期 間は4月6日から16日までの10日間あり、イタリア旅行 との間はわずか1日でした。そしてこのスペイン旅行では数 多くの事を学ぶ事ができ、異文化への理解を深めました。こ れまで何度となく申し上げてきましたが、ベルギーには様々 な国から200人近くのロータリー交換留学生が滞在して おり、留学生だけで集まると全民族の縮図かと錯覚するくら いに様々な言語が飛び交い、それぞれ特有の雰囲気が漂って います。スペイン旅行はそんな環境の中で幕を開けました。 人数は40人ほどで、アメリカ・カナダ・オーストラリア・ 南アフリカなどの英語圏の留学生も多かったですが、なんと 言っても大半を占めていたのはブラジルを主とする南米の 留学生でした。そしてたった一人、英語でもなく、スペイン 語でもなく、ましてやポルトガル語なんかでもない、「日本 語」という他の誰も理解できない言語を操る東洋人がいまし た。つくづく日本人留学生だけが極端に少ないと実感しま す。 僕の予想としては「ロータリー」の旅行なのだからイタリア のような自由はきかないだろうと思い込んでいたのですが、 とんだ思い違いでした。この旅行でのルールはたった一つ、 「バス内でのトイレ利用は緊急時のみ」 なぜかこれだけは何度も注意されたのですが、これ以外はほ ぼ何の制限もないに等しく、1日1日がとても濃く人生で一 番ハードな10日間でした。そしてなによりこのスペイン旅 行を語るにあたって避けては通れないのが「ブラジル人」の 存在です。この旅行の後、僕はすっかりブラジルの文化・風 土に魅せられてしまい、丸一日かけておおまかなブラジル史 やブラジル留学の情報に至るまで、ネット上に存在するあり とあらゆる「ブラジル」に検索をかけました。しまいには、 ブラジル留学中の日本人学生をFacebookで探し出し、ベルギ ーとブラジルの情報交換をしたりもしました。それくらい僕 は強い洗脳を施されたかのようにブラジルという国に魅せ られ、現在、ブラジル留学を真剣に考えております。 では「ブラジル人のどんな所に魅せられたのか?」と言われ ると、自分でもあまり説明できないところが多くあります。 ありふれたことばで表現するならば「元気」 「フレンドリー」「情熱的」などになると思うのですが、は っきり言ってこれは活字では伝えきれません。音楽が「感じ る」事で初めて理解でき、その感動を活字では伝えきれない と同様に、僕が感じたブラジルもまた、活字では到底伝えき れません。僕は現代日本が失ってしまった大切なものをブラ ジル人に見た気がしました。 とはいったものの、あまり抽象的すぎるので具体的なエピソ ードをいくつか紹介します! 〜観光地編〜 とにかくブラジル人は歌います。人がごった返す町中でも、 揺れ動く電車の中でも、スピーカーから流れる音楽に合わせ て歌って踊ります。知らず知らずの内にブラジルの風が吹き 渡り、ロータリアンの方も、他国の留学生もノリノリで歌い、 旅行5日目ともなるとほぼ全員がポルトガル語の歌を覚え ていました。もちろん通行人の目は僕たちに釘付けでした 笑。ここで「ロータリーの名を背負い、親善大使として派遣 された僕たちがこんなことして平気だろうか」と周りの目を 気にしてしまった僕もブラジル人からすると、不可解で興味 をそそるものなのかもしれません笑。 〜夜のパーティー編〜 まぁ、愛情表現も情熱的でした。はい。 スペイン旅行というよりブラジル人についての感想みたい になってしまいましたが、僕が言いたかったことはたんに 「ブラジル人は情熱的だ!」なんてことではなく、異文化理 解についてでした。脱中心化・脱近代が大ブレイク中の現代 社会でも世界は差別であふれているのは周知の事実です。差 別と一括りにしても様々で、異文化に対してだったり、馬鹿 げた優生学的観点にもとづく身体障害者や性差に対する差 別だったりと、いわゆるヨーロッパ中心主義的な差別がまだ 根強く存在します。 乙武洋匡氏が著書の中で 「目の悪い人がコンタクトレンズをするのが当たり前であ るかのように、手や足が悪い人が車いすを使ったり口を使っ たりする事が<当たり前だ>という意識をもつことである」 という事を言っておられましたが、これは異文化理解にも全 く同じ事が言えると感じます。まさに留学というのは多文化 に触れる事によって乙武氏が言われるような意識を身につ ける事ができるのだと思います。僕はこれまでの留学生活の 中で様々なことに気づき、発見し、それを追求して思考を深 め、自分の知識や考え方の一部としてきました。こんなかけ がえのない体験ができているのも、ロータリーの留学制度、 そしてそれを支えてくださっている世界中のロータリアン の方々のおかげだと十分承知の上、深く感謝しております。 学校関係
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