東北学院大学オープンリサーチセンターフォーラム(2011/9/16) パリの週刊紙『ジュ・スイ・パルトゥ』による反体制プロパガンダ ―1930 年代からヴィシー期におけるフランス右翼ナショナリズムの隆盛と限界― 報告者:南祐三(早稲田大学大学院博士後期課程) はじめに (1)危機の時代としての 1930 年代 右翼ナショナリズム第三の発生期/「開かれたナショナリズム」から「閉ざされたナショナリズム」へ/共 和政への反発/反政府を掲げる諸リーグの街頭行動や反体制のイデオロギーを普及させた新聞・雑誌の隆盛 (【表 2】参照)/「ファシズムの浸透 imprégnation fasciste」(R. Girardet, 1955) (2)両大戦間期のフランス右翼の対外姿勢 ドイツに対する反感と恐怖心/共産主義に対する嫌悪感 第三共和政開始以来の対独復讐熱/1920 年代前半まで:いかに対独包囲網を築き自国の安全を守るか/20 年代後半:左翼内閣による仏独和解、平和路線への強硬な反対 →35 年末から 36 年にかけて対独宥和路線の出現/「新平和主義 le nouveau pacifisme, néo-pacifisme」/ 反人民戦線、反ソの立場からナチス・ドイツをボリシェヴィズムの防波堤とみなす/ミュンヘン協定支持へ (3)危機の時代としてのヴィシー時代 敗戦と占領/コラボラシオンとレジスタンス/30 年代の反体制派のうち、一部はヴィシー政府派に、一部 はより積極的な協力主義者に/パリのメディア(【表 3】参照)による対独協力プロパガンダ/協力主義者 によるヴィシー政府批判 (4)『ジュ・スイ・パルトゥ』(Je suis partout、以下 JSP)について アクシオン・フランセーズ(Action française, 反革命・カトリック・反ドイツなどを掲げ、19 世紀末より フランス右翼の思想的牽引役を担っていた政治団体。以下 AF)の一派として出発/30 年代をつうじてファ シズムやナチズムへの共感をともなって次第に AF から分離/ヴィシー時代にはパリにおいて文化的対独 協力を担う、典型的な協力主義メディアとなる <研究史> ・フランス・ファシズムの問題から:J. Plumyène et R. Lasierra, 1963 ;Z. Sternhell, 1983 ・アクシオン・フランセーズ研究から:E. Weber, 1962 ; P. Sérant, 1978 ・コラボラシオンの問題から:P. Ory, 1976 ; H. Rousso, 1985 ; P. Burrin, 1995 →「反人民戦線派」「反ユダヤ主義」「ファシスト」「対独協力主義者」としての JSP ・Dioudonnat, 1973 ・・・JSP を「ファシズムに誘惑されたモーラス主義者(AF の指導者モーラス Charles -1- Maurras の信奉者)たち」の活動として、創刊から廃刊までの展開を扱う。 <問題設定> JSP は、とりわけ 30 年代半ば以降、過激な反体制派右翼のメディアとして名を馳せていた。その紙面から 読み取れる反ユダヤ主義や反共産主義、親ファシズムなどの主張は、ヴィシー期になってからの協力主義メ ディアとしての姿を予兆するものでもあった。そして、40 年の敗戦後、ヴィシー政府と同じく対独協力推 進派となった JSP であるが、それにも拘らず、同紙はやはり体制批判を展開することになる。 →JSP の反体制プロパガンダとは、具体的にどのようなものだったのか。1930 年代およびヴィシー期にお ける、JSP の第一面の論説記事や外交に関する記事の検討をつうじて、同紙の主張を分析する。 1.メディアとしてのJSP ※発行部数、価格、歴代編集長などについては【表 1】を、他メディアとの比較については【表 2】【表 3】を参照 (1)30 年代 ・創刊過程:ファイヤール書店 Librairie Arthème Fayard/1930 年 11 月 29 日、国内政治・文芸誌『カ ンディッド Candide』の補完的役割を担う国際情報紙として創刊(週刊紙)/「世界の出来事のための大 週刊紙 Le grand hebdomadaire de la vie mondiale」 ・ファイヤール書店からの離脱:36 年 5 月 9 日号にて廃刊宣言/ファイヤール書店の放棄(経済的・イデ オロギー的理由)/翌週から続刊(執筆陣の継続の強い意志/新たに 3 名の共同経営管理者)/単なる国 際情報紙ではなく、思想的な一体性をもった「JSP グループ」の形成/40 年 6 月 7 日号をもって一時休刊 (2)ヴィシー期 ・再刊過程:41 年 2 月 7 日号よりパリにて/「政治・文学の大週刊紙 Le Grand Hebdomadaire Politique et Littérature」/株式会社 JSP として経営/ヴィシー政府からもドイツ当局からも補助金は受けず/パリ のほか、まだなおドイツで拘束されている戦争捕虜に向けても販売される ・発展:執筆陣はその他の協力主義メディアでも主要ポストに就くようになる/42 年 5 月 2 日号より非占 領地区でも販売(ラヴァルの許可)/43 年 12 月末、非占領地区で販売禁止される(ラヴァルの指令)/44 年 8 月 16 日号をもって廃刊 2.反体制派としてのJSP ―1930 年代― (1)デカダンスという現状認識 ・国内問題から:反ユダヤ主義 移民や難民などの外国人問題【史料 1】/フランス革命や共和制への非難【史料 2】 ・対外情勢から:親ファシズム ファシズム国家との比較/ナチス・ドイツへの羨望と称賛【史料 3】【史料 4】 -2- (2)フランス再生のために ・国内体制について:反議会主義・反人民戦線 人民戦線政府やブルムへの非難【史料 5】 【史料 6】/ユダヤ問題の解決【史料 7】/フランス・ファシズム 革命への期待【史料 8】 ・対外政策について:国内体制建て直しのための戦争回避的な平和主義【史料 9】 JSP にとって戦争をもたらす第一の要因はボリシェヴィズム【史料 10】/仏独和解の模索【史料 11】/仏 独和解のための国家再生【史料 12】/対独宥和路線へ(スペイン内戦に対するイギリスの政策への称賛と それに従ったブルム内閣への支持) (3)戦争を前にして 反ドイツを掲げる伝統的なフランス右翼ナショナリストへ回帰 戦争回避と国内体制批判の繰り返し(「ミュンヘンの平和」は国家再生の猶予期間)【史料 13】【史料 14】 /反体制派としての「国家再生」から反ドイツ的なニュアンスを帯びた「国家再生」の主張へ(ナチズム称 賛の後退)【史料 15】【史料 16】/対独防衛姿勢(38 年 3 月オーストリア併合以降)から対独強硬路線へ (39 年 3 月チェコスロヴァキア崩壊以降)【史料 17】【史料 18】 3.対独協力推進派としてのJSP ―ヴィシー期― (1)パリに留まるという選択 JSP は戦前からパリで活動を続け、且つ主要メンバーもほとんど入れ替わることなくパリに留まった唯一 の右翼メディア/AF との決裂/対独協力を推進していくという点ではヴィシー体制派に (2)フランス再生のために ・反共和国精神 フランス革命や第三共和制を非難【史料 19】【史料 20】/権威や秩序の再構築【史料 21】【史料 22】 ・ファシズムへの親和性 国家再生の拠り所とすべきイデオロギーとしてファシズム精神の確立【史料 23】【史料 24】/一貫した反 ボリシェヴィズム【史料 25】/反革命からファシズム革命へ【史料 26】 (3)ヴィシー政府との不一致 ・国家再生プログラムの相違 ファシズムとは違う保守反動的なペタンの国民革命 ・対独協力の目的の違い フランスの領土保全を確保するための「国家の協力」/フランスもファシスト・ヨーロッパの一員になるた めの協力主義【史料 27】【史料 28】 →ヴィシー政府批判【史料 27】【史料 29】【史料 30】 -3- まとめ ・JSP は、反革命の伝統を受け継ぎ、反共和主義派としてユダヤ人などの存在によって弱体化した国家へ の危惧を何度も表明する。過激な反ユダヤ主義を掲げ、また議会制民主主義の打倒を目指す JSP は、人民 戦線政府とブルムへの批判を強めるとともに、国内体制の変革を主張した。 ・JSP がフランスにもっとも欠けていると考えていたのが、ファシズムやナチズムがそれぞれの国家によ みがえらせた「若々しさ」や「力強さ」だったのであり、その点から同紙のナチズム称賛が導き出される。 ・国内体制変革のための第一条件として JSP が考えていたのが、ヨーロッパの平和を保持することであっ た。JSP にとって、戦争をもたらす第一の要因はソ連との同盟なのであり、反ボリシェヴィズムと国内政 府への批判はさらに加速する。その一方で、ヨーロッパの平和の根幹をなす仏独和解の道を模索していた。 ・しかしながら、伝統的なフランス右翼のドイツへの警戒心は JSP にも明確に根づいていた。現実に戦争 をもたらそうとするドイツを前に、反共和制という観点から展開されていた同紙の「国家再生」の主張には、 ドイツへの反感という要素が色濃く反映されるようになる。 ⇒1930 年代をつうじて、JSP に代表されるフランス右翼ナショナリズムは、主に人民戦線政府を標的とし た国内体制への批判において盛り上がりを見せるが、対外政策、とりわけドイツへの態度においてあいまい さを見せた。JSP には、 「国家再生」の理想像としてのナチズムへの好意的な評価と、現実的に戦争をもた らさんとするドイツへの敵意という、ドイツ観の二重性を明白に認めることができる。つまり、仏独和解の 模索や対独宥和路線から強硬路線への転換は、彼らの理想と現実が合致しないまま事態が進行していたこと を示している。この点に、30 年代における、親ドイツ的フランス右翼ナショナリズムの限界を指摘するこ とができる。 ・仏独戦争の敗戦、そして占領という事態を経て、JSP はコラボラシオンを推進すべくパリに留まった。 JSP のようなパリの協力主義メディアは、少なくとも占領当初は、ヴィシー政府の公式の政策でもある対 独協力を宣伝する役割を自負していた。 ・しかし、JSP が求めたのはヴィシー政府のような消極的な協力ではなく、また国民革命のような保守反 動的な国内改革ではなく、より積極的なドイツへの加担と、ファシズムによる国家再建であった。この相違 から、同紙のヴィシー政府批判が生み出される。 ⇒JSP にとって、もっとも重要なテーマはフランスの国家再生であったが、30 年代において、それは国家 再生の理想像でもあるナチス・ドイツとの友好関係という前提条件が必要であり、またヴィシー期において は、戦争においてファシズム陣営が勝利し、その結果としてファシスト・ヨーロッパが成立するという前提 条件の下でしか実現し得ないものであった。JSP の体制への批判は過激さを増していったが、彼らの理想 は、戦前もヴィシー期もともに、国際情勢の展開とともに破綻するしかなかった。 -4- 主要参考文献 (A)史料 <文書館史料> Archives Nationales Z6 NL / dossier 9085. Dossier de la procédure instruire par la Cour de justice du département de la Seine contre le journal Je suis partout. Affaire classée sans suite le 10 mai 1946. AN Z6 / 12 dossier 187. Dossier postérieur à la procédure instruire par la Cour de justice du département de la Seine contre Robert Brasillach. AN Z6 / 1 dossier 11. Dossier de la procédure instruire par la Cour de justice du département de la Seine contre Claude Phippe Jean Maubourguet. AN Z6 / 252 dossier 2971. contre Claude Jeantet. AN Z6 / 253 dossier 2973. contre Charles Lesca. AN Z6 / 253 dossier 2974. contre Pierre Antoine Cousteau. AN Z6 / 255 dossier 2998. contre Alain Émile Laubreaux. AN Z6 / 255 dossier 2999. contre Lucien Rebatet. <著作・回想録> BRASILLACH Robert, Notre avant-guerre, Paris, 1941(邦訳:高井道夫訳『われらの戦前/フレーヌの獄中の手記』国書刊行会、 1999 年) ___, Lettre à un soldat de la classe 60, Paris, 1950 ___, Lettres écrites en prison, octobre 1944-février 1945, Paris, 1952 ___, Journal d'un homme occupé, Paris, 1955 ___, Lettre à un soldat de la classe soixante, Paris, 1960 ___, Une génération dans l'orage : mémoires, Paris, 1968 COUSTEAU Pierre-Antoine, L’Amérique juive, Paris, 1942 ___, Hugothérapie, ou Comment l'esprit vient aux mal pensants, Bourg-en-Bresse, Éditions E.T.L., 1954 ___, Mines de rien ou les Grandes Mystifications du demi-siècle, Paris, Ethéel, 1955, Coulommiers, Déterna, 2004 ___, Après le déluge, Paris, 1956 ___, Les Lois de l'hospitalité, Paris, 1957 ___, En ce temps-là..., Paris, 1959, Coulommiers, Déterna éd., 2004 GAXOTTE Pierre, Histoire de l’Allemagne, 2 vols., Paris, 1963 ISORNI Jacques, Mémoires 1911-1945, Paris, 1984 LAUBREAUX Alain, Écrit pendant la guerre, Paris, 1944 LESCA Charles, Quand Israël se venge, Paris, Grasset, 1941, Paris, 2001 MAURRAS Charles, Enquête sur la monarchie, Porte-Glaive, Paris, 1986 ___, Mes idées polithiques, Paris, 1937 ___, Devant l'Allemagne éternelle. Gaulois, Germains, Latins, Paris, 1937 ___, La Seule France, chronique des jours d’épreuve, Lyon, 1941 -5- ___, Procès de Charles Maurras et de Maurice Pujo devant la Cour de Justice du Rhône, Vérité française, 1945 ___, Lettres de prison, Paris, 1958 REBATET Lucien, Le Bolchevisme contre la civilisation, Paris, 1941 ___, Les Décombres, Paris, 1942(邦訳:池部雅英・礒野秀和訳『残骸 フランス 1938-1940』国書刊行会、2002 年) ___, Les Mémoires d’un fasciste Ⅱ 1941-1947, Pauvert, 1976 ___, 11 novembre 1918, armistice, Liège, 1982 ___, Le Bolchevisme contre la civilisation, Paris, sans date ___et COUSTEAU Pierre-Antoine, Dialogue de vaincus : prison de Clairvaux, janvier-décembre 1950, Paris,1999 <定期刊行物> L’Action française / Je suis partout (B) 研究文献 AZÉMA Jean-Pierre, De Munich à la Libération (1938-1944), Paris, 2002 ___et Bédarida, François (eds.), La France des années noires. 1. 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Maurras, L. Daudet, 34 年 2 月:20 万部 年 25 サンチーム、37 年 50 サンチーム H. Massis, M. Pujo, 36 年 :7 万部 /反革命・反ユダヤ主義・親伊親フラン J. Bainville 39 年 :45000 部 コ反独/ミュンヘン派 Revue 1920.4.1 20 年 :4000 部 月 2 回/カトリック右翼/ J. Bainville, H. Massis, universelle -1944.8 30 年代:9000 部 反ユダヤ主義/親ムッソリーニ親フラ C. Mercier, J. Maritain. ンコ・反ソ反独 30 年代より R. Brasillach, T. Maulnier, J. P. Maxence Candide 1924.3.20 -1944. 発刊当初:8 万部 パリ/ファイヤール書店/文学的週刊 J. Bainville, L. Daudet, 30 年:平均 15 万部 誌/政治欄は右翼的/反ソ・独の脅威に A. Fayard, P. Gaxotte, 34 年:60 万部 警笛・ミュンヘン派 L. Bertrand, G. Blond 13、4 ページ/月刊誌/「青年右翼」グ T. Maulnier, J. de ループ/伊ファシズム称賛・ナチスへの Fabrègues(共同編集), 36 年 3 月:34 万部 Combat 1936.1.10 36 年 12 月:数千部 -1939. P. Andreu, R. Brasillach 警戒・非順応主義 L’Insurgé 1937.1.13 -1937.10.27. 「青年右翼」グループ/Combat より大 J. P. Maxence, 衆向け/政治的・社会的週刊誌 T. Maulnier, M. Blanchot, C. Roy 非順応主義者の雑誌 Réaction Esprit 1930.4 「青年右翼」グルー 秩序を立て直すの J. de Fabrègues, -1932. プ ではなく、創造す J. P. Maxence, る。革命的秩序、 T. Maulnier , A. Dandieu 月刊/カトリック 精神的な革命を目 E. Mounier, R. Aron, 左派 指す。右-左の対 G. Izard, N. Berdiaeff, 立、資本主義-集 É. Borne, D. Halévy 1932.10- 36 年:4000 部 1 Claude Bellanger, Jacques Godechot, Pierre Guiral et Fernand Terrou (eds.), Histoire générale de la Presse française, tomeⅢ. De 1871 à 1940, Paris, 1972 ; Jean-François Sirinelli (ed.), Histoire des droites en France, 3 tom., Paris, 1992 ; Eugen Weber, Action française : Royalism and reaction in twentieth-century France, California, 1962 ; Jean-Louis Loubet del Bayle, Les non-conformistes des années 30 : Une tentative de renouvellement de la pensée politique française, Paris, 2001 ; Ariane Chebel d’appolonnia, L’extrême droite en France : De Maurras à Le Pen, Bruxelles, 1996 などを参考に作成。 -2- L’Ordre 1931 前後- Nouveau Plans 1931- 33 年 2 フラン/AF 産主義の対立を乗 A. Dandieu, R. Aron, から共産主義者ま り越えようとす A. Marc, Daniel-Rops で る。 「新秩序」誌グルー P. Lamour, H. Lagardelle, プ Le Corbusier フランス人民党(PPF)機関紙/週刊/ J. Doriot, Drieu la 反ソ・ヒトラー擁護 Rochelle, P. Marion, その他のファシスト・右翼のプレス L’Émancipa- 1936.7.4- 36 年:13 万部 tion nationale B. de Jouvenel La Libérté -1939.5.17. 30 年代半ば: 日刊(夕刊)/タルデュー、レイノー、 J. Doriot, P. Marion, 約 13 万部 フランダンよりのプレス→36 年以降 C. Fegy, C. Jeantet, 39 年:15000 部 PPF 下に/37.5.25 より PPF の党機関紙 A. Fabre-Luce L’Écho 第一次大戦以前 19 年:30 万部 日刊/保守派カトリック/25 年以降ケ H. Simond, Pertinax, de Paris より 29 年:20 万部 リリス中心/AF と不和/親英親伊反独 F. Mauriac, M. Barrès, 36 年:10 万部 A. Pironneau, H. de Kérillis L’Époque 1937.6.9- 39 年:7 万部 「カトリック情報組織」/反独反ミュン H. Simond, H. de Kérillis ヘン/チェコスロヴァキア擁護/独に 対抗するために仏英の結束、ソ連との同 盟奨励/アベッツや親独派を非難 30 年まで: L’Intransi- 平均 40 万部 geant 36 年:20 万部 日刊(30 年まではパリ最大の夕刊紙)/ L. Bailby, P. Cartoux, 16 ページ/中道右派/政治より映画、ス J. Fabry ポーツ 38 年:13 万部 Le Jour 1933.10.3- Figaro Le Gaulois 常に 25 万部以下 日刊(朝刊)/親ムッソリーニ・親フラ 36 年:20 万部 ンコ/やや曖昧ながらミュンヘン派 21 年:2 万部 日刊/保守派/22 年 2 月コティが買収 L. Latzarus, F. Coty, 28 年:5 万部以上 /10 ページ/伊ファシズム称賛/33 年 L. Romier, H. Dubois, 36 年 1 月:5 万部 10 月コティの手元離れ伝統的右翼へ回 A. Maurois, P. Brisson 39 年:8 万部 帰/反独 部数極小 1928 年コティが買収、フィガロと合併 L. Bailby R. Lara, L. Corpechot /高価(70 サンチーム) L’Ami du Peuple 1928.4.1- 28 年 6 月:70 万部 夕刊/31 年 15 サンチーム/政治、金融 F. Coty, J. Roujon, 30 年:100 万部 の腐敗、行政への敵意が大きな反響を得 U. Gohier 32 年初:60 万部 る/33 年 12 月コティの手元を離れる -3- 33 年末:45 万部 36 年:15 万部 L’Ordre 1929.12.20 39 年:12000 部 日刊/6 ページ程度/反伊反独 -1940.5. Gringoire E. Buré, Pertinax, J. Marcel, C. Vivière 1928.11.9 29 年:15 万 5 千部 フランス出版社/週刊/体制に対して Horace de Carbuccia, -1944. 34 年:32 万 5 千部 常に論争的/反ユダヤ主義・反マルクス G. Suarez, J. Kessel, 37 年:65 万部 主義・反英親伊親フランコ/独に対して P. Henriot, H. Béraud, 39 年:50 万部以上 は敵意と同時にある種の称賛も/ミュ A. Tardieu ンヘン派 La Victoire 部数極小 刊行不定期/主幹のエルヴェは 22 年頃 G. Hervé, M. Bucard(32 より仏独和解主張、34 年独の再軍備支持 年 11 月-33 年 7 月編集長) J. Luchaire 急進党系 Notre Temps 1927 27 年:3000 部 月刊(40 ページ)→週刊→33 年 9 月日 -1939.7. 29 年末:2 万部 刊化→34 年 3 月休刊→35 年再刊(週刊) →39 年 7 月休刊/急進党青年トルコグ ループ/29 年外務省から助成金/仏独 和解・平和主義・対独宥和/仏独委員会、 アベッツとのつながり 4 大日刊紙 quotidien national Le Petit 1880- Parisien 20 年:200 万部 (4 大紙ともに 30 年 25 サンチーム 38 Elie-Joseph Bois(40 年 6 30 年:150 万部 年 50 サンチーム/30 年代 12-16 ペー 月 ま で 編 集 長 ) , Charles 36 年:131 万部 ジ)共和同盟系/米英伊独中に特派員/ Morice, Albert Julien, H. 39 年:102 万部 反共産主義/親英親伊/対独宥和政策 Beraud, André Salmon 支持/スポーツ、演劇、なども Le Petit 1863- Journal Le Matin Le Journal 1884. 2. 26- 1892. 9. 28- 19 年:40 万部 4 大紙の中で唯一人民戦線に好意的→次 Louis 36 年:22 万部 第に批判的に/親伊反独/37 年 7 月 Lejeune, 39 年:18 万部 ラ・ロックのフランス社会党の機関紙に Lucien Vogel 25 年:110 万部 30 年代次第に極右へ/極右リーグに好 Stéphane Lauzanne, Paul 30 年:60 万部 意的/反ソ親伊/ナチズムに共感 Guitet-Vauquelin, Loucheur, Alfred Albert Mallet, 36 年:50 万部 Georges Abric, Philippe 39 年:31 万部 Barrès 36 年:65 万部 反共産主義/極右に対しては慎重な評 Raoul Barthes, Jacques de 39 年:41 万部 価/反ソ親伊反独 Marsillac, Saint-Brice -4- 【表 3】ヴィシー期におけるパリの対独協力メディア比較 2 新聞・雑誌名 再刊・創刊号 発行部数 主な特徴 主な執筆者、中心人物 40 年 11 月:52 万 2 千部 セーヌ県知事 Villey および警視総監 M. Bunau-Varilla, Philippe 42 年 7 月:20 万部 Langeron の要請に応えて再刊/戦前 et Guy Bunau-Varilla(所有 43 年 1 月:26 万部 と大幅に編集者を入れ替える 者)、J. Luchaire(40 年 11 ‐廃刊号 日刊紙 Le Matin 1940.6.17 -1944.8.17. 44 年 5 月:25 万部 Paris-Soir 月まで編集長) 1940.6.22 40 年 11 月:97 万部 戦前の同紙は南部自由地区へ逃れ、新 Schliessle, E. Gerber(責任 -1944.8.17. 42 年 7 月:30 万部 たな編集陣を迎え同名のパリ版とし 者).F. Janson, A. Margot, 43 年 1 月:38 万部 て活動/ドイツ当局の管理 H. Coston, L. Pemjean. 44 年 5 月:25 万部 Le Petit 1940.10.8 40 年 11 月:68 万部 ドイツ当局の要請・管理/戦前と大幅 41.2.11 まで:J.-M. Peter(責 Parisien -1944.8.17. 42 年 7 月:50 万部 に編集者を入れ替える/41 年以降 任者), M. Lemonon, P.-E. 43 年 1 月:50 万部 JSP のメンバーに「支配」される/ Decharme(編集長)/それ以 44 年 5 月:51 万 5000 部 PPF 支持 降:Sergheraert(責任者), C. Jeantet(編集長), A. Algarron, A. Laubreaux, R. Brasillach, L. Rebatet L’Œuvre 1940.9.21 40 年 12 月:19 万 6 千部 左翼系/戦前のネオ・ソシアリストの M. Déat(責任者), J. Piot, -1944.8.17. 41 年 11 月:10 万 2 千部 指導者であり、対独協力組織国家人民 A.Guérin, R. Bobin(編集長), 43 年 11 月:13 万部 連合(RNP)を率いるデアの新聞 G. Pioch, E. Frot, 44 年 5 月:14 万 3 千部 Aujourd’hui 1940.9.10 -1944.8.17. Ch. Spinasse 40 年 11 月:11 万部 左翼系/ペタンと国民革命を支持す H. Jeanson, G. Suarez(責任 42 年 11 月:47000 部 るも、ペタンの周囲の政治家を非難 者), Raymond de Vos(編集 44 年 5 月:99000 部 長) Le Cri 1940.10.19 40 年 10 月:35000 部 PPF 機関紙/ジ ャンテや ルバ テら J. Doriot(責任者), H. Lèbre du peuple -1944.8.17. 41 年 7 月:2 万部 JSP のメンバーも協力 (編集長), A. Clément, 42 年 7 月:4 万部 E. Rouchon, J. Lagarigue, 43 年 3 月:63000 部 M. Gitton, S. Jeanneret, J. 44 年 5 月:11 万部 Hérold-Paquis, L. Rebatet 2 Michèle Cotta, Les idéologies de la Collaboration à traver la presse (1940-1944), Paris, 1963 ;id., La Collaboration (1940-1944), Paris, 1964 などを参考に作成。 -5- Les Nouveaux 1940.11.1 Temps -1944.8.17. 40 年 12 月:3 万部 夕刊/戦前は仏独委員会の仏側代表 J. Luchaire(責任者), 41 年 11 月:42000 部 者であり、占領下はパリ新聞協会の会 P. Causse(編集長), 43 年 1 月:57000 部 長であったリュシェールの新聞 G. Zucarelli, G. Crouzet, 44 年 5 月:8 万部 La France 1940.6.30 au travail -1941.5. N. Frank 40 年 7 月:8 万部 左翼系/ドイツ当局の管理/当初 2 J. Drault ( 責 任 者 ) , Ch. 40 年 11 月:92000 部 ページ、40 年 8 月以降 4 ページ/La Dieudonné, J. Fontenoy(編 France socialiste へ展開 集長), H. Coston, P. Albert La France 1941.11.10 41 年 11 月:11 万部 左翼系/「社会主義的ヨーロッパ」の G. Daudet, R. Saive(責任者), socialiste -1944.8.17. 43 年 1 月:11 万 5000 部 実現目指す/反資本主義/保守的で R. Chateau, H. Lagardelle, 44 年 5 月:14 万 5000 部 あるとしてヴィシー政府を批判 R. Bobin(編集長) A. Terrasse(編集長), La Vie 1940.11.20 セーヌ県知事公認の経済問題専門紙 industrielle -1944.8.17. /最も政治色の薄い日刊紙 M. Ventenat, M. Ajam 週刊紙 La Gerbe 1940.7.11- 43 年 1 月:14 万部 右翼/「フランス人の意志 volonté A. de Chateaubriant( 責 任 française のための週刊紙」/敗戦後 者), C. Fegy(編集長), 最初に創刊されたパリの週刊紙/主 B. Fay, G. Montandon 筆のシャトーブリヤンは groupe « collaborartion »の指導者 Au Pilori 1940.7.12- 43 年 1 月 65000 部 右翼/当初「ユダヤ・フリーメイソン H.-R. Petit, R. Pierret, との闘い」のための、次に「国民革命 M. de Seré, L. Pemjean の」、43 年以降は「フランスの利益 を擁護する闘い」のための週刊紙 L’Illustration 1940.8.17- 43 年 1 月:10 万部 戦前からパリで活動/編集者を大幅 R. Baschet, L. Baschet, に入れ替える/伝統的右翼から革命 G. Sorbets, J. de Lesdain 的右翼へ Le Fait Le Reveil 1940.10 「経済・財政・社会」の週刊紙/創刊 G. Roux, B. de Jouvenel, -1941.4.5. 時の編集長ルーは戦前の JSP 協力者 C. Fegy, P. Auclair, 1940.11.1- 「フランスの活力と理想と建て直し J. Boissel, M. Laschett, のための週刊紙」/Le Front franc の É. Nedelec, M. Boissel du peuple 機関紙/当初は月 2 回の刊行/ 41.6.20 号から 42.4.15 号まで中断/ 43.9.1. 名 称 を Le Réveil に 変 更 / 44.2.2 以降元の名称で再刊 Jeunesse 1940.12.28 「1940 年世代のための新聞」/若者 G. d’Aubagnat, J. Loustau, -1942.8.2. 向け/ペタンを支持 P. Picherit, Drieu-La Rochelle -6- La Tempête 1941.1.21 M. Delaunay, H. Lauridan, -1941.7. Le Pays libre R. Jourdan 1941.2.1 -1941.10.12 L’Appel 1941.3.6- Le Franciste 1941.6- 43 年 1 月:45000 部 Parti français national-collectiviste P. Clémenti, J. Dursort, の機関紙 A. Chaumet, L. Pemjean La Ligue française の機関紙 フランシスムの機関紙/「フランス社 P. Costantini, A. Raymond M. Bucard, P. Guiraud 会主義革命」の新聞 Toute la 1941.8.16- France 「戦争から戻ってきた人々や帰って M. Petitjean, J. Maze, 来る人を待つ家族のための」新聞 F. Hulot La Révolution 1941.10.12 42.5.24 まで le Mouvement social E. Deloncle, J. Fontenoy, nationale -1944.8.12. révolutionnaire(ドロンクル主導)の P. Christophe, L. Combelle, 機関紙/その後「政治文学週刊紙」 R. Brasillach (43 年 9 月以降) 左翼系/ラヴァルとデアを支持 R. Mesnard, G. Lafaye, L’Atelier 1940.12.7- G. Dumoulin, A. Rey Le Rouge 1941.11.1 左翼系/ドイツ当局とのつながり無 Ch. Spinasse, A. Guérin, et le Bleu -1942.8.22. し/ユダヤ人やフリーメイソンを攻 L. Gachon, J. Arnol 撃せず/JSP や L’Appel らから非難 受ける France 1942.7.11- 最もヴィシー政府よりの新聞 L. Malandri, D.-F. Perinotti 1942.6.6- RNP の機関紙/『ウーヴル』の執筆 R. Benedetti -Europe Le National populaire Germinal 者も協力 1944.4.28 -1944.8.11. 44 年 4 月:5 万部 左翼系/「フランス社会主義者の思 P. Rives, A. Chaumet, 想」/ドイツ当局とのつながり C. Jamet 【史料 1】Gaxotte, « Un grand sujet et un petit », JSP, 3 novembre 1934. フランスのような出生率の低い国家では、優れた〔de qualité〕人々を受け入れるという条件において、帰化政策が成功するもの なのである。〔…〕フランスは大量の〔quantité〕難民の侵入を許しているのであり、こうした移民の群衆は、極端に疑わ しい人々であるし、その押し寄せる波は、フランスの安全を、その存在をさえも脅かしている。 【史料 2】Rebatet, « La condition historique des juifs en France », JSP, 17 février 1939. フランスは、白人のそしてキリスト教の国家のなかで、ユダヤの混乱と堕落を受け入れた第一の国家である。〔…〕 我々は、ユダヤ問題の基本的な主題に関して、王国の偉大な伝統に回帰しようということの他に何も望んではいない。 -7- 【史料 3】Gaxotte, « Vieillissement de la nation française », JSP, 8 juillet 1933. フランスにおいて、ファシズムやヒトラー主義についてよく話されている。これら二つの運動は若さの運動である。 〔…〕我々の若者たちはどこにいるのか? フランス・ファシズムは、新しい世代において、力強い運動を作り出す ために十分な人間の蓄えを見出せないであろう。〔…〕ムッソリーニは戦争に苦しみ、その勝利を誇りに思い、イタリア を騙した同盟国への恨みに満ち、街の無秩序や血まみれの混乱によって日々苛立たされている人々に語りかけた。共通の感情は、 ヴェルサイユの屈辱であり、ボリシェヴィズムの恐怖である。そしてヒトラーも同様に 3 つの切り札をもっている。ドイツ全土 に共通した復讐心、度重なる不法な暴力行為によって実現したボリシェヴィズムの脅威、荒み、打ちひしがれ、もはや何も失う ものもなく、復讐に飢えたプロレタリア化したブルジョワジーの存在である。 【史料 4】Gaxotte, « Deux mois décisifs », JSP, 24 mars 1934. ほとんど全ての大衆運動の始まりには、誤解や混乱や間違いがある。ヒトラーの才能はまさに、「社会主義 socialisme」 と「国民の national」という二つの言葉を結合させたことにあり、それを革命的であると同時に保守的で、報復 的であると同時に平和主義を標榜し、非妥協的であると同時に術策にたけたイデオロギーの象徴につくり上げたこ とである。フランスにおいては、「共和国 République」という言葉は決して明確にされていなかった。むしろいつも、右翼と 左翼の対立という二つの方向性のなかで用いられてきた。 【史料 5】Gaxotte, « Les choses comme elles sont », JSP, 10 avril 1937. 見事な思想とは、「経験」というものの存在を信じ込ませることである。人民戦線はなにも試みていない。破壊している のである。人民戦線は救済手段を試してはいない。殺人を準備しているのである。人民戦線は病気にかかった組織 を救おうとはしていない。その病を進行させようとしているのである。人民戦線は回復させようとはしていない。 〔共産主義〕革命を準備しているのである。その革命は、不平や貧困、権力の失墜、正義という品位の低下、失業、不景気、 階級の憎悪によってなされるだろう。 【史料 6】Gaxotte, « La décomposition parlementaire », JSP, 13 avril 1935. ブルムは、〔…〕最もフランスに馴染みのないユダヤ人なのであり、フランスの、我が人種〔race〕の最大の敵であり、また最 も我々フランス民族〔peuple〕に害を与える可能性のあるユダヤ人である。 【史料 7】Rebatet, « Esquisse de quelques conclusions », JSP, 15 avril 1938. 我々は、ユダヤ人がユダヤ人の状態に帰ることを望む。我々はこの点において、理性の世紀という歴史的な伝統に 従おうとしているだけである。それは、愚かでロマン主義的な自由主義が崩壊させたものであり、フランスにおける全ての 真のナショナリストが常にその教義として維持してきたものなのであり、ヨーロッパの大半の国が復活させたか、何としても復 活させたいと望んでいるものなのである。〔…〕ユダヤ人の血と精神は、〔これまで〕その他の民族〔nation〕の血や精神とは 決して溶け合わなかったし、溶け合うことはできないのである。それゆえ、我々はユダヤ人の身分を、ユダヤという民族性〔leur nationalité juive〕に帰そうと欲するのである。〔…〕ユダヤ問題の解決〔だけで〕は、フランス救済にとって十分では ないが、しかしそれはフランスの安泰にとって欠くことのできない条件の一つだ、ということである。 -8- 【史料 8】Gaxotte, « Ou la bolchevisme ou la révolution nationale », JSP, 13 juin 1936. フランスは、ドイツやイタリアで起こったことを経験すべきだ。もはや〔人民戦線のような〕卑怯な手口や一時しのぎの 手段に与える場はない。フランスは、独自のやり方で、国民革命を為すだろう。さもなければ、ボリシェヴィキ化さ れてしまうだろう。 【史料 9】Gaxotte, « Pour un rétablissement français », JSP, 14 mars 1936. ここ 1 年間に起こったことを我々は告げてきた。1 年前からフランス政治は我々がしきりに勧めてきたこととまさに逆向きに導 かれ、屈辱と破局に達したのである。それは完全な敗北であるが、我々は同じ道のうえを根気よく続けていくしかない。〔…〕 〔ソ連との〕共同戦線は、何も得ないし、西側に固定されたドイツがソ連を攻撃できないようにさせるために、全精力をかけて 事態を悪化させ続けており、そこから得るものはなにもない。もし平和を望むなら、次のような政策が望まれる。1、ロ シアとの同盟を破棄する。ソ連は我々の国境に考え得るあらゆる紛争を起こさせようとし、ヒトラーの脅威から自 分たちを守るために、あらゆる戦争の要因を引き出そうとするだろう。2、オーストリアを守る。〔…〕オーストリア はもっとも身近な弱点である。〔…〕一撃がもたらされれば、唯一の可能な反撃は戦争である。ドイツにはそれがわかっている し、彼らはフランスが後退するだろうと考えている。それより前に、障壁を設けなければならない。3、フランスを回復させ ること。これはもっとも急を要する仕事である。〔…〕議会制民主主義は、日に日にその悪影響をさらしている。 国家のデカダンスはそれを否定するにはあまりにも明白なものとなってしまっている。もしそれを保持するのな ら、次のような結果が待っているだろう。すなわち、戦争、敗北。 【史料 10】Gaxotte, « Partant pour l’Ethiopie... », JSP, 31 août 1935. フランスには平和と戦争の間で二つの選択肢がある。秩序による、愛国心による平和。平静や中立の中での平和。人民戦線によ る戦争。政治的プロパガンダの戦争、インターナショナルの騒擾による戦争、ナショナリズムに対する戦争、報復とイデオロギ ーの戦争、ムッソリーニに対する戦争、ヒトラーに対する戦争、世界のボリシェヴィズム化のための永続的な戦争。(…)ロシ アとの同盟、それは戦争である。人民戦線、それは戦争である。 【史料 11】Jeantet, « Hitler va t’il reprendre l’initiative diplomatique en Europe ? », JSP, 7 mars 1936. ボリシェヴィズムと手を組むことで、フランスはヨーロッパ文化を侵害しているのである。ラテン文化とギリシャ -ラテン文化の擁護者を自認しているフランスは、白人種のもう一つの共通遺産である、ギリシャ-ゲルマンの擁 護者であるドイツから離れてしまってはならない。〔…〕フランスは、〔ソ連との同盟という〕最初のプランに固執して いるのである。「悪魔との同盟」である仏ソ同盟が、〔仏独〕和解の試みを断念させることはできないだろう。 【史料 12】Gaxotte, « Hitler a raison », JSP, 21 octobre 1933. ドイツと理解し合うためには強くあらねばならない。〔…〕ヒトラーの演説を通じて見て取れることは、明らかに、彼が フランス軍隊と 1914 年のフランスとを尊敬しているということである。〔…〕ヒトラーはヴェルダンやマルヌのフランス人に訴 えかけようとしているのであり、同時に議会や国際連盟のフランス人、彼の言う「疑わしい人間」を深く軽蔑しているのである。 〔…〕我が隣国のシンパシーを得ることができるのは、幼稚な人間を育てたり、我々の軍隊を衰弱させたりするこ とによってではない。〔…〕もし我々が政権を担っていれば、ヒトラーに耳を傾け、彼と交渉することができる。諸政党の -9- 弱々しい発現による体制ではなく、その背後に国 pays を堅持する真の「国家体制 régime national」はドイツと 理解し合うことができるだろう。議会主義は東方の隣国との持続的な和解を実現させることはできない。なぜなら、議会主 義は一貫した外交政策を為し得ないからである。〔…〕ヨーロッパの現状において、フランスのナショナリズムだけがド イツのナショナリズムとともに平和を築くことができる。なぜなら、フランスのナショナリズムは両者の対話において、 いかなる恨みも、プロパガンダ精神も、民衆扇動的な宗教感情も、ドクトリンに囚われた党派も、復讐するための個人的な対立 ももたらさず、逆に、愛情、意欲、そしていくつかの点においてシンパシーをもたらすのだから。 【史料 13】Cousteau, « Nous en sommes la... », JSP, 25 février 1938. 今日、他のどの国よりもフランスは時間を稼ぐ必要がある。なぜなら、フランスは外側からよりも何倍も内側から 脅かされているのだから。国家を建て直さなければならず、魂を回復させなければならないのだから。なによりも、 フランスを崩壊させる愚かな体制を破棄しなければならないのだから。そうしてはじめて、外交政策を為すことができ るだろう。 【史料 14】Cousteau, « La France doit désormais reviser ses idées et ses méthodes », JSP, 7 octobre 1938. この猶予期間は、フランスが救われたことを意味しているのではない。それは、フランスはまだ自らを救い得ると いうこと、再生し得るということ、再生しなければならないということを意味しているのである。〔…〕汎ゲルマン 主義に対する防波堤を再構築しなければならない。 【史料 15】Cousteau, « Nuremberg sans passion », JSP, 17 septembre 1937 ヒトラーは、自身の言葉がどんな小さな皮肉さえも引き起こさないと確信して、ドイツの若者に努力することの崇高さについて 話すことができる。確実に皆が彼に従い、恍惚として彼を称賛している。つまりは、それがヒトラー主義の奇跡なのである。〔…〕 ドイツの若者、その仲間意識、音楽や花飾りへの嗜好(それは決して馬鹿げてはいないし女性的でもない)、彼らの笑い声、快 活として言葉をかけ合う姿、それらは最も称賛すべきものである。そして、そうした姿をフランスにもたらすことは困難なこと ではないだろう。〔…〕しかし、その内実の奥へ入り込めば入り込むほど、ドイツを受け入れる気持ちと拒否する気 持ちが矛盾となってもつれ合ってくる。〔…〕ヒトラーの目、そしてその悲しみは、おそらく、彼のあらゆる使命の重圧を 反映しているのだろう。〔…〕ニュルンベルクで、我々はドイツの再生が宣言されるのを聞きながら、ただフランスのことだけ を考えていた。国民社会主義のあらゆる不完全さや欠落を前に、フランスが過去の栄光を取り戻し、ドイツよりもは るかに優れているためには些細なことに惑わされないことが重要なのであり、支配者としての民族、指導者として の民族であり続けなければならないのである。〔…〕重要なのは、若さである。〔フランスの〕若者は信念、犠牲の精神、 名誉の意味を取り戻さねばならない。 【史料 16】Cousteau, « La paix française », JSP, 11 novembre 1938. ドイツと平和を築くもう一つの方法、それはドイツと同じくらい強く、可能であるならばそれ以上に強くあること である。ドイツの指導者たちがフランスとの戦争は恐ろしい、終わりのない殺戮となるだろうと考えている間は、フランスは安 全でいられるだろう。そしてフランスが第三帝国と「打ち解け」、平和裏に協力することを試みることができるのは、 唯一、強く、恐れられる状態にある場合だけなのである。〔…〕フランスが国内の革命を成し遂げるかどうかにかかって - 10 - くるだろう。〔…〕現体制のままでは、いかなる頑強さも誠実さも不可能である。フランスがデモクラシーを吐き棄 てたとき、新たに全てが可能となるだろう。 【史料 17】Gaxotte, « Ils veulent « leur » guerre ! La guerre ? », JSP, 2 septembre 1938. 戦争をしなければならないとしたら、はっきりと、明らかに、なぜフランスがそうしなければならないのかを知るべきである。 (…)希望が一つある。それはイギリスである。イギリスはできる限りの巧妙さ、柔軟さ、強さをもって行動している。〔…〕 フランスは汎ゲルマン主義に対して自らを防衛しなければならない。それはフランス存続のための条件の一つであ る。しかし、その存続は二つの革命によってしか為され得ないだろう。すなわち、体制の変革と、モスクワやプラハにではなく、 ロンドンやローマ、ブルゴスとの同盟を結ぶ外交政策に変更することである。 【史料 18】Gaxotte, « Essai de réflexions », JSP, 21 avril 1939. ヒトラーの過ちは、臆面なく自身の約束の言葉を破り、ミュンヘンで為された合意を紙くずのように扱ったことである。〔…〕 ヒトラーの裏切り行為がヨーロッパの秩序の留め金を外してしまった。〔…〕武力による一撃を準備しながら、世界に緊張 緩和の希望をちらつかせて楽しむのがヒトラーのやり方である。だからこそ我々は尚更、しっかりとドイツを監視 しなければならない。〔…〕我々の武力を増強しなくてはならない。それ以外はもはや考えられないのである。 【史料 19】Cousteau, « Non, l’espérance ne peut pas être républicaine », JSP, 24 septembre 1943. フランスの宿命的な不幸は、共和国思想に結びついている。このフランスのデカダンスはいつもたらされたのか? 1789 年である。民主主義的・議会主義的共和国というもっとも完璧な表現で示される政治概念が勝利したときである。1789 年、〔…〕フランスはヨーロッパにおいて、もっとも力強く、もっとも人口が多く、もっとも栄光に満ちていて、もっとも称賛 すべき国家であった。そして、この国は「不滅の原則」に侵入され、やがて転落してしまったのである。もちろん、たった一撃 だけでそうなってしまったわけではない。病原菌は一日で犠牲者を殺してしまったわけではないのだ。フランスは十分に神聖で 力強く、世界の頂上に位置していたので、完全に失墜してしまうのには 150 年という歳月が必要だった。このひどい〔国家の威 信の〕断念が、共和国の業績である。あるいは、前世紀はいくつかの政治体制が出現したのであるから、それは共和国精神の業 績なのであり、その精神は、ティエールと同様、ルイ・フィリップやナポレオン 3 世にも息づいていたのだ。しかし、本当の惨 劇は 1870 年の戦争のあとに始まった。そのとき以降、失墜は加速を増し、国家は放棄され、〔…〕共和国の業績 は国家の腐敗へと到達したのである。そして、14-18 年の戦争に対して、共和国はそれを避けることもそれに備えることも できず、フランスにとどめの一撃をもたらした。この大量殺戮のあと、フリーメイソンに侵され、ユダヤ化されてしまったフラ ンスは、子供を生んで人口を増やすこともできず、3 つの隣国からのファシストの伝播にも反抗的になり、最悪のカタストロフ に陥ってしまったのである。国家機構はあまりにも老朽化していたので、もっとも小さなショックでもフランスは絶滅していた に違いない。スローガンを用いて統治していた真の共和主義者たちは、自分たちのレトリックにたいそう有頂天になり、時代遅 れの情熱によってあまりにも盲目になっていたので、フランスを 1939 年の悲劇的な冒険に投げ込んでしまった。彼らは〔…〕フ ランスの絶滅を宣誓したようなものなのである。以上が、共和国の、共和主義精神の姿であり、「第三〔共和制〕の」政治家た ちがフランスにしたことなのである。 - 11 - 【史料 20】JE SUIS PARTOUT, « A bas la République ! », JSP, 9 juin 1941. 今ここで、まずなによりも、われわれは共和主義者ではないということを断言したいと思う。〔…〕われわれはもはや議会主 義政治を欲しない。有権者によって選ばれた者による絶対的な統治を望まない。投票による取引、国家の利益に対 抗する諸利益の結集、絶対権力に結びつけられた無責任性、もろもろの委員会、フリーメイソンのロッジ、個人へ の絶対的信頼、無駄話、無秩序、政府の略奪。共和国とは、そういうものである。共和国になお熱烈な擁護者が存在 することは仕方がない。人々が人民主権 le Peuple souverain を欲するのは仕方がないことだ。〔…〕しかし、荒れ果てた独裁体 制や、フリーメイソンの、ユダヤ人の、革命的な諸制度による独裁体制に戻ることを望んではいない。 【史料 21】JE SUIS PARTOUT, « Vérités premières », JSP, 30 juillet 1943. 〔われわれにとって重要なこと〕それは、とても古くから存在しているいくつかの重要な真実が、現代の政治体制によって再び 据えられたことである。それは秩序であり、権威であり、仲間意識、団体精神、国民の諸階級による協力関係、労働 に捧げられたしかるべき場所、金や封建的権力への制限、人種や家族の擁護である。こうした思想は、ルイ 11 世やル イ 14 世の思想であった。そして、現代的な生命力に彩られた、良識である。そうした思想は、それとは正反対の体制、つまり民 主主義体制が、悔しそうに、あるいはこっそりと、そこから着想を得ざるを得なかったということからも、良識であるといえる。 〔…〕国内的な危険も、国外の危険も、ボリシェヴィズムのなかにある。 【史料 22】Brasillach, « Aux adversaires fraternels », JSP, 28 mai 1943. ナショナリストにとって、敗北は耐え難いことである:国民が終焉してしまうこと、西洋が終わりを迎えてしまうことは、さら にひどい敗北であるだろう。〔…〕社会正義 justice social や公共の秩序 ordre publique、人種の擁護、労働への尊重、 平和擁護、この 150 年のいつの時代にも、人々はこうした振る舞いを軽視するという間違いを犯してしまったのだ ろう:それは 1918 年の勝利のあとも、1940 年の敗北のあともそうであったし、占領下においても、金融支配や〔前大戦の〕同 盟国の支配下においてもそうであった。民族の生活の基本的な構成要素を軽視するものは、その民族の生命そのものも軽視する のである。〔…〕いつの日か内戦を終えたのちに、フランスの国民的和解を成し遂げなければならない。アンリ 4 世が取り組み、 ナポレオンが試み、ルイ 18 世が望んだように。〔…〕われわれは、他のどれでもなく、われわれの原則においてしか、その和解 は成し遂げられないということを知ることになるだろう。 【史料 23】Brasillach, « L’aube de l’esprit fasciste », JSP, 21 juillet 1941. ファシズム、それはまず、ひとつの精神なのであると、われわれは以前にもここに記した。フランスは、フランス自身のために、 また諸精神のために、このファシスト精神を創造しなければならない。フランスは、この国民的要求に応えなければなら ない。ファシズム、それは国民的かつ社会的な精神であり、それはなによりも、団体精神である。〔…〕ファシズムはマルクス 主義ではないし、マルクス主義が対抗しようとした不正行為でもない。ファシズムもまた、そうした不正行為に対しても戦うの だ。〔…〕フランス・ファシズムだけが、新しい世界と協力することができる。このファシズムは、マルクス主義的で も、保守主義的でもない。 【史料 24】Brasillach, « Dans une Europe fasciste, il n’y a de place que pour une France fasciste », JSP, 9 mai 1942. 私は、若者について語りたい。なぜなら、若者はこの新しい世界を理解することができるからだ。若者は、現在同時に、「国民 - 12 - よ、目を覚ませ!」という叫びが鳴り響いているドイツやイタリア、スペイン、その他あちらこちらで、これほど多くの若者た ちが熱狂している事実を、理解することができるからだ。ファシズムは、実践の形式と詩情の形式を同時に有しており、現代に おけるもっとも熱狂すべきイメージをもたらす政治形式なのだから、若者はファシズムに献身することができるのである。ファ シズム、それは、国民的友愛のドクトリンであり、生命力に包まれながら、他国と平和的なライヴァル関係を実現させるドクト リンなのだから。ファシズム、それは若さであり、フランスは年老いた国民になってはならず、若々しい国民であり つづけるためにファシスト的国民にならなくてはならないのだから。フランスが存続し、生き残ることができるの は、ファシスト国家になるという条件においてなのである。 【史料 25】Brasillach, « La Russie contre l’Europe : Donnons à la France un régime français », JSP, 30 juin 1941. この戦争は意味のあるものにならなくてはならない。ドイツにとっては意味があった。ヨーロッパにとって、それは意味をも つことになるだろう。そしてまた、フランスにとっても意味のあるものにならなくてはならない。それは、マルクス 主義・共産主義との闘いが、フランスの国民社会主義のための闘いになるという条件においてのことである。 【史料 26】Brasillach, « Introduction à la pensée d’Alfred Rosenberg », JSP, 8 janvier 1943. 慈悲ではなく、正義を拠り所として建てられた国家、過去の儀式ではなく自由で生き生きとした秩序に基づいて建てられた国家、 そうした新しい国家は、国民主義的 nationaliste であると同様にまったく社会主義的な socialiste ものとなるだろう。〔…〕創 造とは、過去と分断されてなされるものではないし、過去とは人間にとって自然な性質なのである。そして、この過去は、決し て美術館の展示物であってはならないのであって、それは絶えず生きているものでなければならない。『20 世紀の神話』とは、 過去のさまざまな神話を一新するものなのであり、それは自然なことである:そしてそこには、新しい時代と調和する神話が生 まれるのである。〔…〕今日、ドイツ軍の勝利は、ドイツ軍にとってだけでなく、他の諸国家のためにも、新たな時代を切り開 いたと、ローゼンベルクは断言している。〔…〕〔ローゼンベルクは〕過ちの原則、現代的な精神とは無関係の原則のうえに成 立した、いわゆる 1789 年のフランス革命のなかにも、確かな生命力を認めているのである。われわれはフランス革命を嫌悪 している。しかし、今はそれに反論するつもりはない。ローゼンベルクのように、次のように述べよう。今日、重要なのは、 1789 年以前の状態に戻ることなのではなく〔…〕1789 年の革命に対抗して、もう一つの別の革命を為すことであ る。それは、1789 年のものとは方向性は逆だが、それと同等の活力とダイナミックさを持つものである。この新しい革命は混乱 や平等主義の革命ではなく、その反対で、血の価値の復活、相互に調和した諸国〔patries〕の復活をもたらすだろう。 【史料 27】Cousteau, « Les fascistes au pouvoir ! », JSP, 17 septembre 1943. この戦争は、そう望まれていようとそうでなかろうと、市民戦争なのである。〔…〕なぜなら、誰しも反ファシストであると同 時に新しいヨーロッパのパルチザンではあり得ないからだ。われわれは何度もそう述べてきた:国内政治の「同調」がなければ、 新しいヨーロッパは成立し得ないのである。一方でスターリンも、他方でルーズベルトやチャーチルも、われわれのこの考えに 反論はできないだろう。スターリンは、ソヴィエト的で共和主義的な連合しかイメージしていないし、ルーズベルトやチャーチ ルはヨーロッパ大陸が、今度こそ、国会議員や財界人に従属することを願っている。〔…〕たしかに、公式なフランス〔ヴ ィシー政府〕は反ファシストではない。しかしまた、ファシストでもない。ゆっくりとした崩壊を導いたこの 3 年 の間に積み重ねられたあらゆる失望は、そこから説明されるものだ。もしわれわれが権力に就いていたら、大きな損害 は避けられていたであろうと、言葉に力を込めながら、私はそう断言しよう。〔…〕フランスの民衆がなにを望んでいたか、人々 - 13 - は正確に知っていただろうか? しかし、自分たちの意志を「自由に」表現する意志を与えられたとき、フランスの民衆がどの ように振舞ったかは知っている。彼らは、ダラディエやブルムやトレーズを選んだ。そして、彼らは自分たちが投じた票の山が 戦争を生み出したのを見て、すっかり驚いてしまったのである。〔…〕本当にファシスト的な(あるいは国民社会主義的な)体 制は、現体制以上に歓迎されないということはあり得ないだろう。単純に、それは「なにか」を成し遂げるであろうから、より 支持を得ることになるだろう。そして、そのファシスト体制の幹部たちは、仕事の手を抜くこともないであろうし、〔レジスタ ンスのように〕離反者となることもないだろう。〔…〕ファシスト的(国民社会主義的)ヨーロッパにおいて、フランス はファシスト(国民社会主義者)であらなくてはならない。 【史料 28】Brasillach, « Devant l’équivoque », JSP, 3 juillet 1942. われわれは、考えていること、望んでいることを発言する権利がある。それは、新しいヨーロッパのなかで、ファシスト の世界におけるファシスト・フランスの地位を確固たるものにすることである。〔…〕ヒトラー主義の形式がとりわけ ドイツ的なものであることは全く否定できない。しかし、国民社会主義によって称賛された偉大な諸事実は普遍的なものである、 ということもまた全く否定できないことである。その諸事実とは、反議会主義であり、人種の擁護であり、普通選挙の拒否であ り、それ本来の領域における国家権力であり、国民のコーポラティズムによる組織化である。われわれはこれらにフランスの形 式を与える。〔…〕「20 世紀のヨーロッパはファシストのものとなるだろう」と 14 年前ムッソリーニはいった。わ れわれは、あらゆる不明確性に対抗して、フランス・ファシズムを確立させよう。 【史料 29】Brasillach, « Mon pays me fait mal... », JSP, 20 novembre 1942. この 2 年半、〔ヴィシーの〕国民革命のとんでもない茶番劇は、われわれに〔…〕政府のあらゆる役人への盲目的 な信頼を要求してきた。〔…〕この〔ドイツへの全面的な協力という〕外交政策が現実的で正当なものであるならば、それに 適合するような国内政策がともなわれなければならない。アメリカの攻撃が止まない現状において、ファシスト・ヨーロッパの なかには、ファシスト・フランスが占める場所しかない。ファシスト・フランスが実現しないのであれば、われわれは調停者に 交渉を、つまり、裏取引と裏切りを要求することになるだろう。フランスはすべてを失ったのである。しかし、国内革命 と勇敢な外交政策を適合させることができれば、まだまだ十分にその失ったものを取り戻すことができる。外交政 策はそのうち採用されるといわれているが、それら二つ〔外交政策と国内政治〕は一心同体なのである。フランスにはそれを実 現する時間がそれほど多くは残されていないのだ。 【史料 30】Rebatet, « Intelligence Service », JSP, 22 octobre 1943. 〔ヴィシー政府がいう〕フランスの知性の宣言のなかに、未来に向けられた思想や提案を探してみてほしい。そこ にはなにもない。そこには、世界的な革命の時代にあって、両手両足を過去につなぎとめたままの保守主義者たち の一団による、うわべだけの告白しかない。彼らは、過去を復活させることだけにしか希望を見出していない。 〔…〕 〔ヴィシー政府が目指そうとしているのは〕観念的な国家である。革命的な国家ではなく、反動の国家なのである。 それは、マクマホン流の後方に引き下がる反動であり、便利な屁理屈への後退であり、頭から尻まで心地よい小さな習慣へ回帰 することである。これが、ヴィシー政府が主張する「新しい未来」なのである。 - 14 -
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