The Extension Course of the Beatles Part 3 Instructor Toshinobu Fukuya (Ube National College of Technology) The 1st Session : The Beatles Fashion 8/4 2007 1 第1回「ビートルズのファッション」は、通時的研究(diachronic study)アプローチをとっている。 1.衣服の記号論 アメリカ哲学の始祖の一人、ヘンリー・デビット・ソローは、夏目漱石も強い影響を受けたと 言われる『森の生活』(1854)の中で、以下のように衣服の目的を定義している。 衣服の絶対的目的は、吸収した熱エネルギーを逃がさない、あるいはどんな重労働にも 耐え得るといった機能性に加えて、裸体を覆い隠すという社会性である。(Henry D. Thoreau, Walden, or Life in the Woods. Princeton: Princeton UP, 1971, p.23) ソローによれば、その後衣服はさらなる社会性を強め、社会階層のマーカーとしての相対 的目的を持つようになったと言う。すなわち衣服は、それを身に着けている人間の社会的地 位への判断を容易にする機能を帯びるようになったと、彼は言うのである。「衣服の記号論」 (the Semiotics on Clothes)は、ここを起源とする。また衣服は、社会との関わりとは別に個人 との関わりにおいても相対的価値を有するようになった。特に仕事を離れた個人生活におい ては、人は自分の好みに合せて衣服の素材やスタイルを選ぶ自由を得たのである。その行 為は自己の個性の表現手段であり、衣服に自然との親和感と作業性のみを求めたソローが 認めなかった衣服のファッション化という営みであった。衣服が機能性を越えて、着用者の個 性を満たす存在となり得たのは、衣服が潜在的に文化的存在だからである。 Henry David Thoreau さらにソローは、時のアメリカ政府に人頭税を払うことを拒否して、その信念を『市民の反 抗』(1860)に綴った。投獄されても信念を貫いた反骨精神とウォルデンの森での自然と一 体となった生活ぶりによって、1960年代の対抗文化(counterculture)の思想的バックボーン としても高い評価を受けている。彼が生活したウォルデン湖畔が土地開発の生贄にされそう になったとき、ウォルデン・プロジェクトを立ち上げ、その土地を買占め、開発業者からウォル デンを守ったのは、元イーグルスのボーカリスト、ドン・ヘンリーであった。 2 2.ジーンズが纏った根源的記号論 ソローが望んだ強靭な耐久性を持つ作業着が、19世紀後半にジェイコブ・W・デイヴィスに よって開発された。生地であるデニムの優れた耐久性(=機能性の一つ)に加えて、ポケット 部に打たれた鋲によってさらに強度を増したジーンズがそれであった。その後、リーバイ・スト ラウス社の協力を得て改良を進め、大量生産が可能な高い加工性もあいまって、画期的なコ ストダウンに成功した。その機能性と廉価性ゆえに、ジーンズは瞬く間に労働者の間に普及 し、作業着の代名詞となり労働者階層を示すマーカーになった。すなわち、ジーンズは最初、 労働者の記号論として機能したのである。カウボーイたちはその代表的存在であった。 ジーンズを身にまとった鉱山労働者、カウボーイ、森林労働者 2.反逆の記号論としてのジーンズ: 1950年代 ビートルズはレコード・デビュー前、ジーンズに皮ジャンといういでたちでライブ・ステージに 立っていた。ジーンズに皮ジャンが、イギリスのテディーボーイ(不良少年)たちのユニフォー ムだったからである。1960年代初頭、彼らはドイツのハンブルグでプロとしての修行時代を 送り、新進の女性写真家アストリッド・キルヒヘアによって撮影された当時のビートルズの写 真は、彼らのファッションの原点を確認する貴重な資料となっている。 アストリッドの撮ったビートルズとアストリッド自身 3 テディボーイたちがジーンズに皮ジャンを好んで身に着けたのは、アメリカ映画『乱暴者』 (1954)の影響が大きかった。ストーリーは、攻撃的で破壊的な、労働者階層の不良少年た ちが、黒い皮ジャンにジーンズといういでたちでオートバイにまたがり、小さな町に波紋を起こ すというものであった。この映画の中の衣服について、社会学者のジョージ・メリーは,その著 書『反逆から様式へ』の中で、以下のように述べている。 マーロン・ブランドが演じる主人公は、黒い皮のジャンパーとジーンズを着た男根であり、 社会は自らの利益を思えば、それを去勢しなければならなかった。(George Melly, Revolt into Style: The Pop Arts in the 50s and 60s. Oxford: Oxford UP, 1970, p.56) 映画『乱暴者』の中のマーロン・ブランド ビートルズも『乱暴者』に夢中になった経験を持つことは、ビートルズの主演映画『ヘルプ! 4人はアイドル』の冒頭シーンで、この映画の一シーンを挿入していることからも窺い知れる。 しかし、一般の若い世代がさらに自己同一視(identification)できたジーンズ姿の英雄は、映 画『理由なき反抗』(1955)の中でジェイムズ・ディーンが演じる高校生であった。中流の裕福 な家庭で育ったディーン演じる思春期の少年が、ハイスクールの生徒たちとの面倒に巻き込 まれる。そしてその過程で、成功を物質的富と同一視する大人たちの価値観を受け入れるこ とが出来ずに、挫折し苦悩するという話である。前出のジョージ・メリーは、その精神構造につ いて、次のように言っている。 ディーンが演じる高校生は、感じやすく、支離滅裂で、反抗的で、不機嫌で、真面目で、 大人に誤解されている、挫折した十代の若者を代表していた。(Ibid., p.77) ディーンは白い T シャツ、赤いウインドブレイカー、それにもっと象徴的なものとしてブルー・ ジーンズを穿いていた。さらに重要なことは、主人公が、ジーンズを作業着として家庭生活の 一部に取り込んだ攻撃的な労働者階層の子弟ではなく、作業着をファッション化した中流階 4 層の少年であったことである。マーロンと仲間たちが、四六時中ブルー・ジーンズなのとは対 照的に、ディーンは登校に際しては、品位を保てるとされる普通の服装をしていた。そんな中 産階層の少年が労働者階層のジーンズを穿くという「地位下降現象」(Class Degradation) が、 新たな反逆の記号論であった。 映画『理由なき反抗』の中のジェイムズ・ディーン 3.ロックンローラーの無記号論的ファッション 音楽の世界では、黒人の音楽であるR&Bに白人のティーン・エイジャーたちが共鳴し、自 らも演奏するようになった。それをロックンロールと呼び、「黒人のように歌える白人の少年」と 称されたエルビス・プレスリーがキング・オブ・ロックンロールの称号を得ていた。音楽の世界 では白人が黒人の文化に自分たちを同一視するという「人種下降現象」(Racial Degradation) が起こっていたのである。 しかしロックンロール・スターたちは、従来のスターらしいステージ衣装に固執した。エルビ スはピンクのスーツに白い靴が売り物であったし、エディ・コクラン、ジーン・ビンセントも自分 が獲得した富を反映する視覚イメージをもった衣装を身に着けていた。 エルビス・プレスリー 5 大衆文化研究者の三井徹(金沢大学教授)は、その現象を以下のように分析している。 ロックンロール・スターたちの多くにとっては、ジーンズは自分たちの出自である貧しい家 庭環境と密接につながった作業着であり、帰りたくないイメージであった。(三井徹、「ブル ー・ジーンズとポピュラー音楽」『ユリイカ』、青土社、1994, p.174) 言い換えれば、ロックンロール・スターたちの心底は、自分たちの労働者階層としての記号論 をステージに持ち込みたくない真情が支配的だったと言える。その意味において彼らは、無記 号論的であった。 ビートルズもレコード・デビュー後は、ジーンズと皮ジャンを脱ぎ捨てて、ビートルズ・スーツ と呼ばれた襟なしスーツに身を固めた。それは、マネージャーのブライアン・エプスタインの方 針に従ったかたちであるが、ビートルズもあえて強く反抗はしなかった。彼らは反抗の代わり に、自分たちの独自性を付け加えたのであった。 モップ・トップ・ヘアと呼ばれた独特のヘア・スタイルは、前出のアストリッド・キルヒヘアによ ってもたらされた。アストリッドは、実存主義者(existentialists)で、恋人であり当時のベーシス ト、スチュワート・サトクリフの頭をエグジス(通称)風にカットしたのが始まりであった。そして 残りのメンバーも一人ずつエグジス風に髪をカットしていったが、初代のドラマー、ピート・ベス トだけはリーゼントを崩さなかった。そこらあたりにも、ピートがバンド内で少し浮いた存在であ ったことを垣間見ることができる。モップ・トップ・ヘアに襟なしスーツという独自のビートルズ・ ファッションはこうして生まれた。 モップ・トップ・ヘアーに襟なしスーツのビートルズ 4.対抗文化の記号論としてのジーンズ:1960年代 音楽においてジーンズが象徴的意義を持つには、中産階層が主流を占めるに至った当時 のアメリカにおいて、その階層の若者全体がジーンズを取り入れ、一種の「文化的変容」 (Cultural Transformation)を加える必要があった。 6 (1)ロック・ミュージックの誕生とジーンズ 音楽界には、1960年代前半まで、中産階層の若者は反戦や社会批判を歌いこむ知性的 フォーク・ミュージックを聴き、労働者階層の若者は官能的ロックンロールを聴くという階層的 図式が存在していた。社会学者のトッド・ギトリンは、この図式を次のように表現している。 フォークは前衛的な破壊力はなかったが、それを愛好することでロックンロールから距離 を保ち、それを見下すことができた。(Todd Gitlin, The Sixties. Toronto: Bantam, 1993, p.75) そのような閉塞状況を一日で変えてしまったのがボブ・ディランであった。彼は、1965年の ニューポート・フォーク・フェスティバルに、ロックンロール・バンドを従えて登場した。フォーク シンガーであった彼は、それ以前に、ビートルズのライブ演奏に接して、ロックンロールから強 い刺激を受けていた。パワフルなロックンロール・サウンドに自分の社会批判的メッセージを のせることで、自らの音楽世界を広げることができると確信したディランは、躊躇なくそれを実 行に移した。フォーク・ファンから激しいブーイングを受け、「裏切りユダ」との罵声も浴びたが、 この瞬間こそ、ロックンロールの野性にフォークの知性を加えた新しい音楽、ロック・ミュージッ クが誕生した瞬間であった。そのときディランは、ジーンズを身に纏って舞台に上がっていた。 滑らかではない、ざらざらした声で、自分自身の言葉で現実を歌うディランは、それ以後も意 識的にジーンズを着てステージに立ち続けた。 ボブ・ディラン 既成社会への対抗意識が頂点に達していたとき、ディランは、1950年代に発生した映画 の世界の「地位下降現象」と音楽の世界における「人種下降現象」とを融合して、1960年代 の新しい時代精神を具現化したのである。その象徴がジーンズであった。前出の三井徹は、 このディランの行動を、明確かつ簡潔な言葉で次のように説明している。 7 ブルージーンズを穿いたジェームス・ディーンのイメージを音楽的に延長し、一つの主張 として最初に取り上げたのがボブ・ディランであった。(三井、前掲同書、p.175) ディランに触発された多くのロック・ミュージシァンたちも、自分たちの反体制的主張を視覚 的に訴える手段として、ジーンズを愛用するようになった。そのトップ・ランナーがビートルズで あった。ディランに影響を与えた彼らもまたディランから対抗文化の洗礼を受け、ラブ・ソング 中心のロックンロール・バンドから独自のサイケデリックな精神世界を展開するロック・バンド に成長を遂げていた。ジーンズに皮ジャンでライブ活動を展開していたときのビートルズは、 ジーンズに思春期特有の反社会的怒りを込めていた。しかし、1965年以降、公の場で再度 彼らが身につけたジーンズは、破壊的反抗ではなくて建設的反抗を象徴していた。ビートル ズにとっての建設的反抗のメッセージは、「ラブ&ピース」であった。 ビートルズは、当時のファッション・リーダーでもあったゆえに、彼らの変身ぶりに追随する かたちで、瞬く間にジーンズは対抗文化の若者たちに支持され、かつまた若者どうしの横の 連帯感を表現する格好の手段となり得た。 対抗文化の洗礼を受けた後のビートルズのライブ姿 (2)ウッドストック・フェスティバルとジーンズ 対抗文化の若者たちが自らの思想と行動力とを誇らしげに世に問うイベントがウッドストッ ク・フェスティバルであった。同フェスティバルは、最新の PA システムを導入しロックを自然の 中で楽しむことで、加速度的に進む技術革新と自然との調和を提案しようと企画された。当初 の予想をはるかに上回る50万人もの若者たちが集い、「ともにあること」(togetherness)の優 位性と自然回帰思想を全世界に伝えた。ロックが権力を脅かす存在たり得た時代、ウッドスト ックは、対抗文化の若者たちが体制に対して放った、文字通り強力な「カウンターパンチ」であ った。当時のタイム誌はこのイベントを以下のように評している。 このフェスティバルが1960年代の若者の持つ特殊な文化がその力と訴えと強さを発揮 した瞬間であることからみて、現代を代表する大きな政治的社会的な出来事の一つとし て数えることも十分可能であろう。(Time, August 30, 1969) 8 このとき、イベントに参加した若者の大半が、自分たちの生き方を伝えるある種の記号とし てジーンズを着用していたことは、記録映画l『ウッドストック:』(1970)の映像が如実に物語 っている。ボブ・ディランによって1965年にもたらされたロックとジーンズのコラボレーション は、さして多くの年月を経ることなく対抗文化の若者たち全体に浸透していたのである。 記録映画『ウッドストック』(DVD)のカバージャケット (3)ジーンズの文化的変容 ジーンズは、1950年代のやり場のない理由なき反逆のシンボルから脱して、1960年代 半ばには、確たる信念のもとに理由づけられた反逆を、さらには、彼らの夢見た理想をも象徴 するまでに文化的変容を遂げていた。それは、ボブ・ディランによって牽引され、ビートルズに よって拡大された文化的変容であった。 おわりに その後ジーンズは、階層も年齢も人種も越え、「イチジクの葉以来の記号を持たないファッ ション性」(Sunday Time, May 29, 1990)を獲得していく。現在の若者たちは、これまでに述べ てきたジーンズの文化的変容などとは無関係にジーンズを穿く。彼らの中では、ジーンズを穿 くことに意味があるのではなくて、ジーンズをどう穿いて自分の個性を引き出すかに意味があ る。しかし、例えそうであっても、1950年代から1960年代にかけて、ビートルズが巻き込ま れ、さらには中心的役割を果たしたジーンズの反逆性を認識しておくことは、社会学 (sociology)上の重要事項である。 9
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