NO.20 2016 - 愛知学院大学教養部

2016
NO.20
知の旅立ち
教養セミナー学生論集 NO.20
2016
愛知学院大学教養部
表紙 久馬 栄道
知の旅立ち 第二十号 ││ 目 次 ││
高 尾 佳 子 ⋮⋮⋮
太 田 龍之介 ⋮⋮⋮
香 田 光 貴 ⋮⋮⋮
藤 かれん ⋮⋮⋮
古 田 貴 大 ⋮⋮⋮
大 橋 佳 昌 ⋮⋮⋮
今 町 優 汰 ⋮⋮⋮
熊 谷 友紀子 ⋮⋮⋮
37
35
33 30 28 26 24
宇 野 綾 華 ⋮⋮⋮
山 田 菜 央 ⋮⋮⋮
大 森 裕 朗 ⋮⋮⋮
39
∼村の伝統工芸を守れ!∼
阿島傘の軌跡
◇文学部
「躍進」
ベイスターズの
心理学から見る
東京ディズニーリゾート
経済学から見る横浜DeNA
◇経済部
∼災害時の食糧不足∼
自分ひとりさえよければいいのか 加
◇心身科学部
『虔十公園林』について
虔十公園林
宮沢賢治の作品に触れて
「読む」ということ
環境問題は誰のために
解決するのか
※各文章の後に掲載されている寸評は、各セミナー担当者によるものです。
中 村 彩 乃 ⋮⋮⋮
小野田 有 記 ⋮⋮⋮
42
教養セミナー学生論集
◇法学部
︽教養セミナーⅠ・Ⅱ︾
野生動物保護
│猛禽類を守る獣医師│
「伝える力、伝わる力」
タイタニック号
韓非子の法家思想
少年法について
小 塚 貴 弘 ⋮⋮⋮
西 郁 也 ⋮⋮⋮
︵『ナショナルジオグラフィック』 吉 田 英 世 ⋮⋮⋮
二〇一二年四月号二∼七九頁を読んで︶
5
│少年法の年齢を引き下げるべきか│
◇商学部
十八歳から選挙権が
与えられることについて
十八歳から選挙権が
与えられることについて
1
8
10
19
15 13
22
ジブリ映画『かぐや姫の物語』
の魅力と
四〇〇年の英雄・
真田幸村の人気の秘密
原作『竹取物語』との比較
テロと特攻の違い
松 田 隆 行 ⋮⋮⋮
宮 本 花奈美 ⋮⋮⋮
田 口 龍之介 ⋮⋮⋮
春日部 仁 美 ⋮⋮⋮
昔話狐檀家について
杉 崎 有 希 ⋮⋮⋮
子どもはおもちゃではない
『さるかに合戦』の配役について
内 田 優 華 ⋮⋮⋮
水 野 光 ⋮⋮⋮
北 野 和 聖 ⋮⋮⋮
前 川 悠 貴 ⋮⋮⋮
稲 垣 貴和子 ⋮⋮⋮
増 田 瑞 稀 ⋮⋮⋮
青 山 絵 美 ⋮⋮⋮
“桃”太郎伝説について
神話が現代に及ぼす
影響について
浮世絵の本来あるべき姿
教育のチカラ
“話し合い”をするために
私が得たもの
◇経営学部
中国のスポーツ事情
大 塚 圭 輔 ⋮⋮⋮
中国から来る観光客の「爆買い」
商 衛 東 ⋮⋮⋮
がこれから増え続けるのか
外国人の自身のつけ方について 小 池 愛 美 ⋮⋮⋮
ブラック企業の実態と対策
行動する習慣をつけなさい
いじめ自殺について
︽教養セミナーⅢ・Ⅳ︾
「蝿の王」
漫画化にあたって
スクラップバトル
「先生の数」
論争
スクラップバトル
平等か優遇か
今 井 達 彦 ⋮⋮⋮
宇佐見 啓 ⋮⋮⋮
清 水 紘 武 ⋮⋮⋮
日比野 将 之 ⋮⋮⋮
小 林 弘 季 ⋮⋮⋮
飯 田 大 雅 ⋮⋮⋮
92 90
88 85
教養部学習支援室L.A.活動報告
ドイツで過ごした一ヶ月
山 本 夏 樹 ⋮⋮⋮
大学で自分のことを見つめ直す 渡 辺 廉 大 ⋮⋮⋮
教養セミナー・教養教育をふりかえって
96
平成二七年度の
A.
活動
教養部学習支援室L.
︵春学期︶市川 遥・大坪史夏 ⋮
尾関陽菜・光神千賀
髙橋 萌・西尾綾夏
早川美希・原井 亨
堀 綾夏・両角友穂
︵秋学期︶市川 遥・大坪史夏
西尾綾夏・早川美希
堀 綾夏・両角友穂
2
98
103 101
105
47
62 59 56 55 53 50
74 72 70 68 65
76
81 79
教養セミナー学生論集
︽教養セミナーⅠ・Ⅱ︾
「ながさき。」
Unusual British Festivals
British Media
*
木 原 有 梨 ⋮⋮⋮
須 田 結 美 ⋮⋮⋮
オウゲイ︵ Wang ︶
⋮⋮
Yi
平成二十七年度 教養セミナー・テーマ一覧
*
准教授
久 馬 栄 道
3
表紙絵の思い出
ウィーン、ホーフブルク宮殿
編 集 後 記
(13)
(11) (1)
教養セミナー学生論集
《教養セミナーⅠ・Ⅱ》
野生動物保護
│ 猛 禽 類 を 守 る 獣 医 師 │
高 尾 佳 子
︵法律学科一年︶
現在、絶滅の危機に瀕している野生動物が世界にどれほ
どいるのかを認識している人は少ないと思う。また、なぜ
そのような状況に陥ってしまったのかを考えたことのある
人も少ないと思う。ここで私は、一人の獣医師の活動を通
して、人と野生動物との共生について考えていきたい。
その獣医師について述べる前に、今の野生動物の現状に
ついて確認していこう。ICUN︵国際自然保護連合︶が
出している「絶滅の危機にある種のリスト︵通称レッドリ
スト︶
」によると、二〇一四年一一月時点で、植物種は約
一 万 種、 動 物 種 は 約 一 万 一 千 種 が 絶 滅 の 危 機 に 瀕 し て い
る。細かく見ると、一年間に四万種が絶滅しており、これ
は一三分間に一種がこの地球上から消えている計算にな
る。種が存続の危機に遭う原因として、生態系の変化・生
︵1︶
息域の破壊・乱獲などがあげられる。数字だけみると、植
物も動物も同じ規模で減少しているようにみえるが、この
数字は世界にいる生物の一部分を明らかにしたにすぎず、
世界にはまだ確認されていない多くの生物が生きている。
生物は、それらすべてが「食物連鎖」という鎖でつながっ
ている。それゆえ、ある生態系に何らかの変化が出たとす
ると、他の生態系にも影響が及ぶことになる。
動物の現状が整理されたところで、野生動物が絶滅の危
機に瀕しているこの現状を打破しようと活動している、一
人の獣医師について説明したい。名前は齋藤慶輔、北海道
釧路市にある環境省釧路湿原野生生物保護センター内、猛
︵2︶
禽類医学研究所の代表者である。齋藤は国内でも珍しい野
生動物専門の獣医師であり、特に絶滅の危機に瀕した猛禽
類の保護活動を主に行っている。猛禽類とは、一般に他の
動物を捕食して生活するワシやタカ、フクロウ類などの鳥
類のことをいう。齋藤は猛禽類の保護活動を中心に、傷病
鳥の治療と野生復帰に努め、保全医学の立場から調査研究
を行っている。近年では、傷病・死亡原因を徹底的に究明
し、その予防のための生息環境の改善を「環境治療」と独
自に命名し、活動の主軸としている。
ここでひとつの疑問が生じる。齋藤はなぜ保護対象とし
5
て「猛禽類」を選んだのか、ということだ。その答えは、
動 物 界 に お け る 猛 禽 類 の 位 置 づ け に 関 係 し て い る。 先 ほ
ど、すべての生物は食物連鎖によってつながっていると説
明した。この食物連鎖の関係は、ピラミッド型をイメージ
していただくとわかりやすい。ピラミッドにおいて、猛禽
類はその頂点に位置づけられる。さまざまな環境の変化を
真っ先に受けるのは、生態系の上位に位置する動物たちで
ある。つまり、生態系の頂点に位置する猛禽類を守る・保
護することが、結果として彼らよりも下位に位置するさま
ざまな動植物を守ることになると齋藤は考えているのだ。
また、猛禽類が「キーストーン種」と呼ばれていること
をご存じだろうか。生態系のバランスを保つために重要な
役割を担っていることから、石垣などの要石︵キーストー
ン︶に例えてこう呼ぶようになったとされている。生態系
の頂点に位置する猛禽類は、一般的にその他の動物と比べ
て 圧 倒 的 に 個 体 数 が 少 な い。 個 体 数 が 少 な い と い う こ と
は、言い換えると、一羽の命の重みが大きく、一羽でも多
くの命を野生に戻すことが生態系を守ることにつながると
いうことである。
齋藤が行っている「環境治療」とは、研究所に運ばれて
きた傷病鳥を治療し、その原因を調べ、同じような事態が
起こらないように、彼らの生活環境を住みやすい環境に改
善していくことだ。これは、治療個体からのメッセージを
受け取ることのできる、獣医師ならではの保護活動のやり
︵3︶
方だ。では、私たちのような一般人はどのように野生動物
の保護に関わっていけるのか。野生動物が減少している原
因 に は、 人 間 の 活 動 が 関 わ っ て い る こ と は 言 う ま で も な
︵4︶
い。人口が増え、文明が発達するほど、森や水辺といった
生物の住処が奪われていることは、誰もが認識しているこ
とと思う。生態系を良い状態で維持していくために、環境
に配慮した生活を人間が行っていくことが最重要である。
自分たちの行動一つひとつが野生動物の環境にも影響を及
ぼしていることを理解してはじめて、人と野生動物との共
生が考えられる。では、具体的にどうすればよいのか。
やはり、一番に思いつくのは、一般的に環境に優しいと
されることを率先して行うことだ。例えば、車ではなく徒
歩や自転車を利用する、無駄な電気を使わない、などであ
る。小さなことでも大勢で行えば大きな結果となって表れ
る。環境に配慮した生活が、最終的には動物との共生につ
ながると私は考えている。また、個人で地道に行動を起こ
していく方法もあるが、ほかの案として野生動物保護の活
動をしている団体に参加するという手もある。一人では困
難なことも、同じ目標を持つ者が集まって活動していけば
より大きな成果が期待できる。他にも野生動物と共生して
いける道を個々人で積極的に探してもらい、その見つけた
方法を実践してほしい。
かけて
また、生物の今現在の状況や齋藤のように数十年
︵5︶
保護活動を行っている人がいることも知ってほしい。齋藤
6
の活動も、初めは困難の連続で救えなかった命が多かった
と思う。しかし、諦めずに保護活動をし続けたから、今よ
うやく少しずつではあるが成果が見えはじめてきた。強い
信念と明確な目標さえあれば道は必ず開けていく、と齋藤
︵6︶
自身も著書で述べている。野生動物を保護し、そして、野
生動物と共生していくためには、なぜ動物が減少している
のかを知り、本質を見抜いて対処することである。私も、
すぐに結果を求めず、自分が行っていることがいずれ動物
保護に通ずると信じて、保護活動に貢献していきたい。
︽註︾
小原秀雄︵一九九二︶『野生動物消費大国ニッポン』岩波書
︵1︶
店 六│八頁。
齋藤慶輔︵二〇一四︶『野生の猛禽を診る』北海道新聞社 ︵2︶
二四│二六頁、二八頁。
齋藤慶輔︵二〇一四︶前掲書 一五一│一五四頁。
︵3︶
︵4︶小原秀雄︵一九九二︶前掲書 五九│六〇頁。
︵5︶藤原英司︵一九七六︶『アメリカの野生動物保護』中公新書 一一四頁。
︵6︶齋藤慶輔︵二〇一四︶前掲書 二四九│二五〇頁。
︿寸評﹀
担当教員 岩佐 宣明
例年どおり、自分の考えを論理的に表現する力を身に
つけることを目標に授業に取り組んだ。まずはテキスト
を用いて日本語表現の基礎を学び、それをベースに春学
期後半から秋学期を通して、各自自由テーマでレポート
の作成に挑戦した。真剣に取り組んだ学生については全
員が一定水準のレポートを完成することができたと思
う。高尾さんのレポートはその中でも、議論の構成、文
献・資料調査、表現の明確さなどの点において、とくに
優れていたものの一つである。環境活動を「生態系」と
いう全体的・関係的視野の下で捉えるべきことが、齋藤
獣 医 師 の 活 動 紹 介 を 通 し て 説 得 的 に 示 さ れ て い る。 た
だ、こうした生態系という視点が、私たち一般人にも可
能な環境活動として最終的に提案される「環境に配慮し
た生活」の具体像とどう結びつくのか、もう一歩踏み込
んだ分析が欲しかった。今後の学問研鑚に期待したい。
7
「伝える力、伝わる力」
中 村 彩 乃
︵法律学科一年︶
人生を生きていく中で、鍛えれば必ず役に立つ力はたく
さんあるだろう。では、「伝える力」と「伝わる力」
。この
二つの力はどうだろうか。きっと聞かれることがなければ
考えることすらないこの二つの力は、私たちの生活の中で
当たり前に必要とされている。例えば友人と話す時、授業
を受ける時、アルバイトをしている時など、相手や状況は
違えど人とコミュニケーションを取る以上は多かれ少なか
れこの二つの力が働いている。そして私たちが生きていく
中で人とコミュニケーションを取ることは必要不可欠であ
る。つまり「伝える力」と「伝わる力」は鍛えれば必ず役
に立つ力なのだ。
そ も そ も「 伝 え る 力 」 と「 伝 わ る 力 」 と は 何 で あ ろ う
か。まず、私の考える「伝える力」は、相手や状況に応じ
てその場に最適なものを取捨選択出来る力である。「最適
なもの」とは、伝え方という木にある無数の葉の中から選
んでいくことである。伝え方にもたくさんの種類がある。
“言葉”、“文字”、“手話”といった「言語的」なものや、
“触れる”、
“表情”といった「非言語行動的」なもの、そ
して例えば、
“言葉”の中にも“タメ語”、
“敬語”などの
種類がある。その豊富に広がる伝え方の中から、いかに相
手や状況にあったものを選択出来るかが重要であるという
ことだ。就職の面接でヘラヘラ笑いながら面接官に向かっ
てタメ語で話す人間はまずいないだろう。この状況に立っ
たとき、私たちは自然と真剣な表情や面接官という相手に
対 し て し っ か り と 敬 語 で 話 す 対 応 力 が 求 め ら れ る。 し か
し、中にはこういったことができない人もいる。つまり、
相手や状況に応じた伝え方を自分の中でうまくコントロー
ルできないのだ。
「伝える力」において大切な要素がもう一つあ
ま た、
る。それは伝えたい事柄をいかに自分が理解しているかと
いうことだ。そもそも相手に伝えたいことを自分自身が理
解出来ていなければ、相手にうまく伝わらなくて当然だ。
ここで強みになるのが知識や経験だろう。知識は自身が理
解した上で成り立つものであるし、経験は自身にしか発信
できない情報の塊である。つまり経験に至っては自身の発
する情報が新たな知識にさえなる。こうしたことから理解
力も「伝える力」に直接大きな影響を与えていると考えら
れる。
次に「伝わる力」について述べていく。私が考える「伝
わる力」とは、伝わってくる情報に対してどれだけ自分と
の関係性を見出すことができるかということである。自分
との関係性は大きく三つのカテゴリーに分けることができ
8
る。一つめは社会的関係性、これは 発信源となる相手や
物事との“共有関係”や“環境”などから伝わることであ
る。二つめは心理的関係性であり、これは 発信源に対し
て 自 分 の 中 で 沸 き 起 こ る“ 興 味 ” や“ 関 心 ” の こ と で あ
る。三つめは本能的関係性で、これは発信される情報に対
して自分の感情なしで無意識に伝わることである。
例えば、A君とB君に同じ話をしたとしても、その話と
当人たちとの関係性の数がA君は二つ︵興味・関心︶であ
り、B君は五つ︵共有経験・環境・興味・関心・本能︶で
あれば、B君のほうが伝わる力はより強く働いていること
に な る。 つ ま り、 伝 え ら れ た 情 報 が 前 文 で 述 べ た「 関 係
性 」 に よ り 多 く 当 て は ま っ て い る ほ ど、 当 人 の「 伝 わ る
力」は強く働くと考えられる。
以上から「伝える力」では、相手や状況に応じて伝達方
法の取捨選択や伝えたい事柄をいかに理解出来てるかが重
要 で あ り、
「伝わる力」では、伝えられた情報に対してど
れだけ自分に関係性を作れるかが重要と考えられる。それ
では、「伝える力」「伝わる力」が足りないと思う人はどう
したらいいのか。おそらくこの問題にはたくさんの答えが
あ り、 何 が 正 解 か、 な ど と い う も の は な い と 思 う。 し か
し、私がこの問題を考えているときに見つけたある言葉の
中 に 一 つ の 答 え が あ る と 思 わ れ る の で、 そ れ を 紹 介 し た
い。
「大切なのは、疑問を持ち続けることだ、神聖な好奇心
を失ってはいけない」
これは天才と呼ばれるアインシュタインの言葉である。
もしかしたらこの言葉のままの意味なのではないかと思
う。疑問を持ち続けることでより多く、深くの物事に触れ
合うことができ、そこで得た情報や知識は自分の伝える力
の材料になる。また、好奇心を持つことは、つまり知らな
いことを知りたいと思う心であり、伝わる力においては重
「伝わる力」が足
要 な 要 素 で あ る。 以 上 か ら 「 伝 え る 力 」
り な い と 思 う 人 は、 物 事 に 対 し て 疑 問 を 持 ち 続 け る こ と
や、生きていく中で接するたくさんのことに好奇心や探求
心を持つことで、この二つの力を育成することが出来るの
ではないかと考える。私も「伝える力」
「伝わる力」を育
めるように、これからもたくさん自分自身を鍛えていきた
いと思う。
担当教員 佐々木 真
︿寸評﹀
この教養セミナーでは「伝える力、伝わる力」をテー
マ と し て、 春 学 期 に は「 読 む・ 書 く 」 力、 秋 学 期 に は
「聞く・話す」力を育成する演習を重ねてきました。特
に秋学期は各学生が三回の口頭発表を課せられて、良い
練習になったようです。
中村さんは「伝える力、伝わる力」というテーマにつ
いて、授業で学んだ内容から、どのような力が必要であ
るかを論じています。情報を「伝える力」として知識と
9
経験という情報源を持つこと、そして 適切な情報伝達
方法を選択することが重要だと述べています。中でも、
「経験は自身にしか発信できない情報の塊である」とい
う表現は経験の重要性を見事に指摘しています。また情
報を受け取る力としての「伝わる力」では社会的、心理
的、本能的の三つの関係性を情報発信源と自分との間に
構 築 す る と が 重 要 で あ る と 論 じ て い ま す。 こ の 観 点 に
よって情報の受信側のあるべき姿勢が見事に表現されて
います。
コミュニケーションというと、とかく「上手に話す」
ことばかりが注目されがちです。しかし、受け取る側の
積極的な姿勢、さらに送り手が情報内容を精査する必要
性があるということを意識することこそ、本当の意味で
コミュニケーションを成功させるために必要な能力と言
えるのではないでしょうか。
タイタニック号
︵
『ナショナルジオグラフィック』
四二∼七九頁を読んで︶
二〇一二年四月号
︵法律学科一年︶
吉 田 英 世
タイタニック号は、海運会社ホワイト・スター・ライン
が姉妹船のオリンピック号とブリタニック号と同様の設計
で建造した豪華客船である。他の船と正面衝突しても沈没
せず、ほぼあらゆる事故に耐えられるように設計されてお
り、前方の防水壁で隔てられた区画が四つか五つ水没して
も沈まない構造になっていた。しかし一九一二年四月一四
日午後一一時四〇分、横腹に氷山が激しくこすれるような
形で接触したとき、右舷側の船体が九〇メートルにわたっ
て損傷し、防水壁で隔てられた六つの水密区画に穴が開い
て、船全体に海水が流れ込む事態となった。この瞬間から
沈没は避けられなくなった。乗組員が左舷側の舷門を開け
たために、船体が傾き始めて、重い舷門を閉められなくな
り、沈没が速まった可能性もある。午前一時五〇分には、
舷門の出入り口から船内に海水が押し寄せていた。午前二
時一八分、最後の救命ボートが船を離れてから一三分後、
船首全体が海水で満たされ、船尾はスクリューが海上に出
るほど大きく浮き上がり、船の中央付近に非常に大きな力
10
がかかり、タイタニックは真っ二つに折れ、船尾から切り
離された船首は、垂直に近い形で、海底に向かって一気に
沈み出した。四月一五日午前二時二〇分、「不沈船」と呼
ばれたタイタニック号が大西洋の水深四〇〇〇メートルの
海 底 に 沈 み、 乗 員・ 乗 客 お よ そ 一 五 〇 〇 人 が 命 を 落 と し
た。
タイタニックが氷山に接触してから沈むまでの二時間四
〇分、船に乗っていた二二〇八人の一人ひとりが悲劇の主
人公となり、壮絶なドラマを繰り広げていた。女性と子供
が優先される救命ボートに乗り込むために、女装をした臆
病な男性もいたという。しかし、大半の人たちは名誉ある
最期を迎え、勇敢な行動をとった人も多くいた。船長はブ
リッジにとどまり、楽団は音楽を演奏し、無線通信士は最
後まで救助を求める信号を送り続けた。乗客たちのほとん
どは、同じ身分の人たちと行動をともにしていた。彼らが
人生の最後の時間をどう過ごしていたかは、洋の東西を問
わず人々の関心の的となってきた。
記事の筆者は、この大惨事で失われたのは人命だけでは
ないと指摘する。技術の進歩に対する信頼、このまま平和
な暮らしが続くのだという希望、未来への憧れもまた、タ
イタニックと命運をともにした。
「夢は姿を消し、代わっ
て不安や恐怖が社会に色濃く垂れ込めた」という筆者の言
葉は、タイタニックの最期が恐ろしいほど壮絶なものだっ
たということを意味している。
筆者は当初、本などでは、タイタニックが「滑るように
沈んでいった」と伝えられているので、静かに海底へ沈没
し た よ う な 印 象 を 抱 い て い た と い う が、 実 際 起 き た こ と
は、それとはほど遠かったようだ。残骸を詳しく分析した
長年のデータを基に、現代の造船に用いられる浸水パター
ンの最新モデルと、水温など細かな条件を指定したシミュ
レーションで解析した結果、タイタニックの息を引き取る
間際の苦痛のすさまじさが明らかになった。
これらの発見の中でも、最も心を動かされるのは、人と
のかかわりを感じさせる遺品である。一等船室の壊れたク
ローゼットに残る山高帽。探査機のライト映し出す洗面台
の鏡。別の一等船室には、ガラスの水差しとコップが洗面
台に置かれたままになっていた。無線通信室には、通信機
器が残っていた。若い通信士二人が沈没事故の前夜に改造
した変圧器もあった。二人は無線マニアで、決まりを無視
して、変圧器が最高出力で使えるように手を加えていた。
この違反行為のおかげで、七一二人の命が救われたのかも
しれない。というのも、変圧器がフル稼働できなければ、
SOS信号が届かず、客船「カルパチア号」が救助に来な
かった可能性があったからだ。「不沈船」タイタニック号
の沈没には、こうしたいくつかの物語があった。
タ イ タ ニ ッ ク の 最 期 が ど う い う も の か は、 映 画 を 観 て
知っていたけれど、この記事を読んでさらにすさまじいも
のだったということが分かった。タイタニックが沈んでい
11
く二時間四〇分という短い時間で乗員・乗客がどのように
行動していたのか、また、タイタニックがどのように沈ん
でいったのか、映画では分からなかった細かな部分まで記
載されていたので、読みながら涙腺が緩んでしまった。タ
イタニックとともに最期を迎えた人々はまさかタイタニッ
クが沈むとは考えていなかっただろう。しかし、悲劇は突
然起こってしまった。当たり前だと思っていた日常が奪わ
れてしまった。それは本当につらく悲しいことであり、当
たり前の日常があることに私たちは感謝しなければならな
いと思った。
担当教員 西谷茉莉子
︿寸評﹀
『ナショナルジオグラフィック』の
本 セ ミ ナ ー で は、
記事を読み、その内容を効果的に人に伝える訓練をして
いる。また、自身の興味の傾向を知ることも狙いのひと
つ で あ る。 そ の た め、 レ ポ ー ト 課 題 に お い て は、
『ナ
ショナルジオグラフィック』の過去数年分の冊子を手に
取り、気に入った号を選んで持ち帰り、記事の要約とそ
れに対する感想をまとめるという作業に取り組んでも
らっている。
吉田さんのレポートからは、課題に対する丁寧な取り
組みが伝わってくる。記事には、本文以外にも、写真や
図、キャプションなど、様々な形態の情報が載せられて
いるが、吉田さんは、隅々にまで目を行き届かせて、そ
れらの情報を整理している。また、映画をきっかけとし
て興味を持った歴史的事件を、事実に基づくデータで肉
付 け し、 頭 の 中 で 再 現 し て い っ た こ と も 窺 え る。 今 後
も、知的な話題の文章に触れ、日常生活で興味を持った
ことに対して、理解と考えを深めていく習慣を身につけ
てほしい。
12
韓非子の法家思想
小 塚 貴 弘
︵法律学科一年︶
韓非子に代表される法家の「法家思想」とは、人の善意
や道徳によることなく政治を行うという思想で、「法を定
めてそれに基づいて客観的統治をすれば、並の君主でも国
を治められる」という考えである。この「法家思想」は、
二千年以上前に生まれたが、私はこの思想が現代社会にも
通じており、君主は人間不信であるべきだということに特
に共感した。
韓非子の説く思想の中心には「信賞必罰」という考えが
ある。その喩えとして、冠係りと衣係りの話がある。冠係
りが、昭侯が酔って寝ていたので寒そうだと思い、衣を昭
侯にかけた。すると昭侯は冠係りと衣係りの両方を罰した
という話である。私はこの話を読んだ時、衣係りは昭侯に
衣をかけるという職務を果たすことができなかったために
罰せられるのは理解できる、しかし冠係りは寝ていた昭侯
のためを思い衣をかけたことで罰せられたのはおかしいと
思った。韓非子の思想の中心である「信賞必罰」とは、賞
すべき功績のある者は必ず賞し、罪を犯した者は必ず罰す
る、つまり賞罰を厳格に行うということである。冠係りは
衣をかけるという衣係りの職務をしたという越権行為の罪
に対して罰したということである。この話で韓非子が伝え
たかったことは、冠係りが昭侯に衣をかけて罰せられたの
ではなく、どんな理由があったとしても罪を犯したら必ず
罰せられるということなのである。
韓非子の説く君主としてのあり方を表した話がある。君
主 は 人 を 信 じ て は な ら な い、 そ も そ も 臣 下 は 君 主 の 力 に
よってやむをえず服従しているのであって、臣下を疑うこ
となく上に立っていると君主の地位を奪い取ろうとすると
いう話である。つまり、君主は自分の意図を隠して臣下の
行動を見きわめ、賞罰の権力を握って臣下を統率しなけれ
ば な ら な い。 人 は 利 益 と 恐 れ で 行 動 す る か ら、 賞 と 罰 に
よって君主の意図に官吏、民衆を導く。つまり、臣下は君
主の望む所を察知して行動しなければならないという、法
律の厳格な適用と「法術」による君主権の強化を強調した
話である。私がこの話で共感したのは、臣下は君主の絶対
的な権力によって従っているため、君主は臣下を疑わずに
信用してしまったら、臣下は権力を奪うため謀反するとい
う人の本質がよく現れている点である。
この時代に中国を統一した秦王の政はこのやり方で成功
を収めたのであるから、少なくとも戦国時代において最も
優れた政治のしかたは「信賞必罰」と「法術」であって、
君主は人間不信でなければならなかったはずである。
これに似た話が韓非子に一つある。棺を作る人は、早く
13
人が死ねばいいのにと思う。棺を作る人が悪い人であるわ
けではない。死ぬ人がいなければ棺が売れないからで、人
を憎むわけではなく、人が死ぬことで利益があるからであ
る。それゆえ、后妃や夫人、太子などが君主の死を望むの
は、君主が死ねば自分の勢威が重くなるからで、君主を憎
んでいるわけではなく、君主の死が自分の利益になるため
で、君主はそのような人々に気をつけなければならないと
いう話である。私はこの話が最も興味深いと思った。なぜ
なら、この話は二千年以上前に作られたものであるにもか
か わ ら ず、 今 で も 誰 も が 共 感 す る こ と が で き る か ら で あ
る。これを身近なことに例えると、学校に通っている人が
台風が来てほしいと思うことがある。台風によって怪我を
する人や被害をうける人がいるかもしれないが、学校が休
みになるという自分にとっての利益があるからである。こ
のような身近な例がたくさんあり、人間は利己的な生き物
だと感じさせられる。
話をもどすと、君主はいかに外に守りをめぐらせても、
実は自分にとって危険な人物は内部にいる、禍は自分の愛
している者に潜んでいる、臣下だけではなく身内が一番の
敵であると韓非子はいう。韓非子の言う通り、臣下が君主
の死を願うのは君主の死後、より高い地位に上がるため当
然のことだと言えるだろう。韓非子は、すべての人は利己
的であり、自分の利益を追求するので、君主は自分の死に
利益のある身内には注意せよという警鐘を鳴らしている。
韓非子の鋭い人間観察による巧みな喩え話は今でも人気が
ある。韓非子の法治思想によって成功を収めた秦王は、信
賞必罰の徹底によって富国強兵を実現し、歴史上初めての
中 国 統 一 を 果 た し て 始 皇 帝 と な っ た。 し か し 始 皇 帝 の 死
後、すぐに国は滅んだ。始皇帝を継いだ息子は法律を完璧
に施行することができなかったからである。結局、韓非子
の説く法治思想は、優れた君主でなければ実現できず、法
が滅べば国が滅ぶという結果でもあった。
私は韓非子の法治思想が二千年以上もの間人々を魅了し
続ける理由は、法律というどの時代にも存在してきたもの
の原点を示したこと、そして人間の本質は利己的であると
いうことが、どの時代の人々にとっても通じることだから
ではないだろうか。
担当教員 前山慎太郎
︿寸評﹀
こ の 授 業 で は、 秋 学 期 に「 諸 子 百 家 」 を テ ー マ と し
て、孔子・孟子・老子・荘子・墨子・韓非子・孫子など
代表的な思想家を紹介するとともに、その著作の名高い
部分を少しずつではあるが簡単に読んでみて、毎回それ
に対する自分の感想や考えを書いてもらった。それを基
として、期末にレポートにまとめることを課題とした。
授業の性格及び時間の制約のため、それぞれの思想に
ついて詳しく考えたり、「漢文」をきちんと読むという
ことはかなわなかった。しかし、「諸子百家」に触れる
14
ことによって、二千年以上も前に多様な思想が花開き、
それぞれの考えが現代にも十分通じるところが多く、現
在の社会を考える手掛かりとなることを理解し、それと
ともに、古典に親しむ楽しみを知ってもらいたいという
のが授業の目標であった。
小塚君のレポートは、その私の期待によく応えてくれ
た も の で あ り、 素 材 は 二 千 年 以 上 前 の「 古 典 」 で あ る
が、そこに現れている思想が現代にもなお有効であるこ
とを感じ取ってくれている。
ただ、小塚君は韓非子の人間はすべて利己的であると
いう主張に特に共感をもっているようであるが、始皇帝
の秦もそれだけでは永く続かなかった、歴史的に見ても
人に対する信頼も必要であったという面にも注意しても
らいたいとは思う。
少年法について
│少年法の年齢を引き下げるべきか│
︵法律学科一年︶
西 郁 也
一、はじめに
私は、現行の少年法に少し疑問を感じるところがある。
時代の流れに伴い、
「少年」という概念は昔とは変わって
いる。昔とは違って、一八歳以上の行動領域は拡大し、大
人と変わらない行動をしている。また最近では選挙権改正
により選挙権が一八歳に引き下げされ、一八歳以上が政治
参加することができるようになった。このように一八歳以
上の未成年者が大人と同等な扱いを受けているにも関わら
ず、いまだ少年法は一八歳、一九歳の者にも適用されてい
るというのはいささか違和感を覚えることがある。よって
ここでは現行の少年法の意義と少年法改正について論じて
いきたいと思う。
二、少年法制定の過程と意義
ここではまず少年法制定の過程を述べていく。現行の少
年法の目的は第一条で、「この法律は、少年の健全な育成
を期し、非行のある少年に対して性格の矯正及び環境の調
15
整に関する保護処分を行うとともに少年の刑事事件につい
て特別の措置を講ずることを目的とする。」と記されてい
る。その対象は、第二条で「この法律で、
「少年」とは、
二十歳を満たない者をいい、「成人」は、満二十歳以上の
者をいう」と定められている。この法律制定には戦争が深
くかかわっている。昭和二三年、当時の日本は第二次世界
大戦後の混乱の時期であり、食べ物が不足し、一日、一日
を生きてゆくために窃盗や強盗などをする孤児などが急激
に増大し、また少年が成人の犯罪に巻き込まれる事案が多
くなっていった。これらの非行少年を保護し、再教育する
ためを目的として制定されたのが現行の少年法である。し
かし現在は一般刑法犯の検挙人数において少年の人口比は
年々下がりつつあるものの、成人人口比と比較しても多い
ことが分かる︵図1︶。また凶悪な犯罪を起こしても、少
年法により、加害少年の保護は手厚いが、被害者や遺族な
どの救済には至らない現状がみられる。また近年社会問題
となっているイジメは犯罪の低年齢化を顕著に示すものと
なっているのではないだろうか。現在、少年の犯罪の凶悪
化が目立つことが指摘され、最近では少年に対する刑罰処
分の厳罰化が進められ、少年法の目的が今と昔ではかなり
変わっていると私は考える。
図1 少年非行の動向(出典:法務省「平成27 年度犯罪白書」
)
16
三、選挙権年齢引き下げに伴う少年法一八歳に引き下げに
ついて
二〇一五年六月一七日に、参議院本会議で選挙権年齢を
現在の二〇歳以上から一八歳以上に引き下げる改正公職選
挙法が全会一致で可決された。これにより二〇一六年夏の
参議院選挙からこの法が適用され、一八歳、一九歳の約二
四〇万人が新たに有権者になることが決まり、未成年者と
呼ばれた一八歳と一九歳の者も政治に参加することが認め
られた。また今回の法改正では、一八歳と一九歳の者の選
挙違反については成人同様に刑事裁判の対象となると定め
られている。一八歳と一九歳の者も成人と同等な扱いを受
けることを踏まえるならば、少年法においてもその対象年
齢を引き下げることは妥当な考えだと私は思う。確かにま
だ一八歳は自分自身で色々なことを判断する能力が不十分
なところもあり、経済的に親に頼ってばかりや、自分の行
動に責任をもって行動することがまだできていないという
ところもあると思う。そのような点では一八歳ではまだそ
れらを身につけるに至っていないと考える人も少なくはな
いだろう。しかし現代では高校を卒業して社会に出て「大
人」として働く人も少なくはなく、経済的自立や責任を持
つという観点からは「大人」として未成熟であるとは一概
には断言できないのではないだろうか。さらに現在の日本
は高齢化社会が深刻に進んでおり、今後の日本の将来を若
い世代の人達が担っていかなくてはならず、一八歳以上の
若者を政治的な面のみならず、経済的な面においても一人
前の大人として扱っていくことは、今後、日本の社会を活
性化させる原動力に繋がるのではないかと私は考える。そ
ういった点を踏まえて少年法の対象年齢引き下げは必要だ
と思う。また、刑罰の観点から見ても一八歳のうちから、
刑罰が大人と同等に扱われるということは、刑法の一般予
防の見地から若者の犯罪遂行の抑止にもつながるのではな
いかと私は考える。
四、おわりに
私は少年法の対象を一八歳に引き下げることについて、
まだ一八歳という年齢は今後いくらでもやり直せる年齢で
あるため、厳格な規制をすることが良いとは思わない。少
年法により保護処分を受けきちんと社会に出てやり直して
いる人もたくさんいるが、また同じような犯罪に手を染め
てしまう子供も少なくない。これらを踏まえると一八歳か
ら大人と同等な刑罰を適用することは、犯罪を抑止すると
いう点からすると賛成である。また選挙権年齢改正により
若者が社会に出て自分たちの意見が伝えられるようになっ
たことにより、未成年者の意見が政治に反映されるように
な っ た。 そ の た め 自 分 の 意 見 に 責 任 を 持 た な け れ ば な ら
ず、それを考えると少年法の対象年齢引き下げは、自分の
行動に責任を持つようになり、より一層犯罪が減少するの
ではないかと私は考える。以上の事を考慮して少年法の対
17
象年齢は引き下げるべきだと考える。
︽参考文献・参考ページ︾
・板倉宏 『「人権」を問う』音羽出版︵一九九八年︶
・井上正仁・山下友信編 『ポケット六法 平成 年版』有斐閣
・ 沢 登 俊 雄 『 少 年 法 ︱ 基 本 原 理 か ら 改 正 問 題 ま で 』 中 公 新 書
︵一九九九年︶ ・法務省 『平成 年版 犯罪白書』法務省ホームページ︵二〇一
五 年 七 月 一 三 日 取 得, http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/62/nfm/
︶
mokuji.html
27
︿寸評﹀
担当教員 松井 真一
本レポートは教養セミナーⅠの課題として提出された
ものである。教養セミナーⅠでは、レポートの書き方を
記したテキストを用いてレポートの構造を理解すること
につとめた。そのうえで、各自がレポートの執筆に取り
組んだ。西君のレポートは、
「少年法適用年齢引き下げ
の是非」という問を、少年法の意義や少年犯罪の現状、
そして選挙年齢引き下げとの整合性の観点から検討し、
少年法適用年齢を引き下げるべきとの結論を導き出して
いる。問いの答えを導き出すために多方面から検討し、
自分の意見として表明する姿勢は学術的な営みの基礎と
して高く評価できる。少年法の適用年齢の引き下げには
反対意見も多数あることから、それらの意見についても
検討したうえで結論が導かれていればさらに良いものが
出来上がったように思う。ただし、一年生の春学期の時
点でそこまでの検討を求めることは酷であり、この不足
部分が彼のレポートの評価を貶めるものではない。西君
にはレポート執筆を通して身につけた論理的に考えてい
く力を今後さらに伸ばしてくれることを期待している。
18
27
十八歳から選挙権が
与えられることについて
太 田 龍之介
︵商学科一年︶
平成二七年六月一七日に十八歳から選挙権が与えられる
ことが国会で可決された。私はこの決定について、成人年
齢も十八歳に引き下げることを条件として賛成である。以
下、その理由について詳述する。
今回、選挙権年齢が引き下げられた理由として、参議院
のホームページには以下のように記述されている。「世界
の九割の国の選挙権年齢が十八歳以下である。また、若年
層の政治参加が進むことで若年層の投票率が向上し民主主
義の土台が強化されることを期待するとともに、財政再建
などの中長期的な諸課題の解決に若年層の声がよりいかさ
︵1︶
れることになると考えた」
つまり、今回、日本の選挙権年齢が十八歳に引き下げら
れた理由は、世界の大半の国の選挙権年齢が十八歳以下だ
からであり、また、それは若年層の政治参加を推進し、投
票率を上げるための政策の一つだからというわけである。
実際、「二十代の投票率は三割程度、三十代は四割、四十
代は五割、五十代は六割、六十代は七割、七十代以上は六
︵2︶
割であり、全体の投票率は五割ほど。
」である。年齢が若
くなるほど投票率が低くなっているのだ。
この参議院の考え方には納得できる点とできない点があ
る。
まず、上記ホームページに記述されている一つ目の理由
「世界の九割の国の選挙権年齢が十八歳以下である」の部
分だ。この部分は、
「だから日本も十八歳にまで下げるべ
きだ」と主張する理由にはならないと考える。世界の多く
の国が十八歳以下だからといって、一概に日本も十八歳に
するべきだというのはおかしい。民族性の違いもあるだろ
うし、世界は世界、日本は日本ではないだろうか。ここが
私にとって納得できない点だ。
しかし、参議院のいう理由には納得できないものの、選
挙権年齢を十八歳に引き下げること自体には特に異論はな
い。老年層の投票率が高いため老年層の声が政治に大きく
反映されている今、若年層の有権者の幅を広げ、若年層の
声を政治により活かすようにするという参議院の考えには
納得できるものがある。十八歳と言えば高校三年生にあた
る年で、ちょうど選挙や国の仕組みについて授業で習う時
期だ。その時期に選挙が行われれば政治参加の意欲が湧く
の で は な い だ ろ う か。 そ う な れ ば 若 年 層 の 投 票 率 も 向 上
し、若者の声も反映されやすくなるだろう。
ただし、その際には、学校の中で政治的な内容が持ち出
される場合の取り扱いが問題となるだろう。教師が偏った
19
思想を授業で持ち出し、何も知らない生徒がその思想に影
響されるかもしれない。生徒がその偏った思想に影響され
た場合、選挙は公平なものとはならない。そのようなこと
にならないために、教師に対し、今まで以上に徹底した公
平な授業をするように求めることが大切だろう。
ところで、このような選挙権年齢の引き下げに関して以
下のようなことも考えていかなければならない。それは、
成人年齢との関連性だ。現在、日本の成人年齢は二十歳だ
が、選挙権年齢だけが十八歳まで引き下げられることは妥
当だろうか。成人とは自分で自分に責任を持つことができ
る、持たなければいけない年齢である。身体的、精神的に
成熟すると認められている年齢だが、成人年齢が二十歳の
ま ま で、 選 挙 権 が 十 八 歳 ま で 引 き 下 げ ら れ る と す る な ら
ば、選挙権は身体的・精神的に成熟していない者に与えら
れることとなる。自分自身の責任はまだ持たなくても良い
が、国の行く末を決める選挙については判断を下せ、とい
うのはおかしくはないだろうか。
従って、私は、選挙権年齢に合わせて成人年齢も引き下
げなければ妥当ではないと考える。この意見に関しては当
然反対意見も出てくるだろう。たとえば「日本の将来につ
︵3︶
いて、きちんと判断できるとはとても考えられない」とい
う よ う な 意 見 で あ る。 こ の 人 は、
「まじめな学生もいた
が、現職の総理大臣の名前も知らない、授業中にスマート
フォンで友人とのやり取りに没頭する、そんな学生たちに
悩 ま さ れ た も の だ 」 と、 自 身 の 経 験 を 踏 ま え た 意 見 を 出
し、選挙権年齢の引き下げを批判している。
しかし、では逆に問いたいが、今選挙権を得ている人た
ちは二十歳の誕生日を迎えた瞬間に成人としての自覚が芽
生えたのだろうか。二十歳を迎えていない人でも立派な人
はいるし、二十歳どころか、三十歳、四十歳を越えた人で
あっても大人としての自覚のない人もいる。むしろ成人年
齢を引き下げることにより、早めに社会人としての自覚を
持ってもらうことができるのではないだろうか。十八歳は
高 校 生・ 大 学 生 で あ り、 そ れ を 意 識 さ せ る 機 会 は 多 く あ
る。
以 上、 今 回 の 選 挙 権 年 齢 の 十 八 歳 へ の 引 き 下 げ に つ い
て、多角的な面から考察した。私は、選挙権年齢を十八歳
に引き下げるだけではなく、成人年齢も十八歳に引き下げ
て、責任を持って投票してほしいと考える。十八歳から選
挙権を与えるということは若年層の投票率を上げられる可
能性もあるので、今回の十八歳への引き下げは妥当である
と考える。
︽註︾
︵1︶ http://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_
chousa/backnumber/2015pdf/20151001003.pdf
︵2︶ http://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/news/sonota/
nendaibetu/
20
︵3︶ http://president.jp/articles/-/15517
︿寸評﹀
担当教員 河野 敏宏
今年度の教養セミナーⅡでは、二つの文章執筆練習を
した。ひとつは「十八歳から選挙権が与えられることに
ついて」という共通テーマによる文章練習であり、今年
七月に実施される参議院選挙から適用される十八歳選挙
権の是非について、賛成・反対いずれの立場で向かい合
うべきかを述べてもらった。また、もう一つは、各自が
自由に何らかのテーマを設定し、自分なりの考えを述べ
てもらった。選挙権のテーマは、賛成・反対いずれの立
場にも強い理由があり、どちらの立場に立つべきか、全
員かなり執筆に苦労したようである。
太田君の文章は前者のテーマに基づくものである。選
挙権の十八歳への引き下げに賛成するとした上で、その
理由を述べている。選挙権年齢の引き下げについては、
多くの国々の実態に合わせることをその理由とすること
が多いが、太田君は、そうした考えに追従するのではな
く、若年層の政治への参加促進の観点から賛成理由を説
明している。また、成人年齢との整合性も論じており、
論理的で説得力のある文章となっている。今回の文章練
習は、賛成・反対のいずれであるかを問題とするのでは
なく、その論理性のありかたを練習するものであった。
太田君の文章はその目的を十分に達しているものといえ
よう。
今後もこのような視点をもって様々な事象を考察して
いってほしい。
21
十八歳から選挙権が
与えられることについて
小野田 有 記
︵商学科一年︶
二〇一五年六月一七日に、十八歳から選挙権が与えられ
ることが国会で可決された。
私は、この決定について反対である。
現在の十八歳以下の人々は、同じような世代の立場から
見ると、大半の人々が政治に関しての知識、関心はなく、
はっきり言って、どうでもいいというような考えの人が多
いように思える。実際に、首都圏の十五歳∼十九歳の高校
生の、選挙権年齢引き下げに関する政治意識を調査した結
果をまとめた「[簡易版&暫定版]学生による政治意識調
︵注︶
査報告書」というサイトを参考にすると、有効回答数四三
八人のうち三〇七人、つまり約七割の人が政治、選挙につ
いて「何とも思わない」と答えている。そんな状況で、い
きなり選挙権が与えられたとしても、今まで政治に関心、
興味もなかった人々の一票が、果たして、わざわざ選挙権
年齢を引き下げてまで行うほどの有用性を持つのだろう
か。
もちろん、選挙権年齢引き下げについて賛成の意見を持
つ人の中には、今の日本の政治に関して、不満や疑問だら
けで、大袈裟ではあるが、自らの投票によって国を変えた
い、というような気持ちを持っている人もいるであろう。
しかし、彼らの、政治的に非常に取り込みやすい少数の意
見を得るために、選挙権年齢をわざわざ十八歳まで引き下
げる必要があるのだろうか。
これは非常に勝手な考えかもしれないが、政治に特に関
心もないような「未成年」に対して、あまり大人からは支
持をされないような候補者が、もっともらしいことを言っ
て、まあ、この人でいいかというぐらいの気持ちでの、非
常に意味を持たない一票を投票させ、数を得るというのが
狙いのようにも思える。そもそも、現在二十歳以上で選挙
に来ていない人々を全員参加させる努力をした方がいいの
では、と思ってしまう。
今回、選挙権年齢が十八歳に引き下げられたのには、政
府の様々な狙いを見ることができる。若者の政治意識を高
めて社会的な役割を担わせるため、社会的な責任感を高め
させ若者の政治離れに歯止めをかけるため、年金など世代
間の不公平や将来の負担増などについて若者の多様な意見
を政治に反映させるため、といったような理由が主に言わ
れている。
このような理由は、政府の考えることとしては不思議で
はない。しかし、この他にも、海外に影響を受けたという
ようなことも言われている。現在、日本の選挙権年齢は二
22
十歳であるが、大半の国は十八歳である。よその国は、そ
の国独自の理由があって十八歳を選挙権年齢に設定してい
るのであろう。しかし、海外に合わせて日本が選挙権年齢
を下げるというのはどうなのか。政治というものは、国ご
とで事情も大きく異なるので、日本は日本独自の考え、文
化に基づいて考えるべきである。
さらに、今回の選挙権年齢引き下げに関しては、以下の
ような点も考えてみなければならない。それは、成人年齢
そのものの引き下げとの関係である。現在の日本の成人年
齢は二十歳であるが、選挙権年齢だけが十八歳に引き下げ
られることは妥当だろうか。今回、選挙権年齢を引き下げ
る目的が、若者の政治意識を高めたいということなのであ
れば、それは妥当ではないように感じる。いきなり選挙権
を十八歳に引き下げるのではなく、まず、十八歳を成人と
いう立場において社会的な一員としての責任感を持たせて
から、その上で選挙権を与えて、意識や責任を高めればい
いのではないだろうか。成人の立場でない状態で、選挙権
だけを与えられただけで意識や責任というものは育つもの
ではない。
以上、今回の、選挙権引き下げについて、多角的な面か
ら考察した。
十八歳から選挙権を与えることについては、政治的意識
や関心のない未成年に選挙権を与えても結局中途半端な考
えで投票してしまう、もしくは投票に行かないということ
が起こりうるという悪い面がある。また、社会的意識、責
任感を高めたいのであれば、成人年齢自体も引き下げない
と意味がないという面もある。こうした意見を踏まえて、
やはり、今回の十八歳への引き下げは、妥当ではないと考
える。
︵注︶
︹簡易版&暫定版︺学生による政治意識調査報告書
︵択一式・返信で回答︶
調査手法 アンケート︵選択式︶、 LINE
調査対象 首都圏二三校の高校生︵一五歳∼一九歳︶
回答率 五〇五名の高校生にアンケートを依頼し、四四〇名の回
答を得た。回答率は八七・一三%である。
目的 一八歳選挙権について議論がなされる中、被選挙権の高校
生がどのような政治意識を持っているのかを明らかにするこ
とを目的としている。
Q1 選挙という言葉を聞くと、どんな感情を抱きますか︹有効
回答数 四三八︺
①いい感情を抱く 八二人︵一八・七二%︶
②悪い感情を抱く 四九人︵一一・一九%︶
③何とも思わない 三〇七人︵七〇・〇九%︶
「 http://senkyowari.com/%E7%B0%A1%E6%98%93%E7%8
URL:
9%88%E5%AD%A6%E7%94%9F%E3%81%AB%E3%82%88%
E3%82%8B%E6%94%BF%E6%B2%BB%E6%84%8F%E8%AD
%98%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E5%A0%B1%E5%91%8A%
」
E6%9B%B8/
23
︿寸評﹀
担当教員 河野 敏宏
小野田君の文章も一つ目のテーマによるものである。
小野田君も、太田君同様、他国の実態に追従する必要は
ない、と主張し、選挙権年齢と成人年齢との整合性を論
じている。しかし、その結論は正反対である。同じ年齢
の 若 者 二 人 が、 同 じ テ ー マ を 論 じ て い る に も か か わ ら
ず、その見方がまったく異なる、という事実は、この選
挙権年齢引き下げというテーマが極めて多面的なもので
あることをよく示している。小野田君は、太田君とは異
なり、十八歳では責任を持って選挙に関われない不安を
主張している。この主張は、ある調査データに基づくも
のであり、これも論理的で説得力のある文章となってい
る。小野田君の文章もまた、本授業の目的を十分に達し
ているものといえよう。
小野田君もこのような視点を今後も保持して様々な事
象を考察していってほしい。
環境問題は誰のために
解決するのか
今 町 優 汰
︵商学科一年︶
宇宙は遠く一三七億年前に誕生したと言われている。そ
して四六億年前に、微惑星の衝突と合体を繰り返すことに
よって原始地球が生まれた。双子星とさえ言われる金星と
は違い、地球には雨が降り気温が下がり、川や海が形成さ
れ、生命が生存できる環境が整った奇跡の星になった。こ
の地球のような環境を持つ星は、宇宙広しと言えどもそう
多いとは言えないようである。今ここに、私たちが生きて
いることに感謝しなくてはならないという気持ちになる。
そんなかけがえのない地球に対して、私たちは常に畏敬の
念を抱き続けてきたであろうか。
二酸化炭素やメタン、亜酸化窒素などの地球温暖化ガス
の排出により、依然として地球温暖化の深刻さは増してい
る。 科 学 技 術 の 進 展 に よ り 私 た ち の 生 活 は 豊 か に な っ た
が、そのために自然を破壊し、多量の温室効果ガスを排出
し続けてきたのである。そんな行為に地球に対する畏敬の
念は感じられず、ちょっとくらいならさほどの影響はない
という過信が感じられる。
24
環境問題解決への取り組みがなされるようになったの
は、およそ一九七〇年代に入ってからだと言ってよさそう
である。それ以前にも公害問題対策は講じられてきたが、
国際的な協力のもとで問題解決に乗り出したのはこの頃で
ある。私たちも小学校時代から授業の一環として「地球の
清掃活動」と称してクリーンアップ活動、環境再生活動を
してきた。いわゆる「ECO」の精神はその頃から私たち
の世代にも染みついてきている。このように一人ひとりが
環境問題の解決に取り組もうとするローカルアジェンダも
必要であるが、より大きな成果を得るためには国全体、世
界をあげての取り組みが必要不可欠である。毎年末に開催
される気候変動会議では各国の思惑が複雑に関連し、なか
なか進展していないが、原点に立ち返って積極的な問題解
決に取り組んでほしいものである。
そ も そ も、 環 境 問 題 解 決 が 必 要 な の は 何 故 な の だ ろ う
か。だれのために環境問題を解決しなくてはならないのだ
ろうか。よく「地球のため」と聞くが本当なのだろうか。
地球が滅びるときとは一体どういうときだろうか。既に地
球は壮年期をむかえており、何もしなくても約五〇億年後
には巨大化した太陽に飲み込まれて滅びると言われてい
る。また、地球の直径の三分の一以上のクレーターを形成
するような巨大隕石の衝突により、地球は滅びるとも言わ
れている。およそそれ以外に、地球が滅びることはない。
地球という星は想像以上にタフだ。北極と南極が極寒であ
ることは言うまでもないが、かつて地球は赤道付近まで凍
結する全球凍結の時代を経験したことがわかっている。地
球上どこへ行っても極寒という時代だ。そんな地球にとっ
て現代の温暖化はたいした問題ではなさそうだ。では、地
球温暖化によって深刻な影響を受けるのはだれか。まぎれ
もなく、人類を含む多種多様の生物たちである。環境問題
解決は、地球のために行うのではなく、私たちのために行
う の で あ る。 地 球 温 暖 化 の 原 因 を つ く っ た の は 人 間 で あ
り、甚大な影響を受けるのもまた人間である。そして解決
をすべきは、まぎれもなく人間というわけだ。そして、人
類の同居人である多種多様な生物たちは甚大な迷惑をこう
むっているというわけだ。人類は、地球の循環系の中に組
み込まれることによってここまで進化してきた。しかし一
方で、人類が滅亡しても地球にさほどの影響はないのだろ
う。だからこそ私たちは、私たち自身の存在意義を充分に
認識し、この地球にこれからも住まわせて頂くためにも、
全世界で協力をして問題解決に取り組まなければならな
い。
担当教員 城 貞晴
︿寸評﹀
本講義は「太陽系とはなんだろうか」と題し、主に太
陽系諸天体を紹介し、地球環境問題をグローバルな視点
から考察してもらうことを一つの目的としました。本稿
著作者の今町君は、一年にわたり非常に熱心に本講義を
25
受講しました。また極めて成績優秀であり、教科を問わ
ず、いわゆる学ぶ姿勢が身についています。今後の活躍
が大いに期待されます。
今町君は、環境問題がだれのためにあるのかという原
初的な視点に立ち戻って考察しました。よく知られてい
るように『Time』誌は例年「パーソン・オブ・ザ・
イヤー」を選定しています。一九八八年に「危機に瀕す
る地球」が選ばれ話題になりました。講義で八九年の年
頭号表紙を示して環境工学のイントロダクトリーとしま
したが、今町君はここに着目し、環境問題が地球の危機
につながるのではなく、人類をはじめとする多種多様な
生物の生息環境の危機につながると解釈しなくてはなら
ないことに気付き、本原稿を執筆しました。私たち人類
が、地球の循環系の中のかけがえのない存在として、地
球それ自体に認められているうちにこの問題を解決しな
ければ、人類を必要としない新たな循環系へシフトする
恐れがあります。早期の解決が望まれます。
「読む」ということ
宇 野 綾 華
︵商学科一年︶
近年、若者の活字離れが起きているとよく耳にする。こ
の現象を極めて深刻な問題だと、私はとらえている。はる
か昔の地球に生を受けた人類は、その進化の過程で言語を
手に入れ、互いの意思の疎通を可能にした。やがて文字が
うまれ言語も多様化していったが、世代を超えて、確実に
脈々と後世に受け継がれ、現在に至っている。文字による
意思伝達と会話による意思伝達には、決定的な違いが二つ
ある。それらは、
「 相 手 に 表 情 が 伝 わ ら な い こ と 」 と「 後
世に意思を伝達できること」である。
相手に表情が伝わらないということは、一見大きなデメ
リットのように思えるかも知れないが、私はそうは思わな
い。相手の意思が文字の羅列として眼前に現れ、それを読
んだとき、読み手は何を感じるだろうか。少なくとも何も
感じないということは有り得ないと確信する。書き手が主
張したいこと、伝えたい気持ちなど、様々な著者の意図を
探りながら読むはずだ。更に、書き手の表情が伝わらない
分、文字から言葉から書き手の表情を憶測し、意思をくみ
取ろうとする。そのような経験の積み重ねによって、相手
26
の心情を察する能力が磨かれていくのではないかと思う。
また、後世に意思を伝達できるということは、同時に、
先人たちの意思を時間を超えて直接に受けとることが出来
ることを意味している。私たち人類の文化的な営みは、過
去から現在へと積み重ねるようにして発展してきた。そし
てまた未来へと積み重ねていくべきものなのである。過去
の人たちが書き遺した文書を読むということは、過去を知
り、現在をよりよくするためにこれを活かし、未来に繋い
でいくために必要なことだと思う。
「読む」ことをしないということは、相手の心情を理解
する能力を伸ばすチャンスをみすみす逃し、過去から受け
継がれてきたリレーのバトンを受け取らないことに等し
い。「読む」ことをしない人間が増えている現在から、明
るい未来へとつなげることができるだろうか。
担当教員 城 貞晴
︿寸評﹀
本講義は「太陽系とはなんだろうか」と題し、主に太
陽系諸天体を紹介し、地球環境問題をグローバルな視点
から考察してもらうことを一つの目的としています。し
かし、知の旅立ちの原稿のテーマ設定については、原則
として幅広くどのようなものでも構わないことにしてい
ます。本稿著作者の宇野さんは「読む」ことをテーマに
選定して、率直な思いを表現しました。なお「読む」こ
とについては、本講義時に本や新聞を読むことを積極的
に推奨し、特に講義開始時に話題の書籍や新聞記事を紹
介するようにしています。
現代人の読書量は確かに減少しているようです。昨年
秋ごろに、その一因は教科書指定をしない大学講義が増
加していることにもあるとの新聞記事に触れました。こ
れは甚だ深刻な問題だと感じました。一方で、同様に昨
年秋ごろに、近年の日本人ノーベル賞受賞者ラッシュの
一因を「幼少より読書を推奨してきた成果だ」と評する
海外メディアのコメントにも触れました。
日本の幼年期からの徹底的な識字教育は、世界に誇れ
るものです。この伝統を活かすも殺すも私たちの大学教
育にかかっているといって過言ではないと思われます。
「 読 む 」 こ と に つ い て 熟 考 し、 分 析 で き る 宇 野 さ ん を は
じめとする有能な学生諸君が在学している本学の未来は
明るいと信じたいものです。そして、宇野さんをはじめ
とする未来ある全ての若者が、本学で培った力を世界で
いかんなく発揮してほしいと切に願います。
27
宮沢賢治の作品に触れて
山 田 菜 央
︵商学科一年︶
秋学期の教養セミナーでは宮沢賢治の作品について学び
ました。
セミナーで初めて読んだ作品は『虔十公園林』でした。
この作品を読み終えて方言がずいぶんと多い物語だな、と
思いました。一回流し読みしただけではうまく自分の中に
入ってきませんでした。
虔十はいつもへらへら笑っていて、近所の子たちから馬
鹿にされています。ある日突然家の裏にある野原に杉を植
えたいと言いだし、いままでわがままを言ったことのない
虔十に虔十のお父さんは杉苗を買うのを許可しました。と
ころが土壌が悪く五年目まではきちんと育っていましたが
それ以降は九尺ほどしか丈はのびませんでした。枝打ちを
したところ杉の木の間を子供たちが行進していて、それを
見た虔十は自分のものが使われていると喜びました。毎日
毎日子供らが集まっていて、集まらない日は雨の降る日だ
けでした。たまたま平二に出会った朝、虔十は平二に対し
て逆らいました。杉は絶対に伐らないと言ったのです。こ
れが虔十の一生の中で、最初で最後の逆らいでした。しば
らくしてチフスという病気にかかり虔十は亡くなってしま
います。
二十数年が経ち、虔十の住んでいた町に一人の若い博士
がアメリカから帰ってきてまだ虔十の作った杉があること
に気が付きます。虔十のお父さんが必至に守り抜いてきた
おかげで時が経っても木は生き続けていたのです。
虔十は杉苗を植えた当時、まさか虔十公園林と名付けら
れるなんて思ってもいなかったでしょう。わたしだってそ
の立場であっても一ミリたりとも考えられないと思いま
す。そもそも自分が死んでしまったあとも何年も、何十年
も残っているなんて誰が思うでしょうか。
最初にセミナーで配った作品だったし宮沢賢治にも興味
もあり家に帰ってから『虔十公園林』について調べてみる
と虔十が軽い知的障害を持った人間であることがわかりま
した。当時は現代よりも障害を持つ人に対しての偏見が多
かったようでこのお話を通してハンディキャップを持って
いても少し補助をしてあげるだけで社会に貢献できること
を世の中に知らせていたのだと思います。障がい者に偏見
を持たないひとは少なからずいるとは思います。そういっ
た偏見をなくそう、とか、かわいそう、とかいう気持ちを
この話を通じてしているわけではないと思います。
虔十がなぜ突発的に杉を植えたのかはわかりませんが、
どんなに貶されても折れることなく反抗してまででも大事
にしてきたものを子供たちが使ってくれて虔十の苦労も報
28
われるなと感じます。
六作品ほど授業の中では学んできましたが、私が一番好
きな作品は『蛙のゴム靴』です。登場するカエルたちは三
疋そろって雲を見ていたり雑談をしていたり初めはかわい
いとは思いましたが物語を読み進めていくにつれてあまり
賢 く は な い な と 思 っ て し ま い ま し た。 カ ン 蛙 は カ ン 蛙 で
せっかくゴム靴を持ってきてくれた苦労を重ねた野鼠が
怒っている理由も分かっておらず、ブン蛙もベン蛙も嫉妬
でひとやひとの持ち物を平気で傷つけるし、ルラ蛙はゴム
靴を履いていないと自分が婚約者と決めた相手も覚えてい
ないし⋮⋮。けれどこの作品が自分の中で一番共感できる
部分が多かったです。
カン蛙の一番の失態は婚約者に決められて浮かれてブン
蛙とベン蛙を結婚式に呼んでしまうところかな、と思って
いたけれど読み返してみたらそもそもゴム靴を手に入れた
瞬間なのではないかと考えました。そしてまたそれをブン
蛙たちにご丁寧に披露してしまうのです。
ブン蛙とベン蛙は嫉妬の塊です。ゴム靴が欲しいもんだ
と話をしたあとにカン蛙が苦労して︵本当に苦労したのは
野鼠ですが︶手に入れたゴム靴を気に食わないからといっ
てゴム靴を履いたカン蛙を萱の刈跡に連れ出しわざと歩き
回って壊してしまうのですからそうとうひねくれていると
思います。
ルラ蛙もルラ蛙でどうなのでしょうか。出会ったその日
にゴム靴を履いているだけで婚約者を決めてしまうなん
て、そして次に会ったときは自分で決めた婚約者の顔も覚
えてないときました。もう少ししっかりしてほしいなと思
いました。
最終的にはブン蛙とベン蛙の仕掛けた罠によってカン蛙
と二疋共々穴の中に落ちてしまいますがルラ蛙の父によっ
て助け出され、それぞれ改心します。一度痛い目を見ない
と改心しないのは人間も蛙も同じでしょうか⋮⋮。悲しい
性です。授業で作品に触れた中で人間らしい話だなと思い
ました。主人公、登場人物は蛙でしたが。
自分自身では本は読む方であると思っていますが宮沢賢
治の書いた本は『やまなし』と『注文の多い料理店』
『な
めとこ山の熊』くらいしか読んだことがなかったので今回
この教養セミナーで宮沢賢治の書いた本をたくさん知るこ
と が 出 来 て よ か っ た で す。 宮 沢 賢 治 は 物 語 だ け で は な く
『雨ニモ負ケズ』などの詩も書いているのでそちらもぜひ
読んでみたいと思います。
昔の人が書いた作品は自分にはハードルが高いとどこか
敬遠している部分がありました。少し難しい言葉で書かれ
ていても、たとえそれが日本語で書かれたことのないもの
でもその作品の「伝えたいこと」である本質は変わらない
と思います。
29
︿寸評﹀
担当教員 田中 泰賢
教養セミナーで宮沢賢治︵一八九六│一九三三︶の作
品を読んだ。そうしたら想像以上に日本語が読めないこ
とがわかった。宮沢賢治の時代の旧字体、彼独特の表現
の仕方も読みを難しくしているだろうが、それだけでは
ないように思える。だから意味の分らない言葉、読み方
が分らない言葉は辞書を引いて理解するようにうながし
た。
そうした中で山田さんは真面目に取り組んだ学生であ
る。彼女は読んできた宮沢賢治の作品の中で、共感する
ところが多い『蛙のゴム靴』が一番好きだという。作品
では蛙の軽率な行為、嫉妬心によって騒動が起きてしま
う。彼女はそれを悲しい性と位置付けている。しかし最
後は蛙が助けられることによって改心していく。その人
間らしいところにほっとするからであろう。
虔十公園林
古 田 貴 大
︵商学科一年︶
この物語のストーリーは、生きているうちは周りにばか
にされ、誰にも認められることがなかった知的障害者の虔
十だったが、その虔十の植えた林が町の皆にとっての憩い
の場所となったというもの。
この作品での障害者の扱いは、“知的障害者を大切に”
や“平等に”といった大凡の道徳の場で、語られ、教えら
れるような内容ではない。
障害のあるスポーツ選手が活躍してメディアに取り上げ
られ、すごいと言われる。毎年数回放送されている二十四
時間テレビでは障害者の活躍に重きを置いたお涙頂戴のな
んちゃって感動ストーリーの垂れ流し。このような障害者
の活躍に対して障害を持っていない人にとってはどのよう
に映るのか。
「障害があるのにえらい!」
「障害があるのに
一 生 懸 命 だ か ら 感 動 す る!」 だ ろ う か? も し そ の 様 に
思ったり感じたりしてしまうのなら、根底にある意識は障
害者に対する先入観があると言える。障害者に対する意識
の分水嶺とも呼べるのだが障害者を障害者だからと括るの
ではなく一人の人間として努力を認め、労ることが大切だ
30
と思う。
この作品のテーマを考えたのだが何回か読み返している
内に色々な読み方が可能で感じ方もその都度変わったので
テーマを一つに絞るのは難しいと思った。
虔十を見守る両親の姿には家族愛を感じた。今まで一度
もおねだりをしたことがない虔十だったが杉苗七〇〇本を
買いたいという望みを深い理由を聞くことなく承諾した父
はどのような心境だったのだろうか? 虔十が何故杉苗を
欲していたのかは分からない。しかしおねだりを一度もし
たことがないという息子に何か前向きな虔十の気持ちを汲
み取ったように思える。ここに家族愛の行間を読むができ
た。
そして本作品で私にリアルに感じさせた部分がある。そ
れ は 平 二 と い う 人 物 の 存 在 だ。 こ の 人 物 は 作 中 で は い じ
めっ子として登場していて虔十に対して「虔十、きさんど
ごの杉伐れ」「おらの畑ぁ日かげにならな」などの言葉を
浴びせる。このいじめっ子といじめられっ子という構図は
今の世の中では珍しくないしニュース等で頻繁に目にす
る。この構図に作品のリアルさを感じた。だが虔十と平二
という人物の間で一番リアルに感じさせたのはいじめっ子
いじめられっ子という構図ではない。
日照権というのを知っているだろうか? 日照権とは建
築物に対する日当たりや風通しなどを確保する権利を意味
する。都市部を中心に、高層住宅の建築によって低層の建
築物に居住する周辺住民の日照がさまたげられるという問
題から提唱されるようになった。
畑は建築物ではないし杉の木も高層住宅ではないが日照
権をめぐるトラブルの事例として畑を所持している人も何
人か存在している。
「おらの畑ぁ日かげにならな」という
平二の言葉からこの日照権の侵害について思い浮かんだ。
このやり取りこそが本作をよりリアルにさせドロドロな問
題に対してアプローチしてある点で感心した。しかも本文
で は 続 き が あ り「 杉 の 影 が た か が 五 寸 も は い っ て は ゐ な
かったのです。おまけに杉はとにかく南から来る強い風を
防いでゐるのでした。
」とある。一寸は約三・〇三㎝であ
る。つまり五寸は約一五㎝。更に杉は南からくる強い風を
防いでいる。平二の畑にとって虔十の植えた杉の木の存在
はメリットのほうが大きい。しかし平二は「伐れ、伐れ。
伐 ら な ぃ が。
」と言っている。クレーマーなのだ。この辺
も日本のクレーマー文化を彷彿させるためより作品をリア
ルにさせていると言える。
皆にばかにされていた虔十だが死後二十年にして彼の植
えた杉の場所は皆に売れ売れと言われていたがアメリカに
ある大学の教授になっている人物からの提案で公園になっ
た。それがタイトルにもなっている虔十公園林だ。そして
この公園からも現代の問題を考えることができる。
今の世の中では公園が少なくなりビル等の建築物が多く
なってきている。子供たちの遊ぶ場所がアウトドアからイ
31
ンドアに変わりつつあるがそれでも公園で遊ぶ子供もいる
訳で公園は必要である。公園は遊びの場としてだけでなく
夏の盆踊りの会場や秋の町内運動会の場となるかもしれな
い。本文では「公園林の杉の黒い立派な緑、さわや︹か︺
な匂︹、︺夏のすゞしい陰、月光色の芝生がこれから何千
人の人たちに本統のさいはひが何だかを教へるか数へられ
ま せ ん で し た。
」 と あ る。 こ こ で 注 目 す る べ き と こ ろ は
「何千人の人たち」という部分だ。何千人の「子供」たち
と子供に限定をした書き方をしていない。そのため虔十公
園林は今挙げた地域にとっての公園の必要性も包含されて
いると読むことができる。
昔の学校の生徒達は検事になったり将校になったり農園
を有ったりしているなど各々が各々の人生を歩んでいるわ
けだがそんな彼らから、たくさんの手紙やお金が学校にあ
つまってきた。そして虔十の身内は泣いて喜んだとある。
手のひらの返し具合には多少の嫌悪感を覚えてしまうもの
の家族冥利に尽きるわけだ。
宮沢賢治は本作を通して書きたかったことが幾つかある
様に思えてならない。読み方は読者に任せるという感じな
のだろうか。いずれにせよ障害者に対するアプローチだっ
た り 家 族 愛 だ っ た り、 現 代 社 会 で の 問 題 列 挙 だ っ た り、
様々な観点から本作を読むことができた。本作は一九三四
年に発表されたが今読んでも作品に古さを感じることはな
いため違和感はない。読後の感情は形容し難いが掛け値な
しの良作であった。
担当教員 田中 泰賢
︿寸評﹀
教養セミナーで宮沢賢治︵一八九六│一九三三︶の作
品を読んだ。そうしたら想像以上に日本語が読めないこ
とがわかった。宮沢賢治の時代の旧字体、彼独特の表現
の仕方も読みを難しくしているだろうが、それだけでは
ないように思える。だから意味の分らない言葉、読み方
が分らない言葉は辞書を引いて理解するようにうながし
た。
古田君は宮沢賢治の作品『虔十公園林』を読んで、こ
の作品にはキレイ事は一切述べられていないと言いきっ
ている。そしてこの作品は様々に読むことが可能である
と考えている。一つは家族愛を読みとっている。また単
にいじめの問題として捉えるのではなく、そこに日照権
の問題、林は強い風を防ぐ効用、過剰な要求の問題を絡
めて古田君は述べている。更に公園は子供たちの遊び場
所だけでなく、盆踊り等の地域の交流の場所にもなる。
そこにこの作品は公園の必要性を暗示していると古田君
は考えている。だからこの作品は常に新鮮だと結んでい
る。
32
『虔十公園林』について
大 橋 佳 昌
︵商学科一年︶
まず虔十公園林である。この作品は虔十という青年の物
語である。虔十は他の人より知能が遅れていたため、子供
から馬鹿にされていた。ある日、虔十が親に杉苗を七百本
買ってほしい、家の裏の野原に植えたいと申し出た。しか
し、親は一度あそこは痩せた土壌なので杉は育たないと反
対していたが、初めての虔十の頼みだったので虔十には本
当に欲しいものなんだと思い親は杉を買った。虔十はそれ
を植え大事に育てていた。しかし、虔十はチブスで死んで
しまった。虔十が死んでしまった十五年後、外国から大学
教授が故郷である虔十が住んでいた村に帰ってきた。十五
年が経った今でも、杉の林は健在だった。その大学教授は
その林を虔十公園林とするべきだと提案した。昔その林で
遊んで今ではすっかり大人になってしまった人達はたくさ
んの援助をした。
この物語を読んで、この物語には幾つもの情景を表現す
る文章があった。それは虔十の心情を情景を使って表現さ
れていると思った。特に「風がどうと吹いてブナの葉がチ
ラチラ光る」という文章から、虔十がまるで無邪気な子供
の よ う な 人 物 だ、 と い う 印 象 を 持 た せ て い る。 他 に も、
「山がまだ雪でまっ白く野原には新しい草も芽を出さない
時」という文章から、無邪気な子供のような虔十がまだ何
もない冬に大きな林を作ったら楽しくてうれしくてたまら
ないだろうなと考えた虔十の心情が読み取れる。この物語
の中に虔十の林を切れという命令があった。しかし、虔十
は断った。殴られてもなお断った。その逆らいが虔十の人
生で初めての人に対する逆らいであった。おそらく虔十に
とってこの杉林はとても大事なものなんだと思った。虔十
は人生で初めて親に頼んで杉を買ってもらった。つまり虔
十が初めて欲しいと望んだものだった。だから虔十にはそ
れだけ林に強い思いがあるんだと思った。虔十が残した林
を「虔十公園林」とした時、昔林で遊んでいた大人たちが
手紙や援助をしているシーンがあった。その場面で虔十の
林を二十年経った今でも残している虔十の両親の気持ちを
汲んでたくさんの手紙や援助をしていたんだと読み取れ
る。虔十がこの林を作る時、苗を植えるためにまっすぐに
間隔正しく穴を掘っていた。それは虔十が初めて欲しいと
思ったものだから、とても美しい林を作りたかったんだと
考えられる。文章の中に虔十が間違って杉の下枝を切って
落ち込んでいる時、虔十の兄が「おう、枝集めべ、いゝ焚
きものうんと出来だ。林も立派になったな。」と言った。
これには、落ち込んだ虔十を元気付けようとする兄の優し
さを読み取ることが出来る。この「虔十公園林」にはおも
33
しろい表現がされている。
「風がどうと吹いて」や「どし
りどしりとなぐりつけました」みたいな重い表現をしてい
たり、「ずんずん」「はあはあ」などの擬声語を使っている
ところがおもしろかった。虔十は少し障害をわずらってい
て、自然の素晴らしさに喜びを覚えて周りの人たちに知ら
せようとしても、周りの子供たちから馬鹿にされていた。
だから虔十は周りに知らせることをやめた。しかしやめて
も喜びを抑えることはできず、笑わないふりをしたが、子
供たちに馬鹿にされた。そんな虔十が少しかわいそうだと
思った。虔十がつくった杉林は最初虔十ただ一人が満足す
るものだったけど、虔十が死んで何十年も経過した今、数
え切れない程の人々に感動を与えている。「たれがかしこ
くたれが賢くないかはわかりません」と書いてあるよう
に、目先の経済発展にとらわれてビジネスをしても歴史に
名前を残すことはできないし、地域社会に貢献することも
できない。少し障害があっても勇気と知恵さえ持っていれ
ば、歴史に名前を残すこともできるし、地域社会に貢献す
ることもできると思った。虔十公園林を宮沢賢治は「この
公園林の杉の黒い立派な緑、さわや︹か︺な匂︹、︺夏の
すゞしい陰、月光色の芝生がこれから何千人の人たちに本
統のさいはひが何だかを教へるか数へられませんでした。
」
と書いている。宮沢賢治はこの文章で本当の幸福はお金や
地位などではなく、豊かな自然こそが幸福なんだと教えよ
うとしていると思う。「虔十公園林」を読んで幾つかの疑
問が生まれた。一つ目は、雨が降る中、なぜ虔十は蓑も着
ずに体中ずぶ濡れになっても林の外に立っていたのか。二
つ目は、平二に殴られても虔十は殴り返さなかったのか。
宮沢賢治は何を思ってこれらの文章を書いたのか、少し興
味をもった。この二つの疑問に対して自分なりの回答を考
えてみた。一つ目の疑問は、自然の景色を見て大喜びする
虔十の性格だったため自分がつくった大切な杉林を毎日見
たいからいたと思う。蓑を着ずに立っていたのは、虔十は
少し障害をわずらっていて雨に降られているのを楽しんで
いたと思う。二つ目の疑問は、殴り返したらもっと強く殴
られると思ったし、それだけじゃなく大切な杉林を滅茶苦
茶にされると思って恐れたからだと思う。
虔十公園林を読んで宮沢賢治の作品に興味を持った。ほ
かの宮沢賢治作品も読んでみたいと思った。
担当教員 田中 泰賢
︿寸評﹀
教養セミナーで宮沢賢治︵一八九六│一九三三︶の作
品を読んだ。そうしたら想像以上に日本語が読めないこ
とがわかった。宮沢賢治の時代の旧字体、彼独特の表現
の仕方も読みを難しくしているだろうが、それだけでは
ないように思える。だから意味の分らない言葉、読み方
が分らない言葉は辞書を引いて理解するようにうながし
た。
大橋君は出席状況も良く、真面目に取り組んできた。
34
彼は宮沢賢治の作品『虔十公園林』を取り上げている。
この作品で宮沢賢治の擬音語の使い方や方言の巧みな表
現で情景が具体的に浮かんでくる様子について述べてい
る。大橋君はこの作品を読んで本当の幸せとは何だろう
かと考えている。これをきっかけに更に宮沢賢治の作品
を読もうとしている。
自分ひとりさえよければいいのか
∼災害時の食料不足∼
︵心理学科一年︶
加 藤 かれん
二〇一一年三月一一日の東日本巨大地震の際、被災地だ
けでなく首都圏でも食料品や日用品の品薄が続いた︵日本
経済新聞、二〇一一︶
。地震の影響で東北地方からの食料
品などの調達ができなくなり、首都圏の消費者は食料不足
が起きると考え、買いだめをしたために品薄になったと考
えられる。本来であれば一人ひとりに行き渡るだけの食料
があったとしても、多くの人が自分のことだけを考え買い
だめをすることにより、品薄問題が起きた。買いだめが起
きたことで食料の供給が需要増加に追いつかなくなり、買
いだめが解消されず品薄が続いてしまった。食料が手に入
らないことによって、食事をとれず、最悪の場合餓死や病
気によって死んでしまう人もいたかもしれない。この問題
は、周りの人も同じ状態・状況であったとしても自分さえ
よければよいという非協力が働いて起こったと考えられ
る。すなわち個人の利益だけを考えた買いだめによって社
会的ジレンマが生じていた可能性がある。
社会的ジレンマとは、個人の利己的な利益追求が社会コ
35
ストを発生させ、社会全体を悲劇的状態に陥れるという現
象である︵菅、二〇一五︶。社会的ジレンマの解消方法と
しては、構造変革アプローチと態度変容アプローチの二つ
が 考 え ら れ る︵ 菅、 二 〇 一 五 ︶。 構 造 変 革 ア プ ロ ー チ は
「協力」行動をとる人には報酬を、「非協力」行動を取る人
には罰則を与えるような利得行列を作成する方法である。
態度変容アプローチは、メンバー間のコミュニケ︱ション
を促進することで、全体に対する信頼感や連帯感を高め、
各自がどのようなジレンマ状態に置かれているかの知識を
共有する方法である。
構造変革アプローチの具体例としては、地域ごとに食料
の購入を一人一つまでと決めて、決められたルールを守っ
た人にはプラスで食料と水を渡し、ルールを守らずに一人
で多くの食料を手に入れようとした人には、水を買う権利
を放棄させる方法が挙げられる。このように「協力」行動
をする人と「非協力」行動をする人で報酬の差をつけるの
がよいのではないかと考える。態度変容アプローチとして
は、災害で食料不足になったとき、一日の一人当たりの食
料 が ど の く ら い な の か を 割 出 し て、 そ の 数 字 を 各 地 域 の
人々に知らせることが挙げられる。その値を知ることで、
一人が多くの食料を手に入れると他の人に回らないことが
理解できるだろう。さらに、スーパーなどでは水の陳列場
所を店の入り口に固定し、協力している人の割合が高いこ
とを自分の目で見てもらい、協力することに安心感を与え
るのがよいと考えられる。
私自身、東日本巨大地震の際に首都圏でも食料不足が起
きていたことを今回初めて知った。地震が起きるサイクル
は予知することが出来るというが、毎回必ずしも地震が起
きる日にちや時間までわかるとは限らない。何事も起きて
からでは遅いというように、日頃から災害の時に起こるさ
まざまな問題について考えておく必要がある。今回災害時
の食料不足について考えたのがきっかけで、地震の備えな
どを家族で話す機会があった。日頃から食料不足にならな
いためにどうすればよいか考えていれば、地震が発生して
も問題に対処することができるだろう。このような考え方
は、食料不足以外にも当てはめられるので、一人の利益で
はなく社会全体での利益を考えて生活をすべきであると私
は考えた。
︽引用文献︾
・日本経済新聞 「食料や燃料、必需品 品薄状態」︵二〇一一年
三月一五日︶
・菅さやか 二〇一五年度秋学期 教養セミナー 第三回 社
会・集団に関する思い込み 授業プリント︵二〇一五年︶
︿寸評﹀
担当教員 菅 さやか
私が担当した教養セミナーⅡでは、様々な社会問題がど
のような心理現象または心理メカニズムによって引き起こ
さ れ て い る の か を 学 び、 そ の 問 題 の 解 消 や 予 防 の た め に
36
いったん立ち止まって考える力を養うことを目的とした講
義を行った。第三回の講義では、環境破壊などの比較的大
きな社会問題が生じるメカニズムを「社会的ジレンマ」に
よって説明した。加藤さんは、東日本大震災の時に生じた
首 都 圏 で の 食 料 不 足 に 着 目 し、 そ れ が 社 会 的 ジ レ ン マ に
よって説明される可能性を考察した。地震などの災害時に
は、被災地での食料不足は報道でもよく取り上げられる。
しかし、被災地だけではなく、そこから普段の食料を調達
していた地域でも食料が不足してしまうことがある。運送
上の問題から、被災地以外でも一時的に食料が不足するの
を避けることは難しいかもしれない。しかし、買いだめに
よる食料不足の長期化は、個々人の協力行動によって回避
できる問題である。問題の発生を防ぐためには、加藤さん
が主張するように、日頃から災害時に発生する様々な問題
を予測し、それに対して備えておくことが重要である。今
回、この問題について考えた加藤さんであれば、災害時に
も冷静に行動し、周囲に良い影響をもたらしてくれるだろ
う。
経済学から見る横浜DeNA
︵経済学科一年︶
香 田 光 貴 ベイスターズの「躍進」
︵1︶
二 〇 一 二 年、 プ ロ 野 球 に 新 た な 球 団 が 誕 生 し た。 そ の
チームの名は、横浜DeNAベイスターズである。親会社
がDeNAに変わったことにより、チーム名が横浜ベイス
ターズから変更された。誕生から四年がたったベイスター
ズはある驚異的な数字を残している。それは観客動員数に
ついての数字だ。二〇一五年シーズン、ベイスターズの本
拠地である横浜スタジアムには一八一万三八〇〇人もの人
が 応 援 に 訪 れ た。 そ の 分 チ ケ ッ ト が 売 れ て い る と も 言 え
る。誕生初年度の二〇一二年と比べると、約六六万人もの
差がある。わずか四年間で約六六万人の増加は、プロ野球
界においては異例の数字とされる。そこで本稿では、なぜ
ベイスターズがこのような数字を残せたのかを経済学的観
点から考察する。
よく売れる物・サービスや、人でにぎわう場所は希少価
値が高い、あるいは消費者の期待値が高いといった理由が
ある傾向にある。この現象は身の回りのものに置き換えて
みてもわかるだろう。例えば、昨年ラグビーワールドカッ
37
プで日本代表が歴史的三勝を挙げた。そのことにより大会
後、国内のラグビーの試合の観客数が増加した。注目度や
期待値が高まったためである。しかし、ベイスターズに置
き換えて考えると、二〇一五年シーズンの場合、前半戦の
快進撃により期待値は高かったかもしれないが、その他に
チケットが売れる要素が見られない。
一般に、ファンは応援しているチームの勝ち試合を見た
いので、プロ野球では強いチームほど多くチケットが売れ
る。 し か し な が ら、 一 概 に そ う と は 言 え な い デ ー タ が あ
る。 ベ イ ス タ ー ズ の 二 〇 一 五 年 シ ー ズ ン の 成 績 は 六 位 で
あった。シーズン前半は首位で折り返したものの、その後
低迷が続いたためだ。一方で、同じセントラルリーグに所
属し一位だった東京ヤクルトスワローズの二〇一五年シー
ズンの観客動員数は約一六五万人と、六位のベイスターズ
より約一六万人も少ないのだ。このデータから言えること
は、観客は単にチームが強いから応援に行くのではないと
いうことである。では、ベイスターズはどのように観客を
スタジアムへ足を運ばせているのか。そこには強さだけで
はない、他の魅力があるのだ。
ベイスターズは多くのイベントを開催する。そしてイベ
ン ト に は タ ー ゲ ッ ト と な る 客 層 が 設 定 さ れ て い る。 例 え
ば、夏の暑い時期に開催された、ある試合では、生ビール
が 半 額 に な っ た。 ま た、 六 月 の 快 適 な 時 期 に は 特 別 ユ ニ
フォームが女性限定で配られる試合や、来場者全員に特別
Freak
baseball-freak.com
ユニフォームが配られる試合などがあった。これらのイベ
ントのターゲットになっている客層は、それぞれ仕事帰り
のサラリーマン、あまり野球をみない女性、野球に強い興
味があるファンだ。二つ目のイベントはこれまで特に女性
客が少なかった点に注目して開催したのだろう。特典を付
けることによって注目度を高め、需要を上げているのだ。
もちろん供給量を上げても中身が伴っていなければ今のよ
うに客が足を運ぶことはないだろう。経済学で用いられる
需要と供給のバランスを球団がうまくコントロールした結
果だ。
以上のように、客が一度来るだけだはなく、何度も来た
くなるような環境を作ることによって、ベイスターズは四
年間でここまで観客動員数を伸ばしたと考えられる。もち
ろん、イベント頼りだけでなく、選手の頑張りとチームの
勝利も必要である。このように、ベイスターズは、会社・
球 団・ 選 手 が 協 力 し 合 い な が ら、 野 球 と い う 文 化 を 通 じ
て、地元の町を活性化させている。単にビジネスにするだ
けではなく、より大きな範囲での活性化を目指す姿は、プ
ロ野球の新たな姿になるであろう。
︽註︾
︵1︶プロ野球
38
︿寸評﹀
担当教員 鷲嶽 正道
本年度の「教養セミナー ・ 」は、価値観を広げ、
多様な価値観を認めることと、自分の考えを伝える技術
を身につけることをテーマに授業を展開した。学生達は
積 極 的 に 授 業 に 参 加 し、 お 互 い の 意 見 を 尊 重 す る こ と
や、自分の考えを伝えることの大切さを学べたと感じて
いる。
その中で、レポートの著者である香田くんは、授業で
は 中 心 的 役 割 を 担 い、 た び た び 議 論 を リ ー ド し て く れ
た。授業の一三週めと一四週めに行われたプレゼンテー
ションでも、実力を遺憾なく発揮し、クラスメートから
の評価は文句なしのトップであった。
その発表を文章にまとめたものが今回のレポートであ
る。自分の好きなものと所属する学部の学問分野をうま
く融合させた、香田くんらしい好論となっている。今後
とも、香田くんの幅広い活躍を期待したい。
I
II
心理学から見る
東京ディズニーリゾート
熊 谷 友紀子
︵経済学科一年︶
日本で最も人気のあるテーマパークである東京ディズ
ニーリゾートには毎年一五〇〇万人もの人々が訪れてい
る。これは、アメリカのフロリダ州にあるウォルト・ディ
ズニー・ワールドに次ぐ、世界第二位の入場者数である。
ちなみに、アメリカにはもうひとつ、カリフォルニア州に
もディズニーランドがあるが、こちらは世界第三位である
︵二〇一四年現在︶。
しかし、なぜディズニーはこれほど多くの人々に愛され
ているのだろうか。
「キャスト」と呼ばれる従業員の対応
がネットや本などで頻繁に話題になっている。常にゲスト
︵来場者︶のことを第一に考えるディズニーは、キャスト
による高いレベルのサービスはもちろんのこと、最近では
パーク自体にも「おもてなし」が隠れていると注目されて
いる。その「おもてなし」には心理学が利用されていると
いう。では一体どこで、どのように、心理学が応用されて
いるのだろうか。
東京ディズニーランドを訪れるとまず通るのが、入り口
39
の 小 さ な ゲ ー ト で あ る。 こ こ で は 簡 単 な 荷 物 検 査 が 行 わ
れ、ゲートの先は緩やかな坂になっている。これは、検査
が終わっていよいよパーク内に入るというときに、目の前
を坂にすることで、先を見えにくくし、「早く見たい」と
いう気持ちをさらに掻き立てる狙いがある。よくテレビの
C M や ネ ッ ト 広 告 で、
「○○な人しか買わないでくださ
い」
「閲覧禁止」など目にすると、かえってその禁止され
た 行 為 を や っ て み た い 衝 動 に 駆 ら れ る。 こ の 心 理 現 象 を
「カリギュラ効果︵否定命令効果︶」という。ディズニーラ
ンドの入り口にはこれが視覚的に応用されているのだ。
ディズニーランドのシンボルであるシンデレラ城にも、
あることを狙った工夫がなされている。ワールドバザール
という、グッズストアが並ぶエリア内からシンデレラ城を
見ると、かなりの距離があるように感じる。しかし、実際
にシンデレラ城に向かって歩いてみると、五分ほどで城の
前に着いてしまう。ではなぜ、このようなことが起きるの
か。ここでポイントとなるのが、シンデレラ城の「色」で
ある。シンデレラ城には主に、白と青が使用されている。
一方、ワールドバザール内の建物は、ほとんど橙色や赤色
といった暖色が使われている。これは「人は赤い建物より
も白い建物の方が遠くに感じる」という色彩心理学的性質
を利用するためである。つまり視覚的に捉えているシンデ
レラ城までの距離は、実際よりも長く感じさせられている
だけなのだ。また、青色は色彩心理学で「後退色」と呼ば
れ、周囲の色とは関係なく遠くに感じさせる効果がある。
また、東京ディズニーリゾート全体マップをよく見ると、
ゲストが通る道のほとんどは直線ではなく折れ曲がってい
ることがわかる。これは、道を曲線にすることで歩く距離
を 増 や し、 パ ー ク を 実 際 よ り も 広 く 感 じ さ せ る た め で あ
る。この狙いはシンデレラ城も同様で、城を遠くにあると
錯覚させ、上記のような配色で空間的に広く見せているの
だ。ではなぜ広く見せる必要があるのか。アメリカのウォ
ルト・ディズニー・ワールドは東京ディズニーランドと比
べると、その面積は二二〇倍近くの広さである。そこで、
日本からはもちろんのこと、海外から訪れた観光客が窮屈
に感じないよう、このような工夫が施されているのだ。ち
なみに、パーク内の地面はコンクリートとは違い、衝撃を
吸収し長時間歩いても疲れにくい特殊な加工がなされてい
る。
ディズニーランドを訪れる最大の楽しみといえば、やは
りアトラクションであろう。しかし、人気のあるアトラク
ションともなると一、二時間、混雑時には四時間以上も待
たなければならないことがある。列に並びながらずっと同
じ 場 所 に 立 っ て い る の は か な り の 苦 痛 で あ る。 そ こ で、
ディズニーランドは列に並ぶ間、なるべくストレスを溜め
ないよう、すべてのアトラクションの列幅を、一メートル
以上に設定している。こうすることによって、人ひとりが
常に二、三歩動けるスペースが空き、全く動けない状態が
40
無くなるのだ。この他にも、アトラクションの入り口では
常に「ここからの待ち時間○○分待ち」と、具体的に何分
待てばアトラクションに乗れるのかという情報を掲載して
いる。そうすると、ゲストはどれだけ待てばいいのか見通
しがついて、並ぶストレスも減るのだ。また、表示されて
いる待ち時間は、実際の列の長さから予想される時間より
も、少し長く表示されている。つまり、
「九〇分待ち」と
いわれていたのに「八〇分で乗れた」とき、待ち時間が長
かったにもかかわらず、
「思っていたよりも早くのれた!」
と良い記憶として残ることになるのだ。
このように、ゲストに快適に過ごしてもらうための「お
もてなし」は、緻密に計算され作られている。そしてパー
クの中には、それらがまだ隠されていることだろう。東京
ディズニーリゾートを訪れた際には、その「おもてなし」
を探してみるのもひとつの楽しみ方といえるだろう。
︽参考文献︾
・鎌田 洋『ディズニー おもてなしの神様が教えてくれたこと』
SBクリエイティブ株式会社︵二〇一四年︶
・山脇 恵子『史上最強カラー図解 色彩心理のすべてがわかる
本』ナツメ社︵二〇一〇年︶
・渡邊 喜一郎『ディズニー こころをつかむ9つの秘密』ダイ
ヤモンド社︵二〇一三年︶
・「知ってしまうと危険 ディズニーの混雑・行列の謎」
http://www.disney-family.net/zatsugaku/crowd-enigmatic/
!?
︵二〇一六年一月二一日︶
・「ディズニーランド混雑予想カレンダー」
︵二〇一六年
http://tdl-web.blogspot.jp/2011/02/tdl_18.html
一月二一日︶
・「ディズニーランドでも使われている心理学マーケティングと
は?」
︵二〇一六
http://www.d-fantasista.net/column1/post_4.html
年一月二一日︶
・「2014年世界のテーマパーク入場者数ランキング」
41
http://building-pc.cocolog-nifty.com/helicopter/2015/08/
︵二〇一六年一月二一日︶
post-8a0f.html
︿寸評﹀
担当教員 鷲嶽 正道
本年度の「教養セミナー ・ 」は、価値観を広げ、
多様な価値観を認めることと、自分の考えを伝える技術
を身につけることをテーマに授業を展開した。学生達は
積 極 的 に 授 業 に 参 加 し、 お 互 い の 意 見 を 尊 重 す る こ と
や、自分の考えを伝えることの大切さを学べたと感じて
いる。
レポートの著者、熊谷さんは、深く考え、その考えを
自分の言葉にすることに成功している。多くの参考資料
からヒントを得てはいるが、内容の多くは熊谷さん自身
が粘り強く考えた成果である。
II
発想の豊かさと地道な努力を惜しまない姿勢は、熊谷
さんの大きな魅力であるばかりでなく、将来を切り開く
I
力にもなると期待している。今後、熊谷さんが益々活躍
することを願う。
阿島傘の軌跡
い
な
ぐん たか
ぎ
あ
じま がさ
︵歴史学科一年︶
大 森 裕 朗
∼村の伝統工芸を守れ!∼
しも
・はじめに
長野県下伊那郡喬木村に、「阿島傘」という和傘の伝統
工芸がある。私が高校三年生の冬に喬木村の自動車教習所
に通っていたとき、偶然阿島傘の看板を見かけた。私は喬
木村のすぐ隣の飯田市に住んでいたが、それまで阿島傘を
知らなかった。すぐにインターネットで調べると、江戸時
代から続いている地域の伝統工芸だと知った。阿島傘につ
いて詳しく知らないまま高校を卒業し、大学へ入学してし
ま っ た が、 機 会 が あ れ ば い つ か 調 べ て み た い と 思 っ て い
た。そしてこのレポート課題が出たとき、ぜひとも阿島傘
をテーマにしようと思った。インターネットの情報だけで
はとてもレポートにならないので、現地にある伝承館と資
料館へ行って直接資料を集めた。「阿島傘の会」の方が丁
寧に案内してくださり、お話を聞くことができた。このレ
ポートの情報源のほとんどは阿島傘の会の方のお話であ
る。貴重なお話を聞くことができ、現地へ取材に行って良
好な成果を得られた。以下はそれをまとめたものである。
42
く
し
しも ひさ かた
のり なお
より ひさ
なみ あい
ち
・阿島傘の歴史
阿島傘の歴史を語る上で、長野県下伊那郡に根付いた知
久氏の存在は欠かせない。知久氏は一六〇〇年の関ヶ原の
戦 い で 東 軍 の 徳 川 方 に つ い て 成 果 を 上 げ た。 一 六 〇 一 年
︵慶長六年︶、知久則直は知行三〇〇〇石の旗本として、現
在の喬木村阿島に陣屋を造ることを幕府に許可され、飯田
下伊那地域を治めた。そしてこの則直より一一代後の頼温
の代に明治維新となり、明治二年︵一八六八年︶の版籍奉
還によって陣屋が廃止となるまで栄えた。廃止となった陣
屋は取り壊され、現在その跡地は保育園となっていた。阿
島傘作りは、この知久氏によって奨励された地域の産業で
ある。
「知久四代目の頼久が、江戸幕府の命により浪合︵現在
の長野県阿智村︶の関所を守っていた時のことである。う
ららかな春の日、浪合の関所を通りかかった一人の旅人が
腹痛で苦しんでいた。それを見た関所守が番屋に旅人を泊
め、手厚く看病をした。するとその旅人はたちまち元気に
なった。旅人は京都で傘作りをしていたので、看病のお礼
にその関所守に傘の製法を教えた。関所守は阿島の陣屋に
帰り、知久の殿様︵頼久︶にそれまでの経緯を説明した。
すると殿様は、領内に傘作りに必要な材料が揃っているこ
とに目を付けた。周辺一帯には傘の骨となる竹林が生い茂
り、下久堅︵現在の長野県飯田市︶では和紙作りが盛んに
行われていた。また塗ると防水効果のある柿渋も多かった
ひと こおり
こともあり、殿様はこの地域の地場産業として傘作りを勧
め、その傘作りが現在まで脈々と受け継がれている」とい
う話が、阿島傘作りの始まりとして言い伝えられている。
傘作りが盛んになってきたため、一八二九年に傘の問屋
を陣屋の近くに作った。傘作りに必要な材料を調達し、そ
れを傘を作る人たちに配り、出来上がった傘を集めた。そ
し て 三 〇 本 の 傘 を ま と め て「 一 郡 」 に し て 発 送・ 販 売 す
る、という一連の流れをその問屋が担った。これによって
傘作りは効率化され、生産はよりいっそう盛んになった。
阿島傘は知久氏の陣屋周辺でしか作られなかったため、天
竜川を挟んで西側の飯田市や、現在は阿島地区と同じ喬木
村内の小川地区などでは生産されなかった。江戸時代が終
わり、明治維新後も傘作りは盛んに行われた。生産が最も
盛 ん に 行 わ れ た 阿 島 傘 の 黄 金 時 代 は、 明 治 四 〇 年 代 で あ
る。生産世帯数は一〇〇軒を優に超え、年間三〇万本生産
された。一日平均八〇〇本も生産されていたのである。
しかし生産が盛んに行われた阿島傘も、時代の流れには
逆らえなかった。洋傘の台頭である。昭和三〇年を過ぎる
と、 洋 傘 の 使 用 が 一 般 的 に な り、 和 傘 を 使 う 人 は 激 減 し
た。阿島傘作りも次々と廃業し、生産する家はなくなって
いった。そして現在、傘作りを生業としている家はたった
一軒だけになってしまった。
43
・現在の阿島傘
村の伝統工芸「阿島傘」を、後世に伝えたい。その一心
で平成六年に村の人々によって「阿島傘の会」が組織され
た。阿島傘の会は、伝承館や資料館の見学案内や地元小学
校での傘作り体験、また定期的に集まり傘作りをするなど
の活動を行っている。喬木村でも、村立一一五周年を迎え
た平成元年に日本一大きい和傘を作る企画を行い、高さ四
ⅿ、直径六ⅿ、重さ二四〇㎏の巨大な和傘を作り上げた。
日本一大きいのだから、おそらく世界一大きい和傘であろ
う。
平成六年に阿島傘伝承館が設立され、平成二三年には伝
承館の隣に阿島傘資料館が設立された。阿島傘伝承館は傘
をモチーフにデザインされ、屋根は八角形になっている。
出入り口から中に入ると、正面で人形が傘作りを再現して
いる。また上を見ると、村の企画で特別に作った日本一大
きい和傘が展示されている。奥へいくと広間があり、傘作
りを体験することができる。阿島傘資料館は、伝承館だけ
では展示しきれない、阿島傘作りの作業道具や作業工程が
分かりやすく展示されている。
阿島陣屋跡を少し下ったところに、飯田信用金庫喬木支
店がある。その店内では、阿島傘の展示がされている。傘
を展示している銀行は、全国的に見ても稀であろう。
このようにして現在では阿島傘の会の皆さんが中心と
なって、阿島傘の保護・伝承に努めている。
けん わり
・阿島傘の製法
本文の最後になってしまったが、ここで阿島傘の製法に
ついて紹介する。
まずは、骨組みからである。
「間割」といって、四八本
もの親骨と親骨の間の長さを同じにしなければならない。
そして次に軒ばりで軒の部分に細い和紙をはる。次に「大
張り」といって、親骨に大きな和紙を張っていく。この工
程は和傘作りでは割と簡単なほうで、小学校の和傘作り体
験ではこの部分をやってもらうことが多いそうだ。その次
が、最も難しいと言われている「天井張り」である。ろく
ろと親骨の間に和紙を張るのだが、のりを使いすぎると和
紙が破れてしまうし、のりを多めにつけないと和紙がうま
くくっついてくれない。熟練
の技の見せどころである。そ
して傘を閉じたときに表面が
平らになるようにする「白仕
範 」、 和 紙 独 特 の ザ ラ ザ ラ し
た手触りを滑らかにして防水
性を出すために油を塗る「毛
ぶせ」
、 次 に「 赤 塗 り 」、「 油
ひき」を経て、最後にまた傘
を閉じたときに表面が平らに
なるようにする「油仕範」を
施して完成となる。のりと油
44
を多く使うので、乾かすのに時間がかかる。特に冬季は毎
日のように気温が氷点下となり、乾いていないのりや油が
凍らないように昔は庵の上に干していたそうだ。
文章で説明するととても伝わりづらいので、阿島傘資料
館に展示されていた工程手順の写真を載せておく。
・おわりに
今回のレポート製作のための現地取材は、とても有意義
なものだった。阿島傘の会の方と阿島傘伝承館で一対一で
時間が許す限り話を聞くことができた。自分が疑問に思っ
たことをすぐに質問することができ、話も理解しやすかっ
た。その阿島傘の会の方が、自身が子供のころの話をして
く れ た。 小 学 生 だ っ た こ ろ は、 家 に 帰 っ た ら 傘 作 り を 手
伝っていたし、高校生のときは飯田市内の高校まで雨の日
は阿島傘をさして通ったそうだ。
私は歴史学科なので、春学期のレポートと同様に、題材
に す る も の の「 歴 史 」 に 重 点 を 置 き、 レ ポ ー ト を つ く っ
た。今回取り上げた阿島傘も、歴史なくしては語れない地
域の伝統工芸だ。春学期のレポートに取り上げた薩摩切子
は薩摩藩と密接に関わっていたが、今回の阿島傘は知久氏
との関係が深かった。現在の飯田駅前周辺には「知久○丁
目」という信号機が多いが、それは江戸時代に知久氏がそ
の一帯を治めていたなごりであろう。また本文中に、
「領
内に傘作りに必要な材料が揃っていることに目を付けた」
と記述したが、その材料は現在でも地域の名物になってい
る。とくに柿渋が取れる柿は、喬木村にほど近い高森町で
「市田柿」という柿が干し柿として全国的にも有名だ。ま
た喬木村を自分の足で歩いていると、確かに竹林が多いこ
とに気づかされる。村の栄えている東側を見渡すと、あち
こ ち に 竹 林 が 見 受 け ら れ た。 和 傘 の 製 法 が 伝 わ っ た 当 時
も、竹林が多かったのだろうと想像が膨らんだ。
和傘作りは、とても高度な技術を要する。竹と和紙だけ
でどうやったらあんなに開いたり閉じたりするものができ
るのだろうか。しかも、雨漏りしないように上手に和紙を
張らなければならない。昔の人の知恵には本当に驚かされ
る。しかもその高度な技術を旅人から教わっただけで地域
の産業になったという言い伝えは、耳を疑う。しかしこの
ありえないような言い伝えが、喬木村では脈々と受け継が
れていて、興味深いところでもある。
今回のレポートでは、他県の人は決して知らないような
小さな村の伝統工芸について取り上げた。どんなに小さな
村の伝統工芸でも、その工芸にはたくさんの歴史と文化が
詰まっているはずだ。だから、その伝統工芸を保護し、後
世へ伝承していくことは、とても大切なことなのだ。その
ことをこのレポート製作を通して学ぶことができた。
45
︽参考資料︾
・阿島傘伝承館・阿島傘資料館・阿島傘の会の方々のお話、喬木
村パンフレット、阿島陣屋跡︵喬木村教育委員会案内板︶等
ち
く
︿寸評﹀
担当教員 岡島 秀隆
レポート作成にあたっては、事前にいくつかの条件を
付した。全体を序・本文・結びの三部構成とし、序の部
分にはテーマ選択の経緯やレポート作成の動機に関する
コメントなどを記すこと、本文には内容ごとに小見出し
を付けることが望ましいこと、結びには自身の感想や意
見を書くこと、参考文献やインターネット上の参照ペー
ジを明示すること、読み手を意識して分かり易い表現を
心がけること、複数回の点検を行うことなどである。
大森君のレポートテーマは「阿島傘の軌跡∼村の伝統
工芸を守れ∼」である。
序文には、故郷の伝統工芸である「阿島傘」に興味を
持った経緯が記されている。また、レポート作成の材料
となった情報の取得方法が説明され、その情報源が聞き
取りを中心にした現地での調査によるものであることが
示されている。
本文では、まず阿島傘の歴史が取り上げられ、この和
傘生産が地場産業に発展するのには知久氏との関わりが
大きかったことや材料調達および販売方法の開拓など、
その後の地場産業の展開についてまとめられている。次
いで洋傘の急激な台頭に伴う生産性の衰退と今日の状況
が 述 べ ら れ て い る。 そ こ で は「 阿 島 傘 の 会 」 が 組 織 さ
れ、
「伝承館」や「資料館」の設置と活動を通して伝統
工芸の技術の伝承と保存が行われている現在の様子も記
されている。さらに本文後半部には傘の製法について工
程手順が画像を交えて簡潔にまとめられている。
結びの部分では、現地取材の楽しげな様子や郷土の歴
史や文化に関する暖かい眼差しが書き留められている。
このレポートの良さは、何よりも現地に入っての直接
的実地調査の成果を基礎資料にしているところである。
その臨場感が魅力である。大森君の今後の勉学・研究や
大学生活において、こうした姿勢は有効である。これか
らも愉しみながら人生のプロセスを歩んでくれることを
期待している。
46
四〇〇年の英雄・
真田幸村の人気の秘密
松 田 隆 行
︵歴史学科一年︶
戦国武将は男女を問わず人気を集めやすく、漫画やアニ
メ、ゲームなどの題材になることも多い。その中でも特に
高い人気・知名度を誇っている人物が、真田幸村である。
コーエーから発売されている「戦国無双」や、カプコンか
ら発売されている「戦国BASARA」などの人気ゲーム
シリーズでも、幸村は主人公的な役割を果たしている。で
は、なぜ幸村は主人公として人気を集めるのか。その生涯
などからその理由を探ってみようと思う。
幸村は、豊臣と徳川が戦った大坂の陣での活躍で有名に
なったが、実は大坂の陣が起こるまではあまり知られてい
ない人物であった。参加した戦も少なく、それも父に付き
従っての参戦であり、当時真田氏として広く世に知られて
い た の は 知 略 に 優 れ た 父 の 昌 幸 だ っ た。 そ ん な 真 田 親 子
は、本拠地上田︵現長野県上田市︶の地で、徳川を二度に
渡って撃退した。一度目は一五八五年、徳川家康率いる七
五〇〇の軍勢をわずか二五〇〇の兵で迎え撃ち、策略を駆
使 し て 撃 退 し た。 二 度 目 は 一 六 〇 〇 年 の 関 ヶ 原 の 戦 い の
時。真田氏は、幸村の兄信之は東軍、昌幸と幸村は西軍と
それぞれ分かれることを決めていた。そして、信之を含む
徳川秀忠軍三万八〇〇〇をたった二〇〇〇の兵で迎撃し、
巧みな戦術で秀忠軍の足止めに成功した。しかし、肝心の
関ヶ原で西軍が負けたことで真田親子も処分を受ける。信
之の嘆願により、紀州︵現和歌山県︶九度山での謹慎処分
に止まったもののそれ以後許されることはなく、約一〇年
後に昌幸は病没。幸村も老いた身となっていた。
そんな幸村の元へ、来るべき徳川との決戦の準備をして
いた豊臣の使者が訪れる。幸村は豊臣に味方することを決
め、 九 度 山 の 住 民 の 一 部 を 引 き 連 れ 山 を 脱 出、 大 坂 城 に
入った。一六一四年、徳川の大軍一九万五〇〇〇が大坂城
を包囲し、大坂冬の陣が起こる。対する豊臣は九万七〇〇
〇と数こそ集まっていたが、幸村のような牢人︵主君のい
ないフリーの武士︶が多く、決して一枚岩ではなかった。
しかし、大坂城は難攻不落の堅城として名高く、唯一の弱
点であった南方面では、真田丸と呼ばれる要塞を築いた幸
村が活躍した。南側から攻めるしかなかった徳川軍は真田
丸に集中したが、挑発により敵を引き付けて撃滅する親譲
りの戦術を駆使した幸村により、徳川は数千人の戦死者を
出すという大損害を被った。ところが、大砲による激しい
砲撃に動揺した豊臣方上層部は休戦交渉に応じてしまい、
籠 城 戦 の 要 で あ る 堀 は 全 て 埋 め ら れ、 真 田 丸 も 破 壊 さ れ
た。
47
翌年、家康は一五万五〇〇〇の兵で再び大坂城を攻め、
夏の陣が始まる。籠城戦が不可能な豊臣方では、圧倒的に
不利な戦況を前に城を去る者も多く、その数を五万五〇〇
〇にまで減らしていた。しかし、幸村は、故郷である信濃
一〇万石の領地と引き換えに寝返るよう求めた家康の提案
を拒否し、あくまで戦うことを選んだ。残った豊臣方の諸
将は各地で奮戦し、幸村も伊達政宗の進撃を阻むなどした
が、味方は続々と討死、退却した。しかし、幸村は諦めな
かった。態勢を立て直した両軍が再び激突すると、幸村は
三五〇〇の兵で家康本陣へ向けて三度の突撃を行う。次々
と敵を突破した幸村は家康に自害を覚悟させる程追い詰め
たが、最終的には撤退を余儀なくされ、その撤退戦の最中
に討死。その後、豊臣方は敗北した。敗者であるはずの幸
村は、同時代人から「日本一の兵」と言われるなど異例の
高評価を受けている。そして、英雄的存在として庶民に広
く 知 れ 渡 り、 幕 府 も 幸 村 を 英 雄 視 す る 風 潮 を 咎 め な か っ
た。
以上のことから、幸村の魅力はそのドラマティック性に
あると考えられる。そして、それは三つの要素に分けられ
る。
一つ目は、家族関係である。戦場で父の背中を見てきた
幸 村 は、 父 の 得 意 と し た 戦 術 を 見 事 に 使 い こ な し て み せ
た。そして、家康と因縁のあった父亡き後、その子として
の幸村が家康を追い詰める一連の流れは、父の遺志を受け
継いでいるようにもみえる。
また、恨みなどではなく、お家存続のために兄弟が敵味
方に分かれてしまうという悲劇性も、この要素をより色濃
いものにしている。
二つ目は、英雄的活躍である。これまで見てきた幸村の
戦いには、大軍を相手に少数の兵で結果を出しているとい
う 共 通 点 が あ る。 冬 の 陣 で は 策 略 を 駆 使 し て 大 軍 を 翻 弄
し、それが使えなくなった夏の陣でも、圧倒的な軍勢に対
して果敢に突撃を繰り返す。知力と武力を兼ね備え逆境に
立ち向かうこの姿は、まさしく英雄と呼ぶに相応しいもの
であろう。
そして、領土よりも戦うことを選び、実質の最高権力者
たる家康をあと一歩のところまで追い詰めるというまさか
の展開、その背景にある家康とのライバル的構図などが、
幸村の英雄性をさらに高めている。
三つ目は、人間的魅力である。幸村が九度山を脱出した
際に付き従った地元住民は、謹慎生活中の彼と親交を深め
自ら従軍を申し出た者達だった。また、信之によると、幸
村は普段はとても穏やかな人物であったという。そういう
普段の様子と戦場での勇ましさとのギャップが、周囲の人
の心を惹き付けたのではないだろうか。これは、本来寄せ
集めの集団だったはずの豊臣方牢人衆がある程度の団結力
を保てた一因にもなったと考えられる。
幸村の死後、家康は自らの家臣に対し幸村の武勇にあや
48
かるよう言ったといわれている。そして、幸村の活躍の噂
を聞き、その功績を高く評価した大名なども少なくない。
これらのことから、幸村は一種のカリスマ性を持っていた
と考えられる。
しかし、親子どころか血縁関係のない主君と強固な関係
があった者や、戦で活躍した者は他にも多くいる。それら
の武将との違いこそが、幸村が物語の主人公として選ばれ
る理由であろう。そしてそれは、活躍したタイミングと、
幸村のミステリアスさにあると考えられる。確かに戦で活
躍した武将は多いのだが、その戦はあくまで一大名家同士
などの一部の人々の間で行われたものが多い。さらに、そ
んな戦が全国各地で行われていたのだから、一つひとつの
インパクトは薄くなるであろう。それに対し、幸村の活躍
した大坂の陣は、天下分け目の大合戦である関ヶ原から約
一五年も間を置いて行われた。しかも、両軍の参加兵力数
は関ヶ原よりも多く、全国から大名・牢人が集まった大規
模な一戦であり、この戦を最後に大きな戦はしばらく行わ
れなかったため、そのインパクトは非常に大きかったと思
われる。この、最後の戦いという点が非常に重要である。
これ以後大きな戦いがなくなり社会が安定したことで、庶
民もより娯楽を楽しむ余裕ができた。そんな平和な時代と
もなれば、戦国時代のような刺激的な世界は歓迎されたこ
とだろう。そこで、最後の大合戦を盛り上げひと際輝いた
幸村が、戦国時代を代表する武将として人々に受け入れら
れたのではないだろうか。
もう一つのミステリアスさについては、物語の題材とし
ての使いやすさに大きく関わってくる。そもそも、なぜ幸
村が豊臣に味方することにしたのかなど、幸村の本意につ
いてはっきりしないことは多く、様々な説がある。このよ
うに、幸村という人物がはっきりしないことで、物語を作
る側には想像を膨らませる余地が生まれ、それを見聞きす
る側もまた様々な幸村の姿を楽しむことができたのではな
いだろうか。このことは、幸村が、大正時代に人気を博し
た文庫本では冷静なリーダーとして。現代のゲーム作品な
ど で は 主 に 熱 血 漢 と し て 描 か れ る な ど、 時 代 に よ っ て も
違った人物像で親しまれていることからも推測できる。タ
イミングの良さによる知名度の高さと、ミステリアスさに
よる創作との相性の良さ。これら二つの特性が、先に挙げ
た三要素からなる魅力を持つ幸村を、主人公として長く愛
される存在にしたと考えられる。
︽参考文献︾
・『週刊 新説戦乱の日本史4 大坂の陣』︵小学館 二〇〇八年
二月︶
︿寸評﹀
担当教員 河合 泰弘
このレポートでわかるように、松田君は戦国武将に深
い知識を持つ戦国マニアといえる。日本史を専攻する者
49
の多くは、激動の時代である戦国時代や幕末に惹かれる
者が多い。松田君もその一人であろう。今回、彼が論じ
た真田幸村は、今年のNHK大河ドラマ『真田丸』の主
人 公 で も あ り、 大 変 魅 力 的 な 武 将 の 一 人 で あ る。 本 レ
ポートでは、その人物像を様々な角度から考察し、その
魅力をうまく伝えられていると思う。授業においてこの
テーマでプレゼンをしてもらったが、その時の質疑にお
いては、的確に応答しており、その豊富な知識を窺うこ
とができた。松田君は、何事にもまじめに取り組む好青
年である。その真摯な態度には、非常に好感がもて、こ
れからの学生生活に活かされることを確信している。
ジブリ映画
『かぐや姫の物語』
の魅力と
原作
『竹取物語』
との比較
宮 本 花奈美
︵日本文化学科一年︶
一、はじめに
私は日本の古典文学が好きで、その中でも『竹取物語』
が特に好きな作品である。そこで、スタジオジブリが二〇
一三年に『竹取物語』をアニメ映画化した『かぐや姫の物
語』が内容や映像ともに素晴らしいアニメ映画であったこ
と か ら、 こ の テ ー マ を 選 ん だ。 ジ ブ リ は ど の よ う に し て
『竹取物語』を描いたのか、原作と比較しながらかぐや姫
というひとりの少女を中心として追っていこうと思う。
二、『竹取物語』について
今回のテーマにしている『かぐや姫の物語』とは『竹取
物語』を題材にスタジオジブリがアニメ映画化したもので
ある。『竹取物語』は千年以上も前の物語でありながら、
今もなお様々な形で現代に語り継がれており、絵本や映画
など幅広い影響を与えている。絵本の『かぐや姫』などで
私たちが知っている物語の内容は次のようである。
光りかがやく竹の中から出てきたかぐや姫は、竹取の翁
50
夫婦のもとで育てられ、やがて美しく育ったかぐや姫は、
多くの若者から結婚を申し込まれるが、誰とも結婚せず、
生まれ故郷である月へと帰っていく、というお話である。
三、ジブリが描くかぐや姫のキャラクター性
物語の主人公であるかぐや姫は、ジブリではどう描かれ
ているのだろうか。かぐや姫は翁と媼によって「天からの
授かりもの」として大事に育てられる。そして赤子から半
年余りで少女へと成長する。ここまでは原作通りだが、か
ぐや姫のキャラクター性を見ていく上で注目すべき点はそ
の性格である。
姫は、近くに住む子どもたちから「タケノコ」というあ
だ名で呼はれ、自然の中で彼らと遊びながら天真爛漫に育
つ。無邪気で現代の子供のように明るく、原作では大人し
いかぐや姫のイメージはそこにはまるでない。つまり、こ
の映画で描かれているかぐや姫像は「現代の女の子」とい
うわけである。現代の女の子のように描くことで、どこか
堅苦しいかぐや姫のイメージが崩されて、より身近に感じ
られる。この映画のもっとも優れているところは、主人公
のかぐや姫に感情移入がしやすいところであるといえるだ
ろう。
四、かぐや姫と求婚する男性たち
『竹取物語』で印象が強いのは、竹からかぐや姫が生ま
れるところと、月へ帰る場面だろう。しかし、物語で圧倒
的に長いのはその間にある求婚話である。かぐや姫に求婚
した人物は、五人の貴公子と帝の六人である。求婚話につ
いては原作とほぼ一緒だが、注目すべき点が帝との関係性
の違いである。『竹取物語』では、物語の後半はかぐや姫
と帝の悲恋ものである。別世界の存在であるが故に、かぐ
や姫への想いは叶うことはない。帝のそんな絶望的な恋を
描いている。そしてかぐや姫も帝への思いはあったと思わ
れる。しかし、
『かぐや姫の物語』では、帝とかぐや姫の
悲恋が描かれていない。かぐや姫に求婚するものの貴公子
たちと同じく拒絶されて終わってしまうのである。
そこで次にその悲恋の部分を補うオリジナルキャラク
ターが登場する。捨丸という名の男で、かぐや姫と幼少期
を過ごし、かぐや姫が月へ帰る前にお互いに大人になった
姿で再会する。どの男性の求婚も断っていたかぐや姫が、
唯一添い遂げたいと思った男である。異性愛を取り入れる
ことによって、よりこの物語の世界観が広がっているよう
に思えた。
五、かぐや姫の犯した「罪と罰」とは
「罪と罰」という言葉は原作『竹取物語』で重要なキー
ワードである。そして、この映画でも「罪と罰」という言
葉は映画のキャッチコピーとしても使われている。
まず、かぐや姫は竹から生まれ月へ帰るというお話であ
51
り、かぐや姫は月から来たということになるが、そこで一
つ疑問が浮かび上がる。それは「なぜかぐや姫は地球に降
り立ったのか」ということだ。
その答えは、簡潔に言えば、かぐや姫が罪を犯した罰と
して地球に降ろされたということだが、かぐや姫はどのよ
うな罪を犯したのかというと、地球に憧れを抱いてしまっ
たという罪である。つまり、月の世界では地球やそこに住
む人間は複雑な感情にまみれた穢らわしいものと考えられ
ているため、そのような場所に「月の姫」なるものが憧れ
て し ま っ た と い う の は、
「 月 の 人 々」 に と っ て は「 罪 」
だったというわけである。そして「罰」はその穢れた地球
に降ろすことだったのだ。
六、物語の終盤「月からのお迎え」について
かぐや姫が月に帰るシーンはこの物語の中で一番盛り上
がるところであると言っても過言ではないほど重要な場面
で あ る。 こ の シ ー ン の 描 か れ 方 が 非 常 に 興 味 深 い も の で
あった。迎えにきた月の者の姿を阿弥陀如来の来迎図をイ
メージして描かれているのだ。
平安貴族の間には既に浄土信仰があり、死ぬ時に阿弥陀
さまが迎えに来てくれると考えていたそうなのだが、原作
では衣をまとった天女達が迎えに来るところを、阿弥陀如
来の来迎図として描いている。来迎図の意味も含めて月は
苦しみがなく、老いることも死ぬこともない極楽浄土のよ
うな場所だということ、つまり、月の世界は欲望や感情が
ない〝無”の世界、
〝死”の世界であるということを伝え
ているような気がした。
ここが『かぐや姫の物語』の最大の魅力であり、そして
原作との最大の違いであるといえる。
七、まとめ
ジブリの『かぐや姫の物語』は、一人の女性の成長物語
と自然賛歌を、生きるよろこびとして歌い上げるという近
代 文 学 的 な 特 徴 が 強 い『 竹 取 物 語 』 で あ る と 言 え る と 思
う。
『竹取物語』は未だ謎が多く様々な解釈がされている
が、この映画が描く『竹取物語』は非常に面白い解釈で描
か れ て い て 素 晴 ら し い 作 品 で あ る と 思 っ た。 今 後 も 私 は
様々な古典文学に触れ、古典文学を題材にした小説や映画
など多くのものに目を通して自分の考えを膨らませていき
たい。
︽参考資料︾
・高畑勲監督『かぐや姫の物語』︵スタジ大ジブリ 二〇一三年︶
・ http://iroha-japan.net/iroha/D02_folktale/01_kaguyahime.
html
https://kotobank.jp/word/%E6%9D%A5%E8%BF%8E%E5%9B
%B3-655504
・
52
︿寸評﹀
担当教員 河合 泰弘
私の教養セミナーは、「趣味から始める学問入門」と
いうテーマで、各学生が自己の趣味や関心事よりテーマ
を選び、それをより深く探究してレポートにまとめ、そ
のレポートに基づいてそれぞれがプレゼンテーションを
するというものであった。春学期には、テーマ選び、目
次の作成、レポートの作成という手順で進め、秋学期に
は、春学期に作成したレポートをもとに、一人ずつ教室
の壇上に立って、発表をしてもらった。発表の際には必
ずレジュメをはじめ、ハンドアウトを用意することを課
した。
宮本さんは、日本の古典に興味を持ち、先ごろ公開さ
れ た ア ニ メ 映 画『 か ぐ や 姫 の 物 語 』 と そ の 原 作 で あ る
『竹取物語』の比較を通じ、相違点を中心に論じてくれ
た。彼女の洞察力には、眼を見張るものがあり、原作に
は な い『 か ぐ や 姫 の 物 語 』 の 魅 力 を う ま く 伝 え て く れ
た。本レポートでは、紙面の制約もあり、十分に論じき
ることができなかったが、授業時のプレゼンでは、映像
を 含 む 資 料 を 用 い な が ら、 わ か り や す く 説 明 で き て お
り、学問に対する真摯な態度が窺われた。今後が楽しみ
である。
テロと特攻の違い
田 口 龍之介
53
︵宗教文化学科一年︶
先日、フランスの首都パリでイスラム国による同時多発
テロ事件が起こった。主に民間人を狙ったと思われるこの
テロは、死者一三〇人・負傷者三〇〇人以上という悲惨な
ものとなった。この事件は当然全世界で報道され、話題と
なったが、そうした報道のなかに“KAMIKAZE”と
いう文字が出てきた。“KAMIKAZE”とは「神風」
つまり神風特攻隊のことを指している。そうした報道いわ
く、今回のテロは神風特攻と同じであるという。
し か し 本 当 に そ う で あ ろ う か。 実 は 前 に も 同 じ よ う な
ケースがあった。二〇〇一年九月一一日に起こった、後に
「9・ 同時多発テロ事件」と呼ばれるアメリカの世界貿
易センタービルに旅客機が衝突した事件だ。こちらの事件
でもフランスでのテロと同じく多数の死者・行方不明者・
負傷者が出た。そしてこちらの事件でもまた“KAMIK
AZE”の文字が出てきたのだ。
神風、正式名称・神風特別攻撃隊は太平洋戦争末期に海
軍 の 壊 滅、 本 土 の 空 襲、 各 諸 島 戦 で の 敗 北・ 玉 砕 を 受 け
て、海軍中将・大西瀧治郎が考案・編成した部隊である。
11
その戦術は周知の通り、航空機ごと目標に突っ込み破壊す
るというものである。当然パイロットの命は助からない自
殺戦法だ。この戦術は全世界に衝撃を与え、連合軍を苦し
めるとともに、「なぜ自殺攻撃をするのか?」という疑問
をも与えた。当時の欧米諸国の学者は「黄色人種というの
は知能が低いから」「思考的に劣るから」というように人
種 差 別 的 な 観 点 か ら 考 え た り、
「狂信的国家主義者だか
ら」
「国家に洗脳されているから」というように思想的・
政治的な観点から考えたりした。
後者については、確かに一般的に見れば、正しい反応か
もしれないが、我々日本人は逆に次のような疑問を抱く者
が多いのではなかろうか。特攻という行動の根幹には「国
を守りたい」「大切な人を守りたい」「アジアの平和のため
に」という思いがあり、そして「死しても同じ理想をもっ
て死んでいった者たちとともに靖国という国を見守れる場
所がある」という精神的な支えがあった。軍部の暴走とい
うことが持ち出されるが、こういった思いや精神的な支え
があったのも事実であり、それを裏付けるかのように隊員
の手記や遺書が残されている。特攻を正当化するわけでは
ないが、こういった人たちもいたということは認めるべき
だ。
では、テロはどうであろうか。特攻の目標は軍事目標の
みであるのに対して、テロの目標は無差別だ。またテロと
いう行動の根幹は思想、人種差別、そして恨みだ。行動そ
54
のものは似ているが、その根本にあるものは全く異質なも
のなのだ。
最後に、私は特攻やテロを正当化する気は全くない。た
だその行動原理を同一視するのは、あまりにも死んでいっ
た特攻隊員に申し訳ないと思う。
担当教員 柴田 哲雄
︿寸評﹀
教養セミナーⅠ・Ⅱでは授業の後半に新聞記事の輪読
を行なっているが、その一環として、受講生に最近気に
なるニュースとそれについての感想を書いてもらった。
田口君の作文のテーマはフランスのテロ事件をめぐるも
のであり、他にも幾編か同事件を取り上げた作文があっ
たが、田口君のものは視点が非常にユニークである。イ
スラム過激派による自爆テロ・グループと神風特攻隊の
比較は、学術的な比較文化・社会論のテーマとなり得る
ものであり、果敢にそうした難しいテーマに挑戦したこ
とには、大いに好感が持てる。ただもう少し神風特攻隊
についての別の見方も調べると良かっただろう。今後と
も大学の授業で学んだ知識を生かして、テロ問題をはじ
めとする社会の諸問題についての理解を掘り下げるよう
期待している。
子どもはおもちゃではない
春日部 仁 美
︵英語英米文化学科一年︶
今月、二十代の男性と十六歳の女性の夫婦が三歳の息子
にタバコを吸わせたという事件が報道されていた。そして
この事件の発覚の端緒はSNSに投稿された動画だとい
う。 そ れ も こ の 夫 婦 が 自 ら 投 稿 し た も の だ。 そ の 動 画 に
は、三歳の男の子がこの夫婦にタバコを吸わされていると
ころが映し出されていた。息子がタバコを吸っているとこ
ろを見ながら、夫婦は声を出して笑っていた。息子は渋い
顔 を し て い た が、 こ の 親 子 三 人 の 雰 囲 気 は 和 や か な よ う
だった。
まず何故、未成年という前に三歳の自分たちの子どもに
タバコを吸わせたのかと私を含め、このニュースを見た人
全てが疑問に思うことだろう。大人の身体にもタバコは悪
影響を及ぼすにもかかわらず、何故子どもに吸わせ、それ
を見て笑っているのか。そして何故それをSNSに投稿し
た の か。 S N S に 投 稿 す る ほ ど 目 立 ち た か っ た の だ ろ う
か。もしそうなのであれば、目立ち方は他にたくさんあっ
ただろう。
この他にもこの動画に関してたくさん批判も声が上がっ
て い る。 男 の 子 の 髪 色 が 金 髪 な こ と だ。
「子どもはおも
ちゃではない」
「これは子ども虐待だ」などたくさんある。
そしてこの動画を投稿した後に、こうした批判の声が上
がったためか、謝罪文が投稿されていた。それは夫が書い
たものだとされていて、「深く反省をしている」や「妻の
名前は出さないで」、最後には「警察には言わないで」と
書 か れ て い た。 こ の 謝 罪 文 に は 目 に 留 ま る 箇 所 が ま だ あ
る。
「
︵主語︶は⋮⋮」の「は」が「わ」になっていたり、
反省していますという文末に泣いている顔文字が貼り付け
てあったりしている。本当に反省しているのか、あなたは
一体いくつだとツッコミどころというか、疑問に思う点が
いくつもあった。
そしてまたこの謝罪文の投稿に対しても批判の声が上
がっていた。当たり前だ。だがそれらの批判の声が気に食
わなかったのか、今度は十六歳の妻が出てきて「うちらは
反省しているのに⋮⋮」とコメントしていた。私は正直何
が反省だと思った。TPOに合わせた言葉を知らないのだ
ろうかとも思った。かわいそうにとすら思えてきた。子ど
もにタバコを吸わせた理由は分からないが、未成年まして
幼児がタバコを吸うなど考えられない。未成年の喫煙が禁
止されていることは法律で定められている。常識だ。そし
てその映像を自ら投稿した理由も分からない。批判の声が
上がるに決まっている。
「警察には言わないで」
。大事にな
るに決まっている。逮捕されるに決まっている。
55
昔話狐檀家について
杉 崎 有 希
︵宗教文化学科一年︶
はじめに
私 は 狐 檀 家 と い う 昔 話 に つ い て 調 査 し た。 狐 檀 家 は 飛
騨、信濃周辺に伝わる民話である。
昔話のほとんどは、実在する名前や地名が使われること
がない。しかし、狐檀家は多くの名称が実在した名前で語
られる。私は、狐檀家に出てくる実在する名称に着目し、
狐檀家が実話である可能性について考える。 「人に化けること
狐檀家のあらすじを簡潔に述べると、
のできる狐が寺で小僧として暮らし、ある日和尚様からお
使いを頼まれ、その道中、猟師に狐であることを見破られ
てしまい撃ち殺される」というものだ。
今回は狐檀家について調べ、見つけた類話、飛騨安国寺
の『安国寺の狐小僧』
、飛騨の『字を書く狐』
、信濃の『狐
檀家』の三つを中心に考察することにする。
以後にそれぞれの話に出てくる名詞をまとめた表を挙げ
る。
主 人 公 の 狐 蛻 庵 は、 狐 檀 家 で は 三 木 秀 綱 と い う 殿 様 の
56
将来、子どもが大きくなり、この報道を知ったらどう思
うのだろうか。そして子ども、つまり孫にタバコを吸わせ
た夫婦の両親らはどう思っているのだろうか。情けないな
どの色々な感情が沸いてくることだろう。
今後このような事件を起こさないようにする解決策とし
てはどのようなことが考えられるだろうか。今回の事件に
関しては、家の中で起こっており、近所の人たちが気づく
のは難しいと思われる。しかし被害者は幼児。宅配業者や
その幼児と仲の良い子どもの親はその幼児の家を訪ねるこ
と も あ る と 思 わ れ る か ら、 そ の 時 に 気 付 く こ と が で き れ
ば、このような事件は減るものと考える。
担当教員 柴田 哲雄
︿寸評﹀
教養セミナーⅠ・Ⅱでは授業の後半に新聞記事の輪読
を行なっているが、その一環として、受講生に最近気に
なるニュースとそれについての感想を書いてもらった。
春日部さんの作文のテーマは児童虐待に関するものであ
るが、率直に義憤の情が綴られており、好感が持てる。
ただ解決策については、もう少し色々調べると良かった
だろう。今後とも児童虐待事件をはじめとする社会の諸
問題に関心を抱き、どのようにすればよいか思考を重ね
るよう期待している。
飼っているペッ
トとして、字を
書く狐では三木
秀綱の臣下とし
て登場する。
三木秀綱と
は、安土桃山時
代の大名であ
る。秀綱の父三
木自綱が天正一
一年の賤ヶ岳の
戦いで佐々成政
についたため
に、天正一三年
に豊臣秀吉から
命を受けた金森
長近によって三
木氏は攻め滅ぼ
され、最後、秀
綱が籠った松倉
城の落城によっ
て三木氏は滅ん
だ。
狐檀家、字を
書く狐共に豊臣から攻め込まれ落城し、信州の諏訪へ逃げ
る描写があるので、冒頭のモデルは完全に秀綱の松倉城落
城ということになる。
次 に ど の 話 に も 登 場 す る 興 禅 寺、 安 国 寺 に つ い て 調 べ
た。共に臨済宗の寺であり、興禅寺は木曽福島に、安国寺
は飛騨高山の国府町にある。安国寺には今でも蛻庵稲荷の
祠があり、興禅寺にも石碑が残っている。
秀綱が松倉城を攻め落とされる前、父の自綱は高堂城で
金森軍と戦い敗北しているが、高堂城は安国寺と同じ高山
市国府町にあり、さらに安国寺には自綱の肖像が残され、
また、三木家の資料では自綱の娘が安国寺室となっている
ため、三木氏の親子が安国寺にいたことは確かである。
次に蛻庵について調べた。字を書く狐には「蛻庵という
狐僧がいて、木曽福島の興禅寺に般若心経の大作がある。
」
と書かれているので、それを見てみることができないかと
調べたところ、明和九年発行の『蛻庵心経︵木曽興禅寺心
経︶』という木版刷りの古書が二件ほどオークションで売
られているのを発見した。写真を見ると「蛻庵者、始不知
自 何 許 来、 臣 事 干 飛 州 参 議 秀 綱、 秀 綱 滅 後、 逃 亡 来 干 信
州、乃造諏訪侯門請回⋮⋮」などと書かれ、最後に筆跡の
違う『般若心経』が載っている。ここから、江戸時代の早
いうちに狐檀家の話は存在し、寺で教科書がわりに使われ
ていたのではないかと推測できる。
千野兵庫は狐檀家で「その地に住む千野兵庫という学者
57
の も と を 訪 ね た 」 と 語 ら れ る が、 千 野 兵 庫 自 体 も 実 在 し
た。元文元年生まれで、信濃高島藩主の諏訪氏に仕える武
士であり、高島藩主家老として、用水堰の開削、藩財政の
整備、藩校の開校などをしたという。しかし、千野兵庫が
広く世間によい印象をもって名が知られるのは、高島藩の
後継者争いの解決後である天明元年以降のため、前述した
『蛻庵心経』には出てきていないと思われる。
そして、狐を見るときに使われた銃国友は、近江の有名
な鉄砲の生産地で、信長が発展させたといわれている。長
篠の戦いなどで使われた銃もこの国友であっただろうと思
われ、さらに三木氏は織田と同盟関係にあるため、国友の
銃は比較的手に入れやすかったのではないだろうか。
最 後 に、 蛻 庵 が 死 ぬ 日 和 田 は、 岐 阜 と 長 野 の 県 境 に あ
る。御嶽や乗鞍、穂高と連なる山脈の間にあり、木曽と高
山をつなぐ飛騨街道の途中にあり、今の長野と岐阜のちょ
うど県境上になる。高山から江戸へ行くときなどは必ず通
る場所らしく、昔話で語る上でもわかりやすかったのだろ
うと思う。
結論
まず、調べるうちに気になった三つの類話の相違点、安
国寺の狐小僧では三木氏の滅亡が書かれず、信濃の狐檀家
では日和田を襲った疫病について書かれないのかについて
考えた。
おそらく三つの話がそれぞれ別の場所で語られ、飛騨国
府には三木家家臣の子孫に、逆に信濃では疫病の被害者に
失礼だと配慮した結果、該当の部分を語るのを避けたのだ
と考えられる。そして、配慮が必要だということは、この
昔話が限りなく実話に近いということではないだろうか。
私の考えでは、興禅寺から安国寺に書を届けに行った僧
は実在したと思う。天正一三年の三木家討伐、松倉城など
の落城は実際に起きており、安国寺などに資料が残されて
い る か ら で あ る。 た だ、 蛻 庵 が 狐 だ っ た と は 思 え な い の
で、江戸時代までの二百年で徐々に話が誇張され、そのあ
とも地元の偉人なども取り込みながら語り継がれて今の形
になったのだろう。
狐檀家は成立から変遷まで資料を使って考察できる興味
深 い 題 材 だ っ た。 今 後 も 個 人 的 に、 安 国 寺 や 興 禅 寺 を 訪
ね、飛騨や木曽の郷土資料とも照らし合わせて研究してみ
たい。
担当教員 菅原 研州
︿寸評﹀
本論の発表者である杉崎有希さんは、「狐檀家」とい
う説話に注目し、その内容の史実性について研究を進め
た。
基本的に、各地の集落などで口伝された昔話・民話か
ら 史 実 性 を 考 察 す る の は、 そ れ ほ ど 容 易 な こ と で は な
い。一般的な民話研究が明らかにしたことだが、説話は
58
ただ同じことを口伝えに伝えることはされず、その発話
者によって時代性や娯楽性が加えられることで、徐々に
原型が崩れていくためである。
「狐檀家」と類話を集め、登
しかし、今回の発表は、
場人物や地名などの固有名詞の比較を通して、この昔話
が元々伝えていた原型を探り出そうとし、また、比較を
行う場合には関連史料を収集・検討することで、正確な
知見を得ることを目指した。
そのため、論の主旨及び結論は妥当であり、人々が歴
史の中で経験したことを、民話の形にして伝えていった
過程を明らかにし得たと評価するものである。
杉 崎 さ ん は、 他 の 受 講 者 へ の 相 互 評 価 な ど で も、 短
所・長所を適確に指摘するなど、積極的に授業に参加し
ていた。今後、更に研究を充実させてくれることを期待
するものである。
『さるかに合戦』の配役について
増 田 瑞 稀
︵歴史学科一年︶
一、はじめに
本論は『さるかに合戦』の配役に関する研究を行うもの
であり、その中でも主に蟹の仲間たちの構成について調べ
たものである。さるかに合戦のお話はとても有名なもので
あり、私も幼いころに読んだ覚えがある。しかしその中で
蟹の仲間について疑問に思ったことがある。昔話のなかで
の動物の擬人化は珍しくはないが、この話では動物だけで
なく、臼、栗、牛糞等、道具や植物︵食べ物︶
、糞がわざ
わざ擬人化され、蟹を助けている。その部分が私にはとて
も不思議に感じた。本論では、そんな蟹の仲間たちの構成
が何を意味しているのかについて考察していく。
二、かにの仲間の変化
まず、さるかに合戦では蟹を助ける仲間として蜂、臼、
栗、牛糞が出てくるのが一般的だがこのメンバーというの
も 時 代 や 地 域 で 変 化 し て お り、 少 し 調 べ た だ け で も 卵、
蛇、布、包丁、杵、蛸、箸、油、昆布⋮⋮とかなりたくさ
んのメンバーがいる。それらの変化を大体でまとめてみた
59
ものが資料の図である。
︿江戸時代﹀
『猿蟹合戦絵巻』↓ 臼、蜂、包丁、蛇、荒布
↓ 臼、 蜂、 包 丁、 蛇、 布、 卵、 箸、
〝赤本”
杵、蛸
大体、五∼九人の大人数、この間にたくさんのメンバー
が生まれた︵牛糞、栗、油等︶
︿明治時代﹀
一八八七年教科書↓臼、蜂、卵、昆布
︽臼、蜂、卵︵栗︶が一般的に︾
︿一九六〇年代まで﹀
臼、 蜂、 栗 の パ タ ー ン、 こ れ に 昆 布 が 加 わ っ た パ タ ー
ン、昆布の代わりに牛糞が加わったパターンが並列してい
る時代
︿一九七〇年∼一九八〇年﹀
臼、蜂、栗、牛糞のパターンが優勢に
︿一九九〇年∼﹀
臼、蜂、栗、牛糞のパターンがセオリーに
︿現在﹀
臼、蜂、栗、昆布のパターンが復活
江戸時代の猿蟹合戦は蟹の助っ人が多く、この時にはす
でに幾通りのメンバーが生まれたと考えられる。しかし、
固定しているメンバーもおり、それが臼、蜂、包丁、蛇、
布もしくは海藻である。その他のメンバーもたくさんいる
ものの、役割としては「押しつぶす」
、
「刺す」、
「火傷させ
る」のどれかに分けることができる。また、卵は江戸時代
までは栗よりも卵の方が登場頻度が高かったためここでは
卵︵栗︶と表記する。 明治時代に入ると臼、蜂、卵、昆布が教科書に載ったた
め、このメンバーが定着した。また、その中でも昆布は明
治二七年『尋常小学読書教本』以降登場しないことが長く
続 い た た め、 い つ の 間 に か 猿 の 助 っ 人 た ち は 臼、 蜂、 卵
︵栗︶であるという認識が広がった。しかし、一九六〇年
代までにはまた昆布、牛糞のパターンも出現し、三つのパ
ターンが並列した。それからは約一〇年おきに変化し牛糞
がセオリーとなった。
現在ではまた、昆布が出てくるパターンが復活し牛糞の
代わりに昆布が描かれた絵本が増えており一般化してい
る。今回は蟹の仲間たちを臼、蜂、栗、牛糞と仮定したう
えでこの配役について考察をしたい。
60
三、配役の意味
まず、蜂は擬人化の対象としてはよくある生き物なので
臼、栗、牛糞を見ていく。臼、栗、牛糞をカテゴリー分け
するために牛糞について調べてみたところ牛糞は昔から堆
肥 と し て 使 用 さ れ、 今 で も 土 壌 改 良 の た め に 使 わ れ て お
り、乾燥した牛糞は燃料にもなるということだったので、
分け方は栗↓植物、臼・牛糞↓道具とする。つまり擬人化
されることが不自然に思われたものは植物・道具と意思を
持たないものであることがわかる。
では、なぜこのように生き物︵意思を持つもの︶でない
ものが擬人化されたのかと調べたところ神道の考えにつな
が っ た。 神 道 と は 人 々 が 様 々 な も の か ら 神 の 存 在 を 見 出
し、その神を畏れ敬うことによって生まれた日本の宗教で
ある。このような神道の性質から日本人の観念のなかには
無機物であってもそれぞれ神や魂が宿っているというもの
があると考えられる。これは日常生活の中でも言うことが
できる。古いものや長く生きた生き物︵狐・狸︶には精霊
や神が憑りつくという付喪神の概念もこれに通じるものが
ある。
そのため、蟹の仲間たちの擬人化もこうした神道の考え
方から生まれたものであるという結論にたどりついた。
四、結論
さるかに合戦のお話は一般的に「因果応報」に関する教
訓が入っていると考えられているが、それだけではなく、
ものが擬人化して主人公を助けてくれる様子から「どんな
ものであっても大切にするべきである、そうすれば、いつ
か自分が困ったときに助けてくれる」という教えも読み取
ることができた。また、蟹の仲間たちは時代によって変化
するがその変化の中でもやはり無機物の擬人化というのが
見られ、古くからの日本人の精神や観念がこのお話の中で
伝えられていることも分かった。
︽参照リンク︾
・こ と ば と 文 化 の ミ ニ 講 座 http://www.hino.meisei-u.ac.jp/
nihonbun/lecture/063.html
・ Wikipedia
さるかに合戦
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%95%E3%82%8B%E3%
81%8B%E3%81%AB%E5%90%88%E6%88%A6
TOKANA
http://tocana.jp/2013/10/post_3114_entry.html
・
︿寸評﹀
担当教員 菅原 研州
『さるかに合戦』という一
発表者の増田瑞稀さんは、
般的によく知られた昔話について、かにの仲間として登
場するメンバーの変遷を検討しながら、各メンバーがど
のような理由で物語に登場するに至ったかを考察したも
のである。
昔話は、部分的には『御伽草子』や『赤本』のような
明確な出典を持つ場合があるが、実際にはそれらを「ネ
61
タ 」 に し な が ら、 各 発 話 者 が 時 代 性 や 娯 楽 性 を 入 れ た
り、長すぎる話は省略されるものである。
この変化は明確な前後関係を探ることは難しいが、今
回の発表では多くの類話を資料とすることで、登場メン
バーについて一定の同時代性を見出すに至った。私個人
は臼、蜂、栗、牛糞のイメージだったが、今回の発表を
通して、現代は牛糞が昆布となっており、ある種の先祖
返りをしたことを教えてもらった。現代人には身近では
ない牛糞よりも、同じ役割を昆布に期待したための変化
であったといえる。
この理解を通して、時代や社会、文化に対しても目を
向けることが可能であり、これこそが昔話の研究の醍醐
味でもある。
増 田 さ ん に は 今 後 も 丁 寧 な 研 究 を 期 待 す る も の で あ
る。
“桃”太郎伝説について
青 山 絵 美
︵日本文化学科一年︶
一、はじめに
日本昔話は、口頭で伝えられてきたもので、話し手と聞
き手を通じて変化していき、現在のかたちになったとされ
ている。その数は約一四〇〇以上もの話が存在する。本稿
はその中でも特に有名な桃太郎の話について詳しく調べる
ことにした。
二、桃太郎のモデルとなった人物
桃太郎の話にはモデルとなった実在の人物がいたと言わ
れる。それは、紀元前三世紀頃に活躍した、考霊天皇の息
子である、吉備津彦命の説が最も有力とされている。その
説によれば、神武天皇の頃、もともと百済の王子であった
温 羅 が 日 本 に 渡 り、 今 の 岡 山 県 に あ た る 吉 備 を 支 配 し、
人々を苦しめていたところ、吉備津彦命が温羅を退治し、
吉備の支配者となった。人々はその吉備津彦命の活躍を後
世に伝えるため、一連の出来事を物語にし、現在でも岡山
県ではその伝説が受け継がれている。そして、温羅が拠点
とし様々な悪事を働いた城を「鬼ノ城」と呼んだことや桃
62
太郎の中に出てくるきびだんごという名前が、この吉備と
いう地名を由来としているのではという推測から、桃太郎
伝説の起源でもあるとされている。
三、誕生シーンの共通点と相違点
桃太郎という話が成立した時期は、正確にはわかってお
らず、およそ室町末期だと言われている。前述のとおり、
日本昔話は口頭で伝えられてきたものであるため、それが
伝えられる過程で語り手側も聞き手側も自分なりの解釈を
し、その度に脚色が加えられてきた。だから、一つひとつ
に作者の個性が出ていて、桃太郎の誕生シーン一つとって
も様々である。
例えば、式亭三馬作の『桃太郎』では、老婆が川で拾っ
た二つの桃を家に持ち帰り、老翁と半分ずつ桃を食べたと
ころ、二人とも若返り、もう片方の桃からは桃太郎が誕生
したと書かれている。また楽亭西馬作の『桃太郎一代記』
では、老婆が川で桃を一つ拾い、家に持ち帰ったところ、
桃から桃太郎が誕生し、割れた桃を食べた老夫婦は若返っ
た と 書 か れ て い る。 そ し て、 十 返 舎 一 九 作 の『 昔 話 桃 太
郎』では、老婆が、川で桃を一つ拾い、家に持ち帰って、
老翁と半分ずつ食べたところ二人とも若返り、そして老婆
のお腹に桃太郎を身ごもるといった具合に、どれも同じ時
期くらいに書かれたものだが、少しずつ違っている。しか
し、この三作品には一つだけ共通している点がある。それ
は、桃を食べた老夫婦が若返ったという点である。
このように、桃を食べた老夫婦が若返る回春型は、明治
時 代 初 期 ま で 主 流 で あ る。 一 方、 私 た ち が よ く 知 っ て い
る、桃から桃太郎が生まれるという果生型は、明治二〇年
に国定教科書に『桃太郎』が掲載された頃からである。こ
れがほぼ現在のかたちの話となっていて、それ以降この教
科 書 用 に 作 ら れ た 話 が、 広 く 一 般 に 定 着 し た と さ れ て い
る。ではなぜ、桃を食べた老夫婦は若返ったのか。また根
本的な話、なぜ林檎や梅ではなく桃なのか。その理由は、
中国での桃に対する考え方が大きく関わっている。
四、中国・日本における“桃”
中国の伝説の一つに西王母といういつまでも若々しく永
遠の命をもつ仙女がおり、その仙女が食していたのが仙桃
と呼ばれる、桃だったというものがある。このように、古
代 中 国 で は、 桃 は「 不 老 長 寿 の 実 」 と し て 重 宝 さ れ て い
た。実際に桃は、漢方においても重要視されている果実で
ある。種子は「桃任」といわれ、消炎、鎮痛や血の巡りを
よくする作用があり、便秘、肩こり、頭痛、そして高血圧
や脳梗塞の予防にも効果的だといわれている。また果実が
実る前に咲く花は、
「白桃花」と呼ばれ、むくみ解消や便
秘改善などに効果があると言われる。その他にも、桃の実
は肌に潤いを与え美容にもいいとされ、葉の方も、乾燥さ
せてお風呂に入れば、汗疹や湿疹に良いとされ、日焼け後
63
の肌の赤みを抑える働きもある。
こ の よ う に 桃 に は 様 々 な 効 能 が あ っ た た め、 人 々 の 間
で、桃は病魔や災厄を寄せ付けない力を持ち、また長寿を
もたらす果実だと、考えられていた。後にこの考え方が日
本にも伝わり、桃を食べた老夫婦が、桃の持つ不老長寿の
力で若返るといった、話の内容に反映されていったのでは
と考えられている。また体を健康にする、つまり体から厄
を払ったということから、魔除けにもなるという考えに発
展したと推察される。その考え方は、日本最古の歴史書で
ある古事記の中の日本誕生神話にも描かれている。
それは、黄泉の国で邪鬼に追われたイザナギが桃の実を
三つ投げつけたところ、たちまちに邪鬼が逃げていったと
いう内容である。これが厄である鬼を追い払うのは、林檎
や 梅 で は な く、 桃 か ら 生 ま れ た 桃 の 精 で な け れ ば な ら な
かったという理由に繋がる。
五、まとめ
子どもの頃は何も考えずに桃太郎の話を読んでいたが、
あらためて考えてみると、桃である所以など奥の深い話で
あることに気づいた。また日本昔話には、昔の人々の知識
や文化が色濃く反映されているため、話の内容を調べるに
あたって、昔の人々の思想や世界観にも触れることができ
た。
www.arc.ritsumei.ac.jp/artwiki/index.php/
iroha-japan.net/iroha/D02_folktale/02_momotaro.html
www.momoalacarte.com/good/tcm.html
桃から豆 .html
www.caguyaco.jp/blog_hoiku/archves/2014/02/
nannkore.blog56.fc2.com/blog-entry-141.html
︽参考文献︾
・昔話桃太郎
・
・
・
・
︿寸評﹀
担当教員 文 嬉 眞
本レポートは、教養セミナーⅡの中で異文化をテーマ
に発表したものである。青山絵美さんは、異文化の講義
で培った知識を十分に活かし、それを文章力に変える表
現方法を獲得していると考えられる。青山さんのレポー
ト は、 本 人 の 旺 盛 な 知 的 好 奇 心 と も 相 ま っ て、
「桃太
郎」に関する独自的な分析を試みるなど、大変興味深い
内容に仕上がっている。
青山さんは、日本の多種多様な昔話の中で、「桃太郎
の話」に関する幾人かの作者の作品紹介とその作品内容
を解釈する折に、比較分析の方法を採っている。青山さ
んは、その幾つかの作品に関する解明を進める際に、桃
太郎伝説の誕生やキビに関する名称の由来およびその背
景や起源に言及する。その傍ら青山さんは、彼女自身が
取り上げる作品内容の理解を助けるために、各作品間の
共通点と相違点を浮き彫りにする工夫をも試みる点で評
価に値する。
64
青山さんは、その幾つかの作品の中で、特に老夫婦が
若返る回春型と、桃太郎の誕生をめぐる果生型を取り上
げて解析を進める中で、その物語の起源に関する一部を
中国の伝説に求めるなどの点で特徴的な分析視点を持っ
ている。その折に青山さんは、中国の伝説に因んで桃の
特 性 に も 触 れ る 際 に、 古 代 中 国 の 桃 に 関 す る 伝 承 と し
て、桃にまつわる性質や効能︵漢方効能や呪術性等︶に
まで範囲を広めて説明を試みる点で、今後の彼女の更な
る探求心を期待している。
神話が現代に及ぼす
影響について
稲 垣 貴和子
︵歴史学科一年︶
一、はじめに
私が神話の確立と現代に及ぼす影響について疑問を抱
き、調べたのは小学校の頃に読んだ神話をベースにした漫
画がきっかけである。そこから様々な神々を調べていくう
ちに現代の曜日名にその神々が由来となって使われている
ことを知った。本稿は、それについて整理するとともに神
話に関して改めて調べ直そうとするものである。
二、
「神話」とは
「神話」とは、古代の人々が語り継いできた“神”を中
心とする物語である。“神”とは元は信仰の対象とされる
べき存在であるが、欧州や中東にて成立したユダヤ教・イ
スラム教・キリスト教などの一神教の拡大により過去に信
仰されていた神々は異端となる。その間に長らく信じられ
てきた伝説は、一つのストーリーとしてまとめられたもの
が神話である。その折に、信仰対象から外された神々は、
その神としての存在意義を失い一物語の一登場人物でしか
65
なくなり、神としての死も同然のものとなる。この際、キ
リスト教を例に上げるが、教会側はキリスト以外を信仰す
る者たちを屈服させるように布教を押しすすめ、迫害も当
然のようになされてきた。
三、日本の宗教に対する見解
日本は神に対して欧州や中東と異なる考え方を持ってい
る。 日 本 に は ア マ テ ラ ス・ ス サ ノ オ な ど 有 名 か つ 強 大 な
神々の他に、御神木や長く使われたものに宿るとされる付
喪神や山・川の神といった八百万の神など数え切れないほ
どの神々が存在する。それらは、その地の住民から厚い信
仰の対象となっている。これは昔から様々な宗教が日本に
入ってきたことや、日本特有の「来るもの拒まず」の精神
性が顕著に現れていると言える。
四、現代に影響を与える「神話の文化」∼曜日∼
神話が現代に影響を及ぼしているものの中で私たちに最
も身近な曜日の名称、その中でも世界で一番多く使われて
いる言語である英語の曜日名は北欧神話の神々の名前から
由来している。北欧神話とはアイスランドなど北欧を中心
にゲルマン民族を介して欧州全般に広まった神話である。
それは主神であるオーディンが世界を創造し、そして世界
が滅びる「ラグナロク」までの間の活躍をまとめて記した
も の で あ る。 そ こ で、 以 下 で は そ れ ら の 曜 日 に 由 来 す る
神々の名前とその神々にまつわる有名なエピソードととも
にまとめてみる。
まず日曜日・月曜日は、それぞれ太陽・月の日である。
↓ Tiw
↓ Tues
火曜日は、軍神テュールの日である。︵ Tyr
↓ Tuesday
︶ テ ュ ー ル は、 大 魔 狼 フ ェ ン リ ル を 自 身 の 右
腕を犠牲にしつつ、ラグナロク直前まで封印し続けたと言
われている。水曜日は主神オーディンの日である。
︵ Odin
↓ Othin
↓ Woden
↓ Wednes
↓ Wednesday
︶オーディ
ンは、元より博識でありながらさらなる賢さを求めて泉の
番人に問いかけ、その代価として番人の求める片目をくり
抜き差し出すことに快く応じて知識を得たとされている。
木 曜 日 は オ ー デ ィ ン の 息 子 ト ー ル の 日 で あ る。
↓ Thor
↓ Thur
↓ Thursday
︶トールは敵を一撃
︵ Thorr
で倒し、遠くに投げても必ずトールのもとへ返ってくる、
ミョルニルという鎚の持ち主である。金曜日は、愛・美・
豊穣の神であり、オーディンの妻であるフリッグの日であ
↓ Frigg
↓ Fri
↓ Friday
︶フリッグは息子
る。︵ Frigga
で、北欧神話の中で一番美しいとされる司法の神バルドル
が傷つくことを恐れ、あらゆるものと契約を結ぶことで有
名である。また、あるヤドリギとの契約漏れが邪神ロキに
知 ら れ る と、 彼 の 策 略 に よ っ て バ ル ド ル は 殺 さ れ て し ま
う。 最 後 に 土 曜 日 は 農 耕 神 サ ト ゥ ル ヌ ス の 日 で あ る。 サ
トゥルヌスは人間界にて人々に農業を教え渡り歩いたこと
で有名である。
66
五、その他の影響
また、曜日以外にも「サンタクロース」の原型は北欧神
話の主神オーディンと雷神トールとされている。「サンタ
クロース」とは四世紀の聖職者、聖ニコラウスがオリジナ
ルとされているものの、つばの広い帽子に長いヒゲの老人
として描かれるオーディン、また八本足の馬であるスレイ
プニルに乗り、空を飛びまわることで人々の病気をも治し
たとされている。またトールも二匹のヤギが引く戦車に乗
り春を告げたとも言われている。
さらに、神話の影響はこういった名称や行事関連だけで
なく、ギリシャ神話をベースとした「ヘラクレス」や北欧
神話をベースとした「ヴァルハラ・ライジング」など映画
や小説のベースにもなっている。
六、まとめ
以 上 の こ と か ら、 神 々 は 信 仰 対 象 と し て の 側 面 を 失 い
“神”としての存在意義を失うものの、「神話」という物語
の登場人物としてその地域に影響を与え続けており、時を
経るに連れてさまざまな方法・解釈で伝わっていく。日本
では各神話の伝記やそれを基とする映画や小説、サブカル
チャーの人気から神々が登場するゲームまで発表されてい
る。これは、神話及び神々が言語や行事、文化だけでなく
今日の進化し続ける創作の一角を担っており、その力は今
なお衰えず、さらに信仰されていたという確かな跡を残し
ているといえる。
︽参考文献︾
・曜日の由来 http://www.asahi-net.or.jp/ nr8c-ab/rekiyoubi4.
com
・北欧神話物語 http://rock77.fc2web.com/1/north.html
・永 遠 の 象 徴、 サ ン タ ク ロ ー ス に つ い て http://www.
santaclaus.p/shinwa/hokuou.html
︿寸評﹀
担当教員 文 嬉 眞
本レポートは、教養セミナーⅡの中で異文化をテーマ
に発表したものである。稲垣貴和子さんは、異文化の講
義で得られた知力を活かし、北欧神話に関するレポート
をまとめ上げている。稲垣さんは、古代︵北欧︶神話か
ら成る現代への影響について調べる際に、現代人に最も
身近な部分として関係する「曜日名」に着目している点
で、われわれの興味を引くものを提供している。
稲垣さんは、まず北欧神話の中に登場する神々の名前
から現代の曜日名が出来上がっている経緯を明らかにし
て い る。 そ の 折 に 稲 垣 さ ん は、 各 曜 日 名 の 変 遷 過 程 と
神々にまつわるエピソード等を交えて、読者に分かりや
すい解説を試みる点で、評価に値するものである。
稲 垣 さ ん は、 曜 日 名 の 由 来 以 外 に も「 サ ン タ ク ロ ー
ス」の原型についても触れる等、知的好奇心が垣間見ら
れる点で、今後の更なる探求心を期待している。
67
浮世絵の本来あるべき姿
北 野 和 聖
︵日本文化学科一年︶
一、始めに
浮世絵と聞くと、着物を身につけた女性や歌舞伎役者が
描かれているものをイメージする人が多いと思うが、これ
らを見て面白いと感じる人は少ないだろう。
そもそも浮世絵は江戸時代に発達した風俗画の一様式で
あると定義されており、当時の日本のようすを絵に表した
り、風刺を目的としたりといった主に情報媒体として用い
られていた。実際に、幕府が浮世絵による政治批判を恐れ
て規制を加えたことがあり、このことから情報媒体として
の浮世絵の存在が大きかったことがうかがえる。そこで、
一般的にイメージされる浮世絵と、本来の浮世絵を比較し
てみよう。
二、浮世絵のタイプ
まず、一般的にイメージされる浮世絵として、菱川師宣
の『見返り美人図』が挙げられる。実は、この作品が浮世
絵の始まりと言われており、菊と桜の模様が彩る緋色の着
物を纏った女性が歩みを止めて振り返っている印象的な姿
が描かれている。他に、役者の表情を間近で見たいという
人々の要求により生まれた東洲斎写楽の『役者大首絵』な
ど、美を追求した作品が一般的にイメージされる浮世絵で
ある。
それに対して、本来の浮世絵について、まずは歌川国芳
の『奇異上下見之図』を見てみよう。天保の頃の作品で、
ひっくり返すと別の顔が現れる逆さ絵だ。単に別の顔が現
れるだけではなく、風神が雷神へと、対立するものに変貌
したり、顔は同じだが、顔の向きが異なったりと、見る者
を驚かせる視覚的効果が含まれている。
遊び絵として、『かしら一ツにて子供四人』というだま
し絵もまた国芳の作品である。二人以上の人、あるいは二
匹以上の動物が組み合わさっているが、よく見ると頭が一
つしかない。絶妙な顔の角度、向きによって違和感のない
ようになっている。指で隠すとより分かりやすくなり、部
分的に絵を楽しむことができる。
更に、国芳によって斬新な絵が生まれる。釘絵と呼ばれ
る も の だ。 釘 絵 の 誕 生 と な っ た き っ か け は 天 保 の 改 革 に
あった。風俗の乱れを取り締まる一環として、錦絵は三枚
続きまで、役者や遊女の一枚絵は禁止など、いくつかの制
約がつくられた。そこで国芳はこれを避けるように、稚拙
な落書きを装った『荷宝蔵壁のむだ書』を描いた。この絵
はそのまま壁の落書きを写しただけで、決して役者絵では
ないということを意味している。また、
「荷宝」は「似た
68
から」をかけた洒落になっており、ユニークな作品となっ
ている。現代に近い斬新なタッチで描かれており、親しみ
やすいのも特徴の一つである。
浮世絵には、歴史上の出来事になぞらえた作品もある。
そ の 一 つ と し て、 歌 川 広 重 の『 太 平 喜 餅 酒 多 多 買 』 が あ
る。 こ の 作 品 は 軍 記 物 語「 太 平 記 」 に な ぞ ら え た 擬 人 絵
で、 酒 と 餅、 つ ま り 辛 党 と 甘 党 の 戦 い を 描 い た も の で あ
る。このように二つのものを戦わせて優劣を競わせるもの
を異類合戦物といい、常套手段であった。
上記を踏まえ、本来の浮世絵は、美としてではない、エ
ンタテイナー性に富んでいると言えよう。
三、終わりに
本来の浮世絵は、美としての芸術作品ではない。美とし
て の 認 識 が 広 ま っ た の は、 外 国 人 に よ る 評 価 が 考 え ら れ
る。文化の違いもあるが、外国人は面白さや滑稽さよりも
美しさを優先する、いわゆる美的センスを気にしがちであ
る。浮世絵が普及し始めた当時の日本が、外交を円滑に進
めるため、外国人の価値観を受け入れたことによって本来
の浮世絵が影に埋もれてしまったのだ。
美としての浮世絵を完全に否定するわけではないが、私
達は、先代が築き上げてきた日本文化の特色の一つである
人々に親しまれる浮世絵を守り、後世に残していくべきで
はないだろうか。
︽参考文献︾
・伊原勇一 『江戸のユーモア』 近代文芸社︵一九九六年︶
・小林 忠 『江戸の浮世絵』 藝華書院︵二〇〇九年︶
︿寸評﹀
担当教員 文 嬉 眞
本レポートは、教養セミナーⅡの中で異文化をテーマ
に発表したものである。北野和聖君は、異文化の講義内
容を十分に理解し、それを作品分析に活用する力を身に
付けていると考えられる。北野君のレポートは、本人の
日本文化に対する知的探求心とも重なって、非常に興味
深い内容となっている。
北野君は、日本の浮世絵に関する幾つかの作者の作品
紹介とその分析を通じて本来の浮世絵と一般的にイメー
ジされる浮世絵との比較分析を試みる解析方法を採って
いる。北野君は、まず本来の浮世絵が日本の様子画や風
刺を目的とする情報媒体としての機能を有する風俗画の
側面を指摘する。その折に北野君は、浮世絵が持ってい
る別の側面、すなわち浮世絵の有する政治性や、歴史的
な出来事をも準える部分まで踏み込んで分析を試みる点
で評価に値する。
北 野 君 は、 そ の 幾 つ か の 浮 世 絵 の 作 品 を 観 察 し た 後
に、その諸作品の中から現代にも通用するような斬新性
や親しみやすさをも発見し、それを強調する視点をもっ
ている点で特徴的な解析ともなっている。その折に北野
69
君は、浮世絵を単に日本の芸術作品のみではなく、外国
︵人︶との接触過程で日本本来の評価が変化するという
側面が在るのではないかと指摘する点で、北野君の今後
の更なる探求心を期待している。
教育のチカラ
前 川 悠 貴
︵日本文化学科一年︶
私は将来、こどもたちの教育や学校生活に携わることの
で き る 仕 事 に 就 き た い と 考 え て お り、 教 育 の 意 味 を 知 る
きっかけにできればと考え、山口先生の「教育のチカラ」
をテーマとした教養セミナーを選んだ。同時に自分にとっ
てよりよい大学生活を送るために必要なものは何であるか
を 学 び、 気 づ く こ と が で き れ ば よ い と 思 っ た か ら で も あ
る。
最初の講義で先生は、この講義では主にLTD話し合い
学習法によるミーティングを通してコミュニケーション力
を磨くことや大学生活をよりよいものにしていくための手
がかりをつかむこと、また知見を広げることを目標とし、
最後の授業で自分の変化を確認してほしいと述べた。知見
とは言葉の通り見ることと知ること、その結果として得ら
れた知識や見解のことである。
ミーティングでは私たちが普段疑問に思っていることや
改めて考えてみると面白いものなど、多くの身近な話題を
テーマとして行えたので話しやすく、自分の意見をしっか
りと持って参加することができた。その中でも最も印象に
70
残っているのは「ゆとり」について考えるというミーティ
ングである。このミーティングは春学期に「ゆとり世代」
について、秋学期に「ゆとり教育」について二回にわたっ
て行ったが、ゆとりの本当の意味について考えるよいきっ
かけになったと感じるとともに、自分の一年間を通しての
変化に気づけるテーマだった。
ま ず 予 習 で は 自 分 が 意 味 を 知 ら な い 単 語 だ け で な く、
知っていても確認のためにほとんど全ての単語を調べてい
たので、最初はかなり時間がかかった。しかし回数を重ね
るごとに一度調べたものが多くなり、ミーティングの間に
出てきた言葉で話が詰まったときにはその言葉を言い換え
ることでスムーズに進めることができたので、自分の語彙
力が上がってきたことを実感できた。このことは自分の考
えを相手にわかりやすく伝えるための力にも繋がったと思
う。相手に自分の思いをわかってもらうためには一通りの
考え方では伝わらないことも多いが、多くの言葉の意味を
知っておくことで会話もしやすくなり、コミュニケーショ
ンがとりやすくなったように感じた。
最初は自分の意見をまとめてしっかりと発言ができるよ
うにすることに多くの時間を費やしていたが、知見を広げ
ていくためには自分の意見を発信するだけでなく他の意見
をより多く取り入れたいと感じるようになった。このため
にはどうすればよいかを考え、まずは誰もが発言できるよ
うな場所をつくることや話しやすい話題づくりをすること
が重要であると意識しながら予習に取り組んだ。テーマに
よってこの話題をきっかけにすれば話が進むのではない
か、出てきた話題によって次に何を話すのかを変えること
でいろんな考えが出てくるのではないかなどと考えている
うちに、最初のころよりもミーティングをしている間に全
体のメンバーの様子や雰囲気を見ながら臨機応変に話を展
開することができるようになった。
最初にゆとりについて話し合った時よりも自分の意見を
しっかりと話し合うことができ、柔軟な考えや新たな視点
を得ることができたと私は感じる。一回目のミーティング
では自分がゆとり世代であったとしても結局は一人の人間
としていかに生きているかということが大事であるという
考えを持ったが、二回目にはまた新たな視点からゆとりを
見つめることができた。二回目にはまず先生のレクチャー
を受けたが、臨機応変に対応することができる学習を用い
る場をつくり「生きる力」や「確かな学力」を身に付けさ
せるというゆとり教育の意味を教師の中にも理解していな
い人がいるということを聞き驚いた。ゆとりの意味を学ん
だ上でミーティングを行うことで、今後の教育を今までと
は違う視点で見ることができたと思う。私は今後、本当の
ゆとりの意味を理解し、教育の現場に関わる機会を持てた
ときには本当の意味での新しい学びの形を伝えていきたい
と思う。
教育のチカラというのはその人それぞれに解釈があると
71
思うが、私にとっては相手とコミュニケーションを取る力
を蓄えることであり、そのために自分の中の知識を蓄え、
取 り 入 れ よ う と す る 姿 勢 を 持 ち 続 け る こ と だ と 思 う。 ま
た、得た知識を上手く使うための練習も必要で、LTD話
し合い学習法を用いたこのミーティングがそのためのよい
方法であると感じた。この一年で変化できたことはこれか
らも継続し、学んだことをしっかりと念頭に置いてこれか
らの大学生活を送っていきたいと思う。
担当教員 山口 拓史
︿寸評﹀
前川悠貴さんは、将来「教育や学校生活に携わること
のできる仕事」を目指しているという。年度初めに「ど
んなことでも全力で取り組むことができる」と自己PR
していた前川さんは、LTD話し合い学習法を取り入れ
た本教養セミナーでその姿を示してくれた。有言実行で
あ る。 ミ ー テ ィ ン グ に お け る 彼 女 の 所 作 は、 フ ァ シ リ
テータのそれであるように感じられた。後述の内田優華
さんと並んで是非とも教職を目指して欲しい学生である
と思う。
“話し合い”をするために
内 田 優 華
︵日本文化学科一年︶
山口拓史先生の授業ではよくLTD話し合い学習法を使
用 し て 授 業 を 行 っ て い ま し た。 L T D︵ Learning
︶話し合い学習法は小グループによ
Through Discussion
る話し合いを中心とし、対等な話し合いを通して参加者一
人ひとりの学習と理解を深めようとすることを目的とした
学習法です。この学習法には大きく予習・ミーティング・
省察の三段階ステップがあり、授業では個々で作成した予
習ノートを持ち込んでミーティングを行いました。
皆さんは「ファシリテーター」という言葉を知っていま
すか。ファシリテーターとは「グループなどで何かが起こ
︶役割をもった人」のこ
るのを助け、促進する︵
facilitate
より引用︶
とです。︵ http://www.facilitator.jp/
ファシリテーターがグループの中にいれば話し合いはよ
り有意義になります。しかしファシリテーターはとても難
しい存在です。少なくともこの単語を知った授業当初の私
には程遠い存在でした。当時の私は自分が話すことに精一
杯で、他者のことを考えている余裕もなく時を過ごしてい
ました。そのためファシリテーターのようにグループの一
72
人ひとりを見て適宜対応ができる存在に憧れを抱き、自分
は何ができるのかを考え少しでも近づこうと努力していま
した。中でも予習ノートは省察・改善を繰り返し変化して
いきました。
予 習 ノ ー ト に は 語 彙・ 主 張 の ま と め・ 話 題 ご と の ま と
め・客観的な関連付け・主観的な関連付け・評価という六
項目がありました。実際にミーティングでも同じようなス
テップを踏んで行うので、全て書いておけば自分が話す分
には困ることはほとんどありません。しかしそれは全員が
予習をしてくることが前提で、実際は書けなかった部分な
ど が そ れ ぞ れ に あ り、 そ れ を 誰 か が 補 う 必 要 が あ り ま し
た。そこで、私は自分が話すために作っていた予習ノート
から「皆が参加しやすくするための準備ノート」へと変え
ていきました。
例えば語彙のステップでは以前より幅広い視野で考えて
調べるようにしました。これによって自分が話していると
きには聞き手が関心を持てるように努力し、他者が話して
いるときは補足説明がいつでもできるようにしました。ま
た、質問を必ず考えておくことにしています。内容に関連
した比較的意見を述べやすい質問とその質問に対する回答
を予想し、答えに関連した情報をまとめておくようにしま
した。こうすることによって自発的に話すことが苦手な人
にも意見を述べる機会ができ、全体の会話量も増えていき
ました。
このようにLTDを行うごとに改善点ができ、予習ノー
トに書くことや考えることが増えていきました。自分がそ
の時何を考えてどうやって変えようとしていたのかノート
にまとめることでLTD中も自分に自信を持って参加する
ことができるようになり、以前よりも同じグループの人た
ちを見ることができるようになっていきました。客観的に
観察していると多くの人が話し手に対して反応しているの
にもかかわらず、大きな反応を示している人に目がいき、
反応していても小さくて気づかれにくい人もいました。話
し合いの場で発言することができなかった人の意見が的を
射ていたり、新たな考え方を示してくれたりすることもあ
ります。そのため私はどの人の意見も大切にしたいと思い
ました。したがってできる限りグループの人の変化に気づ
いて話せる機会を用意したり、疑問点を解消させたりする
よう努めていきました。
私の考えるLTDの最も良い点は、話し合いを通して自
分を客観的に見ることができることです。自分の知識量や
能力、自分がどれほどコミュニケーションスキルをもって
いてどれほど生かして話すことができているのかを知るこ
とができます。私は話し上手でもなければ聞き上手でもあ
りません。そのため上手な人を観察し、自分がどうすれば
いいのか考えて実行しています。実行した結果上手くいく
こともあれば上手くいかないこともあり、自分のふがいな
さを感じることばかりでしたが、次に生かせる可能性があ
73
るということが嬉しくもありました。私にとって学びと観
察と改善を繰り返すことができるLTDは、学習の場だけ
でなく自己表現と他者理解の場でもありました。私はこの
授業で聞き上手な人、話し上手な人、場の空気を和ませる
ことが得意な人、重い空気を明るく変える人など様々な人
と出会い、その考えや行動を見て知ることができて本当に
よい経験ができたと思っています。これからも様々な人と
出会い、様々な経験をしていくことになると思いますが、
一つひとつの出会いや経験を大切にして生活していきたい
です。
担当教員 山口 拓史
︿寸評﹀
内田優華さんは、本セミナーでのLTD話し合い学習
法のミーティングにおいて常に積極的な態度を見せてく
れた。本稿には、その積極性に秘められた内田さんの授
業 に 対 す る 姿 勢 が 綴 ら れ て い る。 こ の 一 年 を 振 り 返 っ
て、春学期の自己PRの際に彼女が語った「やると決め
たことはしっかりやる」という言葉は確かに実行された
と思う。教職を目指す学生として今後も学び続けて欲し
い。
私が得たもの
水 野 光
︵日本文化学科一年︶
私は大学年生であるが、もうすぐ秋学期も終わって学年
が変わろうとしている。そこで、自分自身の変化について
見つめ直すために、春学期と秋学期の教養セミナーⅠ・Ⅱ
を振り返ってみたい。この一年を通してどのような変化が
あったのだろうか。
まず、LTD話し合い学習法の活動から生じた変化につ
いて考える。教養セミナーⅠ・Ⅱは、LTDの活動を中心
としたものであった。そして、話し合いの中で取り上げら
れるテーマは、私にとって身近であり、教育学的であった。
特に、教養セミナーⅡで取り上げられた課題テーマについ
ては、興味深いものが多くあった。例えば、一八歳選挙権
や道徳とは何かなど、どのテーマも関心があるものばかり
だが普段なかなか真剣に話し合う機会が少ないだろう。
L T D の 活 動 で、 こ の よ う な テ ー マ 設 定 を 行 う こ と に
よって、テーマについて積極的に調べることができるので
ある。私はテーマに関連する新聞の記事を探したり、政治
に関しを持ちテレビのニュースや解説をよく見るように
なった。テーマに関して疑問を持つ事柄を正しく理解しよ
74
うと努力するようになったのである。LTDの活動をした
ことがなかった以前の私ならば、考える機会さえなかった
かもしれない。
LTDの活動には予習ノートの作成が必須である。予習
ノートを使い、自分の意見を発表するため、他人が理解し
やすいように自分の言葉を整理する必要がある。しかし、
私はこのような作業をあまり経験したことがなかったので
ある。そのため、予習ノートの作成には時間がかかったが、
単語の意味を調べたりすることで文章に触れる機会が増え
た。文章の表現力や自身の言語能力が、予習ノートを作成
することによって多少なりとも向上したのである。また、
教養セミナーⅡの後半ではレクチャーを受けながらノート
をとるということが求められたため、以前よりも、より分
かりやすい予習ノート作りを意識するようになった。
LTDの活動の中で、最も重要なことは、他人との意見
交換である。少人数のグループではあるが、一年間同じ仲
間と話し合いをするので、通常の講義よりもその人の人と
なりを知ることができ、その人への理解も深まったのであ
る。私の場合、決してコミュニケーション能力が高いわけ
ではないが、教養セミナーで出会って友達になった人は何
人もいて、尊敬できるような憧れの人も見つけることがで
きた。このことは、私にとって大きな収穫であった。
LTD以外の活動では、簡易ポートフォリオシステムを
利用することによって、定期的に自分を省みることができ
た。自分で毎月ごとを振り返り、反省や目標を書くことが
習慣となったのである。また、日記などの記録をつけるの
が億劫な私にとって、イベント記録用紙は大いに役立って
いる。もしもポートフォリオを利用していなければ、毎月
の目標などを定めることなく生きていたかもしれない。
教養セミナーⅠ・Ⅱを振り返って思うことは、考えを深
めるきっかけを多く得ることができたということである。
LTDのテーマは身近なものだといえども、調べていると
自分は知らないことばかりであった。この経験は、これか
らの大学生活に役立つことであろう。
担当教員 山口 拓史
︿寸評﹀
アドバイザーの私から見て、本教養セミナーの普段の
授業における水野光さんはどちらかというと大人しくて
控えめなイメージであった。しかしそれは全くもって私
の主観的な考えにすぎなかった。本稿を読めばわかるよ
うに、水野さんはLTDという共同学習の大切なポイン
トを指摘するとともに、「簡易ポートフォリオ」システ
ムについても言及している。同システムは私が二年前か
ら試行的に導入したものであるが、彼女はそれを私のイ
メージ通りに使いこなしている。この点については、我
田 引 水 と の 声 が あ る か も し れ な い が、 強 調 し て お き た
い。
75
中国のスポーツ事情
大 塚 圭 輔 ︵経営学科一年︶
中国のスポーツといえば何を思いつくだろうか。私が中
国のスポーツで真っ先に思いついたのが卓球だ。テレビの
中継でもよく目にするのは中国の選手で、他国の選手を圧
倒している。ニュースなどでも中国は選手育成に励んでい
るという。なぜ数あるスポーツの中で卓球という競技に目
をつけたのか気になった。
そもそも卓球の起源は中国ではなくイギリスであった。
一 九 世 紀 の イ ギ リ ス で テ ニ ス 選 手 た ち が、 雨 の た め 室 内
テーブルで打ち合って練習したのが始まりといわれてい
る。それからディナー後の娯楽として上流階級の貴族たち
が遊ぶようになり、次第に我々が知るような卓球という形
になったのだという。
中国卓球の歴史が実質的に始まったといえるのは一九五
三年、中華人民共和国建国後初めての国際試合出場を果た
した、ルーマニアでの第二〇回世界選手権からである。し
かし、この時は中国よりも日本が存在感を示し、欧米諸国
も 活 躍 し た。 そ れ に 対 し て、 中 国 は 全 く 目 立 た な い 存 在
だった。団体戦で男子が上部リーグランキング一〇位、女
子が下部リーグランキング三位であった。個人戦で三回戦
以上に進んだ選手は一人もいなかった。
ここから中国が注目されるようになる。一九五七年のス
ウェーデンでの第二四回世界選手権で、男子チームが三位
に躍進し、続く一九五九年ドイツのドルトムントで開催さ
れた世界選手権で当時中国のエースであった容国団が男子
シングルスの決勝に進出し、当時の強豪国ハンガリーのベ
テラン、シドーを倒して、チャンピオンとなる。当時のメ
ディアや関係者は容国団の勝利を予想しておらず、世界中
をあっと驚かせたのである。
この快挙の二年後の一九六一年、第二六回世界卓球選手
権が中国の北京で開催されたが、この大会で中国は男女シ
ングルスと男子団体で優勝を収めた。この大会が「常勝」
中国卓球の始まりとなった。
中国の卓球の歴史を調べてみると、黄金期と呼ばれるよ
うになったのは一九六一年からであって、それまでは中国
は特別強いわけではなかった。むしろ日本や欧米の国々よ
りも劣っていたという見方もできる。
では、なぜ一九五三年に全く目立っていなかった中国が
たった数年でここまでの卓球強国に成長したのか。その秘
密は、他の国とは異なる、中国という国独自の育成方法に
あるという結論にたどり着いた。
中国においては、スポーツ選手は国家が育て、国家のた
め に 競 技 を 戦 い、 そ の 成 果 は 国 家 に 帰 す る こ と が 原 則 に
76
なっている。そのために国家は彼らに基本的な衣食住と豊
かな練習環境、指導者を提供する。日本とは違い、国家が
積極的にスポーツに力を入れていることがここから読み取
れるだろう。さらにある指導者の話では、彼ら、いわゆる
スポーツエリートは幼い頃に選抜されるのだが、休日の公
園にいる子供たちが跳んだり、走ったりしているところを
見 れ ば、 筋 肉 の 使 い 方 で 才 能 の 有 無 が す ぐ に 分 か る と い
う。にわかには信じられないが、本当の話である。
この中国の選手育成システムは「三級制度」と呼ばれ、
体育学校、省・市代表、国家代表、というピラミッド型を
形成しており、これが中国のアスリート養成の基本となっ
ている。
まとめると、日本ではある程度スポーツの普遍化が進ん
でいるのに対し、中国はエリート化していると言える。つ
まり、「三級制度」は一人の天才を見つけ出すには非常に
適 し て い る。 中 国 は 人 口 が 多 い。 そ こ か ら ご く 少 数 の エ
リートを見つけ出すのに「三級制度」は効果的なのかもし
れない。
以上中国のスポーツ選手育成制度について見てみたが、
では、卓球以外のスポーツはどうだろうか。まず、世界中
で 人 気 の サ ッ カ ー で は、 海 外 で 活 躍 し て い る 選 手 は 少 な
く、ナショナルチームも常にワールドカップに出場してい
るわけではない。実績はあまりないと言わざるを得ない。
野球ではWBCなどに出場しているが、まだ日本や韓国な
どの他のアジア諸国と比べると発展途上の段階である。メ
ジャーリーグや日本のプロ野球で活躍している選手が今の
ところほぼいないというところからもまだレベルがそれほ
ど高いわけではないことが分かる。バドミントンはオリン
ピックでメダルを多く獲得しており、実績は十分である。
こ こ で 疑 問 に 思 う こ と が あ る。 こ こ ま で ス ポ ー ツ の エ
リート化が進んでいるにも関わらず、競技によってこれほ
ど強さの差が出てしまうのはなぜなのだろうか。これにつ
いては、中国は個人競技では強いけれど、団体競技はそこ
まで強くないという傾向があるという説がある。そして、
これには三つの理由があると言われている。
まず一つ目は国家の支援のあり方である。国は一人で多
くのメダルを獲得できる個人競技に大規模な投資を行う傾
向にあり、大人数が参加するが金メダル獲得の見込みの薄
い競技は切り捨ててしまうというのである。
二 つ 目 は 一 人 っ 子 政 策 の 影 響 で あ る。 中 国 の 子 供 は 一
人っ子政策の影響でコミュニケーション能力が低下してい
るという。さらにネットが普及し個人と個人が直接交流す
る機会も減っている。このような時代背景も団体競技で勝
てなくなっている原因になっているというのである。
三つめは団結精神の欠如である。アメリカの学校では、
団体競技を利用して「団結精神」やリーダーシップを養成
しているという。ところが、中国ではこのような団体競技
に必要な精神が欠けているのである。このような精神は、
77
選手が自発的に持つものであり、命令によって作り出され
る服従的なものではなく、それは仲間に心からついていき
たいと思わせるものである。
以上のことから、中国は個人競技には圧倒的な強さを見
せるが、団体競技では力を発揮できないのである。この中
国スポーツの特徴が顕著に表れているのが卓球という競技
なのである。
このように個人競技は強いものの団体競技ではそれほど
の強さを見せていない中国スポーツであるが、国家の支援
を得て、オリンピックなどの国際大会においてすばらしい
成績を上げていることも事実である。日本も中国を超える
ために国が総出でスポーツに力を入れていってほしいもの
である。
︽参考資料︾
・「中国の国技│卓球」︵中国国際放送局︶
︵ http://japanese.cri.cn/81/2006/04/24/[email protected]
︶
︶︵ 二 〇 一 〇 年
・「 知 ら れ ざ る 中 国 ス ポ ー ツ 」︵ ス ポ ー ツ CHINA
七月一二日投稿︶
︵ http://www.plus-blog.sportsnavi.com/asa8043/article/584
︶
・「 中 国 人 が 団 体 競 技 で 勝 て な い つ の 原 因 と は?」
︵レコード
チャイナ︶
︵ http://www.recordchina.co.jp/a82620.html
︶
3
︿寸評﹀
担当教員 勝股 高志
教養セミナーⅠ・Ⅱ「現代中国を知る」では、一九四
九年一〇月の中華人民共和国建国以降の歩みを簡単に振
り返った。
中国は現在世界第二の経済大国として、世界で大きな
存在感を示しているが、スポーツでも近年は好成績をあ
げており、オリンピックでも数多くのメダルを獲得して
いる。そんなスポーツの中で中国の卓球の強さは群を抜
いていると言ってよいだろう。大塚君は中国の卓球の強
さに注目し、その歴史に簡単に触れた後、その強さの原
因が中国独特の選手育成システムにあるということを指
摘している。さらに競技によって強さの違いが大きいと
いうことにも着目し、個人競技では強さを発揮するが、
団体競技ではそれほどの強さを示していないという中国
スポーツの傾向に言及している。国家の支援がその国の
スポーツの発展に影響を与えているのは当然であるけれ
ども、国民性も関係しているところは興味深い。
78
中国から来る観光客の「爆買い」
がこれから増え続けるのか
商 衛 東
︵経営学科一年︶
最近、日本では新聞やテレビなどの各メディアで中国人
観光客の「爆買い」に関するニュースが報道されている。
中国では昨年夏の株価下落や元切り下げなどがあり、中国
人観光客の減少が予想されたが、一〇月一日からの一週間
の国慶節︵建国記念日︶連休期間中に日本を訪れた中国人
観光客は減少せず、再び「爆買い」のブームが起きた。こ
の状況を見て、中国の旧暦の正月、「春節」に向けて、日
本の小売業界やホテルなどが「中国人特需」に備えている
という。では、これからも日本に来る中国人観光客の「爆
買い」は増え続けるのであろうか。関係するデータから分
析してみよう。
まず、国慶節の前の統計を見てみよう。『東洋経済オン
ライン』
︵二〇一五年一〇月二日付︶によると次のような
数字が出ている。日本の観光庁が四半期ごとに公表してい
る「訪日外国人消費動向調査」の二〇一五年四∼六月の最
新データ︵七月末発表︶によれば、訪日観光客一人当たり
の旅行支出︵日本国内での消費のみ。訪日のための航空券
代などは含まず︶は十八万八八六円と、前年に比べ二四・
七%伸びている。これを中国︵本土のみ、以下同じ︶に限
ると、二六・二%増の二八万一六〇円と平均よりほぼ十万
円多い。買い物での支出額を比較すると、中国人の旺盛な
消費はさらに顕著で、全体の平均が八万七三八円︵五三・
三%増︶なのに対し、中国人訪日客による消費は十七万三
八円︵二九%増︶にも達する。中国人による「爆買い」が
全体の数値を押し上げていることがはっきりしている。
さらに二〇一五年七∼九月のデータを見てみよう。訪日
観光客の旅行支出を国、地域別で見ると、中国が相変わら
ず一位の二八万一〇〇〇円で、前四半期よりもやや上回っ
ている。中国人訪日客による一人当たりの買い物による支
出額も二一万五九八六円に達しており、前四半期と比較す
ると二三%増である。また、費目別旅行消費額を国、地域
別に見ると、いずれの費目についても中国が最も高くなっ
ている。特に買い物代が二三八三億円と全体の五一%とい
う高い割合を占めている。全訪日客の中の中国人が占める
割合も四〇・三%で、人数は前年同期と比べ二・二倍に増
えている。
その他、二〇一五年一〇月一〇日の『中国新聞網』によ
ると、国慶節の大型連休期間に日本を訪れた中国人観光客
はおよそ四〇万人に達し、中国人観光客による消費が一〇
〇〇億円に達した。これは日本のGDPを〇・一%押し上
げることに貢献していることになるという。これらのこと
79
から、中国の株価下落や元切り下げなどにも関わらず、日
本に来る中国人の数が増え続けてきたことが分かった。
ところで、なぜ日本で中国人による「爆買い」が起こる
のだろうか。私の個人的観点から三つの大きな要因がある
と思う。
一つ目は、中国が人口大国であることである。中国の人
口 は 一 三 億 六 千 万 人 で、 日 本 の 人 口 は そ の 一 割 に 相 当 す
る。もちろん中国人の一割の人が全部日本に旅行に来るわ
けではないが、昨年一〇月までの訪日観光客一六三一万人
の内、その四割が中国人で、六五二万人であったという。
さらに中国の国慶節の七日間の連休期間に日本を訪れた中
国人は四〇万人に達したということである。中国は人口が
多いため、そのわずかな割合の人が来たとしてもかなりの
数になるのである。
二つ目は、中国において中間層が徐々に増えてきている
ことである。そして、ここに重要な二つの要素が加わる。
それは、日本のビザ緩和政策と最近強まっている中国国内
製品の品質への不信感である。日本の製品は、品質が良い
という評判があり、中間層の人々は日本への入国ビザの条
件が緩和されたことを受け、日本に旅行し、買い物をする
のである。
三 つ 目 は、 円 安 と 免 税 措 置 で あ る。 為 替 レ ー ト を 見 る
と、二〇一三年四月五日には日本円一円が〇・〇六〇一三
元であったが、現在では、一円が〇・〇五六一元になって
いる︵二〇一六年一月一〇日︶。もし二〇万元を日本円に
交 換 す れ ば、 二 〇 一 三 年 の 頃 に は 三 三 二 万 六 三 四 〇 円 で
あったが、現在では三五六万二四六〇円となる。つまり、
二三万六一二〇円の差が出ることになる。それだけ買い物
がしやすくなるのである。
さらに、日本国内の個々の商店の免税措置もかなり効果
が出たことがはっきりしている。もし、一〇万円の電気製
品を買うとすれば、免税でなければ、一〇万八千円を支払
わなければならないが、免税であれば、一〇万円を払えば
よい。中国に帰国する際に税関である程度税金を払うとし
てもかなり得である。
中国は改革開放以来まだ四〇年に満たないが、全体で見
れ ば 今 後 当 然 中 間 層 は 増 大 し て い く で あ ろ う。 し た が っ
て、日本に来る観光客は今後も増え続け、彼らによる「爆
買い」も増え続けるであろう。
︽参考資料︾
・『中国新聞網』︵二〇一五年一〇月一〇日︶
・『東洋経済オンライン』︵二〇一五年一〇月二日︶
・『日本観光庁ホームページ』
︿寸評﹀
担当教員 勝股 高志
教養セミナーⅠ・Ⅱ「現代中国を知る」では、一九四
九年一〇月の中華人民共和国建国以降の歩みを簡単に振
り返った。
80
最近中国人観光客による「爆買い」が話題になること
が多い。テレビでもたくさんの家電製品を買い込んだ観
光客の姿が流される。一昔前なら考えられないことであ
るが、この「爆買い」は中国人が豊かになった証拠であ
り、彼らの購買意欲が小売業界を始めとして日本の経済
にも好影響を与えていることは否定できないであろう。
商君は「爆買い」の状況を数字でもって表し、さらにそ
の原因として、人口の多さ、中間層の増加、円安と免税
措 置 の 三 点 を 挙 げ、 今 後 も 中 国 人 観 光 客 に よ る「 爆 買
い」は続くであろうとしている。中国経済の減速がささ
やかれているけれども、今後も中国経済が安定し、
「爆
買い」が続くことは日本にとっては好ましいことであ
り、そう期待したい。
外国人の自信のつけ方について
小 池 愛 美
︵経営学科一年︶
「外国人に比べ日本人は自信がないように見える」など
ということを耳にしたことはないだろうか。朽木︵二〇一
二︶は、二〇一〇年に日米中韓の高校生七、二三三人を対
象に実施されたアンケート調査での結果を用いてこう述べ
ている。
“自分は価値のある人間だ
この調査結果によれば、
と思うか”との質問に“全くそうだ”と回答した学生
は、アメリカで五七・二%、中国で四二・二%、韓国
で 二 〇・ 二 % に の ぼ っ た の に 対 し て、 日 本 で は 七・
五%と、明らかに低い数字でした。
“自分を優秀だと思うか”との質問に、
“そう
また、
ではない”と回答した日本の学生は八三・二%にまで
達 し た 一 方、 米 国 で は 一 一・ 二 %、 中 国 で は 三 二・
七%と、明らかな差がみられたのです。
この結果から、やはり日本の学生は“自分に自信が
ない”と感じているといえますね。
では、なぜ日本人は自分に自信がない人が多く、逆に外国
人は自分に自信がある人が多いのだろうか。本稿では、外
81
国人の自信のつけ方について考察する。
まず、教育的な観点からみてみよう。クリアは、日本の
教育では、テストの点数や成績に重点をおき、テストの成
績がいいと褒められ、出来ないと叱られる。そして、基本
的に「失敗すると叱る教育」をしているため、子どもたち
に失敗が「学び」ではなく、
「いけないことだ」と思い込
ませることになっている、と述べている。それに比べ、英
語圏の教育方法では、まず出来たことを過剰と思えるほど
に褒め、得意なことを伸ばすのである。また、失敗を失敗
だとは捉えず成功への階段、次への前向きなステップであ
ると教えるのだ。このことが、自己肯定を高くし、自分に
自信を持つことにつながるのだという。
次は、文化的な観点から考えてみよう。クリアは日本の
文化についてこう述べる。
日本は、古くから謙虚さを美徳とし道徳心を大切に
している文化です。奥ゆかしさ、品の良さを大事にし
てるんですね。あと、日本は平等性が高く、国民全体
が豊かで、国に守られています。だから、自分を必要
以上に率先してアピールする必要がありません。それ
でも十分普通に暮らしていけるからです。
このことが日本人の自己肯定を低くし、自分に自信を持つ
ことができなくなっているのだ。反対に、英語圏の人々は
個人主義が中心であり、自分自身は自分で守るという文化
が根付いている。自分で全てを成し遂げるということが
自信を持つことにつながっているのだ。また、海外の人々
には自分に自信をもっている人間が魅力的にうつるため、
自分もそうありたいと思う人が多い。
確かに、日本人は謙虚さを大切にする国である。では、
そ の 文 化 は 他 の 国 と ど う 違 う の か 考 え て み よ う。 た と え
ば、日本人の女性は誰かに容姿や服装を褒められたときに
「いいえ、そんなことはないです。
」と謙遜する人が多いだ
ろう。しかし、海外の女性は違う。スコット︵二〇一四︶
は、自身のフランスでのホームステイ先のホストマザーに
彼 女 が 着 て い る ブ ラ ウ ス を 褒 め た ら 彼 女 は、
「ありがと
う」とただそれだけを返し謙遜は言わないと述べる。なぜ
なら、フランスでは謙遜は魅力的でないからだ。もし誰か
に褒められたら素直にその言葉を受け取り感謝を述べるこ
とが重要なのだ。それがフランスでは魅力的であり、自分
に 自 信 の あ る 素 敵 な 人 物 で あ る と さ れ る。 ま た、 エ リ カ
︵二〇一四︶はニューヨークのデパートの試着室では女性
グループがお互いに試着した姿を見せ合いお互いを心から
褒めあう姿をよくみかけるという。また、ニューヨークで
は自分が相手のスカートを褒めれば相手も自分のドレスを
褒めてくれるのが当たり前である。このときに、相手は本
心で言っているのだろうか、などと疑う必要はない。すぐ
に心に浸透させることが大切である。そう、ニューヨーク
の女性は「褒め言葉のキャッチボールで自信をつける」の
だ。そして、なにより自分で自分を褒めて自信をつける。
82
日本の女性は、褒められたときに謙虚さを大事にし、控え
めな反応をしてしまうが、海外の女性たちは、謙遜を言わ
ず褒め言葉を素直に受け入れることで自信をつけている。
次は、日本の平等性の高い文化が自己肯定を低くし、自信
をつけにくくしていると前述したが、それについても考え
てみよう。エリカ︵二〇一四︶は、日本ではひとつのもの
が爆発的に流行り、流行っているものがよいと評価される
風 潮 が あ る よ う に 思 え る と 述 べ る。 確 か に 日 本 で は、 ス
ニーカーが流行れば皆がスニーカーを履き、ボブが流行れ
ば皆がボブカットにする。しかし、世界基準では流行に左
右されず個性を大切にすることが美しいとされるのだ。エ
リカ︵二〇一四︶は「ニューヨークの女性は、流行とは取
り入れるもので、自分を左右するものではないととらえて
います。」という。また、スコット︵二〇一四︶は、フラ
ンスで出会ったホストマザーについてこう述べるのだ。
マダム・シックは流行のファッションを試してみる
タイプではなかった。それは、彼女のスタイルではな
いから。︵中略︶どんな服を着れば自分の美しさが引
き立つかを、ちゃんとわかっていた。
こ の こ と か ら、 フ ラ ン ス で も 流 行 に 左 右 さ れ ず に 自 分 を
持っている女性が美しいとされるということがわかる。日
本の平等性を重視する文化とは違い、個人主義の文化であ
る欧米では自分らしさを大切にし、自分に自信をもってい
る 人 々 が 魅 力 的 に う つ る。 で は、 ど の よ う に し て 海 外 の
人々は自信をつけているのだろうか。エリカ︵二〇一四︶
は、自信を持つためのコツをこう述べる。
自分を信じるのに大切なのは、自分と他人を比較し
ないこと。人との違いを恐れず自分の個性を大切に自
分らしく生きること。どんな逆境の中でもあきらめず
に努力すること。信念を持つこと。
︵中略︶これまで
に起こったすべての経験を糧に人生を歩んでいくこと
が、自分を信じることにつながっていきます。
個人主義の欧米の中でも、とくにニューヨークの人々は、
本人がよければそれが一番と言う考え方をもっている。他
人がプライベートに介入することはめったになく、仮に介
入されても気にせず自分を貫くのだ。
「幸せになるための
第一歩は、本当の自分を受け入れ、自分が自分の最大の理
解者になり、自分を大好きになることです」このような考
え方を持っているためニューヨークの人は自信に満ち溢れ
ている人が多いのだ。
以上のように、外国人がいつも自分に自信がある理由が
わかった。幼いころに、失敗を失敗だとは捉えず成功への
階段、次への前向きなステップであると教育され、また、
個人主義が中心の世界で、自分自身は自分で守るという文
化に身をおかれているため、自分自身でなにかを成功させ
ていることから自然と自信がつく。そしてなにより、人に
左右されず自分に自信をもち人に左右されない人が魅力的
にうつる社会で生きていることが彼らに自信をもった生き
83
方をさせるのであろう。
︽参考文献︾
・「 な ん と ・ 2 % の 日 本 人 は 自 分 に 自 信 が も て な い こ と が 判
明!」︵朽木誠一郎、二〇一二年︶
http://www.men-joy.jp/archives/56655
・「︻はぁ∼、自分に自信がない︼外人が自信満々に見える理由と
は?」︵クリア︶
http://clear33.com/post-431
・『フランス人は 着しか服を持たない』︵ジェニファー・ ・ス
コット、大和書房、二〇一四年︶
・『ニューヨークの女性の「自分を信じて輝く」方法』︵エリカ、
大和書房、二〇一四年︶
10
L
︿寸評﹀
担当教員 中村 綾
本稿は、外国人に比べて日本人は自信がないように見
える、その要因について考察を行ったレポートである。
小池さんのレポートでは、冒頭でアンケート調査によ
る数値を示して日本人と外国人との差を明らかにし、本
論で教育とファッションの観点から理由が分析されてい
る。 最 初 に 教 育 面 に つ い て 触 れ、 そ こ か ら 日 本 人 の
ファッションの流行の取り入れ方につなげ、どちらも根
底には日本人の謙虚さと平等性を重んじる文化に原因が
あると指摘する本レポートは、構成も巧みで読者の興味
を引きつける内容となっている。ここには、アメリカ在
住の経験を持ち、また、ファッションにも高い関心があ
る小池さんならではの視点があるのであろう。
教養セミナーの授業では、最後に自由テーマでレポー
トを作成することを目標に一年間日本語の文章を書く練
習を重ねてきたが、小池さんは海外で暮らしていた経験
を持ちながら、いつも優秀な課題を提出した。一度習っ
たことを十二分に発揮できる小池さんには、今後も充実
した大学生活が送れるよう望んでいる。
84
83
ブラック企業の実態と対策
小 林 弘 季
︵経営学科一年︶
ブラック企業とは、広義としては暴力団などの反社会的
団体との繋がりを持つなど違法行為を常態化させた会社を
指し、狭義には新興産業において若者を大量に採用し、過
重労働・違法労働によって使いつぶし、次々と離職に追い
よ り ︶。 近 年、 ブ ラ ッ
込 む 成 長 大 企 業 を 指 す︵ wikipedia
ク企業が社会問題化し、二〇一三年には流行語大賞のトッ
プ 一 〇 に 選 出 さ れ た。 ブ ラ ッ ク 企 業 は 労 働 者 を 不 当 に 扱
い、法律違反し次々と労働者を離職に追い込み、就職難に
陥ったり、心身に大きな影響を与えたりと様々な悪影響を
与える。本稿では、このブラック企業の実態とその違法な
雇用状況に対する対策について考察したい。
まず一つ目の事例を紹介する。笹山︵二〇一五︶によれ
ば、
私 は 中 高 生 を 対 象 と し た 学 習 塾 の 会 社 で 働 い て お
り、三か月ほど前、労基署が査察に会社に来て以来、
残業代が高くなりそうになったときには「この時間で
タイムカードを押せよ」と上司が言ってくるようにな
りました。全ての業務を終わらせるためには残業をす
る必要があります。生徒に合格させたいという気持ち
が あ る の で、 テ キ ト ー に 仕 事 な ん か で き ま せ ん。 結
局、タイムカードを一度押してそのあと仕事をするこ
とになります。上司には逆らえません。仕事は充実し
ているし、生徒はかわいいので、やめたくはありませ
ん が、 こ の 状 態 の ま ま 働 き 続 け る の は 正 直 つ ら い で
す。
とある。つまり、一日の労働時間を超えてでも残業をしろ
という意味である。労働時間は原則一日八時間と決められ
て お り、 週 の 上 限 が 四 〇 時 間 ま で と 定 め ら れ て い る。 ま
た、法律では残業代のルールも定められている。笹山︵二
〇一五︶によれば、
「タイムカードを勝手に押すことは会
社にとっては、かえって厳しい対処を取られる原因にもな
り、労働者にとっても使用者にとってもおすすめできるも
のではありません。働くものとしては手帳などに労働時間
をメモすることをお勧めします」とある。自分の労働時間
をしっかり把握し、自らの仕事内容をメモしておくことで
自分がどのくらい働いているかを周囲に信用させることが
重要だと考察する。そうすることで、会社に労働時間の管
理において過失があったことに対する証明になり、法の順
守にもっていくことができる。以上のことから、自分自身
で自分の労働時間や仕事内容を把握することは裁判などを
起こす際においてとても重要であることがわかる。
次に二つ目の事例を紹介する。不当解雇についての事例
85
である。笹山︵二〇一五︶によれば、
私は会社から突然解雇を通告されました。理由を尋
ね る と、
「お前は使えないから」の一言でした。あま
りにもひどい扱いだと思い、上司に抗議すると、
「あ
あ、それなら、会社はお前に三か月分の賃金と同じ額
を払う用意があるから、それで納得してくれよ」と言
い出しました。会社がこんな風にお金を出すなら、私
はこれを飲むしかないのでしょうか。正直納得がいき
ません。
とある。
「解雇」とは、使用者が労働者に対し労働契約を
解約したいと通告であり、解雇は「客観的に合法な理由を
書き、社会通念上相当として認められない場合はその権利
を乱用したものとして、無効とする」という規定がある。
この事例は、使用者は会社に対してそれなりに貢献し、上
司にも評価されていた。これによれば、この解雇は規定違
反 に な り、
「お前は使えない」という理由では、解雇には
できない。このことについて、笹山︵二〇一五︶には、解
雇をすることが仮に違法な場合であっても、一定の金銭を
支払うことで解雇をほぼ合法的に行うことができる「解雇
の金銭解決制度」を確立するよう使用者側からしばしば提
起されているが、これを認めれば「クビ切り自由」社会が
到来するためこの制度は法制化されていない、とある。つ
まり会社から一定の賃金の支払いがあるからと言って解雇
にすることはできないということである。しかし、会社か
ら「退職願」を渡され、サインしてしまうと、解雇が合法
になってしまうので、注意する必要がある。そして、解雇
になった理由を説明してもらう必要がある。合法的な理由
でない限り、使えないという理由だけでは解雇にすること
はできないからである。会社に撤回を求め、大変な場合は
弁護士などに相談する必要がある。
次に過労死の事例を紹介する。日本経済新聞によると、
居酒屋チェーン「ワタミ」の子会社の正社員だった森美菜
さん︵当時二六︶は、休日もほとんど取れず、連日、午後
から深夜や早朝にかけての長時間勤務を強いられ、二〇〇
八年六月に自殺した。残業は月一四〇時間以上で、過重な
労働が原因で適応障害を発病したとして労災認定されたと
あ る。 労 働 な ど と は 関 係 な く 人 が 亡 く な る と い う こ と は
あってはならない。それにもかかわらず、ワタミは自分た
ちに法的責任がないと主張するのは筋違いである。「二四
時間死ぬまで働け」という理念は、法律的にも人間的にも
おかしい理念である。この考え方は殺人を肯定していると
いわれてもおかしくはない。このような考え方があること
で一人の尊い命が奪われ、遺族が必死の思いで裁判をする
ことになるなど悲痛な思いをすることになる。これに対し
てワタミ側は自分たちに非がないという趣旨の発言を会見
でしている。どれだけお金で解決しようとしても命は帰っ
てこないので、企業は過重労働を従業員に強いることは絶
対にあってはならないことだと考える。そのようなことが
86
の
あ る か ら、 人 を 死 に 至 ら し め る こ と に な っ て し ま っ た の
だ。ワタミは自分たちの非を認め、この事件を忘れること
なく、業務改善の努力をすべきだ。
本稿では三つの事例を挙げ、ブラック企業の実態や対策
について考察した。ブラック企業は、従業員のことを考え
ず に 過 酷 な 労 働 を 強 要 し た り、 理 不 尽 な 要 求 を し た り す
る。人の心身を傷つけたり、死に追いやったりする。その
ようなことは絶対にあってはならないことである。私たち
は法律によって守られなければならない。これにより私た
ちがブラック企業に屈することは決してないのである。も
しブラック企業に悩まされているのなら、家族や法律の専
門家である弁護士などに相談することが必要である。そう
することで苦しみから解放される可能性も高まる。今後、
自分が就職活動をする際、企業の特徴をよく観察して、不
法 な 営 業、 ま た は 労 働 条 件 で は な い か を 注 意 深 く 観 察 し
て、労働被害を受けないようにする必要があると考える。
今後は、ブラック企業とは別の立場にあるホワイト企業は
どのようにして従業員を考えているのかなど、ホワイト企
業の実態を考察していきたい。
︽参考文献︾
・『ブラック企業によろしく 不当な扱いからあなたを守る
知識』︵笹山尚人 KADOKAWA 二〇一五年︶
49
・『ブラック企業』
︵ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3
︶
%83%83%E3%82%AF%E4%BC%81%E6%A5%AD
・『ワタミ、過労自殺で和解、遺族に1・3億円支払い、責任認
め謝罪、東京地裁』︵日本経済新聞 朝刊 三八ページ 二〇一
五年一二月九日︶
︿寸評﹀
担当教員 中村 綾
本 稿 は、 今、 大 学 生 に と っ て 多 大 な 関 心 事 で あ る ブ
ラック企業について考察したレポートである。
教養セミナーの授業では、秋学期の最後に自由テーマ
でレポートを作成することを目標に資料の検索方法を学
んだり、文章の読解や書き方などを練習したりしてきた
が、小林君のレポートでは問題提起や事例紹介が分かり
やすく、また、読者の興味を引くように書かれている。
そして、最後に自分の考えを述べた上でホワイト企業の
実態解明に目を向けた今後の展望が述べられている。
小 林 君 は ブ ラ ッ ク 企 業 の 実 例 を 三 つ 取 り 上 げ て い る
が、資料を集める際にも文献のみならず過去の新聞記事
にも目を向け、幅広い情報収集を行った。また、どの事
例も資料からの引用だけにとどまらせずに自分の説明を
加えており、大変分かりやすいレポートとなっている。
これらの書き方は授業中に説明を行ったものではある
が、十分に時間を割くことができなかった。にもかかわ
らず、小林君のレポートではそれが反映され、論旨の明
87
確なレポートが仕上がったことは教員としても喜ばしい
ことである。小林君の今後の大学生活に期待したいと思
う。
行動する習慣をつけなさい 飯 田 大 雅
︵経営学科一年︶
私が教養セミナーの『大きく考えることの魔術』という
本を読んで最も関心を持ったのは、第一〇章「行動する習
慣をつけなさい」という文章だ。
私は過去に何か新しいことを始めようと思ったとき、今
日は天気が悪いから、今は他にやることがあるから、など
といった理由を付けて行動せずに月日をすごし、そのこと
を結局やらずに終わってしまうことが何度かあった。みな
さんにも、これと同じような経験があるのではないだろう
か。この原因は、「行動に移る前にすべてのことが百パー
セント都合よくなるまで待とうとするからだ」と、著者の
シュワルツは言う。確かに、完全な状況というのは望まし
いことだ。しかし、人間がすることに絶対に完全なことな
どありはしない。そのため、完全なコンディションになる
ま で 待 つ と い う の は、 永 久 に 待 つ の と 同 じ だ と い う わ け
だ。これを回避するために必要なことは二つ。未来の障害
や困難を覚悟しておくことと、問題や障害はそれが起こっ
たときに処理することだ。過去の私にはこの二つのことが
出来なかったため、物事を先延ばしにし、その結果何も行
88
動しなかったのだ。以上の二つのことを頭の中に入れて、
今後積極的な生活を送っていきたいと思う。
また、このようなことも書かれている。「行動すること
は自信を育てそれを強化するが、行動しないことは恐怖を
育てるだけである。そのため、恐怖と戦うためには、行動
あるのみだ」と言う。テストで低い点を取る恐怖を克服し
たければ勉強をし、試合に負ける恐怖を克服したければ練
習をする、といったように。どんな種類の恐怖でも、それ
を克服する方法は行動することにある。恐怖するあまり、
行動を避けてしまうことで不安は大きくなっていき、結局
悪い結果を出してしまう。それを防ぐためには、行動する
ことによって恐怖をなくすことが重要だと言える。
私たちは四年間で大学を卒業し、職業に就く。本来それ
はゴールではなく、通過点のはずだ。ところが、就職を通
過点と考えている人はどれだけいるのだろうか。就職後の
目標を持ったり、何を目指して業務を行っていくか考えた
りしている人は少ないのではないかと、私は思っている。
就職した後、指導的立場に登り詰めるために必要なことは
何なのだろうか。それは「イニシアティブを発揮すること
だ」と、著者のシュワルツは述べている。イニシアティブ
とは、自発力や独創力という意味の言葉である。企業では
日々、新商品の開発や既存商品の改善、新しいサービスの
実施などが行われている。他社との競争に勝ち、多くの利
益を得るためだ。それに必要なのがイニシアティブだと言
える。イニシアティブを持った人間は、どんな事業や職場
においても、指導力を発揮することができるだろう。アッ
プル社の創立者の一人であるスティーブ・ジョブズ氏や、
マイクロソフト社の創業者の一人、ビル・ゲイツ氏などの
例を見れば分かるだろう。彼らの成功の裏には、血のにじ
むような努力があった。しかしそれだけではなく、イニシ
アティブを発揮したため多くの利益を獲得した。このこと
から、イニシアティブは就職後、いや、生きていくうえで
も必要なものだと言えるだろう。それを身に付けるために
は、 周 囲 の 人 の 批 判 や 中 傷 に 動 揺 せ ず、 自 分 が 正 し い と
思ったことを行動に移すことだ。嫉妬に駆られた人たちの
批判を恐れて、行動することを止めてはいけない。考えだ
け に 終 わ ら せ ず、 実 行 し て こ そ 世 の 中 の 価 値 と な る だ ろ
う。
「行動する
私は『大きく考えることの魔術』を読んで、
習慣をつけなさい」を含め多くのことを学ぶことができ
た。この本に書かれていることを実践して、今後、積極的
にイニシアティブの取れる大学生活を送っていきたい。
︽参考文献︾
・『大きく考えることの魔術』、ダビッド・シュワルツ著、実務教
育出版
89
ひろ まさ
︿寸評﹀
担当教員 堀田 敏幸
飯田大雅君は何かをやろうと思いついても、それが失
敗に終わるのではないかと結果を恐れて、実行できない
で終わってしまうことがあると言う。確かに考えたこと
が全て成功するわけではないのは、飯田君に限らず誰も
が経験するところである。しかし、思いついたアイデア
が実を結ぶかどうかは、やってみないことには分からな
い。悪い結果を恐れて尻込みしてしまうのであれば、人
間に進歩はない。
結果を恐れないためには、どうすれば良いか。それは
イニシアティブの精神を持つことだと、飯田君は気付い
た。物事を率先してやるという「自発力」を持てば、人
は結果が悪かろうが、またそこから挑戦するという勇気
を持てるのだ。自分から望んだことは、一回や二回の失
敗で消滅するものではない。イニシアティブの精神は不
屈の力となって、その人の生き様を支えるであろう。飯
田君の未来に期待したい。
《教養セミナーⅢ・Ⅳ》
いじめ自殺について
清 水 紘 武
︵日本文化学科三年︶
ここ数年、いじめによる飛び降り・飛び込み自殺がよく
報道されている。なぜこれほどまでにいじめが原因で自殺
する未成年者が多いのか。決していじめが平成の時代から
始まったわけではないが、平成の時代になってからのいじ
めの形式や内容は、従来までのそれらとは違うような気が
する。
現 代 は デ ジ タ ル 化 が 当 た り 前 の 時 代 と な っ て い る。 ス
マートフォンは一人につき一台、パソコンも一家庭につき
一 台、 あ る い は 一 人 に つ き 一 台 と い う よ う に 普 及 し て い
る。フェイスブックやツイッターなどの文字だけで簡単に
交流できるシステムが主流となっている。
匿名で書き込みができるサイトが多数できた結果、他人
を誹謗中傷する者も少なからず出てきている。本来そうし
たサイトは人間のモラルの上で成り立っているはずである
が、 顔 が 見 え な い せ い か 攻 撃 的 な 書 き 込 み を 誘 発 し て し
まっている。学校ではいじめられていなくても、ネット上
で悪口を言われていると分かると、立ち直れずに一人で悩
90
みを抱え込み、挙句の果てに自殺に考えが向いてしまう生
徒もいることだろう。学校側が校内で暴力や心無い言葉に
よっていじめを受けている生徒の存在に気付かないことが
しばしばある。ましてやネット上でいじめを受けている生
徒の存在に気付くことができないのはやむからぬことだろ
う。気付くことのできない学校側だけが悪いと一言で片付
けるのはあまりにも安易だろう。
現在、小中高の学校ではヒアリングなどのいじめ対策が
実施に移されているが、正直なところ行わないよりはまし
であるという感が否めない。
例えば、ある中学生の自殺事件では、学校側がヒアリン
グを行った際にも、また担任教諭が直接尋ねた際にも、自
殺 し た 生 徒 は「 大 丈 夫 で す。 何 も な い で す 」 と 応 え て お
り、自殺する直前まで元気よく部活動を行っていたとのこ
とである。これでは学校側のみを一概に責めることはでき
ない。それに加えて家族ですらいじめを受けていると気付
けなかったのだから、手の打ちようがなかったのではない
かと思う。いじめを受けている生徒のほとんどは家族に打
ち明けられないのではなく、あえて打ち明けようとしない
のではなかろうか。いじめを受けている生徒は家族に迷惑
をかけたくない、心配をかけたくないといった理由から一
人で悩んでいる場合が多いとよく言われている。
いじめの根本的な解決策はないかもしれないが、少しで
もいじめを未然に防いだり、いじめから助け出したりする
91
工 夫 は 講 じ ら れ る だ ろ う。 例 え ば 保 護 者 が 子 ど も と の コ
ミュニケーションを増やし、今日一日の出来事を話す機会
を設けるなど、子どもが悩みを打ち明けやすい環境を整え
るなどである。
昭和から平成に時代が移ってからというもの、人間もア
ナログ・ネイティブからデジタル・ネイティブに変わり、
人間にとってベースともなるべき道徳心、つまりモラルの
意識が低下し、忘れ去られ始めているように感じる。ネッ
ト上の目に見えない文字だけの交流よりも、もっと目の前
にある交流を大事にしてほしい。そして私は心に傷を負っ
て悩み苦しんでいる人々の味方で常にありたいと思ってい
る。
担当教員 柴田 哲雄
︿寸評﹀
教養セミナーⅢ・Ⅳでは授業の後半に新聞記事の輪読
を行なっているが、その一環として、受講生に最近気に
なるニュースとそれについての感想を書いてもらった。
清水君の作文のテーマはいじめ自殺に関するものである
が、尾木ママのような評論家の影響を受けることなく、
真摯に自分の頭で考え抜いたことを書いており、好感が
持てる。清水君自身、色々困難な体験を経て、回り道を
して本学に入学してきたとのことであるが、そうした体
験 が あ る か ら こ そ、 説 得 力 の あ る 文 章 が 書 け る の だ ろ
う。ただいじめ自殺に関して、もう少し他の事例を調べ
るなどして、問題をよりいっそう掘り下げると良かった
だろう。清水君は将来、教育・心理関係の仕事に携わり
たいそうであるが、陰ながら応援したいと思う。
「蝿の王」漫画化にあたって
日比野 将 之 ︵歴史学科四年︶
「 蠅 の 王 」 を 知 っ て い る だ ろ う か。 ノ ー ベ ル 賞 作 家 ウ ィ
リアム・ゴールディングの小説で、一九五四年に発表、一
九九〇年に映画化されているが、あまり知られていないの
で は な い か。 私 が 知 っ た の は 教 職 課 程 の 授 業「 生 徒 指 導
論」の講義の中であった。「無人島で子どもたちだけが過
ご す と い か に 悲 惨 な 結 果 を 招 く か。 そ れ を 物 語 っ た の が
『蠅の王』だ」と。先生は、その後、特に話題にされるこ
とはなかったものの、その奇妙なタイトルと、無人島で子
どもといえば冒険・友情・成長があたりまえと思っていた
ので、その概要を知りたくなり、小説を読みたい衝動にか
られた。映画を観ようとレンタルショップに行ったものの
見当たらず、厚めの小説は苦手だったが、それに挑戦する
しかなかった。途中で断念すること間違いなしと思ってい
たのだが、読み進むにつれページをめくる速度が増し、何
と一気に読み終えてしまった。「子どもだけでルールを決
めて、それを守っていくことがいかに難しいか」この小説
はそれを疑似体験を通して教えてくれた。苦難を乗り越え
てこそ報われる話は漫画、小説等では王道であり、読み手
92
の ろ し
もそこにおもしろさを感じる。しかし、現実は困難を乗り
越えても報われる保障がない。「蠅の王」のような話がか
えって生きることの糧につながるのではないか。
心を揺さぶられたこの小説を友人にもぜひ薦めようと
思ったが、ページ数は多く、小説嫌いな友人たちが読んで
くれる可能性は少なかった。そこで、誰でも手軽に読んで
もらうよう選んだ手段が「漫画化」であった。さらに、仲
間 内 な ら 生 活 の 一 部 に な っ て い る「 ツ イ ッ タ ー」 を 利 用
し、多くの人に見てもらえる機会をつくってみることにし
た。その際、あくまで手軽に読めるよう一ページに収める
ことを心がけた。小説は時間がないから読まない、場面が
想像できない、など毛嫌いされるので、漫画化することに
よって情景をすぐにつかみ、また一ページにまとめること
で時間の節約ができ、気軽に読めると考えた。あとはいか
に一ページに収めるかが問題であった。同時に意識したの
は起承転結であるが、それに5W1Hをどうからませるか
である。はじめ決めていた規律とは何か、何がきっかけで
仲たがいが起こったのか、などである。この物語は無人島
での展開であり、ジャングルが存在することである。漫画
は、コマの枠外に絵を描かない。だが、この話はジャング
ルという世間から隔てられた空間で、物語が展開していく
の で、 背 景 に 思 い 切 っ て「 ジ ャ ン グ ル 」 を 取 り 入 れ て み
た。 ま た、 仲 た が い の 原 因 と な っ た 出 来 事 は 前 半 で は
「狼煙の番を任せられたジャックが勝手に豚狩りをしたこ
とで、そのため救助が遅れ、子どもたちが分裂した」部分
で あ る と 捉 え た。 後 半 で は「 発 言 権 」 を 象 徴 す る「 ホ ラ
貝」が破壊され、規律は完全に失われることを表現してみ
た。最後のコマで絶対的存在の大人を前に、なす術をなく
してしまった子どもを描くことにより、小説とは異なる、
漫画ならではの魅力を表現してみた。
ノーベル賞作品を漫画化してみようなどという試みは、
どこか恐れ多い気がするが、ワクワクする気持ちを抑える
ことができなかった。原作の意図を大切にしながら、いか
に自己の色を描くことができるかということに心がけた。
私 は、 将 来、 漫 画 家 と し て 生 き て い く こ と を 決 め て い
る。幼い頃から漫画には非常に興味があった。絵本を作成
したり、好きな作品をアレンジしたりして楽しんできた。
歴史学科に入学し、当初は、教員を目指していたが、就職
活 動 を 進 め る う ち に、 夢 で あ る 漫 画 家 を 目 指 そ う と 決 め
た。その道のりの厳しさは十分に理解しているつもりだ。
でも、ここであきらめてしまうと後悔すると思い、両親の
理解をやっととりつけたのだ。現在、漫画家として活躍中
の野口芽衣さんは同じゼミの出身であることがわかった。
先輩の背を見ながら、幼い頃からの夢を貫きたい。
93
94
︿寸評﹀
担当教員 八谷 芳樹
「先生、日比野君って覚えていますか。先生にプレゼ
ントあるから会ってほしいって」と学生の一人が声をか
け て く れ た。 プ レ ゼ ン ト は こ の 漫 画 だ っ た。 話 を 聞 く
と、私が「生徒指導論Ⅰ」の中で話題にした『蝿の王』
を漫画化したという。
驚いた。『蝿の王』は、
「学級経営」に関する項で扱う
ので「生徒指導論」ではほとんど話さない。確認してみ
ると、やはり「いじめ」の項で、少し触れただけだとい
う。講義のほんの二、三分が、彼の興味をそそり、二年
も経って、それを漫画化して、届けてくれたのだ。うれ
しい。でも、なぜ漫画化しようと思ったのか聞いてみた
く な っ た。 漫 画「 蝿 の 王 」
︵制作 日比野将之︶と、そ
の作品をなぜ漫画にしてみたくなったかなどをまとめて
も ら っ た。
「蝿の王」は、英国のノーベル文学賞受賞作
家ウイリアム・ゴールディングの代表作である。
昨 今、 次 期 学 習 指 導 要 領 の 目 玉 の 一 つ と も い わ れ る
「アクティブ・ラーニング」が、大学から小、中、高校
に移り、熱っぽく語られている。要は、いかに子どもた
ちの脳を活性化させるかということである。小・中・高
校のアクティブ・ラーニングを「課題の発見と解決に向
け て 主 体 的・ 協 働 的 に 学 ぶ 学 習 」 と し、
「何を教える
か」という知識の質や量の改善はもちろん「どのように
学ぶか」という学びの質や深まりを重視し、知識・技能
を定着させるうえでも、学習意欲を高めるうえでも効果
的だと意義付けている。
私が、ほんのちょっと取り上げた「蝿の王」を日比野
君が関心をもち、小説を買い、読み、それを得意な漫画
に表現し、仲間に読んでもらうという過程は、まさしく
アクティブ・ラーニングの理想的な一過程とみてよいの
ではないか。
たまたま私を訪ねてくれた卒業生と、日比野君が鉢合
わせをすることになった。何とその卒業生から、
「君の
ゼミの先輩が漫画家として活躍しているよ」と、話が弾
み、連絡をとることになった。
彼の熱意がご両親に伝わったようだ。卒業後の健闘を
心から祈っている。
95
スクラ ッ プ バ ト ル
「先生の数」論争
宇佐見 啓
96
︵歴史学科三年︶
教員の待遇についての一論
かつて田中角栄首相時代に公布された「人材確保法︵昭
和四九年︶」という法律がある。
「教員の給与を一般の公務員より優遇すること
こ れ は、
を定め、教員に優れた人材を確保し、もって義務教育水準
︵1︶
の維持向上を図ることを目的とする」ものである。
制定の理由として、民間企業と公務員の給与差による教
職志望者の減少に対抗し、優秀な教員を招き入れようとす
るためなど制定理由に諸説ある。
しかし、田中角栄は「教育公務員は一般公務員に比べて
待遇をよくすべきだと思っている。子どもというのは、本
質的には小さな猛獣なんだ。小さいときからアメとムチで
しっかりと訓練して、しつけなければだめだ。先生たちは
そういう子どもを、親の手の届かない学校で、親に代わっ
︵2︶
て仕込んでくれるんだから、待遇をよくして当然なんだ」
という旨を述べている。教育公務員の待遇改善を、業務の
内容を見つめながら考えていることがわかる。
教員に重荷を負わせるのは誰か
教員の削減は、二〇一八年問題に象徴される急激な少子
化時代において仕方ないことと捉えてもよい。だが、記事
にもあるとおり教員は、総合的で長時間の業務をこなさな
くてはいけない。うつ病の罹患率も高い。例として、愛知
『中日新聞』11 月20 日金 社説
県の求める教員像に「児童・生徒に愛情を持ち、教育に情
熱と使命感を持つ人」「明るく、心身ともに健康な人」な
どとある。そのような志ある人たちに甘えながら教育を継
続してよいのか。数字だけの国家経営に陥らず、教員・学
校と児童生徒の二元的な関係で持続可能な教育政策を進め
てほしい。
健全な生活と人格の完成
「いちばん大切なものは目に見えない」
~
~
教 育 基 本 法 第 一 条 で、 教 育 は「 人 格 の 完 成 を め ざ し、
︵中略︶心身ともに健康な国民の育成を行う」とされてい
る。「 健 全 な 精 神 は 健 全 な 身 体 に 宿 る 」 と い わ れ る よ う
に、健全であることが、健康な人々を育てる必須条件だろ
うと考える。
︵3︶
』の冒頭のやりとりを知っ
みなさんは、『星の王子さま
ているだろうか。ぼく︵筆者の子ども時代だろう︶は、は
じめて描いた「ゾウを飲み込んだ大蛇の絵」をおとなたち
に「帽子の絵」だと思われ、「そんなことより役に立つ学
問を」と言う。彼は「六歳にして画家というすばらしい職
業を諦める」運命をたどる。
この冒頭には、このような子どもをつくらないようにし
なければ、と考えさせられる。サン=テグジュペリは、優
れた児童文学作家であり、前述のおとなたちの教育や時代
に振り回されたひとりの人間だ。飛行機操縦士でもあった
彼は、第二次大戦中に基地を発進したまま今も帰ってこな
い。彼のように帰らない人をつくることが、何度もあって
よいだろうか。そのためにはおそらく、子どもを発見し守
るための、
「みえない大切なものを見る」健全な教員が必
要だ。
︽註︾
文部科学省HP「人材確保法について」
︵1︶
︵2︶早坂茂三『田中角栄・回想録』の一部
︵3︶サン=テグジュペリ『星の王子さま』
97
スクラ ッ プ バ ト ル
平等か優遇か
今 井 達 彦
も ち ろ ん、 こ の 格 差 是 正 の 精 神 を 否 定 は し な い。 と は い
え、実態は優遇措置であるともいえよう。
近年、女性の社会進出が話題となることが多い。それに
伴い、雇用のみならず、管理職に一定の割合で女性を起用
することを求める「ポジティブ・アクション」が叫ばれて
98
︵法律学科四年︶
アファーマティブ・アクション。憲法の講義でこの言葉
を初めて聞いた。日本語では、積極的格差是正措置と訳さ
れる。内容は様々だが、たとえば、アメリカの大学入試で
長らく差別的扱いを受け、十分な教育を受けられなかった
黒人が大学へ進学できるよう、一定の合格率をあらかじめ
設ける制度である。黒人のそれまでの待遇を鑑み、黒人の
地位を底上げしようと試みたものであろう。
しかし、これは平等といえるかと問われたとしたら、直
ちに首を縦に振ることはできない。たとえば、黒人のため
に設けられた合格率を一割とする。一〇〇の枠を、教育を
受けてきた一〇〇人の白人と、教育を受けられなかった一
〇人の黒人が争ったとする。思惑どおりならば、九〇人の
白人と、一〇人の黒人が合格となるだろう。では、残りの
一〇人の白人の権利はどうなるのか。
こ の 大 学 入 試 に 関 し て は、 ど う に も な ら な い。 な ぜ な
ら、一割は黒人に割り当てられるとあらかじめ定められて
い る た め、 そ の 枠 に 白 人 は 入 る こ と が で き な い か ら で あ
る。これで平等と胸を張っていうことができるだろうか。
『岐阜新聞』2016 年1月5日火 朝刊3面
いる。これに私は疑問を抱いている。誤解のないようあら
かじめ述べておくが、私は、女性の雇用や起用に反対する
立場ではない。
では、どのような疑問を抱いているのか。それは、先述
の「アファーマティブ・アクション」による、一〇人の白
人の出現である。本来であれば、入学資格を得られたはず
であるにも関わらず、自らに責任がない理由で入学資格を
得られなかった一〇人である。
つまり、一定の割合で女性を雇用あるいは起用するとな
れ ば、 そ れ に よ っ て 機 会 を 逃 す 男 性 が 必 ず 現 れ る の で あ
る。ここに平等はあるのだろうか。あるのは優遇ではなか
ろうか。少なくとも、フェアであるとは思えない。
そもそも、始めから平等な基準による雇用あるいは起用
であれば、その結果、全員がいずれか一方の性別であろう
と問題ないはずである。ともすれば、女性だからという理
由で雇用あるいは起用をすることは、男性だからという理
由で機会を逃すことを意味するのであり、かつての男性優
位の社会の男女が入れ替わるだけで、同じ轍を踏むことに
なるのではないだろうか。
たとえば、女性特有の悩みの相談窓口のような部署であ
れ ば、 優 先 的 に 女 性 を 起 用 す る こ と は 理 解 で き る。 し か
し、いわゆるデスクワークなどに優先的に女性を起用する
ことには、理解を示すことができない。男女どちらでも問
題ないはずである。
平等を求めた結果、底上げが行き過ぎ、平等を逸したの
ではないかと感じることが多い。平等を謳うのであれば、
先述のような例外を除き、性別は一旦忘れ、フェアに枠を
争うべきである。
担当教員 八谷 芳樹
︿寸評﹀
「ビブリオバトル」は多くの人々が知っていることだ
ろう。似たものに「スクラップバトル」なるものがある
ことを最近知った。ビブリオバトルよりもバリエーショ
ンが多く手軽に行えるので、幾度か試みてみた。ビブリ
オバトルと同じように盛りあがる。
旧知の御厩祐司︵現在総務省情報通信利用促進課長︶
氏が兵庫教育大学教授時代に考案したもので、「新聞記
事等のスクラップに、自分の言葉を加え、その出来を競
い合うもの」である。一つは、記事のスクラップをもと
に ス ピ ー チ を す る、 い わ ば 記 事 を 使 っ た show & tell
で、ビブリオバトルの方法と同じである。
もう一つの方法は、新聞のスクラップに、タイトルと
メッセージを加えた「テキスト」なるものを作り、その
出来を競い合うものである。
思考力 判断力等を身
新聞に関心をもったり、表現力
につけたりするのに活用できる。
「教養セミナーⅣ」で
試みたが、ジャンルはさまざまな分野に及んだが、
「主
権者教育」に関するものがかなり目立った。
99
割付のつごうで縦書きのテキストになったが、授業では
上のようなテキストを作成した。
御厩氏によればテキスト(text)の語源は、ラテン語で
「織る」
「編む」という意味で、textile(織物、布地)とい
う言葉も同じ語源だという。
この一枚の「テキスト」は、記事という縦糸に自分の言
葉という横糸を、編み込んだ一枚の織物、布地となる。
100
ここでは、二人のテキストを紹介する。ともに教員を
目指しているが、社説を取り上げた宇佐見君は、来年度
は教育実習に出かける。女性雇用の数値目標を取り上げ
た今井君は、岐阜県で教壇に立つ。
テキストの作り方
教養セミナー・教養教育をふりかえって
ドイツで過ごした一ヶ月
山 本 夏 樹
︵経済学科三年︶
僕は昨年の夏、ドイツ語を習得するためにゲーテ・イン
ス テ ィ テ ュ ー ト の マ ン ハ イ ム 校 の 語 学 研 修︵ 四 週 間 コ ー
ス︶に参加しました。ドイツは修学旅行で一度訪れたこと
がありましたが、そのときは周りに多くの日本人がいて、
まるでドイツの中に移動式の日本があるようでした。しか
し、今回は同じくゲーテに参加する友人と二人だけでドイ
ツに向かい、海外というものを直に感じることができまし
た。
フランクフルト空港に降り立ったとき、これからドイツ
で過ごす一ヶ月に対する期待と、言葉の通じないゲーテで
のクラスメイトやドイツ人とのコミュニケーションに対す
る不安でいっぱいでした。ドイツに着いてからの二日後、
僕たちはそれぞれの研修の開催地︵友人はデュッセルドル
フ校︶へ向かうために電車に乗ることになりました。しか
し、ドイツの電車は買った切符に応じて一等、二等の車両
が決まっています。僕はどの車両に乗ればいいかも分から
ず、いきなり頭が真っ白になってしまいました。なんとか
心を落ち着かせ、カタコトの英語で近くにいた人に切符を
見せて確かめると、それはもう素敵な笑顔で答えてくれま
した。別に言葉や文化が違うだけで同じ人間ですから、そ
こまで怖がることはなかったのです。もし逆に僕が知らな
い外国人に道を聞かれたら頑張って応えようとしますし、
ほかの人もきっとそうするでしょう。当たり前のことです
が、大切なことに気づいた瞬間でした。
僕は授業を受ける校舎のある、ドイツ南部の人口約三十
万の都市マンハイムに向かい、そこで路面電車に乗り換え
ました。路面電車は、日本では見かけることが少ないかも
しれませんが、ドイツではよく見かけます。切符は路面に
ある券売機で買い、車内にある刻印機に入れるのですが、
その切符を確認する車掌さんはいません。ですからタダ乗
りをしようと思えばできてしまいます。しかし、それをす
る人はいませんでした。抜き打ちの検査で見つかると結構
な罰金を支払うことになるそうですが、やはりこのシステ
ムは信頼によって成り立っているのだと思いました。
ようやく校舎にたどり着いた僕には、新たな難問が待っ
ていました。入校の手続きと面接です。到着の手続きをし
101
て、手元にある大荷物を一旦教室において⋮⋮という一連
の流れの説明を全て英語かドイツ語でしてもらうわけで
す。僕は英語で説明を受けましたが、お世辞にも英語力が
あるとは言えないので、幾つかの単語とジェスチャーでな
ん と か 理 解 し ま し た。 し か し、 面 接 で は し ど ろ も ど ろ に
なってしまい、クラスの振り分けでは初心者クラスに入る
こととなりました。その後、自分が一ヶ月住むアパートに
行くことになったのですが、ゲーテの計らいもあったのだ
と思います、ルームメイトは日本人でした。電車に乗って
から三時間ほどで、日本人一人で過ごす時間は終わりを迎
えることとなりました。
授業が始まり教室に向かうと、クラスの構成は実に多国
籍 で し た。 一 三 人 の ク ラ ス メ イ ト の 出 身 国 は 十 ヵ 国 以 上
だったと思います。コミュニケーションツールとなる言語
は英語で、最初、僕はあまり積極的に会話することはでき
ませんでした。しかし、一人と仲良くなり、そしてまた一
人と仲良くなり、と少しずつ友達が増えていき、徐々に英
語とドイツ語でのコミュニケーションが取れるようになっ
て い き ま し た。 そ れ か ら は、 毎 日 が 楽 し く な り ま し た。
ゲーテの授業は平日の半日だけで、それ以外の時間や週末
にはほぼ毎日様々な企画が用意され、街中での飲み会に出
かけたり、ハイデルベルク城に遠足に出かけたりと、色々
な企画に参加して交流を深めることができました。特に仲
良くなったのは、アルバニアと台湾の友人です。二人は僕
がアパートを出る前日にお別れパーティーを開いてくれま
した。このとき、言葉がそれほど通じなくても人の気持ち
は通じるものだ、と強く感じました。
ドイツといえば、だれもが知っている有名な食べ物と飲
︶とビール
み 物 が あ り ま す。 そ う、 ソ ー セ ー ジ︵ Wurst
︶ で す。 ド イ ツ の 伝 統 食 で あ る ソ ー セ ー ジ は 様 々 な
︵ Bier
種 類 が あ り、 ど こ で 食 べ て も 美 味 し か っ た で す。 ま た、
︶
ビールも様々な種類があり、特にヴァイツェン︵ Weizen
と呼ばれる半透明の白ビールは、味がまろやかでとても美
味しく飲むことができました。しかし、美味しいのはこれ
︶とい
だ け で は あ り ま せ ん。 シ ュ ニ ッ ツ ェ ル︵ Schnitzel
う料理が、僕個人としては思い出に強く残っています。カ
ツレツのような料理ですが、それにソースをかけたイェー
ガー︵ Jäger猟師︶シュニッツェルが絶品でした。また飲
︶がよかったです。これはビー
み物ではラドラー︵ Radler
ルをレモネードで割ったもので、アルコール度数が低く、
気持ちよく飲むことができます。もちろん食べものだけで
なく、観光に適したところも多くあります。僕はどちらか
というと花より団子という質であまり観光には行かなかっ
たのですが、ケルンの大聖堂は圧巻でした。その大きさと
美しさに、思わず見とれてしまいました。中の階段を使っ
てかなりの高さまで登ることができ、内部も見学できます
が、このような巨大な建築物が人間の手によってできるこ
とに驚かされました。
102
仲良くなった二人の友人と(筆者:中央)
今回の一ヶ月のドイツ滞在では、異なる言語や食文化の
体験はもちろん、コミュニケーションにおいては言葉がそ
れほど通じなくても意思の疎通ができることや、国は違っ
てもやはり人としての心と振舞いが大切であることを知る
ことができました。きっとこの経験は将来役に立つと思い
ます。そしてこの経験が無駄でなかったと思えるように、
この経験を活かして行きたいと思います。
もしこの文章を最後まで読んで下さった方がいらっ
しゃったのであれば、お礼を申し上げたいと思います。そ
し て こ の 文 章 を 読 ん で、 少 し で も ド イ ツ や 海 外 に 興 味 を
もっていただけたら幸いです。
大学で自分のことを見つめ直す
渡 辺 廉 大
︵経営学科二年︶
ちょうど三年前の四月、僕は夢もやりたいこともないま
ま大学に入学しました。高校時代からあまり勉強が好きに
なれなかった僕は、入学前に大学生になった自分を想像し
たとき、アルバイトを必死でやり、それで貯めたお金を遊
ぶことに費やして過ごしていく姿しか思い浮かべられませ
んでした。実際、その当時の僕は、大学生とはそういうも
のだと思い込んでいたのです。
しかし、一年生の前期の成績発表で自分の認識の甘さを
知ることになりました。元々あまり勉強が好きではなかっ
たことに加えて、テスト勉強を怠り、遊ぶことばかりに精
をだしたため、単位を半分以上落としてしまいました。そ
して、その時はじめて、自分の中で勉強をしなければなら
ないという気持ちが芽生えたのです。
その後期には、がんばるしかなかった僕は単位を落とさ
ないようにテスト前にしっかりと対策をとり、なんとか留
年は回避することができました。しかし、得たものは単位
だけではありませんでした。その単位をしっかりとれたこ
とが、本当に小さなことではありますが、なにより自分に
103
イエーガー・シュニッツエル
自信を持たしてくれたのです。そして、もっと好成績をと
るというインセンティブが生まれました。
二年生の前期試験には、目標を「単位をしっかりとる」
で は な く、
「少しでもよい成績をとる」ということにかえ
て臨みました。その結果としての成績は満足のいくもので
はなかったのですが、少しずつでも自分の成績が上がって
いくことに喜びを感じました。そして、二年生の後期にな
ると、大学での勉強にプラスしてもっと色々なことを学び
たい、という気持ちが出てきました。つまり、自分が知ら
ないことを学ぶ楽しさに気づいたのです。
それからは、少しでも興味があることには全力で向かっ
て い く こ と を 決 意 し ま し た。 そ し て、 二 年 生 が 終 わ る 頃
に、元々興味があった海外に、一年間休学して留学するこ
とにしました。留学先は発展途上国であるフィリピン︵最
近、外国人を対象とした英語教育が盛んです︶と先進国で
あるカナダです。留学の一番の目的はもちろん英語能力の
向上でしたが、日本では得られないこと、知ることができ
ないものを持ち帰るのも大きな目的のひとつでした。そし
て、この二か国に行き、人々のありかた・衛生環境・労働
環境などを比較することで、国による格差を大きく体感で
きました。
今振り返ってみると、海外に行って長期間滞在するとい
うことは自分にとって本当に多くの刺激を受けられる毎日
でした。楽しいことはつらいことに比べれば微々たる程度
しかありませんでしたが、それでも、知らないことを知る
ことにより、自分の考え方に少しずつでも変化があるのを
感じました。そして、自分が一歩前に踏み出すだけで本当
に自分の周りが変わることを実感しました。
今、僕は、大学生活の中で、ちょっとしたことでも努力
することによって自分に変化が起こせることがわかってい
ます。残りの大学生活二年間を、社会人になったときの自
分が後悔しないような過ごし方をしていきたいと思いま
す。
104
教 養 部 学 習 支 援 室 L .A .活 動 報 告
平成二七年度の
教養部学習支援室L.A.活動
L.A.学生 ︹五十音順︺
︵春学期︶
市川 遥・大坪史夏
尾関陽菜・光神千賀
髙橋 萌・西尾綾夏
早川美希・原井 亨
堀 綾夏・両角友穂
︵秋学期︶
市川 遥・大坪史夏
西尾綾夏・早川美希
堀 綾夏・両角友穂
本学には学生同士が互いに助け合い、学びあう「ピア・
︶
」 と い う 仕 組 み が あ り ま す。 こ
サ ポ ー ト︵ peer support
の仕組みの一環として「ラーニング・アシスタント︵L.
A.
︶」という、主として学習面における学生同士の支援・
援助・相談活動が行われています。その多くは、授業内で
困っている学生に対して、教員指導の下、L.
A.
学生が学
習に関する相談・支援を行うものであり、学習支援を受け
る学生だけでなく、それを通じて、L.
A.
学生自身もリー
ダー・シップなど様々なことを学ぶことができる、という
ものです。しかし、本学のL.
A.
活動には、授業内にとど
まらない、授業外での活動もあります。
教養部学習支援室L.
A.活動︵以下、教養部L.A.︶も
そのひとつです。教養部L.A.が目指しているものは、学
部・学科を超えた「授業外での学び合い」の実現であり、
その実現のために学生の立場からのより良い学習支援を企
画・実施しています。こうした考えのもと、教養部L.A.
で は、 今 年 度 春 学 期 に は、 主 と し て 一 年 生 を 対 象 と し た
「履修相談会」
「定期試験対策講座」を、秋学期には、主と
して上級生を対象とした今後の進路についての企画「今、
何をすべきか ∼進路の視野を広げる∼」を実施しました。
春学期に実施した「履修相談会」は、入学直後の一年生
に対して履修方法の説明等を行うという企画でした。先生
や事務室にはなかなか聞きにくい細かな点などを先輩たち
L.A.が丁寧に説明しました。学生同士で質問しやすいと
いうこともあってか、多くの新入生が相談に来てくれまし
105
た。
また、「定期試験対策講座」は、大学入学後、初めての
試験を迎える一年生を対象に、試験を受ける前に準備して
おくべきことや、試験当日の注意事項などを、資料や板書
を用いて説明する、という企画でした。例えば、時間割や
教室をよく確認しておくことといった基本的なことに加え
て、試験期間中は普段の講義日よりもバスが混むこと、食
堂も混雑するのでお弁当を持参した方がよいことなど、す
でに何度か試験を経験している私たちL.A.の実体験を中
心に話しました。本企画では、開催日全体を通して、五限
目という遅い時間帯にも関わらず、私たちの想定した以上
に多くの一年生が集まり、この企画のニーズの多さを強く
実感することができました。また、大学生活の経験が少な
い一年生と話すことを通じて、人に何かを説明することの
難しさを知ると共に、私たち上級生が気付いていなかった
点を改めて知る良い機会となりました。
ただ、その一方で、更に良い企画を実施できるよう、改
善していく必要があると感じた点もありました。本番での
説明や、説明後の質問に対する返答、また企画段階におけ
る人数の想定、会場の選定、事前の広報など、各段階でよ
り時間をかけて行う必要があったと思います。
秋学期に行った企画「今、何をすべきか ∼進路の視野
を広げる∼」は、卒業後の進路選択の参考としてもらうた
めに、本学に関わる様々な先輩たちから自身の進路に関わ
る体験談を聞くという企画でした。これは卒業後の様々な
進路のありかたを紹介して、その具体的な準備内容を「学
生 目 線 」 で 伝 え る こ と を 目 的 と し た も の で、 本 学 職 員 の
方々、アルバイトから正社員の内定をもらった学生、本学
出 身 の 他 大 学 大 学 院 生、 留 学 経 験 の あ る 学 生、 の 方 々 か
ら、ご自身の進路に関わる貴重な体験談を聞くことができ
ました。
この企画の内容については好評で、学生のニーズがある
企画だと実感することができましたが、その一方、今後の
活動に向けての反省点も多々ありました。例えば、企画の
準備段階ではもう少し多くの学生が参加すると予想してい
ましたが、実施してみたところ予想したほどの人数は集ま
り ま せ ん で し た。 お そ ら く、 企 画 の 会 場 や 日 程、 教 養 部
L.A.自体の知名度など様々な問題があったのでしょう。
また、企画に興味・関心があっても広報の時期が遅かった
ために参加できなかった人がいたかもしれません。広報の
時期も重要な改善点でしょう。今後のL.
A.
活動では、こ
うした点を改善し、より解りやすく、大勢の方が満足して
いただけるような企画を実施して行きたいと思います。
A.
は以上のような様々な学習支援の企
私たち教養部L.
画を実施してきました。この企画運営の過程そのものも、
教養部L.
A.
の学生同士の学び合いとなりました。教養部
L.A.は一昨年度の秋学期から始まり、知名度も低くまだ
まだ試行錯誤の段階ですが、今までの活動の積み重ねは、
106
きっと今後のL.A.活動の貴重な財産になると思います。
今後も、学部・学科を超えた授業外での「学び合い︵ peer
︶
」という、教養部L.A.ならではの活動を広めて
support
いき、本学の学生生活をよりよいものにする手助けができ
ればと思います。
最後に、今年度の教養部L.A.活動にご参加・ご協力く
ださった学生・教職員の皆様、困ったときに支えてくれた
家族と友人に、この場を借りて感謝とお礼の言葉を申し上
げます。
ありがとうございました。
107
教養セミナー 学 生 論 集
《教養セミナーⅠ・Ⅱ》
「ながさき。」
木原 有梨
(商学科1年)
私は地元の長崎を紹介します。
一つ目は、これです。
「きのー、
まず一つ目は、
通じない方言です。
いもんこば、よんにゅーもろーた
ばい。
」この意味がわかりますか?
こっちの人は使わないと思います。
「よんにゅー」というのは、たくさ
んという意味です。ちなみに、「い
もんこ」というのはさつまいものこ
とです。長崎ではさといもとかじゃ
こっちでは方言で喋ると伝わらな
がいもは普通に言うのですが、さつ
いことがあるので、自分としては抑
まいもは「いもんこ」と言います。
えているつもりなのですが、それで
もイントネーションなど違う部分が
結構あるようです。今日は例を二つ
紹介したいと思います。
(1)
二つ目です。この「うんにゃ」と
生だった。」というように自慢する
いうのは、いいえという意味です。
人が多いです。
これらは基本中の基本です。他に
その二は、「タクシーの運転手さ
もいろいろありますが、たいていは
んが福山雅治の実家を教えてくれ
指摘されないと私もわかりませんの
る」です。これは有名な話で、本当
で、それ方言だよーとか伝わらない
に教えてくれるみたいです。
よーと教えてくれるとありがたいで
その三は、「長崎でライブがある
す。
時、
駅が福山雅治一色になる」です。
次は、長崎人の異常な福山雅治愛
これは私も実際に見ました。このよ
です。
うにパネル類がそこらじゅうにあっ
て、長崎人に愛されているんだなあ
ということがわかります。
次は、長崎のグルメについて紹介
します。
長崎の恋人と言われている福山雅
治さんですが、長崎ならではの『あ
るある』を紹介したいと思います。
ランキング形式で行きます。第3
位は「リンガーハット」です。
福山雅治あるあるその一は、
「長
崎人は福山雅治となんらかの関係が
あると話したがる」です。これは本
当に多くて、例えば、
「自分のお母
リンガーハットは全国にあるの
さんの友達の友達が福山雅治と同級
で、知っている人も多いと思います
(2)
が、美味しいですね。店舗数は、全
リューム満点で、ご飯もおかわり
国に約 600。海外にも店舗があるみ
OK です。私のおすすめは、からあ
たいです。個人的には、普通のちゃ
げ定食です。このでっかいからあげ
んぽんが美味しいと思いますが、今
がめちゃくちゃ美味しいです。みな
は季節限定のかきちゃんぽんもおす
さんも長崎に行くことがあったら、
すめです。でも、この牡蠣は広島県
ぜひ寄ってみてください。
産のようです。
次は、長崎県あるあるを軽く紹介
第2位は「みの屋」です。これは
します。
わからないと思います。長崎に3店
舗しかないですが、お手頃で美味し
いです。いろいろなメニューがあり
ますが、私のおすすめは、たぬきう
どんとかしわ飯です。懐かしい味が
します。
その一は、地元の小長井駅ですが、
電車の本数がおかしいです。まず、
電車が1日に11 本しかない。朝の
8時半から昼の1時までは電車がな
くて、また1時から夕方の4時まで
電車がありません。こっちの地下鉄
第1位は「山勝食堂」です。これ
だったら、乗り遅れても次が来るの
もわからないと思います。このお店
で平気ですが、小長井では乗り遅れ
は大好きで、部活を終えた後など
は命取りです。小長井の人は、電車
に寄っていました。量が多くてボ
の出発時刻を知らない間に暗記して
(3)
しまっています。
ハウステンボスは最近人気のよう
次は、イオンモールってなに?
で、全国イルミネーションランキン
です。こっちに来て初めてイオン
グ3年連続1位に輝いています。こ
モールというものを見ました。本当
の写真は光の滝ですが、今年から始
に広くてびっくりしました。愛知県
まったもので、高さが66メートル
には13店舗あるようですが、長崎
もあります。綺麗ですね。
には……、ないです。ちなみに、ラ
ウンドワンも長崎には全然なくて大
変です。
他には、光のバンジージャンプが
あり、これも今年の冬から始まった
ようで、地元の友達にこれをやろう
最後になりますが、この冬はぜひ
と誘われています。高い所は苦手な
長崎へ来てほしいです。なぜかとい
のですが、やってこようかなと思っ
うと、ハウステンボスにぜひ行って
ています。他にもブルーウェーブな
もらいたいからです。
どいろいろあります。
遠いのでなかなか機会がないと
は思いますが、ぜひ長崎へ行ってみ
てください。
(4)
《参考ホームページ》
(画像の利用も含む)
・がんばくんとらんばちゃんのお部屋
https://www.pref.nagasaki.jp/
koho/ganbaranba/
・株式会社リンガーハット
http://www.ringerhut.co.jp/
・長崎よかナビ!
http://www.nagasaki-yokanavi.net/
・ハウステンボス
http://www.huistenbosch.co.jp/
〈寸評〉
担当教員:有馬義康
「目指せ! プレゼンの達人 !!」というテーマの授業である。人前での
発表を様々な形式で行い、経験を積んでいった。春学期は、自己紹介に
始まり、1分スピーチやビブリオバトル形式での作品(本、映画、曲)
紹介を行った。秋学期はコンピュータ教室に場所を移し、PowerPoint
で作成したスライドショーを用いての口頭発表を行った。他者の発表に
対して、コメント記入や評価(点数付け)も行なった。
ひらがな、句点付きのシンプルで印象的なタイトルで始まる木原さん
のこの作品は、卑下を交えながらも地元への愛が強く感じられる作品で
あった。おすすめグルメの紹介では、ランキング形式で惹きつける工夫
がなされ、
しかも上位は地元の人しかわからないような飲食店であるが、
その美味しさがよく伝わってきた。また、
『あるある』形式を取り入れて、
取っ付きやすくし、わかりやすさを増していた。スライドは大きめの文
字で見やすく、アニメーションも効果的に使っていた。この白黒の紙面
ではわかりにくいが、ところどころ文字の色を変えることで印象付ける
工夫もなされていた。発表後の学生の評価が最高点であったこともうな
ずける内容である。
発表のテーマは自由に選ばせた。この木原さんのように地元紹介を選
んだ者、好きなアーティストや自分のやっているスポーツを選んだ者、
はたまた意外なテーマを選んだ者もいて、バラエティに富んでいた。そ
の多くは自分の好きなものの紹介であったが、それにおいては、好きだ
(5)
ということを伝えるだけではなく、その魅力を相手にも理解してもらえ
ることが望ましい。自らの発表だけでは気付けないことを、他の学生の
発表を見聴きすることで学んでいけると期待している。学生の様々な工
夫は、こちらも見ていて面白い。
(6)
Unusual British Festivals
須田 結美
(グローバル英語学科1年)
There are many local festivals in Britain, celebrating the local foods. They are a
mixture of sport and fun.
Cheese-rolling
This is held on the Spring Bank Holiday (public holiday) in April. It takes place
on a steep hill near Gloucester(グロスター)in the West of England. The region is
famous for its cheese. A complete cheese is a thick round disk, about 60cm across. A
cheese is rolled down the hill and players chase it. Most players fall down the hill and
some are hurt.
Bog-snorkelling
This takes place in a peat bog in Wales. Competitors wear snorkels, masks, and
flippers. They have to swim 30 meters. You can’t see in the muddy water!
(11)
Yorkshire Pudding Boat Race
Every August children cross a river by boat in Yorkshire. The problem is that
the little boat is made only of flour, eggs and water, so most boats fall apart. The
boat is shaped like a Yorkshire pudding, a famous dumpling eaten with roast beef by
Yorkshire people.
〈寸評〉
担当教員:ダニエル・ダンクリー
須田さんは英国の幾つかの珍しい民族スポーツを紹介しています。そ
れらのスポーツが人気なのは、人々の楽しみのためだけであって、花形
選手や薬物をとる選手がおらず、過剰な収入を得る監督もいないからで
す。人々は日本のお祭りと同じように1年の中、数日間エネルギーを発
散させます。彼らは又その田舎の地域を讃えるのです。
(12)
British Media
オウゲイ(Wang Yi)
(グローバル英語学科1年)
Britain has always been a global country, trading not only with Europe but
with the whole world, especially America, Africa and India. Now the mass media
(Newspapers, TV, internet and radio) are an important part of the economy.
News agencies collect news from around the world and distribute it to various
media. The oldest agency is Reuters, started in 1850.
Broadcasting (radio and TV) is very important. The BBC, like NHK has many
channels in the UK, and BBC World TV channel is all over the world, including
Japan. More than 100 million people listen to or watch BBC programmes on the radio
or TV around the world. British TV directors have invented many formats (types
of show) which they sell around the world. One of these is a dancing competition
called Strictly Come Dancing. British people love football (soccer), and many people
use the pay-TV channel Sky sports.
There are many newspapers in Britain, and they make 5% of British GDP. There
are both serious papers like The Times and popular ones like The Sun. If a taxi driver
has a little free time, he opens his newspaper!
(13)
So we see that Britain has a new creative media industry, based on people’s
imagination, different from the old manufacturing industry.
〈寸評〉
担当教員:ダニエル・ダンクリー
オウさんは脱工業経済の大切な役割について述べています。メディア
は私たちの日常生活で大切な役割をしています。それは私達に娯楽、教
育、及び情報を与えてくれます。それは又多くの人々に雇用を供給して
います。最近はインターネットによって本当に情報がグローバルになっ
ています。メディアによって21世紀はどのように変わっていくのでしょ
うか。
(14)
来住 準一
生活習慣と健康について考えよう
Ⅰ、アカデミック・スキルズ
Ⅱ、科学マジック入門
テ ー マ
少し科学的な見方も!
中原中也の詩にみられる人間のすがた
ゆったり味わい、考える!
体のしくみを知って賢く楽しく生きよう
アンデルセン童話から学びましょう
太陽系とはなんだろうか
アニメや時空を超えた映画の可能性に親しむ
楽しいアンケート調査
日本語の文章表現力を身につけよう!
北村伊都子
河野 敏宏
小村 賢二
清水 義和
城 貞晴
田中 泰賢
溝口 明
憲一
宮内
教 員 名
小出 龍郎
虎澤 慶太
Ⅰ、意思伝達のための文章作成術
Ⅱ、問題解決のための思考と技術
論理的思考を鍛えよう
菅 さやか
山名 賢治
Ⅰ、『脳とこころ』のサイエンス
Ⅱ、『生︵いのち︶と死』のサイエンス
日常に潜む「思い込み」に立ち向かう │心理学で鍛え
る論理的思考力│
尾崎 孝之
心身科学部︵心理学科︶
平成二十七年度 教養セミナー・テーマ一覧
心を鍛えて、夢をつかもう!
伝える力 伝わる力
歴史は鑑である
スポーツと社会の関わりを学ぶ
論理トレーニング │ものごとを正確に表現する力を身
につけよう│
テ ー マ
『ファウスト』を読む
教養セ ミ ナ ー Ⅰ ・ Ⅱ
法学部
宣明
教 員 名
糸井川 修
岩佐
小林 秀一
佐々木 真
朱 新建
自分に限界を作るな!
英語を使って、知にアクセス
福山 悟
中国の歴史と文明
高田 正義
西谷茉莉子
前山愼太郎
「社会」の見方・測り方 │社会を題材に論理的思考を身
につけよう│
Ⅰ、意思伝達のための文章作成術
Ⅱ、問題解決のための思考と技術
松井 真一
山名 賢治
法と女性│イギリスのヴィクトリア時代の場合
テ ー マ
目指せ! プレゼンの達人
吉井浩司郎
商学部
教 員 名
有馬 義康
!!
小出 龍郎
G・ガニエ
上原 宏行
教 員 名
青山 健太
英語のリスニング入門︵基礎︶
︵応用︶
サッカーを通してスポーツ社会を考える
Ⅰ、『脳とこころ』のサイエンス
Ⅱ、『生︵いのち︶と死』のサイエンス
異文化交流と実用英語
日常生活には科学がいっぱい! 理解して、より便利な
生活を!
テ ー マ
心と体を健康にしよう!
経済学 部
境田 雅章
文章力を磨く︱アンティークの美を学びながら
英語の歴史︵イギリスにおける民族支配の影響を受けて︶
生命科学を楽しもう
テ ー マ
TEDを観て新しい知識に触れよう。
価値観を広げよう。
科学的な思考のレッスン
Watching History on YouTube
都築 正喜
R・ブレア
吉村 正宏
鷲嶽 正道
文学部
教 員 名
池田 健
石川 一久
昭和史とは何か
さ あ! 江 戸 期 の 長 崎 よ り 東 京 ま で の ロ マ ン の 旅 に 出
かけよう!
趣味から始める学問入門
川口 高風
TOEICに挑戦
岡島 秀隆
岡田 千昭
河合 泰弘
近藤 勝志
近藤 浩
澤田真由美
柴田 哲雄
淳志
日本語の表現力を高めよう
英語のふしぎ
キャリアの基礎を固めよう!
English Through Film: Part I Hayao Miyazaki : Part II
Harry Potter
『ピーター・ラビット』をとことん読む
教育のチカラ
“ What Did They Say?
” English Through American
Movies
異文化・自国文化を考えよう!
菅原 研州
日本の昔話を通して日本の文化を知ろう!
高田 正義
心を鍛えて、夢をつかもう!
D・ダンクリー
Britain Now
ハリウッド映画とポップミュージックで1960年代
R・ノテスタイン
の文化を紹介する
アメリカのニュースやヒットソングを通して広い視野
を身につけよう
藤田
D・ポマティ
文 嬉眞
山口 拓史
均
山口
J・ライトバーン
経営学部
テ ー マ
サイエンスコミュニケーションを学ぼう
教 員 名
暮らしの中の科学
超難解折り紙で、論理脳を鍛えよう
健康行動について
現代中国を知る
豊治
遠藤 哲也
勝股 高志
北田
久馬 栄道
清 忠師
高田 正義
中村 綾
堀田 敏幸
宮内 憲一
山下 秀康
心を鍛えて、夢をつかもう!
日本文化の中の中国
人はその考え方で決まる。大きく考えてみるとしよう。
ゆったり味わい、考える! 少し科学的な見方も!
プログラミング入門
テ ー マ
ドイツ語で読む『白雪姫』
教養セ ミ ナ ー Ⅲ ・ Ⅳ
教 員 名
平成の町村合併から学ぶ新旧の歴史的地名
朱 新建
柴田 哲雄
異文化・自国文化を考えよう!
手紙に見るヨーロッパ文化
Ⅲ 文化の素質は人生を豊かにする
Ⅳ 文化の素質は教養を高める
キャリアの実践力を高めよう!
私たちヒトはどこへ向かうのか
糸井川 修
川口 高風
堀田 敏幸
「社会」を読み解くための基礎的な能力の養成
「ボンジョルノ! イタリア」│文化と会話│
文 嬉眞
小出 龍郎
松井 真一
Ⅲ 教育の現代的課題を考えるⅠ
「総合的な学習の時間」を中心に︶
︵
Ⅳ 教育の現代的課題を考えるⅡ
︵「生徒指導」を中心に︶
齋藤和佳子
八谷 芳樹
表紙絵の思い出
ウィーン、ホーフブルク宮殿
馬 栄 道
教養部数学教室 久
私は二〇〇一年度にイングランドに在外研究員として
行 っ た の で す が、 そ の 準 備 の た め に 二 〇 〇 〇 年 の 夏 休 み
に、何人かの数学者とイングランドで会いました。
その後いつもお世話になっているスォンジー大学
︵ウェールズ︶のヒンドレー先生の家に泊めていただき、
ついでにウェールズの古城巡りをしました。その後オペラ
鑑賞のためにウィーンへ向かいました。
ウィーンは前年に本学の糸井川先生が在外研究員で滞在
されている時に訪れ、とても暖かいおもてなしを受け、い
ろいろ案内していただきましたので、かなり慣れまして、
そ の 経 験 を 生 か し、 今 回 は か な り 快 適 な 滞 在 と な り ま し
た。
前年の滞在もウィーンでオペラを三本見たのですが、今
回はより本格的に、ウィーン国立歌劇場でオペラを四本見
ました。
まずはレオンカヴァッロ作曲の「道化師」とマスカーニ
の「 カ ヴ ァ レ リ ア・ ル ス テ ィ カ ー ナ 」。 ウ ィ ー ン フ ィ ル
ハーモニー︵正式には国立歌劇場付きオーケストラが演奏
会をするときにはウィーンフィルと名乗るわけです︶が演
奏する、とてつもなく美しい音楽にのせて、どちらの話も
現代で言うところのスポーツ新聞のゴシップ記事のような
ドロドロした内容が展開され、そのギャップがたまりませ
ん。
ところで国立歌劇場のすごいところは、ほぼ連日、異な
る演目をやるところです。だから効率よくオペラを見るこ
とができますが、大道具さんやスタッフは、世界で一番忙
しくなります。
さて三つ目はプッチーニの「ラ・ボエーム」を鑑賞しま
した。何しろ映画監督でもあるゼフィレッリ演出の、もの
すごく有名な超絢爛豪華な巨大舞台です。これをたった一
日で組み立てるのは、本当にすごいことです。
今 回 本 当 に ラ ッ キ ー だ っ た の は、 主 演 の ロ ド ル フ ォ 役
を、世界的に有名なテノール歌手のサバティーニが演じた
ことです。国立歌劇場に出演する歌手は、どの方もとてつ
もない歌手ばかりなのですが、その中でも飛び抜けていま
した。当日は彼のファンがチケットを求めて、何重にも劇
場を取り囲んで、すごいことになりました。
そ し て 四 つ 目 の オ ペ ラ は、 モ ー ツ ァ ル ト の「 魔 笛 」 で
す。これは新演出でこの年のヨーロッパオペラ界では一番
の話題作でした。パパゲーノが異次元空間に迷い込むとい
うようなSF風の演出でした。
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このようなドイツ語のオペラの時は、ドイツ人のお客さ
んが多いのですが、国立歌劇場の座席は狭く、隣のドイツ
人が巨漢の人だったので、相当圧迫されました。
というわけで、ウィーンではオペラ三昧の日々で、ほと
んど観光はできなかったのです。というか、一応モーツァ
ルトやらベートーヴェンゆかりの場所を目指し、ウィーン
の森をさまよったのですが、この季節のウィーンはホイリ
ゲ︵ワインの新酒︶の季節で、百メートルおきに屋台が出
ていまして、ちょっと歩いては一杯、またちょっと歩いて
は一杯、というわけで、ほとんど目的地までたどり着けま
せんでした。
そういう中でも、数少なくたどり着けた観光地が、この
表紙絵のホーフブルク宮殿。なんとか観光できて良かった
です。
編 集 後 記
教養セミナー学生論集『知の旅立ち』第二〇号をお届けしま
す。 こ の 論 集 に は 平 成 二 十 七 年 度 の 教 養 セ ミ ナ ー 受 講 生 の 論 考
を中心とする四十四編が収録することができました。原稿を寄
せて下さった学生の皆さん、そして入稿にあたって様々な助言
を与え、コメントをお寄せ下さったアドバイザーの先生方に、
深く御礼申し上げます。
一昨年四月に始動しました名城公園キャンパスは、丸二年を
経過し、その前年に創設された経済学部も、来年度で完成年度
を迎えます。学生数・授業数が増加し、それに伴い、教養部の
負担も増大しております。距離の離れた二つのキャンパスにま
たがって授業や学生指導をする難しさが露呈してまいりまし
た。学生の皆さんが、充実したキャンパスライフを送ることが
平成
平成
年
年
月
月
日 印 刷
︵非売品︶
日 発 行 愛知学院大学
『知の旅立ち』 教養セミナー学生論集 第 号
発 行 者 教養教育研究会
編 集 委 員 河 合 泰 弘
北 村 伊都子
久 馬 栄 道
柴 田 哲 雄
田 中 泰 賢
文 嬉 眞
20
12
で き、 そ れ に 教 職 員 が よ り よ く 資 す る こ と が で き る よ う な 環 境
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の整備が強く望まれます。
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発 行 愛知学院大学教養部 教養教育研究会
0195
〒470
愛知県日進市岩崎町阿良池
︿0561﹀
︵73︶1111
電話
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公職選挙法が改正され、夏の参議院選挙から、選挙権が十八
歳以上に引き下げられます。このことが、今まで政治に無関心
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印刷所 株式会社 あ る む
名古屋市中区千代田3 1
0861
電話︿052﹀332
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であった若者世代に、政治や社会への興味を抱かせるきっかけ
になるかと思います。今号には、この問題に関する論考を掲載
︵河合 記︶
することができました。この改正が、若者世代にとっても、わ
が国にとっても有益になることを祈念します。
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