バ ス ク 地方 サ ン ・ セ バ ス チ ャ ン ﹁美食 の 都﹂の 秘密 を 探 る

特 集
ヨーロッパ
クルーズ
北中南米
オセアニア
中近東・アフリカ
バスク地方サン・セバスチャン
﹁美食の都﹂
の秘密を探る
バスク地方とは、
ピレネー山脈を挟んで、
スペインとフランス両国にまたがる
四国よりひと回り大きい、
およそ2万平方キロメートルの地域を指します。
近年、
とくにスペイン側のバスクは、世界中のグルメが訪れる美食の地として
注目を浴びています。
その中心地であるサン・セバスチャンは、
今や
﹁世界一の美食の都﹂
として知られ、
わずか人口 万人の町に
ミシュランの星付きレストランが9軒もあります
︵2014年6月現在︶
。
では、
いかにしてサン・セバスチャンは
﹁美食の都﹂
へと変貌を遂げたのでしょうか。
今回はその秘密を探ります。 ︵編集部 中村洋太︶
アジア・中国
テーマ別の旅
読み物・ニュース
旅の集い
知求アカデミー
地方発着
豊富な食材と
フランス食文化の流入
「食は北にあり」
スペインでは昔から、
といわれていました。スペインというとラ・
セバスチャンを有するバスク地方が食
足させる一流のシェフたちが働いてい
ストランやバルでは王侯貴族の舌を満
こと。スペイン王妃マリア・クリスティー
きっか け と なった の は、1887 年 の
名ですが、避暑地として注目を浴びる
また国際映画祭が行われる地として有
でこそ世界的な高級リゾート地として、
ゲルド山が小高くそびえています。今
広がり、東側にウルグル山、西側にイ
サ ン・セ バ ス チャン は、 カ ン タ ブ リ
ア海に面したコンチャ湾を囲むように
それは伝統的なフランス料理に軽さとカ
「新しい料理」
という意味)
と出会います。
〝ヌーベル・キュイジーヌ〟
(フランス語で
そうです。
のもマリア・クリスティーナ本人だった
た 1912 年、最初に足を踏み入れた
たもの。ちなみにホテルがオープンし
が、これはもちろん王妃の名前から取っ
ティーナ」という老舗ホテルがあります
サン・セバスチャンには「マリア・クリス
商業、漁業、観光業が栄えていきました。
され、王室や貴族の避暑地として工業、
ンに滞在したのです。以来、町は拡張
ナが、
夏の執務地としてサン・セバスチャ
単に食材に恵まれているだけの土地
ならほかにも無数にありますが、サン・
のも当然のことかもしれません。
富な場所ですから、料理が発展してくる
幸がもたらされます。これだけ食材が豊
まれ、カンタブリア海からは新鮮な海の
周囲は緑豊かな山々があり、山の幸に恵
このサン・セバスチャンも例外ではなく、
ど遠い、豊かな自然に囲まれています。
んが、バスク地方はそれらの地方とはほ
大地を想像される方が多いかもしれませ
マンチャ地方やアンダルシア地方の赤い
文 化 の 発 展 に 関 し て 優 位 だった の は、
ました。下働きをしていた女性たちは
ジュアルさを取り入れたもので、その自
バスク料理)を啓蒙するグループを結成。
声をかけ、
〝ヌエバ・コシナ・バスク〟
(新
技を盗む、それが基本になっています。
れば、皿洗いや掃除をしながら師匠の
がちです。そこで、アルサックをはじ
しかし、
そうした環境では、
いつまで経っ
動をスタートしました。定期的に集まっ
めとするサン・セバスチャンの料理人た
バスク伝統料理の掘り起こし、その見直
技と情報を分かち合う
オープンな姿勢
フランス国境に接していることでした。
調理法を習得し、家庭での料理に応用
由で前衛的な料理観にアルサックは魅了
世紀まで美食大国といえば、言うま
しました。その家庭料理がスペインの
でもなくフランスでした。サン・セバス
チャンはその美食大国までわずか数十
キロメートルの位置にあり、国境を越
えた人とモノの行き来はごく日常のこ
と。フランス最先端の流行がつねにサ
ン・セバスチャンに入り込んできたこと
バスク料理に大きな変化が起きたのは、
1970 年代後半のことでした。サン・
ては、各人が新作を披露し、意見交換し
ちは、自分の技や他の料理人から習得
ても挑戦的な試みができず、伝統を守
セバスチャン出身の料理人フォアン・マリ・
て熱い議論を交わす。
その繰り返しによっ
した技、持っている情報、さらにはレ
しと検証、それに基づいた各人による料
アルサック(ミシュラン ツ星レストラ
て、少しずつバスク料理を進化させてい
るだけの閉鎖的な料理になってしまい
ン「アルサック」のオーナー)は、当時フ
見た目も美しい様々なピンチョスが並びます
読み物・ニュース
お店によってピンチョスは異なります
シピに至るまで、様々なものを公開し、
きました。
理改革、という つのテーマを掲げて活
10
ランス料理界に旋風を巻き起こしていた
市場には新鮮な野菜が溢れんばかりに並びます
3
は容易に想像ができます。
世紀後半には高級リゾート地とし
て人気を博すようになり、町には避暑
に訪れる人たちを迎える店がたくさん
できました。それが現在の外食産業の
土台となっています。ヨーロッパの王侯
貴族が集まるような町でしたから、レ
バルがひしめくサン・セバスチャンの旧市街
アルサックが起こした
新バスク料理運動
日本料理でもそうですが、料理業界
の多くは、完全なる徒弟制度が確立さ
スペイン王妃が
ブームの火付け役に
1912 年創業のホテル「マリア・クリスティーナ」
されます。「バスク料理にも変革が必要だ」
※本誌14ページで
「スペインバスク
喝采の旅」
をご紹介しています。併
せてお読みください。
ほかの地方にはない郷土料理として根
バスク州
ギプスコア県
第4回
オンダリビア
ビスカイア県
れています。レストランに弟子入りす
バイヨンヌ
サンジャンドリュズ
と考えた彼は、この地方の料理人 人に
サン・セバスチャン
Wide Angle
フランス
ビルバオ
ゲルニカーラモ
18
付いていったといわれています。
展望台からサン・セバスチャンの町並みとコンチャ湾を望む
WORLD JULY 2014 106
107 WORLD JULY 2014
3
20
19
教え合うことから始めました。これに
にはワールドおすすめの「ココチャ」をは
らせています。2014 年現在、この町
いうのが現状です。この大学では、一
観光学部などで勉強せざるをえないと
読み物・ニュース
より、仲間のレベルが一斉に向上する
じめ、 軒の ツ星、 軒の ツ星、
軒の ツ星レストランが存在しています。
料理人を育成するのはもちろん、一般
の人向けにも気軽に親しめる市民講座
が用意されており、ここでも食に対す
洗練されたバスク伝統料理、食材を泡に
ンに創造性豊かな食文化が花開きました。
そのようなオープンな環境での地道な
取り組みの集積として、サン・セバスチャ
を基本テーマとし、調理のエキスパート
誇る食文化を持つ日本にさえ、食料学
制の料理大学が誕生しました。世界に
センター」という、世界でも珍しい 年
そ し て 2011 年 秋 に は、 サ ン・セ
バスチャン郊外に「バスク・クリナリー・
料理を確かめ、笑顔で応える私たち旅
続けることでしょう。そして、彼らの
はこれからも「美食の都」として進化し
組みが続くかぎり、サン・セバスチャン
続への指導と、このような環境や取り
門大学での最新技術の研究、そして後
るオープンな姿勢を見ることができます。
したり、液体窒素で凍らせたりする「分
を養成する 年制の大学はありません。
行者もまた、さらなる美食の発展に貢
「 バ ス ク・ク リ ナ リー・セ ン
ター」の誕生
流の講師陣による授業でハイレベルな
だけでなく、お互いの理解度が高まり
ます。さらに、極端な徒弟制度がない
ため、若い料理人でも楽しく料理を覚
えていくのです。こうしたオープンな
場というのは、これまでの料理人の世
子料理」とも呼ばれる驚き溢れる創作料
基本的に、調理関係は栄養学部、食品
市 民 レ ベ ル で の 食 へ の 関 心 の 高 さ、
シェフ同士の意見交換や情報交換、専
理、そしてバルに並ぶ多彩なピンチョス
の地とあって、バス
ク地方はお菓子も
侮 れ ま せ ん。 中 世、 ア メ リ カ 大
陸 か ら ス ペ イ ン に 伝 わった チョ
コ レート が、 最 初 に フ ラ ン ス に
渡 った の が フ ラ ン ス バ ス ク 地 方
の 中 心 地 バ イ ヨ ン ヌ で し た。 こ
の 町 か ら フ ラ ン ス 全 土 に チョコ
レート が 広 まった だ け あ り、 通
り に は 老 舗 ショコ ラ ティエ や パ
ティス リーが 多 く あ り ま す。 逆
に マ カ ロ ン は、 フ ラ ン ス 側 か ら
ツ、ナッツ、リキュールなど、様々
な 味 や 香 り が 組 み 合 わ さった お
菓 子。 軟 ら か く て も ちっと し た
食 感 で、 噛 む た び に マ ジ パ ン の
持 つ 本 来 の 味 を 感 じ ま す。 奇 抜
な 色 合 い で す が、 ひ と 口 食 べ て
みるとそのおいしさに驚くでしょ
う。 赤・緑・白 色 は バ ス ク 地 方 を
象徴するカラーで、フランボワー
ズ(木いちご)・ピスタチオ・バニ
ラと、色ごとに味が変わります。
生地とスリーズノワールの甘酸っ
菓 子。 ほ ろっと 崩 れ る クッキー
ル(黒サクランボ)が詰まったお
ロップで煮詰めたスリーズノワー
ス ポ ン ジ の 間 に チョコ レート ク
レ バ ス ク 」 で す。 ス ラ イ ス し た
バ ス ク な ら で は の お 菓 子 が「 ベ
発 祥 の 地 で も あ り ま す。 そ ん な
バスクはチョコレートが伝わっ
た 場 所 で あ り、 ま た、 ベ レー 帽
を使ったものが伝統的です。
ぱ さ が 絶 妙。 カ ス タード ク リー
スク地方の代表的なお菓子をご
有 し て い る の で す。 こ こ で は バ
は 国 境 を 超 え て、 菓 子 文 化 を 共
し た。 こ の よ う に、 バ ス ク 地 方
紹介します 。
テーマ別の旅
読み物・ニュース
てもよく、いっそう食が進むこと間違いなしです。
てみてください 。
枚の生地の
こ と が あ れ ば、 ぜ ひ お 店 を 覗 い
ス チャン や バ イ ヨ ン ヌ を 訪 れ る
る も の ば か り で す。 サ ン・セ バ
こ れ ら の お 菓 子 は、 バ ス ク 地
方のお菓子屋さんでよく見かけ
味わいが好まれています 。
間 に は 何 も 挟 ま ず、 そ の 素 朴 な
方 の マ カ ロ ン は、
「ムシュー」と呼ばれるバスク地
旅の集い
ムを挟んだものが一般的ですが、
たちがよく知るマカロンはクリー
原 型 」 と も い え る も の で す。 私
れるのは「フレンチ・マカロンの
た お 菓 子 で す が、 バ ス ク で 見 ら
マ カ ロ ン は イ タ リ ア に ルーツ
を持ちながらフランスで花開い
くさん売っています。
す い 小 さ な サ イ ズ の ケーキ も た
キ サ イ ズ が 主 流 で す が、 食 べ や
は ま る で ベ レー 帽。 ホール ケー
で コーティン グ す れ ば、 そ の 姿
リームやチョコレートムースをサ
アジア・中国
ム を 詰 め た も の や チョコ レート
オセアニア
中近東・アフリカ
ン ド し、 表 面 を チョコ ス プ レー
「ガトーバスク」は、軟らかく
分 厚 い クッキー 生 地 の 中 に、 シ
バスク料理に欠かせない
チャコリ(Txakoli)とシードラ(Sidra)
味 の も の も あ り ま す が、 や は り
ス ペ イ ン 側 へ と 伝 わって い き ま
………………………………………………………………………………………………………………………………
バ ス ク 特 産 の ス リーズ ノ ワール
献する重要な存在なのです。
界では考えられないことで、きわめて
3
4
画期的なことでした。
2
まずは「 トゥーロン 」という、
マジパンにチョコレートやフルー
北中南米
知 求アカデミー
地方発着
著/林周作
株式会社 KADOKAWA
1600円+税
1
4
カウンターに並ぶスタイルだけではなく、テーブルに供される洗練されたピンチョスも
………………………………………………………………………………………………………………………………
※今月号の読者プレゼント(135ページ)でもご紹介しています。
素朴なムシューは「マカロンの原型」といわれるもの
もうひとつが「シードラ」で、こちらはリンゴ酒。サン・
セバスチャン郊外には、
「シドレリア」と呼ばれる醸造所兼
レストランがいくつもあり、 から飲める1月上旬から5
月中旬にかけては、新酒を求めて大勢の人が集まってき
ます。オフシーズンでも、バルに行けばボトルに入った
シードラを飲むことができますので、ぜひお試しを。
2
美食
109 ページ 写真提供:郷土菓子研究社・林周作
クルーズ
『THE PASTRY COLLECTION
日本人が知らない世界の郷土菓子をめぐる旅』
新バスク料理運動の流れを汲むミシュラン 1 ツ星レストラン「ココチャ」
。
ワールドイチ押しの名店です
「バスクのお菓子」を意味するガトーバスク
バスク地方には2つの代表的な地酒があり、地元の
人々に愛されています。1つ目が「チャコリ」と呼ばれ
る地ワインで、ほとんどが白ワイン。アルコール度数は
控えめで、酸味豊か、そしてわずかに発泡性がありま
す。ピンチョスをはじめ様々なおつまみとの相性がとっ
もっと知りたい方はこちら↓
1
パステルカラーで彩られたトゥーロン
ベレー帽の形をしたベレバスク
5
3
関係は農学部、サービスや経営関係は
バスク地方編
ヨーロッパ
ちょっと
「おいしい」話です。
の数々は、この町を訪れる食通たちを唸
特 集
旅先で味わえる各地の郷土菓子をご紹介。
WORLD JULY 2014 108
109 WORLD JULY 2014
知られざる世界の郷土菓子
Wide Angle
+プラス