第3章 中国の対外援助の歴史(PDF 466.14KB/5ページ)

第3章
中国の対外援助の歴史
新中国建国当時、そして現在の中国も、他の途上国に対して経済的支援を行っている。
現在も、過去も、国家財政から一定の資金を支出することは容易ではないと思われるが、
そのような状況下において援助を実施していることには、世界最大の発展途上国として発
展途上国を援助し、発展途上国の持続的発展を実現させる役割を果たすという一貫した理
念やエネルギー確保、投資事業の推進などの国益の確保という側面があったものといわれ
ている。
改 革・開 放 が 始 ま る 1970 年 代 ま で は「 理 念 」の 面 が 強 く 、1980 年 代 か ら は「 国 益 」の
側面が強くなっているが、中国はこの「理念」と「国益」に基づいて対外援助を推進して
きたといえよう。
以下、時期をいくつかに分けて、中国の対外援助の経緯を整理する。
図 表 3-1
対 外援 助 ・ 外 交に 係 る 年 表
1949 年
新中国建国
1950 年
中ソ友好同盟相互援助条約
朝 鮮 戦 争 ( 1953 年 休 戦 )
1953 年
第 1 次五カ年計画開始
1955 年
バンドン会議(非同盟運動の開始)
1958 年
大 躍 進 運 動 開 始 ( 1961 年 停 止 )
1960 年
中国に派遣されていたソ連の技術者帰国
アフリカ年
1963 年
中ソ論争公然化
1964 年
中国「対外援助 8 原則」
1966 年
文 化 大 革 命 開 始 「 自 力 更 生 」 の 強 調 ( 1977 年 文 革 終 了 宣 言 )
1969 年
珍宝島で中ソ武力衝突
1971 年
中 国 国 連 加 盟 ( 以 後 中 国 の 対 外 援 助 急 増 、 ピ ー ク は 1974 年 )
1972 年
ニクソン訪中
日中国交正常化
1974 年
鄧小平国連で演説「三つの世界論」
1975 年
周恩来「四つの近代化」
タ ン ザ ニ ア = ザ ン ビ ア 鉄 道 完 成 ( 全 長 1,860 ㎞ 、 9.9 億 元 の 無 利 子 借 款 提 供 )
1976 年
周恩来死去
毛沢東死去
1978 年
中 共 11 期 三 中 全 会 : 鄧 小 平 が 主 導 権 奪 取 : 改 革 ・ 開 放 路 線 開 始
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1979 年
対中円借款開始
深圳などに経済特区設置
米中国交樹立
中越紛争
1980 年
中国世界銀行加盟
1983 年
中国「アフリカ協力 4 原則」
1989 年
天安門事件(第 2 次)
1991 年
ソ連崩壊
中越国交正常化
1995 年
中国輸銀設立(対外援助の金融機関)
1997 年
鄧小平死去
香港返還
1999 年
中 国 WTO 加 盟 に 関 し 米 中 合 意
2001 年
WTO 加 盟 「 走 出 去 」 政 策 ( 中 国 企 業 の 海 外 進 出 促 進 政 策 )
2003 年
中国商務部設立(対外経済貿易合作部から改組)
2005 年
中国「援助 5 原則」
2008 年
対中円借款終了(貸与額合計 3 兆円超える)
北京五輪開催
2009 年
米 国 発 の 金 融 危 機 の 影 響 で 中 国 経 済 減 速 ( 2008 年 は 9%成 長 に と ど ま る )
(出所)天児慧『中華人民共和国史』岩波新書、各種資料を筆者整理
1.改 革 ・ 開放以前の対外援助
改革・開放政策が導入される以前の中国は、イデオロギーや国家戦略に基づいた対外援
助の時代であった。その時期には、国際共産主義運動、あるいは非同盟運動を高揚させる
観 点 か ら 対 外 援 助 が 立 案 さ れ 、実 施 さ れ た 。
( 対 外 援 助 の 各 段 階 区 分 に 関 し て は 、顧 林 生『
中国の対外援助』北京清華城市規画設計研究院公共安全研究所を参考にした)
1.1
対 外 援助の創設段階(1950~63 年)
新中国建国直後の任務は、中国の人民政権の確保、経済回復、帝国主義の経済封鎖を突
破することであった。
対外援助に関しても、イデオロギーと国家の安全保障、地理的配慮がなされた。最初の
主な被援助国は、北朝鮮とベトナムであり、軍事部門を含め、総合的な支援・援助が実施
された。
1955 年 に は バ ン ド ン 会 議 が 開 催 さ れ 、周 恩 来 が 出 席 し た 。植 民 地 、半 植 民 地 の 民 族 独 立
運動の発展に伴い、中国の援助対象は隣接する社会主義国家から、アジア、アフリカの非
同盟独立国家へとウィングを広げることが目指された。
21
1.2
対 外 援助の発展段階(1964~70 年)
1960 年 代 に 入 っ て ベ ト ナ ム に 対 す る ア メ リ カ の 介 入 、中 国 と ソ 連 と の 不 協 和 音 、非 同 盟
運動の一層の発展等を背景に、中国の対外援助政策も微修正された。
中 国 の 周 恩 来 総 理 は 1964 年 「 対 外 援 助 8 原 則 」 を 発 表 し た 。 そ の 中 で は ア フ リ カ 諸 国
への支援強化と、アジアの社会主義諸国、ベトナム、ラオスなどに対しても同様の支援を
強化することを打ち出した。特にインドシナ諸国に対しては、引き続き無償支援等、総合
的支援を継続した。
1.3
中 国 対外援助のピーク段階(1971~78 年)
中 国 の 対 外 援 助 は 、改 革・開 放 政 策 の 導 入 直 前 で あ る 1970 年 代 に ピ ー ク を 迎 え て い た 。
詳 細 な デ ー タ は 発 表 さ れ て い な い も の の 、各 種 資 料 か ら 1973 年 、1974 年 あ た り が 対 外 援
助の 1 つのピークとなったことは間違いない。
中 国 は 1971 年 の 第 26 回 国 連 総 会 で 、中 国 の 合 法 的 地 位 が 回 復 さ れ 、中 国 の 国 際 的 地 位
が高まった。この外交上の成功は、援助政策担当者を高揚させ、それに応じて対外援助も
毎 年 10 億 元 近 く 増 加 し 、1972 年 に は ソ 連 の 対 外 援 助 額 を 追 い 抜 い た 。当 時 、中 国 の GDP
は ソ 連 の 28%程 度 、す な わ ち 4 分 の 1 程 度 に と ど ま っ て い た 。1973 年 の 対 外 援 助 額 は 55.8
億 元 で GDP 比 も 2.1%に 達 し て い た 。
こうした援助ピーク、援助バブルの象徴が、アフリカのタンザニア・ザンビア鉄道プロ
ジ ェ ク ト で あ る 。こ れ は 中 国 援 助 史 上 最 大 の 援 助 プ ロ ジ ェ ク ト で あ り 、1,860 ㎞ 約 10 億 元
の無利子借款を供与した。
1973 年 以 前 に は 、中 国 が 提 供 す る ほ と ん ど す べ て の 案 件 が 無 償 援 助 方 式 で あ り 、第 三 世
界向けプラント設備導入などに用いられていた。
対 外 援 助 の 膨 張 に 対 し て 中 国 共 産 党 中 央 は 1975 年 4 月 に 対 外 援 助 の 圧 縮 と 調 整 を 決 定
し た 。 1973 年 の 対 外 援 助 は 財 政 支 出 の 7.2%に 達 し て い た が 、 以 後 こ の 援 助 額 は 継 続 し て
抑えられることになった。
2.改 革 ・ 開放以後の対外援助
2.1
対 外 援助の調整段階(1979~94 年)
ソ連の崩壊、米国との関係改善という世界情勢の変化の下で、中国共産党や中国政府の
主要な任務も、経済建設と改革・開放にシフトした。
ア フ リ カ 、ラ テ ン ア メ リ カ と い う 植 民 地 が 最 後 ま で 残 っ た 地 域 も 、1990 年 、ア フ リ カ の
ナミビアが独立してから、植民地が存在しなくなった。
そ う し た 内 外 情 勢 の 変 化 を 踏 ま え 、1980 年 に 国 務 院 は「 対 外 援 助 を 含 む 国 際 協 力 は 被 援
助国の経済発展を促進するばかりでなく、中国の経済建設と改革・開放に奉仕させる」と
して、自国の経済発展に貢献する案件選択とその実施を重視する姿勢を強調した。
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具 体 的 に は 、「 過 去 の 単 純 な 対 外 援 助 や 支 出 ば か り で 歳 入 の な い 状 況 を 改 革 し 、 請 負 工
事、労務輸出、生産技術協力などの多種類の業務を展開し、可能な協力分野を拡大」する
として、中国企業や各種組織が関与可能な案件形成を推進していく方針を明確化したとい
えよう。
以上この段階では、政府が支出する対外援助資金の制限・調整と、中国系企業の関与・
誘導が図られた。
2.2
対 外 援助の再改革(1995~2006 年)
1990 年 代 後 半 か ら は 、さ ら に 改 革 が 進 め ら れ 、援 助 の 方 式 、財 源 の 多 様 化 な ど が 推 進 さ
れた。
まず援助の方式は、①優遇金利借款、②援助プロジェクトの合弁、③無償援助が用意さ
れた。財源については、国家の財政資金ばかりでなく、金融機関と企業の資金が援助の原
資として期待され、実際使用されるようになった。
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3.各 時 期 の特徴
各 時 期 に お け る 対 外 援 助 の 特 徴 を 整 理 す れ ば 以 下 の と お り 。( 図 表 3- 2 参 照 )
イデオロギーや国家戦略に基づいた対外援助の時代には、国際共産主義あるいは非同盟
運動を高揚させる観点から対外援助が実施された。
日本、アメリカと国交を正常化し、国連に復帰した段階で、能力を超える援助の調整が
実施されるようになった。その結果、改革・開放政策導入の直前の時期が、対外援助の一
つのピークとなった。
そして近年は、対外援助の調整時期にあるといえよう。被援助国だけでなく、中国経済
て
こ
の 発 展 の 梃 子 と し て 役 割 を 果 た す こ と が 対 外 援 助 に 期 待 さ れ て い る 。具 体 的 に は 請 負 工 事 、
労 務 輸 出 な ど が 重 視 さ れ 、 双 方 が 利 益 を 得 る 「 WIN・ WIN」 案 件 と し て 期 待 さ れ て い る 。
図 表 3-2
時
期
対外援助開始
1950~ 63 年
背
景
・民族解放、非同盟運
動の盛り上がり
・ベトナム戦争、朝鮮
戦争
・ソ連の支援受ける
対 外援 助 各 時 期の 特 徴
対外援助方針の特徴
援助方式
主な地域
援 助 対 象 、援 助 案 件 、供 与 物
無償中心
隣 国 の ベ
資 の 選 択 の 際 に は 、非 同 盟 運
物資提供が
ト ナ ム 、朝
動 へ の 貢 献 と い う 政 治 的 、イ
軸
鮮が主
デ オ ロ ギ ー の 観 点 強 い 。援 助
方 式 は 無 償 、各 種 物 資 の 供 給
が援助の中心となった。
対外援助急増
・ソ連との不協和音
1964 年 、周 恩 来「 対 外 援 助 8
引き続き
対アフリ
1964~ 70 年
・ベトナム戦争激化
原則」でアフリカ支援強調
無償中心
カ支援の
・ア フ リ カ 年( 1960 年 )
対外援助ピーク
・ 国 連 加 盟 ( 1971 年 )
1971~ 78 年
増加
タ ン ザ ン 鉄 道 ( 1975 年 ) の
1973 年 ま で
アフリカ
反 省 、 1975 年 4 月 に 援 助 額
はほとんど
案件引き
減少・調整決定
無償
続き急増
対外援助の改革
・改革・開放政策
援 助 の 対 象 は 経 済 施 設 、工 業
多様化推進
ア ジ ア 、大
1979~ 94 年
・植民地消滅
や農業関連事業にシフト
(企業の関
洋 州 、ラ テ
援助側である中国の企業も
与 、優 遇 借 款
ンアメリ
利益を得る方策を追求
など)
カが増加
援助対象のセクターが増加
国家財政以
ア フ リ カ
資 金 も 優 遇 金 利 、援 助 プ ロ ジ
外の多様な
向 が 多 い
ェ ク ト 合 弁 、フ ル セ ッ ト 型 援
資金調達
が ア ジ ア
( WIN・ WIN)
現在の対外援助
1995 年 ~ 現 在
・世界経済のグローバ
ル化
・改革・開放の深化
助など
(出所)各種資料から筆者作成
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