9 月 MAX WAIN SALON 東京ワイン会 ♪ 秋の風を感じながらカリフォルニアワインのサクセスストーリーを語ろう!! ~スターダムへの道のり~ ーカレラ・リッジ・キスラー・クロデュ・ヴァル・フロッグスリープー 「その味わいは世界一の輝きを放つ」とも言われている 通称 【1976 パリ・テイスティング事件 -Judgement of Paris 1976-】 「自分達に勝るワインなど、この世に存在する筈がない。」 フランス・ボルドーを始めとする旧世界銘醸地のワイン関 係者達が、頑なにそう信じていた時代。(ボルドーやブルゴーニュの様に)既定の格付けに依存せずとも、彼ら旧世界の 権威により「好ましい。」とされるベクトルの延長線上に位置したワインをもってして、フランス勢が大敗を喫する目隠し 品評会(ブラインドテイスティング)がありました。“ボルドー赤vs カリフォルニア産カベルネソーヴィニヨン”、そして“ブル ゴーニュ白vs 同シャルドネ”の構図の下で、赤白共にカリフォルニア勢が圧勝を飾った、所謂“世紀の 1976 パリ・テイス ティング”がそれです。世界中に広く知られるこのブラインドテイスティングは、英国「デカンタ誌」の現編集顧問であり、 当時パリで最も有名なワインスクール、「アカデミー・デュ・ヴァン」の主宰者、スティーヴン・スパリエ氏の提唱により開 催されました。 ● スティーヴン・スパリエ(Steven Spurrier):1941 年英国生。「ラグビー・スクール」「ロンドン・スクール・オブ・エコノミク ス(LSE)」を卒業後、1964 年にセント・ジェームズの「クリストファー&カンパニー(1966 年創業)」に加わりワイン商の道へ。 渡仏した翌年の 1971 年、パリ中心部の小さなワインショップ、「レ・カーヴ・ド・マドレーヌ」を購入し、店はすぐにパリジャ ンから絶大な支持を得る。時を同じくして、パリ初のワインスクール「アカデミー・デュ・ヴァン」を主宰。また、ワイン関連 の幾つかのベンチャーにも参画。ラ・デファンスのビジネス街のワインバー/レストラン「ル・ビストロ ル・ア・ヴァン」、パリ郊外のウェアハウス/ボトリング工場「ル・シュマン・デ・ヴィーニュ」、「カーヴ・ド・ マドレーヌ」に近いレストラン「ル・ムーラン・デュ・ヴィラージュ」、ワインバー「ル・ブルー・フォックス」 の経営にも携わる。1988 年、ワインコンサルタント/ライターとなる為、パリのビジネスを売却し英国 に帰郷。クライアントに「シンガポール・エアラインズ」、「クリスティーズ」等を抱え、クリスティーズで はワインコースを立ち上げ運営。現在、多くのワインコンテストの公式審査員をこなす傍ら、「デカンタ ー・マガジン」でコンサルタントエディターを、「サークル・オブ・ワインライターズ」の副会長職、1999 年 7 月オープンの 「ヴィノポリス・シティー・オブ・ワイン」では諮問委員会会長を務める。1988 年、フランスワインに対する高い貢献度から “ル・ペルソナリテ・ド・ラネ(ウノロジー)”を受賞。主な著書に、「ガイド・トゥ・フレンチワインズ」、「アカデミー・デュ・ヴァ ン・ワインコース」や、オズ・クラークとの共著「ザ・クラーク/スパリエ・ガイド・トゥ・ファインワインズ」がある。(画像右:右 側の人物がスパリエ、左側がスタッグス WC のウォーレン・ウィニアスキ) ▼ 蒼々たる顔ぶれのフランス人審査員達 -「仏軍圧勝」を演出するには、これ以上無いお誂え向きの舞台スパリエは自らの幅広い人脈を活かし、最高の顔ぶれを集めることに成功します。審査員には、フランスを代表するワ イン専門家のみが据えられ、そこにはカリフォルニアワインを贔屓目に見る者は一切含まれませんでした。9 名の審査 員と各々の役職(当時)は以下の通り。 ● ピエール・ブレジュー:フランス原産地呼称委員会委員長 ● ミシェル・ドヴァーズ:フランス醸造学会会長 ● ピエール・タリ:ボルドー・グランクリュ・クラッセ協会会長/メドック格付け第三級シャトー・ジスクール・オーナー ● オーベール・ド・ヴィレーヌ:ドメーヌ・ド・ロマネ・コンティ共同経営者 ● オデット・カーン:レヴュ・デュ・ヴァン・ド・フランス誌主筆 ● クロード・デュボワ=ミロ:ゴー・ミヨー取締役 ● ジャン=クロード・ヴリナ:タイユヴァン(ミシュラン 3 つ星レストラン)オーナー ● クリスチャン・ヴァンネク:ラ・トゥール・ダルジャン(ミシュラン 3 つ星レストラン)シェフソムリエ ● レイモンド・オリヴィエ:ル・グラン・ヴフール(ミシュラン 3 つ星レストラン)オーナー ▼ エントリーされたワインはフランスの誇り。そして結果は如何に… 時は 1976 年 5 月 24 日。処はインターコンチネンタル・ホテル・パリ。後世語り継がれることになるこのブラインドテイス ティングは、元来が米国独立200周年記念祝賀の一環として、「カリフォルニアワインの質がどの程度まで向上している かを理解する為に、最高峰のフランスワインも混ぜてみよう。」という、軽い気持ちからの企画であったといいます。そ してスパリエ自身、「カリフォルニアワインの質が向上しているとはいえ、フランス産の最高峰と比較されたら質の違い は明白であろう。」との考えをもっていたと伝えられています。 全てのワインは銘柄を隠され、各審査員によりそれぞれ 20 点満点で評価が下されました。「カリフォルニアワインとの 違いは明白である。」 「この偉大なワインこそがボルドー一級に違いない。」 スパリエと同様、フランスを代表する審査員達も、自らの誇りと 優位性を全く疑うことなく品評を進めます。居並ぶフランスワインには、銘醸を代表するに相応しく、ドメーヌ・ラモネの バタール・モンラッシェやシャトー・ムートン・ロートシルトの偉大なヴィンテージも含まれていました。そしていよいよ採 点表が集計されます。 ところが結果は、赤白共にカリフォルニアの勝利。誇り高きフランス至上主義の誰もが予期し得ぬ衝撃的事態となりま した。(画像右:快挙を報じる“タイム誌”の記事) 赤ワイン部門(カベルネ) 第一位:スタッグス・リープ・ワインセラーズ 1973 ● 第二位:シャトー・ムートン・ロートシルト 1970 ● 第三位:シャトーオーブリオン 1970 ● 第四位:シャトー・モンローズ 1970 ● 第五位:リッジ・モンテベッロ 1971 白ワイン部門 (シャルドネ) ● 第一位:シャトー・モンテリーナ 1973 ● 第二位:ムルソー・シャルム 1973/ドメーヌ・ルーロ ● 第三位:シャローン 1973 ● 第四位:スプリング・マウンテン 1973 ● 第五位:ボーヌ・クロ・デ・ムーシュ/J・ドルーアン 1986 年リターンマッチ -French Culinary Institute Wine Tasting of 1986予期せぬ敗北による屈辱からか、フランス側ワイン関係者達は、「熟成能力を視野に入れるべき。」と、自ら のみに都合の良い意見を後出しさせます。「然るべき期間を経た後に我々のワインは開花する。1976 年の テイスティングに選ばれたワインはその点が欠如していた。少なくとも十年単位の期間を経た後に同じ試み があれば、我々が負けるはずがない。」と言いたかったのでしょう。 「フランス側の言い分にも頷ける要素がある。」 そこでスパリエは、1976 年から十年を経た 1986 年、フラン スワイン関係者の主張を考慮し、改めて厳格な品評会を催すこととします。処はパリ。エントリーは前回と同 じ銘柄の同ヴィンテージに限定(赤ワインのみ)。これが所謂、“1986 年リターンマッチ”と称され、“第二回パ リ・テイスティング”に当るブラインドテイスティングです。前回同様、スパリエは主催者としてニュートラルな ポジションにいましたが、今回の審査員もやはりフランス人ばかり。「フランス人によるフランスワインの為の 企画。」と揶揄されても仕方のない顔ぶれでした。採点や進行方法についても、カリフォルニア勢が口を挟む 余地は全くありません。ところが結果は… フランス勢を再び悪夢が襲います。是が非でも汚名払拭を図るべく主導権を握り、「熟成後の開花はカリフォ ルニアの比ではない。」と誇りにしてきた彼らのワインが、カリフォルニア勢から返り討ちにされてしまったの です。 1986 年リターンマッチの結果 第一位:クロ・デュ・ヴァル 1972(加州) 第二位:リッジ・モンテベッロ 1971(加州) 第三位:シャトー・モンローズ 1970(仏) 第四位:レオヴィル・ラスカーズ 1971(仏) 第五位:ムートン 1970 第六位:スタッグス・リープ・ワインセラーズ 1973(加州) 第七位:ハイツワインセラーズ・マーサズヴィンヤード 1970(加州) 第八位:マヤカマス 1971(加州) オーブリオン(仏) 2006 年リターンマッチ -JUDGMENT OF PARIS 30th ANNIVERSARY CELEBRATION 20062006 年 5 月 24 日、1976 パリ・テイスティング 30 周年を記念して、第二回目の 1986 年リターンマッチに続く第三回目とな る米仏ワイン対決がロンドンとナパヴァレー、二つの地に分かれて開催されました。結論から言うと、またしてもフランス勢 が辛酸を舐めることに。 赤ワイン(カベルネ) 第一位: リッジ・モンテベッロ 1971 第二位 : スタッグス・リープ・ワインセラーズ 1973 第三位(: ハイツ・マーサズ 1970 / マヤカマス 1971 第四位 : NA 第五位: クロ・デュ・ヴァル 1972 ① ロデレール・エステート・カルテット・ブリュット ~カリフォルニア NO1 のスパークリング!!~ ぶどう:シャルドネ 70%、ピノ・ノワール 30% シャンパーニュの名門、ルイ・ロデレール社がカリフ ォルニア、メンドシーノ・カウンティ、アンダーソン・ ヴァレーで手掛ける逸品。アンダーソン・ヴァレーは 冷涼な気候からピノ・ノワールとシャルドネの素晴ら しい産地となっています。とりわけスパークリングワ インにとって、好条件な場所である。 4 つの区画(カルテット)のぶどうをブレンド、100% 自社畑はここのみ!きっちりリザーヴワインをブレン ド。 (ヴィンテージに左右されることの少ないカリフォ ルニアではリザーヴワインをきっちりストックしてい るワイナリーも少ない) もちろんシャンパン方式(瓶内二次発酵)です。 新たにピノ・ノワールの畑を購入した。土地は約 11 ヘク タール。これで、ロデレール・エステートがアンダーソン・ ヴァレーに所有する畑は計 196 ヘクタールとなった。 (2008 年 5 月 12 日 読売新聞) ② フロッグスリープ・ソーヴィニヨン・ブラン 2008 ソーヴィニヨンブラン 100% Sauvignon Blanc 産地:カリフォルニア州>ナパ郡>ラザフォード A.V.A ステンレスタンクで発酵し 3 ヶ月半のシュール・リー カリフォルニアオーガニックの第一人者ジョン・ウィリアムス あのスタッグスリープで修行をつんだ が手掛けるこだわりワイン! カリフォルニア州立大学デイヴィス校(UC デイヴィス)の大学院へと進学、ワイン醸造 学と葡萄栽培学(Enology & Viticulture)の修士号を取得します。ここでも彼は学業の合 間にワイナリーで働き続けることとなりますが、この経験が後の“飛躍”に欠かせぬ糧と もなりました。 そのワイナリーとは、スタッグス・リープ・ワインセラーズ。 環境との共生。そしてオーガニックワインへ。 フロッグスリープにとっての重要キーワードに、「環境との共生」があります。かつては土壌 中の微生物が極めて少なく不健康であった土地を蘇らせる為に、ジョンは、益虫や害虫を食する野鳥、土地を肥やす 植物等が混在する「バイオ・ディヴァーシティ(生物的多様性)」が必要であると考えました。そして畑内に野菜を植え育て るなど、それら効用の研究を続け、やがて今日のオーガニックワイン造りへと発展するに至ります。 現在、畑にはマメ科の植物が多く植えられ、てんとう虫などの益虫が見事に増えたおかげで、一切の農薬を使用するこ となく、土壌は健全な状態が維持されています。また、その効果は意外な点にも及びます。ジョンが管理する畑は、 1990 年代にナパヴァレーを襲ったフィロキセラ渦をも免れ、害を被ることは全くありませんでした。その事を知り驚いた のが UC デイヴィス。彼らはジョンの畑を訪れ研究した結果、土の中にいる沢山の微生物やミミズの活動を主として、大 地に宿る自然本来の“治癒力”による恩恵と判断するに至ります。 ジョンは述べます。「お爺さんの時代には化学肥料も殺虫剤も使っていなかった。いってみれば当然のことで、僕は常 に自然を信頼しているよ。」 遡れば1989年。ナパヴァレー初のオーガニック栽培認定はジョンが携わる畑でした。地中 海性気候の乾燥したナパヴァレーにて、一切の灌漑を施すことなく葡萄の根を自力で地中深く張らせるなど、ジョンは どこまでも自然を尊び続けます。ジョンは今、環境保全型農法(オーガニック)の押しも押されぬ第一人者として広く認 められています。 徹底した有機栽培に加え、更には、培養酵母に頼ることなく土着野生酵母による自発的発酵に委ねるなど、ジョンのワ イン造りはボトル詰めに至るまでの随所に、極自然な手法が貫かれています。その結果として、自然の恩恵が存分に 享受された果実からのワインは数多の愛好家に支持され、「確かな畑からは確かなワインが生まれる。」ということを 証明させました。 「ワインを造っていると、人は時々バランスを失ってしまう。人に強い印象を与えることを優先したり、ワインに特別な意 味を持たせたり、他の人が造っていないようなワインを造ってるんだぞといった自慢話に終始したりね。違うんだよ。ワ インは人生の楽しい表現の一つであるべきなんだ。ワインは、地球のナチュラルプロダクトなんだということを忘れて はいけないんだ。ワインにとって最も大切なのは、土地特有のキャラクターをそのワインが持つこと。土壌であり、気 候であり、空気であり、水であり、そしてワインを造る人達であり…。そういうものから生まれてくる“キャラクター”が明 確に表現されていなければならない。私は、この小さな場所からそういうワインを造り出すことに、自分の残りの人生 を捧げるつもりだ。」 パワーで圧倒するビッグなワインがもてはやされる昨今ですが、ジョンに言わせるとそのようなワインは「boring(つまら ない)。」 土壌や造り手を始めとする様々な要素により「キャラクター」が表現された、フレッシュでナチュラル且つ生命 力のあるワインこそ、彼が目指すところです。ジョンのワインを飲めば、「自然環境に対する優しさがワインの優しさに 反映されている。」とも感じさせます。 今、ジョンはナパヴァレーのワイン生産者団体である“NVV”(ナパ・ヴァレー・ヴィントナーズ)のメンバーからも厚い信 頼を受け、その下部組織、ワイン業界と消費者の架け橋役を担う“インターナショナル・コミティ”の委員長を歴任します。 (2005 年度) 又、その活動の一環も含め、過去に 5 度の来日経験がある親日派でもあります。 ジョンは述べます。「太平洋を隔てただけの日本にとても親近感を感じています。清潔でヘルシーな生活を理想とする 日本人の方々は、カリフォルニアの清んだ青空と空気、オーガニック栽培に対しての価値を高く評価してくれます。」 ③キスラー・ヴァンヒル・ヴィンヤード・シャルドネ 2006 パーカーポイント 93-96 場所:ソノマ郡 ルシアン・リヴァー・ヴァレー(ソノマで最も冷涼な地域) ぶどう:ヴァインヒルのシャルドネのみ使用 ④ クロ・デュ・ヴァル メルロー 2005 創業は 39 年前、ボルドーからやってきた若い醸造家がニューワールドでのワイナリー候補地を求めてナパ・ヴァレー を散策中、ふと立ち寄った場所です。その醸造家とは、いまやスタッグスリープ ディレクトリクトのパイオニアの 1 人と して知られるベルナール・ポルテ。 ナパでもやや涼しい気候のスタッグス・ディープ・ディストリクトは、タンニンの柔らかな優しい赤ワインを生み出す。 ⑤ カレラ・ジャンセン ピノ・ノワール 2006 ジャッシュ・ジャンセン~マウントハーランに人生を掛けて~ ブルゴーニュに魅せられ、DRC、デュジャックなどで、修行の日々を送 る過程で彼が確信したのは、土壌の大切さ。それも石灰岩というアメリ カでは希少な土壌を追い求めました。 (ジャッシュは、1880 年に建てられたという石灰岩の採掘場に出会う。 「カレラ」とはスペイン語で石灰窯のことで、ラベルにあるイラストはこの 窯を図案化したもの。) サンフランシスコの南、サン・ベニート郡のマウント・ハーランでした。カリフォルニアで最も高い、最も冷涼な 標高2200フィートの山頂近辺でした。1974 年早速畑の開墾に取り組みました。傾斜の激しい山に 1 本 1 本 ぶどうを植えていきました。 ロマネ・コンティから持ち帰ったと噂される苗木ですが、その事実はベールに包まれたままで、ジャッシュは 今でもそれを解き明かしてはくれません。 造り方 カリフォルニアではめずらしい全房発酵ですが、ジャッシュは言います。「果梗を使うのは、タンニンを抽出 する為ではなく、発酵のスピードを緩め、野生酵母によるゆっくりとした発酵を促すためだ」。 フランス産樽とピノ・ノワールの相性を絶対のものと信じる彼のワインに乾杯!! ⑥ リッジ・モンテベッロ 1999~モンテ・ベッロに君臨する最高峰のワイナリー~ サンタ・クルーズ・マウンテンズ AVA、サンタ・クララ・カウンティ ぶどう :カベルネ・ソーヴィニヨン/メルローペティ・ヴェルド/カベルネフラン リッジの歴史はサンフランシスコのイタリア人地区の名士であり医師でもあったオセアペロンがモ ンテベロリッジの頂上近くに 180 エーカーの土地を購入した 1885 年に始まる。斜面を段地に変え、 葡萄の木を植え、そこにある石灰岩を利用してモンテベロワイナリーを建設し、1892 年にはモンテ ベロの名前で初めてのワインを造っている。山腹に造られた 3 階建てのこの個性的なセラーは、 現在リッジの製造場として使われている。2600 フィートの位置にあって周りを「高い方の葡萄園」に 囲まれている。 1940 年代、神学者でフランスワインの愛好家であったウィリアム・ショートはモンテベロワイナリー の直下にあった閉鎖されていたワイナリーと葡萄園を購入し、そのうちの幾つかの区画をカベル ネソーヴィニヨン種に植え替えた。 ここが「低い方の葡萄園」であり、1959 年にはここからデーヴ・ベニヨンと彼の 3 人のパートナー (皆スタンフォードリサーチインスティテュート:SRI の技術者)が初めて自社畑産カベルネワイン 10 ガロンを醸造することになる。このモンテベロカベルネは 60 年代でカリフォルニアにおける最高品 質のワインの一つである。品質とはっきりとした個性を持った 1959 年のこのワインと 60 年及び 61 年に同じ葡萄の樹から造られたワインは、1962 年ヴィンテージに家族みんなが結束することを確 証した。1964 年には隣接したピケッティランチにあった 19 世紀に植えられた小さな葡萄園の葡萄 からリッジとして初めてのジンファンデルワインが造られた。それに引き続き 1966 年にはガイザー ヴィルからの始めてのジンファンデルが造られた。この頃は創業者の家族が主な働き手であっ た。彼等はモンテベロの段地を開墾し、葡萄園を 15 エーカーから 45 エーカーに広げた。週末だけ の作業であったが、先例のない強い風味と土地が持つ個性を持ったワインを造った。 1967 年、リッジヴィンヤーズは会社組織とな り SRI を退職した デーヴ・ベニヨンが社長に 就任した。新たな出資者のおかげでペロンの 古いモンテベロワイナリーを購入することが 可能となった。生産量は年間 3000 ケースに 僅かに足らないところまで増加した。1969 年 にはポール・ドレーバーがこの事業に参加し た。スタンフォード大学で哲学を学び、チリの海岸沿いにワイナリーの設立を手掛けた後帰ってき た彼は、経験に富んだ醸造家でありワイン学者ではなかった。彼の品質の高いワインと伝統的な 手法に関する知識は、リッジにより開拓された率直な手作りの手法をより完全なものとした。彼の 指揮の下に古いワイナリーは復元され、品質の高い葡萄園はリース契約をするかまたは購入さ れ、リッジワインの安定した品質と世界的な評判が確立された。1986 年、リッジは大塚製薬により 購入された。オーナーである大塚明彦はワイナリーの運営が今までと変わらずに行われることを 望むと表明した。 リッジは現在 6 万から 7 万ケースを生産している。カベルネおよびジンファンデルが生産量のうち のほとんどを占め、メルロー、マタロおよびペティ・シラーがわずかを占めている。リッジは赤ワイ ンのワイナリーとして知られているけれども、限られた量であるがシャルドネを造っている。 偉大なワインは大地に育まれる。モンテベロ葡萄園は気候、土壌及び葡萄品種の組み合わせが 素晴らしく良いことが 1959 年に共同設立者達により確信された。ワインの生産地においてこ のような理想的な場所は、葡萄が栽培されている土地のうちほんの数パーセントに過ぎない。 生産者がひとたびこのような偉大な葡萄園に適した場所を見いだしたら、もし可能であるな ら、品質と一貫性を維持するために、購入するかまたは他の方法によりその畑を完全に長期間 管理できることが非常に重要な事である。モンテベロはその冷涼な気候地区、成熟した葡萄の 樹と水捌けの良い石灰岩の下層土から、カリフォルニアにおいて最も個性がはっきりした複雑 なカベルネとメルローが造られ続けてきた。リッジは現在モンテベロ尾根にあるボルドー地方 の品種が栽培されている葡萄園のすべてを所有またはリースしている。 偉大なワインは大地に育まれる。モンテベロ葡萄園は気候、土壌及び葡萄品種の組み合わせが素晴らしく 良いことが1959年に共同設立者達により確信された。ワインの生産地においてこのような理想的な場所は、 葡萄が栽培されている土地のうちほんの数パーセントに過ぎない。生産者がひとたびこのような偉大な葡萄 園に適した場所を見いだしたら、もし可能であるなら、品質と一貫性を維持するために、購入するかまたは 他の方法によりその畑を完全に長期間管理できることが非常に重要な事である。モンテベロはその冷涼な 気候地区、成熟した葡萄の樹と水捌けの良い石灰岩の下層土から、カリフォルニアにおいて最も個性がはっ きりした複雑なカベルネとメルローが造られ続けてきた。リッジは現在モンテベロ尾根にあるボルドー地方 の品種が栽培されている葡萄園のすべてを所有またはリースしている。
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