2013 年度秋学期「芸術文化入門」 -フランスの食文化(担当:江花輝昭)-

2013 年度秋学期「芸術文化入門」
-フランスの食文化(担当:江花輝昭)-
「どんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人間であるか言ってあげよう。」
(ブリヤ=サヴァラン『味覚の生理学』1825)
(1)フランス料理は唯一無二の存在か
1)グローバル化する時代におけるフランスの威光の衰退
残るはファッション(中心地はパリのほか、ロンドン、ミラノ、ニューヨークなど)と料理。
世界におけるフランスの地位がどんなに低下しようと、フランス料理の立場だけは揺るぎな
いように見える。フランス料理と肩を並べる料理は世界に存在しない。
2)世界の三大料理―フランス料理、中華料理、トルコ料理
他の二つは、決してフランス料理と同レベルで語ることはできない(料理の純粋な質とは無
関係)。グローバル化とはヨーロッパ的価値観が世界を制覇したということ。
「権力」との結びつき-庶民的な中華料理との違い
「言葉」との結びつき-フランス料理ほど多く語られてきた料理はない
「芸術」との結びつき-フランスでは早くから「味覚芸術」という概念が提唱されていた
フランス料理は単に料理なのではなく、一つの「文化」概念として語ることが可能。
フランス料理の歴史とは「高級料理 Haute cuisine」の歴史のこと。
3)数値化・計量化と言語化への努力(フランス料理の権威の原点)
食材、調理法、食卓作法等を記号化、言語化することへの執念において、フランス人に優る
国民はない。標準化(普遍的価値)、客観性、公開性への志向(西洋近代そのもの)。
普遍的国際料理としてのフランス料理の標榜(「帝国」の料理)。「料理」とはコード化(記号
化)された決まりごとである(価値体系の共有)という信念。学校、コンクール、料理指南書、
食卓作法書、美食評論家、レストランガイドブックの創出(よくしゃべり本を書く料理人、批評
やランク付けを行う権威の存在)。フランス料理は、これらによって「権威」づけされた。
「イタリアンって、フレンチほど堅苦しくなくっていいよね。」
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(2)フランス料理の歴史―技法とサービス
1)中世(9 世紀-15 世紀)
(1) ラテン的(地中海的)傾向(繊細さ、節制)とゲルマン的(北方的)傾向(飽
食)の共存
今日のフランスでも生きている傾向。グルメ gourmet (語源的には「ワインの鑑定人」を
意味した)かつ グルマン gourmand (食いしんぼう)でなければならない。野菜をあま
り好まない(野菜は体を冷やして消化を悪くし、肉は体を温めて消化をよくすると信じら
れていた)など、中世ではどちらかといえばゲルマン的傾向が優勢だった。
(2) フランス式サービス service à la française(宴会料理のスタイル)
フランス式サービスでは、一度にたくさんの料理が供される。フランス式サービスは宴会
に向いたサーヴィス方式で、18 世紀まで存続する給仕スタイルである。中世のフランスで
は、銘々の皿もフォークもナプキンもなかった。あったのはナイフくらいで、それも肉を
切り分ける際に共同で使用した程度である。食事は基本的に指を使って食べた。
(3) 中世の味付け
酸味と香辛料を多用した(「熱寒乾湿」に関する古代以来の薬膳医学的知見に基づく)。
古代・中世の医学において消化は加熱反応と想像されていて、スパイスは食物の冷たさを
和らげ消化を助けると信じられていた。肉の臭みをとるためだけにスパイスが多用された
わけではない。遠方から陸路で運ばれる香辛料は高価で、これを大量に消費できることが
豊かさを象徴した。酸味は食物の過度の湿り気を中和させると信じられ、ヴェルジュ
verjus と呼ばれる未熟ブドウの果汁が使われた。
食材に多少の違いはあっても、味付けの好み等については、貴族であろうと庶民であろう
と大きな違いはなかった。身分の上下を問わず、日常食の基本はスープ soupe(家禽や豆
類のごった煮に固くなったパンを入れたもの)。身分による食事の差は料理の内容では
なく、スパイスを大量に使用するなど主として調理によって示された。
(4) 中世のごちそう
白鳥、キジ、孔雀、コウノトリ等空を飛ぶ動物。狩猟の獲物こそが貴族的食事にふさわし
いと考えられた。最も高貴でないのは地面の下で成長する根菜類。肉を好む貴族層と豆類
を好む庶民層。庶民の肉食は塩漬け豚肉中心だった。
中世においては、われわれが知っている、いわゆる「フランス料理」はまだ存在
していない。
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2)ルネサンス(16 世紀)
(1) 料理のルネサンス(フランス料理における第1の革命)
イタリアの影響。フォーク、陶製食器(faïence-イタリアの都市ファエンツァ Faenza に由
来)の登場
(ただし、
17 世紀になってもルイ 14 世は依然として指を使って食事をしていた)
。
食べ物との直接的接触、食器の共用の忌避(「文明化」のプロセス、「個人」意識の発達)。
今日のフランス料理の基本食材であるバターbeurre の普及(動物脂を規制するローマ教会
の権威の衰退、宗教改革によるタブーの打破)。バターの使用が一般化するのは 17 世紀以
降。砂糖の使用量の増加、酸味の減少。中世の大味な味付けからより繊細な味付けへ。
(2) 新世界の「発見」
香辛料、特にコショウを求めたのが、新大陸へ赴く動機の一つだった。トウモロコシ、ジ
ャガイモ、カボチャ、トマト、ヒマワリ、トウガラシ、インゲン豆、ピーナッツ、七面鳥、
コーヒー、チョコレート等新大陸由来の食材がヨーロッパの食生活を大きく変える。
3)17 世紀(偉大なる世紀 Grand Siècle)
香辛料の使用の減少。新大陸発見の影響により、香辛料がぜいたく品ではなくなったこと
に由来する逆転現象。古代以来の薬膳医学の影響力低下。野菜料理の増加。
以後、庶民の料理と貴族の料理との差別化は古代栄養学の知識によるのではなく、調理法
の複雑さ、料理人の工夫にかかってくる。技術の改良、洗練への志向、素材の持ち味の尊
重(ただし、今日的基準からは大きく隔たっている)。特に肉・魚のブイヨンやバターな
どの油脂の旨みを生かしたソース sauce の開発。繊細な香りのハーブ類の多用。
Grande Cuisine(偉大なる宮廷料理)の成立―今日のフランス料理の原型
ヴェルサイユの豪奢な宮廷文化はヨーロッパ各国の宮廷の憧れの的となり、18 世紀にはヴ
ェルサイユを模倣した宮殿が数多く作られる。フランスの料理人も各地に呼ばれるように
なる。フランス料理はヨーロッパ料理の覇権を握り、その圧倒的な名声を今日まで保持し
ている。また、中世以来のフランス式サーヴィスが最高度の完成を見た。
4)18 世紀(啓蒙の世紀 Siècle des Lumières)
レストラン・システムの創造(フランス料理第2の革命)
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(1) 語源的探索
a. 17 世紀末の辞書の定義。「レストラン-病人ないし疲れた人の失われた力を回復させ
る効力を持つ食物、または薬」。特に、肉汁・野菜を煮詰めて作ったブイヨン bouillon
(だし汁)をさした。
b. restaurant < restaurer(回復させる)。 現代の「コンソメ(consommé=完成された
もの、完璧なもの)スープ」はその生き残り。
(2) ブイヨンから制度的空間へ
a. 1765―Mathurin Roze de Chantoiseau が最初のレストランをパリにつくる。中心と
なるメニューは、食べ物としてのレストランだった。
b. その後、レストランは次第に食べ物から独自のサービス形式を意味するようになる。
メニューの使用、多様な選択の幅、自由な食事時間、個別に行われる快適な接客等は、
それまでの料理屋の提供するサービスとは一線を画していた。
c. 従来の料理屋は、常連を基本的顧客としており(客は毎日同じ時間、同じ場所に決め
られたメニューの食事をしに行く、地元の生活のリズムに依存)、「不特定多数」を
相手にする商売人ではなかった。
d. 「レストラン」の語は、日常性ではなく、「流行」、「新奇さ」、「創造性」のイメ
ージと結びついている。職人芸としての料理から芸術としての料理へ。
e. 不健康で、お仕着せの料理から、特権的で、健康によい料理へ。都市エリートにおけ
る健康志向。初期の頃のレストランは「健康の館」maison de santé と称していた。
科学と芸術の融合。
レストラン・システムの創造が、フランス料理の優位を確立した。
5)19 世紀
(1) 優秀な料理長の転進
革命によって、貴族に仕えていた料理長たちは、亡命するか、新しい権力者に仕えるか、
新境地を開拓するか(レストランを開く)の選択を迫られる。新しいレストランのモデル
となったのは、1782 年に Antoine Beauvillier が開業した Grande Taverne de Londres。
新しいタイプのレストランとは「王侯貴族の食卓を商品化したもの」である。
「偉大なる宮廷料理」のブルジョワ化(貴族趣味だが資本の論理に従う)。
フランスには宝飾品、香水、食器、家具、ファッション等貴族趣味を売りにした
商品が数多く存在する。高級フランス料理もその一つ。
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(2) ガストロノミー(gastronomie=胃袋の学、美食学)、ガストロノーム(美食家)
の誕生
胃袋で食べると同時に頭でも食べる料理(味覚はある意味「記憶」が作り出す)、あるい
は食通文学の誕生。
ブリヤ=サヴァラン Brillat-Savarin, Jean Anthelme (1755-1826) 政治家、美食家、
著作家。1789 年代議士になり、1793 年ベレー市長となった。優雅でウィ ットに富んだ食
芸術概論である『味覚の生理学』Physiologie du goût (1825)は、何度も再 版、翻訳され
ている。科学的視点からの省察。
「新しい料理の発見は人類の幸福にとって天体の発見以上の意味を持つ。」
(ブリヤ=サヴァラン)
グリモ・ド・ラ・レニエール Grimod de la Reynière, Alexandre Balthazar
Laurent (1758-1837) 著作家、美食家。食卓の父とも呼ばれ、「食味審査委員会」、
「美食家年鑑」等の活動を通 じて美食文学を確立した。料理批評、レストラン批評、「権
威」による「お墨付き、認定」 制度の創始者。料理に名前をつけることの一般化(~の何
とか風)。
(3) アントナン・カレーム Antonin Carème (1783-1833)
華麗なる建築的宴会料理の集大成者。19 世紀料理界最高の巨匠。料理手法は宮廷料理の影
響を強く残していたが、料理に科学的知識を導入し、主材料と付け合わせの役割を明確化
して料理の風味を整理する等近代的側面も持ち合わせていた。カレームが打ち立てた高級
フランス料理の枠組みは、19 世紀フランス料理の進路に大きな影響を与えた。
フランス料理の体系化、特にソースの整理、系統立て。基本となる 4 種のグランド・ソース
(エスパニョル、ヴルーテ、ベシャメル、アルマンド)とそこから派生する多数のプティ
ット・ソース(グランド・ソースにフォン、香味野菜、バターなどを加えて変化させる)
を分類。ソースに無限の変化を与えることが可能になった。
(4) ロシア式サービス service à la russe の誕生
宴会料理から個人の料理へ-温かいものは温かいままで、
冷たいものは冷たいままで出す。
レストランにふさわしいサービス。
ユルバン・デュボワ Urbain Dubois (1818-1901) 料理人。ロシアのオルロフ大公
やプロシャ皇帝のウィルヘルム 1 世の料理長を勤めた。フ ランスにロシア式サービスを
広める。
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6)20 世紀
(1) ホテル・ダイニングの完成型
観光旅行の誕生。湯治場、保養地(コート・ダジュールの開発)、海水浴場の隆盛。水に
対する禁忌の弱まり、ヴァカンスの欲求の高まり。
料理人、給仕長、ホテルの支配人は、初期の頃はほとんどがフランス人であるか、フラン
スで教育を受けていた(レストラン・システムの発達)。
(2) エスコフィエ Escoffier, Georges Auguste(1847 頃-1935)
普仏戦争(1871)のときに、ライン陸軍幕僚の食事をまかなう料理長となる。その後モンテ・
カルロのグランド・ホテル料理長を経て、ロンドンのサヴォイ・ホテル料理長、最後はカ
ールトン・ホテルの料理長となる。歌手のメルバと作曲家のロッシーニのために作ったピ
ーチ(ペッシュ)・メルバとトゥルヌド・ロッシーニという名前の料理などを生み出す。
カレームを受け継いでソースを整理・体系化し(カレームのグランド・ソースを発展させ
て料理のベースとなる「フォン・ド・キュイジーヌ」として集大成)、調理法の単純化、
簡略化の流れを作り出した 20 世紀フランス料理界の父。
厨房の仕事の組み換えと組織の再編に取り組み、今日に受け継がれるレストランの分業シ
ステムを確立した。
今日フランス料理のシェフを目指す者で、エスコフィエの『料理の手引き』Le
Guide culinaire( 1903)を読んでいない者はいない。
現在のフランス料理の加熱調理法の定義と方法論のほとんどはエスコフィエによって確立
された。
(3) ミシュラン・ガイドブック Le guide rouge (赤本)の誕生(1900)
自動車の出現(ミシュランはタイヤ会社)と地方へのレストランの分散化。星の数による
権威付け。
(4) ヌーヴェル・キュイジーヌ―料理におけるジャポニスム(1970 年代以降)
Nouvelle Cuisine ― ゴー・ミヨーGault et Millaut(雑誌の名前であり、雑誌の編集主幹
の名前でもある)が 1973 年 10 月号で提唱。「新感覚料理」というほどの意味。新鮮な食
材 をシンプルに調理した軽い料理への嗜好。
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日本料理の影響。美食と健康、ダイエットの共存。身体への異常なまでの関心(20 世紀は
身体の世紀)。安全な食材、体型の維持、自然との調和(エコロジー)の願望。身体への
眼差しと同様の目が、料理の皿にも注がれる(見た目の重視)。ヌーヴェル・キュイジー
ヌはその後発展的に解消し、今日のフランス料理の潮流を方向付ける。
(3)フランス食文化の現在
1)フランス料理の基本形
フランス料理の基本的調味料はバター(地中海沿岸地方はオリーブ油、山間地にガチョウ
油、クルミ油の伝統が残る)。
高度なソースの体系を持つ(エスコフィエの貢献)。現代では控えめになる傾向。 サー
ヴィスは、前菜 entrée、メイン plat、デザート dessert の 3 品構成が基準(「フルコ ー
ス」は例外的)。
2)フランス人の主食はパンと肉
19 世紀初頭のフランス人平均1日あたりパンの消費量はおよそ 500g、肉の年間消費量は
およそ 20 ㎏(現在の日本人年平均肉消費量は 30 ㎏弱)。庶民の食生活が動物性食物中心
の 食事になるのは、19 世紀後半以降のことである(1970 年時点で肉消費量は 80 ㎏前
後)。パ ンの消費量は現在 1 日あたり 250g弱(baguette 1 本)。
血の滴る牛肉への郷愁。国民食としての steak-frites (牛肉のステーキ、ポテトフライ
添え)。現在では牛肉(赤肉 viande rouge)の消費量は減って、鶏肉(白肉 viande blanche)
等カロリーの少ない肉の消費が増えている。
結局主食は、肉であるとも言えるし、パンであるとも言える。
3)日常の食事形態
(1) 朝食 petit déjeuner
コーヒーもしくはカフェ・オ・レとバゲットやビスコット(甘みのないラスク)などにバ
ターやジャムを塗ったものが基本。健康に配慮してヨーグルトを食べる人も増えている。
朝食用に焼きたてのパンを買う人のためパン屋は早くから営業している。
(2) 昼食 déjeuner
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以前は家に帰って 2 時間ほどかけて昼食を取る人も少なくなかった。今はたいていは職場
の近くで食べ、ファストフードを利用したり、サンドイッチやキッシュを買って外で食べ
て済ます人も多い。子どもは学校の食堂で食べても家に帰って食べてもいい。
(3) 夕食 dîner
パリなどの大都市圏で遅くまで働く人は別として、フランス人は今も家族そろって夕食を
食べることを大事にしている。食事開始は 7 時半から 8 時半くらいが多い。サラダ、メイ
ン ディッシュにチーズや果物といったメニューが一般的。冷凍食品もよく利用されてい
る。 社会階層によって異なるが、中流層以下ではウィークデーの外食は少なく、夫婦でレ
スト ランに出かけるのは特別な場合に限られる。
4)現代における課題(フランス料理第3の革命)
(1) フランス料理は健康に悪いのか
フランス料理はこってりとしたソースのかかった高脂肪、高カロリー食のイメージ。健康
に悪そう。
フレンチ・パラドックス 虚血性心疾患(IHD)による死亡率は、ヨーロッパで最下位、
イギリスの1/3以下、ド イツの約1/2という数字。赤ワイン・ポリフェノール説。フ
ランス人の1人当たり年間 ワイン消費量は約 67 リットルで世界一、イギリス人の 6.5
倍、ドイツ人の 2.5 倍(日本人 と比べると約 70 倍)。フランス料理は健康に悪いとは
言えない。
(2) 食のグロ-バル化(mondialisation)とフランス
a. ファストフード、冷凍食品は確実にフランス社会に浸透しつつある(食の規格化)。フ
ランスで人気No.1のチェーンストアは冷凍食品スーパーの Picard である。
b. スーパーで食料品を買う率は、1961 年から 1991 年の間に 10.4%から 62.2%に上昇した。
現代のフランス料理は、健康志向、ダイエットへの関心から、さらに「軽さ」を
求める方向へ。その一方で食の規格化も進行しつつある。
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