2回 マンデラさんとの記念写真 第 ―報道情報と実感との落差 イラスト・題字:長峯亜里 人種差別の闘士は穏やかな語り口 報にギャップがある訳が見えたような気がした。 それには前段がある。最初にマンデラさんと面 私の書棚の隅に大きな写真ホルダーがある。普 会したときのことである。時間は午前8時半から 通のアルバムに収容しきれない大きな写真をしま 30 分間と言われていた。で、執務室前の廊下の うものだ。何年間も開いておらず表紙も古びて、 椅子で待っていると、8時半を少し過ぎたころ執 中にどんな写真を入れておいたかもすっかり忘れ 務室のドアがスーッと開いた。出てきたのは長身 ていた。私がこのホルダーの存在を急に思い出し のマンデラさんご本人だった。 「ミスター・コマキ。 たのは昨年 12 月のことである。南アフリカの人 前の客との話が長引いている。約束の時間に遅れ 種隔離政策(アパルトヘイト)撤廃の闘士である 申し訳ない。約束通り 30 分は割くから心配しな ネルソン・マンデラ元大統領逝去のニュースがヨ いで」と微笑んだ。会見は8時 45 分から9時 15 ハネスブルグから飛び込んできたときだ。ホル 分まできっちり 30 分だった。秘書の姿はその場 ダーにはマンデラさんと一緒におさまった私のお の記憶にない。 宝顔写真がしまってあった。 ホルダーを探しているとあの日のことが鮮明に よみがえ ほほえ アパルトヘイトをめぐる政府への攻撃で 27 年 間の獄中生活を送ったマンデラ氏。04 年にアパ 蘇 ってきた。春先に向かう 2000 年 10 月のヨハ ルトヘイト撤廃後、南アフリカ大統領に就任した。 ネスブルグは紫色のジャカランダの花が咲き誇っ 09 年に後進に道を譲った後も、世界中から面会 ていた。意外にこじんまりした感じの事務所での の申し込みは1日に 300 件に上っていた。米国 インタビューの後、私を前庭まで送ってきてくれ 大統領に次ぎ世界で2番目に会うのが難しい人物 たマンデラさんが、 「さあ2人で」と秘書に写真 と言われていたころだ。 を撮るよう指示してくれたのだ。 ヨハネスブルグの中心街にカールトンホテルが 「マンデラ氏との写真撮影は認めない」とその秘 あった。かつてアフリカ大陸で最高級と言われア 書からあらかじめ念押しされていた私は、マンデラ パルトヘイト撤廃の祝賀式典にも使われたたホテ 氏の思いがけない言葉にいささか戸惑った記憶が ルは、入口のドアが大きな南京錠で文字通りロッ ある。穏やかな表情のマンデラ氏の横に立ったが妙 クアウト(封鎖)されていた。アパルトヘイトの撤 にぎごちなく写っているのも多分そのせいだろう。 廃で黒人の出入りも自由になった周辺地区では犯 この写真で、私が身を以て感じていた「マンデラ 罪が多発し、お客が来なくなったからである。 氏」の実像と、 「簡単には会わない」といった情 24 2014年3月号 そんなアパルトヘイト撤廃後の荒れた南アフリ
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