"-± 論法はなぜ必要か

"-± 論法はなぜ必要か
| "-± は自然に出てくる |
藤澤洋徳(東工大・情報理工)
大学に入って最初に習うであろう数学の一つが微分積分学です. 高校 3 年間の勉強の延長と
を考えれば自然な流れだと学生諸君は納得できるでしょう. でも, 微分積分学においては, 高校
数学と大学数学には決定的な違いがあります. 高校数学は (悪く言えば) 計算であり, 大学数学は
哲学です. その最もたる部分が「"-± 論法」です.
このメモは「"-± 論法」を分かりやすく説明しようとする試みの一つです. このメモが学生
の役にたてば嬉しいです. 過去に「"-± 論法」を本気で勉強した人も, 第 4 節は参考になると思
います. なお ....... という部分は, 立ち止まって腰を据えて考えて欲しいところです.
1. 極限とは
lim xn = x
n!1
この式は高校数学で習う極限式です. この式を見ただけでは気持ち悪くないでしょう. その感覚
が間違っているとは思いません. しかしながら日本語に直すと気持ち悪さが浮き出てきます. 極
限式を日本語に直してみましょう.
n を 1 に近づけると xn は x に近づく.
我々は 1 という「数」は知らないはずです. 胸に手をあてて考えてみて下さい. どんな数より
も大きな「数」というイメージが 1 でしょう. 「宇宙に果てがあるか」という哲学的命題と同
じで, 何か気持ち悪くなりませんか? 「近づく」なんて言う言葉も正確さを欠いているように思
えませんか?......... 「等しい」とか「大きい」とか状態を表す言葉は数学的に厳密でしょうが,
「近づく」という動作を表す言葉は数学的には少々気持ちが悪いです. 単調に近づくならばまだ
しも, ただ近づく, というのはどんな感じなのでしょう. 自分で正確に書こうとすると難しいこ
とうけあいです (もし書ければ君は数学的にかなりすごい!). この部分をクリアー (?) にした記
述が「"-± 論法」です. 「"-± 論法」のすばらしさを知っている私からすると, この論法がない世
界なんて... 電気のない世界に近いです.
2. "-± 論法
とりあえず上の極限式を "-± 論法で書き換えてみます.
8
">0
9
±(or n0 ) > 0
s:t:
8
n>±
jxn ¡ xj < "
なんじゃあこりゃあ, とは言わないでください. 今から説明します. 日本語に直訳すると以下の
ようになります.
任意の " > 0 に対して, ある ±(or n0 ) > 0 が存在して, ± よりも大きな n に対して
は jxn ¡ xj < " が成り立つ.
今度は日本語なので文章は読めるでしょう. 日本語としても正しいはずです. でも意味は良く分
からないかも知れませんね. もう少し噛み砕きます.
1
なんでもいいから君が好きな (十分に小さな) 正の数 " を決めることにしましょう.
[例えば " = 0:000001 だと思っておきましょう.] そのとき (十分に大きな) 正の数
± をうまく選んだとしましょう. すると ± よりも大きな数 n に関しては, いつも
jxn ¡ xj < "(= 0:000001) が成り立つ.
「おおーーー, 確かに xn と x の差が " = 0:000001 よりも小さいのならば, xn は x に近いでは
ないか!!!! 自分の思っていた収束のイメージだぞ」....... でも「近い」と「近づく」とは違いま
すよね. つまり上に書いた理解では「近い」という状態を理解したに過ぎなく「近づく」という
動作は理解していないことになります. 上の解釈では理解が不十分です. なぜなら文章を噛み砕
いたときに少し抜けています, 最初の「任意の」という言葉が...... 実は「任意の」という言葉が
「静 (状態)」から「動 (動作)」へと関連づけているのです.
" は何でもいいのだな. では, 上の文章で " = 0:0000000000000001 とか " =
0:00 ¢ ¢ ¢ 01 とかにしてみよう............
どうです? xn が x に「近づいていく」イメージが湧きませんか......... でも ± はどこに行った
のでしょう. もう少し例を出してみましょう. 最も簡単なのは
lim
n!1
1
=0
n
でしょうね. これについて考えることにします. " = 0:01 としたときは ± = 100 と取れば ± よ
りも大きな n(> ±) に対して jxn ¡ xj = j1=n ¡ 0j = j1=nj < j1=±j = 1=100 = 0:01 = " が成り
立つ. 噛み砕いた "-± 論法の部分と比較してみてください....... おおーーー, "-± 論法が成り立っ
ている!!!! また " = 1=1 億 としたときは ± = 1 億 と取れば ± よりも大きな n(> ±) に対して
jxn ¡ xj = j1=n ¡ 0j = j1=nj < j1=±j = 1=1 億 = " が成り立つ. おおーーー, またしても成り立っ
ている!!!!
"-± 論法が我々のもつ収束のイメージをもっていることが把握できたでしょうか. 「もっと
簡単な記述方法はないのか」ですって? それについては次節以下を見て下さい.
3. "-± 論法はなぜ必要か
ここまで読んできて「でも何で "-± 論法を持ち出す必要があるのだ?」と思われるかも知れ
ません. もちろん簡単な極限値を計算する程度であれば "-± 論法なんて必要ありません. スイッ
チをつければテレビはつく, それで十分じゃないか, という感じですね. でも, なんでスイッチを
つければテレビはつくのだろう, と考え出すと深い知識が必要になって, 何かを勉強しなければ
ならなくなる分けです. 微分積分学に於いては "-± 論法がそれに対応します.
"-± 論法と収束するというイメージの違いは「静」と「動」の違いです. 「近づく」という
過去に学んだ考え方は感覚的には分かりやすいのですが, 精確ではありません. 数式は精確です
が, 基本的には「静」しか表せません. その橋渡しが前節でも分かるように「任意の」という考
え方であり,"-± 論法なのです.
さて "-± 論法がないと本当に困るのでしょうか. 困ります. 簡単な例としては以下の命題が
あります.
x1 + ¢ ¢ ¢ + xn
lim xn = x
=x
=)
lim
n!1
n!1
n
この命題はきっと正しいに決まっている. みなさんも, そうだろうなあ, とは思えるでしょう.......
でも「本当に」正しいのか, と聞かれれば "-± 論法を使わずに証明することは難しいと思います.
この証明はどんな本でも載っていると思うので, ここでは触れません. また, 一様連続や一様収
束のような一様性の概念もこの部類でしょう.
でも以下のような疑問も残るでしょう. "-± 論法は収束のイメージを余すところなく説明し
ているのか. 収束を表すのに "-± 論法でなければいけないのか. 私には分かりません. 「経験的
に」分かってはいますが. しかし "-± 論法が便利なことは知っています. もしかすると, より優
秀な収束の記述方法があるかもしれません. (見つけた人はかなりすごいと思う) しかし次節に
書くように, "-± 論法はある意味で自然に構成されます.
2
4. "-± は自然に出てくる
何かを考えようとするとき最も単純な場合を考えると意外にうまくいくことがあります. こ
れは思考のエキスを抽出しているからかも知れません. ここでは x に単調に収束する以下の図
のような数列 fxn g を考えます.
x1
x2
x3
¢¢¢¢¢¢
x
ここで一本だけ仕切りを作ってみましょう. つまり目を「動かす」のではなく目を「止める」の
です.
x1
x2
x3
x
さらに拡大します. そして仕切り線と収束値 x との距離を " とおくことにします. これは任意
に " を決めていることと同様です.
"
x±+1
x±+2
¢x¢ ±+3
¢¢¢¢
x
するとある値 ± よりも大きな n に関しては jxn ¡ xj < " となることが見て取れますよね. まさ
に "-± 論法の記述ですよね. 確認してみましょう....... と言うわけで最も単純な数列の場合から
「仕切りを入れる」という発想を使えば, "-± 論法は自然に出てくるわけです. 問題は「最も単純
な場合に考えた理論がどこまで普遍的な定義として使えるのか?」でしょう. 特殊な論議は, あ
る程度までは普遍的に正しいが, あるところからは正しくない, というのが普通でしょう. 人間
は宇宙人ですが, 人間世界で正しいことがすべての宇宙人 (?) に対してで正しいとは限らないで
しょう. しかしながら, 私が思う限りこの定義で十分です. 多くの方も疑問はもってないと思い
ます. それは「経験」として感じているのです. 前節で触れたように "-± 論法よりも良い論法が
あるのかもしれませんが, 少なくとも私は知りません.
あとがき
私は最初に "-± 論法を聞いたとき, さっぱりすっぱり分からなかった. 少しずつ経験を積ん
で分かってきたが, 「分かった」と本気で思えたのは大学院入試の勉強をしているときだった.
もっと分かりやすい説明を誰かがしていてくれたなら, と何度も思った. 経験を積めば確かに分
かるようになる. しかし, そんな言葉は経験して分かった人が言うセリフで, 最初にどうしよう
もない嫌悪感をもった人には無意味なセリフである. 人間, それぞれのもつカタストロフィーポ
イント (破局点 ¢ 限界点) を一度越えてしまうと, 伸びきったゴムのように元には戻らない. この
メモには「学生にはそうなって欲しくない, "-± 論法はすばらしさを知れば生きていく上で大切
な物の考え方をも含んでいるんだよ,」という叫びをも書き綴ったつもりである. "-± 論法を単な
る記号のお遊びではなく, 一つ一つに深い意味があることを噛み締めながら使って欲しいのです.
確かに "-± 論法は難しい. このメモだけで学生が分かるようになるとは思えない. 確かに経
験や訓練が必要なのだ. 私はこのメモが, 学生の "-± 論法に対する理解がカタストロフィーポイ
ントを越えないことの助けになれば嬉しい.
参考文献
このメモを書いていて, そういえば「イプシロン ¢ デルタ」(共立出版) とかいう本があった
なあ, と思って生協の本屋に行った. 著者は田村一郎先生であった. この先生は「解析入門」(岩
波全書) という本も書いている. これは安い. しかも, とーーーても分かりやすい. 大学で買った
本ともう一冊, この本を読むことを勧める. 内容は平易であるが, 微分積分学 (解析学) とは何が
重要なのか, を伝えてくれる. 話がずれたが, 「イプシロン ¢ デルタ」という本を開いた目次の最
初のタイトルが, このメモのタイトルとほぼ同じであることには苦笑した. なお, このメモには
一つだけ, 重要なポイントなのに明確には触れていない部分がある. わざと書いていない. 人間
は同時に多くのことを聞くと頭が飛ぶので, このぐらいが新入生の頭の限界だろう, と思って止
めた. それは何かを考えながら講義や演習に出るのも面白いだろう.
なお, このメモは田村一郎先生の本を参考にして書いたわけではないが, かなり似ている部
分がある. 新入生に話そうと思うと, やはりこの流れが説明しやすいのだろう. 同時に, 田村先生
の本には書いていてこのメモにはないことや, このメモにはあるけれど田村先生の本には書かれ
ていないこともある.
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