コンドーム産業の誕生と多元化 - 北海道大学大学院経済学研究科・経済

平 成 21 年 度
北海道大学経済学部
卒業論文
コンドーム産業の誕生と多元化
―セックスの技術革新とその矛盾―
(高井ゼミ)
経 営 学 科 17060143
森泉萌香
論文要旨
本論文では今や世界の人々の公衆衛生を支える日本のコンドーム産業は戦前
から現代までにいかに発展を遂げてきたか、またその発展の裏にあるジレンマ
について、学術的に考察している。
ま ず 時 代 を 戦 前 ・ 戦 中 期 ( 1945 年 以 前 )、 高 度 経 済 成 長 期 ( 1960 年 ~ 1980
年 )、 尐 子 高 齢 化 期 ( 1980 年 ~ 現 代 ) と 3 つ に 区 分 し 、 コ ン ド ー ム の 持 つ 意 味
とコンドーム普及を先導する組織がどのように変化してきたかを分析した。戦
前・戦中期では軍が性感染症による兵力増加を危惧しコンドームを配布してお
り、軍需がもとでコンドーム産業が発展したことが判明した。戦争が終結した
高度経済成長期には家族計画が普及し、新規参入する企業の増加による競争激
化 の 中 で コ ン ド ー ム 加 工 へ の イ ノ ベ ー シ ョ ン が 進 ん だ 。尐 子 高 齢 化 期 に 入 る と 、
1980 年 代 後 半 か ら エ イ ズ へ の 危 機 意 識 が 上 昇 し 、政 府 に よ る 規 制 緩 和 が 進 む こ
とで企業の広告宣伝は激化してきた。企業はマスコミを利用することで、日本
人の性意識の変化に対応した年齢と性別のターゲット層の拡大を行い、
「恥ずか
しいモノ」とされてきたコンドームの一般普及はますます急速に進んだ。
一方で、多元化しているにもかかわらず減尐し続ける出荷量の理由について
も分析を行った。結果として国内出荷量の減尐においては日本人の家族計画意
識の低下、性感染症予防意識の低下、そして全年齢層においてセックスレスが
進んでいる点を指摘した。国外輸出減尐の背景には、かつて生産をしてきた途
上国において新興企業が続発し、日本企業の展開が困難化している事実も挙げ
た。
以上考察した結果として著者が主張したいのは、現在の日本のコンドーム産
業にとって、海外参入よりもエイズや性感染症の蔓延の悪影響を伴って縮小す
る日本のコンドーム市場の拡大が必要であるということである。海外における
コンドームの現地生産化は日本以上に深刻なエイズの蔓延地域では仕方のない
ことであり、新たな海外進出は再び現地生産化のプロセスのくりかえしになっ
てしまう。戦後のように行政と企業が大きく連携し、さらに影響力の大きなマ
スコミを活用することで、日本人の性意識の健全化は図られ、あらゆる人口問
題の突破口となる可能性があるだろう。
1
謝辞
本論文を執筆するにあたり、本当に多くの方々にご指導ご協力をいただきま
した。
まず初めに本論文の主題「コンドーム産業」を構成している企業各社の方々
には非常に大きなご協力をいただきました。
日 本 コ ン ド ー ム 工 業 会 の 石 居 利 明 様 に は 「 平 成 19 年 薬 事 工 業 生 産 動 態 統 計
調査表」の資料をいただき、コンドーム出荷量減尐の理由について電話でイン
タビューをさせていただきました。本論文を構成する上で必要であった出荷量
減尐の仮説を立てる上で非常に役立ち、現代の日本人の性意識の問題点を理解
する上で大変参考になりました。
オカモト株式会社健康生活用品部主事林知札様、主任佐藤孝治様、総務部広
報 担 当 の 伊 藤 将 文 様 に お 話 を 頂 き ま し た 。 製 品 案 内 や 会 社 案 内 、 CM 資 料 な ど
をいただき、インタビューから近年の会社の動向について有益な情報をいただ
くことができました。また、海外と日本でのコンドーム事情の違いについての
お話を伺い、コンドーム産業の国外展開の難しさを教えていただきました。な
お、林様には現地訪問以降もメールでの質問で大変お世話になりました。
不二ラテックス株式会社ヘルスケア営業部長の小林信隆様、総務部総務・人
事 課 主 任 の 横 山 智 久 様 か ら は 会 社 60 周 年 記 念 パ ン フ レ ッ ト 「 不 二 ラ テ ッ ク ス
60 年 の あ ゆ み 」を 頂 き 、イ ン タ ビ ュ ー で は 他 社 と の 比 較 や 出 荷 量 減 尐 へ の 対 策
についてお話を伺うことができました。また、コンドームの海外展開で障壁の
一つとされる規格についてもご説明いただき、コンドーム生産の世界展開にお
ける理解の助けとなりました。
相模ゴム工業株式会社ヘルスケア事業部営業企画室室長の樋沢洋様からは会
社 パ ン フ レ ッ ト を い た だ き 、メ ー ル で の イ ン タ ビ ュ ー に 応 え て い た だ き ま し た 。
特に、顧客ターゲットの拡大に関しての情報や資料をいただき、日本人の性生
活習慣の変化について分析する上で貴重な資料となりました。
シィーロード・インターナショナル株式会社コンドマニア事業部の根岸様に
は、コンドマニアの沿革や近年の購買層の変化について何度もメールで教えて
2
いただきました。エイズや性感染症の拡大によって企業がコンドーム普及のた
めに取り組んできた道筋を考察する上で大いに役立ちました。
エスエスエルヘルスケアジャパン株式会社マーケティングマネジャーの岩田
光弘様には、海外企業が日本に参入する難しさを教えていただきました。広告
宣伝に関する資料も頂き、コンドーム普及の歴史を分析する上で大変役立つも
のでした。
ジャパンメディカル株式会社には近年の新規参入企業としてどのような沿革
をたどったかについてお話を伺い、エイズに関する資料の推薦をいただきまし
た。
ドンキホーテ札幌店には特別な許可をいただき、コンドームの陳列方法と顧
客層の調査を行いました。この調査により、性の低年齢化やターゲットのジェ
ンダーフリーという仮説を立てることができ、有効な資料とすることができま
した。
北海道大学に所属される方々にも論文の指導をしていただきました。
北海道大学医学部玉城英彦教授には、エイズなどの公衆衛生問題及び世界保
健機関のコンドーム配布事業の方針についてのご指導をいただき、出荷量減尐
の謎を解明する上で非常に大きな力となりました。北海道大学文学部瀬名波栄
潤教授には、ジェンダー学的考えの根本を教わり、コンドームの性別的多元化
を考える上で多くのヒントを与えてくださりました。瀬名波先生にご紹介いた
だ い た H okudai Ac adem i c W ri ni ng Lab. の 皆 様 に は 、論 文 構 造 に お け る 様 々 な
アドバイスをいただきました。また、現在秋田大学男女共同参画室勤務中の川
畑智子准教授には、北海道大学で研究されている間から、性風俗に関する資料
をいただき、たびたびメールでの質問でお世話になりました。橋本ゼミに所属
し て い る 研 究 生 H arri s Jae 氏 に は 英 語 文 献 の 読 解 に お い て 大 き な 協 力 を 得 ま
した。
ま た 2008 年 8 月 よ り 8 カ 月 留 学 し て い た ス ウ ェ ー デ ン ・ ヨ ー テ ボ リ で は 、
薬 局 APO TIK ET N or dst an 店 の 方 に お 話 を 伺 い 、現 地 で は コ ン ド ー ム が 対 面 販
売 で あ り 、北 欧 で 展 開 す る RFSU 社 製 の 商 品 が 強 く 根 付 い て い る こ と を 教 わ り
3
ま し た 。さ ら に 参 加 し た パ ー テ ィ で コ ン ド ー ム が 配 布 さ れ る こ と が あ っ た 際 は 、
なぜそうした取り組みがあるのか現地の学生に話を伺う機会もありました。
そして何より、豊富な知識と経験から幅広い視点で論文執筆のヒントをくだ
さり、約 2年 に及ぶ論文作成をサポートしてくださった高井哲彦先生、ゼミの
内外問わず様々な角度から意見を下さり、共に切磋琢磨してきた高井ゼミの皆
様には、格別の感謝をお伝えしたいと思います。
この論文は皆様方一人一人のサポートによって完成させることができました。
皆様にはお忙しい中貴重なお時間を割いてご協力いただき、感謝をしてもしき
れません。どうかこの論文がどこかで皆様のお役に立てることを祈願しており
ます。本当にありがとうございました。
最後に両親森泉正寿、母美樹、弟佑亮へ、4 年 間素敵な大学生活を送らせて
いただけたことを幸せに思い、感謝の気持ちを伝えます。また、大学生活の半
分以上を下宿させていただき、自由奔放に研究する孫を影ながら支え続けてく
れた、祖父室屋昭節、祖母武子にも大変感謝をしています。私を成長させてく
れた全ての人々に対し、感謝と尊敬の意を表し、謝辞とさせていただきます。
平 成 22 年 1 月 26 日
4
森泉萌香
目次
序論
1 . 問 題 意 識 ………………………………………………………………………………. 8
2 . 先 行 研 究 ………………………………………………………………………………. 9
3 . 研 究 方 法 …………………………………………………………………………… .. 10
4 . 定 義 …………………………………………………………………………………… 11
5 . 論 文 構 成 …………………………………………………………………………….. 14
概 念 図 …………………………………………………… ………………………………… 15
年 表 ………………………………………………………………………………………… 16
第 1章 コ ン ド ー ム の 歴 史
1- 1. コ ン ド ー ム の 世 界 史 的 起 源 と 日 本 へ の 渡 来 ……………………………….. 18
1- 2. 産 児 制 限 論 と コ ン ド ー ム ………………………………………………………. 19
1- 3. 従 軍 慰 安 婦 と コ ン ド ー ム …………………………………………………….... 20
小 括 ………………………………………………………………………………………… 23
第 2章 コンドームのマイルストーン
2- 1. 優 生 保 護 法 と コ ン ド ー ム ………………………………………………………. 24
2- 2.
フ ェ ミ ニ ズ ム と ピ ル …………………………………………………………….. 26
2- 3. エ イ ズ と コ ン ド ー ム …………………………………………………………….. 30
小 括 ………………………………………………………………………………………… 32
第 3章 コンドームの経営史
3- 1. コ ン ド ー ム 産 業 の 構 造 …………………………………………………………… 33
3- 2.技 術 無 敵 の 市 場 リ ー ダ ー:オ カ モ ト …………………………………………… 37
3- 3.時 代 を 切 り 拓 い た 麒 麟 児:不 二 ラ テ ッ ク ス …………………………………… 42
3- 4.創 業 当 時 か ら 変 わ ら ぬ コ ン ド ー ム へ の こ だ わ り:相 模 ゴ ム 工 業 …………. 46
3- 5. そ の 他 の 日 本 の コ ン ド ー ム 企 業
5
3- 5- 1.ジ ェ ク ス 株 式 会 社 ……………………………………………………………. 48
3- 5- 2.ジ ャ パ ン メ デ ィ カ ル 株 式 会 社 ……………………………………………… 49
3- 6.海 外 コ ン ド ー ム メ ー カ ー の 日 本 参 入 ― SSL I nt er nati o nal … ………………. 49
小 括 ………………………………………………………………………………………… 52
第 4章
コンドームのイノベーション
4- 1.
「 恥 ず か し い モ ノ 」の 初 期 販 売 網 ………………………………………………… 54
4- 2.薬 事 法 改 正 と 流 通 革 命 ……………………………………………………………. 55
4- 3.雑 誌 ブ ー ム と ジ ェ ン ダ ー フ リ ー ………………………………………………… 57
4- 4.コ ン ド ー ム の テ レ ビ 広 告 …………………………………………………………. 65
4- 5.セ ッ ク ス の エ ン タ ー テ イ メ ン ト 化 ……………………………………………… 67
小 括 ………………………………………………………………………………………… 69
第 5章
コンドーム生産量減尐の謎
5- 1. コ ン ド ー ム と 日 本 人 ……………………………………………………………… 72
5- 2.尐 子 高 齢 化 に よ る 人 口 減 尐 ……………………………………………………… 74
5- 3. 進 む コ ン ド ー ム 離 れ と 代 替 法 と し て の 性 交 中 絶
5- 3- 1. 既 婚 者 で 進 む 家 族 計 画 意 識 の 低 下 ……………………………………….. 75
5- 3- 2.未 婚 者 で 進 む 性 交 中 絶 率 の 増 加 …………………………………………. 77
5- 4. 年 齢 層 拡 大 が 招 い た パ ラ ド ク ス
5- 4- 1.未 熟 な 性 文 化 が 蔓 延 る 青 尐 年 の 性 ………………………………………. 80
5- 4- 2.性 意 識 の 低 下 が 目 立 つ 高 齢 層 の 性 ………………………………………… 85
5- 5. セ ッ ク ス レ ス 国 家 化 す る 日 本
5- 5- 1
夫 婦 に お け る セ ッ ク ス レ ス ……………………………………………….. 89
5- 5- 2
若 年 層 に お け る セ ッ ク ス レ ス …………………………………………….. 93
5- 6.マ ー ケ ッ ト の 変 化 ― コ ン ド ー ム 産 業 の グ ロ ー バ ル 化 と 現 地 化 ……………. 95
5- 7. コ ン ド ー ム 出 荷 量 減 尐 の 影 響
5- 7- 1.家 族 計 画 意 識 の 低 下 に よ る で き ち ゃ っ た 結 婚 の 増 加 ……………….. 100
5- 7- 2. エ イ ズ・性 感 染 症 意 識 の 低 下 に よ る 蔓 延 ………….…………………… 101
小 括 ………………………………………………………………………………………. 103
6
結 論 ………………………………………………………………………………………. 105
巻 末 資 料 …………………………………………………………………………………. 109
7
序論
1. 問題意識
人類の歴史の中で病原菌は度々影響を与えてきた。時には国家の存亡の危機
にもつながり、現在の南北問題の原因の一つであると唱える学者もいる。
結核・梅毒・ペスト・・・いずれも人類が命を賭けた研究によって治療が可
能 に な っ た 病 気 で あ る 。 し か し 1980 年 代 に 突 如 登 場 し 、 研 究 が 進 め ら れ て い
る に も か か わ ら ず 未 だ に 治 せ な い 病 気 が あ る ― エイ ズ で あ る 。
世 界 で の 年 間 死 者 は 200 万 人 、 今 で も 3300 万 人 の 人 が 感 染 し た ま ま 暮 ら し
て い る 1 。日 本 で は 2008 年 に H I V の 新 規 感 染 者 数 が 1000 人 を 超 え 、そ の 数 は
年 々 増 加 傾 向 に あ る 。エ イ ズ を 発 症 し た 患 者 数 も 432 人 で 過 去 最 大 で あ っ た 2 。
治療薬が開発されていない今、唯一の予防策はコンドームの使用である。日
本では性感染症予防のみならず避妊具として広く普及しているが、世界と比較
するとかなり特殊な事例である。日本ではコンビニで簡単に購入でき、ドラッ
クストアに行けば数十種類の中から好きなメーカー、好きなタイプのコンドー
ムを選択できる。しかし海外ではピルが主流であり、コンドームの展開は日本
ほど進んでいない。尐なくとも私が留学していたスウェーデンではこれが当て
はまり、ピルは当たり前のように店頭に並んでいるが、コンドームは店員に声
をかけないと購入できず、種類はおろか企業ごとのブランドはなかった。
本論文では、人類の生殖において非常に重大な産業にも関わらず、これまで
全くといっていいほど研究されてこなかった「コンドーム」をテーマとして、
日本におけるコンドーム産業がどのように進化してきたか、考察する。また一
方でその背景にある「出荷量減尐」という矛盾について言及し、コンドーム産
業が今後歩むべき道筋を分析する。
「( 地 球 24 時 ) エ イ ズ 新 規 感 染 者 数 、 8 年 間 で 17% 減 尐 」『 朝 日 新 聞 』 2009
年 11 月 26 日 朝 刊 、 p. 8。
2
「 H I V感 染 者 、過 去 最 多 - 08 年 、 1113 人 に 」『 朝 日 新 聞 』 2009 年 2 月 19 日
朝 刊 、 p. 33。
1
8
2. 先行研究
現在までに日本のコンドーム産業に関する分析はほとんどない。
「 性 」に 関 す
る 学 術 研 究 と し て は 、経 済 経 営 学 分 野 で ラ ブ ホ テ ル・セ ッ ク ス ワ ー カ ー・婚 活 、
文学分野で恋愛の思想や歴史、医学分野では避妊全般について言及したものが
あるが、コンドームを主体的に分析した研究は見当たらない。
コンドームに関連した文献を挙げるならば、門倉貴史『セックス格差社会-
恋 愛 貧 者 結 婚 難 民 は な ぜ 増 え る の か 』( 2008 年 ) に お い て コ ン ド ー ム の 出 荷 量
が言及されているが、セックスレス以外の原因分析はされておらず、実証が甘
い 。 ま た 、 海 外 文 献 で は Ai ne Col l i er The humble little condom:A HISTORY
( 2007 年 )に お い て コ ン ド ー ム の 世 界 史 が 述 べ ら れ て い る が 、日 本 に お け る コ
ンドーム史の記述は第二次世界大戦中までにとどめられており、詳細ではない
のに加え、誤りがあることが判明した。
従軍慰安婦とコンドームの関係性については林博史「陸軍の慰安所管理の一
側 面― 「 衛 生 サ ッ ク 」交 付 資 料 を 手 が か り に ― 」
『季刊戦争責任研究』
( 1993 年 )
が詳しいが、コンドームの工場経営事情からの分析が行われていないため、著
者が新しい理論を打ち出す基となった。
避妊に関する歴史については、ティアナ・ノーグレン『中絶と避妊の政治学
-戦後日本のリプロダクション政策』が最も詳しく、日本における産児制限の
歴史から避妊方法の世界比較を分析する上で非常に役立ったが、分析は政府か
らの視点にとどまっている。
著者はこれらの先行研究を参考としたが、いずれの研究も「コンドーム」は
ひとつのキーワードに過ぎないと判断した。本論文ではこれらを統合して「コ
ンドーム」を主体的に分析し、社会経済史学的にまとめられたオリジナルな論
文であると主張したい。
な お 、経 済 界「 ポ ケ ッ ト 社 史 」編 集 委 員 会『 オ カ モ ト : “身 近 な 暮 ら し を 科 学
す る ”青 春 企 業 』
( 1991 年 )は 、論 文 完 成 後 に 見 つ け た た め 、本 論 文 の 参 考 資 料
とはしていないことを言及しておく。
9
3. 研究方法
著 者 が 本 論 文 を 執 筆 す る に あ た り 、 1) 二 次 文 献 収 集 、 2) 一 次 文 献 分 析 、 3)
フ ィ ー ル ド ワ ー ク 、 4) 英 語 文 献 の 分 析 の 4 つ の プ ロ セ ス を 要 し た 。
まず初めに、コンドームに関する文献が非常に尐なかったため、著者はコン
ド ー ム に 関 係 す る「 避 妊 」
「 産 児 制 限 」「 性 感 染 症 」
「 エ イ ズ 」「 恋 愛 」「 結 婚 」な
ど の キ ー ワ ー ド か ら 二 次 文 献 を リ ス ト ア ッ プ し 、Bi bl i ogr aphi c al Ess ay を 執 筆
し た 。Bi bl i ogr aphi c al Es s ay は 大 幅 な 加 筆 修 正 を 加 え な が ら 本 論 文 全 体 を 通 し
て必要な箇所に挿入した。
次 の プ ロ セ ス で あ る 一 次 文 献 分 析 で は オ カ モ ト 株 式 会 社 か ら 『 O K AMO TO
IN D U STRI ES, IN C会 社 案 内 』
( 2008 年 )を 、不 二 ラ テ ッ ク ス 株 式 会 社 か ら『 始
ま り は い つ も 、不 二 ラ テ ッ ク ス か ら 製 品 案 内 N EXT G EN ERATI ON (
』 2008 年 )、
『 不 二 ラ テ ッ ク ス 60 年 の あ ゆ み 』( 2009 年 ) を 、 相 模 ゴ ム 工 業 株 式 会 社 か ら
『 会 社 概 要 』( 2008 年 ) を い た だ き 、 比 較 を 行 っ た 。 こ の と き 京 都 市 の 国 際 日
本 文 化 研 究 セ ン タ ー か ら 取 り 寄 せ た 『 岡 本 理 研 ゴ ム 株 式 会 社 50 年 史 』( 1985
年)も一次文献として役立てている。また、日本人特有のセックス観に関して
は国立社会保障・人口問題研究所の出生動向基本調査を活用した。
しかしながらコンドームに関する文献は非常に限られていたため、著者はフ
ィールドワークを行い、これらを補填した。
第一にコンドームに関連する団体及び企業へのインタビューを試みた。日本
コンドーム工業会への電話インタビュー、オカモト株式会社及び不二ラテック
スへの訪問インタビュー、相模ゴム株式会社、ジャパンメディカル株式会社、
シィーロード・インターナショナル株式会社コンドマニア事業部、エスエスエ
ルヘルスケアジャパン株式会社へのメールインタビューがそれである。これら
のインタビューによって文献では理解の出来なかった箇所の確認や企業の特色、
現代におけるコンドームにまつわる社会背景をどのように考えているのかを詳
しく知りうることが出来た。また、多くの企業から貴重なデータや歴史的資料
をいただくことも出来た。
第二にドンキホーテへの実地調査を行い、購買層のチェックを試みた。実際
はサンプル数が尐なく、データとしては使用できなかったが、この調査を基に
10
し て 新 た な 仮 説 「 コ ン ド ー ム 購 買 層 に 中 性 化 の 傾 向 が あ る 」 が 立 て ら れ 、 A社
から得た貴重な資料を基にこれを解析できた。
第 三 に 女 性 誌 に お い て コ ン ド ー ム が ど の よ う に 描 か れ て き た の か 、雑 誌『 an ・
a n』 と 『 no n ・no』 の バ ッ ク ナ ン バ ー を 用 い て 分 析 を 行 っ た 。
これらで日本におけるコンドームに関する論文の基礎が固められたが、海外
市場とも密接に結びついていることが判明したため、海外文献や海外のホーム
ページを用いた。海外では日本より遥かにコンドームの研究がなされているた
め、コンドームの世界史を分析し、論文の所々にちりばめた。
以 上 の 4 プ ロ セ ス を 基 に し て 、時 に は 分 か り や す く す る た め に グ ラ フ や 図 を
用いて論文を構成している。
4. 定 義 3
避妊とは、
「 妊 娠 し な い よ う に す る 方 法 。古 く か ら 、お ま じ な い 、通 じ 薬( 薬
草 )、膣 に 詰 め 物 を す る 、膣 外 射 精 な ど さ ま ざ ま な 方 法 が 試 み ら れ た 」と あ る 4 。
国 立 社 会 保 障 人 口 問 題 研 究 所 の 「 第 13 回 出 生 動 向 基 本 調 査 わ が 国 独 身 層 の
結 婚 観 と 家 族 観 」に よ る と 、主 な 避 妊 方 法 と し て 1) コ ン ド ー ム 、 2) 性 周 期 利
用 法 、 3) IU D 、 4) ピ ル( 経 口 避 妊 薬 )、 5) 性 交 中 絶( 膣 外 射 精 )、 6) 不 妊 手 術
が挙げられている。それぞれについて以下に説明を加える。
1) コ ン ド ー ム
通常コンドームというと、男性の性器にかぶせるゴムを指している。日本で
は女性用コンドームも販売されているが、使用方法が簡単であることや見た目
が悪いなどの理由から主流となっているのは男性用コンドームである。男性用
コンドームは、男性器にゴム状の袋をかぶせ、射精した精子が膣内に入るのを
防ぐことで避妊効果がある器具である。使用が簡単で、低価格で入手でき、性
感 染 症 予 防 に も 効 果 が あ る 5 。正 し く 使 用 す れ ば 確 実 な 効 果 が 得 ら れ る が 、男 性
こ の 節 は ジ ェ ク ス 株 式 会 社 ホ ー ム ペ ー ジ ( 2009 年 12 月 25 日 閲 覧 ) を 参 考
に 編 集 し た 。 htt p: //w ww .j ex-i nc. co. j p/
4
井 上 輝 子 他 編 集 『 岩 波 女 性 学 辞 典 』 岩 波 書 店 、 2002 年 、 p. 673。
5
ジ ェ ク ス 株 式 会 社 ホ ー ム ペ ー ジ ( 2009 年 12 月 25 日 閲 覧 )。
ht t p: / /w w w .j ex-i nc. co. j p/
3
11
主体の製品であるため、男性の協力が必要になる。一方女性用コンドームは、
女性の膣の中に装着をする。男性用コンドームよりも大きく、ポリ袋のような
形 を し て い る が 、先 端 に 付 い て い る リ ン グ を 子 宮 口 に か ぶ せ る 形 で 避 妊 を す る 。
これも避妊効果のみならず性感染症予防にも効果がある。
2) 性 周 期 利 用 法 、
性周期利用法にはオギノ式と基礎体温法がある。
オ ギ ノ 式 は 、次 の 月 経 予 定 日 か ら 逆 算 し 、12~ 16 日 前 の 5 日 間 に 排 卵 が あ り 、
それ に精子 の 生存期間 3日 と さ ら に前後 2 日を 妊娠可能 期と考える荻 野久作博
士の学説に基づいた方法で、元々は避妊のためではなく妊娠するために提唱さ
れ た 6 。し か し 、月 経 周 期 は 人 や 体 調 に よ り 異 な る た め 、確 実 な 避 妊 方 法 と は 言
えない。
基礎体温法は、毎朝目覚めの直後、体温を計り排卵を予測する方法である。
基礎体温をつけると、低温期から高温期に変わる日に極端に体温が落ちる日が
あるが、その日に排卵が行われている。排卵から次の月経までの高温期が安全
日にあたるが、前後 3 日位は避妊に失敗する可能性がある。基礎体温法は自分
の 体 調 の リ ズ ム を 知 る た め に 前 も っ て 3~ 4 ヶ 月 間 変 化 を 観 察 し て 理 解 す る 必
要がある。
3) IU D
IU D は 子 宮 の 中 に 器 具 を 埋 め 込 む こ と に よ り 受 精 卵 の 着 床 を 防 ぐ 避 妊 具 で
ある。精子は初めて出会う異物に近づく習性があることを利用した避妊法であ
る。特殊な器具を体の中に入れるため、女性が病院または医師の指導のもとで
行う必要がある。経血量の増加、下腹部痛、月経期間の延長などがみられるた
め、定期的に医師の診察が必要になる。
4) ピ ル ( 経 口 避 妊 薬 )
ホルモン剤を服用することで「偽妊娠状態」を作り出し、排卵の抑制と受精
卵 の 着 床 を 妨 げ る 方 法 で あ る 。 正 し く 飲 め ば ほ ぼ 100% の 効 果 が あ る 女 性 主 体
ジ ェ ク ス 株 式 会 社 ホ ー ム ペ ー ジ ( 2009 年 12 月 25 日 閲 覧 )。
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6
12
の避妊だが、性感染症には効果がないため、コンドームの併用が必要である。
避妊に効果がある最小限のホルモン量に抑えられており、従来の中、高用量
ピ ル に 比 べ て 副 作 用 が 尐 な い の が 通 常 の ピ ル 、低 用 量 ピ ル で あ る 7 。使 用 す る と
吐き気や体重増加、子宮頸がんや乳がんのリスクが高まるなどの副作用が唱え
られているが、卵巣がん子宮体がんのリスクの減尐、肌がきれいになる、多毛
が改善されるなど副効用も同様に報告されている。
た だ し 、 乳 が ん や 肝 障 害 、 高 血 圧 、 35 歳 以 上 で 1 日 15 本 以 上 タ バ コ を 吸 う
人 は 血 栓 症 な ど の 原 因 と な る の で 使 用 し て は い け な い 。ま た 、 40 歳 以 上 や 肥 満
の人は注意が必要である。医師の処方が必要だが、病気の治療ではないため保
険は適用されない。
コンドームを使用している際に万が一破ける、外れるなどのトラブルにあっ
た際は、妊娠を避ける方法としてモーニングアフターピルの服用が避妊方法と
し て 存 在 す る 。性 交 後 72 時 間 以 内 に 中 用 量 ピ ル を 2 錠 飲 み 、そ の 後 12 時 間 後
に も う 一 度 2 錠 を 服 用 す る こ と で 、受 精 卵 が 着 床 す る よ り 先 に 子 宮 内 膜 を は が
して生理のような状態を作り出す。成功率は服用が早ければ早いほど高くなる
が、女性への副作用が大きいため、頻繁に使うことは勧められない。
5) 性 交 中 絶 ( 膣 外 射 精 )
性行為の途中、射精直前で男性器を女性器から抜き、膣以外のところで射精
することを指す。しかしながら実際には射精前に男性器から出ているカウパー
腺液の中にも精子が存在していることから完全な避妊方法とは言えない。
6) 不 妊 手 術
医師による手術により、精管や卵管を塞ぐことで避妊をする方法である。永
久的で完全なる避妊になるため、慎重な決断が必要であるが、ホルモンや性機
能への影響はないため、多くは結婚生活が長い夫婦に対して行われている。
7) そ の 他
その他の避妊方法として殺精子剤とペッサリーがある。殺精子剤は膣の中に
7
中、高用量ピルは本来は避妊目的ではなく、ホルモン治療などのために用い
られる。
13
挿入すると、発砲しながら約 5分 で 溶け、殺精子効果が表れる。近年ではコン
ドームの中に加工されていることもある。ペッサリーは子宮の入り口にゴム状
のキャップをかぶせ、精子の侵入を防ぐ方法である。人によってサイズが異な
るため、専門医による指導が必要である。
5. 論 文 構 成
第 1 章 で は コ ン ド ー ム の 世 界 史 的 起 源 を 扱 い 、日 本 に 渡 来 し た の は 江 戸 時 代
であることを述べた。当時は高級品であったが、戦争に近付くにつれて軍が主
導となって兵士に配給を行い、性病予防のためのコンドーム普及は広がったこ
とを指摘した。終戦までの軍需によってコンドームは発展の礎を築くことにな
った点についても言及した。
第 2 章 で は 戦 後 か ら 1980 年 代 ま で で コ ン ド ー ム の 発 展 に と っ て 重 大 だ っ た
と思われる、優生保護法・フェミニズムとピル・エイズに問題から考察し、家
族計画の普及がコンドーム産業を大きくし、ピル解禁の遅れとエイズ問題が重
なったことでエイズ以後に特需がもたらされたことを述べた。
第 3 章 で は コ ン ド ー ム の 製 造 を し て い る 企 業 史 を 分 析 し 、家 族 計 画 の 普 及 に
よ っ て 1960 年 ご ろ か ら 参 入 企 業 が 増 加 し 、技 術 革 新 が 進 ん だ こ と が 判 明 し た 。
ま た 、 各 企 業 が 1960 年 代 か ら 行 っ て き た 事 業 多 角 化 や 海 外 進 出 も イ ノ ベ ー シ
ョンの起因となっている点について言及した。
第 4 章 で は 近 年 の ト レ ン ド に つ い て 触 れ 、エ イ ズ 以 後 コ ン ド ー ム 普 及 の た め
の流通革命が起きたことに言及した。各企業のマーケティング強化によってコ
ンドームのターゲットは年齢層・性別の両者で広がり、コンドームが「恥ずか
しいモノ」から次第に受け入れられるようになる過程を分析した。
第 5章 で は 第 4章 ま でに 述べた多 元化に反する 出荷量減 尐の理由を突 き止め 、
国内市場では家族計画意識とエイズ性感染症予防意識の低下、セックスレス化
に原因があることが分かった。国外市場では、それまで日本企業が力を入れて
きた途上国において、現地企業の生産が激化することにより、日本企業が参入
しづらくなっていることを発見した。
14
概念図
(出典)著者作成。
15
年表
初期エジプト王朝時代
コンドームの起源。虫刺されからの陰茎保護のため。
15 世 紀
イタリアの解剖学者が梅毒予防のために布で亀頭保護を著書に記す。
17 世 紀
フランスでヤギの盲腸でコンドーム製造。イギリスで亀頭帽。
江戸時代明和年間
日本にコンドームが渡来したとの記録。
幕末
学者の日記にコンドームが高級品であるとの記述。
1910
井 上 芳 三 郎 に よ る 、 コ ン ド ー ム 国 産 化 。「 ハ ー ト 美 人 」
1915
D ur ex の 前 身 、輸 入 コ ン ド ー ム 会 社 の ロ ン ド ン ラ バ ー カ ン パ ニ ー が 設 立 。
1932
上 海に海軍慰安所が出来る。
1934
オ カ モ ト の 前 身 、岡 本 ゴ ム 工 業 所 設 立 。相 模 ゴ ム の 前 身 、ア サ ヒ ラ テ ッ
ク ス 化 学 研 究 所 設 立 。ア サ ヒ ラ テ ッ ク ス 化 学 研 究 所 が 日 本 で 初 め て 天 然
ゴムラテックスのコンドーム製品化に成功。
1941- 42
コンドーム会社が軍の統制下に置かれ、戦地向けスキンを製造。
1945
終戦。
1948
優生保護法交付。
1949
不二ラテックスの前身、株式会社日本ラテックス工業所設立。
1951
厚生省による家族計画普及の始まり。
1959
中 西ゴム設立。
1960
ジェクス設立。
1968
『 週間大衆』に初めて「コンドーム」という言葉が掲載される。
1969
岡 本 理 研 ゴ ム が 0. 03 ミ リ コ ン ド ー ム の 開 発 。
1972
女性雑誌『ヤングレディ』に初めて「スキン」の記事が載る。
1973
男 性 雑 誌『 プ レ イ ボ ー イ 』に 雑 誌 で 初 め て コ ン ド ー ム 商 品 の 性 能 比 較 記
事 が 載 る 。『 ヤ ン グ レ デ ィ 』 に も 「 コ ン ド ー ム 」 と い う 言 葉 が 掲 載 さ れ
る。
1981
世界で初めてエイズ患者が報告される。
1985
日 本ではじめてエイズ患者が報告される。
1989
日 本 で エ イ ズ 予 防 法 が 制 定 さ れ る 。( 1999 年 に 廃 止 )
16
1992
コ ンドーム専門店「コンドマニア」の一号店が出店。
1995
薬 事 法 改 正 に よ り 、ド ラ ッ ク ス ト ア・コ ン ビ ニ エ ン ス ス ト ア へ の 販 路 拡
大が可能に。
1998
日 本初のポリウレタン製コンドームが相模ゴムから発売される。
1999
ピ ル・銅 付 加 IU D 子 宮 内 リ ン グ・女 性 用 コ ン ド ー ム が 認 可 さ れ る 。D urex
が 日 本 参 入 。女 性 雑 誌『 no n ・no』に 初 め て コ ン ド ー ム の 記 事 が 掲 載 さ れ
る。
2000
日 本 初 の 女 性 用 コ ン ド ー ム「 マ イ フ ェ ミ ィ 」が 大 鵬 薬 品 か ら 販 売 さ れ る 。
2004
マイフェミィが販売中止。
2005
不 二 ラ テ ッ ク ス が 女 性 用 コ ン ド ー ム「 ウ ー・マ ン フ ェ ミ ド ー ム 」を 販 売 。
2008
H I V・ AID S 患 者 数 が 一 万 人 を 超 え る 。
(出典)以下の文献、ホームページ、インタビューより著者作成。
文献資料
オ カ モ ト 株 式 会 社『 O K AMO TO IN D U STRI ES, IN C 会 社 案 内 』オ カ モ ト 株 式 会
社 、 2009 年 、 岡 本 理 研 株 式 会 社 『 岡 本 理 研 株 式 会 社 50 年 史 』 岡 本 理 研 株 式 会
社 、 1985 年 、相 模 ゴ ム 工 業 株 式 会 社『 会 社 概 要 』相 模 ゴ ム 工 業 株 式 会 社 、 2008
年、ティアナ・ノーグレン『中絶と避妊の政治学
戦後日本のリプロダクショ
ン 政 策 』青 木 書 店 、 2008 年 、不 二 ラ テ ッ ク ス『 不 二 ラ テ ッ ク ス 60 年 の あ ゆ み 』
不 二 ラ テ ッ ク ス 株 式 会 社 、 2009 年 。
ホームページ
ジ ェ ク ス 株 式 会 社 ( 2009 年 12 月 25 日 閲 覧 )。 htt p: //w w w .j ex-i nc. co. j p/
大 鵬 薬 品 工 業 株 式 会 社 ( 2009 年 12 月 28 日 閲 覧 ) 。ht t p: / /w w w .t ai ho. co. j p/
中 西 ゴ ム 工 業 株 式 会 社 ホ ー ム ペ ー ジ ( 2009 年
11 月
28 日 閲 覧 )
ht t p: / /w w w . nakani s hi - co ndom . co. j p/
インタビュー
シ ィ ー ロ ー ド・イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル 株 式 会 社 コ ン ド マ ニ ア 事 業 部・根 岸 氏( 2009
年 12 月 16 日 )。
17
第 1章 コ ン ド ー ム の 歴 史
1- 1. コ ン ド ー ム の 世 界 史 的 起 源 と 日 本 へ の 渡 来
コンドームの起源は初期エジプト王朝時代、虫刺されから陰茎を守るために
サ ッ ク 状 の 筒 を 装 着 し た の が 起 源 だ と 言 わ れ て い る 。そ の 後 15 世 紀 に な る と 、
イタリアの解剖学者フアロビウスの著書に、梅毒予防にリンネルの布を亀頭に
巻きつける方法が紹介された。
コ ン ド ー ム が 避 妊 目 的 と し て 登 場 す る の は 17 世 紀 の こ と で あ る 。 フ ラ ン ス
ではヤギの盲腸を使ったコンドームが、イギリスでは魚の浮き袋をヒントに亀
頭 帽 が 開 発 さ れ た 。亀 頭 帽 は イ ギ リ ス 王 チ ャ ー ル ズ 2 世 と 愛 妾 の 避 妊 に 使 わ れ
た記録が残っており、
「 コ ン ド ー ム 」と い う 名 称 も 、発 明 し た コ ン ト ン 博 士 の 名
前 か ら 由 来 す る と 言 わ れ て い る 8。
17 世 紀 に 開 発 さ れ た 動 物 の 消 化 器 製 コ ン ド ー ム が ゴ ム 製 品 と な っ た の は 、19
世紀になってのことだった。アメリカでは、チャールズグッドイヤーがコンド
ームの製造プロセスでも重要なゴムの加硫で特許を取得し、大量生産が可能に
なったのである。ヨーロッパでも、スコットランドで産児制限研究者のマリー
ス ト ー プ ス が 北 ロ ン ド ン に 1921 年 、 避 妊 ク リ ニ ッ ク を 設 立 し 、 ゴ ム 製 コ ン ド
ームが作られている。
日 本 に い つ コ ン ド ー ム が 渡 来 し た か は 定 か で は な い が 、最 初 の 記 録 と し て は 、
1765 年 頃 、両 国 薬 研 堀 の 薬 種 問 屋 で あ る 四 ツ 目 屋 の 口 上 書 に「 く わ い に ん せ ぬ
道 具 、甲 型 ( か ぶ と が た )」と 説 明 さ れ た も の が 記 載 さ れ て い る 。幕 末 1827 年
頃になると、信州上田の学者である赤松小三郎の日記に「郷里の土産にルーデ
サック二個を横浜で買いもとめた」よしのことがかかれている。これらはオラ
ン ダ 製 の 茎 袋 な る も の で あ り 、そ の 価 格 は 一 ダ ー ス 3 円 と い う 高 級 品 で あ っ た
9
。この頃はとても庶民の手の届く品物ではなかった。
日 本 で 初 め て 国 産 コ ン ド ー ム が 出 来 た の も 20 世 紀 初 頭 1909 年 の こ と だ っ た 。
井上芳三郎が製造した『ハート美人』というコンドームはブランド名として売
8
コンドーム以前の避妊の記録としては、紀元前のギリシャでオリーブオイル
が 、 15 世 紀 ヨ ー ロ ッ パ で 貞 操 帯 が 使 わ れ た と さ れ る 。
9
当時一人の人間が一年間に食べる米の量一石と同じ値段であった。
18
り出されたが、その後この名前は永くコンドームの代名詞として使用された。
これにより輸入品は尐なくなり、続々と製造会社が生まれていった。
そ の 後 、 1934 年 の ア サ ヒ ラ テ ッ ク ス 、岡 本 理 研 に よ り 、ラ テ ッ ク ス ス キ ン が
製造され、現在のような腐らないコンドームが誕生した。それまでのコンドー
ムは天然ゴム製であり、熱に弱く腐りやすいため長期間の保存が不可能だった
が、この欠点を補う素材としてラテックスが使用されるようになった。ラテッ
クスは現在でも、多くのコンドームの素材として使われている。
1- 2. 産 児 制 限 と コ ン ド ー ム
日 本 に お い て 避 妊 は 、 国 際 社 会 に 登 場 し 始 め た 19 世 紀 後 半 か ら 、 軍 事 力 強
化のための人口量と質の操作に関心を持つようになったエリート層の中で関心
を集め始めた。その後戦前までは避妊は国家的社会的便益という価値があると
論 じ て 、 優 性 学 的 理 由 に よ る 産 児 制 限 は 擁 護 さ れ て い た 10 。
1915 年 か ら 1917 年 ま で の 間 、 日 本 の 婦 人 運 動 家 た ち は 、『 青 鞜 』 誌 上 で 産
児制限の是非を論じるようになった。時代は大正デモクラシー、婦人層を中心
と し て 産 児 制 限 が 注 目 を 浴 び る 中 、1922 年 に ア メ リ カ の 産 児 制 限 提 唱 者 マ ー ガ
レット・サンガーが日本を訪れ、家族計画の重要性を説いた。これに感銘を受
けた婦人運動家の一人である加藤シヅエがこの教えを広めたことで、日本にも
産 児 制 限 の 概 念 が 次 第 に 大 き な 広 が り を 見 せ た 。 こ れ と 重 な っ て 1920 年 代 末
には世界恐慌が発生し、子供の遺棄や労働者の苦境に関する報道がなされると
民衆の中にも産児制限を支持する人が増加してきた。産児制限思想の普及は日
本 国 政 府 を も 動 か し 、1930 年 ま で に 60~ 70 ヵ 所 の 産 児 調 節 相 談 所 が 開 設 さ れ
ている。当時警察は産児制限運動を厳しく監視しており、避妊の実際的な問題
を唱える講演は公序良俗を乱すとして禁じ、産児制限に関するパンフレットな
ども出版前に政府の許可が必要だった。しかしながら運動家たちの活動は一定
の範囲内で許可されており、国際家族計画会議において日本代表が議論するこ
とも自由とされていたのだ。
し か し 戦 争 色 が 濃 く な っ て き た 1930 年 代 以 降 、 産 児 制 限 は 大 き な バ ッ シ ン
し か し な が ら 1950 年 の『 毎 日 新 聞 』の 調 査 に よ れ ば 、 1905 年 以 前 に 産 児 制
限 を 行 っ た こ と が あ る 既 婚 夫 婦 は わ ず か 9% に 過 ぎ な か っ た 。
10
19
グを受けることになった。政府は兵力増強のための人口を増やそうと、優生学
的 か つ 出 産 奨 励 主 義 的 な 政 策 を と っ た の だ 。こ こ で 大 半 の 避 妊 手 段 が 禁 止 さ れ 、
産 児 調 節 相 談 所 は 閉 鎖 さ れ た 。 さ ら に 1930 年 に は 政 府 の 人 口 食 料 問 題 調 査 会
が、
「 有 害 」避 妊 具 の 販 売 規 制 強 化 を 特 に 勧 告 し 、避 妊 ピ ン 、避 妊 リ ン グ 、子 宮
内挿入器具に加えてそのほか衛生上危害を生ずる恐れがある避妊用器具の販売
と 陳 列 を 禁 止 し た 11 。 た だ し 、 コ ン ド ー ム だ け は 当 時 軍 の 間 で 流 行 し て い た 性
病予防の効果を評価され、禁止対象にはならなかった。
1- 3. 従 軍 慰 安 婦 と コ ン ド ー ム
日 本 で 初 め て コ ン ド ー ム 需 要 が 一 気 に 高 ま っ た の は 1937 年 7 月 に 勃 発 し た
北支事変である。次第に戦禍は日中戦争へと拡大し、日本経済は戦時体制へと
突 入 、中 国 へ の 派 兵 が 急 増 す る に 従 っ て 戦 地 向 け の コ ン ド ー ム の 需 要 が 増 大 し 、
国際ゴム工業の生産量も増大した。
しかし当時コンドームの製造は手作業で行われていたため、増大する生産量
に追いつけず、限界を感じていた。その中、日本政府がソ連から買収した北満
州鉄道の代金を、ソ連は種々の機械で支払うよう要請し、そのリストの中にコ
ンドームの自動生産機がリストアップされていた。これを機会に、国際護謨工
業 ( 現 オ カ モ ト ) が 1938 年 に 第 一 号 機 を 生 み 出 し た 。 と は い え 、 当 時 は 部 品
や材料が不足している世の中であり、機械で作った製品より手作業で作った物
の方が格段に性能がよかったという。戦争色が色濃くなっていく中で、政府は
1941 年 の 企 業 整 備 法 の 施 行 に よ り 、大 手 メ ー カ ー の 合 併 を 試 み 、指 定 軍 需 工 場
化している。一号機を生み出した国際護謨工業も当時同様に大手だった大阪ゴ
ム工場と合併し、
「 ハ ー ト 美 人 」や 戦 地 向 け の「 突 撃 一 番 」な ど を 生 産 す る よ う
に な っ た 12 。 本 格 的 に コ ン ド ー ム が 人 々 に 出 回 っ て い っ た の は 、 手 作 業 が 工 業
化し、大量生産方式に転換した、改良型自動生産機が誕生してからである。太
平 洋 戦 争 に 突 入 す る と 、コ ン ド ー ム 製 造 会 社 は 一 斉 に 日 本 軍 の 統 制 下 に 置 か れ 、
11
テ ィ ア ナ・ノ ー グ レ ン『 中 絶 と 避 妊 の 政 治 学 - 戦 後 日 本 の リ プ ロ ダ ク シ ョ ン
政 策 』 青 木 書 店 、 2008 年 、 p. 52。
12
合 併 前「 突 撃 一 番 」は 元 来 大 阪 ゴ ム 製 造 所 で 作 っ て い た も の で あ り 、国 際 護
謨工業は海軍向けのリバノールスキンという黄色いコンドームを作っていた。
20
慰安所の性病蔓延を阻止するための戦地向けのコンドームを大量生産するよう
に な っ た 13 。
当時の状況を物語る資料として、
『 岡 本 理 研 株 式 会 社 50 年 史 - 展 開 』の 1 部
分 を 紹 介 し た い 。 本 書 に よ る と 、「 昭 和 18 年 2 月 に は 、 陸 軍 本 廠 管 理 工 場 、 陸
軍造兵の監督工場となり、軍当局への製品納入は二倍になり、コンドーム以外
の 軍 需 品 生 産 も 開 始 す る 。 終 戦 前 は 、 会 社 は フ ル 操 業 で 24 時 間 機 械 が と ま る
ことはなかった。当時コンドームの原価は一個一円一銭、軍納入価格が一円二
十銭か三十銭だったため、一体誰が経営をしているのか分からない状況だった
14
。」と あ り 、急 激 な コ ン ド ー ム 需 要 の 増 大 と 軍 の 影 響 力 の 増 大 は 明 ら か で あ る 。
ところで、なぜここまで日本軍はコンドームを作っていたのだろうか。時代
は戦禍の最中で「産めよ殖やせよ」というスローガンの下、避妊は禁じられた
はずである。にもかかわらず、生殖を妨げる避妊具になぜそれほどの需要があ
ったのだろうか。
そ の 原 因 は 、近 年 徐 々 に 明 ら か に さ れ て き た 従 軍 慰 安 婦 問 題 の 中 に こ そ あ る 。
つまり、避妊具としての使用ではなく、あくまで慰安所を利用していた兵士の
「衛生サック」であったということである。
日中戦争前、日本軍はシベリア出兵、日清戦争、朝鮮、中国への侵略で兵士
を多く海外長期派遣させていた。そこで兵隊の強姦、現地での売淫による性病
の蔓延に手を焼いていた日本軍は、これ以上の兵力の低下を危惧し、兵隊の性
管 理 の 手 段 と し て “慰 安 所 ”を 設 営 し た 。 最 初 の 設 営 は 1932 年 上 海 の 海 軍 慰 安
所 で あ り 、 そ の 後 昭 和 1938 年 ご ろ よ り 陸 軍 慰 安 所 も 創 設 さ れ 、 次 第 に 数 を 増
やしていった。慰安所では週に 2度 性 病検査を行っていたが、検査は形だけの
場 合 が 多 く 、 病 気 の 蔓 延 は や ま な か っ た 15 。 よ っ て 慰 安 所 設 置 に よ る さ ら な る
兵力の低下が再び懸念されると、日本政府は兵士に衛生サックを配布すること
になり、関連企業を統制下に置き生産を始めたのである。
13
第 二 次 世 界 大 戦 前 は 、「 産 め よ 増 や せ よ 」 の 国 策 に よ っ て 、 国 民 優 生 法 や 薬
事 法 の 法 律 が 次 々 制 定 さ れ 、コ ン ド ー ム の 売 れ 行 き は 良 く な か っ た 。
(財団法人
海 外 邦 人 医 療 基 金 ホ ー ム ペ ー ジ w eb 機 関 紙 (2009 年 11 月 29 日 参 照 )
ht t p: / /w w w .j om f. or. j p/ htm l/ db/ 30/ i nde x. htm l
14
岡 本 理 研 ゴ ム 株 式 会 社『 岡 本 理 研 ゴ ム 株 式 会 社 50 年 史 - 展 開 』岡 本 理 研 株
式 会 社 、 1985 年 、 p. 20。
15
こ こ で 言 う 病 気 と は 、花 柳 病 を 中 心 と す る も の で あ る 。花 柳 病 と は 現 在 で 言
うところの梅毒を指す。
21
そこでここでは、これまでに判明している衛生サック等に関する一覧表から
衛生サックがどの程度軍に普及していたのかを分析したい。
著者の調べた限りでは、現在判明している範囲での衛生サックの交付数は
1942 年 の 1 年 間 で 3316 万 5000 個 で あ っ た 16 。し か し な が ら こ れ は 1942 年 の
一年間の記録であるため、その後終戦までどのような過程で生産がおこなわれ
ていたのか検証していく。
今までわかっているところでは、オカモトと相模ゴムが軍需工場として使わ
れていたということだが、その工場稼働率については記録が尐ない。唯一残る
関 連 記 録 と し て は 、 1) 1936 年 の 国 際 護 謨 工 業 平 井 工 場 稼 働 率 が 一 日 150- 180
グ ロ ス ( 144 個 ) で あ っ た こ と 、 2) 1943 年 時 点 で 前 年 と 比 較 し て 2 倍 に 増 産
体 制 が 組 ま れ 、 軍 需 品 の 受 注 高 も 2 倍 に な っ た た め 、 機 械 を 12 台 漸 次 建 設 し
た こ と 、 3) 現 在 判 明 し て い る 当 時 稼 働 し て い た 工 場 は 国 際 護 謨 の 平 井 工 場 、
朝 鮮 工 場 、ア サ ヒ ラ テ ッ ク ス( 現 相 模 ゴ ム )の 2工 場 の 4 つ 以 上 で あ っ た と い
うことである。
こ こ で オ カ モ ト 関 連 企 業 の み の 当 時 の 生 産 状 況 を 考 え る と 、 1) と 2) よ り
1943 年 に は 一 日 300 グ ロ ス 以 上 が 生 産 さ れ て い た こ と に な る 。 前 掲 書 に よ れ
ば 、 1944 年 に は 工 場 が 戦 災 の 被 害 を 受 け て い た こ と か ら 1943 年 が 生 産 の ピ ー
ク だ っ た と 考 え ら れ る 。と す る と 、 1943 年 一 年 間 で は 平 井 工 場 の み で 、 300 グ
ロ ス ×365 日 = 15, 768, 000 個 以 上 の コ ン ド ー ム が 生 産 さ れ て い た こ と が わ か る 。
これで現在判明している朝鮮工場でも同程度の稼働率であったとすれば、国際
護 謨 工 業 で は 31, 536, 000 個 以 上 の コ ン ド ー ム が 兵 士 の た め に 使 わ れ た 計 算 と
なる。
しかしこれに加えて相模ゴムの衛生サックの交付数が加わると、当時の工場
はアサヒラテックス科学研究所の本社工場と中国北京にあった北京護謨乳液化
学有限公司の工場であり、仮に国際護謨工業と同程度の稼働率であれば、衛生
サ ッ ク の 交 付 数 は 3316 万 5000 個 を 超 え 、そ の 2 倍 以 上 に 膨 ら む と 想 定 さ れ る 。
実 際 に は 1936 年 か ら 1942 年 ま で に 自 働 生 産 機 が 開 発 、改 良 さ れ て い っ た 経
緯や、他のコンドームメーカーが存在していたことを考えると、これ以上の数
が 存 在 し て い た こ と が 予 想 さ れ る 。と す れ ば 1942 年 で 3316 万 個 と 考 え ら れ て
16
戦 地 性 暴 力 を 調 査 す る 会『 資 料 集 日 本 軍 に み る 性 管 理 と 性 暴 力 ―フ ィ リ ピ ン
1941~ 45 年 』 梨 の 本 舎 、 2008 年 、 pp. 165- 167。
22
いる衛生サックの量は尐なく、今後何らかの資料が発見される可能性があると
言える。
このように軍の花柳病対策のため、コンドーム業界は軍需の波に乗り、現在
の 基 盤 を 築 く こ と に な っ た の で あ る 17 。
小括
コンドームは紀元前から使われていたが、当初の使用目的は虫や危険から生
殖器を守るために日常的に装備していた、現代における下着に過ぎなかった。
し か し 、 15 世 紀 に な り 梅 毒 が 流 行 す る と 、コ ン ド ー ム は 性 行 為 に お け る 性 病 予
防の機能に発展した。
紀 元 前 か ら あ っ た 避 妊 の 概 念 に 、 コ ン ド ー ム が 活 用 で き た の は 17 世 紀 で あ
った。現在のような避妊目的での使用はコンドームの歴史の長さからみると非
常に近代のことである。しかしながら当時のコンドームは動物の消化器で出来
ており、性感染症を引き起こすウイルスを予防できなかった。もちろん現代の
ものより性能が悪かったことは当然であり、避妊および性感染症予防確率は低
かったことも言及したい。
コンドームがゴム製品となり、性病予防と避妊効果を発揮できるようになっ
た の は 、 19 世 紀 の こ と だ っ た 。 こ の 頃 に は 、 日 本 に も コ ン ド ー ム が 輸 入 さ れ 、
一 部 の 超 富 裕 層 だ け が 購 入 で き た 高 級 品 で あ っ た 。 20 世 紀 初 頭 に は 、ア メ リ カ
から産児制限の考え方が広まり、政府も避妊に寛容となった。コンドーム産業
も 勃 興 し 、 1909 年 に 国 産 化 さ れ る と 関 連 業 者 は 一 気 に 増 加 し た 。こ う し た 意 図
から人々の間にも次第にコンドームが広まっていった。
し か し 1930 年 代 に 入 る と 日 本 で は 戦 争 色 が 濃 く な り 、 兵 力 増 大 を 掲 げ る 日
本 軍 は 避 妊 具 を す べ て 禁 止 し た 。一 方 で 兵 力 増 大 の た め の 性 病 予 防 の た め に「 衛
生サック」としてのコンドームは禁止されなかった。よって、コンドームメー
カーはこの軍需の流れに乗り、大きな発展を遂げることになったのである。
1940 年 1 月 の 北 支 派 遣 多 田 部 隊 冨 家 部 隊 福 島 隊 調 査 に よ る と 、 性 病 に 感 染
し た 兵 士 の う ち 、 サ ッ ク を 使 用 し て い た 者 は 48. 45% だ っ た 。 慰 安 婦 一 人 が だ
い た い 40~50 個 の サ ッ ク を 持 っ て お り 、 3 回 は 使 っ た と い う 。 当 時 の 衛 生 状 況
最悪でコンドームの使用目的の知識は全く存在していなかったようだ。
17
23
第 2章 コ ン ド ー ム の マ イ ル ス ト ー ン
2- 1. 優 生 保 護 法 と コ ン ド ー ム
戦後の日本の経済はインフレが蔓延し、農業生産が深刻なまでに落ち込んで
いた。その一方で、何百と言う兵士や市民が旧植民地からの引き上げ者と急激
な 出 生 率 の 増 加 に よ っ て わ ず か 5 年 で 1100 万 人 の 人 口 増 が あ っ た 18 。
日本人も占領軍のアメリカ人もこうした日本の過剰人口が経済復興を妨げる
と考え、再び産児制限の考え方が導入されるようになった。産児制限には、中
絶 と 避 妊 の 2 種 類 が 存 在 す る が 、1946 年 に 設 置 さ れ た 人 口 問 題 談 話 会 の 総 会 で
「新人口政策基本方針に関する建議」が決定され、自由意思に基づいた中絶と
産 児 制 限 を 合 法 化 し た の が 産 児 制 限 政 策 の は じ ま り で あ っ た 。そ の 2 年 後 に 優
生保護法が施行され、産児制限は合法化した。こうして家族計画が日本に取り
入れられたが、戦後日本人女性の多くは適切な避妊手段よりも中絶を支持して
いた。
ティアナ・ノーグレン『中絶と避妊の政治学-戦後日本のリプロダクション
政 策 』 に よ れ ば 産 児 制 限 は 中 絶 合 法 化 よ り も 10 年 遅 れ た と い う 。 そ の 理 由 と
して、政府の介入が尐なかったことで当時は避妊にかかるコストが中絶のそれ
よりも高く、また信頼性も乏しかったことが挙げられる。そのため相対的に安
価で確実で安全な人工妊娠中絶に比べ、避妊具は高価で信頼性が薄いものだと
いう認識が広まっていた。こうした経緯から当時の助産師たちは自分たちの仕
事が減ることを恐れて産児制限を反対していたが、それほど簡単に普及すると
は思っておらず比較的楽観視していた。
しかしながらコンドーム業界は優生保護法を境に大きな革新を起こしていた。
1948 年 に は 1930 年 の 有 害 避 妊 用 器 具 取 締 規 則 の 置 き 換 え が 行 わ れ 、 G HQ
の指導によってこの法案は薬事法の中で管理されることになり、子宮内リング
( 以 下 IU D )が 禁 止 さ れ る 以 外 は 、一 部 の 避 妊 薬 お よ び 避 妊 器 具 が 日 本 国 内 で
合法的に製造、宣伝、販売可能な薬品と器具の公式リスト内に加えられた。戦
前戦中を通してコンドームやペッサリーといった避妊具は有害器具ではないた
18
1945 年 に は お よ そ 7200 万 の 人 口 が 1950 年 に は 8320 万 に ま で 増 加 し た 。
24
めに違法ではなかったが、これらを避妊具として宣伝することは禁止されてい
た。そのため、薬事法でこれが記載されると、人々はそれまでも合法だった避
妊具が合法化されたと勘違いし、コンドームの売上も急速に増大した。施行か
ら 半 年 で 避 妊 具 製 造 業 者 数 は 7 社 か ら 75 社 に 増 加 し 、 販 売 数 量 も 増 加 し た 。
1948 年 か ら 1949 年 に か け て 販 売 数 量 が 9 倍 に な っ た と 報 告 す る 業 者 も あ れ ば 、
40 倍 増 加 し た と 報 告 し た 業 者 も い た 19 。 1949 年 に は ゴ ム 製 品 製 造 業 者 20 社 と
卸 売 業 者 87 社 で 産 児 制 限 に 関 す る 業 界 団 体 が 設 立 さ れ た 。
避 妊 具 へ の 需 要 拡 大 が 見 込 ま れ た こ と で 、マ ー ケ ッ ト 規 模 が 一 気 に 拡 大 し た 。
ま ず 優 生 保 護 法 の で き た 翌 年 の 1949 年 、現 在 業 界 第 二 位 の 不 二 ラ テ ッ ク ス( 当
時株式会社日本ラテックス工業所)がオカモト(当時岡本ゴム工業株式会社)
から分化してコンドーム製造を始めた。また、相模ゴム工業株式会社(当時ア
サヒラテックス化学研究所)も、優生保護法の後押しを受けて、日本人にコン
ドームを普及させるための産業勃興のスタートを切った。
こ う し た 民 間 の 勢 力 と 世 論 は 避 妊 へ の 注 目 を 大 き く し て い た 。 1949 年 か ら
1950 年 に か け て 厚 生 省 と『 毎 日 新 聞 』が 行 っ た 調 査 に よ れ ば 、日 本 人 の お よ そ
20% か ら 25% が す で に 何 ら か の 避 妊 法 を 試 し た こ と が あ り 、 ま だ 避 妊 を 実 行 し
た こ と が な い 人 々 の う ち 56% が 達 し て み た い と 筓 え て い た 20 。 政 府 も こ れ に 反
応すべく、当時の内閣吉田茂は産児制限への賛成を公的な文書で述べ、避妊が
中絶よりも強調されるべきだとして、家族計画の教育、関連した政府機関の設
置、産児制限手段の無料提供などの審議会を設置した。だが、戦前厳しく取り
締まりを受けた産児制限を擁護する団体も尐なく、政府を納得支えることはで
き ず に 1952 年 ま で の 3 年 間 で 中 絶 件 数 は 4 倍 に も 膨 れ 上 が っ た 。 中 絶 が 母 体
に 与 え る 悪 影 響 を 食 い 止 め る た め 、産 児 制 限 に 関 す る 情 報 の 普 及 は 必 至 と な り 、
政 府 は 1952 年 に 優 生 保 護 法 改 正 案 を 作 成 し 優 生 保 護 相 談 所 設 立 の 義 務 付 け 、
産児制限指導の強化、産児制限用薬品販売者の拡大などを盛り込んだ。結果法
案は通過し、同時期には日本家族計画協会が設立され、民間団体として避妊情
報誌の発行、避妊具の販売が開始された。民間企業の努力と世論、そして国の
政策が漸く融合したのである。
19
テ ィ ア ナ・ノ ー グ レ ン『 中 絶 と 避 妊 の 政 治 学 - 戦 後 日 本 の リ プ ロ ダ ク シ ョ ン
政 策 』 青 木 書 店 、 2008 年 、 p. 170。
20
同 上 、 p. 172。
25
こ の 1952 年 の 改 正 に よ り 人 々 の 間 で 避 妊 の 意 識 が 定 着 し 、 1959 年 に は 避 妊
実 行 率 が 62. 7% に ま で 上 昇 し た 21 。 こ の 値 は 、 8 割 以 上 が 避 妊 を 実 行 し て い る
現在からみれば非常に尐ない数字だと思われるが、戦前の避妊実行率が従軍慰
安婦との交渉で半数に満たなかったというデータから、家族計画での避妊が戦
前と戦後で急速に行われるようになったことが読み取れる。
民衆の間に家族計画としての避妊が普及し、コンドーム市場が拡大すると、
他社との差別化を意識した脱落防止・サイズ別加工・薄さの調整などによる商
品の多角化が始まった。
「 実 は 当 時 の コ ン ド ー ム 販 売 は 、小 売 店 や 訪 問 販 売 な ど
に限られており、またコンドームに対する人々の意識も今以上に恥ずかしいも
のという意識が強かった。しかも小売店でコンドームを購入する消費者は、対
面でコンドームを買わなければならず、消費者側は渡された品がどの企業のも
のかわからなかった。つまり、小売店といかに契約をかわすかというところが
企 業 間 の 勝 負 の つ き ど こ ろ で あ っ た 22 。」そ れ ま で は オ カ モ ト が ほ ぼ 独 走 状 態 で
コンドーム業界を引っ張ってきていたため、参入障壁が高く、また競争他者が
増加していく中で、他者と差別化しなければ生き残れない世界でもあった。そ
こで、不二ラテックスが業界初サイズ別コンドームを生み出し、多くの小売店
からの支持を得、結果として多くのユーザーを獲得してきたのである。
避 妊 = コ ン ド ー ム の 概 念 が 定 着 し て き た 1960 年 代 前 後 に は 一 気 に 新 規 参 入
メーカーが増加した。コンドーム企業が一気に増えた。しかし、政府は経済が
成長することで労働力不足を見込んで、人口を増やそうと産児制限に反対する
姿 勢 を み せ 始 め た 。 そ の た め 1960 年 代 以 降 の 経 口 避 妊 薬 を め ぐ る 議 論 が な さ
れたのである。
2- 2. フ ェ ミ ニ ズ ム と ピ ル
日本がコンドームによる避妊を普及させているころ、世界ではピルが発明さ
れ て い た 。1957 年 ア メ リ カ で ピ ル が 発 明 さ れ 、そ の 2 年 後 に は 半 数 以 上 の ア メ
リカ人女性がピルの使用経験があると筓えるほど、主要な避妊方法となった。
新 村 拓 『 出 産 と 生 殖 観 の 歴 史 』 法 政 大 学 出 版 局 、 1996 年 、 p. 246 。
不二ラテックス株式会社ヘルスケア営業部長、小林信隆様インタビュー
( 2009 年 9 月 24 日 )。
21
22
26
同じころにヨーロッパの製薬会社でも自社ブランドの避妊薬販売を行い始めた。
当時はまだ避妊はタブーとされ人工妊娠中絶が繰り返されていたが、女性が確
実 に 避 妊 で き る 方 法 が 開 発 さ れ た こ と で 、 つ い に 1965 年 に ア メ リ カ 議 会 で も
避 妊 は 合 法 と し て 避 妊 の 権 利 を 保 障 し た 23 。
そ れ ま で 女 性 主 体 の 避 妊 方 法 は 1930 年 代 の 大 不 況 の 最 中 に 発 明 さ れ た ラ バ
ー、金属、茎状ガラスの子宮内避妊リングが大きく注目されていた。しかし衛
生上の問題、手軽さ、確実さを考慮するといずれも確かなものではなかった。
しかしピルは正しく服用すれば確実な避妊効果が期待できることから、急速に
広まっていった。
こ う し た ピ ル の 普 及 に 伴 い 、 1960 年 代 に 入 る と 、世 界 的 に 第 二 波 フ ェ ミ ニ ズ
ムの波が活発になってきた。日本においても女性の人権を守るフェミニズムの
文 化 が 徐 々 に 浸 透 す る よ う に な っ て く る 。1960 年 代 後 半 に は 当 時 主 流 で あ っ た
お 見 合 い 結 婚 の 数 が 恋 愛 結 婚 の 数 を 上 回 り 、1970 年 代 に 入 る と 学 問 的 に も 女 性
学が輸入され、また雑誌の中にも女性目線の恋愛に関する記事が登場するよう
に な っ た 。も ち ろ ん 日 本 に お い て も 経 口 避 妊 薬 で あ る ピ ル に 対 す る 議 論 が 1960
年 代 に 激 し く 巻 き 起 こ っ た 。 し か し 、 厚 生 省 は 1960 年 代 の 時 点 で ピ ル の 合 法
使 用 を 認 め な か っ た 。そ れ は 第 一 に 、 1960 年 代 の サ リ ド マ イ ド の よ う な 薬 害 を
恐れ、第二に、ピルの非合法販売と乱用を懸念し、第三にピル解禁により若年
女 性 の 性 の 乱 れ を 恐 れ た と い う 理 由 か ら で あ る 24 。 1971 年 に は ピ ル や 経 口 避 妊
薬という用語さえ放送規制になってしまい、それまでは処方箋なしで購入でき
たピルが薬局から姿を消した。唯一治療用ピルだけが処方薬として認可されて
いた。
し か し 、 70 年 代 中 ご ろ に は ピ ル の 服 用 者 も 増 加 し 、製 薬 会 社 の 生 産 高 は 増 加
していた。事実市場には依然として避妊目的で使用可能なホルモン剤が出回っ
ていたためであり、一時期消えかかっていたピル論争は再勃発したのである。
そ の 後 そ の 論 争 も 1980 年 代 に は 以 下 の 理 由 で 賛 成 派 が 増 加 し 始 め る 結 果 と
な っ た 。 第 一 に ピ ル が 世 界 で 出 回 っ て か ら 20 年 ほ ど 経 っ た が 深 刻 な 健 康 被 害
19 世 紀 か ら 避 妊 が 違 法 で あ る と い う 判 決 が 議 会 で 下 さ れ る こ と が 何 度 が あ
った。
24
テ ィ ア ナ・ノ ー グ レ ン『 中 絶 と 避 妊 の 政 治 学 - 戦 後 日 本 の リ プ ロ ダ ク シ ョ ン
政 策 』 青 木 書 店 、 2008 年 、 p. 198。
23
27
は起こらず、安全性が確認された点、第二に欧米の教育を受けた人々が増え、
ピ ル の 持 つ 経 営 資 源 と し て の 性 格 を 認 め 始 め た こ と に あ る 。 こ れ を 受 け 1990
年代初頭より製薬会社はピルの製造販売を厚生省に申請した。しかし時代は
H I V危 機 の さ な か で あ り 、コ ン ド ー ム な し の セ ッ ク ス が 感 染 者 を 増 加 さ せ る 可
能性を示唆した。結果エイズ予防のためのコンドーム使用が日本人の間に広が
るまでピル承認は難しいとされた。承認が遅れた理由には、エイズのみならず
ただでさえ低下傾向にあった日本の出生率がさらに低下することを危惧したと
いう意味もあると考える人も多い。
そ れ で も 1999 年 に 厚 生 省 が ピ ル を 解 禁 し た の は 、 精 力 増 強 剤 で あ る バ イ ア
グ ラ を 異 例 の ス ピ ー ド で 承 認 し た こ と の バ ッ シ ン グ に よ る 。通 常 6 か 月 の 承 認
準備期間があるのに対し、バイアグラは異様なスピードで承認された。この非
科学的な厚生省の決定に対し、マスコミは騒ぎ、あえなくしてピルの承認をせ
ざるを得なくなったのだ。承認の中身は非常に厳格であり 3 か 月ごとの診察、
保 険 適 用 外 と い う も の で あ っ た 。ま た 同 様 に こ の 年 に IU D も 認 可 さ れ る こ と に
なった。
そ れ で は 1999 年 以 後 、 ピ ル の 使 用 率 は ど の よ う に 変 化 し た の か 次 の 図 を み
てもらいたい。
28
図 1 日 本 に お け る ピ ル の 使 用 率 ( 1988~ 2008)
%
2.5
2
1.5
1
0.5
0
ピル使用率
1988 1990 1992 1994 1996 1998 2000 2002 2004 2006 2008
1.7
1
1.3
0.6
1.3
1.1
1.5
0.7
1.1
1.1
2.2
( 注 )な お 、こ の デ ー タ は 2008 年 9 月 に 国 民 3000 人 を 対 象 に 行 っ た も の で あ
る 。有 効 回 筓 数 は 54. 1% の 男 性 647 名 、女 性 821 名 で あ り 、結 果 は 男 女 混 合 で
あ る 。 2005 年 時 点 で の 国 立 社 会 保 障・人 口 問 題 研 究 所『 わ が 国 独 身 層 の 結 婚 観
と 家 族 観― 第 12 回 出 生 動 向 基 本 調 査 ― 』の ピ ル 使 用 率( 男 性 0. 9% 、女 性 1. 8% )
は 男 女 関 係 な く 示 す と 1. 35 % と な り 若 干 の 誤 差 が 生 じ る が 、誤 差 が 僅 尐 で あ る
とともに日本におけるピルの使用率が低いことには変わりないためここでは誤
差を考えない。
( 出 典 )社 団 法 人 家 族 計 画 協 会『 家 族 と 健 康 』( 2009) 機 関 紙 659 号( 2009 年
12 月 26 日 閲 覧 ) よ り 著 者 作 成 。
ht t p: / /w w w .jf pa. or. j p/ 02- ki kans hi 1/ 659. ht m l
意 外 な こ と に ピ ル が 認 可 さ れ た 1999 年 前 後 で ピ ル の 使 用 率 は そ れ ほ ど 変 わ
っ て お ら ず 、 統 計 が 始 ま っ た 1988 年 と 比 べ て も 近 年 若 干 の 伸 び が み ら れ る も
ののそれほど大きな変化は見られない。特に現在世界の主な避妊法のトップが
ピルなのに対し、その値は極端に低い印象を受ける。
国 際 連 合 が 2007 年 に 発 表 し た 世 界 の 夫 婦 の 避 妊 調 査 に よ れ ば ピ ル の 使 用 率
世 界 平 均 が 8. 5% ( 2003)、先 進 国 で 16. 5% ( 1999)、 途 上 国 で も 日 本 よ り も 大
き い 7. 2% ( 2004)の 値 を 記 録 し て い る 25 。ピ ル 解 禁 が 日 本 人 の 避 妊 法 に 及 ぼ し
25
デ ー タ は 夫 婦 間 の 避 妊 調 査 で あ る た め 、夫 婦 以 外 の 交 際 相 手 と の 避 妊 に な る
とより大きな値になると推測される。
U ni t ed N ati on D epar tm ent of Ec o nom i c and Soci al Af f ai rs Po pul ati o n
D icvi si on( 2010 年 1 月 4 日 閲 覧 )。
29
た影響は今のところ大きくないようである。
2- 3. エ イ ズ と コ ン ド ー ム
ピ ル 認 可 が 遅 れ た 理 由 と し て 1980 年 代 の エ イ ズ 危 機 が 問 題 だ っ た と 前 節 で
述べたが、エイズが及ぼした社会的な影響についてこの節では具体的に述べた
い。
1981 年 に ア メ リ カ で 初 の エ イ ズ 患 者 が 発 生 し て か ら 4 年 後 の 1985 年 3 月 、
日 本 の メ デ ィ ア に も H I V が 登 場 す る よ う に な っ た 。当 時 ア メ リ カ 在 住 だ っ た 日
本 人 が H I Vウ イ ル ス に 感 染 し た と の 記 事 が 出 さ れ た の だ 。し か し 、実 際 は 1984
年 9 月 に 薬 害 エ イ ズ 事 件 が 起 き て お り 、約 4 割 の 血 友 病 患 者 が 非 加 熱 製 剤 に よ
り H IV に 感染したにもかかわらず厚生省がそれを隠蔽していた。徐々に H IV
患 者 の 数 は 増 加 し 、2007 年 に は そ の 感 染 者 数 と 患 者 の 合 計 が 1000 人 を 超 え た 。
こ う し た 中 で 日 本 政 府 は H I V 政 策 に 取 り 組 み 始 め た 。 1989 年 に は エ イ ズ 予
防法を施行し、エイズ患者の拡大を防ぐために医師及び患者家族が国にその報
告 を 求 め 、ま た エ イ ズ 患 者 自 身 の 性 行 為 の あ り 方 や 日 常 生 活 の 自 由 を 制 限 し た 。
し か し こ の 法 律 は 患 者 の 人 権 を 侵 害 す る 者 と し て 1999 年 に 廃 止 さ れ 、 エ イ ズ
は感染症新法の中でインフルエンザや梅毒と同じ区分に組み込まれるようにな
った。
その後エイズ問題を受けて活発に動いたのは政府ではなく企業側であった。
各社は唯一のエイズ予防法としての責任を果たすべく、誰にとっても気軽に手
に取れるコンドームの開発に各社全力を注いできた。
1992 年 に は 不 二 ラ テ ッ ク ス が 初 の ブ ラ ン ド コ ン ド ー ム「 ミ チ コ・ロ ン ド ン ・
コシノ」を発売し、業界で初めてブランドを取り入れた。また、同社は翌年以
降にもサンリオキャラクターを採用したコンドームパッケージやイタリアのフ
ァッションブランド「エックスジャパン」を取り入れた試みを行っており、は
ずかしがらずにすぐ手に取れるおしゃれなパッケージをデザインするようにな
った。特に女性はコンドームを手に取ることが恥ずかしいと筓える人が多かっ
たため、女性でも手に取れる気軽なパッケージは画期的な取り組みであり、こ
ht t p: / /w w w . un. or g/ esa/ po pul ati o n/ publ i c at i ons/ co nt r ac e pti ve 2007/ co nt r ac e p
ti ve2007. htm
30
れを受けて他社でもブランドコンドームを開発するようになった。ブランドコ
ンドームの発売はその後オカモトでも展開されていると共に、パッケージデザ
インへの革命はエイズを機になされたと考えられる。このころより比較的地味
なパッケージから、カラフルでイラストが施されているものへと進化を遂げた
と考えられる。
図 2 オカモト株式会社におけるパッケージの変遷
【 1985 年 以 前 】
【 2009 年 】
( 注 )左 の 図 は 上 か ら 戦 前 の 名 ブ ラ ン ド「 ハ ー ト 美 人 」、
「 突 撃 一 番 」。下 の 二 つ
は 戦 後 か ら の ヒ ッ ト 商 品 「 ス キ ン レ ス ス キ ン 」 と 1985 年 当 時 最 新 ブ ラ ン ド で
あ っ た「 フ ラ ン シ ー 」。右 の 図 は 、上 か ら 時 計 回 り に サ イ ズ 別 の「 メ ガ ビ ッ グ ボ
ー イ 」、 装 着 簡 単 使 用 の 「 ノ ー タ ッ チ 」、 突 起 加 工 と 冷 感 加 工 の 「 ド ッ ト で ク ー
ル 」、 避 妊 ゼ リ ー 付 コ ン ド ー ム の 「 エ ポ カ 」、 薄 さ 0. 02m m の 「 OK AMO TO
CO N D O M S 0. 02 EX」。
( 出 典 )岡 本 理 研 ゴ ム 株 式 会 社『 岡 本 理 研 ゴ ム 株 式 会 社 50 年 史 - 展 開 』岡 本 理 研
株 式 会 社 、 1985 年 、 p. 28 及 び 『 an ・a n』 2009 年 8 月 5 日 号 よ り 抜 粋 。
31
小括
戦後日本において避妊はなかなか人々の間に定着しなかったが、その理由と
して政府・民間・世論の意見の相違が考えられる。戦前戦中も合法だったコン
ドームは、民衆の間で違法だったと考えられており、戦後の薬事法の改正は、
違法だったコンドームを合法化させたように思わせた。この誤解から民衆の期
待が高まり、コンドームメーカーは増大し産業は急速に成長した。
戦後は戦前と異なり、産児制限のためにコンドームが使用された。これはコ
ンドームの機能が性病予防から避妊機能へと移行していったことを示している。
そして避妊機能としてのコンドームの原点を作ったのは、コンドームの生産側
である企業であり、企業の努力によって中絶に偏っていた日本の産児制限政策
の歪みを是正することができた。
次第に避妊が人々の間に普及すると、世界ではピルによる避妊が大きく注目
さ れ て い た 。 し か し な が ら 、 日 本 政 府 は ピ ル の 使 用 を 1999 年 ま で 認 め ず 、 認
可 ま で 40 年 も の 歳 月 を 要 し て い る 。 こ れ は 世 界 的 に 見 て も 異 例 で あ り 、 そ の
背景には薬害被害と若年層の性の乱れへの懸念が隠されている。しかし、ピル
が 最 初 に 注 目 さ れ た 1960 年 代 は 日 本 に お け る 高 度 経 済 成 長 期 で あ っ た 。 戦 前
の 兵 力 不 足 の た め の 産 児 制 限 禁 止 や 、1999 年 の バ イ ア グ ラ の ス ピ ー ド 認 可 の 歴
史を考慮すると、当時経済成長による労働力不足を懸念し、出来る限り避妊法
の認可を避けたいという政府の思惑が浮かび上がる。ピルが認可された現在も
医療機関の処方箋が必要となっていることもこの裏付けとなりうる。
ピル解禁の遅れは現在まで引きずっている。仮にエイズ以前にピルが解禁さ
れていたら、ピルの使用率は今よりも高いものとなっただろう。ピルが解禁さ
れないまま、エイズの危機が到来し、コンドームが唯一の予防策としての認識
が広まったことで、日本におけるコンドームは無敵の存在となった。こうした
経緯から日本は世界でも類を見ないコンドーム大国となったのである。
コンドーム産業は、政府の尐子化対策において本来なら縮小される運命にあ
ったはずであるが、政府はピルを尐子化の敵に回し、裏尐子化政策の恩恵に肖
っ た 。そ こ に 発 生 し た エ イ ズ 特 需 に 守 ら れ て 急 速 な 発 展 を 遂 げ る こ と に な っ た 。
32
第 3章
コンドームの経営史
3- 1. コ ン ド ー ム 産 業 の 構 造
著 者が調べ たところによ ると現在 日本に大手コ ンドーム メーカーは 7社 存 在
している。近年になり国際競争や法改正の流れの中で企業の数が減ってきてい
るというのが傾向となっている。
図 3
日本における主要コンドーム企業から見る産業の歴史的変遷
(出典)著者作成。
戦前日本には多くのコンドーム企業が存在していたが、戦時中の企業統制令
によって数社にまとめられた。中でも国際護謨工業とアサヒラテックス化学研
究所は今現在もそれぞれオカモト株式会社、相模ゴム株式会社として残ってい
る。
終 戦 に な る と コ ン ド ー ム 企 業 は 戦 前 の 7 社 か ら 75 社 に 再 び 増 加 す る が 、 現
存する企業のうちオカモトと相模ゴムを除いて発展した企業は不二ラテックス
だ っ た 。次 第 に 人 々 の 間 に 産 児 制 限 の 考 え 方 が 広 ま る と 、 1960 年 前 後 に 中 西 ゴ
ム 、 ジ ェ ク ス が 参 入 し て き た 。 1980 年 代 後 半 に エ イ ズ が 日 本 に も 上 陸 す る と 、
33
コ ン ド ー ム 専 門 店 の コ ン ド マ ニ ア や 海 外 ブ ラ ン ド の D urex が 参 入 し て き た 。
図 4
景気動向と主要コンドーム会社の株価動向
( 出 典 ) yahoo フ ァ イ ナ ン ス ( 2010 年 1 月 4 日 閲 覧 )及 び 内 閣 府 景 気 動 向 指 数
( 2010 年 1 月 4 日 閲 覧 ) よ り 著 者 作 成 。
ht t p: / / fi nanc e. yahoo. co. j p/ 及 び htt p: //w w w . esri. cao. go. j p/ j p/ st at/ di/ di. htm l
景気の動向を示す D I にコンドームの二大メーカー、オカモト株式会社と不
二 ラ テ ッ ク ス 株 式 会 社 の 株 価 を 重 ね る と 、 特 に 1990 年 代 前 半 に 伸 び が み ら れ
ることがわかる。バブル崩壊後経済が急激に衰退した時期にあってもコンドー
ム 産 業 の 伸 び は 大 き か っ た 。 こ の 理 由 と し て 1980 年 代 後 半 か ら 発 生 し た 1) エ
イ ズ 特 需 の 影 響 、 2) 経 済 停 滞 に 伴 い 人 々 の 家 族 計 画 意 識 が 高 ま っ た こ と 、 3) 経
済停滞に伴うひきこもり減尐のためにエンターテイメントとしてのセックスが
流行したこと、の 3点 があげられる。コンドームメーカー数社のインタビュー
からもコンドームは景気に左右されない商材として活躍していることが分かっ
た 26 。
な お 、季 節 に 関 し て は 7~ 8 月 、 12 月 ~ 1 月 は 月 単 位 平 均 よ り 10% 程 度 上 昇
するという(相模ゴム工業株式会社ヘルスケア事業部営業企画室室長・樋沢洋
氏 イ ン タ ビ ュ ー ( 2009 年 12 月 22 日 )。
26
34
図 5
日本におけるコンドーム業界のマーケットシェア年次推移
( 出 典 ) 矢 野 経 済 研 究 所 『 日 本 マ ー ケ ッ ト シ ェ ア 事 典 2006・ 1996 ・ 1987』 よ
り著者作成。
コ ン ド ー ム の マ ー ケ ッ ト シ ェ ア は 、大 手 3 社 が 9 割 を 占 め て お り 、 中 で も オ
カモトはそのうちの半分を占めている。どの時代もその勢力図はほぼ変化はな
い が 、 エ イ ズ 禍 の 1990 年 代 前 半 は 3 社 以 外 の メ ー カ ー 勢 力 が 拡 大 し て い る 。
し か し そ の 10 年 後 、人 々 の エ イ ズ 意 識 が 薄 ま る と 再 び 大 手 3 社 の 時 代 と な り 、
20 年 前 と 同 様 の 勢 力 図 に 戻 っ て い る 。
表 1
主要 4 企業の従業員数・資本金比較
企業名
従業員数
資本金
オカモト
901 人
¥1 3, 047, 630, 000
不二ラテックス
323 人
¥6 4 3, 000, 000
相模ゴム
207 人
¥5 4 7, 436, 431
ジェクス
161 人
¥3 0 0, 000, 000
(出典)各社ホームページより著者作成。
次 に 各 社 の 従 業 員 数・資 本 金 比 較 を 見 て み る と 、オ カ モ ト が 圧 倒 的 に 従 業 員・
35
資本金共に多く、経営資源が大きいことが分かる。次に不二ラテックス、相模
ゴム、ジェクスの順に経営資源が大きい。
フ ィ リ ッ プ ・ コ ト ラ ー は 、 業 界 内 で の 企 業 の 地 位 を ①リ ー ダ ー 、 ②チ ャ レ ン
ジ ャ ー 、 ③フ ォ ロ ワ ー 、 ④ニ ッ チ ャ ー の 4 つ に 分 類 し 、 そ れ ぞ れ の 地 位 に 応 じ
た 戦 略 を と る こ と が 望 ま し い と 主 張 し て い る 27 。 こ の 分 類 に マ ー ケ ッ ト シ ェ ア
と経営資源の量と質を指標とすると、コンドーム市場は以下のように分析でき
る。
図 6
コンドーム市場における競争上の地位と戦略パターン
相対的
量
経営資
源 の位
大
小
置
高
リーダー
(オカモト)
ニッチャー
(不 二 ・
相模)
質
低
チャレンジ
ャー
フォロワー
(ジェクス
など)
(注)量的資源:営業マンの数、投入資金、生産能力など
質的資源:ブランドイメージ、マーケティング力、技術水準、トップの
リーダーシップなど
( 出 典 ) グ ロ ー ビ ス ・ マ ネ ジ メ ン ト ・ イ ン ス テ ィ ト ゥ ー ト 『 M BA 経 営 戦 略
STRAT EG Y』 ダ イ ヤ モ ン ド 社 、 2001 年 、 p. 130 よ り 著 者 作 成 28 。
コンドーム市場において圧倒的な力を誇っているのはリーダーのオカモトで
グ ロ ー ビ ス ・ マ ネ ジ メ ン ト ・ イ ン ス テ ィ ト ゥ ー ト 『 M BA 経 営 戦 略
STRAT EG Y』 ダ イ ヤ モ ン ド 社 、 2001 年 、 p. 129。
28
本 書 に よ る と 、経 営 戦 略 と し て リ ー ダ ー は オ ー ル マ イ テ ィ な 市 場 拡 大 が 必 要
であり、チャレンジャーは新製品導入や攻撃的な広告などでシェアをあげる必
要がある。フォロワーは、競合企業からの競争を避け、収益性の向上を重視す
る必要があり、ニッチャーは特殊な市場への専門化を行う必要がある。
27
36
ある。不二ラテックスと相模ゴムはニッチャーに分類した。オカモトと比較し
たときに、経営資源の量に非常に大きな差が存在しているためである。ジェク
スは経営資源の量が尐なく、マーケットシェアも小さいことからフォロワーに
分類した。
3- 2. 技 術 無 敵 の 市 場 リ ー ダ ー : オ カ モ ト
現在オカモト株式会社は、プラスチックフィルム、建装・産業資材を手掛け
る産業用品製品事業と、コンドームを始めとする医療・日用品・シューズ・衣
料 ・ ス ポ ー ツ 製 品 手 掛 け る 生 活 用 品 事 業 が あ り 、 産 業 用 製 品 事 業 が 51. 8% 、 生
活 用 品 事 業 が 48. 9% の 事 業 シ ェ ア を 有 し て い る 。 現 在 コ ン ド ー ム 事 業 が 全 事 業
の 中 で 占 め る 割 合 は 6~ 7% で あ る が 、 ピ ー ク 時 は 全 体 の 10% 以 上 に も 昇 っ た 。
現 在 数 字 上 は こ の 半 分 程 度 に な っ て い る が 、事 業 の 統 廃 合 の 影 響 を 考 慮 す る と 、
事 業 単 体 の 売 上 は 微 減 と 考 え る べ き だ ろ う 29 。
オ カ モ ト 株 式 会 社 の 起 源 は 1934 年 、 創 業 者 で あ る 岡 本 巳 之 助 が 設 立 し た 岡
本 ゴ ム 工 業 所 で あ る 。 巳 之 助 は 10 代 後 半 か ら 従 来 の 熱 に 弱 く 、 腐 り や す く 、
長期保存には向かなかった生ゴムスキンを研究し、開発に至った。これをきっ
かけとして巳之助は、当時勤務していた黒川ゴムから独立し、兄弟 4人 で「岡
本 ゴ ム 工 業 所 」と し て 家 族 経 営 を 始 め た 。岡 本 ゴ ム 工 業 所 は「 腐 ら な い ス キ ン 」
と し て 薬 局 の 評 判 を 得 、 1936 年 に は 個 人 会 社 だ っ た「 岡 本 ゴ ム 工 業 所 」を 法 人
化し、社名を国際護謨工業株式会社と改称した。
戦前戦中は統制下に置かれ、何度も合併を経験するが、軍需を受けスキンの
工 業 化 に も 成 功 し た 。 当 時 生 ま れ た の が 「 ハ ー ト 美 人 」、「 突 撃 一 番 」、「 鉄 兜 」
というようなコンドームで、これらはコンドームの代名詞ともなった。こうし
た経緯から工場建設も進み、当時は平井工場、葛飾工場、福島工場、そして朝
鮮工場が稼働していたとされる。
つ い に 1945 年 8 月 15 日 。戦 争 が 終 わ っ た 。こ こ か ら は 軍 需 優 先 の 経 済 か ら
民需へのシフトが求められるようになる。
オ カ モ ト 株 式 会 社 健 康 生 活 用 品 部 主 事・林 知 札 氏 メ ー ル イ ン タ ビ ュ ー( 2009
年 11 月 30 日 )。事 業 多 角 化 が 進 ん だ 1968 年 は 0. 9% だ っ た が 、 1970 年 代 前 半
にかけて急上昇している。
29
37
終戦後は物資の窮乏に苦しんだが、戦後混乱期の性病蔓延や国籍不明の子供
の増加を懸念してコンドームの売れ行きは期待されており、また統制が解除さ
れ閉鎖されていた市場が復活すると、人々の購買意識は予想以上に高く、作れ
ば売れる時代が到来した。このころからオカモトでは商品を多角化し、ゴムホ
ース、ゴムの前掛け、水枕、ゴム長靴などのゴム製品を可能な限り商品展開し
て い っ た 30 。 ゴ ム は 高 級 品 と さ れ る 中 、 寒 冷 地 で は 靴 、 特 に ゴ ム 長 靴 の 需 要 が
高まっていた。これを機に、工場再編を行い、コンドームは戦後修復された平
井 工 場 へ 、そ し て 長 靴 は 福 島 工 場 へ と 割 り 振 ら れ た 。 1947 年 に は 社 名 も 岡 本 ゴ
ム工業株式会社に改められた。こうした事業多角化は、経営不振のゴム関連企
業との合併を進めることになる。理研ゴム工業、日本ゴム工業、ゼブラケンコ
ー 自 転 車 の 再 建 計 画 に 携 わ り 、 徐 々 に 合 併 し て い っ た 。 合 併 の 目 的 は 1964 年
からの不況に際し、国際競争力を高めるための資本の大型化が必要となったか
らである。
30
当 時 ゴ ム は 非 常 に 貴 重 な も の で あ っ た た め 、原 材 料 に は ラ テ ッ ク ス の ス ク ラ
ップを用いた。
38
図 7
オカモトが出来るまで
(注)日本ゴム工業
は 1934 年 に 設 立 し
たゴム引布製造及び
雤合羽の加工を行う
会社として設立され、
ビニール製品、工業
用品及び自転車チュ
ーブ、履物等の製造
も行った。一方理研
ゴ ム は 1917 年 設 立
の(財)理化學研究
所の発明特許を工業
化する目的で設立さ
れ、自転車タイヤ・
チューブ、水枕等で
活発な業績を収めた。
( 出 典 )オ カ モ ト 株 式 会 社『 O K AMO TO IN DU STRI ES, IN C会 社 案 内 』オ カ モ
ト 株 式 会 社 、 2009 年 、 p. 3 及 び 『 小 史 』 pp. 10- 24 よ り 著 者 作 成 。
工 場 建 設 に 関 し て も 1970 年 代 か ら 大 き な 増 産 体 制 が 組 ま れ る こ と に な っ た 。
1972 年 に 関 連 会 社 の 株 式 会 社 岡 本 理 研 茨 城 製 作 所 を 吸 収 し て 茨 城 工 場 と 改 称 、
平井工場のスキン部門を移転し、生産拡充を図っている。よって岡本理研ゴム
の生産拠点はビニール関連の化成品が神奈川工場、タイヤ・ゴム事業が群馬工
場、衣料品関係・包装資材関係が茨城工場、そして履物が姉妹会社であった岡
本 ゴ ム へ と 整 理 統 合 さ れ た 31 。 1985 年 に は ビ ニ ル フ ィ ル ム 系 の 静 岡 工 場 も 設 立
し、神奈川工場が移転された。こうした事業多角化に伴い社名をオカモト株式
会社として新体制を発足させた。
岡 本 ゴ ム 株 式 会 社 は そ の 後 1993 年 に オ カ モ ト が 営 業 権 を 譲 り 受 け 、 旧 岡 本
ゴムの生産拠点を福島工場として改称した。
31
39
図
8
岡本ゴム工業株式会社~岡本理研ゴム株式会社時代の工場変遷
(注)終戦時点で岡本ゴム工業は本社・荏原工場・足利工場・八王子工場・葛
飾 工 場 が あ っ た が 、 葛 飾 工 場 は 分 離 し 1949 年 株 式 会 社 日 本 ラ テ ッ ク ス 工 業 所
( 現 不 二 ラ テ ッ ク ス 株 式 会 社 ) と し て 独 立 し た 。 そ の 後 1953 年 に は 八 王 子 工
場 を 閉 鎖 し 、設 備・人 員 を 足 利 工 場 へ と 移 転 す る と 、 1958 年 に は 日 本 理 研 ゴ ム
株 式 会 社 と の 合 併 に よ っ て 東 京 工 場 が 加 わ っ た 。1961 年 に は 神 奈 川 工 場 建 設 に
伴 い 、荏 原 本 社 工 場 は 本 社( 文 京 区 本 郷 )と 神 奈 川 工 場 に 分 離 す る 。 1964 年 に
は 群 馬 工 場 新 設 に よ り 、足 利 工 場 は 群 馬 工 場 へ と 移 転 す る 。 1966 年 、東 京 工 場
タイヤチューブ部門は群馬工場へ、ゴム引布部門は神奈川工場へ移転する。
1968 年 、 合 併 に よ り 岡 本 ゴ ム 工 業 の 平 井 工 場 が 加 わ る と 、 1973 年 に 工 場 移 転
が完了した。なお、群馬工場はその後の仏ミシュランとの合併を失敗し、現在
は日本ミシュランの工場として使用されている。
( 岡 本 理 研 株 式 会 社『 岡 本 理 研
株 式 会 社 50 年 史 ― 小史 』 岡 本 理 研 株 式 会 社 、 1985 年 、 p. 91。)
( 出 典 ) 岡 本 理 研 ゴ ム 株 式 会 社 『 岡 本 理 研 ゴ ム 株 式 会 社 50 年 史 』 岡 本 理 研 株
式 会 社 、 1985 年 よ り 著 者 作 成 。
オカモトはこれまでもゴム製品の多角化を図ってきたが、戦前から根強いコ
ンドームのイメージは戦後から今までも崩れることはない。終戦後から新商品
の 展 開 も 続 々 と 行 い 、1955 年 に は 従 来 の 無 色 透 明 か ら 色 つ き の カ ラ ー ス キ ン を
作 る よ う に な っ た 32 。 1960 年 に は 潤 滑 剤 つ き ス キ ン の 発 売 、 1963 年 に は ス ト
レートと、オールマイティ型の二つの形状のスキンを発売し、消費者の選択の
幅 は 広 が っ た 。ま た 、 1964 年 に は 脱 落 防 止 を 目 的 と し た 形 状 加 工 コ ン ド ー ム が
32
カラースキンを作るには顔料が必要なためコストがかかることになるため、
ドギツイ色を好む外国人用に輸出される製品も、淡い色を好む日本人向けの商
品で対応している。輸出用は長さは同じだが、太さが異なる。
40
発売されている。
そ し て 岡 本 理 研 ゴ ム 株 式 会 社 と 社 名 を 変 更 し た 1969 年 、 革 新 的 な 出 来 事 が
起 き た 。 こ の 年 、 他 社 に 先 駆 け て 、 0. 03 ミ リ と い う 超 極 薄 ス キ ン を 開 発 、「 ス
キンレススキン」として発売を開始し、爆発的なヒットとなったのだ。当時は
0. 05 ミ リ で は 使 用 感 が 消 費 者 の 不 満 と な っ て い た が 、0. 05 ミ リ 以 下 に す る と 不
良品が多発し企業として成り立たなくなるとされていたため、大きな課題とし
て 残 さ れ て い た 。結 果 ラ テ ッ ク ス 樹 脂 に 他 の 樹 脂 を 配 合 す る こ と で 0. 02 ミ リ ま
で薄いスキンを開発できたが、当時の規格の関係上、破裂の危険性を考慮し
0. 03 ミ リ に し た と い う 33 。「 ス キ ン レ ス ス キ ン 」 は そ の 後 も 不 動 の 人 気 を 誇 り 、
2010 年 の 今 現 在 も 改 良 が 重 ね ら れ 、販 売 さ れ て い る 。そ の 後 オ カ モ ト 史 に 残 る
コンドーム事業の革新は、エイズ問題が深刻化したときから今に至っている。
誰もが使うもの故、手に取りやすい商品の開発のため、ブランドやイラストを
取り入れたおしゃれなパッケージを取り入れるようになったのだ。アパレルと
組んで生産開始したベネトンシリーズ(ベネトンフォーミュラ+オカモト)が
その最初で、特にコンビニの販路で生産を拡大した。
コンドームの海外進出に関しても積極的に行ってきた。最初に行われたのが
1965 年 の 香 港 理 研 洋 行 有 限 公 司 の 設 立 で あ り 、香 港 内 及 び ヨ ー ロ ッ パ 地 域 ア メ
リ カ 等 へ の 輸 出 拠 点 と し た 34 。 1966 年 の 中 国 向 け に ス キ ン の プ ラ ン ト 輸 出 で あ
り 、 機 器 の 設 置 、 製 造 技 術 の 指 導 を 行 っ た 。 翌 年 の 1967 年 に は イ ン ド 向 け に
スキンのプラント輸出をし、ヒンドスタン・ラテックス社(インド政府全額出
資 )に 42 年 度 に 引 き 渡 し を 完 了 し て い る 35 。同 年 、ア メ リ カ 国 内 に 当 社 ビ ニ ー
ル 製 品 を 拡 販 す る 目 的 で O M . I nc を 設 立 し た が 、名 称 変 更 し 現 在 オ カ モ ト U SA
としてコンドーム・カイロ・車輌用内装材・フィルムなど、オカモト製品をア
33
規格の都合で薄さが変更されることは多く、エイズ問題が深刻化した際も、
各社のコンドームは一気に厚くなっている。
34
現 在 の オ カ モ ト 香 港 株 式 会 社 で あ る 。中 国 、タ イ 、ベ ト ナ ム 、フ ラ ン ス 、ア
メリカ、そのほか多くの国に委託製造・輸出(靴・雤衣・手袋・雑貨等)や、
岡本製品の販売(コンドーム、車輌レザー、工業テープ、カイロ、除湿剤等)
を 行 っ て い る 。(『 O K AM O TO IN D U STRI ES, IN C会 社 案 内 オ カ モ ト 株 式 会 社 』
オ カ モ ト 株 式 会 社 、 2009、 p. 16 及 び 岡 本 理 研 ゴ ム 株 式 会 社『 岡 本 理 研 ゴ ム 株 式
会 社 50 年 史 - 小 史 』 よ り 一 部 改 編 。)
35
コ ン ド ー ム 事 業 以 外 の プ ラ ン ト 輸 出 と し て は 、 1974 年 に イ ラ ン に 7 セ ッ ト
のラインを持つ履物生産施設一式を完納している。
41
メ リ カ・カ ナ ダ か ら 中 南 米 諸 国 に 向 け て 広 く 販 売 し て い る 36 。 1998 年 に タ イ に
設 立 し た Si am O kam ot o Co. Lt d. で は 日 本 向 け に 手 術 用 手 袋 、 ク リ ー ン ル ー ム
用手袋等の製造販売を行っているが、現在では唯一の海外でのコンドーム生産
拠点としての役割を果たしている。海外でコンドームの機械を設置すると模倣
される可能性があるため、米国とオーストラリアには日本製のものを出荷し、
中国・韓国・台湾にはタイ製のものを出荷している。
ま た 、 エ イ ズ 対 策 と し て も 2008 年 に 財 団 法 人 ジ ョ イ セ フ ( 家 族 計 画 国 際 協
力財団)と協力のもとガーナ家族計画協会にコンドームを寄贈するなど積極的
な活動を見せている。
戦前からゴム産業としての技術を誇り、コンドームにもその技術を投入して
きたことにより、多くのヒット商品を展開してきた。戦前からのブランドでそ
の地位は不動のものとなり、現在では海外でもオカモトのブランドネームは親
し ま れ て い る 。市 場 リ ー ダ ー と し て コ ン ド ー ム を オ ー ル マ イ テ ィ に 商 品 展 開 し 、
規模全体の拡大を狙っている。
3- 3. 時 代 を 切 り 拓 い た 麒 麟 児 : 不 二 ラ テ ッ ク ス
不 二 ラ テ ッ ク ス は 現 在 コ ン ド ー ム を は じ め と す る 医 療 機 器 部 門 が 36. 1% 、 緩
衝 機 な ど の 精 密 機 器 部 門 が 48. 7% 、 SP( セ ー ル ス プ ロ モ ー シ ョ ン )部 門 が 10%
が 全 事 業 の う ち の シ ェ ア を 占 め て い る 37 。
不 二 ラ テ ッ ク ス は 、戦 後 の 1949 年 岡 本 ゴ ム 工 業 株 式 会 社 の 事 業 多 角 化 に よ っ
て生まれた株式会社日本ラテックス工業所が前身である。岡本ゴム工業の葛飾
工場から当時コンドームの代名詞でもあった「ハート美人」のブランドでコン
ド ー ム の 製 造 販 売 を 行 っ て き た 。1961 年 に は 完 全 に 岡 本 ゴ ム 工 業 か ら 分 離 独 立
ス キ ン 以 外 の 事 業 の 海 外 進 出 に 関 し て は 、1970 年 代 か ら 1980 年 代 に か け て
西 ド イ ツ へ 現 地 法 人 オ カ モ ト ・ヨ ー ロ ッ パ 、ア メ リ カ の ユ ニ ロ イ ヤ ル 社 、セ ザ ン
社、リーボック者との合弁会社、フランスのミシュラン社との合弁会社などを
行 っ た が ど れ も 失 敗 に 終 わ っ て い る 。オ カ モ ト ・ヨ ー ロ ッ パ は ド イ ツ で ヨ ー ロ ッ
パ向けのゴムボート等アウトドア用品を販売していたが消滅、日本ユニロイヤ
ルは米国のユニロイヤル社との合弁で立ち上げて、日本でタイヤやビニールレ
ザーを販売したが倒産した。理研アメリカはタイヤの米国販社であったが、タ
イヤ事業の縮小・撤退の中で会社を生産した。
37
コ ン ド ー ム 以 外 の ほ か に 、産 婦 人 科 で 使 用 さ れ る 超 音 波 検 査 の 感 染 予 防 カ バ
ーや医療用バルーンカテーテルなどを製造している。
36
42
を果たし、社名を現在の不二ラテックスに改称した。
独 立 後 、1964 年 に は コ ン ド ー ム に 横 線 を 入 れ る こ と で 脱 落 防 止 加 工 を 施 し た
コ ン ド ー ム が 発 売 さ れ 、1969 年 に は 業 界 初 の サ イ ズ 別 コ ン ド ー ム が 発 売 さ れ た 。
そのカバーガールには当時幻のレースクイーンとして人気を集めていた小川ロ
ー ザ を 起 用 し 、 週 刊 誌 の 話 題 を 独 占 し た 。 ま た 1971 年 に は 世 界 で 初 め て の
0. 02m m の 極 薄 コ ン ド ー ム を 発 売 し 、
「 技 術 の 不 二 ラ テ ッ ク ス 」は 不 動 の も の と
な る 38 。
コ ン ド ー ム 事 業 の 展 開 と し て は 1992 年 の ブ ラ ン ド コ ン ド ー ム 「 ミ チ コ ・ ロ
ン ド ン ・ コ シ ノ 」、 1998 年 の 業 界 初 水 溶 性 ゼ リ ー を 使 用 し た コ ン ド ー ム に よ っ
て大きく売り上げを伸ばすことができた。特に「ミチコ・ロンドン・コシノ」
は、斬新なパッケージから女性購買層を増やし、ブランド名を指名する顧客も
増 え 、結 果 と し て 人 々 の コ ン ド ー ム の 購 入 方 法 を 変 え た と い え る 39 。
「ミチコ・
コシノ」のブランドは不二ラテックス最大のヒット商品となり、多くのマスコ
ミにも多く取り上げられた。この反響からコンビニ用シリーズが生まれるなど
新たな販路拡大にもつながった。その後はブランドコンドームのシリーズを追
加し、パック製品を販売するなど本業のコンドーム事業は続々と進化をつづけ
ている。
しかしこうした大成功の裏側にはバブル崩壊後の海外展開での行き詰まりが
存 在 し て い た 。海 外 展 開 と し て は 、 1965 年 に ユ ー ゴ ス ラ ビ ア か ら 手 術 用 手 袋 の
自動生産機プラントを受注したことに始まるが、コンドーム事業の海外展開に
つ い て は 1971 年 に 韓 国 向 け コ ン ド ー ム 生 産 機 械 一 式 を プ ラ ン ト 輸 出 し た こ と
を き っ か け と し て 、 1974 年 に 台 湾 不 二 ラ テ ッ ク ス を 合 弁 で 設 立 し た 。 1980 年
代後半からエイズ渦が始まると、世界的にコンドームや手術用手袋の市場が拡
大 し て い っ た こ と で 、 商 社 と の 合 弁 で 1987 年 に は ア メ リ カ に コ ン ド ー ム 製 造
不 二 ラ テ ッ ク ス 株 式 会 社『 不 二 ラ テ ッ ク ス 60 年 の あ ゆ み 』不 二 ラ テ ッ ク ス 株
式 会 社 、 2009 年 、 p. 5。 0. 02 m m の 薄 さ は 当 時 認 め ら れ て い な か っ た が 、 極 薄
であっても品質が優れていたことから厚生省(現厚生労働省)がこれを認可し
た 。し か し 当 時 の 0. 02mm は 旧 JI S 規 格 に 準 拠 し て お り 、そ の 後 さ ら な る 安 全
性 を 求 め て I SO 対 応 の 新 JI S 規 格 に 移 行 す る た め 廃 番 と し た 。
( 前 掲 書 、 p. 5。)
39
そ れ ま で コ ン ド ー ム は 男 性 が 持 っ て い る も の で 、店 で 購 入 す る さ い あ ら か じ
め包装されており、商品名を指名して購入するのではなく値段で購入するもの
だ っ た 。( 前 掲 書 、 p. 12。) ま た 、 セ ー ル ス ポ イ ン ト は パ ッ ケ ー ジ の み な ら ず 装
着しやすいフレアタイプを採用したことで脱落しにくいということにもあった。
38
43
販 売 会 社 セ ー フ テ ッ ク ス コ ー ポ レ ー シ ョ ン を 、1988 年 に は タ イ に ゴ ム 手 袋 の 製
造販売会社タイ不二ラテックスを設立した。アメリカ、タイの二社は販売網の
開 拓 が ネ ッ ク と な り 、ま ず 1992 年 に SAFET EX か ら 撤 退 す る と 、 1997 年 に タ
イ か ら の 撤 退 を 決 定 し て い た 40 。そ の 後 、海 外 展 開 は 2003 年 に 緩 衝 機 メ ー カ ー
の CAH N G SH U FU JI D AM PER CO ., LTD . を 合 弁 で 設 立 、 2004 年 に
FU JI
L AT EX SH AN G H AI CO ., LTD . を 設 立 し た 。 ま た 、 台 湾 不 二 ラ テ ッ ク ス は 創 立
当初から子会社としての機能を果たしているが、コンドーム事業が現地で模倣
されることを避けるため、日本の工場で作った未検品のコンドームを台湾で仕
入し、包装まで行うという作業を行っている。過去の失敗から海外進出には慎
重 な 傾 向 が あ る が 、現 在 で は 海 外 輸 出 を ア ジ ア 56% ヨ ー ロ ッ パ 25% オ セ ア ニ ア
19% で 行 っ て い る 。 今 後 は 尐 子 高 齢 化 に よ る 日 本 の マ ー ケ ッ ト 縮 小 を 考 慮 し 、
高品質高付加価値の自社ブランドをアジア以外の北米・南米・ヨーロッパで展
開することも徐々に狙いつつある。
一方、商品の多角化も積極的に行っている。現在不二ラテックスには医療機
器 事 業 、 精 密 機 器 事 業 、 SP 事 業 、 そ の 他 事 業 の 4 事 業 が 存 在 す る 。
コンドーム以外のサイドビジネスは独立直後から行われていたが、婦人カツ
ラ で あ る ヘ ア ピ ー ス は 初 の 成 功 事 例 で あ っ た 。 そ の 後 1973 年 に は 水 枕 、 円 座
を製造販売し、また同時期に使い捨て滅菌済手術用ゴム手袋ドクターハンドも
発 売 さ れ た 。メ デ ィ カ ル 事 業 と し て は 、現 在 ま で 30 年 以 上 の 歴 史 を 持 つ 、1977
年 発 売 の 子 宮 内 避 妊 器 具 「 FD - 1」 が 発 展 の 起 源 で あ る と 考 え ら れ る 41 。 そ の 後
産 婦 人 科 部 門 へ と 事 業 が 展 開 さ れ 、分 娩 介 助 管 を 1980 年 に 発 売 し た 。 1990 年
に は 経 膣 用 プ ロ ー ブ カ バ ー を 発 売 、2007 年 に は 天 然 ゴ ム ア レ ル ギ ー に 配 慮 し 素
40
ア メ リ カ 撤 退 は そ れ ほ ど 大 き な 損 出 に は な ら な か っ た が 、タ イ で は 債 務 問 題
で 苦 戦 し た こ と と 1997 年 の ア ジ ア 通 貨 危 機 が 重 な っ て 撤 退 が 非 常 に 難 航 し た 。
よ っ て タ イ 撤 退 に 伴 う 損 出 は 非 常 に 大 き く 、 1998 年 に は 再 建 計 画 に 着 手 し た 。
以 下 が 再 建 計 画 の 骨 組 み で あ る 。①手 袋 事 業 か ら の 撤 退 、コ ン ド ー ム へ の 回 帰 、
②減 価 、 経 費 構 造 を 改 善 す る た め の 抜 本 的 な 効 率 化 、 ③人 件 費 や 仕 入 れ 構 造 の
見 直 し ( 役 員 を 含 め た リ ス ト ラ 、 仕 入 先 の 選 別 等 )、 ④不 要 不 急 経 費 の カ ッ ト 、
⑤関 係 会 社 戦 略 の 見 直 し 。( 不 二 ラ テ ッ ク ス 株 式 会 社『 不 二 ラ テ ッ ク ス 60 年 の
あ ゆ み 』 不 二 ラ テ ッ ク ス 株 式 会 社 、 2008 年 、 p. 11。)
41
医 療 用 手 術 手 袋 の 開 発 と 、本 来 の 避 妊 具 の 総 合 メ ー カ ー と し て の 取 り 組 み が
重 な っ た こ と で 、 1973 年 よ り 研 究 が す す め ら れ て い た 。将 来 の 避 妊 の 方 向 は 経
口 薬 ピ ル と 子 宮 内 避 妊 器 具( 以 下 IU D )に な る と 予 測 し 、厚 生 省 の 認 可 を 得 て
1977 年 に 発 売 が 可 能 と な っ た 。
44
材を変えて 2タ イ プを開発している。さらに、医療機器メーカーとの共同開発
により、
「 バ ル ー ン カ テ ー テ ル 」の 開 発 も 行 っ て い る 。な お 、メ デ ィ カ ル 事 業 部
で は 食 品 包 材 も 取 り 扱 っ て い る 。精 密 機 器 事 業 部 は 、 1980 年 に 別 会 社 と し て 設
立された不二精器株式会社のオイル式の小型ショックアブソーバーの販売が起
源 と な っ て い る 。 緩 衝 機 メ ー カ ー と し て 発 展 を し 、 O EM 生 産 や カ タ ロ グ 販 売
な ど で 業 績 を 安 定 さ せ た 。 し か し な し な が ら 2000 年 の チ ャ イ ル ド シ ー ト 着 用
義務化に注目して開発した「シートベスト」の失敗、手形の盗難事件、得意先
の倒産などで経営が落ち込んだことで、不二ラテックスとの合弁が進められる
こ と に な っ た 。 SP( セ ー ル ス プ ロ モ ー シ ョ ン )事 業 部 は 、販 促 だ け で な く テ ー
マパークや量販店などの付録品の製造を行っている。
なおこれら事業部の製品を展開するために現在稼働している工場は真岡工場、
栃木工場、新栃木工場の 3工 場 が存在する。栃木工場でコンドーム・電気用ゴ
ム 手 袋 が 、真 岡 工 場 で は IU D と バ ル ー ン が 、新 栃 木 工 場 で は 、精 密 機 械 、緩 衝
器 (ソ フ ト ア ブ ソ ー バ ー 、 ロ ー タ リ ー ダ ン パ ー 、 揺 動 ダ ン パ ー な ど ) が 製 造 さ れ
ている。グループ会社の台湾不二ラテックスでも医療器具が製造されている。
これらの事業に加え、住宅・家電分野にも技術活用が進められている。
図 9
不二ラテックス株式会社工場変遷
(出典)不二ラテックス株式会
社 『 不 二 ラ テ ッ ク ス 60 年 の あ
ゆみ』より著者作成。
またコンドーム事業はその用途を避妊のみならずエイズ・性感染症予防策と
し て の 側 面 を 強 め て い る 。 不 二 ラ テ ッ ク ス で は 2005 年 か ら 「 STO P AID S
45
H I V/ STD チ ャ リ テ ィ ー コ ン サ ー ト 」を 主 催 し て お り 、人 々 の 感 染 症 予 防 意 識 を
高めつつある。
不二ラテックスは業界ナンバーワンのオカモトを追い、コンドームの新製品
を続々と生み出してきた。創業から特殊なパッケージや加工を施し他者と差別
化すると、マスコミをうまく利用した宣伝で多くの人にその名を植え付けた。
„始 ま り は 不 二 ラ テ ッ ク ス か ら ‟と い う 社 訓 の 通 り 、 新 商 品 開 発 は 積 極 的 で あ り 、
いつも他者と異なる角度から時代を切り拓いている印象がある。また、特殊な
加工が施されたマニア向け商品を多数展開していることから、市場のニッチャ
ーとして商品やマーケティングの差別化を行い、リーダーの後を追いかけてい
ることがわかる。
3- 4. 創 業 当 時 か ら 変 わ ら ぬ コ ン ド ー ム へ の こ だ わ り : 相 模 ゴ ム 工 業
相 模 ゴ ム 工 業 は 現 在 コ ン ド ー ム の 医 療 機 器 部 門 57. 3% 、 プ ラ ス チ ッ ク 製 品 部
門 33. 6% 、ヘ ル ス ケ ア 部 門 7. 4% で 構 成 さ れ て お り 、コ ン ド ー ム 事 業 の 占 め る 割
合 は 創 業 当 初 か ら さ ほ ど 変 わ ら な い 42 。
相 模 ゴ ム 工 業 株 式 会 社 は 1934 年 に 松 川 サ ク が 設 立 し た ア サ ヒ ラ テ ッ ク ス 化
学 研 究 所 に 起 源 を 置 い て い る 。オ カ モ ト・不 二 ラ テ ッ ク ス と 同 様 、1940 年 か ら
軍 需 に 伴 い 大 き く 産 業 を 発 展 さ せ て き た 。1942 年 に は 企 業 整 備 法 に よ り 同 業 数
社 を 統 合・合 併 し 、日 本 ラ テ ッ ク ス ゴ ム 工 業 株 式 会 社 と 改 称 し 、 1944 年 に 、現
在 の 社 名 相 模 ゴ ム 工 業 株 式 会 社 と な る 43 。
1953 年 に は コ ン ド ー ム の 日 本 工 業 規 格 表 示 許 可 工 場 と な り 、 10 年 間 で 本 社
社 屋 、コ ン ド ー ム 工 場 、ビ ニ ー ル 工 場 、倉 庫 等 建 設 、設 備 を 拡 充 し 、 1965 年 か
ら 1973 年 ま で に 福 岡 、 静 岡 、 鹿 児 島 、 名 古 屋 、 大 阪 、 東 京 、 神 奈 川 に 分 工 場
を 建 設 、プ ラ ス チ ッ ク 部 門 の 充 実 を 図 っ た 。1977 年 に は 静 岡 工 場 を 焼 津 市 に 移
転 、ゴ ム 、プ ラ ス チ ッ ク 総 合 工 場 と し て 稼 働 を 始 め る 。 1986 年 に は 福 岡 工 場 を
42
相 模 ゴ ム 工 業 株 式 会 社 ヘ ル ス ケ ア 事 業 部 営 業 企 画 室 室 長・樋 沢 洋 氏 メ ー ル イ
ン タ ビ ュ ー ( 2009 年 12 月 22 日 )。
43 1953
年 に姉妹会社である相模プラスチック工業株式会社と合併し、合成樹
脂部門として加えたことでコンドーム事業以外の事業にも取り掛かるようにな
っ た 。 ま た 医 療 用 器 具 の 発 展 と し て は 1978 年 に 医 療 用 カ テ ー テ ル ‘ユ リ サ ー
バ ー ’を 開 発 し 、 世 界 各 国 に 本 格 的 に 販 売 が 開 始 さ れ た 。
46
筑 紫 野 市 に 移 転 、最 新 鋭 の モ デ ル 工 場 と し て 稼 働 し て い る 。 1980 年 代 後 半 よ り
エ イ ズ が 世 界 を 混 乱 に 陥 れ る と 、コ ン ド ー ム の 需 要 が 大 幅 に 増 大 し 、 1988 年 二
本 社 工 場 を 増 設 し た 。1992 年 に は 高 品 質 コ ン ド ー ム に 対 す る 世 界 需 要 に こ た え
て、本社工場に最先端機械、設備を備えた新工場を建設した。
1970 年 に は ゴ ム 部 門 の 飛 躍 的 な 輸 出 増 に と も な い 、海 外 進 出 を 図 り 、マ レ ー
シアに合弁会社サガミ工業(マレーシア)株式会社を設立し、スウェーデンの
RFSU 製 福 祉 用 具 発 売 開 始 し ヘ ル ス ケ ア 部 門 に 参 入 し た 。 1984 年 に は フ ラ ン
ス ・ ラ ジ ア テ ッ ク ス 社 を 買 収 、ゴ ム 部 門 の ヨ ー ロ ッ パ の 販 売 拠 点 と す る 。 1985
年 に は イ ン ド ネ シ ア 最 初 の コ ン ド ー ム プ ラ ン ト の 受 注 に 成 功 す る 。ま た 、 1989
年 に は ゴ ム 部 門 の ア メ リ カ 市 場 進 出 参 入 を は か り 、 SAG AM I IN C を 設 立 し た 。
1996 年 に は 相 模 ゴ ム 最 大 の 海 外 市 場 で あ る 欧 州 の 販 売 を 伸 長 さ せ る べ く 、
I SO 9002 認 証 な ら び に カ イ ト マ ー ク マ ー ク ラ イ セ ン ス を 取 得 し た 。
1970 年 代 に 参 入 し た ヘ ル ス ケ ア 部 門 が 発 展 し 、 1988 年 に は 寝 た き り 老 人 在
宅 入 浴 サ ー ビ ス 厚 木 市 の 許 可 を 得 て 開 始 す る と 、2003 年 に は 福 祉 用 具 の 貸 与 サ
ー ビ ス 事 業 始 め る な ど 積 極 的 な 事 業 展 開 が 行 わ れ て い る 44 。
もともと創業者の松川サク氏は女性の産児制限に賛成し家族計画普及を唱え
ア サ ヒ ラ テ ッ ク ス 研 究 所 を 設 立 し た 。コ ン ド ー ム 事 業 は 戦 前 か ら の 事 業 で あ り 、
古くからの研究の積み重ねによって日本初ラテックスコンドームを生んだだけ
で は な く 、 1949 年 に は 世 界 初 の カ ラ ー コ ン ド ー ム を 、 1963 年 に は 世 界 初 の 段
も の コ ン ド ー ム を 、1976 年 に は 世 界 初 の ド ッ ト 付 き コ ン ド ー ム を そ れ ぞ れ 生 み
出 し て き た 。1996 年 に 新 素 材 ポ リ ウ レ タ ン 製 コ ン ド ー ム 製 造 の た め の 関 連 企 業
「 相 模 マ ニ ュ フ ァ ク チ ャ ラ ー ズ 」を 設 立 し 、2 年 後 の 1998 年 に は 日 本 初 の ポ リ
ウ レ タ ン 製 コ ン ド ー ム「 サ ガ ミ オ リ ジ ナ ル 」
「 サ ン シ ー ノ ン ラ バ ー 」を 販 売 し 始
め た 45 。 そ の 後 サ ガ ミ オ リ ジ ナ ル は シ リ ー ズ 展 開 を し な が ら 2006 年 に は
0. 02m m の 厚 さ で 販 売 が 可 能 と な っ た 。
「 サ ガ ミ オ リ ジ ナ ル 」の 販 売 が 開 始 さ れ
た 1998 年 ご ろ よ り 雑 誌 に も 広 告 が 積 極 的 に 出 さ れ て い る 。
一方でテレビ・新聞・ラジオ・雑誌はもちろん、イベント開催やスキー場へ
44
そ の 後 も 大 和 市 、静 岡 市 、福 岡 市 、横 浜 市 な ど で 訪 問 入 浴 介 護 サ ー ビ ス が 行
わ れ て い る 。1994 年 に は 住 宅 リ フ ォ ー ム 用 て す り「 SU REG RI P」が 発 売 さ れ 、
2003 年 に は 福 祉 用 具 の 貸 与 サ ー ビ ス 事 業 も 始 め た 。
45
発 売 後 2 か 月 で 不 適 合 品 が 見 つ か り 、全 品 自 主 回 収 し た が 、そ の 2 年 後 に 改
善がなされ再発売された。
47
の 協 賛 な ど を 行 っ て お り 、 2009 年 に は カ ン ヌ 国 際 広 告 賞 で 金 賞 を 受 賞 し た 。
相模ゴムは戦前からコンドームの研究開発が行われており、海外進出も積極
的 に 行 っ て き た 。 特 に 、 ヨ ー ロ ッ パ 、 ア メ リ カ 、 ロ シ ア な ど で O EM 商 品 が 展
開 さ れ 、日 本 製 品 の 海 外 O EM の 6~ 7 割 を 占 め て い る 46 。他 者 の よ う に ブ ラ ン
ド物や形状加工製品も展開されているが、商品ラインナップの幅は狭く、特に
1990 年 代 後 半 か ら 進 め ら れ て き た ポ リ ウ レ タ ン 製 コ ン ド ー ム が 人 気 を 博 し 、現
在新たな素材として注目を浴びつつある。このポリウレタン特化はニッチャー
としての戦略パターンとも言え、他者との差別化につながっている。
3- 5. そ の 他 の 日 本 の コ ン ド ー ム 企 業
3- 5- 1. ジ ェ ク ス 株 式 会 社
ジ ェ ク ス は 1960 年 3 月 ゼ リ ー を 塗 っ た 産 制 用 品 を 企 業 化 す る た め 、 日 本 ゼ
リ ア 工 業 所 を 創 立 し 、「 ゼ リ ア ス キ ン 」 の 名 称 で 製 造 販 売 を 開 始 し た 47 。 同 年
12 月 に 日 本 ゼ リ ア 株 式 会 社 を 設 立 し 兵 庫 に 本 社 と 工 場 、支 店 を 大 阪 、営 業 所 を
東 京 に 置 い た 。本 社 は 2 年 後 の 1962 年 大 阪 市 に 移 転 す る 。 1972 年 に 事 業 を 多
角化し、育児、健康用品の分野に進出し社名を「ジェクス株式会社」に変更し
た 。 1970 年 代 か ら 1990 年 ご ろ ま で に か け て は ベ ビ ー 用 品 が 非 常 に 盛 ん で あ っ
た が 、 近 年 で は 様 々 な 加 工 を 施 し た コ ン ド ー ム を 多 種 類 販 売 す る ほ か 、 2002
年 に は 男 性 の 性 機 能 を サ ポ ー ト す る ED サ ポ ー ト シ リ ー ズ を 、2006 年 に は ホ ル
モ ン 剤 を 発 売 し て い る 。 近 年 で は 2007 年 に コ ン ド ー ム の 一 製 品 が ペ イ ン ト ア
ワードで金賞を受賞するなど、パッケージ技術に関しても男女をターゲットと
して商品展開をしている。大阪が本拠地であるため工場も関西圏に集中してお
り 、 1971 年 に 西 脇 工 場 を 開 設 す る と 1990 年 に 篠 山 工 場 と 統 合 し 、現 在 で は こ
の篠山工場のみが稼働している。
46
相 模 ゴ ム 工 業 株 式 会 社 ヘ ル ス ケ ア 事 業 部 営 業 企 画 室 室 長・樋 沢 洋 氏 メ ー ル イ
ン タ ビ ュ ー ( 2009 年 12 月 22 日 )。
47
ゼ リ ア ス キ ン は 1965 年 に 商 品 名 を ゼ リ ア コ ー ト に 変 更 し て い る 。
48
3- 5- 2. ジ ャ パ ン メ デ ィ カ ル 株 式 会 社
ジ ャ パ ン メ デ ィ カ ル 株 式 会 社 は 、1995 年 7 月 千 葉 県 千 葉 市 に 設 立 し た 比 較 的
若いコンドームメーカーである。設立当初より、タイでコンドームを製造し、
日本で検査・試験・包装をしている。タイでは天然ゴムの産出が世界一という
こともあり、原産地での生産を行っている。商品ラインナップとしては、簡単
装着タイプや脱落防止加工の施されたものが展開されている。ジャパンメディ
カル特有のパッケージとしては立方体のボックス型であり、非常に上品なデザ
イン加工をしている。また、他メーカーと同様、ローションについての取扱い
もある。
3- 6. 海 外 コ ン ド ー ム メ ー カ ー ― SSL I nt er nati o nal
SSL I nt er nati o nal の 事 業 は D urex に よ る ナ イ ト ラ イ フ サ ポ ー ト 事 業 と
Sc hol l に よ る フ ッ ト ケ ア お よ び 化 粧 品 部 門 の に 部 門 か ら 成 る 。そ の 歴 史 は 古 く 、
1915 年 に LA Jac ks o n 氏 が 輸 入 コ ン ド ー ム 会 社 で あ る ロ ン ド ン ラ バ ー カ ン パ ニ
ー( 以 降 LRC) を 設 立 し た の が 起 源 で あ る 。こ れ が 1929 年 に D ure x と 改 称 さ
れ た 。 1930 年 代 に は L RC が 初 め て ラ テ ッ ク ス コ ン ド ー ム を 製 造 、そ し て 1953
年に電気テストを用いた安心の品質のコンドームの製造を行うようになった。
そ の 後 コ ン ド ー ム が 世 界 市 場 化 し て い く に 従 い 、 LRC は よ り 使 用 感 の 尐 な い コ
ン ド ー ム 開 発 が で き る よ う に な り 、1974 年 に は 殺 精 子 剤 入 り の コ ン ド ー ム の 製
造 に 成 功 す る 。ま た 、 1980 年 代 か ら 急 速 に AID S、H I V の 脅 威 が 世 界 を 包 ん だ
が 、こ れ が コ ン ド ー ム 産 業 躍 進 の 起 爆 剤 と な り 、 LRC は よ り 一 層 の 発 展 を 遂 げ
た 。 1985 年 に は ロ ン ド ン イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル グ ル ー プ と 名 称 を 再 び 変 更 し 、そ
の 後 も 第 一 線 で イ ノ ベ ー シ ョ ン を 起 こ し つ つ あ る 。1998 年 に は EU で コ ン ド ー
ム に CE マ ー ク が 義 務 付 け ら れ る よ う に な っ た が 、 D urex は CE マ ー ク の つ い
たコンドームを初めて製造した企業として知られている。
一 方 Sc hol l は フ ッ ト ケ ア ブ ラ ン ド と し て 1905 年 に 設 立 さ れ た 。 初 め は 健 康
サ ン ダ ル や 靴 下 を 中 心 に 商 品 展 開 し て い た が 、 近 年 で は D r. Sc hol l と し て 有 名
なフットケアグッズ(靴の中敶やクッション)でブランド確立を成し遂げた。
49
SSL I nt er nati o nal と し て 両 社 が グ ル ー プ 傘 下 と 成 っ た の は 1998 年 か ら
1999 年 に か け て で あ る 。共 に ラ バ ー 製 品 を 元 に し た 商 品 展 開 を 行 っ て お り 、今
後ますます幅広い商品ラインナップの展開が予想されている。そのターゲット
の 範 囲 は 大 き く 、全 世 界 へ と 商 品 を 展 開 し て い る 。D urex は 全 体 の 売 上 の 41%
を 占 め て お り 、 76% が ヨ ー ロ ッ パ に 、 18% が ア ジ ア に 、 ア メ リ カ へ は 6% の 輸
出 が あ る 。 ま た 、 5000 人 以 上 に 及 ぶ 従 業 員 の 国 籍 は ア ジ ア が 60% 以 上 を 占 め
ており、半数以上が工場労働者であるため、アジアで多くの工場を持ち、コス
トダウンを図っていると見られている。
図 10
SSL の 販 売 網
( 出 典 ): D urex H P( 2009 年 11 月 2 日 閲 覧 ) よ り 抜 粋 。
ht t p: / /w w w . ssl -i nt er nati o nal . com
50
そ の SSL グ ル ー プ が 日 本 に 参 入 し た の は 1988 年 で あ り 、戦 前 か ら 続 く 日 本
のコンドーム市場の中では非常に新しい会社である。エスエスエルヘルスケア
ジャ パン株式 会社 の資本金 は 4億 7千 万 円 で オカ モト以外 の企業とほぼ 同値で
あ る 。 ド メ イ ン は 医 療 品 ・ 衛 生 用 品 ・ 化 粧 品 ・ フ ッ ト ケ ア で 、 特 に D r. Sc hol l
が 有 名 で あ る 。日 本 で は D urex コ ン ド ー ム の 認 知 度 は 低 い が 、フ ッ ト ケ ア 商 品
と し て SSL の 果 た す 役 割 が 大 き い 。 こ れ は 世 界 の SSL の 戦 略 と 逆 行 し て い る
日本特有の現象である。
こ の 件 に つ い て エ ス エ ス エ ル ヘ ル ス ケ ア ジ ャ パ ン 株 式 会 社 .マ ー ケ テ ィ ン グ
マネジャー岩田光弘氏は、
「 日 本 の 性 文 化 は 海 外 と 比 べ て も 独 特 な た め 、デ ゥ レ
ックスの日本参入は相当慎重に行われていた。特に日本人は日本製品への絶対
的信頼が大きく、大手日本コンドームメーカーの賜物と思われる、外国製品へ
の 偏 見 の ネ ガ テ ィ ブ イ メ ー ジ は 日 本 へ の 海 外 進 出 を 厳 し く し て い る 」と 話 す 48 。
48
エ ス エ ス エ ル ヘ ル ス ケ ア ジ ャ パ ン 株 式 会 社 マ ー ケ テ ィ ン グ マ ネ ジ ャ ー・岩 田
光 弘 氏 イ ン タ ビ ュ ー ( 2009 年 12 月 16 日 )。
51
小括
図 11
コンドーム産業における歴史的変遷の概念図
(出典)著者作成。
コンドーム産業は戦前から操業を開始し、戦中の軍需によって栄えた。戦後
人口増加が懸念され優生保護法の議論が活発になると、戦前から操業していた
オカモト・相模ゴムを筆頭に新体制で経営を開始し、現在大手の不二ラテック
ス も オ カ モ ト か ら の 分 離 独 立 を 進 め た 。 つ い に 優 生 保 護 法 が 施 行 さ れ 、 1960
年頃までに産児制限の考えが人々の間に広まると、ジェックスや中西ゴムを初
めとして参入企業はますます増加した。家族計画の普及と企業の他者との競合
の 結 果 と し て 、 1960 年 か ら 1970 年 頃 ま で に コ ン ド ー ム の 技 術 革 新 が 進 ん で い
る。
技術革新によって経営が潤うと、他のゴム事業にも参入し他者との合併を行
い、また海外展開も行うことによってゴムや医療技術をさらに発展させた。面
白い事にコンドームメーカーはどこもコンドーム事業のみを行っているのでは
なく、医療やゴム製品の多角化を行っている。こうした多角化によりイノベー
52
ションが生まれやすい環境が生成されてきたのだろう。
図 12
コンドーム事業の多角化とイノベーション起因
(出典)著者作成。
1980 年 代 後 半 に エ イ ズ 禍 が 日 本 を 巻 き 込 む と 、 海 外 勢 力 の D urex も 日 本 に
参入し、新鋭のコンドマニア・ジャパンメディカルなども参入している。コン
ドームメーカーにとってエイズは特需となり、工場建設や海外展開などによっ
てフィールドを大きくし、他者と競合することで結果として更なる技術革新が
行 わ れ た と 考 え ら れ る 。世 界 的 コ ン ド ー ム メ ー カ ー D urex の 参 入 は 当 時 脅 威 と
考えられたが、日本産コンドームの歴史は古く国産への絶対的信頼性を獲得し
てきたことからそれほど大きな打撃を受けていない。しかし日本企業の海外展
開も近年縮小傾向にあり、同様のことが言える。世界的にコンドームはドメス
ティックなマーケットで勝負しつつあることがわかる。
53
第 4章
コンドームの流通革命
4- 1.「 恥 ず か し い モ ノ 」 の 初 期 販 売 網
現 代 で も コ ン ド ー ム は「 恥 ず か し い モ ノ 」と い う 意 識 が 強 い か も し れ な い が 、
コンドーム市場が形成されてから近年になるまでその意識は今以上に大きく、
な か な か 簡 単 に 買 え る 品 物 で は な か っ た 。1995 年 の 薬 事 法 改 正 ま で は 薬 局 で 店
員に「コンドームをください」と言うと、どのくらいの値段のものが欲しいか
を聞かれ、現在のように店頭で購入する本人が直接パッケージや機能などを見
て選択することはほとんど無かった。
図 13
オカモトの初期販売網
(
出
典
) 『
OK AMO TO
IN D U STRI ES, IN C会 社 案 内 オ カ
モ ト 株 式 会 社 』オ カ モ ト 株 式 会 社 、
2009 年 よ り 著 者 作 成 。
つまりコンドーム企業の戦略として戦後しばらくの間、コンドーム市場を制
す る た め に は 販 売 網 を 強 化 す る こ と が 必 要 で あ っ た 。 オ カ モ ト で は 1960 年 代
後半より代理店を増やし、代行店を主軸とした中間問屋、および各県に問屋を
数 件 置 い て 、そ の 傘 下 に 薬 局 を つ け て い た 。こ の と き 小 売 店 薬 局 店 の 25% が オ
カ モ ト 傘 下 で あ っ た が 、 加 え て 1971 年 に 小 売 店 と 直 結 す る 「 ス キ ン レ ス 会 」
を組織し、ピラミッド型組織での両立方式を確立した。
不 二 ラ テ ッ ク ス で も オ カ モ ト が ス キ ン レ ス 会 を 設 立 し た 翌 年 の 1972 年 に「 リ
ンクル同志会」を結成し、小売店販路拡充策を展開した。株式取得を目的とし
54
た引換券を景品として協力販売店に提供したため、同志会の結束力が強まり、
同志会は北海道・東北・関東・中部・北陸・近畿・中国・四国・吸収・沖縄の
10 支 部 に お い て 誕 生 し た 。こ う し た 小 売 店 、卸 、メ ー カ ー と の 三 位 一 体 の 戦 略
は 卸 の 再 編 に も 大 き な 力 を 与 え た 。1971 年 に は 経 営 悪 化 し て い た 卸 を 系 列 化 す
る と 、翌 年 に も 都 内 に 約 500 軒 の チ ェ ー ン 薬 局 を 持 つ 株 式 会 社 東 優 を 傘 下 に お
さ め 、 1979 年 に 南 鳴 と 合 併 す る な ど 再 編 は 不 二 の 販 売 体 制 を 強 化 し て い っ た 。
販 路 面 の 強 化 も 進 ん だ 。 1972 年 に 自 動 販 売 機 が 許 可 さ れ た こ と で 、購 入 の 際
に羞恥心を伴っていたコンドームは徐々に大衆に受け入れやすくなってきた。
オカモトでも訪問販売に加え、自動販売機を取り入れており、通信販売と共に
販 路 拡 大 を 推 し 進 め て き た 。1984 年 で の 販 売 比 率 は 小 売 店 が 8 割 、訪 問 販 売 が
1 割 、 自 動 販 売 機 が 6% 、 通 信 販 売 そ の ほ か 4% で あ っ た が 、 現 在 で は ド ラ ッ ク
ストアとコンビニがほとんどを占め、ネット販売を含む通信販売にそれほどの
伸びは見られない。訪問販売と自動販売機は急速に衰退し、販路としてほとん
ど 使 わ れ な く な っ て い る 49 。不 二 ラ テ ッ ク ス で は 1970 年 に 子 会 社 で あ る 不 二 ラ
イフが設立され、自動販売機での専門販売を始めた。しかし近年ではネット販
売の販路も拡大しつつあり、自動販売機の衰退が目立ってきていることは確か
で あ る 50 。
よ っ て 1995 年 ま で の コ ン ド ー ム 販 路 と し て は 、 指 定 薬 局 で の 販 売 、 訪 問 販
売、自動販売機、通信販売の 4販 路 が存在していたが、各社が組織した同志会
に登録された薬局での販売がほとんどを占めていた。
4- 2. 薬 事 法 改 正 と 流 通 革 命
1995 年 に 薬 事 法 が 改 正 さ れ る と 、コ ン ド ー ム は 薬 局 の み な ら ず ス ー パ ー マ ー
ケット、コンビエンスストアへの販路が確立されるようになり、次第に人々が
実際に手にとって吟味できるほどオープンな品物に変化していった。一方で、
消費者が隠れて購入する場の代表であった自動販売機や訪問販売での売り上げ
1985 年 に は 豊 田 商 事 事 件 の 影 響 で 訪 問 販 売 に 関 す る 法 改 正 が な さ れ 、 コ ン
ドーム販路のあり方が議論になった。
50
相 模 ゴ ム で は 若 年 女 性 向 け 雑 誌 Age ha の 経 営 す る Age ha ク ラ ブ と 共 同 で ト
イレに自動販売機の設置を試みたが、衛生イメージを保つことや法に触れる可
能性があることから、他社で同様の取り組みは試みられていない。
49
55
は 徐 々 に 低 迷 化 し て い き 、現 在 で は 多 く の 会 社 が「 企 業 」 →「 代 行 店( 卸 )」 →
「小売店」という流れで取引している。この理由として、かつては薬局が単体
の店舗で存在し、店主の意向で商品のすべてを決定できたが、現在はチェーン
ドラッグをはじめとする、多店舗・多商品展開のお店がマーケットシェアの多
くを握るため、一メーカーの特定商品に特化して販売を行っていくことは難し
い か ら で あ る 51 。つ ま り 、 1995 年 の 薬 事 法 改 正 、規 制 緩 和 に よ り メ ー カ ー ご と
の流通の差異はなくなり、強力な販売網がコアコンピタンスになりえない状況
となっている。
さらに近年では、コンドーム専門店のような特殊な販売形態を持ってコンド
ームの普及に励む店舗がある。そのひとつが、コンドマニアである。
コンドマニアは日本のコンドームメーカー 7 社と海外のコンドームメーカー
1 社 を取引先とし、コンドームの製造から販売まで行っている専門店である。
現在では国内に 5店 舗 を構えている。
コ ン ド マ ニ ア の 一 号 店 は 1992 年 の 12 月 1 日 に 六 本 木 に オ ー プ ン し た 。出 店
し た 1990 年 代 の 初 頭 は 、 ア ー テ ィ ス ト の キ ー ス ・ へ リ ン グ ( 1990 年 ) ロ ッ ク
バ ン ド Q uee n の フ レ デ ィ・マ ー キ ュ リ ー( 1991 年 )等 が AID S に よ り 他 界 し 、
プ ロ バ ス ケ ッ ト ボ ー ル プ レ イ ヤ ー の マ ジ ッ ク・ ジ ョ ン ソ ン が 1991 年 に H I V感
染 を 理 由 に 引 退 を す る 等 、海 外 の メ デ ィ ア が H I V/ AID S に 関 す る 話 題 を 大 き く
取 り 上 げ て い た 時 代 だ っ た 52 。 も と も と コ ン ド マ ニ ア は ア パ レ ル 関 連 の ビ ジ ネ
スを行っていたため、欧米諸国に調達に行く機会が多かったことから、コンド
ーム専門店というショップ形態に興味を抱き、日本での展開がされるようにな
っ た 53 。
店 舗 拡 大 と し て は 、1992 年 の 12 月 に 六 本 木 店 、1993 年 2 月 に 原 宿 店 、 1998
年 8 月 に 渋 谷 店 、 2000 年 12 月 に 台 場 店 、そ の 後 フ ラ ン チ ャ イ ズ 店 舗 と し て 神
戸三宮店がオープンしている。
こ の よ う に 、1990 年 前 半 か ら 後 半 に か け て マ ニ ア 向 け と し て 発 売 さ れ た コ ン
オ カ モ ト 株 式 会 社 健 康 生 活 用 品 部 主 事・林 知 札 氏 メ ー ル イ ン タ ビ ュ ー( 2010
年 1 月 20 日 )。
52
シ ィ ー ロ ー ド・イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル 株 式 会 社 コ ン ド マ ニ ア 事 業 部・根 岸 様 メ
ー ル イ ン タ ビ ュ ー ( 2009 年 12 月 16 日 )。
53
同 じ 頃 に コ ン ド マ ニ ア 代 表 の 友 人 が AID Sで 亡 く な っ た と い う 事 も 日 本 で コ
ンドマニアを立ち上げる一つの理由にもなったという。
51
56
ドームが話題を呼び、徐々に店舗を拡大している。そのターゲットは一部のマ
ニ ア 層 で は な く 、10 代 の 若 者 か ら 40 代 の 社 会 人 層 ま で 広 い 世 代 に 渡 っ て い る 。
4- 3. 雑 誌 ブ ー ム と ジ ェ ン ダ ー フ リ ー
図 14
性別別雑誌形態分類による「コンドーム」記事数と出荷量の推移
(注)雑誌の対象は巻末資料参照。
( 出 典 ) 大 宅 壮 一 文 庫 検 索 、「 平 成 19 年 薬 事 動 態 工 業 統 計 」( 日 本 コ ン ド ー ム
工業会資料)より著者作成。
上 の 図 は 、大 宅 壮 一 文 庫 で 検 索 し た 、
「 コ ン ド ー ム 」関 連 記 事 数 で あ る 。 1980
年 代 ま で は「 コ ン ド ー ム 」の 記 事 数 が 尐 な か っ た が 、 1990 年 代 初 頭 よ り 多 く の
雑誌で取り上げられていることがわかる。これはエイズが世界を震撼させた時
期に、マスコミもエイズ関連記事を多く執筆していた事実によるものである。
男性誌、女性誌、その他情報誌に分けても時代によってそれほど大きな変化は
無 い が 、雑 誌 の 合 計 と コ ン ド ー ム 出 荷 量 の グ ラ フ と 比 較 す る と 、 1990 年 代 初 頭
から同様の軌跡を描くことが分かった。このことから日本のコンドーム出荷量
はマスコミの影響を尐なからず受けていることがわかる。
雑 誌 に お い て 初 め て コ ン ド ー ム が 取 り 上 げ ら れ た の が 、1961 年 の 週 刊 文 春 で
あ り 、そ の タ イ ト ル は「 わ が 名 は „ど く と る・サ ッ ク ‟誰 も 知 ら な い 受 胎 防 衛 の 発
57
明 家 森 半 兵 衛 」で あ っ た 。受 胎 調 節 運 動 に か か わ っ た 人 の 伝 記 が 取 り 上 げ ら れ 、
名称もコンドームではなくサックとなっている。
初 め て 「 コ ン ド ー ム 」 と い う 語 が 雑 誌 に 登 場 し た の は 1968 年 『 週 刊 大 衆 』
の中である。
「愛の最大功労者コンドーム賛歌-年間5億個も使われているオト
コの必要具」として初めてコンドーム自体の脚光を浴びた。
女性誌の中への登場はそれから 6年 後 の『ヤングレディ 』の中で「今夏売れ
行き急増!遊びの新必携品「スキン」考現学」という記事が出されたのが初め
である。スキンを遊びの必携品と記述していることから、この頃よりセックス
がエンターテイメントの中の一つになり始め、スキンがそれを補助する道具と
して作用し始めたことがわかる。翌年には同じく『ヤングレディ』の中で初め
て「コンドーム」という単語が登場し、内容もコンドームに関する知識を読者
に 伝 え る も の と な っ て い る 。 一 方 男 性 誌 の 動 き と し て は 1973 年 の 『 プ レ イ ボ
ー イ 』に コ ン ド ー ム 150 種 の 性 能 を 比 較 し た 記 事 が 登 場 し て い る こ と か ら 、人 々
の間でコンドームを性能別に選択する購買層が登場し始めてきたと考えられる。
数 で い え ば エ イ ズ 以 後 圧 倒 的 に 男 性 誌 の 中 で 話 題 と な る こ と が 多 い が 、 1990
年ごろまでは女性誌との差がほとんどなく、女性誌が男性誌の記事数を上回る
ことさえあった。また、掲載数は男性誌に及ばないものの、コンドームの記事
を掲載する雑誌を分類すると、男性誌はピークを越えて一定なのに対し、女性
誌は純増している。
58
図 15
累積コンドーム記事掲載経験雑誌数
(出典)大宅壮一文庫検索より著者作成。
古くからコンドームは男性主体のものとされてきたが、先に述べたように近
年ではパッケージや素材において女性をターゲットとした男性用コンドームや
女 性 用 コ ン ド ー ム が 発 売 さ れ て い る 。ま た 、雑 誌 分 析 の 結 果 か ら 分 か る よ う に 、
古くからコンドームは女性雑誌へ登場する機会が存在していた。
1970 年 代 、第 一 次 コ ン ド ー ム 記 事 ブ ー ム が 女 性 雑 誌 の 中 に 存 在 し て い る 。そ
れ は 1975 年 、 日 本 で 初 め て 女 性 用 コ ン ド ー ム を 発 明 し た 老 翁 が 取 り 上 げ ら れ
た時である。この頃女性誌のコンドーム記事数は男性誌のそれを抜いており、
いかに女性用コンドームが女性にとって興味のわいたものであったかが分かる。
女 性 用 コ ン ド ー ム の 記 事 は 70 年 代 か ら 80 年 代 ま で 30- 40 代 向 け の 婦 人 雑 誌 に
し か 掲 載 さ れ ず 、海 外 事 情 を 説 明 す る の み で あ っ た が 、 90 年 代 を 過 ぎ た こ ろ か
ら『 an ・a n』 や『 Wit h』、
『 no n ・no』 と い っ た 10 代 か ら 20 代 の 若 者 向 け 雑 誌 に
も 登 場 し 、 1999 年 か ら 2000 年 に か け て 若 者 雑 誌 を 中 心 に コ ン ド ー ム 記 事 の ブ
ー ム が 起 き て い る 。特 に 10 代 向 け 雑 誌 の 中 で も 圧 倒 的 な 支 持 を 誇 る『 no n ・no』
が 1999 年 に コ ン ド ー ム を 記 事 に 登 場 さ せ 、 翌 年 に は 避 妊 の 知 識 を は じ め 、 コ
ンドームの使用法について詳細に紹介していることから、若者の性意識の変化
についても考察することができる。
59
図 16
『 non・no』 2000 年 9 月 20 日 号 に お け る コ ン ド ー ム の 記 事
( 出 典 )『 no n ・no』 2000 年 9 月 20 日
号。
こ う し た 2000 年 に か け て の 雑 誌 ブ ー ム は 、1999 年 に 厚 生 省 が 女 性 用 避 妊 具
を認可したために発生したと考えられる。これにより低用量ピルをはじめ、銅
付 加 IU D 、女 性 用 コ ン ド ー ム が 解 禁 と な り 、女 性 主 体 の 避 妊 を よ り 容 易 に す る
こ と と な っ た 。 と く に 1999 年 に 認 可 さ れ た 女 性 用 コ ン ド ー ム は 特 に 女 性 雑 誌
の中で大きな話題となり、それを起爆剤として性の意識が高まった。結果とし
てそれまで男性主体と考えられてきたすべてのコンドーム製品が性別を超えて
マスメディアに登場し、ブームが引き起こされたのである。
2000 年 に は 大 鵬 製 薬 が 女 性 用 コ ン ド ー ム「 マ イ フ ェ ミ ィ 」を 販 売 開 始 し た こ と
で『 no n ・no』 の 中 で も 女 性 用 コ ン ド ー ム の 特 集 が 組 ま れ た ほ か 、女 性 の 性 に つ
い て 度 々 特 集 が 組 ま れ る 『 an ・a n』 に も 広 告 の 一 面 が 出 さ れ た 。
こ う し た 2000 年 に か け て の 雑 誌 ブ ー ム は 、1999 年 に 厚 生 省 が 女 性 用 避 妊 具
を認可したために発生した。こうした政府の避妊政策により低用量ピルをはじ
め 、銅 付 加 IU D 、女 性 用 コ ン ド ー ム が 解 禁 と な り 、女 性 主 体 の 避 妊 を よ り 容 易
に す る こ と と な っ た 。 と く に 1999 年 に 認 可 さ れ た 女 性 用 コ ン ド ー ム は 特 に 女
性雑誌の中で大きな話題となり、それを起爆剤として性の意識が高まった。結
果としてそれまで男性主体と考えられてきたすべてのコンドーム製品が性別を
超えてマスメディアに登場し、ブームが引き起こされたのである。
60
2000 年 に は 大 鵬 製 薬 が 女 性 用 コ ン ド ー ム「 マ イ フ ェ ミ ィ 」を 販 売 開 始 し た こ
と で『 no n ・no』 の 中 で も 女 性 用 コ ン ド ー ム の 特 集 が 組 ま れ た ほ か 、女 性 の 性 に
つ い て 度 々 特 集 が 組 ま れ る 『 an ・a n』 に も 広 告 の 一 面 が 出 さ れ た 。
図 17
『 non・no』 に お け る 女 性 用 コ ン ド ー ム の 特 集
( 出 典 )『 no n ・no』 2000 年 9 月 20 日 号 。
図 18
大鵬製薬
マイフェミィ広告
( 出 典 )『 an ・a n』 2000 年 12 月 20 日 号 。
近年では各社ともに女性もターゲットとして商品を展開しているが、女性に
と っ て コ ン ド ー ム は ど の よ う な 位 置 に あ る か 、 女 性 誌 『 an ・a n』 の コ ン ド ー ム
の記事を比較して分析したい。
61
図 19
1991 年 に お け る 『 an・an』 コ ン ド ー ム 特 集
(出典)
『 an ・a n』 1991 年 5 月 3 日 10 日 特
大号。
1991 年 の 段 階 で は コ ン ド ー ム が 単 な る 避 妊 法 の 一 種 で あ る と い う 記 述 し か
ない。コンドーム製品別の特集も組まれず、商品別の性能もわからない。この
理 由 と し て 今 か ら 20 年 前 で は 薬 局 で の 対 面 販 売 が 主 流 で あ り 、 消 費 者 の 企 業
ブランドに対する意識は低かったためだと考えられる。
図 20
1992 年 に お け る 『 an・an』 コ ン ド ー ム 特 集
( 出 典 )『 an ・a n』 1992 年 5 月 1 日 8 日 特
大号。
62
し か し そ の 1 年 後 の 1992 年 に は コ ン ド ー ム が 避 妊 具 の 中 で 最 も 大 き く 取 り
上げられ、各企業のパッケージが掲載されるようになる。パッケージの違いは
わかるが、中身の違いは大きくなく、読者の関心も企業ごとの特徴にはあまり
な か っ た と い え る 。一 方 で 女 性 用 コ ン ド ー ム 記 事 の 占 め る 割 合 は 比 較 的 大 き く 、
女性主体で行う避妊への期待が高まっていたと思われる。
図 21
1994 年 に お け る 『 an・an』 コ ン ド ー ム 特 集
( 出 典 )『 an ・a n』 1994 年 12 月 30 日 1 月
6 日 特大号。
1994 年 に な る と 、企 業 が 商 品 の 差 別 化 を 図 る よ う に な っ た 。こ の 頃 に は コ ン
ドーム専門店コンドマニアも若者の間で話題となり、
『 an ・a n』の 中 に も 特 集 が
組まれている。コンドームはセックスにおける必需品と記され、特に女性が手
に取りやすいブランドやイラストが施されたパッケージのコンドームや、高い
エンタメ性の加工が施されたコンドームを中心に掲載されている。また、タイ
ト ル が「 避 妊 法 の 90% を 占 め る 、 SEX の 必 需 品
コンドームはますます日なた
の 存 在 に 。」と あ る よ う に 、コ ン ド ー ム で の 避 妊 が 当 た り 前 と な り 、次 第 に こ だ
わりをもって購入される商品となりつつあることがわかる。また、コンドマニ
アの商品のようなマニア向け商品が特に話題となっている。
63
図 22
2004 年 に お け る 『 an・an』 コ ン ド ー ム 特 集
( 出 典 )『 an ・a n』 2004 年 6 月 29 日 号 。
2004 年 に は コ ン ド ー ム が 避 妊 具 の メ イ ン と し て 掲 載 さ れ て お り 、「 面 白 コ ン
ドーム」として特殊なコンドームが広告に出されるようになってきた。コンド
マニアのマニア向け製品、オーソドックスな製品、パッケージや加工などにエ
ンターテイメント性を持たせたコンドームまで幅広い種類のコンドームが紹介
されている。また、コンドーム以外の記事の中で女性のナイトライフをサポー
ト す る グ ッ ズ の 特 集 が 組 ま れ る よ う に な っ て き た 。 2006 年 に は『 an ・a n』 の 中
に 女 性 向 け ア ダ ル ト ビ デ オ が 付 録 と し て ま と め ら れ 、2009 年 に も 同 様 の 試 み が
あった。
『 an ・a n』 で は セ ッ ク ス 白 書 の 特 集 が た び た び 行 わ れ 、読 者 の 性 生 活 に
つ い て の 統 計 が 多 く 出 さ れ て い た が 、2004 年 頃 か ら 急 激 に 女 性 の ナ イ ト ラ イ フ
を サ ポ ー ト す る 、 D VD の 特 集 、 ロ ー シ ョ ン や バ イ ブ レ ー タ ー の 特 集 が 組 ま れ 、
年々その記事数は増加している。
64
図 23
女 性 に 広 が る ア ダ ル ト グ ッ ズ ―『 an・an』 付 録 DVD
( 出 典 )『 an ・a n』 2009 年 8 月 5 日 号 。
こ れ ら を ま と め る と 、1990 年 代 前 半 ま で は コ ン ド ー ム が そ れ ほ ど 人 々 の 間 で
広まっておらず、どのメーカーがどのような内容かまで気にする人は尐なかっ
た 。 そ の 後 1992 年 の エ イ ズ 問 題 の 波 が 収 ま っ た 頃 に コ ン ド ー ム は 革 新 期 を 迎
える。メーカーの違い、製品の違いが人々の間で認知されるようになってきた
の だ 。こ れ は つ ま り 、人 々 の 間 に コ ン ド ー ム が 普 及 し て い っ た こ と を 意 味 す る 。
1994 年 に は コ ン ド マ ニ ア の 紹 介 を は じ め と す る マ ニ ア 向 け 商 品 が 登 場 し 、そ の
10 年 後 の 2004 年 に は 、 パ ッ ケ ー ジ や 加 工 な ど に エ ン タ ー テ イ メ ン ト 性 を 持 っ
た製品の特集が多く組まれている。
女 性 誌 に お け る コ ン ド ー ム は こ の 20 年 間 で 急 激 な 変 化 を 遂 げ て お り 、 近 年
ではオーソドックスからマニアックまで幅広い種類の商品を掲載するほか、ナ
イトライフサポートグッズの記事も年々増えている。このことから、女性がセ
ックスに積極的になり、妊娠のリスクを考えずにセックスを楽しむための避妊
具に関心が大きくなっていることがわかる。
4- 4. コ ン ド ー ム の テ レ ビ 広 告
コ ン ド ー ム CM が 世 界 で は じ め て 放 映 さ れ た の は 、 1991 年 11 月 、 エ イ ズ 問
題が深刻化してきたころである。全米テレビネットワークでは初めてフォック
ス ブ ロ ー ド キ ャ ス テ ィ ン グ が 放 送 し た 。 日 本 で は 、 1992 年 10 月 に 東 京 都 が エ
イ ズ 対 策 キ ャ ン ペ ー ン で コ ン ド ー ム 使 用 を 勧 め る CM を 放 送 し た の が 始 ま り で
65
あ る 。 桂 三 枝 ら が テ レ ビ CM の 中 で 「 エ イ ズ に な ら な い た め に は セ ッ ク ス を し
な い こ と 。そ れ が 無 理 な ら 始 め か ら コ ン ド ー ム を 使 う こ と で す 。」な ど と 訴 え た 。
日 本 で は じ め て コ ン ド ー ム 製 品 そ の も の が テ レ ビ CM に 登 場 す る の は 、 1994
年 12 月 、 オ カ モ ト が ベ ネ ト ン ・ ジ ャ パ ン と 組 ん だ 製 品 「 ベ ネ ト ン コ ン ド ー ム 」
の CM で あ る 54 。 数 名 の 若 い カ ッ プ ル が キ ス を し た 後 に 「 全 部 脱 い だ あ と に 着
るベネトン」のコピーが流れ、製品の外箱の映像が重なるという内容である。
オ カ モ ト で は 1999 年 2 月 19 日 よ り 3 月 31 日 ま で 新 製 品 コ ン ド ー ム「 ニ ュ ー
ス キ ン レ ス 」の CM 放 映 を 開 始 し た 。関 東 ・ 関 西 ・ 中 京 ・ 北 海 道 地 区 限 定 TBS
と フ ジ テ レ ビ 系 列 で 15 秒 間 、「 裸 の 男 編 」と さ れ た こ の CM は 、セ ッ ク ス レ ス
夫婦が話題になっていた社会で、人間の根源である愛とセックスについて深く
言 及 し た 内 容 と な っ た 。 こ の CM の 画 期 的 な と こ ろ は 、 性 = 裸 の イ メ ー ジ で
CM を 作 っ て い る と こ ろ で あ る 。 今 ま で の 日 本 の コ ン ド ー ム CM で は 、 青 尐 年
に与える風紀上の問題から、性行為を連想させない表現が使われていた。しか
しエイズ問題が高まり、コンドームが世間に普及してきたことから、裸の男を
モ チ ー フ に し た CM が 可 能 に な っ た 。テ レ ビ CM で は コ ン ド ー ム 本 体 を 映 し 出
すことは許されないため、商品の良さやセックスの素晴らしさをいかに表現す
るかがカギとなった。
一 方 相 模 ゴ ム で は 現 在 ま で に 3 シ リ ー ズ を 制 作 し て お り 、1998 年 サ ガ ミ オ リ
ジ ナ ル の 発 売 時 が 最 初 で あ る 。そ の 後 2000 年 サ ガ ミ オ リ ジ ナ ル 再 発 売 時 、2002
年 サ ガ ミ オ リ ジ ナ ル CVS 発 売 開 始 時 に 制 作 し て お り 、若 者 か ら 支 持 さ れ る よ う
な 俳 優 を 起 用 し て い る 55 。 1998 年 に CM を 放 送 し た 際 は 、 表 現 規 制 が 厳 し く 、
時 間 帯 も 深 夜 し か 放 送 で き な か っ た が 、 2008 年 「 Love di st anc e 」 の コ マ ー シ
ャ ル は 初 の ゴ ー ル デ ン タ イ ム の コ ン ド ー ム CM だ っ た 。コ ン ド ー ム そ の も の が
写されるのは最後の数秒間のみで、遠距離恋愛中のカップルが東京と福岡から
お互いを求めて走り続ける感動的なストーリー展開であった。実際に寄せられ
た 反 響 の 中 に は 一 件 も 「 コ ン ド ー ム の CM を や め て く れ 」 と い う も の は な く 、
「 感 動 し た 」 や 「 も っ と こ う い う 商 材 の CM を 扱 う べ き だ 」 と い う コ メ ン ト が
オ カ モ ト で は 新 商 品 だ っ た 「 ス キ ン レ ス ス キ ン 」 が 販 売 さ れ た 1969 年 頃 よ
り週刊誌・雑誌・新聞・アドバルーン・サンプル配布などの広告宣伝やキャン
ペーンを実施していたが、過激な広告で監督官庁からの指摘を受けている。
55 1
回 目は益岡徹氏、 2 回目は尾身としのり氏、 3回 目は伊勢谷友介氏が出演
した。
54
66
寄 せ ら れ た と い う 56 。 こ の CM は 2009 年 カ ン ヌ 国 際 広 告 祭 フ ィ ル ム 部 門 で 日
本 で は 13 年 ぶ り と な る 金 賞 を 受 賞 し て い る 。
4- 5. セ ッ ク ス の エ ン タ ー テ イ メ ン ト 化
それでは近年コンドームそのものにどのような変化が起きているのか、新製
品作りに積極的な不二ラテックスの製品史から考察したい。
図 24
不二ラテックス製品史から見るコンドームのイノベーション
(出典)不二ラテックス『始まりはいつも、不二ラテックスから-製品案内
N EXT G EN ERATIO N 』 不 二 ラ テ ッ ク ス 、 2008 年 よ り 著 者 作 成 。
56
相 模 ゴ ム 株 式 会 社 ヘ ル ス ケ ア 事 業 部 営 業 企 画 室 室 長・樋 沢 洋 氏 メ ー ル イ ン タ
ビ ュ ー ( 平 成 21 年 12 月 22 日 )。
67
コ ン ド ー ム 製 品 の 革 新 は 大 き く 分 け て 3 つ に 分 類 で き る 。戦 前 不 二 ラ テ ッ ク
ス は 国 際 護 謨 工 業( 現 オ カ モ ト )の 分 社 の 前 段 階 で あ り 、性 病 予 防 の た め に「 突
撃 一 番 」と 呼 ば れ る コ ン ド ー ム を 生 産 し て い た こ と は 前 に も 述 べ た 。戦 後 1949
年にコンドーム製造は再スタートし、今度は民間のマーケットへ戦略をシフト
していく必要があった。
終 戦 か ら 15 年 経 っ た 1960 年 ご ろ に な る と 、人 々 の 間 に 家 族 計 画 の 考 え が 浸
透し、ここで企業の数も増えた。民需と他者との競合というイノベーション起
因によって、脱落防止加工・サイズ別・薄型のコンドームの製造が可能になっ
た 。 こ の イ ノ ベ ー シ ョ ン は 80 年 代 後 半 ま で 続 き 、 脱 落 加 工 と 薄 型 を 基 本 と し
て幅広いサイズのコンドームが展開された。こうした研究の成果からゴムへの
着色技術も進み、強いイメージを与えるブラックカラーの製品を製造するよう
にもなった。
次のイノベーションはエイズ以後のパッケージの革命である。パッケージに
ブランドやキャラクターを起用し「
、 恥 ず か し く て 手 に 取 り に く い モ ノ 」か ら「 お
しゃれで手に取りやすいモノ」のイメージを作り上げた。また女性の体を意識
した潤滑剤ゼリーの研究も進み、ゼリー付きコンドームも多く発売された。ま
た、ゴム臭をカットしフルーツなどの匂いを添加した香り付きコンドーム、暗
闇で光る蛍光コンドーム、主としてマニア向けの突起付きコンドームもそれぞ
れ 発 売 さ れ 、コ ン ド ー ム の 選 択 幅 を 広 げ て き た 。 2002 年 に は ま と め 買 い が で き
るようパックシリーズも登場し、主としてチェーンドラックストアや量販店で
ヒットしている。
近年の傾向として女性をターゲットとした男性用コンドームシリーズの誕生
が指摘できる。不二ラテックスのみならずオカモトなどでもシリーズ化してい
る 女 性 向 け シ リ ー ズ は こ の 時 期 に 誕 生 し て い る 。ま た 、 1990 年 代 か ら 研 究 し て
きたゼリー付きコンドームも進化し、より多くの女性の注目を浴びており、こ
うした女性向けシリーズは雑誌の中でも特集が組まれることが多い。これらの
潤 滑 剤 付 コ ン ド ー ム は 老 化 に よ る セ ッ ク ス の 困 難 を 解 決 す る も の と し て 、 30-
40 代 以 上 の 女 性 の ナ イ ト ラ イ フ を サ ポ ー ト し て い る 。 さ ら に 、 2006 年 か ら は
エンタメ系コンドーム(蛍光・突起など)がリニューアルし、話題を呼んだ。
より広い層でそれぞれに合ったコンドームを提供するため、不二ラテックスで
68
はネットサイト「 2 チ ャンネル」での意見を収集し、 2 チ ャンネルコンドーム
も発売している。
また薬事法の改正により潤滑剤などのナイトライフサポートグッズがドラッ
クストアなどでも購入できるようになったことでそのターゲットを拡大してい
る 。 製 造 が は じ ま っ た 20 年 前 頃 か は 医 療 目 的 お よ び 高 齢 者 を タ ー ゲ ッ ト と し
ていたが、近年では若者マニア層へのターゲット拡大を図っている。アダルト
シ ョ ッ プ 以 外 で 購 入 で き る よ う に な っ た こ と で 、オ カ モ ト も ロ ー シ ョ ン「 ペ ペ 」
シ リ ー ズ を 、 D urex も 2005 年 以 降 バ イ ブ レ ー シ ョ ン や ボ デ ィ ー ロ ー ョ ン な ど
を一般向けに販売してきている。
小括
図 25
コンドーム産業をめぐる近年のトレンド
(出典)著者作成。
69
コ ン ド ー ム は 家 族 計 画 が 普 及 し て き た 1960 年 代 か ら 急 速 な 進 化 を 遂 げ た 。
この頃はコンドームの技術が大きく発展したが、流通網が狭いことと監督官庁
からの規制厳しかったことから、大きなアピールをして人々の間に浸透するの
は難しかった。この時代は薬局とどれだけ提携出来たかが大きなポイントとな
り、人々の間で企業ブランドはそれほど重要視されていなかった。それぞれが
行きつけの薬局で店員に声をかけ、店員に出された商品を購入するだけで選択
するという概念はかなり薄いものだった。
時 代 が 変 化 し た の は 1990 年 ご ろ か ら で あ る 。 エ イ ズ が 問 題 視 さ れ 、 コ ン ド
ームメーカーとしても大きな革新を起こす必要があった。さらなる病気の蔓延
を危惧し、人々が選びやすく、人々の間で話題になって浸透しやすい商品を提
案する必要があったのだ。この危機に先だって誕生したのが「コンドマニア」
である。コンドマニアは従来の「家族計画としてのコンドーム=手にとりにく
く、できれば目立ってほしくないモノ」という概念を払拭し、おしゃれでおも
しろい商品を提供してきた。当初はマニアがターゲットにされていたが、次第
に店はマスコミの力で噂となり、すべてのコンドームユーザーの興味の的とな
った。従来のコンドームメーカーもファッションブランドやキャラクターとコ
ラボレーションしたパッケージのコンドームを取り入れ、この革新が現在のお
しゃれなコンドームパッケージの起源となっている。
加 え て 1995 年 に 薬 事 法 が 改 正 さ れ 、 い わ ゆ る 単 体 の 薬 局 で は な く チ ェ ー ン
薬局が増加した。こうしたチェーン薬局は従来の小さな薬局とは異なり、売り
場面積が大きく、コンドームに関しても多品種をオープンな環境で販売できる
ようになった。なお、この薬事法の改正によって薬局のみならず、コンビエン
スストアやスーパーマーケット、量販店などでも購入が可能になり、販路の自
由化と拡大化が進んだ。よって従来のような薬局との契約し商品を特化する強
みは小さくなり、商品の購入は薬局の陳列方法と企業のパッケージ力に委ねら
れるようになった。こうした経緯から商品のパッケージ力や広告宣伝に企業は
力を入れる、もしくは入れられるようになったと考えられる。
その広告宣伝も次第にオープンな環境でできるようになってきた。エイズの
影 響 で 、 雑 誌 の 中 で は 1980 年 代 後 半 か ら コ ン ド ー ム の 特 集 が 多 く 組 ま れ る よ
うになった。雑誌のターゲットはもちろん男性が多いが、近年では女性誌の登
70
場回数も急速に増加している。
コンドームメーカーはこれまで雑誌や吊り広告、アドバルーンなどで宣伝を
行 っ て き た が 、1990 年 代 に 入 る と テ レ ビ も 広 告 媒 体 と し て 使 用 さ れ る よ う に な
っ た 。1992 年 に 東 京 都 が エ イ ズ 予 防 の た め の コ ン ド ー ム 推 奨 を 目 的 と し た CM
を 作 る と 、 企 業 は 積 極 的 に 自 社 ブ ラ ン ド 商 品 の CM を 制 作 す る よ う に な っ た 。
特 に 、 1990 年 代 後 半 か ら 2000 年 前 後 に か け CM ブ ー ム は 訪 れ て い る が 、コ ン
ド ー ム CM の 規 制 は 多 か っ た 。 も ち ろ ん 今 現 在 も 表 現 規 制 は 行 わ れ て い る が 、
2009 年 に 相 模 ゴ ム が 制 作 し た CM は 初 め て ゴ ー ル デ ン 枞 で の 放 送 が 認 め ら れ 、
多くの視聴者に感動を与えたほか、作品としてカンヌ国際広告祭フィルム部門
で金賞を受賞している。このことからコンドームは次第に「恥ずかしいモノ」
で は な く 、「 持 つ べ き 必 需 品 」 と し て の 認 識 が 広 が っ て い る こ と が わ か る 。
加 え て 年 齢 層 の 広 が り も 指 摘 で き る 。 雑 誌 記 事 を 見 る と 1990 年 代 頃 ま で は
既 婚 者 を タ ー ゲ ッ ト と す る も の が 多 か っ た の に 対 し 、 2000 年 頃 か ら は 10 代 向
け雑誌にも特集が組まれるようになった。また潤滑剤などのナイトライフサポ
ートグッズは当初は医療用として製造されたが、近年では若者のプレイ向けと
しても販売が開始された。また潤滑剤の技術も進み、年をとってセックスに痛
みを訴える女性が使用しやすいというコンドームが多数販売されており、ター
ゲットの年齢幅は若年層から比較的年の層まで拡大していることがわかった。
以 上 を ま と め る と 、1960 年 代 か ら の 技 術 的 イ ノ ベ ー シ ョ ン に よ っ て コ ン ド ー
ム の 性 能 は 格 段 に 上 昇 し 、 エ イ ズ 問 題 を 皮 切 り に 1990 年 以 後 は パ ッ ケ ー ジ や
広告などによる宣伝においてコンドーム産業の革命が起きたと考えられる。近
年ではそのターゲットの幅が広がり、本来男性主体で認識されてきたコンドー
ムが女性にとっても重要視されて来ていることがわかる。
ま た 、 1990 年 ご ろ か ら 始 ま っ た コ ン ド ー ム 製 品 の 着 色 や 突 起 加 工 の ブ ー ム 、
そして近年各社が始めた一般向けナイトライフサポートグッズの販売から、コ
ンドームがセックスを楽しむためのエンターテイメントとしての道具になりつ
つあることもわかる。そしてこれについても男女問わず幅広い層をターゲット
としている。
以上から近年コンドームの多元化は急速に進み、その背景にはコンドームの
イノベーションが存在したといえる。
71
第 5章
コンドーム生産量減尐の謎
5- 1. コ ン ド ー ム と 日 本 人
図 26
コンドーム生産数量の推移
( 出 典 )「 平 成 19 年 薬 事 工 業 生 産 動 態 調 査 」( 日 本 コ ン ド ー ム 工 業 会 資 料 ) よ
り著者作成。
こ の 図 は 1979 年 か ら 2007 年 ま で の コ ン ド ー ム 出 荷 量 の 推 移 を 表 し た グ ラ フ
で あ る 。 コ ン ド ー ム 生 産 高 は 世 界 的 に も エ イ ズ が 問 題 に な っ て い た 1980 年 代
後半にかけて増加し、その後一度減尐している。そして日本でもエイズが問題
視 さ れ 、 各 社 が ブ ラ ン ド コ ン ド ー ム を 発 売 し て い た 1990 年 代 前 半 に も う い ち
ど増加している。しかしながら国内出荷量はそれ以降減尐、輸出出荷数も徐々
に減尐している。
さて、コンドームは避妊方法の一部であるが、日本人の避妊の約 9割 を 占め
ている。
72
図 27
避妊法の国際比較
(出典)ティアナ・ノーグレン『中絶と避妊の政治学
戦後日本のリプロダク
シ ョ ン 政 策 』 青 木 書 店 、 2008 年 、 p. 11 よ り 抜 粋 。
日 本 の よ う に コ ン ド ー ム( バ リ ア 法 )が 大 多 数 で あ る 国 は 世 界 的 に も 珍 し く 、
他国ではピルが主流となっていることがわかる。カトリックでは避妊が禁止さ
れているが、実態は必ずしもそうであるとは言えない。その状況の中で、より
道具らしい形のコンドームよりもホルモン剤としても使用できるピルの方が
人 々 に 支 持 さ れ た の だ ろ う 。 第 2 章 で も 述 べ た よ う に 日 本 で は 1999 年 に ピ ル
が認可されたが、戦前からコンドームが避妊方法の主流であったことやピル解
禁前にエイズ問題が発生したために、コンドームへの需要は高まり現在もその
傾向にある。世界でもエイズは問題となり、近年ではキリスト教圏の中でもコ
ンドーム使用を勧める国が増加してきている。同様にキリスト教圏では婚前交
渉も禁止されているが、キリスト教の影響が薄い日本では、本人の同意さえあ
れ ば 13 歳 未 満 の 子 供 と の 性 交 渉 を 除 く 全 て の 婚 前 交 渉 に い か な る 罰 則 も 伴 わ
ない。こうした文化的な違いからも日本では比較的定着しやすい環境にあった
といえる。
こうした環境に適し、前章まででコンドーム産業は多元化し、より多くのタ
73
ーゲットを巻き込むようになってきたと説明した。つまりこの出荷量減尐とい
う状況は多元化した歴史に反するものである。ではこの矛盾はどこから生まれ
たのか本章では出荷量減尐の謎について検証したい。
5- 2. 尐 子 高 齢 化 に よ る 人 口 減 尐
尐子高齢化による人口の減尐はあらゆる業界に影響を与えているが、コンド
ーム業界もまた同様である。
図 28
年齢三区分別人口の推移
( 出 典 ) 人 口 統 計 資 料 集 2009( 2010 年 1 月 22 日 閲 覧 ) よ り 著 者 作 成 。
ht t p: / /w w w .i pss. go. j p/ s yo us hi ka/
図 28 の よ う に 1995 年 と 2007 年 で は 人 口 総 数 に ほ と ん ど 変 化 は 見 ら れ な い
が 、 人 口 構 造 は 明 ら か に 変 化 し て い る 。 15 歳 か ら 64 歳 ま で の 就 労 人 口 が 大 幅
に 減 尐 し 、そ れ に 代 わ っ て 65 歳 以 上 の 年 齢 層 が 増 加 し て い る 。 3 区 分 の 中 で 最
も性活動が激しいであろう年齢層の割合に大きな変化が表れていることから、
人口構成の変化がコンドーム出荷量の減尐に与えた影響は大きいといえる。
次節からはこのセックス人口減尐を踏まえた上で起きた日本人のセックス観
の変化の裏にあるパラドクスについて言及していく。
74
5- 3. 進 む コ ン ド ー ム 離 れ と 代 替 法 と し て の 性 交 中 絶
5- 3- 1. 既 婚 者 で 進 む 家 族 計 画 意 識 の 低 下
表 2
夫 婦 に お け る 避 妊 実 行 率 ( %)
( 出 典 )国 立 社 会 保 障 人 口 問 題 研 究 所『 平 成 17 年 第 13 回 出 生 動 向 基 本 調 査( 結
婚 と 出 産 に 関 す る 全 国 調 査 ) 第 Ⅰ報 告 書 ― わ が 国 夫 婦 の 結 婚 家 庭 と 出 生 力 』 財
団 法 人 厚 生 統 計 協 会 、 2007 年 及 び 第 11 回 出 生 動 向 基 本 調 査 「 結 婚 と 出 産 に 関
す る 全 国 調 査 ( 夫 婦 調 査 の 結 果 概 要 )( 2010 年 1 月 7 日 閲 覧 ) よ り 著 者 作 成 。
ht t p: / /w w w .i pss. go. j p/ i nde x. htm l
一方で既婚層に関しては避妊実行率が大きく減尐している。夫婦生活におけ
る避妊意識の低下は明らかである。
75
図 29 既 婚 女 性 に お け る 避 妊 方 法 の 年 次 推 移
( 注 ) 毎 日 新 聞 社 人 口 問 題 調 査 会 『 日 本 の 人 口 - 戦 後 50 年 の 軌 跡 - : 毎 日 新
聞 社 全 国 家 族 計 画 世 論 調 査 ・ 第 1 回 ~ 第 25 回 調 査 結 果 に よ る 。 50 歳 未 満 の 既
婚女性を対象とする。
( 出 典 )『 平 成 17 年 わ が 国 独 身 層 の 結 婚 観 と 家 族 観 - 第 13 回 出 生 動 向 基 本 調
査 - 』 財 団 法 人 厚 生 統 計 協 会 、 2007 年 、 p. 39 よ り 著 者 作 成 。
図 29 に よ る と 、50 歳 未 満 の 既 婚 女 性 の コ ン ド ー ム の 使 用 は 2000 年 で 75. 3%
に と ど ま っ た 。 近 年 の 傾 向 と し て は 1990 年 代 後 半 よ り 性 交 中 絶 に よ る 避 妊 が
急増している。しかしこれは避妊法としての効果は低く本来避妊とは言えない
ものであり、性感染症も防げない。
76
5- 3- 2. 未 婚 者 で 進 む 性 交 中 絶 率 の 増 加
表 3
未婚者における避妊実行率の推移
( 出 典 )『 平 成 17 年 わ が 国 独 身 層 の 結 婚 観 と 家 族 観 - 第 13 回 出 生 動 向 基 本 調
査 - 』 財 団 法 人 厚 生 統 計 協 会 、 2007 年 、 p. 39 よ り 著 者 作 成 。
未 婚 者 の 18~34 歳 に お け る 避 妊 実 行 率 は 、1997 年 と 2005 年 を 比 較 す る と 男
性 で 6. 6 ポ イ ン ト 、女 性 で 11. 2 ポ イ ン ト 上 昇 し て い る 。そ れ ぞ れ の 年 齢 層 に お
ける割合も既婚者と比較して高い値にあり、未婚者における避妊実行率は比較
的高いといえる。
避妊方法に関しても既婚者と比較するとコンドームなどの確実な避妊法を選
ぶ傾向にあるようだ。
77
図 30
未婚者における避妊方法の年次推移
( 注 ) 毎 日 新 聞 社 人 口 問 題 調 査 会 『 日 本 の 人 口 - 戦 後 50 年 の 軌 跡 - : 毎 日 新
聞 社 全 国 家 族 計 画 世 論 調 査 ・ 第 1 回 ~ 第 25 回 調 査 結 果 』 に よ る 。 調 査 対 象 は
50 歳 未 満 の 未 婚 女 性 。
( 出 典 ) 国 立 社 会 保 障 人 口 問 題 研 究 所 『 人 口 統 計 資 料 集 ( 2005 年 版 )』( 2010
年 1 月 19 日 閲 覧 ) よ り 著 者 作 成 。 htt p: //w ww .i pss. go. j p/ syo us hi ka/
78
表 4
年齢別日本人の避妊方法
( 出 典 ) 国 立 社 会 保 障 人 口 問 題 研 究 所 『 平 成 17 年 わ が 国 独 身 層 の 結 婚 観 と 家
族 観 - 第 13 回 出 生 動 向 基 本 調 査 - 』財 団 法 人 厚 生 統 計 協 会 、 2007 年 、 p. 39 よ
り 著 者 作 成 57 。
し か し な が ら 近 年 の 傾 向 と し て は 未 婚 女 性 の コ ン ド ー ム 使 用 率 が 87. 9% と 、
前 回 調 査 と 比 べ て - 5. 5% の 87. 9% に と ど ま っ て い る 。性 交 中 絶 の 割 合 は 女 性 で
11. 7% と 前 回 調 査 と 比 較 し て 半 数 と な っ て い る も の の 、未 婚・既 婚 と も に 7~8%
程 度 だ っ た 1995 年 と 比 較 す る と 共 に 増 加 傾 向 に あ る 。
つまり、既婚者のみならず未婚者にもコンドーム離れが進んでいる。その代
替 と し て ピ ル や IU D な ど の 増 加 が 考 え ら れ る が そ の 変 動 は 決 し て 大 き く な い 。
一方で性交中絶の数が増加していることが明らかである。以上より家族の計画
性と性感染症予防の意識は確実に低下していることが分かる。
57
対 象 は 性 交 経 験 が あ り 、一 番 最 近 の 経 験 時 に 避 妊 を 実 行 し た と 回 筓 し た 未 婚
男女について。妻については、現在避妊を実行している初婚どうし夫婦。性周
期 利 用 法 と は 、オ ギ ノ 式 、基 礎 体 温 法( 頸 管 粘 液 法 )。医 療 機 関 を 介 す る 方 法 と
は 、 IU D 、 ピ ル 、 男 女 不 妊 手 術 の い ず れ か を 含 む も の で あ る 。 妻 20 歳 未 満 は
標 本 数 が 尐 な い た め 掲 載 を 省 略 。 た だ し 総 数 に は 含 む 。 国 内 で は 1999 年 に 低
用量ピルが認可されている。
79
5- 4. 年 齢 層 拡 大 が 招 い た パ ラ ド ク ス
5- 4- 1. 未 熟 な 性 文 化 が 蔓 延 る 青 尐 年 の 性
表 5
調査・年齢別にみた未婚者の性経験の構成比
( 出 典 ) 国 立 社 会 保 障 人 口 問 題 研 究 所 『 平 成 17 年 わ が 国 独 身 層 の 結 婚 観 と 家
族 観 - 第 13 回 出 生 動 向 基 本 調 査 - 』財 団 法 人 厚 生 統 計 協 会 、 2007 年 、 p. 38 よ
り著者作成。
表 5に よ れば、性経験なしと筓えた人 数はどの年齢層でも減尐しており、性
体 験 の 層 は 格 段 と 広 が っ て い る こ と が わ か る が 、 最 も 重 大 な 変 化 と し て 20 歳
未 満 で 性 経 験 を し た こ と が あ る と 筓 え た 数 は 、1987 年 の 第 9 回 調 査 か ら 男 子 で
約 1. 25 倍 、 女 子 で は 2 倍 近 く に 増 加 し て い る こ と が 挙 げ ら れ る 。
確かに日本における若年層の性交体験率は、大学・高校・中学いずれの層も
増加傾向にある。
80
図 31
性交体験率の推移
(出典)社団法人日本家族計画協会ホームページトピックス第 6回 「青尐年の
性行動全国調査」
( 2005 年 )の 概 要( 2009 年 12 月 29 日 閲 覧 )よ り 著 者 作 成 。
ht t p: / /w w w .jf pa. or. j p/ 02- ki kans hi 1/ i nde x. htm l
大 学 男 子 の 性 交 経 験 率 は 1974 年 か ら 1993 年 に か け て 23% か ら 57% と 大 幅
に 増 加 し た 。し か し 2005 年 と 1999 年 の デ ー タ を 比 較 す る と 、62. 5% か ら 0. 5%
増 加 し た 63% に と ど ま っ て い る 。一 方 大 学 女 子 は 、 1987 年 か ら 26% か ら 43%
と 性 交 経 験 率 の 大 幅 な 伸 び を 見 せ た 後 も 伸 び は や ま ず 、 2005 年 に は 62. 3% に
まで上がり男女差がほぼなくなってしまった。
次 に 高 校 男 女 を 見 て み よ う 。 1974 年 か ら 2005 年 ま で 男 女 差 は そ れ ほ ど 見 ら
れないが、共に同じような伸びを見せていることがわかる。目立った変化とし
て は 1993 年 か ら 1999 年 に か け て 、男 子 が 14% か ら 27% へ 、女 子 が 16% か ら
24% へ 増 加 し た こ と が あ げ ら れ る 。 も っ と も 最 近 の 2005 年 で は 男 子 の 性 交 経
験率を女子が若干上回っている。これに対して中学生の性交経験率は男女とも
にどの年度でも数%しか見られない。
以 上 の こ と か ら 若 年 層 の 性 行 為 は 、30 年 間 で 高 校 生 と 大 学 生 の 間 で 急 激 に 増
加 し た 。ま た 、 30 年 前 で は 女 子 が 男 子 よ り も 経 験 率 が 尐 な か っ た の に 対 し 、直
近 の 2005 年 で は 女 子 が そ の 値 と 同 等 も し く は 上 回 る 傾 向 に あ る 。 両 者 を 再 び
81
比 較 す る と 、 1990 年 代 に 入 っ て か ら 性 の 低 年 齢 化 は 進 ん だ と 思 わ れ る 。
18 歳 以 上 の 層 で は 避 妊 意 識 が 高 ま っ て い た が 、よ り 下 の 世 代 に お い て 避 妊 率
は低下の傾向にある。日本性教育協会が行っている青尐年の性行動全国調査報
告 に よ れ ば 、 1997 年 か ら 2001 年 の 4 年 間 で 性 交 経 験 者 の 避 妊 実 行 率 は 格 段 に
低下している。
表 6
実
行
性交経験者の避妊実行率の推移(%)
し
高校男子
高校女子
大学男子
大学女子
た
64. 1
67. 1
76. 5
78. 3
た
51. 5
47. 6
66. 0
65. 9
( 1997)
実
行
し
( 2001)
( 出 典 )日 本 性 教 育 協 会 編『 青 尐 年 の 性 行 動 』日 本 性 教 育 協 会 、 1997 年 、 p. 58
及 び 日 本 性 教 育 協 会 編 『「 若 者 の 性 」 白 書 』 小 学 館 、 2001 年 よ り 著 者 作 成 。
それでは、若者の避妊実行率の低下の背景には何があるか、日本の性教育の
問題点について考察したい。
D urex の 調 査 に よ れ ば 、日 本 の 性 教 育 の 開 始 年 齢 は メ キ シ コ に 続 い て 2 番 目
に 早 く 、12. 3 歳 で あ る 58 。小 学 校・中 学 校・高 等 学 校 に お け る 日 本 の 性 教 育 は 、
文 部 科 学 省 の 定 め た 学 習 指 導 要 領 に 基 づ い て 行 わ れ て い る 。こ こ で は 2009 年 4
月から一部学校で先行実施されている新しい学習指導要領を元に、日本の性教
育を分析する。
1)小学校
小 学 校 の 保 健 教 育 で は 、 ①心 身 健 康 、 ②け が の 防 止 、 ③病 気 の 予 防 に 冠 す る
教育が行われ、学習指導要項の中で性教育に関して特記事項は無い。主として
喫煙の健康被害や薬物被害について学ぶことが多く、性教育に関しては各学校
の判断によるとされている。
58
D urex Japa n ホ ー ム ペ ー ジ 資 料 。 htt p: //w ww . dur ex. j p
82
2)中学校
学 習 指 導 要 領 の 目 標 と し て 、①心 身 の 機 能 の 発 達 と 心 の 健 康 に つ い て の 理 解 、
②健 康 と 環 境 に つ い て の 理 解 、 ③障 害 の 防 止 に つ い て の 理 解 、 ④健 康 な 生 活 と
疾 病 の 予 防 に つ い て の 理 解 が 設 定 さ れ て お り 、 ①の 中 で 初 め て 性 教 育 の 指 導 内
容 が 記 載 さ れ て い る 。た だ し 、
「妊娠や出産が可能となるような成熟が始まると
言う観点から、受精・妊娠までを取り扱うものとし、妊娠の経過は取り扱わな
いものとする。また、身体の機能の成熟と共に、性衝動が生じたり、異性への
関心が高まったりすることなどから、異性の尊重、情報への適切な対処や行動
の 選 択 が 必 要 と な る こ と に つ い て 取 り 扱 う も の と す る 。」59 い わ ゆ る 性 教 育 と 呼
ばれる教育が文部科学省の指導として定められているのが中学校からではある
が、各学校によって指導の判断は任せられているのが現状である。
3)高等学校
高 等 学 校 の 保 健 教 育 で は ①現 代 社 会 と 健 康 、 ②生 涯 を 通 じ る 健 康 、 ③社 会 生
活 と 健 康 と い う テ ー マ で 指 導 が な さ れ る 。 ③の 中 で 、 思 春 期 と 健 康 、 結 婚 生 活
と健康及び華麗と健康を取り扱うものとされるが、生殖に関する機能について
は、必要に応じ関連付けて扱う程度とし、これも各学校の判断に任せている。
責任感を涵養することや異性を尊重する態度が必要であること、及び性に関す
る情報等への適切な対処に関しても扱うよう配慮すると記載されている。
しかしながら上述の通り、実際は各学校の指導に任せる方針を採っているた
め 、 実 態 は 厳 し い 。 文 部 科 学 省 が 平 成 16 年 度 の 性 教 育 の 実 態 に つ い て 平 成 17
年 12 月 に ま と め た 義 務 教 育 諸 学 校 に お け る 性 教 育 の 実 態 調 査 結 果 に よ れ ば 、
性 教 育 に 関 す る 年 間 指 導 計 画 を 作 成 し て い る 学 校 は 小 学 校 で 72. 7% 、 中 学 校 で
53. 8% で あ っ た 。 も う 一 つ の 注 意 す べ き 点 は 、 都 道 府 県 ご と に 見 た 際 に 、 格 差
が 激 し い こ と で あ る 。 小 学 校 で は 、 京 都 府 が 100% で あ る の に 対 し 、 秋 田 県 で
19. 6% が 最 低 、中 学 校 で は 熊 本 県 が 97. 8% で 最 高 に あ る の に 対 し 、長 崎 で 19. 6%
が最低の値となった。実際に避妊方法などを具体的に教えるのは高校以上とい
うことだが、受験に特化し性教育に時間を割かない高校もあるためどの学校形
文 部 科 学 省 『 新 し い 学 習 指 導 要 領 』( 2009 年 12 月 27 日 閲 覧 )。
ht t p: / /w w w .m ext. go. j p/ a_m enu/ s hot o u/ new - cs/
59
83
態でも格差が広がっていることは確かであるといえる。
こうした経緯から避妊の重要性は教育されるが、避妊方法についての教育が
不十分である学校も存在しており、結果として若年層における性の乱れが存在
していると考えられる。
それでは若者は学校以外のどのようなところで性に関する情報を得ているの
だろうか。
図 32
性に関する情報源(中学生)
( 出 典 ) 木 村 好 秀 、 斉 藤 益 子 『 家 族 計 画 の 実 際― 尐 子 社 会 に お け る 家 族 形 成 へ
の 支 援 』 医 学 書 院 、 2007 年 、 p. 18 よ り 著 者 作 成 。
84
図 33
性に関する情報源(高校生)
( 出 典 ) 木 村 好 秀 、 斉 藤 益 子 『 家 族 計 画 の 実 際― 尐 子 社 会 に お け る 家 族 形 成 へ
の 支 援 』 医 学 書 院 、 p. 18 よ り 著 者 作 成 。
図 32、 図 33 よ り 、 中 学 生 高 校 生 共 に マ ス メ デ ィ ア か ら の 情 報 が 重 要 で あ る
ことがわかった。しかしながら、現在のアダルトビデオの中にコンドームを使
うシーンは大概出てこず、性交中絶のシーンが主流であることが問題となって
い る 60 。 性 に 関 す る 意 識 を 持 ち 始 め る 青 尐 年 に と っ て 一 番 影 響 力 を 与 え る メ デ
ィア媒体の中でコンドームの存在が無視されていることにもコンドームの使用
が滞っている一つの原因が隠されている。
5- 4- 2
性意識の低下が目立つ高齢層の性
コンドーム産業は近年潤滑剤の研究によってセックス高齢層のナイトライフ
サ ポ ー ト を 行 っ て き た 。 こ の 背 景 に は 、 男 性 の 性 機 能 治 療 薬 の 使 用 が 1999 年
に 認 め ら れ 、 現 在 で は 15. 3% の 男 性 が 何 ら か の 方 法 で 試 用 し た 経 験 が あ る と い
う 61 。
60
日 本 コ ン ド ー ム 工 業 会 、石 居 利 明 氏 電 話 イ ン タ ビ ュ ー( 2009 年 8 月 28 日 )。
61
フ ァ イ ザ ー 株 式 会 社 「 バ イ ア グ ラ 発 売 10周 年 記 念 調 査 参 考 資 料 」( 2010年 1
月 20日 閲 覧 )。
85
確かにこうした技術発展によってセックス可能年齢は今まで以上に長くなっ
たといえよう。しかし年齢の幅が広がったとはいえ、彼らに避妊の意欲がある
かどうかは別問題である。実際高齢になるに従って日本人の避妊意識が低くな
ることは前にも述べた。
図 34
年 齢 別 HIV 感 染 者 数 推 移
( 出 典 ) AID S/ STI 関 連 デ ー タ ベ ー ス ( 2010 年
12 月
29 日 閲 覧 )。
ht t p: / /w w w . ai dssti. com / よ り 著 者 作 成 。
そ の 根 拠 に H I V 感 染 者 数 を 年 齢 別 に み る と 、 20 代 ま で の 感 染 者 数 は 減 尐 傾
向 に あ る も の の 、 30 代 以 上 の 感 染 者 数 は 依 然 と し て 増 加 傾 向 に あ る 。 30 代 が
圧 倒 的 に 多 い が 近 年 で は 40 代 の 感 染 者 数 が 急 激 に 伸 び て い る 。
ま た 、 表 3、 表 4 よ り 未 婚 者 で さ え タ ー ゲ ッ ト 年 齢 が 上 昇 し て も 避 妊 を す る
人数は 7 割 程度であり、そのうちコンドームを用いた避妊を行っている人は 7
割にしか及ばないことが判明している。このことからセックス年齢の高いカッ
プルのうち半数にも満たない人数しかコンドームを使用しておらず、一般的に
20~ 30 代 よ り も 年 齢 層 が 上 が る に 従 っ て セ ッ ク ス の 回 数 は 減 尐 し て い く と 考
えられるため、ターゲットの上への拡大がコンドーム産業へ及ぼす影響は小さ
いと考えられる。
ht t p: / /w w w . pfi zer. co. j p/ pf i zer/ com pany/ pr ess/ 2009/ doc um ent s/ 090817. pdf
86
一 方 で 40 代 以 上 で の H I V感 染 者 数 の 増 加 と 避 妊 意 識 に 注 目 し た い 。40 代 を
過ぎると避妊意識が女性よりも男性のほうが上回っている。このことから日本
特有の性風俗事情が背景にあると考え、検証していく。
国立国際医療センター富山病院エイズ治療・研究開発センターの「日本人の
H I V/ AID S 関 連 知 識 、 性 行 動 、 性 知 識 に つ い て の 全 国 調 査 」 に よ る と 、 過 去 1
年 間 に 5 人 以 上 の 相 手 と 性 交 を 持 っ た 人 の 割 合 は 4. 6% 、 過 去 1 年 間 に 売 春 を
経 験 し た 男 性 は 13. 6% で あ り 、 こ れ ら は 他 国 と 比 較 し て も 極 め て 異 常 な 数 値 と
なっている。
図 35
性的パートナー数、売春経験の海外比較
( 注 ) 年 齢 は 18~ 49 歳 ( た だ し 5 人 以 上 の 相 手 に 関 し て は イ ギ リ ス 16~ 44
歳 、ア メ リ カ 18~ 59 歳 )。調 査 年 は ベ ル ギ ー 1993 年 、ス ペ イ ン ・イ ギ リ ス 1990
年 、 ノ ル ウ ェ ー ・フ ラ ン ス ・ フ ィ ン ラ ン ド ・ ア メ リ カ 1992 年 、 オ ラ ン ダ 1989
年 、 日 本 1999 年 。
(出典)国立国際医療センター富山病院エイズ治療・研究開発センター「日本
人 の H I V/ AID S 関 連 知 識 、性 行 動 、性 知 識 に つ い て の 全 国 調 査 」( 2010 年 1 月
15 日 閲 覧 ) よ り 著 者 作 成 。
ht t p: / /w w w . acc. go. j p/ ke nky u/ e ki gaku/ 2000e ki gaku/ e ki _015/ 015. htm
87
図 36
営業形態別風俗産業届出数
( 出 典 )警 察 庁 ホ ー ム ペ ー ジ「 平 成 20 年 中 に お け る 風 俗 関 係 事 犯 等 に つ い て 」
( 2010 年 1 月 7 日 閲 覧 ) よ り 著 者 作 成 。
ht t p: / /w w w . npa. go. j p/ t o ukei / i nde x. htm
現在日本において性風俗営業形態のうち最も多いのは無店舗型の風俗営業で
あ る 。性 風 俗 は 警 察 庁 の 風 営 法 に よ っ て 管 理 さ れ て お り 、 1998 年 と 2006 年 に
改 正 が な さ れ た 。 1998 年 の 改 正 で は 無 店 舗 型 営 業 な ど 届 け 出 の 幅 を 拡 大 し 、
2005 年 に は 店 舗 営 業 地 域 の 規 制 な ど 禁 止 項 目 を 増 加 さ せ た こ と で 風 俗 営 業 は
一気に減尐した。
日 本 特 有 の 形 態 と し て 海 外 の 売 春 の よ う に 性 器 接 触 ま で 及 ぶ「 本 番 」
(ソープ
ラ ン ド な ど )の 形 は 日 本 で は 非 常 に 尐 な い こ と が あ げ ら れ る 。
「 本 番 」直 前 の フ
ァッションヘルスなどの「非本番」産業が日本では極めて多く、届け出せずに
違法経営している場所も多いため、現実にはより多くの営業が行われていると
考えられる。また「非本番」で届けているにもかかわらず違法で性行為にまで
及ぶ経営者もいる。
一般に「本番」の場合、性感染症の予防意識が高まりコンドームをつけるこ
とは多いが、
「 非 本 番 」産 業 で は コ ン ド ー ム を 付 け ず に 行 わ れ る こ と が ほ と ん ど
88
である。誤った知識として性行為まで及ばなければ性感染症に感染しないとい
う考えが残っており、咽喉に感染し本来のパートナーへ伝染する場合も尐なく
ない。また、性感染症に感染した場合、エイズ感染率は高くなるという統計も
出ており、こうした性の乱れと成文化の未成熟が及ぼした影響は大きいと考え
られる。
5- 5.
セックスレス国家化する日本
5- 5- 1
夫婦におけるセックスレス
近年夫婦のセックスレスは増加傾向にあるという報道は多く新聞の中でも取
り上げられる傾向にある。セックスレス夫婦とは、厚生労働省の定義によると
夫婦の間での性交渉が 1か 月以上無い場合を指す。
表 7は 朝 日 新 聞社と社団法 人家族計 画協会が行っ たセック スレス調査結 果の
推移である。
表 7
夫 婦 間 の セ ッ ク ス 回 数 ( 2001 年 、 2007 年 )
( 出 典 )「 夫 婦 の 今― 性 交 渉 で 「 満 足 感 」 夫 7 割 、 妻 5 割 ― 調 査 か ら 」『 朝 日 新
聞 』 2001 年 7 月 4 日 朝 刊 、 p. 22 及 び 日 本 大 学 人 口 研 究 所 「 女 性 の 就 労 観 と 夫
婦 間 の 性 交 渉 の 頻 度 に つ い て 」『 全 国 調 査 仕 事 と 家 族 』、 2007 年 よ り 著 者 作 成 。
2001 年 と 2007 年 を 比 較 す る と 、年 に 一 回 も セ ッ ク ス を 行 わ な か っ た 夫 婦 は
89
10% 以 上 も 増 加 し て お り 、 先 の 定 義 に 照 ら し 合 わ せ る と 28% ( 2001) か ら
43. 1%( 2007)の お よ そ 15% も セ ッ ク ス レ ス 人 口 が 増 加 し て い る こ と が 判 明 し
た。ここから年平均セックス回数を算出すると、セックスレスカップルの影響
により 6 年間の間にその値が急減することになった。それではセックスレス、
セックス回数の減尐によるコンドーム市場への影響を以下の計算式から数値化
してみたい。
数式 1
日本における全夫婦のコンドーム使用数
= 夫 婦 数 ×夫 婦 の 年 間 セ ッ ク ス 回 数 ×夫 婦 の コ ン ド ー ム 避 妊 率
と定義する。
ここで、表 7の デ ータを数値化しこの数式にあてはめる。数値化には、各項
目 の 平 均 値 及 び 最 小 値 を 利 用 す る 。 例 え ば 月 2- 3 回 の 場 合 は 月 2. 5 回 を 平 均 値
として代入し、週二回以上とある場合は週二回として計算する。年数回に関し
て は 、 半 年 に 1- 2 回 と 同 様 に 1. 5 回 と し て 計 算 す る 。 な お 、 無 回 筓 は 回 筓 に 含
まないものとする。
以 上 を 踏 ま え て 計 算 を 行 う と 、 2001 年 の 夫 婦 の 平 均 セ ッ ク ス 回 数 は 、 29. 1
回 と な る の に 対 し 、 2007 年 で は 17. 31 回 と な っ た 。こ の 2007 年 の 値 は バ イ エ
ル 製 薬 が 2007 年 に 行 っ た セ ッ ク ス レ ス 調 査 に お い て 、 25~ 59 歳 ま で の 既 婚 カ
ッ プ ル の セ ッ ク ス 回 数 の 平 均 が 17 回 で あ る と い う デ ー タ と ほ ぼ 一 致 し て い る 。
62
よってこれらの値を先ほどの数式 1に あてはめると、
日 本 に お け る 全 夫 婦 の コ ン ド ー ム 使 用 数 ( 2001)
= 31394000 組 ×29. 1 回 ×42. 1% = 384,611,033 個 63
日 本 に お け る 全 夫 婦 の コ ン ド ー ム 使 用 数 ( 2008)
バ イ エ ル 製 薬 「 現 代 社 会 に お け る 二 人 の 寝 室 と 性 生 活 調 査 」( 2009 年 12 月
30 日 閲 覧 )。
ht t p: / / byl . bayer. co. j p/ scri pt s/ pages/ j p/ pr ess_r el eas e/ pr ess_ det ai l/ ?fil e_pat h
=2007% 2Fnew s2007- 9- 5- 2. htm l
63
夫 婦 数 に 関 し て は 2000 年 の 国 勢 調 査 及 び 避 妊 率 に 関 し て は 2001 年 の 国 連
データ。
62
90
= 31142511 組 ×17. 31 回 ×40. 6% = 218,865,207 個 64
つ ま り お よ そ 10 年 の 間 に 夫 婦 の 使 う コ ン ド ー ム の 量 は 57% ほ ど に ま で 減 尐
してしまったのである。ここにはセックスの年間平均回数のみならず夫婦数の
減尐や夫婦間でのコンドーム使用率の低下にも原因はあることも判明したが、
やはり夫婦間におけるセックス回数の減尐が、コンドームの減尐の謎の原因の
一つとして大きな影響を及ぼしていることが分かる。
セックスレスになった理由として仕事での疲労、ストレスによるものが最も
多く挙げられている。
表 8
セックスレスになった理由
( 出 典 )北 村 邦 夫『 第 4 回 男 女 の 生 活 と 意 識 に 関 す る 調 査 2008』 社 団 法 人 家 族
計 画 協 会 ホ ー ム ペ ー ジ ( 平 成 21 年 12 月 28 日 閲 覧 ) よ り 著 者 作 成 。
ht t p: / /w w w .jf pa. or. j p/ 02- ki kans hi 1/ 659. ht m l
ここで労働時間とセックス回数の相関関係を考えたい。
夫 婦 数 に 関 し て は 2005 年 の 国 勢 調 査 及 び 避 妊 率 に 関 し て は 2005 年 第 13 回
出生動向基本調査「結婚と出産に関する全国調査」内の、夫婦の避妊実行率 ×
コンドーム使用率。
64
91
図 37
近年における先進 7 カ国における週当たり労働時間とセックス回数
国 ・地 域
労働時
Country or region
間
セックス回 数
日本
JPN
43.5
45.0
アメリカ
USA
40.7
113.0
カナダ
CAN
38.2
108.0
イギリス
GBR
40.6
118.0
ドイツ
DEU
37.6
120.0
フランス
FRA
37.1
104.0
スウェーデン
SWE
37.9
92.0
(出典)門倉貴史『セックス格差社会
恋愛貧者結婚難民はなぜ増えるの
か 』 宝 島 社 、 2008 年 、 p. 68 を 参 考 に I nt ernati o nal Labor O rgani z ati o n
ホ ー ム ペ ー ジ ( 2009 年 12 月 2 日 閲 覧 ) 及 び D urex Japa n
ホ ームページ
資 料 ( 2009 年 12 月 2 日 閲 覧 ) よ り 著 者 作 成 。
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92
図 37 は 、 先 進 7 カ 国 に お け る 週 当 た り 労 働 時 間 と セ ッ ク ス 回 数 を プ ロ ッ ト
したものである。日本は労働時間が最も多い傍ら、セックス回数が最も尐なく
傾向線には全く沿わない傾向を表している。上記の図から読み取れることは、
労働時間が短くなるにつれて自由な時間が増え、セックスの回数が増えるとい
うことである。
年齢や体重などによる個人差は大きいが、一般に一回(約一時間)のセック
ス で 消 費 さ れ る エ ネ ル ギ ー 量 は 、 100~ 400 キ ロ カ ロ リ ー と 言 わ れ る 。 ち な み
に 、 体 重 60 キ ロ グ ラ ム の 男 性 ( 35 歳 ) が 、 サ ッ カ ー を 40 分 間 続 け た と き に
消 費 す る エ ネ ル ギ ー 量 が 266 キ ロ カ ロ リ ー 、 水 泳 ( ク ロ ー ル ) を 20 分 間 続 け
た と き に 消 費 す る エ ネ ル ギ ー 量 は 380 キ ロ カ ロ リ ー と 言 わ れ て い る 65 。 セ ッ ク
スをするとこうした激しい運動をしたのと同じくらいのカロリーを消費するこ
とになるため、正社員男性が仕事から疲れて帰宅して子供を作ることには大変
な負担がかかる。ここに尐子化の一要因が隠れているとも考えられる。
5- 5- 2
図 38
若年層におけるセックスレス
10 代 の 人 工 妊 娠 中 絶 率
( 出 典 )エ イ ズ・ STI 関 連 デ ー タ ベ ー ス( 2010 年 1 月 4 日 閲 覧 )よ り 著 者 作 成 。
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65
門 倉 貴 史『 セ ッ ク ス 格 差 社 会
2008 年 、 pp. 69- 70。
恋 愛 貧 者 結 婚 難 民 は な ぜ 増 え る の か 』宝 島 社 、
93
10 代 の 人 工 妊 娠 中 絶 率 は 1995 年 を 契 機 に 急 激 に 増 加 す る が 、2000 年 に 入 る
とその傾向は落ち着き、近年では減尐傾向にある。前節で述べたように確かに
避 妊 意 識 の 定 着 が 一 つ の 要 因 に な っ て い る 可 能 性 も あ る が 、 10 代 後 半 か ら 20
代前半の性交中絶率は未だに高く、十分に避妊意識が根付いているとは言えな
い。
その原因として考えられるのは若者のセックス回数も同様に減っているので
はないかということである。
図 39
20 代 男 女 の コ ン ド ー ム 購 入 頻 度 調 査
( 出 典 ) A社 の コ ン ド ー ム 購 入 頻 度 調 査 デ ー タ よ り 著 者 作 成 。
こ の 図 を み る と 、男 女 と も に 週 に 一 回 以 上 、 2~ 3 週 間 に 一 回 と 筓 え る 人 数 が
減 尐 し て お り 、一 か 月 に 一 回 か ら 4~ 5 カ 月 に 一 回 と 筓 え る 人 が 増 加 し て い る 。
半年に一回と筓える人も減尐している。また、自分で購入経験がない人の数は
男性で若干減尐しているものの女性はほぼ横ばいとなっている。これらのデー
タから、日本のセックスレス化現象は夫婦間のみならず若者層でも拡大してい
ることがわかった。つまり、中絶率が減尐しているのはセックス回数が減尐し
ていることに由来する。また、それはコンドーム使用減尐の一因ともなってい
る。
94
5- 6.
マ ー ケ ッ ト の 変 化― コ ン ド ー ム 産 業 の グ ロ ー バ ル 化 と 現 地 化
コンドームは戦前から各国に配置され、その国の衛生環境を維持してきた。
戦 前 か ら ア メ リ カ で は Tr oj an が 、 イ ギ リ ス で は Lo ndo n Rubbe r Com pany( 現
在 の D urex) 、日 本 で は オ カ モ ト や 相 模 ゴ ム が コ ン ド ー ム を 製 造 販 売 し 、国 民 の
避妊意識を高めてきたが、国際市場への進出の流れを見直し、日本のコンドー
ム市場衰退の原因を探りたい。
図 40
戦 前 か ら 1959 年 ま で の 日 本 と そ の 関 連 国 の コ ン ド ー ム 市 場
(出典)著者作成。
戦 前 か ら 1959 年 ま で の 間 戦 前 か ら 操 業 が 開 始 さ れ た 国 々 は 、 戦 争 で 荒 廃 し
た経済を立て直すべく、産児制限が必要となった。このような政治的な主導が
あり国内でのマーケットの確立までには時間がかからなかった。国内マーケッ
95
トは次第に出来上がると共に、戦前他国に支配されていた国々にもコンドーム
メ ー カ ー が 誕 生 す る よ う に な っ た 。1958 年 に は 中 国 で コ ン ド ー ム メ ー カ ー が 誕
生している。
図 41
1960-1975 年 ま で の 日 本 と そ の 関 連 国 の コ ン ド ー ム 市 場
(出典)著者作成。
1959 年 に は D urex が 世 界 で 初 め て 自 社 ブ ラ ン ド の 海 外 進 出 を 行 う と 、 1960
年以降日本のコンドームメーカーは海外への工場建設やプラント輸出を積極的
に行ってきた。日本のコンドームメーカーは東南アジアを中心に展開してきた
が、途上国のみならずアメリカ市場への参入も果たしている。
96
図 42
1976-1989 年 ま で の 日 本 と そ の 関 連 国 の コ ン ド ー ム 市 場
(出典)著者作成。
1976 年 か ら 1990 年 に か け て 、そ れ ま で 日 本 が 積 極 的 に 開 発 を 進 め て き た 東
南アジアの地域で国産コンドーム企業が続々と設立された。日本企業はアメリ
カやヨーロッパなどのコンドーム既存地域への進出が激化させていったが、同
時 に 世 界 最 大 の コ ン ド ー ム メ ー カ ー D urex が 1988 年 に 日 本 に 参 入 し て き た 。
97
図 43
1990 年 か ら 現 在 ま で の 日 本 と そ の 関 連 国 の コ ン ド ー ム 市 場
(出典)著者作成。
1990 年 以 降 コ ン ド ー ム の 現 地 生 産 が 急 激 に 進 ん だ 。現 地 で は 海 外 の 高 く て 質
の良いコンドームよりも、性能が务って安いコンドームのほうが人々の心を掴
んだ。結果として日本の高価格高品質のコンドームは海外で縮小傾向に転じ、
結果として国内市場へのターゲットへと集中するようになった。
98
図 44
現在におけるヨーロッパ、アメリカ、日本の市場概念図
T RO J AN
DU REX
OK AMO TO
(出典)著者作成。
輸 出 が 減 尐 し た と は い え 、 海 外 で の O EM , ラ イ セ ン ス 提 供 は 1980 年 代 か ら
増 加 し て い る た め 、実 際 は 世 界 各 国 に 強 豪 メ ー カ ー D urex や 日 本 の コ ン ド ー ム
が流通している。しかし、各国に国産コンドームメーカーが次々と生まれてお
り、各国でのコンドーム規格の違いが流通の障壁を生んでいる。
特に日本のコンドームは世界のコンドームと比較して薄く、これが規格外と
し て み な さ れ る こ と が あ り 、 流 通 が 難 し い 。 以 前 は WHO 世 界 保 健 機 関 の プ ロ
ジェクトで日本のコンドームを使用した時期もあったが現在では韓国、アメリ
カ 、 ド イ ツ 、 イ ン ド な ど で 規 格 に 合 っ た 安 い 製 品 を 輸 入 す る 傾 向 に あ る 66 。 こ
うしたことから日本の高価格高品質のコンドームは世界で敬遠されるようにな
り、次第にかつて日本が支援してきた途上国での産業が栄え、その座を奪われ
66
北海道大学大学院医学研究科社会医学専攻予防医学講座国際保健医学分野・
玉 城 英 彦 教 授 イ ン タ ビ ュ ー ( 2009 年 11 月 25 日 )。
99
てしまった。こうした理由から輸出面でのコンドームの出荷量は減尐している
と考えられる。
5- 7. コ ン ド ー ム 出 荷 量 減 尐 の 影 響
5- 7- 1. 家 族 計 画 意 識 の 低 下 に よ る で き ち ゃ っ た 結 婚 の 増 加
図 45
結婚期間が妊娠期間より短い嫡出第 1 子出生に占める割合
( 出 典 ) 厚 生 労 働 省 平 成 17 年 度 「 出 生 に 関 す る 統 計 」 の 概 況 人 口 動 態 統 計 特
殊 報 告 ( 2010 年 1 月 22 日 閲 覧 ) 。
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. htm l
1980 年 か ら 2002 年 に か け て 、結 婚 期 間 が 妊 娠 期 間 よ り 短 い 第 1 子 出 生 が 増
加している。これはいわゆるできちゃった結婚の増加を意味しており、家族計
画の崩壊を示す。セックスはもはや家族計画のためではなく、エンターテイメ
ン ト で あ り 、 結 婚 →セ ッ ク ス →出 産 で は な く 、 セ ッ ク ス →結 婚 + 出 産 と い う 逆
転現象が起きた。
近年でもその数値に大きな変動は見られず、家族計画意識の低下は確実に起
きていると言える。
100
5- 7- 2. エ イ ズ ・ 性 感 染 症 意 識 の 低 下 に よ る 蔓 延
コンドームは唯一の性感染症及びエイズの予防道具であるが、その使用率が
低下していることで病気は蔓延し続けている。
図 46
HIV・ エ イ ズ 及 び 性 感 染 症 の 発 生 報 告 数 動 向
( 注 ) 1999 年 以 前 の デ ー タ に つ い て は 、厚 生 労 働 省 性 感 染 症 セ ン チ ネ ル サ ー ベ
イランス研究班(熊本悦明)報告に基づく連続補正を実施。
( 出 典 ) AID S/ STI デ ー タ ベ ー ス ( 2010 年 1 月 20 日 閲 覧 ) よ り 著 者 作 成 。
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性器クラミジアやりん病の感染者は近年減尐傾向にあるが、性器ヘルペスや
尖 圭 コ ン ジ ロ ー ム の 数 は 伸 び つ つ あ る 67 。 一 般 に 性 器 ヘ ル ペ ス や 尖 圭 コ ン ジ ロ
ームは症状から感染に気付きやすいが、性器クラミジアやりん病の自覚症状は
ほとんどなく、本人の知らない間に感染が拡大している可能性がある。また、
クラミジアは近年メディアで取り上げられることも多くなったが、そのことで
命を落とさない病気という認識が高まり、自覚症状が出た後の重傷の場合でも
両 親 に 報 告 で き ず に 病 院 に 行 か な い 若 者 の 増 加 が 懸 念 さ れ て い る 68 。 よ っ て 実
67
いずれも感染を放置すると不妊になる可能性がある恐ろしい病である。
日 本 コ ン ド ー ム 工 業 会 事 務 局 ・ 石 居 利 明 氏 電 話 イ ン タ ビ ュ ー ( 2009 年 8 月
28 日 )。
68
101
際はこの数字を上回る人数がクラミジアやりん病などの自覚症状が出にくい性
感染症に感染していると考えられる。
さ ら に 最 も 重 篤 な 問 題 と し て H I V感 染 者 が 急 増 し て い る こ と が あ げ ら れ る 。
H I V感 染 者 の 増 加 は 先 進 国 の 中 で 日 本 が 唯 一 で あ り 、異 常 事 態 と も い え る 。コ
ンドームの性感染症予防という使用目的は近年薄くなっていることがわかる。
こ う し た 危 機 に 、 厚 生 労 働 省 は H I V・ STD 予 防 策 を 1999 年 に 定 め る こ と に
な っ た 。 こ の 厚 生 省 指 針 は エ イ ズ の 感 染 拡 大 防 止 の た め に 、 ①学 会 等 で 研 究 を
進 め る こ と ②国 か ら 医 療 従 事 者 へ の 医 療 情 報 提 供 の 促 進 ③性 感 染 症 の 認 識 を 高
め る こ と を 盛 り 込 ん だ 性 感 染 症 に 関 す る 特 定 感 染 症 予 防 指 針 を 出 し て い る 69 。
その方法として医療・保健従事者との連携や避妊具産業との連携をとること、
地方公共団体に委任した形での国民への情報提供の促進を挙げている。性感染
症とエイズ対策を連携させて行っていく旨が記載されているのも特徴的である。
しかし実際は政府と企業との連携は行われず、唯一の機会である世界エイズ
デーでのイベントも参加者は一部の興味を持った人間でしか構成されず、広が
り が な い こ と が 問 題 と な っ て い る 70 。 著 者 が 取 材 を 行 っ た オ カ モ ト と 不 二 ラ テ
ックスの関係者の方は、たとえ資金面での援助として国が企業に投じても、エ
イズ阻止などの啓発セミナーには顔見知りしか参加せず、意識は高まらないと
話す。そしてもっと積極的な介入があれば事業を増やすことができると、政府
に対して希望を持つ人も多かった。
厚 生 労 働 省 ホ ー ム ペ ー ジ ( 2009 年 7 月 7 日 閲 覧 )。 htt p: //w w w .m hlw . go. j p/
オ カ モ ト 株 式 会 社 健 康 生 活 用 品 部 主 事 ・ 林 知 札 氏 イ ン タ ビ ュ ー ( 2009 年 9
月 18 日 )。
69
70
102
小括
図 47
コンドーム出荷量減尐の原因
(出典)著者作成
コンドーム出荷量減尐は国内出荷量の減尐と海外出荷量の減尐の二つに分類
できた。
まず、国内出荷量の減尐であるが日本国内の人口が減尐しており、購買者の
数が減尐していることがあげられる。これを前提として避妊意識の低下とセッ
103
クスレス化の二つに柱を絞ることができる。
第 一 に 避 妊 意 識 の 低 下 で あ る が 、 特 に 18 才 未 満 の 超 低 年 齢 層 、 既 婚 者 層 、
高年齢層で進む傾向にある。超低年齢層での低下要因としては、未熟な性教育
制度と誤った知識を植え込み影響力の大きいメディアの発達が考えられる。既
婚者層では全体として家族計画意識の低下が目立っており、出来ちゃった結婚
の増加がその根拠となっている。高年齢層では高齢になるほど妊娠の確率は低
くなるという認識や、性風俗でのコンドームの無使用が問題となっており、結
果的に性感染症の拡大を招いている。
セックスレス化については夫婦のみならず若年層にも言え、これには労働時
間の増加などでセックスする時間が減尐していることが考えられる。セックス
レス化の進行は結果として尐子化を引き起こしており国家レベルでの問題とな
っている。
海外市場での出荷量減尐はかつて日本企業が介入してきた途上国でコンドー
ムの現地生産が始まり、現地では性能が悪くても安いコンドームが流通しやす
い状況になったことあげられる。
以上の点より日本のコンドーム産業は多元化しているが、国内外で解決すべ
き問題に直面し、厳しい状況に強いられていることがわかった。
104
結論
図 48
コンドーム産業の多元化とその矛盾の要因
(出典)著者作成。
コンドーム産業は戦前から現在まで大きな変革を起こしてきた。時代の区分
を戦争期、高度経済成長期、尐子高齢化期に分けて説明したい。
ま ず 、戦 前・戦 中 期 で は 兵 士 の 性 病 予 防 の た め の コ ン ド ー ム が 必 要 で あ っ た 。
梅毒などの花柳病の蔓延は兵士の健康を蝕み、日本軍は兵力低下の危機に追い
込まれた。そこで彼らは従軍慰安婦制度を設け、慰安所へ行く兵士にコンドー
ム を 配 給 す る と い う 感 染 予 防 策 を と る こ と に し た の で あ る 。兵 力 増 強 政 策 で は 、
「産めよ殖やせよ」という言葉通り一般人の避妊も認めなかったため、コンド
ームはほとんど兵士によって消費されていた。この時期は企業が積極的に普及
に励んでいたというよりも、政府の強い影響力に企業が飲み込まれ作らざるを
105
得ない状況が存在していたため、コンドームは政府(軍)が主導となって普及
した性病予防のための品だったと考えられる。
戦 後 家 族 計 画 の 考 え が 普 及 し て く る と 、コ ン ド ー ム の 使 用 率 も 増 加 し 、 1959
年 に は 6 割 以 上 の 日 本 人 が 避 妊 を 経 験 す る よ う に な っ た 。コ ン ド ー ム の 使 用 目
的も、性感染症予防というよりは避妊目的の意味が濃くなり、普及に伴い企業
の 数 も 増 加 し た 。競 走 が 激 化 し 事 業 多 角 化 を 行 う こ と で 技 術 革 新 が 起 こ り 、様 々
な種類のコンドームが誕生し話題を呼んだ。産業が大きくなることで海外進出
する企業も相次ぎ、日本企業のグローバル展開が行われた。この時期には政府
による法改正や産児制限論の復活があったが、こうした政府の変化を察知した
企業が主体となって、コンドームによる家族計画の普及が推し進められていっ
たと言える。
1980 年 代 か ら は エ イ ズ の 蔓 延 が コ ン ド ー ム 企 業 の 特 需 と な っ た 。エ イ ズ の 唯
一の予防法として、コンドームは大きく注目されるようになり、政府による薬
事法の改正で、流通形態が変化した。販路は拡大し、薬局内におけるコンドー
ムの売り場面積も大きくなったため、経営の動向は人々の選択に委ねられるよ
うになった。このため企業は企業ごとの違いを打ち出すようなマーケティング
技術が必要となり、宣伝広告をますます激化させた。パッケージではブランド
やイラストを取り入れ、中身には特殊な着色や突起加工の商品などのマニア向
けを展開し、エンターテイメント性を高くすることによって人々の興味を高め
た。また、雑誌やテレビなどでも活発な宣伝広告を行い、それまでタブーとさ
れてきた「コンドーム」は徐々に一般に普及してきた。近年では年齢層の広が
りにより、若年層向けのポップなデザインコンドームが販売されるほか、特殊
なゼリーを付加した高齢層にやさしい商品も展開されている。また近年、メデ
ィアの中でも特に女性誌の中でコンドームが取り上げられる機会が増加し、コ
ンドームのジェンダーフリーも進んだと考えられる。それまで男性用コンドー
ムは男性向けと捉えられていた概念が薄まり、女性向けのパッケージ、加工を
施した男性用コンドームも展開されるようになってきているためである。
しかしこうしたコンドーム産業の多元化とは裏腹に、コンドームの出荷量は
1990 年 代 中 ご ろ か ら 急 減 し て い る 。そ の 理 由 と し て 、国 内 出 荷 の 減 尐 に は 尐 子
高齢化による就業人口の減尐を前提に性意識の変化が起きていることが分かっ
106
た。メディア媒体などから得た誤った知識や性風俗の増加によってコンドーム
を使用しない人々が増加しており、家族計画力の低下とエイズ危機意識の低下
が引き起こされている。また全世代において性行為の回数が減尐していること
から、日本がセックスレス国家化しているともいえる。このセックスレス化は
労働時間の増加などによる自由時間の減尐が理由と考えられ、これは政府の現
在の尐子化対策においてあまり重要視していない点でもある。解決策としては
政府の積極的な労働政策への取り組みの必要性を再度主張したい。
ま た 、 海 外 出 荷 量 の 減 尐 に は 、 1960 年 代 か ら 進 出 し て き た 途 上 国 で は 1980
年以後のエイズ蔓延の危惧から自国のコンドーム産業が形成されていったこと
が原因として挙げられる。よって性能は悪くても低価格の商品が流通し、それ
が人々の中で受け入れやすくなっていることが指摘できる。コンドーム企業の
現地化により日本のコンドーム企業の参入は難しくなっていると考えられる。
この出荷量減尐の解決策として、日本のコンドーム企業は国内生産に特化す
ることを主張したい。なぜなら、今再び他国で生産を行ってもその国の産業が
勃興し、高価格高付加価値の商品は敬遠されるため、いたちごっこになってし
まうのが近年のトレンドであるためである。エイズ蔓延によって、コンドーム
が ま だ 普 及 し き っ て い な い 海 外 で の 進 出 を 狙 う な ら ば 、 O EM 提 供 の よ う な 形
で 海 外 の 裏 市 場 を 支 え て い く 形 が 望 ま し く 、ブ ラ ン ド 作 り は 難 し い と 思 わ れ る 。
国内では現在家族計画意識と性感染症予防意識が低下しており、政府の介入
が薄くなっていることに問題がある。歴史を振り返れば、尐子化していく現在
の日本において政府は避妊を奨励する気にならないのかもしれないが、性教育
や企業連携の怠りによってエイズなどの深刻な病が日本で蔓延していることも
また事実なのである。今後は政府の介入に加え、企業はさらにマスコミの影響
力を利用してコンドームの普及に努める必要がある。本論文より若者の多くは
性の情報をメディアから得ており、マスコミが取り上げるだけ出荷量は増加す
ることがわかった。このためマスコミとの協力は更なる革新を生むカギとなる
可能性を秘めている。
これらの取り組みによってコンドーム産業がさらに栄えるだけでなく、正し
い避妊意識の植え付けは家族計画力を高め、日本人の性をより健やかなものに
するだろう。
107
コンドーム産業がこれまでにたどった道は日本の人口と健康を支える道のり
であった。そして今後もその道のりを支えていくことになるだろう。
108
インタビュー・調査履歴
・エスエスエルヘルスケアジャパン株式会社マーケティングディレクター・岩
田 光 弘 氏 メ ー ル イ ン タ ビ ュ ー ( 2009 年 12 月 16 日 )。
・オカモト株式会社健康生活用品部主事・林知札氏、同部主任佐藤孝治氏、総
務 部 広 報 担 当 伊 藤 将 文 氏 イ ン タ ビ ュ ー( 2009 年 9 月 18 日 ) 及 び メ ー ル イ ン タ
ビ ュ ー ( 2009 年 11 月 30 日 、 2009 年 12 月 18 日 、 2010 年 1 月 19 日 )。
・相模ゴム株式会社ヘルスケア事業部営業企画室室長・樋沢洋氏メールインタ
ビ ュ ー ( 2009 年 12 月 22 日 )。
・シィーロード・インターナショナル株式会社コンドマニア事業部・根岸氏メ
ー ル イ ン タ ビ ュ ー ( 2009 年 12 月 15 日 )。
・ ジ ャ パ ン メ デ ィ カ ル 株 式 会 社 メ ー ル イ ン タ ビ ュ ー ( 2009 年 12 月 17 日 )。
・ ド ン キ ホ ー テ 札 幌 店 調 査 ( 2009 年 11 月 26 日 )。
・ 日 本 コ ン ド ー ム 工 業 会 事 務 局 ・ 石 居 利 明 氏 電 話 イ ン タ ビ ュ ー ( 2009 年 8 月
28 日 )。
・不二ラテックス株式会社ヘルスケア事業部営業部長・小林信隆氏インタビュ
ー ( 2009 年 9 月 25 日 )。
・北海道大学大学院医学研究科・社会医学専攻・予防医学講座・国際保健医学
分 野 ・ 玉 城 英 彦 教 授 イ ン タ ビ ュ ー ( 2009 年 11 月 25 日 )。
一次資料
・ オ カ モ ト 株 式 会 社『 OK AMO TO IN D U STRI ES, IN C会 社 案 内 』オ カ モ ト 株 式
会 社 、 2009 年 。
・岡 本 理 研 株 式 会 社『 岡 本 理 研 ゴ ム 株 式 会 社 50 年 史 』岡 本 理 研 株 式 会 社 、 1985
年 ( 国 際 日 本 文 化 研 究 セ ン タ ー 所 蔵 )。
・ 国 立 社 会 保 障 人 口 問 題 研 究 所 『 平 成 17 年 わ が 国 独 身 層 の 結 婚 観 と 家 族 観 -
第 13 回 出 生 ・ 動 向 基 本 調 査 - 』 財 団 法 人 厚 生 統 計 協 会 、 2007 年 。
・ 国 立 社 会 保 障 人 口 問 題 研 究 所 『 平 成 17 年 わ が 国 夫 婦 の 結 婚 過 程 と 出 生 力 -
第 13 回 出 生 動 向 基 本 調 査 - 』 財 団 法 人 厚 生 統 計 協 会 、 2007 年 。
109
・ 相 模 ゴ ム 工 業 株 式 会 社 『 会 社 概 要 』 相 模 ゴ ム 工 業 株 式 会 社 、 2008 年 。
・ 不 二 ラ テ ッ ク ス 『 始 ま り は い つ も 、 不 二 ラ テ ッ ク ス か ら 製 品 案 内 N EXT
G EN ERATIO N 』 不 二 ラ テ ッ ク ス 、 2008 年 。
・不 二 ラ テ ッ ク ス『 不 二 ラ テ ッ ク ス 60 年 の あ ゆ み 』不 二 ラ テ ッ ク ス 株 式 会 社 、
2009 年 。
インターネット資料
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・エ ス エ ス エ ル イ ン タ ー ナ シ ョ ナ ル 株 式 会 社 htt p: //w w w . ssl -i nt er nati o nal . com
・ 大 宅 壮 一 文 庫 検 索 htt p: / /w w w . oya- bunko. com /
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・不二ラテックス株式会社
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・文部科学省『新しい学習指導要領』
ht t p: / /w w w .m ext. go. j p/ a_m enu/ s hot o u/ new - cs/
・ yahoo フ ァ イ ナ ン ス htt p: // fi nanc e. yaho o. co. j p/
・ Al i baba. c om htt p: / /www . ali baba. com /
・ D urex G erm any http: / /w w w . dur ex. com / en-D E/
・ D urex Si ngapor e ht t p: / /w w w . dur ex. com / en- SG /
・ I nt er nati o nal Labor O rgani zati o n
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・ N ew sw eek. com [ The evol uti o n of Bi rt h cont r ol ]
ht t p: / /w w w . new sw eek. com /i d/ 220089
・ Taiw an Fuj i Lat ex ht t p: / /w w w .f ul ex. com .tw /
・ U ni t ed N ati on D epartm ent of Ec o nom i c and Soci al Af f ai rs Po pul ati o n
D i vi si on
ht t p: / /w w w . un. or g/ esa/ po pul ati o n/ publ i c at i ons/ co nt r ac e pti ve 2007/ co nt r ac e p
ti ve2007. htm
二次資料
・ 浅 井 春 夫 他 『 ジ ェ ン ダ ー フ リ ー ・ 性 教 育 バ ッ シ ン グ 』 大 月 書 店 、 2003 年 。
・ 芦 田 み ど り 『 ジ ェ ン ダ ー 医 学 : 「 高 齢 化 =女 性 化 」 時 代 に 向 け て 』 金 芳 堂 、
2005 年 。
111
・ AERAM O O K 『 ジ ェ ン ダ ー が わ か る 。 』 朝 日 新 聞 社 、 2002 年 。
・ AERAM O O K 『 恋 愛 学 が わ か る 。 』 朝 日 新 聞 社 、 1999 年 。
・ 井 上 輝 子 他 編 集 『 岩 波 女 性 学 辞 典 』 岩 波 書 店 、 2002 年 。
・ 江 原 由 美 子 『 生 殖 技 術 と ジ ェ ン ダ ー 』 勁 草 書 房 、 1996 年 。
・ 江 原 由 美 子 『 性 ・ 暴 力 ・ ネ ー シ ョ ン 』 勁 草 書 房 、 1998 年 。
・ 江 原 由 美 子 『 性 の 商 品 化 』 勁 草 書 房 、 1995 年 。
・門 倉 貴 史『 セ ッ ク ス 格 差 社 会
恋 愛 貧 者 結 婚 難 民 は な ぜ 増 え る の か 』宝 島 社 、
2008 年 。
・川田龍平『エイズ教育のこれから - 龍平から子どもたちに伝えたいこと 』
日 本 標 準 、 2006 年 。
・ 金 益 見 『 ラ ブ ホ テ ル 進 化 論 』 文 春 新 書 、 2008 年 。
・ 木 村 好 秀 、斉 藤 益 子『 家 族 計 画 の 実 際 ― 尐子 社 会 に お け る 家 族 形 成 へ の 支 援 』
医 学 書 院 、 2007 年 。
・ 久 場 嬉 子 『 経 済 学 と ジ ェ ン ダ ー 』 明 石 書 店 、 2001 年 。
・グ ロ ー ビ ス・マ ネ ジ メ ン ト・イ ン ス テ ィ ト ゥ ー ト『 M BA 経 営 戦 略 STRAT EG Y』
ダ イ ヤ モ ン ド 社 、 2001 年 。
・ ジ ャ レ ド ・ダ イ ア モ ン ド『 銃・ 病 原 菌・ 鉄 上
○ - 1 万 3000 年 に わ た る 人 類 史 の
謎 』 草 思 社 、 2000 年 。
・ 戦 地 性 暴 力 を 調 査 す る 会 『 資 料 集 日 本 軍 に み る 性 管 理 と 性 暴 力― フ ィ リ ピ ン
1941~ 45 年 』 梨 の 本 舎 、 2008 年 。
・ 竹 中 恵 美 子 『 労 働 と ジ ェ ン ダ ー 』 明 石 書 店 、 2001 年 。
・ティアナ・ノーグレン『中絶と避妊の政治学-戦後日本のリプロダクション
政 策 』 青 木 書 店 、 2008 年 。
・ 新 村 拓 『 出 産 と 生 殖 観 の 歴 史 』 法 政 大 学 出 版 局 、 1996 年 。
・ 日 本 性 教 育 協 会 編 『 青 尐 年 の 性 行 動 』 日 本 性 教 育 協 会 、 1997 年 。
・ 日 本 性 教 育 協 会 編 『「 若 者 の 性 」 白 書 』 小 学 館 、 2001 年 。
・ 毎 日 新 聞 社 人 口 問 題 調 査 会 編 『 尐 子 高 齢 社 会 の 未 来 学 』 論 創 社 、 2003 年 。
・ 毎 日 新 聞 社 人 口 問 題 調 査 会 編 『 人 口 減 尐 社 会 の 未 来 学 』 論 創 社 、 2005 年 。
・ Ai ne Col l i er the humble little condom : A HISTORY, 2007.
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雑誌・新聞資料
・『 朝 日 新 聞 』
「 夫 婦 の 今― 性 交 渉 で「 満 足 感 」夫 7 割 、妻 5 割 ― 調 査 か ら 」 2001
年 7月 4日 朝 刊。
・『 朝 日 新 聞 』「 H I V 感 染 者 、 過 去 最 多 - 08 年 、 1113 人 に 」 2009 年 2 月 19 日
朝刊。
・『 朝 日 新 聞 』「( 地 球 24 時 ) エ イ ズ 新 規 感 染 者 数 、 8 年 間 で 17% 減 尐 」 2009
年 11 月 26 日 朝 刊 。
・『 an ・a n』 1991 年 5 月 3 日 10 日 特 大 号 。
・『 an ・a n』 1992 年 5 月 1 日 8 日 特 大 号 。
・『 an ・a n』 1994 年 12 月 30 日 1 月 6 日 特 大 号 。
・『 an ・a n』 2000 年 12 月 20 日 号 。
・『 an ・a n』 2004 年 6 月 29 日 号 。
・『 an ・a n』 2009 年 8 月 5 日 号 。
・『 no n ・no』 2000 年 9 月 20 日 号 。
・林 博 史「 陸 軍 の 慰 安 所 管 理 の 一 側 面 ―「 衛 生 サ ッ ク 」交 付 資 料 を 手 が か り に ― 」
『 季 刊 戦 争 責 任 研 究 』、 1993 年 。
文献検索対象雑誌(大宅壮一文庫検索)
【 男 性 誌 】 ア サ ヒ 芸 能 、 ク リ ー ク 、 CREA、 現 代 、 サ ー カ ス 、 サ ブ ラ
週間現代、週間大衆、週間宝石、週間ポスト、週刊プレイボーイ、自由時間、
ス コ ラ 、 SPA! 、 タ ー ザ ン 、 宝 島 、 c hec km at e、 D EN IM 、 BIG TO MO RRO W 、
VI EW S、 FRID AY、 FL ASH 、 BRU TU S、 PL AYBO Y、 平 凡 パ ン チ 、 漫 画 サ ン
デー、毎日グラフ、マルコポーロ、メンズノンノ。
【女性誌】
a n ・a n、 ア レ イ 、 ク ロ ワ ッ サ ン 、 キ ャ ズ 、 コ ス モ ポ リ タ ン 、 週 間 女 性 、 主 婦 の
友 、 女 性 自 身 、 女 性 セ ブ ン 、 シ ョ ッ ピ ン グ 、 S AY、 日 経 ウ ー マ ン 、 no n ・no、
H anako、 婦 人 公 論 、 微 笑 、 マ リ ・ ク レ ー ル 、 MO RE、 ヤ ン グ レ デ ィ 、 W it h。
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【その他雑誌】
AERA、
AERA EN G LI SH 、 ACRO SS 、 ア サ ヒ 芸 能 エ ン タ メ 、 uno! 、 朝 日 ジ
ャ ー ナ ル 、 エ ス ク ァ イ ア 日 本 版 、 噂 の 真 相 、 O MN I、 カ ピ タ ン 、 か ら だ に い い
こと、クーリエジャポン、グッズプレス、経済界、激流、広告批評、寿、財界
展 望 、 サ イ ゾ ー 、 ザ テ レ ビ ジ ョ ン 、 SAPIO 、 サ ン デ ー 毎 日 、 実 話 G ON !ナ ッ ク
ルズ、週刊朝日、週刊新潮、週間時事、週間実話、週間ダイヤモンド、週間テ
ー ミ ス 、 週 刊 文 春 、 週 間 明 星 、 週 刊 読 売 、 JUNON 、 諸 君 、 新 潮 45、 ソ ト コ ト
臨 時 増 刊 、 D IM E、 た し か な 目 、 ダ カ ー ポ 、 チ ャ イ ル ド ヘ ル ス 、 調 査 情 報 、 テ
レ ビ ブ ロ ス 、 TO K YO 一 週 間 、 東 洋 経 済 、 ト リ ニ テ ィ 、 日 経 エ ン タ テ イ ン メ ン
ト、日系トレンディ、鳩よ!、日経ビジネスアソシエ、ニューズウィーク日本
版 、 BART、 FO CU S、プ レ ジ デ ン ト 、文 芸 春 秋 、放 送 文 化 、マ ン ス リ ー ウ ィ ル 、
マ ン ス リ ー エ ム 、 モ ノ マ ガ ジ ン 、 リ ー ダ ー ズ ・ダ イ ジ ェ ス ト 、 w ill 。
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