中部学院大学・中部学院短期大学部 研究紀要第 号( ) ミケランジェロの死生観に関する一考察 ―作品 「ピエタ」 を中心に― An Analysis of Michelangelo’ s Life and Death Beliefs through his Works on Pieta 片 桐 史 恵 Fumie Katagiri 本稿では、 多くの喪失体験をしながらも、 自分と向き合い、 様々な軋轢と格闘しながらも生涯現役の芸術家として、 自分自身の内面と向き合い自分自身と闘い続けたミケランジェロの生き様と、 その類まれな芸術作品をとりあげ、 死 をテーマとした作品と作家の関係性の中に何を見出すことができるのか検討した。 ミケランジェロが生涯の中で多く の作品を遺したが、 生涯に4体刻んだ 「ピエタ 1」 の作品の中から初作 「サン・ピエトロのピエタ」 と遺作 「ロンダ ニーニのピエタ」 を中心に作品の形成及び変容について言及し、 死生学の視点から考察した。 キーワード:ミケランジェロ、 死生観、 ピエタ 1. 序論 くを学ばせてくれるのではないか。 人間としての彼らの 苦悩・悲嘆・喪失は、 時代が流れても変わらず我々の苦 人類最古のアルタミラの洞窟絵画から現代美術のゲル 悩であり、 悲嘆である。 人間が誰しも直面しなければな ニカまで、 世にいう 「傑作」 は数多くある。 例えばミロ らぬ生と死の問題も昔も今も変わらず普遍的な問題であ のビーナス、 レオナルド・ダ・ビンチのモナリザ、 ボッ る。 芸術における死を中心に、 作品と作家の関係性のな チチェリのビーナス誕生、 ミケランジェロのピエタや天 かにおいて何を見出すことができるのか検討してみたい 井画、 カラヴァッジョのバッカス、 ベラクレスのラス・ と思う。 我々は人生の中で、 様々な喪失体験を経験する。 メーニース、 ドラクロアの民衆を導く女神、 モネの睡蓮、 転校や引越し及び、 進級や進学時の友人や教師との別れ ムンクの叫び、 ピカソのゲルニカ等が挙げられるであろ や、 離婚や退職そして、 愛する人との死別等、 今まで自 う。 傑作とは、 「天才の手による優れた作品、 あまりに 分と繋がっていたものと離されるその喪失体験は、 深い も独創的で素晴らしく、 絵なり彫刻なりのありきたりな 悲しみの感情となり我々を襲う。 それが強度となり病的 定義にあてはまらないもの 」 の事であり、 私たちが作 悲嘆に陥る場合は、 医療及び福祉従事者の介入が必要と 品に夢中になるのは 「自分でも説明がつかないからこそ なる危険性をはらむが、 喪失体験や悲しむ行為そのもの 納得がいくという、 やみくもな衝動に駆られてのこと 」 は、 本来決して忌むべき行為ではない。 との見解が示されている。 また、 ゲルニカに描かれた牛 本稿では、 多くの喪失体験をしながらも、 自分と向き の意味を尋ねられてピカソは、 「私の仕事は絵を描くこ 合い、 様々な軋轢と格闘しながらも生涯現役の芸術家と と世間の人たちはそこに自分の見たいものを見る。 何を して、 自分自身の内面と向き合い自分自身と闘い続けた 見るかは人次第だ 」 と答えたという。 この答えの意味 ミケランジェロの生き様と、 その類まれな芸術作品をと するところは、 絵を見る人の喜びの心・悲しみの心・不 りあげ、 死をテーマとした作品と作家の関係性の中に何 安な気持ち・苦悩・意識そして無意識に湧き出てくる想 を見出すことができるのか検討してみたいと思う。 ここ 像力が真の意味での 「傑作」 を創り、 維持してきたと言 では、 紙面の関係上、 ミケランジェロが生涯の中で遺し うことであろう。 まさに、 「傑作に生命を与え、 これま た多くの作品の中から、 生涯に4体刻んだ 「ピエタ 」 で生き永らえさせてきたものは、 大衆の想像力 」 であ の作品の中から初作 「サン・ピエトロのピエタ」 と遺作 る。 それは、 芸術としての文学や音楽にも共通し、 芸術 「ロンダニーニのピエタ」 を中心に作品の形成及び変容 作品はその作品に触れる人次第で様々な意味を持つもの について言及し、 死生学の視点から検討を加えるもので になるといえるのであろう。 そして 「傑作」 は作品とし ある。 て我々の感性を揺さぶり、 問いかけ、 癒しを与えてくれ るだけでなく、 作品を作成した作家自身の生き様から多 ― 35 ― 研究紀要 第9号 2. ミケランジェロの喪失体験と作品 「ピエ タ」 すぎるが、 かといってすっかり忘れてしまうには成長し すぎている 」 6歳という年齢で母親に死別したこの喪 失体験は、 ミケランジェロに生きていく不安、 自分をしっ ) は、 イタ かりと受けとめてくれる人を見出せない不安、 愛につつ リア・トスカーナのカプチョーゼのポデスタ であった ミケランジェロ ( まれてしっかりと見つめてくれる人の無い不安につながっ 父ロドビコ・ブオナロッティの次男坊として、 ていく。 ミケランジェロ作の聖母像の聖母のどれもが、 年3 月6日に生まれた 。 母親が病弱であったミケランジェ キリストを見つめておらず、 幼いキリストを抱く聖母マ ロは、 1歳で石工の家に預けられ、 その母親は3人目の リアも、 キリストの亡骸を抱く聖母も片手でしかキリス 弟を生んだ直後にこの世を旅立っており、 彼は母親の愛 トを抱いて支えていないという点に 「幼子イエスが、 母 情はおろか顔も知ることはなかった。 ミケランジェロは マリアのよそよそしい眼差しを虚しく求める 」 ミケラ 歳にして、 母親の死という大きな喪失体験をすること ンジェロ自身を見て取れる。 母の死という喪失体験は、 となった。 6歳のミケランジェロは父親と暮らすことに ミケランジェロの芸術作品に大きな影響を与えたと考え なるのであるが、 信仰深く、 エリート意識の強い誇り高 られる。 「サン・ピエトロのピエタ」 の完成は、 ミケラ き父にミケランジェロは生涯逆らうことはなく、 父の幸 ンジェロ せのためにあらゆる努力を惜しまなかった。 芸術の道に 母親喪失体験が色濃く出ている作品である。 歳から 歳にかけてであるが、 幼児期の彼の 「サン・ピエトロのピエタ」 の完成後、 ミケランジェ 進むことに関して反対であった父の意に反し芸術家になっ ロは多くの絵画や彫刻を完成させている。 あの有名な た事が、 唯一の父への反抗であったのだ。 その彼が、 芸術家としての名声をものにしたのは、 「ダヴィデ像」 を 歳で完成させ、 歳でシスティーナ 「神の如く素晴らしく奇跡的な作品 」 と称賛されてい 礼拝堂の天井画の依頼を受け、 法王ユリウス2世との軋 るサン・ピエトロ大聖堂の 「ピエタ」 である。 轢やその後の和解を経て、 この作品の完成度と芸術性を高く評価する論述は数多 天井画に着手し、 歳でシスティーナ礼拝堂の 歳で天井画を完成させている。 宗教 く見られる。 例えば 「悲しみにつつまれたマリアの衣の 改革やフィレンツェ革命の影響を受けながら、 人生への ひだ、 その膝によこたわる十字架よりおろされたばかり 不安と絶望、 信仰に絡む苦悩と懺悔、 苛立ちと恐怖、 悲 のクリストの全裸身、 このコントラスト!そのクリスト しみ、 権力者に屈し、 言うがままになるという屈辱感、 の裸體は、 最も純眞なる人間性が最も邪悪な暴力にわが 友人を裏切り自分だけが生き延びたことに関する罪悪感 生命をあたえることによって死せざる人類の希望を救っ など様々な感情の渦巻く中において、 作品に思いをぶつ たその苦闘のかがやきを、 解剖学的精密さのうえに、 死 けるが如く制作に打ち込んでいったのであろう。 このよ して生ける肉體と皮膚の光澤として表現している。 …中 うに数々の絵画や彫刻を手掛けていったミケランジェロ 略…神学的解釈としても最も驚くべき獨自の思想であり、 であるが 「ピエタ」 の制作は常に彼の喪失体験から生み ミケルアンジェロの思想家としての獨創を示したもので 出されている。 彼は あった 」 や、 「久遠に若い 父を、 処女 の膝の上に、 死せ 歳で弟の一人を亡くし、 歳で 歳でもう一人の弟を亡くし、 その同じ年に心の るキリストは眠れるように横たわっている。 清純なる女 拠り所としていた女性にも立て続けに先立たれたのであっ 神と受難の神の顔には天上の端厳さが漂っている。 けれ た。 ミケランジェロは、 深い悲しみの中で再び 「ピエタ」 ども、 またそこには言い現わしがたい憂愁が溶け、 二つ の制作に着手するのである。 の美しい姿を浸している。 悲哀がミケランジェロの魂に タ」 に取り掛かり始める。 歳で 「ドゥオーモのピエ 乗り移ったのであった 」 などである。 他にも作家の思 「ピエタ」 第2作目であるフィレンツェの 「ドゥオー 想やそれを表している作品の芸術性についての高い評価 モのピエタ」 は、 ミケランジェロが自分の墓の為に作成 については枚挙にいとまがない。 さて、 悲哀がミケラン したとの説もある。 「ドゥオーモのピエタ」 に関しては、 ジェロの魂に乗り移ったことによって、 この作品の芸術 「息絶えてくずれ落ちるようなイエス・キリスト、 それ 性は高まったのであるが、 その悲哀には幼くして母親と を支えようとする聖母マリア。 なんとリアルで、 それで 死別した深い喪失体験が関わっている。 老いることのな いて幻想的な作品だろう 」 と描写され、 「背後で二人 い若く清純な聖女マリアの姿に、 彼は6歳のときに死別 を支えようとしているアリマタヤのヨセフは、 ミケラン した自分の母親の姿を重ねているのである。 この作品の ジェロ自身…そこには、 死を見つめ神への深い思いを寄 下向き加減の聖母の表情は、 悲嘆にくれているようにも、 せる老人の姿がある 」 との解釈がされている。 未完の 諦めの表情にも、 或いは予言されていたキリストの死を 作とされている作品である。 そして現在フィレンチェの 受容した表情にも見えるし、 それとは相対する不安を拭 ドゥオーモ博物館に在るミケランジェロの 「ピエタ」 第 い去れないようにも見える不思議な複雑さを内包してい 3作目の 「パストリーナのピエタ」 は彼が る。 そして 「心を決めかねているような聖母の姿にミケ からの作品である。 このように 「ドゥオーモのピエタ」、 ランジェロの不安を認めることもできる 」 であろう。 「パストリーナのピエタ」、 最期まで彫り続けていたとい ミケランジェロが 「母の姿をしっかりと記憶するには幼 われる 「ロンダニーニのピエタ」 など晩年のミケランジェ ― 36 ― 歳を過ぎて ミケランジェロの死生観に関する一考察 ロを、 この深い悲しみを意味する作品 「ピエタ」 の制作 の粗削りの作品は、 ミケランジェロ最後のもので、 彼の に駆り立たせたものは、 悲嘆の克服と、 自らに訪れるで 思索の苦しみを伝えているかのようである 」。 ミケラ あろう死と向き合うという、 ミケランジェロの生と死へ ンジェロが迫り来る自らの 「 死 の真摯な思いであったと考えられる。 かに 死 を意識しながら、 い を克服するかという課題とこの像とを対比さ ミケランジェロの遺作であり、 「ピエタ」 第4作目で せていたかを物語る 」 作品である。 ミケランジェロが ある、 「ロンダニーニのピエタ」 は、 ノミのあとが見て どのように 「ロンダニーニのピエタ」 を 「死」 の克服の 取れる程に粗削りであり、 歳で大理石を細部にまで磨 像に変えようとしたのかについて、 筆者は二つの観点を き上げた 「サン・ピエトロのピエタ」 を作った同じミケ 指摘したい。 一つは、 「まるでこの二人が一体になって ランジェロの作品とは思えない作風である。 これは、 ミ いるかのように見える。 …つまり二人が二つの石のブロッ ケランジェロが晩年にかけて視力を悪くするとともに、 クからつくられているのではなく、 完全に一つのブロッ ノミを持つ力も弱まる程の体力の衰えが大きな原因だと クになってしまっている 」 ところである。 二つの身体 されているが、 そのような身体的限界による未完成とい は互いに融合し、 両者の境目は区別がつかない、 生ける う単純な 「未完」 なのであろうか。 彼は敢えて 「未完」 マリアと死せるキリストが合体しているということは、 であることで完成とし、 「未完の完」 をよしとしたので 言い換えれば生と死は一体であることを物語っている。 はないだろうか。 ミケランジェロの完成と未完成に関し もう一つの観点は、 この作品におけるマリアとキリスト ては、 「ミケランジェロは、 この世での完成に近づく作 それぞれの在り様である。 「サン・ピエトロのピエタ」 品を眼前にして、 完成してしまうことがいかにイメージ にあっては 「死せるキリストは聖母の膝の上に横たえら を限定してしまうかを知っていたのであろう 」 や 「未 れており、 強調されているのは聖母であった 。」 しか 完成といわれる部分にこそ、 むしろミケランジェロのイ し 「ロンダニーニのピエタ」 にあっては 「死体の受動的 メージの全体像をホログラフィのように浮かすことがで な重みと聖母という生きている人物によってなされる努 きるのかもしれない 」 などの論評がある。 「ミケラン 力との間にある、 著しい対象を除去してしまった。 キリ ジェロの作品は晩年になるにつれ、 完成から遠ざかり、 ストのほっそりとした身体は、 足が折れ曲っているので ミラノの<ロンダニーニのピエタ>では、 未完の部分が 足によっては支えられないはずであるが、 重力の法則を 全体を支配するようになる。 それゆえ私たちはこの部分 克服して、 依然として真っすぐに立っている。 一方、 マ と部分から無限で崇高なイメージが投影されるのを発見 リアの像の方は、 キリストにもたれかかることによって するのである。 だから未完と思われている部分は、 ミケ 支えを求め、 今や生気を失っているキリストの肉体から、 ランジェロの完全像から見れば、 実は作品としては、 そ 生の暖かみを引き出そうとしているように思われる 。」 のままで完結した形体であり、 自立した一つの表現形式 ここでは、 生けるマリアがむしろキリストにもたれかかっ にさえなっているのである 」 との論評もあるように、 ていて、 死せるキリストが足は曲げているものの立った 「未完」 こそが人生の終末にたどり着いた作者の人生観・ 形でマリアを支えている。 この構図の意味するところは、 人間観の表れなのではないだろうか。 人間はどこか欠け 死は生を支えるものとして位置づけられていて、 死は死 ているもの、 つまり、 人間は未完の生き物であって、 創 んだままに終わっていないで、 むしろ生に働きかけ生を 造主である神のみが完全であり、 未完である人間の造る 生かしていると解釈できるのである。 さらに不思議なの ものは所詮未完であるとするミケランジェロの信仰・人 は、 前方からはマリアは背後からキリストに自分の重心 間観そして作品観に基づくものと理解することができる。 をかけて覆いかぶさっているように見えるのに、 角度に また、 人間は自らの万能感を棄てた時、 自分をも周りを よって合体した二人の重心が上へと上がっていく流れを も受容することができるとの考えに至った表れとしての 感じさせることである。 ミケランジェロの心にいつも存 作品なのではないだろうか。 この作品を通して、 芸術家 在している一つの衝動が上へと流れる形となったのであ として及び一人の人間としての自信と不安、 許しと怒り、 ろうか。 彼は 「 私は天に昇ることを憧れ 、 愛と憎しみという、 相対する感情のせめぎあいから放た も天に向かう衝動をもち…… と詩の中で詠んでいる 」 れ、 彼は精神的自由を得たのかもしれない。 つまり、 ように、 天に向かう衝動をもち続けた芸術家であった。 「私たちは、 無心あるいは、 限定しない状態で、 出来事 サンタピエトロのピエタにあっては生けるマリアの膝の の前に立つと、 それまで気がつかなかった世界の広がり 上でキリストは死せる姿で身を横たえているが、 自らの と自分自身の自由さを見出すことができる 」 存在であ 終末期における作品 「ピエタ」 にあっては、 生と死を分 るから、 ミケランジェロ自身も死に向き合うという無心 かちがたいものとしてキリストとマリアを合体させ一つ の心で、 完成という枠に制約されず、 可能性を含んだ未 になったものにしている。 作品からは、 ミケランジェロ 完という状態にとどめおく 「ロンダニーニのピエタ」 の が死を肯定的に受容しているかのような印象を受ける。 作成を通じ、 自らの魂を解き放とうとしていたのではな ミケランジェロは晩年生と死についてどのように捉えて いだろうか。 いたのであろうか。 彼の晩年をたどりながら、 彼の死生 「まるで何の制約も主題もない、 現代彫刻のようなこ 観について考察することとする。 ― 37 ― 私はいつ 研究紀要 第9号 3. ミケランジェロの死生観 で外出しようとしたり、 身体の極限を感じながらも、 あ えて床に就くことをしなかった。 ミケランジェロが 「やっ ミケランジェロは、 年と 年と度重なる重い病 におそわれた。 そして、 ミケランジェロが 歳代に入っ てからは、 弟たちや親友たちを相次いで亡くしている と床につくことを承知したのは死の前前日であった 」 と記述されている。 年2月 日金曜日の夕方の五時 ごろ友人や召使いと医師ら総勢6名に見守られてミケラ 。 晩年のミケランジェロ自身は死をどのように捉えて ンジェロは、 その 「聖い悩みに満ちた生涯 」 を終えた。 いたのであろうか。 親友らに宛てた手紙からその一端を 死を迎えたときミケランジェロは実に 歳になっていた。 窺い知ることができる。 年ヴァルキ宛ての書簡で ヴァザーリはミケランジェロの死 について、 次のよ 「私は年老いたばかりでなく、 死者の仲間入りもしてい うに述べている。 「主治医がいろいろ手当を施したにも ます 」 と書き、 歳のとき、 かかわらず…病は悪化した。 そこで彼は、 はっきりとし 「私の考えには死が刻みこまれていないものはない 」 た意識で、 魂は彼に委ね、 肉体は地に返し、 資産は最も と画家で親友のジョルジョ・ヴァザーリに語り、 同年ヴァ 近い親族たちに譲る旨、 三箇条の遺言を行った。 それか サーリ宛ての書簡においても、 「私もいよいよ生涯の最 ら彼は、 死ぬ間際には自分にイエス・キリストの受難を 後の瞬間に到達しました 」 そして、 「芸術は私に栄光 思い起こさせてくれるようにと友人たちに告げた」 のだ。 を許し与えながらも、 私をこのような成れの果てにした。 死の6日前にも手を加えていたのは、 イエス・キリスト 老いて苦しみ悩む哀れな身は、 もし死が早く来て救いを の受難を心に刻み、 その思いを作品に一層込めるためで もたらさなければ、 身も心も尽き果てるだろう。 …疲労 はなかったのか。 イエス・キリストの受難とは、 人間の は私を四つ裂きにし、 引き千切り、 打ちくだいた。 こう 罪、 苦悩、 悲嘆、 老病などすべてを人間に代わって受け して私の行く手にある宿場は―死である 」 と詩に託し ることである。 イエス・キリストが十字架上で死ぬこと て老病を嘆きつつも死に救いを見出し、 安らかに眠れる によって自分の苦悩や老病などを背負って下さるその意 宿場として死を位置づけている。 味において、 キリスト者であるミケランジェロにとって 年ミケランジェロ 年、 友人ヴァザーリに宛てた手紙では、 「彼は生 は、 イエス・キリストの受難を心に刻むとは、 感謝と喜 存中私を生かしていてくれ、 そして死んで彼はわたしに びと希望を心に刻むことに他ならないと理解することが いかにして死すべきかを教えてくれました。 後悔をもっ 出来る。 てではなく死への望みを持って死ぬこと 」 を教えてく 重い病や老齢からくる肉体的衰えと闘いながら、 ミケ れたと記し、 ミケランジェロはその手紙の中で友であっ ランジェロは 「ロンダニーニのピエタ」 のキリストとマ たウルビーノの死の損失 (いたで) の重さと限りない悲 リア像では肉体的な美しさを極限までそぎ落として彫っ 痛に言及しつつも、 彼の死に感謝している。 そして 「死 ていった。 そうすることによって彼はピエタに一層精神 への望みをもって死ぬ」 とは、 死はもはや怖れや絶望で 的な高みを込めようとしたのである。 すなわち 「精神の はなく望ましいものと捉えている表現である。 また 「彼 輝きの力に、 肉体の強さや美しさを従属させたのである。 と天国において再び会える望み、 …そして神は彼のいと この二人の彫像の外観からは、 あらゆる肉体の強さや美 もやすらかな死の中にそのことの微を与え給うた 」 と しさが失われているように見える 」 のは、 ミケランジェ 書き残している。 ミケランジェロ自身 歳を過ぎ、 老衰 ロが憧れにも近い思いとしての‘肉体の死に勝る精神的 と病に悩む中で、 友人の死に向き合う姿から、 心ならず な生’への思いを作品の中に込め続けていたと思われる。 も死ぬのではなく、 喜んで死を迎えることの大切さを痛 ミケランジェロの一生を顧みれば、 幼き日の母親への 感し、 また、 友人が幸福感に包まれて死に赴いたことで、 愛と死別による愛の喪失、 長じては芸術家ミケランジェ 神が、 天国での再会の希望のしるしをお与えになったの ロと教皇との葛藤と友情、 友人への愛と裏切り、 肉体美 だと感じたのであろう。 そのような境地で、 への軽重、 甘美と力強さ、 均衡と不均衡、 静と動、 肉体 歳の生涯 を閉じるその最期の時まで 「ロンダニーニのピエタ」 を と精神、 生と死など相対するものの狭間で、 揺れ動き、 彫り続けたのである。 「われわれは、 死ぬ一週間前にあっ 苦悩しながら、 自らの魂の上昇を求め続けた。 「人間の てもミケランジェロがいまだ《ロンダニーニのピエタ》 魂の上昇を明らかにする道具として人体を用い…しかし を粗削りしていたのを見てきた 」 と友人が語っている 肉体は滅びるのが必定で、 …魂は裁判を受けなければな 通りである。 死は生を生ならしめるもの、 それがミケラ らぬ…彼は罪の意識にいっそう縛られていった…だが、 ンジェロの死生観であり、 精神的生命を作品に得させる 彼の想像力のうちでは、 肉体と魂は分離不能であり、 そ ために祈りの中で彼は作品を彫り続けたのである。 れら同士の闘いの中で必然的に統一されていた 」 と言 年になると われているように、 一見相容れないものとして相対して ミケランジェロの病気は急に重くなった 」 との記録が いるかに見える死と生を、 晩年のミケランジェロは、 一 あるが、 ミケランジェロは亡くなる6日前の 年2月 つの融合されたものとして捉えていたのではないか。 そ 日に発熱後 して、 「生と死、 病気と健康は、 われわれ人生にとって 日には麻痺状態を悩みながらも、 馬 決して、 対立し合い、 相互に排除し合うものではなくて、 ミケランジェロの終末については、 「 日に、 終日 ピエタ も散歩に出たり、 に向かっており、 ― 38 ― ミケランジェロの死生観に関する一考察 両者を受け入れ、 それぞれの価値を含めること、 …中略… 人間をあるがまま受け容れる完全なる神への彼の信仰が つまり、 生の中に死を包含させ受け入れるといった全体 「ロンダニーニのピエタ」 の作品の基盤であり、 芸術家 的、 包括的視点を導入することこそが、 真の意味での癒 としても彼はあの状態を作品の完成とみなしたのではな しにつながることを示唆しているように思う。 …中略… いだろうか。 この頃、 同じように高齢であった親しい友 癒しを差し示す言葉 人の死に向き合う姿が、 聖なるのもの どっていくと、 は、 救済 回復 和解 を意味するだけでなく、 その語源をた 、 すなわち 完全な 全体の 歳を過ぎ一層老衰と病に悩 んでいたミケランジェロに与えた影響にも心を留めてお と きたい。 友人が幸福感に包まれて死に赴いたことで、 死 いった意味をも含有していることが知られている 」 と に抗うのではなく、 喜んで死を迎えることの大切さを痛 されるその意味において、 魂の救済と喪失からの回復、 感し、 神が、 天国での再会の希望のしるしをお与えになっ そして芸術と神への怯むことのないひたむきなまでの探 たのだと感じたのであろう。 死の6日前にも手を加えて 求の過程で癒しへと導かれていったと考えることができ いたのは、 イエス・キリストの受難を心に刻み、 その思 る。 苦悩の連続であったミケランジェロが、 苦悩に癒し いを作品に一層込めるためではなかったのか。 イエス・ を見出せたのは、 「病も死も生もありのまま受け入れ、 キリストの受難とは、 人間の罪、 苦悩、 悲嘆、 老病など その闇と光、 病気と健康、 死と生の二元論的葛藤そのも すべてを人間に代わって受けることである。 イエス・キ のを洞察し、 認知し、 克服しようとする人間の生の営み リストが十字架上で死ぬことによって自分の苦悩や老病 の全体つまり、 そのプロセスそれ自体の中に、 真の意味 などを背負って下さるその意味において、 キリスト者で の癒しがあったと考えること 」 ができたからであろう。 あるミケランジェロにとっては、 イエス・キリストの受 既述のロンダニーニのピエタをして 「すでにもはや余命 難を心に刻むとは、 感謝と喜びと希望を心に刻むことに 数日にせまっているのに−打砕かれゆく大理石のとりと 他ならないと理解することが出来る。 重い病や老齢から めもない階程の一つ一つに、 内在的な精神の在処を探し くる肉体的衰えと闘いながら、 ミケランジェロは 「ロン 求めている。 震えるその手のもとで、 地上的なイメージ ダニーニのピエタ」 におけるキリストとマリアの肉体的 と地上的な実体とが融け合っている。 キリストとマリヤ な美しさを極限までそぎ落として彫っていった。 そうす は、 今や彼に求められる人間共通の精神性に融和し、 … ることによって彼はピエタに一層精神的な高みを込めよ 臨終に際して、 天から訪れてきた平和のうちに、 彼の戦 うとしたのである。 ミケランジェロが憧れにも近い思い いは、 すでに終わりをつげていた。 」 と言わしめている。 として抱き続けた 肉体の死に勝る精神的な生 への思い を作品の中に込め続けていたと思われる。 4. 結語 ミケランジェロの一生を顧みれば、 幼き日の母親への 愛と死別による愛の喪失、 長じては芸術家ミケランジェ 数々の絵画や彫刻を手掛けたミケランジェロであるが ロと教皇との葛藤と友情、 友人への愛と裏切り、 肉体美 数々の 「ピエタ」 は常に彼の喪失体験から生み出されて への軽重、 甘美と力強さ、 均衡と不均衡、 静と動、 肉体 いた。 特に、 この世での生命の灯が燃え尽きるまで彫り と精神、 生と死など相対するものの狭間で、 揺れ動き、 続けていたと言われる 「ロンダニーニのピエタ」 の制作 苦悩しながら、 自らの魂の上昇を求め続けた。 そのよう に彼を駆り立てたものは、 自分自身の悲嘆の克服と、 ま な境地で、 89歳の生涯を閉じるその最期の時まで 「ロ もなく自らに訪れる死と向き合う中で、 一層深まってく ンダニーニのピエタ」 を彫り続けたのである。 死は生を る生と死への真摯な思いであったと考えられる。 「ロン 生ならしめるもの、 それがミケランジェロの死生観であ ダニーニのピエタ」 は 「未完」 の作品といわれているが、 り、 祈りの中で精神的生命を得させた作品が、 「ロンダ 「未完」 こそが人生の終末にたどり着いた作者の人生観・ ニーニのピエタ」 なのである。 人間観の表れなのではないだろうか。 人間はどこか欠け ているもの、 つまり、 人間は未完の生き物であって、 創 注 造主である神のみが完全であり、 未完である人間の造る ものは所詮未完であるとするミケランジェロの信仰・人 「ピエタ」 の定義については、 山元一郎 ミケラン 間観そして作品観に基づくものと理解することができる。 ジェロの怖れ また、 人間は自らの万能感を棄てた時、 自分をも周りを 「ピエタという語は、 独特の歴史的用法をもっている。 も受容することができるとの考えに至った表れとしての 聖母マリアが十字架からおろされたその子クリストを 作品と解釈することもできる。 この作品を通して、 芸術 抱いている構図を、 クリスト教徒は、 ふるくからピエ 家として及び一人の人間としての自信と不安、 許しと怒 タとよんできた。 そこには、 信仰、 敬虔、 孝心、 恭順 り、 愛と憎しみという、 相対する感情のせめぎあいから などの語義的な意味のほかに、 悲嘆、 哀哭などの意味 放たれ、 彼は精神的自由を得たのかもしれない。 自らが も込められてきた。 とくに近年の芸術家が描いたピエ 負う病や老い、 そして避けがたいものとして死に向き合 タには、 その子を十字架に死なせなくてはならなかっ う過程の中で、 未完成であり続けるしかない人間、 その た母の、 少なくとも人間としては堪えがたい悲痛な嘆 ― 39 ― 法律文化社 ( 年) 頁において、 研究紀要 第9号 きを強調したものが少なくない。 と同時に、 彼女がほ かならぬ聖母マリアであるかぎりは、 どのような運命 前掲注8) 古川秀昭著 「美のいろいろ―状態― をも神に与えられた使命として堪えぬこうとする信仰 と全体 の情熱も、 ピエタの不可欠の要素である」 と記述され ゆ」 2号 アメリア・アレナス著 に夢中になるのか 木下哲夫訳 淡交社 ( 頁 年) 前掲注2) 人はなぜ傑作 前掲注 ) 頁 前掲注 ) 頁∼ タ」 久保尋二・田中英道編 頁 学館 ( 前掲注2) 法律文化社 ( 年) 年) ミケラン 前掲注 ) 頁において、 前掲注 ) 「ピエタ」 の定義については、 山元一郎 ジェロの怖れ 「ピエタという語は、 独特の歴史的用法をもっている。 聖母マリアが十字架からおろされたその子クリストを 芸術と思想 人文書院 ( 前掲注 ) 頁 前掲注 ) 頁 などの語義的な意味のほかに、 悲嘆、 哀哭などの意味 ロマン・ロラン著 生涯 年) みすず書房 ( モンドを亡くしている。 をも神に与えられた使命として堪えぬこうとする信仰 前掲注 の情熱も、 ピエタの不可欠の要素である」 と記述され 前掲 ている。 前掲注 ) 頁 前掲注 ) 頁 ナロティ=シモーニ ( 年) ブリタニカ ( 頁においては、 都市の駐在 行政官と訳している。 青木昭著 ロ 河出書房新社 ( ロマン・ロラン著 涯 図説 ミケランジェ 年) 前掲注 ) ( 年) ハワード・ヒバート著 ケランジェロ ) 頁 頁では、 市長と訳して ミケランジェロ 河出書房新社 中山修一・小野康男訳 法政大学出版局 ( 前掲注 ミケランジェロ 頁 ) 頁では町の監督官と記載 年) 8頁 ミ 頁 年) ミケランジェロの死について、 フランク・B・ギブ ニー編 ブリタニカ国際大百科事典 エス・ブリタニカ ( 年) ティービー 年2月 頁では、 「 日、 ダニエレ・ダ・ボルテラが、 終日 ピエタ の 制作に従事する師匠の姿を見ている。 その2日後ミケ 田中英道共同訳 平川祐弘・小谷年司・ ルネッサンス画人伝 白水社 羽仁五郎著 ミケルアンジェロ 岩波新書 ( ランジェロは病に倒れたのであるが、 微熱をおかして 戸外を歩き回った。 それから二日間病床に伏しただけ 年) 頁 で、 年2月 日、 彼は多くの友人や医師に見守ら れながら世を去った。 教皇は、 サン・ピエトロ大聖堂 ロマン・ロラン著 生涯 術名著選書 頁 ジョルジョ・ヴァザーリ著 頁∼ 岩崎美術社 (美 頁 いる。 本論においては、 ポデスタと記すこととする。 ( ミケランジェロ ) 年) 図説 高田博厚訳 伝−付・ミケランジェロの詩と手紙 ) の生涯 青木昭著 頁 前掲注 高田博厚訳 岩波新書 ( ) 前掲注 し、 ロマン・ロラン著 年には末の弟ジズ 頁 ミケランジェロの生 年) 8頁では、 村の村長訳し、 蛯原徳夫訳 みすず書房 ( ) ・コンディヴィ著 ティービーエス・ 年 年にセバスティアーノ・デル・ピオンボ、 かならぬ聖母マリアであるかぎりは、 どのような運命 ポデスタという語を、 フランク・B・ギブニー編 ミケランジェロの 頁 に弟のジョヴァン・シモーネ、 ブリタニカ国際大百科事典 頁 年にルイジ・テル・リッチオ、 きを強調したものが少なくない。 と同時に、 彼女がほ ) 年) 蛯原徳夫訳 記録によると、 た母の、 少なくとも人間としては堪えがたい悲痛な嘆 正式名は、 ミケラニオーロ・ディ・ロドビコ・ブオ 小 世界美術大全集 シャルル・ド・トルナイ著 上平貢訳 ミケランジェ ロ タとよんできた。 そこには、 信仰、 敬虔、 孝心、 恭順 タには、 その子を十字架に死なせなくてはならなかっ ロンダニーニのピエ 頁 抱いている構図を、 クリスト教徒は、 ふるくからピエ も込められてきた。 とくに近年の芸術家が描いたピエ 部分 年9月 ) 田中英道著 「ミケランジェロ 前掲注2) 例えば 未完成と完成 」 岐阜県美術館後援会誌 「あ 前掲注 ている。 頁 岩波新書 ( 高田博厚訳 年) ミケランジェロの 頁 に埋葬するように希望したが、 ミケランジェロの甥で 相続人のレオナルド・ブオナロティが遺骸をフィレン 前掲注2) 頁 ツェに運び、 サンタ・クローチェ聖堂に埋葬した。」 前掲注2) 頁 との記載がされている。 前掲注2) 頁 前掲注8) 頁∼ 前掲注 頁 ) 頁 ケネス・クラーク著 富士川義之訳 名画とは何か ― 40 ― ミケランジェロの死生観に関する一考察 白水社 ( 年) 前掲注 頁 平山正実 「悲嘆体験者にどうかかわるかーその自立 の過程を通して考えるー」 臨床死生学 3 ( 年) フレデリック・ハート著 シリーズ 頁 頁 ― 41 ― ) ミケランジェロ 大島清次訳 世界の巨匠 美術出版社 ( 年)
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