講演会詳細はPDF参 - ラテンアメリカ連帯経済研究会

講演:「連帯経済を通してみる現代民主主義の課題」
中野佳裕(国際基督教大学)(概略)
◇連帯経済理論そのものを議論する前に捉えておく必要のあること
1. ラテンアメリカの地域研究の立場
フランスのジャン=ルイ・ラヴィルが理論化している連帯経済という枠組みに、あまり引っ張
られすぎない方が良い。なぜなら、ラテンアメリカには独自の経済の実態があり、そこから社会
科学のテーマとして連帯経済が出てきている。もともとラヴィルが連帯経済を、80 年代末から
90 年代初頭にかけて、フランスで研究プログラムとして立ち上げた頃は、ラテンアメリカには似
たような研究がなかった。たまたまラヴィルが 2002 年にブラジルのポルトアレグレで開催され
た「世界社会フォーラム」で連帯経済のパネルを作ったときに、実はラテンアメリカでは別の名
前で似たような研究が行われてきていて、それならば一緒にやろうとフランスとラテンアメリカ
の間で連帯経済の共同研究等が、ゆるいネットワークで始まった。そういう背景があるので、実
はラテンアメリカの立場からオルタナティブな経済を考えるときには、特に過去の文献とかを拾
っていくと、連帯経済以外の名前で、今「連帯経済」といわれている色々な運動が研究されてい
るということもある。
2. 社会科学の国際的な流れの中で起こった研究の方法論の変化
1980 年代から 90 年代の間に、特に現代経済の批判的研究の方法論を刷新する動きが左派系研
究者から長く提案されてきた。日本では研究者を左派か右派か、そんなに明確に分けるのはあま
り好まれないのかもしれないが、ラテンアメリカやフランス、イギリスでは、研究者といえども
右派か左派か、保守か左派かを明確に定義するのは当然である。そういう左派系の研究者から出
てきた背景が大事である。
1980 年代ぐらいになると、それまで左派の社会科学を支えてきたマルクス主義理論が、現実に
おいても、また学問の研究の場においても批判にさらされてきた。マルクス経済理論がいうよう
な共産主義革命の道は普遍的な道ではないというのと、実際にヨーロッパで確立したソビエト連
邦や、ユーロコミュニズム、共産主義体制というのは、民衆を解放するどころか、民衆を苦しめ
る権威主義的な体制であって、70 年代になってくると、マルクス主義理論に対する信頼が左派の
中でも崩れてきていた。他方で、1970 年代というと、メインストリームの開発政策の中では、そ
ろそろケインズ経済学が批判にさらされて、新古典派理論による新自由主義経済政策が提案され
始めていた。新自由主義政策が実際に政策して大胆に使われ始めたのが、1982 年のメキシコの債
務危機以降の流れで、先進国も途上国も新自由主義的な考え、政策によって社会を運営していく
というのが段々主流になってきていた。他方で新自由主義が立ち上がって台頭し、もう一方で左
派の思想や運動の支柱であったマルクス主義が衰退していくという背景があったのである。そう
いうなかで、資本主義を批判的に分析してきた左派の学者たちの中で、資本主義の分析方法を変
えなければいけないという意識が生まれてきた。そして、世界各地で様々な研究プログラムが立
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ちあがってきたのである。
◇新しい研究プログラムに共通する問題意識
ポスト開発は、フランスで一足早く始まり、その後ラテンアメリカとかアジア、インド、西アフリカ
などでも同じような研究が行われるようになった。民衆経済(「エコノミー・ポプラル」)というのは、連
帯経済という言葉で括られる以前にラテンアメリカで主流となっていた呼び方である。英語圏でも似た
ような動きがあり、主に 90 年代以降「ダイバース・エコノミーズ」という名前の下で、オルタナティブ
な経済を研究する動きが出てきた。
「ダイバース・エコノミーズ」を言い始めた人がギブソン・グラハム
である。
研究の方法論は多種多様である。例えば、フランスの連帯経済や反功利主義運動の流れは、主にカー
ル・ポランニーとかマルセル・モースといった人類学の研究を再検討して、市場以外の経済のあり方を
研究し始めた。ポスト開発は、カール・ポランニーやマルセル・モースなどの人類学の知見を生かして
取り入れつつも、例えば「ポストモダン思想」や「ポストコロニアル批判」といった研究、あとは「エ
コロジー思想」なども取り入れながら、経済開発が生み出す様々な格差や差別、人間疎外を批判してい
った。
「ポスト開発」の射程は一番広く、経済の批判だけでなく科学技術の批判とか、コロニアリズム、
植民地主義がもたらした文化帝国主義の批判など全部含んで研究してきている。
南米の民衆経済は、主にインフォーマルセクターの研究やインフォーマルセクターが注目される前に
よく議論されていたラテンアメリカの中での周辺化された人たち(マージナリティー)―特にそれが植民
地主義の痕跡などを背負って生まれた周辺化された人たちの実態の研究、そして従属理論
(dependendistas)など、1960 年代、70 年代の資本主義批判の流れも踏まえた上で出てきている。ギブソ
ン・グラハムが英語圏で提唱した多様な経済(「ダイバース・エコノミーズ」)は、主にポストモダン思想
の影響を受けている。特にギブソン・グラハムはフェミニストのため、フェミニズムの立場から資本主
義を批判的に検討するという動きが出てきたのである。
依って立つ理論や背景は違うが、これらの新しい研究プログラムの中には共通の認識がある。それは
当時メインストリームとなっていた自由市場経済に基づく資本主義の理論・思想の前提つまり自由主義
思想の前提そのものをどう相対化するか、覆していくかという問題意識であった。
◇自由主義・資本主義の問題点を捉える共通の視点
□自由主義・資本主義の問題点:
1. 自由主義の言説だと、資本主義システムの中でつくられた市場経済が唯一の経済システムである
という前提がある。市場経済のグローバリゼーションが歴史の必然である、という考え方を持っ
ている。つまり、市場経済万能主義。言い換えれば近代経済の歴史をみると、市場経済が拡大し
てグローバル化していく歴史だという歴史観を持っている。
2. 経済と政治の関わり方あるいは経済と公共性の関わり方。自由主義の思想のもとでは、基本的に
経済というのは民間の私的領域であるので、公共空間・公共性に関わる政治とは別物である、と
いう考え方がある。
1.に対して:今日紹介した 5 つの研究の潮流は、この自由主義・資本主義の歴史観に関して間違ってい
ると言っている。なぜなら市場経済が拡大していく中でも、それぞれの地域の文化の伝統や社会背景の
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中で、市場経済とは異なる、あるいは資本主義的ではない経済活動が営まれてきたし、現在もまた民衆
の生存戦略として営まれてきている。そういった多様な経済活動、資本主義市場経済とは異なる経済活
動に着目し、それらの実態に光を当てる必要がある。経済というのは、実際は単一で均質なシステムで
はなくて、多様な形の経済が共存して営まれており、それが現代世界であるとこれらの研究の潮流は主
張している。
2.に対して:ラヴィルの連帯経済論で言われているが、自由主義経済思想では、経済とは私的な領域で
民間企業等が自発的に活動して営むものであり、政治と経済が切り離されている。したがって、政府が
経済を計画することは可能な限り行わない。もしそうした自由主義の考え方にのっとるならば、例えば
貧困や社会的弱者の救済は、民間の中で慈善団体(フィランソロピー)
、アソシエーション、NPO などを
自主的につくって民間どうしで助けることが理想である。それでも助からない人、そういう場合にのみ
政府が援助や保護をする。あるいは新自由主義的な発想だと、そういう政府の保護はまったく要らない
という発想にもなる。基本的に社会的弱者の救済というのは、民間の中で慈善団体をつくって、それが
救済・保護を行えば良いという発想になるわけである。つまり、経済というものが公共的な問題である
という問題設定が、自由主義の思想、あるいはそれに基づく自由主義の社会の中では著しく欠けてしま
うわけである。
ラヴィルは、自由主義の国の中で生まれたそういう弱者救済の考え方をフランス語で「 solidarité
philanthropique」と呼んでいる。つまり、今まさしく言った慈善事業による連帯である。ラヴィルが提唱
する連帯経済理論というのは、自由主義の中で当たり前となっている慈善団体などが NPO などをつくっ
て慈善事業として弱者を助けるという連帯概念を批判しているのである。この考えを批判するために出
てきたのが、フランスの連帯経済である。
◇ラヴィルの連帯経済論のもととなる原理
□理論的背景①:
「近代民主主義の誕生」
ラヴィルの連帯経済の理論的背景を考えるときに、
「近代民主主義の誕生」というテーマまで立ち返
らなければならない。近代民主主義のテーマとは、
1.「民衆による社会の統治」
2.「条件の平等」(人権など)
である。特に、2 の平等というのが近代民主主義の中では「権利」という形で具現化された。典型的な
例がフランスの人権宣言であり、全ての人間、市民は等しく権利を持っているとされた。ところが 19
世紀に入って自由主義的な資本主義が広がり、ヨーロッパ諸国で産業革命が進むと、その中で主に二
つの問題が生じてきた:
1.資本主義の発展過程で引き起こされる不平等などの社会問題(格差、児童労働・長時間労働)
2.民衆が経済を動かす労働者という立場へと還元
特に 2 について、本来民衆は社会を統治する主体であるべきなのに、資本主義が拡大発展すると、今
度は経済システムを維持することが社会の目標になり、社会を統治する自由が減っていった。つまり
目的と手段の逆転である。本来経済とはあくまで民衆が社会を統治して民主主義的な社会を成熟させ
るための一つの手段であったはずだが、経済が拡大していくと、経済システムが先にありきで、それ
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をどう維持するかということに民衆が翻弄されるようになってしまった。
そういった資本主義の中で生まれた不平等などを克服する動きが、イギリスではオーウェンの協同
組合運動やウィリアム・モリスの工芸運動のような形で出てきて、他方でフランスではピエール・ル
ルーの社会主義やレオン・ブルジョワの連帯主義という考え方、思想のもとで出てきたのである。
□理論的背景②:ピエール・ルルーの社会主義「morale sociale」
フランスの社会主義の生みの親と言われているピエール・ルルーが、19 世紀半ばにフランスの社会
主義に言及した際、一番強調したのが「morale sociale」(フランス語)である。これは日本語で「社会的
な倫理」と訳されるが、資本主義が広まることによって起こる不平等を克服するために、何らかのス
ピリチュアルな、精神的なレベルでの市民同士の連帯というのが必要だとされた。これはとても大事
なことで、19 世紀フランスの社会主義の最も根本的なところには、
「精神的な側面での連帯」というの
が強調されていたということである。したがって、フランスで社会主義とか、その後に出てきた連帯
を言うときには、ただ単に政策として制度をどうすべきか、あるいは経済システムをどう変えるべき
かというレベルだけでなく、もっと根本にある社会がどうあるべきかという価値観や理念の部分、集
団の精神の部分で連帯や倫理がどうあるべきか、というところまで議論するのである。
□理論的背景③:レオン・ブルジョワの連帯主義「dette sociale」
フランスの連帯主義の生みの親と言われているレオン・ブルジョワは、連帯主義の場合「dette sociale
=社会的な負債」ということを強調している。現在の世代が教育を受けたり、衛生的な水を飲むこと
ができたり、基本的な食べ物や生活雑貨などを入手できる社会に暮らすことができるのは、前の世代
が社会的な制度や条件を残してくれたためである。その意味で、現在の世代というのは前の世代に負
債を抱えている。では、現在の世代は、その負債をどのように返せばいいのか。前の世代に返すこと
はできないため、来るべき将来世代が同じように人間らしい基本的ニーズや生活条件を享受できるよ
う将来世代に向けて前の世代から預かった債務、負債を返していく必要があると考える。つまり、将
来世代の生活条件を現在世代が整えていく社会的責任があるのだ。これが「dette sociale」(社会的債務)
という考え方である。フランスにおける連帯主義は、この「社会的負債」という考え方を基本にして
いる。つまり、社会的負債を前の世代から受け取り、将来世代に返す。時間軸においてもフランス社
会に住む市民が繋がっていくと考えているのである。将来世代のための生活条件を整え、格差が広が
らないよう現在進行しつつある格差を少しでも是正していくための対策をとるときに、どのような行
動をとればいいか、ということが問題になってくるのである。
◇「民主的な連帯」(「la solidarité democratique」)と連帯国家
□フランス版連帯国家へ
ピエール・ルルーやレオン・ブルジョワが活躍していた 19 世紀後半、フランスでは各地域で協同
組合やアソシエーションの運動が広がりをみせていた。それぞれの地域で市民が自主的に組織をつ
くり、経済が生み出す不平等の是正などに取り組もうとしていた。そういう背景があったことを踏
まえた上で、市民の自主的な運動をさらに強めていくためには、国家がもっと前面に出てフランス
社会全体をより公正な社会にしていくような政策を打たねばならないと考えられるようになった。
そして、19 世紀末に民間企業の活動に対して税金を取り、それを財源として効果的な社会保障政策
を行うことを基本理念とするフランス版の連帯国家あるいは福祉国家のモデルが成立した。
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□19 世紀フランスでおこった「民主的な連帯」(「la solidarité democratique」)
この流れの中で出てきた連帯という考え方を、自由主義思想の中で定着している慈善主義的な連
帯概念と区別して「la solidarité democratique」と言っている。ラヴィルは、フランスで起こったこの
流れを「民主的な連帯」と言っているのである。アングロサクソンの社会との違いは、これらの社
会でよく出てくる連帯の考え方は「国家か NPO か」という発想になる。つまり、NPO が自主的に弱
者救済などをできるのなら、国家は経済から手を引いていくという発想である。したがって、そこ
では国家が経済に全面的に介入して市民社会を支えるという発想が出てきにくい。それに対し、フ
ランスの中で出てきた「民主的な連帯」という動きでは、市民運動が社会政策を強靭に行う強い国
家を生み出し、さらにその強い国家が市民運動をエンパワーメントするという循環図がある。それ
がフランス特有な「民主的な連帯」だとラヴィルは言っており、19 世紀に連帯国家が生まれるまで
の動きの中で登場した様々な理念が、彼の連帯経済理論の基礎となっている。
◇福祉国家の枠に組み込まれていく市民・アソシエーションと「社会的経済」(économie social)
ラヴィルは第二次世界大戦後の福祉国家政策の中で、本来あった「民主的な連帯」の理念が薄れて
しまったことを特に強調している。第二次世界大戦後、ヨーロッパ全般で福祉国家が一つのモデル像
になった。さらに、当時フランスでは「栄光の 30 年」と言われているように、1945 年から 1975 年位
までは、持続的な経済成長が起こっていた。その背景の中で、フランスの福祉国家も経済成長優先主
義になっていった。経済成長によって生み出された富を、社会保障政策を通じて分配していけば、国
民の所得も平均的に上がり、皆豊かになれるだろうという考え方が広がっていったのである。その中
で本来は社会を統治する主体であったはずの市民と、統治の最も基本的な母体となるはずの協同組合
やアソシエーションの運動が福祉国家の制度の枠組みの中に組み込まれてしまった。フランス政府に
よるトップダウンの社会保障政策や支援策の資金を受け取って、末端で政策を実行する組織としてア
ソシエーションが位置づけられるようになってしまったことを、ラヴィルは批判している。その中で
も特にラヴィルは「社会的経済」という名前とその研究プログラムを批判している。フランスの
「économie sociale=社会的経済」というのは、まさにそういった福祉国家に組み込まれたアソシエー
ションが、末端でどのように政策を実行するかという認識のもとで研究を行っていた。したがってラ
ヴィルは、アソシエーション運動を本来の民主主義運動の歴史の中で再評価すべきであると考え、
「社
会的経済」と区別する形で、自らの研究プログラムを「連帯経済」と呼ぶようにした。
◇「民主的な連帯」の考えにもとづくアソシエーション運動の再興
ラヴィルは連帯経済の中で、「民主的な連帯」の考えにもとづくアソシエーション運動が 20 世紀後
半に復活する社会的状況が生まれたと言っている。その一つが、1968 年 5 月の五月革命である。五月
革命は、当時のフランスや周辺のヨーロッパ諸国の消費主義的な文化や先進国の価値観を問いに付す
運動として現れた。二つ目は新自由主義政策の出現と格差の拡大である。1970 年代以降に「栄光の 30
年」という持続的な成長段階が終わり、今まで先進国が依っていたケインズ政策に代わって、サッチ
ャリズムやレーガノミクスという新自由主義の政策が現れた。市場経済万能主義が 1970 年代後半から
ヨーロッパでも広がってきて、新たに格差や不平等が生まれるようになった。さらに 19 世紀と比べ格
差の問題は、移民の二世や郊外のスラムの問題、ジェンダー差別、若者の失業など様々な領域にわた
り、個別化・多様化してきている。ラヴィルは、市場経済が引き起こす様々な問題に対して「民主的
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な連帯」をもう一回再生しなければいけないという意識のもとで、連帯経済というプログラムを立ち
上げたのである。運動の萌芽となるようなことが実際に行われているということで、ラヴィルは色々
な実証研究をやっている。その他にも、地球環境問題の流れの中で出てきたエコロジー運動や反核運
動なども新しい連帯経済の一つとして注目されている。反核運動の流れの中で出てきた再生エネルギ
ー導入の動きなども、連帯経済活動の一つである。
◇連帯経済の基本理念: 自主管理 (「Autogestion」)と自己統治(「Self-governance」)
まず土台として、フランスの場合でもラテンアメリカの場合でも、連帯経済の基本理念は共通してい
る。20 世紀後半に、フランスでもラテンアメリカでも連帯経済と呼ばれうる活動が各地で行われ、それ
に対する研究も行われてきたが、両地域に共通するのは経済の自主管理(「Autogestion」)という考え方で
ある。それは、さらに広く政治の側面で言うと「地域のセルフガバナンス=自己統治」。「自主管理」と
「自己統治」の両方は、連帯経済の一番の基本である。ただ、その自主管理という考え方がどのように
発展してきたかは、フランスとラテンアメリカで歴史的な経緯が違うのである。
◇ラテンアメリカにおける自主管理運動の歴史的経緯
もう一回振り返ると、20 世紀後半、1968 年に五月革命があり、そこから資本主義に対抗する、あるい
は資本主義の中にいながらも相対的に自律した生活圏を確保するという活動が再燃してきた。一方、ラ
テンアメリカでは、第二次世界大戦後の国際的な開発体制のもと開発が進められ、近代化により農村部
の人口が都市に流入していった。しかし、都市部に流入した人口の中で全員が正規の市場経済部門で雇
用されたわけではなかった。かなり多くの割合の労働人口が、正規の経済部門で雇われることが出来な
くて、1960 年代位からインフォーマルセクターが社会問題化されてきた。このインフォーマルセクター
で生活する人たちが、自分たちで協同組合的な活動を行い、またはゆるいアソシエーションなどを作り
生活の自主管理を始めた。それがラテンアメリカでの流れである。ラヴィルが文献の中で取り上げてい
る例として、ブラジルの「土地なし農民運動」がある。
□ラテンアメリカの特徴: 土着の生活様式と西洋近代の要素との雑種混淆化
ラテンアメリカでは連帯経済の研究とポスト開発の研究、ポストコロニアルの研究が全部重なって
いると言ったが、それが特に 90 年代位から、民衆経済と開発批判が重なる形で色々行われてきている
研究の流れを生んでいる。ポスト開発論で有名なアルトゥーロ・エスコバルは民衆経済の研究をして
いるが、彼はコロンビアの人類学者である。エスコバルやその他のラテンアメリカの社会科学者が特
に強調して言っているのが、ラテンアメリカでは近代的な市場経済の原理と土着の協同組合の経済シ
ステムや先住民の生活スタイルが、雑種混淆化しているということである。西洋近代が生み出した経
済システムがラテンアメリカを植民地時代以来支配し続けていて、その中で土着の生活様式も変化せ
ざるを得ないけれども、そういう土着の文化や生活が完全に消え去ったわけではなく、むしろ近代的
な要素と雑種混淆化している。そして、その一部の先住民運動や一部の地域の民衆経済の中には、ラ
テンアメリカの文化や土着の生活様式の原理がうまく市場経済をコントロールしているものもある。
あるいは、市場経済の原理以上に土着の原理が打ち勝つようなかたちで自分たちの生活を組織化する
という現象が見られている。
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□ラテンアメリカにおけるさまざまな連帯経済の事例
エスコバルは、その事例として、コロンビアのパシフィコ地域に植民地時代以来暮らし、定着して
いるアフロ・アメリカンの人たちのエコロジー運動をあげている。また、ブラジルのポルトアレグレ
での参加型予算の導入例のように、さらに制度化した形で、市民が市の予算配分を決定するプロセス
に参加し、市の公共事業、図書館の運営などを協同組合にもとづいて運営するという参加型民主主義
の中で行われる連帯経済活動もある。エスコバルの研究にあるが、ラテンアメリカの連帯経済には、
まだ完全には制度化されていないが、各地域の中で経済の雑種混淆化という形で現れる様々な民衆経
済の実践形態が見られる。ラヴィルはフランスの歴史をみたとき、19 世紀末にアソシエーション運動
が最終的に「連帯国家」という連帯運動を支える強い国家というのを生んだということを評価してい
るが、それと似たことが現在のラテンアメリカでも起こっていると言う。その事例の一つがボリビア
やエクアドルで提案されている新しい豊かさの概念「buen vivir」である。これら二つの国では、先住
民運動などから出てきた新しい政権によって、生産力至上主義的ではない新しい豊かさの理念が憲法
において規定されている。また憲法の中では、協同組合を支える社会をつくることが目標に掲げられ
ている。また、ラテンアメリカには憲法の中で多様な経済があって、各地域における多様な経済を支
えるのが国家の役割だと憲法で書かれている。このようにラヴィルは、ラテンアメリカの中でも、様々
なレベルで連帯的な経済活動が出ていると言う。
◇連帯経済の新しい方向性
最後に現時点での連帯経済の新しい方向性について、ラヴィルは 1970 年代に出てきた地球環境破壊
がより現在では深刻化しており、先進国も途上国もエコロジーの問題にさらに真剣に向き合わなけれ
ばいけなくなっていると言っている。1970 年代初頭までに先進国で行われてきた経済成長を前提とす
る生産力至上主義的な福祉国家のパラダイムは、理論的には有効でなくなってきている。そういう状
況で、これからラテンアメリカでもヨーロッパにおいても、反生産力至上主義的・連帯的な社会体制
が必要となるだろうと言っており、それをこれからの展望として考えていかねばならないとしている。
◇ラヴィルの連帯経済論とラトゥーシュの脱成長
ラヴィルは、去年の秋の来日講演時に展望としてここまでは言っていた。ここからは私の意見だが、
今までラヴィルは反生産力至上主義について言わなかったのだが、今回言い始めていて具体例として
ボリビアやエクアドルの buen vivir を取り上げている。そして、ラテンアメリカの方が反生産力至上主
義から抜け出す国家体制がより活発であるとラヴィルは言っているが、実際のところ、ボリビアやエ
クアドルの政策は新開発主義(エオエクストラティビズモ)と呼ばれるものであり、この点における
現実認識に関しては、ラヴィルは違っていると私は考える。ラトゥーシュの脱成長はより長期的な文
明転換のシナリオで考えていて、ラヴィルの連帯経済理論は、その文明転換のための戦略的な、より
現実的な移行的段階として連帯的国家の実現を目指していると考えられるのではないだろうか。
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