№ 144 2 0 1 1 年 1 2 月 1 3 日 発 行 でんわ:0163-62-1231 FAX:69-2121 ミュージアムを足場に地域学習を ミュージアムには毎年たくさん の学校の利用があります。枝幸町 内をはじめ、浜頓別町、猿払村、 音威子府村など近隣町村の利用もあるので、年間 で40~50日は学校の授業を支援しています。 ミュージアムの業務は、資料の収集,文化財保 護,調査研究,展示,普及活動など多くの分野に 分かれていますが、最優先で取り組んでいるのが、 「学習支援」です。地域学習に取り組む先生方の 力になれたら、こんなに嬉しいことはありません。 また、学習支援は学校だけ を対象としているわけではあ り ま せ ん 。 子 ど も 会 や PTA, 老人クラブなど、ミュージア ムでは「地域」を学ぶ町民の 皆様の活動を応援しています。 (写真上は歌登ふらっとたまり場の化石発掘) 今月号では、ミュージアムの提供する「地域の 学び」メニューをいくつかご紹介します。学習メ ニューは材料費を除いて無料です。来年度の計画 づくりにぜひ参考にしてください。 ものづくり分野 ○勾玉作り(歴史) ・滑石を使った勾玉作り ・古代人の心を学びます ○化石発掘体験(自然) ・デスモスチルス化石を 目指して化石発掘! ・地層の成り立ちも勉強 ○琥珀磨き(歴史/自然) ・ 琥 珀 の 原 石 を ピ カ ピ カ に ○遺跡探検(歴史) 磨いて顕微鏡で観察 ・枝幸の各地に残る古代 ・古代文化や地球の歴史を 遺跡を探検! 学びます ○外来生物駆除(自然) ○土笛/土器作り(歴史) ・ 外 来 生 物 ウ チ ダ ザ リ ガ ・地元の粘土を使います ニやオニハマダイコン ・古代の音色を響かせよう を駆除しよう ○昭和の暮らし体験(歴史) ○水辺の生物観察(自然) ・収蔵庫を活用して、ちょ ・ニホンザリガニや水辺 っと昔の暮らしを体験 の昆虫を観察しよう ○おもしろ科学実験(科学) ○森の生物観察(自然) ・身近な素材で楽しい理科 ・オオワシやコウモリ、 の実験 枝幸の野生生物を観察 11~12月の視察・団体利用 デスモスチルスの歯がくっついた! ミ ュ ー ジ ア ム で は 5月 の 調 査 で 見 つ か っ た デ スモスチルス化石の修復を進めています。今回 の調査では、デスモのシンボルとも言える「臼 歯 」 が 2本 見 つ か っ て い た の で す が 、 コ ツ コ ツ と 歯 根 を 修 復 し た と こ ろ 、 2本 の 歯 が く っ つ い て しまいま した! 1本 は 現 在 使 用 中 の 歯 で すが、この歯にもたれかか るように「次の歯」が生え てきている様子が明らかに なりました。デスモスチル スは、人間との歯と違って奥の方から水平に歯 が生え替わるそうです。今回の歯の化石は、デ スモスチルスの不思議な生態を改めて教えてく れました。まだ接合できない顎の骨の破片がた くさん残っていますので、修復が完了しました ら 展示しま す。 野外活動分野 25日 6日 7日 8日 14日 19日 岡島小 学校・琥珀 磨き体 験出前講 座 目梨泊 小学校 ・地 域の歴 史総合学 習 枝幸小 学校・ガイ ドマッ プ取材 枝幸小 学校・ガイ ドマッ プ取材 南宗谷 特別支 援学級 見学・体験学 習 文化財 保護委 員会 岡島小学校では琥珀磨き体験を開催。古代人 のアクセサリーの不思議と琥珀に閉じ込められ た太 古の昆虫 たちを 観察し ました 。 枝幸小学校では「枝幸のいいところパンフレ ット」を作るために子どもたちが色々な場所を 回って取材しているようです。子どもたちの目 から、枝幸の良い点が再発見されるとうれしい です ね。 ま た のご 利 用 をお 待 ちし て お りま す 川尻チャシ跡のオロッコ伝承 道北地方最大のオオワシ越冬地 北見幌別川の河口近く、かつて広大な湿原だっ たこの場所に、アイヌ民族の砦跡(チャシ)が残 さ れていま す。砦は 南北に 2つ あり 、そ れぞれ「川 尻 北 チ ャ シ 」「 川 尻 南 チ ャ シ 」 と 名 付 け ら れ 、 枝 幸 町では史 跡に指 定して います 。 湿原に浮 かぶ小 島のよ うに見 えること から、「孤 島式」チャシの代表例とされており、次のような ア イ ヌ 民 族 の 伝 承 が 残 さ れ て い ま す 。( 因 幡 勝 雄 編 , 2007『 ア イ ヌ 伝 承 ば な し 集 成 』 よ り 、 一 部 を 要約して 抜粋し ました ) 先月のこのお便りで、ケモマナイ渓谷にオ オワシが飛来した…というニュースをお届け しました。今年は久々の当たり年らしく、連 日、 たくさ んのワ シが飛 来してい ます。 枝幸町北部の目梨泊漁港や神威岬周辺では ワシたちがゆうゆうと空を舞っています。ま た、浜頓別町のウソタンナイ川の河畔林には 11月下旬の段階 で 140羽 を 超 す ワ シが集まっていま す( 写真右 )。 以前に新聞紙上 で有名になった 「ワシのなる木」には数十羽のワシが翼を休 めて いるの が観察 できま した。 …洋々たる幌別川下流には、数多くの北見アイヌが暮 らしており、この大河を大切な財産としていた。これより先、 オロッコ人はこの小高い丘を本拠として暮らしていた。両 者はあまり仲の良い間柄ではなかった。この間に、天塩ア イヌが大軍で攻め寄せ、激戦の結果、この丘を占領し、オ ロッ コ人を滅ぼした ので あった。 これを見た北見アイヌは、一大事として天塩アイヌに戦 いを挑んだが、川をはさんだ小競り合いが続いた。北見ア イヌ軍は計略を使い、一晩で海岸に鯨の形をした砂山を 築いた。そして、この砂山に様々な魚を一面にばらまい た。カモメが盛んに集まるのを見て、天塩アイヌ軍は思い がけない獲物が手に入ると思い、海岸に降りてきたところ を待ち伏せた北見アイヌ軍に攻 撃されて敗 北した… 北見アイ ヌ軍が 築いた「砂山 」はアイ ヌ語で「オ タ ・ヌプ リ」。歌 登の語 源にな った有 名な伝承 です 。 ただ、この伝承で最も不思議なのは「オロッコ」 の存在です。オロッコというのは、現在の民族名 でウィルタといい、サハリン島の先住民族です。 果たしてサハリンの民族がこの枝幸地方にやって 来 たのでし ょうか ? 1 9 71年 、 北 海 道 大 学 が チ ャシの発掘調査を行ったとこ ろ、アイヌ文化期の祭場が見 つかり、その下層からオホー ツク人の住居跡が見つかりま した。オホーツク人はサハリ ン南部、または利尻礼文から渡来してきた可能性 が 考えられ ます。 オ ロ ッ コ 伝 承 が 初 め て 記 録 さ れ た の は 1935年 ですから、発掘調査の影響ではないことは確かで す。こうしたオロッコ伝承は道内各地にいくつか 残されており、類型化した話の要素が加わったと 見る研究者もいますが、オホーツク人との緊張関 係 が伝承の 背景に あるの かもし れません 。 伝説や伝承の中には歴史の真実が隠されている こ ともある のです 。 オオワ シの越 冬地は 、 知床半島など道東地方 が中心ですが、道北で 越冬するグループもい ます。枝幸地方のケモ マナイ川,ウソタンナ イ川流域は道北地方最大の越冬地なのです。 豊かな河畔林と遡上するサケ、冬でも凍らな い湧 水がワ シたち の命を つないで います 。 かつて、ワシの羽根は矢羽根の材料として 珍重され、松前藩の重要な交易品の一つとな っていました。最近はもっと古くから、ワシ 羽根の交易が始まっていたとする研究もあり ます。目梨泊遺跡のオホーツク人が手に入れ た大量の刀剣類はワシの羽根と交換した可能 性があります。ワシの越冬地は、古代人の経 済力を支える源泉だったのかもしれません。 今月のミュージアム通信テレビ版 新年最初のミュージアム通信テレビ版は、 EOS・11チ ャ ン ネ ル で 、 1月 13日 ( 金 ) か らの放映予定です。今回の放送内容は次の5 本をお届けします。興浜北線の懐かしい映像 も収録 しまし た。ぜ ひご覧に なって くださ い。 ・枝幸にやって来た外来 生物 ・興浜北 線があった 頃 ・枝幸の ワシ・タカ ・雪国の 暮らし ・樺太の 街並み Ⅱ(真岡・恵須 取・敷香) 枝幸方言を記録する 冬空を旅するケアシノスリ ~国立 国語研 究所によ る方言調 査実施 ~ 11月 19日 、 国 立 国 語 研 究 所 に よ る 枝 幸 町 の 方 言調査が行われました。聞き取り調査の対象者と して協力いただいたのは、町内で長く教鞭をとっ てこられた石川光昭さん。石川先生は生まれも育 ちも枝幸のため、今回の調査条件に最適でした。 今回の調査の目的は、日 本全国の方言地図を作るこ と 。 そ の た め に 全 国 532地 点(うち北 海道は 25地 点) で聞き取り調査を行ってい る そうです (写真 右)。 方言調査は、色々な絵が描かれたカードを使い ながら進みます。たとえば「カボチャ」のカード を 見 せ な が ら 、「 こ れ は 何 と 言 い ま す か ? 夏 に 穫 れる大きな実です」と調査員が質問すると、石川 先 生が「カボチ ャ!」と 応える …という 具合で す。 質 問 は 延 々 と 300 問 も あ り 、 約 3時 間 に わ た っ て続きました。この中から枝幸らしい方言だと思 っ たものを いくつ かご紹 介しま す。 ・あおたん(何かにぶつかってできた青あざ) ・うだで寒い(とっても寒いこと=しば れる) ・しける(天気が 悪いこと) ・おんちゃ(弟) ・たなぐ(ものを抱え込むこと ) ・おもしい/おもしゃくない(面白い/面白くない) ・たこつった(足などが水に漬かるこ と) ・かじられる(イヌなどにかみつかれる) ・ぼっかけられた(追いかけられた) ・としとり(大晦日 ) 石川先生 は枝幸 の町中 育ちな ので、いわゆ る「浜 言葉」とは少し違うようです。それでも上にご紹 介した言葉は札幌圏ではあまり使われない方言で す。札幌市内で「たこつった!」と言ってもたぶ ん 通じない のでは ないで しょう か。 ま た 、 虹 ( に じ ) と 二 時 ( に じ )、 雨 ( あ め ) と飴(あめ)が同じ平板なアクセントで話してい る 点が気に なりま した。 「うだで寒い」という言葉も特徴的です。もと も と は 古 語 に 由 来 す る 言 葉 で 、「 と て も 」 と い う 意味です。古い時代の言葉が地方に行くほどよく 残されているという「方言周圏論」の一例です。 方言はその地域の育んできた大切な文化です。 今回の記録調査が日本の地域文化を後世に残す手 が かりにな ればう れしい です。 枝幸地方に冬鳥として飛来するのはオオワ シやオジロワシばかりではありません。今回 ご紹介 する「 ケアシ ノスリ 」もその 一つ。 ノスリは一年を通して 暮らしているので目にす る機会も多い鳥ですが、 ケアシノスリは冬鳥とし て北方の地域から飛んで きます 。 ノスリよりも体は白っ ぽく、少し大型です。草地や湿原などの開け たところで小動物を捕まえるタカの仲間で す。今 年は問 牧海岸 で数羽が 確認さ れまし た。 (写真 は問牧 の神社 で撮影 ) 飛来数は決して多くないた め、北海道レッドデータブッ クの希少種に指定されていま す。日本野鳥の会会員の村山 良子さん(文化財保護委員) によると「見つけるとちょっ と嬉し い鳥」 とのこ と。 白黒模様の翼のコントラス ト が 冬 空 に 映 え る 鳥 で す ( 写 真 右 上 )。 枝 幸 の冬空に目をこらすと貴重な生きものたちの 姿が見 えてき ます。 8~ 9月 の 寄 贈 資 料 ・文書 (枝幸 小学校 サイン 色紙)2点 ・文書 (枝幸 小学校 記念誌 ,原稿) 52冊 ・文書 (枝幸 小学校 設計図 )11点 ・写真 (枝幸 小学校 関係) 30冊 ・小樽 弁海岸 産亜炭 1点 ・絵葉 書(ユ ジノサ ハリン スク)4点 ・黒曜 石剥片 50点 ・海図 用コン パス 1点 ・羽釜 ,蒸し 器 2点 ・窓鋸 ,背負 子,ツ ル,刃 広 10点 枝 幸 小 学 校 か ら 戦 前 ~ 昭 和 30年 代 の 貴 重 な写真アルバムや記念誌、文書類をいただき ました。少しずつ整理してデジタル化を進め ており ます。 寄贈い ただい た資料 は大切に 保管し ます い ず し お正月の味覚「飯寿司」 廃船となった引き揚げ船…その後 枝 幸 の お 正 月 料 理 に 欠 か せ な い 「 飯 寿 司 」。 ご飯や米麹、野菜、魚を漬け込んだ冬の郷土料 理です。北海道から東北各地に広がっており、 毎年、秋口になると準備に忙しいご家庭も多い こ とでしょ う。 こ の 飯 寿 司 、「 寿 司 」 と い う 言 葉 が つ い て い ますが、お米はあまり食べないという不思議な 料理です。あるご家庭の飯寿司作りの様子を取 材 させても らいま した。 9月 発 行 の ミ ュ ー ジ ア ム 通 信 第 141号 に 、 弓 ヶ浜に打ち上げられていた廃船は、樺太からの 引き揚げ船の可能性が高い…という記事を書き ました。現在の弓ヶ浜南方のナラ林、通称「木 ワラ」付近は埋め立てが進み、廃船の痕跡はあ りませんが、町民の方々よりいくつかの情報が 寄 せられ ました。 以下、 ご紹介 します 。 ① 材料の準 備 あ ら か じめ 材料 は 切 っ て お く 。 サケの身,アラ,刻みショウ ガ , 鷹 の 爪 , ご 飯 , キ ャ ベ ツ ・ニ ンジ ン,酢,麹 ② 野菜の漬 け込み 木桶の底に野菜を敷き詰め、 その上からご飯をのせる。次 の作業を考えてご飯の表面は きれいに平らにしましょう。 ③ 魚の漬け込 み ご飯の上にサケの身とアラを 丁寧に並べます。魚はハタハ タや鰊,カレイを使うこともある がサケが一般的。このご家庭 ではアラも使います。 ④ 繰り 返し-完 成 木桶にいっぱいになるまで、 ②③を繰り返します。サケの身 には刻みショウガと鷹の爪を 散らして彩りあざやか。完成! 飯 寿 司 が 食 べ ら れ る よ う に な る ま で 20日 か ら 1ヶ 月 ほ ど か か る と さ れ て い ま す 。 ち ょ う ど お正月を目指して漬け込む方も多いようです。 飯寿司は、冷蔵庫などがまだ普及していない 時代に魚と野菜を美味しく食べることのできる すぐれた保存食でした。こうした郷土の料理も 地 域の立派 な伝統 文化で す。 ・ キ ワ ラ に 昭 和 60年 代 ま で 廃 船 が あ っ た の は 間 違 いない ・岡島の幌別川河口右岸の三毛牛岬に漂着してい た船が 樺太引 揚船ではないか? ・弓ヶ浜南方の「キワラ」に漂着していた船は稚内 のタラ バ船ではないか? また、この 廃船を描いた 佐々木長政さ んからも当時 の写真が提供 さ れ ま し た ( 写 真 右 )。 廃 船 の 構 造 や 規 模 な ど 分 か り ま し たが、引き揚げ船かどうか確認するには至りま せんでした。一方で、寄せられた情報や佐々木 さんの写真から岡島付近に複数の木造船が漂着 し ていた ことも明 らかに なりま した。 今 と な っ て は 60年 前 の 歴 史 を 検 証 す る こ と は困難かもしれません。しかし、私たちの住む この地域には、様々な歴史がまだ埋もれている こ とを忘 れてはい けない と思い ます。 1月の休館日情報 日 1 年始 8 月 2 年始 9 15 16 休館 23 休館 30 休館 22 入館者合計 7 1 , 1 4 6人(12月12日現在) 29 火 3 年始 10 振替 17 水 4 年始 11 木 5 金 6 土 7 12 13 14 18 19 20 21 24 25 26 27 28 31 調整 2012年最初の開館日は1月5日です
© Copyright 2024 Paperzz