シリーズ第5回 盆栽を世界の架け橋に 蔓青園 4代目園主 加藤 初治 氏

「2017年 世界盆栽大会 in さいたま」に向けて
大宮盆栽村を訪ねる シリーズ第5回
盆栽を世界の架け橋に
まんせいえん
蔓青園 4 代目園主 加藤 初治 氏
「2017年 世界盆栽大会 in さいたま」のポスターやチラシを見る人は、そこに映る盆栽の
迫力に圧倒される。真っ白な幹と枝が奇妙な形にうねっているその姿には、生と死が同居し
ているかのような不思議な力に満ちているからだ。幾人もの盆栽師たちに受け継がれ、大切
に育まれた名品「飛龍」。現在、この飛龍を預かり管理しているのは、世界盆栽大会の実行
委員長であり、蔓青園園主の加藤初治さんである。
ポスターになった真柏
かると思います。
自然環境に耐えて一生懸命に生きようとし
「2017年 世界盆栽大会 in さいたま」のポ
ながらも、伸びられなかった木を山から採っ
スターになった盆栽の樹齢は1,000年とも
てきて、根付けをし、盆栽となったこの木か
2,000年とも言われ、「飛龍」という銘が付
らは、おのずと自然の厳しさが見えてきま
けられている。加藤さんは語る。
す。逆に言えば、厳しい自然の中でなければ
「この真柏は、50年ほど前に新潟県の糸魚
迫力ある木はできません。よい盆栽とは何か
川の近くの明星岳から採れたものです。普通
ということにはいろいろな考え方があるかも
であれば幹も枝も自由に伸びていくわけです
しれませんが、私は、そうした盆栽が“格調
が、風雪にさらされて幹が折れ曲がり、しか
ある盆栽”だと思っています」
。
も生長の過程で一部が枯れてしまいました。
真柏は高山や海岸沿いの崖などに自生する
真柏の木は硬いので枯れると白く残ります。
ミヤマビャクシンという常緑樹の変種であ
いかに厳しい自然の中に置かれていたかがわ
る。東北、紀州、四国などから出るが、最も
品格があるのは明星岳から出た
「糸魚川真柏」
とされる。名品として残っている真柏もほと
んどが糸魚川真柏である。
「糸魚川真柏のよさを
言葉で説明するのは難し
いのですが、あえて言う
と“繊細さ”です。葉の
形が細かく、色も濃い。
糸魚川真柏には厳しい自
然の中で育っていながら
も繊細さがあります。盆
栽は、木によって産地に
世界盆栽大会のチラシと現在の飛龍。撮影後、神がほとんど見えないほど葉が茂った。来春の
大会に間に合うように、この冬に枝を切り込むそうだ。
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よって特徴があります
が、 私 は、 一 言 で 言 え
蔓青園4代目園主 加藤初治さん(お気に入りの盆栽の前で)
迫力のある盆栽が数多く並ぶ蔓青園園内
ば、繊細な感じで木の迫力を楽しめるような
いった。
ものがよい盆栽だと思います」。
2代目である祖父・留吉氏に可愛いがられ
「飛龍は山から採ってきて盆栽になった今
て育ったと聞かされているが、1945年に亡く
日までの歴史がすべて写真で残っているとい
なった祖父の記憶はない。ただ、この祖父が
う点でも珍しい木です。重さを量ったことは
若い時に国後島の蝦夷松に魅せられ、育て方
ありませんが、大人4人でないと持ち上がり
が確立されないにもかかわらず、私財を投じ
ませんから、200キロくらいあると思います。
て何度も採取に赴いたことは盆栽界ではよく
山から採ってきた木が人間の手によってこれ
知られていることだ。留吉氏は1925年、関東
だけの盆栽となったということを示す証明に
大震災で壊滅した東京の文京区本郷から移住
なっているわけです。
し、盆栽村を創った功労者の一人でもある。
糸魚川真柏の名品は日本全国にたくさんあ
「国後島から蝦夷松を持ってきても、最初
りますが、飛龍
のうちはほとんどが枯れてしまったそうで
クラスの大きさ
す。いろいろと研究し、ようやく半分くらい
で、これだけの
付くようになってきました。ただし、一度根
迫力のある真柏
付いてしまえば、これほど丈夫な木もありま
はもう日本から
せん。うちの庭には、そのころの古い蝦夷松
は出ないのでは
がまだ残っています」と加藤さん。祖父が積
ないでしょう
み重ねた研究の成果は、盆栽としてだけでな
か」。
く、生育の技術としても残されてきた。
糸魚川真柏の葉の様子
蝦夷松盆栽の祖父、
世界へ盆栽を広めた父
留吉氏には1933年、昭和天皇が盆栽村に
立ち寄られた時に、蝦夷松の盆栽を献上した
という有名な話も残る。留吉氏の取組みに
盆栽村の最北の高台に位置する蔓青園は、
よって「蝦夷松を見たければ大宮盆栽村へ行
現在、大宮盆栽村に残る盆栽園の中で最も古
け」とまで言われるほどになった。
い歴史を誇る。園庭には、蝦夷松を中心に松
この祖父に盆栽を習った加藤さんの父・三
柏盆栽などの優品が並んでいる。
郎氏も名匠として名高い。1915年に3代目
加藤さんは、1942年大宮盆栽町の蔓青園
として生まれた三郎氏は、第二次世界大戦
の4代目として生まれた。子供の頃から盆栽
中、食料にならない盆栽を育てているとの非
に馴染んでいたことと、園の人手が足りな
難の中で盆栽を守り続ける。戦後も厳しい経
かったこともあり、迷わず盆栽の道に入って
営を強いられるが、やがてGHQ(連合軍総
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蝦夷松採集の留吉・三郎親子(1935年頃)
蔓青園2代園主の加藤留吉氏
蝦夷松に生涯をかけ「蝦夷松
といえば盆栽村」とまで世間
にいわしめた功績がある
司令部)の軍人が大切なお客様となっていく。
89年に三郎氏は世界盆栽友好連盟を設立
マッカーサー司令官からの依頼によって米軍
し初代理事長となる。93年、勲四等瑞宝章
基地内で盆栽を教えるようにもなった。
を受章。99年5月には、日本政府がアメリ
こうした経験から、三郎氏は「盆栽は国境
カ政府に贈呈した蝦夷松について当時のクリ
を越えた友好の架け橋になる」と考えるよう
ントン大統領夫妻に説明するために、小渕元
になったようだ。加藤さんも「父は昔から
『盆
首相夫妻とともに渡米している。
栽は日本だけのものではない』と言い続けて
三郎氏は、2008年に92歳で亡くなるまで、
いました」と語る。
盆栽を世界に広めるために尽くすとともに、蝦
1965年、三郎氏は盆栽の愛好者のために
夷松盆栽の名品を数多く作り、卓越した寄せ
日本盆栽協会の発足に、69年には業者の団
植えと石付き盆栽を創作しつづけたのである。
体である日本盆栽協同組合の設立に深く関わ
り、初代理事長を務める。76年には、三郎
盆栽を通じた外交と平和
氏らが中心となり53点 の盆栽をアメリカに
「晩年の父は、
『盆栽は平和に通じるから、
贈呈。80年、日本盆栽協会は「世界の盆栽
これからの世界に大事だよ』と言っていまし
水石展」に合わせて各国の主要な盆栽の指導
た」と加藤さんは語る。
者に呼びかけて「世界盆栽会議」を開催。こ
「クリントン元米大統領に差し上げた蝦夷
れが89年の第1回世界盆栽大会(三郎氏は
松は、祖父が国後島から採ってきて、父が育
実行委員長を務めた)につながっていく。先
てたものです。あれには深い意味がありまし
代三郎氏は盆栽を「世界のBONSAI」に育て
た。蝦夷松はロシアが実行支配している国後
上げたと言ってもよいだろう。
島から出たものです。その蝦夷松を日本から
アメリカにあげたわけですから。
その後、小渕総理から電話があり『今度ロ
シアに行くのだが、どの盆栽を持っていった
らよいか』という相談を受けました。結局、
実現しないまま小渕総理は急死しましたが、
こうしたことから父は、
『盆栽を通じて平和外
交ができるのではないか』と言っていました」
。
「父の最も好きだった盆栽は創作盆栽です。
盆栽は木の大きさではなく品格だというのが
信念でしたから、大きさのことは何も言いませ
ん。木がよければいいんだと言うだけでした。
ホワイトハウスでの記念撮影。クリントン元大統領夫妻、
小渕元首相夫妻と加藤三郎氏。中央が国後島から採取した
蝦夷松盆栽
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その創作と同じくらい力を入れたのが、盆
栽のよさを世界に知ってもらうことです。近
年、
『盆栽は芸術だ』と言われるようになりま
したが、特に海外の人がそう言ってくれるの
は嬉しいことです。私自身はあまり言わないよ
うにしていますが、植物を使って作る盆栽に
は、それだけの価値があると思っています」
。
盆栽の将来のために
「いまでは日本以上に盆栽が盛んな国もあり
ます。ヨーロッパ、アメリカ、東南アジアなど
に行くと、木の種類は違っても真柏に似たよ
うな種類で、かなり迫力のある木もあります。
ぼんけい
中国では盆栽を『盆景』と言っています。
確かに盆栽は『景色』を愉しむものですが、
中国では景色を愉しんでも、その木が生長す
埼玉県の県木である、樹齢60 ~ 70年のけやきの盆栽
るということはあまり意識していません。日
「父は89歳の時に、東京で初めての個展を
本では木をいかに鉢の中で生活させ、いい状
やりました。それがきっかけで、テレビ番組
態に保ちながら品格のある木にするにはどう
に出演することになりました。その番組の中
したらよいかということを常に考えます。そ
で父は、真柏を見て『これから比べれば俺は
うした違いはありますが、他の国の人たちの
はな垂れ小僧だ』と言っています。盆栽を心
方が盆栽を素直に捉え、進んでいると思うこ
底好きだったのだと思います。私はいまでも
とがあるのも事実です。
父を見習わなければと思いますし、これから
一方、多くの日本人が、盆栽は年寄りの趣
が修行だと思っています」
。
味、金がなければできない、手間暇が掛か
祖父と父のDNAを引き継ぐ4代目、加藤
る、置く場所がないといった先入観を持って
初治さんは、世界盆栽友好連盟国際顧問で、
いることは心配です。それぞれの人にあった
来年開催される"2017年 世界盆栽大会 in
盆栽がありますし、海外では盆栽を美術品と
さいたま"の実行委員長としても忙しい日々
して考えているということも知ってほしいと
を送っている。
思います。
私はいま、盆栽の技術を教えるのではな
蔓青園アクセスマップ
く、盆栽を通じたつながりによって日本の良
さいたま市北区盆栽町285
☎ 048-663-2636
Bonsai Art Museum
さいたま市大宮盆栽美術館
土呂駅
とを考えたいと思っています。
↑至宇都宮
さを知ってもらい、そこから盆栽の将来のこ
35
号
最近、さいたま地区の小学校では盆栽教室
を行っています。植物を大切にする気持ち―
路
道
いでしょう。だから、そうした気持ちを子供
もみ
盆栽四季の家
じ通
り
けや
き通
り
さく
ら通
り
→
日部
至春
り
ぎ通
やな
〒
盆栽町局
かえ
漫画会館
で通
り
駅
公園
大宮
至大宮↓
ようにならないと、盆栽の愉しみもわからな
蔓青園
業
くなったら植え替えるといったことがわかる
産
いる時に水をやる、枝が伸びすぎて鉢がきつ
JR宇都宮線
―植物は何も言いませんが、水を欲しがって
入口標識
号
214
線
野田
東武
大宮
←至
の時から育てられれば、と考えています」
。
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