文化遺産学研究

The Studies for Cultural Heritage
文化遺産学研究
No. 3
〈 特集 〉
ヨルダン、ウム ・ カイス遺跡における文化遺産学研究
2009
The Studies for Cultural Heritage of Umm Qais Jordan, 2009
文部科学省私立大学学術研究高度化推進事業
学術フロンティア推進事業
「戦後イラクの社会基盤復興に活かす文化遺産学研究」
プロジェクト番号「F050051」
研究代表者:国士舘大学イラク古代文化研究所・教授 松本 健
1
特集;ヨルダン、ウム ・ カイス遺跡における文化遺産学研究 2009
The Studies for Cultural Heritage of Umm Qais Jordan, 2009
目次
はじめに
Introduction
松本 健
第一章 ウム ・ カイス発掘調査、2009 年 Excavation of Umm Qais, 2009
松本 健、戸田 有二、Jaffar Talafha
5
7
第二章 出土遺物
Objects
2-1 ウム ・ カイス遺跡出土の瓦塼について 2
Roof Tiles Excavated from Umm Qais 2
戸田 有二、松本 健
2-2 The Coins Find Catalogue Gadara-Umm Qais 2005-2008
37
85
Makoto Ezoe
第三章 保存修復
Conservation and Preservation
3-1 発掘された大規模なビザンツ時代モザイク床の保存修復
Conservation of the Excavated Mosaic Floor of the Byzantine Period
西浦 忠輝、松本 健、小野 勇、片多 雅樹、Jaffar Talafha、Noor al Houda al Soukhni
3-2 Conservation Treatment 2009
Noor al Houda al Soukhni
3-3 資料:Conservation List in 2009
第四章 Islamic Cemetery of Abu An-Namil
111
117
125
Ken Matsumoto、Jaffar Talafha、Isamu Ono
第五章 地中レーダーによる遺跡探査
2
101
Inquiry in Ruins with Underground Radar 小野 勇、松本 健
137
第六章 平板測量を中心とした発掘調査の記録手法
147
Record Technique of Excavation Investigation That Centers on Plane-table Surveying 小野 勇、松本 健
第七章 ウム ・ カイスで見られる野鳥
153
Wild Birds of Umm Qais, Jordan
富田 富喜夫
第八章 東京都板橋区立三園小学校とヨルダン、ウム ・ カイス中等女学校との交流について
Cultural Exchange between Umm Qais Secondary School and Misono Elementary School
富田 富喜夫
161
第九章 まとめと問題点
Conclusion
9 -1
文化遺産論:文化遺産とは何か―未来に生かす文化遺産―
Cultural Heritage : What is Cultural Heritage? –for the future of human beings
西浦 忠輝
9 -2
文化遺産学の試み
Approach of the Studies for Cultural Heritage
松本 健
171
179
表紙写真:ウム ・ カイス遺跡より出土したモザイク
3
4
はじめに
Introduction
松本 健 *
この研究プロジェクトでは、学術フロンティア推進事業「戦後イラクの社会基盤復興に活かす文化遺産学研究」
の一端として、イラク人の文化遺産研修、またヨルダン、ウム ・ カイス文化遺産研究を実践している。そして文
化遺産とは何かを、また文化遺産学研究の試みを進めている研究プロジェクトである。このウム ・ カイス文化遺
産研究は、2005 年よりイラク人の文化遺産研修として、ここウム ・ カイスにおいて遺跡の立地環境調査、発掘調査、
保存修復、活用・マネジメントを研修する中で、文化遺産が持つ意義を考え、その評価を分析研究し、それらの
その地域、その国、そして人類における価値評価をどう行うかということを、総合的立場から調査研究を通して
実践している。
これらの調査研究内容については、
「文化遺産学研究」№ 1、№ 2 に、またイラク人の文化遺産研修については、
「ヨルダン、ウム ・ カイスにおけるイラク人の文化遺産研修報告書」において報告した。
* 国士舘大学イラク古代文化研究所
5
6
第一章 ウム ・ カイス発掘調査、2009 年
第一章 ウム ・ カイス発掘調査、2009 年 Excavation of Umm Qais, 2009
松本 健 * 1
戸田 有二 * 2
Jaffar Talafha * 3
(1) 目的
1.2008 年、既に H12 において発掘されていたモザイク床の保存処理をすること、またボルグを調査してモザ
イク床の全体を確認する。
2.また J11 などですでに確認していた北側にあるモザイク及びタイル床の全体を確認すること。
3.G11 から G17 まで確認されていたバサルト壁の東端を発掘して確認すること。
4.N11 の状況、即ちバサルト壁の北端を確認すること。
5.ローマ大通りの東の門までを写真測量すること。
発掘調査期間;2009 年 8 月 1 日~ 2009 年 9 月 30 日
調査団組織;
研究代表者:松本 健 国士舘大学イラク古代文化研究所
研究分担者:西浦 忠輝 国士舘大学イラク古代文化研究所
戸田 有二 国士舘大学文学部史学地理学科考古 ・ 日本史学専攻
小野 勇 国士舘大学理工学部理工学科都市ランドスケープ学系
後藤 智哉 国士舘大学大学院人文科学研究科後期博士課程
江添 誠 慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程
富田 富喜夫 ボランティア
平山 洋 国士舘大学大学院グローバルアジア研究科修士課程 ( 実習生 )
福原 健司 国士舘大学文学部史学地理学科 ( 実習生 )
鎮西 俊充 国士舘大学文学部史学地理学科 ( 実習生 )
出月 ちひろ 国士舘大学 21 世紀アジア学部 ( 実習生 )
早川 悟司 国士舘大学 21 世紀アジア学部 ( 実習生 )
斉藤 俊介 国士舘大学 21 世紀アジア学部 ( 実習生 )
丹野 祐美 国士舘大学 21 世紀アジア学部 ( 実習生 )
小川 由梨亜 国士舘大学 21 世紀アジア学部 ( 実習生 )
Co-researcher in Umm Qais:
Jaffar Talafha, Noor al Houda al Soukhni
DOA representatives :
Naser AL Zou'bi,
Abed AL Raouf Tbeshat,
Taha Batayneh.
* 1 国士舘大学イラク古代文化研究所
* 2 国士舘大学文学部史学地理学科考古 ・ 日本史学専攻
* 3 国士舘大学文化遺産研究プロジェクト
7
Ab An-Namil
2009 Excavation Area
図 1 国士舘大学調査隊による、2005 ~ 2009 年までの発掘区域と、Ab An-Namil
図 2 発掘地とグリッド名
8
第一章 ウム ・ カイス発掘調査、2009 年
図 3 国士舘大学調査団の発掘域
図 4 2009 年、発掘された遺構
9
(2)層位
H15 断面
写真 1 J12 のモザイク床上の堆積状況と J11 のモザイク床上の堆積状況
L.1
L.2
L.3
図 5 H15 East 写真測量断面図
10
第一章 ウム ・ カイス発掘調査、2009 年
L.1
L.2
L.3
L.4
図 6 H15 South 写真測量断面図
写真 2 H15 S-E corner
写真 3 H15 S-W corner
11
L.1
L.2
L.3
L.4
図 7 H15 East 写真測量断面図
L.1
L.2
L.3
L.4
図 8 H15 North 写真測量断面図
12
第一章 ウム ・ カイス発掘調査、2009 年
写真 4 H15 N-W corner
L.1 層 :
H15 の南側(H15-South)には深く掘りこんだ溝状遺構が検出された。そのすぐ南側(G15 の北側)にはバサ
ルトの壁があり、その壁までの幅 1m 以上、長さ 4m 以上、深さ 3m 以上を深く掘りこんでいる。掘りこみ面が
表層に近いところであり、他の塹壕の掘りこみ面(H15-W)と同じであることから、軍隊が掘りこんだとも考え
られる。この層を Layer.1 としてその中で L.1-1、L.1-2 と分けられ、この掘り込みは L.1-2 の層になる。
L.2 層 :
その下層(Layer.2)の上部は小、中礫が全面に敷かれていた。この敷石はモザイク床の基礎部になっている(I12、
H13、H14、I14、J14 など)ことから、この H15 でも、モザイク床が存在していたということが言える。また L.1
の表層で、多くのテッセラが出土していることからも、モザイク床があったことが推察できる。そしてその敷石
の下には不揃いの石が土砂に混じって埋められたような状態で堆積していた。
L.3 層 :
更にその下層(L.3)には石灰岩が小さく砕かれた礫の白い堆積が約 15 ~ 20cm の厚さで、全面に検出された。
この一帯(H16、H15、H14、I15、I14)はこの白い石灰岩層で覆われている。この層は単に平坦なレベルを取
る目的のためになされたものか、或いは下層のものを覆うためになされたものかは分からない。ただ下層(L.5)
にハウスと称している建物が検出されており、またこれらの遺構が検出された箇所(H15、I15、H14、I14)上
層にはこの白い石灰岩層が検出されている。
この白い層は上下の層が乱れて層位的に区別しにくいことが多い遺跡の層中で、明瞭に上下の層が区分けできる。
L.4 層 :
この層の下層(L.4)は土砂の堆積の中に大礫が含まれていることから、この層は埋められた可能性が高い。
L.5 層 :
L.5 層はハウスに伴う床の上に堆積している層である。ただしそれは建物が放棄された後に堆積したものであ
り、所謂床面直上の遺物が検出されていない。しかしながらこの部屋の床近くからは後期ローマ時代の土器片な
どが確認されている。
13
I15 断面
L.1
L.2
L.3
L.4
図 9 I15 East 写真測量断面図
L.1
L.2
L.3
L.4
L.5
図 10 I15 South 写真測量断面図
14
第一章 ウム ・ カイス発掘調査、2009 年
写真 5 I15 S-E corner
写真 6 I15 S-W corner
15
L.1
L.2
L.3
L.4
L.5
図 11 I15-West 写真測量断面図
図 12 I15-North 写真測量断面図
16
第一章 ウム ・ カイス発掘調査、2009 年
写真 7 I15 N-W corner
写真 8 I15 N-E corner
17
写真 9 I 15 の西側の断面写真上層は塹壕
L.1 層 :
I15 の北西コーナーでは軍隊の塹壕約 4m × 4m の遺構が確認され、地表近くから深さ 1m ほど掘り込まれて
いた。
L.2 層 :
この南西コーナーにも石灰岩層の上に堆積層があり、その下層(L.2)の上部には中礫が敷かれていた。おそら
くここにもモザイクが敷かれていたと思われる。石敷きの下部は中礫混じりの土砂の堆積がみられるが、基礎と
すべく大石を敷いている箇所(I15-S)もある。
L.3 層 :
その下層には白い石灰岩層(L.3) が一面に観られる。この白い石灰岩層は I15 の北西から H15 の南東へ緩や
かな傾斜で広がっているようである。ただ北西角は塹壕建設の時にこのレベルまで掘り下げられ、白い石灰岩層
は見られない。
L.4 層 :
下層の L.4 層は西の断面(I15-W)に観られるように大きな石灰岩の堆積もある。その堆積の中からはフレス
コ壁画や漆喰壁の破片が多数出土した。北側の断面(I15-N)に明らかであるように、バサルトの壁を深く掘り
下げて、石積みの基礎の上にバサルトの切り石を積み上げている。ただ西側部分はバサルトが一段しか積まれて
いない。そしてその上に土砂が堆積している。この堆積層の上層にはおそらく白い石灰岩の堆積があったと推定
されるが、軍隊の塹壕建設のために掘り下げられて、塹壕の床となっている。この堆積層が L.4 として I15 に堆
積していると、バサルト壁は白い石灰岩層よりも古い時期であり、当然モザイク床よりも古いことになり、モザ
イク床とバサルト壁には時期差或いは時間差があることになる。
L.5 層 :
この層はハウスの床の上に堆積している層であり、堆積の厚さは場所によって異なるが、その状況はハウスが
放棄された後に、自然堆積しているような状況である(I15-W)。またこの層からは後期ローマ時代の土器片やヘ
レニズム時代の土器片などが出土している。したがって、このハウスは後期ローマ時代のものと推定される。
L.6 層 :
またこの建物の北側の床に平らな石灰岩が 3 個並んで出土した。その石灰岩を剥いでみると、あまり締まって
いない、柔らかい土の堆積が観られ、そこから甕の破片などが出土した。それらはローマ時代、ヘレニズム時代
の土器片と思われる。さらにその北側に東西に延びた壁が確認され、このハウスの床の下層にはさらに古い、お
そらくヘレニズム時代のハウスと思われる遺構があることが判明した。
このように上層から下層に至るまでの層位の変遷がこれら 2 つのグリッド(H15、I15)で明らかになった。
ただこれらの時期をそれぞれに設定することには、更なる詳細な遺構や遺物の分析が必要である。
18
第一章 ウム ・ カイス発掘調査、2009 年
(3)遺構の調査
塹壕:
軍隊の塹壕が散在している。発掘されたところだけでも、方形の塹壕が J11、I13、I15 を中心として、ほぼ
4m × 4m × 1.5m の深さである。 表層(Layer.1)から下層深く掘りこんでいる。その他に細長い幅 1m 程度の
掘りこみ、周りに石を積み上げた塹壕もある。これらは G18、H15、などに見られるが、直線ではなく曲線を描
いている。浅いものは 1m 前後、深いもので 2m 位はある。ただ深いもの(断面写真測量図の H15-W)はトイ
レのような施設かもしれない。現在も特にウム ・ カイスの周りには張り巡らされた細長い塹壕が残っているし、
一部は使用されているようである。我々の発掘地では北側の少し段になった、市壁の外側の南側に掘られている。
これらの施設は古代遺跡の保存状況に多大なる影響を与えている。その下層に、それらが観察される。その表層
(Layer.1)を発掘すると広い範囲で瓦片、土器片、大理石や石灰岩製の象嵌装飾品片、鉄釘、コインなどが出土し、
その下にはモザイク床が検出された。
モザイク床:
モザイク床の範囲は西側では H11、I11、J11、K11、L11、M11、N11 の 11 ラインが西端であり、北側では
L11 が北端であり、東端は J14 であり、南端は H11、H12、H13、H14 が残存していた。しかしながらモザイ
ク床の基礎部分には共通した中礫を敷いていることが明らかであり、その範囲を見ると、それらのモザイク床を
囲むようにして、バサルト壁が造られている(図参照)。これらのモザイク床は 2 つの箇所に区分される。道路
側に近い南側に 10m(南北)× 40m(東西)× 0.85m(壁幅)の黒いバサルト(玄武岩)が 3 ~ 4 段に積み上
げられ、巨大な構造物を見せている。これらには入り口、窓のようなものは見当たらず巨大な建物の基礎ではな
いかと思われる。そしてモザイク床は最も西側(H11、H12、I11、I12)の区画(7.75m × 10.5m)で区分けさ
れ、その東側には硬い石灰岩の仕切り石が一段、そして南北に一列に並んで出土した。これらの石の上面は少々
丸みがあって、その上にさらに切石を積み上げて高い壁を造ったとは考えがたい。したがって空間を区分けする
ための仕切り壁あるいは円柱の土台であるスタイロベートの可能性が高い。またモザイク床には各種の色を持つ
テッセラが並べられて幾何学文様が作られている(写真参照)。残念ながら中心部と北西部分の床が壊されている。
恐らく I11 に造られた塹壕建設によって破壊されたのだろう。
19
写真 10 市壁、バサルト壁、モザイク床
写真 11 モザイク床
20
図 13 原図の復元
第一章 ウム ・ カイス発掘調査、2009 年
写真 12 双頭の鷲?
文様を持つモザイク床はここだけしか確認されていないことから、他の区画と比較して、ここがこの建物の中
心部だった可能性が高い。そしてモザイク床は東側の区画へと延びて、H14 まで残存していたが、さらに H18
まで延びていた可能性がある。しかしながら大量のテッセラがこれらのグリッドから出土したが、多くは白っぽ
い石灰岩のテッセラのみで色鮮やかなものはほとんど出土していない。そしてモザイク床がこのバサルト壁の範
囲の中に位置していることから、このバサルト壁とモザイク床は同じ建造物と思われるが、バサルト壁の上面と
モザイクの床に 10cm ほどのレベル差があって、モザイク床が高い。また仕切り壁はバサルト壁の上に直接載っ
ているのではなく、その間には割り石や土砂が混じっていることから、バサルト壁を再利用してモザイク床が造
られた可能性もある。
21
写真 13 I12: 仕切り壁及びモザイク床とバサルト壁の割り石が詰められている
写真 14 I11: 岩盤の掘り込み、バサルト壁、石灰岩の敷石
バサルト壁の上部構造がどのようになっていたのか、ほとんど残っていないので、不明である。またモザイク
床の直上からも大量の瓦片や大理石製あるいは石灰岩製の象嵌装飾品が出土したが、いずれも破片であり、完
形に復元できるものは全くなく、また多くの土器片もいずれも小片であることなどや、表土から僅かに 30 ~
40cm でモザイク床であり、放棄された後も再利用されたり、また壁に使用されていたと思われる切石が移動さ
れたりしている。
22
第一章 ウム ・ カイス発掘調査、2009 年
断面写真測量図
図 14 H12-North モザイク床上の堆積
写真 15 H12 のモザイク床と断面
写真 16 H11 と H12 のモザイク床と断面
23
図 15 H11-East モザイク床の上の断面
図 16 H1 1-South モザイク床と表層の堆積(右手は軍隊の塹壕)
図 17 H12-West モザイク床の上層の堆積
例えば、J11、J12、K13 などでは、石灰岩の切石がモザイク床やタイル床の上に散乱していた。そしてこの切
石とモザイク床の間(5 ~ 15cm)からも瓦片や、土器片が出土した。軍隊の塹壕の壁にもバサルトや石灰岩の
切石などが再利用されている。そしてまた埋められた可能性もある。従って出土物の詳細な分析が必要である。
24
第一章 ウム ・ カイス発掘調査、2009 年
写真 17 H11:瓦片などの出土状況(右側は G11 のバサルト壁 )
写真 18 H11(西側)
写真 20 H11-3( バサルト壁の上に堆積した石灰岩 )
写真 19 H11-2
写真 21 H11-4 のバサルト壁
25
写真 22 H11( 東側 ) のモザイク床上の瓦片出土状況
写真 23 投げ込まれた瓦?埋められたモザイク床?
写真 24 H11 のモザイク床の上に作られた壁
タイル床:
このモザイク床と同様にタイル床とその周りにモザイク床を持つ構造物が北側の発掘地で(J11、12、13、
K12、13、14、L11、12、13、14)、2009 年明らかになった。
26
第一章 ウム ・ カイス発掘調査、2009 年
図 18 タイル床と周りのモザイク床
27
写真 25 J12:モザイク床の上に載っている切石
写真 26 J11、J12:タイル床の周りを囲むモザイク床
28
第一章 ウム ・ カイス発掘調査、2009 年
写真 27 J13:タイル床と切石
写真 28 K13:水道パイプ
写真 29 J11: 大理石、瓦の出土状況
29
ただ南側のモザイク床の北側のバサルト壁を利用していることから、若干後に付設された施設と考えられる。
L11、L12、L13、L14 から北側の北端は崩れてその床は見られない。タイル床の西端(K12)から東端(K14)
方向の長さ 11.6m が方形だとして全体を推定してみると、タイル床は 11.6m × 11.6m、外スタイロベートの外
形、即ちモザイク床の内側は 13.0m × 13.0m、外側のタイル床の枠は 29.0m × 29.0m、更に外側の基礎壁は東
西 30m 以上、南北 13m、推定 18m、そして仮にテラス状になっていたとすると、北端の岩盤が海抜 336.5m で
あり、タイルそしてモザイク床が 338.5m であることから、高さ 2m の石垣、或いは基礎壁が必要となる(全体
図、断面図参照)。この北側部分にはタイル床の下になるレベルで、水道管が東西に連なっていた。これらのタ
イル床を中心としたモザイク床は広いテラス状のフォルムを形成していたのではないかと推定される。北側の岩
盤は急激に低くなっているので、バサルト壁の基礎の内側に大量の土砂、円柱や、壁に使われた切り石を埋めて、
テラスを造ったのではないかと思われる(L12、L13、L14)。
バサルト壁:
モザイク床を囲むようにして、バサルト壁が造られている(図参照)。これらのモザイク床は 2 つの箇所に区
分される。道路側に近い南側に、10.5m(南北)× 40m(東西)× 0.85m(壁幅)の黒いバサルト(玄武岩)が
3 段に積み上げられた巨大な構造物が発掘された。これらには入り口、窓のようなものは見当たらず、巨大な建
物の基礎ではないかと思われる。
西側のバサルト壁は方向をやや東に変えて延びているが、N11 では更に東側に方向を変えている。ただ N11
のこの壁は近代に造られたものだろう。J11 の西側にはその延長の壁が見られるが、同じレベルには石灰岩の壁
があり、その下段にはバサルトの壁となっている(L11)。またやや壁の厚みも小さく 0.6m となっている。南側
の堅固なバサルト壁に比較するとやや貧弱で作り方も粗雑である。
また K14 の東側については未調査で詳細は不明だが、J11 から西に 45m 延びていたバサルト壁が J19 におい
て北方向に直角に曲がって北方向に延びている事が明らかになった。従ってこれが東側の端になる可能性もある。
その長さはタイル床と周りにモザイク床を持つ遺構の 2 倍の長さになる。
南側モザイク床遺構と北側タイル床遺構の上部構造や機能はまだ明らかではないが、その規模が明らかになっ
てきた。
図 19 N11 から南の Documanus Maximus までの断面図
東側遺構:
写真 30 H18: 東側遺構の壁 ( 上 )、壁 ( ハウスと同時期の壁か )、バサルト壁 ( 右 )
30
第一章 ウム ・ カイス発掘調査、2009 年
写真 31 H18 の 2 列のバサルト壁、ハウスの壁?手前に東側遺構の壁
写真 32 I18 の東側遺構の壁
これらの遺構の東側(G18、H18、I18、H19、I19)に新たに壁が検出され、これらはより古い壁を壊し、ま
た利用して、造られている。特にそれらは H18 において複雑に切りあっている。明らかなことはバサルトの壁
を壊し、また基礎としても利用していることである。また遺構は東側に延びており、モザイク床の遺構とは別に
東側に造られており、バサルト壁よりは新しい時代の遺構であることが言える。また遺物についてもモザイク床
の出土物に比べより新しい時代、恐らくウマイヤ朝時代の土器片が目立っている。
写真 33 ウマイヤ朝時代の土器片
31
ハウス:
15、I15、H14、I14 のグリッドで、モザイク床の下層において、ハウスと称している遺構が検出された。
遺構は幾つか区分けされた部屋からなっている。北側と南側はバサルト壁があり、これらによって切断されてい
る(I15 の北断面)。部屋の内側にはモルタル、漆喰が塗られている。また I15 の南東に閉塞された入り口が確認
され、H14 にも入り口が検出された。この時代と思われる遺構としては、H18 に東西に延びる壁が確認されている、
そしてその東側に南北に造られた壁によって切断されていた。このハウスと称される時代の遺構は J11 において
は、確認されていない。
図 20 J15 からローマの通りまでの断面図
床下遺構:
この I15 のハウスの床に 3 枚の石灰岩の平たい切石が敷かれていたが、それを外して部分的に発掘し少数の遺
物を採集した。同時にそのすぐ北側に東西に延びる壁を確認した。これはこのハウスより更に古い時代の遺構と
なる。次期シーズンの発掘で明らかにされるであろう。
写真 34 I15:床下遺構
(4)調査結果と問題点
遺構としては、表層近くに広い範囲にモザイク床(タイル床を含む)が広がる。しかしその壁や円柱などが検
出されず、どのような建造物であったが、推測できない。
32
第一章 ウム ・ カイス発掘調査、2009 年
そしてそのモザイク床の周囲を囲むように、バサルト壁と称しているバサルトで作られたおそらく巨大な建造
物の基礎であろう壁が検出された。あまりにもその範囲が一致していることから、モザイク床に伴う建造物の基
礎部としてバサルトで基礎が作られたのだろうと推定した。
しかしバサルトの壁の上面とモザイク床のレベルが異なることや、バサルト壁の上にスクリーン(Chancel
screen)あるいはスタイロベートかもしれない石灰岩が直接積み上げられておらず、その間に空隙が観られる。
そして I15 の北面の断面に観られるようにバサルト壁の上の堆積層が白い石灰岩層の下層(L.4)に相当するこ
とから、層位的に時代差或いは時間差があることが明らかになってきた。
そうするとバサルト壁のオリジナルの建設目的を考えなければならないが、それに伴うような遺構は他に見つ
からず、仮に上部建造物があったとしても、その痕跡は見当たらない。ただ何処から大きな石灰岩や玄武岩など
で作られた円柱や切り石が、H16、H18 や I11 などに投げ込まれたかのようにして堆積している層がある。これ
らは L.4 に相当するものであり、白い石灰岩層の下層にあたる。従ってこれらがバサルト壁の上に建設されてい
た建造物と関係するのか、詳細に調査を進めていくことが必要である。この L.4 の層からはビザンツ時代の土器
片やランプ片などが確認されている。
埋められた L.4 の層の下にはハウスが放棄され、埋まった状態で検出された。その壁にはモルタルが塗られて
いた。
L.1 層:
軍隊の塹壕を含む近代の層であり、その出土遺物からは 1971 年ころの銃弾も確認している。またテッセラ、
土器片、瓦片、コインなどが出土している。これらの多くはローマ時代、ビザンツ時代のものと思われるが、東
側のグリッド H19、I19、J19 などや、G18 のグリッドではウマイヤ朝の土器片などが出土した。特に G18 では
土器片のみならずコイン、鉄釘、獣骨など多数出土した。
L.2 層:
モザイク床に伴うものでモザイク床を作るために土砂を埋めて平坦にして小・中礫を敷いて、その上にモザイ
クを貼っている。しかしこのモザイク床は基礎が硬く固定されていないことから、モザイク床が柔らかく浮いた
ような感じである。ウム ・ カイスの他の場所のモザイクの例をみると基礎がモルタルで固められており、それに
較べるとモザイク床の建設が雑で、粗い造りである。また幾何学文様の図柄のあるモザイク床が確認されている
が、中心部などが破損している。またこの上部構造は壁も残っておらず、屋根があったかも不明であるが、瓦の
破片は多量に出土している。土器片や、瓦片、板状や象嵌用の大理石なども数多く出土しているが、いずれも小
片で、また接合して完形品になることはないところから、建物が倒壊した時のままの出土品とは考えられない。
むしろ他の地区から運ばれてきて、埋められたような堆積である。時期的にはビザンツ時代と推定している。
L.3 層:
これは白い石灰岩層であるが、遺物は含まれていない。
L.4 層:
この層はどこか別の遺構を壊して、また他の場所の土砂を大量に運んできて埋めているようである。遺物はロー
マ時代の土器片なども含まれているが、ビザンツ時代の土器片が含まれている。
従って白い石灰岩層の下層(L.4)も、上層(L.3、L.2)もビザンツ時代とすると、その時期差があまりないこ
とになる。それは L.5 層の上に土砂を埋めて最終的にモザイク床を作るまで、すべて一貫して、短い期間のなか
で行われた可能性が出てくる。またそれは、バサルト壁が作られた後のことである。そのバサルト壁は岩盤の上
に築かれるか、I15-N に観られるような堅固な基礎を作っているが、そのバサルト壁に伴う床面や層は確認され
ていない。ただ、そのバサルト壁は古いハウスの遺構を切り込んで、建設されていることは明らかであり(I15
の北東コーナー)、その時期は L.5 のハウス放棄後の時期であろう。そうだとすると、バサルト壁の建設とその壁
の中の空間を埋めてそしてその上にモザイク床を築くまで、ビザンツ時代に行われた大事業の跡であることにな
る。したがって層位にはその開きが厚さ 3m ほどになって、L.2、L.3、L.4 とみられるが、その時期差はほとんど
ないことになる。
L.5 層:
そのバサルト壁が切りこんだのがハウスの L.5 に相当する層であり、後期ローマの時期と推定している。
L.6 層:
またハウスの床下に L.6 層があり、壁も確認している。この時代はヘレニズム時代の可能性がある。
33
(5)Objects
Almost all of the excavated soil from the excavation area sifted. A variation of object and finds were listed,
documented, and computerized. They well publish by separate appendix when the analyses and classification
complete. So a little comment is possible, and will describe briefly.
写真 35 Lamb
Roof Tile
A large amount of many hundreds of red roof tile fragments associated with iron nails were found in thin
layer of soil just above the mosaic floor, however, none of them found in situ especially in the north-west area
of the mosaic floor. A study of their sizes and angles well help for understanding the details of possible roof
construction.
Marble
A considerable amount pieces of marble varies from green, to white, and to red, and from thick to thin were
found in different places in excavated area close to the top levels of the mosaic floor. The most significant marble
pieces were many pieces of decorative and stone inlays, and some pieces are represented leaves flower. In this
type of decoration patterns formed by stones of various kind and colors cut into geometric shapes. None of the
inlays was in situ; many individual pieces were found scattered all over the excavated area. These fragments of
marble probably belong to geometric frame of wall decoration similar to those found in church excavated in Pell
(see p.95 Pella 2.Pl.24A, C).
写真 36 Stone Inlays from excavation
34
第一章 ウム ・ カイス発掘調査、2009 年
Plaster
Substantial quantities of plain white wall plaster remain on the wall of rooms. Only a few pieces of painted
plaster were recovered of red, and yellow, some pieces have geometric design represents thin band of red and
yellow on white background. Several pieces are cornice, they, probably belong to ceiling.
写真 37 Plaster
Glass
Many pieces of glass were found. Few pieces came from well-stratified deposit. They await analysis.
Metal
Several of iron nails were excavated throughout the mosaic floor, and the plastered rooms. Other metal finds
include slag pieces await analysis.
写真 38 Iron Nails
Coins
Almost seventy-one coins were found during excavation, among them five well preserved, none seem useful in
dating the mosaic floor and plastered rooms.
Inscription
One soft limestone shaft of column with almost nine of scratched Greek letters framed with Tabula Ansata was
found in simple structure located behind of northern stylobate of the main street. The shaft was reused as apart
of a wall. It awaits analysis.
35
Acknowledgement
Our thanks go indeed and foremost to the General Director of Department of Antiquities of Jordan Dr.Fawwaz
AL Khraysheh. For his cooperation, encouragement, and the excavation permit. The representatives of the
Department of Antiquities were Naser AL Zou'bi, Abed AL Raouf Tbeshat, and Taha Batayneh. And we would like
to thank the Umm Qais Archaeological Office Inspector Mr.Salmeh Fayyad for his cooperation and help, and to
the local inhabitants of Umm Qais village.
References
Kerner, S
1997 Umm Qais: A Preliminary Report 1993-1995. ADAJ 41:238-298
1992 Umm Qais: Recent Excavation. ARAM 4:407-423
Smith, R, H. and Lesilie, P. D
1989 Pella of Decapolis II. Sydney
Thomas, w, and Hoffman, A
1990 Gadara of the Decapolis: Preliminary Report of the 1989 season at Umm Qais. ADAJ 34: 321-336
36
第二章 出土遺物 2−1 ウム ・ カイス遺跡出土の瓦について 2
第二章 出土遺物 Objects
2-1 ウム ・ カイス遺跡出土の瓦塼について 2
Roof Tiles Excavated from Umm Qais 2
戸田 有二 * 1
松本 健 * 2
1.はじめに
ウム ・ カイス遺跡において 2005 年度より国士舘大学文化遺産研究プロジェクトの一環で実施された発掘調査
で、2000 点を超す瓦塼が調査区域内から出土した。またこのほかにも遺跡内からは多くの瓦塼が出土している。
ウム ・ カイス遺跡出土瓦については、かつて 1997 年に K.J.H. フリーツェン(Vriezen)と N.F. ミュルダー(Mulder)
が共著論文(註 1)として発表したものがあり、これは製作技法の面から論じたものであるが、西アジアにおけ
る唯一の瓦塼関係の論文である。 過去 5 年間に於いてわれわれがウム ・ カイスで確認した 2000 点以上の瓦塼には完形品が 1 点もない。その理
由は瓦の出土状況が示しているように、本来の瓦葺き建物跡の場所から後世の整地等に伴い移動された場所に堆
積していることと関連するものと考えたい。瓦塼はほぼ城壁内全域から検出されるが、今回ここで扱ったものは
国士舘大学文化遺産研究プロジェクトが発掘調査を実施した西門(初期ローマ時代)からローマ道を挟んだ北側
の市壁内側の地域出土と、これに加えてヨルダン考古局が発掘調査した初期ローマ期西門の南東に位置する八角
堂広場付近(OCTA)出土のもの、同じく西門から南に約 80m 付近の市壁の内側地区(ヨルダン考古局整理番号
253・259G)より出土したものである。
2.瓦塼類
屋瓦には中国を起源とする東世界の瓦とギリシャを
女瓦
狭端部・面
起源とする地中海世界の瓦、そしてその中間にインド
凹面
を起源とする瓦がある。これら 3 地域を起源とする造
瓦はいずれも紀元前に開始されたもので、現在各地域
で行われている瓦作りはこれら何れかの造瓦を継承し
裏面
突起部
側面
たものである。
広端部・面
ウム ・ カイス遺跡出土の瓦は地中海世界の瓦に起源を
もつものであるが、すべて紀元後の瓦でテグラ(Tegula)
狭端部・面
と呼ばれる女瓦とインブリクス(Imbrex)と呼ばれる
男瓦がその大半で、そのほかに浴場<カルダリウム(蒸
気を用いた高温浴室)>の用材として使用された塼が
ある。本稿中瓦についての記述を行うに当たり、瓦各
広端部・面
凸面
部の名称については図示(図 1 女瓦・男瓦各部名称)
したものに従うものとする。
側面
凹面
男瓦
図 1 女瓦・男瓦各部名称
* 1 国士舘大学文学部史学地理学科考古 ・ 日本史学専攻
* 2 国士舘大学イラク古代文化研究所
37
(1)女瓦(Tegula)
完形品が確認できないため瓦全体の数値を把握できるものはないが、大小数種類存在するようである。また
東洋でみられるところの瓦の面に布目の存在するものは1点もない。瓦はいずれも地中海世界で分類されてい
るところのシシリー式、コリント式の女瓦と一部ラコニア式女瓦がある。シシリー式及びコリント式女瓦は両
端を折り曲げた突起部を持つものが大半であるが、この他に上端および両端に突起部を持つもの(OCTA018、
OCTA017)、また両端に突起をもつものの中には中央部よりやや上方の位置から突起の部分が施されるもの
(OCTA15、253・259G022)などがある。また突起部の作りであるが詳細によく観察してみると平坦部と突起部
が同一の粘土にも見えるため、粘土帯を貼り付つけて製作したものではないことが解る。ウム ・ カイス瓦の製作
技法についてはかつてミュルダーの前記論文(註 1)で指摘されているが、それは次のような製作技法である。
長方形型枠に粘土塊を押圧し粘土板を作製しナデ等で凹面を調整する(この場合枠から粘土板を取り出して裏返
し、凸面もナデ等で調整するものもある)。次に粘土板素材を枠から離して左右長短部を折り曲げ、または折り
重ねて突起部を作る。左右端部を折り曲げ ・ 折り重ねるにあたっては、あらかじめ瓦の長さよりもやや長めの突
起部幅と同幅の板状具を粘土板の下に置き、これで折り曲げ ・ 重ねをする。最後に手のヘラ、指、工具、型など
によって凹凸面を成形して仕上げる、というものである。
今回確認したものでは女瓦の粘土素材として粘土紐素材のものは全く認められず、瓦の大半は粘土板によるも
のであることを確認した。また多くの瓦の断面には粘土を不規則に積み上げたような「たたら」の痕跡が認めら
れることからも同様である。瓦それぞれ面の仕上げの整形は凹面・側面・突起部面がタテ、ヨコ、不定方向のケ
ズリ、ナデ、ミガキ等で丁寧に施されるものが多いのに対して、裏面はそれに比べ多くの瓦塼ではあまり丁寧な
仕上げが行われていないことも確認できた。
それぞれの瓦の厚さについては薄いもので 2cm 前後、厚いものでは 3.5cm 前後を測る。側面の厚さも同様約
で 4 ~ 6cm 前後までのものがある。突起部の高さについても平坦面からの立ち上がりで 1cm 前後から高いも
ので 3cm 程までのものがあり一定ではない。さらに突起部の断面もその形状は上面が平坦なもの、やや逆 V 字
形をなすもの、逆 U 字形をなすもの、その中間のものなどあり、厚さも一定でない。また突起部の立ち上がり
には凹面端部でほぼ直角をなして立ち上がるもの、やや内傾して立ち上がるものなどがある。現状では裏面・凹
面に漆喰の痕跡のあるものと全く認められないものがある。また中には白色塗料の施された痕跡(OCTA001、
OCTA041)のあるものもあるが、遺跡内では石柱に白色塗料の施されているものが残存するため一部の瓦にも
白色塗料の施された可能性は考えられる。そ
のほか瓦は全体的に焼成があまり温度の高
く な い 酸 化 煙 焼 成 と 考 え ら れ、 色 調 は 淡 褐
色、赤褐色、暗褐色のものが多く、堅く焼き
しまった還元煙焼成のものは一点もない。胎
土はあまり良好とはいえず小礫など混入し
たものが多い。これは男瓦(OCTA050)、塼
(253・259G013)でも同様の例が認められる
が、胎土中に土器片の混入(J-18-1)したも
のが存在する。また大半の瓦には裏面と凹面
の一部に漆喰が付着している。
写真 1 土器片混入土器
(253・259G013)
写真 2 土器片混入塼
(253・259G013)
(2)男瓦(Imbrex)
今回男瓦についてはシシリー式とラコニア式の 2 種類が確認されている。断面三角状の切り妻屋根形のコリン
ト式の男瓦については、以前西劇場の北側に位置する八角堂教会建物跡南側の隣接区域および教会跡西側のロー
マ時代の商店街とされている北西地区で出土が確認されていることは、K.J.H. フリーツェン(Vriezen)と N.F. ミュ
ルダー(Mulder)の共著論文で製作技法とともに 1997 年に報告(註 1)されているが、今回の 5 ヶ年にわたる我々
の発掘調査では確認されなかった。
出土した瓦はいずれも完形品がないため瓦全体の数値を把握できるものはない。ただこれらの発見された資料
を観察するかぎり男瓦の場合は女瓦と異なって大小にあまり大きな差がないもの思われる。瓦の厚さは 2 ~ 3cm
ほどで、端部は広端部と狭端部のある半円形断面の男瓦である。男瓦も女瓦と同様に東洋で行われている技法状
の特徴の一つである布目痕跡の存在するものは1点もない。
38
第二章 出土遺物 2−1 ウム ・ カイス遺跡出土の瓦について 2
凸面の整形はヨコ及びタテ方向のケズリ、ナデによるものが大半であるが、中には広端部付近に三条ほどの
ヨコ方向に施された轆轤痕状の凹溝が存在(OCTA037、OCTA051)するものもある。凸面には漆喰の痕跡が
残るもの(OCTA031)もある。側面はタテ方向にケズリの後ナデによって仕上げるものもある(OCTA050、
253・259G051)。 広 端 部 及 び 狭 端 部 側 面 も 丁 寧 な ナ デ を 仕 上 げ と し て い る。 漆 喰 が 付 着 す る も の も あ る
(OCTA032)。またその他に側面から凹面にかけて漆喰が付着するものもある(OCTA025、OCTA031)。今回確
認した男瓦は女瓦と同様に粘土素材として粘土紐 ・ 帯素材のものは全く認められず、瓦の大半は粘土板によるも
のであることを確認した。また多くの瓦の断面には粘土を不規則に積み上げたような「たたら」の痕跡が認めら
れることからも粘土板素材であることがわかる。瓦における格面の仕上げ整形は凹面・側面・突起部面がタテ、
ヨコ、不定方向のケズリ、ナデ、ミガキ等で丁寧に施されるものが多いのに対して、裏面はそれに比べ多くの瓦
塼ではあまり丁寧な仕上げが行われていないことも確認できた。
瓦は全体的に観察して焼成は女瓦同様あまり温度の高くない酸化煙焼成と考えられ、色調は淡褐色、赤褐色、
暗褐色のものが多く、堅く焼きしまった灰色または青灰色を呈した還元煙焼成のものは 1 点もない。胎土はあま
り良好とはいえず小礫などが混入したものが多い。これは女瓦(J-18-1)、塼(253・259G013)でも同様の例が
認められるが、胎土中に土器片の混入(OCTA050)したものが存在する。
男瓦についてもかつて K.J.H. フリーツェン(Vriezen)と N.F. ミュルダー(Mulder)の共著論文で製作技法が
述べられているが、それは次のような内容である。
木製半円形型枠の中に粘土塊を押しつけて粘土板素材を作る。次に枠から粘土板をはずし、板状の粘土を切り
取って内側の型枠に貼り付けて不要部分を切り取る。最後に男瓦の表面を成形仕上げして枠板からはずす。
概略はこのような行程作業である。ここでいう成形台は固定されたものではなく、ごく簡単な半円形にした杵
状の型を想定されている。一枚作りの成形台である。最後の行程にあたる凸面の成形は手のヘラと指で仕上げ
る。ウム ・ カイス遺跡内では前記のごとく、広端部付近に三条ほどのヨコ方向に施された轆轤痕状の凹溝が存在
(OCTA037、OCTA051)するものもある。同様の例は周辺地域の遺跡内で出土する同時代の多くの男瓦凸面にも
確認できる。これらすべての男瓦凸面が手のヘラによる成形痕とは言い難いながらも、同様に思われるものは多
くある。
(3)塼
塼についても城壁内外から多く確認でき、城壁内では全域に散布している。出土する男瓦・女瓦の状況とは異
なり断片が最も多いが、中には 20 点近くの完形品もあるためその大きさもわかる。おおむねその形には円形の
ものと方形もしくは長方形のものがある。これらの塼には完形品も含まれているが円形塼で直径 21 ~ 22cm、
厚さ 4 ~ 4.5cm で側面および表面は丁寧なナデ整形を仕上げとするが、裏面はあまり目立って調整は行っていな
い。方形塼については完形のもので一辺 23 ~ 24cm、厚さ 4cm 前後あり、円形塼同様側面及び表面はナデ、ミ
ガキなどの仕上げ調整が施されるが、裏面は無調整である。裏面には漆喰が付着するものが多くある。合計する
と 2000 点以上の塼を観察したが、これらの中から 140 点余りの塼に文字の書かれているものが確認された。文
字の表記は指頭ないしは指頭状のもので書いたものと思われるものが大半を占め、これに対してヘラ書の文字は
少ない。書かれた文字はすべて一文字である。
製作技法は、日干し煉瓦製作技法と同様に、方形または長方形の枠の中に粘土を挿入して形を整え型枠をはず
す。女瓦同様特に上面及び側面はタテ、ヨコ、不定方向のケズリ、ナデ、ミガキ等で丁寧に仕上げるものが多い
のに対して、裏面は多くの塼では丁寧な仕上げが行われていないのが圧倒的である。これは円形塼の場合は、方
形塼同様に方形の型枠で粘土板を作成しこの四隅を切り取って円形に整えているようである。全体的に観察した
結果塼の焼成はあまり温度の高くない酸化煙焼成と考えられ、色調は淡褐色、赤褐色、暗褐色のものが多く、堅
く焼きしまった灰色または青灰色をていした還元煙焼成のものは一点もない。胎土はあまり良好とはいえず小礫
などの混入したものが多い。
39
3.文字瓦塼
文字瓦塼はヨルダン考古局が発掘踏査した初期ローマ期西門の南東に位置する八角堂広場付近(OCTA)出土
のものに 1 点と、同じく西門から南に約 80m 付近の市壁の内側地区(ヨルダン考古局整理番号 253・259G)で
出土した約 30 点。最も多く出土したのは国士舘大学文化遺産研究プロジェクトが発掘調査を実施した西門(初
期ローマ時代)からローマ道を挟んだ北側の市壁内側の地域から出土したもので、その数は 100 点程にのぼり、
合計すると現在まで 140 点程の文字瓦塼が確認されている。これら瓦塼にみられる文字は女瓦と塼に書かれたも
ので、男瓦に書かれた文字は現在のところ 1 点も確認されていない。文字の表記は「指頭」ないしは「指頭状」
のもので書いたものと「ヘラ書き」の 3 種あるが、ヘラが木のものは少ない。また瓦塼に書かれた文字はすべて
一文字に限られる。今回確認された文字は 10 種類ですべてギリシャ語と考えられ、いずれもおおむねその筆順
も確認できる。また文字の書かれた位置は何れも表面の中央から一方の隅よりまたは端部付近が最も多く、次に
中央付近に書かれたもの、少ないのは中央から一方の隅よりまたは端部付近であるが前者とは反対方向に書かれ
た文字である。現在判読できている文字は「Αアルファ」
「Γガンマ」
「Δデルタ」
「Εエプシロン」
「Ιイオタ」
「Κ
カッパ」「Λラムダ」「Οオミクロン」「Πパイ」「Σシグマ」「Φファイ」「Χカイ」などであるが、これ以外にも
判読できていないものが多くある。以下これらの文字瓦塼について概説する。
(1)Α アルファ
現在まで個数にして 15 点確認されている。これらのうち 1 点はフォルム南壁内側より出土したものであるが、
これ以外のすべては国士舘大学文化遺産研究プロジェクトが発掘調査を実施した西門(初期ローマ時代)からロー
マ道を挟んだ北側の市壁内側の地域で出土したものである。すべて指書きによるもので、記載された位置は瓦塼
の一方の下端隅に書かれている。書体には H-12-18-1、H-12-29-1、H-12-61-2、I-11-51004 タイプの全体的に
文字そのものが丸みを帯びたグループがある。さらにこの 4 点も H-12-29-1、H-12-61-2 の文字が上の筆はこび
が直線的であることと、下の筆はこびを一筆で書きあげていること、これに対して H-12-18-1、I-11-51004 の
文字は上の筆はこびが丸みをおびていることと、が下の筆はこびを二筆で書きあげている点で書体が異なる。ま
た筆順についても観察すると二通りある。H-12-18-1 の文字筆順はまず上の線を上から下に向かって丸みを描い
て筆 ( 指 ) をはこぶ。次に下の二本の書き込みが上の書き込みの上から、向かって左、右の順で筆を運んでいる
ことがわかる。もう一方 H-12-29-1、H-12-61-2、I-11-51004 の 3 点は、その筆順が最初に文字下の部分の上 ( 向かっ
て左 ) から斜めに筆を運び U ターンしてそろえる。最後に右の部分を上から下に筆をはこんでいる。フォルム南
壁内側については向かって左端の部分しかないが、筆順は確認できないがその書体から H-12-29-1、H-12-61-2
のグループに入るものと思われる。
もうひとつのグループは G-12-1、H-12-40-1、H-12-41-1、H-12-63-2、J-12-6、M-10-11-1 の 1 群である。
いずれも指書きであるが硬い感じの書体で文字の筆順は下の部分 2 本を向かって左、右の順で上から下に筆を
はこび、最後に上の筆を上から斜め下に筆をはこんで仕上げたものである。このほかにここでは示していない
が J-12-6 もこの 1 群に含まれる。また H-11-2 も断片であるため筆順は確認できないが、その書体から前記の
いずれかに含まれるものと思われる。I-12-5 については前記の文字書体とは明らかに異なるものである。筆順は
H-12-18-1 と同一である。アルファと判読するかどうかも含めて今後検討していきたい。I-11-1 については書体
がほかの文字と異なる。判読をデルタとすべきかとも考えてみたが、アルファに類似する書体が存在したので判
読したが今後さらに検討したい。
40
第二章 出土遺物 2−1 ウム ・ カイス遺跡出土の瓦について 2
H-12-61-2
H-12-29-1
I-11-51004
H-12-18-1
H-12-40-1
H-12-63-2
H-11-2
H-12-41-1
M-10-11-1
J-12-6
I-11-1
フォルム南壁
内側
G-12-1
図 2 Αアルファ
I-12-5
(2)Δ デルタ
現在まで個数にして全体で 4 点確認されている。I-11-3、J-12-3、J-12-7-1、253・259G002 で、このうち
253・259G002 はヨルダン考古局が発掘調査した初期ローマ期西門から南に約 80m 付近の市壁の内側地区(ヨ
ルダン考古局整理番号 253・259G)より出土したものである。それ以外はすべて国士舘大学文化遺産研究プロジェ
クトが発掘調査を実施した西門(初期ローマ時代)からローマ道を挟んだ北側の市壁内側の地域から出土したも
ので、すべて指書きである。記載された位置の確実にわかるものは 253・259G002 方形塼 1 点だけで、表面の中
央から一方の隅に書かれたもので、そのほかのものについては断片であるため明確ではない。書体の書き順には
二通りあり、一つは 253・259G002 で最初に下の筆の部分を向かって左方向から右方向に筆をはこび、次に左側
の斜め部分を上から斜め下に筆をはこんで書いたもの、もう一つは最初に右側の筆部分を斜め下に筆をはこび、
次に向かって右側の筆部分を斜め下に筆をはこんだもの、最後に下の筆の部分を向かって左方向から右方向に筆
をはこび、次に左側の斜め部分を上から斜め下に筆をはこんで書いたものである。
41
J-12-7-1
I-11-3
253-259G002
J-12-3
図 3 Δデルタ
(3)Ε エプシロン
現在まで個数にして 7 点確認されている。253・259G000A、253・259G023、253・259G031、253・
259G032、253・259G035、253・259G037、253・259G048、J-13-1 これらすべてはヨルダン考古局が発掘調査
した初期ローマ期西門から南に約 80m 付近の市壁の内側地区(ヨルダン考古局整理番号 253・259G)より出土
したものである。記載された位置の確実にわかるものは方形塼 1 点だけで、中央に書かれている。そのほかのも
のについては断片であるため明確ではない。書体はいずれも同じようなもので、向かって左を先に書き次に右側
を上から書きおろすという筆順である。
すべて指書きによるもので、記載された位置の確実にわかるものは方形塼 1 点だけで、中央に書かれている。
そのほかのものについては断片であるため明確ではない。書体はいずれも同じようなもので、向かって左を先に
書き次に右側を上から書きおろすという筆順である。
253・259G048
253・259G035
253・259G032
253・259G023
図 4 Εエプシロン
42
253・259G000A
253・259G031
253・259G037
第二章 出土遺物 2−1 ウム ・ カイス遺跡出土の瓦について 2
(4)Κ カッパ
現 在 ま で 個 数 に し て 約 30 点 確 認 さ れ て い る。253・259G043、253・259G045、H-11、H-11-5、H-116、H-12BULK-1、H-12BULK-2、H-12-10-1、H-15-5、I-12-3、I-12-6、J-11-4、J-11-15、J-11-16、J-1120-K27697、J-11-21、J-11-23、J-11-26、J-11-31、J-12-2、J-12-8、J-12-10-1、J-14-1、J-14-2、J-14-3、
J-14-6、I-11、I-14-11 これらはヨルダン考古局が発掘調査した初期ローマ期西門から南に約 80m 付近の市壁の
内側地区(ヨルダン考古局整理番号 253・259G)および、国士舘大学文化遺産研究プロジェクトが発掘調査を実
施した西門 ( 初期ローマ時代 ) からローマ道を挟んだ北側の市壁内側の両地域から出土している。 (5)Λ ラムダ
OCTA041、253・259G000A、253・259G001、253・259G049、H-11、H-11-7-A、H-12BULK3、H-12-2-2、
H-12-30-1、H-12-30-2、H-12-62、H-14-4、I-11-2、I-11-4、I-12-4-1、J-11-4、J-11-22、J-11-29、J-12-1、
J-12-8、L-11 これらはヨルダン考古局が発掘調査した初期ローマ期西門から南に約 80m 付近の市壁の内側地区
(ヨルダン考古局整理番号 253・259G)および、国士舘大学文化遺産研究プロジェクトが発掘調査を実施した西
門(初期ローマ時代)からローマ道を挟んだ北側の市壁内側の両地域から出土している。書き順はいずれも向かっ
て左が先で、右が後である。
253・259G000A
OCT041
H-12-30-2
253・259G049
I-12-4-1
I-11-4
J-11-22
J-12-1 の右下
図 5 Λラムダ
(6)Ο オミクロン
253・259G036、H-11-3、H-12-7-1、H-12-61-1、H-15-1、I-12-4、J-11-5、J-11-25、J-12-5、G-16-1 これら
はヨルダン考古局が発掘調査した初期ローマ期西門から南に約 80m 付近の市壁の内側地区(ヨルダン考古局整
理番号 253・259G)および、国士舘大学文化遺産研究プロジェクトが発掘調査を実施した西門(初期ローマ時代)
からローマ道を挟んだ北側の市壁内側の両地域から出土している。 (7)Π パイ
253・259G024、253・259G044、G-12-2、H-12-27-1、H-12-57-1、H-17-7、I-12-8、J-12-7 こ れ ら は ヨ ル
ダン考古局が発掘調査した初期ローマ期西門から南に約 80m 付近の市壁の内側地区(ヨルダン考古局整理番号
253・259G)および、国士舘大学文化遺産研究プロジェクトが発掘調査を実施した西門(初期ローマ時代)からロー
マ道を挟んだ北側の市壁内側の両地域から出土している。
43
J-12-7
G-12-2
253・259G024
H-12-57-1
J-12 -8
H-11-5
H-12-27-1
図 6 Πパイ
(8)Σ シグマ
253・259G033、253・259G047 これらはヨルダン考古局が発掘調査した初期ローマ期西門から南に約 80m 付
近の市壁の内側地区(ヨルダン考古局整理番号 253・259G)からのみ検出。
(9)Φ ファイ
253・259G-9-5、253・259G041、J-12-9、J-12-10、J-14-4、J-14-5 これらはヨルダン考古局が発掘調査した
初期ローマ期西門から南に約 80m 付近の市壁の内側地区(ヨルダン考古局整理番号 253・259G)および、国士
舘大学文化遺産研究プロジェクトが発掘調査を実施した西門(初期ローマ時代)からローマ道を挟んだ北側の市
壁内側の両地域から出土している。
253・259G-9-5
J-12-9
J-12-10
J-14-4
J-14-5
図 7 Φファイ
(10)Χ カイ
253・259G013、253・259G015、253・259G017、253・259G034、253・259G046、253・259G048、
253・259G048-A、253・259G050、J-11-30-2、J-11-32 これらはヨルダン考古局が発掘調査した初期ローマ期
西門から南に約 80m 付近の市壁の内側地区(ヨルダン考古局整理番号 253・259G)および、国士舘大学文化遺
産研究プロジェクトが発掘調査を実施した西門(初期ローマ時代)からローマ道を挟んだ北側の市壁内側の両地
域から出土している。
44
第二章 出土遺物 2−1 ウム ・ カイス遺跡出土の瓦について 2
4.遺跡内における文字塼の分布とその時代
全体で 2000 点以上の瓦塼を観察した結果、この 3%にあたる瓦塼に文字が確認された。文字の書かれたその
大半は塼であるが、その出土場所はローマ門より南に延びる城壁から内側のフォルムにかけて出土したものであ
る。このフォルムはローマ時代に建設され、城壁は初期ローマ時代に建設されたものと考えられている。瓦塼の
出土状況は建物に葺かれた瓦が倒壊してそのまま堆積したものではなく、フォルムのレベルから 30㎝~ 1m 程
度の高さより人為的に埋め込まれた状態で出土している。おそらく後世この場所を整地するために人為的に埋積
した状況と考えられる。したがってどの建物に使用した瓦塼なのか明らかでない。ただここで出土した塼の中に
は円形塼と方形塼が存在する。これらの塼の用途はジェラシュ遺跡、ぺトラ遺跡などの例から、その多くはカル
ダリウム(蒸気を用いた高温浴室)〉の用材として使用された塼であることが分かる。ウム ・ カイス遺跡内には 3 ヶ
所の浴場が確認されているが、今回調査した瓦塼の出土場所から北方約 50m と南東方向約 80 の場所に 2 ヶ所の
浴場が近接して位置する。これらはどちらもローマ時代のカルダリウムである。カルダリウムの廃棄後用材とし
て使用されていた塼が、この場所に整地のため人為的に埋積されたことが推測できる。そうなるとその時期が浴
場の存在した時期となる。
5.文字の示すもの
瓦塼にみられる文字の表記内容は「Α(アルファ)」
「Γ ( ガンマ)」
「Δ ( デルタ)」
「Ε(エプシロン)」
「Ι(イ
オタ)」
「Κ(カッパ)」
「Λ(ラムダ)」
「Ο(オミクロン)」
「Π(パイ」
「Σ(シグマ)」
「Φ(ファイ)」
「Χ(カイ)」
など 12 種類がある。数字におきかえると「Α(アルファ)」は 1、
「Γ(ガンマ)」は 3、
「Δ(デルタ)」は 4、
「Ε
(エプシロン)」は 5、「Ι(イオタ)」は 10、「Κ(カッパ)」は 20、「Λ(ラムダ)」は 30、「Ο(オミクロン)」
は 70、「Σ(シグマ)」は 200、「Φ(ファイ)」は 500、「Χ(カイ)」は 600 を、それぞれ示す。
今回は 2000 点以上の瓦塼の観察結果、140 点余りに文字が確認された。この他にも膨大な数に上る瓦塼が今
後出土することが予想される。当然この中には文字瓦塼が含まれるもので、また現在確認されている文字資料以
外のものも今後予想される。確認された文字は前述のようにギリシャ文字で、文字の表記は指頭ないしは指頭状
のもので書いたと思われるものが大半を占め、これに対してヘラ書の文字は少ない。書かれた文字はすべて一文
字である。
これらの文字はウム ・ カイス遺跡内においてどのような意味合いを持つものであろうか。瓦塼生産者、瓦塼製
作集団、瓦塼生産窯場、瓦塼発注者、瓦塼使用建物などいくつか考えられるが、この点については今後の課題と
する。
6.トランス ・ ヨルダン地域の遺跡における瓦塼の状況
ヨルダン国内においてウム ・ カイスの比較事例として瓦の踏査を行ったのは、アビラ、ジェラシュ、ペラ、ペ
トラ、アズラック城跡、ウマヤサスの各遺跡であった。報告のあるジェラシュ出土の瓦(註 2)以外については、
いずれも遺跡内に散布していた瓦塼の観察を行った。
アビラ、ジェラシュ、ペラの各遺跡では、遺跡内のほぼ全域にわたって瓦塼類の存在を確認することができた。
ペトラでは凱旋門付近にある大神殿の周辺に集中して見られた。これらの遺跡内で観察した瓦は堅く焼きしまっ
た青灰色の瓦はジェラシュとアビラ、アズラック城跡、ウマヤサスで確認したが、それ以外の遺跡では焼成にお
いてあまり温度の高くない酸化焔焼成と考えられるものが多かった。これらの瓦群はおもに色調が淡褐色、赤褐
色、暗褐色のものが多いのが特徴であった。
一方シリアでもボスラ、ダマスカス、パルミラで散布する瓦を観察することができた。ボスラでは遺跡内全域
で瓦の出土が認められ、それらの瓦は石に交じって集積されていたり建物の壁に埋め込まれたりしているものも
あった。特にまとまって確認できたのは、灯の門とローマ劇場の中間付近であった。
ダマスカスでは、城壁内のウマイヤ時代のモスクの北側で工事をしていたが、その場所で数点の男瓦・女瓦が礫
に交じって集積していた。パルミラの場合、遺跡全体に瓦塼類の散布が認められた。また地下式墓群の地域やと
りわけ城壁内ではアラート神殿の周辺および葬祭殿の周辺に多く確認された。
これらシリアの 3 遺跡において見られた瓦塼はほぼ同形態であった。男瓦の場合には幾種かの形態が見られ、
やや厚手と幾分薄手が観察できた。また凸面は端部付近に横方向で三条ほどの轆轤痕状の凹凸線が見られるもの
と、もう一種は極めて薄手のものであるが凸面に縦方向の沈線状のナデが確認できるものもあった。女瓦は分厚
45
いもの、やや薄手のものなどある。瓦の凹面突起部は 1 ~ 3cm 以上立ち上がるもの、突起部の厚さは 2 ~ 3cm
程のもの、突起部の断面は箱型のものと逆 U 字形のものを観察できた。いずれも完形品を確認する事が出来ず、
大半が 3 分の 1 ないし 4 分の 1 あるいはそれ以下の残存率の破片であった。焼成はあまり高温ではなく酸化焔
焼成のもので、胎土には若干の砂粒および小礫が混入するものもあり、色調は赤褐色および淡褐色のものが大半
であった。
以上シリアでは堅く焼きしまった還元焔焼成の青灰色または灰色の瓦塼は確認することはできなかったが、酸
化焔焼成と考えられるものについてはヨルダン国内と同じ特徴と形態のものであった。
おわりに
以上がウム ・ カイスにおける瓦塼の状況である。西アジアではこのような瓦塼についての報告は極めて珍しい
と言わざるを得ないのが現状である。今回は西アジアの中でとりわけヨルダン、シリア、イスラエル(報告書)
地域の遺跡における、瓦塼の状況を現地踏査し観察した。その結果、瓦塼はローマ時代からの都市遺跡ではほと
んど存在することが分かった。しかしウム ・ カイス以外の遺跡における既存の発掘報告書中ではその記載がない
ために、今回比較資料として取り扱うことは非常に困難であった。このような西アジアの瓦研究の状況を少しで
も改善するために、今後も各遺跡の発掘担当者との議論の場で瓦の持つ資料的な価値を取り上げていきたい。
今回ウム ・ カイスにおける瓦塼の調査で、多数の「文字瓦塼」を発見したがその意義が大きい。東洋では文字
瓦が多く出土し、文字瓦研究は盛んに行われている。その結果、それらの時代の社会構造をうかがわせる一端と
して、大きな成果があげられている。おそらく西アジア地域でも今後各地で確認されるものと思われる。
報告書作成にあたっては、国士舘大学理工学部理工学科都市ランドスケープ学系の小野勇氏、国士舘大学イラ
ク古代文化研究所の岩田玲子氏、国士舘大学文学部史学地理学科考古 ・ 日本史学専攻の学生である福原健司、鎮
西俊充、須藤朝日、関格崇、佐藤知行の手伝いをいただいた。
註1
Vriezen, K. J. H. and N. F. Mulder 1997 Umm Qais : The Byzantine Building on the Terrace. The Building Materials of Stone and Ceramics. Studies in the History
and Archaeology of Jordan 6: 323-330 この論文については『文化遺産学研究』№ 1〈特集〉ヨルダン、ウム ・ カイス遺跡における文化遺産研究
2007&2008 文部科学省私立大学学術研究高度化推進事業の中に江添誠が補遺「ウム ・ カイス : テラスのビザンツ建造物その石製および陶製建材」
として翻訳したものが挿入されている。 註2
ジェラシュのウマイヤ時代の瓦については、K. Damgaard, 2010 Sheltering the Faithful: Visualising the Umayyad Mosque in Jerash. ARAM 23: forthcoming.
46
第二章 出土遺物 2−1 ウム ・ カイス遺跡出土の瓦について 2
47
図版 1 (Ααアルファ1)
G-12-1
I-12-2
J-12-6
J-12-5
48
第二章 出土遺物 2−1 ウム ・ カイス遺跡出土の瓦について 2
図版 2 (Ααアルファ1)
フォルム南壁内側
M-10-11-1
H-12-40-1
49
図版 3 (Ααアルファ2)
I-11-51004
H-12-29-1
H-12-8-1
H-11-2
50
第二章 出土遺物 2−1 ウム ・ カイス遺跡出土の瓦について 2
図版 4 (Ααアルファ 3)
H-12-41-1
I-11-1
H-12-61-2
フォルム南壁内側
H-12-63
51
図版 5 (Δδデルタ)
253・259G002
J-12-7-1
I-11-2
J-12-3
52
第二章 出土遺物 2−1 ウム ・ カイス遺跡出土の瓦について 2
図版 6 (Εεエプシロン)
253・259G023
253・259G027
253・259G031
253・259G035
53
図版 7 (Εεエプシロン Ιιイオタ)
253・259G037
フォルム南壁内側 -1
I-11-7
I-12-7-1
H-12-27-1
H-12-12-1
54
J-12-8-1
East Gate
第二章 出土遺物 2−1 ウム ・ カイス遺跡出土の瓦について 2
図版 8 (Ιιイオタ Κκカッパ 1)
I-14-11-1
J-11、J-12
J-11-2
J-11-16
J-11-4
55
図版 9 (Κκカッパ1)
I-14-11-1
J-11-2
J-11-16
253・259G045
J-11-4
56
第二章 出土遺物 2−1 ウム ・ カイス遺跡出土の瓦について 2
図版 10 (Κκカッパ2)
H-11
H-11、H-12.BULK-1
H-11-6
H-11、H-12BULK-4
J-14-2
57
図版 11 (Κκカッパ3)
I-12-3
I-12-8-B
I-12-6
J-12-2
J-14-1-1
J-14-6
58
第二章 出土遺物 2−1 ウム ・ カイス遺跡出土の瓦について 2
図版 12 (Κκカッパ4)
K-14-1
J-12-10-1
J-14-3
H-12、I-12BULK-1
59
図版 13 (Λλラムダ)
I-12-4-1
253・259G049
H-11-7
I-11-2
H-11-4
H-12-30-2
J-12-1
60
第二章 出土遺物 2−1 ウム ・ カイス遺跡出土の瓦について 2
図版 14 (Λλラムダ)
J-12-3
J-12-8
I-11-3
J-12-4
OCTA-041
L-11
I-11-4
I-11-7
61
図版 15 (Οοオミクロン)
G-16-1
253・259G036
H-11-3
I-14-12
J-11-5
62
第二章 出土遺物 2−1 ウム ・ カイス遺跡出土の瓦について 2
図版 16 (Οοオミクロン)
J-14-7
J-12-5
J-12-7
H-12-61-1
63
図版 17 (Ππパイ)
253・259G044
253・259G024
G-12-2
H-12-30-2
64
I-12-8
第二章 出土遺物 2−1 ウム ・ カイス遺跡出土の瓦について 2
図版 18 (Σσシグマ Εεエプシロン)
253・259G033
253・259G047
253・259G000A
253・259G048
65
図版 19 (Φφファイ)
253・259G-9-5
J-12-9
J-14-5
J-12-10
J-14-4
J-13-1
66
第二章 出土遺物 2−1 ウム ・ カイス遺跡出土の瓦について 2
図版 20 (Χχカイ)
253・259G017
253・259G048-A
253・259G050
67
図版 21 (Χχカイ)
253・259G013
253・259G015
253・259G034
253・259G046
68
第二章 出土遺物 2−1 ウム ・ カイス遺跡出土の瓦について 2
69
拓本実測図 1
H-12-18-1
H-12-63
H-12-63
H-12-41-1
H-10-11-1
G-12-1
H-12-40-1
I-12-5
I-11-1
0
70
10
20cm
第二章 出土遺物 2−1 ウム ・ カイス遺跡出土の瓦について 2
拓本実測図 2
J-12-6
H-12-61-2
フォルム南壁内側
I-11-51004
J-12-7-1
I-11-3
H-12-29-1
I-11-2
0
10
20cm
71
拓本実測図 3
253・259G048
253・259G041
253・259G000A
253・259G035
253・259G037
253・259G031
253・259G032
253・259G036
0
72
10
20cm
第二章 出土遺物 2−1 ウム ・ カイス遺跡出土の瓦について 2
拓本実測図 4
I-12-7-1
J-12-3
253・259G002
J-11-31
フォルム南壁内側 -1
253・259G023
J-12-10-1
J-11-21
I-12-8-B
K-14-1
J-14-6
0
10
20cm
73
拓本実測図 5
J-11-16
J-11-2
H-12、I-12BULK-1
J-11-15
J-11-15
0
74
10
20cm
第二章 出土遺物 2−1 ウム ・ カイス遺跡出土の瓦について 2
拓本実測図 6
H-11、H-12BULK-1
J-11-20K27697
J-11-26
I-14-12
H-11、H-12BULK-2
J-12-2
I-14-11-1
253・259G045
I-12-3
H-11-5
0
10
20cm
75
拓本実測図 7
H-11
J-14-1-1
J-14-2
I-11
J-11-29
253・259G049
I-12-4-1
253・259G000A
J-12-8
H-12-30-2
I-11-4
OCTA-041
0
76
10
20cm
第二章 出土遺物 2−1 ウム ・ カイス遺跡出土の瓦について 2
拓本実測図 8
H-12-62
H-11-7
L-11
J-12-1
J-11-23
J-11-23
11 の右下
H-11-2
H-11-4
J-11-22
H-12-61-1
0
10
20cm
77
拓本実測図 9
J-11-5
J-11-25
H-15-1
H-11-3
I-12-2
I-12-4-2
G-16-1
J-12-7
H-12-57-1
253・259G024
G-12-2
0
78
10
20cm
第二章 出土遺物 2−1 ウム ・ カイス遺跡出土の瓦について 2
拓本実測図 10
H-12-27-1
253・259G033
H-12-30-1
J-13-1
I-11-A
0
10
20cm
79
拓本実測図 11
J-12-5
J-15-9
253・259G-9-5
J-12-10
I-12-8
J-14-5
J-11-32
J-14-4
253・259G050
253・259G013
253・259G017
0
80
10
20cm
第二章 出土遺物 2−1 ウム ・ カイス遺跡出土の瓦について 2
拓本実測図 12
253・259G046
253・259G048-A
253・259G038
253・259G040
253・259G034
253・259G044
253・259G047
253・259G015
253・259G030
0
10
20cm
81
拓本実測図 13
H-11-7-A
H-11、
H-12BULK-3
H-12-7
J-11-24
253・259G029
I-13-4
J-11-7
J-12-4
J-11-30
J-11-27
253・259G043
I-11-b
I-12-6
H-12-3
I-12-1
J-11-1
0
82
10
20cm
第二章 出土遺物 2−1 ウム ・ カイス遺跡出土の瓦について 2
拓本実測図 14
J-12-11
J-14-3
H-11-6
I-11
H-12、I-12 BULK-2
J-11-19
I-13-6
J-11、J-12
J-11-4
I-12-9
0
10
20cm
83
84
第二章 出土遺物 2-2 The Coins Find Catalogue Gadara-Umm Qais 2005-2008
2-2 The Coins Find Catalogue Gadara-Umm Qais 2005-2008 Makoto Ezoe *
Until the end of 2008 Season, 306 coins had been unearthed in Japanese excavation area (Northside of
Decumanus Maximus).
60 of them (19.6%) bear legible inscriptions or recognizable figures.
This catalogue is arranged in order of the conservation ID number. All the coins are bronze unless otherwise
mentioned.
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Area
G9
G 10
G7
E 10
F 10
G9
G9
F 10
G9
G5
Conservation
- ID
05001
05006
06004
06010
07007
07009
07010
07015
07025
07078
1
3
uncertain
uncertain
11
0
0
4
1
Locus
1.2
1.35
1.5
1.5
1.55
1.05
1.5
1.1
1.75
1.95
Thickness
(mm)
12.05
16.4
11.55
15.75
17.5
18.6
13.3
11
19.35
14.45
Diameter
(mm)
0.77
1.55
0.88
1.62
1.47
1.34
1.11
0.68
2.41
1.93
Weight
(grams)
324
388-392
383-388
330-335
347-348
378-383 ?
CAESARVM NOSTRORVM
VOT · X in wreath,
TS Δ VI in exergue
SALVS REI PVBLICAE
Victory advancing left, head right,
trophy in right hand over shoulder,
dragging captive with left,
ANT Δ in exergue
VICTORIA AVGG
Two Victories standing facing each
other, each holding wreath and palm
Romulus and Remus suckling from
she-wolf, three vertically aligned dots
between two stars above, SMNS in
exergue
Illegible
VOT XX MVLT XXX in wreath,
SMANT in exergue
Emperor standing facing, head left,
Victory on globe in left hand, raising
turreted kneeling woman with right
hand
VOT XV MVLT XX in wreath,
ANT in exergue
[VOT] XX [MVLT] [ ]
CRISPVS NOB CAES
Laureate, draped bust of Crispus right
Bust of Arcadius ?
VRBS ROMA
Helmeted bust of Roma left wearing
imperial mantle
[
] CON [
]
Pearl-diademed head right
D N CONSTANTIVS P F AVG
Pearl-diademed head of
Constantius II right
Head of Valentinian II ? right
D N CONSTANS P F AVG
Pearl-diademed head of Constans
right
D N CO[NSTANS P F AVG]
head right ?
347-348
388-392
Victory advancing left, head right,
trophy in right hand over shoulder,
dragging captive with left
Pearl-diademed,draped, cuirassed
bust of Theodosius right
Bust of Theodosius I ? right
Date(CE)
Reverse
0bverse
Antioch
Illegible
(Antioch ?)
Antioch
Nicomedia
Illegible
(Aquileia ?)
Antioch
Thessalonica
Illegible
(Antioch ?)
Mint
RIC VIII, 116
RIC IX, 42
RIC VIII, 113
RIC VII, 195
RIC X, 47
RIC IX, 67
RIC VII, 098
RIC IX, 67
Bibliography
第二章 出土遺物 2-2 The Coins Find Catalogue Gadara-Umm Qais 2005-2008
87
88
G5
G 10
NRO-S 6
NRO-S 6
uncertain
G 10
NRO-S 5
G 10
NRO-S 11
NRO-S 12
NRO-S 12
NRO-S 12
07080
07088
07089
07090
07092
07098
07099
07101
07120
07134
07135
07137
2
2
2
4
21
5
22
uncertain
4
4
21
1
1.6
1.5
1.6
1.6
2.2
1.35
1.65
2
1.6
2.25
2.05
1.45
13.45
12.55
12.05
15.9
10.6
11.25
11.35
15.3
19.4
14.8
12.5
8.95
1.17
0.97
1.15
1.02
1.00
0.56
0.97
1.71
1.96
2.49
1.22
0.49
388-392
SALVS REI PVBLICAE
Victory advancing left, head right,
trophy in right hand over shoulder,
dragging captive with left
SECVRITAS REI PVBLICAE
Victory advancing left, wreath in right
hand,
palm in left
D N THEODOSIVS P F AVG
Pearl-diademed, draped, cuirassed
bust of Theodosius I right
D N VALENS P F AVG
Pearl-diademed, draped, cuirassed
bust of
Valens right
388-392
VOT X MVLT XX in wreath,
ANT in exergue
SALVS REI PVBLICAE
Victory advancing left, head right,
trophy in right hand over shoulder,
dragging captive with left,
Staurogram in left field,
ANT Δ in exergue
VOT XX MVLT XXX in wreath
DN ARCADIVS PF AVG
Pearl-diademed head of Arcadius
right
Pearl-diademed, draped, cuirassed
bust of Theodosius I right
DN CONSTANS P F AVG
Pearl-diademed head of Constans
right
347-348
383-388
Illegible
Head right ?
Bust of Arcadius ? right
383-407 ?
CONCORDIA AVGGG
Cross within wreath
Cross within wreath
383-407 ?
Cross within wreath
Pearl-diademed, draped, cuirassed
bust of Theodosius II ? right
Bust of Arcadius ? right
425-435
Illegible
Laureate head right
367-375
383-407 ?
Cross ?
DN ARCADIVS PF AVG
Pearl diademed, draped, cuirassed
bust of Arcadius right
388-392
Victory advancing left, head right,
trophy in right hand over shoulder,
dragging captive with left,
Staurogram in left field
Pearl-diademed, draped, cuirassed
bust right
Illegible
(Antioch ?)
Antioch
RIC VIII, 116
RIC IX, 67
RIC X, 65
RIC X, 136
Illegible
(Antioch ?)
Antioch
RIC X, 136
RIC X, 453
RIC IX, 24
RIC IX, 67
RIC X, 136
RIC IX, 67
Illegible
(Antioch ?)
Illegible
(Antioch ?)
Illegible
(Roma ?)
Illegible
(Antioch ?)
Illegible
(Antioch ?)
Illegible
(Antioch ?)
uncertain
uncertain
F 11
I 15
F 10
H 16
I 15
I 15
08014
08022
08025
08026
08027
08029
08033
08034
5
1
0
1.2
1.3
1.3
12.7
12.25
13.15
0.90
0.87
1.26
Cross within wreath
Pearl diademed, draped, cuirassed
bust of
Arcadius ? right
Pearl-diademed, draped, cuirassed
bust of Theodosius I right
SECVRITAS REI PVBLICE
Securitas standing facing, head left,
branch downward in right hand,
raising robe with left,
SMK Γ in exergue
SALVS REI PVBLICAE
Victory advancing left, head right,
trophy in right hand over shoulder,
dragging captive with left,
Staurogram in left field
FL HELENA AVGVSTA
Plain-diademed, mantled bust of
Helena right, wearing necklace, hair
brushed straight back, small curls
along forehead to ear, loop braid at
base of head
VOT X MVLT XX in wreath,
ANT Δ in exergue
D N THEODISIVS PF AVG
Pearl-diademed head of Theodosius I
right
Illegible
Illegible
[ ] CONSTAN [ ]
Bust of Constantius II ?
Pearl-diademed bust right
CONCORDIA AVGGG
Cross within wreath
Bust of Arcadius ? right
Cross within wreath ?
VOT X MVLT XXX in wreath
Pearl-diademed, draped, cuirassed
bust right
Emperor standing left, head right,
Victory standing left, palm branch in
left hand ?
Pearl diademed, draped, cuirassed
bust of
Arcadius ? right
Pearl-diademed bust right
Roman soldier spearing fallen
horseman ?
Pearl-diademed head right
L.4
1.13
0.69
3.06
0.96
0.93
1.01
1.07
0.7
0.96
L.3
11.85
9.15
21.8
11.35
13.25
12.65
11.35
10.75
14.5
383-407
325-326
388-392
379-388
383-407 ?
383-388
348-358 ?
L.2
1.35
1.25
1.65
1.45
1.3
1.25
1.35
1.5
1.35
GLORIA ROMANORVM
Emperor standing facing, head left,
holding standard in left and resting
right hand on shield, captive at feet to
left, SMNB in exergue
L.1
7
1
3
uncertain
uncertain
uncertain
H 10
08005
2
uncertain
NRO-S 12
07165
2
08001
NRO-S 12
07142
DN ARCADIVS PF AVG
Pearl-diademed head of Arcadius
right
RIC IX, 41
RIC X, 136
RIC IX, 56
RIC IX, 67
RIC VII, 39
RIC X, 136
Nicomedia
Illegible
(Antioch ?)
Antioch
Illegible
(Antioch ?)
Cyzicus
Illegible
(Antioch ?)
第二章 出土遺物 2-2 The Coins Find Catalogue Gadara-Umm Qais 2005-2008
89
90
J 14
I 14
H 13
G 16
G 16
G 16
I 14
I 14
G 15
G 15
G 16
08039
08042
08043
08046
08051
08052
08056
08057
08058
08065
08070
uncertain
uncertain
uncertain
uncertain
uncertain
uncertain
uncertain
3
1
3
1
1.7
1.5
2
1.4
2
1.6
1.7
2.05
1.9
1.35
1.4
12.6
11.1
10.9
12.2
12.3
14.3
17.1
11
24.15
13.55
19.1
1.7
1.07
1.19
1.11
1.25
1.76
2.33
1.33
5.97
1.13
2.15
350-355
FEL TEMP REPARATIO
Helmeted soldier standing left, shield
on left arm, spearing fallen horseman,
shield on ground at right, horseman is
diademed and bearded and turns to
face soldier, left arm extended
Illegible
D N CONSTANTIVS P F AVG
Pearl-diademed, draped, cuirassed
bust of Constantius II right
Victory standing left ?
SALVS REI PVBLICAE
Victory advancing left, head right,
trophy in right hand over shoulder,
dragging captive with left,
Staurogram in left field
VOT X MVLT XX in wreath,
ANTB in exergue
Pearl-diademed, draped, cuirassed
bust of Theodosius I right
DN VALENTINIANVS IVN PF AVG
Pearl-diademed, draped, cuirassed
bust of
Arcadius right
Illegible
ΓΠΡ in exergue
Pearl-diademed bust right
Bust right
Head of horse right
Emperor standing right, stepping on
captive, holding labarum and globe ?
388-393
Victory advancing left, head right,
trophy in right hand over shoulder,
dragging captive with left
Christogram in left field
Denomination and Royal Crown,
enclosed in an ear of wheat and an
ear of barley
Laureate head right
1962
THE HASHEMITE KINGDOM OF
JORDAN, demonination (Five filis),
year 1962
D N CONSTANTIVS P F AVG
Pearl-diademed, draped, cuirassed
bust of Constantius II right
378-383
388-392
130-129
BCE
347-348
VOT XV MVLT XX in wreath
D N CONSTANTIVS P F AVG
Pearl-diademed, draped, cuirassed
bust of Constantius II right
350-355
FEL TEMP REPARATIO
Helmeted soldier standing left, shield
on left arm, spearing fallen horseman,
shield on ground at right, horseman is
diademed and bearded and turns to
face soldier, left arm extended,
Γ in left field
Antioch
Illegible
(Antioch ?)
Illegible
(Antioch ?)
Illegible
(Thessalonica
?)
Illegible
(Antioch ?)
Illegible
(Antioch ?)
RIC IX, 56
RIC IX, 67
RIC VIII, 135
RIC IX, 65
RIC VIII, 119
RIC VIII, 135
G 16
G 16
G 17
G 16
G 15
G 16
J 14
J 14
08071
08072
08074
08082
08090
08094
08099
08100
2
2
3
uncertain
uncertain
2
uncertain
uncertain
1.2
1.7
1.7
1.6
2
1.5
0.9
1
13
15.8
12.9
14.9
14.8
11.8
10.4
18.8
1.07
1.56
1.58
14.9
2.36
0.88
0.44
1.83
Antioch
Illegible
GLORIA EXERCITVS
Two soldiers, each holding spear
and shield on ground, one standard
between them
SALVS REI PVBLICAE
Victory advancing left, head right,
trophy in right hand over shoulder,
dragging captive with left,
Staurogram in left field,
ANT Δ in exergue
D N ARCADIVS P F AVG
Pearl-diademed, draped, cuirassed
bust of Arcadius right
D N CONSTANTIVS P F AVG
Pearl-diademed, draped, cuirassed
bust of Constantius II right
Laureate, cuirassed bust of
Constantine II? right
D N THEODOSIVS P F AVG
Pearl-diademed, draped, cuirassed
bust of Theodosius I right
388-392
Illegible
(Antioch ?)
395-401
Three emperors standing facing. The
two outermost are taller, holding
spears, and resting hand on shield,
turning towards each other. The
innermost figure is smaller, holds
spear, head turned right
SMKB in exergue
Head of Arcadius right
Cyzicus
Illegible
(Cyzicus ?)
395-401
VIRTVS EXERCITI
Emperor standing left, head right,
spear in right hand, resting left hand
on shield, Victory standing left,
palm branch in left hand, crowning
emperor with wreath in right
Illegible
(Antioch ?)
383-407 ?
CONCORDIA AVGGG
Cross within wreath
Illegible
(Nicomedia)
D N ARCADIVS P F AVG
Pearl-diademed, draped, cuirassed
bust of
Arcadius right
395-401
Cross ?
VIRTVS EXERCITI
Emperor standing left, head right,
spear in right hand, resting left hand
on shield, Victory standing left,
palm branch in left hand, crowning
emperor with wreath in right
Bust right
D N ARCADIVS P F AVG
Pearl-diademed, draped, cuirassed
bust of
Arcadius right
RIC IX, 67
RIC VII, 109
RIC X, 148
RIC X, 136
RIC X, 68
第二章 出土遺物 2-2 The Coins Find Catalogue Gadara-Umm Qais 2005-2008
91
92
H 13
G 15
G 16
G 16
I 11
G 17
08109
08113
08144
08150
08152
08154
2
3
10
1
7
2
uncertain
1.1
0.9
1.1
2.1
1
1.2
1.6
*コインなど出土物の写真は、実寸の約 2 倍にて掲載。
註)*リスト中の ID 番号と掲載写真番号は一致。
uncertain
08108
17.3
15.1
16
13.3
11.7
15.9
11.6
1.98
1.28
1.15
2.1
0.7
1.78
1.27
Victory advancing left, holding wreath
and palm ?
Emperor standing left, head right,
spear in right hand, resting left hand
on shield, Victory standing left,
palm branch in left hand, crowning
emperor with wreath in right
D N ARCADIVS P F AVG
Pearl-diademed, draped, cuirassed
bust of Arcadius right
Within a circle,
Pearl-diademed, draped, cuirassed
bust right
Within a circle,
Illegible
Pearl-diademed, draped bust right
Emperor standing left, head right,
spear in right hand, resting left hand
on shield, Victory standing left,
palm branch in left hand, crowning
emperor with wreath in right
D N CONSTANTIVS P F AVG
Pearl-diademed, draped, cuirassed
bust of Constantius II right
VIRTVS EXERCITI
Emperor standing left, head right,
spear in right hand, resting left hand
on shield, Victory standing left,
palm branch in left hand, crowning
emperor with wreath in right
395-401
FEL TEMP REPARATIO
Helmeted soldier standing left, shield
on left arm, spearing fallen horseman,
shield on ground at right, horseman is
diademed and bearded and turns to
face soldier, left arm extended,
ANT Γ in exergue
Umayyad
350-355
CE
Victory advancing left ?
Illegible
Amitai-Preiss
1997
p.312. 112.
RIC VIII, 135
RIC = Roman Imperial Coinage
Missing
Tiberias ?
(Tabariyya)
Antioch
第二章 出土遺物 2-2 The Coins Find Catalogue Gadara-Umm Qais 2005-2008
05001
05006
06004
06010
07007
07009
07010
07015
07078
07025
93
07080
07088
07089
07090
07092
94
07098
07099
07101
07120
07134
第二章 出土遺物 2-2 The Coins Find Catalogue Gadara-Umm Qais 2005-2008
07135
07137
07165
07142
08001
08005
08022
08014
08026
08025
95
08027
08033
08039
08029
08034
08042
08046
08043
08051
96
08052
第二章 出土遺物 2-2 The Coins Find Catalogue Gadara-Umm Qais 2005-2008
08056
08058
08057
08065
08070
08071
08074
08072
08082
08090
97
08094
08100
08099
08108
08113
08109
08144
08152
98
08150
08154
第二章 出土遺物 2-2 The Coins Find Catalogue Gadara-Umm Qais 2005-2008
99
100
第三章 修復・保存 3-1 発掘された大規模なビザンツ時代モザイク床の保存修復
第三章 保存修復 Conservation and Preservation
3-1 発掘された大規模なビザンツ時代モザイク床の保存修復
Conservation of the Excavated Mosaic Floor of the Byzantine Period
西浦 忠輝 * 1
松本 健 * 1
小野 勇 * 2
片多 雅樹 * 3
Jaffar Talafha * 4
Noor al Houda al Soukhni * 4
1.はじめに
国士舘大学チームは、2005 年からヨルダン ・ ハシミテ王
国のウム ・ カイス遺跡をフィールドとして総合調査(発掘
調査、環境調査、建築史学調査、劣化状態調査等)を精力
的に行っている。この中で、ビザンツ時代のものと思われ
る大規模なモザイク床を発見した。このモザイク床の保存、
修復、整備、公開について、プロジェクト研究を行っており、
併せて、中近東 ・ アフリカに遺されているローマ時代のモ
ザイク床の保護、活用に関する比較研究を進めている。
ここでは、不安定な状態にある床をどう固定し、クリー
ニングして模様を現出させた後、どのような保護強化処置
を行うべきかの予備実験を含む検討結果について報告する。
2.ウム ・ カイス遺跡
図 1 デカポリス地図
ウム ・ カイスはヨルダン ・ ハシミテ王国イルビット地方
の北西端にある町で、シリア、イスラエルとの国境地帯に
ある。ゴラン高原とガリラヤ湖を望む台地の上にあるのが
古代都市遺跡のウム ・ カイス遺跡である。古代名を「ガダ
ラ」といい、デカポリス註)の首都の役割を果たしていた
こともあるとされる。ヘレニズム時代 (B.C.4C ~ ) からオス
マン帝国時代 ( ~ A.D.20C) までの多くの遺構が残されてい
る大規模な城塞都市遺跡である。特にローマ時代 (B.C.1C ~
A.D.4C) からビザンツ時代 (A.D.5 ~ 15C) に最も繁栄し、そ
の時代の遺構が良く遺されているのが特徴である。738 年
に地中海一帯を襲った大地震によって大きな破壊を受けた
図 2 ウム ・ カイス遺跡
とされる。
* 1 国士舘大学イラク古代文化研究所
* 2 国士舘大学理工学部理工学科都市ランドスケープ学系
* 3 長崎県教育庁
* 4 国士舘大学文化遺産研究プロジェクト
101
遺跡は、ヨーロッパ人によって 1886 年に調査が行われ、1974 年からはドイツ隊等によって本格的な発掘調
査が行われており、近年はヨルダン隊による発掘調査も本格化している。
国士舘大学チームはローマ時代の建造物遺構を中心に発掘調査を行っているが、2008 年 10 月にモザイク床を
発見した。教会堂の床と思われるこのモザイク床は、2009 年の発掘によりその規模が極めて大きなものである
ことが明らかとなっている。
図 3 発掘現場
図 4 発掘現場の保護
3.モザイク床の状態
・モザイク床は現在の地表から約 50cm 下から発掘された。地表面から浅い位置であるため、近年に植林された
オリーブの木が、床を突き抜けて生育しており、また床下には木の根が多く存在している。オリーブの木は伐
採したが、切株と根は残っており、まだ生きている。<図 5 >
・床の下に存在する木の根のために、床全体に波状に盛り上がった個所があり、下部が空洞状態となっている部
分がある。すでに破壊した部分もある。<図 6 >
・ところどころにブロック状の欠損個所がある。
・装飾の中心部分では、破壊が著しく、残存部分の状態はきわめて不安定であった。この破壊は、後世のイスラ
ムの時代の宗教的な理由による人為的なものとも推察される。<図 9 >
・モザイク床を構成する石片 ( テッセラ ) の表面は淡灰色の薄い殻 ( 膜)状のもので覆われていた。
・現在、発掘部分には覆いを施し、雨水から護っている。<図 4 >。
図 5 切株と床の盛り上がり
102
図 6 木の根による床の破壊
第三章 修復・保存 3-1 発掘された大規模なビザンツ時代モザイク床の保存修復
図 7 ワイヤーブラシによるクリーニング
図 8 色が現出しつつある状況
図 9 仮クリーニング後の状態 ( 文様中心部の破壊が著しい )
4.仮クリーニング
モザイクの美術的、歴史的価値の多くはその文様にある。そこで、まず仮クリーニングを行って、その文様を
調べた。クリーニング方法はワイヤーブラシで表面の殻状の沈着物を除去したのち水洗いするというものである
が、文様の中心部分は損傷が激しく極めて不安定であったため、クリーニングは不可能であった。<図 7 ~ 9 >
このクリーニング処理の結果、明らかな文様が出現し、それはビザンツ時代の特徴を示すものであった。そこで、
このモザイク床全体の保存を考慮した保存修復予備処理を行った。
103
5.保存修復予備処理
①欠損部 ( テッセラが消失し穴状になっている部分 ) を砂と土に石灰を水で混合したもので充填し、特に縁の
部分をしっかり固定した。当面は固定化されたが、最終的には更にしっかりと充填、固定する必要がある。
<図 10 >
②文様中心部の激しく損傷している部分全体にパラロイド B-72 の 10%アセトン溶液を滴下含浸し、固定強化し
た。汚れや沈着物ごとまとめて固めるという強引な処置であるが、以降の処理を行うためには必要不可欠と判
断した。
③文様中心部以外の部分について、ワイヤーブラシと水でクリーニングを行った。手作業で時間をかければ、充
分なクリーニングができた。黒色、黄色、朱色には軟らかい石や土器(?)が用いられており、ブラッシング
により摩耗するという問題が生じた。<図 11 >
④文様中心部について、ワイヤーブラシとメタノール水溶液でクリーニングを行った。パラロイドで固められた
沈着層を除去するのには、通常のクリーニングに比べて倍以上の手間を要した。これにより文様全体が明らか
となり、仮復元図を作成することができた。<図 12 ~ 18 >
⑤クリーニングはできたものの、緩みがあり、テッセラが外れそうな部分について、パラロイド B-72 の 15%ア
セトン溶液を滴下注入して固定した。<図 19 >
⑥代表的な文様がある数か所について、パラロイド B-72 の 10%アセトン溶液塗布による表面強化保護処置実験
を行った。処置部分は文様が明瞭になった。最終的には全面的に処置を行う予定である。<図 20 >
図 10 欠損部の充填処置
104
第三章 修復・保存 3-1 発掘された大規模なビザンツ時代モザイク床の保存修復
図 11 クリーニングによって摩耗したテッセラ
図 12 溶剤を用いたクリーニング
図 13 文様中心部分の復元図
105
図 14 クリーニング前
図 15 クリーニング後
図 16 クリーニング後
図 17 クリーニング後
図 18 クリーニング後
106
第三章 修復・保存 3-1 発掘された大規模なビザンツ時代モザイク床の保存修復
図 19 パラロイド B-72 によるテッセラの固定
図 20 パラロイド B-72 溶液塗布による表面強化保護処置実験
107
6.問題点と今後の計画
現状、このモザイク床を保存、公開する上での最大の問題は、切り株と太い木の根の除去である。これらは生
きており、その成長によって床全体を破壊する可能性があり、現在も床が波状に変形している。
ヨルダンで通常行う方策は、切り株や太い根を枯らしてから、その部分のモザイク床をいったん剥がし、枯れ
た木や根を除去したのち、その部分を砂と土に石灰を水で混合したもので充填して平らに成型してから、最終的
にモザイク床を元の位置に戻すというものである。
この場合、木や根をどうやって枯らすかであるが、地元では樹木の立ち枯らしに、2 ~ 3 日ごとにガソリンを
注ぎかけるという方法が知られていて、モザイク床の保存にも応用されているとのことである。そこで、この方
法が有効かどうか、遺跡内の立木で実験を行った。なお、日本では樹木の立ち枯らし方法としては、根元にドリ
ルで孔をあけて除草剤を注入するのが一般的である。
実験の結果、ヨルダンのローカルテクニックが有効であることが確認されたので、このガソリン法により切株
を処置し、問題なく枯らすことができた。<図 21 ~ 22 >
図 21 ガソリンによる立木の立ち枯らし実験
図 22 ガソリン法により枯れたモザイク床の切株
今後の課題はモザイク床の下部にある太い木の根の除去であり、現在その具体的な方法にについて検討を行っ
ている。
今後とも、多岐の専門家のご意見をうかがいながら、事業を進めていきたと考えている。
註)デカポリス ギリシャ語のデカ (10) とポリス ( 都市 ) からなる言葉で、B.C.1C ~ A.D.2C ごろの当地域の 10 の大都市、ダマスカス、フィラデルフィ
ア ( 現アンマン )、ラファナ、スキュトポリス、ガダラ ( 現ウム ・ カイス )、ヒッポス、ディオン、ペラ、ゲラサ ( 現ジェラシュ )、カナタの 10 箇
所とされる。
108
第三章 修復・保存 3-1 発掘された大規模なビザンツ時代モザイク床の保存修復
109
110
第三章 修復・保存 3-2 Conservation Treatment 2009
3-2 Conservation Treatment 2009
The conservation treatment started on august/2009 with artifacts which found in excavation area ( Umm Qais )
Noor al Houda al Soukhni *
Introduction
The code of ethics of the international institute for conservation (IIC) defines a conservation generally as :
( All actions aimed at the safeguarding of cultural property for the future. It’s purpose is to study, record, and
restore the culturally significant qualities of the objective with the least possible intervention. )
The main purpose of conservation science is to ensure that artifacts are available for next future generations,
keeping in mind the cultural values in the cultural property, it should be recognized and respected.
And interest in discovered artifacts should be subject to the conservation principles and rules from the time
which excavated arrival to display or storage process.
Conservation treatment was including :
Conservation of coin
Conservation of plaster (on site)
Conservation of mosaic (on site)
Conservation process …
-documentation
- cleaning
-consolidation
-adhesive
-coating
Conservation procedures :
1-Determine the defect or damage in object
There are many ways to determine the defect or damage in object started from critical (optical) examination
which gives conservator a general consideration about deteroration on the object surface.
2-Discover the cause of defect
Depending on the examination result, the conservator has to discover the causes of this deterioration. it’s very
important process in order to find the best and sutaible conservation treatment.
3-Decide on the type the type of conservation action
After the last mentioned 2 point we can determine the conservation action for our object case.
4-Choose the appropriate method and materials The good method needs good materials to get a required result.
*国士舘大学文化遺産研究プロジェクト
111
Coin conservation
Ancient coin, one of the most important artifact which we find in archaeological site, it’s consider as absolutely
dating (if it’s in good state and still keep all information, also it’s very important for analyzing to define an
ancient manufacturing process of coin.
Conservation process started of documentation of object state.
Documentation : Defined as recording of object state before and during and after conservation process and it's
including :
・Photographing documentation ( Take a picture for coin before during and after any treatment I want
・Drawing documentation
・Describe object state ( Essay )
・Take a diminssion of object
to do it. )
Documentation process useful for archaeological object and it consider as safety for conservator
Cleaning : Remove all rust on the object surface includes ・Mechanical cleaning ( Use a mechanical action on the object surface. )
In our case we used a soft brush to remove a not compact rust on the surface, then used a surgical
knife to remove a compact rust.
・Chemical cleaning ( Using some of chemical material to remove a rust from object surface. In our case
was used a methanol to remove a compact soil on the coin surface. )
And we can combine between 2 methods to get more sufficient result.
Next step has taken depend on the object state but keep in mind. ( less treatment is best treatment )
The popular action in our lab is adhesive for damage fragment of object and coating for some object surface.
And stabilization of it. ( according of object deterioration degree )
Adhesive process was started by determine the suitable fragment for object and we can determine it easily by
critical eye. Then remove a rust on the edge of fragment and we were used paraloid B-72 with 5% concentration
to get good result.
Coating process started when we finshed from all of process which we need coating define as creat a thin
layer on the surface of object to make a ceelling for it and keep it away from any interaction between it and
environment condition. So many of coin coated by using paraloid B-72.
112
第三章 修復・保存 3-2 Conservation Treatment 2009
Plaster conservation
We found 2 walls have a plaster layer on the site, after that we started to conserve them very well.
1-Remove a soil from the upper layer of it and cheek it durability.
We found a very weak layer of plaster and the supporting layer of it was soil in this case we started a
consolidation of the supporting layer.
2-Supporting layer was consolidated by using a paraloid B-72 with less than 5 % concentration and injected it in
many places.
3-After 2 days from consolidation we started conserve the plaster.
4-We was prepared a mixture of 3 lime 1 sand and half white cement with enough water then applied it on the
edge of plaster.
113
Start of apply a mixture.
After used amixture a fix the plaster
layer.
This layer was so weak so we used a
mixture in many places to get a good
stabilization.
114
第三章 修復・保存 3-2 Conservation Treatment 2009
Mosaic conservation
Many of deterioration form can be detected by critical eye.
This floor was very fragile mosaic floor, suffering from detachment of tessera, leaching of mortar, thick compact
deposit on tessera surface, extended of roots under it, 2 type of lacuna.( large, normally )
Cleaning process includes mechanical and chemical cleaning.
Mechanical cleaning conclude by :
・Remove the under root mechanically by cutter
・Remove not compact soil on tessera surface and surrounding floor by large size of brush
・Remove a non- compact deposit on tessera surface mechanical chemical cleaning using mixture of
water and methanol applied by fine brush
・Use acetone to be sure that all of used water had evaporated
Interventive conservation
・Started by preparing the mixture of lime, white cement, sand powder mixed by water, otherwise the
surface where we applied this mixture on had been wetted.
・Then put the mixture to support the edge of mosaic floor.
As treatment of lacuna I filled it by the same mixture gradually
Note : the mixture must be pasty state
115
116
第三章 修復・保存 3-3 資料:Conservation List in 2009
3-3 資料:Conservation List in 2009
註)*リスト中の ID 番号と掲載写真番号は一致。
*コインなど出土物の写真は、実寸の約 2 倍にて掲載。
*リストに寸法表記がない写真は、想定寸法の約 2 倍にて掲載。
*リストに網掛けがある番号は、写真掲載なし。
117
118
18\8\2009
18\8\2009
18\8\2009
20\8\2009
29\8\2009
13\9\2009
6\9\2009
29\8\2009
31\8\2009
27\8\2009
17\9\2009
30\8\2009
15\9\2009
1\9\2009
13\9\2009
09008
09009
09010
09011
09012
09013
09014
09015
09016
09017
09018
09019
09020
09021
1
2
T.S. 50997
coin
24\9\2009
09024
L 14
coin
L 13
coin
glass
coin
coin
coin
coin
coin
coin
coin
coin
coin
coin
coin
coin
coin
15\9\2009
T.S. 50980
T.S. 51005
T.S. 50995
T.S. 50810
T.S. 50798
T.S. 50945
T.S. 50980
T.S. 50761
T.S. 50315
T.S. 50313
T.S. 50314
coin
09023
3
2
3
3
27-28
1
2
1
3
2
3
3
3
3
T.S. 50312
coin
2
2
2
2
5
1
2
4
2
1
3
1
1
1
2
coin
09022
J 14
J 13
L 13
H 18
L 13
J 12
J 13
H 18
J 13
J 13
J 12
I 11
H 11
H 11
H 11
1
1
09007
H 11
1
coin
17\8\2009
H 11
T.S. 50301
09006
1
16\8\2009
1
09005
H 11
16\8\2009
coin
Artifact
09004
T.S. 50300
Object -ID
coin
1
Pail
16\8\2009
I 11
Locus
09003
I 11
Area
coin
Date
09002
09001
Conservation-ID
bronze
bronze
bronze
bronze
glass
bronze
bronze
bronze
bronze
bronze
bronze
bronze
bronze
bronze
bronze
bronze
bronze
bronze
bronze
bronze
bronze
bronze
bronze
bronze
Material
All measurements are in millimeters.
資料 Conservation List in 2009
13.7
12
16
20.5
15.9
13
8.2
8.8
8.3
12.3
11.6
8.3
12.1
18.7
8.5
Diameter
1.3
1.6
1.6
1.7
1.1
1.6
1.2
2.2
1.5
0.3
0.4
0.3
3.6
2.4
0.1
Thickness
Noor
Noor
Noor
Noor
Noor
Noor
Noor
Noor
Noor
Noor
Noor
Noor
Noor
Noor
Noor
Noor
Noor
Noor
Noor
Noor
Noor
Noor
Noor
Noor
Conservator
untreated
untreated
untreated
untreated
untreated
untreated
untreated
untreated
untreated
untreated
untreated
untreated
untreated
untreated
untreated
untreated
untreated
untreated
untreated
untreated
untreated
untreated
untreated
untreated
State
in the screen
on the balk
Note
coin
I 11
3
2
T.S. 50320
T.S. 50953
coin
19\8\2009
1
09051
4
ring
J 13
coin
6\9\2009
T.S. 50991
09050
1
coin
2
09049
K 14
T.S. 50942
16\9\2009
1
09048
4
coin
G 18
5\9\2009
coin
09047
T.S. 50969
coin
coin
4
T.S. 50987
09046
G 18
3
coin
coin
coin
coin
6\9\2009
1
T.S. 50939
T.S. 50990
T.S. 50988
T.S. 50986
T.S. 50985
T.S. 50769
09045
K 14
1
3
3
2
1
16\9\2009
4
1
1
2
2
1
coin
09044
G 18
K 14
K 14
L 13
L 13
G 18
T.S. 50829
coin
coin
5\9\2009
25\8\2009
09037
J 11
4
2
coin
09043
2\9\2009
09036
G 18
2
2
coin
16\9\2009
31\8\2009
09035
K 14
2
2
coin
09042
17\9\2009
09034
K 14
2
3
coin
16\9\2009
17\9\2009
09033
K 14
3
3
coin
coin
09041
17\9\2009
09032
G 18
1
T.S. 50317
ring
16\9\2009
29\8\2009
09031
H 18
4
2
T.S. 50801
coin
09040
29\8\2009
09030
G 18
3
2
T.S. 50800
coin
coin
6\9\2009
09029
I 11
2
2
T.S. 50799
16\9\2009
19\8\2009
09028
H 18
2
2
09039
29\8\009
09027
H 18
2
coin
29\8\2009
09026
H 18
09038
29\8\009
09025
bronze
bronze
bronze
bronze
bronze
bronze
bronze
bronze
bronze
bronze
bronze
bronze
bronze
bronze
bronze
bronze
bronze
bronze
bronze
bronze
bronze
bronze
bronze
bronze
bronze
bronze
bronze
16.1
13.7
17.2
14.8
12.5
15.8
14.1
12.2
13.4
14.9
13.9
11.5
11.5
14.3
14.9
12.9
10.6
13.2
13.7
14.6
13.1
14.3
1.5
2
1.4
1.4
2
1.8
1
1.6
1.4
1.9
1.3
1.3
1.3
1
1.2
1
0.6
0.7
1.9
1.7
1.2
1.2
Noor
Noor
Noor
Noor
Noor
Noor
Noor
Noor
Noor
Noor
Noor
Noor
Noor
Noor
Noor
Noor
Noor
Noor
Noor
Noor
Noor
Noor
Noor
Noor
Noor
Noor
Noor
untreated
untreated
untreated
untreated
untreated
untreated
untreated
untreated
untreated
untreated
untreated
untreated
untreated
untreated
untreated
untreated
untreated
untreated
untreated
untreated
untreated
untreated
untreated
untreated
untreated
untreated
untreated
in the screen
第三章 修復・保存 3-3 資料:Conservation List in 2009
119
09001
09002
120
09003
09004
09005
09006
09007
09008
09009
09010
09011
09012
第三章 修復・保存 3-3 資料:Conservation List in 2009
09013
09014
09015
09016
09017
09018
09019
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09021
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121
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09027
09028
09029
09030
09031
09032
09033
09034
09035
09036
09037
第三章 修復・保存 3-3 資料:Conservation List in 2009
09039
09040
09041
09042
09043
09044
09045
09047
09048
09050
123
124
第四章 Islamic Cemetery of Abu An-Namil
第四章 Islamic Cemetery of Abu An-Namil Ken Matsumoto * 1
Jaffar Talafha * 2
Isamu Ono * 3
To the west of Acropolis Hill of site in lower city, and on the northern part of main street the Islamic cemetery
of Abu An-Namil (Father of Ants), is situated. According to inhabitants of Umm Qais village, and to Danish team
who carried out a sounding in the area at 1983, the name belongs to Islamic shrine of Abu An-Namil, and they
were suggested dating of the necropolis from Umayyad to the Mamluk period. At 1989, and during work of
record the remains of northern cylindrical tower of the Tiberias Gat carried out by German team, almost fifteen
tombs were excavated and removed. Moreover, date of Islamic period was suggested. Among excavated tombs
two burials belonging to infants, and five to adults. The excavated object and finds included a large number of
jewelry, and toilet utensils, necklaces of glass, stone, amber, beads, metal and leather bracelets were among of
the finds. (Thomas Weber and Adolf Hoffman1989.331-332). During the course of work at 2009, Kokushikan
University staff carried out a documentary survey in the cemetery, hundred of burials were recorded and
classified, in order to demographical studies aims at to try to determine nature and size of population and
possible settlement which cemetery belong to. The databases for cemetery await analyses.
Abu An-Namil Cemetery
* 1 国士舘大学イラク古代文化研究所
* 2 国士舘大学文化遺産研究プロジェクト
* 3 国士舘大学理工学部理工学科都市ランドスケープ学系
125
Male
Female
126
第四章 Islamic Cemetery of Abu An-Namil
Infant
Modarn cemetery near east gate
127
128
第四章 Islamic Cemetery of Abu An-Namil
No.
X
Y
Gender
Z
Size (cm)
length
width
Direction
1
-4.92
-21.82
338.53
Infant
93
45 W4N
2
-4.36
-21.63
338.61
Infant
88
65 W5S
3
-3.55
-20.99
338.77
Female
200
80 W8N
4
-5.62
-23.73
338.46
Infant
70
54 W10S
5
-5.03
-23.77
338.51
Infant
98
65 W2N
6
-4.39
-22.69
338.61
Infant
85
80 W0
7
-3.73
-22.65
338.71
Infant
100
50 W5N
8
-4.11
-23.69
338.68
Infant
120
60 W5S
9
-3.03
-23.43
338.86
Male
125
70 W0
10
-2.25
-22.05
338.91
Infant
70
55 W5S
11
-1.6
-23.41
339.05
Female
200
80 W10S
12
0.47
-23.79
339.18
Infant
80
60 W5S
13
1.37
-23.3
339.31
Infant
95
50 W8N
14
2.61
-23.14
339.5
Infant
80
50 W8N
15
3.28
-21.53
339.53
Infant
100
50 W0
16
4.22
-23.53
339.7
Male
220
80 W5N
17
4.79
-22.81
339.75
Female
180
55 W0
18
4.77
-21.03
339.73
Male
137
84 W5S
19
5.68
-21.33
339.79
Male
130
95 W8S
20
6.73
-22.63
340.04
Female
157
77 W4N
21
10.13
-22.81
340.25
Female
190
65 W2N
22
9.3
-25.04
340.37
Male
130
70 W20S
23
9.53
-22.89
340.26
Female
200
60 W8S
24
8.12
-24.4
340.26
Male
195
90 W18S
25
5.42
-25.62
339.87
Male
140
65 W10S
26
4.24
-25.75
339.79
Male
125
55 W8S
27
3.17
-25.37
339.64
Female
145
55 W22S
28
1.96
-25.13
339.45
Infant
95
40 W20S
29
-1.66
-25.83
339.06
Female
170
30
-3.07
-26.28
338.85
Infant
80
35 W18S
31
-3.77
-25.84
338.74
Infant
90
40 W4S
32
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Infant
105
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Female
175
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Female
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Female
205
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Female
188
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Female
205
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Female
215
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Infant
90
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Female
213
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Female
200
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Male
226
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Infant
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Infant
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Female
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120
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Female
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Female
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Infant
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No.
130
X
Y
Gender
Z
Size (cm)
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width
Direction
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Female
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Female
206
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Male
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Female
180
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Male
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Female
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Female
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Infant
75
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Infant
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Male
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Female
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Female
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Male
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Infant
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70
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Male Infant
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Female
226
60 W0
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Female
226
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Unknown
224
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Female
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Female
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Male
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Female
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Male
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Unknown
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Female
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Unknown
200
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Male
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Infant
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Unknown
180
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Unknown
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Male
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Infant
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Infant
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Male
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Male
246
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-0.05
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Male Infant
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Female
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Infant
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75 W4S
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Female
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Female
215
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Male
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70 W18S
第四章 Islamic Cemetery of Abu An-Namil
No.
X
Y
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Z
Size (cm)
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width
Direction
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Female
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Female
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Female
200
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Male
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Unknown
130
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Unknown
200
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Male
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Male
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Female
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Male
170
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Female
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Male
165
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210
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Male
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Male Infant
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Female
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Female
223
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Male
200
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Male
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Unknown
155
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Female
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Female
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Male Infant
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-43.09
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Female
166
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Female
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Female
140
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Female
194
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Male
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Male
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Female
162
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Female
195
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Male Infant
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Unknown
145
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Male
214
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Male
142
56 W11S
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Female
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Male
205
80 W15S
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Female
196
80 W30S
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Male
145
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195
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Male
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Male Infant
122
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150
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100 W0
Female
177
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Unknown
125
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No.
132
X
Y
Gender
Z
Size (cm)
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width
Direction
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Female
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Female
170
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Female
180
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Male
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156
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Male Infant
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Male Infant
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Male
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Male
190
160
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Male
233
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Unknown
175
90 W12S
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Male
193
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Male
205
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Female
167
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Male
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Male Infant
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Female
202
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Unknown
190
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Female
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Male
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Male
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Male
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Female
153
177
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Infant
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Female
168
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Infant
100
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Male
130
181
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Female
150
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-59.84
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Infant
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Male
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80 W24S
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Male
207
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Infant
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Male
197
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Unknown
190
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Male
190
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Female
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Infant
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Infant
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337.79
Male
176
87 W18S
195
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-66.7
337.62
Infant
144
58 W10S
196
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337.66
Infant
106
50 W18S
197
-0.18
-66.15
337.66
Male
197
87 W4S
198
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-66.58
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Infant
116
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199
-2.61
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337.65
Male
168
67 W4S
338.87 Female Infant
85 W12S
100 W5S
80 W10N
70 W10S
120 W0
第四章 Islamic Cemetery of Abu An-Namil
No.
X
Y
Gender
Z
Size (cm)
length
Direction
width
200
3.78
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Male
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Female
235
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-73.04
337.81
Male
160
60 W14S
203
4.38
-72.93
337.71
Male
220
74 W19S
204
2.84
-72.04
337.58
Male
196
78 W8S
205
1.08
-72.1
337.7
Female
193
75 W18S
206
-0.58
-72.18
337.45
Male
162
77 W22S
207
-2.35
-73.28
337.61
Female
160
70 W16S
208
-5.15
-72.19
337.64
Female
210
60 W14S
209
-5.24
-75.26
337.85
Male
142
70 W18S
210
-3.91
-75.43
337.78
Male
228
75 W20S
211
1.64
-75.56
337.85
Female
200
67 W20S
212
2.64
-74.25
337.74
Male
137
62 W14N
213
3.53
-75.05
337.85
Female
163
70 W2S
214
4.28
-75.3
337.9
Female
130
75 W20S
215
4.97
-85.12
338.33
Infant
74
34 W8N
216
4
-84.67
338.4
Female
187
46 W10N
217
3.23
-84.58
338.41
Male
136
64 W4S
218
2.43
-84.61
338.51
Male
133
43 W0
219
0.82
-85.2
338.62
Female
190
73 W0
220
-1.11
-86.69
338.72
Male
202
60 W10S
221
-0.27
-87.02
338.65
Infant
82
50 W4N
222
0.57
-87.78
338.79
Male
225
76 W0
223
1.6
-87.38
338.72
Male
168
77 W20S
224
2.83
-86.68
338.58
Female
200
93 W10S
225
4.07
-87.2
338.57
Infant
110
50 W8S
226
5.33
-86.77
338.56
Female
167
80 W6S
227
6
-86.9
338.49
Female
167
62 W
228
6.64
-87.38
338.52
Male
190
88 W10N
229
7.82
-87.37
338.32
Female
158
65 W0
230
8.15
-89.42
338.03
Unknown
163
70 W8S
231
7.13
-89.46
338.47
Male
192
74 W2N
232
6.29
-89.16
338.51
Infant
123
55 W0
233
5.1
-89.01
338.58
Female
160
60 W0
234
4.29
-89.12
338.66
Female
150
70 W10S
235
3.16
-88.65
338.69
Infant
104
60 W7S
236
1.31
-89.5
338.86
Female
152
54 W8S
237
-3.24
-89.04
339.05
Female
191
88 W10S
238
0.42
-90.29
338.92
Female
188
90 W6S
239
1.28
-91.02
338.83
Infant
90
40 W2S
240
2.97
-90.89
338.79
Male
180
70 W0
241
3.89
-91.52
338.69
Male
125
58 W20S
242
4.94
-91.57
338.63
Female
125
65 W20S
243
7.4
-91.91
338.24
Male
146
65 W0
244
6.92
-94.26
338.37
Male
187
64 W11S
245
2.84
-93.29
338.85
Female
218
64 W0
246
0.59
-92.68
338.94
Male
190
106 W0
247
-1
-92.86
339.04
Male
104
60 W6S
248
-2.03
-91.99
339.01
Female
187
60 W18S
249
-4.37
-95.74
339.12
Female
180
62 W10S
133
No.
X
250
134
Y
Gender
Z
-2.48
-95.61
339.1
251
-0.7
-95.92
338.99
252
0.68
-94.87
339
253
1.94
-94.82
254
3.52
-95.21
255
4.02
256
4.79
257
Size (cm)
length
width
Direction
Male
248
60 W6N
Male
110
50 W11S
Female
188
80 W10S
338.94
Male
110
45 W11S
338.81
Female
176
55 W8S
-96.05
338.7
Male
196
60 W10S
-97.77
338.64
Male
149
45 W6S
5.93
-97.15
338.5
Male
140
58 W2S
258
6.53
-98.92
338.32
Male
160
65 W10S
259
6.98
-99.35
338.2
Female
246
88 W10S
260
2.91
-97.16
338.84
Female
172
97 W0
261
2.05
-97.64
338.93
Female
140
37 W8S
262
1.52
-97.76
338.98
Male
180
75 W11S
263
0.34
-97.13
339.03
Female
183
63 W18S
264
-1.22
-97.18
339.07
Female
186
80 W22S
265
-2.6
-97.63
339.02
Male
154
60 W11S
266
-3.76
-99.09
339.04
Male
213
80 W16S
267
-2.43
-99.74
338.94
Female
148
70 W10S
268
-1.05
-99.6
338.99
Male
188
70 W3S
269
0.82
-100.63
339.02
Female
175
75 W10S
270
2.02
-99.16
338.88
Female
226
67 W3S
271
6.45
-101.11
338.34
Male
154
47 W4N
272
5.13
-100.97
338.64
Male
203
80 W2S
273
4.49
-100.09
338.65
Female
154
50 W0
274
3.81
-100.48
338.7
Infant
120
60 W7S
275
2.52
-100.91
338.89
Female
150
70 W8S
276
1.22
-102.64
338.87
Female
206
70 W0
277
0.46
-103.19
338.88
Female
155
54 W11S
278
-1.32
-103.29
338.96
Male
128
60 W10N
279
-2.79
-102.63
338.97
Unknown
155
62 W18S
280
-3.86
-103.73
339.07
Female
168
74 W3N
281
-4.05
-101.49
339.07
Male
165
78 W9N
282
-5.48
-102.11
339.15
Female
130
61 W3S
283
-5.64
-105.34
339
Male
169
90 W8S
284
-4.35
-105.6
338.95
Male
173
64 W8S
285
-1.91
-105.18
338.97
Male
149
90 W3S
286
0.58
-104.73
338.83
Infant
104
40 W0
287
2.16
-104.61
338.76
Female
218
60 W10S
288
4.15
-103.57
338.63
Male
154
76 W10S
289
5.47
-102.85
338.41
Male
175
80 W5S
290
6.04
-104.61
338.25
Unknown
183
65 W12S
291
4.64
-105.47
338.47
Infant
95
54 W10S
292
3.39
-106.71
338.55
Male
166
87 W4S
293
0
-106.62
338.78
Infant
90
55 W15S
294
-0.91
-107.3
338.89
Male
222
64 W0
295
-1.96
-107.24
338.97
Male
143
76 W8N
296
-3.36
-107
339.04
Male
162
100 W4N
297
-6.92
-107.65
339.01
Male
142
78 W8S
298
-6.32
-107.92
339.08
Female
185
73 W0
299
-5.16
-108.06
339.04
Female
168
70 W10N
第四章 Islamic Cemetery of Abu An-Namil
No.
X
300
Y
Gender
Z
-4.26
-108.52
339.02
301
-2.7
-108.59
302
2.21
-108.55
303
3.48
304
4.84
305
306
Size (cm)
length
width
Direction
Female
127
55 W8N
338.95
Infant
105
56 W5S
338.62
Female
182
57 W4s
-108.94
338.53
Unknown
134
77 W5S
-108.77
338.31
Female
196
67 W4S
5.08
-110.64
338.31
Male
190
70 W3S
2.14
-110.26
338.61
Male
163
65 W4S
307
1.19
-110.05
338.75
Female
204
65 W5S
308
-3.15
-109.49
338.93
Female
166
70 W6S
309
-3.93
-109.7
339
Male
160
63 W5S
310
-5.44
-109.56
339.04
Female
163
68 W10N
311
-5.08
-112.31
338.85
Female
211
90 W0
312
-3.14
-111.37
338.87
Male
265
90 W2S
313
-1.12
-111.25
338.75
Unknown
172
99 W0
314
2.04
-112.21
338.61
Unknown
178
100 W4S
315
4.55
-113.13
338.32
Unknown
183
84 W2S
316
-3.51
-113.68
338.76
Female
145
70 W8S
317
3.36
-119.53
338.75
Female
200
66 W10N
318
2.12
-121.19
338.66
Female
190
85 W5N
319
-0.31
-120.67
338.37
Male
200
115 W4S
320
-0.67
-123.94
338.22
Unknown
223
60 W16S
321
0.24
-123.86
338.58
Male
206
80 W3S
322
0.93
-125.09
338.75
Female
206
60 W9S
323
1.8
-124.42
338.77
Unknown
200
70 W13N
324
4.72
-124.74
339.08
Infant
230
70 W0
325
3.76
-122.06
338.85
Male
220
110 W6N
326
5.82
-124.59
339.31
Male
116
65 W7S
327
3.01
-126.84
338.99
Unknown
188
60 W6S
328
1.95
-127.15
338.85
Unknown
210
70 W3S
329
0.62
-127.63
338.78
Male
240
80 W4S
330
0.04
-127.58
338.61
Female
196
60 W3N
331
-0.94
-128.24
338.26
Unknown
214
70 W1S
332
2.14
-128.95
338.97
Male
150
50 W4S
333
2.82
-128.89
339.15
Unknown
110
90 W10S
334
2.58
-135.43
339.23
Male
205
75 W6N
335
0.3
-140.75
338.12
Male
186
90 W6S
336
0.51
-143.69
337.99
Male
210
80 W5S
337
0.3
-146.13
337.88
Unknown
220
110 W4S
135
136
第五章 地中レーダーによる遺跡探査
第五章 地中レーダーによる遺跡探査 Inquiry in Ruins with Underground Radar
小野 勇 * 1
松本 健 * 2
1.まえがき
地中レーダーの有効性は、多くの遺跡発掘において実証されている。写真 1 は、ウム ・ カイスにおける発掘の
状況であるが、遺構が多く存在しており、地中レーダーで探査を行うことが有効である。写真 2 はジェラシュの
円形劇場であるが、このような遺構も発掘前に事前調査としての地中レーダー探査を行うことが有効な遺跡であ
る。地中レーダー探査は、市街地における埋設管や地下空洞の探査に広く用いられており、確立された探査技術
である。地中レーダーの有効性は、1) 発掘に先立ち遺構や遺物の分布状況を把握することが可能である。2) 地下
空洞を確認することが可能である。3) 金属の反応がより顕著に確認できる。等が挙げられる。しかし、地中レーダー
で得られる情報は、地中埋設物の反射波であり、地中埋設物をそのまま映し出しているものではない。地中レー
ダーから照射される電磁波は、本体を中心とした円錐状に照射され、地中の反射物から返ってきた電磁波をキャッ
チする。つまり、地中レーダーを中心とした円錐状の地中埋設物を認識することとなる。地中探査を行っている
測線上はもちろん、両脇と前後の埋設物も認識している。本来は、地中レーダー直下の情報のみが把握できれば
精度良く埋設物を把握することができる。したがって、密に地中レーダーを動かして反射波を測定することで認
識度を上げることが重要である。従来は、1 測線だけの情報から地下埋設物の存在を判断していたが、密に観測
された応答波から地中の状況を 3D 可視化する試みを示す。
地中レーダーを用いての地下擬似 3D 可視化は、観測された画像の不必要な部分を画像編集ソフトで削除し、
画像形状を変えて並べることにより鳥瞰図的に表示する。画像の不必要な部分とは、地中からの反射が弱い部分
であり、反射波を認識する感度により異なるが、ある一定値以下の反射である。
写真 1 ウム ・ カイスの発掘作業
写真 2 ジェラシュの円形劇場
* 1 国士舘大学理工学部理工学科都市ランドスケープ学系
* 2 国士舘大学イラク古代文化研究所
137
2.地中レーダー
地中レーダーは、地中に電波を放射させ、反射波
を観測す色の矩形の部分が地中レーダー本体で、車
輪が 3 個付いており、1 個の車輪は、地中レーダーの
走行に伴い距離を計測できるエンコーダーが付帯し
ている。これにより、地中の反応と位置情報がリン
クしてどの場所の応答かが分かる。上部には、記録
と波形を表示するノートパソコンがセットされ、そ
の下に計測機器や接続機器、電源供給用の 12V バッ
テリーが収められている。地中レーダーの電源は家
庭用の 100V 電源であるため、12V カーバッテリー
写真 3 地中レーダー ( 側面 )
に DC-AC 変換機を用いて電源を供給している。
地中探査を行うことによって非掘削で埋設物 ( 非金
属物でも有効 ) や土質の検出が可能である。しかし地
中構成物質の非誘電率(電波の通り易さ)の違いか
らおこる伝搬速度の不確定さ、電波の減衰、地中に
ある全ての構成物質からの反射という要因によって
地中探査を難しくしている。そこで信号処理を行う
ことが必要となってくる。
2- 1.地中レーダーの原理
地中に向けて電磁波を入射すると、地中内の異物
(地層境・埋設管・コンクリート・空洞等)の境界で
写真 4 地中レーダー ( 前面 )
反射した電磁波を捉えることにより、地中内部の状
態を探査することができる。図 1 に反射波の一例を
示す。上下に示している色彩は、反射波の強さによっ
て色分けを行う際の色である。電磁波の形状から埋
設物の位置、片道往復時間から深さを測定する。埋
設管等の埋設物は電磁波が曲線となり、頂点が位置
及び深さを表す。
測定された電磁波の振幅にしきい値を設け、振幅
の強弱に応じて濃淡表示をすることがでる。調査デー
タにより、マンホール・埋設管等の位置及び深さが
特定できる。
2- 2.観測の概念
図 2 に地中遺構の例を示す。地中部に埋没してい
る住居や神殿の土台を想定したものである。地中レー
ダーが 1 の位置では、照射した電磁波の反射が斜め
前方から来るため、距離が長くなる。地中レーダー
が 2、3 へと移動するのに伴い反射距離が小さくな
る。このとき観測された応答波の模式図を図 3 に示
す。縦軸に深さを示しているが、これは反射波の到
達時間を深さに換算しているもので、図 2 の測定例
で分かるように測点 1 の時点では地中レーダーの直
下に遺構が無いにもかかわらず、その前方に存在す
る遺構の反射波を捕らえた応答が現れている。測点 3
138
図 1 地中レーダー計測波形
第五章 地中レーダーによる遺跡探査
以降は同様な波形が連続して観測されることとなる。この例では、遺構に直行する方向で観測を行っている場合
を示しているが、斜めに観測した場合や直角方向に観測した場合にはまったく異なった応答波形となる。城壁や
倒壊した遺構等はさらに複雑な応答となるが、遺構や遺物が地下に存在する否かを判断できることが重要である。
応答波に顕著な変化が無い場合には、際立った遺構や遺物が存在しないことを意味するからである。
図 2 測定概念図
図 3 応答波概念図
3.実測例
写真 5 探査地域 ( 東西 )
写真 6 探査地域 ( 南北 )
ウム ・ カイス遺跡において実測を行った。場所は、国士舘隊の発掘が進んでいる場所から西に 200m 程度離れ
た場所で、ローマ通りの反対側にはバシリカが発掘されている。概ね平坦で雑草が繁茂しているが清掃を行い良
好な状態とした。写真 5、6 に探査地域の写真を示す。地表には遺構らしきものは見られず、土器片や陶器片が
多少見受けられる程度である。図 4 に観測詳細を示す。観測域を 10m 四方とし、その域周辺外を 4m まで探査した。
観測は、北側の測線から開始し、東から西へ観測した後、折り返して 1m ずらし西から東へ観測を行う。これを
繰り返して行い 19 回の観測で終了する。南北方向の観測は、東側から開始し、東西方向の観測同様 19 回の観
測を行う。
139
図 4 観測線
観測反応
縦横比の修正
4m
16m
修正反応
図 5 応答の補正
観測された応答は、縦と横の比が異なっており、これを補正する必要がある。図 5 に観測応答と修正応答を示す。
観測された応答の縦方向を縮小し、横方向の距離と深さが同一となるよう補正する。観測応答は、横方向が 16m
の 1 測線の距離であり、エンコーダーの動きに連動し画像が記録される。観測応答の青と白い部分は、応答が小
さい箇所を示しており遺構や遺物が存在せず、土砂が存在することを示している。したがって応答の情報から削
除すると、残った部分が土砂以外の反応である。赤い部分が上下方向に連なって示されている部分は、主に金属
の反応であるが、地表部のごく小さな物がハレーションを生じて現れているもので、釘や王冠、空き缶の破片等
であることが多い。ただし、土中部に現れている赤い部分は何らかの金属が存在することを示している。他の注
目するべき点としては、傾斜を持った黄緑色の連なりの部分である。このように応答が現れる場所には、前述し
たように壁や家屋の外壁に相当する遺構が存在する可能性が高い。
140
第五章 地中レーダーによる遺跡探査
図 6 観測応答 ( 東西方向、No.1 ~ No.19)
141
図 7 観測応答 ( 南北方向、No.20 ~ No.38)
142
第五章 地中レーダーによる遺跡探査
応答の傾斜がより急な場合には、倒壊した円柱かそれに類した遺物が存在する。より確実な確認手法として、
隣り合った応答と比較することにより確実な判断が可能である。修正したすべての応答を図 6、7 に示す。両図は、
東西方向と南北方向に観測された応答であり、両方向の応答を比較検討することで更なる信頼性を得ることがで
きる。
図 6、7 の各応答から地中内部の遺物や遺構を推測することは可能であるが、顕著な反応を見出して判断する
ことが一般的である。従来の地中探査は丹念に観測毎の反応を目視で分析し、判断を下す手法を採っていた。本
報告では、各観測応答を観測時のカラーバランスから調整を行い、擬似 3D 表示を行うことにより特別な技能が
無くても解読を可能にする。最も重要な判断基準としては、地中からの反応の有無である。図 6、7 の各応答を
見ると青い色域の部分と白い色域の部分は反応が小さい域であり、他の色域の部分はある程度反応があると考え
られる。したがって、青い色域と白い色域を応答画像から排除し表示する。図 8 に色域の削除過程を示す。応答
図から青と白い部分を指定し、削除することにより下側の図と成り、両領域は透明な域となる。このような作業
により作成した応答を EW 方向に少しずらし、重ねて表示した結果を図 9 に示す。図中の黒い域は反応が小さい
部分であり、この域には埋設物が無いと判断できる。濃い黄緑色の連なりが矩形状に見受けられる域が存在する。
図 8 弱反応域の削除
図 9 擬似3D 応答
143
このように表示すると観測画毎に判断を行うより
も地下情報の把握が容易である。図 9 は、東西方向
に観測を行った結果であり、南北方向の観測を比較
検討するため応答の形状を変形させ、判断を容易に
するよう操作を行った。図 10 に形状補正を示す。
観測は、南北を往復して行っているので東西方向の
形状補正
結果と同じ視点で結果を示す必要がある。元の応答
画を斜め 45°に変形させることにより東南の上部に
視点を置くことが可能である。このように変形した
応答画を東側から随時並べたものを図 11 に示す。
詳細な部分では、東西に観測した結果と異なる部分
は多々存在するが、遺構の顕著な反応が同位置の両
図に見られる。相違が生じる原因としては、測線間
隔の広さが影響していることが考えられる。今回は
1m 間隔で行っているが、さらに狭い間隔で行った
結果と比較すれば良好な結果が得られる可能性があ
る。しかし、観測間隔を小さくすると観測回数が増
加するので効率が落ちる。比較的大きな遺構を探査
するのであれば十分な間隔であると言える。東側中
央部には矩形状の反応が見られ、家屋の外壁である
可能性が大きい。
図 11 NS 方向応答
144
図 10 応答の形状補正
第五章 地中レーダーによる遺跡探査
図 12 深さ方向の応答
各応答画を深さ方向に裁断し、画像に幅を持たせたものを相互に接続した応答画像を図 12 に示す。この図は、
0.5m 毎の応答を示しており、応答の小さい域がより鮮明に確認することができる。ただし、元になっている応
答は先に示した画像であり、ビジュアルな擬似 3D を作成したに過ぎない。
4.まとめ
地中レーダーで探査を実施したが、観測結果の妥当性を検証するためには調査域の発掘を実施することが必要
である。事前調査と出土遺構を照合することにより、探査精度の検証を行う。
今後の課題としては、応答が出にくい日干し煉瓦の地中探査を可能にする。
145
146
第六章 平板測量を中心とした発掘調査の記録手法
第六章 平板測量を中心とした発掘調査の記録手法 Record Technique of Excavation Investigation That Centers on Plane-table Surveying
小野 勇 * 1
松本 健 * 2
遺跡や遺構の発掘は、記録を行うことが非常に重要である。記録は従来から行われており、改めて記述するこ
とも無いように思われるが、測量機器の発達やパソコンの普及により従来の記録方法と大きく異なる部分がある。
一例を挙げると、従来の平板測量は電子平板に変わり、迅速な作業と膨大なデータ処理、縮尺の自由度が可能と
なった。また、デジタルカメラの発達に伴い、従来の写真測量は簡易な機器で行うことが可能となった。従来の
写真測量では高価な図化器が必要で、専門の業者に委託しなければ実態視は不可能であったが、現在では、デジ
タルカメラとパソコン、それに付随したソフトが有れば容易に実態視が可能である。
以上に述べたように、最先端の機材を使用しての測量は、効率がよく精度も高い反面、高価で大量に購入する
ことは不可能である。特に、低予算での発掘現場では、従来の機材を使用した記録を行うこととなる。したがって、
発掘を前提とした平板測量の詳細を記述する。
平板測量
平板測量の概要
平板測量の特徴は、機材が安価であり経費の面で制
約がある場合に最適な測量である。写真 1 に平板測量
アリダード
に使用する機材を示す。電子平板では、トータルステー
方位磁石
ションやパソコン、作図ソフトが必要で、写真測量で
も同様に高額な機器やパソコンソフトを必要とするが、
これらの測量と比較し、平板測量は、平板測量セット
と巻尺で地形図を作製することができる。具体的には、
平板測量の機材は 5 万円程度でそろうが、電子平板は
安くても 150 万円程度である。電子平板は高額である
三角定規
下げ振り
巻尺
が広範囲の地形図を作成する場合において価格比以上
三角スケール
の効果を発揮し、精度や図面処理の汎用性を勘案する
と非常に有効な機器である。
写真 1 平板測量機材
表 1 平板測量の得失
優位な点
不利な点
1. 機器の価格が安価である
1. 作業効率が悪い
2. 操作が簡単で習得が容易である
2. アナログな結果であり清書が必要である
3. 縮尺を変えることにより精度の高い図も描ける
3. 習熟度の違いにより成果と効率が異なる
4. 広範囲の図も描ける
4. 傾斜地での作業効率は悪い
しかし、平板測量でも広範囲の測量が可能であり、縮尺の取り方で精度の高い図面の作成も可能である。表 1
に平板測量の得失を示す。平板測量に使用する機材を、写真 1 に示す。アリダードは、地物を平板上に描くとき、
方向を決定する機材である。方位磁石は、平板上に磁方位を記入するために使用する。三角スケールは、縮尺に従っ
て地物を描く際に使用する。巻尺は、平板の設置してある測点から測定長とする地物までの距離を測る。下げ振
りは、求心の作業を行う際に、地上の杭と平板上の杭の位置を一致させるために用いる。三角定規は、平板上に
地物を作図する際に使用する。
* 1 国士舘大学理工学部理工学科都市ランドスケープ学系
* 2 国士舘大学イラク古代文化研究所
147
平板測量の準備
1.平板測量作業に入る前に、平板にケント紙を貼る。
ケント紙は、平板よりも大きなサイズを用いる。写真
2 に平板とケント紙の配置状況を示す。平板測量に用
いる平板は、一般的に中測板(500 × 410mm)であり、
この平板にケント紙の A2 版(594 × 420mm)を貼る。
ケント紙は平板から浮いている部分が無いように貼る。
まず平板の上にケント紙を載せ、ケント紙のはみ出す
量を長編と短編同士で同量にし、長編の一端を平板に
疎って折り曲げ、そのまま平板の裏側まで折る。写真
3 に折り曲げの初期状態を示す。この時点でケント紙
を平板からはずし、折り目が直角になるように指で押
写真 2 用紙の配置
さえる。ケント紙が直角になったならば、平板に戻し
裏側を画鋲で 2 箇所留める。留めた反対側のケント紙
を強く引き、平板の裏側へ巻き込み角を指で強く押す。
ケント紙を平板から浮かせ角を直角に折り、その後裏
へまわし画鋲で留める。ケント紙が平板から浮いてい
ると、アリダードや定規を移動する際にケント紙が汚
れ作業の障害にもなるので、必ずケント紙と平板は密
着させる。
2.筆記用具は、2H か H の鉛筆を鋭く削り使用する。
写真 4 に鉛筆の削り具合を示す。シャープペンを使用
する場合も 2H か H の芯を使用し、あらかじめ# 250
写真 3 用紙のセット (1)
程度の紙やすりか紙の上で先端を尖らしておく。平板
測量で作図線の太さは 0.2mm 程度にする必要がある
先端は、0.2mm 以下
に研ぐ
ので、常に先端を鋭利にしておく必要がある。平板測
量の縮尺を 1/200 で作図する場合、図面上の 0.2mm
は現地の 4cm に相当し、これ以下の地物は図ることが
できないことになる。正確な図を作成するためには、
0.5mm のシャープペンをそのまま使っては描けない。
3.アリダードや求心器、水準器は、測量前に点検を
行う。求心器は、平板上に置くアームの先端部分と下
Hか2H等の硬い
鉛筆を用いる
げ振りの掛ける点が直角になっていないと正常でない。
写真 5 に求心器を示す。直角になっているかを確認す
写真 4 筆記用具 ( 鉛筆 )
るためには、平板上に置く腕の先端と下げ振りを掛け
るフックの位置が直角になっていることを三角定規に
より確認し、直角でないようであれば下げ振りを取り
付ける腕を曲げて調整する。水準器のチェックは平板
定規を当て、直角で
あるか確認する
上に水準器を置き、平板を水平にする。水平にした後、
左右を回転すると、正常ならば気泡は動かない。気泡
が移動するようであれば、気泡の調整ねじを用いて調
下げ振りを掛ける
フック
整するが、調整の方法は、気泡のズレの半分を調整ね
じで動かし、残りの半分を平板の水平調整で行う。こ
の作業を 2 ~ 3 回行い、気泡が左右を置き換えても移
動しない状態にする。アリダードは、視準孔板と視準
線板がアリダード本体に対し直角に設置されているこ
148
写真 5 求心器のチェック
第六章 平板測量を中心とした発掘調査の記録手法
とが必要で、三角定規等の直角部分で確認する。
4.平板を脚に取り付ける際は、脚の平板取り付けネ
平板固定用外ネジ
ジを脚からはずして平板にセットする。写真 6 に脚の
ネジを示す。平板には、ネジをセットする治具が入っ
ており、脚にねじを取り付けたままで治具にネジを入
れようとすると手間がかかり、ネジをはずしてセット
したほうが短時間に作業が終了する。
平板固定用内ネジ
平板の設置
発掘作業における平板測量は、グリッド毎の遺物や
遺構の測量が中心となるので、グリッド交点の杭上に
写真 6 求心器のチェック
設置すると設置も容易である。ただし、発掘が進行す
るとグリッド周辺は、畔を残して堀下げるため極度に
狭い場所で平板測量を行うことになる。足場の良い場
所に平板を設置することを考慮したほうが良い場合も
ある。以下に、順を追って平板の設置方法を示す。
1.平板を取り付けた三脚を開いて杭の上に置く。三
脚を開く角度は正三角形に近い角度とし、平板の高さ
を胸の位置程度とする。写真 7 に三脚を立てた状況を
示す。この時、概ねの方向と水平、求心を整えておく。
平地での作業は容易であるが、傾斜地で平板を設置す
る場合は脚の長さを変えて行う場合もある。
写真 7 三脚設置状況
2.平板を水平にする整準作業を行う。整準はアリダー
ドに装着されている水準器を用いて行うが、別途の T
形水準器等を準備すると作業効率が上がる。写真 8 に
アリダードの水準器を示す。ここでは、アリダードの
気泡管を用いた整準方法を記述する。整準は、気泡管
が前後方向に移動するよう平板上に置き、外側の固定
ネジを緩め、気泡管の気泡が中央になるよう平板を前
アリダードに付属
している水準器
後に傾斜させ調整する。気泡を中央に誘導したならば
ネジを軽く締め、アリダードを 90°回転し左右に平板
を傾斜させて左右方向の整準を行い、ネジをきつく締
める。この時点で平板は水平になり整準が終了する事
写真 8 水準器
となるが、チェックの為にアリダードを 90°回転し、
前後方向の水平を確認する。
3.求心は、平板上の杭の位置と地上の杭の位置を一
致させる作業で、求心器を用いて行う。写真 9 に求
心器の平板上状態を示す。平板上の用紙には、あらか
じめグリッドの寸法に相当する枠を描いておく。その
際の図面縮尺は、1 箇所のグリッドを測量するならば
1/10 ~ 1/20 程度の縮尺で 5m グリッド全体を 1 枚の
求心器先端を測点
の針に合わせる
用紙に記録することが可能な縮尺とする。平板上の杭
の位置に針を刺し、そこへ求心器の先端を置く。求心
器の下部に下げ振りを架けるが、下げ振りと地上の杭
写真 9 求心器
149
の距離は 5cm 程度空ける。下げ振りの上下は、下げ振
りに付いている自在金具によって行う。求心は、内側
のネジを緩めて平板を水平移動し行う。その際に、平
板を大きく回転させると後の作業である定位が困難と
なるため、回転させないで行うことが望まれる。
4.定位は、現状の地形と平板を同一の方向にする作
業である。写真 10 に作業を示す。現在の位置に針を
ポール
アリダード
平板
打ち、目標の線上に他の針を打つ。針の間隔はアリダー
ドの長さ以内とし、できる限り離して打つ。打った 2
本の針にアリダードを当て、地上の目標点に立てたポー
ルに視準孔から覗いた視準線を合わせるよう内側のネ
写真 10 定位設定
ジを緩め平板を回転させる。視準線とポールが一致し
たら内側ネジを締め、平板の設置が終了する。
ポール
測量作業
出土した遺構や遺物の測量は、測定を行う点にポー
ルを立て、平板上のアリダードからポールを見通し、
方向を決定する。メジャーにより距離を測定し、縮尺
にしたがって平板上に点をプロットする。注意を有す
る点としては、距離は水平距離を測定することや、随
アリダード
時定位を確認する。写真 11 に作業の状況を示す。
平板
写真 11 測量方法
150
第六章 平板測量を中心とした発掘調査の記録手法
151
152
第七章 ウム ・ カイスで見られる野鳥
第七章 ウム ・ カイスで見られる野鳥 Wild Birds of Umm Qais, Jordan
富田 富喜夫 *
1.はじめに
2006 年にウム ・ カイスの発掘調査隊に参加して、今回で 5 年目に入る。昨年夏は望遠鏡をアンマン空港の税
関検査で持ち込み禁止品ということで空港預かりとなり、2 ヶ月間の滞在中は使用できなかった。そのため野鳥
が遠くに見えても望遠鏡を通しての写真が 1 枚も取れなかった。
それでも鳥たちは確かに生息していた。9 月から 10 月にかけてコウノトリ類が高く天空に鳥柱を作り、高み
から南に向かい一直線に飛び去る眺めは壮観であった。
2009 年 10 月 3 日正午頃、ナベコウ類の鳥柱が立ち、その様子を望遠鏡を使わずに撮った写真がある ( 写真 1)。
この時の鳥数は 123 羽であった、パソコン画面に移し眺めていてこの中に色が少し異なるのがいることに気づい
た。画面の中で大きくすると 2 羽のコウノトリ類(英名:White stork)が混ざっていた。はっきりとナベコウ類
( 英名:Black stork) とコウノトリ類の違いがわかるので拡大した写真 ( 写真 2) を入れておく。
今回のレポートは確認した野鳥の補充と訂正が主な報告となる。野鳥の写真も以前に遠くから撮ったもので未
確認だったものと、今回デジカメで撮ったものとからなるので、ピントが甘くなっている。
写真 1 アブサハットの鳥柱
写真 2 アブサハット(上:ナベコウ類 Black stork) (下:コウノトリ類 White stork)
2.観察 ・ 調査により記録された野鳥一覧 ( 表 1)
観察された野鳥の種数は、2009 年 12 月現在、47 種である。
① 削除 1 種
カラスバト類は中東地区に生息の記録が無いため ( 鳥 630 図鑑 日本鳥類保護連盟発行より )、一覧表から削除
した。日本のドバトの可能性がある。
② 追加 4 種
・カモメ類 ・ハンマル (写真 7 ~ 8 ウグイス・ムシクイ類)
・デュエリ ( 写真 8 ツグミ類 ) ・現地名不明 ( 写真 9 ヒタキ類 )
カモメ類は遠くから見ただけでは識別が難しく、カモメ類と一まとめにした。望遠鏡で、しかももっと近くから
見ることが出来れば今後識別可能である。期待したい。
*ボランティア
153
表 1 観察 ・ 調査により記録された野鳥 (2009 年 12 月現在)
No. 学名・現地名・英名・和名
1
Carduelis chloris
?
Green Finch
カワラヒワ類
2
Carpodacus erythrinus
?
Common Redfinch
アカマシコ類
3
Serinus syriacus
?
Syrian Serin
?
4
Serinus serinus
?
Europian Serin
マヒワ類
5
Fringilla coelebs
ソッファル
Chaffinch
アトリ類
6
Apus melba
?
Alpine Swift
アマツバメ類
7
Prunella collaris
?
Alpine Accentor
イワヒバリ類
8
Corvus splendeno
ゴラープ
House Crow
イエカラス
9
Garrulus glandarius
イズレーギ
Jay
カケス類
Pica pica
フォッダラ
10 Magpie
カササギ類
Dendro copos syriacus
アブノッサル
11
Syrian Woodpecker
アカゲラ類
Ciconia nigra
アブサハット
12
Black Stork
ナベコウ類
Ciconia ciconia
アブサハット
13
White Stork
シュバシコウ
154
確認月
1
2
3
4
5
6
7
8
9 10 11 12
確認地・特徴・その他
MK ハウス。日本のカワラヒワ(Carduelis
sinica Oriental Greenfnch) より緑が濃い。雌
雄で色が異なる。
○
ローマンロード。腹の下のほうは薄いピン
クになる。胸周りはピンク色。写真に撮れ
なかったのは残念だった。
○
お墓前。茶色の1年目の色と2年目以降の
鳥が混ざっていた。
○
MK ハウス。杉の木に止まる。ジェイーンと
鳴く。波状に飛ぶ。
○
○
MK ハウス。雌雄で色が異なる。( 写真 5) 左
右の羽に T型模様が入る。
アズラック。高山性褐色アマツバメ。21㎝。
○
現場。18㎝。
○
MKハウス。
○ ○
○
○ ○
○ ○
○
○
○
○ ○ ○ ○
○
遺跡内。頭部黒。日本のはごま塩頭で目の
周りが黒である。20090915。
MK ハウス。ガチガチと鳴きながら飛んでい
る。ヨルダン 48㎝。日本は 45cm。日本の
カササギは、佐賀平野・筑後川など九州北
部に生息する。近年長崎県・熊本県まで広
がる傾向にある。
現場。ベイトマリ。23 センチ。雌雄を確認
す る。20091003 日 ♀。04 日 ♀。 日 本 の は
○ ○ ○ ○
顔が白っぽい。
○ ○
○ ○ ○
現場。2005 年 9 月 12 日 17 羽。95㎝。
2009 年 10 月 3 日 121 羽、4 日 7 羽。( 写真 1・2)
日本では 1970 年絶滅。日本のコウノトリは
嘴が黒いが、ヨルダンのは薄い赤色である。
2009 年は渡りが早く始まったようだ。2009
年 10 月 3 日2羽。( 写真 1・2) 第七章 ウム ・ カイスで見られる野鳥
Egretta garzetta
?
14
Little Egret
コサギ類
Parus major
ソッファロ
15
Great tit
シジュウカラ類
Motacilla alba
ゲルゲッセ
16
White Wagtair
ハクセキレイ類
Motacilla flava
?
17
Yellow Wagtail
ツメナガセキレイ
Turdus merula
ハンマレ
18
Black bird
クロウタドリ
○
○
○
○ ○
Hirundo daurica
スヌヌ
21
Red-rumped Swallow
コシアカツバメ
Passer domesticus
ダカル
22
House Sparrow
イエスズメ
Petronia petronia
?
23
Rock Sparrw
イワスズメ
Streptopelia decaocto
ジョーフィ
24
Collared Dove
シラコバト
Streptopelia senegalensis
ヘムリ
25
Laughing Dove
ワライバト
Eritacus rubecula
?
26
Robin
コマドリ
○ ○
○ ○
○
MK ハウス前・博物館前 白黒で長い尾を持
つ。
○
TN4 全体が黒くくちばしと目の周りの黄色
が目立つ、ムクドリ大、日本では迷鳥、長
く樹枝にとまる。
○
MK ハウス。背面下部と腹は白。鳴き声など
再確認の必要有り。かなりの数で飛ぶ背面
は黒く見える。アジアンイワツバメは中東
にはいない。
○
○
○
○
○
○
○ ○ ○
?
○
○
ベイトマリ。街中。胸の赤い種類と白い種
類がいる。再確認の必要有り。日本のは、
17cm、ウム ・ カイスは 20cm。20090914.
街 中。 日 本 の は 18.5cm。 ウ ム ・ カ イ ス は
17cm。
留鳥。雌雄で姿が異なる。オスは前掛けが
大きい。頬のえくぼがない。( 写真 3 ♂)(写
○ ○ ○ ○ ○ ○
真 4 ♀ )
遺跡墓前。写真より図鑑と照合。大変地味
な鳥である。日本にはいない。
○
MK ハウス。現場。
○
○
MK ハウス屋上。
○
○
日本のより、背中から頭部にかけて黒っぽ
い。冬鳥?
○
15.5cm。夏鳥。( 写真 9)
Cercotrichas galactotes
デュエリ
27
Rufous Bush Robin
コマドリ類
Phoenicurus oshruros
ハネーニ
28
Black Redstar
クロジョウビタキ
○ ○ ○ ○ ○
遺跡内。日本のより、腹が黄色。鳴き声も
日本のは細く聞こえるがヨルダンのは和音
のように聞こえる。1年中見られる。
ウム ・ カイス中等女学校前
Delichon urbica
?
19
House Martin
イワツバメ?
Hirundo rustica
スヌヌ
20
House(Burn)Swallow
ツバメ
ベッラ遺跡上空を南西に向かって飛ぶ。月
日の記録が見つからない。最初に来た時に
見たきりである。
○
○ ○
○ ○
現場。日本では迷鳥。腹部分も黒い。尾を
ビリリ・・・と震わせる。
155
Saxicola toruata
ブレーギ
29
Stonechat
ノビタキ
○
○
MK ハウス。
Sylbia melanocephala
ボラニ
30
Sardinian Warbler
サルディニアウグイス
○
○
Muscicapa stiata
?
31
Spotted Flycatcher
ヒタキ類
○
13.5cm。冬鳥。
○
MK ハウス。
Sylvia mystacea
?
33
Menetries's Warbler
ウグイス?
○ ○
Sylvia atricapilla
ハンマル
34
Blackcap
ブラックキャップ
MK ハウス裏。ホバリングをしていた。
○
○
Enberica citrinellu
?
40
Yellow Hammer
キアオジ
Nectarinia Oser
?
41
Orange tubbed Sunbird
サンバードミツスイ
○
○
?
156
○
国士舘ハウス庭。黄色切れ込みヒヨドリ。
19cm。
ベ イ ト マ リ 裏。22cm。 日 本 に い な い。 8
月のしるしは電線に暗くなりかけた時に止
まっていた。確認は出来ていない。
日本にいない。
○
MK ハウス。アオジより全体が黄色。胸部に
たてに点線が通る。嘴は薄ピンク。3 日間
ほぼ同時刻に観た。日本海側の離島に多い。
全国で記録がある。
○
ベイトマリ。枝葉の下をホバリングしなが
ら飛び、餌をとっていた。黒っぽい色から
雄と思われる。
○
黒と白がはっきりしています。26㎝。
Lanius meridionalis
アブハマル
42
Southern Grey Shrike
オオモズ類
Lanius nubicus
?
43
Masked Shrike
モズ類
遺跡の中に何処でも見られる。とんがり頭
のヒバリ。20091004 日
○
Athene noctua
ブーマン
38
Little Owl
コフクロウ
Miliaria calandra
?
39
Corn Bunting
コーンホオジロ
頭の帽子は、♂は黒で♀及び幼鳥は茶色で
ある。夏鳥。( 写真7 ♂ )( 写真 8 ♀ )
○
Falco tinnunculus
?
35
Common Kestrel
チョウゲンポウ類
Pycnonotus anthopygos
ハニエニ
37
Yellow-vented Bulbul
ヒヨドリ類
「斑模様のハエ取り」という名の鳥である。
体長は 14cm でスズメより少し大きい。夏鳥。
( 写真 10)
○
Sylvia curruca
?
32
Lesser Whitethroat
コノドジロムシクイ
Galerida cristata
アブノッガル
36
Crested Lark
ヒバリ類
遺跡、お墓前。大きな口をあけて、ジョイー
ンと鳴く。
○ ○
○
?
MK ハウス。20090913 は、尾羽の振り方だ
けの確認で視認できていない。( 写真 6)
第七章 ウム ・ カイスで見られる野鳥
Upupa epopa
ホドホド
44
Hoopoe
ヤツガシラ
Buteo buteo
サガル
45
Bonellis Eagle
ノスリ?
○ ○
遺跡の中何処でも見られる。ポポポポ・・・
と鳴く 27cm。渡りの上下限に位置するのか。
流暢なのか。1年通して見られる。
○ ○ ○
MK ハウス上空。日本のノスリより、腹側が
黒い。福原さんのデジカメより。
○
Falco concolor
?
46
Sooty Falcon
ハヤブサ
47
MK ハウス上空。
○
○ ○
ヤルムーク川に沿って、集団で北上してい
く。遠いため名前の判読は無理であった。
カモメ類
註:「MK ハウス」は、「松健ハウス」 を表す。
「TN4」は、「トラバーナンバー 4」 のことで、観測地点の位置を表す。
157
3.注目すべき野鳥
今回の調査を通じて確認された野鳥のうち、とくに注目すべき種類について以下に記す。
① アブサハット(Ciconia nigra)英名:Black stork ナベコウ
日本で繁殖していたコウノトリ(Ciconia boyciana )は、1970 年代に絶滅し同じ種であるコウノトリが中国
から借り受け個体数を増やし、放鳥(2005 年 9 月)もされるまでになった。コウノトリの仲間は世界で 17 種
が確認されている。日本では 2 種、ヨルダンでは同じく 2 種であるが、中東地域では 5 種のコウノトリ類が生息
している。
ナベコウ類は旅鳥または冬鳥で、日本ではまれに観察されるだけである。学名は日本と同じである。
日本産のナベコウとの違いは、顔の周りの赤い部分が頭頂部分にまであるのがアブサハットである。ちなみにこ
の赤い部分はタンチョウと同じで皮膚が露出している部分である。くちばしや足は同色で赤い。渡りに入る時期
がシュバシコウより 2 週間ほど遅いようである。生息数もシュバシコウよりもかなり少ない。
② ダカル(Passer domesticus)英名:House Sparrow イエスズメ ( 写真 3 ~ 4)
この種類は、オスとメスの体色が異なっており、日本のスズメ(Passer montanus saturatus)のイメージから
すると、はじめは別の仲間かと思ってしまった。他の鳥同様くすんだ色の方がメスである。
ツバメと同様一番身近にいる鳥が識別できないことは悔しいことである。他のスズメ類も混在していることが
わかっているので、確認を急ぎたい。
写真 3 ダカル♂(イエスズメ House Sparrow)
写真 4 ダカル♀(イエスズメ House Sparrow)
以下、特徴のある鳥の写真のみ。詳細は表 1 に記載した。
158
写真 5 ソッファル(アトリ類 Chaffinch) 写真 6 現地名不明(モズ類 Masked Shrike)
写真 7 ハンマル♂(ウグイス・ムシクイ類 Blackcap)
写真 8 ハンマル♀(ウグイス・ムシクイ類 Blackcap)
写真 9 デュエリ(ツグミ類 Rufous Bush Robin)
写真 10 現地名不明(ヒタキ類 Spotted Flycatcher)
第七章 ウム ・ カイスで見られる野鳥
4.今後の課題
① 鳥名同定の正確性
種類の同定には図鑑類の中の「Birds of the Middle East」を主に参考にした。当地域の鳥類についてはまだま
だ情報が少なく、同定の正確性については検討の余地がある。今後とも図鑑や解説書の充実を図りたい。
② 観察種数を増やしていく
一番の難題は簡単に双眼鏡、望遠鏡が持ち歩けないことである。特に川に近づこうものなら荷物検査はさらに
厳しくなり、まず川にも近づけない。
対応策としては、観察器具のヨルダン国内への持ち込み、国境付近への観察が必要である。図鑑を見ていると
ツルやサギ、カワセミ類なども載っている。水辺にいければ、観察数はすぐに今の倍には増すであろう。いずれ
にしても望遠鏡類を持たなくても、水辺には早い機会に行きたい。
小河川はヨルダン国内に何箇所かあり、温泉が湧く保養地もある。これらの地点には、水辺の鳥が生息してい
るはずであり、今後計画的に訪れたいと考えている。さらに、アカバ湾では海鳥が観察できる。ここへの再訪も
考えている。
③ 年間を通した観察
短い期間ではあるが、観察されていない月が未だ残っている。3 月下旬から 7 月まで、12 月下旬から 2 月中
旬に掛けてである。この空白期間が埋まれば、さらにウム ・ カイスの野鳥の生息について理解が深まると期待する。
④ 歴史の中の鳥たち
現在ヨルダンにいる野鳥たちは、今いる種と同じなのだろうか。野鳥と文明との関係について、今後調査を進
めていくと楽しいことが発見できそうである。
⑤ 植物、昆虫、その他の生物等
半乾燥地帯にも拘らず、多数の生物がひっそりと隠れるように生きている。カエルが遺跡内で車に轢かれたの
か煎餅状態になって地面にくっついていたり ( 写真 11)、円盤型のカタツムリがいたり、蛇や亀が水溜りもない
のに見つかることがある。
そして昨年 (2009 年 )9 月、テル ・ エス近くの湧き水の中に 10cm 位の魚が走るのを見た。ヨルダンの自然の
中で始めて見た魚であった。今度は写真に挑戦するつもりである。
隊員皆が撮った写真を集めれば貴重な資料になる。
写真 11 カエルの轢死体
【参考文献】
① R. F. Porter, S. Christensen and P. Schiermacker-Hansen(1996), Birds of the Middle East, Princeton University Press.
② David M. Cottridge and Richard Porter(2000), A photographic guide to Birds of Israel and the Middle East, New Holland Publishers.
③ 安西英明・谷口高司(1998)『野鳥観察ハンディ図鑑 新山野の鳥』日本野鳥の会.
④ 安西英明・谷口高司(1998)『野鳥観察ハンディ図鑑 新水辺の鳥』日本野鳥の会.
⑤ 小林桂助(1956)『原色日本鳥類図鑑』保育社.
⑥ 高野伸二(1982)『フィールドガイド 日本の野鳥』日本野鳥の会.
⑦ 柳澤紀夫(1988)『鳥 630 図鑑』 日本鳥類保護連盟.
⑧ Society for Protection of Nature and Natural Resources in Lebanon 本分がアラビア語のため、著者名等詳細は不明。
159
160
第八章 東京都板橋区立三園小学校とヨルダン、ウム ・ カイス中等女学校との交流について
第八章 東京都板橋区立三園小学校とヨルダン、ウム ・ カイス
中等女学校との交流について Cultural Exchange between Umm Qais Secondary School and Misono Elementary School
富田 富喜夫 *
1.はじめに
三園小学校とヨルダン、ウム ・ カイス中等女学校との交流は、試行錯誤を繰り返しながら、3 年目に入ろうと
している。ヨルダンと日本との間での、初めての直接の学校交流であった。
ヨルダンにはこれといった産業がない。そのため、国も観光に力を入れようとしている。ここウム ・ カイスもそ
の例にもれない。それにもかかわらず、自分達の貴重な財産である遺物や遺跡(観光資源)が生活の糧の一部と
なり流失している。残念なことである。この現状を打破するには、ヨルダンの国民一人一人の意識改革が必要で
あると思うのだが。
ある日、団長とゆっくり話す機会があった。その時、ウム ・ カイスの遺跡や文化遺産を守っていくのは今の大
人ではなく、将来の大人、すなわち今の子どもたちであると言われた。
発掘とは、常に破壊を伴うものであり、二度と元には戻せない状態に遺跡を追いやるものである。発掘に関わる
全ての人々が危惧するところである。
しかし、教育とは、幸いにして未来を創ることが出来る。私が教育者としての経験を生かしてこの問題にどう
関われるのかを考えたとき、日本とヨルダンとの学校間の交流によって子どもたちが世界に目を向けてくれるこ
と、そしてその交流を通して、子どもたちの学びの中でお互いに心を通わせながら、互いの地域の社会的 ・ 文化
的遺産を大切にする心を広げていけたら、さらに日本やヨルダンだけでなく、世界の文化遺産を大切にする心を
継続して育てていければ、“ いいな ” と思う。その大切にする心が、もう一歩世界中の文化遺産を未来に残そう
とする心に繋がってほしいと願っている。
私達の交流を後押しするかのように、教育基本法の趣旨を受けて、平成 20 年(2008 年)3 月に学習指導要領
が改訂された(資料 1)。そのことを受けて、昨年平成 21 年(2009 年)文部科学省は途上国との交流を支援す
る方針を打ち出した。(資料 2)
我が国と途上国との関係からも、この事業を今後も長く続けていかなければと思っている。
写真 1 ヨルダン、ウム ・ カイス中等女学校 2 年生
*ボランティア
161
2.経過
2007 年
8 月・
ウム ・ カイスを管轄するバニーカナル地区の教育委員会より学校交流の許可が下りる。
12 月・東京都板橋区立三園小学校に、取り組みの承諾を得る。
2008 年
1 月・
三園小学校の 5 年生担任との一回目の打ち合わせ。
2 月・
教育委員会より紹介のあった、ウム ・ カイス中等女学校へ挨拶と打ち合わせ。
三園小学校の 5 年生の作品を渡す。
代わりに子どもたちの作品を、数点貸してくれた。
3 月・
三園小学校と 2 回目の打ち合わせ。直接交流を 12 月に実施することに決定。
4 月・6 年生に「総合的な学習の時間の授業」を実施。(授業者;富田)
主題「広い世界に目を向けて」 子供たちの意識はヨルダン = 死海であった。(写真 2)(資料 3)
写真 2 三園小学校総合学習 「広い世界に目を向けて」
6 月・三園小学校、調べ学習 ( 講師;大学院生の平山、小谷 )
7 月・三園小学校、学習発表会 ( 写真 3a ~ 3b) 写真 3a 三園小学校学習発表会
「ヨルダンの遺跡・歴史・世界遺産」
写真 3b 三園小学校学習発表会 「ヨルダン調べ」
9 月・ウム ・ カイス中等女学校と打ち合わせ。
三園小学校から持ってきた手紙と、2 回目の作品 ・ 習字を渡す。
手紙は語学研修に来ていた学生さんにアラビア語に訳してもらう。 162
第八章 東京都板橋区立三園小学校とヨルダン、ウム ・ カイス中等女学校との交流について
12 月・学校便り「みそのだより」平成 20 年 12 月号に、ヨルダンとの交流を保護者に紹介。
・4 日 第 1 回交流会を実施。(写真 4)(資料 4)
写真 4 第 1 回交流会 前面の画面に三園小学校が映っている
・ウム ・ カイス中等女学校へ お礼と次年度の打ち合わせ。
ウム ・ カイス中等女学校の生徒から、三園小学校児童への手紙を預かる。
ジャファーさんに、英語訳をつけてもらった。
・校長便り「三園小学校」平成 20 年 12 月 24 日号に、交流の様子を紹介。
・三園小学校へ 今回の交流についての反省。
手紙を持っていく。子どもたちも喜んでくれた。
2009 年
2 月・三園小学校にて、5 年生と打ち合わせ。次回の交流は、10 月中旬に決まる。
4 月・三園小学校にて打ち合わせ。
5・6 月・三園小学校にて総合的な学習の時間の授業。(授業者;富田)「ヨルダンとアラブ諸国について」
7月・三園小学校にて 課題設定の授業の支援。(講師;福原)
・三園小学校へ アイコラボライブの立ち上げ。(福原、大学院生;平山洋、区教委;丸山氏、松本氏)
8 月・ヨルダン大使館に通訳ボランティアの紹介を依頼する。
・埼玉大学にボランティア募集のポスター掲示のお願いに行く。
9 月・ウム ・ カイス中等女学校 第 2 回交流会の打ち合わせ。
理科の教科書と、三園小学校 6 年生の子供たちの習字、集合写真を手渡す。
10 月・2009 年学校便り「みそのだより 10 月号」で、交流の様子を紹介し保護者の理解を図る。(資料 5)
・ウム ・ カイス中等女学校へ 交流会の最終打ち合わせ ( モナ校長、ジャファー氏、富田 )
・前日準備 アイコラボがどうしても繋がらない。
・交流会 15 日 日本時間午後 2 時 30 分、ヨルダン時間午前 8 時 30 分。
アイコラボが繋がらないため各学校で実施する。
・コーラスの予定であったが、突然ファッションショーが始まった。
ここイルビット地方の民族衣装を披露してくれた。(写真 5a ~ 5b)
左写真 5a ウム ・ カイス中等女学校
民族衣装を着ています
右写真 5b ウム ・ カイス中等女学校
モデルさん大集合
163
・三園小学校へ 報告とお礼に。(写真 6a ~ 6c)
・三園小学校へ録画のため本番の再現をする。
写真 6a 三園小学校 6 年 1 組
写真 6b 三園小学校 6 年 2 組
写真 6c 三園小学校 6 年 3 組
2010 年
1 月・三園小学校へ、来年度の打ち合わせ。
3.指導計画 (2008 ~ 2009 年度 ) ( 資料 6) 4.各学校の概要
①ウム ・ カイス中等女学校概要(写真 7)
写真 7 ウム ・ カイス中等女学校玄関を飾る国王と王妃
・モナール ・ ホスバン校長
・1 ~ 5 年生まで 400 人の生徒。女子校。
・女性の先生だけ 32 人。
・連絡係りの先生は、スーザン先生。美術の専科。
・クラス定員 30 名。(日本は 40 名。)
・10 時半からおやつタイムがある。1 ~ 2 年生は国から支給される。たいていは、リンゴかバナナである。
さらに欲しい子と 3 ~ 5 年生は、構内にある売店にお菓子を買いに行っても良い。買い物をする体験学
習も兼ねている。こんな体験は大歓迎である。
2008 年度の長期休みは、夏休み 6 月 22 日~ 8 月 18 日、冬休み1月7日~ 2 月 3 日。
②東京都板橋区立三園小学校(三園小学校は簡単に扱っておく)
・永瀬登志子校長
・全校児童数、 566 名(2009 年 5 月 1 日現在)
・6 年児童数、 男子 45 名 女子 52 名 計 97 名
・2008 年度職員数 教員 24 名 その他 9 名
・2008 年度 6 年担任 1 組 岩崎直美 2 組 黒川 悟 3 組 長田佳代子 ・2009 年度 6 年担任 1 組 平形佐知 2 組 花田卓郎 3 組 佐藤憲由 164
第八章 東京都板橋区立三園小学校とヨルダン、ウム ・ カイス中等女学校との交流について
5.2009 年度交流会スケジュール ( 資料 7)
6.教育とのかかわり
①資料集め
三園小学校では、学習のための資料集めが大変だった。参考図書を集める必要がある。板橋区の図書館の活
用も考えられる。区立学校は団体登録がなされており、予約カードを使えば区内図書館の蔵書を 50 点まで、
40 日間借りることができる。
②教科書の交換 ヨルダンの教科書を手に入れたい。日本からは理科の教科書(3 ~ 6 学年用)と図工の教科書 (1 ~ 6 学年用 )
を、お土産にヨルダン側に渡した。ヨルダンからは、理科(2 年生=日本の 6 年生)と図工 (6 年生 ) を頂いた。
( 写真 8)
写真 8 2 年生理科の教科書 地層の単元
③図書の購入
三園小学校では、学習資料の充実のため、中東諸国関係の図書の購入に力を入れている。
④年間指導計画
社会科・総合的な学習の時間の指導計画をきちんと立て、国際理解教育の一環として、国際性の育成、世界
の文化遺産の守り手を育てたいと考える。
⑤学校要覧
三園小学校では学校要覧の中に、「6年が外国の児童と直接対話を通して、自国の文化の紹介、他国の文化
の理解を主体的に進める」 と、明快に記述し重点的に取り組んでいる。
7.成果
① 2008 年度は途中で通信が切れた。2009 年度は初めに数秒だけ通信が繋がったが、すぐに切れてしまった。
それでも子どもたちから歓声が上がった。
②三園小学校、ヨルダン、ウム ・ カイス中等女学校とも、次回も取り組みたいとの希望があった。今度は何時
やるのかと言われた。
③突然の予定変更で、伝統的な民族衣装をまといファッションショーが始まった。文化が脈々と生きているこ
とがわかった。交流の意味は大きかった。
④三園はきちんとリハーサルをやり、地域の文化財の紹介も「はじめの言葉」に入っていた。日本の子どもた
ちの歌声も歌詞も素晴らしかった。
⑤今回は機械の不具合で別々に実施し、各学校の記録の交換を行った。
⑥バニーカナル地区の教育長も来賓としてみえた。
⑦いつもヨルダンの子供たちは楽しそうにやっている。
⑧ヨルダンの子供たちは自己主張が上手であることが、ビデオでも伝わってきた。
⑨交流は両校の子供たちにとって、一生の宝になったと信じる。
⑩お互いの国のことについて興味や関心が高まった。
⑪お互いの学校間で感謝状の交換ができた。アラビア語での作成は、スーザン先生にお願いした。(写真 9)
165
写真 9 三園小学校へ感謝状
8.課題
①第 1 回交流会は、スカイプを使用した。第 2 回交流会は区の教育委員会の指導で、アイコラボライブという
ソフトを使わなければならなかった。しかし、ヨルダンでは使えなかった。
②日本側のスタッフとして、国士舘大学生のお手伝いが欲しい。
2008 年度は大学院生の小谷・平山優、2009 年度は大学院生の平山洋・福原に手伝ってもらった。2010 年
度はさらに強力なスタッフが欲しい。
ヨルダン側では、特に機械に強い信用できる技術者がほしい。
③日本語とアラビア語の直接通訳者がいないため、英語を介しての交流になる。
そのため二重通訳になり、時間的なロスが大きい。アラビア語から日本語への通訳を探している。候補とし
て 2008 年度は某大学の留学生にお願いしたが、日程が合わなかった。
9.次年度に向けて
①ヨルダンの機器の整備をしたい。スカイプかアイコラボライブかを決定する。
②松本団長の現地・現場での授業を計画している。
③富田のウム ・ カイスの学校での授業を計画している。
④作品の交換(習字作文、絵画、学習発表など)を活発にしたい。
⑤第 3 回は 2010 年 9 月 2 日 ( 金 ) 実施予定。日本 14 時 30 分、ヨルダン 8 時 30 分。
7 月から 8 月にかけて、2 ~ 3 度代表の子供たちと予行練習の実施をする。
⑥保護者会や学校便り、学年便りなどを通して、保護者に対して、交流に向けての周知徹底を図ること。保護
者の理解と協力をお願いし、肖像権の問題や、家庭の問題を事前に予防する必要がある。日本の子供たちは、
名前も姿も原則非公開である。2009 年度は、写真のブログ等への使用は、集合写真などは OK となった。
⑦次の交流の資料になるように、三園小学校の記録やウム ・ カイス中等女学校の記録をしっかり取っておく。
(ビ
デオ、デジカメ、プリント類、指導計画、学年便り等)
10.終りに
日本の景気が低迷し、21 世紀の世界経済の推進役が入れ替わろうとしている。その中で省資源国日本は、最
重要課題として国際社会と仲良くすることに取り組む必要がある。
はじめにも書いたが文部科学省は、国際協力の一層の推進を図るため途上国との学校間交流を打ち出してきた。
まさに私達がやろうとしていることを、国際交流の重要性を国が認めてくれたことになる。
ウム ・ カイスの交流は学校だけではなく、遺跡や周りの地域にまで広がることを目指している。松本団長の発
掘現場での授業や、私の実施したい先生方や子どもたちへの日本文化の紹介授業もその一つである。そしてさら
にはウム ・ カイス遺跡の博物館化、ウム ・ カイスの他の学校と日本の学校との複数校による交流、普段からの学
校間のインターネットを使った交流までと、夢は広がるばかりである。
少なくとも 10 年先には “ 国際交流が普通に行われる ” ようになっており、そして子どもたち同士で “ 人類の文
化遺産を大切にする心 ” が育つことを期待している。
166
第八章 東京都板橋区立三園小学校とヨルダン、ウム ・ カイス中等女学校との交流について
資料 1 ; 学習指導要領抜粋
三園小学校においては、その総合的な学習の時間に、28 時間をヨルダンや中東諸国の学習に配当し実施してくれた。2010 年
度には、移行措置に伴い社会科で扱う部分が増えてくるものと思う。(・・・は略した部分である )
ア.小学校学習指導要領(平成 20 年 3 月 28 日改訂、平成 23 年 4 月 1 日から完全実施)
社会科 6 学年の目標では、「優れた文化遺産について興味・関心と理解を深めるようにするとともに・・・」「世界の中の
日本の役割として・・・、異なる文化や習慣を理解しあうことが大切であること」としている。そして内容では、「博物館
や郷土資料館の施設の活用を図るとともに、身近な地域及び国土の遺跡や文化財などの観察や調査を取り入れるようにす
ること」とある。
イ.総合的な学習の時間 第 4 章 内容の取り扱いについての配慮事項の(7)に、
「国際理解に関する学習を行う際には問題の解決や探究活動に取り組むことを通して、諸外国の生活や文化などを体験した
りすることなどの学習活動が行われるようにすること。年間指導計画の作成に関しては、6 年生は国際理解を主なテーマ
とする」とある。
資料 2 ; 時事通信の記事
2009 年 7 月 6 日付配信の時事通信の記事。( 抜粋 )
「途上国との学校交流を支援へ=小中高 200 校で実施-文科省」 文部科学省は 6 日、途上国を中心に海外の学校と日本の学校がインターネットを使ったライブ授業などを通じ、交流を深め
る「地球の学校(仮称)」事業を 2010 年度から始める方針を固めた。他国の生活事情を学ぶことにより、子供の海外への関
心を高めたり、国際感覚を身に付けさせたりするのが狙い、6 年間で小中学校と高校計 200 校で実施したい考えで、同年度
予算概算要求に関連経費を盛り込む。・・・国際協力をいっそう推進するため ・・・ 途上国の学校と交流するといった早い段階
での途上国を理解する活動が効果的としている。
資料 3 ; 6 年 2 組 N.T. さんの作文 「お話を聞いて」
「お話を聞いて」2008 年度 6 年 2 組 N.T. さん
富田先生の話を、写真を見ながら資料を見ながら聞いていて、今問題になっていることなどがわかりました。ヨルダンでは
気温が 40 度を超えると「仕事をしなくていい。」と言ってくれる人がいること、死海の水が高さで毎年 50cm ずつなくなって
いること、100m 以上のがけがものすごい量の水が流れて削れて行ったことなど、いろいろと勉強になりました。ローマ道が、
2m くらいの土を掘って出てきた道だと言うのに驚きました。富田先生の話を聞いて、もっとヨルダンのこと、ヨルダンの今と
昔のちがい、ヨルダン付近はどうなのか、などをもっと調べてみたくなりました。今日は楽しかったです。今回はありがとう
ございました。
資料 4 ; 6 年 3 組 K.T. 君の作文 「ヨルダンの方々へ」
「ヨルダンの方々へ」2008 年度 6 年 3 組 K.T. 君
この前の交流会、お互いの国の様子や、ヨルダンの学校の校歌やヨルダンの昔からの歌を知ることができ、よかったです。
ヨルダンのほうの先生方も、この交流会のために、パソコンの準備、機械の準備などをしてくださって、ありがとうござい
ました。皆さんのおかげで交流会ができました。本当にありがとうございました。
資料 5 「三園便り
;
10 月号」平成 21 年 10 月 2 日号
「みそのだより 10 月号」
運動会が終わると 15 日に 2 回目となるヨルダンの子供たちと三園小の 6 年生との交流が行われる予定です。昨年は遠く離
れた国とインターネットを通じて直接話ができることに子供たちは感動し、言葉は通じなくても手を振り合うことで気持ちが
わかることに感動しました。今年も 4 月から色々と準備をしています。国際交流のはじめに国歌を歌ったヨルダンの子供たち。
国と国とのつきあいをしているのだと改めて感じました。日本人としての自分。これは普段の中ではなかなか認識することが
できません。今は情報網が世界中に張り巡らされているので共通のことがたくさんあります。しかし、日本列島の中に暮らし、
営々と築かれてきた歴史の中に身を置く生活は日本人としての特性を形作っています。形の中に中心があり、心が形を作って
いることを 6 年生に感じて欲しいと考えています。5 月に見学した「阿修羅像」とヨルダンのウム ・ カイスにある「ローマ遺跡」。
日本の八角堂とヨルダンの八角堂。服装、学校の様子。どうして形が違うのか。どうして同じなのか。広い世界に目を向けて
いきます。( 略 ) 日本人として感じたり考えたりする機会を大切にしたいと考えます。
167
資料 6 ; 指導計画
総合的な学習の時間(三園タイム)第 6 学年。2008 年度用
広い世界に目を向けて~ヨルダンの人々との交流を通して~
1.ねらい
・ヨルダンの人々の生活や文化に触れることで、世界への興味 ・ 関心を持ち進んで追求する。
・ヨルダンの子供達と仲良くすることで、違った文化の人々と交流が出来るようにする。
・学習してきたことをまとめ、発表する力をつける。
2.活動の流れ
つかむ ヨルダンという国を知ろう(4)
○世界の国に関する簡単なゲームなどをし、ヨルダン(周辺諸国)の位置をおさえる(1)
○ゲストティーチャ―(富田先生)の講演(2) 4 月 21 日~ 25 日 2 回
内容 ・富田先生の自己紹介(発掘調査なども含めて)
・ヨルダンの土地や気候の様子
・ヨルダンの人々の生活について
・ヨルダンの文化(遺跡など)について
・ヨルダンの産業について
・ヨルダンの未来について(周辺諸国の現状と未来)
○追求していきたい課題を決める(1)
例 ・ ヨルダンの土地や気候(自然、昆虫、鳥、動物なども)
・ ヨルダンの人々の生活(食事や服装、言葉など)
・ ヨルダンの文化(遺跡以外にもお祭り、遊び、スポーツ、踊り、音楽など)
・ ヨルダンの産業
○追求 もっと詳しく調べてみよう(16)
○追求課題ごとに見通しを持った活動計画を立てる(1)
○調べる ・ 取材する ・ やってみる ・ 作ってみる(8)
①調べる(インターネットや本で)
②取材する(大使館や留学生に聞いてみる) 5 月中旬 富田先生 ・ 大学生来校
③やってみる(現地のあいさつの仕方や遊びに踊り、風習など)
④作ってみる(現地の料理や手作りおもちゃなど)
○活動の成果を発表する(1)+(2)
ワークショップ形式 ※前後半に分かれてお互いの発表を見合う。富田先生参観
○活動をふりかえる(1)
※日本との違いや良さに気づき、同時に日本の良さについても目を向けていく。
○日本の文化や伝統について調べ、まとめていく(3)
個人調べ、新聞としてまとめる。※改めて日本の良さを知る。
働きかけ 今、私達ができることについて考えよう(8)
○ヨルダンの子どもたちとの交流会 ビデオレターによる交流? 衛星中継? 手紙で?「日本のことを伝えよう」(4)
パターン①
○世界遺産について調べる(3)
ヨルダンのペトラ遺跡以外にも世界各国の自然 ・ 文化について調べ、まとめていく。
パターン②
○世界の現状を知る(3)
周辺諸国の状況 イラクなどのテロに苦しむ民衆
様々な国や地域で起こっている紛争
貧困 ・ 地雷に苦しむ人々
○自分の考えをまとめる(1)
3.日程
4 月下旬 つかむ段階をやる。
5 月~ 7 月 追求の段階をやる。
6 月 日光移動教室 ※総合の時間は日光に向けての学習や準備をする。
9 月~ 10 月 ヨルダン、ウム ・ カイス中等女学校との交流会、運動会、陸上記録会。
10 月下旬~ 11 月 働きかけの段階をやる。
11 月下旬 展覧会
168
第八章 東京都板橋区立三園小学校とヨルダン、ウム ・ カイス中等女学校との交流について
資料 7 ; 2009 年度交流会スケジュール
2009 年度交流会スケジュール
Exchange between Umm Qais secondary school and Misono elementary school
東京都板橋区立三園小学校とヨルダン、ウム ・ カイス中等学校との交流
◎ The date 15/10/2009 2009 年 10 月 15 日 ( 木 ) ◎ Umm Qais secondary school 2grade ウム ・ カイス中等女学校 2 年生 54 名
◎ Misono elementary school 6grade 三園小学校
6 年生 99 名
◎ Exchange Time 交流時間 Jordan time ヨルダン時間 8:30 ~ 9:30
Japanese time 日本時間 14:30 ~ 15:30
◎ Opening speech 開会の挨拶 Fukio Tomita 富田富喜夫
① Program 次第 Chair man 司会
Misono 三園 ・Mr. T. H
Umm Qais ウム ・ カイス ・Miss. Rania Malkawi
1. Start speech and self introduction 始めの言葉と自己紹介
① Misono 三園 Miss、N.W
② Umm Qais ウム ・ カイス 2. Principal speech (message) Toshiko Nagase 校長 永瀬登志子
3. Head teacher speech(message) Mona AL Hosban 校長 モナールホスバン
4. Misono Chorus 三園合唱
① School song 校歌 ② Folk song“ U and I ”「U あんど I」
5. U mm Qais Chorus ウム ・ カイス合唱 ① National Anthem 国歌 ② Folk song 歌 ③ School song 校歌 6. Quis time クイズの時間 Alternation 2 ~ 3questions ① Umm Qais ウム ・ カイス ② Misono 三園
7. Finish speech 終わりの言葉 ① Umm Qais ウム ・ カイス ② Misono 三園 Mr. T. M
③ Closing speech 閉会の挨拶 Fukio Tomita 富田富喜夫
◎ Supported by Kokushikan University Cultural heritage project
後援 国士舘大学文化遺産研究プロジェクト
169
170
第九章 まとめと問題点 9-1 文化遺産論:文化遺産とは何か-未来に生かす文化遺産-
第九章 まとめと問題点 Conclusion
9-1 文化遺産論:文化遺産とは何か-未来に生かす文化遺産-
Cultural Heritage:What is Cultural Heritage? –for the future of human beings
西浦 忠輝 *
文化遺産とは何か
文化遺産とは何かというと、これは読んで字のごとく、文化的価値のある遺産ということである。では遺産と
は何かというと、これも文字通りで、遺された財産であり、財産は価値のあるものということである。では、文
化とは何かということを定義しなくてはならない。いろいろな考え方があるが、ひとつの分かりやすい定義に、
「文
化とは人間の活動すべて」というものがある。ただし、この場合、生存する上で必要な最低限の活動は除くとする。
どういう生き方をするかというレベルではなく、最低限これだけはやらないと死んでしまうという活動は除くの
である。例えば、食べる、水を飲む、寝る、子孫を残すための生殖活動などである。これらは他の動物もみなやっ
ており、人間独自の活動ではないので文化とはいえない。それらを除いたすべての人間の活動を文化と定義する
ことができる。
生物体としての人類
われわれ人間は、「ホモサピエンス」といわれる生物であり動物である。動物にもいろいろな種類がいて、爬
虫類とか両生類とか鳥類とかいろいろだが、人間は哺乳類である。今の人間がいつごろできたのか。相当古い時
代から進化して、類人猿等を経て、今の現代人になったのはいつごろであろうか。人類学の研究領域だが、一応
の定説では人間の身体がほぼ現代人と同じになったのは 5 万年ぐらい前だろうといわれている。5 万年位前から
はそんなに変わってないだろうということである。それからずっと人間は生き続けてきている。
文明の発祥
そして文明が発祥した。これは他の動物にはないことである。一応 5 千年から 6 千年前には間違いなく文明が
存在しただろうというのが定説である。5 千年か 6 千年前というと、紀元前 3 千年から 4 千年で、もっと前から
文明はあったと思われるが、このころには間違いなく確定している。世界四大文明であるエジプト、メソポタミア、
中国、インダス。5 万年前からだとすると長い時間がかかったがゆっくりと進歩し、やがて文明が発祥し大文明
が出現した。
文明の進歩
文明とは何か。何をもって文明の発祥とするかということも定義の問題になる。社会の形成と発展、人間社会
ができてそれが発展していくこととしてよいであろう。形成されて発展していくということが、文明の進歩とい
うことであるが、では文明はなぜ進歩し、発展していくのか。そのキーワードは「蓄積と継続性」である。知識
や技術を継続するだけではなく、それを土台に発展するということなのである。人間は道具を使う動物である。
ある頭のいい人が道具をつくって、それが非常にいいものだということがわかると、みんなが使う。次に生まれ
た人は、生まれた時からそれがあるから、それよりいいものをつくる。その次の人はさらにそれよりいいものを
つくる。だから発展する。他人に教えず隠して死んでしまったら、次の人は最初から考えないといけないが、実
際にはそういうことはない。進歩するとはこういうことなのである。
*国士舘大学イラク古代文化研究所
171
知識もそうである。あることを知っている人が何も教えないで死ぬと次の人は知らないことになるが、人は教
える。それで、次の人はもうそれを知っており、そのレベルから知識が始まるので、さらに高い知識を得、その
人がまた次に教える。さらにレベルが上がる。そのようにして、どんどん知識が高まっていくのである。これが、
知識、技術の蓄積である。
さらに進歩していくと、これをもっと効率的に行う。それが教育である。これが始まったのは人類の歴史から
見れば、ごくごく最近である。教育といっても、基礎教育から高等教育まであり、非常に高等になってくると学
問となる。そうやってどんどん進歩している。
テレビを発明した人はすごいと思うが、ゼロから始めていたら絶対にテレビはつくれない。前の人があるレベ
ルまでやっているから出来る。白黒テレビを発明した人がいるからカラーテレビが出来るのである。それが進歩
というものであり、学問の成果である。そして、さらに進化してブラウン管から液晶とかプラズマとかになるよ
うに、どんどん技術が進歩するのは知識、技術の蓄積があるからである。そうやって学問は進歩していく。その
ために教育は重要なのである。土台の上に乗せて、進歩、進歩、進歩というかたちで常に継続的に発展していく。
それによって社会はどんどん変化し、進んでいくのである。
個々の人間
一方、個々の人間というのは、生まれてきて死んでゆく。それで終わりである。人間は生まれた時は言葉もしゃ
べらなければ、何も知らない。育っていって、知識を身に付ける。言葉というのも知識である。経験を積んで経
験が人間を成長させて人格が形成される。人格は生まれた時の赤ん坊にはなく、形成されていく。そして、思想
も持ち始める。知識、経験から生まれてくるのが思想であり、知識も経験もない者に思想が生まれるわけはない。
しかし、個々の人間で見ると、死んだ時にすべてゼロになる。その人にとっては、全部消えてしまうのである。社会、
種族が続くためには、人は次から次へと生まれてこなければいけないが、またゼロの状態で生まれてくるのであ
る。
親の知識を全部持って生まれてくればいいのだが、そうではなくて、またゼロから始まる。それを繰り返して
いる。そういう意味では進歩がないといえる。5 万年前も 2 千年前も今も、生まれてくる赤ん坊は、全く同じレ
ベルなのである。
ところが、生まれてくる社会が違う。人間の集団が社会だとすると、社会は蓄積によってずっと進歩し続けて
いる。生まれる人間は変わらないが、生まれた時の環境が変わっているのである。環境には自然環境と社会環境
の二つがあるが、人間は生まれ、そこで育つわけで、育つ環境が変わるのである。時代によって違うのは、環境
であって人間ではない。
人間が生まれてきた時に社会が進歩していると、進歩したことを学ぶことができる。その時の知識水準がその
人間の生活水準に近いということになろう。人間は、環境が変わったら環境に合わせて知識も豊富になり、その
結果獲得したいろいろなことを生活に活かすことになる。それは逆に言えば、環境に適応するしかないというこ
とである。変わるのは、社会環境と自然環境である。それらは生まれた時代によって違うけれども、人間の肉体
や精神は変わらない。いつの時代に生まれようが、肉体や精神は変わらないのである。精神は、五感や知能である。
知識ではなく知能、持って生まれた知能は、変わらない。そして感情も変わらない。今の人間は感情が鈍くて感
じないが、昔の人は感じる、そんなことはない、同じである。昔の人も面白いと笑う、悲しいと泣く。だから芸
術というのは変わらないのであり、2 千年前、3 千年前の芸術に今も感動するのである。人間も一緒に変化して
いたら、昔の芸術作品に感動するわけがない。人間は変わらないのである。ところが環境は大きく変わっている。
人間と社会とはこのような関係にある。
精神文明から物質文明(近世以降)へ
今生きているわれわれの立場になって考えてみる。5 万年はともかくとして、文明が発祥して 6 千年とする。
人間が生きてきた中で、今はどういう時代なのかと歴史的にみると、精神文明から物質文明に大きく変化した時
代ということができよう。精神文明、物質文明とは何かを定義することは簡単ではないが、例えて言えば次のよ
うになる。月を見るとき、月自体は昔も今も同じであって、月の美しさに感動する。ただ、昔の人は月を見て、
そこにウサギが餅をついている、そんなはずはないが、そういうふうに見える。今は、もちろん感傷的になるこ
172
第九章 まとめと問題点 9-1 文化遺産論:文化遺産とは何か-未来に生かす文化遺産-
とはあるが、月の材質は何だとか、月へ行くにはどうするか、そういうふうに見るようになっている。その辺が
変わってきている。
産業革命が起きた。本当は革命ではなく大工業化なのだが、一般的に産業革命といわれている。それによって
大きく世の中が変わったのである。せいぜい 200 年ぐらい前のことであるから、人類の歴史 5 万年や文明発祥
から 6 千年の歳月からみたら、ほんの一瞬でしかない。この時にどういう変化が起きたかというと、資本主義経
済が急速に発展し、大量消費社会となった。特に昨今では経済至上主義、つまり、経済が最も大切だ、経済発展
なくして人類の幸せはないというような考え方になっている。ここ 200 年、特にここ数十年の流れである。
哲学
この精神文明と物質文明の話は、哲学的に言うと唯物論と観念論なのである。
ここで一つ設問をしてみよう。「地球上のどこかに、誰も考えてみたこともない偉大な文明の遺跡が地下に隠
されているとする。しかし世界中の誰も知らない。誰も知らないが、きわめて重要な遺跡が残されているとした時、
その遺跡は存在するのかしないのか?」というものである。
そこに遺跡があると言っているのだからあるに決まっている。「ある」という前提で問うているのに、
「あるか、
ないか」という設問自体がナンセンスであるという考え方が唯物論。モノ中心の考え方である。一方、世界中の
誰も知らないものが存在したって、それは「ない」ということであって、見つけた時に初めてそれが存在するのだ、
という考え方が観念論(認識論)である。哲学的な分類である。どちらが正しいのか?どちらも正解である。
二つの考え方があるわけである。どちらを基準に人間は生きているのか。モノを中心に考えるのか、心、人間
の精神、認識を中心に考えているのか、認識論か、唯物論か。モノがあって人間があるのか、人間があってモノ
があるのか。
人間の幸せや夢を考えたら、やはりモノではなく心だろうと考えるべきではないか。だとすると、今の物質文
明でいいのだろうかとの考えは当然に出てくる。近世以降の人類社会の急速な変化を、発展という人もいるが私
は変化という言葉を使いたい。この急速な変化は、人類が本当に進むべき道なのか、違う方向へ行っているので
はないかという疑問が生じてくる。経済発展というのは手段である。人類の幸せを求める手段であるが、それが
目的化していないだろうか。よく間違えるのは、発展と経済発展を同一視することである。発展は経済発展とい
う意味ではなく、人間社会全体と個々の人々の生き方が良い方向に変化していくことではないのか。
情報化社会について考えてみよう。今、IT が急速に発達している。コンピュータや通信技術の進歩はここ 10 年
ものすごいものがある。技術の進歩、科学の進歩そのものである。便利さを求め、効率性を求めているのである
から、結果的に、当然便利にはなってきた。しかし、どういう目的で便利にするのだろうか。今まで1時間かかっ
たことが、コンピュータで 10 分でできあがる。昔1日かかったことを 10 分ぐらいで平気でやってしまう。そ
したら余暇ができて人間は幸せになると思ったことであろう。その割合で 1 日働いたらものすごく効率が上がる。
しかし、効率が上がったら、やはり競争してみんながそれをやる。忙しくなる。少しも余裕などない、余計忙し
くなる、慌ただしくなる。
昔、外国に行くとすぐには帰れない。外国どころか国内旅行だって命懸けで、お伊勢参りなど一生に一度の大
イベントであり、命懸けで行ったものである。行っていろいろな思いをして、帰って来て一生の思い出にする。
今は簡単に世界中に行けるが、それが幸せなのだろうか。一見、幸せであるように思える。しかし、それは本当か。
苦労してお伊勢参りした時のほうが感動するのではないか、というように考えることはできるわけである。昔ヨー
ロッパに行った人は感動したであろう。そんな感動は、もう今は、われわれは得ることができない。今パリへ行
けば感動はするかもしれないが、それは、昔とは全然違うものであろう。便利になっていくと同時に、気持ちと
いうのは薄れていく。今のように忙しくなって、過労死するなどというのはどうなのだろうか。明治時代に、過
労死したという記録が、そんなにあるとは思えない。
情報化社会はさらに進歩している。コンピュータなどは日々競争している。それをやっていかなければ会社が
つぶれてしまうので必死でやっている。なんでそんなに必死に進歩させるのか。3 年前のコンピュータがもう使
えない時代である。そんなことが必要なのか。誰がそれを求めているのか。こんな勢いでコンピュータがどんど
ん進歩していると、そのうちコンピュータが人間を超えてしまうのではないか。今でもある意味で超えている。
計算能力などはるかに高い。そのうち判断能力の域までくるに違いない。瞬時に計算して、確率論でやったらコ
ンピュータのほうが勝つであろう。
173
人間にあってコンピュータにないものはたくさんある。いろいろな感情とか思いやりとか確率ではない何かを
コンピュータは持っていない。しかし、そのうちコンピュータが人間を支配するようになるかもしれないとの恐
れを感じる。今ものすごい情報化社会になって進んでいる。コンピュータに頼っている。コンピュータがダウン
すると、飛行機も電車も止まるという時代である。最近の携帯電話には、「何歩歩いたからどうだ」とか、健康
状態を全部チェックしてくれる機能が付いているものがある。人間が機械に頼っているわけで、全部頼り切るよ
うになると、完全にコンピュータに支配されるというようなこともあり得るのではないのか。
社会の変化について見てきたが、自然の環境変化というのも大きい。今の地球環境問題が起きてきたのも、結
局は工業社会の急速な発展のためである。それで地球温暖化などいろいろの問題が起こってきている。今人々は、
美しい自然にあこがれ、青い空、澄んだ水、きれいな空気、そんなところに行ってみたいと思っている。しかし、
昔はそんな環境は当たり前で、どこでも全部そうだった。これを汚したのは人間なのである。美しい自然は贅沢か、
はたまた当然か?当然だったものを、贅沢なものにしてしまったのがわれわれ人間だということなのである。勿
論、その代わり得たものもたくさんある。しかし、根本に戻って、人間らしい生き方とはどういうものだろうかと、
誰でも考える。幸せとは何だろう、不幸とは何だろう。当然個々人で違うにもかかわらず、個人的なことは度外
視して、みんなが幸せになれるなら豊かになれば良いというのが、今の社会の考え方である。
人間の生きる目的、幸せは「感動することにある」ともいわれる。感動とは何か、感動する生き方とは何かを
考えずにはいられない。それを考えるとき、人類がどう生きてきたのかを振り返ってみることがきわめて重要で
はないか。文明ができてから 6 千年間の人間の生きてきた過程を見てみよう。何を考え、どう生きてきたのだろ
うかということを考えることが重要なのだ。生きてきた過程というのは、個々の人間にとっても、社会全体にとっ
ても、人類全体にとってもきわめて重要なのである。
人類の歴史から学ぶ
どういうふうに人類が今まで生きてきたかを研究するのが歴史学であり、我々は学校で歴史を学ぶ。我々は生
き方を考えるために歴史を学ぶわけで、何年に何があったかとかはどうでもいいわけである。ただ年表を覚える
だけの試験勉強ばかりしていると、歴史は何てつまらないのだろうと思ったりするが、実は歴史は重要で、面白
いのである。
個々の人間にしても、今まで生きてきた過程で学んできたのであって、その知識は過去に獲得した知識であり、
将来得るであろう知識は持っていない。つまり、自分の過去からしか学んでないのである。歴史を学ぶとは、人
類の歴史から学び、そして、人間の生き方を考えようということなのである。
「往々にして歴史はつくられる」これは有名な言葉である。つまり、書かれた史料の場合、できた時から既に
違うことがある。意識して変えることもあり、思い込みで無意識で変わることもある。ヨーロッパでは学問が非
常に進んでいて、なかでも古代の歴史の研究はとても進んでいるが、基本的にヨーロッパの歴史学はキリスト教
的歴史観からなっている。それを考えずに勉強して、自分は古代の歴史を勉強したと思うと間違いを犯す。例えば、
モーゼが歩いた道などは、それが、世界史の中できわめて重要な話なのか。ただ聖書に書いてあるからだけでは
ないのか。歴史上ではもっと大事なことがたくさんあるはずなのに、今のキリスト教がつくり上げた歴史を重要
視し、それに近づけていこうとしている。意識してつくり上げた歴史と言わざるを得ない。それに付随していろ
いろなことを調査していったからヨーロッパで研究が進んでいるのであって、歴史学というのはそういうものな
のである。
日本には歴史書として「日本書紀」とか「古事記」などがあるが、これらも当然作者の意図が入り込んでいる
から、それがそのまま歴史的事実だと思ったら間違うことになる。多くの歴史書がある中国でももちろん同様で
ある。書かれたものには、書いた人の意思、書かせた人の意思が入っている。では、歴史を語る絶対的なものは
ないだろうか、絶対真実というようなものはないのか。あるとすれば、それが「文化遺産」である。
文化遺産は基本的にオリジナルであるから、それが語るものは真実しかない。しかし語るといっても、実際に
語ってはくれないので、そこから学ばなければいけない。調べると分かって来る。それが語るということである。
文化遺産は現にある真実の物である。そこから歴史を学びとる。真実の歴史を語り得るものが文化遺産なので
ある。これがオリジナルの持つ力なのだ。歴史から学び、未来の生き方を考える時の一番大事な資料は文化遺産
なのである。だからこそ文化遺産を保護しなければならない。一度無くなったらつくり直せない。本物ではなく
なる。だから護るのであって、写真を撮っておけばいい、図面を取っておけばいいということにはならない。形
174
第九章 まとめと問題点 9-1 文化遺産論:文化遺産とは何か-未来に生かす文化遺産-
ではなくて間違いなく本物だということが絶対的に重要なのである。コピーでも参考にはなるので、歴史の資料
に全くならないわけではないが、基本的に真実を伝えるものは真の文化遺産でなくてはならないのである。
文化遺産を護るのは何のためか。それは人類の進むべき道を考えるためである。文化遺産の価値は未来に生か
してこそのものなのである。過去の物としてそれを眺めるのではなく未来に生かすのである。決して骨董趣味で
はなく、もっともっと積極的に文化遺産を残していかなくてはいけない理由はそこにある。文化遺産は人類の生
きて行く方向を示してくれる貴重な資料であり、大切に護らなければならないということである。
175
9-1 Cultural Heritage:
What is Cultural Heritage? –for the future of human beings
Tadateru Nishiura *
Cultural Heritage = Heritage which has cultural value
Heritage = Remaining property
What is culture?
All the activities of human beings, except the minimum ones for survival which any animal must do.
Human being : almost completed about fifty thousand years ago.
It took long time to civilize.
Civilization occurred five to six thousand years ago - four measure civilizations
Then, civilization has been proceeding until now.
Civilization - Formation of society, and its development
- Sustainable progress by accumulation
- Accumulation of knowledge and technology
- Progress of education and study
- Progress of science
- progress of industry and consuming society
A human being- birth <knowledge, experiences, characteristics, thinking> death
- Start and finish in a life
- Start again from zero
Group of human beings (Society) - Sustainable progress by generation change
Human society = Continuous development and change by accumulation and sustainability
= Change of environment socially and naturally
Individual human being = always born in an pure innocence
= Environment differs depending on when one is born
- Knowledge, technology and social organization are different
- No difference on Physics and mental of human being
Human beings do not change, but the social and natural environments change a lot sustainably.
Physics and mental (feelings, intelligence, sense) are basically the same as fifty thousands years ago.
Environment - Especially social environment has extremely changed.
* Kokushikan University, the Institute for Cultural Studies of Ancient Iraq
176
第九章 まとめと問題点 9-1 文化遺産論:文化遺産とは何か-未来に生かす文化遺産-
From mental civilization to material civilization (recent age)
Big change in the recent 200 years since industrial revolution <200/5800 or 49800>
- Progress of capitalism economy
- Big producing and big consuming society
- Economic supremacy
Philosophy : Materialism and idealism
Is recent rapid change of our society is the true way of human beings?
Economical prosperity seems to be our purpose, though it is just a measure for our better life
Has the progress of information technology made the life of human beings happy?
Is beautiful nature (blue sky, fresh air and pure water) special or normal?
What is the real human life?
What is happy and unhappy?
What is impression?
Study them from the history of human beings
Thinking the way of our present and future life, studying from the 6000 years history of human beings.
Historical documents were often dramatized.
What keeps and shows the true history = Cultural heritage
= Real power of the original
Materials which make it possible for us to consider the future life of human beings.
Protection of cultural heritage = Thinking the future way of human beings
Cultural heritage is to be conserved for our future life.
177
178
第九章 まとめと問題点 9-2 文化遺産学の試み
9-2 文化遺産学の試み
Approach of the Studies for Cultural Heritage
松本 健 *
「戦後イラクの社会基盤復興に活かす文化遺産学研究」として、戦前と戦後の政治的環境の極端な変化の中で、
イラク国民は今何を最も求めていると考えられるのだろうか。政治的安定、経済的発展、治安の安定であろうか。
そのような中で文化遺産を社会基盤復興に活かすことによって、それが政治的、経済的そして治安の安定をもた
らすようになるのではないか。例えば文化遺産の観光化を進め、同時に治安の安定、経済的効果などを生み出し
ていくことによって、地域の、国の安定や発展をもたらす。それは即ち、経済的効果が、政治的安定や治安の安
定、雇用の促進などを促すことになり、文化遺産を通して互いの要素が相乗効果を創り出していく。そうした中、
その地域、その国のアイデンティティの確立において、文化遺産の重要性の認識、また価値を国民各人が個人と
して評価することもできるようになってきた。しかしながらイラクは文化遺産の保護そしてアイデンティティの
確立といえる環境がまだ十分とは言えないが、その準備が急ぎ進められている。ただその環境には、個々のアイ
デンティティ、地域のアイデンティティ、国としてのアイデンティティの相互理解が求められる。
本プロジェクトは、実際にイラクに行って文化遺産の研究が出来ない状況の中で、隣国ヨルダンのウム ・ カイ
スでの文化遺産研究をとおして、中東における文化遺産とは、またその保護の評価をどのような基準で、どのよ
うな価値判断をするのかといった総合評価の研究をするものである。そしてウム ・ カイスにおいて我々が立地条
件、発掘調査、保存修復、そして活用を研究してきた中で、どのような評価判断をしていくのか、文化遺産学研
究として重く問われている。ウム ・ カイスを調査研究し、いろいろなことが徐々に明らかになりつつある。それ
は例えば、ローマ時代の都市はローマの都市計画を、また政治体制、軍事体制をそのまま持ってきたといわれるが、
ウム ・ カイスの場合もそうであろうか。周辺の地域との関係、特に東の砂漠地帯のセム系の遊牧民の影響、また
交易など、さらにはウム ・ カイス独自の地域性も研究の対象となる。
文化遺産学とは文化遺産が人々にとって不可欠なものであるか評価するための研究、すなわち文化遺産をとお
してのアイデンティティの研究である。このようなアイデンティティは時代によって、国によって、地域によって、
民族によって、宗教などによっても異なる。それらの共通点や異なる点を研究していくことが相互理解へと繋が
り、平和構築の基礎となる。その国の最たるアイデンティティが反映されているのが、文化遺産保護法である。
ここに資料としてイラクの文化遺産保護法を掲載する。
*国士舘大学イラク古代文化研究所
179
LAW No.55 of 2002
For The
Antiquities & Heritage
CHAPTR 1
THE OBJECTIVES AND MEANS
Article 1 The law aims to fulfill the following :
1. Preserving the Antiquity and Heritage in the Republic of Iraq for being substantial aspect of the
(National Wealth).
2. Demonstrating the Antiquities and Heritage to the people of Iraq and the International community so as
to expose the notable role of the Iraqi Civilization and it's contribution in the Civilization of Humanity.
Article 2 To approach the objectives of this law the (Antiquity Authorities) shall depend on the following :
1. Locating the Antiquity, Heritage and Historical Sites.
2. Undertaking Archaeological excavations all over the country by implementing the latest scientific &
technical methods.
3. Restoration of the Antiquity, Heritage (Monuments and Artifacts) as well as the Historical Sites to prevent
any Deterioration or Corrosion on their structure.
4. To enable the citizens and visitors taking a look on the Antiquity and Heritage artifacts, it would be so
essential to hold a contemporary museums.
5. Making samples of some important Antiquity and Heritage artifacts, Producing Photocopies, Slides and
Films for reasons of broadcasting, selling and exchanging.
6. Preparation of a program of studies, research, conferences and symposiums ,those shall definitely
contribute the presentation of the Iraqi Antiquity and Heritage.
7. Working on exhibiting the mentioned Antiquity and Heritage artifacts in a temporary exhibitions abroad.
8. Qualifying the Archeologists and the heritage specialists throughout involving them in training courses,
fellowships and the scholarships prepared for this purpose.
9. Forming a National surveying teams for both antiquity and heritage, to start a comprehensive survey
project covering the whole country.
Article 3
1. Disposition of the Antiquities or the Heritage property is restricted, except for the items prescribed in
this law.
2. The owner of a land where an immovable Antiquity in which, shall not have the rights to
dispose, dig, vandalize or change the features on or under the soil of which .
Article 4 The Terms used in this LAW are as follows :
1. The Ministry : The Ministry of Tourism & Antiquities.
2. The Minister :The Minister of Tourism & Antiquities.
3. The Antiquity Authority : The State Board of Antiquity and Heritage.
4. Chairman of the Archaeological Authority : Chairman of the State Board of Antiquity and Heritage.
5. The Participation Authority : The Authority empowered to run and restore the Heritage buildings in the
Ministry of Interior, the Ministry of Awqaf and Religious Affairs(now cancelled and replaced with the
Shite and Sooni Waqf ) and Amanat Baghdad (Municipality of Baghdad).
180
第九章 まとめと問題点 9-2 文化遺産学の試み
6. The Artistic Committee : The committee that comprises of specialists in the following fields of knowledge ; Archaeology, Heritage, Arts and Law.
7. Antiquity : The movable and immovable property which has been built, made, carved, produced, written
or painted by man, those age of which is not less than 200 years, as well as the man and animal skeletons
besides the plants remains.
8. The Heritage Material : The movable and immovable property, less than 200 years of age, possessing a
historical, national, religious and artistic value ….
9. The Historical Site : A place where a notable historical event took place, therein, regardless it's age.
10. Archaeological Excavation : The actions of digging or sensing and sounding those devoted to uncover the
movable or immovable property in or under the surface of soil or in the bottom of Rivers, Lakes, Marshes
and the Regional water surfaces.
CHAPTER 2
Article 5
1. The Antiquity Authority shall be entitled to hold it's own registrations, to register the Archaeological
Monuments (Buildings and Sites), besides inserting the data, documents and the attachment rights
related to the neighboring real estate and publishing it in the official Gazette to secure permanent
protection and restoration.
2. If a monument has already been registered, while the attachment rights of the neighboring real estate
were not determined, this shall be done in accordance with the LAW.
3. The attachment rights should include determination of a prohibited zone(no man's land) around the
archaeological areas besides securing roads and pathways to reach them.
4. The Stylistic Character of the modern buildings adjacent to the Archaeological sites should also be
determined, the new or re-newed buildings, their heights, frontispiece and colors so they will be
harmonious to the neighboring antiquity buildings, in coordination with the Antiquity Authority and the
Participation Authority.
Article 6
1. The Antiquity Authority shall be entitled to take over (taking a private property for public use )which
possess antiquities in accordance with the Possession Law No.12 of 1981, regardless the value of the
extent Antiquities in the real state in the case of evaluating the reparation for possession.
2. The Antiquity Authority shall be entitled to evacuate (individuals and property) from the Antiquity and
Heritage areas and their forbidden zone, when this might represent a threatening upon the presence of
the Antiquity or Heritage areas.
Article 7 All the Antiquity and Historical Sites including those owned by individuals or public property should be
registered in the name of the ministry of finance, allocated for the purposes and possession of the State
Board of Antiquity and Heritage.
Article 8 In coordination with the State Directorates, The Antiquity Authority is obliged to prepare a
comprehensive survey for the whole Archaic and Heritage sites in Iraq, documenting them on the maps,
the survey documents shall be provided with standard scales, inserting them within the basic designation
of which as well as referring to their usages whether they were merely lands or Antiquity buildings.
The Real Estate Registration Office, Municipality of Baghdad or any other Municipalities concerned,
shall be notified.
181
Article 9
1. In case of confiscating ,allocating or clearing a real estate within the limits of the basic designation of a
city or out of it, the state directorates and the (Socialist Sector) shall be committed to avoid constituting
or using the Antiquity (Sites, Buildings), it will also be necessary to determine their prohibited zone in
coordinating with the Antiquity Authority.
2. After possessing the written permission from the Antiquity Authority. the concerned authorities shall be
committed to rent or sell (Farming Lands) those possess antiquities in or under their soil, after being
reformed.
3. The concerned authorities shall be committed to conserve the Antiquity, Heritage and Historical Sites
when the mentioned authorities are about to making state industrial, agricultural or residential projects
and other projects like : city and the village planning, beautification, expansion, irrigation canals and the
road paving. The written permission from the Antiquity Authority shall be acquired before or at changing
the plans of these projects.
4. In case of an inconsistency of a specific and important project within the (Growth Plan) with an antiquity
Site, The Antiquity Authority shall be committed to undertake Excavations, therein, which shall be
financed by the (Executive Authority), putting a dead line that must be adequate from the scientific and
project time schedule point of view. The total cost of the excavations shall be listed in the project's budget
before the initiation of digging.
5. The building license, shall not be granted in the antiquity locations or adjacent to which with about one
kilometer, except for the cases when a permission is to be granted by the Antiquity Authority within a
time not exceeding 30 days from the date of handing in a license application.
6. The Antiquity Authority is entitled to coordinate with Amanat Baghdad or any other concerned
municipality for granting a license that concerns an erected monument inside the limits of Baghdad or the
Governorates (Provinces).
Article 10 Mosques, Masjids, Holy Shrines, Monasteries, Convents, Tombs, Takaya, Churches, Inns and other
ancient buildings, owned or constituted in Waqf, in the occupation of persons de facto or de jure
whether they own or run such buildings, to be used for the purpose for which they have been built, taking
into consideration development and expansion works in accordance with the contemporary demands.
Article 11
1. The Antiquity Authority shall be, periodically, responsible for monitoring the utilities mentioned in
Article 10, allowing the owner or occupier to carryout any necessary preservation works, subject to the
supervision of the Antiquity Authority.
2. Should the owner or appropriator of the monuments mentioned above in Article 10 of this LAW, proved
to be incapable of doing the necessary restoration ,it shall be charged to the Antiquity Authority, provided
that the expenses shall be charged to the owner, supervisor or from the income resources fulfilled from
the monument in accordance with the law No.56 of 1977 concerning the state's debts.
3. Should the owner or occupier proved to be incapable of affording the required restoration
demands(costs), he shall be effaced of this unless there were specific income resources of the monument.
4. No person shall, without a permission from the Antiquity Authority, render any immovable antiquity
those mentioned in the article 10 or dispose of any of it's constructional material, utilize such antiquity,
moving it(totally or partially), on the contrary, the Antiquity Authority shall be entitled to restore the
building into the original state, the owner in this case shall afford the total costs of the procedures, he
shall also be submitted to the penalties listed in this LAW or compensating the owner, occupier, just in
case.
182
第九章 まとめと問題点 9-2 文化遺産学の試み
Article 12 Any person who discovers or ever discovered an immovable antiquity, shall,within 24 hours, be
committed to inform the nearest official authority, which in turn, shall immediately notify the Antiquity
Authority.
Article 13
1. Any occupier of a land containing immovable Antiquity or Heritage sites, shall be committed to allow the
Official Antiquity Authority to enter these sites or monuments at all appropriate times, with the aim of
examining it, drawing maps, undertaking soundings or excavations, restoration and conservation works
with their tools, machines and devices those shall be used in proceeding the mentioned works, proved
a damage sustained on the land therein, the Antiquity Authority shall be committed to paying the owner
an appropriate compensation, whether by a setting or as a judicial decision.
2. The presence of the Antiquity Authority prescribed in the item 1 above, shall not be considered a kind of
(land dominating, laying hands on )or confiscation.
3. The owner of a land, appropriator, any person in charge of public property or WAQF land, shall not have
the right to acquire any rental, after being prohibited by the Antiquity Authority, abusing the antiquity.
Article 14
1. Throughout procedures like ; setting the attachment rights or evacuation from the antiquity areas, the
prejudiced shall be compensated in accordance with the rules of this LAW.
2. A committee shall be formed in the aim of compensations for the listed details in item 1 of this
article, presided by a representative of the Antiquity Authority with members representing the concerned
municipalities in Amanat Baghdad or the administrative departments in the governorates (provinces),
the real estate registration office, the state's real estate office and from the directorate of real estate t
axation, in the administrative limits of which the real estate lies, accordingly, within a time not exceeding
90 days from the date of indicating the attachment rights or evacuation, contrary to this, the Antiquity
Authority resolution concerning the evacuation or the attachment rights, shall be considered cancelled.
Article 15 The following actions are forbidden :
1. Contravenes on the Antiquity, Heritage and Historical sites including the mounds and the plain landscape
those scattered artifacts on the surface of it's soil, which has not been published in the official gazette, in
a manner, the normal person might possess a knowledge about so.
2. Actions like : cultivation, erecting residential or other kinds of buildings,construction upon the Antiquity,
Heritage sites and their prohibited zone, or rendering their features.
3. Using the Antiquity sites as a rubbish or debris collecting places or erecting buildings, cemeteries and
quarries therein.
4. Uprooting trees and plants, removing any utilities from the Antiquity sites or carrying out any acts those
may render the features of an Antiquity site.
5. Erecting an eco-pollution industrial facilities ,those probable to affect the (general health), less than 3km,
from the Antiquity sites and the Heritage buildings, at each side.
6. Removing any Antiquity or Heritage monument, disposing with it's construction material in a manner,
that might cause any damage or render.
183
CHAPTER 3
MOVABLE ANTIQUITY &CONSTRUCTION MATERIAL
Article 16 The Antiquity Authority shall hold the following :
1. A Registration of the movable antiquity those were, by chance, discovered and reported to the Antiquity
Authority.
2. A Registration of the Antiquity and Heritage artifacts, which exists in the places prescribed in Article 10
of this LAW, providing the possessor with a legal document that confirm the ownership of an antiquity
which should periodically, be monitored.
Article 17
1. It is prohibited to possess any movable antiquity by any person, whether de facto or de jure.
2. Any movable antiquity found in the possession of person, shall be delivered to the Antiquity Authority
within 30 days after this LAW come into force.
3. Make an exception of the rules prescribed in item 1 of this article ,for the following :
The movable antiquity, existed in the places prescribed in Article 10 of this LAW.
The Manuscripts and the Antiquity Coins, registered in the Antiquity Authority, those possession is
allowed.
4. The owner or possessor of the Antiquity prescribed in item 2 of this article, shall be committed to the
following :
Registration of the Antiquity, in the Antiquity Authority, within 180 days from the date of the execution
of this LAW or from the date of possession.
Preserving the antiquity and, in written, instructing the Antiquity Authority of all the possible
circumstances, those may expose the antiquity to a loss or damage.
Obtaining the Antiquity Authority's permission, to transfer the ownership or possession to the (Iraqi
citizen) resident in Iraq, who shall commit to the Antiquity Authority, keeping the very commitments
those were due to the former owner.
For an official receipt, Deliver any antiquity to the Antiquity Authority, in the aim of, study and
photography and return to the owner, the Antiquity Authority in such case, shall pay the whole expenses.
5. The Antiquity Authority shall be entitled to determine the negligent, when the antiquity prescribed in
item 3 above were lost, damaged or disused, shall be proved that it was due to the possession party, the
Antiquity Authority shall confiscate the antiquity.
Article 18
1. From the owner, the Antiquity Authority shall be allowed to purchase any registered Manuscript or Coin,
with a reward that shall be determined by the (Artistic Committee ), after the setting of both parties.
2. With the exception of possessing a written permission of the Antiquity Authority, the seller shall be
committed not to publish the Manuscript.
Article 19
1. whoever discovers a movable or immovable antiquity or have been acknowledged about that, shall be
committed to inform the nearest official authority or any(public organization)within 24 hours from the
date of discovery or acknowledgment.
2. The official Authority or the (public organization), shall immediately notify the Antiquity Authority,
accordingly.
3. The Antiquity Authority, shall be allowed to pay the discoverer or informer, a suitable reward provided
that, in the case of gold, silver or precious stones, the reward which has been determined by the (Artistic
184
第九章 まとめと問題点 9-2 文化遺産学の試み
Committee) shall not be less than the intrinsic value of the artifact, regardless of its antiquity,
workmanship and historical value.
Article 20
1. Whoever, in accordance with the law, enters a movable or heritage artifact, shall post a license to the
custom authority.
2. In details, the customs authority shall inform the Antiquity Authority, concerning the movable or heritage
artifct, within 24 hours from the date of presenting the license.
3. Whoever, enters a movable or heritage artifact, shall be committed to register the artifacts to the
Antiquity Authority, within 30 days, according to the provisions ( B, C, D) of item 4 of article 17 of this
LAW.
4. The authority, shall confiscate the movable or heritage artifact that entered Iraq, should proved, it has
illegally taken over from the origin, it shall also be restored to the original country, taken reciprocity, into
consideration.
Article 21
1. The Antiquity Authority is entitled to take the movable or heritage artifact, abroad, for the purposes of,
scientific studies, restoration or to hold temporary exhibitions, the minister concerned shall be the only
person authorized to issue such procedures.
2. The council of ministers may pass a resolution to exchange a certain antiquities in the possession of the
Antiquity Authority, by other antiquities possessed by Arabic and foreign museums, institutions,
universities and any other scientific institutions, in the aim of, fulfilling a scientific or historical aid and
to enrich the Iraqi museums.
3. The Antiquity Authority shall be entitled to exhibit the movable and the heritage artifacts in its
possession, to the public, museums and the galleries, inside Iraq.
Article 22
1. It is forbidden :
A. Counterfeit or imitate antiquities.
B. Making moulds or models of certain types of antiquities.
C. Damaging or deforming an antiquity or heritage artifact, through out, writing or making incisions on
which or rendering its features.
2. The Antiquity Authority or any permitted person, shall be entitled to make moulds or models, those
prescribed in item B of this article, which shall be determined in accordance with specific conditions, in
the aim of, preventing counterfeit or cheating.
3. It is not allowed to, dedicate or sell any antiquity or heritage artifact or taking them out of Iraq, on the
contrary, of the rules prescribed in this LAW.
CHAPTER 4
THE IMMOVABLE HERITAGE PROPERTY
Article 23
1. The Antiquity Authority shall be committed to document the heritage buildings and areas, in the purpose
of, accomplishing its scientific criteria and to execute the duties complied upon which.
2. The participant authority shall make a registration which includes information of the Heritage buildings
and the residential districts, those possess specific heritage or historical importance or for their
architectural or Arab–Islamic heritage significance, in accordance with the point of view, of the
Antiquity Authority.
185
3. The participant authority shall declare that the buildings, areas and the residential districts those were
prescribed in item 2 of this article are : a preservation zone, it shall be committed to prepare maps
and issuing decisions to protect it, for being an architectural heritage, determining how it shall be used
and its prohibited zones and the attachment rights imposed on the neighboring estates, within 90 days
from the date of declaration in the official gazette.
4. The Antiquity Authority shall notify the concerned real estate registration office to mark it with non –
disposal sign on the documented heritage buildings ,issuing decision of protection or not, within 90 days
from the date of fixing the sign.
Article 24
1. The participant authority shall be entitled to possess the Heritage buildings, according to the rules
prescribed in the ownership Law.
2. In case of a hazardous situation, which may threat the lives and the Heritage buildings, the participant
authority, in accordance with the rules it issues, shall evacuate persons and property from the historical
and Heritage buildings and its prohibited zones.
Article 25 For the purposes of, restoration and reconstruction of the rented heritage buildings, after a warning
warrant, the participant authority shall evacuate the Heritage building in a period not exceeding 90 days
from the date of warning.
Article 26 When erecting general projects, the State offices and the (Socialist Sector), shall commit to preserve the
Heritage and Historical buildings, in coordination with the Antiquity Authority.
Article 27 The owner of the Heritage building which is covered with conservation and documentation, shall possess
the following privileges :
1. Possessing a donation or prepayment which shall be paid by participant authority, in accordance with
certain rules, for the purposes of the preservation of the Heritage building.
2. Discharge from the real estate taxation.
3. Renting the Heritage building, except from the rules of the rent Law No.87 of the year 1979.
Article 28
1. It is not allowed :
A. Contravene on the buildings or heritage districts those were declared in the official gazette, tearing them
down or rendering the professions practiced in the shops, markets and the heritage streets or and
cancellation of their major functions that granted them the character (HERITAGE).
B. Cancellation the character HERITAGE of an erected heritage structure, upon the property of the others,
by evacuation, and in the case of disagreement between the owner and the hiring individuals, and in the
aim of preserving the structure as well as preventing its demolition, the state board of taxation shall
evaluate the rental.
C. No person shall, without a permission granted by the Antiquity Authority and a license from the
participant authority that shall secure homogeneity with the architectural specifications and the general
standards of the conservation area, the documented and preserved buildings ; pull down, reconstruct or
change the use of such building in a wrong manner. The permission license shall be decided within 30
days from the date of presenting the application.
186
2. Any contravener (violator) of the rules prescribed in the clause C of the item 1 of this article, shall be
第九章 まとめと問題点 9-2 文化遺産学の試み
obliged by the participant authority, to deal with the violation, in accordance with the proper methods
and time schedule imposed by the participant authority, on the contrary to this, he shall afford the
expenses.
3. As a result of the consequences of the attachment rights on someone's land, prescribed in the item 3 of
the article 23 of this LAW, or due to the evacuation from the heritage property in accordance with the
item 2 of the article 24 of this LAW, the participant authority, shall, compensate the prejudiced, within
90 days from the date of indicating the attachment rights or evacuation, on the contrary to that, the
participant authority decision concerning the attachment rights or evacuation, shall be considered
withdrawn.
CHAPTER 5
EXCAVATION FOR ANTIQUITIES
Article 29 Only the Antiquity Authority is authorized to undertake Excavation for Antiquity in Iraq, it is entitled,
herewith, to grant permissions to the scientific committees, scientists and the Iraqi, Arabic and foreign
institutions, after the indication, of their archaeological capacity, scientific and financial sufficiency.
Article 30
1. It is allowed to carry out excavation in the lands owned by the state or persons, whether, de facto or de
jure, in which lies antiquity remains.
2. The parties and persons prescribed in article 29 of this LAW, are committed to restore the excavated
areas into their original pre excavation situation, paying compensation for the reparation of damages
sustained on the land after the conclusion of the excavation, the compensation shall be evaluated by the
Antiquity Authority.
3. The Antiquity Authority shall determine the time schedule of the excavation, in the land not of a public
property, only the minister shall be entitled to extend the schedule.
Article 31
1. Excavation shall be carried out scientifically under the supervision of a committee which shall be formed
by the minister or any authorized party, accordingly.
2. The director or the chief of the expedition, shall be a well known archaeologist with previous experience
in archaeological excavation.
3. An architect specializing in ancient architecture.
4. An assistant competent in drawing and photography.
5. When needed, an epigraphist of ancient languages and scripts.
Article 32 The holder of the permit of excavation, those do not belong to the Antiquity Authority, shall comply with
the following conditions :
1. The application permits shall be made to the Antiquity Authority, setting forth :
A. Particulars of the applicant, his previous experience and financial capacity.
B. Affiliation and authorization of a well known scientific institution that deals with excavation and
archaeological research.
C. Number of the workers, therewith ,their scientific qualification in excavation.
2.
A. Preparing a map to explain the boundaries of the area, showing details of the SITE intended to excavate,
therein
187
B. A report containing the general program (scheme) of the work to be followed for the next 5 years.
3. The minister's approval for the excavations , according to the study and recommendation made by the
Antiquity Authority
4. The applicant shall be jointed with the Antiquity Authority, by a contract, in the aim of determination the
rights and commitments of both parties.
Article 33 The Antiquity Authority shall be entitled to inspect the excavations undertaking and the uncovered
artifacts, in any time it sees proper.
Article 34
1. The Antiquity Authority shall suspend the excavation, if the holder of the permit contravenes the
conditions laid down in the permit, warning the excavating party of the necessity to eliminate the
contravention, within a proper time determined by the Antiquity Authority.
2. If the holder of the excavation permit did not remove the contravention or it was significant and or the
holder's situation required that, The minister shall be entitled to cancel his approval.
Article 35
1. All antiquities discovered within the course of the excavation and the information obtained from which,
including photographs, maps and plans are state property, shall not be allowed, except of a written
permission by the Antiquity Authority, to dispose with or publication inside or outside Iraq.
2. For his efforts, the Antiquity Authority, shall grant the following for the permit's holder :
A. Moulds, Photographs, maps and the plans of the discovered antiquities.
B. In the purpose of analyses and studies, Pottery fragments, organic materials and soil samples ,provided
that the holder of a permit shall be committed to deliver the results of the studies and research to the
Antiquity Authority, within a year from the date of receiving the samples.
C. Under the direct supervision of the Antiquity Authority, the materials prescribed in the item B of this
article, shall obtain an export permit without having to pay any export fee or Customs duty.
Article 36 Except of the approval of the Antiquity Authority, from media and commerce point of view, it is not
allowed to invest any photographs or films of any antiquity sites or heritage property.
Article 37 The Antiquity Authority shall be entitled to restore the Iraqi stolen antiquities from abroad, in accordance
with international provisions, by any legal ways or diplomatic paths.
CHAPTER 6
PENALTIES
Article 38 Whoever possesses a movable antiquity and did not report it to the Antiquity Authority, shall be
punishable with imprisonment not exceeding 10 years or compensation two times the value of the
evaluated artifact, within 30 days from the date of this LAW come into force.
Article 39 Whoever possesses a manuscript, coin or a registered heritage antiquity, resulted in their loss or damage
(totally or partially), whether due to a disuse or evil will, shall be punishable with imprisonment for a
period not exceeding 10 years and paying a compensation, two times the evaluated value of the antiquity .
188
第九章 まとめと問題点 9-2 文化遺産学の試み
Article 40
1. Whoever stole an artifact or heritage antiquity in the possession of the Antiquity Authority, in the state
of not restoring it, shall be punishable with imprisonment for a period not less than 7 year and not
exceeding 15 years and paying a compensation 6 times the evaluated value of the artifact or the heritage
antiquity, or, if the committed was in charge of running, keeping or guarding the stolen artifact or
the heritage antiquity, shall be punishable with life imprisonment, when the robbery shall sustain by force
or threatening by two persons or more those carry any weapons (concealed or apparent), shall be
punishable with execution.
2. The participant of committing the crime laid down in the provision 1 of this article, shall be considered
as a guilty of an offence.
Article 41
1. Whoever exported or intended to export, deliberately, an antiquity, from Iraq, shall be punishable with
execution.
2. Whoever deliberately exported a heritage antiquity from Iraq, shall be punishable with imprisonment for
a period not exceeding 3 years or a fine not exceeding 100000 I.D.
Article 42 Whoever excavates for, or attempts to discover antiquities, without obtaining a written permission by
the Antiquity Authority, resulted in damaging the site or its prohibited zones and or the antiquity in or
under its soil, shall be punishable with imprisonment for a period not exceeding 10 years and a
compensation two times the evaluated value of the damages sustained, with the confiscation of the
antiquities extracted and the digging instruments, he shall be punishable with imprisonment for a period
not exceeding 15 years, if the guilty of an offence was a member of staff of the Antiquity Authority.
Article 43
1. Whoever dug, built, planted or inhabited in a declared antiquity site, or removed, rendered, damaged,
deformed, demolished an antiquity or heritage monument, attempted to dispose with its construction
materials or used it in a harmful manner which may result in tearing it down or altering the original
features of which, shall be punishable with imprisonment for a period not exceeding 10 years, a
compensation two times the evaluated value of the damage and removing the contravene on his charge.
2. Any employee or a representative of the party concerned with sustaining the deliberate damage upon
the antiquity sites or the heritage districts or dwellings, shall be punishable with the penalty laid down in
the provision 1 of this article.
Article 44 Whoever traffics in antiquity, shall be punishable with imprisonment for a period not exceeding 10
years and a fine not exceeding 1000000 I.D., when the guilty of an offence is a staff member of the
Antiquity Authority, he shall be punishable with the imprisonment and a fine not exceeding 2000000 I.D.,
and the antiquity in his possession shall be liable to be confiscated.
Article 45 Whoever, without a permission of the Antiquity Authority, traffics in a counterfeited or imitated antiquity,
shall be punishable with imprisonment for a period not exceeding 3 years and a fine not exceeding
100000 I.D., he shall only be punishable with imprisonment when the guilty of an offence is a staff
member of the Antiquity Authority, the instruments and materials used in committing this crime shall be
liable to be confiscated .
189
Article 46 Whoever contravenes on the heritage buildings, shops and districts, declared in the official gazette, by
demolishing or changing the purposes for which they have been built, shall be punishable with
imprisonment for a period not exceeding 7 years, and at his charge he shall be committed to restore the
building into the original pre contravention situation.
Article 47
1. Any owner or appropriator of the buildings prescribed in the article 10 of this LAW, who, without a
written permission of the Antiquity Authority, totally or partially, demolishes, moves, reconstructs,
renews or alters the buildings listed ,shall be punishable with imprisonment, and at his charge he shall be
committed to restore the building into the original situation.
2. Whoever contravenes the provisions of the articles 12, 15, 19-A, 20-A/C, 22-A/C, 36, listed in this
LAW, shall be punishable with imprisonment for a period not exceeding 2 years and a fine not exceeding
100000 I.D.
Article 48
1.
A. The Antiquity Authority shall be entitled to award, whoever, shall report of any illegal possession of
antiquity or heritage material and helps laying hands on which.
B. The chairman of the Antiquity Authority, shall be the only party to make a decision in the legal suits
resulted by the offences prescribed in the articles 12, 15, 19/A, 20/A.C, 22/A.C and 36, of this LAW.
C. In order to practice the authorities prescribed in clause B of item 1 of this article, the chairman of the
Antiquity Authority shall enjoy the powers granted to a delict judge.
D. The decisions or the judgments issued by the chairman of the Antiquity Authority ,in his capacity of a
delict judge, shall be liable to appeal within 15 days from the date of the acknowledgment with the
judgment or decision and or to be considered instructed before a permanent appeal committee presided
by at least a second grade judge, who shall be named by the minister of justice, and two members those
shall be named by the minister of Tourism and Antiquity, the decisions of the committee shall be absolute.
2. For the purposes of this LAW, the inspectors of antiquities shall enjoy the powers granted to
investigators.
3. Guards and attendants of the antiquity authority shall have the same powers as those granted to
policeman in respect to this LAW.
4. The official reports submitted by the Antiquity Authority as to whether the antiquity sites and the heritage
buildings or the antiquity and heritage artifacts, a fake or not, shall be considered as legal documents
before the courts.
Article 49 The artistic committee shall be responsible for the following :
1. Determine, whether the antiquity or heritage property, a fake or not.
2. Making an evaluation (a reward) of the materials prescribed in item 1 of this article, according to the
market prices, which shall not be less than the intrinsic value if they were made of gold, silver or precious
stone.
3. Evaluating a compensation for the reparation for the damage sustained on the antiquity (monument) or
any antiquity and heritage artifact.
4. decide the sum of a reward to whoever discovers or reports any antiquity.
Article 50 The minister shall issue a rule of procedure to determine the following :
190
第九章 まとめと問題点 9-2 文化遺産学の試み
1. Fees of :
A. Entering the museums, antiquity areas and the historical or heritage buildings.
B. Guides, as a companion, in the antiquity areas and to the historical or heritage buildings.
C. Photography and filming, in the antiquity areas or in the historical or heritage buildings.
D. Land's detection (investigation).
2. The prices of materials prescribed in item 2 of article 22 of this LAW.
3. Emoluments for those working in investigations or detection.
Article 51
1. The following laws shall be considered cancelled: law No.40 of 1926, concerning the prevention of
antiquity smuggling, antiquity law No.59 of 1936, law No.73 of 193, concerning the antiquity export fee.
2. Regulation of the museum's attendance No.35 of 1946 shall be valid, until the issuance of a regulation
that shall take the place or cancel the mentioned above regulation.
Article 52 The minister shall be entitled to issue any instructions to facilitate the execution of this LAW.
Article 53 This LAW shall come into force from the date of its publication in the official gazette.
Made at Baghdad, this 28th day of Sha, aban, 1423, and the 3rd day of November, 2002.
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The Studies for Cultural Heritage
文化遺産学研究 No. 3
〈 特集 〉
ヨルダン、ウム ・ カイス遺跡における文化遺産学研究 2009
The Studies for Cultural Heritage of Umm Qais Jordan, 2009
2010 年 3 月発行
編集者・発行者:国士舘大学「文化遺産研究プロジェクト」
(代表:国士舘大学イラク古代文化研究所・教授 松本 健)
〒 154-0022 東京都世田谷区梅丘 2-8-17
地域交流文化センター内
TEL.03-5451-1926 / FAX:03-5451-1927
制作:有限会社 CORAL ART WORKS
印刷:株式会社 北斗社
裏表紙写真:ウム ・ カイス遺跡より出土した「ロムルスとレムス」コイン