00 1/1 ああああ インターカラーの設立 (JAFCA ファッションカラーハンドブック 2002 年より) JAFCA 創立の 10 年後 1963 年(昭和 38)5 月に、イタリアのパドバで第 7 やすお 回国際色彩会議が行われ、その折りに JAFCA 常任理事・稲村耕 雄(当時・ 東工大教授) 、フランスのフレッド・カルラン、スイスのミロ・E・レニャッチの 3 名で色彩学の学術的交流に加え、ファッションカラーの情報交流の場を組 織しようと意見が一致し、 インターカラー (国際流行色委員会)の発足になった。 パドバでの会議後、主要各国の色彩情報(主としてファッションの)機関に呼 びかけ同年 9 月 9 日パリにおいて第 1 回インターカラー会議が開催された。 世界で唯一の国際的な流行色予測機関であるインターカラーの第 1 回会議 創立当初のインターカラー会議で講演に立っ たスイス代表のミロ・E・レニャッチ氏 には発起人国の日本、フランス、スイスに加えて旧西ドイツ、ベルギー、スペ イン、イギリス、イタリア、オランダ、スウェーデン、アメリカの 11 ヵ国が出席 した。 その後、会議は年 2 回(6・12 月)開かれている。開催地は、基本的には インターカラーが法人登録されているパリである。運営に当たっては各国、色 彩を専門とする公益法人一機関が加盟でき、1 国 2 名の代表者が参加できるこ となどが規定され今日にいたっている。 加盟国以外にメンバーが認めるオブザー インターカラー選定風景 バーも会議に参加できるが、議決権はない。2003 年現在は 18 ヵ国とオブザーバーによっ て活動している。 60 年(昭和 35)パリで第 1 回プレタポルテの国際見本市「サロン・ド・ポルト・ド・ベ ルサイユ」が開催され、既製服が一般化していく。当時ファッションの発信地としてはパリ、 ロンドンなどが主で、日本のクリエーションは海外視察からアイデア源を求めていた頃であ り、 「流行色」に関する情報交流において、JAFCA が国際会議の発起人国として世界諸国 と対等に情報をクリエートする場を得たことは特筆できる。 第 1 回会議には、日本代表として稲村耕雄と JAFCA 理事・堤邦子(元・セゾンインター ナショナル欧州総局担当取締役) が参加。それ以後連続して堤が日本代表を務め、インター カラー会議に尽力されたが、残念ながら 97 年(平成 9)6 月に他界された。 実シーズンに先がけて 2 年先のトレンド予測提案を各国が発表(各国提案色は会議時に それぞれメンバーで交換される)し、そのコンセプトの共通項を軸に色選定を検討する。 インターカラーは、各国提案色、約 400 色前後のカラーより、20 〜 30 色ほど選定して カラーパレットが決定される。 インターカラーの歴史を顧みると日本のポジションも初期と昨今では大変化がある。ど ちらかというと初期はヨーロッパ情報入手にウエイトがあったものの、最近は日本提案色が 各国より注目され決定色に多く採用されるようになった。その背景には、日本のファッショ ン市場のレベルアップがあり、ヨーロッパにとって日本への輸出強化のためには、日本のト レンドに呼応したいといったことで日本提案色が注目されるようになっているといえよう。 またアジア圏ということでいえば、JAFCA のアプローチで、83 年(昭和 58)に中国流 行色協会、93 年(平成 5)に韓国流行色協会が加盟して、両協会それぞれとの交流がは かられている。 49
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