海外派遣帰国報告 インドネシアの水資源の現状と課題

海外派遣帰国報告
インドネシアの水資源の現状と課題
̶ ジャワ島を例として ̶
下久保ダム管理所長 白 川 信 之
元インドネシア共和国 JICA 長期専門家
キーワード:水不足・地盤沈下・水質汚染・堆砂・水資源管理
1.はじめに
2.インドネシア
7 月下旬にインドネシア共和国(以下、
「インドネシア」)か
2.1 インドネシア
ら帰国しました。
私が独立行政法人国際協力機構(JICA)の長期専門家と
日本を離れているわずか 2 年の間に、公共事業、とりわけ
して赴 任した の は、中 部ジャワ州 のソロという都 市で す
(図− 1)。
ダム事業を取り巻く環境が厳しくなってきています。
水資源の開発と管理の実務に携わってきた身としては、こ
インドネシアの公共事業省がソロに水資源管理技術の研
のような情勢において、他国にいた経験が参考となることが
修普及施設をつくることになり、その技術支援を行うのが目
少しでもあればと思いつつ、帰国報告を書かせていただき
的です。
ます。
インドネシアという国名を聞いたことがある方は多いこと
と思いますが、世界最大の島嶼国家であることや世界最大
ソロ
図−1 インドネシア
(インドネシアの白地図(http://www.freemap.jp/asia/asia_indonesia_all.html)に加筆修正)
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水とともに 水がささえる豊かな社会
のイスラム人口を有する国であること、首都ジャカルタの
2.2 地勢
あるジャワ島は世界最多の人口の島であること、2009 年ま
面積世界第2位のニューギニア島(約 50% がインドネシ
では石油輸出国機構(OPEC)加盟国でもあった資源大国で
ア領)
と第 3 位のカリマンタン島(約 70% がインドネシア領)
あること、そして今や 20 カ国財務大臣・中央銀行総裁会議
と第 6 位のスマトラ島のような 40 万平方キロメートルを超
(G20)の構成国であることなどについては、ご存知ない方
える大きな島もありますが、大半は小さな島です。
も少なくないのではないでしょうか。
また、全体で 5,500 以上の河川を有していますが、島毎に
そこで、先ず最初に、基本的な情報を、お示ししておくこと
その状態は異なっています。
にします(表− 1)。
2.3 気候
表−1 インドネシアの基本的な情報
線と南回帰線に挟まれた帯状の地域」に位置しており、典型
一般
約 189 万平方キロメートル(日本の約 5.0 倍)
的な熱帯気候です。
約 18,000(日本の約 2.6 倍)の島々からなる世界最
しかし、細分すると、スマトラ島やカリマンタン島など国土
面積 大の島嶼国家。
東西約 5,110 キロメートル
南北約 1,888 キロメートル
人口
ケッペンの気候区分における熱帯の定義である「北回帰
約 2.28 億人(2008 年政府推計)
中国、インド、米国に次いで世界第 4 位。
の大半は年間を通して降水量の多い熱帯雨林気候となりま
すが、ジャワ島西部等は雨季(概ね 11 月から 4 月まで)に加
えて乾季(概ね 5 月から 10 月まで)のある熱帯モンスーン気
候、ジャワ島東部以東および小スンダ列島(バリ島他)はさ
らに乾燥の度合いが高い(降水量が少ない)サバナ気候とな
り、水不足に悩まされています。
首都 ジャカルタ
民族
大半がマレー系
2.4 政治経済
ジャワ、スンダ等 27 種族に大別。
1990 年代に政治的・経済的に大きな打撃を受けましたが、
言語 インドネシア語
イスラム教 88.6%、キリスト教 8.9%、
宗教
ヒンズー教 1.7%他。
(インドネシア中央統計局統計)
世界最大のイスラム人口を有するが、イスラム教は
国教ではない。
その後の政策が功を奏し、近年は毎年 5% 前後の経済成長
率を遂げています。
政治的にも安定してきており、資源にも恵まれていること
から、今後の飛躍も期待されます。
また、生産年齢(15 歳以上 65 歳未満)人口の比率が高く、
しかもその状態が 2030 年頃まで継続すると予測されていま
す。
政治経済
インドネシアは、先進国に追いつく時期を迎えていると言
政体 大統領制、共和制
元首
外交
スシロ・バンバン・ユドヨノ大統領
(2009 年 10 月 20 日二期目就任、任期 5 年)
東南アジア諸国連合(ASEAN)の加盟国。
全方位外交。
名目 GDP5,613 億ドル(世界第 20 位相当)
経済
えます。
名目一人当り GDP2,590 ドル(世界第 120 位相当)
実質経済成長率 4.5%
3.水資源の現状と課題
インドネシアは広大で、島毎にそれぞれいろいろな課題を
抱えていますが、以下では、ジャワ島の事例を中心に述べた
いと思います。
(以上 2009 年インドネシア政府統計)
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3.1 不足する水
えないので、安易な森林伐採や河川へのゴミ投棄が後を絶
2 億を超える人口の過半数が本州の半分程度の大きさの
ちません。
ジャワ島に集中しています。
浅井戸や河川水をそのまま利用している家庭も少なくな
インフラの多くもジャワ島に集中していることから、その活
いので、水質の悪化は健康の問題にも直結します。
動に必要なだけの水を確保しなくてはなりませんが、乾季に
特に、乾季には、河川の流量が極端に少なくなるので、水
は、増加する需要に供給が追いつかなくなってきています。
質の悪化は顕著です。
また、水不足とともに、かんがい用水の配分も調整が難し
くなってきています。
3.4 堆砂
水源地の保全は、貯水池の堆砂対策の点からも急がれま
3.2 地盤沈下
す。
ジャワ島では、その活動に必要なだけの水を表流水だけで
雨季と乾季の流量の差が激しいジャワ島では、その対応
は確保できないことから、地下水にも多くを依存しています。
のため、大規模ダムの建設が進められてきましたが、貯水池
しかし、ジャワ海沿岸地帯には非常に軟弱で圧密による沈
上流域の森林伐採などのため、ダムへの堆砂流入量が問題
下が進行しやすい世界でも有数の軟弱地盤地帯が広がって
となっています。
おり、過剰な地下水の汲み上げにより、地盤沈下が深刻なレ
わが国でもダム湖の堆砂は問題となっており、下久保ダム
ベルに達しています。
の貯水池も当初計画の倍のスピードで堆砂が進んでいます
既にジャカルタやスマランなどの海岸に近い地域では、海
が、インドネシアのダム湖は地質が脆弱なこともあり比較にな
抜ゼロメートル以下となっているところもあります
(写真− 1)
。
らない規模で進んでいるものも少なくありません(写真− 2)
。
また、その範囲は年々拡大しており、適切な対策が取られ
なければ、2025 年には海水が海岸から 5 キロメートルも内
陸にある大統領府まで達するという報告もあるほどです。
地下水に依存しない体制が求められています。
写真−2 ダム湖の堆砂(ウオノギリ)
堤体のすぐそばまで進んでいる
3.5 その他
写真−1 地盤沈下(スマラン)
水道事業は、自治体の他、外資系の水管理会社が行って
ほぼ海抜ゼロメートルの状態
いますが、地元住民との間でトラブルを生じていることも少
なくないようです。
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3.3 水質汚染
また、一般に、インドネシアでは、日本のように水道水を
都市部への人口の集中に伴い、水質の問題も深刻になっ
飲料水として利用することはできません。
てきています。
飲料水としては、アクア(フランスの食品会社ダノン傘下
下水道普及率は低く、処理量を賄いきれてはいませんの
のインドンネシア最大のペットボトルウォーター会社)のよう
で、河川水や地下水への負荷が大きくなる一方です。
な企業の水を利用することになりますが、貧困層は、このよ
しかし、水源保全や河川利用に対するモラルは高いとは言
うな水を購入することができません。
水とともに 水がささえる豊かな社会
4.政府の取組み
流域管理の能力強化のため、水資源管理技術の研修普及
2004 年にいわゆる水資源法と言われる法律第 7 号が、続
ロジェクトの枠組みの中でそれに協力することになったもの
いて 2008 年に政令第 42 号が定められ、インドネシアの水
です。
施設をつくることになり、繋がりの深い水資源機構が JICA プ
資源管理の基本スタンス(流域を単位として行う)が示され
ました。
しかし、行政組織を超えた連携は簡単ではなく、実践的な
レベルでの管理への道のりは険しいと言えます。
5.おわりに
以下では、流域管理の中心を担う公共事業省とその取組
「21 世紀は水を巡る争いの世紀」
というイスマル・セラゲ
みをご紹介したいと思います。
ルディン元世界銀行副総裁の言葉は、多くの方が目にし、耳
にされていることと思います。
4.1 公共事業省
2050 年には 90 億人にまで増加すると予想される世界の
灌漑も取り扱いますが、わが国の国土交通省に近い形態
人口を養うための食糧、その食糧を生産するための水をい
で、歴代のアジア河川流域管理機関ネットワーク(NARBO)
かに確保できるかが世界的に大きな懸念となっています。
議長が選出されていることもあり、水資源機構との関係も深
しかし、日本は清流に恵まれており、実感として捉えられて
い機関です。
いない方が多いようにも思えます。
水資源にかかる政策は水資源総局で行われていますが、
水と安全はタダと思っていると諸外国から揶揄されること
水資源総局は、この夏管理部門を強化するなど大幅に組織
も多いですが、日本の外に出てみると、また、戻って来てみ
の見直しを行っています。
ると、そう言われても仕方がないと思うことがしばしばです。
以下に改組後の概略組織図を示します(図− 2)。
日本人にとって、水はそれを利用することが極めて自然で
あり、意識さえもしないのですが、世界では重要な資源・商
品として扱われ、時には水を利用する権利が剥奪され、大き
総局長
な社会問題となってさえいます。
ボトルウォーターと比較してはるかに安価な水道水を飲料
水としても利用できるような国は世界では稀であること、水
秘書官
資源の確保に戦略的に取組んでいる国は少なくないことを
真摯に受け止める必要があると思います。
計画局
水資源
河 川
管理局
海岸局
灌漑局
管 理
今夏は記録的な猛暑が続き、気候の温暖化が懸念されて
維持局
もいますが、温暖化が食料や水に及ぼす影響について考え
るだけでなく、行動する時が来ているのではと思います。
図−2 公共事業省水資源総局の組織(筆者訳)
世界の水資源問題に対して、日本からも積極的に情報発
信を行っていく必要があり、水資源機構は、NARBO などを
4.2 公共事業省の取組み
通して、その役目を担っていくべきではと思っている次第で
特に重要な 31 の流域に公共事業省が直轄管理する河川
す。
流域機関を設置し、統合的な水資源管理への取組みを開始
公共事業省のある幹部は、私が参画した JICA プロジェク
しています。
トについて、民間コンサルタントではない水資源機構が引き
しかし、これまで公共事業省は建設を主体としてきたこと
受けてくれていることに意味があると言ってくれたとのことで
から相対的に管理に対する意識が低く、また、管理に必要な
す。
ノウハウ等も、水資源公社や州等、実際に流域管理を担って
非常にありがたい言葉であるとともに重い言葉でもあると
きた機関のレベルには達していません。
受けとめ、今後の職務に活かしていきたいと考えております。
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