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正義のために闘ってきたアメリカ軍の威信のためにも、この悲惨な事実は隠すべきモノ
との判断がなされ、1945 年 9 月 19 日、情報や報道を規制するプレスコ-ドを指令、なか
でも原爆に関する報道が特に厳しくコントロ-ルされ、外国人の記者が広島、長崎を入る
ことを禁止した。
マンハッタン計画の責任者は「広島、長崎での被災者は投下の際、そこにいた人々が犠
牲になっただけで、その後(翌月 9 月の時点)原爆放射能のため苦しんでいる人は一人も
いない」との声明を発表した。
その一方で、アリカ大統領の命令で「原爆障害調査委員会」(ABCC)が組織され、原爆
症の調査、研究機関を設けて調査を開始したが、患者の診療や治療は一切行わず、広島赤
十字病院や国立予防衛生研究所を下請けにして、症状や血液のサンプルを集めるだけ、モ
ルモットがわりの扱いでしかなかった。
これらの資料はアメリカ本国に送られ、日本側の治療に役立つことはなかった。
このため、アメリカ国内では原爆の悲惨さは全く報道されることなく、戦争の終結を早
め、戦争犠牲者を少なく食止めた「神の火」であると喧伝された。
毎年夏
広島と長崎での慰霊祭には外国からの参列者は少なく、アメリカ政府関係者が
参列するようになったのは 60 数年経った、2,3 年前からにすぎない。
ダイナマイトが土木工事に使用するため開発されてが、このダイナマイトがそれまでの
戦争の形態をより悲惨なモノに一変させた。
驚いた発明者であるノ-ベルは私財を投じてノ-ベル賞を設けたが、戦争形態はさらに
悲惨なモノになっていった。
同じように核兵器開発に携わった科学者達は、あまりにも悲惨な結果に呆然となり、特
にマンハッタン計画の総責任者であったロスアラモス国立研究所所長であったロバ-ト・
オッペンハイマ-博士は、これ以上の核兵器開発に反対し、特に水爆実験には絶対反対、
核兵器を国際的な管理下におくことを提案している。
ところが冷戦が始まり、ソ連との対立が激しくなると、アメリカ国内では「赤狩り」と
称するマッカシィ-旋風が巻おこり、博士は赤のレッテルを貼られ、機密安全保持疑惑と
いう汚名を着せられて公職追放にあい、全ての役職から追放された。
後年は、古代インドの聖典に救いを求めたという。
核兵器は人類に悲惨さを及ぼすもの、即廃絶すべきもの、国際管理にすべきもの、いう
のは少数派で、国家の威信を保つためにも核兵器を保有すべし、或は国家が独立を保ッに
は核兵器が必要、為政者、軍人ばかりではなく国民さえも核兵器を持つべし、の気運が高
まり、先進国、強国と自称する国々は開発に狂奔した。
特にアメリカと対立しているソ連としては、スタ-リン首相が核兵器開発を最重要課題
とし、国の威信をかけて取り組んだ。それには核兵器の機密をアメリカから頂戴するのが
最も早く、確実なモノとばかり、国を挙げてのスパイ合戦となった。
その一例を「ロ-ゼンバ-グ事件」で考察する。
1950 年
ドイツ出身の核科学者クラウス・フックスがスパイ容疑で FBI に逮捕されたの
を切っ掛けとして発覚した、ソ連の陰謀による大がかりなスパイ網の摘発であった。
アメリカの市民権を有するユダヤ系の夫妻であったジュリアス・ロ-ゼンバ-クとエセ
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