地方分権型の教育行政制度にむけて 分権型政策制度研究センター・教育行政制度研究会 2006 年 8 月 はじめに 小中学校義務教育のあり方をめぐって各界、各地で多様な議論が展開されている。これ らの議論の背景を形成しているのは、急速に進行する少子高齢化、核家族化や地域におけ る人間関係の変化であろう。家庭や地域社会、学校の「教育力」に疑問が提示されている。 子どもたちの関係にも学力格差が進み、たおやかさが失われているとされる。いまや、「教 育をどうするのか」は、社会の共通かつ重要な関心事である。 戦後の義務教育制度は、次代を担う子どもたちを地域社会が支えていくことを基本とし て設計された。国は義務教育において自治体が厳格に遵守すべき最低基準(ナショナルミ ニマム)を示すことを役割とし、自治体は地域社会のレイマンコントロール(素人統制) を基本としつつ専門職による教育を担うことを役割とした。こうした考え方をもとにして 文部省初等中等教育局と都道府県教育委員会・市町村教育委員会・学校という連携の仕組 みがつくられた。しかし、戦後発展過程において役割分担による連携の仕組みは行政制度 として結びつきを深めたばかりか、教科内容、教科時間、教員配置などにおいて画一性を 濃厚とした。近年の各種の改革論は、急速な社会経済条件の変化をうけて、画一的な教育 に誰が、どのような改革の手を加えるのかを、議論の核心としていよう。 小中学校義務教育は市町村の責任といわれながらも、市町村には「校舎建設程度の自由 しかない」といわれる。地域社会で子どもたちの教育を支え、瑞々しい感性と旺盛な学習 意欲をもった子どもたちを育てるためには、戦後教育改革の原点に立ち帰りつつ、地域に 密着した分権型の教育行政制度を構想する必要が増していよう。 本センターは、こうした問題関心のもとに、2005 年度の事業の一環として「教育行政制 度研究会」を設置し、子どもたちを原点とした分権型社会に相応しい新たな教育行政制度 を考察してみることにした。 研究会は、本センターを構成する学識者、10 県から派遣された職員、ジャーナリストか ら構成された。研究会では、教育委員会制度の評価、教員人事のあり方、新たな時代にお ける市町村と県との連携関係などをめぐって多くの議論が交わされた。この報告は、研究 会における議論の「最大公約数」的事項を取りまとめたものであり、その意味で分権型の 教育行政制度に関するデッサンであるといってよい。 本報告が、 「百家争鳴」的な教育行政制度改革の参考とされるとともに、各地においてよ り細部を詰めた改革構想が提起されることを願ってやまない。 2006 年 8 月 分権型政策制度研究センター センター長 1 新藤 宗幸 Ⅰ ◆ 提言の背景 指導・助言・援助を軸とした戦後教育行政 近代日本は、1872(明治 5)年というきわめて早い段階において、基礎的な学力を養 い社会の一員として生活しうる人間を育てるために義務教育制度をスタートさせた。そ れは識字能力の平準化と向上を促がし近代化に大きく貢献した。ただし、戦前期の義務 教育には「国家主義的教育」の色彩が濃かったことは否めない。それゆえに、第 2 次大 戦後、義務教育を地域の知恵と人材が支えていくことが強く要請された。また、基礎学 力の向上のために義務教育の就学年数を 9 年間と定めた。 その結果、義務教育は国全体の責任であるとされるとともに、基礎自治体である市町 村が義務教育の第一義的な責任主体と位置づけられた。戦後まもなく制定された教育基 本法、学校教育法、教育委員会法のいわゆる教育三法は、こうした理念と制度の基本を 定めたものである。 戦後の義務教育は、教員の増員や施設の充実をはじめとして教育条件を格段に向上さ せるとともに、子どもたちの学力の高度化を促がしたといってよい。しかし、戦後の教 育行政制度は、その実態において集権的色彩を払拭したとはいえない。文部省(文部科 学省)は、教育行政の特色を権力的行政ではなく「指導・助言・援助」行政であるとし てきた。たしかに、文部省の自治体教育行政への許認可権限は、比較的少なく推移して きた。とはいえ、地方教育委員会への指揮監督権限や是正措置要求をもとにして、指導・ 助言は時代とともに詳細をきわめるようになり、文部科学省―都道府県教育委員会―市 町村教育委員会―学校現場という行政のチャンネルが強化されてきた。義務教育が市町 村の責任とされながらも、市町村には「校舎建設程度の自由しかない」といわれてきた のは、その一端を物語っていよう。 2000 年 4 月の第 1 次地方分権改革は、文部省の地方教育委員会に対する集権的色彩 の濃い指導・助言体制に幾つかの楔を打ち込むものだった。 第 1 に、都道府県教育長の選任に際して文部相による事前承認制は廃止され、市町村 教育長と同様に教育委員の中から選任されることになった。同時に、市町村教育長の選 任に対する都道府県教育委員会の承認制も廃止された。第 2 に、文部相は都道府県教育 委員会に対して、都道府県教育委員会は市町村教育委員会に対して、必要な指導・助言・ 援助を「行うものとする」とされていたが、「行うことができる」とあらためられた。 第 3 に、文部相および都道府県教育委員会の都道府県教育委員会および市町村教育委員 会に対する指揮監督規定と是正措置要求についての権限が削除された。第 4 に、都道府 県教育委員会には市町村立学校に関する基準設定権限があったが、これが廃止された。 市町村教育委員会は、学校管理規則、教育課程、通学区域の設定などに自由度を高めた。 2 こうした「改革」の一方で、地方教育行政法第 48 条第 2 項の例示する「指導・助言・ 援助」の範囲は、学校の設置、学校の組織編制、教育課程、学習指導、生徒指導にはじ まり、きわめて包括的である。しかも、同法同条第 3 項は、 「文部科学大臣は、都道府 県委員会に対し、第1項の規定による市町村に対する指導、助言又は援助に関し、必要 な指示をすることができる」と定め、指導・助言・援助のタテの行政系列にあらためて 法的保証を与えるものであった。 もともと、文部科学省は「指導・助言・援助」を中心とする教育行政は「地方分権的」 であるとしてきた。したがって、指導・助言・援助をうける「客体」側の自由度をたか めることで、時代の潮流に応えようとしたともいえよう。しかし、こうした「改革」は、 自治体が総力をあげて追求する地方分権改革にどこまで適合しているのであろうか。 ◆ 国主導から自治体主導へ 戦後日本の教育行政は、国主導の政策(指導・助言・援助)によって学校教育の制度 的・量的整備をはかるものであった。こうした教育政策に最初に疑問を提示したのは、 中曾根内閣が 1984 年に設置した臨時教育審議会であった。臨教審は「国家管理の教育」 から個人の自由な選択と民間の活力を基礎とする教育のプライバタイゼーション(市場 化)を強調した。 高校進学率が 95 パーセントを越えた今日、たしかに学校教育の国主導による制度 的・量的整備は役割を遂げたといえよう。したがって、臨時教育審議会の提起した教育 の方向性は、1984 年当時以上に社会の底流を形成している。それは、とりわけ大都市 圏における私立学校の「濫設」と進学競争となって表れている。公立学校においても、 先の 2000 年「改革」を受けて、通学区域の自由化や学校間競争がとりわけ大都市圏で 進行しており、それは擬似的なプライバタイゼーションである。文部科学省の指導・助 言もまたそれを推奨するものとなっている。 しかし、学校教育は子どもがおかれている家庭的、地域的、経済的条件に制約される ことなく、基礎的な能力を涵養することを目的としている。したがって、進学競争の過 熱化、落ちこぼれ、いじめ、地域間における教育資源の偏在といった問題状況が深刻な ものとなるにしたがって、地域を基盤とした人々のネットワークをもとに学校教育をコ ントロールしていくべきであるとの意見も強まっている。教育サービスは、なによりも 子どもの立場を重視して展開されねばならない。学校教育における「機会の平等」の実 質化を図るとともに、学校を地域の人々の交流の場として位置づけ、地域社会全体で子 どもたちを支え育んでいくことが求められている。 1990 年代初頭以来自治体が求め政治課題となっている地方分権改革は、国主導の近 3 代化政策を評価しつつも、近代化を成し遂げた今日ではそれぞれの地域の知恵と創造力 をもとにして、社会を構成する基幹的制度を再構成し運用することを目的としている。 言い換えると、市民の自治をもとにした自治体を、名実ともに地域の「総合的政府」へ と改革し、多元的な活力ある社会を創造することこそ、地方分権改革の目的とするとこ ろである。本研究会もこの意味の地方分権改革の実現を「共通の目標」としている。 教育行政制度は、いずれの国においても社会を構成する基幹的制度である。ポスト産 業社会における「教育」の目的とはなにか。また、地方分権時代に適合する教育行政制 度とは、誰の責任で、いかに構成されるべきなのか。これらを根本にわたって考察して みる必要がある。 分権型政策制度研究センターは、2005 年 7 月以来「教育行政制度研究会」を設け、 教育行政のあり方を討議してきた。以下はそれにもとづく教育制度改革の提言である。 4 Ⅱ 提言 1 義務教育の目的は、子どもたちにその家庭的、地域的、経済的条件に制約され ることなく、人が人として社会を生きるために必要な基礎的知識を習得させる とともに、豊かな感性を養うことにある。また、生活者そして社会人としての 最低限のルールを身につけ、地域社会はもとより国全体さらに国際的な視野を もった人間へと育てることにある。 教育の目的をどのように設定するかは、教育行政制度の設計と運用の根幹にかかわる。 2005 年 10 月の中教審答申は、教育の目的のひとつを教育基本法にならって「国家及び 社会の形成者」を育てることにあるとした。他方において、当センターに加わる県では、 地域社会に根差した人材の育成を重視した教育プランをまとめている。 1947 年に施行された教育基本法は、教育の目的として単に「国家及び社会の形成者」 の育成を掲げたのではない。第 1 条(教育の目的)は、 「教育は、人格の完成をめざし、 平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤 労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われね ばならない」とした。つまりは、新憲法のもとでの新たな国と社会の発展を期してのこ とであった。教育基本法に掲げられた教育の目的・理念は、戦争の惨禍に直面していた だけに広く社会に受容され、戦後日本の発展に寄与した。だが、まさにそれゆえに、日 本をとりまく国際環境は大きく変わった。 戦後 60 年を経た日本は、国際社会に積極的に対応していくことが求められている。 また、国内経済社会の近代化を押し進めた中央集権体制の綻びが明確になっており、地 域社会を主軸とした分権型社会への転換が課題とされている。それだけではなく、日本 社会は多くの外国人住民を抱えており、否応なく彼らと共生していかなくてはならない 状況におかれている。 一般に「国際化時代」が語られるが、それは日本と外国とのヒト・モノ・カネ・情報 の交流が深まったことのみを意味するものではない。国際社会での紛争、諸外国の日本 へのさまざまな要請は、日本という国に波及するばかりか、地域社会の隅々に難題をも たらす。他方において、地域社会が多くの民族の暮らす社会へと変わることによって、 地域社会と自治体は「内なる国際化」=共生の仕組みの創造を課題としている。それだ けではなく、多くの自治体がすでに試みているように、外国の自治体・地域と直接の交 流・協力によって、相互の自立と発展、地球規模での環境保全や平和の追求が重要性を 5 増している。 こうした時代に対応した人材の育成のためには、「国家・社会の形成者」の養成にと どまるのではなく、ローカル、ナショナル、グローバルの関係性をバランスよく教え、 相互の重要性を理解できる基礎学力と感性の涵養を必要としている。日本における公教 育としての学校教育であるから、当然、日本の言語、歴史、文化の教育を基軸とする。 それは日本人のみならず日本で暮らす外国人の社会生活にとっても、不可欠な知識の涵 養である。 ただし強調しておきたいのは、それを多元的視角から教育することである。たとえば、 日本の「伝統や文化」なるものが外国からの学術、技芸、宗教などの伝播をどのように 受容し形成されたものであるのか、外国の「伝統や文化」と何を共有しどこが異なって いるのか、などが重視されねばならないだろう。また、日本の「伝統や文化」といって も、全国に共通している部分がありつつも、地域を細かくみれば異質な要素が含まれて いよう。一方で地域の自立・地方分権が叫ばれ、他方でグローバライゼーションが避け られない時代だからこそ、多元的視角が教育に求められているといってよい。 義務教育は自治体とならんで「国」の責任とされ、往々にして「国の責任」の方が強 調されがちである。だが、以上のような義務教育の目的を実現するためには、国(中央 政府)主導の制度を通じてではなく、戦後教育改革が理念として掲げた自治体を第一義 的な責任主体とする教育制度を名実ともに創設し、全国的制度との調和を図ることが重 要であるといえる。 2 義務教育におけるナショナルミニマムとは「厳格に遵守されるべき最低基準」 であり、ナショナルスタンダードとは「一定の望ましい標準」である。両者の 峻別が分権型教育制度の基礎である。 義務教育の「画一性」が進行するのは、「ナショナルミニマム」と「ナショナルスタ ンダード」が峻別されていないからであるといえる。ナショナルミニマムとは「厳格に 遵守されるべき最低基準」であり、ナショナルスタンダードとは、「一定の望ましい標 準」を意味する。 地域の政府を義務教育の第一義的責任主体として発展させるためには、この両者の峻 別が教育行政に携わる者はもとよりとして市民にも求められる。教育行政における中央 政府の責任は、ナショナルミニマムに関する法体系の設定と管理に限定されるべきであ って、ナショナルスタンダードをナショナルミニマムに置き換えた、あるいは両者を峻 6 別しない教育行政の規律は大幅に緩和されるべきである。この両者の峻別が行われてい ないところに、教育現場の混迷する要因があるといってよい。 文部科学省は「義務教育制度の根幹の維持」「義務教育における機会の均等」を強調 し、そこから実に詳細にわたる指導・助言・援助を地方教育委員会に施してきた。指導・ 助言・援助は、本来、ナショナルスタンダードなのだが、ナショナルミニマムとして扱 われてきた。それは教育の平準性、平等性が「当然視」され、画一性への疑問を背後に 押しやってきた結果でもある。 義務教育の根幹の維持とは、すべての子どもが教育をうけられるように制度保障する ことである。これこそが教育におけるナショナルミニマムである。それを確保するため には、法律によって学齢と就学期間を定めるとともに、教育を受けさせることが保護者 の義務であり、教育を施すことが市町村の責務であることを明記すればよい。また「教 える内容」については、まさに「最低基準」として教科の種類、最低時間数、教科内容 の骨子をさだめることに限定されるべきである。こうした事項以外はナショナルスタン ダードなのであって、中央が「標準」を示すことは重要だが、具体的内容の設定は、自 治体の裁量判断にゆだねられるべきである。この点もまた、教育行政制度の設計にあた って重要な構成要素である。 3 地方分権改革は、自治体を地域の「総合的」政府とすることを目的としている。 このためには自治体行政組織の編制に関する自治行政権の確立が不可欠であ る。地方教育委員会の必置規制を廃止し、教育行政組織を首長部局とするか、 従来どおり教育委員会を設けるかどうかは、自治行政権にもとづく選択制とす る。自治体は地域の知恵による教育行政組織制度をそれぞれ工夫し、教育にお ける第一義的主体としての責任を果たしていくべきである。 戦後日本の教育行政においては、戦前期の中央統制を廃止し、市町村と都道府県に行 政委員会としての教育委員会の設置が義務付けられた。教育におけるレイマン・コント ロール(素人統制)と教育における政治的中立性の確保、教育における専門性の確保な どがその理由とされた。 だが、この戦後教育行政の改革は、一貫性を保っていたとはいえない。日本政府は戦 後の行政組織体制を審議するために行政調査部を設置した。日本側は内務省とならんで 文部省の存続は不可能と考え、中央教育委員会と学芸省(当初文化省)構想をまとめた。 しかし、理由は今日でも判然としないのだが、GHQの指示によって文部省は存続した。 7 戦後初期の文部省は地方教育委員会に「技術的・専門的な助言・指導」をなすとしてい た(改正文部省官制)が、1949 年の文部省設置法では「専門的かつ技術的な指導・助 言」をなすとされた。 「技術的・専門的」が「専門的・技術的」に変えられ、 「助言・指 導」が逆転した。さらに 52 年の文部省設置法の改正では「指導、助言及び勧告を与え る」とされた。対日合衆国教育使節団勧告は、地方教育行政組織の「民主化」に限定さ れ、中央教育行政組織の改革にはおよばなかった。 教育委員の任命方法は、戦後の教育委員会法時代と異なって首長が議会の同意を得て 任命する方法へと変わっている。また教育委員会には予算や条例を直接議会に提出する 権限は付与されていない。その意味では首長の教育委員会への影響力がないとはいえな いが、首長は教育行政の事務執行権限をもっていない。 実際の教育行政は専門職に支えられている要素が濃厚である。したがって、文部科学 省初等中等教育局から都道府県教育委員会―市町村教育委員会―学校現場にいたる専 門職のタテの系列を、時代とともに強化してきた。初等中等教育局の指導・助言は、専 門職の連鎖を通じて学校現場に伝達されてきた。それだけに、ナショナルミニマムとナ ショナルスタンダードが峻別されずに、教育の集権性や画一性が進んできたといえる。 ナショナルミニマムを受けてナショナルスタンダードを地域で具体化していくため には、なによりも地域の教育を市民の広範な知恵で支えることが重要である。この観点 に立つならば、市民の政治的代表機関である首長のもとに教育行政組織をおくことは、 有力な選択肢である。それによって、首長との関係よりは文部科学省初等中等教育局と のタテの関係が重視されがちな教育行政制度を改めることができよう。もちろん、行政 組織の決定は自治の基本であり、行政委員会として教育委員会の設置を選択することが あってよい。問われているのは、必置規制を廃止して自治体のそれぞれの判断において 教育行政組織のあり方を選択する自由を獲得することである。 教育委員会を廃止して首長部局とする自治体においても、議会のみならず市民の教育 行政への広範な参画の場を用意せねばなるまい。また教育委員会を存続させる自治体に おいても、事務局(教育庁)主導ではなく委員会を名実ともに教育行政への市民参画の 場とする改革を必要としよう。世界の国々をみれば、教育行政への市民参画は多様に工 夫されている。地方議会の教育行政に関する常任委員会に市民を正規の委員として加え ているところもある。教育委員会と児童・生徒を含めた学区の代表との恒常的協議の場 を設けているところもある。学区単位に一般住民、児童・生徒、保護者、教員の評議会 を設け、それを基礎として教育行政制度を構成している国もある。市民の自治と知恵に もとづく教育行政の実現のために自治体は、教育行政組織編制の自由化をもとにして、 それぞれ創意工夫すべきである。 8 教育委員会制度を支える先のような論理のうち、とりわけ教育における「政治的中立 性」の確保の要請には根強いものがある。それゆえに、「教育行政の一般行政からの分 離・独立」が、教育行政の「原理」とされ、教育委員会の設置を支えてきた。だが、日 本の教育行政の「頂点」である文部科学省は内閣統轄下の行政機関であり、文部科学相 は閣僚である。中央から自治体に至る教育行政組織は「政治的中立性」や「一般行政か らの分離・独立」の論理で貫かれているわけではない。 こうした現状であるから、教育における「政治的中立性」の確保とは何かは、それが 議論されるほど内容に関する一致をみているとはいえない。ただし、突き詰めれば、教 員人事への政党政治の介入や首長の介入、および教科書内容と採択に対する政治の介入 の排除にあるといってよい。首長のもとに教育行政部局を置くならば、こうした意味で の「政治的中立性」が侵されるとの議論があるが、それは法的に規制するとともに公開 性を高めることによって解決しうる。 教育における専門性の保障もまた、教育委員会制度によってのみ担保されるものでは ない。ましてや文部科学省からの指導・助言が、教育の専門性を高度に担保していると もいえない。先に述べたように、地域社会の多様な人材による参画の場をつくることこ そ、教育の専門性とレイマン・コントロールに実をあたえるといえる。 なお、教育委員会の所管している「社会教育」については、首長部局の事業との境界 領域がますます判然としなくなっており、事業の重複がみられる。社会教育は学校教育 をのぞく、主として児童・生徒・成人への教育とされ、社会教育施設等を活用してさま ざまな事業が実施されているが、実際には公的施設を活用した類似のプログラムが数多 く実施されており、社会教育施設等におけるプログラムをもって独自性をいうことは無 理があろう。財政的効率性の観点からも社会教育部門を首長部局に移管し事業を統合す ることが望ましい。 4 義務教育費国庫負担金制度を廃止して市町村の一般財源とする。それによっ て、市民の参画をもとにした創意ある教育を市町村から実現する。 地方平衡交付金制度の廃止後、戦前期につくられた義務教育費国庫負担金制度が復活 した。しかし、国庫負担金の支出対象は次第に縮小され、現在は小中学校教職員給与費 の一部負担に限られている。 第 1 期「三位一体改革」の一環として地方側は 2004 年に、中学校教職員給与費負担 金 8500 億円の廃止と一般財源化を政府に求めた。これは 2005 年度に暫定的に「一般財 9 源」化されたが、正式の取り扱いは中教審の審議を待って決めるとされた。中教審義務 教育特別部会における審議は、2 分の 1 の負担率堅持でまとめられ、中教審もこの特別 部会の「結論」をそのまま答申した。文部科学省は一方において総額裁量制の拡充や「教 育における地方分権」をいうが、そうであるならば、負担金制度を堅持する理由は乏し い。さらに、政府は義務教育費国庫負担金の負担率を小中学校教職員給与費の 3 分の1 とすることを 2005 年 11 月に決定した。こうなればなおのこと、負担金制度を堅持する 理由は希薄となる。 国庫負担金制度をなくしたならば「首長は教育費を削減し、公共事業にあてる」との キャンペーンが文部科学省周辺からなされたが、それは著しい「地方不信」という以外 にない。だが、残念ながら、こうしたキャンペーンに「同調」する市民や教職員も多い。 この事実は、地方側に説明不足があったことを示唆している。義務教育にかかる経常経 費は 8 兆 7000 億円であり、 このうち国庫負担金は 2 兆 5000 億円であった(2004 年度) 。 自治体は総額 6 兆 2000 億円を小中学校運営の経常経費に投入してきたのである。負担 金の廃止はその分を経常経費から削減することを意味しているのではなく、税源移譲と 地方交付税による措置をもとめたものである。付言すれば、高校進学率が 95 パーセン トを越えた今日、公立高校の運営経費には国庫負担金は全く支出されていない。各県は 自らの財源によって公立高校の量および質の充実をはかってきた。高等学校での勉学と いうニーズを無視した県などあっただろうか。また、文部科学省は負担金の廃止は「教 育=教員の質を落す」というが、教職員給与は全国一律に設定されているわけではない。 各県の精算額の一部を負担するものである。国庫負担のされていない一般職公務員と行 政の質はそれほど悪いのか。「教育は国の責任」という観念が強まるあまり、自治体の 努力が正当に認識されていないともいえよう。自治体は、過去ならびに現在の努力を広 くキャンペーンする必要がある。 一般財源化ならびにこれまで述べたナショナルミニマムとナショナルスタンダード の峻別によって、自治体は学級編制、教員の配置、地域の知恵にもとづく教科内容の決 定などの多面にわたって自由度を拡充でき、先に述べた教育の目的を実現しうる。また 逆に、広範な市民の教育行政への参画を制度化するならば、一部に根強い「不信感」は 自ずと解消する。これは教育行政のみに妥当するのではない。市民の参画と徹底した情 報公開による透明度の確保こそが、行政に対する「不信感」を払拭する。 ただし、上記の国庫負担金制度の廃止と一般財源化は、国税の地方移譲、自治体間の 財政調整制度の充実と一体のものとして実現されねばならない。 10 5 教員人事権を基本的に市町村に移譲し、教育行政を地域全体で支える。 現行の教員人事制度においては、政令指定都市を除いて教員の人事権と身分が乖離し ている。教育行政における地方分権を徹底するために、教員の人事権を基本的に市町村 に移管し人事権と身分を一体のものとして、地域住民とともに歩む教育行政を実現する べきである。したがって、上記のように義務教育費国庫負担金の廃止にともなう一般財 源は市町村の財源である。 教員人事権をすべての市町村に移管した場合にはメリットもある反面、デメリットも 多いとされてきた。 メリットとして以下の点を挙げることができる。 ①住民の関心の高い教育を住民の近くで行うことができる。 ②地域住民や保護者、教職員の声をより具体的に人事異動に反映させることができる。 ③教員の給与体系を独自に設定し優れた人材を確保することをはじめとして、柔軟な 教員配置をなしうる。 他方、デメリットを次の点にみることができる。 ①小規模町村では単独での教員採用は事実上困難である。 ②採用、人事交流等が難しくなり、人事の停滞と教職員の職務のマンネリ化が生じる。 ③処遇、財政力、地域的条件などによって特定の都市に人材の集中が生じやすい。 しかし、現行の二重構造を解消し地域の自治に立脚した教育行政を実現するためには、 教員人事権の市町村への移管を避けることはできない。デメリットとして危惧されてい る事項を解消するために、以下のような工夫が試みられるべきであろう。 ①小規模町村のみならず中規模都市においても教員採用試験を独自に実施すること は、問題作成や経費などの面において容易ではない。政令指定都市、中核市も含 めて採用試験を共同実施する。 ②教育行政に関する広域連合や一部事務組合を中小規模の自治体間で設立し、共同 化をはかる。教育行政のための「特別地方公共団体」として広域連合を設立し学 校教育行政全般を担うこともあってよい。この場合、連合長のもとに教育行政を 統合することもありうるし、連合が教育委員会を設置することもありうる。また、 教員の任用、研修などに限定した一部事務組合であってもよい。地域の状況に応 じた多様な共同化をすすめることが重要である。 ③研修については、その内容に応じて自治体独自、共同実施、県を含めた実施など 11 の多元的制度を整える。 ④中学校教員については県立高校教員との人事交流を活性化させる。また、地域の 高校との共同授業プログラムが用意されてもよい。 ⑤教員の専門能力、メンタル面での健全性などを評価するセンターが、県を含めて 共同設置されるべきであろう。ただし、そのメンバーはいわゆる教育行政関係者 に限定せず、ひろく市民の間から構成されるべきである。 6 教育行政における市町村と県の補完関係を築き、広域的観点から教育の質的充 実をはかっていく。 教員の人事権を含めて市町村を基本とする教育行政へと改革しても、広域自治体とし ての県の義務教育に関する責任がなくなるわけではない。県は、市町村教育行政に対し て「技術的かつ専門的な助言・指導」を軸として市町村との補完関係を築かねばならな い。これは戦後教育改革時の理念であった。 こうした補完関係を具体化するために、一部上記と重複するが、次のような制度や事 業が考えられる。 ①教員の研修の一部を市町村と共同実施する。また県立高校教員との人事交流を活 発に行うことによって、日々の業務を通じて市町村の教員と高校教員の能力、資 質の向上をはかる。 ②教員の能力、メンタル面での健全性を評価するセンターを共同設置する。メンバ ーはいわゆる教育行政関係者に限定せずに、ひろく市民から構成されるべきであ る。 ③県と市町村は共同して小中学校での教育や学習についての「アドバイザー」制度 を用意し、市町村の必要に応じて派遣する制度を整える。今後いわゆる「団塊の 世代」の大量リタイアによって多様な社会経験、技術、知識をもった人間が地域 に帰ってくる。これらの人々に働きかけ「アドバイザー」をひろくプールした「人 材バンク」を組織すべきである。これによって、地域の歴史、技術系の教科、自 然観察、国際文化理解、スポーツなど多方面にわたって「アドバイザー」の知恵 や技能を活用して、教育の質を高めていくことができよう。こうした制度の活用 は、教員の資質の向上を促がす。 ④障害児教育については、できうるかぎり地域の学校での統合教育を目指すべきで ある。ただし、障害の程度によっては地域の学校での教育に困難がともなうこと もある。市町村と県は、保護者、医療専門家などをまじえて、子どもたちの身体 的・精神的状況を診断し、高度の専門的教育を必要とする場合には、県が責任を 12 負う体制を整える。 市町村における学校教育を充実させるためには、いうまでもなく、それを可能とする 財政的条件が整っていなくてはならない。このためには、義務教育費国庫負担金の一般 財源化が国・地方財政調整制度にきちんと反映されるだけではなく、地域の経済的・財 政的実態を正確にとらえた財政調整制度の構築が不可欠である。加えて県は、それぞれ の地域における経済社会的条件にもよるが、「地域振興基金」を設けて、次の時代を担 う子どもたちの学習や生活環境の充実にむけた財政的支援を果たしていくべきである。 7 教員としての適性を備えた人材を積極的にリクルートして子どもたちの学習 環境を向上させるとともに、地域社会の有為の人材を学習や生活指導などにお いて活用し、子どもたちの感性を磨き、地域と学校との一体性を強めていく。 教員の養成は主として教育学部などの大学専門学部に担われてきた。また教員の専門 能力を向上させるために、専門職大学院による養成も構想されている。こうした教員養 成課程の改革は注目されるが、これはあくまで「素材」の養成である。自治体は優れた 「素材」を見出すとともに、地域社会において子どもの教育に適性をもつ教員を、実務 のなかで養成していかねばならない。 求められる教員としての適性は、全体として次のように考えられる。 ①社会人として幅広い見識と教養をもち、社会における多様な人々の生活を理解で きるとともに、地域社会、保護者、教職員相互の円滑な人間関係を築ける人材。 ②教科に対する専門的知識、技能をもち、児童・生徒の習熟状態を的確に判断でき、 それに応じたキメ細かい指導のできる人材。同時に、そのような自己開発への意 欲をもつ人材。 ③児童・生徒の性格や生い立ちを理解できるコミュニケーション能力をもち、児童・ 生徒への愛情をもとに、その良さを引き出しつつ学級、学校の経営のできる人材。 ④小学校教員には、これらをベースとしたうえで、7歳から12歳という発達途上 の幅広い年代の子どもへの対応力と、保護者とのコミュニケーションを的確に取 れる人材。 ⑤中学校教員は、専門教科能力を高度に備えていることはもとよりとして、中学生 なる発達段階の生徒に豊かな感性をもって接することができるとともに、生徒に 適した進路指導のできる人材。 教員として専門的に養成された人材に加えて、学校教育は地域社会の多様な人材を積 13 極的に活用することが大切である。とくに今後、優れた指導力をもつ退職教員はもとよ り、企業などにおいて社会経験を積み専門的な知識、技能をもった人々が地域社会に大 量に輩出される。先に、「アドバイザー制度」の創設を述べたが、自治体は、小学校、 中学校のそれぞれの特性に応じて教科の一部をゆだねるばかりか、児童・生徒の豊かな 感性を養うためのプログラムを用意し、有為な人材を積極的に活用していくべきである。 そのことによって「地域に開かれた学校」が実現していく。また、こうした人々を学校 現場で活用することによって、専任教員の社会性や教科能力を高めることができる。 14
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