レポートの書き方 授業配布用 江口聡 [email protected] 2010 年 6 月 3 日 まずとにかく ここらへん 1 冊でよいから読んでおく。 • 戸田山和久、『論文の教室:レポートから卒論まで』、日本放送出版協会、2002。 • 木下是雄、『レポートの組み立て方』、ちくま学芸文庫.1994。 • 佐藤望(編)、『アカデミック・スキルズ』、慶應義塾大学出版会、2006。 レポートでないもの 1. 剽窃。パクリ。他人の文章をそのまま写したもの。 2. 参照した文献のリストがないもの。 3. 単なる感想。たいして調査もしていない「あなたの意見」は必要ない。もちろん自分の解釈や見解や意 ・・・・・ 見を述べるのはたいへんよいことだが、その場合は、 十分な論拠を提示すること。 4. レポートで Web にある文章を丸ごとコピペしてくる不届きな人々がいる。それが発覚した場合は当然 単位は出さない。 たいしたアイディアはいらない 1. 一般の大学のレポートでは、斬新なアイディアなどは必要ない。 2. ちゃんと調べるべきものを調べてまとめれば十分。教員は学生が授業内容をちゃんと理解したか確認す ることを目的にしている。 3. むしろ、ちゃんと型にはまったものが書けるようになるのが学生時代の修行。あなた自身のアイディア は卒論ででも表現すること。 4. 課題をきちんと把握すること。 1 様式 1. とりあえず大学なんてのは結局のところ型にはまった書類を作る練習をする場所だと思うこと。レポー トの様式は非常に重要。 2. しかし、教員から指定されていないことをいちいち質問する必要はない。指示されていないことは勝手 に判断してよい。ただし常識としておさえておくポイントはある。 3. レポート用紙は不可。ただし英文の場合はレポート用紙でもよいが、1 行空ける。 4. レポートが複数枚になったら、必ずステープラー(商品名ホッチキス)でとめること。 5. クリップはバラバラになることがあるし、かさばって邪魔。 6. 表紙をつける場合はステープラー(ホチキス)の位置に注意すること。長方形の紙を縦長に使って横書 きにする場合は左上、紙を横長に使って縦書きする場合は右上。 7. 必ず各ページに番号を打つこと。趣味があるが、A4 横書きの場合はページ下中央、縦書きの場合は左 上あたりか。 8. 科目名、大学、学部学科、学籍番号、名前を明記すること。学籍番号だけで学科などを書いていないと 採点を記入するときに難儀する。 9. 大学まで書く必要はなさそうに見えるが、特に非常勤の教員に対しては必要な場合がある。 10.「∼文字以内」ような指定があり、かつワープロで作成する場合、最後に(1980 文字) のように文字数 をつけておくとよい。 文章について 1. レポート、論文では「だ/である」体で書く。 2. 文章のうまい下手はどうでもよい。一般の大学のレポートや卒論でうまい文章を書く必要ない。 3. 簡潔で明快な文章を心がけること。とにかく文を短くする。 4.「∼が、∼」と続けず、「∼である。しかし∼」。「∼であり、∼であり、∼であり∼」→ 「∼である。ま た∼である。さらに∼である。」 5. 体言止めはできるかぎり避けること。 6.「∼のではないだろうか。」でレポートを終わらないこと。最後にきれいごとを書いてしめくくる必要は ない。 7. 必ず読み直して誤字脱字がないか確認すること。 引用の仕方 1. 他人の文章は必ず (1) 括弧(「」)に入れるか、(2) 段を落して(この場合カッコはいらない)、それを明 示する。どこのその文章があるか注をつける。 2.「清水幾太郎は「倫理学は―――そう言ってよいのなら―――不幸な科学である*1 」と言っている。」 3. 引用文は勝手に省略したり要約してはいけない。一字一句正確に。表記も原則的に勝手に変更してはい *1 清水幾太郎、 『倫理学ノート』 、講談社学術文庫、2000、p. 3。 2 けない。変更した場合はその旨を明記する。上の「―――そう言ってよいなら―――」を省略する場合は、 「清水幾太郎は「倫理学は・・・不幸な科学である」と言っている」にする。 4. いずれにしてもレポート・論文には文献リストをつける。文献リストでは、著者、 『タイトル』 、出版社、 出版年、翻訳ならば訳者を明記。(いくつか流派がある。統一すること。) 5. 完全な引用でなくとも、オリジナリティが認められる主張やアイディアには典拠をつける*2 。 パクらないために ・・・ 1. 他人のアイディア、調査結果などはすべて「∼によれば∼である」のような形にする。 2. 他人の文章をそのまま使わない。自分で一回咀嚼して自分の表現に書きあらためる。 3. 他の人の文章を直接に書き写したものには常に引用記号(「」)を付ける。出典も脚注などでつける。 4. 自分で十分に理解していないことを書いちゃだめ。 5. うまいパラフレーズ(書き直し)の作り方。たんに単語を入れかえただけじゃだめ。 (a)まずパラフレーズしたい文章をよく読む。 (b)手でその部分を隠したり、本を閉じたりしてテキストが見えないようにする(テキストをガイドに しちゃだめ)。 (c)覗き見せずに自分の言葉でそのアイディアを書いてみる。 (d)最後に、オリジナルの文章と自分の文章をつきあわせてみて、まちがった情報を書いてしまってな いか、同じ言葉を使ってしまってないかの二点をチェックする。 (e)忘れないうちに出典をつける。あるいは「∼によれば」の形にする。 その他細かい約束ごと/江口の好みを順不同 1. 各段落の最初の行は字下げすること。 2.「∼のである」はおおげさなので多用しないこと。「∼である」 3.「である」体の文章にいきなり「∼です」を入れたりしない。恥ずかしい。この文書も実はそういうの を含んでいるが、これは意図的なので真似しないようにしてください。 ・・・・・・・・ 4. 本文は原則として明朝体にする。見出し等はゴチックで OK。強調したい部分をゴチックにするのは日 ・・ 本語では読みにくいので傍点を打つのが無難。 5. 日本語には斜字体(イタリック)は使わない。 6. 特別な事情がないかぎり、日本語の文章で〈 〉(山括弧)や“ ”(引用符)は使わない。どうしても 引用符を使う場合は向きを揃えること「 ” ほげほげ” 」はだめ。「“ほげほげ”」。 7. 接続詞と副詞はひらがなに開いた方がよい。特に「全て」は「すべて」。手書きで漢字にしないものは パソコンでも漢字にしない。 8. 人名を出す場合、基本的に一回目はフルネーム。「マッキノンは」ではなく「キャサリン・マッキノン は」と書く。二回目からは「マッキノンは」で OK。あまり知られていない人の場合は原語表記もつけ *2 よく知らない分野についてオリジナリティを判断するのは難しい。基本的に、同じテーマを扱っている複数の図書・論文で典拠な しに記されている情報は「共通知」であって典拠不要だが、自信がなければなんでも典拠つけるべし。 「∼によれば」だらけになる が、初心者はそれでもしょうがない。 3 る。その場合、「キャサリン・マッキノン (Catherine MacKinon) は∼」のようになる。カントのように その分野で有名な人は最初から「カントは」で OK。 9.「氏」とか基本的に不要。「内井惣七先生」「内井惣七京都大学名誉教授」「内井惣七氏」ではなく「内井 惣七」と呼びすてにする*3 。二回目からは「内井」だけでよい。 ・・ 10. レポートは最初から最後まで完全に自分一人で書かねばならないものではない。校正、読み合わせ、構 成の相談など自由にしてよい。原稿ができたら、一回誰かに向かって声に出して読んでみるのは文章の 上達のためにも非常に効果的。 11. 以前にどういうつもりか緑色のインクでプリントアウトして提出いる人がいた。良識をつかえ。それは 誰にでも平等に与えられているはず*4 。 12. ちゃんとした論文の場合は、執筆にあたって協力してもらった人に謝辞つける。「本稿の執筆にあたっ ては∼氏、∼氏らに草稿段階から有益な助言をいただいた。ここに記して感謝する」とか。ただし、卒 論の場合、指導教員の名前はいらない(指導するのが指導教員の業務で感謝される筋合いはないから)。 13. 役職には注意。「∼教授」「∼准教授」「∼講師」などをまちがうと失礼なので避ける。「∼先生担当分」 ぐらいにしとくのが無難。教授なのが確実なら OK。 14. 書名は必ず『』で囲う。論文は「」でくくる。 15.「ミルの『自由論』には∼と書いてある」ではなく、「ミルは『自由論』で∼と述べている」のように書 く。「∼とある」は避けた方が無難。 16.「ミルはその著書『自由論』で」→ 「ミルは『自由論』で」で OK。 17. 日本文では空白を切れ目に使わない。参考文献など、 「J. S. ミル(空白) 『自由論』 (空白)早坂忠訳(空 白)中央公論社(空白)1976」ではなく、「J. S. ミル、『自由論』、早坂忠訳、中央公論社、1976。」 18. ページ表記は、「173 頁」とか「p. 173」とか。 「p.」のうしろの点を忘れずに。 19. アラビア数字、欧文文字はいわゆる半角文字 1234 abcd で。全角文字1234 abcdは避ける。 20. カッコに気をつける。>と<はかっこではなく、数学記号(「大なり」「小なり」)。山括弧は〈〉。ぜん ぜん違う。 21. フォントの大きさ、行間に気をつけろ。通常 11 ポイント以上。 22. 原則的に「良い」の意味で「いい」は避けた方がよい。「よい」。「いいひと」とかは大丈夫だが「いい 車」は NG だろう。 23. 大学生なんだから言葉の定義については国語辞書などにはたよらず、百科事典やその分野の事典・入門 書・専門書等を使う。 24. 接続詞としての「なので」からはじまる文章は避ける。口語と文語は違う。 25. web ページ等を参照する場合は著者とタイトル URL を明記すること。誰が書いているかはっきりしな いものは典拠として参照できない。 26. 出版社から出ている図書ならなんでも信頼できるわけではない。著者、出版社の信用に注意。 27.「授業レジュメから引用」など不要。授業レジュメは資料価値がない。自分の言葉で書き直す。 *3 知ってる方を呼びすてにするのは怖いが勇気を出す。また分野によって「教授」 「博士」とかつけるならわしがあるので学問分野に 合わせる。 *4 デカルト、 『方法序説』 。 4 レポートの書き方 (2) 剽窃を避ける 江口聡 2010 年 2 月 2 日 剽窃とは 剽窃・盗用 (plagiarism プレイジャリズム)はアカデミックな世界では非常に重大な犯罪です。大学生はす でにアカデミックな世界の一員であって剽窃は絶対に行なってはなりません。 インディアナ大学の “Plagiarism: What It Is and How to Rocognize and Avoid It”*1 というすばらしいガイド では「剽窃」を「情報源を明示することなく、他人のアイディアや言葉を利用すること」と規定しています。 そして「剽窃」を避けるために、(1) 他人のアイディアや理論、(2) 他人の発言、文章、そのパラフレーズ、(3) 他人が発見した(周知でない)事実、作成した統計、グラフ、図、などをを使用した場合には必ずクレジット (出典・典拠)をつけなければならないとしています。 つまり、誰かのアイディアや表現や調査結果などを利用するときには必ず名前を挙げ、またその元のアイ ディアやデータがどこにあるのかを明示しなければならないのです。事実を調査したり、アイディアをひねり だすのは苦労するものです。アカデミックな世界は知識やアイディアを人類全体で共有することを目的として いますが、その正確さを保証し、アイディアを流通させるためにクレジットが必要なのです*2 。 もっとも、上の「周知でない」 (みんなが知ってることではない)という条件はなかなか微妙です。何が「周 知」で何が「周知でない」のかは、その分野をよく知らないとわからないですからね。大学 1、2 年レベルで レポートを書こうとする場合は難しいかもしれません。別の大学のサイトで、「5 冊以上の本などで出典なし に挙げられている」ということを目安として提案されているのを見たことがあります。 パラフレーズ さて、なかでも「パラフレーズ」はなかなか難しい問題です。パラフレーズとは、ある表現を他の表現で置 きかえることなのですが、どの程度違う文章にしなければならないのかをはっきりと示している文章を、国内 ではほとんど見かけたことがありません。私は、それが大学におけるレポートの剽窃の横行につながっている のではないかと思います。 しばらく前に、この件をよく考えてみなければならない出来事がありました。それを利用して、上のイン ディアナ大学ガイドのような形で問題を指摘してみたいと思います。 次の文章はソースティン・ヴェブレンの『有閑階級の理論』(Veblen, 1899) の一部です。 人目につく消費を支持するこのような差別化の結果生じてきたこと、それは、衆目の前で送られる生活 の公開部分がもつ輝かしさに比べて、ほとんどの階級の家庭生活が相対的にみすぼらしい、ということ *1 http://www.indiana.edu/w̃ts/pamphlets/plagiarism.shtml *2 それにクレジットは事実を発見したひと、おもしろいアイディアを思いついた人へのご褒美でもあります。引用してもらったりク レジットつけてもらったりするのはうれしいものです。 1 である。同じ差別の派生的な結果として、人びとは自らの個人的な生活を監視の目から守るという習慣 を身につける。何の批判も受けず秘密理に遂行しうる消費部分に関して、彼らは隣人との接触を完全に 断ち切ってしまう。こうして、産業的に発展した大部分の共同社会では、個人の家庭生活は、一般的に 排他的なものになる。したがってまた、かなり間接的な派生物ではあるが、プライバシーと遠慮という 習慣 — あらゆる社会の上流階級がもつ礼儀作法の規範体系のなかでも、きわめて重要な特徴 —が生じ ることになった。なんとしても面目を保てるような支出を実行しなければならない羽目に陥っている出 生率の低さは、同様に、顕示的消費にもとづいた生活水準をみたす、という必要性に起因している。子 どもの標準的な養育に要する顕示的消費や結果的な支出はきわめて大きく、強力な抑止力として作用 する。おそらくこれが、マルサスが言う思慮深い抑制のうちで、最も効果的なものであろう。(ソース ティン・ヴェブレン、『有閑階級の理論』、高哲男訳、ちくま学芸文庫、1998、pp. 129-130) 非常に示唆的ですね。これをある学生さんがレポートで次のように書いていました。 人目につく消費を支持するこのような差別化の結果、他者から見られる生活の公開部分に比べて、ほ とんどの階級の家庭生活が相対的にみすぼらしい、ということが言える。また、派生的な結果として、 人々は自らの個人的な生活を他人の目に晒されることから守る、と言う習慣を身につける。こうして、 産業的に発展した大部分の共同社会では、個人の家庭生活は、一般的に排他的なものになるのである。 そして、間接的な派生物ではあるが、プライバシーと遠慮という習慣も生じることになった。顕示的消 費に基づいた生活水準を満たすことを考えた際に、子どもの養育に要する支出の増加は極めて大きく、 面目を保つための支出に追われているような階級での出生率の低下も考えられる。現代日本の出生率の 低下に関しても、原因の一つとして当てはまるのではないだろうか。 この文章を書いた学生さんは、たしかに、レポートの冒頭で一応、 本稿はヴェブレンの『有閑階級の理論』(1998 年、ちくま書房、ソースティン.ヴェヴレン*3 :著、高 哲男:訳)をもとに、この顕示的消費と、顕示的消費における(略) ・・・・・・・・・・・・・・ と書いているのですが、それでもこれは剽窃になります。 一つには、 上の文章にあたるものがヴェブレンの『有閑階級の理論』のどのページにあるのか明記していな いからですが、もっと重要な問題もあります。ヴェブレンの文章とレポートの文章を比べてみましょう。ほと んどヴェブレンの記述の順番そのまま、細かいところを自分で入れかえただけです。語順さえも直っていませ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ん。このように、このレポートを書いた人は、ヴェブレンの文章の重要な語句のまわりにある細かい語句を変 ・・・・・・ ・・・・・ えているだけなのです。 これは剽窃なのです。 インディアナ大学のガイドでも、次のようなパラフレーズは剽窃であるとしています。 • オリジナルの文章の一部の語句を変更しただけか、あるいは語順を変更しただけである • アイディアや事実の出典を示していない ふつうの大学生なら、「出典を示せ」は耳にタコができるくらい聞かされていると思いますが、パラフレー ズの件についてはあんまり指導されていないんではないでしょうか。しかし私も上のヴェブレンの件は剽窃だ と考えます。 *3 こういう表記になってました。 2 それではどう書けばいいのか それではどう書けばいいのか、ってのはなかなか難しい問題です。インディアナ大学のガイドでは次に注意 したパラフレーズは正当だと述べています。 • オリジナルの情報に正確に依拠する。 • 自分自身の言葉を使う。 • 読者が情報源を把握できるようにする。 • オリジナルの文章を正確に記録する。 • 他人のアイディアにクレジットをつける。 • 引用記号をつけることで、どの部分がオリジナルのテキストからとられたもので、どの部分が自分で書 いたものか判別できるようにする。 インディアナ大のガイドは、剽窃を避けるためもっと具体的に次のような方な方策を次のように述べてい ます。 • テキストから直接に書き写したものには常に引用記号(「」)を付ける。 • パラフレーズする。しかし、いくつかの単語を書きかえただけではだめ。次のようにします。 1. まずパラフレーズしたい文章をよく読む。 2. 手でその部分を隠したり、本を閉じたりしてテキストが見えないようにする(テキストをガイドに しちゃだめ)*4 。 3. 覗き見せずに自分の言葉でそのアイディアを書いてみる。 4. 最後に、オリジナルの文章と自分の文章をつきあわせてみて、まちがった情報を書いてしまってな いか、同じ言葉を使ってしまってないかの二点をチェックする。 •(インディアナ大のには書いてないけど)忘れないうちに出典をつける。 さっきのヴェブレンの文章の前半を、私が実際に上の方法 1 と 2 に従ってパラフレーズしてみました。 ヴェブレンの『有閑階級の理論』によれば、プライバシーという規範は顕示的消費と関係がある。ひと びとが他の人々に見せつけるために消費するのであれば、他人に見えない部分ではそれほど消費する必 要がない。むしろ、顕示的消費を行なうため、見えない部分に費す費用はより少なくなる。そのため、 生活の他人に見えない部分は相対的に貧弱でみすぼらしいものになる。そういう貧弱な部分を他人に見 せないために、プライバシーを守るという習慣が発生するのである。(ヴェブレン『有閑階級の理論』 高哲男訳、ちくま学芸文庫、p. 129) あんまりうまくないですね。あはは。まあ平凡な大学教員の読解力、記憶力、文章力なんてこんなもんです (私ヴェブレンほとんど勉強したことないしとか言い訳したくなる)。でもここまで来れば、まあ「自分の文章 だ」ってな感じでもあります。 *4 インディアナのページには書いてないが、ノートに文章そのものではなく、重要単語などを自分なりにメモするのは OK。効果的 な学習だと思います。 3 さらに教員の側から まあ私自身が拙いパラフレーズの腕を見せたのは、それがほんとうに難しいということを示すためでもあり ます。私の考えでは、学者の腕のよしあしの大きな部分はパラフレーズの巧拙によって決まります。まあそれ ばっかりやっている業界もあるわけで。 ちゃんと内容を理解しないと適切にパラフレーズすることはできません。逆に言えば、パラフレーズを見れ ばその人がどの程度内容を正しく理解しているのかがわかる。学生にレポートを書いてもらうのは、授業内容 を理解してもらうためなわけで、つまり「適切にパラフレーズ」させることによって内容を把握させたいと 思っているわけです。だからそれは一所懸命やってほしいのね。 パラフレーズだけでなく、剽窃一般についてもちょっと書いておきます。レポートを書かせようとするとき に一番頭が痛いのが剽窃です。正直、採点するのがいやでいやでしかたがないくらい教員にとって頭痛のタネ なのね。 教員の側からすれば、どの大学の何回生がどの程度の文章を書くことができるのかははっきりわかっていま す。文章がうまい、難しい言葉を平気で使う、斬新な発想がある、なんてのはたいてい剽窃なのね。そんなの に点数出したくない。さっきのレポートでは、一目見たときはどっかの web からのコピペに違いないと思い こんでしまいました。その発想の豊かさと、奇妙な翻訳調が、勉強不足の大学院生あるいはかなりあやしい大 学教員の文章に見えたのです。 べつにうまい文章、きれいな文章、すごい発想なんていらないから、とにかく自分で書いてみてください。 もっと実践的に 日本の大学生レベルでは、インディアナ大のような注意をする前の段階の学生が多いと思います。私はもっ とプラクティカルなノウハウが必要ではないかと思います。やってみましょう。 さっきのヴェブレンです。 人目につく消費を支持するこのような差別化の結果生じてきたこと、それは、衆目の前で送られる生活 の公開部分がもつ輝かしさに比べて、ほとんどの階級の家庭生活が相対的にみすぼらしい、ということ である。同じ差別の派生的な結果として、人びとは自らの個人的な生活を監視の目から守るという習慣 を身につける。何の批判も受けず秘密理に遂行しうる消費部分に関して、彼らは隣人との接触を完全に 断ち切ってしまう。こうして、産業的に発展した大部分の共同社会では、個人の家庭生活は、一般的に 排他的なものになる。 たいていの学生はこれだけの文章もけっこう歯応えがあると思います。どうすりゃいいんだろう?そこでま ず、次のように書きはじめてみます。 市民社会でのプライバシーの問題について、ヴェブレンはどう考えているのだろうか。 まず自分で疑問文を書く。次に、ヴェブレン本人の文章を引用する。さらに疑問文をつける。 彼は「産業的に発展した大部分の共同社会では、個人の家庭生活は、一般的に排他的なものになる」(p. 119) と述べる。しかしなぜ産業的に発達することと、家庭生活が排他的なものになることが関係して いるのだろうか。 ここまで来ると、ずいぶん書きやすくなってくる。これなら答えられるかもしれないと思ったら次のように すればよい。 4 ここで重要なのがヴェブレンが注目した「顕示的消費」である。顕示的消費とは∼ 「顕示的消費」とかってのを自分なりに一応説明するわけね。 ヴェブレンの指摘によれば、近代的な共同社会では、顕示的消費のために他人に見えないところに費す 費用を抑えるという動機がはたらく。したがって、家庭の内部での生活はみすぼらしい。 さらに、自分の体験から例を加えられればよりベター。読者は、「この人実感でわかってるな」と思います。 たとえば、驚くほど華美な服を着ている女子大生が、アパートに帰るとケバだったジャージ姿でカップ ラーメンをすすっている、などという光景はいまでも見られるだろう。しかしそういう格好は他人には 見られたくない。だからプライバシーが重視されるようになるのだ。 もちろんこうして自分の頭で書いていくと、結果的にできるのはヴェブレンの高尚な文章から遠く離れた しょぼいものになる。しかしそれでいいんです。それが文章を書くということなのです。それがなにかを学び 理解するってことなのだと思います。 参考文献 Veblen, Thorstein B. (1899) The Theory of the Leisure Class: An Economic Study in the Evolution of Institutions, McMillan. (ソースティン・ヴェブレン, 『有閑階級の理論』, 高哲男訳, ちくま学芸文庫, 1998). 5
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