ファッション - Web Japan

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ファッション
宮廷衣装からデザイナーブランドまで
飛鳥時代
(593 ∼ 710 年)
の正装
4 ∼ 6 世紀の
普段着
平安時代
(794 ∼ 1185 年)
の礼装(束帯)
平安時代・鎌倉時代
(1185 ∼ 1333 年)
の礼装
(十二単または
唐衣裳)
笏
衣
鎌倉時代・
室町時代
(1333 ∼ 1568 年)
の侍の衣装
(狩衣)
袍
袍
直垂
唐衣
袴
①
室町時代・
安土桃山時代
(1568 ∼ 1600
年)の冬季の
正装
裳
②
安土桃山時代・
江戸時代
(1600 ∼ 1868 年)
侍の正装
(裃)
③
肩衣
④
江戸時代の侍の
普段着
袴
⑦
昔の日本の衣服
残存する記録によれば、4 世紀以前の日本
の男性は肩からかけた布で全身を覆い、女性
は首を出せる穴が中央に開いた 1 枚の布を着
ていました。このタイプの衣服は古代ギリ
シャ・ローマ、インドネシア、ペルーなど世
界各地に見られます。
縫い合わせた衣服の使用は 4 世紀頃まで
遡りますが、それは大和朝廷という政体が発
達しつつあった時代でした。図①・②のよう
に、男女とも上半身は腰までの長さでまっす
ぐな細い袖のついた衣服を着ました。下半身
は、男性は緩いズボンのような袴を、女性は
⑥
明治時代・
大正時代初期の
女性の衣装
着物
帯
小袖
⑧
⑤
江戸時代の既婚女性 明治時代
の正装
(1868 ∼ 1912 年)
・
大正時代
(1912 ∼ 1926 年)
羽織
初期の普段着
帯
打掛また
は掻取
袴
袴
袴
袴
⑨
袴
小袖
袴
⑩
裳という長いひだのあるスカートをはきま
した。
飛鳥時代(593 ∼ 710 年)と奈良時代(710
∼ 794 年)は仏教が伝来し、中国文化が流行
した時代で、朝廷につながる人々の衣服は図
3 のように中国の強い影響が見られました。
平安時代(794 ∼ 1185 年)になると、宮
廷衣装は三つに分かれました。特別な式典用
の礼装である礼服(らいふく)、宮中で着る
正装である朝服、そして他の場面で着る普段
着です。男性用の礼服は束帯と言います(図
④)。女性の着物は何枚も重ね着しました。
十二単という礼服は 12 枚重ねでした(図⑤)。
鎌倉時代(1185 ∼ 1333 年)
・室町時代(1333
⑪
⑫
古代から 20 世紀までの主
な衣服のタイプ
ファッション
1
∼ 1568 年)には、政権に加わる武士(侍)
階級の男性は、宮中に参内する場では束帯を
身に着け、普段は狩衣という、狩りに出る時
の着物が元になった衣装を着用しました(図
⑥)。武士階級の女性は普段は小袖という裏
打ちした絹の着物でしたが、これは現在の女
性の正式な伝統衣装にも通じるところがあり
ます。正式な場では、打掛という裾の長い上
着を着ました(図⑦)。
江戸時代(1600 ∼ 1868 年)、武士階級の
男性は将軍にお仕えする際には裃という衣服
一式を身につけましたが(図⑧)、普段は男
女とも小袖と袴でした。また、腰に長い布を
巻きつける習慣が定着し、帯として知られる
ようになりました。武士階級の男性は帯に刀
を差しました(図⑨)。女性の帯は次第に幅
が広く、装飾的になっていきます(図⑩)。
江戸時代初期、人々の衣装はとてもシンプル
で、正式な場で女性が打掛を着るくらいのも
のでした。しかし、今日の着物にも見られる
ような魅力的な染め物や趣味のよい柄が登場
し、普段着でさえ次第に洗練されていったの
です。
着物から洋装へ
明治時代(1868 ∼ 1912 年)が始まると、軍・
警察で働く人々や郵便配達員などに西洋式の
制服が採用されました。このことは、その後
長い間にわたって日本の衣服に大きな変化を
起こす、特に大きなきっかけとなっていきま
す。しかし、明治時代初めにはまだ着物が優
勢でした。正式な場では男性は羽織と袴、そ
れに西洋風の帽子を被るのが普通で(図⑪)、
一部の女性も、全体に和風の装いをしながら
足元だけは西洋風のブーツを履いていました
(図⑫)。このブーツと着物という和洋折衷の
スタイルは、今日でも大学の卒業式に出る若
い女性の間で見ることができます。
昭和時代(1926 ∼ 89 年)初めまでに、男
性の衣服はほとんど西洋風になり、サラリー
マンには背広が標準的な衣服になりました。
働く女性も多くは洋服を着、多くの女性が家
庭でも洋服を着るようになったのです。
皇室のファッション
明治天皇の后、昭憲皇太
后の洋風正装用ローブ
© Bunkagakuen Costume Museum
変化の多い日本の現代
ファッション
1940 年代
第二次世界大戦が終わると、女性は戦争
関連の作業の際に着用が決められていたも
んぺを捨て、スカートをはき始めます。この
頃、日本へ入ってくるファッションはほとん
どがアメリカからでした。1940 年代後半か
ら 1950 年代にかけて、いわゆる「アメリカン・
スタイル」という、ウェストを絞った長いフ
レアスカートと幅の広いベルトの組み合わ
せが女性に好まれました。
パリのファッションも、アメリカ経由で
ある程度伝わりました。1947 年、クリスチャ
ン・ディオールがパリ・コレクションにデ
ビューし、ディオールのニュールックの情報
も翌年にはアメリカから日本に相当入って
きました。日本の女性は世界中で人気となっ
ていたこの「ニュールック」に、にわかに夢
中になりました。
1950 年代
ほとんどの人にとって海外旅行などまだ
考えられなかった時代、海外ファッションの
主な情報源は映画でした。多くの洋画が日本
で上映され、日本人が欧米のファッションや
日常生活を目にするきっかけとなったので
す。その結果、多くの流行が生まれました。
1950 年、イギリス映画『赤い靴』が上映さ
れると、若者の間で赤い靴がたちまち人気を
和洋折衷の女性ファッ
ション
明 治 時 代(1868 ∼ 1912
年)には伝統的な日本の
着物に洋風のヘアスタイ
ルという組み合わせが流
行った
© Kodansha
ファッション
2
集めました。また 1954 年、オードリー・ヘッ
プバーン主演の映画『麗しのサブリナ』が封
切られると、若い女性は細身の膝下パンツと
「サブリナ・シューズ」を好むようになります。
1956 年、石原慎太郎の同名の芥川賞小説
を原作とした映画『太陽の季節』が封切られ
ると、多くの日本人が登場人物のファッショ
ンを真似て、「太陽族」と呼ばれました。夏
には男性はTシャツやアロハシャツ、サング
ラスを身につけるようになり、女性のカラフ
ルな柄物のショートパンツ姿が街で見られる
ようになりました。
1960 年代
この頃には、疑いなく若者がファッショ
ンの主役を占めるようになっていました。高
級品であるオートクチュールから、日本語で
プレタポルテ(フランス語の prêt-à-porter か
ら)と呼ばれる、買ってそのまま着られる低
価格なファッション・アイテムへ、またフォー
マルからカジュアルへの移行の時代だったの
です。
1965 年春のパリ・コレクションに出展さ
れたミニスカートは、たちまち日本に伝わり
ました。マスコミは日本人女性の体型に合
わないと異議を唱えましたが、ミニスカート
の女王と呼ばれたイギリス人モデルのトゥイ
ギーが 1967 年に来日、ミニスカートは大人
気となります。まず若い女性、後には年配女
性にも受け入れられ、1974 年頃まで広く愛
用されるファッション・アイテムとして定着
しました。
男性ファッションでは、1960 年代中盤以
降にいくつか大きな変化がありました。中で
も画期的だったのがアイビー・ルックの出現
です。アメリカの一流私立大学アイビー・リー
グの学生ファッションとされるものに敬意を
表したこのスタイルは、アメリカのエリート
階層の伝統的ファッションを取り込み、何度
卒業式のスタイル
近年、大学・短大の卒業式
に出席する若い女性には、
着物の振袖(写真右の女性)
より着物と袴を組み合わせ
る(写真左の 3 人)方に人
気がある
© Tomita Keiko
サラリーマンの着る背広はグレーなど暗い
トーンの保守的な傾向が強く、その結果、日
本のサラリーマンは「ドブネズミ族」などと
冷ややかに呼ばれるに至りました。
1970 年代
1970 年 代 中 盤、 神 戸 や 横 浜 と い っ た 港
町 で 育 っ た フ ァ ッ シ ョ ン が、 ニ ュ ー ト ラ
(ニュー・トラディショナル)やハマトラ(横
浜トラディショナル)と呼ばれるようになり
ます。これらは基本的に、男性にとっての
アメリカの伝統的アイビー・リーグ・ファッ
ションの女性版とでもいうべきものでし
た。神戸で生まれたニュートラを言い表わす
キャッチフレーズは「女らしさ」や「大人っ
ぽく見える」です。典型的なニュートラのス
タイルは、シンプルなシャツブラウスに膝を
隠すセミロングのスカートでした。これに対
し、横浜で生まれたハマトラは「子供っぽさ」
が特徴で、デザイナーやショップのロゴマー
クの入ったスウェットシャツには、ポロシャ
ツのような折り襟がよくついていました。
1970 年 代 後 半 は テ ィ ー ン エ ー ジ ャ ー に
サーファー・ファッションが流行しました
が、これは 1950 年代のアメリカン・ファッ
ションのリバイバルでした。
1980 年代
1980 年代、日本はいわゆるバブル経済に
突入し、DC ブランドのブームが始まります。
これは「デザイナー(Designer)
・キャラクター
(Character)のブランド」という意味で、特
定のファッションデザイナーをはっきり示
すロゴマークなどのデザインコンセプトを
か人気のアップダウンを繰り返しながら、若
持った衣服のブランドです。
いサラリーマンから中年層にまで広がってい
高田賢三、三宅一生、山本寛斎などの日
きました。
本人デザイナーが世界のファッション界で
若者に人気のファッションとは対照的に、 活躍を続け、作品は高い評価を受けました。
ファッション
3
また、一種カルト的な人気を得たのはデザイ
ングループ Y's の山本耀司のファッションや、
Comme des Garçons の川久保玲の特異なダー
クカラーのスタイルで、これらはパリ・コレ
クションに出展されて注目を集めました。ま
た、Bigi の菊池武男と稲葉賀恵、Nicole の松
田光弘も注目されました。
1980 年代後半には、女性ファッションは
二つの方向に分かれていきます。一つは体の
自然なラインを強調したボディコン(ボディ
コンシャス)スタイル、もう一つは東京・渋
谷のショッピング街を頻繁に訪れる高校生・
大学生から生まれたシブカジ(渋谷カジュア
ル)です。当時、ボディコンの服を着て日本
のディスコで踊る女性の増加がよく話題に
なりました。一方、人気のシブカジ・スタイ
ルの基本コンセプトはシンプルさと丈夫さ
です。
それまでドブネズミと言われたサラリー
マンの間でさえ、若い人はどんどんファッ
ショナブルなブランドの服を着るようになり
ましたが、今日でも「平凡」「地味」は日本
のサラリーマンの制服の特徴です。一方で、
職場に適した服の種類について、多少考え方
が変わってきました。たとえば、多くの企業
が金曜日には従業員がカジュアルな服で働く
ことを認めています。
1990 年代
バブル経済の崩壊後は、他の多くの分野
と同様、ファッション界もはっきりした将来
展望のない混乱の時期だったと言えるかもし
れません。一部評論家が指摘したように、こ
の 10 年間の後半にはオリエンタル趣味やロ
マンチシズムの要素がありました。しかし基
本的には、1990 年代後半は単一の有力なト
レンドがない、多くのスタイル共存の時代
と言えるのではないで
しょうか。
1990 年 代 の 最 も
注 目 す べ き 現 象 は、
ファッションに敏感な
高校生、さらに中学生
さえもがトレンドを牽
引するようになったこ
とかもしれません。街では次のような格好の
若い女の子のグループを当たり前のように
見かけるようになりました。例えばカラーリ
ングした長い茶髪、濃く焼けた肌、裾広がり
のミニスカートやショートパンツ、わざと靴
の上までかけただぶだぶのルーズソックス
などです。
ファッションショー
東京で開催されたデザイ
ナー山本里美の 2004 年春
夏コレクション
© Kyodo
伝統衣装の将来
現在、日本で着物姿を見かけることはた
しかに少なくなりました。しかし、若い頃か
ら着物を着続けている一部の年配者や、歴史
ある料亭の仲居、日本舞踊・茶道・華道など
の伝統芸能を教えたり習ったりしている人
は着物を愛用しています。着物は洋服に比
べ、着るのが面倒で身動きが自由になりませ
ん。そのため、実用的な普段着としては事実
上消えてしまったのです。
しかし、換言すれば、着物は日本人の生
活に依然根ざしていて、重要な場では着物が
用いられるということです。女性が着物を着
る機会としては、新年の初詣や仕事始め、成
人式、大学の卒業式、結婚式、その他重要な
慶事や正式なパーティーなどがあります。こ
のような場では、女の子や未婚女性は振袖と
いう長い袂の着物を着ますが、その魅力的な
デザインは今なお華やかな伝統的日本文化
の一面を表わす好例となっているのです。
ファッション
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