教室の窓から 北陽職員通信 Vol.23 H28.4.13(水) 襷を繋ぐことの意味 今やお正月の国民的な行事となった「東京箱根間往復大学駅伝競走」。この東京と箱根を往復する通称 「箱根駅伝」は、今から 100 年前の 1917(大正6)年、東京―京都間 516Km を23区間に分け、3日間 昼夜兼行で走った襷リレー「東海道駅伝徒歩競争」といいうものが原型だそうです。そして、日本の陸 上競技の先駆者で日本人初のオリンピック出場者である金栗四三氏が、大学や当時の師範学校に参加を 呼び掛けて創設したのが「箱根駅伝」です。現在は、往路 107.5Km、復路 109.6Km をそれぞれ5区間に 分け計10人で競争を行っています。関東地区の大学の陸上部の学生にとっては最高の舞台となってい る伝統ある大会であり、日本の学生陸上競技を代表する大会になっています。 駅伝は日本発祥の陸上競技で「EKIDEN」は、世界共通語です。 「箱根駅伝」の 1 区間約 20Km はマラソ ンの 42.195Km の半分(ハーフマラソン)とほぼ同じ距離を走ることになります。マラソンと駅伝が根本 的に異なる点は、駅伝は個人競技ではなく団体競技であるということです。マラソンは自分との戦いで あるのに対し、駅伝は自分との戦いでもあり尚且つ襷をつなぐことに大きな意味があるのです。途中棄 権は自分自身の問題だけではなくチーム全体にかかわることですから、走者にとっての重圧は相当なも のがあります。襷には控えの選手やチームを支えてきたスタッフ、関係者等、すべての人々の熱い思い が込められています。 「駅伝」という言葉は、律令時代の駅馬.伝馬という制度から取ったものだそうです。駅馬・伝馬の制 度では、当時、身分の高い人が諸国を旅するとき、宿場から宿場へ移動する際"駅鈴"を身分証明書とし て渡されました。その"駅鈴"をもつことで、身分が証明され、宿や食科などの安全を確保することがで きたのです。つまり、駅伝では駅から駅へつなぐランナ—の証明書として、"駅鈴"の代わりに襷が選ばれ たのです。さらに、背景には日本人の心理も関係しているようです。その昔、武士が戦に出るとき、身 支度として襷がけ"をしました。着物の裾をたくし上げるいわゆる襷がけ"は、言い換えれば、武士が真 剣勝負に臨むとき、気持ちを引き締める儀式のようなものであり、 駅伝の選手が、レ—スに臨むときの 緊張した心境が、武士の襷がけとオーバーラップしても不思議ではないとおもわれます。 また駅伝は、長距離走のリレーなので、現実的な条件として以下のようなことも考えなければいけま せん。まず、高価ではなく、いつでもどこでも手に入るもの。また、長さを調節するため、加工がしや すいものであることも必要です。そして、ひとりひとりが長い距離を走るので、できるだけ軽く、走る ときにできるだけ邪魔にならない素材であることなどが考慮され選ばれたのだと考えられています。 実は、4月9日(土)に西武プリンスドームを会場に開催された「NACK5チームラン in 西武プリ ンスドーム」にマラソン好きの7名の先生方と一緒に走ってきました。チーム名は「おおみやきた」男 性6名、女性2名の計8名で構成し、一周1.8Kのコースを襷を繋ぎながら5時間走り続けて周回数 を競います。 還暦に近い私にとっては、自分に合ったペースで景色や沿道の声援を楽しみながら走るマラソンに比 べ、1.8Kを持てる力の限りスピードを出して走るのはかなりしんどいことです。もともと楽しむこ とを目的にみんなで参加したのですが、スタートしてしまえば頑張りモードで、各々任された区間を必 至で走りました。コースの途中の給水・給食ポイントにはおいしそうな食べ物が置いてありましたが、 誰一人手を出すこともなく8人で35周、5時間で63Kを走り抜き参加412チーム中66位という 成績でした。スタジアムでは1時間ごとに球場の大型ビジョンに順位が出て、61位→64位→68位 →67位→66位というように終盤で崩れることなく盛り返した結果に何とも言えない達成感を感じま した。 自分の走りはさておき、仲間の走りを心から応援する「チームラン」。 「一人はみんなのために・ みんなは一人のために」を実感しながら、校長も中堅教員も若手教員もなくチームの仲間、走り続ける うちにチームの一体感が増し、みんなの心が一つになる。そんな素敵な体験ができました。 「チームラン」でなくても「チーム大宮北特別支援学校」として心が一つになる。そんな学校を作り たい。そう思っています。
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