1970(昭和45年)

1970
(昭和45年)
関東インカレ
1部
箱根駅伝予選会
1位
■概 要
箱根駅伝
12位
駅伝
体育会史より
営 3 尾花実行
我が倶楽部は、一年の計であるべき新春二日三日両日
駅伝とは、国語辞典曰く、①(昔)宿継ぎに使う馬車、
行われる、東京箱根往復駅伝で競技の幕がおろされるの
②駅伝競走。という意味であり現在では後者を多く用い
である。毎年他校の烈強校に混り青山旋風を吹かせ他校
る。駅伝競走とは、長距離を幾人かで分担して走るいわ
に驚異の目を見張らせ沿道で見守るファンを楽しませ
ゆ る リ レ ー 競 技 で あ る。 和 英 辞 典 に よ れ ばA
ている演出者でもある。春に行われる大島、草薙と二度
longdistance relayとある。駅伝は大正六年の「東京首
の合宿が恒例になり、四月のシーズンを前に猛練習をす
都五十年記念東海道五十三次駅伝」に始まり、大正九年
るのである。そして五月の日本選手権、六月の関東I・
には、東京―箱根往復駅伝も創設された。そして、今日
Cに於いては、一部校十四校の中にあっては特異的な存
では地域あるいは学校内の駅伝にまで普及している。
在である我校は、体育系大学を尻目に一波乱を起してい
僕が初めて駅伝に参加したのは中学一年のクラス対
るのである。本年の日本選手権関東I・Cに於いては、あ
抗の駅伝であった。走るのは男子ばかりで、大会の十日
まり芳しい成績は納められなかった。でも着実に日本の
前から位から練習し、女子は応援だった。そこで僕は頑
中距離王国を形成しつつある事は、慶ばしい事であると
張った。―と言う記憶がないのが残念。一番大きな大会
同時に来年に、再来年にと無限の夢を抱かせる事でもあ
は箱根駅伝である。これについては最後に書くとして、
り、他校にも恐れられる因ともなっている。夏の会津若
その時の苦笑をひとつ。― 一年の時、七区(小田原~
松での一週間の合宿、皆真黒になりながら、粗食にも耐
平塚)を走った時である 6 KM地点(ここはその名も高
え、日本の一番暑い一週間ではないが、兎角、苦しみあ
い?鴨宮。言わずと知れた飯山君のとれた所)において
り楽しみありの連続、秋のシーズンに向っての第一歩で
ある有名な日体大、増田選手に引き続いて(実は抜かれ
もあった。十月の全日本I・C七名程出場し、惜しい所で
たばかり)通過しようとした時見物人―鴨宮の原住民
惨敗、クヤシ涙に帰京した事を憶えている。よく他人に
(?)―に“何だ、おせえなあー”とあたりまえだ!日
何故走るのかと聞かれるこの問は、登山家に向って何故
体大のエースと青学のバットじゃ話しになるもんか(見
に登るのかという問に似ていると思う。毎日曜日に行わ
物人の中の声)
“頑張れ!尾崎!!”
(メンバー表には尾
れる、試合、記録会等、自己新記録の出た時の会心の慶
崎先輩の名前が書かれてあった)しかし、駅伝の見物人
び、純白のテープを我が胸で切った時、この一瞬に全て
とは、ありがたいもので遅かろうと速かろうと誰にでも
の苦しみを忘れる満足感あり、後悔あり、涙あり…。こ
声援してくれる。また二年の時、五区の中継所でアップ
うして我々一人々少しづつでも人間が形成されてゆく。
を終え、椎名選手の来るのを待っていると僕の目の前で、
走りながら考える諸々の事、楽しい空想、嫌な事、時に
青学の先輩らしき人が突然大声で“本多、頑張れ!”
は歌が出る。自分自身の顔から額から全身から流れる汗
(この時もメンバー表には本多君の名前がのっていた)
となって消え去る、この一瞬を陸上競技愛好者は、損得
僕は相手の目を正面から見ていたので、目のやり場に困
なしに望みまた願っているからと思う。現に我々全部員
り、何と言っていいのか途惑ってしまった。
心を一つにして、他人から見ると地味に見えるこの競技
もっとも愉快な思い出のある大会は、大学一年の時に、
を愛し、時には憎みながらも自分なりに精進している。
府中駅伝に参加した時である。我々は 6 位入賞を目指し
また全世界に於いて、いや日本に於いてさえも、どんな
て最強(?)メンバーを組み、チーム名も「田村マサア
小さな団体、古い学校、新設校に於いても絶対というく
キとそのグループ」とし、監督、稲本多津郎氏。一区尾
らい我々の仲間が団体が存在しているということは人
花、二区河内、三区河西、四区本多、五区小柳、六区田
間にとって決して欠く事の出来ない競技でもあると自
村。そもそもこれがケチのつけ始め。監督会議では、本
負している。本年も残す所箱根駅伝のみとなったが、部
多君「なんだ!この名前は歌を唱ってるんじゃない!ふ
員全員が協力しまたお互いを認め合いながら、一つの目
ざけるな!」と怒られる。
的に青山旋風を吹かせるべき努力をしているのです。時
その試合の概況は、一区の僕、知らない人は知らない
には外苑に、青山墓地に、都内の到る処で汗を流してい
のか有名な奈良野選手の前を走り出す。しかし、あれよ
る我々を見る事と思う。誰も認めてくれなくても良い、
あれよという間に後退あげくのはて、高校生にまで抜か
ただ好きだから走るのだ、跳ぶのだ、投げるのだ、とい
れゴールイン(ブレーキといううわさはでず)。二区の
う気持を大事に大いに飛躍したいと闘志を燃やしてい
河内君、距離をかんちがいし、前半とばしすぎの後半
るのです。
フーラフラ。三区河西君。実力を発揮の 5 人抜かれ。四
87
区本多君、快走。三区の区間賞選手と同タイム。
(注、三
◦第54回日本選手権
区、四区の距離、コースは同じだが、三区は登り、四区
4 ×400MR
は下りである。
)五区の小柳君、大活躍。区間二位の十
(外岡広一・青木律・竹山勝・彦山進)
4 位
3 分23秒 7
人抜き、いや違った。区間ビリから二番の十人抜かれ。
六区田村君。我がチームのエース。絶好調、五、六人抜
◦第54回日本選手権混成
いてゴール。しかし、区間賞の選手と 3 分( 8 KMで)
十種競技
清水 茂
16位
5876点
も違っていてがっくり。皆、大活躍。さっそうと閉会式
に出、参加賞だけもらって帰ったのであった。
◦第47回東京箱根間往復大学駅伝競走予選会
以上、思い出のある駅伝をあげれたけれど、みんなで
総合順位 1 位
練習して、みんなで試合をするという事が僕は一番好き
総合記録 11時間29分33秒
です。
“みんなで練習して”と言う事は、八月後半から
の箱根駅伝のための合宿や練習が、全員一致した目標を
◦第47回東京箱根間往復大学駅伝競走
もった練習であり、箱根駅伝が“みんなで試合する”こ
総合順位 12位
との最大のものであると思います。チームワークを守り、
総合記録 12時間26分23秒
チームプレーをする事、これが駅伝だと思います。それ
を育てるのは駅伝の合宿が重要な意味を持っている。朝
練習をし、学校へ行き、午後の練習をする。苦しいけれ
部長
小林 孝輔(法学部教授)
ど自由時間・食事・寝る時間を通じて、先輩・後輩・同
監督
加藤 愼蔵
輩と供に話しあい(麻雀、マンガ、勉学、練習につい
主将
清水 茂
て)ふざけあえるし、その中から、仲間なんだと思い一
主務
生田 和美
緒に頑張ろうと思う気持ちが育つと思う。田村君が言っ
新入部員
北野 勉
塩野 和夫
ていました(食事の時)
。
「毎日、合宿だといいなあ、僕」
鹿 孝次郎
白坂 文彦
僕は長距離をやっているんだ。毎日かけっこをやって
花村 慈子
いるんだという気持ちを競技に対し向ける時、真剣最大
にぶっつけられるのが箱根駅伝であると思う、そして、
自分に対し仲間に対して責任感をもつのもこの頃。長距
離をやる誰もが目標とする大会だから、個人個人の目標
が“箱根”に統一される。
“みんなでやる”と言う意味
が時に大切に思われるようになったのは、三年生になり、
青学大の箱根駅伝体制を作る立場になりつつあるから
かもしれない。
「陸上をやることが人生の一過程であっても、陸上が
人生の目的ではない」と言った人がありますが、毎日を
精一杯生きようとする僕らにとって、走る事が今、真に
直面している、はっきりした一目標だと僕は思います。
部報“うさぎ”より
■戦 績
◦第49回関東学生陸上競技対校選手権大会
1 部1500M
椎名 通
1 部 4 ×400MR
8 位
4 分03秒 1
8位
(青木律・外岡広一・彦山進・鈴木繁)
1 部走高跳
石川 嘉之
8 位
1 M90
1 部十種競技
清水 茂
5 位
5876点
◦第39回日本学生陸上競技対校選手権大会
400M
88
彦山 進
7 位
50秒 4
1971
(昭和46年)
関東インカレ
1部
箱根駅伝予選会
3位
■概 要
箱根駅伝
13位
テープを切るもの、大少の差こそあれ、喜ぶ事に変わり
体育会史より
はない。普段の練習の成果が、努力の末がむくわれよう
クラブ紹介
としているのだから。
グラスファイバー・ポール、もちろん棒高跳用の“棒”
陸上競技にとりくむ姿勢は人それぞれに異なるだろ
である。この世に出現して以来、世界記録を 1 mも引き
うし、目標もまた異なるだろう。だが、それらはどうで
上げようとしている。メキシコオリンピックでデビュー
あれ、互いに競技すると云う事は皆に共通しているとこ
したタータントラック。全天候トラックともよばれ、合
ろだ。
成樹脂で作られた走路で、それにより100mに 9 秒 9 、走
り巾跳に 8 m90と言う大記録を誕生せしめた。また創始
■戦 績
者、フオズベリーがメキシコオリンピックで金メダルを
◦第50回関東学生陸上競技対校選手権大会
獲得した。背面跳も今や世界的流行である。これは着地
1 部800M
北野 勉
2 位
1 分53秒 9
場に従来の砂に変わり、ラビーピットが用いられ安全性
1 部 4 ×100MR
が増大し初めてためされた技である。
(外岡広一・実平喜弘・彦山進・竹山勝)
これらの事は最近の陸上界、あるいはスポーツ界が科
1 部走高跳
石川 嘉之
6位
5 位
1 M95
学の分野と密接な関係にあることを示している。だが、
いかなる新兵器が出現しようと、そこに選手自身の大き
◦第40回日本学生陸上競技対校選手権大会
な努力がなければ何もならないと言う事は確かなこと
800M
北野 勉
1 位
1 分52秒 2
である。
1500M
北野 勉
3 位
3 分52秒 9
我、陸上競技部は戦績至上主義をとらず、練習と言う
一つの過程にあらゆる方向から取り組み、それを見つめ、
◦第48回東京箱根間往復大学駅伝競走予選会
分析し、考察し、常に努力、前進している。我々の一年
総合順位 3 位
の活動は正月の箱根駅伝に始まり、終わる。体育系大学
総合記録 11時間24分09秒
の多く出場するその大会での我々の活躍には目を見張
るものがある。二月、三月になると、シーズンインを前
◦第48回東京箱根間往復大学駅伝競走
に、大島、静岡で合宿を重ねる。四月には新入生を迎え、
総合順位 13位
また一段とクラブ内に活気が満ちて来る。五月には関東
総合記録 12時間32分43秒
インカレ、六月には全日本選手権、あるいは各種の大会
がある。そこで前期が終わり、二ヶ月間の休養(?)期
間をおき、九月から後半が始まる。前期で達成し得な
部長
小林 孝輔(法学部教授)
かった記録あるいは目標をその二ヶ月間で検討しなお
監督
加藤 愼蔵
し、また、補強しなおし、後半に備える。合同合宿もそ
主将
小平 務
の間行い、チームリーダーの養成も行う。九月には各種
主務
竹山 勝
の記録会やら試合がある。十月には、全日本インカレが
新入部員
大友 一
大場 和彦
行われ、一年のシーズンの終わりが近づく。十一月末ま
海藤 忠
佐々木浩一
でにはほとんどの試合が終わり、トラックからロードへ
実平 喜弘
中村 宏幸
と移るのである。寒風の吹きすさぶ頃になると、各地で
山田 昭彦
堀川 昌彦
駅伝が始まる。
四十六年のシーズンは、日本記録が例年になく多数更
新された。近くにオリンピックをひかえた事が、一つの
刺激剤となった事は確かである。我々の部も、関東イン
カレで800m、走り高跳に上位入賞し、秋の全日本イン
カレでは800mに優勝、1500mに三位入賞している。
走り、跳び、投げると云った単純な競技ではあるが、
そこにはドラマがある。 1 cmの、あるいは十分の一秒
の差に喜ぶ者、涙する者…。オリンピックの晴舞台で
89
1972
(昭和47年)
関東インカレ
1部
箱根駅伝予選会
6位
■概 要
箱根駅伝
13位
それにひきかえ下級生の不安そうな顔顔顔。どうやら経
体育会史より
験とは自信を生むものらしい。すぐ近くに大きな試合が
クラブ紹介
ないせいか夏期強化合宿という割には部員はのんびり
単純なスポーツ程難しいものはないと思う。走ると言
構えている。旅館につき一休みしてさっそく練習。のん
う事は一つの基本動作の連続である。そしてその動作は、
びりしていた部員の顔がグランドを見ると引き締まる
人間が直立歩行するようになってから、今日に到るまで
から不思議だ。さらに練習を開始するともっとしまり、
続けられている。古代ギリシャで、最初にスポーツとし
今までバラバラだった部員の心がさっと一つになる。こ
て取り入れられてより、人々は、より速くより高く、よ
の和が大切なんだ。陸上競技は決して個人競技じゃない。
り強くなる事を望んだ。このような伝統的な、言い換え
部員の和を作るのが合宿の最大の目標かもしれない。同
るならば素朴なスポーツを、我々はこよなく好きなので
じ所に寝起きし、同じ釜のめしを食い、同じ練習を消化
ある。
する。そして、自由時間の先輩、同輩との楽しい語らい。
現在部員数三十名弱。関東一部校の中にあっては、最
こんな時自分はクラブに入った幸福感を味わう。
少規模のクラブではあるが、内容は決して劣るものでは
陸上とは地味なスポーツだ。他のクラブのように大声
ない。春のインカレでは四種目に入賞し、グリーンのユ
を張りあげて練習はしない。みんな黙々とやっている。
ニフォームが、所狭しと、国立競技場を乱舞した。又秋
遠くで見ている人にはちっとも迫力がないかもしれな
の全日本インカレでも四百メートルに入賞を果たし、恒
い。でも近づいてみると部員のやる気が、熱気が手にと
例の正月東京箱根駅伝予選会に於いても、全員一丸と
るように伝わってくるはずだ。陸上とはそんなスポーツ
なって健闘し、七年連続出場の栄誉を勝ち得る事ができ
だ。わかっているのは本人だけ。努力しただけの何かが、
た。
苦労しただけの何かが、その人の心の中に返ってくるだ
このような戦績を残すことができたのも、全部員の日
け……。陸上とはそんなスポーツだ。
頃の地道な練習の成果である。シーズン移行期の春、二
合宿はいつも同じパターンで行われる。六時起床、散
回の合宿を行ない、来たるシーズンに備えて充分な訓練
歩あるいは軽く練習。午前と午後約二時ずつの練習。食
を行う。うち後の合宿では新入生を迎えて、青学精神を
事の時間もいつも同じ。消灯十時、もっとユニークな型
教え込むのである。更に夏合宿、長距離は駅伝に備えて
破りな合宿はできないのか?!この問題はいつも提起
数回合宿を重ねるのである。
されるだけで解答はでない。でも合宿を重ねるたびに部
先にも述べたように単純で素朴なスポーツであるが
員相互の関係が深まりクラブがよりしっかりした一つ
故に、絶え間ない練習が必要である最近科学の研究に
のものになっていく事は確かだ。答が出せないうちに
伴って、スポーツ分野においても、技術の向上であると
我々は又次の合宿を迎えることだろう。そんな思いを胸
か、化学的トレーニングなどが取り入れられ、能率的な
に抱きながら八月二三日大田原を後にした。
トレーニングが紹介されてはいるが、自ら汗を流すこと
にはなんら変わりはない。孤独と苦しみに耐えながら、
■戦 績
ひたすら走る事によってのみ、真の陸上競技人となれる。
◦第51回関東学生陸上競技対校選手権大会
そういった意味に於いては、我々は、まだまだ努力が足
1 部200M
鹿 孝次郎
4 位
22秒 3
りない。練習の甘さであるとか、努力を惜しむと、レー
1 部400M
実平 喜弘
6 位
49秒 6
スにそれが出て来る。自分を支えてくれるものは自分の
1 部800M
北野 勉
5 位
1 分53秒 7
足しかない。自らの足で力強く踏み出す為にも、我々は、
1 部1500M
椎名 通
4 位
3 分57秒 2
6 位
3 分19秒 1
努力を惜しまない。
1 部 4 ×400MR
(鹿孝次郎・実平喜弘・大場和彦・北野勉)
合宿記
一年 平井重行
◦第41回日本学生陸上競技対校選手権大会
八月十七日我々一行は東京のうだるような暑さから
400M
鹿 孝次郎
4 位
48秒 6
5 位
3 分54秒 8
のがれて、ここ栃木県は大田原へとやって来た。夏の合
宿をするには少々暑い感じもするが、東京のそれとは
◦第 8 回全日本選抜競技大会
違ってさらっとしているのがうれしい。さあいよいよ合
1500M
宿というわけだが、上級生の自信に満ちた顔はどうだ。
90
北野 勉
◦第12回実業団学生対抗陸上競技大会
1500M
北野 勉
4 位
3 分56秒 8
◦第 4 回関東学生東日本実業団対抗競技大会
1500M
椎名 通
4 位
3 分53秒 9
3000M
谷川 忠彦
3 位
8 分46秒 0
◦第49回東京箱根間往復大学駅伝競走予選会
総合順位 6 位
総合記録 11時間25分48秒
◦第49回東京箱根間往復大学駅伝競走
総合順位 13位
総合記録 13時間02分43秒
部長
小林 孝輔(法学部教授)
監督
加藤 愼蔵
主将
椎名 通
主務
外岡 広一
新入部員
浅野 公一
稲木 祐子
国持 和義
佐藤 和彦
柴山 勉
杉崎 孝
谷川 忠彦
平井 重行
福田 充
横山 慶子
91
1973
(昭和48年)
関東インカレ
1部
箱根駅伝予選会
4位
■概 要
箱根駅伝
14位
午後三時頃、乗用車、バス等に分乗していた部員が全
体育会史より
部到着すると、さっそく練習だ。富士山麓の青木ヶ原の
クラブ紹介
樹海の端に宿があり、三キロほど離れた本栖湖畔のグラ
“アベベ・ビキラ”この名を知らない人はいないだろ
ンドまで乗用車で出かけるわけだ。さて、ウォーミング
う。
アップだ。ジョッグをしているととても空気が冷たくて
ローマオリンピックのマラソンを素足で走り優勝、四
気持ちが良い。それから、山道を走りに行ったが、練習
年後の東京オリンピックでも優勝し、史上初のマラソン
の苦しさが半減するくらい快適なものであった。快い疲
二連勝を成し遂げた人である。
れで宿に戻ることができた。
その英雄が、先頃この世を去った。皮肉にも“文明の
だが、こんなに自然の良さを味わいながら練習できた
足”ともいうべき自動車事故によって死に追いやられた
時はほとんどなく、どういうわけか次の日からはずっと
のである。
雨の日が続いてしまった。そのため、硬いアスファルト
このマラソンに象徴されるように“走る”という人類
の上を走る練習ばかりで、足の筋肉は、かちかちに張っ
の素朴な行動は何千年の昔も文明の高度に発達した今
てしまい、とても辛いものになってしまった。僕のよう
日も変わることはない。おそらく今後も、人類は走る事
に中長距離ランナーならまだいいが、短距離の人は全く
をやめないだろう。
気の毒であった。鹿さんの納会での反省の中に、
「今回
さて、我が陸上部は現在部員数三十名足らず(内女性
の長距離合宿は…云々。」という言葉が皮肉にも印象的
四)である。他校と比較しても決して多くはない。陸上
であった。
部の行事は、箱根駅伝に始まり、箱根駅伝に終わると
しかし、夕食後、床につくまでの楽しいひと時。先輩、
言ってよい。正月の二日、三日東京(読売新聞社前)箱
同輩らと、「あの子が可愛い。」とか、「俺の足の方が長
根間を往復するのである。上位の成績は残せないまでも、
い。」等といった話……、とても民主的、自主的な自由
来年も出場権を得て、8 年連続出場という名誉を得てい
なクラブである。
る。又春の関東インターカレッジにおいては400mに優
合宿が終わって、このクラブに入って本当に良かった
勝、200m入賞、800m入賞をしている、①秋のメインイ
という思いを深めることができた。
ベントである全日本インターカレッジでは、400mに優
勝、200mにおいても入賞をしている。②さらに又十一
■戦 績
月に行われたアジア陸上選手権に日本代表として出場
◦第52回関東学生陸上競技対校選手権大会
し別記のとおり、好成績をあげている。
1 部200M
鹿 孝次郎
4 位
22秒 4
とにかく大学のクラブ活動というのは、対校戦、得点
1 部400M
鹿 孝次郎
1 位
47秒 2
争いに終始してしまって技術、記録の向上が遅れがちで
1 部800M
南原 茂
6 位
1 分55秒 2
ある。我が陸上部では視野を広く世界に向け、国際人と
女子400M
埴原 麻子
5 位
59秒 4
しての競技者あるいは、人間形成を目指したいと常に
願っているのである。
◦第42回日本学生陸上競技対校選手権大会
①特に400mにおいては我校の鹿選手と順天大の水野
200M
鹿 孝次郎
6 位
22秒 0
選手の勝負となり、全部員総立ちで声援を送りレース後
400M
鹿 孝次郎
1 位
47秒 7
もその興奮がなかなかおさまらなかった。
②またしても400mにおいては鹿選手と水野選手の勝
◦第50回東京箱根間往復大学駅伝競走予選会
負となり最後は胸一ついや、鼻の差で同タイムながら
総合順位 4 位
勝ったのである。この勝負、陸上史に残る名勝負の一つ
総合記録 11時間43分04秒
に数えられるであろう。
◦第50回東京箱根間往復大学駅伝競走
合宿記
総合順位 14位
一年 小林 満
総合記録 12時間49分13秒
猛暑の東京を離れて、八月二十二日、我々は合宿地の
本栖湖方面へと向かった。何といってもこの殺人的とも
いうべき暑さから抜け出せることが何よりであった。
92
部長
小林 孝輔(法学部教授)
監督
加藤 愼蔵
主将
北野 勉
主務
鹿 孝次郎
新入部員
青木 国昭
大藤 国春
小林 満
南原 茂
眞下 友彰
吉野 輝秋
93
1974
(昭和49年)
関東インカレ
2部
箱根駅伝予選会
5位
■概 要
箱根駅伝
14位
2 部 4 ×100MR
1 位
42秒 4
体育会史より
(堀川昌彦・中村宏幸・浅野公一・小出康修)
クラブ紹介
2 部 4 ×400MR
我クラブも走り続けて何年になるのだろう。OBの話
(浅野公一・山田昭彦・大貫寿夫・実平喜弘)
では、本学でも一、二を争う古い部であるとか。
2 部砲丸投げ
佐々木浩一
1 位
4 位
3 分22秒 0
12秒06
今年度も全日程が、箱根駅伝で終了した。上位入賞は
果たせぬまでも、九年連続、十四回出場と箱根駅伝の常
◦第43回日本学生陸上競技対校選手権大会
連となっている。正月の二日、三日と寒気の中を走る勇
400M
勝山 育雄
5 位
49秒66
姿は、正に男の中の男である。
800M
杉崎 孝
6 位
1 分53秒 5
春の関東インターカレッジに於いては、本学は、昨年
800M
南原 茂
7 位
1 分53秒 8
度、残念ながら二部に落ち、今年度は一部昇格を期し、
4 ×400MR
5 位
3 分20秒 7
部員一丸となり全力を出し、殆ど全出場種目に入賞を果
(小出康修・勝山育雄・大竹亘・南原茂)
し、特に400Mハードルでは、一位から三位までを独占、
さらに400Mリレー、1600Mリレーに優勝、多々本学の
◦第51回東京箱根間往復大学駅伝競走予選会
力を如何なく発揮し、見事一部昇格を果たした。また
総合順位
400M優勝、1600Mリレーのアンカーとして活躍した実
総合記録 11時間56分31秒
5位
平選手は、今年度二部の最優秀選手に選ばれる栄誉を加
えて獲得した。さらに、秋の全日本インターカレッジに
◦第51回東京箱根間往復大学駅伝競走
も多数出場し、めざましい活躍をし、輝かしい成果を納
総合順位 14位
めた。
総合記録 12時間33分29秒
陸上競技は、自分の記録が如実に表われ、練習を怠れ
ば、すぐ記録が下がる。陸上競技は、相手に勝つことも
至難ながら、己に勝つことがより至難の業なのである。
部長
小林 孝輔(法学部教授)
五〇年度は、一部において活躍せんと、さらに箱根駅
監督
加藤 愼蔵
伝においても上位入賞を果たさんと日々苦しい練習に
主将
実平 喜弘
励んでいる。
主務
堀川 昌彦
低迷する日本陸上界に新しい息吹を吹き込む我陸上
新入部員
足立 公昭
和泉 正則
競技部に乾杯!!
大竹 亘
小出 康修
椎名 誠
時庭 勝彦
■戦 績
◦第53回関東学生陸上競技対校選手権大会
2 部100M
中村 宏幸
2 位
11秒 0
2 部100M
小出 康修
6 位
11秒 3
2 部200M
小出 康修
3 位
22秒 3
2 部200M
中村 宏幸
6 位
22秒 8
2 部400M
実平 喜弘
1 位
49秒 3
2 部400M
大貫 寿雄
2 位
49秒 5
2 部800M
南原 茂
2 位
1 分56秒 0
2 部1500M
南原 茂
1 位
4 分01秒 3
2 部5000M
青木 国昭
3 位
15分25秒 0
2 部10000M
青木 国昭
3 位
32分00秒 0
2 部110MH
堀川 昌彦
4 位
14秒 9
2 部400MH
山田 昭彦
1 位
54秒 5
2 部400MH
大竹 亘
2 位
55秒 4
2 部400MH
94
3位
松原 純一
山口 真理
吉倉 秀男
渡部 喜一
1975
(昭和50年)
関東インカレ
1部
箱根駅伝予選会
5位
■概 要
体育会史より
クラブ紹介
陸上競技とは、走・投・跳の力、精神力、種々の能力
を必要として、それにもまして、個人競技であるが故、
部員全員のチームワークも重要なのである。我々陸上競
技部員は、人類の素朴な行動である“走る”ということ
を通じて、よりすばらしい何かを得ようと青春のすべて
を賭けているのである。
さて、我が陸上競技部は、現在、部員数三五名と他校
と比較しても決して多いとは言えないが、活動は青山学
院大学体育会の中においても極めて活発である。
我が部の行事は箱根駅伝に始まり、箱根駅伝に終わる
といってよい。正月二日三日に行われる東京箱根間往復
大学駅伝競技には十一年連続出場という名誉を勝ち得
ている。又、トラックの競技においては、春の関東イン
ターカレッジ800Mに二名の決勝進出、秋の全日本イン
ターカレッジでは、400M入賞、800M入賞、1600Mリ
レー入賞という好成績をあげている。現在、新幹部のも
とに部員一同一致団結して、先輩諸氏の残された輝かし
い伝統と実績に恥じることない成績をあげるべく頑
張っております。
箱根駅伝後記
一年 熊谷 紀雄
昭和五十一年正月二日三日、箱根の町では駅伝が話題
を独占していた。
「一年の計は元旦にあり」と言うが、私たちには「一
年の計は箱根にあり」というのが本音である。私達はこ
の日の為に、春先の目標を箱根駅伝出場と誓い一年を賭
け練習を積み重ねてきた。夏期休業を迎えた八月には、
既に部内は箱根駅伝の襷のグリーンに染め抜かれてい
た。合宿も十回を数えた。そして、十一月十六日、箱根
駅伝予選会が八王子で開催された。一部からは予選会通
過困難の声も聞かれた。しかし、部員一同は必ず勝てる
と信じていた。何故ならその為に苦しい練習を重ねてき
たからである。結果は予選会を通過した。しかし、やは
り苦戦した。当日の異常気象で主力の選手がブレーキを
起こしたためだ。それでも予想外に一年生が頑張った。
一年生五人の力が十分に主力選手の穴を埋めた。
そして遂に箱根駅伝の幕が切られた。往路十二位、こ
れで翌日への望みが出てきた。復路六区で区間三位で箱
根の坂を下った。そして最終ランナーである十区走者の
スタートである。この時、予選会の逆を思わせる天気に
変わった。急に気温が下がった。私は不吉な予感を感じ
ながら完走、上位進出を祈った。
そして、大手町読売新聞社前、詰め掛けた観衆の谷間
を縫うようにアナウンサーの声が響く、
「青学大の選手
が倒れました」一瞬私は耳を疑った。既に部員は皆、そ
の場に駆け寄っている。全身痙攣である。もちろん意識
は朦朧としている。それでも立ち上がり、走り始める。
箱根駅伝
途中棄権
死力を尽くして走っている。また倒れた。何度倒れ、立
ち、走ったことだろうか。力尽き、意識の朦朧なる者を
走らせるのは一体何であろう。それは神の力でもあろう、
部員一同の信頼でもあろう、それのもまして本人の精神
力であろう。私は胸が痛くなる思いがした。誰かが言っ
た。「今年の青山は強い」私は形の上からは勝ちを逃し
たが、精神面ではむしろ、どの大学にも負けなかったと
自負している。私が聞いたのは神の声だったのだろうか。
そして私達はここに誓う、来年の青山は走力に精神力の
加わったさらに強いチームちして箱根の舞台に立つこ
とをー。
■戦 績
◦第54回関東学生陸上競技対校選手権大会
1 部800M
南原 茂
5 位
1 分52秒 1
1 部800M
杉崎 孝
6 位
1 分52秒 5
◦第44回日本学生陸上競技対校選手権大会
400M
勝山 育雄
5 位
49秒66
800M
杉崎 孝
6 位
1 分53秒 5
800M
南原 茂
7 位
1 分53秒 8
4 ×400MR
5 位
3 分20秒 7
(小出康修・勝山育雄・大竹亘・南原茂)
◦第52回東京箱根間往復大学駅伝競走予選会
総合順位 5 位
総合記録 11時間56分31秒
◦第52回京箱根間往復大学駅伝競走
途中棄権
部長
小林 孝輔(法学部教授)
OB会長
監督
加藤 愼蔵
主将
谷川 忠彦
主務
浅野 公一
新入部員
阿部 正利
勝山 育雄
熊谷 紀雄
呉藤 秀二
白石 祐司
多田 英農
中村 春雄
林 一美
望野 和美
1975(昭和50年 2 月)
伊豆大島
当時 2 年生全員
左から
青木、真下、小林、南原
95
1976
(昭和51年)
関東インカレ
2部
箱根駅伝予選会
8位
■概 要
体育会史より
涙をのんで断念 箱根駅伝! 1 年 内納 豊
毎年、正月二月三日に箱根路は、箱根駅伝の見物人でう
まる。その出場校を決定する予選会は昭和五十一年十一月
二十一日、八王子市(の西部に位置する)富士森陸上競技
場で開催された。天候は曇り、二十キロメートルを走るには
絶好のコンディションに包まれた。
下馬評では甲乙つけがた
くどの大学が残ってもおかしくはなかった。しかし我青山
学院陸上競技部にとっては最悪の日であった。というのは、
我陸上競技部の伝統ある十一年連続、十四回出場の箱根
駅伝、その予選会で無念の涙をのんだのです。夏期休業
の前から箱根駅伝だけを目標にして頑張ってきた我々で
あったが箱根駅伝を断念しなければならなかった。合宿は
六回を数え一昨年よりも数は少ない合宿での練習は、昨年
おしくも箱根駅伝のメンバーに成れなかった先輩、箱根路
を走ろうという意欲を燃やして入学した新入生が、何として
もメンバーになるんだといった具合だった。又、昨年のメン
バーもうかうかしてはおれないと物凄い形相で練習に励ん
でいました。それなのに予選会で失格するなんて僕はもち
ろんのこと競技部全員が掲示された成績表に疑いのまな
ざしであった。予選会前から今年は失格するのではという
噂もちらほら出ていたのですが、
後輩の気をひきしめさせよ
うとする先輩の意図であると僕は思っていました。結果は、
十一時間八分、前回よりもずっと良い記録であったにもかか
わらず八位という成績に終わりました。昭和五十二年、私
は大分県中津市の自宅で新しい年を迎えました。本当にの
んびりとした正月でした。来年、私は初日の出を神奈川の
海岸でと思い、私は誓った「箱根駅伝ただ一筋!!」と。
クラブ紹介
最近、野球、サッカー等の人気が高まる中で、地味なが
らも常に前向きの姿勢で練習にはげんでいるのが我が陸
上競技部である。綱島に400Mのトラックを持ち、コーチに
は青学時代800M、1500M日本選手権覇者になられた太田
徹先輩がおられ、
環境は抜群である。このため毎年、
400M、
800Mなどを中心として関東インカレ、全日本インカレ等に
おいて好成績をのこしている。
正月には陸上競技幕明けの箱根駅伝が行われる。長距
離陣にとってはインカレと同様ぜひと取りたいタイトルであ
る。我が部でもこの箱根駅伝には十一年連続出場という輝
かしい記録を持ち数々の好記録を残してきた。
今年もインカレ、箱根駅伝をめざし、エバーオンワード
(Ever onword)である。
■戦 績
◦第55回関東学生陸上競技対校選手権大会
2 部100M
小出 康修
5 位
11秒 2
2 部200M
小出 康修
2 位
22秒 4
96
箱根駅伝
−
2 部200M
勝山 育雄
5 位
22秒 5
2 部400M
大貫 寿雄
2 位
48秒 9
2 部400M
勝山 育雄
4 位
49秒 6
2 部800M
南原 茂
2 位
1 分56秒 7
2 部1500M
南原 茂
1 位
4 分01秒 5
2 部1500M
吉倉 秀男
5 位
4 分04秒 4
2 部5000M
多田 英農
1 位
14分55秒 4
2 部5000M
青木 国昭
5 位
15分28秒 4
2 部10000M
多田 英農
1 位
30分26秒 4
2 部10000M
青木 国昭
5 位
31分43秒 0
2 部110MH
望野 和美
4 位
15秒 9
2 部400MH
大竹 亘
1 位
53秒 5
2 部 4 ×100MR
5位
(和泉正則・小出康修・吉田悟・呉藤秀二)
2 部 4 ×400MR 1 位
3 分19秒 2
(大竹亘・勝山育雄・南原茂・大貫寿雄)
2 部円盤投げ 手石正一郎
4 位
34M52
◦第45回日本学生陸上競技対校選手権大会
400M
勝山 育雄
5 位
50秒29
800M
南原 茂
6 位
1 分57秒 8
1500M
南原 茂
8位
◦第53回東京箱根間往復大学駅伝競走予選会
総合順位 8 位
総合記録 11時間08分30秒
部長
監督
主将
主務
新入部員
小林 孝輔(法学部教授)
加藤 愼蔵
南原 茂
真下 友彰
青木 勝美
岡部 尚子
垣本 克則
佐野 道雄
鈴木麻里子
手石正一郎
内納 豊
藤木 幹雄
吉田 悟
青山回想
青木 国昭 1976年(昭和51年)度卒
昭和47年、インターハイは山形県で開催されました。
も 6 位で小田原中継所でタスキリレー、7 区を受け持っ
その前年に新競技場の杮落としに青山学院大学陸上競
た私は後方の駒沢が前半ひたひたと迫ってくるのを感
技部が招待されたと聞いております。
じましたが、後半は引き離すことができ、順位も下げず
昭和48年 3 月、愛知県豊橋市での新入生歓迎合宿で高
に 8 区にリレー、9 区までは無難に進んでおりましたが、
校時代実績のない私は精一杯先輩を追っかけました。東
10区で杉崎氏がゴール寸前でリタイヤという結果に
横線沿線の綱島グランド及び周辺クロスカントリー
なってしまいました。
コースでの練習は、5 月の慶応日吉グランドでの記録会
翌年、前年の屈辱を晴らすべく、早期に駅伝強化に取
(東北学院対校戦の学年予選会)で自己記録(高校時代
り組みましたが、見えない敵である早稲田(瀬古入学)
、
の記録16分17秒)を 1 分近く上回るものでした。
法政、拓殖など虎視眈々と強化していたようでした。ち
5 月のインカレ間近はブロック別練習のためロード
なみに、前年までは15校の枠の中で14番目の椅子に我が
組( 4 年白坂氏、2 年佐藤氏、1 年小生) 3 名は東京見
校がおり15番目の椅子を早稲田、法政が争うという状況
物と称し東京タワー方面、六本木方面、皇居等ロング
でした。夏季長距離合宿を例年になく霧が峰、美ヶ原と
ジョックが印象に残っております。箱根駅伝を控えての
2 回実施し予選会に望みましたが、前回までの筑波、本
綱島グランドでの試走合宿、12月最終の下田合宿、12月
学が落選し、早稲田、法政、拓殖が通過しました。
31日からの本番合宿など思い出されます。1 年のときは
1 区を任され当時寮生であった私は 2 年の主務の浅野
氏と大学と246を挟んだ常青寮に 1 月 1 日に帰り、本番
に備えましたがなかなか寝付かれず数時間の睡眠で千
代田線に乗り大手町に異動しました。ウオーミングアッ
プは地下鉄の歩道で風がなく順調にできました。1974年
の大会は50回の記念大会で20校の参加でした。序盤から
スローペースで12.数キロメートルの鈴が森ガードまで
トップ集団に付けたと記憶しております。後 2 キロ地点
で法政の森岡選手に交わされたことは記憶しておりま
すがその時点では 9 位でタスキリレーしたことは分か
りませんでした。
3 年時、本学は近年にない順位で、特に山くだりの多
田英農 1 年が区間 3 位の快走で時差スタート 1 番、順位
1976夏 霧が峰合宿 OB激励帰途
左から
青木勝美( 1 年)、小林、青木、平井氏OB、太田氏、椎名氏
97
1977
(昭和52年)
関東インカレ
2部
箱根駅伝予選会
9位
■概 要
箱根駅伝
−
員は三十四名、決して多くはないが、関東IC一部昇格、箱
体育会史より
根駅伝出場を目ざし、日や練習に励んでいる。神奈川県綱
合宿記
島には、立派な400米トラックもあり、織田フィールド・代々
陸上競技部 松井克彦
木公園・皇居と練習場にも恵まれている。今年は、部員一
我が陸上競技部は、春季練習として、短距離ブロックは
同、諸先輩の残された伝統に恥ることなく、再び、青学大
三回、長距離ブロックは二回、二月の下旬から三月の下旬
陸上競技部・黄金時代を築きあげようと頑張っている。
にかけて、合宿を行なった。そのうち、最後の合宿は、新
入生歓迎合宿と称して、短距離ブロック、長距離ブロック
■戦 績
合同で、行なうのが恒例である。
◦第56回関東学生陸上競技対校選手権大会
今回の合宿では、新入生八人が参加して、我が部に感
2 部100M
丹羽 敏
2 位
11秒16
銘を受けた者、または失望したものそれぞれいたと思うが、
2 部200M
勝山 育雄
4 位
22秒30
各々緊張した表情を隠せきれなかったようである。
2 部400M
勝山 育雄
2 位
48秒66
さて、今回の合宿は、新入生歓迎合宿ということで、部
2 部1500M
多田 英農
2 位
3 分59秒 5
長、監督も練習風景を見にこられたので、全部員張り切っ
2 部1500M
内納 豊
3 位
4 分00秒 3
て、練習に臨んだのだが、最後の合宿ということで、かな
2 部1500M
吉倉 秀男
5 位
4 分01秒 5
り疲労が見えてきたようであった。しかし、午前午後二回
2 部5000M
松原 純一
6 位
15分27秒 4
の練習のノルマを各自着実に消化していたようであった。
こ
2 部110MH
大竹 亘
1 位
15秒65
の午前の練習というのは、走力に重点を置き、質より量と
2 部110MH
渡部 喜一
2 位
15秒67
いう形で脚力強化を目的とした練習である。また午後の練
2 部110MH
望野 和美
5位
習は、補強運動に重点を置き、動的柔軟、上下半身強化な
2 部3000MSC 吉倉 秀男
3 位
9 分14秒 0
ど、シーズン中、肉ばなれ等、怪我をしないよう強化する
2 部10000MW 椎名 誠
4 位
53分43秒 0
のである。しかし、今回の合宿あたりでは、各個人の差と
2 部 4 ×100MR
1 位
42秒 4
いうものが、表れてきたようである。それは、イコール冬期
(呉藤秀二・勝山育雄・長谷川浩一・丹羽敏)
練習の量というものに、結びついていたようである。どのス
2 部 4 ×400MR
ポーツにも言えることだが、
冬期練習の大切さといものを改
(大貫寿雄・大竹亘・内納豊・勝山育雄)
めて痛感した。この合宿は、我が部の目標とする関東イン
2 部円盤投げ
手石正一郎
3 位
36M78
カレ一部昇格へのもっとも大事な時期にあたり、主将以下、
2 部円盤投げ
吉田 憲司
6 位
35M52
全部員の練習に対する意気込みは大変なものであった。
2 部十種競技
手石正一郎
3 位
4871
1 位
3 分19秒 8
こうして、今回の合宿も無事終ろうとしていた。最後の夜、
恒例の新入生のかくし芸大会が行なわれた。自慢の喉を奮
◦東京選手権
う者、その他豪華絢爛たる内容で、上級生も練習の疲れ
400M
勝山 育雄
5位
を忘れて、喜んでいたようであった。
800M
内納 豊
1位
とかく、陸上競技というと、単なる個人競技と思われが
ちだが、それは間違いあり、サッカー、ラグビーなどと同
◦第54回東京箱根間往復大学駅伝競走予選会
じように、チームワークというものが、重要であり、チーム
総合順位 9 位
プレイに徹しないと、個人個人の記録ものびるわけがない
総合記録 12時間06分02秒
のである。そういうわけで今回の合宿では、新入生を迎い
入れ、新たな気持ちで部員一丸となって、練習に打ち込ん
だのであった。
クラブ紹介
陸上競技は、走・投・跳を競うスポーツである。精神力
小林 孝輔(法学部教授)
監督
加藤 愼蔵
主将
大貫 寿雄
主務
和泉 正則
との戦いの個人競技であり、一方では、駅伝のようにチー
新入部員
丹羽 敏
長谷川 浩一
ムワークの競技でもある。まさにスポーツの根源であると
松井 克彦
松岡 成紀
いっても過言ではない。地味なクラブではあるが、部員一
山崎 庸崇
吉田 憲司
人一人、この陸上競技に青春のすべてを賭けている。
さて、我が陸上競技部は、現在、勝山主将を筆頭に部
98
部長
1978
(昭和53年)
関東インカレ
2部
箱根駅伝予選会
9位
■概 要
箱根駅伝
−
で行なっている。まず、短距離ブロックであるが、短距
体育会史より
離は100mから400mまた110mハードル400mハードルな
合宿記
ど 7 種類目くらいの競技があり、短距離だけでもその練
三月の下旬、私は伊豆の修善寺で行なわれた四泊五日
習内容は異なる。100、200mの練習は30、50mのスター
の合宿に新入部員として参加しました。この新入部員参
トダッシュから始まり100、150mの加速走、300mなど
加の合宿は〝新入生歓迎合宿〝と称されていて、私はど
の練習を主体に行なっている。長距離ブロックは、
800m
んな合宿になるか期待と不安でいっぱいでした。ところ
から20Kmまで、または3000m障害などの種目くらいの
が肝心な新入生は私を含め二人だけ、期待より不安の方
競技があり、800、1500mの中距離は300m、600m、など
が私の心の大勢をしめてしまいました。
の練習を中心に、また長距離は400m、1000m、駅伝の
初日にはあいにくの雨もようでしたが、短距離ブロッ
シーズンには、ロードなどの練習を行なっている。投て
クはサーキット・トレーニング、長距離ブロックは雨の
きブロックは投げ込み、ウェイト、スタートダッシュ、
中で走りこみのトレーニング。私は初日くらいは休養す
バウンディングなどの練習を主に行ない、またイメージ
るものだとばかり思っていたのですが、上級生にはすさ
トレーニングなども行なっている。跳躍ブロックは、走
まじい意気込みを感じさせられました。それもそのはず、
り込みウエイトトレーニング、走高、三段跳などの練習
五月中旬に行なわれる関東IC大会で、念願である一部校
を行なっている。この様に陸上競技はそれぞれの種目に
への昇格のために主将以下全部員が燃えていたのです
よって練習が異なり、また少ない練習時間を克服し、全
から無理もありません。
員が一つにまとまって、関東IC一部昇格を目ざして、
二日目から雨も上がり、富士山が目の前に見える程の
日々練習に励んでいる。
快晴の天気が続き、本来の合宿に突入することができま
した。午前中は、走り込みやスピード養成に主目的を置
我が部の誇りとするもの
き、午後は補助的運動や専門的技術の練習が中心でした。
我が陸上競技部は、部員数においては他校の陸上競技
新入生の私は上級生と同じ練習では、とても全部は消化
と比較すると、ほるかに少人数である。しかしながら、
できない、だいぶ少なくしてもらいましたがそれでも一
少人数とはいえ一人一人が他校に負けないバイタリ
本一本走るたびに差が大きくなるばかりで、体で感じま
ティーをもって激しい練習に、また試合に臨んでいるの
した。
である。
そして合宿最後の夜、噂に聞いていた”かくし芸大
陸上競技は一般に個人競技という印象が強いようで
会”が行なわれました。まあそれは大爆笑あり何の反応
ある。もちろん競技に臨むに際しては個人が自らの力を
もなかったりで変化に富んでいるようで楽しく、全員で
最大限に発揮しなければ勝利はないのである。しかし、
カレ・ソンを合唱して幕を閉じ、最終日のリレーカーニ
部員全員が一丸となって臨まなければならない対抗戦
バルでこの合宿は終わりました。
などにおいては、競技に出場するものはもちろん勝つこ
今回私が初めて大学の合宿に参加して得たものは、陸
とを、そして競技に出場しない者も出場者が他の事に気
上技術よりも上下の人間関係の大切さであり、ほんの少
を使わず競技だけに集中できるように配慮をし、そして
しでも青山学院陸上競技部の一員として溶け込めたこ
また応援しなければならないのである。
とではないかと思いました。この合宿で体験したことは、
このように陸上競技はチームワークも非常に重要な
これからの大学生活すべての面で生かしていけそうで
ものである、このチームワークなくしては勝利もないの
す。
ではないか。
我が部においては、非常に強い力によって各部員が結
練習ピンナップ
ばれておりそれ故に強いチームワークも存在するので
陸上という競技は、他の競技の様に、一種類だけでは
ある。
なく、いくつもの種類の競技が集まったものであるから、
我々は陸上競技を行う時は、お互いに批判し合い欠点
その練習となるとそれぞれ異なったものになる。まず四
をなおし、またお互いに激励し合い強い精神力と競技力
つに分けられ、短距離、長距離、投てき、跳躍とになる。
の向上を目ざして激しい練習に耐えているのである。そ
陸上競技部の練習は週六日間で、水、土曜を綱島グラン
してこの努力が必ず報われる時が来ることを信じて疑
ド、月、火、木、金曜には授業の関係から記念館のウェ
わないのである。
イトトレーニング室や代々木公園、織田フィールドなど
99
勝利への執念
レースを間近に控えて、ひどいスランプに落ち込んでし
勝負の世界に生きる者は、常に必勝を期して試合に臨
まいました。
むべきだと思う。
監督の加藤慎蔵先輩(今も監督さん)が大変心配され、
真剣に戦うところに相互の尊敬が生まれ、それがまさ
ロスアンゼルス・オリンピック出場の竹中正一郎先生
に学生スポーツの意義なのだと思う。
(全東京歯科大教授)の教えを乞うよう紹介してくださ
勝利を得るためには節制をし、欲望を抑えなればなら
いました。
ない。みんなが酒を飲んで遊びまわっていても、その欲
早速、三田から駒沢の先生宅へ走ってお伺いしました
望を抑制せねば勝利などほど遠いものとなってしまう
が、私の話と顔色を見て先生は
のである。
「もう走るのは止めてよろしい。試合まで美味しい物を
我々は、陸上競技という単純なスポーツに励んでいる。
食べてのんびりしなさい。一流のマラソン選手は一週間
走るという動作は基本動作のくり返しである。それゆえ
前から調整に専念する」。と言われ、自家製の山羊の乳
に一番難しいスポーツといえるかもしれない。
を沢山ご馳走して下さり、ご自身の若き日の体験を交え
他のスポーツよりも如実に技量がわかるものである。
ながら、レースのペース配分を教えてくださいました。
だから自分をごまかしてもすぐ記録にあらわれてしま
思いがけず名選手の親しいコーチを受けることがで
うのである。
きた私は、すっかり感激し、心の迷いも晴れ、レース当
絶え間ない練習が必要なのである。
日は「もう勝負はついているのだ。実力どおり完走でき
自ら汗を流し、孤独と苦しみに耐えながらひたすら走
れば満足」と自分に言い聞かせながら、神宮(国立)競
り続けるほかに勝利を得ることはできないといっても
技場をスタート、府中往復四十二キロへと向かいました。
過言ではないと思う。
途中から、自転車で叱咤激励する五十嵐隆先輩の応援
そういった意味に於いては、我々は、まだまだ努力が
に奮い起ち、一人また一人と抜き返し、鉛のように重い
足りないと思う。OBに、耳が聞こえなくなるまで走り
足を引きづりながら、 3 時間 1 分で、やっとゴールに
続けて勝者になった人がいるそうであるが、それほど勝
帰って来た私は、OB全員総出で歓喜の嵐で迎えられま
つことは厳しいのである。
した。初めの予想どおり、我が青学はどうしても得点で
自分を支えてくれるものは自分の足しかない。自らの
きず、二日目の夕方でやっと一点をとり、二部転落を免
足で力強く踏み出す為にも、どんな苦しい練習にも耐え、
れた。
精進し、努力を惜しまず、精一杯がんばって勝利を得よ
その後も竹中先生のコーチを受けた私は、その夏の千
うではないか。
葉の全本インカレを五千米 3 位、一年おいた神宮の全日
本 イ ン カ レ20km 5 位、 関 東 イ ン カ レ 二 部 で 三 冠 王
OB回想記 汗と涙の青春
(千五百米、五千米、三千障害米)、となり優勝の感激
戦後23年、夏山スキーで知られる月山の麓、山形県大
に浸り、郷里の山形県で五千米に三連勝して国体に出場、
江町から、米と味噌を背負って受験し上京し、青山学院
走ることに熱中して、勉強は余りやりませんでしたが、
と東京体専(現筑波大学体育学部の前身)に合格しまし
大ぜいの恩師、先輩、友人の温かいご指導と応援に囲ま
たが、アメリカ留学でも夢みたのか、青学へ入学、迷わ
れながら、汗と涙の素晴らしい青春時代を送ることがで
ず陸上競技部に入りました。
きました。
学費を稼ぐため、新聞配達等アルバイトをやりました
昭和二十九年文学部卒 小池 六郎
が朝日新聞記者の兄貴宅に居候したので、空腹の心配な
100
しに走ることができたことは食糧難の当時では大変恵
体育会創立25周年を迎えて
まれていました。住居が三田にあったので、暇さえあれ
青山学院大学体育会は、発足以来25周年を迎えた。そ
ばアベック天国だった芝の増上寺の山や、青学から近い
して、最近では、各クラブの活躍も目ざましく、新聞の
神宮内苑の芝生を独りで走っていました。
スポーツ面にも我青山学院の名がしばしば見られる様
昭和24年、青学は関東インカレ二部で優勝し、翌年一
である。
部へ昇格したが、当時は中大、日大が双璧であり、西田
これは、他のクラブの事でもたいへん喜ばしい事であ
勝雄、守屋喜久男といった中長距離や箱根駅伝のエース
る。さて、我陸上競技部は、体育会発足以前から歴史を
がひしめき、どの種目をみても私など到底入寮の見込み
もつ、そして、これまで数多くの輝かしい戦跡を築き上
はありませんでした。
げて来た。しかし、最近では、やや不振が続き、一部の
そこで一か八か、その年から新設されたフルマラソン
昇格の道が途ざされ、また、毎年正月に行われる、箱根
に挑戦することになりました。しかし、練習が、我流で
駅伝への出場も同じ様な結果になっている関東インカ
連日20キロと走りこんだ為か、すっかりやせおとろえ、
レなどの大会では上位入賞をする者もおり、二部では常
に上位 3 位以内には毎年入っている。つまり、もう一歩
という所で、涙をのんでいるのである。これは、クラブ
部長
小林 孝輔(法学部教授)
の人数が25人程度したおらず、これは他の大学の人数に
監督
加藤 愼蔵
比べ、 2 / 3 から半数ぐらいの人数であり人材不足、つ
主将
勝山 育雄
まり、総合力という点が原因であるのではないかと考え
主務
望野 和美
るのである。実際、部員の数は、年々減少の傾向にあり、
新入部員
荒関 昌毅
池本 孝史
陸上競技の一部昇格への夢がだんだん遠のいていく様
大貫 寿雄
小川 俊郎
な気がしてならない。これは他のクラブについても言え
後藤 康文
花岡 敏雄
る事かもしれないが、現在の陸上競技の一番の悩みと
米山 覚
渡辺 勝則
なっているのである、そして、この問題をいかに解決し
ていくか、幹部は、日々、悩み続けているのです。
しかし、ここに、青山学院大学体育会創立25周年とい
う一つのくぎりを迎えて、今年こそは、この悩みを解決
し、関東インカレ一部昇格、箱根駅伝出場という陸上競
技の目標のためのステップにし、ここ数年来不振を吹き
飛ばしたいと思います。
最後に、青山学院大学体育会の創立25周年を祝い、さ
らに体育会の発展を切に望むものであります。
■戦 績
◦第57回関東学生陸上競技対校選手権大会
2 部100M
丹羽 敏
1 位
10秒82
2 部200M
勝山 育雄
1 位
21秒94
2 部200M
丹羽 敏
2 位
22秒15
2 部400M
勝山 育雄
1 位
49秒24
2 部800M
内納 豊
1 位
1 分53秒 6
2 部1500M
内納 豊
2 位
3 分54秒 1
1 位
42秒13
2 部 4 ×100MR
(呉藤秀二・勝山育雄・吉田悟・丹羽敏)
2 部 4 ×400MR
1 位
3 分18秒 3
(丹羽敏・松井克彦・内納豊・勝山育雄)
2 部走り高跳び森田 大
4 位
1 M90
2 部円盤投げ
手石正一郎
2 位
38M68
2 部円盤投げ
吉田 憲司
5 位
37M08
2 部やり投げ
池本 孝史
3 位
63M76
◦第47回日本学生陸上競技対校選手権大会
100M
丹羽 敏
5 位
11秒06
200M
丹羽 敏
6 位
22秒03
800M
内納 豊
2 位
1 分54秒 5
内納 豊
2位
◦東京選手権
800M
◦第55回東京箱根間往復大学駅伝競走予選会
総合順位 9 位
総合記録 11時間25分24秒
101
1979
(昭和54年)
関東インカレ
2部
箱根駅伝予選会
10位
■概 要
箱根駅伝
−
目指す。六月から七月にかけては、東北学院戦や各都道
体育会史より
府県選手権が目標となる。夏から秋のシーズン到来にか
春季合宿記
けては、団体や全日本インカレを目指し、各自がそれぞ
新入生歓迎合宿は三月十七日から二十一日の四泊五
れの地方の強化合宿に参加し、それに加えて二度の夏季
日に渡り行われました。上野から約二時間、列車の中で
合宿を組んでいる。団体、全日本インカレが終了すると、
僕等の心は不安と期待でいっぱいでした。
「どんな練習
短距離ブロックは、過渡期へ入るが、長距離ブロックは、
をするのだろう」
「先輩は厳しいのだろうか」
「練習につ
もう一つの大きな目標である箱根駅伝予選会に向け、
いてゆけるだろうか」etc……。
ロードの練習が中心となり、毎日二十kmから三十km程
合宿場所である茨城県高萩大心苑に到着すると休む
の走り込みが続く。前述したように、我が部の現在の大
間もなく午後から練習開始。
「それでは今日は八十分
きな目標は、関東インカレ一部復帰と、箱根駅伝の出場
ジョッグ」と言われ、初日ぐらいは軽い練習で終わるも
である。各自が、それぞれの責任を自覚して毎日の苦し
のと思っていた僕等は、非常に驚かされました。(もっ
い練習に耐えている。陸上競技とは、自分と戦う勇気を
とも先輩達にとっては、その位は軽い練習のうちに入っ
最も必要とするスポーツのひとつである。試合において
たのでしょが)冬期はほとんど練習をしていなかった僕
相手と勝敗を争う前にまず、自分との戦いがあり、そし
等は、ついて行くだけで精一杯。気楽に走る先輩達を見
てそれはまた、自己の弱さを強い意思で克服して行われ
て、これから四日間どうなるのだろとますます不安にな
るべき毎日の練習によって裏付けられて初めて乗り越
りました。あくる日からは、長い距離のインターバルト
えることが可能となるのである。このようなセオリーが
レーニングを中心に気合の入った練習が開始されまし
あるからこそ、我々は一日一日の練習において完全燃焼
た。僕等は本数をだいぶ減らしてもらってもまったく先
しようと努力し、そしてそれを目標にしているのである。
輩にはついて行けず差はひらく一方、冬期間のブランク
陸上競技とは、確かにある面では、個人競技としての性
の為、力のおとろえと共に、先輩との力の差をひしひし
格が強いと言える。しかし部員全体のもり上がりがある
と感じました。五月中旬に行われた関東インカレでの一
からこそ、それぞれの競技種目において全力、又はそれ
部昇格への復帰昇格を目指し、先輩達の練習は真剣その
以上の力が発揮されるものであると言う事を我々は信
ものでした。
じている。部員数は、他の大学に比べて決して多いとは
新入生歓迎合宿といっても新入生はわずか三人、(そ
言えないが、少数精鋭をモットーとして、各自が、大き
の後六人にふえましたが)三人共、ヒザや足の甲を痛め
な可能性を秘めた自分の若い力を最大に発揮し、伝統あ
たり、マメをつぶしたりして非常に苦しい五日間でした。
るこの陸上競技の名に恥じぬよう、全力を尽くしている。
最後の夜は打ち上げ会が行われ、フテ寝あり、○踊り
ありで大爆笑、最終日はリレーカーニバルでこの合宿は
■戦 績
幕を閉じました。
◦第58回関東学生陸上競技対校選手権大会
この合宿に参加して得たものは、陸上の技術はもちろ
2 部100M
丹羽 敏
1 位
10秒82
んのこと、それ以上に上下の人間関係の大切さです。合
2 部200M
丹羽 敏
1 位
22秒24
宿を通じ青山学院大学陸上部の一員として、いくらかで
2 部800M
内納 豊
1 位
1 分52秒 3
も溶け込めたのではないかと思います。この合宿で見た
先輩達の陸上競技に取り組む真剣さを見習いこれから
2 部800M
荒関 昌毅
2 位
1 分53秒 4
の競技生活に有効に生かしてゆきたいと思います。
2 部1500M
内納 豊
4 位
3 分58秒 0
3 位
42秒61
練習ピンナップ
(吉田悟・長谷川浩一・飛田秀一・丹羽敏)
現在、我が陸上競技部は、短距離中心のブロック(跳
2 部 4 ×400MR
躍、投テキを含む)と長距離ブロックの二つに大きく別
(飛田秀一・松井克彦・丹羽敏・内納豊)
れて練習しており、この二つのブロックにより各シーズ
2 部走高跳
垣本 克則
3 位
1 M90
ン等において、それぞれ違った練習プログラムをたて、
2 部走高跳
森田 大
6 位
1 M85
それに従って向上を計っている。春のシーズンは両ブ
2 部円盤投
手石正一郎
2 位
41M80
ロックとも、毎年五月に中旬に行われる関東インカレを
2 部やり投
池本 孝史
2 位
64M96
大きな目標とし、二度の春季合宿を組み得点力の増大を
2 部十種競技
手石正一郎
4 位
5406
※大会新記録
2 部 4 ×100MR
102
3 位
3 分22秒 6
◦第48回日本学生陸上競技対校選手権大会
やり投
池本 孝史
3 位
新入部員
小谷 夏代
馬場 芳信
68M46
◦第56回東京箱根間往復大学駅伝競走予選会
総合順位 10位
総合記録 12時間06分06秒
部長
小林 孝輔(法学部教授)
監督
加藤 愼蔵
主将
内納 豊
主務
佐野 道雄
1980
(昭和55年)
関東インカレ
2部
箱根駅伝予選会
9位
■概 要
箱根駅伝
−
にか先輩は見えなくなってしまうのです。合宿中の練習
体育会史より
は新入生はジョック中心でしたが、先輩達の練習を見て
春季合宿記
いると、とても人間のやることとは思えず、自分が一緒
新入生五人を含めた春季合宿(新入生歓迎合宿)は伊
に練習した時のことを考えると鳥肌が立つのでした。
豆の修善寺において四泊五日で行われました。
練習が終っても、生活面での指導を受け息の休まる暇
僕達新入生にとってはすべてが始めての経験である
もなく、緊張した気持と疲労が重くなり心身共にまいっ
この合宿は、出発前から不安と緊張感そしてまるで修学
てしまうのですが、そういう時には五十円のアイスをホ
旅行にでも行くような期待感と、さまざまな思いを心に
テルで買って棒に「あたり」と書いてあれば、すごく元
秘めて東京駅に集合したのでした。
気が出て練習の疲れもどこへやら、明日の練習にファイ
陸上競技というのは個人競技。選手も、とかく個人的
トが噴火するのでした。
になりがちで、それぞれの個性が強くなります。今年の
こうして合宿も一日一日と過ぎて行き、最後の夜は
新入生もその個性にかけては右に出るものなし。東京駅
OBの方のありがたい御言葉を足がしびれるほど聞き、
に集まった姿を見て下さい。グレーのスーツに身をまと
ほんとうに有意義な合宿が終了したのでした。
い、頭を角刈りにしてポケットに手をつっこんで肩を怒
からせてこっちに歩いてくる人。この人も新入生?まる
我が部の誇りとするもの
でヤクザ映画にでも出てくるような感じ。これにはさす
我が陸上競技部は、他大学と比較して非常に人数が少
がの四年生も驚嘆の色をかくせないようでした。
ない。しかしながら毎年まずまずの成績でいられるのは、
さてこのような新入生を迎え陸上部はいよいよ合宿
長い歴史に基づく、伝統とOBの力添え、そして部内の
地へ出発したのでした。合宿といえばもちろん練習量が
団結力といえる。陸上競技は個人競技である為、ややも
増えるので、その喜びといったらありません。うららか
するとチームワークというものが軽視されがちである
な春の陽気にさそわれて、いつしか気持は練習での地獄
が、実はどっこい、個人競技であるが為に、かえって
の苦しみを想像し、腹をきめて合宿地へ到着。これはま
チームワークが個々の力の上昇に大きな意味をもつこ
たなんとうれしいことに、グランドはホテルの目の前、
とになるのである。毎日毎日の練習を共にし、年三十日
いくらでも練習できます。喜びは倍増し体は震え出すの
程ある合宿で生活を共にしていく間で、互いにライバル
でした。
意識を燃やすと同時に、仲間として励まし、先輩として
その日の午後から練習開始。長距離陣のメニューは
後輩を守り、後輩としては先輩に相談し、部全体がそう
七十分ジョックです。なんだジョックか、楽勝だ。と思
して刺激し合って成長していくのである。
うのもつかの間。恐ろしい坂道をすごいスピードでかけ
我が部は、競技の事はもちろんの事、学業の事、私生
上がるので、心臓はびっくりして苦しくなり、いつのま
活の事など、あるいは女性関係に至るまで、学年に関係
103
なく、何でも相談できる環境にある。そうした事が、自
2 部やり投
池本 孝史
1 位
72M48
分自身との戦いであり試合においても練習においても
相手との勝敗を争う以前に、自己の弱さを強い意志で克
◦第49回日本学生陸上競技対校選手権大会
服していかねばならない陸上競技というスポーツを続
100M
丹羽 敏
4 位
10秒79
ける為に非常に大きな役割を果たしているのである。
それぞれに異なった考え方はあっても、我が青学陸上
◦第57回東京箱根間往復大学駅伝競走予選会
部には、自己をより伸ばしたい、成長したい、と考えな
総合順位 9 位
い者はいない。この点に関する情熱の結果は、どんなに
総合記録 11時間41分14秒
人数の多いチームにも負けないものがあるのだ。今年は、
数年前まで連続出場していた、箱根駅伝復帰のチャンス
である。その為、OBの方々が非常に期待し、注目して
部長
小林 孝輔(法学部教授)
くださっており、卒業されていった優秀な先輩方が度々
監督
加藤 愼蔵
お顔を出され、励ましの言葉を残していって下さってい
主将
丹羽 敏
るが、やるのは我々自身である。OBの方々の気持に負
主務
吉田 憲司
けない現役の力で、平年以上の練習を消化して、十一月
新入部員
池田 伸
鶴岡 正樹
に行われる箱根駅伝の予選会を突破すべく励んでいる
長崎 和美
中村 邦彦
毎日である。
橋爪 明
■戦 績
◦第59回関東学生陸上競技対校選手権大会
2 部100M
丹羽 敏
2 位
11秒05
2 部110MH
飛田 秀一
5 位
15秒69
2 部200M
丹羽 敏
1 位
22秒05
2 部800M
荒関 昌毅
1 位
1 分54秒 7
2 部1500M
荒関 昌毅
1 位
3 分57秒 5
2 部1500M
花岡 敏雄
4 位
3 分58秒 0
2 部5000M
後藤 康文
3 位
14分31秒 1
2 部3000MSC 後藤 康文
3 位
9 分09秒 3
2 部 4 ×100MR
2 位
42秒37
(馬場芳信・渡辺勝則・長谷川浩一・丹羽敏)
2 部円盤投
吉田 憲司
3 位
38M34
1981
(昭和56年)
関東インカレ
2部
箱根駅伝予選会
10位
■概 要
104
箱根駅伝
−
名、だったのです。
体育会史より
仲間もおらず、不安が期待を覆い隠し、体中緊張感に
春季合宿記
包まれた若干一名の新入生は、それでも、富士山に励ま
3 月22日午前11時、東京駅12番線から、伊豆61号が青
され、勇気づけられ、そして心はすでにグランドへ…。
山学院陸上競技部を乗せて出発しました。窓の外は快晴。
緑の山に囲まれたホテル。4 階の部屋の窓から眺めると、
まるで 4 泊 5 日の新入生歓迎合宿に向かう新入生一同
すぐ下にグランドが…。
の、希望ではちきれそうな心に応えてくれているかのよ
“合宿”の匂いのあちらこちらに漂うホテルでした。こ
うでした。…と言いたいところなのですが、窓のこちら
の素晴らしい環境で、黙々と走る先輩。その姿を見てい
は曇。本当に新歓合宿なのだろうか、という声がちらほ
ると、インカレへの闘志が、新入生である私にまで伝
ら。不満の色濃厚です。それもそのはず、新入生若干一
わってきました。先輩の、一つ一つ確実にこなしていく
練習量を見て驚き、そして自分の 4 年間の陸上競技生活
気力と責任感に満ちているのである。今の我が部が、目
に対する決意を新たにするのでした。
標を達成するためには、インターカレッジに於て、部員
厳しい練習の合い間にテニス、ピンポンなどをし、ま
全員がまんべんなく得点し、また、一人として脱落する
た、3 日目の午後にはソフトボール大会が催されました。
ことなく、箱根駅伝予選会を走ることが必要である。そ
そして、練習中に見る先輩方の厳しい、陸上に燃える顔
のために、我々は、毎日苦しい練習にも耐えているので
とは全く違う顔、もう一つの面を見ることができたので
ある。部員一同が団結し、だいぶ遠いものとなってきた
す。
夢、関東インターカレッジ一部昇格、箱根駅伝出場を、
前評判の悪かった食事。一番心配していた食事も、空
我々の手に取り戻そうではないか。
気はきれいだし、優しい先輩に囲まれていたので、とて
もおいしく食べることができました。
■戦 績
という訳で、不安と緊張で始まった合宿も無事に終わ
◦第60回関東学生陸上競技対校選手権大会
り、合宿に参加するまで、練習に出ていたものの、クラ
2 部100M
渡辺 勝則
4 位
11秒17
ブの人間になれないでいた私も、合宿を通してやっと陸
2 部200M
渡辺 勝則
4 位
22秒58
上部の一員になれた様な気がしました。一人一人が自分
2 部800M
荒関 昌毅
1 位
1 分56秒 3
のもつ目標に向かって努力し、そしてクラブ全体がまた
2 部800M
花岡 敏雄
3位
一つの目標のために団結する。団体競技にはない、個人
2 部1500M
荒関 昌毅
1 位
3 分59秒 7
競技独特の輪があり、かつ、少人数ならではの、家庭的
2 部1500M
花岡 敏雄
4 位
4 分01秒 0
雰囲気のある陸上競技部です。その一員になれ、幸せな
2 部5000M
後藤 康文
2 位
14分38秒 8
気持ちで新歓合宿の幕を閉じました。
2 部3000MSC 後藤 康文
2 位
9 分22秒 5
2 部 4 ×400MR
4位
2 部やり投
1 位
我が部の名物
池本 孝史
65M30
陸上競技は個人競技である、とよく言われる。また、
練習量が、その人の記録を正直に表す、とも言われる。
◦第58回東京箱根間往復大学駅伝競走予選会
しかし、いくら苦しい練習を積み重ねても、一向に記録
総合順位 10位
が伸びず、本当に嫌になってしまう時期もある、そんな
総合記録
時に大切なのは、それまで以上のガムシャラな練習や、
それに耐えうる精神力はもちろんの事、それ以上にチー
ムメイトの存在であると思う。体を極限まで追いつめる
部長
小林 孝輔(法学部教授)
競技、孤独である。とまで言われる陸上競技においての
監督
茨木 與市
チームメイトの間の連帯感、団結力は、団体競技におけ
コーチ
渡辺 周孝
るそれにも勝るものである、と思う。
主将
荒関 昌毅
さて、現在、我が陸上競技は、部員二十一名、綱島グ
主務
小川 俊朗
ランド、代々木公園、織田フィールドなどに於て、週四
新入部員
江口 滋
古閑 郁夫
日の合宿練習、二日の個人練習に励んでいる。我が部の
紺野 充宏
瀬村 浩芳
最大の目標は、関東インターカレッジでの一部校への昇
戸浪 聡
原田 久嗣
格、一月に行われる箱根駅伝の出場権を獲得することで
松本 光三
和田 裕二
ある。関東の大学で陸上競技を行う我々にとって、国立
競技場を覆い尽くす応援の中で競技することは夢であ
り、箱根路を、タスキを肩に走ることはあこがれであり、
名誉でもあるのだ。しかし、近年では、ほとんどが、あ
と一歩の所で涙をのんでいるのが現状である。これは、
我が部が、他大学に比べ、圧倒的に部員数が少ない事が
大きな理由になっている。今年度は、特に部員の減少が
激しく、短距離ブロックでは、リレーチームを組むこと
すら難しく、長距離ブロックでは、箱根駅伝の予選会へ
の出場も危ぶまれる状況である。しかし、この様な現状
でも、我々の陸上競技に対する情熱は決して薄れること
はない。むしろ、各々が、自分がやらなければ、という
105
1982
(昭和57年)
関東インカレ
2部
箱根駅伝予選会
不参加
■概 要
箱根駅伝
−
◦第51回日本学生陸上競技対校選手権大会
800M
体育会史より
池田 伸
7位
主将抱負
我が陸上競技部の最大の目標は、なんといってもイン
◦第37回国民体育大会
カレ一部への復活、箱根駅伝出場の二つである。体育大
成年B800M
池田 伸
4位
学の、大所帯の陸上競技部に乗っ取られた感のある最近
のインカレ一部校や箱根駅伝に、20人弱という小部隊で
◦関東学生対東日本実業団対抗
割り込んでいくのは、並たいていのことではない。部員
1500M
池田 伸
4位
各自が「俺がやらねば」という強い意志を持って、十分
な練習量をこなし、インカレでは一点でも多く得点し、
◦第59回東京箱根間往復大学駅伝競走予選会
箱根予選会では一秒でも早く走るんだという自覚が必
不参加
要である。圧倒的に人数が少ない我々は、一人一人の責
任が非常に大きく、かかるプレッシャーに大変大きなも
のとなる。プレッシャーをはねのけ、大試合で好成績を
部長
小林 孝輔(法学部教授)
残すためには、納得のいく練習を十分にこなすことしか
監督
茨木 與市
ない。もう一つ、全日本インカレや日本選手権といった
コーチ
渡辺 周孝
全日本級の大会で、上位入賞者をぜひ出したい。それだ
主将
馬場 芳信
けの素質のある者はそろっている。あとは自覚と練習量
主務
中村 邦彦
だと思う。
新入部員
石川 雄司
石原 智洋
内池 貴明
柴田 美穂
日頃の活動について
森 智昭
今年度の陸上競技部は、例年になく多くの新入部員、
とくに女子部員を 5 名も迎え、総勢30名と、更に活気を
増した感じです。練習は、火金は厚木と青山に分散して
行いますが、水土は、綱島グランドか代々木の織田
フィールドを使用しています。春は関東インカレ・東北
学院戦・東大、農大との三大学対抗戦、また秋は箱根駅
伝予選会、全日本インカレが主な試合となっています。
そして、その間に行われる数々の公式記録会で自己記録
の更新に努力しています。合宿も年 4 回程あり、今夏は、
綱島で前代未聞の 2 週間超ロングラン合宿を行ないま
した。陸上というと、とかく暗く個人中心の競技と思わ
れがちですが、我が青学陸上部に限れば、それはほとん
ど当てはまらない程、底抜けに明るい、個性的な部員ば
かりで、部の雰囲気も極めてなごやかです。来年度は是
非、インカレ上位入賞と、箱根駅伝出場を果たすために、
部員一同、一体となって頑張っていくつもりです。
■戦 績
◦第61回関東学生陸上競技対校選手権大会
106
2 部800M
池田 伸
1 位
1 分58秒 0
2 部800M
江口 滋
4 位
1 分58秒 3
2 部1500M
池田 伸
1 位
3 分59秒 2
2 部3000MSC 橋爪 明
2 位
9 分19秒 5
1983
(昭和58年)
関東インカレ
2部
箱根駅伝予選会
失格
箱根駅伝
−
■戦 績
◦第62回関東学生陸上競技対校選手権大会
部長
小林 孝輔(法学部教授)
2 部400M
袴田 保博
6 位
49秒91
監督
茨木 與市
2 部800M
池田 伸
1 位
1 分52秒83
コーチ
渡辺 周孝
2 部800M
江口 滋
2 位
1 分53秒58
主将
池田 伸
2 部1500M
江口 滋
2 位
3 分58秒 8
主務
鶴岡 正樹
2 部1500M
池田 伸
4 位
新入部員
安藤 弘敏
小竹 尚徳
2 部3000MSC 橋爪 明
2 位
9 分19秒 0
金子 智美
狩野 章
2 部 4 ×400MR
2 位
3 分18秒 8
(袴田保博・瀬村浩芳・松田孝修・池田伸)
長崎 達
袴田 保博
松田 孝修
吉濱太一郎
◦第60回東京箱根間往復大学駅伝競走予選会
総合順位 失格
総合記録
1984
(昭和59年)
関東インカレ
2部
箱根駅伝予選会
8位
箱根駅伝
−
■戦 績
◦第63回関東学生陸上競技対校選手権大会
部長
小林 孝輔(法学部教授)
2 部800M
松田 孝修
1 位
1 分53秒05
監督
小池 修一
2 部800M
江口 滋
5 位
1 分53秒95
コーチ
岩崎 省三
2 部800M
瀬村 浩芳
6 位
1 分54秒23
コーチ
丹羽 敏
2 部1500M
鈴木 博貴
5 位
3 分58秒71
主将
江口 滋
2 部3000MSC 鈴木 博貴
1 位
9 分13秒48
主務
村瀬 浩芳
2 部3000MSC 安藤 弘敏
6 位
9 分21秒66
新入部員
上北 夏陽
2 部 4 ×400MR
4 位
3 分20秒42
(瀬村浩芳・松田孝修・江口滋・袴田保博)
◦第61回東京箱根間往復大学駅伝競走予選会
齋藤 雅彦
桜井 里夏
鈴木 博貴
辻 美和
名子 正明
野口 文男
濱口 晶子
原 玲子
松井 一浩
山崎 一郎
総合順位 8 位
南澤 篤
総合記録 10時間55分41秒
渡瀬宣太郎
107
1985
(昭和60年)
関東インカレ
2部
箱根駅伝予選会
8位
箱根駅伝
−
■戦 績
◦第64回関東学生陸上競技対校選手権大会
部長
小林 孝輔(法学部教授)
2 部110MH
名子 正明
1 位
14秒97
監督
小池 修一
2 部800M
松田 孝修
1 位
1 分53秒65
コーチ
岩崎 省三
2 部3000MSC 鈴木 博貴
2 位
9 分02秒99
コーチ
丹羽 敏
2 部20KM
4 位
1 時間04分37秒
主将
森 智昭
2 位
3 分19秒48
主務
石原 智洋
(名子正明・袴田保博・桑原孝之・松田孝修)
新入部員
川野伊佐生
武田 太
寺澤 広美
◦第54回日本学生陸上競技対校選手権大会
西尾 昭一
平野 昌利
平山 尚史
吉浜太一郎
2 部 4 ×400MR
3000MSC
鈴木 博貴
2 位
9 分02秒05
國府田 篤
◦第62回東京箱根間往復大学駅伝競走予選会
総合順位 8 位
総合記録
1986
(昭和61年)
関東インカレ
2部
箱根駅伝予選会
9位
箱根駅伝
−
■戦 績
◦第65回関東学生陸上競技対校選手権大会
小林 孝輔(法学部教授)
2 部110MH
名子 正明
1 位
14秒96
監督
小池 修一
2 部400MH
田中 浩至
6 位
55秒57
コーチ
岩崎 憲三
2 部400M
袴田 保博
5 位
49秒75
主将
松田 孝修
2 部800M
松田 孝修
3 位
1 分55秒43
主務
長崎 達
2 部1500M
長崎 達
4 位
3 分59秒38
新入部員
青木由美子
2 部3000MSC 鈴木 博貴
1 位
9 分05秒75
大塚 勝
河島 一仁
2 部3000MSC 斉藤 雅彦
3 位
9 分05秒75
田中 浩至
豊田雄一郎
2 部5000M
鈴木 博貴
6 位
15分11秒27
早川 幸弘
藤川 元則
2 部10000M
吉浜太一郎
6 位
31分36秒37
古山 泰輝
三浦 裕司
2 部20KM
吉浜太一郎
3 位
1 時間05分31秒
吉田 統郎
3 位
42秒96
2 部 4 ×100MR
(田貴弘・西尾昭一・袴田保博・名子正明)
2 部 4 ×400MR
3 位
3 分18秒18
(平野昌利・袴田保博・桑原孝之・松田孝修)
◦第55回日本学生陸上競技対校選手権大会
3000MSC
鈴木 博貴
2 位
8 分56秒76
◦第63回東京箱根間往復大学駅伝競走予選会
総合順位 9 位
総合記録
108
部長
太田 勇
1987
(昭和62年)
関東インカレ
2部
箱根駅伝予選会
14位
箱根駅伝
−
■概 要
青山スポーツより
部長
小林 孝輔(法学部教授)
活動報告
OB会長
阿部 義一
現在わが体育会陸上競技部において最も重要な試合
監督
小池 修一
は、関東インターカレッジである。近年は、残念ながら
コーチ
岩崎 憲三
二部にとどまっている。
コーチ
安藤 弘敏
春先、シーズン開幕まもなく行われるこの関東インカ
主将
鈴木 博貴
レに全力投球する。そして、国立競技場での 3 日間が終
主務
南澤 篤
わると、次々に大会が開催され、各自の持ちタイムに
新入部員
置鮎 葉子
生田 雅之
よってこのあとの全日本インカレ、東日本実業団学生対
上野 陽介
大沼 明子
抗選手権へと舞台を移す。
梶本 有里
川上 勝義
6 月には毎年恒例の対抗戦となる。本競技部は東北学
澤池 瑞恵
鈴木 賢一
院戦の他にもう一つ、三大学対抗戦(東京農大・東京大
瀬戸 昇
松井 孝雄
学そして本学)を行う。東北学院戦同様に順番に当番校
宮本 圭介
原田 俊哉
となる。
この関東インカレ・東北学院戦・三大戦で当部の前期
の主なる行事は終了する。
そして 8 月、合宿が始まる。この時期から、長距離ブ
ロックは11月 3 日に行われる箱根駅伝予選会一つに焦
点をあわせ、過酷な練習に汗を流す。
正月の箱根駅伝をめざし 4 年生も11月のこの予選会
まで引退しない。この後、納会を迎え 4 年生の引退と共
に実質陸上シーズンは終わる。
■戦 績
◦第66回関東学生陸上競技対校選手権大会
2 部110MH
名子 正明
1 位
15秒07
2 部110MH
古山 泰輝
8 位
16秒08
2 部400MH
田中 浩至
7 位
55秒12
2 部1500M
鈴木 博貴
5 位
3 分58秒10
2 部3000MSC 鈴木 博貴
1 位
8 分57秒11
2 部 4 ×400MR 3 位
※大会新
3 分20秒59
(平野昌利・古山泰輝・吉田統郎・三浦裕司)
女子800M
浜口 晶子
7 位
2 分17秒92
女子3000M
梶本 有里
4 位
9 分49秒48
◦第56回日本学生陸上競技対校選手権大会
女子3000M
梶本 有里
5 位
9 分44秒 9
◦第64回東京箱根間往復大学駅伝競走予選会
総合順位 14位
総合記録
109
1988
(昭和63年)
関東インカレ
2部
箱根駅伝予選会
13位
箱根駅伝
−
■概 要
青山スポーツより
部長
小林 孝輔(法学部教授)
副将 豊田雄一郎
OB会長
阿部 義一
幹部の抱負
総監督
小池 修一
現在わが体育会陸上競技部において重要な試合は、関
監督
平林 清造
東インターカレッジと、箱根駅伝予選会である。近年、
コーチ
岩崎 憲三
残念ながら、関東インカレでは二部にとどまっており、
主将
武田 太
又、箱根駅伝は13年間本選に出場していない。
主務
国府田 篤
まず春先、トラックシーズンが開幕するや、間もなく
新入部員
岩渕 修
宇田川和弘
関東インカレが国立競技場で行われる。この大会が終わ
櫻木 知子
鈴木 正彦
ると全日本インカレに舞台を移す者もいれば、秋に向け
西村 武郎
藤井 剛
て基礎練習に入る者もいる。
青木 健至
伊牟田陽一郎
6 月には、恒例の東北学院戦、三大学戦(東京大・東
伏見 康雄
門城 英樹
京農大・本学)の二つの対校戦が行われる。これらが終
野田亜友子
了と共に、前期の主行事は終わりとなる。 8 月、9 月は
合宿が目じろ押しである。この時期、長距離ブロックは
11月の箱根駅伝予選会に焦点をあわせ、過酷な練習に汗
を流す。そして、11月の箱根駅伝予選会が終わると、4
年生は引退する(もちろん、本選に出場となれば正月ま
で引退しない)
。以上が年間の大まかな予定であるが、今
年は選手層が長短両ブロックとも充実してきた、今年こ
そは、関東インカレ二部優勝、箱根駅伝本選出場、の二
つを目標に部員一丸となってチャレンジャー精神で実
現したい。
■戦 績
◦第67回関東学生陸上競技対校選手権大会
2 部1500M
伊牟田陽一郎
5 位
3 分58秒89
2 部20KM
武田 太
7 位
1 時間03分55秒
8 位
3 分23秒42
2 部 4 ×400MR
(平野昌利・伊牟田陽一郎・吉田統郎・三浦祐司)
女子100MH
大沼 明子
8 位
14秒88
女子3000M
梶本 有里
5 位
9 分37秒73
女子10000M
梶本 有里
2 位
34分44秒32
◦第57回日本学生陸上競技対校選手権大会
女子100MH
大沼 明子
7 位
14秒61
女子3000M
梶本 有里
3 位
9 分37秒86
◦第65回東京箱根間往復大学駅伝競走予選会
総合順位 13位
総合記録 11時間24分14秒
110
1989
(平成元年)
関東インカレ
2部
箱根駅伝予選会
17位
■概 要
箱根駅伝
−
のの結果は17位と惨たんたるものだった。その中で 1 人
青山スポーツより
気をはいたのが瀬戸であった。来年は瀬戸を中心に皆頑
今年の抱負 張ってくれる事を願う。
昨年の箱根駅伝予選会において、主力選手の不調のた
め思わぬ惨敗を喫してしまったが、幸いなことにメン
バー的にあまり変らず、加えて有望な新入部員を 3 名獲
■戦 績
得できた。そして、これまでの甘さを取り去り、意識改
◦第68回関東学生陸上競技対校選手権大会
革をし、これまで以上の練習をこなす意味で 2 月から約
2 部110MH
古山 泰輝
7 位
15秒70
2 ヵ月間の合宿を行うことによって私生活の面から正
女子10000M
梶本 有里
4 位
34分22秒97
し、朝、午前・午後と三部練習をしている。
部員が少ないため層のうすさは否めないが、1 人 1 人
◦第58回日本学生陸上競技対校選手権大会
自覚をもち本気で物事に取り組めば必ず道は開けると
女子100MH
大沼 明子
7 位
14秒91
いうことを信じ、今年こそ念願の箱根駅伝出場を目指し、
女子3000M
梶本 有里
8 位
9 分33秒38
士気が大いに高まっている。また、関東インターカレッ
ジにいおいても 4 年前の 2 部トラック優勝以来、下降線
◦関東選手権
をたどっているが、短距離陣も 2 月から 3 月にかけて 3
女子100MH
大沼 明子
1 位
14秒44
回の合宿を行ない、長距離陣に負けず劣らず気合が入っ
女子10000M
梶本 有里
1 位
34分49秒 7
ており、奮起が期待される。昨年の我が陸上競技部は屈
辱的なシーズンであった。しかし、その屈辱をバネに、
◦第66回東京箱根間往復大学駅伝競走予選会
今年に賭ける部員の意気込みは目を見張るものがある。
総合順位 17位
そして、2 大目標である箱根駅伝出場、関東インターカ
総合記録 11時間18分52秒
レッジ 1 部昇格を目指し、その礎となるシーズンを迎え
ることであろう。
部長
小林 孝輔(法学部教授)
主将 豊田雄一郎
OB会長
阿部 義一
観戦記
総監督
小池 修一
春のシーズンの到来を告げる関東インターカレッジ
監督
平林 清造
が今年も 5 月19~21日にやって来た。場所は国立競技場
コーチ
岩崎 憲三
である。本校は二部校であるが、二部校のレベルも毎年
コーチ
竹山 勝
上がっていき入賞するものも大変難しくなってきた。そ
主将
豊田雄一郎
の中で期待できる種目は、男子では110mH、5000mと
主務
太田 勇
20kmである。110mHでは 4 年の古山が最後を飾り 7 位
新入部員
今堀 忠義
江間 康弘
に入賞。しかし5000mは 1 年の濱崎が前半はよくついた
濱崎 貞一
林 裕城
ものの後半はもうメロメロという状態であった。20km
福島 和弘
でも副将の瀬戸が10kmぐらいまではトップグループに
いたものの後半はスタミナ切れでダウン。練習不足を痛
感させられた。その中で女子では梶本が10000mで 4 位
に入賞した。大沼は去年は入賞したものの今年は入賞で
きなかった。しかし 6 月 2 日~ 4 日、国立競技場で行わ
れた全日本インターカレッジにおいて、大沼は100mH
で 7 位に入賞し名誉挽回した。又この大会で出した14秒
18は今年度の日本ランキング11位に入る立派なもので
あった。3000mでも大会新で梶本が 8 位に入賞した。
また秋のメインでもある箱根駅伝予選会においては、
こちらもハイレベルになり、去年のタイムを上回ったも
111