ることはごくまれであり、(1) のような日本語が英語と なったのには特別な理由がある。(1a) の bonze はザビ エルの手紙に記されていたものであり、後にこの手紙は 英訳され、 『聖フランシスコ・ザビエル全書簡』として出 版された。次に、(1b) の 6 語は平戸商館長を務めたイギ リス人のリチャード・コックス (1566-1624) の『イギリ ス商館長日記』(1615-22) に由来する。この日記は当時 の商館の経営状態や日英交渉を知る貴重な資料であり、 その中のいくつかの日本語が英語となっている。一方、 (1c) の inro はアダムズがイギリスに送った手紙に記さ れていたものである。 (1) a. bonze「坊主」(1552、英訳は 1677) b. shogun (1615), kami「神」, s(h)amisen, tabi, tatami (1616). tai「鯛」(1620) c. inro「印籠」(1617) 公開講座 藤原教授の英語のはなし 第 11 弾 「英語になった日本語」 講 師: 藤 原 保 明 (筑波大学名誉教授) 6 月 20 日(土) 茗渓会館にて 「ハラキリ」 、 「ゲイシャ」 、 「ツナミ」などは古くから 英語になっているが、最近はどんな語があるのか探って みた。 1 最新の情報を英語辞典から探る 世界最大の英語辞典『オックスフォード英語辞典』 (The Oxford English Dictionary)(1989 年に第 2 版刊 行、以下 OED2)には約 60 万語が収録されている。最も 古い時期の古英語の語彙は約 5 万語であることから、千 年ほどの間に英語の語彙は 55 万語増えたことになる。 そのほとんどはラテン語、フランス語などの外国語から の借入による。イギリスでは、宗教改革、ルネッサンス、 産業革命などにより、新たな物や概念を表す必要が生じ ると、新しい語が作られ、外国語が借入された。 日本語も英語の語彙の増強に貢献してきたことから、 その実態を探ってみた。 OED2 は刊行後 26 年も経過し、 借入語の最新情報を提供できないことから、中規模の辞 書ではあるが約 35 万語を収録している最新の Oxford Dictionary of English (2010 年に第 3 版刊行、以下、 ODE3) から日本語に由来する英語を抽出し、分析を行 った。 3 鎖国から日米和親条約以前の 215 年間 2 鎖国体制確立以前 江戸幕府の鎖国以前に日本にやってきた西洋人は、 1543 年に種子島に漂着し鉄砲を伝えたポルトガル人、 そ の 6 年後の 1549 年に日本にキリスト教を伝えたスペイ ン人宣教師フランシスコ・ザビエル(1506-52)、および、 1600 年にオランダ船リーフデ号で豊後に漂着したイギ リス人航海士ウィリアム・アダムズ (1564-1620、日本名、 三浦按針) とオランダ人のヤン・ヨーステン (Jan Joosten, -1623、日本名、耶揚子) など、ごく少数であっ た。しかも、ザビエルは故国への帰路に死亡し、アダム ズとヨーステンは徳川家康の外交顧問として活躍したが、 アダムズは平戸で病死し、 ヨーステンも航海中に難破し、 日本語を広く海外に広めることはなかった。 このような状況により、鎖国体制が確立する 1639 年 以前に日本語がイギリスに伝わり、英語として用いられ 1 徳川幕府の鎖国体制が確立すると、日本で唯一の貿易 地は長崎の出島のみとなり、平戸にいたオランダ人はこ こに移住させられた。それ以降、日米和親条約を締結す る 1854 年までの 215 年間、出島に出入りする西欧人だ けがヨーロッパに日本の文物を伝え得るという状況であ った。 それゆえ、この間に英語になった日本語は (2) に示し たごくわずかなものに限られた。ちなみに、(2c) の 17 の 日本語は 1727 年から英語として用いられ、しかも数が 他の年よりはるかに多いが、いずれもドイツ人医師で博 物学者のエンゲルベルト・ケンペル (1651-1716) の『日 本誌』に依存している。彼はオランダの東インド会社に 医師として着任し、その後、日本に滞在し (1690-92)、こ の間に日本の社会・政治・宗教・動植物を観察し、それ を書物に著し、ヨーロッパ人の日本研究、日本観に大き な貢献をした。 (2) a. 1687 年: sake b. 1696 年: soy「醤油」 c. 1727 年:ad(z)uki, ginkgo「銀杏」, hinoki, kaki, kana, katakana , koi「鯉」, matsuri, mikado, mizuna「水菜」, samurai, satori「悟り」, Shinto 「神道」, shoyu, torii, tsubo「つぼ」, zazen d. 1822 年:hiragana e. 1823 年:zori f. 1837 年:akebia「あけび」 g. 1839 年:daimyo ちなみに、東インド会社は、17 世紀初頭にイギリス、 フランス、オランダなどの西欧諸国が胡椒や茶などの物 産をアジアからヨーロッパに輸入することを主な目的と して、 特別な許可を与えて設立させた会社の総称であり、 当時、日本にやってきた西欧の商人はたいていこの会社 を拠点としていた。 5 終戦から 20 世紀末までの 40 年間 4 開国から世界大戦終了までの 91 年間 日本が敗戦の痛手から徐々に立ち直り、経済復興を成 し遂げ、再び国際社会の仲間入りをするようになると、 英語となる日本語の数も (5a) のように増え、20 世紀後 半になると、 (5b) のような日本食ブームの先駆けとな る語や日本古来の武道に関わる語が増える。 (5) a. 1945~59: mama-san「女将」, bonsai, hibakusha 「被爆者」, keiirin, judouka「柔道家」, pachinko, kata「(武道の) 型」, karate, aikido, sumi, keirin b. 1960~85:chichi「(女性の) 乳」, kanban, nashi, yakitori, ryokan, yakuza, karateka「空手家」, shiatsu, karate-chop, nunchaku「ぬんちゃく」, shabu-shabu, karaoke, maki zushi, tamari 「たまり (醤油)」, anime, enoki「榎 (茸)」 300 年にわたる鎖国体制が崩壊すると、欧米諸国との 交流が盛んとなり、多くの文物や概念が日本に流入し、 日本の物産・風俗・習慣なども海外に広まっていった。 英語に借入される日本語の数も開国以前と比較して飛躍 的に増大した。 このことは (3) のように 10 年刻みで表記すると明白 となる。すなわち、開国から明治維新による近代国家が 成立する 1867 年までの 15 年間では、(3a, b) のわずか 6 語であった借入日本語は、(3c, d, e) のように次第にそ の数を増やしていく。これらの日本語のほとんどは日本 特有の文物を表すものであり、またこれらの語の紹介に は特定の個人ではなく、かなり多くの英米人や日本人が 関わっている。 (3) 1854~1899 の 45 年間 a. 1850 年代:hara-kiri, tycoon「大君」, hakama b. 1860 年代:shakudo「赤銅」, hibachi, sasanqua 「山茶花」 c. 1870 年代:ronin, seppuku, jinrikisha, ju-jitsu「柔 術」, raku「楽(焼) 」, renga「連歌」, shiitake, tanka「短歌」, ukiyo-e d. 1880 年代:sashimi, shoji, sumo, tofu, Satsuma 「薩摩(みかん)」, netsuke「根付」, kombu, sensei, tsukemono, kimono, tansu, romaji, judo, tsuba「鍔」 e. 1890 年代: kakemono「掛け物」, geisha, katsuobushi, sika, nori, banzai, kudzu「葛」, shakuhachi, sushi, katsura「桂、鬘」, kamikaze, tsunami, bushido, haiku, hokku 「発句」, kabuki ところが、20 世紀に入り、日本が欧米列強と共に軍国 主義化し、2 度の世界大戦に関わるようになると、英語 に借入される日本語の数は (4) のように伸び悩む。 (4) 1900~1945(終戦までの 45 年間) a. 1900 年代: wasabi, tsutsugamushi「つつがむし (病)」 b. 1910 年代: shubunkin「朱文金 (金魚の一種)」 c. 1920 年代: kanji, sukiyaki, tempura, kendo, origami d. 1930 年代: onsen, wabi「侘び」, kyu「級」, zaibatsu, shochu, sumie「墨絵」 e. 1940 年代: dojo, nisei, sansei, tosa「土佐 (犬)」 *medaka (20 世紀前半) 6 21 世紀の始まりから今日まで ODE3 の編集の最終段階の数年間に日本語が英語にな っていたとしても、 2010 年の発行日までに辞書に盛り込 めなかったと思われる。ただし、(6a) の 2 語は ODE3 に 収録され、21 世紀初頭と明記されていることから、出版 の 2~3 年ほど前の 2000 年から 2007~8 年の間に英語化 したと考えられる。 (6) 21 世紀初頭:kakuro「カクロ」(数字のパズル。<加 算+クロス), sudoku「数独」(パズルの一種。< 数字+独身) 一方、OED2 に記載がなく、ODE3 には借入の時期が 記されていない日本語は 51 例ある。これらの語が英語 となった時期が特定できれば、英語における最近の日本 語の受容の様子がより詳しくわかると思われる。幸い、 これらの語は ODE3 に盛り込まれていることから、 1986~7 年頃から 2007~8 年の約 20 年間に英語となった と推定できる。 さらに幸運なことに、ODE3 の初版に当たる The New Oxford Dictionary of English (以下、NODE) が手 元にあり、今回これが強力な情報源となった。NODE は 1998 年に出版されたが、その後この辞典は ODE と名 称が変えられ、2010 年に第 3 版が刊行された。それゆ え、借入時期が不明の 51 語のうち、NODE に収録され ていないものは 1995~7 年以降に新たに英語となったと みなせる。 そこで、51 語を (7a, b) のように区分した結果、 1986~7 年頃から 1996~7 年頃までの約 10 年間は、(7a) の例から、日本食や柔剣道・相撲などの武道、および盆 栽、さらには高度成長を続けていた日本企業の経営の影 響がかなり強かったことがわかる。ところが、それから 2 10 年くらい経つと、(7b) のように、日本食ブームや武道 は根強い影響を維持し続けているが、盆栽や企業経営の 分野はほとんど影響を及ぼさなくなったといえる。 (7) a. 1986~7 年頃から 1997~8 年頃までの約 10 年間 i. 食品・料理: arame(海藻), daikon, gobo, mirin, miso, ramen, wakame ii. 武道: ippon, kumite, oshi, rikishi, tachi, tanto, wakizashi iii. 植木: hiba, keaki iv. 商工業: kaizen, keiretsu, sogo shosha「総合 商社」, sokaiya v. その他:gaijin, issei, juku, manga, ninja, ninjutsu, otaku「おたく」, reiki 「霊気」, ryu 「流 (派)」, seiza b. 1996~7 年頃から 2007~8 年頃までの 10 年間 i. 食品・料理:bento, edamame, hamachi, kaiseki, ponzu「ポン酢」, reishi「霊芝」, seitan「植 物性蛋白質」, shiso, tataki, toro, umami「旨 味」, Wagyu ii. 武道: budo, dohyo, kyudo, mawashi iii. 植木: なし iv. 商工業: なし v. その他: butoh「舞踏」, hikikomori, kawaii, keitai, robata「炉端」 Ⅴ まとめ 過去 600 年ほどの間に英語になった 177 の日本語を 分析した結果、その多くは日本特有の文化に関わる語で あり、それゆえ、英米人は自国にない文物や概念を日本 語から積極的に借入していたことがわかった。同時に、 これらの日本語を日本人の目で見ると、過去の日本の国 情を知る貴重な情報源となっていて、鎖国や戦争は異文 化交流を妨げる要因となっていたこと、および、国同士 の交流が盛んになると、そのことが言葉に直接反映され るということがよくわかった。今から 10 年程の後に ODE の第 4 版が出版されれば、その中の借入日本語を 見れば、 2010 年以降の日本がどのような分野で欧米に影 響を与えたかがわかるであろう。楽しみに待ちたい。 ************************* 講演後の質疑応答も活発で、楽しいひと時であった。 3
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