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研究所だより 第
号
はじめに
子どもを取り巻く環境(空間)についてはこれまでに多方面から論述された
感がある。今回の特集としてさらに 時間 の概念を加えて幅広い視点から執
筆をお願いした。
研究所だより では各方面でご活躍の専門家・保育関係者による、ある意
味サロン的な談論を期待している。その中から今後の保育科学研究に対する
方向性も見えてくるだろうし、研究のアイデアが醸成されることを期待する。
も く じ
1. はじめに
2. 巻頭言 育児と care
― 特集:保育所における空間と時間 ―
3. 子どもにとっての心理的な時間
4. 子どもにとっての心理的な空間
5. 子どもが歩むゆっくりの時間
6. かわいい子には旅をさせよ
7. 子どもにとっての空間とは
8. いつも大人の論理でいいのか
9. 家庭で 密度 を確保する時間
10. 子どもにとっての空間・時間
11. 子どもにとっての心理的な空間
12. 子どもたちの心の時間と空間
― 寄稿:保育研究に必要と思われる視点について ―
13. 新たな方法と環境を生み出す保育実践の研究
14. 保育研究の質的発展と研究倫理
15. 2つの想い
16. やさしい保育とは
17. 世間における保育の認識
18. 事務局からのお知らせ
1
悟郎
1
2
秋田喜代美
有福 一昭
内田 伸子
河
幹夫
菊地 政幸
髙橋
紘
普光院亜紀
松岡 俊彦
米谷 光弘
若山
剛
3
4
5
6
6
8
9
10
11
12
天野 珠路
柏女 霊峰
硯川和歌子
中西
健
東口 房正
14
15
17
18
18
20
野
巻
頭
言
育児とcare
野
悟郎
日本語と英語と対比したとき、普通なら本
は book で、book は本なのに、育児は care
で、care は育児ではない。care は日本には
通じているが、育児は英語圏の人には通じて
いないようである。
ということは、日本の 育児 は特殊なの
であろうか。英語圏の人口は膨大なので、極
端にいえば赤ちゃんを 育てる という え
方で、赤ちゃんに接している国は少ないので
はなかろうか。
赤ちゃんは本来未熟だから、毎日は未知と
の遭遇なので、どう育てるかの前に先ずしな
ければならないのは、危険から守ること care
なのであろう。
生まれて始めての呼吸、それに対してどう
するか、始めて乳を飲む・暑さ寒さとの遭
遇・感染症や事故からの守り、予防接種のこ
とすべてが care なのである。
0歳・1歳・2歳は自分中心。それでいて
生活のすべてが初体験で、しかも発育が最も
著しいとき。目を離したら危険が一杯の毎日。
二足歩行が始まればそれは更に倍増で、わが
国の幼児期の不慮の事故死は世界のトップク
ラスである。
集団保育では、更に感染や事故などは危険
が一杯、どう育てるかより care することで、
赤ちゃんは持っている力を存分に出して自ら
育っていく。育てるより care が先で、結果が
育児 であり 保育 である。
ある日本語の達者なアメリカ人女性との座
談会( 保育と保健 平成 22年7月号参照)
で、 育児 という言葉は英語で何と言うか尋
ねたら、ちょっと えてから、 care かな と
いう発言であった。
(保育科学研究所長)
人の赤ちゃんは、自分で何もすることはで
きないから、生まれたときからすべてに手を
かけてあげなければならない。抱いて乳を飲
ませたり、寒ければ着せる。おむつを見る。
たいていはお母さんで、保育所では保育士さ
ん。1日の生活のなかで赤ちゃんから目を離
すことができない。そうしているうちに育っ
ていく。
お母さんや保育士さんのすることを、一般
に 育児 あるいは 保育 と言っている。
昔は赤ちゃんがいればお母さんがごく自然
に手をかけていたし、誰かが面倒を見ていた
から、とくに意識して 育児 や 子育て
という言葉は表に出なかった。
ところが近年のように少子化や、隣近所の
お付き合いも少なくなると、子育てを知らな
いままの母親が多くなったから、子どもの育
て方の情報が多くなるとともに、 育児 とい
う言葉が目につくようになってきた。ごく自
然の行為が表立ってきたのである。
それも調乳の仕方やおむつの当て方などな
ら分かるけれど、IQ を伸ばすためにとか、早
期教育ということでは、本来の育ちを飛び越
えてということで、赤ちゃんの発育を混乱さ
せてしまう。
それでは、英語圏では 育児 を何と表現
しているのかと数冊の和英辞典で調べてみた。
結 果 は 殆 ど care で、そ の 他 に rearing・
nurse・bring up などがあった。
care は、日本語でいう育児とは少し視点が
違うようなので、次に care は日本語でどう
訳されているかを見ると、心配・気苦労・不
安・注意とあり、これに世話・看護・保護・
監督(保護施設による)留意・保護があった
ものの、育児は出てこなかった。
2
特 集:保育所における空間と時間
の時間、皆で顔を見合わせて語り合う時間な
どの時間も、実は暮らしの中で子どもが育っ
ていくときにはとても大切な時間である。
保育においては、一人ひとりが様々なこと
を行うテンポやスピードは異なっている。急
かされているという感覚をもたないためにも
ゆったりとした時間が流れるよう保育者側が
ゆとりをもって子どもの心理的な時間に寄り
添うことが大切だろう。
子どもにとっての心理的な時間
秋田
喜代美
1. 経験の質を保証するカイロスの時間
人は2種類の時間を生きている。一つはク
ロノスの時間。時計が一定速度でいつも同じ
ように時を刻むように、客観的な量的物理的
な時間である。もう一つはカイロスの時間と
呼ばれる、質的な人の内なる時間である。物
理的には同じ長さでも夢中になれば短くあっ
という間に感じられるのに対して、退屈でじ
っとしていなければならない時には長く感じ
られる。これはカイロスの時間である。
小学校以上では時間割という言葉で表現さ
れるクロノス時間で動くことが大切にされる
のに対して、保育においては子どもの心理的
な時間としてのカイロスの時間を大切にし、
経験の質を えていくことが必要だろう。園
の生活の中でどの様な時間が保障されること
が必要だろうか。
一つは何といっても遊びの時間であり没頭
してものやことに関われる時間の保障である。
思いきり身体や頭、心を使う時間である。た
だし遊びといっても午前の遊びと午後の遊び、
夕方のお迎えを待っている時の遊び、時間の
長さではなくそこで経験される時間の質は準
備される環境や活動によって異なっているこ
とが、子どもの心とつながって大事である。
時にはほっと一息つくお昼寝や生活リズムの
中での緩急あれば緩やかな時間の保障も必要
である。また園の暮らしだからこそ、ともに
食を楽しむ時間や、きれいになったと手を洗
ったり片づけをしたりという衛生や整理整
2 . 見通しを持ったり足跡を確かめられる時間
しかしまた一方で、私は子どもたちの中に、
クロノスの時間に対する感覚を育てていくこ
と、そして見通しや過去を振り返ることで、
過去、現在、未来へのつながりの時間感覚を
子どもが培っていくこともとても大切だと
える。種まきをする。早く芽が出ないかなと
楽しみにしたり、また水を凍らせようと外へ
出しておく。翌朝を楽しみにして見に行く
等々、楽しんで待つ時間がもてることで、子
どもたちの未来志向の時間感覚が育っていく。
あといくつ寝ると**ということが生まれて
くる。
また 今日は何時から**があるから、そ
ろそろ片付けなくちゃ と保育者にいわれな
くても、4、5歳になると自分で時計を見て
自分の行動を意識して調整することができる
ようにもなってくる。見通しは心理的な時間
の感覚の中で育っていく。そしてまた一方で
今日1日、あるいは大きくなった私を感じて
いくことで自分の育ちや経験の足跡をふりか
える時間が誇らしさや自信を育てていく。時
が豊かな経験となって刻み込まれ、**分、
*時間後、明日、あさって…と未来を期待で
きる暮らしを保障することが、忙しい中で心
3
も達が多く来館する。造形スタジオでは、就
学前の子どもには必ず保護者か大人に付き添
ってもらう。子どもだけでは難しい作業も親
が関わることでコミュニケーションが深まる
し、家庭や園等では見られない子どもの様子
をゆっくり見てもらうこともできると える
からだ。大人は子どもが安心して造形活動を
するための 環境 のひとつといえる。こう
した空間をどの様にすれば、更に生きた空間
にすることができるだろうか。造形スタジオ
では子ども達が主体的に参加できる様、見る、
触る、聞く、嗅ぐ等の体験、五感に訴える造
形活動を総体的に体験する ワークショッ
プ 、つまり 展示・体験・制作 の三つを構
成要素としている。子ども達が自ら探し、発
見し、試すといった能動的な体験を促す様に
したのが造形スタジオの環境だ。
スタジオは、小さな子どもにもテーマが視
覚的に分かりやすく提示できる様に各コーナ
ーの看板・展示物等の色ラシャ紙、布、木、
金属、プラスチック等色々な素材、色を使っ
てデザインしている。各スペースは、低めの
パーテーションや透明または半透明のアクリ
ル板やその他の素材を使った移動可能な壁で
仕切り、ほどよく遮音された独立した空間で
ありながら、それぞれの活動を見ることがで
きる開かれた空間である。これは、子ども達
の活動が有機的に刺激し合う空間といえよう。
こうした空間設計や展示・体験物は、スタッ
フが子ども達の体験値等を 慮に入れ、企画
ごとにデザインし、その殆どをスタッフが自
ら制作している。こうした空間は、視覚的な
効果だけでなく、壁面に展示するものの素材、
形等によって反響する音、反射、透過する光
も変わってくる。子ども達に心地良い活動を
促す空間を目指している。保育室でも同様に、
壁の装飾や机の配置等子どもの活動を通して
見えるものがあるのではないだろうか。
(こどもの城造形事業部課長)
をなくさず、心の中の時間を育てていくこと
になるのだと思う。 (東京大学大学院教授)
子どもにとっての心理的な空間
有福
一昭
子どもを含め、私達は自分を取り巻く色々
なものごとの関係の中で生活している。光、
音、空気、部屋、建物、人、街、自然…私達
の周りにはそうした様々な事物、事象があり、
それぞれとの関係が快適かつ安定しているこ
とで心や身体の安らぎを感じることができる。
そうした事物、事象を私達は総体的に 環境
と呼んでいる。大人なら時間、場所等はある
程度自由に選択でき、その 環境 空間の選
択肢は広くなるが、子どもは自分一人で動け
る範囲が狭い分、家、保育園、庭、公園や学
校等、 環境 は非常に限られるといえよう。
特に1日の多くを過ごす保育室について、私
が勤務する こどもの城 造形スタジオでの
空間を紹介しながら えてみたい。
造形活動は、子どもの心身の発達や興味、
関心等の実態に即したものであり、その主体
性を子どもに置いた活動といえる。色、形、
バランス、テクスチャー(肌触り)等造形特
有の要素を使い、子どもの内的な世界を表現
する。つまり、造形活動は感覚的、 造的、
個性的なものを尊重する活動であり、子ども
の内的世界がより自由により豊かになる様に
したものといえる。
こどもの城 造形スタジオは、学校や色々
な社会施設、美術館等とも異なった社会環境
の中の造形活動の場だ。保育所、幼稚園、学
校が日常の空間であるのに対して、 こども
の城 の様な施設は非日常の空間といえる。
造形スタジオの活動は、来館する不特定多数
で異年令の子ども達に対して毎日実施されて
いる。平日は、乳幼児から4、5才位の子ど
4
けスタイルと家庭の蔵書数であることが判明
した。また子ども中心の保育を実践している
幼稚園や自由遊びの時間が長い保育園での子
どもの語彙能力が高いことが明らかになった。
幼児調査に参加した5歳児が小学校1年生
3学期に追跡調査に参加し、国語学力テスト
(文章読解、三段論法推論、結論先行型の理由
づけ作文、視写、漢字書き取り)と語彙テス
トを受けた。その結果、幼児期に共有型しつ
けを受けた子どもたちの国語学力や語彙力が
高く、逆に、強制型しつけを受けた子どもは
国語学力や語彙力が低かった。また、幼児期
における早期教育―系統的学習への取り組み
は小学校段階での学力や語彙力の向上に寄与
しないことが明らかになった。早期からフラ
ッシュカードや学習材を用いた系統的学習へ
の取り組みは、学力基盤力の向上には繋がら
ないという結果は注目される。調査の結果を
まとめると、次の様になる。第1に、読み書
きは表面的なことである。肝心なのはリテラ
シーで表現したくなる様な思 力や想像力を
育てることこそが幼児期の課題である。第2
に、語彙力は学力基盤力であり、 親も子も本
好きの家庭、そして、子ども中心の保育、共
有型のしつけスタイルの家庭で育つ。第3に、
親のしつけスタイルは統制が可能であり、変
えることができる。しつけスタイルは経済格
差の是正(克服)の鍵を握る。親は、子ども
を一人の人格をもった存在として尊重し、心
こめて会話する。大人は子どもと対等な関係
の中で子どもの興味・関心、自律性を大事に
しながら関わり、子どもとの会話・家族の団
欒の時間を楽しんでほしい。
子どもが成長する時間はゆっくり進む。子
どもの歩みの時間や歩むペースは個人差が大
きく性差もある。子どもが自発的に取り組む
活動の中で無駄なものは一つもない。幼児期
は 無駄の効用 無用の要 がキーワードと
なる時期である。大人は、子どもと共に暮ら
せる時間を大切にして、子ども一人ひとりの
ペースでゆっくり成長していくのを、待つ、
子どもが歩むゆっくりの時間
― 待つことの大切さ ―
内田
伸子
子どもの歩みはゆっくりしている。歩む時
間やペースには個人差が大きい。性差もある。
女の子の方が早く・速く進む。親は子どもの
速く進むことを期待する。ゆっくり進むこと
に寛容ではない。早期から系統的・機械的な
学習を始める親もいる。我が子が少しでも学
習基盤力を身につけてほしいと願いながら。
果たして早期教育は小学校以後の学びによい
影響をもたらすのであろうか。1988年頃から
日本は経済低迷期に入り、コミュニティが崩
壊しはじめる。広場や公園がマンションや駐
車場にかわり、子どもの姿が街から消えた。
塾と学校のダブルスクール化や0歳児保育や
二重保育、駅前保育所の普及に伴い、教育だ
けでなく、しつけまでアウト・ソーシングの
時代に入った。コンビニやお弁当屋の進出に
より子どもの 孤食 が問題になり子どもの
成育環境は劣化している中、学力は家庭の経
済格差を反映しているとの知見が発表され始
めた。
では、学力格差は幼児期から始まっている
か。幼児のリテラシーや語彙力(学力基盤力)
の習得は家庭の経済格差の影響を受けるのか。
幼児期から早期教育にとりかかることは学力
基盤力の涵養にどんな影響をもたらすのか。
これらの問題を明らかにするため幼児 3000
名とその保護者、担当保育者を対象にして世
帯収入や早期教育投資額、蔵書数などの要因
が幼児のリテラシー獲得にどの様に影響する
かを調査した。幼児期後期には、読み書きの
能力に対する経済格差や性差要因の影響は見
られないが、認知発達・学力基盤力の指標で
ある語彙力は加齢に伴い経済格差要因の影響
が顕在化する。しかし、経済要因を統制した
とき、語彙力と強い関連をもつのは親のしつ
5
緒であったり、一人であったり、遠くへ行っ
たり、近くを散策したり。勿論、江戸時代と
は異なり、電車や自転車を用いてであるが。
また、多くの友人は―当時はまだ高額であっ
た―海外旅行へ行ったりもしていた。沢木耕
太郎の 深夜特急 に青春の虞と逞しさを感
じたのは私だけではあるまい。
それから 30余年。教師として大学に戻り、
最も驚いたことは、学生達の多くが自らの旅
を経験していないこと。そのためか、ゼミ旅
行で県外の素敵な社会福祉施設や病院を訪ね
ようとする場合、学生は切符の手配はおろか
日程の設計すら出来ない。相手のあることだ
から、時間に余裕をみてお願いの手紙を書く
ように依頼しても、これが大層億劫そうで、
結果として私が走り回ることも少なくない。
インターネットの普及で情報の入手が簡便に
なっているにも関わらず、だ。
学生にしてみると、旅の設計・準備は親や
旅行会社や教師がしてくれるものであり、そ
もそも旅の魅力を知る経験に乏しい様なので
ある。海外への進学・留学が減少しているそ
うだが、これも海外旅行の経験が少ないが故
に魅力を感じないか、億劫だからなのではあ
るまいか。私自身モノグサであったので、学
生のことを批判はできないが。
新鮮な時間の経験 や 新しい空間の発
見 のためには、そして何よりも 自分自身
を静かに える 時を持つためにも、旅は大
切なものではあるまいか。多少の犠牲やリス
クを負担しても、子どもや若者には自らの旅
に出て貰いたいと思うこの頃である。
(神奈川県立保健福祉大学教授)
見極める、急がない、急がせないで、子ども
が躓いたときに、わきからそっと支え、助け
てあげたいものである。
(お茶の水女子大学大学院教授)
かわいい子には旅をさせよ
河
幹夫
昔からよく用いられた成句であるが、近年、
あまり聞かれなくなったように思う。
テレビでは旅番組や食べ物番組が花盛りで、
行った気持ち 食べた気分 になることが
多いからであろうか。はたまた 危険を避け
る ため親が子どもを手放さないからであろ
うか。 広辞苑 によると、確かにこの成句は
子どもは、甘やかして育てるより、手許から
はなしてつらい経験をさせ、世の中の辛苦を
なめさせた方がよい という厳しい言葉のよ
うであるが、もう少し 旅 を前向きに捉え
ても良いのではあるまいか。
江戸時代には お伊勢参り にしろ、芭蕉
の 奥の細道 にしろ、人は旅を通じて多く
のこと―楽しいことや苦しいこと、それぞれ
の土地の文化や生活の営み―を学んだようで
ある。五感が研ぎ澄まされ、自分と出会い、
人との出会いをも経験したように思う。
昨年の NHK 大河ドラマでは、坂本龍馬が
故郷高知を出て、江戸・長崎・京都などへ旅
をしている。また司馬遼太郎 峠 では、備
中松山(現在の岡山県高梁市)の儒学者・教
育者の山田方谷に教えを乞うため、越後長岡
藩の河井継之助は遠い旅に出ている。
旅は、広い空間を知り、新鮮な時間を味わ
い、自分と対話し、人と出会うなど、知識と
経験を深く広くする大切な体験であるように
思う。
今年還暦になる私の学生時代、夏休み・冬
休み・春休みは旅の時間であった。友人と一
子どもにとっての空間とは
菊地
政幸
子どもにとっての空間とはどの様な概念だ
6
匂い、形、パターン…私たちがその場で体感
する多種多様な感覚が空間とその意味を定義
づけている。視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚
―五感と呼ばれるこれらの感覚も単独では存
在せず、複合的に補完し合うことで初めて強
いイメージを持つ。さらにこの五感を総動員
した先に感じられる 何かよく分からないが
気持ちがいい 感覚も第六感として空間の評
価において注目されている。
ここまでみてきた上で昨今の保育所の空間
に関する議論を顧みると、その視点の偏在に
誰もが気付くだろう。面積や広さは確かに空
間の質を左右する要因だ。しかし上述の様な
他の複合的要素を無視して単一の原因に帰属
させようとする一元論的で狭量な議論は弊害
を招く危険性がある。
私たち現場の保育者は常にこれら多種多様
な要素を総合的に 慮して空間・環境を構成
している。 保育所における保育の基本は、環
境を通して行うこと と保育指針にも定めら
れている様に、保育内容の見直し・改善は、
しばしば空間・環境の改変を伴うものである。
ここにおいて私たちが勘案すべき空間の要素
は先述の通り実に広範で、無数に存在すると
いっていい。逆説的ではあるが、その全てを
慮することが不可能であることを知らなけ
れば、本当の意味で子どもにとって最良の空
間・環境を知ることはできないといえる。
子どもにとっての空間とは、広さ、高さと
いった一義的な意味合いのものではない。多
様な要素とその関係性の中で初めて立ち現れ
る総合的な概念である。これに向き合う者に
豊富な経験に加え、特別な配慮と注意深さが
必要とされる理由がここにある。
(亀戸こころ保育園園長)
ろうか。子ども・子育て新システムに関する
内閣府の審議や東京都による面積基準緩和の
問題等、保育所の面積基準に関する議論がマ
スメディアを賑わせている昨今、空間即ち面
積、広さといった一義的な視点が世論を牽引
している感がある。
空間は本来、多様な関係性の中で初めて定
義づけられる。生活スタイルもその一要素だ。
一般家庭における 食寝分離 は戦後間もな
く政策的に推進されたが、保育園における分
離が図られたのはさらに時代が下ってからだ。
食遊寝が同部屋で行われるクラス別保育が主
流だった時代には、昼食が終われば午睡のた
めにその場で布団を敷かなければならないた
め、食べるペースが遅い子どもは常に 早く
食べなさい という有言無言の圧力に晒され
時間的制約に苛まれていた。空間の分離によ
って初めて子どもの発達に応じた、時間に追
われない保育が可能になり、子どもの時間や
生活リズムの保障が可能になったのである。
これらと関連して動作空間という概念も注
目されている。全社協が実施した 機能面に
着目した保育所の環境・空間に係る研究(平
成 20年度) の報告書でも保育所における食
事、午睡等に応じた動作空間の例が紹介され
ているが、本来はそれぞれの生活スタイルや
行動、用途等に応じてその動作域にゆとりや
家具・用具等の大きさを加えた立体的な動作
空間が求められる筈である。四肢の届く範囲
を基準とする動作空間については大人と子ど
もでスケールが違うため、保育所の空間を
える際はそれぞれの動作空間について 慮の
後、これら大人と子どもが渾然一体となった
生活スタイルや行動に応じて総合的に判断す
る必要がある。また、一つの行動のみが単独
で行われる状況が想定し辛いのであれば、そ
れらを複合的に組み合わせた動作空間を 慮
する必要があると思われる。
生活スタイルや時間との関係性もさること
ながら、空間とは本来、多義的な概念である。
広さ、高さ、大きさ、色、光、音、温湿度、
7
障審議会児童部会社会的養護専門委員会 で
改善(微増)が検討されている。
機能面に着目した保育所の環境・空間に
かかる調査研究事業 (全国社会福祉協議会
版。調査・研究委員会委員長=定行まり子)
の全国調査を見ても、児童福祉施設最低基準
の面積ぎりぎりで運営されている認可保育所
は殆どない。
この研究では 保育所保育指針に基づく保
育ができる基準 の数値を示しているが、か
なり遠慮がちな数値と思える。
この 調査研究事業 ではいくつかの表や
図で視覚化された資料、例えば 図 1
人あたりの午睡の単位空間 、 図 20
人クラスが2列で午睡をする場合(p 159)
等である。これが今後も続けられて良いとい
うのだろうか。子どもだからこれで良いのだ
ろうか。これがあなただったらどうだろうか。
これをを米国のスケールでみると 過密であ
る と判断され 不適切> となり、午睡環境
認識の差が大きいことに気付く。
米国の 保育環境評価スケール(テルマハ
ームス他著、埋橋玲子訳。法律文化社)によ
れば、乳児の場合の 最低限> 午睡/休息
が衛生的な状態である(例:混みあっていな
い、清潔なベッド) (補足) 混みあってい
ない とはしっかりした仕切りがない場合、
寝具が少なくとも 50㎝弱離れていることを
意味します とあり、乳児の場合は 最低限
90㎝ となっている。
戦後 60余年、かつての 中央児童福祉審議
会 では、実現できないまでも 意見具申
や 答申 の中で環境の改善について何度も
まとめているし、 保育所保育指針 も環境の
重要性に触れてきた。審議会や行政の経緯を
調べてみると、興味深いものがある。それら
を踏まえて議論して欲しいと思う。今回それ
をいくつかあげておく(※ )
。
いつも大人の論理でいいのか
∼ 空間論争に児童福祉の理念を ∼
髙橋
紘
東京における子どもと家庭 (平成元年度
東京都社会福祉基礎調査報告書)によれば保
育園に通っていて嫌だったこと(小学生1
∼3年)のトップは 昼寝がいやだった
38.2%である。その理由を えてみよう。食
事に使用した保育机を急かされて片付けた後
の床に敷いた布団に 30人も頭を並べて眠る
子どもの気持ちをわが身に置き換えて想像し
てみて欲しい。毎日この状態で安眠できるか。
この環境に適応していくにはかなりのストレ
スが生じるだろう。
東京都児童福祉審議会の 3.3平方メート
ルから 2.5平方メートルに 審議が話題とな
っている。この変更が誰のための 正義 な
のか、誰が得をするのか、論点を整理して論
議したら良いと思う。
法令遵守の建前から、 児童福祉施設最低
基準 第4条に基づき、認可保育所は現在の
各施設のレベル(一人あたりの利用面積)を
下げることはできない(※ )。新設保育所の
みがこれに該当することになり、待機児対策
としては効果が少ないと思う。
保育の面積について、 保育所における乳
児保育の研究・厚生科学研究結果報告(平井
信義著。1973年版、日本児童福祉協会版)の
再確認を希望する。
養護老人ホームの基準は、生活保護施設か
らのスタートで当初 3.3㎡であったものが、
国民の生活水準に合わせてたびたび改訂され、
現在 10.65㎡となっており、他に食堂、集会
室を設けることとなっている。児・老格差の
大きさに唖然とする。
社会的養護 が論議され、ようやく 児童
養護施設 乳児院 等の居室面積が、 住生
活基本法の最低居住面積 を参 に、 社会保
8
当面推進すべき児童福祉対策に関する意見具
申 (昭和 年 月 日児童福祉審議会)の中
で、 保育所における乳児保育対策 の一つとし
て、
4. 保育所における乳児保育実施に必要な施設
設備
乳児を入所させる保育所は、現行児童福祉
施設最低基準に示す乳児保育に関する設備の
ほか、ベッド室、保健室及び沐浴室を設ける
必要がある。
現行基準における乳児室は乳児の遊戯室、
ほふく及び日光浴または必要に応じて食事室
を兼ねるものとし、その面積は1人当たり5
㎡以上であることが望ましい。
家庭で
密度
を確保する時間
普光院
亜紀
2010年度の 保育園を える親の会 の会
員アンケートによれば、会員の子どもの平
保育時間は 10時間8分であった。平日に関
して言えば、子どもは夜の睡眠時間を除いた
生活時間の約7割を保育所で過ごしているこ
とになる。首都圏の延長保育の実施率は8割
を超えており、さらに普及中であることを
えると、就労家庭の子どもが家で過ごす時間
の平 値は徐々に短くなっているのではない
かと推測される。
三歳児神話が強かった十数年前には、筆者
の周囲の働く親たちは、 家庭での時間は、長
さではなく、密度(短くても子どもと密度濃
くふれあえる時間をもつこと)だよ と声を
かけ合い、子どもと離れている時間が長いこ
とに負い目を感じないように励まし合ってき
た。実際のところ、子どもは、保育所で楽し
くめりはりのある生活をしていたし、日中離
れているからこそ、家にいる時間に子どもへ
の気持ち、つまり 密度 を高めることがで
きるという感想もよく聞かれた。
現在、三歳児神話は弱まったが、保育時間
が伸長していく傾向の中で、親子が家にいる
時間が短くなり、 密度 をつくる時間も不足
する場合もあるのではないかと心配している。
通常、就労家庭では、保育所からの帰宅後
に、夕飯づくり、子どもとの食事、子どもの
風呂、子どもの寝かしつけ、食事の後片付け、
洗濯、明日の準備などの作業が発生するが、
子どもとの時間の 密度 をつくるためには、
食事や風呂、寝かしつけなど、子どもと向き
合う作業を優先し(できれば絵本タイムや遊
んだり話したりする時間をつくりたいが)、そ
の他の家事は子どもが寝てから片づけるなど
の工夫が必要になる。ここで、父親と母親が
分担できる家庭であれば、これらの作業がう
この答申を受けた 保育所における乳児保育
対策の強化について (昭和 年④月①日厚生
省児童家庭局長通知)より
1. 乳児保育の特別対策を適用する保育所の要
件
⑴ 設置位置及び対象児童 都市または周辺
の要保育の乳児が多い地域(以下略)
⑵ 設備 ア乳児室及び室の面積は、通じて
乳児1人につき5平方メートル以上である
こと。
この数値の正当性を科学的に実証したのが
保育所における乳児保育の研究・厚生科学研
究結果報告 (平井信義著。1973年、日本児童福
祉協会版)であったと記憶している。
幼児の保育及び教育に関する行政観察結果に
基づく勧告 (昭和 年 月。行政管理庁)
最低基準については、次の通り改善を図ること。
イ 最低基準については
a. 小規模施設を除き保育室及び遊戯室の専
用設置を原則化すること。
b. 2歳未満児用設備の基準を明確化するこ
と。
c. 調理室、職員室、飲料水専用設備、手足
洗専用設備等の基準化を図ること。
※ :(第4条 児童福祉施設は、最低基準を超
えて常にその設備及び運営を向上させな
ければならない。
2. 最低基準を超えて設備を有し、又は運
営している児童福祉施設においては、
最低基準を理由として、その設備又は
運営を低下させてはならない。
※ :拙著論文 問題直言・子どもに優しい保
育環境を 保育問題検討会をめぐって
(1993年 12月、東京都社会福祉協議会刊 福祉
展望 より)
(至誠第二保育園園長)
9
必要があるそうだ。保育所は託児サービスで
はなく、親とともに子どもの育ちを支える立
場であり、親はサービスをお金で買っている
のではなく、次世代の健やかな育ちのために
設けられた公共サービスを子どものために利
用する立場である、と私は えているが、果
たして、 新システム の設計では、どの様に
描かれるのだろうか。
( 保育園を える親の会 代表)
まく回り、子どもとの時間の 密度 を確保
しやすくなるが、片方の親が家事・育児に参
加していない場合には、困難になる。
ある会員は、子どもが保育所で夕食をいた
だくようになって家庭で子どもと向き合う時
間が増えたと報告しているが、夕食を保育所
でとれることで安心して親の帰りがさらに遅
くなれば、せっかく捻出された時間が、仕事
へと吸収されてしまうことになる。
保育所利用者を対象とした調査によると、
保育時間が 10時間を上回ると、 労働時間を
減らして子どもと一緒にいる時間を増やした
い と感じる親が半数を超え、保育時間 12時
間以上の場合では7割に達することが明らか
になっている(東京都社会福祉協議会 保育
所待機児童問題に関するアンケート )
。
保育所では残業を理由とする延長保育利用
も認められるようになり、また、職場では勤
務時間短縮制度も少しずつだが普及し、仕事
と家庭の時間配分は、親が自己決定できる部
分が大きくなっている。しかし、上記の調査
報告でも分かるように、 働く時間を短くし
たい と願いながらも、保育時間のほうが長
くなりがちな家庭の姿がある。
この背景には、厳しい競争にさらされる職
場のゆとりのなさが見える。保育園を える
親の会 の会員アンケートで募った 職場に
言いたいこと の自由記述回答には、職場全
体の仕事量の多さ、上司や同僚との関係、昇
進や昇給に関わる評価などのプレッシャーを
受け、ともすれば、時間配分が仕事に流れが
ちな状況が垣間見えている。
政府がワーク・ライフ・バランスを唱える
ようになったことは良いことだが、社会全体
がそのメリットを認識し、それを享受しよう
とする意識に変わっていかなければ広がらな
い。子育てに関しては、特に父親も当事者で
あることを前提にした議論が必要だろう。
同時に、保育所とは何か(あるいはこども
園とは何か)、という位置づけや理念も、
親
(お
よびその職場)と共有できる形に再構築する
子どもにとっての空間・時間
松岡
俊彦
いま保育所の 空間 や 時間 をテ―マ
にする論調は、こん日の社会的な背景とそれ
に関連する保育制度上の問題から発せられる
ことが多い。例えば、大都市の待機児解消問
題に端を発し地方分権化による保育室面積の
基準緩和は、 保育空間 の危機としてクロー
ズアップされている。因みに、保育所新設が
緊急課題の自治体にとっては財源問題に加え、
空き地不足による空間確保が厳しい状況にあ
る一方、研究者等から 基準面積 食寝・分
離 など保育室のスペース増が提唱されてい
る。また、夜型傾斜社会に育つ子ども達の
遅寝 睡眠時間不足 外遊びの縮小 等を
克服するため、園と家庭が連携した 早起・
早寝・朝ごはん運動 等が推進されているが、
それらは 時間 配分や生活の流れに帰する
ものである。ところで、現代の子ども達に欠
けるのは 三つの間 、即ち 時間 空間
仲間 だと言われる。しかるに、足りない筈
の 三つの間 を保証しても、子ども達はす
ぐに反応せず、自己発揮しない場合が多いの
は何故か。 保育空間 でいえば、素材から遊
びをイメージしたり、一緒に遊ぶ仲間との関
係やその遊び方などスキルの問題を含めて、
主体となるその子の世界と用意された活動空
10
間との間に隔たりが生じているからに他なら
ない。実は、そのギャップを埋めるのが保育
実践の積み重ねであり、個々の子ども達が周
囲との応答関係から育つ心身の成長発達その
ものである。
かくいう私は、いま目黒区が駅前の高層ビ
ルに設置した保育所を指定管理者として受託
し、ビル内のテナントを保育室にして周囲の
遊び場や公園等を園庭代わりに活用する。昨
年4月に開園する際、当ビル管理組合の利用
承認を得ているが、開園後も同居するテナン
ト会の理解があればこそ、スムーズに使用出
来ることを自覚する。それゆえ、ビルから遊
び場への往復を含めて、公園で無心に遊ぶ子
ども達への温かい視線や優しい声かけがある
のは、地域全体が活動空間として広がるから
に他ならない。因みに、その遊び場が園所有
の園庭ならば維持管理に要する経費を含め、
境界する隣接地へのきめ細かい配慮が欠かせ
ない。それゆえ大都市に新設する保育所は地
区ごとに公私の社会資源を活用した独自の保
育空間づくりが目標になるが、そこでは単に
数量化した絶対値ではなく、子ども達の心が
いきいきと動く様な、もっと質的な意味を含
めた相対的な価値感が問われることになろう。
そして、 時間 という概念を子ども達の心
に意識させるには保育の日常に 時間感 を
抱く様な保育場面を工夫する必要があろう。
例えば、当園では時計の読み方を覚えた年長
児が、毎朝登園時に用意した カルテ に起
床時間、就寝時間、朝食、排便等の記述欄が
あり、自らの生活リズムを具体的に体験する
ことを目指している。そこから、園のデイリ
ープログラムの見直しを含めて、子ども達が
自らの体調管理を行い、 生きる とか 死
ぬ という概念まで抱くことも可能になるの
である。
ところで、この園舎は超高層ビル3階に位
置し、床面、壁面の全てが木の香かぐわしい
杉の間伐材を使った広い保育空間に恵まれて
いる。また、定員 58名という小さな園だけ
11
に集団として追い立てる必要はなく、ゆった
りとした個別重視の“見守る保育”を進める
ことが可能になる。とりわけ、その大きな窓
枠から見下ろすロケーション、駅や電車、バ
ス、クルマ、歩く人々等のパノラマが幼い子
ども達の心の奥底に原風景の ふるさと と
してイメージされるように思われる。それゆ
え、子どもにとっての心理的な 空間 と 時
間 は、質的、相対的な視点への深いこだわ
りとともに、立体的な空間まで含めて評価す
ることが大切ではないだろうか。
(中目黒駅前保育園園長)
子どもにとっての心理的な空間
米谷
光弘
1. 心身が蝕まれる子ども達
スウェーデンの社会思想家・女性運動家の
エレン・ケイは、20世紀初頭に 児童の世紀
(1900)を著し、母性と児童の尊重を基軸とし
た社会問題を論じ、世界各国の教育界に新し
い児童教育観の在り方について影響を及ぼし
たが、21世紀に入った現在でも、子どもに関
わる権利をはじめ、健康や環境問題等が解決
されないまま山積みされており、真の 児童
の世紀 になっていないことに気づく。
中央教育審議会(1998)は、 新しい時代を
拓く心を育てるために―次世代を育てる心を
失う危機― をテーマに、
“幼児期からの心の
教育の在り方について”の必要性を提言し、
日本学術会議においても 少子社会の現状と
将来を える をテーマに、 少子社会の多面
的検討特別委員会報告 (2000)と、 子ども
のこころを える―我が国の健全な発展のた
めに― をテーマに、 子どものこころ特別委
員会報告 (2005)
をまとめ、警鐘を打ち鳴ら
してきた。
この様に古今東西 子どもの世界 に関心
が向けられ、 子ども関わる権利条約の遵守
や 健康に関わる生活環境の改善 に取り組
もうとしている姿勢は高く評価できるが、老
若男女を問わず、健康に関する知識はあるも
のの、実際に必要な健康・体力づくりの実践
や生活習慣化のための行動変容が伴っていな
いのが現状の様である。
最近では、非行や犯罪の低年齢化は避けら
れず、いじめ・無視・仲間はずれ・誹謗中傷・
叱責・不登校・暴力・暴言・虐待・自殺など
多種多様な形となって、大人社会の縮図を映
しだすかの様に、子どもの世界にまで浸透し、
子ども達の心と身体を蝕んでいる。今日ほど、
身体だけでなく、心の健康について叫ばれた
時代はなかったと言えるだろう。
2 . 知・情・意 を伴うコンピテンスを育てる
ブリッジェスの 情緒の分化図式 では、
新生児の興奮が快と不快に分けられ、一方の
快の上機嫌は、3ヶ月微笑を経て、1歳頃に
得意・愛情、さらに、対成人・対児童、2歳
には喜びに分かれ、他方の不快の不機嫌は、
恐れ・嫌悪・怒り、8ヶ月不安(人見知り)を
経て、嫉妬に分かれている。2歳頃までに 11
種類の情緒が生まれるとされ、5歳頃までに
は大人が持つ 17種類の情緒のすべてが感情
となって現れてくる。
つまり、幼児期では、遊びを通した総合的
な活動としての生活の場において、 知・情・
意 の基礎を育てることを忘れてはいけない
のである。
なぜなら、幼い頃から他者が置かれている
状況の中で、相手がどの様に感じているのか
を自分自身の感情として共有することのでき
る 共感 を修得していけば、相手の気持ち
になって え、お互いが共感することにより
他者の痛みや望みを理解でき、子どもなりに
相手のために何かをしてあげようとする 思
いやり の気持ちが自然に育つからである。
この場合重要なことは、他者から受動的に
やらされる のではなく、 やればできる 、
できなくてもやろう とする姿勢が大事で
あり、自らの意思によって何事に積極的に取
り組もうとする能動的な 意欲 を認めるこ
とが必要となる。褒美や成績による外発的動
機づけではなく、自らが喜びを感じ、率先し
てやろうとする内発的動機づけに移行させる
やる気 を育てる保育が重要な意味となる。
したがって、
“知能指数:IQ”
を向上するだ
けに終始するのではなく、自己や他者の感情
を知覚しながら、自分の感情をコントロール
できる技術である“心の知能指数:EQ”を重
視しなければならない。
そのためにも、安心・安全・安寧・安定な
心理的空間 の環境が必要となる。
つまり、人としてすでに備わっている潜在
能力を引き出し、快の状態を維持しながら、
己を取り巻く環境のすべてに能動的に働きか
けることができ、自らの有能さや効力感を追
及しようとする コンピテンス を育てるこ
とが重要である。特に、乳幼児期は、多種多
様な能力を獲得しながら、 心理的空間 とし
ての行動範囲が拡大していけるのである。
(西南学院大学教授)
子どもたちの心の時間と空間
若山
剛
子どもたちの心に中に流れている時間、空
間をいかに保障するか、それが大人、保育者
が果たさなければならない重要な役割である。
日々の子どもたちの様子を見ていると、色々
なことがある。仲間とじゃれ合う子ども、時
にはじゃれ合いからけんかに発展することも
ある、また一人で黙々と遊びに集中する子ど
も、思うようにできなくて悔しがる子、ルー
ルを守って遊びを進める子、並ばず横はいり
をして要領よく振る舞う子、本当に様々であ
る。でもそこにいる大人の存在がその場の空
12
やってきて、 ホールのダンボール消してく
ださい と言った。 はい、 ホールのだんぼ
う、消してください ね。分かったよ。似て
るけどホールのは だんぼう ね。今日工作
で使ったダンボールと似てるね と副園長。
その後、自分でも気付いたのだろう、少し照
れ笑いをしながら部屋に戻っていった。いず
れも自分の心の中にある思いを相手に伝えよ
うと、懸命に思いを維持し、言葉で表現した
一コマである。
子どもたちの心の世界には、子どもたちの
時間と空間が流れている。
大人は子どもたちの心の世界を大人の目線、
価値観で見るのでなく、発達途上である個々
の子どもたちに合わせて、そっと見守り、流
れに寄り添いながら必要に合わせて支援をす
る。そういった子ども本位の保育を改めて見
直す必要があるのではないか、と えている。
(村山中藤保育園 櫻 園長)
気を一変させることもある。
例えば、 けんかなんかしないで だから
ふざけっこはやめなさいって言ったのに… 、
そんなことで泣かないの、こうすればでき
るでしょ… 、 そんなズルをする人は遊ば
ないでください
という様に大人の目線で
声をかけたならば、子どもたちの中に流れて
いる時間や空間は一斉に消え去ってしまう。
そしてそのような大人の支配や指示が多けれ
ば多いほど、子どもは自分たちの心の中に沸
いてくる思いや、自由な発想、 造する力を
維持することに自信がなくなり、終いにはそ
れらを放棄して、主体的に えることをしな
くなってしまう危険性すらある。そして、指
示待ち症候群と で言われる大人の指示に依
存する様になってしまうのである。
無気力、無感動の若者が増えていると社会
問題になったこともあるが、その原因はこう
いった乳幼児期の大人の関わり方に起因して
いるのかも知れない。
ゆみちゃんね、コロコロってころがっちゃ
ったの… と困った顔で事務所にきた2歳の
女の子。 え?、コロコロってころがっちゃっ
たの? と看護師。 うん、ほら と膝を見せ
てくれた。担任と目が合うと暗黙の了解で園
庭で遊んでいて転んだことが分かったので、
あ、分かった。ころんじゃったのね。じゃあ
お薬つけようね。泣かないで強いね 。後に担
任から状況を聞くと、小さな車の玩具に乗っ
て遊んでいてひっくり返りそうになり、コロ
ンと地面に転がったとのこと。
たった今自分に起きた状況を、知っている
言葉を使って看護師に伝えたのである。もち
ろん担任も傍にいたのだが、ゆみちゃんの言
葉を大切にしようと敢えて何も言わなかった
様である。薬をつけた後に よかったね。ち
ゃんとお話しできたね。上手だったよ と声
をかけた担任。 うん と笑顔のゆみちゃん。
ゆみちゃんの中に流れている時間と空間が大
切にされた一時だった様に感じた。
また別の日には、4歳の男の子が事務所に
13
寄 稿
保育研究に必要と思われる視点について
特性と重なるものがあると感じたのは筆者だ
けではないだろう。
新たな方法と環境を生み出す
保育実践の研究
天野
珠路
パフォーマンス評価について
現在、専門性を構築する鍵として、保育の
評価とその公表が重要視されている。学校教
育においても第三者評価が導入されるなど
様々な動きがあるが、ここでは、教員と研究
者が編み出した パフォーマンス評価 に注
目したい。
これは、 人はどう学ぶのか、それを援助す
ることは可能か、人の能力はどの様に捉えら
れるのか を模索し、子どもの思 と表現を
解釈するために編み出された学力の評価方法
である。いわゆる計算問題等のテストとは異
なり、数学的な課題(問題)を紐解くその思
のプロセスを表現すること、多様な表現方
法(式、言葉、図、絵等)を使うこと、複数
の解法がとれること等が特徴である。つまり、
子どもの え方の全体を調べることを主眼と
している。また、パフォーマンス課題は真実
味のある現実世界の場面を扱っており、子ど
もはこれまでの経験や知識や想像力を駆使し
て自らの えを表現しようとする。個々の子
どもの個性的な思 や表現を目にすると、こ
こまでできていたのに惜しかったなあ
こ
んなところでつまずいていたのか
こんな
面白い え方をする子だったんだな と一人
ひとりが愛おしく感じられる という。詳し
くは参 文献に目を通して頂きたいが、これ
らを読んで、保育の要素が大きく作用してい
る、あるいは、プロセスを大切にする保育の
14
保育の過程をあきらかにする
子どもが愛おしくなる、一人ひとりの子ど
ものよさや特性が分かる、子どもへの理解が
深まる、こうした実践を重ねるための保育の
方法と環境構成をいかに豊かに編み出してい
くかが保育の専門性と深く関わる。
ご存知の様に保育の ねらい は子どもが
様々な環境 人・もの・自然等> との相互作
用により体得される 心情・意欲・態度 と
なっているが、このねらいは到達目標ではな
く方向目標であり、いうなれば育ち行く子ど
もの成長・発達の方向性を示している。この
ため、生涯発達という長い時間軸のなかで、
子どもが様々な環境との出会いにより関わる
世界を広げていくことへの深い洞察なしに保
育は成り立たない。また、保育の過程や継続
性が子どもの育ちの連続性と結びつくことを
十分に 慮するとともに、その関連性を明記
する必要がある。特に、周囲の人、遊具や自
然物、時間、空間、場所などの保育環境によ
り引き出される子どもの遊びとその展開を可
視化することが大切である。
一方、保育の一場面を切り取って分析した
り 察することでひとつの結論を導き出すこ
とが難しいという側面もあるだろう。子ども
一人一人異なる個性と持ち味があり、その
時々の心身の状態や周囲の状況により保育環
境へのかかわりや行動は様々であり、なかな
か一般化できない、ひと括りにはできないも
のである。
しかし、だからこそ、様々な環境構成や子
どもへのアプローチの方法を試み、保育の多
た実践と研究の有機的往還が求められる。
様性や過程 プロセス> を明らかにしていく
ことが重要なのではないだろうか。凝り固ま
ることなく柔軟な心と頭で。
参 文献: パフォーマンス評価―子どもの
思 と表現を評価する(松下佳代:日本標準
ブックレクト№7)見える学力見えない学力
(岸本裕史:大月書店)
(日本女子体育大学准教授)
実践と研究の有機的往還に向けて
学校教育において 見える学力 と 見え
ない学力 があるという。保育においても、
可視化しやすいものとしにくいものがあると
思われる。例えば、子どもの健康や保健に関
わる事項として、出席率、感染症などの罹患
率、ケガの発生率、身体測定や健康診断、歯
科健診などの結果はデータとして活用できる
だろう。給食の残量や食物アレルギーなどに
ついても数値化しておくとよい。また、子育
て講座の開催や相談件数、療育機関による指
導の回数などもその内容とともに記録してお
く。こうしたものを年間、または5年、10年
と継続的に記録し評価することで保育研究の
重要な資料となる。子どもや保護者の状況を
客観的かつ科学的に分析し、適切に対応する
手だてともなるだろう。また、こうしたデー
タがあることで医療・保健等の専門職との連
携も図りやすくなる。
一方、前述の様に見えにくく、客観性を持
ちにくいのが、主に保育士が担う日常保育で
ある。確かに、保育士の行為や保育環境が子
どもの育ちにどういう効果をもたらすのかを
計る(測る)ことはなかなか難しい。人間の
成長過程は大変複雑であり、ひとつの要素だ
けが影響を及ぼすということはなく、子ども
を取り巻く様々な環境が相互に関連し合い、
一人ひとりの総合的な発達が促されていく。
子どもと保育士・保護者、子ども同士の関係
性といったものも重要である。こうした様々
な要素に着目し、根気よく継続的に実践とそ
れに基づく研究を重ねることが必要だろう。
同僚との協働、保育士と研究者の連携、また
保育現場へのサポート体制も求められる。
子どもの育ちを支え促すという保育の第一
義的役割を十分に果たしていくためにも、保
育方法や環境構成の多様性や 造性を内包し
保育研究の質的発展と研究倫理
柏女
霊峰
1. 実践現場における倫理への着目
近年、保育実践においても保育研究におい
ても、倫理的配慮に大きな比重が置かれるよ
うになってきている。それに伴い、実践の分
野においては、倫理綱領や行動規範の採択が
進んでいる。2003年3月に全国保育士会、全
国保育協議会がそれぞれ保育士、保育所の倫
理綱領として 全国保育士会倫理綱領を採択
して学習会を全国展開し、2004年1月には
全国保育士会倫理綱領ガイドブック (2009
年に改訂版を発行)が発刊された。母子生活
支援施設、乳児院など児童福祉施設団体によ
る倫理綱領の採択も進んでいる。
また、
平成 23年度入学生から適用される新
保育士養成課程改正においても、倫理問題へ
の着目がみられている。例えば、新設科目で
ある 保育者論 の標準シラバスにおいては、
保育者の役割と倫理 が記載されている。
2 . 保育学研究倫理
研究現場においても、2007年 10月に日本
保育学会が倫理綱領を採択し、2010年5月に
は、日本保育学会の編集により 保育学研究
倫理ガイドブック が発刊されている。筆者
も編集に携わったこのガイドブックには、保
育学研究における各種倫理問題への解説とと
もに、研究、実践報告の実施やその成果の公
15
表・発表にまつわる以下の問題等について簡
潔に解説を行っている。いずれも大切なこと
ばかりである。
1. 研究データ・資料の取り扱い上の問題
(盗用、改竄、捏造、ローデータの保存と
保管)
2. 引用上の問題(先行研究のレビュー、
図表、絵本、写真・映像、URL)
3. オーサーシップに関する問題(共同研
究、修士論文等の指導教員と論文の発表、
園の紀要・報告書の作成と発表、著作
権)
4. 論文執筆上の問題(差別的表現・不適
切表現、投稿規程の遵守とマナー、論文
の分割、多重投稿、同一資料を用いての
論文執筆上の留意事項、倫理的配慮の記
載、事例研究上の配慮)
5. 学会発表時の問題(発表規程の遵守、
発表の分割・連続発表、発表要旨の書き
方、発表のキャンセル、連続発表による
分科会の独占、発表時間の遵守)
6. その他の研究倫理上の問題(研究倫理
指針・研究倫理委員会、公的研究資金の
不正使用、機関誌未発表段階でのホーム
ページの掲載、アカデミックハラスメン
ト、誹謗中傷)
3 . 倫理的配慮について
研究や実践報告を行う際には、必ず倫理的
な配慮を行い、かつ、その具体的内容につい
て報告等に記載が必要とされる。 倫理的配
慮 とは、調査研究や実践報告を行う上で、
調査・実践主体から客体に対する権利の侵害
を防止する手立てを講ずることを意味する。
また、そのことを 倫理的配慮 として文中
に記載することは、研究・実践において、調
査対象に対する権利侵害がなかったことを宣
言することを意味し、一種の説明責任を果た
すことといえる。
それは、 投稿原稿に利用したデータや事
例等について、研究倫理上必要な手続きを経
ていることを本文または注に明記すること
(機関誌 社会福祉学 執筆要領 日本社会福
祉学会)を意味し、たとえば、以下の様に記述
することとなる。
質問紙調査の実施にあたっては、質問紙
配布時に、調査の趣旨とともに得られたデー
タは個人情報の厳重な管理と適切な処理を行
い、研究以外の目的には用いないという説明
を添え協力を依頼した。調査用紙の返送によ
り調査への同意を得たと判断した。また、調
査結果は、調査終了後に調査協力園に報告書
を送付することにより開示した。
なお、これらの記載は、学会発表抄録や実
践報告であっても同様に必要とされる。また、
事前に研究者等の所属する研究倫理委員会の
承認を得ている場合には、その旨もあわせて
記載することとなる。事例を扱う保育実践研
究においては、特に実践上の倫理と研究上の
倫理の両方が十分になされていることが必要
である。
終わりに ― 保育研究の発展のために
筆者はこれまでいくつかの学会の機関誌編
集に携わり、また、いくつかの実践研究等の
審査や評価に関わっている。その中には、対
象者の人権への配慮について首を傾げたくな
る様な研究計画も散見される。保育研究の多
くは利用者が研究対象であり、それだけに、
利用者の人権を阻害せず、かつ、利用者の福
祉に還元される研究を心掛けたいものである。
それが保育研究のさらなる発展に繋がるのだ
ろう。
文 献
一般社団法人日本保育学会倫理綱領ガイドブ
ック研修委員会編
[2010] 保育学研究倫理ガ
イドブック フレーベル館
(淑徳大学教授)
16
養成校では何を教えるのか ?
私は母校に誇りを持っている。実に合理的
な保育技術の養成を行ってくれた。4年間の
在学中、約1年に及ぶ実習期間・個人の畑の
提供(生物の授業)
・体育=運動あそび・徹底
的な哲学演習・実践科目の単位の多さ・世界
レベルの講師(私の時はディック・ブルーナ
ー氏)etc、書き出したら一冊の本が出来るく
らい多くの学びを得る事が出来た。園児から
何かを訊ねられたり、求められた際に わか
らない・できない と言うことを恥と思えと
鍛えられた。特に、1・2年生時の校内3施
設での実習と、3年生時の火∼金曜までの年
間数か所での実習。更に夏、冬、春休み期間
の長期施設実習。と、幼稚園、保育所、様々
な施設で体験を積めたことが、就職後一番の
強みとなった。知らず知らずの内に沢山の手
駒を習得することが出来、卒業後 30年を越
えた今でも経験の重さを実感している。私の
夢のまた夢は、母校の信念を再現する養成校
を作ること。
祖父の蔵書に世界の養成カリキュラムを比
較した物がある。学生の頃に読んだ際、印象
に残った欧州の例があった。 専門性 を深め
る事に重点が置かれていて、とても感心した。
それは2年生終了時にコース分けし、0∼2
歳児を選択した学生は保健衛生や成長発達の
知識を強化し、3∼5歳児を選択した学生は
領域・教育・技術面の知識を強化するという
内容だった。向き不向きを見極めるのには若
干早期ではとも思ったが、要点を絞り込んで
専門色を濃くする手段には非常に魅力を覚え
た。自分ならどちらのコースを選んだろうか
と想像して楽しんだ。日本の養成校は、独自
のカリキュラムを展開出来ないのだろうか?
保育には教科書が無い が、だからこそ疎か
にせず、日本の未来を担う子どもたちを責任
を持って育むことのできる保育者を養成すべ
きではないだろうか。
(かっぱ保育園園長)
2 つの想い
硯川
和歌子
どこがどう違うのか ?
幼稚園と保育所―その歴史の差は大きく、
そもそも目的も異なっていた。幼保一体化が
話題となり、反対・賛成の声が上がる昨今、
疑問に思う事がある。幼稚園の存在が世に出
たとされる明治9年の社会事情と現代のそれ
を比較すると、諸々の現状は激変し、利用者
側にも幼保の在り方に明確な線引きはないよ
うに感じる。
手元に昭和 35年に発行された小冊子があ
る。 幼児の社会性の発達と家庭環境―かっ
ぱ保育園における調査― と題した、私の祖
父の論集である。祖父は昭和 31年に 保育研
究所 として当園を 設、教授として務める
大学の付属幼稚園と併行して“子どもの育
ち”を見つめていた。2名の男性教諭と3名
の保母によって開園。当初から6領域に即し
た保育(授業)・園医(大学病院のドクター)
による地域住民全ての健康診断や各界の第一
人者を招いての講演、講習会等が行われてい
た。幼稚園教育要領にも準ずるのではないだ
ろうか。
私自身、10年近く HYK の第三者評価調査
者の末席を穢しているが、訪問したどの保育
所に於いても理念に基づいた教育が施行され
ていた。校区内の幼稚園にも子育てネットワ
ークで伺うが、基本的な生活習慣の自立や衛
生概念等が当然の如く培われている。よく聞
かれる 保育所は子守りだけしていればいい
から楽 とか 幼稚園は子どもと過ごす時間
が短かいから楽 等といった、双方を理解し
ていないフレーズには呆れるが、《幼稚園と
保育所の役割の違い》が果たして“あるのか・
ないのか”を明確にして欲しいと願う。
あればあったで・なければないで、私たち
はその役割を全うしたいから。
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やさしい保育とは
中西
健
大きくなったら メジャーリーガーになっ
て活躍したい 、 ミルクをあげたり、おむつ
を替えたりする保育士さんになりたい …。
卒園前の発表会で年長の子ども達一人ひと
りが大きくなったらの夢を発表する。最近は
トリマーになりたい。昆虫博士になりたい。
お父さんのようにかっこいいお父さんになり
たい 等様々な夢を語る子ども達が増えてき
た。それを見る保護者は、驚いたり、にこや
かになったりするのだが、我が子の順番にな
ると急に真剣になり、そして涙を流す人が多
くなった。
多くの保護者の共通の願いは 人や自然に
やさしい人間になって欲しい ということで
はないだろうか。 優 の字の名前が多いのも
その表れのように思う。
ところで、 やさしい には 優しい と
易しい の二種類があり、今の時代 易し
い も求められていることはご承知の通りだ。
ボタン一つ押せば御飯が炊けたり、洗濯がで
きたりする。コンビニはいたる所にあり、お
弁当・惣菜コーナーも充実している。すなわ
ち手間暇かけずに簡単に出来る便利さを追求
したものが私たちの周りには溢れかえってい
る。 手間 には一人ひとりの努力や工夫、そ
して修練の積み重ねがあり感覚が磨かれコツ
を習得し、何より上達の喜びがある。 手間
を省くことで便利になったが、その分、何で
も人任せ、機械任せが当たり前になってきた
ように思える。
あの先生、優しいから好き とよく言われ
るように、保育現場でも 優しい という言
葉はよく使われる。人任せや機械任せで楽を
しようとしていて、一方で 優しさ を求め
ることはおかしいように思う。本当に人や自
然に優しい心が育てられるのだろうか。便利
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なものがいけないという訳ではない。しかし
それに慣れることから、いつの間にか手作り
や手間仕事が疎んじられ、その苦労も喜びも
感じられなくなれば、心の方も人や自然の痛
みに無縁になっていくのではないだろうか。
やんちゃな子どもの両手をギュッとにぎっ
て必死に叱っている保育士がいた。子どもは、
うつむいたまま黙って聞き、泣いているよう
だ。そのうち、保育士も泣きながら叱りだし
た。すると子どもは保育士に抱きつき泣きだ
した。園庭を子どもと一緒に走り廻っている
保育士もいる。雪の上に寝転がって子どもと
雲の流れをじっと見ている保育士もいる。
コンピューター教育も、使い捨て製品の利
用も、それぞれそれなりの意味も価値もある
と思う。しかし、保育はやはり人間の手間暇
かけた手間仕事だろう。目の前の子どもの表
情や仕草、そしてつぶやきを見て聴いて、感
じたことをぶつけることが保育の原点だと思
う。それ故、保育者自身が言葉だけでない
優しさ を持ち、豊かな感性と能力を持ち併
せている必要もある。日々の研鑚が必要なの
もそのためだ。
本当の優しさとは、決して 安易 ではな
い。むしろ、そこには 安易 を排する 厳
しさ も 強さ も 勇気 も 忍耐 も含
まれていて、それが結局は、人や自然に対す
る 優しさ を育むことに繋がるのだと思う。
(せんだん保育園園長)
世間における保育の認識
東口
房正
保育所保育を え語る上で、統一性のない
認識の文言が混乱を招いている気がする。例
えば政治家が保育現場を視察するとき、ある
いはマスコミが取材するとき、認可された保
育所でなくビルの一室に設けられた、財政支
援の少ない保育ルームなどを訪問し、 保育
の現状を伝えることがある。もしくは教育委
員会や文部科学省も、 保育 に関する資料な
どを見ても同様に感じられる。
それは子どもを預かることは託児である、
という見方である。つまり託児=保育という
図式によって語られ、保育現場では教育をし
ていないという見識になる。
原因のひとつは保育所、保育園という施設
名を認可保育所だけに名称独占されていない
ことがある。認可外である駅の中にある託児
室やマンションの一室に設けられた託児ルー
ム、果てはベビーホテルといわれるような施
設であっても○○保育園とか△△保育ルーム
と称しても何ら問題はない。託児所であって
も保育所を名乗ることができることから、認
可保育所でも子どもを預かるだけの託児を行
なっていて、保育所といえば子どもを預かる
という認識が生まれ広がっている。片や幼稚
園は厳然と名称独占がなされており、認可を
受けないと幼稚園と名乗ることができないこ
とから、類似の施設はない。
また多くの辞書においても託児所=保育所
と記述してあり、 保護者に代わって乳幼児
を預かり、保育する施設。→保育所 とある。
世間の一般認識はまだまだ保育所は託児所で
あるのだとすると、保育の定義を確立するた
めに科学的に検証し、預かるだけの託児とは
一線を画する必要がある。
一方で 保育所における保育では、養護と
教育が一体となって展開される。 という記
述もあるが、≠託児という様な否定はされて
いない。最近になって待機児童問題に端を発
した保育所保育が多く語られるようになり、
一部の方々には託児と保育は似て非なるもの、
という認識が増えてきた。これも一部の保育
所関係者が発信し、記述し、出版し、ようや
く かながらにでも広めてきた成果ではある
が、もともと保育とはなにか、を探ろうとも
しない一般社会には届かないのである。
そこで政府の所轄官庁以外や経済界にも訴
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え続けると共に、託児における育ち、保育に
おける育ち、幼児教育における育ちのそれぞ
れを研究し、類似点相違点を洗い出すような
子育ちの分野を横断的に 察できないものか。
かつて保育所といえば幼稚園に通う前の小
さい子が通うイメージが定着していた。5歳
になれば幼稚園、4歳までは保育所というこ
とが、年輩の方には当たり前だったし、幼稚
園に入る前には保育所だったのである。現在
では小さいから保育所、大きいから幼稚園と
いった、就学前には幼稚園に通うという認識
は消滅している。このことからも時間はかか
るものの、世間の一般的認識は変えることが
できるはずである。
蛇足ながら、就学年齢引き下げの案がある。
小1の壁 問題が顕著に言われているので
あれば、逆に就学年齢を引き上げ、小1の時
期の教育を幼稚園で行なうことが望ましい。
もう一点、子どもが保育所から小学校に上が
る家庭にとって、なによりも大きな障壁にな
っているのが、放課後児童クラブの終了時刻
である。保育所と同じ時間帯の就業を続ける
ことが難しい現状となっている。
解決のための一案として、6歳になれば幼
稚園で学び、放課後は保育所で生活するのが
最も好ましい姿なのではないだろうか。現在
幼稚園(保育所でも)では幼児に即した遊び中
心の幼児教育が行われている。6歳になれば
幼児教育だけではなく、小学校で行なわれて
いる教科を幼稚園で行ない、 座学 の基本を
教えるのがスムーズな移行に繋がると える。
(ふじが丘保育園理事長)
研究所だより
第 1号∼第 5 号を
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ダウンロードもできますのでご覧下さい。
日本保育協会 HP を一部リニューアルのお知らせ
― 保育科学研究所のページがオープンしました
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日本保育協会では平成 22年 10月1日よりホームページを一部リニューア
ルし、保育科学研究所のページをオープンしました。
研究所の活動報告や生涯学習・実践研究に関するお知らせが全てこちらか
らご覧頂ける他、 研究所だより のバックナンバーもダウンロードできるよ
うになっています。
近日中には当協会初の研究紀要も UPする予定です。皆さん是非ご覧下さ
い。
日本保育協会保育科学研究所
研究所だより
第6 号
2011年3月30日
発行者: 野 悟郎
発行所:社会福祉法人日本保育協会 保育科学研究所
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前5-53-1
こどもの城 13階
:0
3-3
4
86-4412/ FAX:03-3486-4415
TEL
(1,000)
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