『映画映像史』 ムーヴィングイメージの軌跡 小学館 2004 (第

文献紹介
出口丈人 『映画映像史』 ムーヴィングイメージの軌跡
小学館 2004
(第十章 「将来の映画の可能性はどこに」
)
2DS05080G 佐々木理恵
筆者紹介
出口丈人。1949 年生まれ。早稲田大学大学院研究科博士課程修了。映画額専攻。東京芸術大学、共立女子大学などで、映
像史、映画論、作品分析などの授業を担当。日本映像学会理事、日本アニメーション学会会員。共訳書に、D・アリホン『映
画の文法』(紀伊国屋書店)、G・サドゥール『世界映画全史』
(国書刊行会)、共著に『ヴィスコンティ集成』(フィルムアー
ト社)
、
『円谷英二の映像世界』
(実業之日本社)など。現在、これまでに試みられたことのない角度からの映画論を執筆中。
第十章 「将来の映画の可能性はどこに」
社会背景
1989 年ベルリンの壁崩壊以降、イデオロギーや理念よりも「経済的な豊かさ」という価値観がより力をもち、また、国境
を越えた情報の伝達・共有はテレビをとおして成立していった。そして 1991 年、コンピュータ・ネットワーク WWW が実用
化され、いわゆるインターネットとして誰もがアクセスできるようになり、世界規模での情報の共有、同時性を促した。
さらに、コンピュータの発達により、シミュレーション映像が広範に実用化され、このヴァーチャルリアリティ(仮想現実)
は現実と映像の境界をあいまいにした。
映画も大きな影響をうけた。もともと映像は現実的であることが求められていたが、こういった科学進歩や社会背景により、
もはや映像と現実の境界があいまいになってきたのである。
1. 虚構と現実の距離を作るハリウッド映画
境界のあいまい化に対し、現実性、虚構性のどちらかを過剰に際立たせてかつての距離感を保とうとする。
*現実性(ex.「ジュラシック・パーク」
「プライベート・ライアン」
)
*虚構性(ex.「グラディエーター」
「スパイダーマン」
) リンチのねじ曲げ系
ホラー、SF
ジャンル映画 ロマンス
レトリック
etc . この時期の最大のヒット作
ハイブリッド(混ぜこぜ。ex.「タイタニック」
「マトリックス」
)
また、過去の出来事の検証・再現を目指したもの、現実を犯罪や恐怖を題材に作品化するものなどにも存在する。
2. 匿名の映像の氾濫のなかで
ドキュメンタリー映画(作者の考えを提示)と、取材映像(匿名の映像)の区別の理解があいまいになった。なぜなら、素
材が同じだからである。映像を単なる情報としか受け止めることのない受け手に囲まれては、どうしようもない。
また、商業映画はテレビに近づき芸術性が薄れ、90 年代は有名な作品であることと、傑作・最先端の作品であることがイ
コールではなくなった。
3. 世界各国の映画の広がり
娯楽の商業映画(ハリウッド的)はあふれているが、芸術的映画(ゴダールに代表する。対ハリウッド的)がなくなったわ
けではない。また、題目の目新しさという点で、国際的に知られていない世界はそれ自体新鮮なものとして受け止められる。
4. グローバル化がもたらしたもの
グローバル化により、アメリカだけでなくインドやヨーロッパなどの国の映画も話題に上る。しかし、観客による映画評価
はやはりハリウッド・モードが支配している。観客は理解できる作品を評価しがちである。作品の善し悪しよりも、いかに国
際的に理解され受け入れられるかということが重要になってくる。90 年代の特徴にクイアー・フィルム(性的傾向をもとに
描かれる作品)のように、一般的な観客までもが映画以前の基準にそうかどうかで評価するようになってきている。
5. 映像メディアの進化と映画
新しいメディアとして、CG の発達で、背景がすべて CG(アニメーション)の作品は増えたり、フィルムを使わずデータ
化した映像を、衛星を通して配信する DLP の出現。また、個人でコンピュータにダウンロードするなどし、ホームシアター
を作ることもできる。これはプライベートとパブリックの区別感覚を変えていくに違いない。
6. 映画、映像を捉え返す試み
95 年の映画誕生 100 周年を期に、無声映画を改めて見直すなどの傾向がある。また、そういった動きに即した作品もあり、
ゴダールの『映画史』は、作品内容は映像の歴史を捉え返そうとしており、さらに DVD やビデオにふさわしい表現形式とな
っている。
7. 世代交代の進行がもたらすもの
60 年代前後にテレビが普及し、工業化による激変の中で育った世代が映画人としの中核として活躍するようになった 20 世
紀後半を境に、作り手が関心を持つ題材や興味の持ち方、捉え方、扱い方などが変わった。その結果が現れるのはむしろこれ
からだ。
8. 映画の持つ基本的枠組みと映像の未来
映画の基本的枠組みは、1920 年代に観客が集中できる時間として 70~120 分にまとまった。しかし、CM が入るテレビにな
らされると、例えば日本では 15 分で集中が途切れてしまう。
映像が環境としての性格が強まれば(つけっぱなしのテレビのように)、映像は次第に当たり前のものになっていく。メデ
ィア・リテラシーの必要性が叫ばれるようになった。
また、テレビで育つと娯楽を無料で見る習慣がつき、内容を先に人からきいたり、予告を見てからでなければ料金を払いた
くないという気持ちになる。そのために、その場で自分で考えることをせず、受け止める側の衰弱は進行する。
映画は莫大な費用を要するため、当たらなければ作れない。それは映画ができた始めからそうであり、その意味で映画を現
在の方向に向けたのは観客の力である。映像メディアはますます多様化し、映像の未来の可能性はまだ極め尽くされていない。
その可能性をどこまで生かすことができるか、映画を生かすも殺すも観客次第であり、その歴史を作るのも観客なのである。
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本文はかなりの情報量である。年代ごとに章分けされていて、その年代のことが様々な視点で一気に書かれているため、時代
ごとの全体像はつかめるが、一冊を通しての全体像はつかみにくい。
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、
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